ダーク・ファンタジー小説

あなたが天使になる日
日時: 2019/12/31 00:16
名前: 厳島やよい

 本編、後日譚ともに完結済みです。
 様々な形で応援してくださった皆様に、心からの感謝を。

もくじ

1『影に咲いている』>>1-3
2『そのまま、泣いていたかった』>>4-6
3『きみがふれた光』>>7-9
4『傷口に砂糖でも塗りたい』>>10-11
5『赤を想う』>>12-14
6『天使になりたい』>>15
7『青霞み』>>16 >>19-20
8『あなたが天使になる日』>>21-25
9『彼女の記憶、閑話休題』>>26-27
10『Untitled』>>28-29
あとがき1 >>30
あとがき2 >>31

だれかが天使になったあとのお話『やさしいはつこいのころしかた』>>32-33
あとがきと、いろいろ。>>34


イメージソング:『Sea Side Road』Eshen Chen

※流血描写等あります。苦手な方はご注意ください






 これは、海が見えるちいさな町に住んでいた、ある女の子のおはなし。





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Re: あなたが天使になる日 ( No.30 )
日時: 2019/08/17 22:15
名前: 厳島やよい






 こんにちは、厳島やよいです。
 半年以上かかった執筆・投稿が、やっとの思いで終了しました。もしかしたらこれは終わらせられないんじゃないかと思いながら書いていたりもしましたが、頑張った甲斐がありました。
 このあとがきが投稿されているということは、何だかんだで物語の収拾がついたということですね……なんて書き出しも考えました(このあとがきは、本編完結前に書いています)が、それじゃあまるで遺書みたいなので、ボツになりましたとさ、ちゃんちゃん。

*

 ストーリーが比較的短いこともあり、今回はメモ帳の中で完結を迎えてから投稿しようと決めて筆をとりました。ひとに読まれるまで時間がかかる分、いくらでも修正がきくので。
 わたしは、人物の感情や思考を文にすること自体が大好きで、気づけば、文字創作が日常動作に組み込まれた生活を送るようになっていました。自身の強みも、わかってきました。
 が、小説を書くには致命的なほどに昔から構成力が甘い、という自覚もあります。気持ちよく小説を書きつづけるためにも、わたしの文を好きだと言ってくださった、褒めてくださった方へ敬意をはらうためにも、最低限の技術は身につけるべきだと思い、この作品の執筆に至りました。
 少しでも、上手になれていたらいいな。

 しばらくはのんびりと『青、きみを繋いで。』の片付けでも進めようかなあと思っています。あれはもう行くところまで行ってしまったので、いまさら書き直す気にもなりません。
 ゆるりと執筆活動をしつつ、後回しにしてきた他の趣味も楽しんでから、今作の続編のような、スピンオフのようなファンタジーものも書くかもしれません。墓地墓地、じゃなくてぼちぼちと。やっていきます、色々と。

 ひとまずこれで、あとがき第一部、は終わりです。ありがとうございました。

Re: あなたが天使になる日 ( No.31 )
日時: 2019/08/17 22:50
名前: 厳島やよい

 ここからは、今作で読者に伝えたかったことやこだわったポイントなどをまとめていく、あとがき第二部、となります。
 自分用の記録に書いたようなものなので、乱文が多いです。ご了承ください。


※本編未読の方の閲覧はおすすめできません。
※こちらも本編完結前にまとめたものですが、なるべくそのままの状態で投稿します





□まず、ハード面について


 ダーク・ファンタジー板に投稿するにあたって、表現にはだいぶ気を遣いました。
 複雑・ファジー板への投稿も考えましたが、一定以上の描写は使わなかったので、こちらにお邪魔させていただいております。

 この物語では、終盤を除き、なるべく地の文を淡々と書くことを意識しました。
 とくに主人公。普段であればそこそここだわるであろう風景描写、例えば海辺のシーンも、目に映る最低限の情報を書いておわります。感情より、登場人物にとっての事実が優先になります。主人公・杉咲佳澄の、他人への関心の薄さ、物理的に狭い視野、世界を冷めた目で眺めている印象を表現するためです。
 しかし、朱里視点での執筆においては、事実より彼女にとっての感情を優先させました。こちらは精神的に視野が狭い。誤解を恐れずに言うならば、良い意味で悲劇のヒロインぶっているところが、読み手の好き嫌いを左右しそうだなとも思います。
 と、いう感じに、客観的な佳澄視点と、主観的な朱里視点の対比を作りました。ふたりとも、あまり多くを語らないのが共通点です。良いなあと思います、自分で。
 百馨(佳澄の母)はハイブリッド型かな。
 主人公に、皮肉や言葉遊びも交えながらたらたらと語らせるのは大好きです。そのため、普段から地の文が長ったらしくなりがちなのですが、今作は初心にかえるつもりで、できる限りばさっと切りました。慣れてしまえば難しさは感じないものの、だんだん文章が長くなってきているような気がして、そこは結構面倒でした。
 長文短文、堅い文にも柔らかい文にも、それぞれの良さがあると思います。最終的には個人の好みに行き着くのでしょう。



□物語が生まれたきっかけ

 この物語の種が生まれたのは、昨年(二〇一八)の夏ごろ。朱里の口癖でもある『死にたい』がすべての始まりでした。最初に思いついた登場人物も朱里です。そして、瑠璃子と蒼太、佳澄、くらいの順番でほかのキャラクターが作り出されました。
 悩みがある、失敗してしまった、生きづらい……そんなときの、大小も軽いも重いもない気持ち。
 だれかに言われてしまったとき「わたしはこの人の『死にたい』をなくすことはできないのだ」とどこかで勝手に傷ついた自分が存在したり、自分がだれかにそう言ってしまったとき「嫌な思いをさせなかっただろうか」ともやもやしたり。もし、似たような考えを持っている、経験のある人がいたら、この気持ちに共感してはくれないかなあと。そんな風に考えていたら生まれたお話なのです。



