コメディ・ライト小説(新)
- Re: アイネと黄金の龍 ( No.1 )
- 日時: 2017/04/12 22:31
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: VHEhwa99)
プロローグ
あれはまだ私が母と二人で暮らしていた、七歳の時のこと。
激しい雨の日だった。私はちょっとしたことで母に厳しく叱られ、嫌になって家を飛び出ていった。呼び止めようとする母の叫び声が微かに聞こえたが、私は振り返らなかった。その時は振り返りたくなかったのだ。
私は大雨が降る中、ぬかるんだ地面をあてもなく駆けた。
どこへ続く道か分からない。それでもいい。とにかく母に叱られなければ構わない。このままどこか遠くへ——。
ちょうどその時、目の前に湖が見えた。この世とは思えないほど美しく透き通った湖。私は目を奪われていたせいで足下の小さな石に気付かず、つまづいて転んだ。首にかけていたネックレスが一瞬にして湖の方へ飛んでいく。そして、その中へ落ちた。
「あっ……!」
私は慌てて立ち上がり泥がこびりついた足のままで湖へと走る。
誕生日に母からもらった、八の字の印が入った大切な水晶玉のネックレス。探さなくては。そう思い手を入れた泉の水は、冬でもないのに、妙にひんやりとしていた。それに思っていたより深そうな感じ。
水晶玉を必死に探しているうちに、気が付けば結構身を乗り出してきていたらしく、バランスを崩した私は湖へ頭から落ちた。
息が出来ない。かといって、泳ぐことも出来ない。足が下に届かない。
もう駄目だ。ここで死ぬ運命かと諦めそうになる。暴れても沈んでいくばかり。
手を伸ばしても、水面はもう遠い。
——黄金の龍。
意識が朦朧とする中、私が最後に見たのは、光沢のある金色をした龍だった。薄れていく意識の中で見たものだから、それが現実なのか幻を見ているのかはっきり分からなかったが、その姿から龍であることだけはなんとなく分かった。
きっと幻だと思う。けれど、その美しい青緑色の瞳は、脳裏にしっかりと焼き付いて離れなかったのだ。
- アイネと黄金の龍 ( No.2 )
- 日時: 2017/04/12 22:38
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: VHEhwa99)
一話「十七の誕生日」
今日は十七歳の誕生日。
私を一人で育ててくれた母は五年前に亡くなり、現在はその姉、伯母がその代わりの役割を果たしてくれている。
十七歳、といえば普通は青春まっしぐらだろう。友達と遊んだり、恋をしたり、人生に一度きりの楽しい時期だとか。だけど私には友達も恋人もいない。
湖に転落した事故以来、私は突然気を失う病を患ってしまった。それが全ての元凶だ。村の医者に何度診てもらえど原因は不明のまま、発症する頻度は増加するばかり。私はついに入院することとなり、一日のほとんどをこの病室で過ごす生活が始まったのだ。
「アイネちゃん、起きていたのね。また本を読んでるの?」
週に一度くらいだけ訪ねてくる伯母が病室に入ってくる。
「……はい」
彼女は、いつも本ばかり読んでいる私を、変わった子と思っている様子が窺える。
「裁縫とか編み物とか、もっと女の子らしいことをしたらどう?必要なら物は持ってきてあげるわよ」
「……結構です」
自身の意見を押し付けてくる伯母は正直苦手だ。私のためを思って言ってくれているの分かるが、こちらからすれば、余計なお世話。
「私は本が好きなんです」
「あら……、そう」
伯母は口元を手で隠し、いかにも上品そうに笑う。だが浮かんでいる笑みは嘲笑う笑み。私にはそれが分かる。
「まぁいいわ。今日は誕生日よね。夜、お医者様と私とアイネちゃんで誕生会をしましょう。最後のお誕生日だものね」
そう、私は余命一年。原因不明の病のせいで、こんなことになってしまった。余命が分かるのなら原因も分からないものかと思うところはあるが、小さな愚痴をぼやいたところで運命は変わらない。
「お誕生日ケーキを用意しなくちゃいけないわね。あとプレゼントも。夜を楽しみに待っていてちょうだい。今から買い出しに言ってくるわ」
「ありがとうございます」
「それじゃあ、また後でね」
伯母は優しい微笑みを浮かべて病室の外へ出ていった。私は本に視線に戻す。
ようやく一人になれたので息を吐き出す。世話をしに来てくれるのはいいが、私は伯母が苦手なのだ。憐れむような笑みがどうにも慣れない。
病室で夢中になって本を読んでいると、あっという間に夜になった。
「アイネちゃん、十七歳のお誕生日おめでとう」
紙袋を持った伯母と医者が病室に入ってくる。
「これがプレゼントよ」
伯母が、綺麗に包装された、両手に乗せられるくらいの大きさをした箱を渡してくる。
「ありがとうございます」
「開けてみて」
苦手な人からの贈り物。あまり気が進まないがやむを得ずプレゼントを開けてみる。二色の毛糸玉と編み棒が入っていた。
「素敵な贈り物でしょう?」
「……はい。嬉しいです」
恩着せがましい態度が気に食わないが物をもらってしまっては仕方ない。
「ケーキも用意しているよ。最近村で流行りのイチゴショートケーキだよ。さぁ、どうぞ」
真っ白でふんわりしたたっぷりのクリームで包まれたケーキに、可愛らしくイチゴがたくさん盛られている。白と赤のコントラストが食欲をそそる。
「こんなにイチゴ!私、イチゴ大好きなんです!」
幼い頃はよく母がイチゴをたべさせてくれたものだ。
「気に入ってもらえたようで嬉しいよ。すぐに準備して、一緒にケーキを食べよう!」
いつも一人で過ごしている私からすれば、この病室に三人は多すぎる気がする。みんなで集まるような広い部屋ではない。
ただこの日、私は幸せを感じた。伯母も医者も笑顔で私の最後の誕生日を祝ってくれた。上辺だけかもしれない。それでもいい、と思った。
楽しかった誕生日会も終わり私は床についた。こんな風に楽しんだのはいつ以来だろう。今は思い出せない。
もしかしたらこれが最後かもしれない……。不安を掻き消すように私は眠るのだった。
目が覚めた時、窓の外はまだ暗かった。雨音が静かに響いている。どうやら雨が降っているらしい。
やけに喉が渇いている。水を汲むため、給水器がある廊下へ出ようと思いドアまで歩いていったが、ふと異変に気付く。人の気配だ。覗き穴から外を覗くと、伯母と医者の姿が見えた。
何か話している。私は聞こうと耳をドアにぴったりとくっつけ、息を潜めた。
「あと一年であの子が死ねば、私も楽になります。ほほっ」
「これこれ、ハッキリ言い過ぎですぞ。彼女が聞いていたらどうするのです」
「まさか。アイネは寝ていますもの。あの子が聞いているわけありませんわ」
聞こえるのはそんな話し声。私は信じられない思いで聞き続ける。
「こう見えて私、結構苦労してるんです。あんな奇病の娘を世話しているというだけで、周囲から気味悪がられますもの」
「ほぉほぉ」
「だというのにあの子は本を読んでばかり。私が会いにいってあげてもちっとも嬉しそうにしないんです。何ならもう訪問止めようかしら……」
我慢が限界に達し、凄まじい勢いでドアを開ける。
「もう来なくて結構です!」
私を見た伯母は突然のことに驚いた顔をしている。
「あ……アイネちゃん……」
「ご心配なく!私もう、ここから出ていきますから!」
そう吐き捨て、病院を出ていくことにした。見慣れた廊下を走り抜け、夜でも簡易の鍵しかかかっていない裏口へ回る。内側からなら簡単に開けることが可能だ。そして外へ出た。雨粒が地面の水溜まりにあたり跳ねる音が大きい。
そして私は、雨降る夜の闇へ駆け出した。
- アイネと黄金の龍 ( No.3 )
- 日時: 2017/04/26 17:37
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 4IM7Z4vJ)
二話「邂逅」
啖呵を切って飛び出してきたのはいいものの、なんせ数年ぶりの外だ。行くあてはない。
