ダーク・ファンタジー小説

青、きみを繋いで。
日時: 2018/07/21 22:38
名前: 厳島やよい

そろそろ、飽きてきたので、はやく終わらせたい。
どうも、厳島やよいです。


@sousaku_okiba_様より
お題『青春と呼べるほど、綺麗じゃない』

流血表現など入ります。
物語の長さの割に矛盾点など多いかもです。
苦手な方はご注意ください。


○おもな登場人物○

有明恒平(ありあけ こうへい)……父方の叔父とふたり暮らし
須藤美佳(すどう みか)……中1の春に母とふたりで越してきた

紫水雨音(しすい あまね)……コウヘイの家のお隣さんで昔からの友達
嶋川颯真(しまかわ ふうま)……コウヘイの友達。密かにミカを好いている
天宮城麗華(うぶしろ れいか)……中学のとき、ミカをいじめていた

奥羽晃一(おうば こういち)……ミカの兄。 自殺した。享年16歳
 




   ■

 このちいさなちいさな世界から色が消えてしまっても、ひとりぼっちでもね、きみがいるから、僕は……

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*8* ( No.22 )
日時: 2018/04/21 19:12
名前: 厳島やよい

 どうして世界はこんなに狭いんだろうと思う。僕の知っている誰かは必ずどこかしらで僕の知っている誰かと繋がっていて、望んでいなくとも彼らの情報はすぐそばから、だらららーっと垂れ流されてくるのだ。その反対もまたしかり。
 こういうことはきっと、僕らの近くだけで起きていることではなくて、この世界に生きる大体の人たちを苦しめている原因のひとつでもあって、だから人間は生きていくのがいちいち大変なのかもしれない。
 僕の昔のことだって、こっちに引っ越してきた当時は一部の大人たちの間で少々噂になっていたらしいし、そのせいかどうかはわからないけど、颯真も嗅ぎつけてきていたらしいし。ああそういえばいつだったか、彼に興味本意で血生臭いところを引っかき回されそうになって、真面目にキレたことがあったようなー、んー、無かったかもしれないな。
 僕は逃げるつもりで叔父さんのところに来たわけじゃないけど、どうせ嫌なやつから逃げたいと思うのなら、ヨーロッパくらいまで逃げる覚悟は必要だと思う。
 そう。だから。
 ミカはどうして、こんなところに来たんだろうな、なんて時々考えてしまうのだ。颯真の話じゃ、両親の離婚と兄の死と、人間関係のうんたらかんたらが大きな理由らしいけど。隣の県だぞ。すぐとなり、おとなりさん。それに。

「ねえ颯真、コウチャンって、誰のことだと思う?」

 あ、また頼ってしまった。んーあ?また?まー、またか。
 隣で夕焼け空を見上げていた颯真が、静かに僕の顔へと視線を下ろす。昔から学校では周りに気をつかってヘラヘラしているんだと、中学のときに打ち明けてくれた彼は今、限りなく無表情に近い笑顔でいた。笑顔に見えているのもただの幻覚かもしれない。
 雨音は僕たちよりも前のほうを離れて歩いている。携帯でもいじっているんだろう。

「誰、って、そりゃコウヘイ、お前のことだろーよ」
「あのなあ……」

 冗談を言うところなのか、ここは。冗談も通じないなんてあんたおかしいよと、遠い昔、教師に意味もない説教をされたことのある身としてはこんなときだと若干腹が立つ。
 苦笑いを浮かべる僕に「うーそ、予想はついてるよ。さっき思い出した」ぺろっと舌を見せて颯真が言った。

「ほぼ確実に、ミカの兄ちゃんのことじゃねえか」
「お兄さん? あの、飛び降り自殺したらしいっていう?」
「そう。奥羽晃一、享年16歳。前に言った知り合いの経由で中学の卒業アルバムを見せてもらったんだけどさ、結構ミカにそっくりで」

 コウイチ。
 なるほど、コウちゃんとも呼ばれるわけだ。
 僕、雰囲気でも似ていたのかな。その思考を読み取ったかのように颯真がにやつきながら、ポケットに入れていたらしい携帯を取り出して僕に画面を向けてきた。

「おおー、似てるねえ」

 アルバムの一部を撮影したものらしい。音楽や体育の授業中のワンシーンとか、集合写真とか、生徒ひとりひとりの顔と名前が載っている、あの公開処刑みたいなページのものとか。部活は、陸上部、だったようだ。
 笑顔の雰囲気が……特に優しげな目元がミカにそっくりだった。どうやらふたりとも母親似らしい。
 しかし残念ながら、僕のほうには雰囲気さえまったく似ていなかった。比べ物にするなんて失礼なくらい美形なのだ。それでご贔屓にされているのか、彼の載っている写真が少し多い気がする。
 それにしても。

「普通、だね」

 いじめなんかとは無縁です、というような芯からの明るい顔をしているし、ぱっと見ただけでもわかるくらい、彼の周りには男女問わずたくさんの人が集まっている。それはもうモテたんだろうなあと、しょうもないことを考えるのも無理はないと思いたい。

「中学卒業までは、本当に、何もなかったらしーぜ。同じ高校に行った当時のクラスメートは、6月頃からいじめが始まったって言ってるんだ」
「…………へえ」

 と、携帯の画面が真っ暗になって、ポケットの中へ吸い込まれてしまった。もう少し、見ていたかったのに。
 そう相手に思わせるのも、彼のやり方だ。つまりは餌を吊るしているのである。まさか僕に対してそれをする日が来るなんて。

「色々と気になってきちゃった? こーうへーいくん」
「僕は好奇心で、必要以上に他人のパーソナルスペースに上がり込むような人間じゃないつもりなんだけど。家庭の問題なら尚更だ。おまえ、何をそんな、試すような口振りで」

 自分で言いながら、言葉が喉を通るたびにいちいち引っ掛かった。何を偽善者ぶってるんだ、僕。ここまで聞いておいて、見ておいたくせして。

「なーによう。そんなに怒んなくたっていいだろ」

 ひひひひひ、と気味の悪い笑い声を出している颯真は、本気でこんなことを言っているんだろうか。
 僕がうんと頷いてもそうでなくてもすでに、色々と、知っているか、そうでなくとも調べ尽くしてしまうんじゃないか。相手の顔色の変化を逃さずとらえて、言葉巧みに餌をちらつかせて。

「なあ、颯真はさあ、どうしてそんなに他人のことを知りたいの? ひとのことを、見ているの?」

 だから単純に、気になって、しまった。
 ミカのことも、雨音のこともそうだ。夢かうつつかわからないけれど、僕も標的にされた覚えがあるし。
 いつのまにか、お互いが足を止めていた。前の地面には細い影が伸びていて、僕のほうが颯真より、少しだけ長く見える。

「あんたの言う好奇心、ってやつが、俺は他人の倍以上、あるんだよ。そんで、多少はひねくれてるんだわー。一旦対象に興味を持ったら止まらない。逆に、関心のかけらもないモノについては何っにも見えないし、見ようとも思わないんだよねえ。十分自覚してるよ」

