ダーク・ファンタジー小説
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- メランコリック・レイニー
- 日時: 2012/11/09 17:26
- 名前: ベルクシュアテン ◆ulufrlRV4E (ID: YO.h.a0k)
酷い雨。
悲しみと、恐怖と、そして狂気によって真っ赤に染まった雨。
傘を差しても意味のないほどに、溺れて死んでしまいそうなほどに、ただただ降り頻る雨。
それが止むのは、きっと人々がこの世界から消え去ったときでしょう。
——Melancholic rainy.
【Greeting】
皆さん、初めまして。
ベルクシュアテンと申します。
これは戦争を題材にした短編集です。
綺麗な話なんてきっとないです。
悲惨かつ憂鬱な話ばかりだと思います。
【目次のようなもの】
>>001 雨の沈丁花(大東亜戦争、ペリリュー島の戦い)
>>002 フリージング(大祖国戦争、スターリングラード攻防戦)
>>003 ライ麦のパン(継続戦争)
>>004 不幸中の幸い(西部前線、オーバーロード作戦)
>>005 アッド(大祖国戦争、スターリングラード攻防戦)
>>006 終焉(独ソ戦、ベルリン市街戦)
- Re: メランコリック・レイニー ( No.2 )
- 日時: 2012/08/15 21:40
- 名前: ベルクシュアテン ◆ulufrlRV4E (ID: Vgvn23wn)
- 参照: 黙祷。
【フリージング】
1942年11月、ソヴィエト連邦スターリングラード。
私は、ここにいた。
崩れかかったビルの二階、壁に大穴が開いた部屋だ。
匍匐姿勢でモシン・ナガン狙撃銃を構える私の隣に座る、まだ18歳だという女兵士アーニャは白い息を吐きながらヴォトカ(ウォッカのこと。アルコール度数が高く、ロシアでは一般的な酒)を差し出してきた。
私はそれを受け取り、一口飲むとすぐに返す。
ヴォトカは身体を温めるのには丁度良いが、あまり飲みすぎると狙撃に支障が出るからだ。
アーニャはヴォトカを置くと、すぐにPPSh-41短機関銃を持ち直した。
「リュドミラ、ドイツ人の顔は見えますか?」
「……いや、誰もいないわ」
スコープ越しに見る街の様子は酷かった。
広場の噴水の近くには多くの同志達(ここではソ連兵のことを指す)の遺体が横たわり、中には戦車で踏まれたような悲惨なものまである。
私達は未だドイツ軍の占領下にある市街地にいたのだ。
最初の守備隊の生き残りなど、恐らく私達以外にはそうそういないだろう。
逃げ回りながらも掻き集めた食べ物も、そろそろ底を尽く頃だ。
チーズと乾パンが無くなれば、あとはヴォトカしか残らない。
しかし、アーニャも私も呑気なもので、ドイツ兵に見つかれば殺され、捕まれば犯されて殺されるのが関の山だろうなどと話していた。
モシン・ナガンを構えつつも考える。
一体この街で何人の人間が死んだのだろうか。
ドイツ軍がこの街に攻め入ると、赤軍の組織的統制はあっという間に崩れ、しかし冬になるとドイツ軍の動きも鈍ったため、生き残った赤軍の兵士達は味方の増援を待ちつつもこの街に残っていた。
アーニャは私のくすんだ金髪に指を絡め、口を開いた。
「寒くないですか?」
「確かに寒いけど、あまり気にしないことにしたわ」
私は頭を逸らして手を払いながら答えた。
この数ヶ月にも及ぶ逃走の中で、当然ながらドイツ兵と戦うことも多々あった。
身長180cm、体格だけは男並みに良い私はある時、ドイツ兵と白兵戦になり、そいつを三階から突き落としてやった。
そして、ウシャンカ(ロシア帽とも。毛皮で出来ていて、耳当てがついている、防寒用の帽子)をドイツ兵ごと落としてどこかにやってしまった代わりにドイツ兵が持っていたMP40短機関銃を手に入れた。
今そのMP40は私のすぐ横に置いてある。
しかし、一方でウシャンカを失った私の頭はとても寒かった。
流石にアーニャのものをもらうのも忍びないため(そもそもくれないとも思うが)、ずっとこのままだ。
早く春が来てほしいなどと思いつつ、スコープを覗く。
敵もいなければ、味方もいない。
見える範囲にはほぼ死体しかない。