□いつかの自分に、自分と似ただれかに、伝えたいこと

 書いているうちに忘れちゃったなー! というのは半分冗談です、半分。
 「死にたい」が心の中に存在すること、していたことへの罪悪感とか、それを人に言ったこと・言われたことで、こびりついてしまった悲しみとか。言葉の力は強烈なので難しいですが、そういうものは少しずつでも洗い流していっていいものだと思います。その気持ちがあることで命を大切にできるのなら、もちろん適度に留めておいていいのかもしれない。
 辛いことは時間が忘れさせてくれるよ、とか、とりあえず前向きに生きようよ、ということは、安易にひとに言えませんし言いません。自分が言いたいとき、自分自身に対して言ってあげればいいと考えるので。ひとにそう言われると「あなたに何がわかるの?」と真っ先に考えてしまうちいさい人間です、わたしは。風化はしても、傷が完治することなんてきっとないし、時間が癒してくれるものならこんなに苦労しないんじゃないかなあ、なんて。
 上から目線の不幸自慢のようになってしまいましたが、言いたいことは大体伝えられたはず。お互い大変だけどなんとか今を生きていきたいよね、というお話です。



□登場人物についてT

 佳澄は今の自分、朱里は過去の自分、と見立てて書きました。世界をどう見ているか、ふたりの体験や感情において、完全にではないけれど、自身のそれらを投影しています。手芸部に入りたかったというのも、そのうちのひとつです。読む人によっては、ほかにも色々と気づいてしまうかも。
 未来の自分はだれなのだろうと、書きながら、時々考えたりもしました。もしかしたら百馨(佳澄の母)かもしれないし、蒼太や司(佳澄の父)かもしれない。絶対いやだけど、瑠璃子かもしれない。
 わたしの中の朱里とさよならできる日はまだまだ遠そうで、佳澄がどうなるかもわからなくて。気がついたら二人とも、ぱっと消えていたりするかもしれません。

 それと、ここに書くかどうか少々迷いましたが、瑠璃子の元婚約者は佳澄の父親、西園寺司(さいおんじ まもる)です。一応、本編中で匂わせてはあります。

・2『そのまま、泣いていたかった』の司の台詞「いち、のせ……」
 →最初の伏線
・当時のあだ名がツカサであること(7『青霞み』参照)
 →司はツカサとも読める
・司と百馨が海で出会ったとき、司は百馨のことを知っていた(同上)
 →もちろん、瑠璃子経由で

 婚約破棄に離婚に病、その上親の介護やら何やらで、わりとひどい扱いになってしまいました。いい人なのに。
 でもきっと、彼は強く生きていきます……。



□登場人物についてU

♪杉咲 佳澄(すぎさき かすみ)
 主人公。中学二年生。
*じつは、手芸部がどんどん幽霊部員の巣窟になっていくせいで半強制的に部長になっていました。書く必要もなかったので、裏設定となってしまいましたが。

♪市瀬 朱里(いちのせ じゅり)
 佳澄の友人、同級生。
*もし正式な手芸部員になっていたら、副部長にするつもりでした。必然的に朱里の寿命が縮むのでボツ。とくに書かなかったけれど、美人さんなイメージ。

♪杉咲 百馨(すぎさき ももか)
 佳澄の母親。
*この人に思い入れがあるのかないのか、よくわからない。朱里に、死にたいって思ったことある? ときかれたときの佳澄のような気持ちです。物書きとしての思いは少し投影できたので、よかった。

♪市瀬 蒼太(いちのせ そうた)
 朱里の弟。小学三年生。
*もう少し掘り下げてみるべきだったかなあと思う登場人物。彼自身と百馨がいろいろ説明してくれちゃったので、まあいいかなあとも思います。

♪西園寺 司(さいおんじ まもる)
 佳澄の父親、百馨の元夫。
*ひどい扱い(登場人物についてT 参照)になってしまいましたが、少し気に入っています。自身のことをまったく覚えていなかった百馨の存在には、救われただろうな。エレベーターで泣いているシーンが好きです。

♪市瀬 瑠璃子(いちのせ るりこ)
 朱里と蒼太の母親。司と同い年。
*何事も起こらなければ、ふつうに良い母親だったんだろうな……。朱里と仲良しな瑠璃子も見てみたいです。二人で料理とかしてほしい。あと、テニス。

♪市瀬 紅弥(いちのせ こうや)
 朱里と蒼太の父親。彼らとは別居中で、瑠璃子と離婚はしていません。
*当初、彼目線でも話を書こうかと考えていたものの、朱里に語らせるだけで済んでしまったので、出番なしです。

♪斎藤 萌絵(さいとう もえ)
 手芸部の顧問。家庭科教師。
*"もっちゃん"のミスリードのつもりで、萌絵、になりました。7『青霞み』にて、ファミレスの店員としても書いています、じつは。

♪土浦(つちうら)
 手芸部員。中学一年生
*めんじょめんじょーの子。尾野さんとはけっこう付き合いが長かったりしそう。少し気に入っています。次期部長、がんばれ。

♪新藤(しんどう)
 手芸部員。中学一年生
*真面目な子。土浦さんとは中学に上がってから知り合ったんだろうなーとか思っていたり。副部長です。アイス大福が好き。

♪尾野(おの)
 手芸部員。中学一年生
*やらかしちゃった子(5『赤を想う』参照)。1『影に咲いている』の時点で、ゆるゆるな伏線を張っています。

♪御子神(みこがみ)
 佳澄と朱里のクラスメート
*真面目そう。世渡りうまそう。

♪鷹取(たかとり)
 佳澄と朱里のクラスメート
*同じく真面目だけど、要領は悪い、たぶん。佳澄との相性は悪くない、たぶん。



□大変だったこと

・朱里の日記の日付合わせ、過去編の時間軸など
 きっちりやろうとすると、わたしの性格上、キリがなくなるので、割りきって適当にやりました。平日が休日になっていたり、登場人物の年齢がずれていたりして、気になってしまったらごめんなさい。