雨は無情に降り続ける。思えば病室で履いていたスリッパのままここまで走ってきたので、足下が泥まみれになってしまっていることに気付いた。これだけ雨の日に土の上を走ったのだからやむを得ないことだが、少々不快感がある。
これからどうしよう、と溜め息を漏らす。誰かの家に泊めてもらうわけにもいかないし、かといってこの大雨の中で野宿するというのは風邪を引こうとしているも同然。
そういえば……あの日もこんな激しい雨の日だったなぁ、と十年前のことを思い出す。あの事件は、今考えても本当に謎に満ちていた。
水晶玉のネックレスを探して溺れたはずだったのに、母は私を湖畔で発見したと言った。丁寧に横たえられていたのだと。だがそれはおかしいのだ。生還することを半ば諦めていたあの時の私が、自力で湖から出てこれたはずがない。
溺れているのを発見した誰かが助けてくれた?……ということもあり得るかもしれないが、あの夜遅い時間だ。あんな暗い時間に人がいるだろうか……。昼間でも人通りのない場所だったというのに。
そんなことを脳内で考えているうちに、真相を知りたくて仕方なくなってきた。あの場所へもう一度行けば何か少しでもヒントがあるかもしれない……。根拠はないが、そんな気がしてくる。
そして導かれるように、あの湖へと向かった。
やがて辿り着いた湖畔は人の気配が全くなく、雨音以外の音は何も聞こえない。私は恐る恐る辺りを見回す。もしかしたら水晶玉のネックレスが落ちていたりするかもしれない、と思ったからだ。しかし、特別な物は何も見当たらない。
やっぱり私がおかしいだけなのかな……、とそう思った時、私は驚くべきものを見た。湖のほとりの二メートル近くありそうな大岩の上に、一人の青年が座っていたのだ。こんな遅い時間、しかも雨の中。これは明らかに不自然。ちょっとした好奇心から、近付いてみることにした。ゆっくりと歩み寄っていくが彼が私に気付く様子はない。
私の足が彼の背後二メートル程に迫った時、青年は突如言葉を発した。
「また喧嘩でもしたのかい」
初対面とは思えない、ずっと昔から私を知っているような言い方。
「貴方は……もしかして私を知っているの?」
「さぁね、そんなのはどうでもいいことだよ。今は関係ない」
青年は振り返った。片側の口角を微かに上げる。
彼の容姿を目にした瞬間、私は思わず唾を飲み込む。あまりに現実離れした神がかり的な美しさだったから。短く表すとすれば「この世の人間ではない」という感じだ。
男性にしてはやや長めと思われる顎くらいまでの丈の金髪は雨に濡れているはずなのにふんわりと柔らかさを保っている。色白で丸みを帯びた顔だが、青緑色をした瞳は凛々しく吸い込まれそう。
服装もまた独特。膝くらいまで丈がある詰め襟の中華風な衣装をまとっている。金の糸や飾りで華やかに装飾されており全身が金色に見えるぐらいの密度である。それでいて豪奢さを感じさせず、落ち着いた雰囲気なのが不思議だ。
「それより、どうしてここに来たんだい」
私は、伯母の本心を聞いてしまって腹が立ち勢いでついつい飛び出てきてしまったことを話した。
「ふぅん、そうなんだ」
彼はどうでも良さそうに続ける。
「あと一年で死ぬんだったら、伯母さんが楽になるっていうのも本当のことなんじゃない」
「そんな!酷いわ。あと一年しか生きられないのよ。少しくらい同情してくれても……」
私がショックで思わずきつく言ってしまうと、彼は鋭い視線をこちらへ向けた。
「同情したら君の寿命が伸びるの?」
もっともなことだ。
「いいえ……。でも少しくらい可哀想って思ってほしかったのよ。余命一年なんて……」
「何それ、変なの。人間なんてみんないつか死ぬじゃん」
目の前の彼は飄々とした顔できっぱりと言いきる。
「僕は永遠に死ねない。だから死ねるのを羨ましく思うよ。ずっと生き続けるなんて、退屈で死にそうなんだ」
永遠に死ねないなど、普通の人が言うなら信じられなかっただろう。くだらない冗談だと呆れたはずだ。だがこの不思議な彼が言うものだから、真実のように思える。
「不死ってことね。いいじゃない。羨ましいわ」
「そんないいものじゃないよ。つまらない毎日さ」
本当につまらなさそうな顔をしている。
「贅沢ね。私は生きたくても生きられないのに」
「うん、知ってる」
「……ねぇ。貴方の命、私に分けてくれない?」
「はぁ?」
呆れと驚きが混ざったような表情をする。綺麗な顔立ちなのにどこか可愛らしく見える。
「人間じゃないなら、そういうことも可能なんじゃない?」
「僕が人間じゃないって、どうしてそう思うんだい」
彼の姿を見詰めていると、雨に濡れていることすら忘れてしまう程に引き込まれる。
「人間はいつか死ぬ。貴方がさっきそう言ってたじゃない」
「ふぅん。そう」
少し間があってから。
「まぁ不可能ではないね。僕、何でも出来るから」
彼は私の瞳を射るように見据え、また口角を微かに上げる。
「出来るのね。なら、お願い。十年分ちょうだい」
「いや、無理」
「じゃあ一年でいいわ!お願いします!」
「絶対ヤダ」
きっぱりと断られた。私は期待していただけに肩を落とす。
「……そんな顔しないでよ。話くらいは聞いてもいい。僕の時間は無限だからさ。雨の日なら僕は必ずここにいるから」
「晴れの日はいないの?」
「さぁね。気が向いた時にはいるんじゃないかな」
ちょうどその時。
「アイネちゃんっ……!」
後ろから人が走ってくる音と伯母が私を呼ぶ声が聞こえてきた。
「それじゃ、またね」
金色の青年は小さく手を振りそう言う。
「待って。貴方の名前……」
言いかけた瞬間、彼の身体は金粉のようになり消えた。
「アイネちゃん!びしょ濡れじゃないの!」
伯母が駆け寄ってきて、持っている傘に私を入れる。
「こんな雨の中、傘もなしに……。可哀想に。アイネちゃん、あれは誤解なの。私、あんなこと思っていなかったわ。貴女は大切な姉の子だもの」
必死に弁解しようとするのが滑稽だ。
「……ふ、ふふ……」
なぜか笑いが込み上げる。
「アイネちゃん?大丈夫?私と一緒に帰りましょう。お医者様も心配されてると思うわ」
なんてバカバカしいの。この女は。
「一人で帰ります。伯母さんが変な目で見られると……お気の毒ですから」
「ごめんなさい。でも言ったはずよ。あれは誤解なの」
話を聞く価値もない。偽りの言葉をいくら聞いても、ただ時間の無駄遣い。
だから私は何も答えることなく、病院へ帰るのだった。
- アイネと黄金の龍 ( No.4 )
- 日時: 2017/04/12 23:48
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 4IM7Z4vJ)
三話「お花の贈り物」
翌朝。
「おはよう、アイネさん。調子はどうだい?」
医者が病院へ入ってきた。この人は嫌いではないが、伯母と話していた以上、信用しきってはならない。
「大丈夫です」
私は本を読み続けながら淡々と答える。
「アイネさん、昨日は悪かったね。配慮不足だったと思っているよ」
医者は申し訳なさそうな顔をする。
「いえ。もう気にしてません」
素っ気なく返すと、彼は驚くことを言った。
「お詫びといってはなんだが、何かしてほしいことはないかな?もしあったら言ってほしい」
それを聞いた時、私はすぐに閃いた。
「じゃあ、毎日一人で外へ行かせて下さい」
「何だって?」
驚き顔になる。私はあまり意見を言ってこなかったので、珍しく思ったのだろう。
「毎日、一人で病室の外に行きたいんです。少しの時間でも構いません。お願いします」
それが叶えばまた湖へ行くことが出来る。あの青年に会えるかもしれない。
医者は考え込んでいたが、しばらくすると口を開いた。
「分かった。昼間に一時間だけなら外出を認めよう」
「ありがとうございます!」
一時間とは予想より短かったが、ここからそんなに離れていない湖へ行くには十分だ。これで毎日行ける。これはかなり大きな進展である。
私はついに病室の外へ出られるのだ!
