ダーク・ファンタジー小説
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- 青き蓮の提言:『或いは可能な七つの奇跡』
- 日時: 2016/09/05 04:17
- 名前: SHAKUSYA ◆8LxakMYDtc (ID: 3YwmDpNV)
——最愛の弟子に、未だ成され得ぬ奇跡のひとひらを。
***
【閲覧上の注意】
・ この小説は要素「R-12」「レトロファンタジー」「三人称」「人外キャラ登場」「募集オリキャラ登場」「流血・死亡描写」「軽微な残虐的描写」を含みます。どれか一つでも「無理」と思った方はUターンを推奨します。
・ テーマの都合上、やや胸糞の悪い描写を出さざるを得ないことがあります。予めご了承下さい。
・ 誤字・脱字・考証の誤りは適時修正していますが、時折修正出来ていない箇所があります。見つけた場合はコメントにてご一報くださるとうれしいです。
・ 一般に言う『荒らし行為』に準ずる投稿はお止めください。本文に対する言及のない/極端に少ない宣伝、本文に関係のない雑談や相談もこれに該当するものとさせていただきます。
・ 更新は不定期です。あらかじめご了承ください。
・ コメントは毎回しっかりと読ませて頂いていますが、時に作者の返信能力が追い付かず、スルーさせていただく場合がございます。あらかじめご了承いただくか、中身のない文章の羅列は御控え頂くようお願い申し上げます。
***
【目次】
Tale-0 >>1
Note-0 >>2
Note-1 >>3
Tale-1 >>4
-2 >>5
- Re: 青き蓮の提言:『或いは可能な七つの奇跡』 ( No.4 )
- 日時: 2016/09/04 02:24
- 名前: SHAKUSYA ◆fnwGhcGHos (ID: 3YwmDpNV)
tale-1:『境界の守り人』
かぁん。
不安と恐怖の入り混じった騒擾(そうじょう)を掻き消して響くは、甲高い金属音。ひび割れた石畳の上、そちこちに累々と横たわる“モノ”どもの合間を縫って、鈍色に光る鉄杭が無数に屹立する。
その内の一本、逆L字型に曲げられた杭には、小さな烏が一羽止まっていた。それは頭に乗せたハットの飾り紐を翼の先の指で弄り、フウチョウのように長く豊かな尾羽を時折繕いさえながら、浅緑の双眸を面白そうに細めている。瞳は嘲笑の色を隠そうともしない。
「まだ、やるかい」
低く、それでいて軽薄に。烏の喉が流暢に人間の言葉を紡ぎ出す。
たっぷりと侮蔑を込めた笑声が向く先では、痩せやつれた男が一人立ち尽くしていた。目の下に濃い隈を作り、からからに干からびた唇を噛む姿には、焦燥の色も露わだ。形勢の優劣は誰が見ても明らかであった。
両者共それは確信しているのだろう、烏はますます嘲りの色を強めて男に声を投げつける。
「此処、あんた等みたいなのをぶっ殺しても文句言われない区画でさぁ。水浸しにしようが焼野にしようが何にしようが、俺も誰も、痛くも痒くもないってワケ。まんまと誘い込まれたあんたは、ただの馬鹿だったってことだナ」
「くそっ……!」
「誰が逃がすか」
かん、と再びの金属音。途端、石畳に突き刺さっていた杭の数本が独りでに空を裂き、背を向けて逃げ出そうとしていた男の四肢を石畳に縫い止めた。
濁った悲鳴に烏は無表情。今まで己が羽を休めていた杭を引き抜いて両足に持ち、男の傍まで飛び寄る。太い杭の戒めから逃れようともがく様を、烏の眼は酷く無感情に見下ろした。
再三、杭が石畳に突き立てられる。最後通牒のごとく。
