ダーク・ファンタジー小説

宵と白黒 ( No.1 )
日時: 2020/08/20 00:14
名前: ライター (ID: cl9811yw)

プロローグ
《トワイライト・イブニング》

 少年は闇の中を彷徨っていた。過去も未来も、ひょっとしたら今すらも見えているか定かではない。着ている服の感触も、伸びて伸びて目を覆うほどの前髪が揺らぐ感触も、冬の刺すような冷たい空気が喉に流れ込む感覚すらも喪われている気がしてならない。

 前髪が風で吹き払われて、僅かに前が覗く。その先に、ほんの少し明かりが見えた気がした。淡いオレンジに煌めく光。誰かの家か、あるいは冥府の炎か。そう思って希望を抱いて、幾度裏切られて来たことか。

「いやだ……まだ、しにたく、ない……」

 けれど少年は手を伸ばした。どちらにせよ、それしか選択肢はないのだ。ゆっくりと息を吐いて、吸って、吐いて、口から血が零れる。
 足の怪我が一番酷いはずなのに、なんでくちから血がでてくるんだろう。ああ、お腹も怪我、してたっけな。もう、覚えていないや。そんなことを妙に冷静に思いながら、少年は歩こうとする。

 だけれど、限界だった。
 少年はその光へ手をのばしたまま、木の根元に倒れ込む。木の下に落ちていた木の葉は、かさりと動いて少年の上へ舞い落ちた。

□ ▲ □

「トワイ! いるのかトワイ?」

 己を呼ぶ声がする。それが薄っすらと聞こえて、紺の髪を持つ青年はゆっくり顔を上げた。蔦がはい回っている白壁の向こうから差してくる夕日の眩しさに目を細める。またあの時の夢を見ていた。ここで寝るといつもその夢を見る。正直言って激痛の感覚は残るわ胸の内が重苦しくなるわで良いことなどないのだが、昼間からベッドで寝るのはいかがなのかと彼は思う。

「まったく、トワイ……こんなところで寝るな! 寝るのなら自分の寝床に行け!」

 その結果いつもこのように怒られてしまうのだが、トワイと呼ばれた青年はどこまでも懲りない。白髪の老人がバシバシと手に持つ箒の柄で、彼の肩を叩いてそう怒る。

「あぁ……すまんな、師匠」

 青年がゆっくりと顔を上げた。庭の中心に生えた木の根元。かつて死にかけの少年だったこの青年と、老人が出会った場所だ。いや、出会いなどと言う希望に満ち溢れたものではなかったのだが。
 トワイの夕焼け色の瞳が木の葉の合間から抜けてくる光を映した。陽が随分と長くなったんだな、と思う。その光がまだ夕方の色であることを改めて確認して、もう一度目を閉じかけた。
 その時、容赦無く師匠と呼ばれた老人の箒が振り下ろされる。
 ただの注意にしては異様に早いそれに、目を閉じかけていた青年は目を見開く。そして箒の柄を左の手のひらで受け止めながら身体を起こし、右手を後ろに回した…が、

「ッツ!?」

 その右手は空を切った。青年が常に腰に付けているはずのナイフが無いのである。左手の真芯を捉えられて打ち据えられ、痺れが駆け抜ける。
 わずかに動揺しながら視線を上げると、老人が夕陽を背にして子供のような笑みを浮かべていた。その手には、彼がいつも腰に身に付けているナイフが握られている。

「お前の負けだな?」

 ニヤニヤと笑いながら老人がそう言い放った。このひとは時々修行紛いの嫌がらせをしてくるからタチが悪いのだ、と青年は思う。得物がなくとも戦えはするが、不利になる。死に行くのはアホのやること。かつてそう教わった青年は脱力した。ジャケットについた汚れを叩き落としながら立ち上がり、真っ直ぐに手を伸ばす。

「あー、分かったよ師匠。だからそれ、返して?」

 事も無げにそう言ってのけた青年が、自分の煽りに乗らなかったからだろう。老人はすこし不満気な顔をする。
 だが青年の言うことを聞く気はあるようで、老人はナイフを差し出しながら表情を切り替えた。元々細い目を完全に閉じて、彼は事務的な口調で言い放つ。

「仕事だ、《宵》」

 そう言われた瞬間、青年の目が細められ、かすかに息が吐かれた。



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