・ところどころ実体験だったり、程度に差はあれど、近いようなことも描写するので、ときどき悲しくなる
 書いている以上は我慢するしかない。

・執筆中特有の孤独感
 何と言えばいいのでしょうか。もちろん物を書くことは楽しいのだけど、それとこれはまったく別次元の感情なのです。あまり、人に自分の小説のことを語らないからかも。
 小説を書くというのは、その世界の神様になるということで。わたしたちの世界の上にもそんな『神様』がいるのなら、きっとこんな気持ちなのかもしれないな、と考えていました。



□今後の目標など

 小説を書くときはとくに、起承転結の転結が苦手でぶつ切りっぽくなってしまうことが多いので、きれいに作れるようになりたい。意識して回数を重ねれば、少しはなんとかなるでしょうか。
 伏線回収が華麗にできる人に憧れます。厳島には、どうも穏やかなやつしかできません。百馨然り、めんじょめんじょー然り。薬物云々のくだり(1『影に咲いている』にて伏線あり)は、じつはかなり頑張りました。



□そのほか

・5『赤を想う』の「昔観たアニメ映画の台詞」は、と●りのト●ロの「夢だけど、(以下略)」です。

・10『Untitled』の「今は亡き母が好きだった漫画」
 見た目は子供で頭は大人のやつ。笑


 執筆作業は、音楽を聴いたり聴かなかったりしながら進めました。ピアノ系のゆったりしたものが多かったです。
 とにかく書けるときに地道に書いていたので、時間帯はばらばらですが、夜のほうが多かったかも。

 また、あとがき第一部にもある通り、準備にも執筆にも時間がかかりそうですが続編を書くかもしれません。
 三・四年ほど前に原型の生まれた『いたみ、いのり、願うこと』(仮題)で、本作の登場人物が主人公になります。仲間内のツイッターでちょろっと呟いたことがあるので、もし覚えている人が……いてくれたら、嬉しい。
 もともと今作は、それとはまったく別の作品の前日譚になる予定だったのですが、構成を考える段階で難しくなってしまいました。時代設定を若干曖昧にさせているのは、その名残です。両作の舞台が近所同士になったので、まあいいかなとも思います、海の見える町が好きなので。
 もし書けそうになったら、頑張ってみます。
 ちなみに、佳澄たちの住むところは、千葉県のとある三つの町をモデルとしてかけあわせた、架空の町です。



□おわりに

 長くなりましたが、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

 またどこかでお会いできたら、嬉しいです。
 それでは。


※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体は架空のものであり、実在のものとは関係ありません。

Re: あなたが天使になる日 ( No.32 )
日時: 2019/12/30 00:16
名前: 厳島やよい



       ♪

 ときどき、同じ夢を見る夜があった。
 中学一年生の、秋の記憶。日直の当番を早く済ませてしまいたくて、学級日誌を走り書きで埋めていたのを覚えている。
 自分以外だれもいない教室に、そうっとドアを開けて戻ってきたのが彼女だった。
 思わず振り返った僕と目が合い「忘れ物っ」少しロッカーの中を覗いてから、慌てて自分の席まで駆けていく。かばんの中に目当ての物をしまって教室をあとにしようとする、一連の動作を追いながら、ここまでしっかり彼女を見たのは驚くほどに久しいことだと、気がついた。
 どれだけ意識から追いやりたかったのだろう、僕は。しかもこの瞬間、そんなこともやめてしまったなんて。
 今しかないと、考えるよりも先に、口は動く。

「あのさあ、い────朱里」

 やっと彼女の"名前"を呼べたのは、四年ぶりに言葉を交わした日のことだった。
 後ろ姿が一瞬震えて、僕のほうにゆっくり、振り返る。

「うん?」
「僕に……できることが、あったら。なんでも言って」

 長い前髪の奥から覗く、大きな目が、またたいて。少しの沈黙のあと、朱里は口を開いた。

「じゃあ、ひとつだけお願いを聞いてくれる?」

 ちょうど陽が差してきて、あたりが一段と明るく、背中がじんわりと暖かくなる。そのせいで、肝心の彼女の表情が、よく見えない。

「いますぐじゃなくて、いいから、いつか、佳澄と友達になってほしいな」

 押し寄せた波が引いていくみたいに、光が僕たちから、また遠退いていく。
 やさしすぎる笑顔だけを残し、教室を出ていった彼女は、それからちょうど一年後の秋の夜、みずから命を絶った。

       ♪



だれかが天使になったあとのお話
『やさしいはつこいのころしかた』


 海に行きたいと、彼女がつよく言うものだから。徒歩十分もかからない道をなぞって、僕たちは近所の海水浴場にやって来ていた。
 まだ桜も咲いていない季節なので、観光客はおろか、サーファーの姿さえ見当たらない。強風のせいもあって、晴れているのに正直めちゃくちゃ寒い。それなのに、彼女ははだしになって、銀色の波と戯れていた。
 その幼い笑い声と見かけとのギャップがひどく不安定に見えて、めまいを催すこともある。この子の母親にとってはそれが日常茶飯事なのだろうと思うと、いちいち憂いている気にすらなれなかった。
 ばらばらに脱ぎ捨てられた靴と靴下を、ようやくそれぞれ拾い上げ、黒い砂をはたく。行動の予測はつけやすいものの、案外脚が速いので、僕でさえ追いかけるのに一苦労だ。あんたはアルプスの少女か。

