複雑・ファジー小説
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- 失意のセレナーデ
- 日時: 2018/06/19 21:48
- 名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: rtfmBKef)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode=view&no=19263
*
「愛してるよ」
「大好き」
「ずっと、想ってた」
——愛の形を、どれだけ知っていますか。
□はろう、浅葱と言います。
更新はまちまちとなってしまった現在ですが、ひっそり続けていきます。
□長編として再始動始めます。
□
□目次
失意のセレナーデ
>>001
第一話「始まりは、いつも突然だ」
>>002 >>003
□illustration & illustrator
□Twitter
失意シリーズ(@Shitu_Sere )
専用アカウント作りました。お気軽にフォローしてください。
□etc...
失意シリーズとなりました。
『世界は君に期待しすぎている』『失意のセレナーデ』が構成作品です。
親記事に『世界は君に期待しすぎている』のURLを貼付しました。
Since 2015 10/22
Re:Since 2018 3/18
□
- Re: 失意のセレナーデ ( No.1 )
- 日時: 2018/03/18 17:35
- 名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: XM3a0L/1)
■失意のセレナーデ
私の初恋は、きっともう叶うことはない。中学二年生の冬、修学旅行が終わり、楽しい思い出を語る同窓生たちの声を聴きながらそう思った。そもそも私は初恋をしていたのだろうか。憧れていただけだったような気もする。その憧れを、きっと私の前に立つ夕莉ちゃんは、好意だと勘違いしてしまっているんだ。
もうすぐ下校のチャイムが鳴る。乾燥した冷たい風が厳しさを増してくる頃だ。この学校で生活をしてから、何にも挫けないと決めた意志は固く、どんなにひどい目にあっても早く帰りたいなとしか考えれなかった。目の前の光景も、今の私の惨状も、気づいているのに気づかないふりをしているのだから。心が、動かない。
このまま怖さで泣いてしまったら、夕莉ちゃんは許してくれるだろうか。奏くんと何も話さないことを誓えば、許してくれるのかもしれない。いっそ謝ろうかと考えたけれど、一体私は何に謝ったらいいのか、分からなかった。私が奏くんと話していたことがだめだったのか。それとも、友達としての好意を持ってしまうこと自体が謝るべきことなのかもしれない。けれど、どうして好意を持ったらいけないのか、私には分からなかった。
「ねえちょっと。いい加減にしてくんない?」
夕莉ちゃんが大きな声を出す。彼女が話すたびに全身の血液が足先に集まっていく感覚がして、自然と彼女を見る表情に力がこもってしまう。じんわりと頭の先がしびれていくような感覚と共に、腿に載せていた手が震えていた。
「あんたのせいで奏くんと全然話せないんだけど、あんただけのものじゃないのに独り占めしてんじゃねーよ!」
私が普段使っている机を、力強く夕莉ちゃんが叩く。肩がはねた。私を睨みつける夕莉ちゃんと目が合う。頭全体が痺れてしまったように、何も考えがまとまらない。何か言ったらどうなのよ。そう強く言われ、何も考えられなくなる。
「私、夕莉ちゃんに、何かしたっけ……」
目を離さずに、尋ねる。夕莉ちゃんの奥にぼやける蛍光灯の眩しさか、恐怖か、声が震えた。意地を張ったような声だと言ってから思った。
「奏くんと二度と話さないでっていってんの! 出来ないなら明日から学校来ないでよ! メーワクなんだけど!」
もう一度机を叩かれ、心臓が強く締め付けられる感覚がした。
