SS小説(ショートストーリー) 大会【平日イベント】
メモリー・メモ 〜上片〜 ( No.15 )
- 日時: 2016/06/05 00:10
- 名前: りあむ ◆raPHJxVphk
ひとつのメモが、目に入る。
そこに書かれていることはよくわからなくて、自分がどうしてここにいるのかもわからない。
長い間、夢でも見ていたかのように、ふっと置き去りにされた気分だった。
「はいはーい、布団を干しますよー。どいて」
突然目の前に、ぬっと大男が現れた。
もう昼ー、と言いながら遠慮なく、男は私が座るベッドから目的の布を引き剥がしていく。
誰だろう。
目の前の男をまじまじ凝視するけれど、そこから新しくわかることは何もなかった。ただ、顔立ちの良い男だった。
不思議と、この男の存在は厄介に感じないので、そのままされるがまま。
窓の外を見た。確かに今日はいい天気だ。布団を干すのにぴったりの。
しかし、さっきとは別のメモが異を唱えている。
『降水確率100パー 布団は干すな 』。
……何この字のデカさ。自信満々だなおい。
もう一度窓の外を見れば、庭のハナミズキの影が気持ち良さそうに揺れていた。雨の気配は、ない。
なんだ、このメモ。
あっ。
外を眺めていた私は、突然思い立った。
そう、そんなことよか、私はこういう日にしなければならないことを知っている。
よく晴れた日だ、庭に水をまくのだ。
私は干すための枕を抱え、そのまま外に出た。
布団を引き剥がしやすくなった男は、こちらをちらっと見た。そして、いってらっしゃいというように微笑む。
何故か鳥肌が立つ笑顔。なんなのだ、あの男。私は忘れているが、実は警戒すべき人間だと本能が告げているのかもしれない。
よく気をつけねばと首を振って、私は外へ行こうと踵を返そうとした。
と、突然男は、『あっ』と何か大事なことを思い出したような顔をして、私を引き留めた。なんだろう。ん? 心なしか少しニヤニヤとしているような……。
「あ、これ落ちてた」
ゴソゴソとエプロンのポケットを弄り、小さな紙を私に差し出した。メモのようだ。
『【危険】お前はとっても不器用だ』。
……なん、だと……?
私は構わず外に出た。
私は枕をぽいっと投げて、ホースを手に取る。蛇口を捻ると、ハナミズキに上からシャワーを浴びせた。
ハナミズキの花びらの上で、大つぶの滴が赤く光る。
そのまま振りかぶって、庭の花に水をまく。
なんて美しい庭だ。
ああ、輝く水玉が目に眩しい。
「あー! 布団が濡れたじゃん。ホース振り回すなっての!」
ハナミズキの向こう側から、悲鳴が聞こえた。
葉っぱの隙間から、布団をつまむ大男が見える。ふふふ、降水確率100パー、か。
まぁ、これくらいなら大丈夫か……と、男はサンダルをパタパタいわせて中に戻った。
あんまり水をあげすぎると、根が腐るかもしれない。根拠はないけれど。
カーポートに移動して、白い車に水をあてた。
今日はホースを握る、いや振り回す日なんだ。ちゃんとホースが扱えていないことなんて、最初の数分で痛いほどわかった。
無心でばしゅっばしゅっと当て続けると、突然背中を叩かれた。
「コラ、水垢ができます。やるなら洗ってね」
男はスポンジと洗剤を持って来て、庭に置いた。
「明日使うから。念入りにいきましょー」
そう言って腕をまくる。私もズボンの裾をまくった。
明日、車使うのか。どこに行くんだろう。
私も一緒に行くのかな。
勢いの良いホースの水は、制御する主によって、洗剤を吹き飛ばしていった。くっそうこの洗剤、うまく流れてはいってくれないのだ。
洗剤たちは気持ち良く、思い思いの方向へ飛んでいった。それを見る男は曖昧な笑顔だった。また掃除、しなきゃな、と。
家の壁にもはねたので、窓も拭くことにした。今日は掃除の日になった。全く誰のせいでこんなことに。
私と掃除する間、大男はよく笑った。
不意打ちで、息が詰まることもある。でも、ふっと見ればずっとニコニコしているのだから、避けようがない。
マコトに眼福な笑顔を見るのは、なんだかとても気恥ずかしく、私は顔を狙って水を発射した。べしゃっ。
するととても爽快な気分になるので、やっぱりこの男は私にとって要注意人物だったのでは、と思う。
しかしこの男は、たとえはねた洗剤の泡が顔にべちゃっとついても、怒らなかった。ただ優しく笑って、私を居いた堪たまれなくするだけだった。
「窓拭く前に、ご飯にしようか」
台所は、私には禍々しい気を発しているように見えた。とてもじゃないが、そこは私の立てるような場所ではなかった。
私はきっと、料理は苦手だ。男はくしゃっと私の頭を撫でた。
「料理も、だよ」
男は当たり前のように台所に立つと、慣れた手つきで料理をし始める。まったく不思議なことに、食材たちは皆、男のいうことをよく聞いた。私は興味深く、男の手元を覗き込んだ。
食材たちはひとつの料理の完成に向かって、まるで行進するように、あるべき姿へと、形を変えていく。
それは、とても美しいものだった。ずっと見ていたいと思った。
「はいはーい、出来た。食べましょーか」
はいはーい、というのは彼の口癖らしい。
小さいテーブルに置かれたのは、オムライスだった。
かけろ、というようにケチャップを寄越す。ケチャップを片手にしばらく唸ってから、かけろ、というようにその手を押し戻した。悪いな、人には向き不向きというものがあるんだ。
でっかく、嫌味たらしい完璧なハートを描えがいた彼は、器用というのだろう。私と違って。
そっと手を合わせた。もう一度、皿を覗き込む。
皿の上の、ひとつの完成。これは絵だと思った。
なぜならとても、美しかったから。
その完璧な絵から、スプーンで一口切り取る。スプーンの上でオムライスは、ぽっこりと浮かぶ、黄色い島のようだった。
スプーンの上に、世界があるという驚愕。私はおそるおそるスプーンを口に運んだ。
ふわとろの甘めの卵が舌に当たり。ケチャップの甘酸っぱさと塩気。そしてピーマンとタマネギを奥歯がはんだ。
それはとっても、とてもとても美味しかった。
前から、ふふっと声がする。
「そんな笑顔を見れたし、今日はオムライス記念日かな」
こちらをそっと見守っていた男は、満足したようにひとつ頷くと食べ始める。嬉しそうに笑っていた。
それを見ると、なぜか嬉しくなって、私も笑った。
>>16中片