 ああ、そうだ。

「そういう俺が、どれほどクズな性格してるのか、っつうこともね」

 こいつは、颯真はこんな奴だ。
 良いところや好きなところ、尊敬するところは確かにある。でも、あの性格の部分だけはあまり好きじゃないし、見習おうとも思えない。
 この考えに、×をつける大人はまずいないだろう。むしろ人によっては丁寧に花丸をつけてくれるはずだ。
 でも、颯真にとっての僕の大きな×だって、絶対存在しているわけで。それを"好奇心"で探られて、彼が受け入れられないと感じ、僕を拒絶することを選んだときには、僕は颯真のやり方を否定することはできない。してはいけないと思う。そういう目的で研ぎ澄まされる以外の普段の"好奇心"が、あまりに純粋でねじ曲がったものであれ。

「わかったよ」

 目を細めている彼。
 僕はこいつとの出会いの時から、今この瞬間までずっと、ささやかな審判にかけられているのかもしれない。それはこれからも続くに違いない。

「でも、ミカをそういう形で傷つけるのは、できればこれからは控えてほしいな。どうしても知りたいことがあるのなら、正面から向き合って、彼女の気持ちを大切にして、話を聞いてあげてほしい。もちろん、雨音や……麗華に対しても。僕については、好きなようにしてくれて構わないからさ」
「…………なるべく、努力するよ」

 なぜか揺らぎはじめた視線が、僕の手元のほうへ落ちていく。その動きに彼の気まずさは感じられなくて、むしろ何かのビームでも注がれているような気がしてきて、パーカーの下の右腕が痒くなってきてしまった。
 腕をさする僕を見て、颯真ははっとしたように謎ビーム注入を終了してくれた。かと思えば、両肩を勢いよく掴まれる。

「コウヘイ、あんたはすごく成長したよ。頑張ったなあ」
「え?」
「大事なひとのために、ここまで言えるよーになったんだぜ、小学生の頃のコウヘイじゃ、考えられねえよ」
「あ、ごめん。言い過ぎたね」
「だあぁぁっもう、嫌味とかじゃねえから! 俺以上にひねくれるなよー」

 一瞬、暗くなってきた辺りに沈黙が流れて。どちらともなく、笑いがあふれていた。

「ありがとう、颯真」
「はあ?」

 意味がわからない、とでも言うように目を逸らされる。
 これも立派な青春とやらの1ページなのかなー。なんて思っていたら。

「ねえ、あんたたちさあ、女子の目の前でよーくそんな恥ずかしいお話ができるよねえ」
「え?あ?」

 ずんっ、と音が立ちそうな勢いで、突然、僕らの間に雨音の顔が割り込んできたじゃあないか。
 彼女の口ぶりから察するに、さっきからずっと話を聞かれていたらしい。気配を消しすぎだろう。

「いやー、俺は紫水サンのことは女子だとみなしてないから」
「黙れ×ね消えろ消えろきーえーろ」
「幼馴染みくんの大事なお友達にそんなこと言うんだあ、ひどいねー!」

 やっぱり絶望的なくらいこのふたりは通常運転だ。
 いつものように女の子らしからぬ暴言を吐く彼女は、颯真を無視して僕の腕を引く。

「コウヘイ、さっさと帰んぞ」
「えー?」
「い、い、か、ら」
「はいわかりましたごめんなさい」

 そういえば、ここ、颯真と僕たちで分かれる角だった。お互い無意識にわかっていたのか。
 こらこらさようならはちゃんとしなきゃダメって学校で教わったでしょーとくだらない冗談を叩きそうになる口にチャックを閉めつつ、小さくなっていく彼に手を振る。真面目に機嫌の悪いお姫様をこれ以上怒らせるわけにもいくまい。
 あ、冗談を言われるのは嫌なくせに自分からは他人に言いたがるって、ゴミじゃん、ゴミ。僕って相当勝手な人間だ。笑っちゃう。

「ごめん、雨音が颯真を苦手に思うのも、少しわかるよ」
「少しでもわかってくれるんなら、あいつのことは殺さない」

 そしてこの人は結構マジだったらしい。

「……雨音は、優しいよ」

 ミカが騙されている(と言うと彼女が異議を唱えそうだけど)ことを知ったときは、しばらく目も合わせてくれなかったくらいだけど、急にいつも通りに戻ってくれてたしなあ。仕方ないっちゃあ仕方ない。どうしようもないくらい頭もいいから、考えることや察することが僕の何十倍もあるのだろうし。
 僕の言葉に嘘はないと理解してくれたらしく、やっと拘束を解かれて自由の身になる。
 隣を歩く彼女の背丈をいつのまにか追い越していることに気がついて、なんだか少し、寂しいような悲しいような気分になってきた。

「さあっ、今日の夕飯は何にしよっかなー」

 もう家が近くに見えてきたので、手を合わせて盛大なひとりごとを生成する。今日も両親が帰ってきていないなら、一緒に食べませんー?という意味も込めて。

「……れーがいい」
「え?」

 かれー?かれーあんどらいす?
 そう聞き返すよりも早く、雨音は走り出していった。

「何でもねーよ! じゃあな!」
「ああ、うん、ばいば」

 い。
 言い切る前に、紫水家の玄関のドアが閉まった。
 なんだよー。
 なんだよう。
 ……なんだよう。

「じゃあ、カレーだな」

 たぶん雨音は来ないだろうけど。
 突っ立っていてもしょうがないので、僕も徒歩六秒で帰宅する。
 カレーは不器用な僕にとって、いちばん楽な料理だ。材料をざっくざくと切って煮て、ルーを入れて放置して、火にさえ気を付けていればできるから。それに、多く作っておけば、数日は食に困らないし。
 そんなわけで、今日も炊飯器のスイッチを入れ、いつものようにひとりで台所に立った。冷蔵庫に貼ってあったメモによれば、良典さんは今から2時間後くらいに帰ってくるらしいし、のんびり作ろう。
 ニンジンもジャガイモも玉ねぎもある。ルーも野菜室にストックがある。豚肉は昨日が賞味期限だけど、まあいいとして、

「ん?」

 袖をまくって手を洗おうとしたとき、右腕に、比較的新しくて細い一直線の傷痕を発見した。もちろん身に覚えはない。いつからかむず痒いのは、こいつのせいなんだろうか。じゃあじゃあと、すぐ傍で水が流れていくのも忘れて、僕はしばらく傷痕を見つめ、わずかに盛り上がったそこを指の腹でなぞっていた。なぜか寒気がしてきたのでやめたけど。
 
 
 
 