「——さい、うるさい!」
黙って、お願いだから。何も言わないでほしい。私が強く当たってしまっていることも、夕莉ちゃんのせいで汚れてしまったなにもかもを、誰にも言わないでほしいと思った。
「夕莉ちゃんは自分から奏くんのところいったことないじゃん! えらっそうにいっつも私に文句ばっかり言ってこないでよ! 私の気持ちだって知らないくせに勝手なこと言わないで!」
強く脈打つ心臓が痛い。必死に自分を落ち着かせようと深呼吸を努力してみても、しっかり酸素が入ってこなかった。逃げたくて、気持ち悪くて、涙があふれる前に大きく息を吸う。
「夕莉ちゃんの怒ってることを私のせいにしないでよ! だいっきらい!」
埃で粉っぽくなった鞄を机の横から引ったくり、急いで教室から出る。廊下はすっかり冷えてしまっていて、終業後からコートを着ていてよかったという気持ちが浮かんできたような気がする。夕莉ちゃんへ強く当たってしまったことや、それ以外の様々なことで、胸の奥がぽっかりと空いてしまった感覚がした。
涙は溢れるし、鼻水は止まらない。何が悲しいわけでも、辛いわけでもなかった。スピーカーから流れる下校を知らせるメロディが、気持ち悪さを伴った遣る瀬無さに沁みこんでくるような感覚がした。
コートの袖口で目元をごしごしと擦りながら、玄関を飛び出し家を目指す。頭のてっぺんを手でほろえば、ぱらぱらと手にくっつきながら、ホコリやチリが落ちた。指先に絡まった誰のとも分からない髪の毛や大きなホコリをはたいて落とすが、その行動自体が可哀想な自分を演じているようで、涙がまた、じわりと溢れる。
中央に一本だけ用意された柱の最上部から、白色の味気ない灯りが公園の一部を照らしていた。外周沿いにある、わずかしか灯りの届かないベンチに座り、息を整える。放課後の教室での出来事を思い返していく。ほとんど血の気が引いた時と同じ状態だったようで、自分が何を言ったのかという細かなことは思いだせない。
けれど確かに、夕莉ちゃんを傷つけたことだけはしっかりと覚えている。奏くんとばかり話すことになったのは、私だけのせいではなかったはずだった。私にも仲のいい友達はいたけれど、二年生に上がる時のクラス替えで離れ離れになってしまい、苦手な子が多いクラスになった。
それでも初めの方は何人かのグループに入れていた。みんな奏くんのことが好きだったのかもしれない。たまたま席が隣になって奏くんと話すようになってから、なんだか女子のグループに入らせてもらえなくなっていったなと、今になって思う。もっと早くに気づくことが出来ていたのなら、夕莉ちゃんにひどいことを言う必要だってなかった。きっと。
今日はきっとダメな日だった。背もたれに体を預けて、足を振り子のように揺らす。帰りたくなかった。通っている中学校での最後の日。これから冬休みに入る日。みんなで修学旅行先で撮った写真は捨ててしまった。笑っているのに、笑えていない自分を見ることが苦痛だった。
言いたいことをぶつけていなくなってしまうことは、なんだか逃げているような感じがした。私にひどいことをし続けていた夕莉ちゃんが悪かったのかと考えてみても、それは違うな、という結論しか出てこない。どちらが悪いのかは分からないけれど、きっと言ったもの勝ちになるんだろう。
それなら負けていてもいいや。まだ胸に納得できない嫌な感情は残っていたけれど、帰りが遅くなって親を心配させてしまわないために、公園から出る。見上げると、眩しい暖色の街灯が空を照らしていた。昔アルバムで見たきれいな星空は、転校先で見ることができたらいいな。嫌な思いをなくせるようにと、公園からの道を駆け足で進んだ。
- Re: 失意のセレナーデ ( No.2 )
- 日時: 2018/03/28 20:04
- 名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: J/gUjzFh)
第一話 「始まりは、いつも突然だ」
