複雑・ファジー小説
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- キチレツ大百科
- 日時: 2016/01/06 12:05
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: .5n9hJ8s)
「起キル……」
「起キル……」
あぁ、うるせーな。俺は昨夜も”発明品”の開発でいそがしかったんだよ……眠らせてくれよ。
「起キル……」
「起キル……」
微睡みの海の底、聞こえる女の子の聲。少し擽ったい感覚が夢を揺さぶる波のよう。
ふと思うんだ、これがクラスメートで皆のアイドル、読田詠子、通称”よみちゃん”だったらいいな……て。いいさ、わかってる。どうせ夢だろ?
夢の狭間で間の抜けた自問自答。
そいつが、嘲るみたいに眠りの終わりを通告している。
「キチレツ、起キル”ナニ”!!!!」
Goddamit!
そう、いつもそうなんだ。俺の眠りが最高潮に気持の良い時に、決まってコイツが割り込んでくる。俺がご所望なのはテメーじゃねんだよ?
「くっ!? 頭に響く、うるせーぞ、ポンコツ! テメー解体して無に帰すぞガラクタがぁ!!」
「なんだと〜、やるかぁ!」
部屋の中には、日差しが差し込み、ご丁寧にスズメの鳴き声が張り付いてやがる。うっとおしい事この上ない程真っ当な朝だ。
「最悪だぜ……」
目の前の”ソレ”を突き飛ばし、机の上のタバコを探す。
「あん? モクが無ぇぞ、昨日はまだ残ってたんだけどな……」
「中学生デ、煙草ハ駄目ナニィ! 我輩、捨テテオイタ、ナニ!」
俺は目の前の”ソレ”の髪を掴んで手元に引き寄せる。
「テメー良い加減にし無ぇと、マジでバラすぞ。人形!」
「ちょっ、痛い痛い痛い! やめてよ、キチの馬鹿! 中学生で煙草吸うキチの方が悪いんじゃ無い! い、いたぁあい、我輩のポニテから手を離すナニィ!!」
「キャラが崩れてんだよ、人形!!」
「に、人形じゃないナニ……殺蔵(コロスゾ)ナニ……」
くっ……頭が痛ぇ。
俺の名前は機智英二(きちえいじ)皆からはキチレツなんて呼ばれてる。
俺は江戸時代の大発明家、キチレツ斎の祖先だ。キチレツ斎は結構名の知れた人で、当時の幕府御用達の発明家て奴だったらしい。初代キチレツ斎は太田道灌の元で江戸城の築城に協力して以来、機智家は徳川家から引き立てられたという経緯と親父が言っていた。
そんな家だったら、何か凄い物があるだろうと物置を調べていた時に見つけちまった。
この少女の形をした”発明品”殺蔵を。しかも運悪くうっかり起動しちまいやがった。
わかるか? 自分の先祖がこんな、少女人形を作成してた真性のド変態だと分かった時の気持ち……夜な夜なこんな人形使って遊んでたと思うと反吐がでるぜ! その俺の気持ちを察したのか、俯いたまま殺蔵がぼそりと呟いた……
「我輩は、武士ナリよ……」
俺はイラつく。
「テメーのその見た目でどうして武士とか言えるんだよ? どうみたって弱そうだし、大体女の武士とかいねーだろ? じゃあ、なんでその見た目よ? どう考えても、いかがわしいんだよ! お前はそういう目的の為の人形だろう!?」
「違うナニィ!! わ……我輩は、武士ナニィ! 武士……ナニよ」
「チィ! うぜぇ……」
曲がりなりにも尊敬していた先祖の正体が倒錯的な変態である……
そいつは憧れてた役者やアイドルがシャブ(覚せい剤)や痴漢で捕まった時位ショックなもんだ。
涙目で抗議する少女のカラクリは、俺らの年齢と大差ない姿形だ。
キチレツ斎さんよぉ、それぁ無ェぜ……
「英二〜、ごはんよぉ。殺ちゃんも早く降りてきなさ〜い」
この部屋の重たい空気も知らずに、圧倒的に間の抜けた声でお袋の声が聞こえてきた。
だが、そいつは俺にとっては好都合の助け舟だ。最早、徹也明けの眠気などどうでもよかった。殺蔵が急いでティッシュで涙を拭っている、その横を俺は知らんぷりで通り抜けた。
- Re: キチレツ大百科 ( No.111 )
- 日時: 2016/07/18 22:02
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: del8tE9y)
「……!? はっ?」
自決しようとする、警備部の課長の右手が上へと捻り上げられていた。
銃弾は、素っ頓狂にホールの天井目掛け撃ち放たれた……
「お前サァが、此処で自決してん何いもなかっじゃろ……」
警備部の課長の、背後に立つ壮漢がそう囁いた。
