ダーク・ファンタジー小説

あなたが天使になる日
日時: 2019/08/27 22:45
名前: 厳島やよい


 本編、完結済みです。
 様々な形で応援してくださった皆様に、心からの感謝を。

もくじ

1『影に咲いている』>>1-3
2『そのまま、泣いていたかった』>>4-6
3『きみがふれた光』>>7-9
4『傷口に砂糖でも塗りたい』>>10-11
5『赤を想う』>>12-14
6『天使になりたい』>>15
7『青霞み』>>16 >>19-20
8『あなたが天使になる日』>>21-25
9『彼女の記憶、閑話休題』>>26-27
10『Untitled』>>28-29
あとがき1 >>30
あとがき2 >>31


イメージソング:『Sea Side Road』Eshen Chen

※流血描写等あります。苦手な方はご注意ください






 これは、海が見えるちいさな町に住んでいた、ある女の子のおはなし。





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Re: あなたが天使になる日 ( No.27 )
日時: 2019/08/15 21:50
名前: 厳島やよい



       ※

 きょうは仕事が早く片付いたので、職場から逃げるように車を走らせ、まっすぐ、高台にそびえる市瀬邸へと向かった。
 朱里の訃報については、とくに何も感じていなかった。首吊り自殺だったと聞いても、なにも。長いこと心が凍結していた私に、人間として当然の感情を求められても困ってしまう。あのときああしていれば、とか、生きていてほしかった、とか、そんな当然のことを考えられるようになったのも、つい最近のことだ。
 蒼太がなぜ、長い間連絡を取っていない私に直接電話を掛けてきたのか、気になった。葬儀はごくわずかな親族のみで執り行われたらしいし、他人が家にやって来て線香を立てられるのも困る、とでも言いたげな声色をしていた。それなのに、わざわざ私にコンタクトを取ったのだ。なにか、話でもあるのだろうと考えるほかない。
 ただそれ以上に、いやな予感がしたからという、根拠のない、漠然とした理由がいちばんにあった。この類いの予感は大抵当たってしまうものだと、数十年を生きてきた私の脳みそが訴えてくるのだから、仕方がない。
 交差点に引っ掛かると、近くで畑でも燃やしているのか、どこか懐かしい煙のにおいが流れ込んできて、思考を強制的に停止させられる。ぼんやりとしていたら、信号が青に変わったことにも気づかず、後ろから盛大にクラクションを鳴らされてしまった。お手洗いにでも急いでいるかのような勢いだ。万が一の責任を転嫁されても困るので、すこし先で前を譲ることにする。ネズミ取りでも仕掛けられていたら、有無を言わさず切符を切られるであろう速度で、彼(だったと思う)は姿を消した。

「…………ぼんやり、ねえ」

 四年前離婚した、以前の夫に、よく言われた記憶がある。きみはいつもぼんやりしている、どこか遠くを見て、遠くに生きているようだと。
 その言葉は、あながち間違っていない。私は十四年前から、ひととは別の世界を生きているからだ。


 娘がうまれた日、私の頭の中から、なにがしか大切なものが抜け落ちてしまったのを覚えている。それが一体何なのか、ひとことで説明するのは非常に難しい。
 まず、隣で眠っている赤子が、他人にしか思えなかった。これ以上の苦痛は世の中に存在しないはずだというほどの耐え難い痛みを乗り越え、出会えたはずの我が子が、赤の他人にしか見えなかった。取り違えられた、他人の子どものようにも見えた。
 それに気がついた瞬間、世界が私から遠のいて、すべてが偽物のように、平行世界の別物のように感じられた。この子どもも、夫も、ベッドも、壁も天井も、病院のスタッフも、町も、家も、大好きな海も砂浜も、果ては自分自身までも。
 ひどく孤独だったけれど、寂しいとは思わなかった。悲しいとすらも思えなかった。そんな自分を後ろから笑って眺めている自分もいた。
 世界が変わったわけではない。自分自身が、どうにかなってしまっただけなのだと、確かにわかった。わかったところで、どうにもなりはしなかった。
 母親になりきれない私が、母親として、育児以外に少しでもできることは一体なんだろう。家事か? 料理なんてまずできないし、食器を洗おうとしても毎回、皿を割るか辺りが水浸しになって、雑巾を絞っている間に、洗濯機を回していたことも、お風呂にお湯をためていることも忘れてしまう。気がつけば、そんな脳内と比例するように家の中がめちゃくちゃになっていて、司が後始末をする羽目になる。そして佳澄が、不安げな目で私たちを眺めている。なんだこれ、なにやってんだ私、役立たず過ぎて笑いたいけど、これっぽちも笑えない。
 これくらい大丈夫だよーと司は笑っていた。どうして笑えるんだろう。ひとが当たり前にできることを、私は何一つできないのに。少しだけ喉の奥が熱くなって、けれどもすぐにそんなものは引っ込んでしまって、もう、家のことがこれほど駄目なら、唯一の取り柄である仕事しかないでしょうと。無意識にそんな結論に至った。いまだに体が重いのも、あちこちが痛いのも、もうどうでもよくなってしまった。