どうしたって、きっと私はここから逃げることができないのだろうと思う。みんながそれを望んでいるような、もしかしたら私がそれを望んでいるのではないかとさえ感じてしまう。登校して真っ先に目に入ったのはゴミだらけになった上履きと、幼稚な罵倒の言葉。もうすぐ中学を卒業する時期だというのに、ここにいる子たちはまだ幼稚だ。田舎の子だからかもしれない。私が以前通っていた中学の子たちの方が、隠そうという気持ちがあった気がする。
教室に至るまで、転校したての時と同様にすれ違うクラスメイトに「おはよう」と言っても、返ってくるのは笑い声ばかりで、その後に続く言葉もだいたいいつもと変わらない。それでも会話をしようとするのは、きっと私がここにいる意味がほしいだけ。私が求めてる意味だって、突き詰めれば自己満足で、根底には一人でいるのが嫌だって気持ちがあるだけだと思う。それくらい私は孤独で、助けてくださいだなんて言えない。だって、誰も助けてくれないじゃないですか。
「三条……」
「いいんです、大丈夫ですから。気にしないでください。だってもう、後一ヶ月もしたら卒業ですもん」
貴方たちが私を見ない振りして、もう半年以上も経ちました。そう伝えたい気持ちもあったけれど、誤魔化すように私は笑う。申し訳なさそうに眉尻を下げる貴方だって、本当は私のために時間を割きたくないんでしょ。トレードマークの白いポロシャツを着た、私の担任の先生。引っ越してきてすぐ、あまり馴染めないでいる私を助けてくれた先生だった。おかげで私は皆の輪に入れたし、先生がいなかった私は初めからずっと一人ぼっちだったと思う。けれど、今はそっちの方が良かったと感じていた。
「でも早坂とかに嫌がらせされたりしてたんだろ? 本当にそのままにしていいのか?」
四時間目の授業を自習にした先生。随分前に授業が終わるチャイムが鳴っていた。生徒たちの賑やかな声が遠くに聞こえる。クラスではもう給食の配膳が始まっていて、戻ってこない先生をみんな待っているんだろう。私の分の給食は用意されているか分からないし、残ってすらないかもしれない。今日はわかめご飯の日だったから、楽しみにしていた。こっちに来てから知ったホワイトミニーが美味しくて、給食の時間が早く来てほしいと考えていた。
先生は相変わらず難しい顔をしていて、私が先生に何も返事をしないから、戸惑っているようにも感じられる。もしかしたら、私が「辛いです」というのを待ってくれているのかもしれない。それでもね、先生、私は大人を困らせない方法を分かってるんだよ。そう心の中で呟く。面倒ごとが嫌いな学校の先生を安心させてあげられる、生徒からの言葉。私はそれを言葉に出すことをためらわなくなった。
「大丈夫です、あと少しだけど、みんなと仲良くできるようにします」
そうして、にっこりと笑う。貴方たちが私を忘れようとしていた時期に比べたら、私が必死に助けを求めようとしていた頃に比べたら、自分から相手を拒絶することなんて苦しくない。先生は「そうか」と必死に言葉を探して、やりきれないと言いたげにタメを作って言った。
「給食は、どうする」
「ここで食べても、いいですか?」
「ああ、したら持ってくるから、楽にしててくれ」
そう言って学習椅子を引いて、先生は部屋を出ていく。先ほどよりも幾分か空気が軽くなった気がする。ぼうっとしていた頭が呼吸するたびに澄んでいく感覚。左手にある窓からは、静かに粉雪が降っている。さっきまで晴れていたのに。一人で資料室に待たされていると、たった数分かもしれない時間が、とても長く感じる。まるで取り調べみたいだった。学習机を向かい合わせて、一メートルちょっとしかない距離で先生を見つめあう。