黒いトレンチコートを引っ掛け、紺の三つ揃えを着ている其の男。
何だろうか、溢れるような颯颯とした、蟠りの一切無い疾風。
そんな印象を与える男。しかし、妙に愛嬌のある独特の訛りと、飽くまで嫋やか様子が、此の壮漢の得体の知れ無さを覗かせる。
「お、お前……!! 何処から入ってきたぁ!」
周囲の刑事達が、突然の出来事に慌てふためく。
「課長っっ!!」
咄嗟に飛び込んだ部下達が、その足元で安堵と不安の混じる声で呟いた。
男は、誰に言うでも無く、まるで宙へと語り掛ける様に謂った。
「まっこつ、また派手に煙幕が焚かれちううごあんでナ。しかし、こいはこいで中々、どうして良かっ戦(ゆっさ)じゃなかか……?」
「お、おい!?」
「んん? どっじゃ、汝(わい)もそう思わんか……」
その言葉は、宙天に舞う様に流れいく。
「おい、貴様、な、何をしている! お前が、首謀者か……か、確保しろ!」
しかし、その壮漢は、どの刑事にも目もくれてもいなく、先程の言葉も此処にいる者達に向けられた言葉ではない。
それは……揺らいで気化する催涙ガスの向こう側の、狐の相貌を持つ夜叉女(やしゃじょ)に向けられている言葉。
周囲の者達が、其れを察した時、皆一様にその男を捕らえよう等と言う事が吹き飛んだ……
だから、刑事達は、静かに男から距離を置いたのだ。
原始の本能が、そうしろと言うのだ。
恐怖を媒介として……
幽かと立ち消えていく、煙の向こうから……此の世のものとは思え無い様な、凄まじい凶氣が匂う。
その持ち主は、僅か顎を上に上げると、ついと視線を向けた。
「おぉ、のれぃぃ……おのれがっ……ぃぃぃっ! おのれがぁぁぁ!!」
それがホール中に響くと、辺りから可憐な悲鳴が僅かに飛び散った。
夜叉女の咆哮は、その場にいる全員を身体の底から湧き上がる激烈な恐怖に落としめたのだ。
戦慄が弾いた弦が、空気を揺らして音と成り、その旋律が空間に伝う。
しかし、ただ一人、この場に悠然と立っている壮漢、頼母仁八(たのもじんぱち)を覗いてだ。
「よか、気魄んごたる……」
機智烈斎は、この山王パークタワー1階ホールの隅に佇む、読田親子の元に辿り着いた。
読子(よみこ)は蹲り、読子の父は其の側で、殺死丸(あやしまる)に渡されたポリカーボネイトの盾を掲げ、只々、オロオロとして周囲を見回している。
「読田さん、すまない、また状況が変わってきた。外に出て、俺の車に乗って此の名刺の持ち主の元に行って貰いたい」
「あ、政府の方、所長さん……わ、私は、その腰が抜けてしまって……」
機智烈斎は、それに構わない。
「車は、外に出た、外堀通りの車線の警察車両の中に停めてある、年式の古い黒のセンチュリーだ。そのまま運転して、名刺に書いてある場所に行きなさい。其処は病院です、その名刺の人物なら、事情を知っている、行けますね?」
「まっ、待ってください!」
機智烈斎は、読子の側で膝をつく。
「読子君? 大丈夫か、具合は?」
額に手を翳す、少し熱がある。
「所長さん……?」
「勝手ばかり言ってすまないね、ただ……もう少しばかり頑張れるかい?」
「うん……少し気分が悪いけど、大丈夫。あの、もしかしたら、所長さんは私のしり……」
機智烈斎は、読子の頭を撫でる。
「そんな事はどうでもいいのさ? それより今はキミ達の安全を優先したい。読田さん、すこしいいかな?」
「は、はい」
機智烈斎は、読子の父を伴い、外の様子を伺うべく、近場のエントランスへ向かう。
其処は首相官邸の方面だ。銃声は聞こえてこない。
「読田さん、私は、貴方達に聞きたい事がある、しかしそれは後だ。だが、警察や、もしかしたら、殺目(あやめ)の近々の連中が貴方達に興味を持って目を向けたりすれば、それこそ危険だ。だから、此の場を早急に離れて頂きたい。お分かり頂けますかな?」
「は、はい。しかし、私達二人だけで? 大丈夫でしょうか……?」
「大丈夫か……大丈夫とは言えないかな」
機智烈斎は自嘲的に笑う。
「そ、そんな!?」
「読田さん? 大丈夫なんて保証できる者は此の場にはいないよ? でも、今突きつけられているこの現状の中から、残っている中から、その大丈夫の場所迄辿り着かないといけない」
機智烈斎は読田を見やる。
読子の父は、其れでも不安げな顔で機智烈斎に向けている。
「いいか? 巻き込まれたとは言え、貴方や貴方の会社がこの責任の一端である事はかわらない。そして、貴方は無自覚とは言え、自分の娘を其処に巻き込んだんだ! その貴方が、どうして娘の前でオロオロと情けない姿を晒している」