「今回の陽動部隊は生かしたまま持って帰れって言われててさ。此処で一思いに死ぬ方が良かったって思いしたくなかったら、素直に捕まっておくんな? まあ問答無用だけど」
「誰が、が、がが、ぁがががっ」
男の反抗を打ち消す、判決の音声。
白目を剥き、泡を吹いて痙攣し始めた男に、烏は淡々と告げる。
「魂が軽くなる気分ってどうよ。鳥なら何ともないんだけどね」
「ゥぎ、ぃぎギぎッがぁっがが」
「やっぱり、分不相応に軽い魂で身体を制御すんのは大変かい? 人間で何度か試したけど、何回やっても五分で気がどうかしちまう——でも」
男には、恐らく簡単な単語の意味すら届いてはいないだろう。それでも烏は軽薄に喋りながら男を覗き込み、無秩序な震顫(しんせん)がいつまでも収まらないことをじっくりと確認した後、罰が悪そうに首を縮めながら、鉄の杭を堅い煉瓦に叩き付けた。
四度目の金属音が朗々と響き、停滞していた空気が、不可解に揺れ動く。動揺は瞬く間に渦巻く風へと姿を変え、男の周囲を取り囲んだ。
「これでも生温いってんだから、カイルの拷問って一体どうなってんだろうなァ……」
溜息混じりに放たれる、不穏な一言。
その意味とおぞましさを男が理解するより早く、その姿は無数の光子となって弾け消えた。
「一息に死んだ方がよっぽど楽だろうに、あいつも運の悪いやっちゃ」
六葉町五番街、廃棄区。
剣呑と安穏の境界を、彼は護り続けている。
++++++
【Author's Memo】
辺獄と紙一重です。
幻想郷ではありません。
何時の日か楽園になります。
全部ファンタジアと読みます。
- Re: 青き蓮の提言:『或いは可能な七つの奇跡』 ( No.5 )
- 日時: 2017/01/09 03:31
- 名前: SHAKUSYA ◆fnwGhcGHos (ID: bEtNn09J)
Tale-2:『薬師 -1』
「お疲れジャック。妖精がこっちまで入って来ようとしてたよ」
「あー悪ィね、生け捕りにしようとして気が回んなかったんだ。怪我とかしてないよな?」
八番街廃棄区に程近い、寂れた裏路地の一角。小奇麗に整備されながら、しかし沈鬱な空気が澱のように停滞する小径を、小烏、もといジャックは飛んでいた。
小さなハットを頭に乗せ、雄鶏のように長い尾羽をたなびかせながら、悠々と路地に添い飛ぶ烏。その奇妙な姿を見咎める者は、この寂れた路地にはいない。それどころか、十年来の知人に会ったかのように声を掛け、烏の方も気さくに返す。慣れたものだ。
「アル君が何とかしてくれたさね。ところで今は急ぎ?」
「大急ぎ。ユーリのトコにいるから、何かあったら呼んでくれな!」
酒場の女将との会話を手短に終え、ジャックは更に路地を往く。
その先は、新旧も古今も様々な家屋が雑多に軒を連ねる中で一際に大きく新しい、赤い屋根の家。煉瓦の壁から張り出したポールには、年季の入った臙脂色の旗が下がっている。そこに縫い取られるシンボル——蛇の巻き付いた杯——は、そこに正規の薬師が常駐している証だ。
『ラビエル施薬院(せやくいん)』。檜の看板に刻まれた店名を横目に、止まり木のように張り出した桟へ羽を休めたジャックは、薄いレースのカーテンが引かれた窓のガラスを嘴で軽く突いた。
ぱたぱたと軽い足音が窓越しに近づき、細い手がカーテンを脇に払う。桟に止まるジャックの姿を認めたのは、眼鏡を掛けた白衣の女。濃い色のレンズの向こう、鮮やかな黄蘗(きはだ)色の眼を少し細めて、彼女は窓から離れると、傍らのドアを押し開けて顔を出した。
「お疲れ様、ジャック。こっちから入って頂戴」
「おう、ダンケ。そっちの首尾はどうだい? ユーリ」
何の気なしに尋ねつつ、ジャックは開け放された扉から中へ入る。