流石にここまでくると、気が滅入りそうだった。
もう何日も同じ死体を見ている気がする。
私は一度スコープから目を離し、ごろりと寝返りを打つと、壁に寄りかかって座った。
長い時間匍匐姿勢だったため、肘が痛い。
「移動ですか?」
アーニャが尋ねてくるのに、私はすっと手で否定の意を示し、大きく息を吐く。
白い息が前へと飛んでゆき、そして散っていった。
「リュドミラ、何が見えているのですか?」
アーニャが再び尋ねてくる。
移動中の余裕があるときや、こうして少し休憩したときなどに必ず聞いてくる内容だ。
私はいつも通り答える。
「現実。ソヴィエトが負けているという現実が見えてる」
目の前にいるのが年下の、しかも二等兵ともなると私も気が楽だ。
アーニャは微笑んでみせる。
もしも、彼女が政治将校だったりしたら、私は頭に7.62mmトカレフ弾を撃ち込まれて死んでいたことだろう。
私は彼女の身体を抱き寄せ、額に軽くキスをすると、モシン・ナガンを腕に抱き、アーニャに寄り添った。
「寒いですね」
「そうね」
淡々とした会話。
アーニャの僅かな温もりが伝わってくる。
彼女の体温が高いのか、それとも私が低体温なのか、ともかく私とアーニャは眠るときやひどく寒いときは寄り添って、互いに温もろうとする。
その時に感じる、アーニャの温もりこそが今の私の唯一の癒しだった。
翌日も、やはり動きはなかった。
そんな日が三日続いた、ある日。
スコープ越しに、ドイツ軍の車列が見えた。
車両に乗るドイツ兵の中に、見るからに仕立ての良さげな軍服で、制帽を被り、煙草を銜えた、明らかに高級将校らしき男が見えた。
私はアーニャにこのことを伝える。
アーニャは撃ちたければ撃てば良いじゃないかといい加減に答えてくれた。
その時は頼むよ、と私は返し、再びスコープを覗く。
この距離なら狙撃をした後、ドイツ軍が押し寄せるより速く逃げ出せるだろう。
私は引き金に指をかけた。
将校に照準を合わせ、そして引き金を絞る。
乾いた音、光、肩に当てたストックから反動が伝わり、銃口が跳ね上がる。
再びスコープで覗くと、将校は倒れ伏しており、周囲のドイツ兵達は慌てた様子で周囲を警戒していた。
そもそも私達の場所すら分かっていないようだった。
ここで私は欲を出した。
ボルトレバーを引き、再びスコープを覗き直す。
次に狙ったのは、MP40を構えている先程の将校の補佐らしき男だ。
よく狙って、引き金を引く。
一秒の間を空けて、補佐らしき男はその生涯を終えた。
しかし、これが私の判断ミスだったのだ。
私はボルトレバーを引き、ドイツ兵がこちらに気付いたのを確認し、あと一人撃ったらすぐに逃げようと思っていた。
スコープ越しに戦車が目に入る。
あぁ、終わった。
主砲が思い切りこちらを睨んでいる。
「アーニャ逃げろっ!」
私は、振り向いて叫ぶ。
確かにそう言った。
言ったと思う。
その直後、頭の上を何かが飛び抜け、そしてすぐ後ろで炸裂した。
視界が真っ暗になり、反射的に自分が目を瞑ったのが分かった。
全身に激痛が走り、段々その激痛は消えていき、ただただ身体が熱くなった。
漸く目を開くと、目の前にアーニャの顔があった。
激しく、しかし虫の息の彼女は私と目が合うと、私に向かって微笑んだ。
少しずつ、身体が楽になっていく。
何も感じない。
アーニャは微笑んでいる。
私もそっと微笑んだ。
戦場では、一瞬の判断のミスが命を奪う。
自分の、仲間の命をも奪う。
それを減らすには、常に相手の二手三手先を読むことだ。
—後書き—
独ソ戦で書いておいてなんですが、今日は終戦記念日でございます。
靖国神社参拝、とまではいかなくても、黙祷くらいはしましょう。
- Re: メランコリック・レイニー ( No.3 )
- 日時: 2012/08/16 20:57
- 名前: ベルクシュアテン ◆ulufrlRV4E (ID: Vgvn23wn)
【ライ麦のパン】
1942年2月。
フィンランドとソヴィエト連邦の国境から大分西にあるこの陣地に、二人はいた。
フィンランド国防軍のマキネン一等兵とコルホネン一等兵である。
二人はKP/31短機関銃を脇に抱えながら塹壕に座り込み、前を歩く味方兵士の邪魔にならないよう、足を引っ込めた。