語気を強めて、機智烈斎は読田に言い、背を向ける。
「……確かに、私の責任です」
頼りなく、機智烈斎の背から聞こえる言葉。
「せめて、親ならば、子の前では背筋を伸ばしていて、やりなさい……」
ホール中央から、怖ろしげな声が響いてくる……
それは、獣の咆哮のそれと似ている。
「すいません、私の様な、子もいない若年が、生意気な事を言って」
「いいえ、最もです。その通りです……どうも、いざという時は頼りの無い所が露呈してしまいます。誠に情けない」
機智烈斎は、少しだけ後悔した。こんな場面で、気丈に振る舞えと言う方が無理な話だと。自分も所詮は世捨て人の様な者ではないかと……
そして、やはり何かが欠落した人間なのだ。
そう、あの殺女(さつめ)達と同じ様に。
所詮は、欠落者。
ただ、滑稽なのは、機智烈斎、機智英一は、その殺女を造り、嘗て統率した者達の縁者であるという事……
その時、殺死丸の獣声(じゅうせい)がまた鳴った。
- Re: キチレツ大百科 ( No.112 )
- 日時: 2017/01/21 18:10
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: VTrHJ6VV)
「ぬぅ……ががっ!! ぃぃっき!? 貴ィ様かぁぁ! この殺死丸の末妹共を誑かしてくれたのはっ!」
殺死丸(あやしまる)は、凶獣の炯眼をギラつかせ吼えた。
コートの端をなびかせる様に歩く、頼母仁八(たのもじんぱち)は涼やかな貌をして其れを受ける……
「おまさぁにぁ、そう見えっこつがか?」
「おのれがぁぁ、貴様さえ居なければ、貴様さえ居なんだのなら……こうはならなかったっ! 貴様如きの小癪のガキが……殺死丸の、この、わたくしの、クゥウウ!! がぁぁぁ! 許さぬ、許さぬぞ、西郷の徒の末裔が!」
頼母は、静かな瞳で憤激する殺死丸を見ている。
そして、僅かと微笑する。
それは、不思議な笑みだった……一見嫋やかなる様で、不敵な不気味さも持っている不思議な微笑。殺死丸を前にして、こんな貌をできる人間は、他に居るだろうか。
少なくとも、この場所には居ない。
この壮漢を除いては……
殺死丸は、傷んだ身体を引きずる様に、ゆらりゆらりと歩を進める。
其れを様を見て、頼母の後ろに控える人の列がまた後ろに引き下がった。
皆、総じて其の顔は蒼白だ。
「ェェェ……貴様、貴様は殺しても、殺してもっ、殺し足らんぞォォ……!? お前は此処では殺さない、其処の倒れている二人と共に屋敷に連れて帰る!!」
「ふむ、御招き頂けっこっか? そいは願ってもないこつでごあんでよ」
「あぁぁぁェェェ、貴様は……楽に殺しはせん。殺目(あやめ)と殺華(さつか)にはちゃんと腹を斬る事を許す。そして其の首、この殺死丸の終生側に置こう。だがっ! 貴様は許さんぞ? 貴様は只では死ねぬ、貴様の女房子供を攫ってきて、其の目の前で我が太刀で二枚におろしてやる。此の世に生まれてきた事を、心底後悔させてる……!?」
凄まじい事を言う。殺死丸は、既に憤怒に心を奪われ尽くしたのだろう。
灼熱の鬼焔が、その薄い唇から漏れているような怨嗟の言葉。
「ふんん……こや、おっかなか娘子(おごじょ)っじゃ。しけんし、おいにゃ、女房子供はおらんでよ? こげな良か男が一人寡(ひとりやもめ)っじゃい。まっこつ世の女子(おなご)は惜しい男を見逃しっておっぞ」
そういって、頼母はまるで悪戯をした子供の様な無邪気な顔をして笑った。
「おのれぃ、叛逆者風情が……!! 嘗め腐りよってからにぃぃい!! いいだろう、今すぐ目にもの見せてくれるわ。此処で、手足を生掴みに引き千切ってくれるわ」
「なんで? 何で、お前迄、来たんだ……」
顔を涙でくしゃくしゃにした殺目が、蹲りながらそういった。
「どげんもこげんもなかっぞ……殺目、迎えん来たとよ」
「ないでお出でたっちゃね……! お前は、お前は大将からに……迎え? そねぇ事しちゃいけんちゃろーが? 其奴ゃ殺女じゃに早くきゃあれ(帰れ)ちゃ!」
殺目は、自分が抱く殺華の刀を取られまいと、必死と蹲る。それが、どんなに無駄な抵抗とも知りながら。最早、今できる事はもうそんな事位しかないのだ。
しかし、殺死丸はそれに目もくれず、頼母仁八に向け爪先を向けている。
頼母も悠々と、殺死丸に向かってくる。
「中々気勢の良か娘子じゃ……じゃどん、そん意気は見上げたもんじゃいな?」
「ぬぅ……ぎぃぃぃ!!」
殺死丸が頼母に掛かる。
右腕が、ぶん、と音を立てて頼母の喉元目掛け飛んでくる!
