ダーク・ファンタジー小説

青、きみを繋いで。
日時: 2018/10/04 21:51
名前: 厳島やよい

そろそろ、飽きてきたので、はやく終わらせたい。
どうも、厳島やよいです。


@sousaku_okiba_様より
お題『青春と呼べるほど、綺麗じゃない』

流血・暴力描写など入ります。
物語の長さの割に矛盾点など多いかもです。
苦手な方はご注意ください。

◎2018夏大会にて、管理人賞をいただけました。◎
なんとか、完結まで持っていけたらと、思います。


○おもな登場人物○

有明恒平(ありあけ こうへい)……父方の叔父とふたり暮らし
須藤美佳(すどう みか)……中1の春に母とふたりで越してきた

紫水雨音(しすい あまね)……コウヘイの家のお隣さんで昔からの友達
嶋川颯真(しまかわ ふうま)……コウヘイの友達。密かにミカを好いている
天宮城麗華(うぶしろ れいか)……中学のとき、ミカをいじめていた

奥羽晃一(おうば こういち)……ミカの兄。 自殺した。享年16歳





   ■

 このちいさなちいさな世界から色が消えてしまっても、ひとりぼっちでもね、きみがいるから、僕は……

Page:1 2 3 4 5 6 7



*?* ( No.28 )
日時: 2018/09/08 19:47
名前: 厳島やよい





 小学生のときには、朝、よくふたりで登校したものだけど、今となってはそうもいかない日のほうが圧倒的に多い。まあそんな歳でもないし、いいんすけどね。
 でもこの一週間は、というか最近は特に、昔みたいにふたり並んで、歩いている。

「あと約一週間でテストですねえ」

 右隣で、十月の割には低い気温に両手をすり合わせながらコウヘイが言う。
 わたしたちの学校は、定期考査一週間前になると、大会なんかを控えている部以外は強制的に活動を停止させられる。だからこの期間だけは、彼ともほぼ生活リズムが合うし、必然的に仲良しこよしの登校をすることになるのである。

「なんでこんなに、テストテストテーストの一年なんだよ。くそ意味不明」
「雨音は別にいいじゃん、毎回学年上位だしさあ」
「あんたも毎度死ぬほど勉強してみればわかるわ」

 近くの空き地に積み上げられていた落ち葉の山を蹴り上げる。うわっしゃああ。
 今年の夏の暑さは異常なほどだったのに(と、思っているのも毎年だが)、もうすっかり辺りは秋一色だ。どこかから金木犀の甘い香りもする。テス、えふん、定期考査が終わる頃には、渋谷でいつもの、ハロウィンの仮装騒ぎが始まるんだろう。そして夜が明けたとたんに次はクリスマスムードで、その次はお正月と成人式で……目まぐるしいったらない。世間の皆様はお疲れにならないのだろうか。
 なんてことを考えつつ、彼との会話も楽しみながら学校へ向かって歩いていく。十五分もあれば余裕で学校には着くから、良い土地に家を建ててくれた両親に感謝しなくては。
 校門に吸い込まれるように流れていく生徒たちが見えてきたころ、コウヘイに数学を教えてくれと頼まれたので、放課後にでも家へ来るよう頼んでおいた。ほんとうは昼休みの図書室でも良いんだけど、今は三年生が自習室代わりに使っている時期だし。
 どうせならショートホームルームが始まる前に、少しでも教えておこうか。そう考えていたら予鈴が鳴ってしまった。重ねて残念ながら彼とは組が違うので、廊下でお別れしなくてはならない。

「あ、そうだ雨音」
「んんー、なにかなー」

 じゃねー、と手を振ろうとした袖口をつまんで、コウヘイがわたしを引き留めた。おトイレならひとりで行こうねーと素で言いそうになって、慌てて開きかけた口を閉じる。

「今日の放課後、ふたりでさ。ミカ……須藤美佳ちゃんの家に、行ってみない?」

 まじっすか。







 須藤美佳の第一印象は「ちょっと不思議ちゃんが入っているんだろうか」、第二印象は「けっこう普通の人間だ」、第三印象は「素直でどうしようもなく良い子だ」。というものだった。
 初めて会話をしたのは九月のはじめごろだったと記憶している。体育の授業中、準備運動代わりのランニングをしていたら、転んでしまったのか座り込んでいる彼女を見つけて、声をかけた。そのあと授業中にも話せる機会があって、わたしのほうからぬるぬると絡んでいたのだけど、いちいち反応が面白いというか、嫌味のない天然ぽさが気に入ってしまった。それが、ミカと仲良くなったきっかけだ。
 後に彼女から聞いたのだけど、それよりも前からわたしのことは知っていたそうだ。
 わたしは結構、色々な人に知られているらしい。自覚はないけど。適当にひとを選んでどうしてと訊けば、大抵「バド部の部長だから」とか「始業式やら何やらで大会の表彰をされているのを見たことあるし」「学級委員じゃん、名前までは知らなくても、大体みんな顔は覚えるっしょ」とか言われて、そんなものなのかーと渋々納得したものだ。クラスメートや部員ならまだしも、そうでない人たちは、それほど他人に興味なんて、関心なんてないと思っているから。
 ただの真面目ちゃんだとナメられたくはない、何か自分だけの色が欲しい、という理由で始めたことが、素敵な縁を呼んだことについて、紫水雨音は感慨にふけっている。
 話を戻すがしかーし。
 その素敵な友人、ミカは、わけあって現在、自宅にこもっているのだ。どうにかしてあげられないかとコウヘイが言うので、まずは様子を見させてもらうことになった。
 と、いうわけで。今朝コウヘイと話した通り放課後に合流して、ミカの家の近くへやって来ている。制服のままで外をうろつくのはあまり好きじゃないんだけど、家に帰って着替えるのは時間の無駄だし、面倒だからいいや。

「クラスのやつからさあ、聞いたんだよ。雨音とミカって友達だったんだねえ、意外」
「あんたに教室で話しかけるようなやつがいるってことのほうが意外だわー。どんな物好き?」
「うるさい」

 マンションの前で、殴られそうになる。ひょいーと、ゆるく握られた彼の拳を避けてしまったので、不満げな表情を浮かべたコウヘイは、そのままの顔でわたしを置いていってしまった。
 そばを通りがかった、ひとりでリコーダーを吹いている小学生が、わたしたちのことを一瞥する。蛇でも召喚しているみたいに無茶苦茶な旋律を奏でるものだから、マンションに入るまでの階段でこけそうになった。
 まあ、そんなこんなで。