靴を履くのはいつ以来だろうか。この病院から出るのも、いつ以来かもう思い出せない。だけどそんなことはもう気にはならない。私は病院というこの牢屋から出られるのだから。
……しかし抱いた希望は数日で砕かれた。外出許可を得た日から毎日湖へ言ったが、青年に会うことは出来なかった。あれはやはり幻だったのかもしれない。私は不安にさいなまれた。 けれど、まだ諦めはしない。なぜなら、雨の日は来ていないのだから。
「今日は凄い大雨だなぁ」
数日後、ついに雨が降った。
「あ、これ飾り用のお花だよ」
医者が病室の花瓶に飾る花を持ってきてくれた。赤紫色をしている。小さい花が集まっているのだろう。まるで泡のようで愛らしい。
「何というお花ですか?」
「アスチルベっていうお花らしいよ。花屋さんがくれたんだ。なんでも花言葉は【恋の訪れ】とか【自由】とからしいよ」
「詳しいですね」
「なに、花屋さんが教えてくれたんだ。聞いた通りのことを話しただけだよ」
この時、私は既に今日の予定を決めていた。
こっそりこの花を持って湖へ行く。そして、もし彼に出会えたならプレゼントしよう。彼は退屈だと言っていた。少しでも暇潰しになるかもしれない。
昼食を終えた午後。アスチルベを花瓶から抜き出してたまたま部屋にあった新聞紙で包み、それと傘を持って、湖へ向かった。
湖畔の大岩の上に人影が見える。初めて出会った夜と同じ体勢だ。彼はやはりいた!幻ではなかった!私は嬉しくなり彼の背に駆け寄る。
「また会えたわね!」
明るく声をかけると、今日はすぐに振り返った。相変わらず傘はさしていない。
「また来たんだね。誰かと喧嘩したのかい」
青年は片側の口角を微かに上げて尋ねてくる。
「いいえ。今日は貴方に会いにきたの」
「僕に?」
「プレゼント持ってきたの」
新聞紙の包みを差し出す。
「いらないよ」
「とにかく開けてみて。綺麗なのが入っているから!」
青年は渋い顔をしつつ、仕方なく包みを手にとる。華やかな金色の衣装に灰色の新聞紙は似合わないが、赤紫色のアスチルベなら、それなりには似合うだろう。
「開けてみて」
そう促すと彼はしぶしぶ新聞紙を開いた。
「……花?」
困惑したような顔でこちらを見てくる。
「僕にこれを与えて何がしたいんだい」
「退屈だって言ってたでしょ。だから持ってきたの。アスチルベって花なんですって」
彼は手元の花と私の顔を交互に見る。
「ふぅん、僕に贈り物か。面白いね。永遠の退屈をこれでまぎらわすなんて出来るわけないのに」
「そうね。でも少しの間は退屈じゃないでしょ?」
青年は呆れたように笑う。
「何それ、変なの。君ってお節介だね」
青緑の瞳から放たれる視線が私の目を捉え離さない。ぼんやりしていると吸い込まれそうな瞳だ。
「けどちょっと面白いかな。君みたいな人は初めてだよ」
私は緊張しつつも、嬉しくて温かな気持ちになる。こんな気持ちは初めてだ。
「気に入ってくれたなら良かった。貴方が退屈しないように、これからは毎日面白いものを持ってくるわ」
彼はまた渋い顔をして首を横に振る。
「いや、いいよ。騒がしいのって苦手なんだ」
「じゃあたまにでいいわ。気が向いたら来て。これから毎日この時間に待ってるわね」
「ふぅん。まぁ好きにしたら」
しばらく沈黙があり、不意に彼が口を開く。
「君さ、この前、僕に名前聞いたよね」
そういえばそうだった。別れしなに聞いたのだが、答えはなく消えてしまったのだった。
「本名じゃないけど、僕の名前一応言っとくよ。ソラ」
「えっ?」
急に言われたので一瞬理解出来なかった。
「もう一回言わせるの?まぁいいや。ソラだよ」
「ソラ?それが名前なの?」
「うん」
青年、ソラは頷いた。
「ソラ……いい名前ね。じゃあ私も……」
「アイネでしょ」
彼は私を遮った。
「どうして知ってるの?」
「さぁね。だけど、僕は何でも知ってるんだ」
「貴方、おかしな人ね」
理由は分からないがおかしくて、つい笑ってしまう。
「うん、それも知ってる」
私は彼といることがただ楽しくて、とても幸せだった。
- アイネと黄金の龍 ( No.5 )
- 日時: 2017/04/13 09:30
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Bf..vpS5)
四話「幸せな日々」
「ねぇ、ソラ。改めて頼みたいの。お願い。私に命を分けてもらえない?」
私は改めて頼んでみるが、
「絶対ヤダ」
これの一点張りだった。余程嫌らしい。彼は繊細な外見とは裏腹に頑固なところがあるようだ。
しかし、断るだけというのも悪いと思ったのか、ソラはこう言ってくれた。
「命はあげない。けど叶えられる願いならあるかもしれない。アイネ、君の願いは何?」
……願い。そのほとんどはもうとっくに諦めたが、今でも諦めきれないものが一つある。
私はいつもとは逆に、こちらから彼の瞳を見詰める。
「私、いろんなところへ行ってみたいの」
「いろんなところ?」
「都市っていう大きな街とか、山とか砂漠とか花畑。あとは海にも行ってみたい」
本で読んだことはあるがこの目で見たことはない世界。いつか自分の目で見てみたいとずっと思っていた。ただ、病院の外へ出ることすらままならない私にはほぼ不可能な願いだが。
「ふぅん、そんなこと」
興味がないようだ。ソラは本当に分かりやすい。
「本で見るのと本物を見るのは違うと思うの。香りとか空気とか、生じゃなくちゃ分からない感動がきっとあるわ」
すると彼は雨の降る空を見上げた。
「いつか叶うといいね」
次の日は晴れだった。私は朝一番、密かにがっかりした。こんなに雨を望むことは今までにない。だが来てくれるかもしれないという一僂の望みを信じ、一番お気に入りの本を持って、湖へと歩いていった。
するとソラは既に来ていて、大岩の上にいた。金色の飾りが太陽光を受け、いつもに増して輝いて見える。
「来てくれたのね!」
晴れなのにいる!私は嬉しくなった。
「放っておくのも何だか悪かったし。なんせ、僕は永遠に退屈だから。晴れは乾くから苦手なんだけど」
晴れは乾く、なんておかしな表現をするものだ。余程晴れが嫌いなのか。
「それで?今日は何か持ってきたのかい」
私は持ってきた本を彼の目の前に差し出す。
「もちろん!これを持ってきたわ。私の好きな本よ」
数年前に医者が買ってきてくれた中古の本で、恋愛あり戦いありの冒険物語だ。しかも主人公が少女というのもあって、とても面白かった。
「ふぅん、いいね」
彼はこちらを見てから、大岩の上を手で軽く叩く。
「ここ座っていいから、読んでみせてよ」
大岩が高くて登れずもたついているとソラは片手をこちらへ差し出した。男性らしからぬ華奢で美しい手。それを掴むと、彼は私を一気に大岩の上まで引き上げた。
「ありがとう」
お礼を言うと、ソラは片側の口角を微かに上げるいつもの笑みを浮かべる。
「さ、読んでみせてよ」
本には興味があるみたいだ。