「杉咲さん、娘さんとは最近どうなんですか?」

 離婚前後、職場の人間から、耳のタコが腐るほどにきかれたっけ。

「まあ、ぼちぼち」
「私達にできることがあったら、何でも言ってくださいね、いつも助けていただいてますから」

 何でもって、なんだ。
 できることなんて無いでしょう、あなたたちには。あってたまるものか。
 そう、本気で思った。無表情を、無感情を装うその裏でぐちゃぐちゃになりながら、ぐちゃぐちゃの理由も意味もわからずにひたすら働く。
 そして、離婚の二年ほど前。
 きっかけは、夫の──司の些細な体調不良だった。それが積もりに積もっていくのを見かねて、病院で診てもらうようすすめたのだ。その日はかかりつけの診療所が閉まっていたので、隣町の総合病院まで車を走らせた。
 その後、彼が、重たい口を開いて瑠璃子と同じ病名を告げたとき、朱里の笑顔が蘇った。泣き顔も蘇った。


 わたしね、生まれてこなければよかったなーって、おもうの

 わたしのせいで、お母さんはびょーきになって、びょーいんにとじこめられそうになったんだって。つらいこと、いっぱいあったんだって。わたしが生まれてこなければ、そうたとお父さんだけでしあわせにくらせたんだよ

 じゅり、もっちゃんがママならよかったなぁ


 何年ぶりだっただろう。涙を流して、声をあげて泣いたのは。
 人間らしい感情を、私はあのときようやく思い出せた。遠い昔、心を固く冷たく、閉ざしてしまった理由も、なんとなくわかった気がした。
 心が生きているって、こんなに苦しいんだ。苦しくて、痛くて、辛い。どうにもできない。でも、どうにかしてしまったら、この気持ちもきっとすぐに忘れてしまう。そんなの、嫌だ。だから、それなら、そう、最初からなにも感じなければいい。
 殺してしまおう、壊してしまおう。ほんの少しの部分だけ。
 少しだけなら、きっとこれからも生きていけるから。


 なんでー、もっちゃんは優しいよ? ぜったいいいママだよう


 朱里は、きょうも生きているのだろうか。生まれてこなければよかったと考えながら、生きているのだろうか。
 司が私の背中をさすっている。なぜか一緒に泣きながら。その感触がだんだんと自分の表面から遠のいていくのを、静かに眺めていた。
 司とおなじ世界を生きるのは、きっとこの瞬間が最後なのだろう。そう考えた二年後も、司は治らないままで。彼が以前と同じように仕事を続けることは、難しくなっていた。

「なあ百馨、おとといさあ、同僚の紹介で■■■の集会に行ってきたんだ。ひとが沢山いて、どうしようかと思ったけど、発作が起きなかったんだよ、あれからずっと気分がいいし、信者の方々も優しくてねえ、俺のこと、全部わかってくれてるんだ。だから俺も入信したよ。もう病院に行かなくていいかもしれない、そうしたら仕事にも戻れるかも、って、おおい百馨ぁ、きーてるかー」

 あの日の瑠璃子と、そっくりだった。異常な目の輝きも、微熱を帯びた独特な話し方も。
 食卓の片隅で肩を揺すられながら、考えた。もう、この人と生きていてはいけない。この人のそばに私がいてはいけないし、佳澄だっていてはならない。朱里のように、生まれてこなければよかったなんて、言わせるものか。何がなんでも、あの子を守るのだ。私なりのやり方で、強引だろうが強情だろうが卑怯だろうが、せめて彼女が独り立ちするまでは。
 そうして私は、失うことを選び、勝ち取ることもできた。
 娘の信用なんて、最初から無いに等しい。だから怖いものも何一つない。別れたって構わないけれど、わたしは彼といきたかった、と。そんなことを泣きわめきながら言われたところで、痛くも痒くもなかった。
 いつかわかってほしいだなんて、愚かなことは考えていない。死んでもなお、悪者にされたままだって、構わない。ただひとつ"母親"として、身勝手な最善策を取ることができた。それがきっと、頭のどこかで少しだけ、嬉しかったのかもしれない。
 相変わらず、佳澄のことは他人にしか見えないし、この行動が愛だとももちろん思わない。思ってはいけないと、わかっている。そもそも、彼女の好きなものも、嫌いなものも、人間関係も、学校での成績もよくわかっていないような私が、愛などを語る資格はない。
 そろそろ、回想なんてやめよう。これ以上ぼんやりしていたら、冗談抜きであの世へいってしまいそうだ。
 近くの空き地に車を停め、私は、気を引き締めて市瀬邸へ向かったのだけど。
 