「こんにちは、有明です」
「はっ、はじめまして、紫水雨音です」

 呼び出しパネルに付いているカメラに向かってお辞儀をする。はじめの挨拶は肝心なのだ。
 勝手にその辺の普通の家に住んでいるんだろうと想像していたから、こんなに良いマンションに住んでいると知って正直びびっているのだけど。どどど。エントランスから広すぎるし。
 よく来てくれたわねー、あがってあがってー的なことを言っていたであろう彼女の母親に従ってエレベーターで三階まで昇り、長い通路をひたすら歩いていった。その間、このマンションに住んでいるのは大抵が金持ちなんだけどとコウヘイに説明してみたものの、

「ああ、そうなの」

 の一言である。ある出来事が起こってから、無意識に狭い世界に閉じこもるようになった彼にとって、基準となる外の世界のことはおそらくアウトオブ眼中だから、いくらわかりやすーくお話ししてあげたって右耳から左耳へと垂れ流しだ。
 そうとわかりきっているならどうして無意味なことをするのかと問われるだろう。たぶんわたしが今さらながらに結構緊張しているからじゃなかろうか。だって彼女と会うのは例の事件以来初めてなんだぞ。だって彼女は…………いや、ここでそんなことを考えていても仕方ない。
 ああ、さっきのリコーダー小学生が隣にいてくれれば、すこしは緊張がほぐれるのだろうに。

「三、一、一、号室。ここ?」
「そう」

 わたしが聞くよりも先にコウヘイは、前に出て呼び鈴を鳴らしていた。なんだか手慣れている。初めて来たわけではなさそうだなんてことを考える余裕は生憎なかった。
 十数秒の間があって、やばいどうしようまじでついに来てしまったのかうわわわわあやっぱ帰りてえ!と脳みその中味が暴れ始めそうになった寸前、真っ黒で厚いドアが静かに開いて、彼女の母親が顔を出した。
 あんまりにもミカに似ているから、頭がくらっとした。

「こんにちは」
「ど、どうもこんにちは、お邪魔しまっす」
「はいはーい、いらっしゃい」

 色々と未知なのでコウヘイについていくほかない。 
 手洗いうがいをさせてもらったあと、早速、母親に教えてもらった部屋に入ると、薄暗い中で勉強机に向かっているミカがいた。学校にいるときとは違い髪をおろしていて、その黒いうねりは思っていたよりも長い。さすがにわたしのよりは短いけど。
 わたしたちが入ってくると、彼女は電気スタンドのスイッチを切り、ゆっくり立ち上がって出迎えてくれた。
 前から知っているし理解もしているつもりだけど、やっぱりこう、目の前で、よく見知った人に「覚えていません」と言われるのは何かクるものがある。
 学校では先生たちがなぜか、生徒の心への影響がどうとか言って、ミカのことについて、一部のクラスメート以外には大半のことを伏せているらしいけれど、そんなことをしたところで中学生のネットワークなんて遮断できない。それに、仮に秘密を守ってもらえたとしても、たとえば他のクラスメートや、わたしみたいな存在が突然大きなショックを受ける未来は免れないわけで。それこそ"生徒の心への影響"が大きいんじゃないか。現にわたしという生徒の心への影響は凄まじいのだー。とふざけてみるけどいや本当、大人ってどうしてこういうクソみたいなやり方しかできないんでしょう。
 彼女と正式に知り合ったのがつい最近とはいえ、世間一般的にはそれこそただの知り合いとはいえ、廊下ですれ違ったときに名前を呼んで手を振ってくれたり、体育祭の時には違う組なのに応援してくれたりした、わたしにとっては立派な友達だ。このどうしようもない気持ちに、遅かれ早かれ向き合わなければならない時がくることは承知していたものの、正直に言うとどうしたらいいかわからない。
 とりあえずはコウヘイにならって、並んで床に座ってみるところからはじめる。

「気をつかわなくて、いいからね。雨音ちゃん」

 広い部屋をはしからはしまで歩いていって、さっきまで読んでいたらしい小説をのんびりとした動きで本棚に戻しながら呟く。太陽の光で頭痛を催すらしく、カーテンを半分以上閉めてあるのだけど、こんな様子では余計に気分がふさぎこんでしまいそうだ。というかこんな状態の彼女の前に、わたしが現れるべきではなかったんじゃあないか。

「…………あ、なんで、あたしの名前を」

 あんまり自然に呼ぶものだから、こちらも流れでそのまま頷きそうになってしまった。
 ああそうか、と、振り返った彼女が、伸びた前髪の奥で目を丸くする。誰かから話でも聞いたんだろうと考えるのが普通だけど、そこまで頭が回らないくらい、わたしは混乱しているらしい。自分のことは、比較的冷静で臨機応変に行動できるひとだと、思っていたのに。
 視線を落とす。
 ミカの細い腕や脚にはまだ怪我の痕跡が残っていて、それが視界に入るたびに胸の奥がチリリと痛む気がする。だから彼女の顔から目をそらしてしまうのかもしれない。ただでさえ部屋が暗くて表情がはっくりわからないというのに、これでは意思疏通を放棄しているようなものだなと、自身にあきれる。

「まだ入院していたとき、麗華っていうクラスメートの子が何度かお見舞いに来てくれて……そのときに、あなたのことを教えてもらったの。あとは、ときどきコウヘイが」
「あー麗華。天宮城麗華ちゃんねなるほどね。にしてもコウヘイは、やっぱりここに来たのは今日が初めてじゃねえんだろうなあ!」
「ええ、なんで怒られなきゃいけないの」

 いやあ、ねえ。いくらクラスメートだとはいっても、こいつは一応男なんだし。来るのもどうせいつも一人でなんでしょう。なんて言いはしなかったけれど、代わりに頬をつねってやった。自覚しろう。

