社会問題小説・評論板

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大好きで大嫌い
日時: 2023/05/10 23:57
名前: たなか (ID: 3Mpht8EV)
プロフ: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no=12904

平和に生きているつもりでも、過去は変わらない。


あの夜の恐怖と不快感は、簡単に思い出すことができる。


少しずつ僕の身を蝕んでいった障害も、今では手をつけられないほどに膨らんでいる。




こいつがそんなことしない。




あいつもその気は無い。




そんなこと思ったって無駄。


何も変わらない。


きっと変えられない。


記憶なんか無くならない。


無くなったらそれは僕じゃない。


でも、こんな記憶を抱えてまともに生きていけるはずがない。


どうしたらいいのか、自分にも分からない。


ただ僕にできるのは、誰にも触れられないようにするだけ。


なるべく相手の印象に残らないように、地味に生きるだけ。


大好きな人も、大切な人も、傷付けないように関係を消滅させていく。


傷付けないように、記憶に残さないように。


僕なんかいない方がましだ。


僕に優しくしてくれる人の期待に応えられないなんて。


いない方がましだよ。


さっさと消えろよ、とっくに穢れた命だ。


得意だろ、人の記憶に残らないことなんて。


大得意だろ、いつもそうやって生きてんだろ。







誰かのせいで、縮こまって生きてんだろ。

Re: 大好きで大嫌い ( No.73 )
日時: 2023/05/11 00:03
名前: たなか (ID: 3Mpht8EV)