「…………くさい」

 呼び鈴を鳴らそうと伸ばした指先、まぶたが、ちり、と震えた。視線を門の奥に向けると、玄関の扉がすこしだけ、開いていた。
 潮の香りに紛れているそれは、ほんの微量なのに、鼻腔を深く刺すように強い存在感を放っている。
 田舎暮らしも長いせいか、あまりに覚えがあった。もしそうでなかったとしても、分かっただろう。本能的な部分に訴えかけてくる、この特有のにおいの正体が。
 あるときは屋根裏に、あるときは道のど真ん中に。またあるときは、砂浜の片隅にも淀んでいる。
 ────死の、臭いだ。
 

Re: あなたが天使になる日 ( No.28 )
日時: 2019/08/17 20:07
名前: 厳島やよい



   10『Untitled』


 瑠璃子の死体を見つけてからの記憶は、どうも曖昧なままだ。映像としてはいまでも鮮烈に目の前を流れるものの、やはりというべきか、他人事のようにしか思えない。そういう意味で、曖昧だ。残像がこびりつくほどの、赤色灯の光が重なって、現実味が薄れてしまっている。
 私はあのとき、本当にあの屋敷にいたのだろうか。
 蒼太は私のこともいっしょに殺すために、呼んだのだろうか。
 一階の真っ暗な物置部屋。足元からこぼれていく頼りない光が、変わり果てた彼女の姿を照らしたとき、のどの奥に、胃液の味が滲んだ。異臭のせいなのか、無惨な光景を見たショックによるものなのかはわからない。脳裏で高校生の頃の彼女が笑ったからかもしれない。そもそもなぜ一目で瑠璃子だと判別できたのか、それが普通なのかすらもよくわかっていない。
 しばらく立ち尽くしていたら、二階から物音が聞こえたような気がして、階段を上った。頭から血を流し倒れている佳澄を見つけるまでに、それほど時間はかからなかった。彼女のすぐ近くで、蒼太らしき男の子も汚物と血にまみれている。幸い、ふたりとも息はあったので、救急車を呼んだ。
 やっと警察の事情聴取が終わった深夜にはくたくたで、佳澄のベッドのそばで、いっしょに私も眠ってしまっていた。次に目が覚めたとき、まさか佳澄が私を認識できなくなっているなんて、知る由もなく。
 ……記憶障害の、一種だと言われた。佳澄は五・六歳程度の状態に記憶と精神が幼児退行していて、私はもちろん、学校のクラスメートや手芸部員のことも、だれなのかわからない、と怖がっていた。その代わりに、自身の父方の祖父母は覚えているような素振りを見せる。この子が五歳の頃は、まだ祖父の認知症も始まっていなかったはずだ。祖母にだけでも会わせるべきか否か、最近よく考えてしまう。司からのメールは返ってこない。
 喜怒哀楽がわかりやすくなったという点では非常に助かるのだけれど、何分、以前とのギャップが激しいので、退院した今もなかなか慣れないでいる。表面上は無感情で、ひとりでも生きていけますよとでも言いたげな顔をしていた佳澄を思うたびに、胸の奥が鈍く痺れた。

「さい…………じゃない、佳澄、さんは、本当に僕たちのことを忘れちゃったんですよね」

 居間の低い机で斎藤先生に折り紙を教えてもらっている彼女を見やりながら、食卓で正面に座る、佳澄のクラスメートの鷹取くんが呟いた。
 今さら何を言っているのかなんて、そんなことは思わない。私も、同じことをよく考えるから。
 複雑な感情をたたえているのであろうその目がとても人間らしくて、ただ、羨ましい。