*?* ( No.23 )
日時: 2018/05/03 03:58
名前: 厳島やよい




 耳を、澄ましましょう。

 まぶたを、開きましょう。


 ────傘ぐらいは、差しなさいよ。



【 あめのおと 】





 わたしはごくごく普通の、十四歳の女の子である。と、思っている。この認識に間違いはないだろうし、むしろあっちゃ困る。
 毎日毎日、中学に通って、部活動に参加して、勉強して、友達とおしゃべりをしたりふざけたり。そんな、普通の中学二年生。共働きの両親とわたしと三人で温かいマイホームに住んでいて、お隣さんには、幼馴染みと呼ぶには少し付き合いの短い男の子が、彼の父方の叔父とふたりで暮らしている。そんな感じで自己紹介は終わる。
 時は九月中ごろ。あの事件(正確には交通事故だが、その裏ではいろいろとあったようなので事件と呼ばせていただく)が起きてから二日後の昼休み。つまりまだわたしがミカの状態についてなにも知らない、知らされていない頃、教室で小説を読んでいたら、かなり若い養護の先生に呼び出された。確か今年度からこの学校に入った、新任の人だ。
 あなた紫水さんよねはいそうですちょっとお願いがあるのーという流れで連行された。
 不登校でもなければ、病気がちでもすぐ怪我をするわけでもないわたしにとって、保健室の空気というのは絶妙な緊張感がある。不良っぽい奴らがいたらちょっと嫌だなあ、とも思う。つまり正直に言うと、あまり好きな場所ではない。ときどき、わたしとは正反対な意見をお持ちの方と遭遇するのだけど、彼らには同意しかねる。
 しかしわざわざ断るほど忙しいわけでもないので、うなじが見えそうなくらい髪を短く揃えている彼女の後ろ姿を、追いかけることにした。あんなに短くて、首筋がくすぐったくならないのだろうか。なんてことは置いておいて。
 特有のにおいのする人気のない保健室に入っていくと、窓際の薄暗いベッドの上でうずくまり、黒い袋に顔を突っ込んでいるコウヘイがいた。時々、聞いているこちらまで苦しくなってくるような声を漏らして胃液を吐いている。

「…………はぁ?」

 第一声にこんな間抜けな言葉が出てしまったことを許してほしい。なんせ、何も説明されなかったのだから。
 昔からときどき、こんな風に発作的に具合を悪くしていたから、その点については耐性が付きまくってるんだけど。

「有明くん、紫水さんを連れてきたんだけど、彼女で合ってる? 一応、確認ね」

 かすかに上下する背中をさすり、新しい袋と交換しながら、彼女がたずねる。コウヘイの顔がこちらに上がることはなくて「あなたのお友達のあまねちゃんですよー」と思わず言ってしまった。それに対し大きく頷いてくれたので、彼女はホッとしたようにわたしたちにお礼を言う。

「ありがとうね、ふたりとも」
「いいえ、暇でしたから」
「三時限目の途中で、クラスメートで仲がいいっていう男の子が連れてきてくれたんだけど、四時限目が始まってからずっとこうで。
 この状態でひとりで帰ってもらうわけにもいかないじゃない? だからおうちの方に連絡を入れているんだけど、繋がらないの。
 親族の方も近所にはいらっしゃらないみたいだし、だれか頼れる人はいるか聞いたら、紫水さんの名前を教えてくれて。バドの子から紫水さんのことを聞いたことがあったから、もしかしてって思って教室に行ったのよ」

 きっと学年も組も言わず「雨音」としか伝えられなかったんだろうな。彼女がわたしの元に来られたのはおそらく、外練習の日によくすっ転んでいる同級生のおかげだ。

「なるほど」

 親族……ねえ。コウヘイの親戚と呼べる人なんて、もう父方の祖父母くらいしか知らない。ずっと西のほうに住んでいるっていう。
 おじさんだって、今ちょうど忙しい時期だし。すぐ退社して迎えに来てもらおうとしても、最低二時間以上はかかるだろう。 

「もしかして、それ全部ひとりでやってたんですか?」
「そ、そうなの。いつもならいるもうひとりの先生は出張だし、二学年の先生方は、今ちょっと、生徒同士のトラブルなんかでほとんどいらっしゃらないから」

 そういえば、廊下に出たとき、別の教室から先生の怒鳴り声が聞こえていたな。騒ぎのわりに野次馬が全然いなかったから、いつもの人たちだろう。夏休みに入る直前には、窓ガラスにそれは大きなくもの巣を作られたらしいっていう。
 別にこの学校や地域の柄が悪いわけではなく、五年に一度くらいは、こういう代があるそうだ。つまり、もみ消すのがうまいか否かの違いで、比較的どこにでもあるようなふつうの光景というわけで。
 ちなみに我が朱鳥中学は揉み消すほうのタイプだ。市内の公立中学校の中でもちょっとばかり、生徒の学力が高いからとかで、お偉いさんや親たちが大人の力で色々とねじ伏せてしまうらしいからろくなものじゃない。十年以上前に、ひどいいじめで自殺した生徒がいたとかいないとか、噂で聞いたこともある。

「それはすげー大変だ。毎度のことですけど、カウンセラーの先生もまたしばらく忙しいかもしれませんね」
「あら、相談室に行ったことあるの?」

 まー、たまに。まじで時たま顔を出しに。
 その辺はわたしの物語の主軸ではないし、かわしておく。心の問題どうのこうのとか陰で言われて、マニュアル通りに対応されるのも嫌だから。コウヘイとつるんでいる限りはそう言う意味での迂回路なんて通行止めだけど、離れる気なんてわたしにはさらさらない。
 ていうか何より、この人もコウヘイも、こんなくだらないことで時間を潰してちゃあいかんでしょう。

「あの、こいつのことですけど、もう担任とかすっ飛ばしてうちの母親呼んじゃってください。たぶん車もすぐ出せますから。時々入る平日の休みが、偶然今日らしくて」

 朝、一階の寝室のドアが開いていると思ったら、めずらしくお母さんが眠っていたままだったので、少し驚いたのを思い出す。大体いつもは日曜日以外、お父さんもお母さんも、わたしが眠る頃に帰ってきて、起きたときには既にいないか、いってらっしゃいと声をかけるだけかの毎日だから。
 こう言うと、ある種の育児放棄でも受けているみたいだけれど、現代の日本人にこんな環境は珍しくないし、一応たまには家族らしく、三人で旅行したりバーベキューを楽しんだりしている。この前のバドミントンの大会のときにも予定を調整して応援に来てくれたし、都大会出場が決まったときには、お父さんなんて、泣いて喜んでくれた。そのあとは二回戦で負けてしまったけれど。
 思春期真っ只中の中二病でもきちんと、恵まれているとは自覚しているのだよ。

「わかった。それじゃ、少し有明くんについててもらってもいい?」
「はい」

 もうこんな時間だし、電話で叩き起こしてもさすがに先生相手に文句は言わないだろう。
 刺激を与えずにほうっておけば好きなだけ夢の中だけれど、わたしの寝起きの良さは母親似。そんな彼女がコウヘイの一大事と聞いたら、慌てて完全なすっぴんで来ることも想像できる。少々申し訳ない気もするけど、そうしてもらうしかない。

「ありがとう、本当に助かるよ」

 またお礼を言われ、爽やかな笑顔を残して彼女はパタパタと保健室を出ていった。

「大変だねえ、大人って」

 ベッドに腰かけて、震える彼の背中をさする。
 両親から聞いたことのある話だけでも、大人たちは少しでもレールを踏み外せば、自己管理がなっていないだの、責任がどうの、社会人として何だかんだとわけのわからないことを言われるらしいし、子どもの頃の気持ちはそんな毎日でどんどん忘れていってしまう。忘れられるほうのわたしたちだって、狭い世界でもがいてもがいてもがいて生きつづけている。コウヘイみたいに。わたしみたいに。何度も取っ組み合いの喧嘩をして、教室をチョークの粉まみれにしたり椅子を壊したり、窓ガラスまで割ってしまうあいつらみたいに。