今さらになって心のもやもやが大きくなってきたのか、雪の降るさまを見ているだけで、目頭が熱くなった。泣いていると思ったら涙が止まらなくなる。私は可哀想じゃない、辛くない、大丈夫、苦しくなんかない、助けなんていらない、あと一ヶ月だからあっという間だよ、大丈夫、大丈夫だよ。学校指定のジャージの袖口で目頭を強く押さえながら、何度も何度も大丈夫だからと繰り返す。辛くなんてない、私は誰にも負けてなんかないんだから。決別するんだ、みんなと。辛くなんてないんだ、私は弱くなんてないから、大丈夫だから。
そう何度も呟いて、弱くなんてないと思うたびに目頭を濡らしながら、先生が来るまでの短い時間に、私は私を殺し続けた。戻ってきた先生から受け取った控えめな給食。ありがとうございますと言うと、無理しないで帰っても良いんだぞと言われた。厄介者にいられるのは迷惑だから、そう言われている気がして、私は首を縦に一度。後で保健室に荷物を置いておくから。そう言って出ていった先生にばれないように、私はまた目頭を熱くした。
自分からの拒絶も、相手からの拒絶も、私の心を壊すのには充分過ぎる。ばれないように声を押し殺したけれど、鼻水も涙も止まらなくて、給食は手に付かなかった。結局その日は迎えに来てくれたお兄ちゃんに支えられるようにして家に帰った。安心感でまた泣いて、泣けば泣くほど救われるような気になって、泣き止んで生まれる虚無感が辛くて、いつまでもいつまでも泣き続けた。
そんな優しい兄は、今私の隣にいて、いやらしそうに笑っている。大好きだった兄に助けられたあの日から月日が経ち、一度入った市立高校から今の私立箔星高等学園に転入して、数日が経った。始まりは兄が迎えに来てくれた中学のあの日。こうしたら辛さが紛れるからと言って、兄は泣いていた私に唇を落とした。兄の気持ちが赴くままに兄は私を好きにしていた。私と五歳も離れた兄は、特別見た目が良いわけではなかったけれど、彼女はいたんだろう。
あの日の涙は、学校の辛さだけじゃなかった。
「みたか」
熱っぽい声色。もう何度目だろう、こうして夜を一緒に過ごすのは。私の耳にかかる兄の吐息も、素肌にまとわりつく兄の手も、私の手に握らせた兄のものも、ああ、全部が気持ち悪くて仕方がない。
「分かる? 俺さぁ、お前の手でしてもらうの好き」
「んっ、ほら、大きくなってきた」
嬉しそうに吐息交じりで、兄が言う。兄の喜びは分からない。こんなに気味悪くて気持ち悪い夜が、これからも続くと考えるだけで胸が苦しくなる。兄が嫌だ。昔と違って、大学に通ってから気味悪くなった兄が。兄の手が私の手を包んで、自分の満足するように動かし始める。直接触らせられて伝わるその質感や、熱量だって、きっと私はまだ知らなくてよかったはずなんだ。気持ち悪さが、怖さになって私を襲う。
どれくらいの時間が経ったか分からないけれど、兄は一度震えて、私の手のひらに欲を吐き出して自室に戻っていった。ひどいにおい。兄の手にさせるがままだったから、手のひらだけじゃなく、指にもそれが付いている。枕元に置いていたティッシュでふき取り、ゴミ箱に捨てる。もう寝ようと思っていたところだったけれど、いやな目の覚め方をしたせいで、眠気がこなくなってしまった。
ティッシュを捨てたゴミ箱を感慨もなく数秒見つめ、部屋を出た。まだ窓を開けたら寒い時期だから、手を洗ってリビングで過ごそう。ついでに一階で充電しっぱなしだった携帯も回収しなくちゃ。階段を、足を踏み外さないように静かに降りる。父さんが前に老後が心配だからといって取り付けた手すりが、私を支えてくれている。手すりがなかったら、踏み外して転ぶことだってあり得るだろうから、父さんの判断は正しいと思う。隣で駄々っ子みたいに母さんは怒っていたけど。
しんと静まり返ったリビングの電気を付け、台所の電気も付けて、移動して洗面所の電気を付ける。ボイラーは切ってあったけれど、お湯が沸くのも待っていられず、冷水を出して手を洗う。石鹸をつけて、左手が痛くなるくらい爪で丹念に。まだ熱が残っているような感じがして、手が冷たくなるまで、石鹸を流し終えた後も水にさらした。充分手が赤くなったような気がしたから、タオルで手を拭く。来た時とは逆で、洗面所の電気を消して、移動して台所の電気を消し、ソファに座る。