東から攻め込んでくるソ連軍に怯えながらもこの塹壕を守り続ける彼らは、酷く疲れた様子を見せていた。
真冬のフィンランドである。
辺りは雪で真っ白になり、時折遠くにソ連軍だかドイツ軍だか分からない戦車部隊がうろつく以外、当面の敵は時折やってきて攻撃を仕掛けてくる共産パルチザンとマイナス40度という寒さだけだった。
「なぁ、マキネンよ。なんでイワン(スラヴ系の一般的な男性名。転じてロシア人のことを指した)の連中、最近来ないんだ?」
黒ライ麦パンを食べていたマキネンは怪訝そうな顔でコルホネンの方を見た。
「来ないんだから良いだろう。来たらまた俺達は死ぬ一歩手前まで追い詰められちまう」
「それもそうか。縁起でもなかったな、すまない」
コルホネンの質問に、自分の代わりに答えてくれた仲間に軽く感謝しつつもマキネンはまた一口、パンを齧った。
コルホネンが再びマキネンの方を見る。
「……一口くれよ」
「やらん」
また一夜明けた。
枢軸軍が相当優秀なのか、ソ連軍は驚くほど来ない。
長らく撃っていない銃も、毎日のように整備しているとはいえ、使えるかどうか心配だった。
コルホネンはKP/-31についた微量の土を吹き払い、ため息をついた。
白い息が一層寒さを感じさせる。
マキネンの方を見ると、まだ眠っている。
コルホネンより年長で、冬戦争を生き抜いたマキネンは、歴戦の戦士の雰囲気があった。
彼は昨夜も夜間の見張りを引き受け、早朝まで起きていたのだ。
誰も眠っている彼には触れない。
同じ一兵卒でありながら、ヴェテランの風格を醸し出す彼のことを誰もが尊敬していたのだ。
次の日も、その次の日も、やはりこの陣地は暇だった。
重要な防衛線で、補給物資だけは豊富にあったこの陣地の兵士達は少しずつ調子に乗り始める。
猟師だったという狙撃手が一頭の鹿を仕留めたらしく、その日の晩は指揮所を含めてその鹿の肉を存分に味わった。
ライ麦パンなどより遥かに美味しかった。
夜、黒ライ麦パンを齧りながらマキネンは塹壕の隅から空を見上げた。
ソ連軍はこの日も来なかった。
「なぁ、コルホネン」
塹壕から頭を出し、平原の向こうが真っ暗なのを確認していたコルホネンが振り向く。
「まるで平和になったみたいだな。今が戦争中だなんて信じられん」
マキネンは、微笑んでいた。
そこには何十人というソ連兵を殺し、過酷な戦争を生き抜いてきた戦士の風格などなく、ただの軍服を着た男。
彼も単なる一人の人間なのだと実感する。
脇に抱えたKP/-31をちらりと見て、マキネンは続ける。
「こいつを持たなくても良くなる日が来るのはいつになることかね。俺はその日が待ち遠しい」
猛禽類のような、しかしどこか懐かしげな色の目が再びコルホネンを捉える。
コルホネンもマキネンに微笑み返し、
「きっと来るさ。……それ一口くれよ」
「やらん」
その日は唐突にやってきた。
その時、マキネンは黒ライ麦パンを齧りながら塹壕の外を眺めていた。
平原に敵影はない。
マキネンはそれを確認して頭を引っ込めた。
その時だった。
銃声が鳴り響き、全員が頭を低くする。
「パルチザンだ!」
誰かが叫ぶと、フィンランド兵達は激しく動き回り始めた。
銃を構えて別方向からの攻撃に備える者、指揮所と現場を行ったり来たりして現状を報告する者、補給物資を守るために銃撃戦に参加する者——一瞬でそこは戦場と化した。
しかし、すぐにパルチザンは撃退された。
2,3人が倒れるとすぐに撤退したのだ。
「に、逃げ出した……? ちょっと見てくる、援護頼むぜ」
一人のフィンランド兵が敵の退却を確認するために塹壕から出る。
パルチザンの死体は20m程先にあり、よくここまで遮蔽物がない場所で銃撃戦を挑んだものだ、などと感心できる程近かった。
確認に出た兵士は死体が完全に死体であることを確認し、歩いて戻ってこようとした。
しかし、直後に背後から一発、銃声とともに倒れる。
「狙撃手だ! 向こうの木の陰!」
様子を見守っていたフィンランド兵達の中の一人が叫ぶ。
猟師だった狙撃兵が構える。
「どの木だ!?」
「あの木だよ、あそこ!」
「分からんぞ!」
また塹壕の中は騒がしくなる。
その時、一人のフィンランド兵が撃たれた兵士を指差して言った。