「つくづく、どいつもこいつも、苦労の絶えない人生だよなー」
「…………へぇ?」

 やっと落ちついてきたらしい。どうしようもないひとりごとに、俯いていた顔がわたしのほうを向いた。久しぶりに見た彼の顔は、白いを通り越してもはや青白い。なぜか目の下にうっすら隈もできている。
 今回は、だれかが教室で指でも切ったのかもしれない。この子は、血にトラウマしか抱いていないのだ。小学五年生までは彫刻刀もしっかり握れず、そんな状態で、版画の授業中に近くの席でクラスメートが大怪我をしたときに、ちょっとしたパニックを起こしたこともあるし。
 さすがにもう、奇行は伴わなくなったみたいだけど。
 

*?* ( No.24 )
日時: 2018/05/05 03:51
名前: 厳島やよい

 ずっとずっと前。コウヘイが、良典さんのところに来てから少し経った頃。
 わたしが有明家に遊びにいったら、ここで夕飯を食べていかないかとおじさんに誘われ、お言葉に甘えてご馳走になろうと待っていたのだけど、そのときに彼が、何をどう間違えたのか、左手の皮がびろーんとなるくらいに切ってしまったらしく、文字通りの大騒ぎになったことがあった。細かい成りゆきなんかは覚えていない。恐らくあれが初めての発作だろう。
 良典さんはコウヘイを預かる前、週に二度ほど来ていた家政婦に作ってもらう日以外は大方散々な食生活を送っていたそうで、自炊などてんで駄目な人だったらしい。それで包丁をうまく使えず、あんな事態になったのだ。何年もあとに、当時助けてくれた母からそう聞いた。
 良典さんは、驚きのあまりに血まみれの手を振り回してきれいな家を汚していくし、コウヘイはそんな光景を見て壊れた機械みたいな少しやばい叫び声をあげるしで、幼かったわたしはどうすればいいかわからず、目に飛びこんできた固定電話の受話器をとり、ぐずぐずと泣きながら母親にかけていた。過呼吸になりかけ、フローリングにべちゃべちゃあと、下手くそに胃の中身を吐き出しはじめたコウヘイの隣で。
 幸いにもわたしだけはぐろてすくぅな物をあまり目に入れずには済んだのだが、子どもながらに彼の姿が印象に残りすぎているせいで、記憶の順序や後にどうやって事態が収束したか等その他諸々のことが、あの時だけ曖昧である。きちんと知る気にもならない今でも良典さんの左手に薄く残り続けている傷痕が、あの日のことを証明しているばかりだ。
 騒ぎの後、包帯でぐるぐる巻きになった左手を抱えたおじさんからなぜかものすごい勢いで謝られ、そのときに初めて、二人揃ってパニックを起こしていた理由や、コウヘイに両親がいないこと、またその理由について、丁寧に説明をしていただいたことは覚えている。彼のおとーさまはおかーさまにしさつされ、そのおかーさまはせーしんしつかん?だかなんだかで?コウヘイはかのじょにころされかけたところをきせきてきに、そしておかーさまはみずからのからだにほうちょうをぶーっすり…………と、うーん、正直、そちらのインパクトが強すぎたからというのも、あるのかもしれない。
 だから、どうしてコウヘイがいま、自分で刃物を握って料理をしていても平気なのかとか、そういうどうでもいいことも思い出すのが難しい。今度さりげなく聞いてみようか。彼の地雷をうっかり踏んでしまわないように。

「あーちゃぁん、生きてるう?」

 目の前でひらつく彼の手で、連鎖しそうになる生臭い記憶から、ゆるやかに引き戻された。ほかにも世間一般的な"正常"とはかけ離れたような出来事はあったけれど、続けてそちらに意識を向けるとわたしまで具合を悪くしてしまいそうなので、やめておく。もうあれは、忘れてもいいことだ。

「生きてるよ、ちゃんと」

 目隠しのために軽く閉じているカーテンの向こうからは、まだ生徒たちの声だとか、ボールの跳ねる音が響いてくる。昼休みって、こんなに長かったかな。
 わたしを見つめてくる顔が、なんだか幼く映った。それこそ、あの頃ぐらいの歳のコウヘイに見えた。

「どしたのー、頭が痛いいたいかな」

 よーしよし、と頭をなでられる。その感触がやさしい。

「もっとみんなが、コウヘイが楽ちんに生きてはいけんのかなあってさ、考えてた」
「それはたとえ死んだって無理だよう」

 ですよねー。
 一時的にせき止めていた現実が、またわたしたちの方をめがけて流れ込んでくる。気を抜けばたちまち溺れそうな激流。偶然という名の、仕組まれたゆえの必然とか、ひしめき合うだれかの嗚咽とか苦しみとか、そういうものが見計らって足をとろうとしてくるから、厄介だなと思う。ひどいくらいに当たり前の事なのに。

「…………あー、死んじゃったら意味ないねえ。へへ」

 今日、これほど良くも悪くもいろいろな偶然が重なったのも、はたまた偶然、なのだろうか。

「まあでもさあ、僕はさあ」

 なにかまだ、もうひとつくらい、偶然、が余っているような気がする。

「どんなに目の前で母さんや父さんが、×んじまえーとか言ってきても、青いはずの空の色が真っ黒でもねえ、雨音がいてくれると、だいじょうぶなんだよ。こうやって息が、できるんだあ」




*

 もうそろそろ残暑さんはおうちにお帰りになってもよろしいんじゃないだろうか。
 少し前までの、あの空気がじっとりとした嫌な感じはもう無くて、立っているだけで全身のありとあらゆる毛穴から汗が吹き出してくる……なんてこともさすがにないんだけど、まあ要するに、暑い。

「おー、来た来た」

 わたしの後ろで、このあと体育があるわけでもないのにジャージを着ている、コウヘイの友人で先程は彼の介抱もしていたとかいう男子生徒が間の抜けな声をあげた。石ころを蹴っていたわたしは、軽いクラクションの音が響いたころ、ようやく振り向いて彼女の存在を認識したというのに。
 購入から約六年の、当時大流行していたお気に入りのマイカーを走らせて、彼女はやって来た。昼休みがまだ半分以上残っているのに校門前にすぐやって来たお母さんは、やはりすっぴんだった。肩につくかつかないかほどの髪だけはきれいに整えていたのだけど、コンタクトも入れずに眼鏡をかけている。服も、たぶんタンスの中身を一番上から適当に引っ張り出しましたというふうな組み合わせだ。わけのわからん外国語と犬の絵が描いてあるTシャツを着ているし。
 そんなに急いで来て、まさかどこかぶつけたりしていないよなあ。と、無意識に視線が車体を舐めまわしてしまう。そんな心配は無用だったけれど。
 彼女はオーディオの音量を下げると、窓全開の車から降りてきて、軽く頭を下げた。

