複雑・ファジー小説
- Re: 日韓の戦い 【9月9日 完結】 ( No.19 )
- 日時: 2019/09/08 23:38
- 名前: 渾身 (ID: Xr//JkA7)
第8章「日本統治時代の最後」
年次 志願者 合格者 志願倍率
1938 2,946 406 7.3
1939 12,348 613 20.1
1940 84,443 3,060 27.6
1941 144,743 3,208 45.1
1942 254,273 4,077 62.4
1943 303,394 6,300 48.2
合計 799,201 17,664 45.2
朴正煕小学校訓導(後韓国大統領)は年齢により採用条件不適合者であったが血書による志願書などを三度に渡り提出するなどして満州国士官学校に入校した。満洲新聞1933年3月31日付[138]
「朝鮮人日本兵」、「朝鮮軍 (日本軍)」、「間島特設隊」、および「満州国軍」も参照
日露戦争を機に大韓帝国に駐留した韓国駐剳軍(ちゅうさつぐん)を前身とし、明治43年(1910年)の韓国併合に伴い朝鮮駐剳軍に名称変更、大正7年(1918年)に朝鮮軍となった。司令部は当初漢城の城内に置かれたが、後に郊外の京城府龍山(現・ソウル特別市龍山区)に移転した。
1937年に日中戦争が勃発すると、朝鮮人からも志願兵を募集し、多くの朝鮮人がこれに応じた。実際に、1942年に行われた朝鮮出身者に対しての募兵では募集4,077名に対し、254,273名の朝鮮人志願兵が集まり、倍率は62.4倍に達した。ほか軍属として戦地に赴いた者も存在した。1944年4月の法改正によって1944年9月からは朝鮮人にも徴兵が適用されたが、入営は1945年1月から7月の間に限られたため、訓練期間中に終戦を迎え、実戦に投入されることはなかった、
昭和20年(1945年)2月、戦況逼迫に伴い第17方面軍が設けられ朝鮮軍は廃止されたため、管轄区域の朝鮮軍管区は第17方面軍司令部が兼ねた朝鮮軍管区司令部が管轄した。
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この節の加筆が望まれています。
主に: 統治時代に朝鮮に存在した軍事・警察組織についてまとめるための節
文化
朝鮮博覧会
博覧会
1915年には始政五年記念朝鮮物産共進会、1929年には朝鮮博覧会が総督府主催で開催された。
名産品
朝鮮の白菜、山七面鳥(野雁)、金剛山の岩茸、光洲の林檎、大邱の梨が嘉物として評価されていた。
また、白頭山特産のツルチュク(クロマメノキ)飲料水が高評価を得ていた。
文学
「朝鮮文学#開化期・日本統治時代」を参照
1920年にはタクチ本が多数出版され、読書が朝鮮半島で大衆化・近代化する決定的な契機になった。
化粧
日本統治下では朝鮮人女性には身形に気を使う人が増えて、化粧が流行った。そこに目をつけて女性で化粧品商売を起こして、デパートに自分の店舗を持つ朝鮮人がいた。韓国化粧品最大手のアモーレ・パシフィックはその一人だった徐成煥の母が化粧品販売のために1932年に設立した昌盛商店が元になっている。彼女は1941年に初の洋館デパート3階にキム・ジェヒョンという店舗を開設して、自分が製造した化粧品だけでなく、他社の製品まで委託販売していた。
映画
「日本映画#朝鮮」および「日本統治時代の朝鮮の映画作品の一覧」を参照
演劇 舞踊 音楽
日本の影響で新派劇や新劇が興った。舞踊では崔承喜が世界的に活躍した。音楽では日本の演歌と酷似したトロットが流行した。
美術
高羲東や金観鎬が日本に留学して洋画を学び、朝鮮に洋画をもたらした。朝鮮総督府が朝鮮美術展覧会(鮮展)を開催した。
スポーツ
「朝鮮のスポーツ」を参照
孫基禎が、ベルリンオリンピックのマラソンに日本代表として出場し、金メダルを獲得した。
放送
社団法人朝鮮放送協会が日本語と朝鮮語の両方でラジオ放送をしていた。
名前
内地の影響を受けて旧来の命名習慣が廃れていき、京城においては日本内地のように女性に「何子」と名づけるようなことが一般的となった[144] (史美子、金明子、李敬子、李光子、李美子、李民子など)。
飲料
大日本麦酒と地元資本の共同出資により朝鮮麦酒 (現ハイトビール)が設立された。また、麒麟麦酒子会社として昭和麦酒 (現OBビール)が設立された。朝鮮麦酒と昭和麦酒により、朝鮮でビールが普及した。
行楽地
交通の発達によって、行楽地への関心が広まった[145]。
花名所
東莱温泉
大邱 達城公園
水原 西湖付近 華虹門
