シリアス・ダーク小説

死んで花実が咲くものか
日時: 2020/07/12 23:31
名前: わらび餅 (ID: 6KYKV6YZ)

神様が、憎かった。

願って縋って嘆いた先、待っていたのは地獄だった。

生きたい。

生きたい。

まだ、生きていたいのに。


死神の足音は、すぐそこまで迫っていた。






***


死んで花実が咲くものか
生きていてこそいい時もあるので、死んでしまえば万事おしまいである。

──goo国語辞書より引用




※読む前に
・流血、暴力表現あり
・死ネタ
・魔法等の類ではありませんが一応ファンタジー
・現実にはない病気が主題

元題「いつか花を。」です。
以上のことをふまえ、お進みください。


*目次
・序章 >>1-14
・一輪目 『勿忘草』 >>16-26

*お客様
・ゼロ様
・祝福の仮面屋様
・nam様


*2018年5月27日 参照1000突破
*2019年6月11日 参照2000突破
*2020年6月11日 参照3000突破

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Re: 死んで花実が咲くものか ( No.22 )
日時: 2020/05/30 20:36
名前: わらび餅 (ID: 6KYKV6YZ)


 本を集めはじめた。
 勉強会の甲斐あってミオも少しずつ字が読めるようになり、長文に挑戦する日がくるのも時間の問題だ。しかし残念なことに、僕の家には彼女が読んで楽しいと思えるような本はない。どれもこれも頭が痛くなるようなものだったので、新しく買い足そうという考えに至った。最初は、本当にそれだけが理由だったのだが。
 お姫様と王子様が出てくる本が読みたい、とミオが言っていたことを思い出し、それに似た系統のものを何冊か買った。本は高価なものだから、生活していけるだけの蓄えしかない僕にとってはかなり痛手ではあったが、これを読む彼女の姿を思い浮かべると自然と財布の紐を緩めているのだから不思議なものだ。
 けれど一冊だけ、自分のためだけに手に取った本があった。表題に惹かれ思わず買ってしまったそれは、可愛らしい幾つかの本に囲まれてひどく居心地が悪そうだった。
 そしてこの一冊の本は、僕の人生を確かに変えたのだ。
 
 
「『彼女はひどく悲しげに微笑んだ。』……どうして微笑んでいるのに悲しいと感じたんだろう?」
 
 僕の手元をのぞき込む形で、共に縦書きの文を目で追いかけていたミオにたずねる。彼女は「うーんと」と可愛らしく小首を傾げたあと、言葉を選びながら答えてくれた。
 
「彼女の強がりが伝わったんだよ。楽しくなくてもその人を心配させないように笑ったの」
「なるほど。笑顔は楽しい時や嬉しい時だけにする表情ではないのか」
「悲しくても、笑わないといけない時もあるんじゃないかなあ」
「ミオはすごいね。僕には全く分からなかった」
「えへへ。これじゃあ私がせんせいみたい」
 
 誇らしげに笑う彼女につられて、思わず口角が上がる。
 僕の予想通り、ミオはあっという間に文字の知識を吸収し長文に挑戦することになった。こうして本を一緒に読みながら、分からない箇所を教えていく。そういった学びの方法を取っていたのだが、ここで盲点だったのが僕という想定外の障害だった。登場人物の感情が、僕には理解出来なかったのだ。
 楽しいから笑う。悲しいから泣く。知識はあっても実体験がない僕にとって、感情というものはどんな問題よりも難題なものだった。「泣きながら笑う」なんて文が出てきた時には頭を抱えた程に。しかし分からないものをそのままにしておくのは僕の性格上よろしくないため、ことある事に読むのを止めてしまっていた。そんな僕を見るに見かねたミオが懇切丁寧に教えてくれたのが、先生と生徒逆転の始まりだった。
 ミオはよく笑う。たまに拗ねたり、怒りをあらわにしたりもする。事実だけを並べたかたい論文や資料ばかりを読んできた僕とは違って。いつしかそんな彼女が感情のお手本となっていたことに気がついたのは、本の中の笑顔の描写に違和感を覚えた時だった。
 彼女は寂しそうに笑ったりしない。いつだって、陽だまりのようなあたたかい笑顔を浮かべていた。
 