私が本の表紙を開き物語を読み始めると、彼は首を伸ばし、その整った顔を私の顔のすぐ横辺りまでもってくる。あまりに距離が近いので恥ずかしくて顔から火が出そうだったが、私は気にしないふりをしつつ読み進めた。
「……おしまい」
最後まで読み終えると、彼の方に目をやり尋ねる。
「どう?面白いでしょ」
「確かになかなか興味深いね」
彼は集中したような表情で本を覗き込んだまま、静かな声で答えた。
「こんな若い女の子が剣を持って戦うところとか、騎士が実は人間じゃないところ。なかなか想像力が高いね」
それから視線を私にやる。
「この騎士、人間じゃないのに死ぬのがよく分からないけど」
真面目な顔でそんなことを言うものだから、笑いが込み上げてくる。
「死なない方が珍しいのよ」
「へぇ、そういうものなんだ」
それからしばらく、透明な水面を眺めながら、本の内容について語り合った。
誰かと話していて楽しいと思うのは久々、いや、初めてに等しいかもしれない。母を除けば完全に初めてだ。
次の日は初めて村のケーキ屋さんへ買い物に行った。私の好物であるイチゴショートケーキを二つ買い、湖へと向かう。
「アイネ。来たんだ。今日は何を持ってきたんだい」
「ショートケーキよ」
どうやらソラはショートケーキというものを知らないらしく首を捻っている。
「ソラは何でも食べられる?」
人間でないなら人間の食べ物を食べられないかもしれない、というそんなちょっとした思い付きだ。
「僕に不可能はないよ」
だが、それも不要な心配だったようだ。
ショートケーキを一つ箱から取り出して渡す。ソラは受け取ったショートケーキを、初めて見るものを調べるようにじっくりと見ている。立派な身形をした青年がイチゴショートケーキをちょこんと手に乗せているというアンバランスな光景は、なんとなく面白さを感じさせる。
「これは食べられるんだね?」
ソラは散々眺めた後、最後にそう確認する。私が頷くのを見ると付属のフォークでショートケーキを口に運んだ。
「……甘いね」
味覚は人間に近いようだ。
「美味しいけど、この赤い実は酸っぱいよ」
不満げにイチゴを指し示す。
甘いケーキの部分を先に食べたから、イチゴを酸っぱく感じたのであろう。やはり人に近い味覚をしている。
「それに、何だかつぶつぶしてて口に残るよ」
不満を漏らしている。
「赤い実はイチゴっていうの。イチゴが酸っぱいのは先にケーキを食べたからよ」
甘いものの後に食べると酸味を強く感じやすいものだ。単体だと十分甘いが。
「つぶつぶするのは仕方ないわね。そういうものなの。だけど慣れればだんだん気にならなくなるはずよ」
「へぇ、そういうものなんだ」
彼は愚痴を言いつつも美味しそうにイチゴショートケーキを完食した。
「君は色々なことに詳しいね」
「いいえ、そんなことないわ」
その時だった。
突然身体が重くなり、視界が悪くなる。不味い、と私は内心焦るがもう遅い。
——そこで私の意識は途切れた。
- アイネと黄金の龍 ( No.6 )
- 日時: 2017/04/13 09:33
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Bf..vpS5)
五話「願いを叶える」
……何してたんだっけ。
意識を取り戻した時、私の視界に入ったのは病室の天井。そして、私を覗き込む医者の顔だった。
「アイネさん、起きたかな?」
私が起きたのに気が付いたらしく声をかけてくる。
「……私は」
ソラとイチゴショートケーキを食べていたところまでは記憶があるのだが……それより後の記憶が全くない。
「アイネさんは気を失って、湖のところで倒れていたんだ。用事があって湖へ行ったらたまたま発見したんだけど、幸運だったね。あのままだったら君はずっと危なかった」
医者は笑い話してくれた。
「ところで、あの男は誰だったのかね?」
それを聞き私は焦る。ソラのことを言っているとすぐに分かったからだ。
「彼に何かされたりしなかったかい?男といたらしいと聞いて伯母さんも心配していたよ」
「……金髪の?」
医者は静かに頷いた。
「倒れている君をじっと見ていたんだ。近付くなと言ってやると、すぐにその場を去ったよ。身形も怪しかったし、あんな不審者が今どきいるんだねぇ」
不審者なんかじゃない!……そう言ってやりたかったが、そこまで気力はなかった。
「とにかく、しばらくの間は外出禁止だ。いいね?」
こんなことって……。外出禁止にされてはソラに会えなくなってしまう。折角手に入れた幸せを、私はまた手放さなくてはならないのか。そんなの絶対に嫌だ。でも……どうすればいいかも分からない。私は絶望にさいなまれた。
それからというもの、私は毎晩のように悲しみに襲われた。
ソラと一緒にいられたのはほんの少しの時間だったのに、何度も何度も思い出す。思い出して寂しくなり、涙が流れた。あんなに近くにいたのに。やっと少し仲良くなってこられたというのに。
大好きなお気に入りの本も今は悲しみを拭ってはくれない。二人で本を読んだあの時の記憶が鮮明に蘇り辛くなる。
「……どうして」
夜中の病室で、私は寂しさのあまり呟いた。
こんな病気でさえなければ——
「どこへだって行けるのに」
分かってる。いくら泣いたって何の意味もないことぐらい。だけど、一人は辛い。幸せを知ってしまうと、もう昔には戻れないのね。
それから数日が経った満月の日の真夜中。
「……ネ、アイネ」
私の名を呼ぶ小さな声で目を覚ました。伯母か医者かと思ったが声が違う。それに、頬に何かが触れている。
目を開け焦点が合った時、私は驚きのあまり気絶しそうになった。
「ソラ!?」
間違いない。目の前に立っている青年はソラだ。この金髪、金色の衣装、そして青緑の瞳。
「どうしたの!?というか、何でここにっ!?」
混乱して騒いでいると、彼が人差し指を私の口に当てる。私は自然に言葉を飲んだ。
「騒がないで。見つかると厄介なんだ」
「そ、そうね……」
その頃になって私はようやく落ち着いてきた。だが、電気は消え月明かりだけの病室の中でソラと二人きり。今度は別の意味で胸の鼓動が速くなる。
「でもどうして。どうしてここへ来られたの?」
すると彼は片口角を微かに上げるいつもの笑みを浮かべた。
「この前君が倒れた時だよ。助けにきた人がさ、医者だって言ってた。この村で病院といえばここしかないからね。前にも言ったはずだよ。僕、何でも出来るんだって」
「そうだったの……。その、ごめんなさい。その人、ソラに酷いこと言わなかった?」
医者はソラのことを良く思っていない感じだった。
「あんなの気にしてないよ。僕はこんな外見だし、いつも人間には珍しがられるんだ」
それはまぁ、一般人には見えないだろう。
「ならいいの。……ソラ。ずっと会いたかったわ」
涙で視界が滲んでくる。駄目だ、泣くなんて。今は泣いてる場合じゃないのに。
「泣いているのかい?」
ソラは片手で髪を耳にかけながら不思議そうな顔をする。
「君って変わってるよね」
流れ出る涙を袖で拭い、すぐに彼の方を向く。
「えぇ、そうかもしれない」