「彼はまだ生きてる! 助け出そう!」
「よし、俺が行ってくる! 援護してくれ!」
名乗りを上げたのはコルホネンだ。
フィンランド兵達はそれに応じ、塹壕から身を乗り出すと、敵狙撃手がいるであろう木々に向かって弾をばら撒くように掃射した。
それが終わると同時にコルホネンが飛び出し、撃たれた兵士の元へと駆け寄る。
その撃たれた兵士を担ぎ上げて運ぼうとした時、また銃声が鳴り響いた。
コルホネンが膝から崩れ落ちる。
その直後にまた銃声、狙撃兵がボルトレバーを引き、「仕留めた」と呟いた。
マキネンと数人の兵士達がコルホネンと撃たれた兵士へと駆け寄る。
「う……あ……マキ……ネン、は、はっは、パン、……一口くれよ……」
マキネンが抱き上げると、コルホネンは血が流れ出す口を微かに動かしながら言った。
マキネンはポケットに突っ込んだままだった食べかけの黒ライ麦パンを取り出すと、そっとコルホネンの口元へと持っていった。
しかし、コルホネンは口にすることなく、穏やかな表情のまま意識を手放し、静かに息を引き取った。
「……やるよ、このライ麦パン」
マキネンはそっとコルホネンの手に黒ライ麦パンを握らせ、呟いた。
白い雪は、撃たれた兵士とコルホネンの血で、真っ赤に染まっていた。
—後書き—
多分義務教育の歴史では名前すら出てこないであろうフィンランドの戦争、冬戦争と継続戦争。
赤軍パルチザンがここまでフィンランドに入り込んだ場所に現れたのかどうかに関してはつっこみなしでお願いします。
- Re: メランコリック・レイニー ( No.4 )
- 日時: 2012/08/19 11:15
- 名前: ベルクシュアテン ◆ulufrlRV4E (ID: Vgvn23wn)
【不幸中の幸い】
意識がはっきりしてきた。
ゆっくりと辺りを見回し、ゆっくりと身体を起こし、そしてまた辺りを見回す。
砂の感触と湿った空気、辺り一面に転がっている死体。
見知った顔、あまり知らないが見たことはある顔。
どれも、目を見開いたり、苦しそうに表情を歪めたり、中には安心したような顔だったり。
一体何が起こったのか、記憶が定かではない。
私は一度頭の中を整理し、記憶の糸を辿ってみることにした。
1944年——そうだ、ノルマンディー。
ここはフランス、ノルマンディーのオマハビーチではないか。
確か私はこの上陸作戦で揚陸艇の側面から飛び出した後、なんとか砂浜に辿り着いて、そこからヒトラーの電動ノコギリ(MG42汎用機関銃のこと。連射能力の高さからこう呼ばれた)やアハトアハト(88mm高射砲のこと。ドイツ語の“acht”から)の砲撃を潜り抜けて走っている真っ最中だったはずだ。
では何故銃声も砲声も爆音も聞こえないのか。
周りは死体だらけなのか。
私は手元に落ちていたガーランドライフルを手に取ると、それを杖代わりにして立ち上がった。
丘の上で味方がうろうろしているのが見える。
まさか、ドイツ軍の陣地を制圧し、橋頭堡を確保することに成功したのか。
私はヘルメットを拾い上げて被り、重い足を引き摺りながら、陣地に向かって砂浜を歩き始める。
しかし何故私はあんなところで倒れていたのだろうか。
最後に頭に強い衝撃を受けたような気もするが、はっきりとした記憶ではない。
もしかしたらもっと前のことかもしれないし、私の単なる勘違いかもしれない。
「軍曹!」
友軍兵が一人、駆け寄ってくる。
彼には見覚えがある。
同じ小隊にいた、カーソン二等兵だ。
「ご無事だったんですね、てっきり死んだものとばかり……」
まだ20歳にならないという彼に、私は随分懐かれていた。
彼なら、知っているかもしれない。
「……カーソン。私はどうなった? それと、作戦は成功か?」
私が問うと、カーソンは少し怪訝そうな顔をして、
「作戦は成功ですよ。あー……軍曹の方は、多分ヘルメット見たら分かります」
カーソンに言われ、私はヘルメットを外して確かめる。
驚いた。
ヘルメットには弾丸によって凹んだ跡があり、私はなんとなく寒気に似たものを感じた。
まさか、弾丸が頭に当たったが、ヘルメットによって弾かれ、一命を取り留めたとでもいうのか。
強い衝撃の正体はこれだったらしい。
「あ、タグまだ残ってますか?」