「何するんだよ。僕は雨音がミカと面識あるって知らなかったんだから、しょうがないじゃん。だからしばらく黙っていたのに」

 そういうことを言っているんじゃあ、ない。

「馬鹿麗華は救いようがないくらい馬鹿なんだなってこ、と、だ、よ!」
「ああはいはいあいつには心ってものがないんでしょうよ、わかったから離して」

 ちっ、仕方ねえ。
 やわらかい顔から指を離す。いったいなあ、と呟きながら頬をさする彼に、頭の中でざまーみろくそ、と暴言を吐いた。何に対しての悪態なんだか、自分でもよくわからない。

「んー、こりゃー、ふたりとも、わたしの友達の悪口言うなー」

 突如気の抜けた声が割り込んでくる。いつの間にかわたしたちの前で座り込んでいたミカが、わざとらしく拳をつくってこちらに差し出していた。棒読み気味の声とは裏腹に、その表情は些か険しい。

「んー? ぁー、ええいお」

 コウヘイの口から意味不明な音声が流れている。
 謝るべきかおちゃらけるべきかという変な気の迷いが生まれそうになったところで、後ろでドアの開く音がした。なんてタイミングだ。

「えっとー、麦茶とオレンジジュースとクッキーを持ってきたの、よかったら三人で分けて……ね?」

 いやいやいや、この状況で現れたのになんで語尾に疑問符持ってくるんだよ。脳内にいるもう一人のわたしが全力でツッコミを入れている。
 時間が止まってしまったように四人で固まったけれど、わたしが咄嗟にミカの母親からおぼんを受け取ったことにより、だれも時の流れに逆らうようなことはせずに済んだ。

「ありがとうございます」
「いいのよー、ゆっくりしてってねぇ」

 笑顔の残像を作ってドアが閉まった。
 足音が遠ざかる。
 三人揃ってため息をつく。
 あああ、もう、色々無視してカーテンと窓を全開にしたい。でも、我慢我慢、我慢。

*?* ( No.29 )
日時: 2018/09/22 01:45
名前: 厳島やよい

「あ、気にしないで。雨音ちゃんのことならまだしも、あの子を大事な友達と認識するまでには至ってないから。苦手な人を話題に出したりして、ごめんなさい」

 ちゅるるるーっ、と、ストローからジュースを半分ほど飲んだあと、彼女が沈黙を破った。
 さっきの幼児退行したみたいな表情は消え去って、わたしにとってはおそらくいつも通りの、ミカになる。
 お母さん、たまにああなの。そう言った顔が本当に、いつも通りで安心してしまった。

「いや、別に……あたしこそ、陰口とか卑怯だし、ごめん」
「うーん、僕もいいんだけど、でもさ、それはそれでまずいというか……あー、まあそれが普通か、うん。いただきます」
「何言ってんの、あんた」
「自分でもよくわからない」

 そしてわたしたちも、速度制限、信号、踏み切り横断時一時停止左右指さし確認遵守の通常運転なのだけど。ぼりぼりと無言でクッキーを食べ始めたわたしとコウヘイを見ながら、なぜかミカが笑いだした。ついに頭のねじが五・六本外れたのかもしれない。まあ半分くらい冗談のつもりだ。

「なんかふたり、面白いねえうふふふふ」

 ストローをくわえようとしても、笑いは止まらずにコップの中身がぶくぶくと泡立っているし。
 生憎わたしは彼女の取り扱い説明書を所持していないのでスルーさせていただく。こういうのはプロの技を見て学ぶべきなのだ。お勉強はだいじである。

「ミカ、行儀悪いよ」
「だってぇっ」

 今この瞬間をはたから見たらただのバカップル(本来の意味とはかけ離れていそうだが)じゃないか。そんな思考はジュースと共にそっと飲み下し、新しいクッキーの袋に手を伸ばした。チョコチップの入った、レンジで少し温めるとおいしい、わたしの好きなやつ。うおーありがてえ、と存在もしない神様におててを合わせてみる。

「雨音も雨音で何を拝んでるんだ」
「うーん、そうだねえ……あえて言うなら保食神?」
「…………」

 くっそー、コウヘイには嫌な視線を顔にぶっすぶす刺されるしミカもよけいに大笑いだし、もう、もう、何なんだこれは!
 とつぜん大袈裟なため息をついて、コウヘイがたずねる。

「あのさあ、来週中間テストなんだけど、学校は来る? 返事は大体予想つくんだけど、もしよければ本人に聞いてきてほしいって、先生に言われているから」

 いやいや、話題転換が下手すぎるだろう。

「うんうん、ふふふ、わたしは行けるなら行きたいんだけど、たぶんやっぱりお母さまが快くおーけーしてくださらないんじゃないかなあふふふふふ」
「だよね」
「そろそろテストの時期なんじゃないかと思ってはいたんだけど、一応知らないふりをしてたんだよ。あとで頼んでみる」

 ようやく、謎の笑いの波が引いていったらしい。残っていたジュースを飲み干して、ふううー、と彼女は息をついた。
 それにしても、前髪が長いなあ。片方の目が覆い隠されているくらいで、そこの机の上にあるはさみでちょんぎってあげたくなる。美容室でよく切ってもらっている身としては、少し気になってしまうのが本音だ。

「わかった。そう伝えておくよ」
「どっちにしろ勉強は進めようと思うから、範囲表あったら見せて!」
「ああ、うん。いいけど」

 彼は、近くに寄せて置いてあるかばんを開くと、すぐに範囲表を手渡した。
 わたしにはなんてことのない光景のように感じたのだけど、受け取ったミカは何故かじっとコウヘイの顔を見つめていて、彼もまた、そんな様子の彼女から逃げるように目を逸らした。

「…………コウヘイ、どうかした?」
「いや、せっかく休めてるのに、また勉強漬けにさせて申し訳ないなって」

 俯きがちにそう言う彼の言葉に、ほんの小さな違和感がこみ上げた。気のせいかもしれない。

「ええ? 謝らなくたっていいじゃない。わたしは勉強、好きだよ」

 反してミカは、笑顔で当たり前のように答える。

「漢字を覚えるのも、式を解くのもすごく遅いし大変だけど、楽しいんだもん。それに、前までのわたしが帰ってきたとき、少しでも迷惑をかけないようにしたいから」

 その声にこもった感情は本物で、嘘をついていると思えなかった。けれど、彼女の表情はどうしようもない陰りをまとっている気がする。この部屋のカーテンが開いたところで、それは消えないのだろうということは、何となくわかってしまった。