一方の女——ユーリは、自分の横を通り抜ける小烏の後ろ姿を見上げながら、困ったように肩を竦めた。
「貴方、彼に何したの? ずっと怯えてるわ」
「幽体離脱を半分だけ。妖精とグール何匹も出されて結界ぶっ壊されそうになったかんね、調整がてら痛い目見てもらったよ」
先程の窓の傍に設えられた机の端に止まりつつ、あっけらかんとして答えるジャック。ユーリは呆れ顔でその後を追い、大きな一室を仕切る衝立(ついたて)に軽く寄り掛かって、深く溜息を吐いた。あのねぇ、と諫めるような声を上げ、その続きを綴りかけた口で、もう一度嘆息する。
やれやれとばかり重い足取りで、ユーリは衝立の向こうに一度姿を消したかと思うと、すぐに幾つかの薬瓶を手に携えてジャックの隣へ歩み寄った。
「いくら隣国のイカれた狂信者って言っても、実験台にしてたら同類でしょ? 何度もやってるんだからもう止めなさいよ」
「だけど、生身の人間で加減掴まないといざって時に使えないだろ? どーせカイルよりマシな扱いだと思うし、もうちょっと調整したいんだけどな……ぐぇえっ」
調子に乗って喋りたくるジャックの嘴を、ユーリの手がむんずと引っ掴む。止せ止めろ、と不明瞭に声を上げながら羽をばたつかせる小烏に、向ける黄色の眼は冷たい。
「お願いだから、そんなことで楽しまないでよ。結界の管理者がまともな感性してないで、一体誰が正気だって言うの?」
「分かってる、分かってるってば! ふざけて悪かった! 折れるから止せっ!」
バサバサとけたたましい羽音に混じる、懇願めいた悲鳴。対するユーリは心底呆れた風に首を小さく横に振り、黙ってジャックの嘴から手を放した。その手で机に置いた薬瓶を取り、中の液体を小さく揺らしながら、彼女は足取りも気怠く歩き去っていく。
その重い足が向かう先を、ジャックは知っている。そこで何が行われ、ユーリが先程持って行った薬が何に使われているかも——その筆舌に尽くしがたい残虐さは、理解している。
だからこそ、彼女が己へ向けて言ったことの意味も、分かっている。
しかし。
「でもユーリ。何の因果もない人間を巻き込まない為には、俺がやらなきゃいけないんだ。本当に」
「言い訳よ、ジャック」
ユーリの声は暗く、重く。
心の深奥を抉りだすように、黄蘗の眼は透徹としてジャックを睨んだ。
「結果が出なきゃ、どんな覚悟もただの綺麗事でしかない。……貴方は何がどうあれ人の魂を弄ったんだから、その結果を見てちゃんと考察しなさいな。どんな人体実験も活かせなきゃ単なる虐待よ」
「高名な薬師様に言われるまでもねぇよ、そんなこと。こちとら六百年は魔法の研究やってる大賢者だぞ」
「その内の何年が師匠に会話スキルを教わる時間だったのかしら?」
ジャックの軽口に、ユーリは容赦ない。ざっくりと大雑把に切り返され、思わず言葉に詰まったジャックへ、苦々しくもおかしそうに小さく笑いかけて、薬師は扉の向こうへ姿を消した。扉を隔てた奥では——人のような烏の価値観から見ても——残虐極まりない行為が続いているのだ。
そこにジャックが立ち入る資格は、これからも与えられはしない。
++++++
【Author's Memo】
「ヘビの巻き付いた杯」=「ヒュギエイアの杯」
「ダンケ」=「Danke(独:ありがとう)」
- Re: 青き蓮の提言:『或いは可能な七つの奇跡』 ( No.6 )
- 日時: 2017/01/09 03:31
- 名前: SHAKUSYA ◆fnwGhcGHos (ID: bEtNn09J)
Tale-3:『薬師 -2』
ユーリが別室に消えてから、一時間。ジャックは綺麗に整頓されていた机に紙を広げ散らかし、嘴に咥えたペンで紙を引っ掻いていた。