するとソラが突然真剣な顔をする。
「アイネ。今日は君の願いを叶えにきたんだ。でも、君の願いを叶えるためには、一つ約束してもらう必要があるんだけど」
「私の願いを叶えてくれるの?……いいわ。何を約束すれば叶えてくれる?」
彼はとんでもないことを言っている。なのに自然に信じてしまう。彼の不思議な力だ。
「今から見ることを絶対に誰にも言わない。そう約束してくれるかな」
約束せずとも私にはそもそも話すような知り合いがいない。
「分かった、絶対に言わない。誰にも話さない。誓うわ!」
ソラの青緑の瞳をしっかりと見詰めて答える。
「成立だね。驚かないでよ」
またいつもの笑みを浮かべて楽しそうに言った。
彼の身体から金色のもやのようなものが発される。そして次の瞬間、彼は大きな黄金の龍へと変貌した。
「……!!」
その姿は十年前に私が一瞬だけ見た黄金の龍に似ている。
「さぁ、乗って。この僕が人間を乗せるなんて普段は絶対にないんだから。君は凄く幸運だったね」
その大きさと立派さに圧倒された私は言葉をなくす。しばらく呆然と眺めるしかなかった。
「アイネ?どうしたの?」
「あ……」
彼の声かけでようやく現実に帰ってきたような気分だ。
「もしかして怖い?心配しなくていいよ。こっちが本当の僕なんだから」
龍の大きな顔が私の上半身の辺りに擦り寄ってくる。近くで見るとますます迫力が増す。
「朝までには帰らなくちゃならないんだから、さっさと乗ってくれるかな。じゃないと君の行きたいところ、全部回れなくなっちゃうよ?」
妙に急かしてくる。
「そうね。乗るわ」
私は彼の背によじ登った。
「じゃあ出発だね」
言うと同時に、物凄いスピードで空へ舞い上がった。通過した窓ガラスが割れていない。私を乗せた黄金の龍は、どこまでも高く飛び上がる。
- アイネと黄金の龍 ( No.7 )
- 日時: 2017/04/13 14:53
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: XGjQjN8n)
六話「初めて見る世界」
ソラの背に乗り満天の星空を飛んでいく。飛ぶのが速いせいか前からの風がきつい。けれど決して嫌ではない。こんな日が来るとは夢にも思っていなかった。この星空だけで満足してしまいそうだ。
最初は一番近くの都市へ向かうことにした。信じられないくらいあっという間に着いた。ソラは都市上空をゆっくり旋回する。真下に広がる都市は、夜中なのに明るい。見下ろせば光の洪水のように思える。
それにしても、黄金の龍に乗って空中散歩とはなんという贅沢か。人に言っても到底信じてもらえないような話だ。いや、もちろん約束は守る。人に言い触らす予定はない。
それから緑が豊富な山々を越え、砂っぽい砂漠を咳き込みながら通り過ぎた。私は初めて見るものばかりでやや興奮気味。 やがて花畑に到着するとソラは私を地面に降ろしてくれた。初夏というのもあるのだろうが花畑は想像している以上に華やかだった。思っていたよりずっと色とりどりだし、心地よい風と花の薄く爽やかな香りが混じり夢の世界のよう。現実ではないどこかに来たのかと錯覚しそうだ。
花畑を発って少しすると海に到着した。人の気配がない白い砂浜。海は暗いが満月が照らしてくれるおかげで近くからなら波が目視出来る。
「アイネ。色々見てみてどうだった?」
背後からそんなことを言ったソラは人間の姿になっていた。
「素敵だったわ。感動させてくれる風景ばかりよ」
満天の星空と広大な海。眺めているだけで嫌なことなど全て記憶から消えてしまいそうだ。頬を撫でる風はほのかに温かくて心が落ち着く。少しべたつくのが気になるけれど、この風景を見ているとそんなことは気にならない。
「ありがとう、ソラ。貴方のおかげでこんな素敵な景色を見ることが出来たわ」
「感謝される程のことじゃないよ。ちょっとしたお返しさ」
ソラは歩いて近付いてきて私の隣まで来ると立ち止まる。金の衣装が海風にはためいて美しい。
「それでも嬉しいわ。こうして色々なものを見ることが出来たんだもの」
生涯見ることはないと諦めていた外の世界。この目で見る風景、肌で感じる風。
ただ、この時、心の奥底から「死にたくない」という感情が込み上げてきた。私に残された時間はもう一年もない。死んだら、今日こうして過ごした時間をきっと忘れてしまうだろう。それだけは嫌だった。
「……ソラ。私、まだ死にたくない」
海を眺めながら私は呟く。
「君はどうしてそんなに死を怖がるんだい?人間はみんな、いつか死ぬのに」
永遠に生き続けることが出来る彼には死を恐れる気持ちが理解出来ないのかもしれない。
「嫌なの……もうこんな風に過ごせなくなるのよ。寂しいわ」
「ふぅん、そういうもの?そんなに気にすることでもない気がするけど」
「貴方には分からないのよ!」
私がたまらず声を荒らげるとソラは珍しく驚いた顔をした。
「何の努力もせず永遠に生きられる貴方には分からない!私がどんな思いで今日まで過ごしてきたのか!」
こんなのは無意味な八つ当たりだ。分かっている。自覚しているのに、私は言うのを止められなかった。
「私には時間がないの!貴方は永遠だから時間を退屈と感じるかもしれない!でも、私は一秒でも時間が欲しいの!」
「……アイネ」
突如ソラは私を抱き寄せた。彼が積極的に触れてくるのは初めてな気がする。
「人間に命をあげることは許されないんだ」
ソラは悲しそうに小さく声を発した。いつもは掴み所のない言動なだけに、悲しそうな顔というのは新鮮な感じだ。
「僕の命は無限。あげることだって出来る。だけど、人間に命を与えるのは禁忌なんだよ。そんなことをしたら僕は永遠に闇の中で過ごさなくちゃならないんだ」
「……いいの。折角願いを叶えてくれたのに、贅沢言ってごめんなさい」
ソラが悪いわけじゃない。悪いのは私の身体、いや、こうなってしまった運命か。
「私のために貴方が犠牲になる必要はないわ。……さっきは失礼なこと言ったわね」
「君がさっき言ったのは本当のことだよ」
彼は抱き締める腕を離すと、海の方へ歩いていく。
「死は分からない。ただ、一度だけ……人を見送ったことがあるんだ」
そして切なそうに星空を見上げた。足首くらいまで海に浸かっている。
「ずっと昔、人間界に迷い込んで怪我していた僕を助けてくれた。優しい女の人だったな」
「助けてくれるなんて、素敵な方ね」
彼は静かに頷いた。
「うん。仲良くしていたよ。だけど僕は人間じゃないから、一緒には暮らせない。少ししてその人は結婚したから、もう会えなくなったんだ」
「もしかしてそのまま……?」
「ううん。その人が死ぬ直前、一度だけ会えた。もうすっかり忘れられていたけどね」
彼は苦笑する。けれど、その裏にある悲しみが見えるような気がした。
自分を助けてくれた恩人を慕い、その人の幸せを願って身を引き、ようやく再会したと思えば完全に忘れられていて。彼女が亡くなる時、どんな思いで見送ったのだろう。