 そうして様々な感情を彼女に教えて貰い、機微まで分かる──とは言えないが、何もかもに首を傾げていた頃よりはよっぽど理解出来るようになっていた。気がつけば彼女のために用意したいくつかの本は読み終わり、残ったのはたった一冊だった。
 『孤独の行進』。自分のためだけに手に取った、たった一冊。これだけは自分一人で読もうと決めていたため、ミオがいない時に少しずつ読み進めようと思っていた。そう思っていたのだが。
 結論から言うと、僕はこの本を瞬く間に読み終えてしまった。
 家族に捨てられ天涯孤独になった主人公が歩む人生を描いたこの作品に、僕は衝撃を受けた。頭のてっぺんから足の先までを貫くような衝撃を。この作品の主人公が、僕と同じだったのだ。自分の頭の中を盗み見られたと錯覚するほどに。そのためすんなりと文が頭に入ってきて、頁を捲る手が止まらなかった。
 思い出すのは、家族に見限られたあの日。泣きも喚きもせずぼんやりとしている僕を、酷く歪んだ顔で見下ろして出て行った家族。確かに僕は泣きもしなかった。涙が出なかったから。主人公の彼もまた、涙を流すことは無かった。
 
『 突然の出来事に、頭も心も追いつかなかった。遠ざかっていく背中を見つめながら、家族と過ごした時間を思い出す。思い出しては、消えていく。彼らは一度たりとも、私を振り返ることは無かった。
 涙は出ない。ただ心にぽっかりと大きな穴があいて、ひゅうひゅうと風音をたてている。寂しいと、心がないている』
 
 これは本文からの引用である。僕はこの文に心臓を貫かれた気がして、読みながら思わず胸をおさえたのだ。
 僕は確かに、涙など出なかった。あの時の僕はそれはそれはからっぽで、自他共に認める頭のおかしいこどもだったので、本来人間に備わっているはずの悲しいという感情そのものを知らなかったのだ。でも、本当は、悲しかったのかもしれない。今となっては知る由もない。過去の僕と今の僕は全くの別人なのだから。
 けれど時折、彼のことを思い出す時がある。僕とは違う、両親に愛された弟。僕を兄様と呼ぶあの声はもう思い出せないけれど、あのはにかむような笑顔が頭に浮かぶ。酷く叱責されている憐れな兄をその目にうつしながらも、両親がいない時を狙ってご飯をわけてくれた、僕のたったひとりの弟。その時決まって、僕は思考が出来なくなる。その度にぼんやりと時を過ごし、脳が働き始めるまで待っていたのだが、今思えばこれが、「心にぽっかりと大きな穴があいた」状態だったのかもしれない。主人公の彼はこれを、寂しいと名づけている。それならば僕のこれも、寂しいという感情なのだろうか。寂しいとこころがないているのだろうか。
 僕には分からない。知ることが恐ろしい。けれども知らないままは、もっと恐ろしい。本を読めば様々な感情を知ることが出来るのかもしれない。
 初めて知った感情の名は、「寂しい」だった。
 
 それ以来、僕は貯金を切り崩し、本を集めるようになった。

Re: 死んで花実が咲くものか ( No.23 )
日時: 2020/06/14 08:24
名前: nam (ID: X6hSb0nX)

すごく設定がきちんとしていて、大好きです
まず題名がいい!
すごく目に止まる題名です。
また、中身もいい感じのふいんきで
暗い感じがいい!
次が楽しみです。

Re: 死んで花実が咲くものか ( No.24 )
日時: 2020/06/21 03:06
名前: わらび餅 (ID: 6KYKV6YZ)

nam様


嬉しいお言葉、ありがとうございます!
題名は最初にも書いてありますが、ことわざからいただいていているのでぜひ調べてみてください。とても好きな言葉です。
終始こんな暗い感じで、読んでくださる方も疲れるんじゃないか……と少し心配していましたが、そう言ってくださると安心します(><)

コメントありがとうございました!