傍から見れば、何処からか入り込んだ烏が悪戯をしているような光景であるが、ジャック自身は至極真面目である。子供の落書きにしか見えない線も、彼にしてみれば立派な——ただし解読の必要な——文章だ。縦横無尽に紙を走る線の束を前に、小烏は喉の奥で小さく唸った。
浅緑の眼が苦悩をこめて見つめる先は、一見無秩序に見える線の一部。ジャックはそこに線を書き加えては消し、消しては書き加えを続けるばかりだ。
「ジャック、仕事場を散らかさないでくれる?」
「あー、悪い。早く纏めとかないと忘れちまいそうでね」
新たな文章へ打ち消し線を引くこと五度。扉の向こうから戻ってきたユーリに背後から声を掛けられたことで、小烏の考察は打ち切られる。
咥えていた細軸の万年筆に足でキャップをし、ペン立てへ放り投げて、散らかった紙片を雑に一所へ集め。ジャックは十枚近い紙の束を器用に嘴と足で丸めていく。その様を横目に、ユーリは椅子へ身を投げ出し、体重を思い切り背凭れへ預けた。
どうかしたのか、と問いかけるジャックへ、無言の視線。鼻に引っ掛けていた眼鏡を外し、両手で顔を覆いながら、薬師は重い溜息を吐く。その仕草に、ジャックは見覚えがあった。
「参ったな、廃棄区に封じ杭全部置いてきちまったぞ」
「少し時間が経てば治るわよ。気にしないで」
「……何のために俺が居座ってると思ってんだ」
それが具体的に何を示すのか、ジャックは言わない。しかし彼女には、薬師である彼女には、それで伝わるものがある。
目を片手で押さえたまま、彼女は唇の端を小さく噛むと、酷く気だるげに口を開いた。
「本棚の間にディートさんの使ってた杖があるわ。それ使って」
「は? 町長が?」
素っ頓狂な声一つ。どう言うことだとジャックは詰め寄りかけて、いいや後だとばかり首を横に振った。そのまま床に飛び降り、植物図鑑と医学書で埋め尽くされた本棚に近寄って、その背と壁の隙間を覗き込む。暗がりの中から目的のものを見つけ出し、小烏の眼が微かに泳いだ。
ちょっとやりにくいな、と独り言。それ以外にも何やらもごもごとつぶやきながら、ジャックは嘴でそれ——長い樫の杖を引っ張り出す。
自身の体長の三倍ほどもある杖は、木製であるにも関わらず鉛のように重い。樫それ自体が重いせいでもあるが、明らかに樫の木だけでは作れない重さが、ジャックの嘴にずっしりと圧し掛かった。
「ィよ、っと」
嘴に持ち手を咥えたまま飛び立ち、ジャックは半ば落とすようにして、床に杖の先を打ち付ける。ドン、と鈍い音が響いた後、普通であれば倒れるはずの杖は、しかしそのまま床の上に直立した。
何かに支えられているかの如く制止する杖、その持ち手に羽を休め、小烏はユーリを一睨み。浅緑の眼を片方だけ閉じ、開けた片目で何かを検分するように凝視しながら、彼は足でしっかと杖を掴む。
「そらっ!」
再び一声。翼を空に強く打ち付け、ほんの寸秒浮かせた杖を、勢いよく床に叩き付けた。途端、パンと鋭い破裂音が刹那室内を満たし、あっと言う間に消え去っていく。その後に満ちかけた静寂は、ユーリの安堵したような溜息で一息に払われた。
外していた眼鏡を再び掛け、机の端に身を寄せるジャックに視線を送って、彼女は少々の苦味を込めて笑う。
「相変わらず、使ってるのか使ってないのかよく分かんない魔法ね。魔法ってもっと派手なものなんじゃないの?」
「最高にド派手な魔法、俺のレパートリーに一個あるぜ? 絶対やらんけどな」
多少の皮肉も込めたユーリの言葉に、ジャックは苦虫を噛み潰したような顔と声で言い返した。
