複雑・ファジー小説
- Re: 三國志 ( No.13 )
- 日時: 2019/09/14 09:16
- 名前: 渾身 (ID: m16n.Ntt)
最終話「白村江の戦い」
【白江の水戦】
「殺せ!」とユシンの出撃令が出る。
それに抗戦する中臣鎌足と天智天皇。
「新羅軍に抗戦せよ!」と天智天皇が命令する。
ユシンが倭国の軍船に火矢を放つ。
「放つのだ!」とユシンが火矢を放ちながら冷静に言う。
西暦663年 百済復興運動主催者プヨ・プンは羅唐軍50万によって鎮圧される。プヨ・プンは661年に反軍を起こして運動を開始した。わずか2年でプヨ・プンは7万の兵士を集め、羅唐軍に抗戦した…しかし大敗を召す済倭軍。
西暦673年
【キム・ユシンの屋敷】
苦しそうに息をするユシンの元へ文武王がやって来る。
「伯父上…どうされたのです。」
「大王陛下。わざわざ…感謝するばかりでございます。」
「伯父上。」
「大王陛下に最期に一つだけ…言うことがございます。陛下。陛下には先代のような善政を必ず敷いてください。大王陛下の功績を来世にこの世にやって来た時、その功績を知りたいと…思います。。。」
「伯父上…」
「陛下は絶対に唐と手を組んではなりません…唐は新羅を植民地にしようとするはするはずです。絶対…唐とは手を…く…くん…ではなりません。」
「伯父上。逝ってはなりません。なりません。」
「陛下。私は陛下の成長をずっと見て参りましたが…陛下はとても聡明で賢明な方でした。私はあの世へ登って先代王に陛下の成長を伝えて参ります。陛下。万歳!」とユシンは言って手を落とす。
「兄上!」とフムスンが泣きながら、膝を落とす。
「伯父上?どうされたのです?伯父上!なりませぬ!伯父上!」
キム・ユシン__彼は6世紀初期から6世紀後期を股にかけ、生きた朝鮮三代将軍だ。キム・ユシンはケベク、イ・スンシンと共に朝鮮三代将軍と呼ばれている。彼を尊敬するものは何千人もいたらしい。彼は高句麗、百済を倒し、三韓一統に役立った将軍だ。享年は69歳。668年には64歳でありながらも戦った老将だった。武烈王チュンチュとは生涯無二の最高の友人だったらしい。
文武王はその後676年、唐との戦争を起こし、勝利した。
【あの世の前門】
キム・ユシンがあの世に渡る橋を渡ろうとした時、前から武烈王チュンチュとケベクがやって来る。
「ユシンよ。私とケベク将軍が迎えに来たぞ。」とチュンチュ。
「ユシン大将軍。ハッハッハ。共に行こうではないか。」とケベクが歓迎する。
「大王とケベクが迎えに来てくれるなど…とても光栄だ。。。」とユシンが言う。
「ユシン大将軍、最後の見送りが来たぞ。」とケベクが言うと、ユシンは振り向く。
そこには馬を跨ぐ文武王、フムスン、キム・インムン、イェウォンとヤンドが。
「伯父上、お気をつけて!」と文武王らがお辞儀をする。
ユシンらがあの世の門を開け、文武王らを見て笑い、その門に入る。
文武王がユシンを見て言う。『彼が三國の英雄だ。』と。
『三國志』ご覧ありがとうございました。
終
- Re: 三國志 ( No.14 )
- 日時: 2019/09/14 09:19
- 名前: 渾身 (ID: m16n.Ntt)
『三國志』登場人物
登場人物
キム・ユシン 新羅の武将、ケベクの友人
ケベク 百済の武将、キム・ユシンの友人
ヨン・ゲソムン 高句麗の老将
真徳女王 新羅28代女王
義慈王 百済31代国王
チュンチュ 太子、後の新羅29代国王
宝蔵王 高句麗28代王
中大兄皇子 皇太子、後の倭国38代天皇
中臣鎌足 藤原氏の始祖、中大兄皇子の忠臣
ソンチュン 百済の臣下
フンス 百済の臣下
キム・ボムミン チュンチュの長男、新羅の反唐派
キム・インムン 新羅の親唐派、チュンチュの次男
キム・フムスン キム・ユシンの弟、新羅の反唐派
ヤンド 新羅の反唐派
イェウォン 新羅の反唐派
アルチョン 真徳女王の忠臣、摂政
プヨ・ヒョン 義慈王の長男
プヨ・ユ 義慈王の三男
プヨ・プン 義慈王の四男、倭国の人質
蘇定方 唐の将軍
太宗 唐の二代皇帝、チュンチュと友好関係
終