Re: 死んで花実が咲くものか ( No.25 )
日時: 2020/06/21 10:43
名前: わらび餅 (ID: 6KYKV6YZ)

「せんせいのお家、本たくさんになったねぇ」
 
 殺風景だった部屋に本という彩りがぐんと増えた頃、僕とミオの勉強会は週二日から週一日になっていた。ミオはもうすっかり一人で本を読めるようになり、勉強会というよりかは感想を言い合うもはや座談会と言った方が正しいものに姿を変えていた。僕の生徒はとても優秀だったのだ。
 彼女の最近のお気に入りは、魔法という力を使って悪しき力から世界を救うというなんとも不思議な物語らしく、時折自分の手を見つめたと思えば颯爽と振りかざし、なにやら呪文のようなものを口にしている。恐らく本の影響だろう、微笑ましい光景だった。
 
「そうだね、随分増えてしまって置き場所に困っているよ……ああ、そういえば、昨日買った『月光唄』もとても素晴らしい作品だった。ミオも読んでみるといい」
「ええ……せんせいの好きな本、難しいのばっかりなんだもん」
「そうかい? そんなことないと思うけれど……まあ、本の面白さは話だけではないからね。僕なんかは、書き手の人生が垣間見える瞬間がたまらなく好きだったりする。彼らが生きてきた中で見つけた言葉たちに、命が吹き込まれるその瞬間が。これは僕の例だけれど、ミオもいつか、こういった琴線に触れるものに出逢えるよ」
「そうかなあ」 
「人の好みは千差万別だ。この先も本と共にあれば、必ずひとつは見つかるさ。それに、『月光唄』はどちらかといえばミオの好きな分類じゃないかな。月の光に呪われた少女と神に愛されなかった少年が織り成す、うつくしくも儚い愛の物語だったよ」
 
 恋愛物語、好きだろう? と問いかけると、彼女はなんとも言えない表情を浮かべた。眉尻を下げて、何かを言おうと口を開けては閉じる。その繰り返し。
 約数秒という短い時間ではあったが、彼女は確かに言おうとしていた言葉を飲み込んで、かわりに彼女らしからぬ不格好な笑みを浮かべた。
 
「……やっぱりちょっと難しいよ」
 
 結局、彼女の口から零れた言葉は、たったこれだけだった。
 
「それよりもさ、せんせい」
「……なんだい?」

 追及はしなかった。誰だって、言いたくないことのひとつやふたつは抱えている。それを暴こうとするのは愚か者のする事で、僕は彼女の前でそのような人間にはなりたくなかったのだ。
 けれどもし、時を巻き戻せるのなら。僕はきっと、愚か者になってしまうのだろう。全てはもう、遅すぎる後悔ではあるが。
 
「せんせいも、書いてみたら?」
「……書く? 何を?」
 
 突拍子もなく投げかけられた言葉に返せるほどの器量を僕は持ち合わせておらず、質問を質問で返すという禁忌を犯してしまったのを今でも覚えている。そんな僕に浮かべた微笑みは、もう先程のぎこちなさの欠片も残ってなどいなかった。
 
「お話! 私、せんせいのお話が読んでみたい!」
「……お話」
「せんせいなら書けるよ! だって頭いいもん」
「……そうかなあ」
 
 確かに、頭は悪い方ではないが、だからといって何の知識もない素人が書けるものなのだろうか。そんな疑問が頭を過ぎらなかったわけではない。けれど、彼女が読みたいと言ったのだ。僕ならできると、そう言ったのだ。
 ああ、認めよう。僕は恐ろしい程に単純な人間だ。そして、僕の中では『ミオの願いを叶えない』という選択肢は存在すら許されておらず、まるでそれが当たり前かのように僕は筆を手に取ったのだった。 