「……私は忘れないわ。ずっと……永遠に」
「いや、忘れるよ。いつかは。本当は交わるべきじゃない。こんなのは幻なんだ。だから忘れた方がいい」
ソラは諦めたようにそんなことを言うけれど、私はそうは思わない。こんなに傍にいて、ちゃんと話をしているのだから。
「違うわ。幻なんかじゃない。紛れもなく現実よ」
私は彼に駆け寄り手をとる。
「少しでも長く一緒にいましょう。そうすれば、この先どれだけ時間が経っても、私がいなくなっても、貴方はこの日々を確かなものと思えるはずだわ。永遠に!ずっと!」
- アイネと黄金の龍 ( No.8 )
- 日時: 2017/04/13 14:55
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: XGjQjN8n)
七話「流れてゆく季節」
やがて秋になる。湖の周りの木々も紅葉して色鮮やかになった。この季節になると少し湖畔の静かさがましな気がする。赤や黄といった派手な色合いに変わった葉が夜でもどこか明るさを感じさせるからだろうか。
あれから症状を発症することが減った私は医者から再び外出許可をもらえたので、昼間に堂々と湖へ行けるようになり、毎日をソラと楽しく過ごした。ある日は風景を眺めて語り合い、ある日は一緒に本を読んだ。退屈しのぎに、木々から落ちてくる実を拾ってアクセサリーを作ってみたりもした。ソラが拾ったどんぐりの中から虫が出てきてたまげた、なんて愉快なエピソードもあるぐらいだ。
冬になると、紅葉していた葉はすっかり地に落ち、木々のほとんどが枝だけとなる。見ているだけで寒そうだ。寒い朝には湖の水面にうっすら氷が張っていることもあった。
私は誕生日プレゼントに伯母がくれた毛糸を使い、ソラにあげるマフラーを編んだ。手作業には慣れていないので苦労したが少しずつ進め、ついに完成させることが出来た。初めての作品というのもあって大雑把な部分が目立つのだが、それでも喜んでもらえたのだから上出来だと思う。
長い冬を越えて新芽の芽吹く春が来る。寒々しかった木々も徐々に活気を取り戻していく。その一方で私は憂鬱だった。少しずつ近付いてくる変えようのない終わりをまだ受け入れられずにいた。
私は意地でも毎日湖へ行きソラと同じ時間を過ごした。私は体調が優れない日でも彼を心配させたくない一心で湖へ向かった。もちろんそれだけではなく彼といる時は辛さを忘れられるという理由もあるわけだが。彼も愚か者ではない。きっと気付いているだろう。けれど敢えて何も触れないのは優しさの一部なのかもしれない。
そんな春のある日のこと。
私が湖畔でソラといつも通り穏やかに話していると後ろに人の気配を感じる。振り返ってみると、伯母が立っていた。
「アイネちゃん、その方はどなたなの?」
伯母は面白くなさそうな顔で尋ねてくる。大方、私が幸せそうにしているのが気に食わないといったところだろう。
「……伯母さん。いらっしゃるなんて珍しいですね。どうしてここに?」
「質問しているのはこっちよ」
機嫌が悪そうだ。仕方がないので紹介することにする。
「そうですね、紹介します。彼はソラ。私の友人です」
「あらまぁ、お友達ですって?その男性が?」
伯母は半ば呆れたような表情で嘲笑ってくる。この笑い、本当に苦手だ。
「もう数ヶ月も生きられないのにお友達が必要かしら?」
「だからこそ、です」
不愉快に思って言い返すと、伯母は眉を動かし早足で接近してきた。そして私の頬に平手打ちを繰り出す。
「前に男には会うなと言ったはずよ!」
乾いた音が鳴る。いきなりのびんたに動揺してしばらく何も言えなかった。
「……誰?」
すぐ横に来たソラが小さな声で私に聞いてくる。動揺して言葉を失っていた私は彼の声で現実に戻り、しばらくしてから「伯母よ」と答えた。
「無理して倒れられたら困るのよ!それでなくても体力があまりないんだから。貴女が倒れたら、私がちゃんとしていないからって責められるじゃない!分かっているの!?」
人前ではいつも上品な女性を装っている伯母が声を荒らげるなんて。こんなに珍しいことはない。いくらこの湖の周辺は人通りが少ないとしても、立ち入り禁止なわけではないので誰かが来ないとは限らない。
「帰るわよ、アイネ!」
腕を掴まれ無理矢理引っ張られそうになる。私は強い拒否の意味を込めて伯母の手を振りほどいた。
「……嫌です」
今まではそれなりに従ってきたつもりだ。不満を感じることがあってもなるべく抗わないようにしてきた。
ただ、私はもう伯母の理不尽な命令に従うことはしない。この時、初めてそう決心した。
「私の人生です。自分の心に従います」
今ははっきりと断言出来る。これ以上、ソラと過ごす日々を奪われるわけにはいかない。
「なっ……。アイネ!」
初めて反抗されたことに驚いたらしく、伯母はいつになく顔を引きつらせる。
「残りの人生くらいは、私の好きなようにします」
「一体何を言い出すの……?どういうつもり!?」
かなり動揺している様子が伺える。
「来なさい、アイネ!」
再びびんたされそうになったその時——。
「乱暴は止めてよ」
ソラが言い放った。その声は特に激しくないが、いつも他愛のない話をしている時とは違う気がする。彼の人間離れした鋭い視線にさすがの伯母も一歩退く。
「な、何を言っているの?乱暴ですって?くだらないことを!私を困らせているのはその子なのよ?」
「アイネは悪い子じゃない」
ソラは眉一つ動かさず淡々と言い返す。
「貴方は何も分かっていないのよ!突然現れて気味の悪い!」
きついことを言う伯母だが内心はソラを恐れていると思われる。少なくとも私にはそう見える。
「私は伯母だったというだけの理由で、そんな不気味な病の子を世話しなくてはならなくなったのよ!」
「なら止めたらいい。これからは僕がアイネの世話をする」
そうなればどれほど良いか。この先ずっと伯母と共に暮らすことを考えると憂鬱になる。
「何ですって……?」
伯母は目を見開き、吐き捨てるようにこう言う。
「いいわ、そうしましょう。私だってそんな気味の悪い子を世話するのは嫌だったのよ!」
刹那、ソラの目付きが変わった。身体から金色の霧のようなものが発生する。
「駄目!」
私が叫ぶとほぼ同時に彼は巨大な龍へと変貌した。
「罰当たりな人間。よくもアイネを悪く言ったね。さぁ、覚悟しなよ」
突然起こった非現実的な事象に伯母は立ちすくんでいる。説明もなくこんなことが起これば信じられるわけがない。いや、説明されたところで理解出来る人間は少数だろう。
大きな龍の姿となったソラは尾で地面を叩きつけた。轟音と共に地面が揺れる。まるで地震のように。
目の前にいる巨大な生物の迫力は、それがソラであると分かっている私ですらも圧倒するほどのものであった。
- アイネと黄金の龍 ( No.9 )
- 日時: 2017/04/13 17:20
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Oh9/3OA.)