「へん、かな」
「変なんかじゃないよ。あたしも、勉強って、すごく好きだ」
「ほんと?」
「ほんとう。だから、わからないところとか、難しい問題があれば、いっしょに考えよーぜ。また遊びに来てもよければ」
「もちろんいいよー! やったー! 雨音ちゃん、ありがとねえ」
「うっ、コップ、倒れるっ」

 勢いよく抱きつかれる。そのとき、本当に一瞬のことだったが、彼女の左目の色が、右目と比べて明らかに違っていることに気づいてしまった。前髪を伸ばしたままなのは、それを隠したかったからなのかもしれない。
 心が、痛んだ気がした。
 優しい声。懐かしい、すこし甘い匂い。
 雨音ちゃん、雨音ちゃん、と呼ばれてきた記憶が重なって、まぶたが急に熱くなってきた。
 いくら友達だったとはいっても、ひとから話を聞いていたとしても、本人にとってはただの他人と大差はないはずなのに。

「……………………だめだな、あたし」

 自らを深く刺した言葉は、彼女の耳にも、彼の耳にも届くことはない。
 目の前は土砂降りのはずなのに、心地いいあまおとにばかり耳を傾けて、またわたしは、まぶたを閉じようとしている。
 優しさを理由に、現実から目を背けようとしている。
 来なければ、よかった。
 最悪、これから一生他人のままになったって、よかった。
 こんなんじゃ、甘えてしまう。自分勝手に甘えてしまうから、だめだ。
 頭の中に靄がかかっていくみたい。すごく湿っぽくて、生温かくて……わたしは何を拒んで、何を受け入れていくつもりで、こんな、こんな、あ、あああ?あれ、もう、わっかんないやこれ。
 せめて、その陰がミカを呑みつくしてしまわないように、今度こそ彼女を守らせてほしい。その結果、他人になったとしても、いいからさあ。



*

 神様と指切りげんまんをした次の日から、ミカ(と、ときどきコウヘイも含む)のための紫水個別指導塾が、ふたりの強い希望により開講となった。中間試験を受けるのに登校してもいいと、彼女が母親から許可をもらえたのである。案外あっさりと。
 しかし、実を言うと、ひとに勉強を教えるのは決して得意なわけではない。教えられる側はいつも、問題を解き終わる頃にはしかめっ面から笑顔になって、ありがとうと言ってくれるのだけど。今回も、教える期間は長いがそうなってくれる未来を願い、ミカ(と、ときどきコウヘイも)と机に向かっている。
 わからない問題や単元を事前にはっきり提示していただき、放課後、一時間から二時間指導するのが平日の限界だ。始めのうちはどの程度わからないのかとひやひやしていたが、文系科目は特に、想定以上に基礎が固まっていて、意外に楽に済みそうな印象であった。
 彼女がワーク冊子の問題を解いている間、わたしも小分けに勉強を進めることで、普通にバランスはとれている。おかげで集中力にさらなる磨きがかかってきたかもしれない。
 そんなこんなで、もう開講から四日目の土曜に突入している紫水塾なわけだ。だだだ。
 今日欠席のコウヘイは、昨晩、わたしたちに触発されて遅くまで勉強していたらしいので、今頃はまだ夢の中であろう。良典さんからのメールがソースだ。

「ひゃああ、疲れたあ」

 午前十時五十分。わたしの携帯のタイマーが休憩の合図を知らせると、ミカはシャーペンを投げ出して床に倒れこんだ。
 だいぶ頑張っているもんな。昨日から、いちばんの苦手科目だという数学も教え始めたし、部屋のカーテンもかなり開けてくれているし。

「休憩、すこし長めに取ろうか?」
「そうしてもらえると助かる……お昼のハンバーガー、お母さんには高いほうの店で買ってきてもらうから許してくらさい」
「えっ、そんな、ていうか家に帰っ「いらないとは言わせないのだー! 食え食えこのやろー!」

 手足を振り回して言うさまが駄々をこねる幼児である。半分ヤケの。

「わかったわかった。しっかり戴きます、ダブルチーズバーガーを。飲み物はお茶系で」
「よろしいっ。じゃあ、電話してくる」

 がばっ、とミカが起き上がり、可愛らしく笑った。
 もはや記憶がどうこうとか、そういう問題なんてわたしたちの間からはすっかり消え去ってしまったかのようで、わたしも笑えてくる。このまま他人同士のほうがよかった、などと考えていた自分が馬鹿みたいだ。
 今日は朝早くから出掛けているらしい母親が、帰りついでにわたしの分も入れて昼食を買ってきてくださるらしい。リビングのほうで電話を終えたミカはご機嫌そうに、お茶やジュースを両手に抱えて部屋に戻ってきた。

「家で友達といっしょにご飯が食べられるなんて、ミカちゃん嬉しー」
「そう言ってもらえるなら雨音ちゃんもはっぴーです」
「んふふ……あ、そうだ、雨音ちゃん」
「ん?」
「雨音ちゃんとコウヘイってさ、おさなななじみ、なんだっけ?」

 な、が、一つ多いぞ。

「生まれたときからいっしょ、とかではないけど、まあそれに近い感じ。小三のとき、コウヘイが隣に引っ越してきたんだよ」
「そうなんだ」

 ジュースをコップに注ぎながら、彼女が相槌をうつ。
 そういえば、わたしたちのことは、今まであまり話していなかったな。

「仲良くなったきっかけとか、やっぱりあるの?」
「うーん、」

 あると言えば、ある。ふたつかみっつくらい。
 ひとつは、わたしたちが出会ったその日に。ふたつめは……。
 続けようとして、やめた。例の、あまり掘り起こしたくない記憶なのである。だから、ひとつめだけ。

「コウヘイが引っ越してきた日、あたしの家で粉ものパーティーしたんだよ、あいつも一緒に」
「コナモノ」
「たこ焼きとか、そういうの」
「ああ」








 わたしと同い年のこうへいくんは、夏休みも近いころ、となりのおじさんの家に引っこしてきた。お父さんもお母さんもいっしょじゃなくて、ひとりぼっちで。転校生は、新学期にやってきて、体育館で自己しょうかいをするものだと思っていたので、ちょっとしょうげきてきだった。
 その日は学校がお休みで、お昼前からつめたい風が強くふき始めた。そのうち、青かった空もだんだん真っ黒くなってきて、おうちの前で二重とびの練習をしていたわたしを、お母さんが玄関から呼んできた。