*




糸が切れる音がした。




「おつかれ」

土曜日の午前中、仕事が終わった後の更衣室で、後ろから声がした。

「お疲れ様です、武田さん」

僕の隣のロッカーを開けた声の主は、深いため息をつく。

疲れが見えるのはいつもの事だった。

しばらく沈黙が続き、12時34分を示す分針の音が鳴る。

「あ、そういえばこの後時間ある?」

「ありますけど……なんでですか?」

この人に予定を聞かれた事が初めてで、少し怪訝に思ってしまう。

特別親しい訳では無いから尚更。

「弟の弁当届けたくて。体育祭なのに忘れたらしい」

それは僕と一緒じゃないとできないことなのだろうか。

さらに疑問が深まった時、武田さんが再度口を開く。

「俺1人だと無駄に怖いからやめろって言われたんだよね」

思わず相手を見てしまう。

びくともしない平行な眉、うつろな三白眼、接客時以外で滅多に上がらない口角。

威圧感を感じるほどの長身。

「あー……」

自然と出てしまった声に、慌てて口を閉じた。

「てことで、頼む」

「わかりました」

苦笑いでそう答えた。

「ちなみにどこの高校ですか?」

「西高」

「……あー……」

聞き覚えのある高校名に、意図せず声が低くなってしまう。

目を刺すような黄色のクラスTシャツと、背中にプリントされた「YAMATO」の文字が脳裏をよぎった。

「あぁ、無理そうならいいよ」

何かを察したかのように告げられた言葉に首を振る。

「いや、行きます。友達いるんで」

愛想笑いを浮かべる僕を、静かすぎる目が見つめていた。






「あ、あっつ……」

ワイシャツの袖を捲りながら呟く。

仕事の制服と兼用できるから、という理由でこの時期に長袖のワイシャツを着るのは、やめておいた方がいいかもしれない。

武田さんの弟にお弁当を渡し、立ち止まって1年生の対抗リレーを眺めていた。

「そろそろ帰る? 用事も済んだし」

「……2年生まで、見ていいですか」

「あぁ、わかった」

また、沈黙が流れる。

みんな楽しそうだなぁ、なんて思いながら、走者がバトンを繋ぐのを眺めた。

「……大島?」

不意に後ろから声がして振り向く。

そこにいたのは、ひとつ年上の先輩だった。

「須山先輩、お久しぶりです」

右手に青いバトンを持っている。

どうやらグラウンドの隅でリレーの練習をしていたらしく、息が切れていた。

「久しぶり。大和たち入場口の方にいるけどもう話した?」

人懐っこそうな笑みを浮かべて、先輩は言った。

あぁ、2人ともリレーに出るのか、と思いながら口を開く。

「まだ話せてないんです。リレー終わってから話せそうだったら行ってみます」

先輩を真似て人懐っこく口角を上げた。

「おぉ、そうしな。2人とも喜ぶだろ」

じゃあな、と手を振って先輩は遠ざかる。

明らかに武田さんの存在には気づいていたはずなのに、全く触れなかった。

僕が今何をしているのか、なぜ退学したのか知らないはずなのに、それすら聞いてこない。

無駄な詮索をしない須山先輩の気遣いに感服する。

武田さんは相変わらずの仏頂面で1年生がゴールテープを切るのを見ていた。

「次、2年?」

「そうですね。それ終わったら帰りましょうか」

高校生たちのはしゃいだ声にかき消されそうなほど小さな声で呟き返す。

入場口からまばらに2年生の走者が入ってきて、リレーが始まった。

大和たちのクラス、緑色のクラスTシャツは前から3番目を淡々とキープし続けていた。

アンカーは大和。

大和は決して遅くないけど、アンカーで番狂わせを計画するクラスは多いのだ。

4位だった走者が少しずつ大和との差を縮め、隣に並ぶ。

足が当たったのか、大和が転倒した。

3位になった走者は戸惑う素振りも見せず、2位との差を縮めていく。

大和は動かなかった。

膝と手を地面につけて、顔もあげないまま。

思わず少しだけ、右足が1歩前へ進む。

僕には何も出来ないのに。

もう既に走り終えてゴール付近で待機する山崎くんを見つけた。

山崎くんは、どうする?

大和を見つめる山崎くんを見つめる。

なんのタイミングか分からないが、山崎くんが応援席に目を向けた。

熱をもった冷たい瞳が僕を捉える。

思わず目を伏せた。

強い光を急に浴びてしまったような、形容しがたい衝撃。

逃げるな、と言い聞かせてからもう一度目線を戻すと、山崎くんはまだ僕を見ていた。

まだ、僕を見ていた。

何かを求めるように。



どうする? 山崎くん

今、大和を助けられるのは僕じゃない。



番狂わせが成功したのか、6位だった赤いクラスTシャツがゴールテープを切る。

赤い閃光に触発されたように、山崎くんは走り出した。

「帰りましょう、武田さん」

見たくない、と思った。

2人の青春を目の当たりにしたくない、と。

「終わってないけど」

「……いいんです」

愛想笑いも忘れて歩き出す。

糸が切れる音がした。

今の僕と高校生だった僕を繋ぐ頼りない糸が、弾けるように切れる。

どうでもいい。

こんな空間大嫌いだ。

あの2人には二度と会いたくない。





そう、言いきれないのが嫌だった。

Re: 大好きで大嫌い ( No.74 )
日時: 2023/12/27 00:13
名前: たなか (ID: V70KaHly)