「どーうも、雨音の母の、紫水朝海っす。お待たせしましたー」

 先生相手でも相変わらずな、この軽いノリ。これで三十六歳なのは、娘のわたしでもときどき驚く。元というか素材がかなりいいから、化粧を落とすと逆に若く見えるっちゃ見えるし。いつか夕飯のとき、お父さんにそう言ったら、普段がケバいだけだとか、おかあさまのせんさいなおとめごころに傷をつけるようなことを真顔で言いやがったのを思い出した。
 彼女は、たまには眼鏡でも若返ったみたいでいいわあ、なんてぶつぶつと独り言を漏らしている。

「せんせー、髪短いですね。雨音は今こんな感じですけど、この子、小さい頃はせんせーと同じくらいだったんっすよ、ふふふ」
「は、はあ、そうなんですか」

 初対面の相手に絡みついていくのも相変わらずだ。その加減の調整がうまいから彼女の周りには友人が絶えないのだけど、ときどきこうやってバグが発生して、相手を困らせるときもあるので娘としては少々考えものである。ただのアホか親ばかにしか見えない。

「来てくれてありがとー、お母さん」
「気にすんなぁ我が娘。嶋川くんも、いつもありがとねーって、おじさんが言ってたから伝えとくわ」

 わたしは荷物の入った鞄を、シマカワというらしいジャージ姿の彼から受け取って、後部座席に放りこむ。
 ん?いつも?
 疑問を察知したらしい嶋川が、好感とは程遠い笑みを浮かべてきた。きもい、普通に。ニタァ、なんて効果音が聞こえてきそうだ。

「ああ、せんせー、もしかして新任の方? この子の"お父さん"ねえ、普通の携帯電話に繋がらないときは、会社から借りて使ってるほうに掛ければ連絡ついたりするから、覚えといてくださいね。あとでこの子の担任にでも聞けば、教えてくれるでしょ」

 良典おじさんからのメールでも読んでいるのか、時おり携帯電話の画面に目を落としつつ、お母さんが言う。
 ああ、そうか、前にコウヘイが具合を悪くしたときは、この先生はまだいなかったんだっけ。

「す、すみません」
「いやー、べつに謝る必要はないっすよ」
「でも、紫水さんに迷惑かけてしまいましたから……」

 先生が申し訳なさそうに、目をそらしながら答えている。それをちらりと見やったお母さんの顔が、わざとらしい笑顔に変わった。
 あああ、これはこれは。

「あのー、そういう言い方したら、あたしやコウヘイくんはどう思いますかね? それに、こんな方法もありますよって教えただけですし」

 いかにもおとなしい感じでゆとり世代の先生と、学生時代からやんちゃばかりしていたらしい、おかーさまの組み合わせがよろしくなかったということだ。まさに水と油といった感じに。
 類は友を呼ぶというし、母も自分と似たような人とばかり付き合っていて、先生みたいな人にはあまり免疫がないのだろう。なんて、どうしてこんな分析しなけりゃならないんだ。

「お、おかーさん、その辺にしてあげてよ」
「はあ? 別に怒ってるわけじゃないんだから」
「コウヘイだってさ、こういうの嫌だろうし」

 と思って振り返ってはみたけれど、当の本人はこちらに背を向け、ぼけーっと空を見上げているだけで、ふたりの会話はまったく耳に入っていない様子だ。
 一瞬にしてやってきた沈黙に、シマカワが堪えきれないとでもいうように吹き出した。

「いやっはは、まじですんません。なんかすげえ面白くて、ひひひゃ、い、いひゃいぜコウヘヒ」

 なにわらってんのー、と、コウヘイが振り向いて、彼のあまり柔らかくなさそうな頬をぎゅーっとつまむ。普通に痛そうだ。
 そんな光景はスルーして、とりあえずわたしは、先生とお母さんを取って付けたみたいに握手させた。もうこの際、教師とか親とかどうだっていい。

「あー、はいはい、二人はとりあえず、仲良しこよしな! 仲直り! おともだち!」
「…………す、すみませんでした。あたしの言い方が悪かったです」
「そんな、こちらこそ……気を遣ってくださったのに」

 二人が同時に顔を赤らめる。わたしもふたりと似たような表情をしていたかもしれない。
 雰囲気が低学年のそれみたいである。ここってどこだっけ?名ばかりの緑とドブ川に囲まれた嗚呼朱鳥中学校の校門前だよね?これではみんなが馬鹿みたいじゃないか。たかが生徒ひとりのお迎えのために、こんなの、さあ。
 しかしこの雰囲気も何もかもをすべて無視して、ついに退屈してきたのか、コウヘイがお母さんの服の袖を引っ張りはじめた。

「ねえねえ、あさみっちゃん、帰ろうよう」

 そんな彼を、先生がギョッとした目で見ている。

「あぁ、そ、そうだね。じゃあ帰ったら、お粥でも作ったげようか」
「ほんと? なら、たまごがゆがいいなあ」

 そういえばお母さん、雨音ママとか雨音ちゃんのお母さんとか言われるのを嫌がって、コウヘイにも良典さんにも、下の名前で呼ばせてるんだったな。さすがに、あさみっちゃん、あさちゃん、はどうかと思うんだけれども。

*?* ( No.25 )
日時: 2018/05/19 02:47
名前: 厳島やよい

「はいはい、わかったから、その前にちーとガソリンスタンド寄らせてよ」

 なだめながら車に乗り込んだ。
 コウヘイが助手席に座るのはいつものことで、後部座席だと酔うからとか何とか。あいつ、意外と乗り物に弱いからなあ。
 先生が我が家の車のほうに駆け寄り、お母さんに何か話しているのを遠目に見ていたら、また、後ろに立っているシマカワとかいう奴に笑われた。

「ねえ、あんた、シマカワっつーの?」

 だからわたしは彼のほうへ振り向いて、少々突っかかっていく。もちのろん良い意味で、母を見習って。

「そ、嶋川颯真。鳩みたいな字のほうの嶋に川。コウヘイとは、小学生の時からよく同じ組になる仲ですよう」

 彼は暑苦しそうなジャージの胸元にある名字の刺繍を指差しながら、丁寧にフルネームを教えてくださった。

「ふーん」

 ほーん。
 知らんかった。ぜんっぜんしらなんだ。さっきだって当のコウヘイは、ぼけーっと、晴れ渡った空を見上げているだけで何も教えてくれなかったし。
 ううん。
 うううん。
 大して興味が湧かなかった。だめだ。
 そんじゃーまー、用も済んだし帰る帰る。
 昇降口のほうへ帰ろうと足を踏み出したら、数歩進んだところで「おおいおいおいっ」後ろからセーラー服の襟を引っ張って、嶋川が引き留めてきた。犬のリードでも扱うみたいだわん。

「おいこら、相手に名前を聞くなら自分も名乗らなきゃ」
「んあぁ? 紫水雨音だオラ、離せ」

 そんなことを要求するなら諭吉を三枚以上手渡してからにしてほしい。なんていうのは冗談だけれど。てへ。
 とりあえず、じたばたと抵抗する。残念ながらわたしの人生という物語における立ち位置がモブキャラ以下だと判断した人間に対しては、大抵遠慮なく関心を持たないし短気なのだ。
 
「なんだよー、別に怒んなくたっていいだろぉ」

 それにしてもこいつは、話し方というか声に変な粘度がないか。地味にこちらのストレスポイントが溜まってくるような。

「俺のこととか色々気になってるみたいじゃあん、し、す、い、ちゃん」
「きもい離せ失せろ×ね!」
「何その小学生並のボキャブラリー? うけるわー。まっじでうけるわー」

 ちょっと前まで自分も小学生だったくせに、なぁにをおっしゃるのよ。ストレスポイント加点五。いや七。
 あー、このポイント、まじで現金の代わりに使えませんか?