「靴、持っとくよ、みっちゃん」

 呼びかけはその耳に届く前に、むなしく波の音でかき消されてしまった。まあいいやと開き直り、はしゃぐ後ろ姿を見守る。
 僕は兄でも弟でも、もちろん親でも恋人ですらもないけれど、この子の……佳澄のそばにいる。正確には、彼女のほうがなぜか僕になついてしまっている。
 こーちゃん、こーちゃん、と呼んで僕についてくる彼女が、半年前に町を騒がせたあの事件の、被害者だなんて。クラスで孤立していた静かな女子生徒だなんて、考えられない。考えたくもない。あの頃のことは、夢だったのではないかとすら思う。
 学習能力にまで及んだ幼児退行の影響で、学校にもろくに通えず、マスコミの人間や野次馬から隔離するために軟禁状態におかれていた佳澄も、最近、こうして外へ出られるようになった。
 世間というのは、熱しやすく冷めやすい物質だからねえ。
 佳澄の母親、百馨さんが、たびたびそんなことを言っていたのも、記憶に新しい。
 この町の構造だけはしっかりと頭に入っていた佳澄は、春休みになったあたりから、公園に行きたい、博物館に行きたいなどと母親にせがむようになった。しかし、彼女も毎度それを叶えてあげられるわけではない。

「じゃあ鷹取くん、おねがい! ぜんぶ済ませたら、夕飯ご馳走するから」

 と手を合わされ、僕が駆り出されているのだ。そんなに気を遣ってくれなくてもいいのに。

「ねえこーちゃん、みっちゃんもう飽きたー」

 こんな具合に大抵すぐ飽きるので、ある意味、手もかからない。

「じゃあ、足を洗いにいこうね」
「うん!」

 無邪気に差し出された右手を、握り返す。最初のうちはかなりの抵抗があったが、もう慣れたものだ。
 佳澄がにこにこと笑って見上げてくる。クラスの女子の中では背が高いほうだけれど、僕のほうが、並び順はずっと後ろだった。それでも幼なじみの御子神には負けるのだが。
 手を握っていると、彼女は不思議と、走り出さなくなる。むしろ、のろまな僕の歩くスピードに合わせてくれるのでありがたい。幼い頃、父親に強く手を引かれて歩いた記憶があるからか、必要に迫られるとき以外に急かされるのは、どうも苦手なのだ。
 三分もかからずに洗い場にたどり着いた。水道のレバーを押さえてやり、まっしろい指の間にこびりついた黒い砂粒が流されていく過程をながめるだけの、簡単な作業に勤しむ。ううん、なんか危ない。

「……そろそろ、爪を切ったほうがいいんじゃない?」
「はさみ、いや。怖い」
「そうかー」
「こーちゃんが切ってくれんならいいよ」

 それは、いいのか、いろいろと。
 いっひひひー、と笑いながら、彼女がタオルを求めてくるので、かばんから取り出して渡す。

「じょーだんよ、おかーさんがヤスリ買ってくれたから、だいじょうぶ」
「あ、そう」

 どうでもいいけど、僕は逆にヤスリが嫌いだ。金属でもガラスでも、ぎちぎち鳴るのが気持ち悪くて。

「にしても、どうすっかね、このあと」

 部屋の掃除(若干大がかりなのだそう)をしたいので昼過ぎまで預かってほしい、と、百馨さんには言われたわけだけど。腕時計の長針にはまだ二周分近くの余裕がある。

「波打ち際できゃっきゃうふふ?」
「は、もう一人でしたでしょ」
「ぐぬっ」

 こんどはふたりでしたいのだー、なんて反論はさらりと無視して。靴を履き直す隣で、僕も軽く手を洗う。思ったよりも水圧が強くてびっくりした。
 そのせいかおかげか「あー」したいことがぼんやりと無責任に思い浮かんだのだ。

「ちょっと行きたいところがあるんだけど、いい? みっちゃんには近くで待っててもらいたいんだよね」
「うん? いいよ」
「じゃ、行こうか」

 そうしてまた手を繋いで、ゆっくりと、歩き始めた。




 もともと重たい足取りを二十分ほどかけてズルズルひきずりつづけ、目的地にたどり着いた。
 佳澄は階段の下に待たせてある。今ごろ大木の幹あたりでもめがけて、小石を蹴り飛ばしているんじゃないだろうか。投げたほうがまだ確実な気がする。

「………………久しぶり」

 ずっと、ずっと、会いたかった人の前で。長い間黙りこんでから、ようやく選び出した言葉の退屈さに、自分でもあきれてしまった。ただでさえ手持ちぶさただというのに。

「言葉も花も、持ってこないで来ちゃった。バカだよね。僕はあの頃からなんにも変わってない」
「              」
「さすがにもう、落ち着いただろうと思って来てみたけど、僕側がまだ無理だったかな。あの子なら下に置いてきたよ」
「              」

 うずくまり、相手の返事に、耳を澄ませる。つめたく尖った風が何べんも頬に刺さってくるので、たまらずに目蓋を閉じてしまった。
 その半透明な闇の中に甦り、振りかえり、微笑む彼女の表情だけが痛みとして焼きついてくれればいいのにと願ってやまない。声はもう、何故かほとんど思い出せなくなってしまったから。
 おかしいな。じいちゃんとばあちゃんと、昔の友達の声ならはっきり覚えてるのに。

「線香くらい、買ってくりゃよかった」

 冷たい石に変わり果ててしまった彼女を、もう一度直視する勇気がほしい。
 見ることができない代わりにふれようと、手を伸ばした瞬間、両の肩になじみ深い重みが降りたった。首だけ振り返って見上げる。

「これ、だれのお墓?」

 …………あれだけ、ついてくるなと念をおしたのに。

「さい──みっちゃん、待っててって、言ったでしょう」
「すぐ帰ってくるっていったのに、ぜんぜん来ないんだもん。あのね、さっきおしょーさんと鐘ならしたんだよ、てかおなかすいたんですけどーぷんすか」

 まじか、そんなにか。それは完全に僕に非がある。

「ごめんね」
「アイス大福くれたらいいよ」
「うん」

 昼飯にラーメン奢れとかじゃなくていいのかなあ、めっちゃ寒いのにいいのかなあとか思いつつ、はだしで海に入ろうとするくらいだし(ていうかそのままバシャバシャやっていたし)、どうってことはないだろうと結論づける。そんな彼女に甘えて話を逸らすのも申し訳ないので、質問にはきちんと答えておいた。