 
 筆を片手に真白い紙切れと顔を合わせ、唸りながら文字を捻り出す作業を始めてから数週間。端から長編の大作なぞ書けるはずもないので、手慣らしに詩と短編小説をいくつか書き上げた。だが、結果はそれはもう惨憺たるもので、早々に火にくべてなかったことにした。もし今それらを目にすることがあったなら、僕は間違いなく正気を失い気絶することだろう。それ程までに惨たらしいものだった、とだけ言っておこうと思う。
 さて、なにがいけないのだろうとあちこちから本を引っ張り出して自分の文と見比べてはその差に落胆し、全て投げ出してしまいたい気持ちを必死に押し留め再び筆を取る。そんなことを繰り返すうちに、重大な欠陥があることに気がついた。
 僕の文字には、命が生まれない。
 しかしそれもそのはず、僕はうつくしいものや素晴らしいものを眼に映すことのない、からっぽな人生を歩んできたのだ。そんな人間が作り出した文字など、生まれる前から死んでいて当然だった。それに、つい最近感情というものに触れた人間が他者の思いを想像するなど、天地がひっくり返っても不可能だったのだ。
 けれど、書くと言ってしまった手前「出来ませんでした」と醜態を晒すことは許されない。ミオはきっと、笑って許してくれるだろうけれど。
 どんな研究よりもこちらのほうがよっぽど難しいな、と腰掛けていた椅子の背もたれに体重を乗せる。たったひとつでも素晴らしい作品が出来たのなら、彼女は喜んでくれるだろうか。そんなことを考えながら、あの子の笑顔を思い出す。どこまでもあたたかくて、純粋で、思わずつられて笑ってしまうような、そんな表情を。
 その時、ふと思った。「これだ」と。
 僕が文字にすべきものは、王子と姫の恋愛物語でも、不思議な力で世界を救う物語でもなく、僕自身なのだと。今まで起きたことの全てを──家族に見限られ天涯孤独になり、そしてひとりの少女と出逢ったことを、そのまま文字に起こせばいいのだと気がついたのは、すっかり夜も更けた時のことだった。
 全てを書き上げた頃にはもう日はてっぺんまで昇っていて、呆然としたのをよく覚えている。そうして出来上がったものは、お世辞にも素晴らしいものだとは言えなかった。けれど火にくべようとはどうしても思えず、紙の束を抱いたまま布団に寝転んだ。目を閉じて、文字に起こした僕の物語を再生する。何度も、何度も。
 あの時はきっと、悲しかった。寂しかった。でも、嬉しいこともあった。それらはすべて、僕の心だったもの。昔の僕がどこかに落として壊してしまったものを、今の僕が拾い上げて名前をつけて、ようやく存在を許された。
 
 寝る間も惜しんで筆を走らせたあの時、僕は確かに、作家としての一歩を踏み出したのだ。
 
 

 
 
「……これ、もらっていいの?」
 
 僕が差し出した紙の束を、ミオは目を丸くしながら受け取った。あまりにも驚くものだから、思わず笑い声を零す。それに気づいた彼女は、少々気恥しそうに紙の束を抱きしめた。
 
「もちろん。君のために書いたものだから、好きにしてくれて構わないよ。読んで気に入らなかったら捨ててくれ」
 
 さほど面白いものでもないだろうし、と続けた言葉は、他でもないミオに遮られた。
 
「絶対捨てない! 大事にする!」
「……そうか」
 
 それはそれで少しむず痒いものがあるな、と口ごもる僕はお構い無しに、ミオは嬉しそうに紙を指で撫ぜた。
 この時の彼女の顔を、今でも鮮明に思い出すことが出来る。頬をほんのり赤く染め、目を細め、柔らかく口角を上げたその顔を、僕はきっといつまでも覚えているのだろう。
 この後、日刊紙の隅に僕の短文が載せられるようになり、いつの間にかそれらが本となって多くの人の手に渡るようになるが、彼女の笑顔ほど僕を喜ばせてくれる事柄はなかった。ミオははじめての読者であり、僕の文をはじめて愛してくれたひとりだった。
 僕が物語を書き、それを彼女が読み、「面白かった」と、「好きだ」と、笑って教えてくれる。そんな日々は瞬く間に過ぎ去って、やがて転機が訪れる。
 