「やめ。ペンを置いてください」

学校から紹介されて嫌々受けた外部模試が終わる。

これでもまだ大学受験本番より短時間らしい。

俺は本番中に倒れて死ぬんじゃないか、と割と真面目に考えてしまう。

痛む首をさすりながら模試会場の塾の教室を出ると、数m先に見覚えのある背中があった。

男子バレー部の1年生の女子マネージャーに話しかけられている、小柄な男子。

見間違うはずがない。

雫月だった。

ワイシャツに薄手のセーターを着ているからか、現役生と言われても信じてしまいそうだ。

少し近付いて、女子の声を聞いてみる。

「雫月先輩、なんで学校辞めちゃったんですか?」

「なんでって言われても……」

「みんな知りたがってますよ。私の友達なんか先輩のクラスまで行って聞いてました」

「えぇ、そうなの? そんな大変なことするんだね」

「ねぇ、いいじゃないですか。教えてください」

後輩の語気がどんどん強くなっていき、しまいには雫月の手を掴んだ。

反射的に雫月が手を引こうとするが、後輩の力が強いのか雫月が気遣っているのか、その手は掴まれたままだった。

「ごめん、手離してもらえる?」

雫月が後輩の方を見てそう言う。

苦笑するその横顔には、明らかに疲労が浮かんでいた。

後輩が口を開くより先に俺の手が出る。

雫月の手首を掴んで引っ張った。

後輩の手が離れると同時にふたりが振り向く。

「……あれ、大和」

雫月が少し驚いた様子で呟くと、後輩は足早にその場を去っていった。

「ごめん、ありがとう」

俺の方を見て柔らかく微笑む。

目を見れない。

心臓がどくどくと鳴っていた。

何故か酷く緊張する。

「……おう」

慌てて手首を離す。

雫月の体温が無くなる。

「大和、大学とかもう決めた?」

前までの距離感のまま雫月が話し始め、俺は少し驚く。

俺はこんなに緊張しているのに、雫月は俺の記憶の中の雫月と全く同じだった。

「一応決めてあるけど変わるかもな」

「まぁそうだよね。絶対ここって現段階で決まってる人の方が少ないよ、きっと」

久しぶりに聞く雫月の声を耳の奥で堪能する。

人間は声から忘れていくらしい。

本当かどうか分からないが、確かに俺は雫月の声を忘れかけていた。

前はこの声が当たり前だったのに少しずつ当たり前じゃなくなって、ついには非日常にまで急降下した。

どう抗っても自然の摂理には逆らえないんだろう。

「俺の声、覚えてた?」

ふたりきりのエレベーターの中、不意に言葉が漏れ出る。

「声……?」

雫月が少し怪訝そうにこっちを見た。

恥ずかしくなって、人間の記憶と声の関係について慌てて説明する。

雫月は可笑しそうに笑う。

「なんだ、そういうことか」

ひとしきり笑い終えた時、エレベーターは1階に到着した。

会場出口あたりは混みあっていて、ふたりきりの空間は消える。

模試終了後の少し張り詰めた空気がどうも重苦しく、会話ができないまま会場を後にする。

俺が駐輪場の方へ向かうと、雫月は反対方向へ歩き始めた。

このあとも予定が入っているらしく、電車で目的地まで向かうのだと。

簡単すぎる会話で別れを告げて、背を向けた。

自転車の鍵をあける。

退学後の雫月を見た、と言う人が今までにひとりだけいた。

親の結婚20周年で行った高級料理店のホールで働いていたらしい。

そこは海外からの観光客も多く来るような店で、雫月は物怖じせず英語で接客をしていた、と聞いた。

ただ物凄く単純に、流石だと思った。

そして不安になった。

今までと全く違う環境下で、俺にも蒼真にも詳細を伝えないまま生活を送って。

雫月らしいと言えば雫月らしいが、それは同時に、本人が気づいていない内に心理的負荷がのしかかっている可能性があることを示す。

俺は雫月の声を忘れていた。

雫月はどうだろうか。

雫月は俺の声を覚えていたか。

寄りかかれるものは仕事先以外にあるのか。

逃げ場が無くていいのか。

最近こればっかだな、と思いながらも足は既に走り出していた。

雫月が向かったであろう駅まで走る。

赤信号で立ち止まり、地下道を駆け抜ける。

必死だった。

久しぶりに会った雫月が、あまりにも孤独を匂わせなかったことが恐ろしかった。

怖くないはずがない、孤独でないはずがない。

駅の向かいにあるガソリンスタンドの近くを歩く雫月の肩を掴む。

酷く驚いたような顔で俺を見た。

乱れた呼吸のまま、口を開く。

「人間って、匂いは最後まで覚えてるらしいよ」

雫月が首を傾げる。

俺はそれを無視して、支離滅裂に言葉を紡ぐ。

「なぁ雫月、声なんかもう忘れていい。忘れていいよ」

雫月の大きな目が揺れた。

戸惑いなのか、それ以外の何かなのか俺には分からない。

荒れた息を整えるために大きく息を吸い込むと、体内がガソリンの臭いで満たされた。

「……このにおいで、俺のこと思い出して」