「このお墓はねえ……大切だった人のお墓だよ」
「たいせつ?」
「うん。でも、大切にすることを諦めちゃったんだ」

 中途半端が売りのよわっちい人間だからねえ、こーちゃんは。

「……………………ふーん」
「………………うん」

 何度も、何度も繰り返した記憶が、また飽きもせずに脳裏で上映された。
 僕らがいま以上に幼かった頃。佳澄みたいに差し出されたてのひらを、僕が握り返せなかったようなころの話だ。
 夏祭りの屋台を、あの子と見てまわった。神輿を担いでいるクラスメートに気づかれないように、人混みのなかを歩いた。豆電球の色に透かしたラムネ瓶と、意地を張ってなんとか撃ち落とした熊のぬいぐるみと、逃げ出した砂浜でこっそり線香花火をしたこと。ぬいぐるみを抱きしめて、ほんとうに嬉しそうに、ありがとうと笑ってくれた彼女を家まで送り届けようとして、それから、それから。

「どうせ死ぬのに、なんで生きるんだろ、わたしたちって」

 隣でふと呟いた佳澄の声が、横顔が、以前までの彼女のそれに似ていた気がして見入ってしまった。

「早くてもおそくても、ぜったい死ぬのに、ずっとずっと生きなきゃなんない。活きなきゃ寝なきゃ食べなきゃ生きてけないし、生きなきゃ活きてけなくて寝られなくて食べらんないの、つらい思いもしなくちゃいけない。みっちゃん、ときどき思うよ、なんだろ、なんかいつも難しくてわかんなくなってくるんだけど」

 この人のことなんて、じつはぜんぜん知らなかったけど。なんだか佳澄らしい考え方だなと思う。考え方というか、視点というか、なんというか。多少の偏見と美化が入りまじっていることは否めないけど。
 僕はそんなこと、考えたこともなかったから。

「わかんなくても、いいんじゃないかな」

 考えていたら、たぶん、死んでしまいたくなるから。

「ぬぬぬーん、なんでーん」
「なんでもーん」

 あの子も、佳澄と同じようなことを考えたんだろうな、きっと。それはもう、頭が爆発しそうになるくらいに何百回も、何千回も。だから、きちんと考えられなくなったのなら、それはそれで、いいんじゃないだろうか。幸せなんじゃないだろうか。

「こーちゃんはさー、そのたいせつさんのこと、もう大切じゃないの?」
「うん」
「お墓参りにきたのに?」
「うん」

 そうだよ。

「いま、泣いてるのに?」
「……………………うん」

 ごめんね、朱里。

Re: あなたが天使になる日 ( No.33 )
日時: 2019/12/30 23:54
名前: 厳島やよい



       ♪

「康介くんは、もう作文書き終わったの?」
「ううん、まだ」
「そっかー」

 うしろの、遠くの真っ暗なほうから、お祭りのはやしが聞こえる。ぼんやりした満月の光が、となりを歩く、少し背の小さなやせた市瀬さんをてらしていた。
 市瀬さんは、さっきからやたら大事そうに、くまのぬいぐるみを両手でかかえている。さっき、ぼくがしゃてきでどうにかこうにかゲットした景品だ。

「一文字も書けてなくて、このまえ、父さんにおこられちゃったよ」
「え、しめきりはまだ全然先だもん、大丈夫なのに」
「夏休みの宿題もあるからねー、ついでにおこられてんの」

 そして運悪くよっぱらってると、いっしょにこぶしとかも飛んでくるの。泣くとよけいにどなられるから、泣かないようにがんばってます。
 ぼくは八月三十一日にすべてをかける男なのだ、はっはっはー。なんてのはじょうだんですよ、もちのろん。
 そんなことより。

「市瀬さんの最初の作文、ぼくはすごくよかったと思うんだけどな。書き直しちゃったんだね」
「あー、うー、先生、ちょーおこんだもん。ふつうって何だ、とか、習った漢字はちゃんとつかえーとか、そもそも短すぎるんだーとか。ほんとうるさい、あの人。もうこーねんきなの?」
「シンラツだね」
「しょうがないじゃん、嫌いなんだから」

 と、そうめいで美人な市瀬さんから、ぼくらのたんにんの先生について、うらのないご意見をちょうだいした。白いシャツから伸びるきれいなうでいっぱいにぬいぐるみをだきしめながらむくれて言うものだから、そんな姿だってかわいらしく見えてしまうのも無理はないよねえ!
 そのていどのことも伝えられない照り焼きチキンなぼくは、いっしょに坂をのぼってのぼって、市瀬さんをお家に送りとどけるというしめーをはたすことくらいしかできないのでした。めでたくなさすぎる。
 うで時計を見てみたらもう九時すぎだし。図書室の先生に、人間しっかくとかおすすめされそうだ。内容なんて一ミリも知らねっけんが。

「あいつうざいし、関わりたくないから、さっさとてきとーにおわらせたけどさ。しょうらいの夢とか、よくわかんないよ、わたし。そんな先のことを考えると、頭がぐるぐるしてくる」
「まだ、わかんなくてもいいんじゃないかな。市瀬さんはたくさん考えたよ、もうじゅーぶんだよ」

 ぼくたちは、まだ、小学三年生なのだから。
 保護者その他からのくれーぷにより来年から廃止されるらしい、二分の一成人式、とやらに感化されたぼくらのたんにんは、そんなむちゃな宿題をじどうにあたえたのであーる。
 十年後(ほんとは約十一年後)のことなんてどうやって考えろというのだろう。クラスがえのある来年のことすら想像するのがむずかしい。それなのに頭がぐるぐるするくらい考えたのだから、充分だ。
 もう、悲しい顔でいないでほしくて。もう、笑ってほしくて。それでさそったんだよ、お祭り。
 みこがみ君たちには何でだかむちゃくちゃからかわれたけど、どーだっていいのだ。いっぱい市瀬さんが笑ってくれたから、そんなのもう、どうでもいい。