頼母は、其れを少し余裕を持って見送った。殺死丸が動くと同時に、右足に重心を預け、肩を揺さぶる様に交わしたのだ。
殺死丸は、最早全力で駆ける事は叶わず、人間の女の動きと大差ないスピードである。
しかし、膂力は人間のそれではない。近接で直接の徒手格闘などは人間では相手にならない。
それは、殺華を一撃で昏倒せしめた程である。だが、殺死丸は既に殺目と殺華を相手にしている……そして、当初、殺死丸は殺目の力を見誤り、かなりの無用とも言える痛手を受けているのだ。
だが、この殺死丸と言う殺女は、それでも油断の出来ない力がある。
それは、頼母にも一目見て解る。
底の見えない”なにか”ある。
この、一見細身の女の様に見えなくもない殺女。
しかし、その全身に漲らせたる激烈な気魄が、人間には決して出せよう筈のないもので、その実力を厭がおうにも知覚させてしまうのだ。
頼母は、撃剣は使えないし、刀なども持った事がない。
子供の頃から剣道や柔道は家の習慣として覚え習ってはいる。しかし、それは飽く迄、心身を鍛えると言う事に過ぎず、属している陸上自衛隊の幹部CGS(指揮幕僚課程)を合格する体力測定の合格基準点である言っていい。
だから、一般人よりは確かに腕は立つだろう。しかし、今目の前に相手は殺死丸である。
真っ向から頼母が戦えば、敵おう筈がないのである……
だが、頼母はそんな事は歯牙にも掛けていないのだろう。
頼母は、自分の中で構築されている、決然たる信念の様なものを持っている。
それは、宿意とも体系的な思考とも言えなくもない。
だが、少なくとも、それらが自らの命より、そして、他者の命よりも……この地上に於いて最も尊重され、歓ばれる、堯舜(ぎょうしゅん)であると信じている。
だから、頼母は先ず、私心を捨てた。そして次に、恐怖を捨てた……
金も、命も、名誉、名すら捨てた。
だから、頼母には殺死丸は”怖く”ない。
怖くないのだから、負ける等とも思っていない。
何も持っていないから、もう何も恐れる事などない。
殺死丸が再び襲い掛かるが、頼母には其れすら何も感じる事はない……
ただ、ただ、流れに身を預ける様にすればいい。
その時、また頼母は笑みを浮かべた……
- Re: キチレツ大百科 ( No.113 )
- 日時: 2016/07/25 19:46
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: rihdF037)
カッ、カッ、カッ……
カッ、カッ、カッ……
ホールの大理石を、定期的に打ち据える音。
其れは、頼母仁八(たのもじんぱち)の革靴の踵が、大理石を蹴り込む度に打ち響いている。上等のコードバンで作られた、飴色のウィングチップの革靴。その音と一緒に、黒いトレンチコートが、ふわりと、緩やかにその裾を踊らせる。
「!? ぬぅぅ……!」
殺死丸(あやしまる)は、頼母の身のこなしに違和感を覚えていた。この男は、何か特別”使う”ようには見えない。しかし、のらりくらりと、殺死丸が寸手の所に迫ると、巧みにその身を躱すのだ。
(? なんだ、コイツは……くるくると忌々しい)
殺死丸は、先程から左右に振り回されるが如く、誘導されている様な可笑しな感覚に戸惑う。幾ら自分が深手を負っていようとも、秘匿部隊であるからと言って、レンジャーや空挺団でもない人間だ。それに、いいようにからかわれている様な気がして、殺死丸は嫌なのだ。
佐官だろうか? 歳は四十代の前半に見える……どうせ、防大出身のキャリアが有り得ないヘマでもして左遷されたか? いや、違う。そんな生温い経歴の人間が殺女等と言う存在を預かる部隊を、自衛隊から任せられる筈が無い。実に、得体の知れぬ男である。殺死丸は、此の男が無性に気に食わない。それは敵だからと言う訳ではなさそうだ。
とても、嫌なのだ……気に入らないのだ。此の男、そう……此の男の持つ、気風というものが。
何故に、自分とこうも容易く対峙している? 何故に、自分にたじろぎ、畏怖せしめぬか……? 気に入らない、気に入らないのだ、殺死丸はそう激烈に感じている。
此の男は嫌いだ、それは格別な嫌悪。虫酸の走る嫌忌……
似ているのだ、嘗て、此の手の気風を持った男達を……知っていたのだ。殺死丸は、その理由を知っている。その空っ風の吹き荒ぶよう様な態度、一切の蟠りを感じさせない快活さ。
薩摩士族、西郷私学校党の連中の好む、尚武の気質と、弱者、敗者への憐れみとを併せ持つ独特なる士風。
(此奴は、嘗て”薩摩隼人”なぞ抜かしておった芋侍達の仔らの末裔だ)