「あたしは至極ま、じ、め、に、この不快感を訴えているんですけど」
「ああもうわかったよー離す離す」

 ひょいっ、と力を抜かれ、わたしの身体は前方へ放り出され……そうになってなんとか耐えた。扱いが犬未満。生物とすら思われていなさそうだ。髪の毛を掴まれなかっただけ、まだ良い。

「嶋川颯真くんは体育のじゅぎょーがあるから早めに帰らなきゃいけないんだあ、話なら放課後にでもしてくれよー」
「話すことなんかねえから!」

 わたしの声が聞こえているのかどうなのか、ヤツはひらひらっと手を振りながら、靴箱のほうにゆっくりと吸い込まれていった。もはや後ろ姿まで鬱陶しい。
 初対面の印象から最悪すぎて、出来るならばもう彼とは接触したくないと思った。でも、こういう願いは叶わないようにできているのが人生というものである。

「じゃあ有明くん、お大事にね」

 先生の声に振り向くと、ちょうどそのタイミングで車のエンジンがかかった。
 わたしも見送ろうと、歩道に出ていく。

「ねーねーあさちゃん、音楽が流れないよ」
「ごっめん、ミュートにしてたわ……ああ、すいません、ほんとにこの子わざとじゃないんすよ」

 窓が全開なので、音量が上がった途端に、一昔前に日本でも流行っていた洋楽のサビがこちらまで聞こえてくる。
 ドアが良い具合に死角になって、コウヘイの姿だけがほとんど見えない。声の低さとか抜きに会話だけ聞いていたら、幼児とその母親と、間に合わせの託児所かどこかの新人職員の噛み合わない会話みたいだ。
 見事なくらいに先生の声は届いておらず、また彼女の顔が険しくなっているのではないかと思ったけれど、今度はきちんと貼りつけた笑顔で対応なさってくれたらしい。それでは担任には伝えておきますのでうんぬんぬぬぬん…………。
 何度目だよそれという台詞にも明るく返事をして、お母さんはハンドルを握った。

「せんせーも大変だと思いますけど、頑張ってくださいね」
「あ、は、はい! ありがとうございます!」

 そいじゃ、雨音も。ずり落ちる眼鏡を直した手で、ひょひょいと挨拶をされたので、わたしも右手を上げてお返事をした。胃の中身が空っぽなコウヘイについては、もう頭の中に昼飯のことしかないだろうから放置だ。
 タイヤが噛んだ小石のちいさな音、車体に反射する光、ブレーキランプ。それらを適当に見送って、教室に戻ることにする。とりあえず今日は、わたしの出番は終わった。

「紫水さん、ありがとうね。次の授業は体育なんでしょう? もう休み時間も終わるし、早く着替えたほうがいいんじゃない?」

 元から緩みっぱなしの気がさらに緩んでいたので、先生の言葉に焦って、頭を来客用の門にぶつけそうになった。
 でも、冷静に考えるまでもなく。

「いや、違いますよ。次はうちのクラス、地理です」

 特に授業の変更はないし。
 体育なら、昨日の四時間目だったし。

「そうなの? さっき嶋川くんが言ってたから、紫水さんのクラスもなんじゃないかと、思ったんだけど。ジャージ着てたし」
「そんなこと、言ってましたっけ」
「私、耳は良いんだ」

 聖徳太子か。
 つまらない、しかも微妙にはずれているツッコミを入れそうになって、堪えた。
 ううん、でもまあ、確かに、こんなくそ暑いのに上下ともジャージなんか着ていたよな。袖もまくらずに。頭がおかしいんじゃないのか、あいつ。

「紫水さん」
「はい?」

 頭の中でクソみたいなひとりごとを大量生産しながら錆で不快な音を立てる門を閉めていると、後ろから、そっと指先で触れられるみたいに呼び止められたので、振り返った。
 遠くまぶしい青空に、どこからかヘリコプターの音が低く響いてくる。

「時間があるとき、気が向いたらで良いからいつでも遊びにきてね。保健室は、予約とかいらないから」
「……ああ、はい」

 やっぱり、保健室は少し苦手だ。





*

 放課後、隣の有明家に寄り道とも言えないくらいあまりにも些細な寄り道をして彼の様子を見に行ったら、顔色は悪いままだっただけれど幼児退行のような言動はだいぶおさまっていた。一部の記憶がすっぽ抜けているようではあるが、まあ驚くほどのことでもない。
 うん。一件は落落と着いたようだ。

「ただいまー」

 我が家の玄関の扉を開けて帰宅すると、すぐ近くの居間からテレビの音が聞こえてきた。ほんの少しの時間差を作り「おかえり」が聞こえて、こんな歳でも馬鹿みたいに頭の片隅でわたしが安心している。コウヘイにもこんな瞬間がたくさんあればいいと、ふと思ってしまった。
 二階の自室に荷物をおろし制服を脱いでから、洗面所で手を洗って階段を駆け下り、わたしもテレビの前に座り込む。
 部活のあとは体操着の上から直に制服を着ているので、風呂に入る前でも部屋着を犠牲にせずに済む。大体毎日、そんなスタイルであーる。

「いやはや、タンスの角に足ぶつけるって何気に痛いねえ」

 巨大クッションの上であぐらをかきながら、眼鏡越しにいつものニュース番組を見ている彼女が突然にそんなことを言い出した。

「なーに、藪からすてぃっくに」
「コウヘイくん迎えにいったとき、慌てて支度してたから、がっつーんとやっちゃってねえ、はっはー」
「うわ、そりゃあいってえ」

 本当だ。右足の小指に絆創膏が巻いてある。ガーゼの白いところに濃くしみが浮き上がっているので、かなり勢いよくやらかしたのかもしれない。
 かつて、タンスにぶつけて小指を骨折したという人に出会ったことがあるので、そういう意味でも若干心配である。

「もしかして、学校にいたとき我慢してた?」
「我慢はしてないよ。確かに痛かったんだけど、まさか血まで出てるとは思わなくて、よく見ないで靴下履いちゃったんだよねー」