「…………ゅり」
「え?」
「じゅり、がいい。呼びかた」

 足は止まらなかった。息が止まるかと思った。
 けど、それじゃあしんでしまうので、すーーーー、すう。数。吸う。はく。はー。ゲー違う。
 驚いた理由はもちろんいくつかあるんだけど、その中でもいちばん大きかったのは。

「……ぼくだけ、いいの?」

 彼女が、いちばん仲のいい友達にすら"自分の名前"を呼ばせていなかったからだ。
 そういう意味の質問だったのに、市瀬さんはかれーにむしして、ななめ十一度くらいから答えを放ってきた。

「なんか、いい加減むずむずする。たにんぎょーぎかっつーの。わたしは康介って呼んでるのに」

 …………あれ? そういえば、市瀬さんは、ぼく以外のクラスメートの"名前"、ちゃんと呼んでたっけ?
 去年から、同じクラスだけど。よく話すようになったのは今年からだから、実はあんまり覚えてない。
 でも、この予想が当たっていたとしたら。
 ぼくは、この子にとって、
 市瀬さんにとって、
 朱里、にとって「とくべつ、だから」

 そう、なのかあ。

「最初の作文、すごくよかったって、うそじゃなくて言ってくれたから。算数、わかんないの、いつも教えてくれるから。痣のこと、だまっててくれたから。母さんのこと知っても、無視しなかったから。お祭り、さそってくれたから。くまさん、プレゼントしてくれたから。いっしょに花火できたから」

 そんな、暗いしぼくの気のせいかもしれないけどなんか赤くなりながら、さらにぬいぐるみぎゅーしながら言われても、さあ。

「だから、ね、いいの。じゅりでいい。じゅりがいい」

 もしかして、御子神くんたちがからかってたのって。
 知らなかったわからなかったことが見て見ぬふりしてたことが、だばだばくずれ落ちてった中から見つかって、いつのまにかもう家の前にも着いちゃってて、「うん、わかった、じゅ」門から出てきた朱里そっくりの女の人がなんかめちゃくちゃ怒りながら泣きながら朱里の腕をらんぼうにつかんで引っ張ってって、やだとか痛いとか助けてとか言われたけどだってどうしたらいいかわかんなかったからなんもできなくていえなくてこわくて

「×××××××、××××、×××××××!」

 そっくりさんが喚いた。視界のはしに小さな男の子が見えた気がした。
 気づけば僕は逃げ出していた。走って走って、夢中であの坂を駆け下りて、途中で足がもつれて転んだりもした。夜のアスファルトはちゃんと冷たい。星が見える。わりと満天のが見える。本物だ。殴られるときに見えるやつじゃない。
 作文がよかったのは、本当だよ。
 たしかにいつも算数教えてたけど、脚の痣のこともだれにも言わないで黙ってたけど、そっくりさんのことを知ってもいじめに加担しなかったけど、それは多分、きみが僕にすこし似ていたから。それだけだ。祭りに誘ったのも、あんなに射的を頑張ったのも。

「…………うっ、わーーーーーーー、かるい!」

 すっごく、軽くて小さくてスカスカだと思う。ぼくの、とくべつ、は。きみのとくべつと並べるにはあんまりにおそれおおいです。
 御子神くんの言うとおり、ぼくの脳みそって花でもさいてんじゃないのか。だから栄養吸いとられて真剣になれないしばこーんとかばしーんとかだらだらの痛みも感じないし、背ばっかり伸びてくんだ。ちょうわらえるう。
 アスファルトに寝転がったまま、泣きながら笑った。五分後くらいにはそれにも疲れて、蚊が集まってくるのも癪だったのでふつうに起き上がって家路についた。
 そして、それから夏休みが終わるまでの間。自由参加のプールにも、登校日の教室にも、朱里は一度も来なかった。
 始業式の日、蒸し暑い体育館の中で、朱里は長袖のシャツを着て列にならんでいた。

       ♪


 あの日、朱里が母親を階段から突き落としたらしいということは、ほどなくして風の噂となり、僕の耳にも届いた。その行為に至った動機にかなりの心当たりもあるため、なんとなく気まずいまま、彼女とはほとんど話せないまま時が過ぎ、四年生に進級した。それから中学に上がるまで、同じクラスになることはなかった。
 佳澄と朱里がつるむようになって、じつはけっこう安心していた、だなんて。言える立場ですらないと思う。

 四年生になってからずっと、僕は佳澄と同じクラスだ。なので、彼女の名字が漢字三文字だった時代も知っている。
 ……となりの席のさいおんじさんは、わりとへびーないじめられっ子でした。
 と、うん。頭の奥で埃をかぶっている日記帳にも記されているし。
 わざと足を引っかけられるとか、大人の目が届かない場所で叩かれる、蹴られるとかは基本中の基本である。教科書やノートを破かれたり、隠されたり、机に虫の死骸を入れられたり、突き飛ばされたり。水泳の自由時間に、ふざけて溺れさせられそうになっていたこともある。人命に関わることなので、そこでいじめっ子がようやくしっぺ返しを受け、ヘビーな日々は落ち着きを取り戻すようになっていった。それでもしばらくはねちねちねばねばと嫌がらせがつづいていたけど、ある日ぴたっと、それもなくなったんだよな。
 彼女は無反応を貫いていたものの、それなりに辛かったんじゃないかなと思う。横顔が、あんまりにも朱里に似ているんだもの。
 これは神様が与えてくれたチャンスなのかもしれないと、当時の僕は考えていた。つぐないとか、そういう類いの。だからさりげなく、本当にさりげなくを心がけて、佳澄を陰から助けつづけていた。いつか、彼女のほんとうの支えとなる存在が現れますように、心の居場所が見つかりますようにと、祈りながら。気づけば、御子神もそこに加わっていた。
 ぼんやりと、どこか遠くを見つめているその目に、僕のことなんて見えていなくていい。もし見えてしまったら、僕はまたきっと、同じ間違いを繰り返してしまうだろうから。軽い、薄っぺらい気持ちで、また。
 …………なーんて。
 そんな願いはいとも容易く自ら砕いてしまいましたけれども。
 僕は、勝手に深入りを始めて、勝手に責任を感じているのだ。朱里のことも、佳澄のことも。そうすることが、いざというときに使える逃げ道や穴になりうると、知っているから。