テーブルに置いていた携帯から充電器を取り、スイッチ式の延長コードのスイッチを切り、充電器を外した。転校してまだ日が浅いけれど、仲良くしてくれる友達が多い。クラスのラインはいつも活気があって、一時間くらい前までメッセージが来ていた。内容をざっと確認し、個別に来ているメッセージに返信していく。前の席に座る真子ちゃん、真子ちゃんの親友の亜美ちゃん、隣の席の藤島くん。亜美ちゃんは隣のクラスの子だけれど、真子ちゃんと一緒にご飯を食べるようになってから仲良くしてもらっている。
藤島くんとのメッセージのやり取りが始まったのは最近だったけれど、律義に返信をくれる様子を見ていると、奏くんと話していた時の自分が思い出される。きっと私も必死だった。夕莉ちゃんには悪いことを言ってしまったし、もう会う事もないだろうから謝れないけれど、誰にも奏くんを取られたくなかった。当時私は携帯を持っていなかったけれど、奏くんはどうだったんだろう。もし持っていたら、携帯じゃなくても、パソコンを奏くんが持っていたら、メールをし合える仲でいられたのかもしれない。
おやすみ! と元気なメッセージに、おやすみなさいと返信を済ませ、意味もなく友人欄を眺める。奏くんはどんな名前でこのアプリを使うんだろう。町井奏かな、でもおしゃれだったからローマ字とかにするのかな。いない人、それも好意を寄せていた人のことを考えると、幸せな気分で心が満たされていく感覚がする。奏くんと、面と向かって言えていたあの頃の私。奏くんはどの高校に入ったんだろう。日本人離れしたその容姿や、どの科目も卒なくこなしていて、点を取るべき時にはしっかり得点できる人だった。
私立の良いところに行ってそう。今も私のこと覚えててくれているかなぁ。ソファの上で三角座りをしていろんな人の一言欄を目にすると、自然に奏くんのことが頭に浮かぶ。あの頃は好きっていうのが分からなかったけれど、今は分かる。奏くんのことを考えていたら、さっきまでの嫌な気持ちより幸せな気持ちの方が大きくなった。これがきっと好きってことなんだろう。今になって、前よりもっと奏くんの事が気になってしかたない。
いい加減寝ないと明日の授業中に寝てしまうかもしれない。寝ようと思い立ってからやってくる睡魔と欠伸。携帯でアラームをセットしながら部屋へ戻り、ベッドに寝転がる。嫌な体温、嫌なにおい。私の嫌なものばかりが増えていく部屋だけれど、今はつらくなかった。記憶の中の奏くんの笑顔を思い出して、おやすみを伝える。気持ち悪いことだったけれど、それでも安心して夢の中へと逃げ出せた。
無機質なアラームの音が部屋に響く。
すっきりしない頭で携帯をいじり、けたたましく響くアラームを止めた。ここで寝ころんだままになっていると二度寝してしまうから、ベッドから出て大きく伸びをする。背中をぐっと伸ばすと、「んぅー」と声が漏れた。だらんと力を抜いて、つい数時間前と同じように階段を降りる。寝る前と違うのは、部屋を出てすぐに美味しそうなご飯のにおいがすること。お母さんの作る朝食はたいてい和食で、今日もお味噌汁のにおいがした。
「おはよ」
一足先にご飯を食べていたお父さんと、料理を盛るお母さん。
「ん、おふぁお」
「おはよう、みたか。彰人さんは口に物入れたまま話すのやめて」
「ん、……すまん」
お母さんはお父さんのことをずっと彰人さんと呼ぶ。物心つく前からそう呼んでいるから私は違和感なく過ごしているけれど、中学の頃、奏くんが唯一遊びに来た時には、驚いた表情をしていた。日常の小さな出来事から、奏くんを思い出す瞬間はやっぱり幸せな心地になる。用意された食事に手を付ける前に、洗面所で洗顔を済ます。鏡越しの自分は上手に笑えているようで、少し安心した。