殺死丸がその昔、激しく嫌った西郷吉之助(隆盛)の徒だ。あれらが聳やかし、吹かせた特有の風が、此の男から匂ってくるのだ……
殺死丸は、維新後に成立した、内務省や太政官に唾棄すべき軽蔑を持っていた。そして、同時に陸軍大将の西郷も、薩人も甚だ嫌った。だが、其れは、内務省の官僚達に向ける憎悪や軽蔑、という感情とは違ったのだ。
何故なら、其処には、どこか郷愁の様な名伏せ難い感情が付き纏うからだ。だからこそ、その複雑なものが殺死丸には小癪なのだ。その昔、剣突合わせ闘争し、その末に同じ道を歩いた時もあった。そして、その後其れらは、また違う道を慮り、結果虚しく滅亡していったのだ。何処までに、身勝手と、まるで死に場所を求める様に……
しかし、殺死丸には、激しく嫌いながらも其れらは維新を成し遂げた同志でもあった。そして、心の片隅にはそれら隼人共の辿った行く末に、一抹の同情にも似た感慨もあり、憎み憾む思いにはどうしても至れない。
そんな、思いがあったから……だから、そんな事を幽かに想い起こさせる此の男が、殺死丸は嫌いなのだ。その上、殺死丸は、此の頼母仁八に殺目(あやめ)と殺華(さつか)を取られたのだという思いがある。だから、尚の事、眼前の此の男を生かしては置けないのだ。
「此の上に、さらに、尚更に……この殺死丸から奪うかぁあ!?」
「……」
頼母は、淡々と殺死丸の身体を捌く様に、その体位置を僅かと変えながら身を躱し続ける。
「あれが、特別教導団の団長か……」
内閣情報調査室の職員が独り言ちた。
その周りを取り巻いている、公安部の刑事達がその様子を見ながら、時折何処かへと手短な連絡を入れている。
「公に現れるの初めてですな……特別教導団の団長が。今迄、公安の対自衛隊対策でも実際に見た事も写真に収めた事例もありません」
公安刑事の一人が言った。
内調職員が舌打ちをした……
「上は、飼い犬に手を噛まれた気分だろうよ? 間抜けな事だ……あぁいった連中には道理が通じない時もあるのだ。其の為の対策を怠った。それだけさ、それだけと信じたいものだね」
「飼い犬ですか、フッ……!」
公安の刑事達が、皮肉めいた薄笑いを浮かべている。
「何か?」
「虎や獅子は飼えんだろう? しっかりと鉄の首輪を付けて、鉄柵の中にぶち込んでくもんだ」
内調の職員も笑う。
「例えを違えましたな、教導団は犬だった……でも、其の犬のお友達が三頭狼(ケルベロス)なんだ。そりゃ、簡単には屠殺できんよ? 人間(政府)でもね」
「フン……それにしても、あの男……凄いな」
それを聞き、別の公安刑事が疑問を呈した。
「凄い? そうでしょうか、何やら殺死丸を避けてばかりです。しかも、どんどん距離が詰まってきている。殺死丸が多少痛んでいようとも、もうひっくり返すのは無理でしょう? なら、もう此の儘、此の場で殺死丸に一掃させるのが妥当でしょう」
「お前、一瞬も間を置かずして、あの恐ろしい殺死丸を相手に、あんな風に立ち回れるのか? 普通の人間なら、まず縮み上がって竦んじまうよ」
内調の職員も頷く。
「ええ、だって刑事さん? 貴方は次の動作が、生殺を分けるとしたら、簡単に動けますか? ほら、車の前に突然出て止まってしまう猫や狸と同じですよ。まぁ、あの殺女て者の前に立ち向かった時点で、間抜けな猫の如く轢き殺されるでしょう。でも、あの男は、そんな中まだ生きています。そして……何か伺っている様にも見える」
「伺う……?」
「機会を、ね? どちらにせよ、こうなってしまったからには、此処は様子見しかできないよ、我々などには」
「んん……」
「今は……漁夫の利、待ちましょう? 出来るだけ、我々が”上”から睨まれない様な」
内調の職員は、そう目を細めていった……
- Re: キチレツ大百科 ( No.114 )
- 日時: 2016/08/02 06:04
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: nFJQXShR)
ライフルの射撃音が、空高く昇っていき残響が尾を引いている……
空の薬莢が、アスファルトにまるで自分を誇示するかの如く横たわっている。
ライフル音自体は、其処まで派手なものではないが、それが空に反響して伝わっていく様は怖ろしい。パスンパスン、とバレルの中の小さな爆発が、運動エネルギーとして弾頭に伝わり、其れを飛翔させていく。その音が宙天で、コォンと鳴って空に滲みていく。
「クソッ……何て事だ」
機智烈斎が吐き捨てる。