京城 昌慶苑 奨忠壇
素砂 其付近
仁川 月尾島
開城 鉄道公園 彩霞洞
桂東 成佛寺
平壌 牡丹臺
義州 統軍亭
鎮南浦 三和花園
扶餘 其付近
群山 公園
長城 公園
木浦 儒達山
場山 市街一帯
鎮海 市街一帯
全州 吉野山
全南光州 公園
東村 其付近
蔚山 鶴城公園
倉洞 牛耳洞
元山 市街一帯
会文 駅付近
松興温泉
海水浴場
釜山 松島
水営
海雲臺
仙川 月尾島
木浦 儒達ヶ浦 外達島
馬山
鎮海 千代ヶ濱
浦項
松田
元山 葛麻半島 松濤園
西湖津
夢金浦
九味浦
大川 軍入里
熊川 武昌浦
水郷
新灘津 錦江岸
梅浦 錦江岸
安養プール
東林 瀑布 薬水
白馬 三橋川
東村 駅付近
三防峽 瀑布 薬水
釋王寺 薬水
新緑と紅葉の名所
霊驚山
金井山
伽倻山
俗離山
鶏龍山
冠岳山
天魔山
牡丹臺
白馬山
妙香山
内蔵山
白羊寺
邊山
智異山
金剛山
道峯山望月寺
逍遥山
三防峽
釋王寺
七宝山
長壽山
温泉
海雲臺温泉
平山温泉
龍岡温泉
陽徳温泉
馬金山温泉
金剛山温井里温泉
業億温泉
松興温泉
朱乙温泉
湯陽温泉
白川温泉
延安温泉
信川温泉
三泉温泉
松禾温泉
安岳温泉
達泉温泉
登山
鶏龍山
冠岳山
北漢山
天魔山
妙香山
内蔵山
智異山
金剛山
逍遥山
七宝山
長壽山
白頭山
冠帽山
道峯山
スキー場
三防スキー場
外金剛スキー場
元山新豊里スキー場
川内里スキー場
旺場スキー場
城津スキー場
キャンプ場
海雲臺
智異山
天魔山麓
長壽山
逍遥山
三防
元山
松田
金剛山
詳細は「韓国併合#評価と争点」を参照
日本統治時代の朝鮮における日本の役割については、日本と韓国、北朝鮮の間で歴史認識論争となっている。
年表
日本統治前
1860年 - (オランダ領東インドの問題を描いた小説「マックス・ハーフェラール」がオランダで出版される。英語版は1868年、日本語版(朝倉純孝訳)は1942年2月に出版されている。)
1862年 - (フランスの植民地サイゴンでフランス語のみが公用語化され、漢字の代わりにラテン文字を元にしたクオック・グーの導入も開始、1887年のフランス領インドシナ成立後も続く)
1876年 - 日朝修好条規締結、釜山港開港
1878年6月 - 第一国立銀行が釜山浦支店を開設
1879年8月 - 釜山商法会議所設立、1893年1月に釜山港日本商業会議所へと改名、1908年に釜山商業会議所へと改名[147]
1880年5月 - 日朝修好条規に基づき元山港開港
1880年5月 - 第一国立銀行が元山に出張所を開設
1880年5月23日 - 元山に総領事館を開設
1881年1月14日 - 元山に港会議所を設立、10月23日に居留民総代役所と商法会議所に分かれる。商法会議所は1891年に在元山日本人商業会議所へと改名、1893年に元山日本人商業会議所へと改名
1882年8月30日 - 日朝修好条規続約締結、日本の公使館員が朝鮮各地に行けるようになり、その後、特命全権公使と韓国外部大臣の交渉によって開市場や居住地を広げていく。
1883年1月 - 日朝修好条規に基づき仁川港開港、仁川日本人商業会議所設立
1883年3月 - 日朝間海底線敷設に関する条約を締結
1883年11月 - 第一国立銀行が仁川に出張所を開設、1888年には支店に
1883年 - 第一国立銀行が釜山・元山・仁川で海関税収納事務の取扱を開始
1886年 - (イギリス領インド帝国で後期中等教育開始)
1887年2月 - 在留邦人によって京城に商業議会が設立され、1892年4月に京城日本人商業会議所へと改名
1888年 - 第一国立銀行が京城に出張所を開設
1890年9月12日 - 商業会議所条例が公布される (朝鮮内の商業会議所もこの条例に準じた定款で領事の許可を得て設立している)
1891年 - 帝国生命保険(現朝日生命保険)が釜山に代理店を設置
1894年 - 甲午農民戦争(東学党の乱)が発生、政府軍と褓負商の商兵が東学軍と戦う
1896年 - 第一国立銀行が第一銀行になる。
1899年6月 - 仁川米豆取引所設立
1900年 - 平壌日本人商話会設立するも1904年に解散、1907年に平壌日本人商業会議所設立するも1909年に解散、1911年に平壌実業協会設立
1901年 - (オランダ領東インドで倫理政策が始まる)
1902年 - 釜山に日本商品陳列所設立
1902年 - 在鮮日本人商業会議所を統合して、商業会議所朝鮮総合会設立
1902年 - 第一銀行が日本銀行券に交換可能な第一銀行券を発行開始