 そして、コウヘイを家に上げたとき、靴を脱いで気がついたと。幸い、救急箱はいつも玄関においてあるから、軽く悲惨な状態の彼女の足を見て彼が倒れるようなことは起きなかったようだ。
 しばらく互いにへらへらと笑っていたけれど、有名アイドルグループのメンバーがひとり、急逝したという速報が流れ始めてからわたしたちは黙りこんでしまった。昔このグループ結構好きだったんだよねえ、と呟いているのが隣から聞こえてくる。特にこの人。客観的に見ても群を抜いてたじゃない、顔もダンスも歌声もさあ。あんまり完璧だと老いるまで神様が待てないのかもねえ、ははは………………ああ、亡くなってしまったのか。
 何も。
 何も言えないのです、雨音は。
 こんな暗い暗いくらいテレビをブチッて消してしまうことくらいしかできることはなくて、その後もしばらく黙りこんでいて、かと思えばクソみたいな話題転換しかできないんですよ、雨音は。

「…………ねえ、おかーさん」
「なに」
「コウヘイってさ、程度の差はあるけど、今日みたいに具合悪くなったりするといつも記憶飛んでない? もしかして、自分のお母さんのことも、



 ぷしゅううう。
 ぐおおおおおお。



 ほら、ねえ。
 後ろのほうで、最近買い換えたばかりの炊飯器が大きな音を立てる。
 わたしが続けた言葉に、彼女が何を思ったのかはわからない。真っ暗になったテレビの画面からゆっくりと視線を外し、まばたきさえせずに見つめてくるその目は、十四年以上そばにいる娘のわたしでも、どんな感情をたたえているのか正確には読み取れなかった。
 きちんと、知りたい。
 ささやかな現実逃避の結果ではあれど、そう思ったこの瞬間を、逃したくなかった。
 今にも大雨が降りだしそうだったあの日、突然目の前に現れた彼のことを思い出す。
 友達を作るのが下手だったわたしに、初めてできた、特別な人だった。歳相応に笑うし、遊ぶし、近所の人にもまじめに挨拶して、可愛がられていて。何においても好き嫌いはほとんどなく、小学校ではクラスの中心にあるようなグループの中にいた。普通、に溶け込むどころか、良い意味で目立っているような子供だった。でも、おばさんたちがたむろって誰かの陰口を言っていたり、噂話をしているときにはとても無愛想になって、ときどき彼女たちに良くない目で見られる。
 コウヘイは、そんな子だった。
 そんな彼が静かに、緩やかにおかしくなっていくのを見ていたわたし。わたしたち。わたしは、それを仕方のないことだと思って周りの声にも音にも耳を塞いできたのだ。紫水雨音がコウヘイの傍にいつづけるのは、そいつが優しいからでも、強いからでもなんでもない。ただ、背を向けていたから。逃げているだけだから。
 甘すぎるのだ。
 彼を引き取って育てている良典さんのような覚悟なんて、わたしにはないのだ。
 人殺しの子供、狂った親の子供、犯罪者の子供。自分だけのうのうと生きて、気持ち悪い。怖い、うちの子に近づくな………………中学にあがってからやっと聞かなくなった言葉だ。塞いでいたのは耳だけじゃない、目も閉じて、見ていないふりをしていた。
 このことにまで背を向けていちゃ、いけない。

「あの子はねえ、逃避しているんだ」

 きちんと、聴かなくては。

「両親の、いや、母親の死を、五年以上経った今でも本当はちっとも受け入れられなくて。自分が誰かを殺してしまうんじゃないかって、自分の目の前でまた誰かが死ぬんじゃないかって、恐れているんだよ、自分が思う以上に、極端に。
 だから、あの子にとって、都合の悪いそういう記憶は……母親のこと以外は、ほっとんど全部ゴミ。忘れちゃう。でも、同じような悲劇を繰り返したくないという思いから、忘れられないことだってある。言ってしまえば矛盾の塊だよね。自分が自分に、自分で嘘をついてる」

 気づいてたんじゃないの。雨音、あんたも似たようなものなのかもね。と、自分が自分に言っているのをはっきり聞いた。

「もちろん、本人がそう言ったわけじゃないよ。あくまでも、あなたたちより少しばかり長く生きている、良典さんやあたしやお父さんの、解釈にしか過ぎないけど」

「コウヘイくんの時間──心の奥底は、九歳のあの日で止まったままなんだよ」


 耳は塞がなかった。


「……それで、充分だよ」

 何年もの間、求めていた答えがお腹の中にすとん、と落ちてきた。あまりにも、あっけなく。
 ほんとうに、充分すぎる。
 でも彼の、九歳で止まったままの時間を進める方法を、わたしたちはひとつだって知らない。

*?* ( No.26 )
日時: 2018/07/19 22:30
名前: 厳島やよい

 次の日の朝、枕元に置いていた携帯電話のランプの点滅で、目が覚めた。
 寝落ちするまで開いていたゲーム画面を片付けて、メッセージを開く。差出人は有明良典、受け取り時刻はぴったり午後十一時。

『雨音ちゃん、夜遅くにごめんね。
 今日のこと、担任の先生と朝海さんから軽く聞きました。ありがとう。
 恒平の具合はもう大丈夫そうですが、ここ数日あまり眠れていないようで、今回はそれがいちばんの原因かもしれません。
 クラスも違うので無理にとは言いませんが、どうかいつも以上に気にかけてやってください。とても、心配なのです』

 ああ、そうか。あれって昨日のことだったっけ。
 丁寧な文章を読みながら、いろいろなことを思い出してしまった。保健室のにおい、コウヘイに頭をなでられたこと、お母さんの話。おじさん、おはよう。わかりました、お仕事頑張ってねと、返信をして起き上がる。
 のんびりと顔を洗っていると、一階のほうから物音が響いてきた。お母さんたちが出ていったのだろう。せっかくの朝練習がない日なのに、いつも通りの時間に起きてしまったのだと気づいて、自分の律儀な体内時計に苦笑してしまった。
 今日から約三日ほど、うちの学校は文化祭(という名のただの文化部発表会)の準備だとか練習だとかで、体育館がまともに使えない。わたしたち一部の二年生が夏の大会でいい成績を残した影響か、最近部内の雰囲気が妙に熱くなっていたので、顧問に、どうせなら熱冷ましにいいんじゃないかと、バドミントン部はこの三日間の活動を完全停止させられたのだ。
 他の部は新人戦などに向けて、教室を使い話し合いをしたり、敷地内のスペースを利用して簡単な練習をする予定らしく、ハードな雑用係や基礎練習から解放されたばかりの一年生部員は特に、不満な様子だったのだけど。
 文化祭が終わったら、部長権限で、少しは一年生部員優先の練習メニューを増やしてあげようか。後輩にばかり雑用や準備をさせるあの雰囲気も、この代のうちに無くしておきたいし……なんて、ついつい考えすぎそうになってしまって、両手で化粧水をびしばしと顔面に叩きつけた。先生は皆がこうならないよう見越して、わざわざ休ませたのだろうに。
 気を取り直して部屋で制服に着替え、空白になってしまった数十分を勉強に当ててから、久々にゆっくりと朝食をとることにした。 
 適当にローカルテレビのニュース番組を流しながら、電子レンジで小爆発を起こしてくれた目玉焼きとウインナーにかぶりつく。
 大抵朝は、お母さんが作っておいてくれたごはんか、スーパーかコンビニで買ってきた菓子パンなんかを食べているのだけど、今日はどちらも無いので冷蔵庫の中身を適当にかき集めた変な献立だ。あやうく焦げかけたチーズトーストがメインなのに、傍らには即席の味噌汁を添えているし、さらに今日が賞味期限の小粒納豆(家族そろって中粒は苦手である)も用意している。和洋折衷とすら言えないんじゃないか。さすがに納豆トーストに挑戦する勇気はないしな。
 冷蔵庫の野菜室には余裕があるものの、わたしは、それを切って火を通したりして盛り付ける、という動作が壊滅的にできない。自分で言うのもおかしいけれど、勉強やスポーツはできるくせに、どうしてこういうところは不器用なのだろう。
 なんとか普通に──世間的なレベルとしてぎりぎり平均程度に収まるくらいの出来に──作れるものといったら、ホットケーキくらいしかない。それも、かなり練習して焼けるようになった奇跡の一品だったりする。絶望的だ。
 わたしはじゅーよんさいにして、未だに卵もきれいに割れないほどには料理を避けているからな。掃除と洗い物はけっこう得意なのに。高校生になったら皿洗いのバイトでもしたいくらいだ。