私は自分の胸元を確認した。
軍隊では、識別のために認識票を各兵士に配る。
アメリカの場合は二枚式の認識票で、細いチェーンで首から提げており、戦死者の確認のために回収する(余談だが、犬の檻につける札と似ており“ドッグタグ”という俗称で親しまれている。場合によってはタグという名称しか知らない者もいるだろう)。
確認のために歩き回った誰かが、倒れている私を見て戦死者と勘違いする可能性も否定できない。
チェーンは服の中に入っている。
そっと揺すると、タグ同士が擦れ合う、金属音がした。
それを確認して私はほっと一安心した。
「残っているな。これでまだ死んでいないと報告に走らなくて済みそうだ」
安心すると、すぐに多少のジョークを言う余裕も出てきた。
カーソンは苦笑いした。
私は友軍が確保した橋頭堡の丘に登り、オマハビーチを一望した。
後方部隊が安全になった砂浜に上陸してきている。
一方で砂浜にはまだ死体が残っており、こうして見るととんでもない数の人間がここで死んだのだと実感した。
この後は生存者を集めて部隊を再編成し、カーンを目指して進撃するという。
私も当然その部隊に入って内陸へと進む。
カーソンに案内され、小隊の生き残りと再会した。
私とカーソンを含め、半分も生き残っていないというのだから恐ろしい。
小隊長のローランド少尉とその副官ターナーも戦死したとのことで、他は二等兵か上等兵ばかり、実質生き残った下士官は私だけだった。
この段階で指揮を執ることの出来る士官もいなかったこともあり、この小隊は暫く私が引き受けることになった。
再び丘の上から砂浜を一望する。
ドーヴァー海峡には多数の味方艦船が並び、そして揚陸艇が続々と砂浜に上がってきている。
このドーヴァー海峡を挟んで向こう側にはイギリスがあり、今はぼんやりと霧がかかっていた。
——ふと、霧が私に笑いかけてきたような気がしたのは、きっと気のせいだろう。
—後書き—
ノルマンディー作戦において最も悲惨な場所ともいわれたオマハビーチ。
一説には4000人もの死傷者が出たとのことです。
続きません。
- Re: メランコリック・レイニー ( No.5 )
- 日時: 2012/10/07 07:48
- 名前: ベルクシュアテン ◆ulufrlRV4E (ID: YO.h.a0k)
【アッド】
「ここが地獄の一丁目か」
誰かがそう冗談めかした。
ソヴィエト連邦、スターリングラード。
ドイツ軍の侵攻を受け、地獄となった場所だ。
彼らは今まさにその地獄へと送り込まれようとしていたのである。
「ユーリ、黙っていろ」
先ほど冗談めかした男ユーリはウラジーミルの言葉にふん、と鼻で笑って返した。
ヴォルガ川を越えればそこはもうスターリングラード、昔はツァリーツィンと呼ばれていたソヴィエト有数の大都市だ。
小さな舟艇に20人程のソ連兵が詰められ、酷く窮屈ではあったが、誰も文句など言わない。
舟艇の縁に立った政治将校がメガホンを手に、叫ぶ。
「祖国のために! 我らが祖国ソヴィエトのために! ファシスト共を撃滅し、この母なるロシアの大地から追い出すのだ! 奴らに何がある! 奴らにはもう何も残ってはいない!」
政治将校が一度息を吸おうと言葉を切った直後、前方の舟艇が吹き飛んだ。
皆が唖然とする。
ドイツ軍の迫撃砲の直撃を受けたのだ。
その時、一人の男が立ち上がり、川に飛び込もうとした。
周囲の兵士達もそれに釣られるように立ち上がる。
慌てて政治将校が飛び込まないように押さえたが、一人がその間をすり抜け、ヴォルガ川へと飛び込んだ。
政治将校が拳銃を抜く。
「裏切り者め! 死ぬが良い!」
そう言うと兵士が飛び込んだ水面へと発砲した。
PPSh-41短機関銃を構えた数人の督戦隊兵士も水面に発砲する。
飛び込んだ男が浮かんでくることは無かった。
川岸に到着すると、武器も持たないソ連兵達は舟艇を降りる。
ヴォルガ川の畔の橋頭堡となっている地点ではソ連兵達が並び、政治将校からライフルと弾薬を手渡されていた。
そしてそれらを受け取ると、すぐにドイツ軍の砲火の中に飛び込んでいくのだ。
ドイツ軍は小高い丘の上に防御陣地を構え、突撃するソ連兵達を一人ひとり、まるで的を撃っていくかのように弾丸を叩き込んでいく。