 
「せんせい、あのね。私、結婚するんだって」

Re: 死んで花実が咲くものか ( No.26 )
日時: 2020/07/12 23:00
名前: わらび餅 (ID: 6KYKV6YZ)

「……結婚?」
 
 思わず零れた言葉は、それはそれは情けない声色をしていた。
 
「うん。前から言われてはいたんだけど、私がずっとほったらかしにしちゃってたんだ。それにお母様が耐えきれなくなっちゃって……」
 
 ミオの合意なく、婚約が正式に決定されてしまったと彼女は言った。
 確かに、ミオはもう結婚できる歳にまで成長した。あどけなさを残しつつも、大人の女性と言って差し支えないほどにうつくしく。彼女と出逢ってからもうそれほどに時が経っているのだという事実は、彼女の形をして僕の眼前に現れていた。
 
「相手は、どんな人なんだい?」
「いい人だよ、とっても。優しくて、かっこよくて、きっと私を大事にしてくれるんだろうなって人」
 
 伏し目がちにそう語る彼女に、祝福をしなければと思った。望まない婚姻というのは、このご時世そう珍しいものでは無い。それに、そんなにもいい人ならば、いつかの未来で恋心を抱くこともあるだろう。そうでなくも、あたたかで穏やかな人生を歩むことができるだろう。決して優しいとはいえないこの世界を生きていく上で、隣にいる誰かを作ることは非常に大切だ。人はひとりでは生きていけない。この子には、幸せになって欲しいのだ。笑った顔が良く似合う、太陽のような子だから。
 だから、祝福をしなければ。
 
「……きみは、それでいいのかい?」
 
 祝福を、しなければ。
 しなければいけないのに、口から出たのは全くの真逆で、僕は自分の言ったことに驚きを隠せなかった。こんなことを言うつもりなどなかったのに、どうしてだか僕の愚かな口は勝手に動いてしまったのだ。
 
「……ああ、いや、すまない。不躾な問いだった。いい人ならば、いいんだ。僕は……その、きみをずっと傍らで見ていたから、父親のような気持ちになってしまったのかもしれない。少し、心配で」
 
 この時ほど、己の口下手を呪ったことはない。彼女の顔を見れずに、視線をうろつかせながら言い訳を募る僕の姿は、恐らく滑稽以外の何者でもなかっただろう。いっそ笑ってくれたら、と思いながら彼女の返答を待った。まるで断罪を待つ囚人のようで、いますぐここから立ち去ってしまいたい衝動に駆られたが。
 けれども、彼女が口にした答えは、僕の頭が瞬時に作り出した想像のどれでもなく。僕は思わず視線を彼女にうつしたのだ。
 
「──せんせいは、いいと思う?」
 
 その時の彼女の顔は、僕が覚えている限りでは見たことのない、深い夜の色をしていた。いつだって太陽のように輝いているのに、分厚い雲に隠れて月の光さえも見えない。
 どうしてそんな顔をするのかわからなくて、返事をするのも忘れて彼女を見つめた。数秒だったか、それとも数十分だったか。その間僕達はただ目を見合わせて、互いをその瞳にうつしていた。
 その時間のはじまりは僕だったが、終わりは彼女だった。
  