「二重とびねえ、むずかしくてまだ苦手だけど、クラスで三番目にとべるようになったんだよ、へっへん」
「あんらぁ、さすがあたしの娘だわ。でも早くお家に入んなさい、雷におへそとられちゃうぞー」
「そ、それはいやー!」

 門を開けて、ぱたぱた階段をのぼった。ほんとに雷の音がする。ひー、こわいこわい。

「あれ? あーちゃん、その子お友だち?」
「ん?」

 とびらを閉めようとすると、お母さんが外をゆびさして、きいてきた。わたしは一人で遊んでたんだぞ。ゆうれいでも見えてるのかな。

「こんにちは、朝海さん。良典さんと住むことになった、こうへいです。あいさつに来ました」

 ゆ、ゆうれいが、しゃべった!
 ……なんていうのはじょーだんだ。門の前に、男の子が立っていた。

「えっ、コウヘイくんって、良典さんの"おい"の?! あらやだー、事前に連絡してって言ったのに」
「おじさん、昨日帰ってからずうっと、寝てるんです。疲れてるみたいだから、怒らないであげて」
「うーん。わかった、おこらないよー」

 今度はわたしがゆうれいになってしまった。話のないようがさっぱりわからないんですが。置いてきぼりですか。

「おかーさん、この子だれなの? 雨音にもわかるようにせつめいしてちょ」

 お母さんのロングスカートをぐいぐいっと引っ張る。
 わたしがよほど不安そうな顔でもしていたのか、その手をやさしく握られ、わさわさっと短い髪をなでられた。おばあちゃんちのゴールデンレトリーバーをなでるときと同じみたいに。

「となりの良典おじさんの、お兄さんの、子供だよ。雨音と同い年。朱鳥小学校に転入するの」
「まじっすか」
「まじっす」

 すなおにびっくりである。うぇいうぇーい、しすいあまねちゃんでーす、と言いそうになってしまった。

「あ、」

 なんて思っていたら、とうとう真っ暗な空から、大つぶのしずくが落ちてきた。それを合図に、ざあああっ、と音を立てて雨が降り始める。お母さんの言うところによるとこれは、ごりらごうう、というものらしい。

「コウヘイくん、入ってはいって。 ついでにお昼ごはん、一緒に食べよう!」
「やったー、おじゃましまーす!」

 びしょぬれになりかけたコウヘイくんを、お母さんがおうちに入れてあげた。
 コウヘイくんは、たこ焼きを引っくり返すのもパンケーキをつくるのも、わたしよりずっと上手だったけど、学校の男の子たちみたいに、下手くそって言ったりしなかった。ぜったいに。

*?* ( No.30 )
日時: 2018/10/04 21:48
名前: 厳島やよい


 子どもながらにもわたしは、知り合って間もないコウヘイのことをとても信頼できる人物だと認識していた。
 内気で、弱虫で、友達を作るのがとてつもなく下手なわたしに初めてできた、親友。そんなわたしとは正反対な性格の彼は、わたしを守ってくれて、たくさん褒めてくれて、あーちゃん、と呼んでくれる。だからわたしも、彼を守ってあげたいと、何かあったときには助けてあげたいと、そう思っていた。
 だから、コウヘイが夏休みになってもまだ、引越しの片付けをほとんど終えていないと知って、最近は熱まで出して寝込んでいると知って、彼を手伝ってあげようとした。でも、お母さんは、わたしの手を強く引いて、だめだと言った。

「どうして? コウヘイくん、困ってるのに。困っているお友だちがいたら、助けてあげなさいって、お母さんも先生も、いつも言うじゃない」
「そうだけどね、あーちゃん、今は駄目なの」
「なんで?」
「なんでも」
「なんで?」
「…………雨音」

 子供特有のなんで節に、呆れたのか、無理を通すことを諦めたのか。お母さんは小さくため息をついて、しゃがみこみ、わたしと目線を合わせた。

「コウヘイくんはね、強くならなくちゃいけないの。ひとりでも、いろんなことができるように、強くなんなくちゃいけないの。良典おじさんは、忙しいから」

 それでも当時のわたしには半分以上、彼女の言っていることの意味が理解できなかった。今までに彼女がコウヘイのところへ行って、簡単な家事のしかたなんかを教えにいっていたことも知らなかった。
 その後ほどなくして、コウヘイの熱は下がり、元気になった、はずだったのだけど。お盆が過ぎた頃、お母さんが彼の様子を見に行くと、人が変わったように生気をなくしてしまったコウヘイがリビングに横たわっていたらしい。綺麗とは言いがたいほどに荒れている彼の部屋を見かねたお母さんの手によって、ようやく、段ボールの山は片付けられたのだ。
 その日の夜、仕事から帰ってきた良典おじさんが、家の玄関先で何度もお母さんに頭を下げているのを見た。わたしに気づいたおじさんが「片付けを手伝おうとしてくれたんだよね、ありがとう」とか「コウヘイに任せるようにお母さんに言ったのはおじさんなんだ、ごめんね」とか言ってきたけど、わたしには何がなんだか訳がわからなかったし、具合の悪いままでいるらしいコウヘイを心配している気持ちが晴れることはない。
 結局、部屋が片付いても、コウヘイは元気にならず、そのままで夏休みが明けていった。


*



「雨音ちゃん、わたし……やっぱりテスト受けにいくの、やめにしたい」

 試験が目前に迫っているというのに、具体的にはあさってから試験が始まるというのに、わたしを部屋に入れるなりミカが突然そう言い出したのを聞いたときには、勉強のしすぎで頭がおかしくなったのかと思った。どちらがとは言わないけど。

「どうした、いきなり?」

 かといって、彼女の話も聞かずに怒るような真似はしたくなかった。なるべく音を立てぬよう、深く呼吸をしてから、訊ねる。
 部屋のカーテンが、昨日より閉じられているのはきっと、気のせいではないだろう。