「あの子にとっては、ただ知らない人、ってだけなんだろうけどねえ。あんなになっちゃって、正直引くでしょ」
「そんなこと、ありません」

 あまり真剣な顔で否定してくるので、いい子だなあと思うと同時に、少し申し訳ない気持ちになった。

「……ジュース、持ってくるよ」

 逃げるように、キッチンへ駆け込む。
 居間からはカウンターの陰で見えないけれど、わざわざ斎藤先生が生けてくれた見舞い客からの花たちが、流し台の横にたくさん並べてある。佳澄はもともと花が苦手なうえに、事件の影響もあってか花瓶を怖がるので、こうしておくしかないのだ。枯れてもいないものを捨てられるほど、私は突き抜けていないし。そう思って眺めていたら、枯れかけている花をいくつか見つけてしまった。
 隣近所、親族、同僚、クラスメート。はじめのうちは剥き出しの好奇心を携えてやって来てくれていた彼らも、退院を境に減っていく一方だ。けれども鷹取くんは毎週、部活を休んで、家にいる佳澄に会いに来ている。事件のあった日、最後に彼女と言葉を交わしていたらしく、事情を知ってから罪悪感で潰されそうになっているのだと、友人の御子神くんが言っていた。ふたりとも、佳澄とは小学生のころから同じ組だったようだけれど、あいにく覚えてはいない。
 ふたりで同時に頭を下げられたときは、これ以上に困ることが人生で何度あるだろうかというほどに困惑してしまったっけ。
 死んだ花だけをごみ袋へ詰め込む。なぜかしぶとく生き残り、取り残されているカスミソウたちをまとめて、空いた花瓶に挿しなおした。単体でも、きれいだなと思う。いっそドライフラワーにでもしたい。
 カスミソウは、佳澄の名前の由来となった花だ。楚々とした、可憐なこの花がわたしは大好きで、成長した彼女にきっと似合うのではないかと想像したという、単純な理由だった。だから佳澄が保育園の頃、花がとても苦手だということを知ったときは、すこしだけ残念に思った。
 冷蔵庫のオレンジジュースをコップに注ぎ、ソファに座っている鷹取くんのところに運んで、ふたたび座った。何事もなかったように。何も考えてなどいないように。

「市瀬の弟、精神病院に入院したらしいですね」
「まあ、あの子もいろいろあったみたいだし。これからは母方の祖父母が面倒を見るってさ」

 生まれてから何年もの間、虐待の傍観を続け、父親の別居を境に不登校になり、性的虐待まで受けるようになった日々の中で姉を亡くし、母親を殺害。さらに姉の友人を殺そうとして返り討ちに遭い、最後には病院に放り込まれた彼の気持ちを推し量ろうと思っても、できるわけがなかった。
 少年法に守られて、彼はきっと、この世界で生きつづける。それに対し、個人的に思うことはとくにない。彼の祖父母が、母親と同じような目に遭わなければ、それでいい。
 そういえば、あの二人にも、土下座をする勢いで謝られたっけ。祖父のほうには殴ってくれと頼まれたけど、そんなことはもちろん、出来るはずもなく。彼らの気がすむならと考え、差し出されたものも受け取ってしまった。
 父親である紅弥は、事件の二日前から行方がわからなくなっているらしい。瑠璃子と蒼太のことを知って自ら姿を消したのか、どこかで死んでいるのか、何者かに拉致でもされたのか、それすらわからないままだ。佳澄については言わずもがな、蒼太もまともに話ができる状態ではないため、諸々の真相は今もなお、彼らの口からは明かされていない。よって、私も世間も、捜査によって記録・報道された事実、朱里の書いた日記や遺書から、あの日に起きたことを想像するしかなかった。

「……百馨さんは、平気なんですか」
「なにが?」
「そのー、市瀬の母さんと、仲良かったんでしょう」
「あー、うん。でも、昔の話だし」

 私のそういう部分は、壊死しちゃってるからね。なんて、言おうとしてやめた。私まで入院させられてはたまらない。休職して面倒を見ているこの状態の佳澄を、ひとりにするわけにはいかないのだ。
 それに、最近少しずつ、心が目覚めはじめたような気がしているから。

「そう、ですか」
「それ飲んだら、もう先生と帰りな。そろそろいい時間でしょう、親御さんが心配するよ」
「…………わかりました」

 コップを握る手元には、色鮮やかなミサンガが覗いている。
 鷹取くんの悲しげな笑顔を見て、やっぱり私には、あれほど人間らしい表情はできないと思った。まだ、と付くか、もう、と付くのかはわからない。前者であることを、切に願いたい。
 彼はぐっとジュースを飲み干し、佳澄のところへと歩み寄っていった。