「……なんてね。なんでもない!」
 
 止まった時間が、ゆっくり流れ出す。息のかたまりを吐き出してやっと、自分が呼吸を止めていたことに気がづいた。
 
「あはは! せんせい、変な顔!」
「……どんな顔?」
「うーん、『心底わかんない』って顔」
「正解だ」
「ほんと? やったあ」
 
 いつもの、ミオだ。
 あまりにもいつも通りすぎて、先程のあれは幻覚なのではないかと思い始めた。けれど紛れもない現実で、あの時の彼女は僕の知らない彼女だった。
 
「せんせいは、しないの?」
 
 すっかり元通りになったミオが、机に頬杖をつきながら尋ねてきた。深い夜はなりをひそめ、かわりに太陽が再び顔を出した。
 
「なにを?」
「結婚」
「……しないさ」
「えー、どうして?」
「僕なんかと一緒になっても、その人が不幸せになるだけだよ」
 
 結婚は人生の終着点だと、顔も知らないどこかの誰かが言っていた。
 だというのに、化け物と共に生きたいと願う人間がどこにいるのだろうか。人間のなりそこないが、必死に人間の振りをしてどうにか今に至るというのに、誰かと毎日同じ家にいて同じ時間を過ごすなんて到底無理だろう。いずれ化けの皮が剥がれて、かつての両親のように僕を置いていくのだ。
 寂しさと名付けたあの感覚を、僕はもう味わいたくなどない。
 
「そんなことないよ!」
 
 机をバン、と両手で叩いて身を乗り出した彼女のおかげで、思考の泡がぱちんとはじけた。
 
「驚いた。どうしたんだい、突然」
「せんせいが変なこと言うから! あのね、ずーっと思ってたけど、せんせいは自分の評価が低すぎるんだよ」
「そんなことはないと思うけれど」
「あるの! ……ねえ、せんせい。私、ずっとせんせいと一緒にいたよ? 私が不幸せに見える?」
「……いや」
「でしょ! 私はね、せんせいと一緒にいるの、すごく楽しいよ。せんせいとお喋りするのも、せんせいのお話を読むのも大好き。せんせいと会えてよかったって、ずっと思ってるよ。だからそんなこと言わないで。私が大好きなせんせいを貶めないで」
 
 どうして。
 彼女の言葉を聞いて一番に思ったことは、疑問だった。
 誰も彼もが僕を毛嫌いし、遠巻きにして、石を投げつけてきた。僕は異質だったのだから、それは仕方の無いことなのだ。こうなってしまったのは僕のせいで、周りの人々が悪い訳では無い。僕が間違って人に生まれてきてしまった化け物だったばかりに、両親も僕を捨てざるをえなかった。全ては僕が僕であるために起こった出来事だったのだ。けれど彼女は、ミオは、何も変わらない。僕が何をしても、何を言っても、何も変わらないのだ。僕が僕であり続けても、笑ってそばにいてくれた。
 彼女の言葉全てが、僕の心をやわらかくつついてくる。僕自身が吐き出して綴ってもうんともすんともいわないそれらは、彼女の声で象られた途端に光り輝き、命が吹き込まれるのだ。
 
「どうして……どうしてミオは、僕の隣にいてくれるんだ?」
 
 僕の問いかけに、彼女はぱちくりと大きな瞳を瞬かせたあと、深くため息をついた。
 
「……ここまで言ってもわかんないかぁ」
「……?」
「ううん、いいの。それがせんせいだから、いいの。……私はね、せんせいが私を見てくれるから、隣にいたいなって思うんだ」
「見て、くれる?」
「うん。『お嬢様』でも『なにもできない女』でもない、『ミオ』として私を見てくれるのは、せんせいだけなんだ」
 
 この時の彼女は、なんだか難しいことばかりを口にしていた。
 ミオはミオなのに、それ以外にどうやって彼女を見ろというのか。そう言うと、彼女は「そういうとこだよ」と笑った。
 
「息がね、しやすいの。呼吸をするなら、せんせいの隣がいい」
「……随分難しいことを言う」
「そうだね。せんせいにもいつか、わかるよ」
 
──でも、そのいつかが来た時、私は隣にいないんだろうなあ。
 
 それならば、その『いつか』は来なくていいのに。
 彼女のつぶやきに、そんなことを思った。けれど、結論から言うとその『いつか』はやってきた。そしてその時、彼女は確かに僕の隣にはいなかったのだ。

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