「お母さんがね、すごく心配するの、わたしのこと。口に出してそう言ってくるわけじゃないんだけど、痛いくらいにわかる。痛いくらい」

 長いまつげを伏せ、言う。声を震わせて。
 今、ミカの母親は仕事で、この家にはいない。部屋の中はおそろしいくらいに静かで、ここだけ時間が止まってしまっているみたいだった。
 前から思っていたことがある。
 わたしのお母さんと、この子のお母さんは、何かが決定的に違うと。そう、感じ取っていた。他人なのだから違って当然、というような簡単な違いではない。
 ミカの母親は、重たい、癒えることのない痛みを、小さな背中に抱えているように見えるのだ。
 その痛みを、わたしは、わたしの母親は、きっと知らない。想像をすることはできるかもしれないけれど、あくまでも想像でしかない。ひとの痛みは、そのひとにしか絶対に解らない。
 でもね、ミカ。

「じゃあ、勉強、やめる?」
「え……」
「学校に行く気がないなら、あたしとのテスト勉強なんてお互いに時間の無駄だよ。そんなことをしてるくらいなら、お金払って家庭教師でも呼んで、受験勉強を進めた方がよっぽどいい」

 お母さんの痛みを、"今の"ミカが踏みとどまる言い訳にしちゃいけないよ。

「ごめん、ちょっとトイレ借りる」

 目をまんまるくして、わたしの顔を見つめていた彼女に背を向け、部屋を出た。
 殺風景で薄暗い、広い廊下。冷たい床に座り込んで、ふううう、と息をつく。あの子を守りたいと誓ったからには、ひとりの友達として、少しくらい厳しいことを言っても仕方がないと思ったけれど、これはあまりにも辛い。今さらになって手が震えてきている。
 お母さんの……紫水朝海の、困ったように笑う顔がちらつくのは、なぜだろう。わたしも、こんな風にあの人を困らせてしまっていたのか、いままで。
 そうしている間に、時間は過ぎていった。たったの数分しか経っていなかったのかもしれないけど、今のわたしには一時間近くここに座り込んでいるんじゃないかとさえ思う。このままでは本当に日が暮れてしまいそうだったので、ぐんと脚に力を込めて立ち上がった。頑張れ、紫水雨音。
 呼吸を整え、意を決してドアを開くと、部屋の奥のほうに、しゃがみこむミカの後ろ姿があった。

「ミカ──」

 ごめん。そう続けようとした唇が、空回る。
 彼女が右手に握り、振り上げたものが視界いっぱいに映りこんで「ぎゃっ」考えるよりも前に、身体が飛び出した。

「何やってんの!」

 大きな音を立てて落ちたのは、コンパスだった。ミカは、コンパスの針を、左腕に突き立てようとしていたのだ。
 取り上げてもなお、手を伸ばそうとするので、適当に遠くへ蹴り飛ばした。

「いぎっ、げ」
「おいミカ、聞いてんのか!」

 よくよく見れば、うっすらとではあるが、白い肌にいくつも傷跡のようなものが覗いている。
 いつから。いつから、こんな。

「わかってんよ、わかってるよぉ、ミカはなんでもお母さんのせいにして逃げてるからー」

 頭から、血がさーっと降りていくような。そんな感覚がした。鏡がなくても、自分の顔が青ざめているのがよくわかる。

「おにいちゃんが死んだのもみかのせいなのにねえ、わたし、おかーさんのせいにした、だからいつもおにーちゃんがやってたみたいにすれば、どうすればいいのかわかるかなーて、まえからさあっ、かんがーてあが、がら」

 焦点の定まらない虚ろな目で、回らない舌で意味のわからないことを言い続けるミカが、記憶に、最悪な記憶に重なっ、て、て

「………………あ、あれ、雨音ちゃん? どうしたの」

 泣いていた。

*?* ( No.31 )
日時: 2018/10/12 21:27
名前: 厳島やよい





 コウヘイが別人のようになってしまってから、2か月ほどが経つ。それでも彼は、毎日きちんと学校に通っていた。クラスメートたちはなにか違和感を覚えていたようだけど、それでもいつものように彼に話しかけたり、休み時間にはドッジボールに誘ったりしていた。
 朝、隣の家のインターホンを鳴らすと、準備を整えて待っていたコウヘイが玄関から出てくる。たまに逆なこともある。ふたりで並んで、わたしたちは登校するのだ。
 そしてその日もわたしたちは、いつもどおりに学校に着いて、授業を受けて、給食を食べた。給食の献立にはきなこの揚げパンと、野菜のコンソメスープが入っていたのを覚えている。どちらもわたしの好物だから。
 昼休み、机に伏せて眠ろうとしていたコウヘイのところに、いつもの男子達がドッジボールのお誘いにやってきた。わたしは彼の席から少し離れたところに座っているので、今日はどうするのだろうと、学級文庫の本を読みながらちらりと様子をうかがう。
 さっき、午前の中間休みのときにはいっしょに外へ遊びに行っていたけど、いまは気分が乗らないのか、疲れてしまったのか、パスしたらしい。グループの中心に位置している男子が、そうか、じゃあまた今度な、と明るい声で言って教室を出ていった。
 そのまま全員校庭に一直線かと思ったのだが、二人だけ、コウヘイのもとから離れない子がいる。そのうちのひとりは、明らかに不満げな、不機嫌そうな表情をしていて、もうひとりがそんな彼を宥めている様子だった。まあ、仕方がない。もとから彼とコウヘイは相性が悪かったみたいだし。放っておけば、そのうちに二人もいなくなるだろう。そう考えて、本のページをめくろうとした瞬間。がたーん、と、大きな音が響き渡った。見れば、コウヘイの机と椅子が倒れ、例の男子と彼が、取っ組み合いの喧嘩を始めているではないか。
 以前までのコウヘイは活発な子であったけれど、こんなことは一度だって起こらなかったはずだ。なにか、彼にとって重い地雷となる言葉を投げつけられたのかもしれない。
 教室内に残っていた女子たちの悲鳴が乱反射する。耳の奥が、頭が痛い。
 風にひるがえる薄いカーテンの下で、押され気味だったコウヘイが、力任せに相手に馬乗りになった。

「コウヘイくん、やめて!」

 彼を止めに駆け出そうとしたのに、転んでしまった。
 机や椅子たちのすき間から、日の光を浴びて、二人が手加減なく互いを傷つけあっているのがはっきり見える。当時のわたしにはショックの大きすぎる光景だ。腰が抜けていきそうになるのを必死に堪えながら、ふらふらとコウヘイのところへ向かうので精一杯だった。