「さむぞらの下でもアイスっておいしー!」

 コンビニ前。隣で、今しがた買ったばかりのアイス大福をかじっている佳澄の笑顔を見やりながら、回想を強制終了させる。二個もいらないと言われたので、僕も手づかみで片割れの大福を食べた。そういや、たまに給食のデザートに出てくるっけ、これ。溶けていないとこんな食感なのか。
 そっすねー、おいしーっすねー、などと宣いながら、のこりを頬張り、べっしべしと指先に残る粉をはらった。佳澄が食べおわったら手を洗いに行こう。

「ねーねーこーちゃん」
「何かねみっちゃん」

 僕は寧々子ちゃんでも猫ちゃんでもないし、佳澄だって金見ちゃんでも眠っちゃんでもない。というのもどうでもいい。

「気になってたんだけどさー、いつも腕につけてるそれ、なぁに? だれがつくったの?」

 無邪気なその質問に、反射で「おめーだっぺさ」なんて回答しそうになったけれど、ぐぐぐっ、とこらえる。
 彼女が指差したのは、去年から右腕につけている、ミサンガだ。文化祭のとき、手芸部が企画したキャンペーンのようなものの景品である。
 結論、これを作ったのは以前の佳澄だ。休み時間に教室の自席で編んでいたのを見たので、九割九分間違いない。色の組み合わせもかなり特徴的だし。

「さっきのたいせつさんの、そのまたたいせつさんが作ったんだよ」
「…………その人、生きてる?」

 捉え方によるだろうけど、活きていることは確かじゃないだろうか。という意を込めて頷いておく。

「ふうん」

 結局興味があるのかないのか、そもそもその対象すらも曖昧な無表情で、ごっどはんどを封印されし彼女はゴミ箱へ、アイスの空容器その他を押し込みにいく。
 そのあとは二人で仲良く洗ったおててを繋いで、適当に散歩して、その辺の家の番犬やら放し飼いの猫やらにちょっかいを出したりして時間をつぶしていた。年老いた遊具と枯れ草しかない、寂れた児童公園にたどり着くと、佳澄はベンチに腰かけるなり、僕の膝をまくらにして眠っちゃんとなってしまった。
 事件以来、よく眠るようになった。悪夢も頻繁に見るらしく、僕も何度かあやしたことがあるくらいだ。
 この子は、本当は、いろんなことを無意識の底でわかっているんじゃないかなあ、と。死んだように安らかな寝顔を眺めながら、考える。町を歩いていると時おり、その景色を捉える目の奥に、どうしても滲むものがあるから。
 深いところにある薄皮一枚をぺろーんと剥いだら、この子は一体どうなってしまうんだろう。素直に生まれる好奇心と悪意は、思春期ゆえの正常な歪みであると、信じている。もちろん、行動に移さない理性や責任感も同程度に育てているつもりだから、表面には出さない。
 でも、矛先を自身に向けることなら造作なくできてしまう。そちらの理性や責任感は、うまく育てられなかった人種ですゆえ。

 きみは、死にたいって思ったことがある?

 たぶん、これからどんどん増えるだろうね。佳澄の記憶が戻ろうが戻るまいが。
 だって、自分がかわいいから。自分で首を絞めている自分が、大好きだから。苦しむことで、安心できるから。
 結局はそこに、行き着くのだ。
 そうだよなにが悪い。厚さもわからない雲の上の青空より、目の前のどしゃ降り。根拠のない幸福より、根拠ある不幸。不確かな未来よりは確かな今この瞬間で、移ろう今よりは揺るぎない過去で。その程度なんて他人と比較しても意味がない。
 ……ああ、そうか、僕は僕なりに、朱里と佳澄の苦しみを知りたいだけなのかもしれないな。
 いろいろとすっ飛ばしているような気がするけど、その過程が僕の無意識の意識であり、結果なのだからもうどうしようもない。

「つくづくバカだなと思うよ」

 よーしよし、と柔らかい髪を撫でながら呟く。さみしい青空を見上げて、まぶたを閉じる。

「だから、どうせバカなら、バカを極めちゃおうかと思うんだけど、どうかな」

 たとえば、そう。
 過去をなかったことにして、壊してしまう。
 今、赤い残像の中で透き通っていく、その無邪気な笑顔を、意思をもって消し飛ばす。
 消えろ。
 消えろ。
 きえろきえろきえろきえろきえろきえろきえろきえろきえろきえろき、得て、獲ろ、選るんだ。なにを、だれが? どうやって?

   「う、




「こーちゃん、また泣いてる」

 ほんの一部だけなら、心を殺すことなんて、ものすっごくかんたんだった。
 少なくとも、僕にとっては。

「泣いてないよ」
「つよがりさんだねえ」

 淡く白い息を吐いて、その曇りない目をなぜか潤ませながら、僕の頬に手を伸ばす。

「我慢しないで泣けるのはいいことだって、おかーさんが言ってたよ」

 なんの変哲もない彼女のひとことで、張りつめていた何かが、ぷっつりと、切れてしまった。

「…………いいこいいこ」

 もう、謝るのはやめにしよう。責任とか感じるのもやめにしよう。バカのまんまでいよう。
 とくべつの隣にいつづけよう。
 どうせ死ぬのに生きる理由を、死ぬまで毎日作りつづけよう。
 だからどうか、彼女も天使のままでいられますように。まっすぐに優しくて、明るくて、静かな場所へ行き着けますように。もう二度と、あたたかい笑顔が傷つけられませんように。そんな天使のままでいられますように。
 その日から、たった一週間弱のあいだ、どうにもこうにも、涙が止められなかった。
 僕も、まだしばらくは、曇り空の下を歩いていたい。






