複雑・ファジー小説
- Re: 日韓~2つの国の運命~ ( No.3 )
- 日時: 2019/08/30 16:53
- 名前: 渾身 (ID: Xr//JkA7)
第2章「元寇」 第3話「元寇~第1次~」
高麗についての日韓関係を語ろうとしましたが、それほど関係がなかったので、元寇時について語ります。
元寇とは、日本の鎌倉時代中期に、当時モンゴル高原及び中国大陸を中心領域として東アジアと北アジアを支配していたモンゴル帝国(元)およびその属国であった高麗(現在の大韓民国、668年に滅んだ高句麗復興によって建国された後高句麗が名称を変えた国の事を指す。)によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である。1回目は1274年に、2回目は1281年に起こった。この元寇を元日麗戦争や蒙古襲来とも言う。
一時の元寇では1274年11月中旬に日本の九州まで襲撃してきた。その勢いはすごいものだった。日本の兵力は1万以下だったが、元・高麗連合軍は3~4万の兵力を持ったらしい。その時、日本を率いたのは北条時宗だ。北条時宗は 以前連載していた「王城」の主人公だ。そして元からは元の皇帝クビライが自ら出兵し、高麗からはキム・バンギョンという腕の立つ武将だった。当時、高麗の国王の元宗が崩御し、新国王・忠烈王が即位した。そして忠烈王とゲリラ集団である三別抄は元に日本出征を願ったこれは1274年10月24日の出来事だ。話がズレたが、この戦いの結果を言うと、日本が勝利した。元・高麗連合軍の敗因は暴風にあったと思われる。そして止むを得ず、連合軍は兵士らに撤兵を命じた。
↑この戦いの経緯を知りたい方、多数いると思います。
ではその経緯をご紹介しましょう。元の皇帝クビライ・カイアンはは日本に使節を派遣する契機となる。1265年、高麗人である元の官吏・趙爲が日本との通交を進言した事が発端である。「日本は高麗の隣国であり、今まで漢や唐の時代からも通交を結んで参りました。故に今回もまた、日本と通交を結んでは。」と進言した。そうしてその進言を受け、早々に日本への使節を派遣を決めた。クビライは翌年の1266年に「大蒙古国皇帝奉書」を作成させ、使いのヒズルに日本へ運ばせた。使節団は高麗を経由して日本へ行く予定だ。そうして数ヶ月後…ヒズルらは高麗に到着し、当時の国王の元宗に日本との仲介を命じた。しかし、それには高額な軍事費が嵩む事を分かっていた高麗は元のその要求に応えられる事は出来なかった。しかし、クビライに元宗の国書を送り、高麗で待機していたヒズルにクビライから元宗への国書が届く「高麗王が心配する軍事費用は我ら元が負担する」と言われ、仲介を許した。
終
- Re: 日韓の戦い 【自分勝手な文在寅さん】 ( No.4 )
- 日時: 2019/08/29 17:13
- 名前: 渾身 (ID: Xr//JkA7)
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