「ライフルは二人に1挺だ! 一人がライフルを、もう一人が弾薬を持て!」
政治将校が叫ぶ。
ウラジーミルはモシン・ナガン小銃を受け取り、すぐに走り出し、そしてすぐに政治将校に怪しまれないように大きな倒木の物陰に隠れた。
すぐ近くを、敵の弾幕に恐れをなした一人のソ連兵が引き返していく。
それを見た一人の政治将校が腰から拳銃を抜き、その兵士を撃つ。
撃たれた兵士はばたりと倒れ、しかしそれでもなんとか逃げようと地面を這うが、非情にも政治将校はもう一発弾丸を叩き込み、その兵士にとどめを刺した。
様子を見ていたウラジーミルは背筋に軽い悪寒を覚えながらも前を見た。
ドイツ軍のMG42汎用機関銃による弾幕にさらされたソ連兵達が次々に倒れていき、最後にウラジーミルの隠れている倒木の表面をMG42の弾丸が削り取る。
ウラジーミルは思わず頭を引っ込めた。
ここから進むことなど、到底不可能だ。
しかし戻れば政治将校に撃ち殺される。
ライフルのグリップを握り締め、ウラジーミルは呟く。
「地獄だ、ここは……!」
舟艇でジョークを言った男、ユーリがすぐ近くのレンガの塀の残骸に隠れる。
その遮蔽物を弾丸が抉る音を聞いて驚きながらもユーリの目はウラジーミルの姿を捉えた。
「おーい、同志よ! 俺がそこから少し突っ走るから、ついてきてくれないか!」
ユーリが呼ぶ。
よく見るとユーリはライフルに装填する弾薬クリップを一つ握り締めているだけで、それ以外に武器はないらしい。
ウラジーミルは頷き、走り出す準備をした。
ユーリは一瞬笑顔を見せ、走り出す。
ウラジーミルも続いた。
「案外当たらないものだな……」
大分上ってきた時、ユーリが呟いた。
二人は何度も遮蔽物を飛び出しては別の遮蔽物に隠れ、また遮蔽物を飛び出しては別の遮蔽物に隠れ、を繰り返してなんとか丘の上のドイツ軍陣地の近くまで辿り着いていた。
少し下の、民家の残骸の中で通信士と政治将校が見え、ユーリはこれを見てにやりと笑んだ。
「同志よ、あの政治将校を頼む」
「分かった」
ユーリが言うのを聞いて、ウラジーミルは民家に向かってライフルを構える。
政治将校は二人に気付きもしない。
ユーリが走り出す。
政治将校がユーリの姿を捉えた。
ウラジーミルはすかさず引き金を引き、弾丸を放つ。
弾丸は政治将校の首を貫通し、政治将校が崩れ落ちるのをユーリは踏み越えた。
ユーリが合図してくるのを見たウラジーミルも走り出し、民家に飛び込む。
「同志! おい、同志通信士! 早く砲撃を要請しろ!」
「あ、あぁ!」
ユーリが声を荒げて言うと、通信士はすぐに通信機に向かい、ヴォルガ川の向こう側で待機している砲兵部隊に砲撃の支援を要請する。
ウラジーミルは息を吸い込み、なんとか呼吸を整えようと、ふとヴォルガ川の向こうを見た。
霧が深く、向こう岸など見えないが、突然霧の中に空目掛けて何本もの光の線が描かれ、それは流星群のように絶え間なく飛んでいく。
そしてその数秒後、轟音とともに光の矢がドイツ軍陣地に降り注ぐ。
ドイツ人たちの断末魔、火薬が誘爆したのか、更に大きな爆発が起こる。
ソ連軍が使う82mm BM-8自走式多連装ロケット砲、通称“カチューシャロケット”によるものだった。
ウラジーミルの足元に人間の腕が一本落ちてきた。
灰色の制服をまとった左腕だ。
十中八九、ドイツ軍の兵士のものだろう。
「同志! 早く行こう!」
ユーリに呼ばれ、ウラジーミルはまた動き出した。
ソ連軍は丘の上を確保した。
このまま進撃すれば市街地の確保も遠くない。
丘に登るための途中の坂ではソ連兵達の死体が多数転がっていた。
この防御陣地を一つ確保するためにそれだけの人間が犠牲になったのだ。
ウラジーミルはまた呟いた。
「地獄の方がよっぽどマシだ……!」
—後書き—
悲惨かつ無謀な突撃を日本軍の十八番みたいに言う人がいますが、実際もっと悲惨で多くの犠牲者を出した突撃を行った国はソ連です。
本編中であった「ライフルは二人に一挺」というのは実際にあったことだそうで、これは特にスターリングラードで行われたのが知られています。
独ソ戦書いたのは二度目ですね。
因みに“アッド”はロシア語で“地獄”を意味します。