八話「決断の時」
「覚悟しなよ!」
巨体から発される耳をつんざくような声。いつものソラと同じ声のはずなのに、とてもそうは思えない。
龍となったソラは伯母を凪ぎ払おうと長い尾を振り回す。あんなのがまともに当たれば即死は免れないだろう。巻き起こされる風だけでも嵐のようだ。伯母は恐怖のあまり涙目になって逃げようとするが、慌てているせいで足が絡まる。何度もつまずいて転けそうになっていた。
「ソラ!止めて!」
あまりに憐れに逃げ回る伯母がさすがに可哀想になり、ソラを制止しようと声をかける。
「……アイネ」
黄金に輝く巨大な龍の青緑色をした宝玉のような瞳が私を見た。
「待っていて。あんな酷いやつは僕が始末してあげる。アイネを傷つける者は許さない」
冷ややかな声で言うソラ。私は首を横に振る。
「お願い、止めて」
伯母のことは好きではないが死んでほしいというほどの憎しみがあるわけではない。
「……何を言っているんだい?君はあんなに嫌がっていたじゃないか」
ソラは長い首を伸ばして逃げる伯母の服の襟を軽く噛むと、空高く持ち上げる。
「私を育ててくれた人なの!だから殺さないで!」
可能な限り大きく言ったが、伯母を殺すことに執着してしまっている彼には聞こえていないようだ。
「暴れるのは止めて!」
私が再び叫んだ時、ソラはようやく動きを止めた。青緑の瞳が微かにこちらを見る。私は視線を合わせて頷く。
するとソラはくわえていた伯母を地面に落とし、金の粉を舞わせながら人の姿に戻った。
「い……一体なんなの……」
地面に落とされた伯母は疲れきった顔をしている。幸い、酷い怪我はないようだ。
良かった、と思った瞬間。安堵して気が緩んだのか足がよろけ転けそうになる。倒れかかった私を人の姿に戻っているソラが支えてくれた。
「しっかりして」
青緑の透き通った瞳が不安の色を湛えている。ソラの手が私の手を包む。とても温かい。
「……ソラ。平気よ。私は、ちょっと……眠たいだけ」
身体が妙に重たい。もうそろそろ死ぬのかもしれない。この時になってようやく受け入れることが出来た。
「駄目だよ、アイネ。こんなところで。絶対に駄目だ」
悲しそうな面持ちで何度も繰り返す。
「こんなの……どうして!」
ソラが苦しそうに漏らした刹那、背後にいた伯母が口を開いた。
「貴方のせいよ。貴方が無理させたから、アイネの命が縮んだのよ!」
よくもそんなことを言えるものだ。目の前にいる悲しんでいる者に対して追い討ちをかけるようなことを言うなんて、この上ない卑怯者。
「すぐに去れ。さもなくば、次は殺すぞ」
ソラは恐ろしい形相で伯母を立ち去らせると、こちらに向き直り、悲しそうに顔を歪める。
「僕のせいなの?僕が君を不幸にした?」
「……違うわ。ソラは何も……悪くないの……」
何とかしてそれを伝えたかった。
ソラに罪はない。誰が何と言おうが彼は悪くないのだ。彼は私の勝手に付き合ってくれていただけ。
「そんな悲しそうな顔をしないで。私は大丈夫だから……」
その時は迫ってきていた。自身に残された時間がほんの僅かだということが手に取るように分かる。
ただ、私はもう死にたくないと嘆くことはなかった。何もかも諦めて生きてきた私が、この生涯のうちで奇跡的に唯一愛したソラ。彼の腕の中で死んでいくのなら一番幸せな道だろうと思える。
私はそっと目を閉じた。湖のほとりで二人で過ごした、とても楽しかった日々が蘇る。そして、あの夜、黄金の龍に乗って見て回った景色。
「アイネ。僕はもう迷わない」
薄れゆく意識の中、ソラの小さな声を聞いた。
「君を救う。例えそれが禁忌だとしても」
気付けば私は見たことのない世界に立っていた。
真っ白な空間にただ一人。なのに寂しくはない。ぼんやりと暖かく、心地よい優しい風が吹いている。
何が起きているのかよく分からぬまま立っていると金色の粉が穏やかに舞った。手を伸ばしてみるが掴むことは出来ない。やがてそれは人の形となる。
「……ソラ?」
私は思わずぼやいた。
美しい金髪、整った顔、そして青緑色をした透き通った瞳。その姿は、どこからどう見てもソラだった。
「……私は死んだの?」
一番に尋ねる。
「いいや。君は死なない」
目の前の彼は首を横に振りながらそう答えた。
「君は生きてゆける。僕の命を与えたから」
言いながらゆっくり笑みを浮かべるソラ。私は信じられない思いで彼を見た。
「どうして……それは禁忌だって言っていたじゃない。禁忌を犯せば永遠に闇の中にいなくちゃならなくなるって、前に教えてくれたでしょ?」
ソラは静かに笑みを浮かべたまま、私の問いに答えることはせずに歩き出す。どこへ向かっているのか分からないが、私は彼の背を追いかけるように歩いていった。
長い長い道のりは、全てが真っ白だった。埃一つない、白以外は全くない世界だ。もちろん色もない。退屈で、でもどこか心が癒される。私はしばらくの間、そんな道を歩いた。
- アイネと黄金の龍 ( No.10 )
- 日時: 2017/05/05 22:24
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: oBSlWdE9)
九話「その先の未来へ」
ふっ、と目が覚めた。
私は目覚めはあまり良い方ではない。だがこの時は、やけにすっきりとした爽やかな目覚めだった。
今どこにいるのか。眼球を動かしてみても把握出来ない。とにかく周囲を見ようと思い身体を起こす。そしてその時に、私は驚きを感じた。驚くぐらい身体が軽い。身体の奥底から力がみなぎる。
あちらこちらを目を凝らしてよく見てから、いつもの湖畔だということに気付く。そこまでなって、私はようやく思い出した。
確か死にそうになって……ソラが命を……。
すぐに足下へ視線をやる。
そこには憔悴しきった顔で倒れているソラの姿があった。
「大丈夫!?」
慌てて手を握ると、彼は音を立てず静かに顔を上げた。
「あぁ……アイネ。良かった。成功したんだ……」
ゆっくりと話すだけなのに、呼吸が整わない。余程疲労していることが窺える。
「……これ返すよ」