吐き出した息で言う。

数秒間無言で目を合わせた雫月が不意に目を伏せる。

長いまつ毛が目元に落とす影にみとれる。

やがて意を決したように目線を上げて、俺の方に手を伸ばした。

後頭部に置かれた手が雫月に引き寄せられる。

「ちょ、雫月」

急な行動に俺は驚くが、雫月は何も言わず俺を引き寄せた。

白くて細い首筋が目の前に迫る。



「……憶えて、僕の匂い」



少しくぐもった、いつもより低い声。

柔軟剤や香水のような人工物では無い何かがほんのりと香る。

思わず背中に手を回しそうになるのをぐっと堪えた。

まだ好きだった。

何ヶ月離れても駄目なんだろう。

「……憶えた」

こっそり掴んだ雫月の服の裾から手を離す。

離れた雫月は前のように笑ってはいなかった。

「じゃあ、またね」

あっさりと手を振る雫月。

あっさりと応える俺。

ガソリンの臭いと雫月の匂いが混ざって、どうしようも無い気持ちになる。

遠のいていく背中をぼんやりと眺めた。


「匂いなんかなくたって忘れらんねぇよ」


声は、雫月には届かない。

Re: 大好きで大嫌い ( No.75 )
日時: 2024/01/02 11:09
名前: たなか (ID: 50PasCpc)
プロフ: https://www.kakiko.info/bbs2a/index.cgi?mode=view&no=1646

感想スレッド作りました。
気が向いた時に何か書いてくれたら嬉しいです。

Re: 大好きで大嫌い ( No.76 )
日時: 2024/03/02 21:38
名前: たなか (ID: V70KaHly)

*



午前4時、目が覚める。

布団の中から手を伸ばして窓に触れると、指先が濡れた。

今日もきっと、街はカップルで賑わっているに違いない。

普段なら定休日で仕事は無いのに、店長が「クリスマスだから」と言って特別に店を開けることにしたらしい。

頭の隙間を埋められそうだ。

先週、模試の結果が返ってきた。

あと8点取れば志望校判定がBに上がる。

遠いような、近いような距離感。

独学で勉強している割に点数は伸びているが、受験の時に問われるのは独学か否かでは無い。

努力など誰も見ない。

勢いよく布団を払い除け、立ち上がる。

寝ようとしてもきっと無理だから、仕事に行くまでの時間を埋めるためにシャーペンを握った。

昨日の夜開いたままにした数学の問題集。

問題を解いて答えを書いたノートは、白かった紙の9割が黒く汚れ、そのうちの8割は途中計算で埋め尽くされている。

数学において絶対的に必要なのはその8割じゃない。

計算ミスを減らすために小学生レベルの筆算を必死にやっても、採点者はそれを見ない。

もしかしたらほかの人は暗算で解けるのかもしれないけど、僕にはできない。

数学が大嫌いだ。

形がないから、目に見えないから。

小学生の時、算数のドリルを前に泣く僕を見て、お父さんは言った。



「嫌いなものと向き合いなさい」



お父さんからしたら何気ない一言だったのかもしれないけど、僕は何故かずっとその言葉を頭のどこかで覚えている。

嫌いなものと向き合う。

嫌いだからこそ、簡単に捨ててしまうからこそ、しっかり向き合わなきゃいけない。

問題を間違えたらかなり落ち込むし、調子が悪いと過呼吸にもなる。

それでもきっと、向き合いたくないものこそ向き合うべきものなんだろう。

色々なものから逃げたとしても、何かひとつでいいから向き合いたくないものと向き合うべきだと思う。

僕はそれに数学を選んだ。

ただそれだけだった。

触れたくないものに触れて苦しむ度、免罪符を貰えたような気になってしまう。

ずっと触れたかったものに触れてしまう度、その免罪符が剥奪されるような、そんな気にもなる。

服を着替えて質素な朝食を詰め込み、歯を磨いて靴を履いて家を出る。

人間で埋め尽くされた電車に揺られて職場の最寄り駅で降り、そこでちょうど居合わせた武田さんに会釈をする。

駅を出て少し歩き、既に何台かの車が給油をしているガソリンスタンドの前を通る。

知らず知らずのうちに息を止める。

免罪符を守るために。

Re: 大好きで大嫌い ( No.77 )
日時: 2024/04/14 22:20
名前: たなか (ID: f4MEHqWX)

お知らせ

いつもありがとうございます、作者のたなかです。
4月に入ってからカクヨムでこの作品を1から書き直しています。これからはカクヨムの方で連載を始めると思うので、もし良ければ覗いてみてください。
題名、作者名は今と同じです。内容は正直かなり加筆修正してあります。ご了承ください。
もうこのサイトではこの作品を連載しないと思われます。
これからも応援していただけたら嬉しいです。


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