「コウヘイ、くんっ、コウヘイっ」

 わたしの呼び掛ける声は、その耳に届かない。どうして、どうして。
 彼がふと、手をとめて、近くの床に散らばっている道具箱の中身らしい、なにかを拾う。それを見た相手の男子がひどく抵抗を始めたのを見て、背筋に嫌な予感が走った。

「な、なにすんだよっ、やめ、やめろっ、助けて! おおぉい嶋川ッ」
「母さんを、悪く言うなっ、僕の世界に触るな、僕の世界を壊すな」

 あの子が、針のむき出しになったコンパスを振りかざす。
 悲鳴がより一層強く響きはじめて、ようやく生徒から騒ぎを聞きつけた先生が教室にやって来た。

「コウヘイ!!」

 力を振り絞って、後ろから彼にしがみついた。
 もう、だめだと思った。

「がっ、あああああ??」
「コウヘイくん、だめっ、だめだよ」

 壊れた機械のような声を出しながら、コウヘイはわたしの上に倒れ込んでくる。本当に間一髪のところだった。
 その隙を見て、男の先生達がふたりを一気に引き離そうと駆けつけてくる。もう大丈夫だろう。ほっとしたあまりに、全身から力が抜けていった。でも、わたしが彼を、寸前で止めたことによって、コウヘイの頭の中で何らかの大きな誤作動が生じてしまったのだ。何が起きたのか、わたしにはさっぱり理解ができなかったのだけど。

「なんで、痛くないよ、     っ」

 彼の左腕から、赤が。散った。

「   」

 彼は泣きながら笑っていた。
 この子をめちゃくちゃにしているのはだれなんだろう。わたし?
 わたしが、壊「      」

「 めて……」
「あ っ、あーち  ?」
「やめてってば!!」

 ……あー、あたしも結構トラウマなのかもなあ、人間の血。





 ぼろぼろに泣いているわたしを、ミカは一生懸命抱き締めて、背中をさすってくれた。
 自傷行為に及ぼうとしていた時の記憶はまるでないらしい。いつも通りの彼女が、ここにはいる。過去と現在が鮮明に混ざり合いすぎて、わけがわからない。

「ごめんね、雨音ちゃん、ちゃんと行くよ。学校、ちゃんと行く。テストも受けるから、だから泣かないで」

 口調も、さっきのことが嘘のようにはっきりしている。
 これでは、わたしが一人で勝手に発狂していたみたいじゃないか。ただのキ××イだ。
 わたしはコウヘイのことも、ミカのことも覚えているのに。ふたりは全部、忘れてしまうのか。
 ふたりの気持ちが、苦しみがわからない。きちんとわかってあげられない。わたしは昔から何も変わっていないのだ。何も。

「ごめん、ミカ。ほんとにごめん」

 何に対して謝っているのか、言っているうちに自分でもほとんどわからなくなっていた。

「どうして雨音ちゃんが謝るの?」

 ミカは笑っている。普通に笑っている。

「今日は帰って、休んでよ。この一週間、雨音ちゃんは毎日頑張ってくれてるんだから」
「……ミカ」
「大丈夫だよ」

 頭を優しく、なでられた。
 頑張っているのはミカも同じはずなのに、なにも言い返せない。そのまま本当に家に帰ってしまうことしか、わたしにはできなかった。
 彼女の目を盗んで、部屋の隅に転がっていたコンパスをそっと、机の上に戻してから、お暇した。どうか今日だけでも、あの子が痛みを感じることがありませんように。
 祈りをこめて見上げた空は、絶望的なくらいに青く晴れ渡っていて、まぶたの隙間から雨があふれてしまいそうになった。
 これはきっと、今まで土砂降りに目をつむっていた、この音に耳をふさいできた罰なのだろう。彼らが異常なわけではないのだ。決して。
 けっして。

*?* ( No.32 )
日時: 2018/10/20 04:21
名前: 厳島やよい







 そうして一気に、コウヘイは学校で孤立した。
 彼はあの騒ぎが嘘みたいに、怖いほど静かに教室で過ごしているが、当然腫れ物扱いだ。喧嘩相手の児童の母親も、今回の件に関して怪我の治療費を払えなどと騒ぎ立てることはなく、その点では良かったのだろうけど、問題はべつのところにあった。
 それからひと月も経たないうち。良典おじさんが、包丁で自らの手をすっぱり切ってしまった事件の起きた頃からだ。コウヘイと、彼の両親についての悪い噂がわたしの耳にも届くようになった。わたしの覚えている限りでは、ほとんど話に尾ひれはついていなくて、九割五分が正しい情報だったと思う。残りの五分は……誤差の範囲内だろう。
 人々は心ない言葉を垂れ流し、彼と、彼のそばにくっついて離れないわたしに対する印象を勝手に構築していった。面と向かって罵倒する勇気なんてないのだろう。つぎは自分が刺されるかもしれないから。
 わたしの周囲には、寂しい、悲しい人があふれていたのだ。同じような寂しい人には絶対になりたくなくて、どんな嫌がらせを受けようと、徹底的に(半分くらいは怯えながら)無視をつづけた。コウヘイも暴力なしでわたしを守ってくれたし。
 でも、わたしたちを、付き合っているのではないか、などとからかってくる連中には、ついわたしのほうから手を出してしまった。
 恥ずかしいとか、そんなかわいい感情なんて湧かない。ただ、とてもとても、不快で。めいっぱいの力を込めて張り倒した。今までずっと我慢を続けていたせいだろうか、ひどくすっきりしたのを覚えている。
 案の定担任からは空き教室で長々と説教をくらったし、埃臭さと、隣の教室から聞こえてくるめちゃくちゃなリコーダーの演奏で気が散ったせいで、さんざんな言われようだった。反省していないだの人の話を聴く気がないだのなんだのかんだの噛んだの?もうあの人が言っていたことなんて何も覚えちゃいない。
 お父さんは「雨音にしちゃあよくやったな!」と、夕飯のときにビールを飲みながら褒めてくれたけど、なんだかちっとも嬉しくない。まだイライラするから、あさっての日曜日、お母さんと一緒にゲームセンターでもぐらをぶん殴ってこよう。