「そんな……あれは!?」
詠子の父が、その後ろで言った。
機智烈斎は、山王パークタワーのエントランスから身を乗り出すと、其処では既に疎らな銃撃を残し、特別教導団と思わしき人間達の車両と、警察側の停滞状態(デッドロック)が始まっていた。早々と教導団が、火力により周囲を粗方掃射したらしい。
「よりによって、連中は外堀通りを逆走して乗り付けている……あれでは私の車迄行くのは不可能だ」
「所長さん、ガソリンの匂い……」
「あぁ、一台デカイ警察車両が、表の地下鉄のエントランスに突っ込んでいる。どこの馬鹿だ、あんな事をしてくれたのは……きっと相当な頭のネジが弛んだアホウに違いない」
また、車道の黒い外車から射撃音。
「!? なっ! クソっ、最悪だ。ウチの車のフロントのガラスが無いぞ!」
機智烈斎の車が停車している車線の警察車両付近は、集中して銃撃されている為にパトカーも、機智烈斎の型遅れのセンチュリーも同じく銃痕甚だしく、タイヤも完全にバーストしてしまっている。
「しまった……重火器での損傷など保険が下りるのだろうか? 参ったな、殺死丸があれを見たら何て言うか。どちらにせよ、もうあれは廃車だ。読田さん? 別の手段を考える他あるまい」
しかし、詠子の父はそんな、的外れな機智烈斎の言葉より、この状況に驚愕していた。
「これは、映画の撮影では……ないですよね?」
「ええ、勿論。そもそも、この首相官邸の付近ではこういった銃撃がある様なロケの撮影許可は絶対に降りないだろう」
「明日の新聞は、どうなるのだろう。こんな未曾の事態が……私の会社の所為で」
「ふん、此処までの事態は、相手側も事前の予定には入れてない様に思える。しかし、あの不思議な男なら、或いは……」
機智烈斎は、あの、頼母仁八(たのもじんぱち)と言った不思議な男の横顔を思い出す。
(これすらも……此の有様すらも様子見等と、あの男は言うか……!?)
殺死丸は、眼前を浮遊するかの様に揺らぐ、頼母仁八の出方を窺っている。
殺死丸は、敢えて見せつけるかの様な、大振りに相手の首から上を掴む様な攻撃を繰り返している。頼母は、其れを淡々と往なしている。上体を降り、その体重移動をそのままに”最小”の足運びで体の向きを変え、常に殺死丸に背後を取らせない。その際に、カツカツと靴の踵が地面を打つ。殺死丸は、絶え間なく其の一連の動作をを繰り返しているのだ。
通常、武術などでも、こういった近間での競り合いと言うのは”呼吸”と言うものがある。
分かりやすい例を挙げる。例えば、スポーツの世界でも、ボクシングの3分12ラウンドで、最終ラウンド付近でのインファイト(足を止めての近間での打ち合い)の勢いを第1ラウンドから全力で最終ラウンド迄続ける事は出来ないだろうし、そんな事をしようとすれば、どんなスタミナのあるボクサーであろうと1ラウンド(3分間)が限界であろう。相手を想定とした、シャドーなどを試しに3分間全力でやれば、それが僅かだが実感できる。
逃げる、避ける相手を、攻撃の手を休める事なく追うと言う行為は、非常に難しい事なのだ。同時に、其れを近間で常にギリギリの所でかわし続けるという事も同様なのだ。
殺死丸は、頼母の一定の体捌きのリズムを追っている。だから、殺死丸も態と大振りで分かりやすい軌道を沿っての上体への攻撃に集中しているのだ。
”虚”を散らし”実”に繋げる為の布石。
しかし、殺死丸も、もうそういった小賢しい手しか残っていない位の体とも言える。
頼母は、上体を肩を最初に其の攻撃を往なし、最小の足の位置で向きを変える。
カツ、カツ……カツ、カツ。
絶え間なく、絶え間なく。
(そろそろよかじゃろか……?)
頼母は、殺死丸の顔が血の気の引いた色を為して、蒼白を帯びてきた処でそう思った。
「おじょご……」
「!!」
其の時、靴音がカツリと一つで終わった。
其れまで、頼母は、殺死丸を中心にして、反時計回りに其の体位置を変えていた。が、今の一瞬で其処に若干の撓みが生じた。
殺死丸は、其れを見逃さない。
今、頼母が足を止めた位置から、殺死丸を避けるのならば、次は殺死丸を時計回りに避けねば、殺死丸の手の間合いに入る。しかし、頼母はまだ上体を動かしていない。
そして、今、頼母仁八の靴の爪先は殺死丸にまだ向いているのだ。つまり、上体を移動させても、この距離なら殺死丸の手が届いてしまう。例え足を先に動かしたとしても、今の位置からは、殺死丸の間合いから出る為の足を踏み出すテンポが一つ遅れた事になるのである……
嗤う、殺死丸。
(掴まえた!!)