「みっちゃん、そろそろ、お兄ちゃんと萌絵先生は帰るね」
「わかったー、気をつけてねー」

 もうすぐ、年も暮れる。

Re: あなたが天使になる日 ( No.29 )
日時: 2019/08/17 20:15
名前: 厳島やよい



*

 市瀬邸から見つかった朱里の日記の原本などがきっかけとなり、件の宗教団体の児童虐待問題や、地域で相次いでいる子供たちの自殺について、本格的な捜査の火蓋が切られた。正確には、以前から行われていたらしい潜入捜査が功を奏したからなのだけど、細かいことはこの際どうでもいい。
 宗教団体設立のきっかけ。表向きの顔、その実情。被害者や遺族、彼らの近隣住民へのインタビュー。報道番組ではそんな話題が延々と続くので、次第にテレビを見るのが億劫になってしまった。家の電話線も外し、ネットや宅配サービスなんかに頼って、ずいぶん長いこと、引きこもって過ごしている。そろそろ散歩でもしたくなってきた。
 もう二度とこのような痛ましい事件が起こらないようにと人々は声をあげているけれど、騒ぎはじめるのがいささか遅すぎはしないだろうか。そんなことを、遠くから眺めて考えているだけの私も立派な共犯者だ。
 不器用ながらも佳澄を寝かしつけたあと、そっと部屋から去り、自室の空調をいれてから古いパソコンを立ち上げた。かたわらに、メモ帳と、以前の彼女が不定期につけていたらしい日記帳と、なぜか通学鞄の中で眠っていた、朱里の日記のコピーもいっしょに広げて。
 だれに何を言われたわけでも、影響されたわけでもない。ただいつのまにか、夜になるとキーボードを叩くようになっていた。
 ねじれて絡まっている不透明な真実を、私の勝手な解釈で組み上げ、肉付ける。そうしてこの文章が、ひとつの物語として生を受ける日が来ても、世界に発信するつもりはさらさら無い。いつか、彼女自身が望んでページをめくるときに、この物語には生きていてほしかった。
 でももし、これを読んだせいで、佳澄が拒否反応を起こしたら。さらに時の流れを逆行したら。
 もし、自殺でもしてしまったら。
 考えられる可能性なんていくらでもあった。それでも、手を止めることはなかった。
 決して、佳澄のために書いているなんて言えないし、言いたくもない。そんなことを話せる人も、現時点では周囲に存在しないけれど。
 本当は、まだまどろんでいる自分の心を、感情を目覚めさせたいだけなのかもしれない。なかったことにされようとしている人生たちの一片を、想いを、彼らが生きようと足掻いた瞬間を、紛い物でもなんでもいいから形に残し、そこに自らの心を見出だしたかっただけなのかもしれない。まあつまりこの行動は、単なる私のエ「おかーさん」「うん?」反射的にデータを上書き保存して、画面を切り替える。何一つ無駄のない動作に自分でも驚いてしまった。

「おかーさん、いつも遅くまでなにやってんの? もう十二時過ぎですよう」

 振り向くと、眠気のせいか、不規則に、不安定に揺れて立っている佳澄がいた。
 よたよたと歩き、近づいてくる彼女の姿は、幼少期のそれと何ら変わらない。今は亡き母が好きだった漫画の主人公と、まるで正反対だ。

「仕事だよ。みっちゃんこそどうしたの、やっぱり眠れない?」
「…………違う、といれー、れ、ううん?」

 すべては油断した私の責任で、しまったと思った頃にはもう遅かった。
 手元の日記を覗きこんで、ひとこと。

「朱里」

 漢字なんて、ほとんど読めなくなっているはずなのに。
 彼女が、その名前を久しく口にした。

「みっちゃん、」

 見ちゃだめ。そう、つづけようとした言葉が、唇が空回った。
 佳澄が、大粒の涙を流しはじめたから。

「あれ、みっちゃんなんで泣いてんだろ、ね、おかーさん、いたい、あたまが、いたいっ、ううううう」

 私が、病院のベッドではじめて目覚めた佳澄の名前を呼んだときのように、錯乱も嘔吐もしなかったものの。小さくちいさくうずくまって、呻いている姿は、あのとき以上に苦しそうで、ひどく孤独に見えた。
 伸ばした手のひらが、一度、空を切る。また感覚が、感情が、遠のいていきそうだった。彼女の痛みが真正面から突き刺さろうとしているのだから、当然の防衛反応だ。
 それでも、離れそうになる世界ごと手繰り寄せるように、震えるてのひらで強く、佳澄の肩を引き、抱き締めた。私はここにいるよと、あなたはここで、しっかり生きているよと、何度も呼び掛けた。
 もう二度と、あんな思いはしたくない。あんなに寂しくて苦しくて、狂いそうで、叫びたいのに叫べない世界を、この子には味合わせたくない。
 そう、こんなもの、愛でもなんでもない。ただのエゴだ。エゴでしか、私はこの子と向き合えないのだ。
 だから、出来上がった小説は佳澄にはぜったい読ませないと、いま、決めた。これは、私の中の佳澄に語る、私のためだけの物語だ。