 次の日。
 お父さんもお母さんもいない家に遊びに来たコウヘイは、何をするわけでもなく、わたしが勉強をしたり学校で借りてきた本を読んだり、ゲーム機をいじっているのを傍で眺めているばかりだった。わたしなんかを見ていて何が楽しいのか、さっぱり理解ができないけど、邪魔をしてくるわけでもないし、いつも通りに接している。
 やがて勉強にも読書にもゲームにも飽きてしまい、ベッドのそばの窓から外を眺めるくらいしか、やることがなくなってしまった。
 今日はしとしと雨が降って、隣の家の屋根や、咲き乱れる金木犀や、アスファルトの地面を静かに濡らしている。わたしが産まれたのもこんな天気の日だったらしい。だからなのかは知らないけど、雨はけっこう好きだったりする。

「あーちゃん、髪、伸びたねぇ」

 うしろからそーっと触れて、コウヘイが言う。
 気づけば背中に届くほどに伸びていたらしい。この前美容室に行きそびれてしまってから、何となくそのままにしてあるのだ。
 お母さんもお父さんも髪を結うのは難しくてできないというものだから、いつもおろしたままで過ごしている。でも正直なところ、鬱陶しくなってきた。

「そだねー、やっぱりそろそろ切ろうかな」
「切っちゃうの? もったいなあい」
「え?」

 予想外のひとことに、振り向くと、彼は笑っていた。

「あーちゃんは美人さんだもん、短いのもかわいいけど、長くしても絶対似合うよ」

 よくもまあ、恥ずかしい台詞をぺらぺらと。高校生のわたしなら手か足か、もしくは両方が出ていたかもしれない。
 それでも、当時のわたしの心には響くものがあった。女の子、だったのだろう、これでも昔は。

「じゃあ、もうすこし……伸ばしてみようかな」
「やったー!」

 学校にいるときの、暗い、静かに世界を拒絶している目とはまるで違う、優しくてあたたかい目。笑顔。
 コウヘイはわたしをいじめないし、わたしもコウヘイや彼の母親を傷つけたりしない。だから。外の世界でコウヘイを守れるのは、わたしだけ。わたしを守ってくれるのは、コウヘイだけ。
 ────強くならなければと、思った。
 あの子の苦しみを、涙を理解してあげられない自分が、あまりにも憎いから。あの子はわたしを守ってくれるのに、大切にしてくれているのに、わたしはあの子を守れない。それが、あまりにも悔しくて、悔しくて。

「ねえ、コウヘイは、雨って好き?」
「嫌い。だーいきらい」

 彼に対する気持ちは、きっともう、恋とは言えない。そんな名前をつけてはいけないと思う。
 きっとその日から、弱々しいわたしは、変わってしまったのかもしれない。自分で髪を結い、きつい言葉遣いをわざと選び、周囲の人を、睨むようになって。そんなわたしを強いだとか、かっこいいだとか言って、味方してくれる女子が増えたんだっけ。コウヘイのことも、何年もかけて受け入れてくれるようになったんだっけ。

「でもね、」

 そのうちに彼は、わたしのことをあーちゃん、と呼ばなくなった。

「あーちゃんのことは、雨音ちゃんの名前は大好きだよ」







 
 夕暮れ時の自分の部屋で、足元を這うつめたい風に、優しく起こされた。
 窓から差し込む澄んだオレンジ色が、白い壁いっぱいに広がっていて、しばらく夢と現の狭間にいるような感覚に浸っていた。どうやら、机に向かったまま眠ってしまっていたらしい。
 腕の下でおかしな折り目を生み出していたノートを閉じながら、手近に置いてある携帯電話をひらいて、びっくり仰天した。帰宅から二時間も経っていないではないか。ミカの言うとおり、疲れているのかもしれない。
 休めるものなら好きなだけ休んでいたいけれど、試験は目前に迫っている。次の土日までの辛抱だ。
 申し訳ないけれど、紫水塾はこれっきり閉業ということで。ふーいん封印。

「んあー………………、寒ぅ」

 なぜか全開になっていた窓を閉めてから、教科を変えて再び問題集と向かい合った。
 おお、なんだか頭がすっきりした気がするぞ。

「あまねー、いとしの我が娘ーっ」

 少々手のかかる設問を解いている途中で、部屋の外から、足音と共にお母さんの声が聞こえてきた。最近の彼女は帰りが早いので、大して驚くこともない。

「はいなんですかお母様、鍵なら開いてますよ」

 どうせしょうもない用でも頼みに来たのだろう。醤油切らしたから買ってきて、とか。
 キリの悪いタイミングだけど、仕方ない。そう思っていると、ドアが開いて「長野のほうのおばあちゃんから」切り分けたりんごやぶどうなんかが少し、乗せてある皿を差し出された。

「おお」

 父方の祖母は相変わらずのようだ。あの家には昔、雑種の小さな猫がいたけど、母方の実家のように犬がいたりはいない。鶏なら数羽、こーけこっこー!と叫んでいた。今もあの鶏小屋にいるんだろうか。
 おばあちゃんは、お米や野菜や果物、ときどき高そうな肉まで家に送ってくれたりする。年末にいつものお礼もかねて会いに行きたい、とお母さんに言ってみたら、快くオーケーをくださった。
 さっそく、きれいさっぱり皮の剥かれたりんごを戴く。おいしい。甘い。

「すまんのお雨音、夕飯までちょっとかかりそうだから」
「いーえ、ごゆっくりどうぞ」
「お言葉に甘えます」

 よかった、醤油買いに行ってきて、でなくて。
 この時間のスーパーには知り合いのおばさんたちが多いから、一度絡まれると面倒なのだ。わたしもコウヘイのおばさん嫌いがうつったかもしれない。正確には違うんだろうけど。
 りんご片手に、もはや無意識に試験勉強を再開すると、彼女は部屋を出ていこうと静かに背を向けた。
 視界に入った、夕陽を浴びるその後ろ姿が少し疲れているように見えて、

「……おすそ分け、近所だけでもあたし、行っておこうか?」

 口からぽろっと、こぼれていた。りんごじゃなくて、自分の声が。
 隣、お向かい、その隣、くらいなら、別にいいかなと。本当に、かるーい感覚で言っただけなので、振り向いたお母さんが輝くような笑顔になって抱きついてきたのには驚いたし、なんつうか、まあ。

「まじ?! 超超助かる! あーちゃんは優しい子なのね〜んふふふふ〜」

 ちょい引いた。

Page:1 2 3 4 5 6 7



小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


E-Mail


URL


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大7000文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。