嗤う、頼母仁八。
「機智烈斎どんナ、中々、良か二才(にせ:若者)っじゃたぞ?」
「!? な……!!」
其れは、殺死丸の思考を、ほんの僅か奪うには十分だった。
フワリと嫋やかな風が……殺死丸の頬を撫でた。
「ぬっ!?」
不思議な光景……頼母は、そのまま殺死丸の間合いどころか、其の細い腰を抱く。
殺死丸の鼻腔を一瞬掠める、爽風の匂い。
「はぁっ! 馬鹿めぃ掴ま……」
殺死丸の、下腹を這いずる異物感。
「くっ! ん!?」
ゾヴリ、と嫌な音。殺死丸の体内に何かが侵入してきたのだ。
「ん、な! きさっ……っ」
肩に回された頼母の腕が、殺死丸に逃げ場を与えない。腹の中に、頼母の左手が差し込まれ、それがズルズルと殺死丸の体内を這っている……
「っっっ!! あ、ェェェェえ」
其れが、ズルリと体の外に排出される……
「ふん……娘子? お前サァ、まこつおっかなかこつを言っちううたが、なかなか、綺麗な色ん肚の色をしちううごあんでな……」
「はぁ、ハ、は! 此のっ! この……ど助平ッ! ぬぅガ、カ!」
「……」
殺死丸は、頼母に寄り掛かる様に力を失った。
頼母は、其れを抱える様に、ただ独り、立っていた。
そこはかとない位の、血膿の臭い。立っているのは、頼母仁八だった……
- Re: キチレツ大百科 ( No.115 )
- 日時: 2016/08/08 19:25
- 名前: 藤尾F藤子 (ID: MESxmrlE)
聲が、聞こえる……
それは、優しげで、何処が滑稽な位な程、愛嬌に満ちた声。
聲が、聞こえる……
自分を呼ぶ、聞きなれた其の聲が、殺華(さつか)には何だがひどく慣れ親しんだ暖かみを感じさせる。何時も其の声は、殺華にどこか妙な親愛の様なものを与えるのだ。
「殺華……殺華……?」
殺華は、いつもその声を聞くと懐かしさを覚えるのだ。
「いけんした? 殺華、もうここらで良かこっじゃろい。帰りもんそ……」
それは此の、頼母仁八(たのもじんぱち)と言う男の曾祖父に当たる薩摩藩士、頼母壮八(たのもそうはち)から続く頼母家代々の男子に受け継がれた士風や気骨とでも言えようか……
幕末、人斬り半次郎と呼ばれた近衞陸軍少将、桐野利秋(きりのとしあき)の下で西南戦争に於いて、西郷私学校党軍に従軍し、政府軍下警視庁の抜刀隊の先鋒隊として組織された殺女の斬り込み隊と壮絶な死闘を演じた、西郷軍四番大隊に所属していた男がその頼母壮八であった……
警視庁抜刀隊の、露払いの様な役で蒐集された殺女衆の兵士。その中に、この殺華やその直近の姉に当たる殺目(あやめ)も居た。殺女はそもそも、維新、戊辰戦争後は陸軍大将をして近衞都督である西郷隆盛率いる近衞師団”御親兵”に多くが編入された。
この御親兵は明治四年(1871年)に発足され、その多くは薩長土の官軍兵士で成り立った日本初めての国軍と言える。薩摩藩兵四大隊を中心として、殺女が多く所属した長州諸隊や、その諸隊の中の奇兵隊の生き残り、戊辰の役での会津戦争で最大の武功を挙げた板垣退助率いる土佐藩兵も居た。しかし、西郷隆盛が政争で敗れ下野した後、其れを不満とする薩摩士族、そして全国の不平士族達の暴発が始まり、其れ等を抑えきれずに挙兵に至ってしまったのが西南戦争である。
そして、この時近衞師団に属していた殺女達は、明治新政府にとっては、もはや何時暴発するか分からない、危険極まりなき火薬庫であり悩みの種であった……
そこで、西南の役において其れ等を一斉に解消するべく、戦場の最前線に向かわせ、此の日本で最強戦力を有している薩摩士族軍との正面からの当て馬とする事で諸々を解決しようと提案したのが警視庁の創始者である、大警視、川路利良(かわじとしなが)であった。しかし、その川路利良は薩摩藩士であり、何より、警察と言う存在を此の日本で創設するを進めたのは、他でもない西郷隆盛であった……
その西南の役にて、抜刀突撃を繰り返す殺女達を憐れみ、傷の浅い者達を捕虜としたのが桐野利秋であった。桐野達は最期、田原坂にて西郷を介錯すると、そのまま敵勢に突撃して果てていった。最期の戦いを目前に、桐野は自分の部下の壮八へと生き残った殺女達を任せて行ってしまったのだ。
殺華は、今でも其の死地へと去っていく、最後の薩摩隼人達の背なを鮮明と憶えているのだ。
「おはんラぁ、明日を探しちくいやんせ……」
