SS小説(ショートストーリー) 大会【平日イベント】

ユートピア ( No.28 )

日時: 2024/05/06 10:36
名前: むう

「ヒナさんですね」
 相手は、物腰柔らかな男性だった。
 
「数週間日にちが空きましたが、お元気でしたか」
 彼―ジュンさんはそう尋ねると、遠慮がちに笑った。

 ジュンさんとは町の喫茶店で出会い、お互い短文の挨拶を交わした。初日はそれだけですぐ別れたのだが、後日チャットで『また会えませんか』と連絡を貰った。

 それから週に二回ほど落ち合うようになり、アニメという共通の趣味を持っていることが分かったとき、私は思わず子供のような甲高い声を出してしまった。

 相手は同い年だけれど、自分よりもずっと大人びていた。敬語を多用する癖からも、礼儀正しい真面目な性格が伺えた。今まで会ってきたどんな人とも違う。
うまくやれるかビクビクしていた。だけどそれは杞憂に過ぎなかったのだ。それがとても嬉しかったし、ありがたかった。
 
「はい、元気です」
 
 今日の集合場所―広場の噴水の前。私はこの日の為に新調したコートの襟をいじりながら返す。

「それは良かった。ところで、今日はどうしましょうか。街へ一緒に行くのでもいいですし、見たい商品があるなら、そっちからでもいいですよ」
 
 広場があるこの場所は小さな商店街になっていて、通路に沿って様々な店が軒を並べていた。どの店舗の前にも多くの客の姿があり、それぞれが楽しそうに話している。

「うーん。そうですね。服はこの前高いのを買っちゃって、今手持ちなくて。配布されたチケットも、このあいだうっかり使っちゃって……」

 せっかく自分を気遣ってくれているのに、せっかく自分と行動を共にしてくれているのに、申しわけない。声が徐々にか細くなっていく。

「すみません」
「あはは、僕もよくあります。配られたらついつい、使いたくなりますよね〜」
 
 怒られると思っていたが、ジュンさんはひらひらと右手を振っただけだった。愛用している紺色のパーカーの装飾が風に揺れる。

「じゃあ、やっぱり街に行きましょう。この前飾ったイラスト、見に行かなきゃいけないですしね」
 
 軽い口調で彼が言う。私は「あ、はい」と返事をし、彼の後に続いて歩こうと、足を一歩踏み出して……。
 
 画面の上側に記された【25:00】という文字に、ハッと息を呑んだ。
 広場は、西からの太陽光で明るく照らされていた。影が長くのびるくらい、いい天気だった。雲一つない快晴。清々しい空気の下、めいめいにお洒落をした人々が駆けていく。昼真っ盛りの、平和な光景。

「ヒナさん?」
 
 ジュンさんがくるりと振り向いて、首を傾げる。どうしたのかと、足を止めてしまった私に怪訝な表情を向けている。

「どうかしましたか」
 
 本人からすれば、親切心からの質問なのだろう。しかし言われる側にとっては、うわべだけの、ざらついた言葉のように……胸の奥深くを無遠慮に刺してくる刃物のように感じた。
 
 ――いえ。
 わたしは、ゆっくりと首を振る。
 ――どうもしてないです。
 それだけを言い、そそくさとジュンさんの横に並ぶ。

 そうだ、これから街に出るのだ。華やかな景色をこの目で確かめるのだ。
 そう自分に言い聞かせながら、黙々と足を進めた。

  ■□■

「雛乃、いつまでゲームをしているの⁉ いい加減寝なさい!」
 
 自室のベッドに寝転がりながらスマホを弄っていた私は、入り口の奥から降ってきた母親の怒鳴り声にビクッと肩を揺らした。
 
 扉の隙間から顔をのぞかせた母親は、はあと息をつく。その溜め息には、日々の疲れと—娘に対しての呆れが混じっている。

「毎日毎日、部屋に引きこもって。勉強はしたの? 小テストの点数、ずっと赤点だけどそこのところ理解しているんでしょうね?」

「うるさいなあ! ちゃんと勉強終わってからやってるし、お手伝いだってしたでしょ? 部活で疲れてんの。少しくらいやっても良くない?」

「少しくらい、なら私も怒らないわよ。ただ、何時間もやってるあんたが心配で……」

 自分のアバターを作って、可愛い町中を自由に散策できるスマホアプリ〈ドッペルン〉。
はじめは暇つぶし程度に遊んでいたのが、いつの間にか現実逃避の手段のひとつになっていることに自分でも驚いている。
 
 時間を忘れてつい何時間もプレイしてしまうこの状態が、「依存」と称されるのを知っている。「イベ廃」「ツイ廃」などの言葉が生まれるほど、現代の社会において依存は身近なものになりつつある。
 
 まさか自分がそうなるとは考えてもみなかった。学校で友達が、「ちょっと依存気味でさあ」と愚痴るのを、「へえ、そうなんだ」気分で聞いていた私が、あっち側になるなんて。

 人間という生き物は、関心のない事柄にことごとく無関心だ、という記事を思い出す。そうだ、あの時の私は本当に……本当に、興味がなかった。その対象に自分が含まれることになるなんて、知らなかった。

 だからこそ、私はまだ納得できず反論している。

 我も忘れてゲームに没頭してしまうこの現象が依存だと、未だに肯定できないのだ。ゲームでできた温和な友人を、所詮プレイヤーだ、と片付けてしまいたくない。だって彼が与えてくれた時間は本物で、綺麗で、「ネット」云々で終わってしまうほど脆くない。

「……わかったよ。もう、寝るから」

 私はつっけんどんに返すと、スマホの電源を切りベッドのわきに置く。畳んであった布団を広げ、その中に潜り込んだ。

 母親の足音が遠ざかり、寝室に入っていくのを確認し、肩の力を抜く。

 現実にはジュンさんみたいな友達は一人もいない。派手な子はいるけど、あそこまでキラキラしていないし、かなりの毒舌だ。そしてそれは自分も同じ。

 ――ヒナさんですね。

 あんなふうに、声をかけられたかったの。ただそれだけなの。
 将来の不安や、今抱えている悩みを、全部忘れたかったの。
 
 自分の見た目も恰好も変えて、知らない人と内容のないやり取りをかわすこと。それに意味を見出すことを生きがいとする人は、多分わたしだけではなく世の中に沢山いる。
わたしのように、部屋から一歩も出ずに世界を旅する人は、世界に何人いるんだろう?

 ふと降りて来たくだらない思考。それを整理する暇もなく、瞼が下がっていった。


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