《…………、三日が経ちました》

 と、先ほどまで気にも留めていなかったテレビの音声を、唐突に耳が受け入れた。

《……日の午後二時すぎ、──駅近辺交差点で、信号待ちをしていた乗用車等数台にトラックが後ろから突っ込み、運送会社の社員でトラックの運転手である男性が死亡する事故が発生しました。トラックは三人の歩行者を巻き込みながら走り続け、反対車線に侵入。その後歩道に乗り上げ停止しました》

 ここ最近、有名企業社員のセクハラモラハラ問題と政治のうんたらかんたらでニュースは持ちきりだったはずだ。聞き覚えのある地域の名前に、久々に視聴者が望みそうな情報がやって来たと、チーズトーストをくわえながら上げた目線の先に映っていたのは、なんとも見慣れた景色だった。ここからなら、自転車で十五分くらいあれば着くはずだ。
 よく見ると、濃いタイヤ痕がアスファルトに刻まれていたり、植え込みが崩れた形跡なんかもあったりして、本当にあの場所でそんなことがあったんだなあと、他人事のように思ってしまう。

《この事故で、合わせて八人が市内外の病院に搬送され、四人が重傷、現在一人が意識不明の重体となっています》

 目撃者数人へのインタビューが終わると、番組はあっさりと次のニュース項目に切り替わってしまった。
 三日前。ああ、そういえば、パトカーや救急車のサイレンが、遠くに聞こえていたっけ。部活は大通りからはいちばん遠い体育館でやっているし、わたしはそれほど気に留めていなかったけど。
 いつもと大差のない天気情報をさらっと頭に入れてから、残った味噌汁を同じように胃へ流し込み、テレビを消す。二階に戻って少し時間をかけて歯を磨き、かばんを背負って、外の世界に飛び出した。さすがにもう蝉の鳴き声は聞こえなくなったものの、相変わらず、乾いた暑さは抜けきっていない。
 そのままいつもの流れで学校に向かおうとする足に回れ右の号令をかけた。いけないいけない。
 有明宅の呼び鈴を鳴らすと、なぜかまだパジャマ姿のコウヘイがのそのそと出てきたので、慌てて玄関に押し込んだ。

「なーにー、あまねぇ、こんな時間から」
「いやいやいや、まずそんな格好で外に出んなよ。あたしじゃなかったらどうするの」
「だって、今起きたばっかりだし……」

 床に座りこんだ彼は、ふああというよりは、ひやああ、といった力無い、乾いたあくびをしている。死にかけの魚のような目の下の隈は、まだ消えていない。

「あんた、寝てないよね。起こして悪かった」
「三時間寝たから平気」
「それを寝てないって言うんだよバーカ。今日は学校休め、電話ならあたしが今からかけるから」
「あぁ? ああ、まだ平日だったっけ? 行くわー。休まないしー」

 今休んだら不登校になりそうでさぁっはっはは。そんなことを言い出して手足をばたつかせる魚を引きずり、部屋に放り込んだ。

「なら早く着替えて支度しろ!」
「うえーい」

 ドア越しにふざけた声が聞こえる。なんとか着替え始めてくれたようだ。
 家にひとり置いておくよりは、学校で誰かしらの目があったほうが安心だし。まあ、この行いが間違っていなければいいのだけど。
 朝っぱらから疲れがのしかかってきて、部屋の前でべたっと座り込んでしまった。冷たい壁と床が体温を吸ってくれなかったら、わたしもスーパーに出荷されて、数時間後には無邪気な子供に眼球を潰されていたかもしれない。







「ねえ、あんたまじで大丈夫?」
「らぁいじょうぶ」

 だんだんと減っていく日陰を縫って歩き、目の前に迫ってきた学校に向かっているのだけど、隣のコウヘイの表情がお亡くなりになっている。何が大丈夫だ。今のおまえは歩く屍だぞ。

「ああ、やっぱ不登校にならせてでも休ませるべきでしたわ」
「いーやだよー、登校拒否は嫌なのだー、なけなしのプライドがぁあ」

 プライドなんて、もとより無いくせに。なんて台詞はそっと飲みくだす。わたしだって大人にならなくちゃいけないのだ。
 と、そんなことより。
 周囲を少し離れて歩く生徒たちから、ちくちく痛い視線が刺さってくる。主にわたしの頬と、コウヘイが力なく掴んでくる鞄のあたりに。今の状態の彼から漏れている、やばめのオーラを感じ取ってしまった人については、まあ仕方がないとして。
 わたしたちが恋人同士かそれに近い関係性だと思い込んでいるやつからの視線は不快極まりない。ここが中学でなく、小学校だったら、もっとバカみたいに、しかも直接からかわれたりするのだろう。こういう連中は、無視がいちばんだ、無視無視。正直にいうとそいつらの髪をぶち抜いて引きずり倒して殴りたいくらいにムカつくものだけど、そうやって否定したところで余計に奴らは喜ぶだけなのだと、学習はしている。がしかし、変態かよと思う。
 以前、といってもそれこそ小学生の頃だが、真面目にそんな感じでキレたことがあるのでその辺は痛いくらいにわかる。あの頃から暴力女って言われるようになったんだっけな。あはは。
 決して、恋愛感情を否定するとか、偏見の目で見るつもりはないし、恋の壮絶さも素敵なところも身をもってわかってはいるけれど。わたしたちの関係は、そんな生易しいものじゃないつもりだ。こうやって、現在進行形で彼をサポートしつづけているし。今は某パンのヒーロー並みに……いや、睡眠不足のテンションで元気一・二倍くらいに元通りだけど。
 堪えろ、雨音。顔に、表情に出すな出すな、出すな、だす、

「おっはよーうコウヘイ! お、紫水ちゃんも一緒なの?」

 出た。
 完全に、出た。努力は水の泡になったのだ。ぶくぶくぶく。
 歩みを止め、振り向いた先には、コウヘイの肩に手を乗せてにやついている、嶋川颯真がいた。

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