- Re: メランコリック・レイニー ( No.6 )
- 日時: 2012/10/20 01:56
- 名前: ベルクシュアテン ◆ulufrlRV4E (ID: YO.h.a0k)
【終焉】
1945年4月、ベルリン。
ナチ政権下ドイツは、最早限界だった。
ソヴィエト赤軍の大軍が雪崩れ込んだ市街地は地獄と化していた。
国防軍は悉く壊走し、武装親衛隊の奮闘も空しく、ドイツの最高指揮官アドルフ・ヒットラーは自殺した。
ロシア人たちに占領された地区に住むドイツ人達には虐殺とレイプの恐怖が迫っていたのである。
国民突撃隊、という名で編成された市民軍は、手渡された榴弾発射機を慣れない手つきで構えて奮戦したが、当然ながらソ連軍は勝てる敵ではなかった。
それでも残った武装親衛隊と国民突撃隊は戦い続けていた。
例え、もうナチが崩壊していることなど分かっていても。
一人のドイツ人の少女がライフルを手に、走っていた。
短めの金髪を靡かせ、翡翠のような瞳を揺らし、息を荒げながらも手に持ったKar98kライフルは決して離さず、薄汚れたエプロンドレスの上に羽織った親衛隊の灰色のコートを落とさないように気を使いつつ、ひたすらに走っていた。
使い古したブーツが石畳を叩く音、それ以上に響く銃声と砲声。
見知らぬ人の家を駆け抜け、窓から飛び出すとソ連軍が銃撃してきたのをすんでのところで振り切る。
ソ連兵達が追いかけてきていないのを確認しながらも、武装親衛隊の兵士達が撃つ88mm砲の横を通り抜けて尚も走った。
MP40短機関銃を持った武装親衛隊兵が制止するのを振り切り、ティーゲル戦車の前を横切る。
そして、トーチカに飛び込んだ。
手榴弾を投げ込まれたのか、そのトーチカの中は真っ黒で、ひどく無残な姿のドイツ兵の死体が二人転がっていた。
少女は息を整えながらも設置されたMG42汎用機関銃が使用可能か確認し、使えないことが分かるとその場に座り込んだ。
彼女は当然ながら武装親衛隊の隊員ではない。
国防軍にも、親衛隊にも、国民突撃隊にも属していない、ごく普通の街娘だ。
そんな彼女が何故、親衛隊の灰色のコートを羽織り、ライフルを抱えているのか。
それは、彼女のこれまでの経緯にあった。
ベルリンの街角で防空壕に隠れ損ねた彼女は武装親衛隊の心優しき青年に助けられていた。
自分がいる限り必ず守る、とまで言われた彼女はその言葉を信じていたのだ。
しかし、青年は自分のコートとライフルを少女に預け、自分は銃剣一本でソ連軍へと突撃していった。
残された少女はコートとライフルを持って、うっすらと記憶にあったトーチカへと向かった。
そこで、死ぬことを目的に。
少女はまずKar98kというライフルがどういうものか、理解する必要があった。
当然ながら使ったことも無い代物のため、どうしようもない。
ボルトレバーを引いてみて、それで装填が行われたことにも気付かなかった。
取り敢えず引き金を引けば撃てる、ということだけは分かっていたため、引き金には触れず、その他の箇所を見てみる。
しかし彼女がそうしている間にも戦闘は続き、コートのポケットに弾薬クリップが一つ入っていることに気付いた頃には、もうソ連軍は目前まで迫っていた。
明らかなロシア語の断末魔が聞こえたとき、彼女は一層身を硬くし、しかしそれでもライフルを弄るのはやめない。
一人の親衛隊兵士がトーチカの入り口まで走ってきた。
「君! 早くここを出るんだ! 危険だ! 早く逃げろ!」
昨日まで、逃げる市民を「敗北主義者だ」と言って撃っていた親衛隊に逃げろ、と言われると実際かなりそれは妙な話だった。
少女は一瞬ぼんやりしていたが、もうソ連軍がそこまで迫っているのは理解していたため、取り敢えずふらりと立ち上がった。
親衛隊の男は外を確認し、入り口から出る。
「来たまえ、壕まで急ごう」
少女がゆっくりと一歩踏み出したときだった。
男の頭が弾けた。
血が飛び散り、それは少女の薄汚いエプロンドレスを更に汚す。
男の身体がどさりと音を立てて倒れ込む。
少女はその光景にただただ立ち尽くした。
ロシア語の叫び声が聞こえて、我に返った少女はすぐにトーチカに引っ込む。
そして、ライフルのストックをそっと肩に当てた。