派手な魔法——言葉にすれば単純なそれが、一体何を意味するか。恐らく彼は、その意を最もよく知る内の一羽である。魔法の研究を六百年続けてきた、と豪語したのは、決して劣等感や強がりから来る誇張ではないし、嘘では尚更にない。
かく言うユーリとて、渋面(じゅうめん)の理由は理解している。むしろ、この小さな烏が抱えたものを、彼女はある意味彼自身よりも知る身であった。
「『召喚擬き』だったかしら? 隣国の連中が使ったって言う」
「さあね。もっと酷いのも色々知ってるよ」
何しろ、店の馴染みになるほど何度も顔を突き合わせているのだ。長い長い付き合いの中では、多少ながらも身の上話に華が咲く。薬師として、ジャックの身を——獣医ではないと愚痴を言いつつも——助けたこともあれば、今のように助けられたことも少なくない。
ましてや。
「貴方にちゃんとした師匠が居て良かったわ、本当に」
「まあね。ユーリにもちゃんとした師匠が居りゃ、あんなに苦労はしなかったかもな」
彼女もジャックと同類、れっきとした魔法使いである。
分からないはずなどない。己がどれほどの研鑽を積んだとて敵わぬと、彼女は彼を一目見た瞬間から確信していた。
それを知ってか知らずか、ジャックは不意に表情を引き締め、ユーリから視線を外した。釣られてその方を見た薬師もまた、口の端の笑みを消し、椅子を蹴って立ち上がる。鮮やかなカナリアイエローの瞳に見えるのは、苦渋と困惑の色だ。
「……『カナリア』を診るのは三人目だわ」
「結界の調子がおかしいせいかな。町長とカイルが揃ったら改めて話す」
「あら、そっちが本来の目的じゃないの?」
素っ気なく答え、ユーリは白衣の裾を翻しながら去っていく。そして、施薬院の出入り口が閉まる音と入れ違いに、先程ユーリが出てきたきり閉じられていた樫の扉が、ゆっくりと開いた。
途端、部屋に渦巻くは微かな血の臭い。思わず顔をしかめるジャックの傍らに、その男は歩み寄ってきた。
「先生は?」
「アルが外で倒れそうになってたんで、そっちに行った。応急処置しとこうか? カイルよ」
「嗚呼、頼む……」
蚊の鳴くような声を絞り出し、カイルは力尽きたように床へへたり込む。
その様を横目に、ジャックは机に立てかけていた杖の先で床を叩き——
「こンの野郎ッ!」
半開きになっていた樫の扉めがけて、鋭い咆哮と杖の一撃を向けた。
++++++
【Author's Memo】
俗称が先に出てきちゃいました。用語を違和感なく出すって難しいです。
- Re: 青き蓮の提言:『或いは可能な七つの奇跡』 ( No.7 )
- 日時: 2017/01/09 03:38
- 名前: SHAKUSYA ◆fnwGhcGHos (ID: bEtNn09J)
Tale-4:『薬師 -2』
「ねえ、わたし、仕事場を散らかさないでって言ったのよね? 何でわたしの机があんなところに飛んでってるわけ?」
「スミマセン」
「折角論文が良い所まで書けてたのに、もうページ数とか全然分かんないわよ。どう収集付けてくれるの? 新調したてのカーテンに付いたインク染みは? 町長さんのステッキのインク染み、もう取れないわ」
「ホントゴメンナサイ」
「ねぇ。なんか言って頂戴」
「大変申し訳ありませんでした」
おかんむり、などと生易しい言葉で、今のユーリは表現できないだろう。
輝かしいアルカイックスマイルを浮かべる一方で、額に走る青筋を隠そうともせず、彼女は平謝りするジャックを見下ろしていた。一方のジャックは、素晴らしく良い笑顔の薬師を前に、ひたすら頭を下げることしか出来ない。それが怒りを助長すると分かっていても、顔を挙げられるほど度胸者ではないのだ。