「おかーさんも、ないてるの?」

 いつの間にか落ち着いたらしい彼女が、耳元で静かにたずねてきた。
 もはや、何がそこまで悲しいのか、自分でもわけがわからない。

「そうだよ、泣いてる。泣けるよ、ちゃんと、泣けるようになったから、大丈夫。だいじょうぶ」

 つたない文章だし、ひとの気持ちを書くのはとても難しいし、中途半端な書きかけがまだ、たくさんたくさん、あるけれど。
 ──書き出しすら、未だにしっかり決められていないけれど。
 何年かかってもいい。
 いつか、目の前にいる佳澄とも向き合える日がくるまで、私は書き続ける。








 これは、海が見えるちいさな町に住んでいた、ある女の子のおはなし。







       完


 

Re: あなたが天使になる日 ( No.30 )
日時: 2019/08/17 22:15
名前: 厳島やよい






 こんにちは、厳島やよいです。
 半年以上かかった執筆・投稿が、やっとの思いで終了しました。もしかしたらこれは終わらせられないんじゃないかと思いながら書いていたりもしましたが、頑張った甲斐がありました。
 このあとがきが投稿されているということは、何だかんだで物語の収拾がついたということですね……なんて書き出しも考えました(このあとがきは、本編完結前に書いています)が、それじゃあまるで遺書みたいなので、ボツになりましたとさ、ちゃんちゃん。

*

 ストーリーが比較的短いこともあり、今回はメモ帳の中で完結を迎えてから投稿しようと決めて筆をとりました。ひとに読まれるまで時間がかかる分、いくらでも修正がきくので。
 わたしは、人物の感情や思考を文にすること自体が大好きで、気づけば、文字創作が日常動作に組み込まれた生活を送るようになっていました。自身の強みも、わかってきました。
 が、小説を書くには致命的なほどに昔から構成力が甘い、という自覚もあります。気持ちよく小説を書きつづけるためにも、わたしの文を好きだと言ってくださった、褒めてくださった方へ敬意をはらうためにも、最低限の技術は身につけるべきだと思い、この作品の執筆に至りました。
 少しでも、上手になれていたらいいな。

 しばらくはのんびりと『青、きみを繋いで。』の片付けでも進めようかなあと思っています。あれはもう行くところまで行ってしまったので、いまさら書き直す気にもなりません。
 ゆるりと執筆活動をしつつ、後回しにしてきた他の趣味も楽しんでから、今作の続編のような、スピンオフのようなファンタジーものも書くかもしれません。墓地墓地、じゃなくてぼちぼちと。やっていきます、色々と。

 ひとまずこれで、あとがき第一部、は終わりです。ありがとうございました。

Re: あなたが天使になる日 ( No.31 )
日時: 2019/08/17 22:50
名前: 厳島やよい

 ここからは、今作で読者に伝えたかったことやこだわったポイントなどをまとめていく、あとがき第二部、となります。
 自分用の記録に書いたようなものなので、乱文が多いです。ご了承ください。


※本編未読の方の閲覧はおすすめできません。
※こちらも本編完結前にまとめたものですが、なるべくそのままの状態で投稿します





□まず、ハード面について


 ダーク・ファンタジー板に投稿するにあたって、表現にはだいぶ気を遣いました。
 複雑・ファジー板への投稿も考えましたが、一定以上の描写は使わなかったので、こちらにお邪魔させていただいております。

 この物語では、終盤を除き、なるべく地の文を淡々と書くことを意識しました。
 とくに主人公。普段であればそこそここだわるであろう風景描写、例えば海辺のシーンも、目に映る最低限の情報を書いておわります。感情より、登場人物にとっての事実が優先になります。主人公・杉咲佳澄の、他人への関心の薄さ、物理的に狭い視野、世界を冷めた目で眺めている印象を表現するためです。
 しかし、朱里視点での執筆においては、事実より彼女にとっての感情を優先させました。こちらは精神的に視野が狭い。誤解を恐れずに言うならば、良い意味で悲劇のヒロインぶっているところが、読み手の好き嫌いを左右しそうだなとも思います。
 と、いう感じに、客観的な佳澄視点と、主観的な朱里視点の対比を作りました。ふたりとも、あまり多くを語らないのが共通点です。良いなあと思います、自分で。
 百馨(佳澄の母)はハイブリッド型かな。
 主人公に、皮肉や言葉遊びも交えながらたらたらと語らせるのは大好きです。そのため、普段から地の文が長ったらしくなりがちなのですが、今作は初心にかえるつもりで、できる限りばさっと切りました。慣れてしまえば難しさは感じないものの、だんだん文章が長くなってきているような気がして、そこは結構面倒でした。
 長文短文、堅い文にも柔らかい文にも、それぞれの良さがあると思います。最終的には個人の好みに行き着くのでしょう。