重いライフルの銃身を左手で保持し、なんとか持ち上げると恐らく男を銃撃したであろう敵がいる方向へ向けた。
その方向には一軒の民家があり、少女はそこの窓から撃ってきたものと考えたのだ。
ぐっと引き金を引くと、乾いた、しかしここでは聞き慣れてしまった音とともに銃口が火を吹き、同時に少女の肩を凄まじい衝撃が襲った。
「きゅっ!」
跳ね上がった銃口による衝撃とその重みに耐え切れず、尻餅をつく。
どうやら発射された弾丸は確かに狙った窓を撃ちぬいたらしかったが、そこには誰もいなかったらしい。
一人の女性ソ連兵が目敏くそれを見つけ、少女に振り向く。
少女は慌ててライフルをそのソ連兵に向けた。
ソ連兵は短機関銃を構えつつも、ずんずん進んでくる。
当然人を撃った経験もない少女は、ぎゅっと目を瞑り、引き金を引く。
かちり、という音がしただけで弾は出ない。
少女は何度も引き金を引くが、やはり弾は出ない。
それもその筈、Kar98kはボルトアクションライフルで、一発撃つ度にボルトレバーを引いて次弾の装填をしなければならないのだ。
それを知らない少女は何度も引き金を引いてはかちりという音を鳴らし、それを見たソ連兵はにやりと笑みをこぼした。
ライフルを横に蹴倒され、いよいよ持って抵抗の手段を失った少女はただ固まった。
女ソ連兵はにやにやしながら自らが横に蹴倒したライフルを拾い上げ、慣れた手つきでボルトレバーを引き、少女に向けて引き金を引いた。
7.92mm弾が少女の顔のすぐ横を掠める。
少女は目を丸くし、そして同時に身を硬直させ、じわじわと涙を流し始めた。
女ソ連兵は後ろからやってきた部下らしきソ連兵にライフルを手渡すと、短機関銃を背負い、少女の腕を掴んで身体を持ち上げる。
随分軽々と少女を引っ張り上げたソ連兵は、相変わらずにやにやと笑いながら少女に手を上げるよう促した。
「Получил добычу!(戦利品だ!)」
女ソ連兵が高らかに言うと、辺りを抑えたソ連兵達が一斉に歓喜の声を上げる。
ロシア語が分からない少女は、しかしそれでもなんとなく辱められた気分になった。
女ソ連兵はすっと少女が羽織っていたコートを引っ張り、生地の感触を確かめるかのように触れた後、短いドイツ語で「脱げ」と言った。
少女は渋りつつ、するりとコートの袖から腕を抜く。
その直後、ソ連兵はあっという間にそのコートを奪い取ってしまった。
「シュォーン」
酷いロシア訛りのドイツ語に、それが「美しい」という単語であると理解するのに、少女は数秒の時間を要した。
その間にソ連兵は少女をトーチカへと追い込める。
「あんた、随分痩せてるね」
片言のドイツ語で、ソ連兵が話しかけてくる。
その手はするすると少女の身体の彼方此方を触れていき、それがなんとなく彼女の体の感触を楽しんでいるのが分かった。
少女は喋らない。
女ソ連兵は少し詰まらなさそうな顔をして、ゆっくり立ち上がった。
外で辺りを見張っていたソ連兵達がその様子を見て、少女をその視線に捉えた。
ひどく、下卑た目だ。
少女は女ソ連兵の服の裾をきゅっと掴む。
「? 私、母じゃないよ?」
変なドイツ語で彼女が話しかけてくるのも気にせず、少女はきゅっと裾を掴む。
やがてソ連兵は笑い、少女の頭を撫でた。
「Вы не сделали еще?(まだですか?)」
外のソ連兵達がロシア語で女ソ連兵に尋ねる。
恐らく、少女が自分達の手に渡るのを望んでのことだろう。
「Это моя добыча. Я бы не отдать его вам, ребята.(これは私のだ。お前らにはやらない)」
女ソ連兵が勝ち誇ったように言うと、ソ連兵達は残念そうな顔をした。
少女はそれを見て、なんとなく安心した。
そして同時に女ソ連兵が今自分を守ってくれる唯一の存在であると確信した。
この日、議事堂に鎌と鎚のマークの赤い旗が翻った。
ドイツは、完全に敗北したのであった。
—後書き—
独ソ戦3作目。
戦後すぐのベルリンは戦争犯罪凄かったんだそうです。
ソ連軍は兵士達の略奪なんかを黙認していたので、殆ど無法地帯だったとか。
これは大分綺麗なお話ではありますけどね。
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