 しょう来のゆめ      市のせ 朱里

 大きくなったら、わたしはふつうのおとなになりたいです。
 常しきがあって、そこそこやさしくて、うるさくなくて、どこかしずかな町で、まじめにはたらきながら一人でのんびりとくらす、そんなふつうのおとなになりたいです。
 それ以外、なにものぞみません。





だれかが天使になったあとのお話
『やさしいはつこいのころしかた』 完
 
 

Re: あなたが天使になる日 ( No.34 )
日時: 2019/12/31 00:11
名前: 厳島やよい



『やさしいはつこいのころしかた』 あとがきと、いろいろ。

 こんにちは。厳島やよいです。
 2019年夏小説大会 ダーク・ファンタジー小説部門で、本作品が銅賞をいただきました。記念につくったイメージPVも知人たちに好評で、ニコ動なら利用規約的にも載せられそうかなーとか妄想しています笑
 ダーク・ファンタジー板の前の名称である、シリアス・ダーク板のつもりで書いていたとはいえ、ファンタジー要素皆無だけれど良いのだろうか、と未だにすこしだけオドオドです。
 投票してくださった皆さん、ありがとうございました。




 『あなたが天使になる日』より抽象的な言葉や遠回しな表現が多いことも相まって、わりと無理がある印象、蛇足感なんかも否めませんが、後日譚を書ききることができました。(執筆期間、約3か月。文字数、改行・空白を除いて10451文字、たぶん)
 雰囲気重視の話なのに、書きたいことが意外とたくさんあって、文字数のわりに詰め込みすぎたというのも反省点のひとつです。


 本編中の、6『天使になりたい』で登場する古い熊のぬいぐるみは、康介がプレゼントしたものです。この話を書くつもりで、当時執筆していました。

 正直細かいことは覚えていないのですが、本編中でほとんど描写できなかった(しなかった?)であろう、登場人物の成長が書けたかなと思います。
 わかりにくいけれど比較的変化が大きいのは、九歳の朱里と十三歳の朱里です。
 独りで強く生きていくんだという静かな意志を感じるボツ作文の、九歳。佳澄と出逢い、ひとと深く関われるようになって、離れていた人間関係に少しだけでも近づくことができた、ほかの形でも佳澄を大切にしたいと考えた、十三歳。
 康介が佳澄を陰で支えていたことも知っていたからこそ、あの日の朱里は「死にたいって、思ったことある?」ときけたのかもしれません。
 そんなことを想像しながら、この話を書いてよかったなあ、と余韻に浸るのでした。
 ちなみに、康介の名前の由来はとくにありません。名字の鷹取には、続編(の、ようなもの)でのつながりが少し、ある予定。御子神も繋げられるかなあ。




 先日、とあるブログ記事を拝見しました。直接の外部誘導は禁止だと記憶しているので、URLは貼らず、概要をゆるく要約していきます。
 筆者の方が視聴している(文脈から察するに、おそらく毎朝なのでしょう)テレビのトーク番組にて、その日は、特集に関連して「母に言われた忘れられない言葉」というテーマで募集したメッセージが、出演者に読み上げられていました。
 ほのぼのとした思い出にコメントを添えていき、番組は和やかに進行していました。が、あるメッセージが読み上げられたことにより、スタジオの雰囲気が一変。

「"あなたは幸せになれない"という母の言葉が呪いのように残っています」(原文ママ)

 冗談で和らげることも、内容を掘り下げることも難しかったため、そのときは曖昧なコメントが交わされて話題が移りました。
 数十分後、番組は何事もなかったように進行していましたが、出演者のひとりが意見したそうです。

「ずっと気になってたんですけど、さっきのメッセージ送ってくれた方ね、お母さんの言葉が呪いになっているという。あの、FAXここで紹介された、読まれたことで、もう、呪いは解除されたということでいいんじゃないかなと。厄落としというかね、これをもって呪いは解けたということで。よろしくお願いします。幸せになってください」(原文ママ)

 その言葉が、体にすっと染み込んでいく感覚がありました。当時の筆者の方と同じく、わたし自身もすこし、救われたような気がしたのですが、それ以上に大きかったのが、物書きをつづけている理由への気づきです。
 ひょっとして、わたしは文章を書くことによって、物語に自己投影することによって、それをだれかに読んでもらうことで呪いを解こうとしているのではないか……。そう気づいて、頭の片隅にかかっていた靄が、少しずつ、少しずつ、晴れていきました。
 思えば『あなたが天使になる日』全体、あとがきなども含めて、厳島やよいの壮大なひとりごとみたいなものですし。
 以前、読者さんのひとりが「(この作品を)やよい自身だと思って読んでいる」と仰っていて、的を射ていると感じました。どうりで書きやすいわけです。

 人間、だれしもが様々な呪いを抱えていると思います。その呪いの解き方も、人それぞれだと思います。と、いうことはもしかしたら、読むこと、で呪いを解ける人も、少なからずいるのかもしれません。
 自己満足の塊の文章が、もし、ほんのすこしでも、間接的にでも、だれかひとりの役に立てる日が来たら。
 これほど嬉しいことは、なかなか無いかもなあと、思うわけです。


 もうひとつくらい『あなたが天使になる日』のその後を書けたら楽しいのに、話が単純すぎたせいかネタが足りません。おとなしく続編(の、ようなもの)でも書きます。
 この物語のページを開いてくださった、たいせつに読んでくださった皆様、応援の言葉や感想をくださった皆様、改めてありがとうございました。

二○一九年 十二月 厳島やよい


引用・参考 ■ 『呪いが解ける日』夜更け/note
(問題がありましたら、該当部分を削除します。ご一報ください)
 
 

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