ただただ謝罪の言葉を繰り返しながら、まるで土下座でもしているかのように翼を広げて平服する小烏。その様をニコニコと睨みながら、ユーリはやおらインクまみれの杖を手に取る。
しかしその手は、男の手によって制された。
「あの男に八つ当たりする気なら、止めるぞ」
「あら。貴方に言われたら引き下がるしかないわね、カイル」
呟くような呼び声に表情一つ変えず、彼はしっかとユーリの手首を掴んで離さない。薬師を見上げる双眸は、磨かれた黄玉(シトリン)の如き黄色。獲物を狙う猛禽にも似た眼光に射すくめられ、ユーリは大人しく怒りの矛先を収める他になかった。
ふっと困ったように笑う薬師の横顔を検めつつ、カイルはそっと手を放し、机をぶつけられて伸び切っている男に大股で近寄っていく。そして、人事不省に陥った男の首根っこをむんずと引っ掴んだかと思えば、乱雑に扉の向こうへ放り込んだ。
わざとらしく大きな音を立てて扉を閉め、再び戻ってきたカイルに、ユーリは軽く首を傾げる。
「あんな雑なことして、扉開けた瞬間襲い掛かられたらどうするのよ」
「そんな気力も全部使い切るまで閉じ込めておけばいいさ。二日くらいほっとけば良いんじゃないか?」
——どんな人生を歩んできたら、こんなにも後ろ暗く素晴らしい表情が出せるようになるのだろうか。
満面の笑みを浮かべて親指を立てる、外見だけは十代後半の男に、ユーリとジャックは同時に戦慄した。仄かな恐怖と呆れの入り混じった視線を向けられる主と言えば、何処か気取ったように亜麻色の髪を引っ掻き回すばかりだ。
仕方ない、と言った風に、ジャックは首を横に振り、床にべたりと寝かせていた翼を収めた。
「カイル、町長って今日来るのか?」
「当たり前だろ、お前が話したいっつったんだから。後五分もすりゃ来るぞ」
「だよな。……それじゃ、それまでに部屋の掃除でもするか」
言い終わるより早く、ジャックは再び杖を足で掴む。
猜疑心も露わにその様を見つめるユーリは見て見ぬふり、紙とインクの飛び散った床に重い杖の先を打ち付けて、小烏は部屋をじっくりと見回した。
遠く部屋の隅に転がるチーク材の机、横倒しになってインクを垂れ流す瓶、最早ただ一本も保持していないペン立てと、縦横無尽に散乱するペンの数々。書きかけの論文はバラバラになった挙句インクで汚れ、ジャックの背後で揺れるカーテンもインク染みの被害からは逃れられていない。
自らの魔法で作り出したとは言え、ユーリが激怒するのも致し方のない惨状だ。以前の部屋の記憶とは似ても似つかない光景を眺めつつ、小烏はその小さな頭に仕舞いこんだ記憶との齟齬を一つずつ見つけ出していく。
一つ、二つ、三つ。四つ、五つ、六つ。慎重に見極め、その座標を計算しては、頭に叩き込むのだ。それを徒手空拳の烏がやることの凄まじさを、ユーリとカイルは良く知っていた。
「……ど、らァッ!!」
一際重く、鋭い刺突。
びりり、と床が震えるほどの衝撃と共に、停滞していた空気が微かに揺れ動く。その動揺は時を経るごとに増幅され、風となり、そして渦となって、勢いよく部屋中を駆けまわった。
ばらばらと踊るように吹きすさぶ紙、飛び散るインクとペン。事態を酷くしないでよ、と悲痛に叫ぶユーリの声すら吹き千切り、腰を落として踏ん張っていたカイルの姿勢さえ崩して、竜巻のような風が吹き荒れる。その最中でジャックは、頭に被せたハットを抑えて部屋を見渡すばかり。
——その眼光がふと鋭さを増した瞬間と、風がより激しく渦巻く瞬間は、同時。
そして、そっと瞳を閉じた瞬間と、嘘のように風の止む瞬間もまた、同時だった。
「おっけ、掃除終わり!」
「え……は?」