□物語が生まれたきっかけ

 この物語の種が生まれたのは、昨年(二〇一八)の夏ごろ。朱里の口癖でもある『死にたい』がすべての始まりでした。最初に思いついた登場人物も朱里です。そして、瑠璃子と蒼太、佳澄、くらいの順番でほかのキャラクターが作り出されました。
 悩みがある、失敗してしまった、生きづらい……そんなときの、大小も軽いも重いもない気持ち。
 だれかに言われてしまったとき「わたしはこの人の『死にたい』をなくすことはできないのだ」とどこかで勝手に傷ついた自分が存在したり、自分がだれかにそう言ってしまったとき「嫌な思いをさせなかっただろうか」ともやもやしたり。もし、似たような考えを持っている、経験のある人がいたら、この気持ちに共感してはくれないかなあと。そんな風に考えていたら生まれたお話なのです。



□いつかの自分に、自分と似ただれかに、伝えたいこと

 書いているうちに忘れちゃったなー! というのは半分冗談です、半分。
 「死にたい」が心の中に存在すること、していたことへの罪悪感とか、それを人に言ったこと・言われたことで、こびりついてしまった悲しみとか。言葉の力は強烈なので難しいですが、そういうものは少しずつでも洗い流していっていいものだと思います。その気持ちがあることで命を大切にできるのなら、もちろん適度に留めておいていいのかもしれない。
 辛いことは時間が忘れさせてくれるよ、とか、とりあえず前向きに生きようよ、ということは、安易にひとに言えませんし言いません。自分が言いたいとき、自分自身に対して言ってあげればいいと考えるので。ひとにそう言われると「あなたに何がわかるの?」と真っ先に考えてしまうちいさい人間です、わたしは。風化はしても、傷が完治することなんてきっとないし、時間が癒してくれるものならこんなに苦労しないんじゃないかなあ、なんて。
 上から目線の不幸自慢のようになってしまいましたが、言いたいことは大体伝えられたはず。お互い大変だけどなんとか今を生きていきたいよね、というお話です。



□登場人物についてT

 佳澄は今の自分、朱里は過去の自分、と見立てて書きました。世界をどう見ているか、ふたりの体験や感情において、完全にではないけれど、自身のそれらを投影しています。手芸部に入りたかったというのも、そのうちのひとつです。読む人によっては、ほかにも色々と気づいてしまうかも。
 未来の自分はだれなのだろうと、書きながら、時々考えたりもしました。もしかしたら百馨(佳澄の母)かもしれないし、蒼太や司(佳澄の父)かもしれない。絶対いやだけど、瑠璃子かもしれない。
 わたしの中の朱里とさよならできる日はまだまだ遠そうで、佳澄がどうなるかもわからなくて。気がついたら二人とも、ぱっと消えていたりするかもしれません。

 それと、ここに書くかどうか少々迷いましたが、瑠璃子の元婚約者は佳澄の父親、西園寺司(さいおんじ まもる)です。一応、本編中で匂わせてはあります。

・2『そのまま、泣いていたかった』の司の台詞「いち、のせ……」
 →最初の伏線
・当時のあだ名がツカサであること(7『青霞み』参照)
 →司はツカサとも読める
・司と百馨が海で出会ったとき、司は百馨のことを知っていた(同上)
 →もちろん、瑠璃子経由で

 婚約破棄に離婚に病、その上親の介護やら何やらで、わりとひどい扱いになってしまいました。いい人なのに。
 でもきっと、彼は強く生きていきます……。



□登場人物についてU

♪杉咲 佳澄(すぎさき かすみ)
 主人公。中学二年生。
*じつは、手芸部がどんどん幽霊部員の巣窟になっていくせいで半強制的に部長になっていました。書く必要もなかったので、裏設定となってしまいましたが。

♪市瀬 朱里(いちのせ じゅり)
 佳澄の友人、同級生。
*もし正式な手芸部員になっていたら、副部長にするつもりでした。必然的に朱里の寿命が縮むのでボツ。とくに書かなかったけれど、美人さんなイメージ。

♪杉咲 百馨(すぎさき ももか)
 佳澄の母親。
*この人に思い入れがあるのかないのか、よくわからない。朱里に、死にたいって思ったことある? ときかれたときの佳澄のような気持ちです。物書きとしての思いは少し投影できたので、よかった。

♪市瀬 蒼太(いちのせ そうた)
 朱里の弟。小学三年生。
*もう少し掘り下げてみるべきだったかなあと思う登場人物。彼自身と百馨がいろいろ説明してくれちゃったので、まあいいかなあとも思います。

♪西園寺 司(さいおんじ まもる)
 佳澄の父親、百馨の元夫。
*ひどい扱い(登場人物についてT 参照)になってしまいましたが、少し気に入っています。自身のことをまったく覚えていなかった百馨の存在には、救われただろうな。エレベーターで泣いているシーンが好きです。