1904年 - 釜山に商品陳列館建設
1905年 - 第一銀行券が韓国政府公認となる
1905年 - 朝鮮人によって京城商業会議所設立
1905年5月28日 - 京釜鉄道開通式
1905年11月17日 - 第二次日韓協約(乙巳保護条約)締結
1906年 - 釜山で日韓博覧会開催
1906年2月1日 - 韓国統監府設置
1906年12月7日 - 大邱日本人商業会議所設立、1910年9月に大邱商業会議所へと改名[147]
1907年6月25日 - ハーグ密使事件
1907年7月20日 - 高宗退位、純宗即位。翌年にかけて日本軍は反日義勇軍1万4千人との1,774回の戦闘を行った。
1907年8月1日 - 韓国軍解散
1908年4月1日 - 韓国標準時制定
1908年10月 - 仁川に朝鮮人商業会議所が設立される
1908年9月 - 朝鮮皇室博物館(現韓国国立中央博物館)設立
1908年12月18日 - 東洋拓殖会社設立
1909年7月6日 - 日本、韓国併合方針を閣議決定
1909年10月 - 韓国銀行条例に基づき韓国銀行設立、第一銀行の中央銀行業務を引き継ぎ、金貨と日本銀行券に交換可能な韓国銀行券発行
1909年10月26日 - ハルビンで伊藤博文が暗殺される
1909年12月4日 - 韓国の一進会より「韓日合邦を要求する声明書」の上奏文が提出される
1910年3月14日 - 土地調査事業開始
1910年6月30日 - 憲兵警察制度発足
日本統治時代
1910年8月22日 - 韓国併合ニ関スル条約(日韓併合条約)調印
1910年8月29日 - 朝鮮総督府設置
1911年 - 朝鮮銀行法に基づき、韓国銀行が朝鮮銀行に。
1911年5月1日 - 褓負商本部が設立される[149]
1911年8月23日 - 第一次朝鮮教育令。国語を日本語にする。
1912年1月1日 - 標準時を韓国標準時から日本標準時に変更
1912年4月 - 普通学校用諺文綴字法が確定
1914年3月1日 - 地方行政区画改正(府・郡・面制)
1915年10月1日 - 朝鮮商業会議所令施行、各地の日本人の商業会議所と朝鮮人の商業会議所が合併されていく。
1915年12月1日 - 朝鮮皇室博物館が朝鮮総督府博物館に改名
1916年11月 - 親日団体の大正親睦会が設立される
1918年9月19日 - 第一回朝鮮商業会議所総合会開催
1919年1月21日 - 高宗死去
1919年3月1日 - 三・一独立運動。褓負商復興の機会として、褓負商団(商務研究会、総商社、総商協会、商務社)が鎮圧に協力[149]。
1919年8月12日 - 斎藤実、第3代総督に就任
1919年8月20日 - 憲兵警察制度廃止
1919年10月5日 - 金性洙、京城紡織株式会社設立
1920年3月5日 - 朝鮮日報創刊
1920年4月1日 - 東亜日報創刊
1920年5月 - 京城株式現物取引市場(京取市場)設立、8月15日より開業
1920年6月4日:朝鮮半島初の大衆浴場が平壌で開業[150]
1920年12月27日 - 総督府、産米増殖計画立案
1921年 - 朝鮮産業調査委員会設置
1922年5月 - 第1回朝鮮美術展覧会開催
1925年4月 - 朝鮮総督府図書館開設 (現韓国国立中央図書館)
1926年4月1日 - 京城帝国大学開設
1927年2月16日 - 社団法人京城放送局、ラジオ放送開始
1927年5月2日 - 朝鮮窒素株式会社設立
1928年1月 - 商工会議所法施行
1929年9月12日 朝鮮博覧会開催 ( - 10月31日)
1929年10月 - (世界恐慌)
1929年11月3日 - 光州学生事件( - 1930年3月)
1930年5月30日 - 間島共産党暴動
1930年 - 諺文綴字法制定
1931年1月8日 - 愛国団員・李奉昌、東京で天皇暗殺未遂事件(桜田門事件)
1931年4月29日 - 愛国団員・尹奉吉、上海爆弾テロ事件(上海天長節爆弾事件)
1931年7月2日 - 万宝山事件
1931年7月3日 - 朝鮮排華事件
1931年9月18日 - 満州事変勃発
1931年11月2日 - 朝鮮取引所令施行、仁川米豆取引所と京城株式現物取引市場が合併して朝鮮取引所に。
1932年 - 朝鮮総督府が農村の自力更生運動を唱道[151]
1932年 - 朝鮮総督府が北鮮開拓事業に着手
1932年4月7日 - 社団法人京城放送局、社団法人朝鮮放送協会に改組
1932年7月21日 - 新興満蒙博覧会が京城府で開催 ( - 9月8日)