ばさっ、と一際大きな羽音をわざと立て、ジャックは部屋の主に向かって面白そうに声を投げつける。対する彼女はと言えば、ジャックの声を受けて恐る恐る顔を上げ、ゆっくり部屋を見回して、信じられないと言った風に大きく目を見開いた。
部屋は、机が宙を舞う、まさに直前の様相。苦労して書き上げた論文も、ペン立ても、インクの瓶も。カーテンや絨毯にもしみ一つない。まるで何事も無かったかのように、全てはあるべき場所にあるべき形で収まっている。
時が巻き戻ったのかと、ユーリは思わず呟いた。
しかしそれを、ジャックは否定する。そんなことは出来ないと。
「転移魔法の応用だよ。散らばったの一旦全部バラバラにして、元の場所で組み直した」
「は? でもあんた、転移魔法は調整中って……」
「そりゃあ、魂が入ってる生き物はな。でも、今動かしたのは全部“もの”だから」
——魂の入っていないものなら、俺は千個でも二千個でも自由自在だ。
不敵に笑う子烏に、ユーリは何も言えなかった。
++++++
【Author's Memo】
ジャックを一言でいうと「努力する鬼才」。
- Re: 青き蓮の提言:『或いは可能な七つの奇跡』 ( No.8 )
- 日時: 2017/01/21 03:13
- 名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs (ID: bEtNn09J)
Tale-5:『カナリヤ -1』
町長——ディートの来訪は、二時の鐘と同時だった。
石畳を叩くステッキの音、重々しい足音と、それに見合うだけのがっしりとした体躯。古めかしくも重厚な威厳を匂わす服装と、目深に被った帽子の奥から覗く金色の眼の鋭さは、政治家と言うよりもむしろ、裏社会の大物と言った方が似合いだろう。
泣く子も黙る強面を前に、しかし臆するものは一人も居なかった。ただ黙って、唯一つ空いている椅子の前を開けるだけだ。ディートもまた何も言わず、ゆっくりと椅子に身を鎮めた。
肘掛にステッキを立て掛け、足を組む男に、まず話しかけたのはカイルである。
「後、三日ほど掛かります。不手際で、対象を部屋に隔離する他無く——」
「『異望症(いぼうしょう)』の発作だね」
「……はい」
普段であれば収められた、と、失意の内に語るカイル。
言葉が自己嫌悪へ変わるその前に、ディートは彼を眇めた。
鋭くも、思慮深さを秘めた金の色。カイルを黙らせ、機先を制するには十分すぎる一瞥だった。
「彼方此方の『力脈(りきみゃく)』がかなり歪んでいた。ジャックとロイはともかく、我々カナリヤは歪みに酷く中てられやすいものだ」
「それでも」
「自分がしっかりしていれば、とでも言うつもりか?……何でも自分で出来ると思うな、カイル。力脈が歪み、秩序が壊れゆく中で、秩序の上にしか立てない我々が平素のように居られるわけがないんだ。これはお前の不手際でも、まして実力不足でもない。不可抗力にけちをつけるのは止めることだ」
駄々をこねる子を諭すように。ディートはごく穏やかに部下の反駁を流し、そしてジャックへと視線を向ける。剃刀のような視線を真っ向から受け止め、その意味を飲み下した上で、小烏は言葉を選んだ。
「連中、どうやら擬きは擬きなりに召喚の腕上げてやがるな。お陰で何処も彼処もグールと妖精だらけだ」
「召喚者の力量云々と言うより、力脈の中身が溢れ出している現状が原因だろうよ。秘匿されているよりも外に溢れている方が力は使いやすい」
「ケッ、人がバケモンになろうがお構いなしってか」
目茶苦茶だ、と吐き捨てるジャック。全くだ、とディートも苦い顔で肯定する。
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