♪市瀬 瑠璃子(いちのせ るりこ)
 朱里と蒼太の母親。司と同い年。
*何事も起こらなければ、ふつうに良い母親だったんだろうな……。朱里と仲良しな瑠璃子も見てみたいです。二人で料理とかしてほしい。あと、テニス。

♪市瀬 紅弥(いちのせ こうや)
 朱里と蒼太の父親。彼らとは別居中で、瑠璃子と離婚はしていません。
*当初、彼目線でも話を書こうかと考えていたものの、朱里に語らせるだけで済んでしまったので、出番なしです。

♪斎藤 萌絵(さいとう もえ)
 手芸部の顧問。家庭科教師。
*"もっちゃん"のミスリードのつもりで、萌絵、になりました。7『青霞み』にて、ファミレスの店員としても書いています、じつは。

♪土浦(つちうら)
 手芸部員。中学一年生
*めんじょめんじょーの子。尾野さんとはけっこう付き合いが長かったりしそう。少し気に入っています。次期部長、がんばれ。

♪新藤(しんどう)
 手芸部員。中学一年生
*真面目な子。土浦さんとは中学に上がってから知り合ったんだろうなーとか思っていたり。副部長です。アイス大福が好き。

♪尾野(おの)
 手芸部員。中学一年生
*やらかしちゃった子(5『赤を想う』参照)。1『影に咲いている』の時点で、ゆるゆるな伏線を張っています。

♪御子神(みこがみ)
 佳澄と朱里のクラスメート
*真面目そう。世渡りうまそう。

♪鷹取(たかとり)
 佳澄と朱里のクラスメート
*同じく真面目だけど、要領は悪い、たぶん。佳澄との相性は悪くない、たぶん。



□大変だったこと

・朱里の日記の日付合わせ、過去編の時間軸など
 きっちりやろうとすると、わたしの性格上、キリがなくなるので、割りきって適当にやりました。平日が休日になっていたり、登場人物の年齢がずれていたりして、気になってしまったらごめんなさい。

・ところどころ実体験だったり、程度に差はあれど、近いようなことも描写するので、ときどき悲しくなる
 書いている以上は我慢するしかない。

・執筆中特有の孤独感
 何と言えばいいのでしょうか。もちろん物を書くことは楽しいのだけど、それとこれはまったく別次元の感情なのです。あまり、人に自分の小説のことを語らないからかも。
 小説を書くというのは、その世界の神様になるということで。わたしたちの世界の上にもそんな『神様』がいるのなら、きっとこんな気持ちなのかもしれないな、と考えていました。



□今後の目標など

 小説を書くときはとくに、起承転結の転結が苦手でぶつ切りっぽくなってしまうことが多いので、きれいに作れるようになりたい。意識して回数を重ねれば、少しはなんとかなるでしょうか。
 伏線回収が華麗にできる人に憧れます。厳島には、どうも穏やかなやつしかできません。百馨然り、めんじょめんじょー然り。薬物云々のくだり(1『影に咲いている』にて伏線あり)は、じつはかなり頑張りました。



□そのほか

・5『赤を想う』の「昔観たアニメ映画の台詞」は、と●りのト●ロの「夢だけど、(以下略)」です。

・10『Untitled』の「今は亡き母が好きだった漫画」
 見た目は子供で頭は大人のやつ。笑


 執筆作業は、音楽を聴いたり聴かなかったりしながら進めました。ピアノ系のゆったりしたものが多かったです。
 とにかく書けるときに地道に書いていたので、時間帯はばらばらですが、夜のほうが多かったかも。

 また、あとがき第一部にもある通り、準備にも執筆にも時間がかかりそうですが続編を書くかもしれません。
 三・四年ほど前に原型の生まれた『いたみ、いのり、願うこと』(仮題)で、本作の登場人物が主人公になります。仲間内のツイッターでちょろっと呟いたことがあるので、もし覚えている人が……いてくれたら、嬉しい。
 もともと今作は、それとはまったく別の作品の前日譚になる予定だったのですが、構成を考える段階で難しくなってしまいました。時代設定を若干曖昧にさせているのは、その名残です。両作の舞台が近所同士になったので、まあいいかなとも思います、海の見える町が好きなので。
 もし書けそうになったら、頑張ってみます。
 ちなみに、佳澄たちの住むところは、千葉県のとある三つの町をモデルとしてかけあわせた、架空の町です。



□おわりに

 長くなりましたが、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

 またどこかでお会いできたら、嬉しいです。
 それでは。


※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体は架空のものであり、実在のものとは関係ありません。

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