そう言ってソラが胸元から取り出してきたのは水晶玉。八の字の印が刻まれている。あの日私が湖に落としたものと同じ水晶玉だ。
「どうしてこれを?」
「……君はずっと探していたよね。あの日から……ずっと。返すの……遅くなってごめん」
ソラは水晶玉をそっと私の手に乗せ、そのまま手を優しく握る。彼は人間ではない。なのに手の温もりは確かに人間のそれと同じものだった。
「あの日から、って?」
「……十年前の雨の日だよ。君はこの水晶玉を探そうとして湖へ落ちたよね……」
彼が言っているのは恐らく、母に叱られ家を飛び出したあの日のことだろう。
「僕は君を助けた。でも……、これを渡すことは……出来なかった」
青緑の静かな瞳に、一粒の涙が浮かぶ。水晶玉のようなその涙は頬を伝い落ちた。
「あの日、私が見た金色の龍。それは貴方だったのね」
誰に話しても幻を見たのだと馬鹿にされたこと。だが、あの日の私が見たものは幻覚ではなく、確かに本物だったのだ。
——と、その時。
横たわっていたソラの姿が薄れてくる。透き通る、というのが正しい表現かもしれない。いつもの金色の粉になる時とは違う。繋がれていた私の指が彼の指をすり抜ける。輪郭が見える程度で、もう触れることは出来なくなってしまった。
「ソラ、貴方は死なないのよね?不死なのよね?」
透き通った彼の影は穏やかな表情でそっと頷く。
「どうして私を助けたの。永遠に闇の中で暮らさなくてはならないのは嫌だって、そう言っていたのに……」
ソラは柔らかな笑みを浮かべて私に視線を合わせ、一度だけゆっくりと首を縦に動かす。その顔には、悲しみなんてものは欠片もありはしなかった。
「アイネ、君に幸せになってほしいと思った。ただそれだけのことだよ」
こうしてソラの姿は消えた。それが私たちの交わした最後の言葉となってしまった。
「……ソラ。さようなら」
彼は死んだわけじゃない。だから、それが運命ならば、きっといつかまた出会える。私はそう信じて空を見上げた。
「きっと、またいつか会いましょう。私はずっと忘れないから……貴方と過ごした日々」
湖畔にはもう誰もいない。たった一人、私がいるだけ。
初めからそうだった。誰かと傍にいることなんて諦めて生きてきた。幸せとか温もりとか、そんなものはどうでも良かったはずなのに。
私は声をあげて泣いた。悲しかったの。ただひたすらに。けれど少しして私は涙を拭くと、私は立ち上がった。
今の私には希望が見える。ずっと遠くの未来まで、私は歩いてゆける。彼が自身を身代わりに私にくれた道。だから立ち止まっているわけにはいかない。無意味に時間を浪費している暇はないのだ。
「ありがとう。私、幸せに生きるわ。ずっと……、ずっとよ」
見上げた空は晴れていた。天まで届くような、無限に広がるような大空。まるで新たな人生の始まりを祝福してくれているかのような空だった。
私はあれから村を出て、旅を始めた。世界中を巡り知らないものに出会うのはとても楽しいことだった。本という文字だけではなく、この目で見て身体で触れられる本物の世界は、全てが刺激に満ち溢れている。胸のときめきは留まることを知らない。
旅先で私はいつも日記を書いた。文学的なんかではなくて、拙い言葉の羅列だけれど、この現在の感動を未来まで忘れないために記しておくのだ。そうすれば生の世界の感動を、僅かでも、いつでも体感することが出来るから。
やがて十年が過ぎた。
私は久々に村に帰り、そこで貸本屋を開いた。旅先で買ってきた珍しい本を中心に貸すお店である。二十後半に差し掛かってまだ独り身ではあったが、毎日が楽しく充実している。村の子どもたちに絵本を読み聞かせたり、本好きの人と語り合ったり。これこそ自分の生きる道だと確かに実感していた。
そんな幸せな日常の中でも、少し切なくなる時がある。満月の夜だ。今住んでいる家の寝室の窓からは月がよく見えるのだが、満月の夜には、いつも不思議と胸を締め付けられるような気持ちに駆られる。そんな夜には水晶玉を握り夜空を見上げ、呪文のように呟く。
貴方は今、どこにいるの——?
- アイネと黄金の龍 ( No.11 )
- 日時: 2017/04/13 17:27
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Oh9/3OA.)
エピローグ
ある満月の夜、私は湖へと散歩しに行った。夜道は暗いが月明かりが足下を微かに照らしてくれるから困りはしない。
湖畔は今日も静かだった。ここを訪れるのは物凄く久しぶりだが、風景はあの頃と何も変わっていない。
澄んだ水。湖の周囲を取り囲んでいる大岩たちも大きな変化はない。多少苔がむしていることから、相変わらず人は訪れていないのだろうということだけが分かる程度だ。
私は湖のほとりにそっと座り込む。そこはソラと別れた場所だ。あの時私はこうして座ったまま消えてゆく彼を見送った。もう十年以上経ったのか、と懐かしい思い出に耽る。
「喧嘩でもしたのかい」
背後から聞こえた懐かしい声に、私は振り返った。
「……ソラ?」
思わず呟く。
そこに立っていた青年が彼に瓜二つだったからだ。金色の美しい髪、全身を包む華やかな黄金の衣装。そして青緑色をした瞳。
「……ソラなの?」
その青年は片側の口角を持ち上げ笑みを浮かべる。
「また会えたね。アイネ」
「……本当にソラ?」
私はまだ目を疑っていた。
「そうだよ」
冷たい風になびく金髪が幻想的な雰囲気を漂わせる。
「どうしてここにいるの?永遠に闇の中なんじゃ……」
彼は私の横を通り過ぎると、優雅な動作で大岩に乗り、身体をこちらに向けた。
「今から話すよ。時間はもうたっぷりあるんだからさ、慌てる必要はないんじゃない?」
私は頷いてから笑う。
「そうね。その通りよ」
彼に手を借り大岩の上へ座った。見るたびに切なくなった満月の月明かりが、今は何とも心地よい。
「私もね、貴方に聞いてほしいことがいっぱいあるの」
「僕を退屈させない?」
私は彼とそっと手を繋ぎ、満月の輝く夜空を眺めた。
「えぇ。退屈なんてしないわ。貴方のお陰で手に入れられた、十年間の旅の記憶よ」