桐野が最後に言った言葉は、確かそんな言葉であった。薩摩人と言うのは不思議なもので、そういった時に多くの言葉を用いない。実にあっさりとしたものであった。だから尚の事、殺華には強烈に其の場面が印象付けられたのかもしれない。
「お前さァらは、いけんすっがか?」
其れを共に見送りながら壮八が言った。殺目は不貞腐れ、俯いていた……殺華は若干サイズの合わない軍服を引き摺りながら泣いていた。
頼母壮八は、残照の中で僅かと口元に微笑を蓄えると短く言った。
「そいじゃ、俺いと一緒ん帰りもそ……」
あの時の、頼母壮八とこの頼母仁八は、まるでおんなじ聲と、おんなじ貌で微笑うのだ。頼母家の男子は皆そうだった。だから、殺華は頼母家で男子が生まれる度に、あの壮八を思い出し、其れを重ねるのだ……でも不思議な事に、殺華からくらぶれば、人間の仔は実に早く大きくなってしまう。そして、死んでしまうのだ。
つい、このあいだの事だったと想ったのに……
何だか、やっぱりこの聲が懐かしい。
殺華は、はたと目を覚ます。
「た……ひゃもの、くん……はりゃ、はりゃりゃ」
頼母仁八(たのもじんぱち)は腰を屈め、持っていた胸のハンケチーフで殺華の口の周りの血反吐と、口中の吐瀉物を拭う。
「いだぃやだだだっ!」
殺華は、子供が駄々を捏ねる様に顔を背ける。
「こや、頬骨が内側ん陥没しちうっぞ」
「あゃゃ、顔の形ひゃ変わっちゃふよぉぉっ、嫌りゃらよほ」
頼母は、殺華の口を指で開ける。
「にゃに……?」
「ちょいと我慢しちおれ」
「え?」
頼母は、殺華の口腔内にハンケチーフを入れ、その上から指を以って殺華の上顎から陥没している骨を外側に押し上げた。
「ん、あ! あぎゃぁあああん!」
「丁度良か気付けんなったじゃろ?」
「うぁぁぁあああん!! 痛いよぉぉ、うえぇぇぇぇん。オ、おえぇぇぇ!」
殺華が泣きながら転げ回る。
顔面の陥没は、直様処置をしなければ骨の癒着で顔の輪郭が変わってしまう。そして顎の位置がズレる、つまり歯の噛み合わせの位置が著しく変わってしまえば、武術者としては致命的であり、常人だとしても永く健康な生活は維持できず寿命などにも大きく関わる事だろう。タイの国技ムエタイや日本のキックボクシングでは、こういった顔面の骨が陥没する様なバッティング、アクシデントはセコンドが専用の鉄の棒で選手の鼻の穴に有無も言わさず突っ込んでテコの原理で患部を強引に押し上げるのだ。
「あとでちゃんと医者に診て貰いもそ」
頼母はそう言うと、近くで刀を必死と抱いて蹲る殺目の元に歩み寄る。
「派手んやられたもんじゃナ……殺目」
「黙れちゃ、なんぜおいでたっじゃね!(だまれ、何故来たんだ)」
「迎えん来たとよ」
「ほいじゃけ! さっきから言いよるちゃ! なんぜ主ャアが来よる!! 大将首が顔を晒してまで何いで……!」
その時、殺目の身体がフワリと上に持ち上げられる。
「機智烈斎どんに会うたぞ……」
「居っちゃか!? 此処にっ!」
頼母は、右の肩に殺目を担いで言った。
「やはり、お前さぁも機智烈斎に逢うたがかい?」
「……別に、今更この時代の機智烈斎に会うて何いが変わるちゃ! 会いたくないちゃね……お前が斬れと言うなら今すぐ斬っちゃる」
頼母は微笑する。
「ふふん、今のお前さぁじゃ誰も斬れんじゃろい」
「……ふん、そうっちゃ……今のあた(私)じゃあ誰も斬れんちゃね……」
「頼母くん頼母くん、頬がね、カパカパするんだよ? ほら、カパカパ」
殺華は、気になるのか頬を弄っている。
「こやっ! 殺華、触いよんな。顔ん形が変わりよっぞ」
「え、やだやだ……ねぇ頼母くん、僕も痛いし気持ち悪いよ。抱っこ……」
「そや、ダメじゃい。お前さぁは歩けんじゃろ?」
「えぇ!? ズルイよ、ズルいんだよ! 大体だね、僕は死連の姉者をやっつけたんだよ? もっと労ってくれてもいいだよ?」
殺華が左頬を更に膨らませてジタバタ地団駄を踏む。
「ん……おまわりさんが集まってきたんだょ……どうする頼母くん?」
頼母仁八は、少し眉を上げ言う。
「ないでんかいでんありゃあせん。おい達にゃ、もう時間がありもさん。では、行っもそか……」
そう言うと、なんだか殺華の頬には風が奔り抜けた気がした……
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