1933年5月13日 - 朝鮮産業懇談会開催 ( - 14日)
1934年7月1日 - 石油業法施行
1935年6月25日 - 朝鮮石油設立
1935年4月20日 - 朝鮮産業博覧会開催 ( - 6月10日)
1936年 - 鮮満拓殖設立
1936年8月9日 - 孫基禎、ベルリンオリンピックマラソンで優勝
1937年 - 朝鮮重工業(現韓進重工業)設立
1937年 - 水豊ダム建設開始
1937年6月1日 - 金日成、普天堡襲撃事件を起こす
1937年7月7日 - 日中戦争勃発
1937年10月2日 - 「皇国臣民の誓詞」制定。
1938年2月26日 - 陸軍特別志願令公布
1938年3月4日 - 朝鮮教育令改正、朝鮮語の授業必須から外れる
1940年2月11日 - 創氏改名実施
1940年8月 - 朝鮮映画令施行
1941年3月31日 - 国民学校規定改正、朝鮮語の授業廃止
1941年12月8日 - 太平洋戦争勃発
1942年10月1日 - 朝鮮語学会事件
1944年4月1日 - 第1回徴兵検査開始
1944年8月23日 - 女子挺身隊勤労令公布
1945年8月9日 - ソ連対日参戦、豆満江を越える。
1945年8月13日 - ソ連軍、清津府を占領。(実質的に日本の統治から外れた最初の街)
1945年8月15日 - 日本政府、ポツダム宣言受諾。呂運亨、朝鮮建国準備委員会(建準)結成
1945年8月21日 - ソ連軍、平壌府進駐
1945年8月25日 - アメリカ軍、仁川府上陸
1945年9月2日 - 日本政府、降伏文書(休戦協定)に調印
1945年9月6日 - 呂運亨らは朝鮮人民共和国の樹立を宣言
1945年9月7日 - アメリカ極東軍司令部、朝鮮における軍政を宣言(即時独立否認)
1945年9月9日 - 総督府、降伏文書に調印。
- Re: 日韓の戦い 【1万年の歴史】 ( No.20 )
- 日時: 2019/09/08 23:48
- 名前: 渾身 (ID: Xr//JkA7)
第9章「日韓の対立」第1話「GSOMIA廃棄」
GSOMIAとは…
軍事情報に関する包括的保全協定(ぐんじじょうほうにかんするほうかつてきほぜんきょうてい、英語: General Security of Military Information Agreement, GSOMIA、ジーソミア)とは、同盟など親しい関係にある2国あるいは複数国間で秘密軍事情報を提供し合う際、第三国への漏洩を防ぐために結ぶ協定。2019年8月現在、日本はアメリカ合衆国やNATOなど7カ国と、アメリカ合衆国は60カ国以上と、韓国は21カ国とこの協定を締結している。
この協定は、軍事技術だけではなく戦術データ、暗号情報、高度のシステム統合技術など有事の際の共同作戦に必要な情報が網羅的に対象となる。秘密情報活動で得られた情報も含まれるのが一般的とされている。
日米間の協定
日本とアメリカ合衆国との間の軍事情報に関する包括的保全協定は、正式名称を「秘密軍事情報の保護のための秘密保持の措置に関する日本政府とアメリカ政府との間の協定」(Agreement between the Government of Japan and the Government of the United States of America concerning Security Measures for the Protection of Classified Military Information)という。
上記 Wikipediaより
2007年(平成19年)5月1日 - 日本とアメリカが2プラス2(日米安全保障協議委員会)で協定締結に合意
2007年8月10日 - 日本とアメリカがGSOMIAに署名
日本のその他の協定
NATO
「日・NATO情報保護協定」 2010年6月25日署名
フランス
「日仏情報保護協定」 2011年10月24日署名
オーストラリア
「日豪情報保護協定」 2012年5月17日署名
イギリス
「日英情報保護協定」 2013年5月7日署名
インド
「日印秘密軍事情報保護協定」 2015年12月12日署名
イタリア
「日伊情報保護協定」 2016年3月19日署名
大韓民国
「日韓秘密軍事情報保護協定」 2016年11月23日署名。1年毎に自動更新されることとなっており、協定破棄には更新3ヶ月前の通告が必要となる。
2019年8月23日、韓国が日韓GSOMIAを延長せず破棄を決定、11月23日午前0時に効力を失う予定
終