顔を拭いたタオルを洗い物ようのバスケットに入れ、食卓の椅子に座る。お父さんは食べ終わったみたいだったけれど、私の普段座っている場所の正面にまだ座っていた。お母さんが隣でご飯を食べ終わるまで、お父さんは席を立たない。私の隣に座るはずの兄はまだ降りてきておらず、盛り付けされた皿はラップをかけられていた。玄米ご飯に鮭のハラス、お豆腐とワカメのお味噌汁。質素なご飯が好きとお母さんに手紙を書いてから、朝ご飯は質素になった。
お父さんが微笑みながらお母さんに話しかけて、お母さんも嬉しそうにお父さんと話しをしている姿を毎朝見るが、本当にこの二人は仲がいいんだなと思う。転校してから両親の話になったときに、みんな驚いていたなぁ。お母さん達のイチャイチャが始まる前に食事を済ませ、食器を流しに置く。歯を磨いて、着替えたら学校を出る時間だ。いつも通り身支度を終わらせ、家を出る。
- Re: 失意のセレナーデ ( No.3 )
- 日時: 2018/06/19 21:47
- 名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: rtfmBKef)
少し冷たい風が吹いていて、日陰にはまだ雪が積もっている様子も見られる。こっちに越してきて初めての春は、、何もかもが新鮮だった。ついこの間桜が咲いたと思ったらすぐに桜は散ってしまったし、東の方では雪が降ったなんて報道もされていた。向こうにいたらあり得ないことばかりで、ここにきて良かったと感じる。向こうよりも人があたたかいような気がするのだ。手袋をつけて自転車に乗り、駅を目指す。同じように通学する人は手袋なんてしていなくて、まだまだ一緒にはなれないなぁと思った。
駐輪場に自転車を置いて、カバンに手袋をしまう。以前手袋をしたまま登校したらみんなに驚かれてしまったから、その日以来最寄りの駅についてから手袋をしまうようにしている。アナログの腕時計は電車が停まる五分ほど前を指しており、小走りでホームへと向かう。ICカードを改札にタッチし、ホームへ降りた。スーツを着た人が多い、それと学生も。同じ学校に通う生徒は一人もおらず、少し寂しい。
一緒に登下校をできる友達がいたなら、片道一時間ほどの通学だって苦ではないのだろう。二つ隣の駅から来た電車に乗り込み、対面仕様の座席の半ばに座る。携帯には昨夜返信した人たちからのメッセージ通知が来ていた。それに返信をしていく。真子ちゃんは今日見た夢の話、亜美ちゃんは今日の授業について、それと、藤島くん。まだ距離感が分からないから、藤島くんも私もお互いに普段は敬語のまま話していて、今朝の話題は英語の授業で順番が回ってくること。
授業前には藤島くんが気を使ってくれて、必要な教科書や先生の特徴、次はどこから始まるかまで教えてくれる。太陽みたいににっこりと笑う姿が印象的で、下の名前が空だと知った時には、ああ、この笑顔を守ってるんだなぁと思った。サッカー部に入っていることや、選抜に入りたいという藤島くんの思いも教えてくれた。将来の姿がはっきりとしている子で、私なんかとは違う世界にいる気がして、少し息が詰まる。
英語の和訳は自信がないので、真子ちゃんとも確認しませんか。普通に話す分には敬語は外れるとしても、男の子とメッセージのやり取りをすることになるなんて思っていなかったから、文章は固くなってしまう。電車に乗り込めば同じ車両に、私と同じ箔星の制服を着た生徒がちらほらと見られる。通路を挟んでほぼ正面に座る男子生徒は、襟元に銀字で「A」が施された紺色のピンバッジを付けていた。そのおかげで、男子生徒が数理特進科の人だということが分かる。難しそうな英語のテキストを、赤シートを使って見ているみたいだ。
真子ちゃんが理特にとても頭が良くて顔も整っている人がいると言っていたけれど、この、前に座っている人と同じクラスなのだろうか。そんなことを思いもするが、実際にどうかは分からなかったから、そのまま視線を携帯に落とす。藤島くんからは元気いっぱいなメッセージが来ているから、それに返信を済ます。何駅か停車し、通り過ぎて、だんだん都会になっていく車窓をぼんやり眺めた。イヤホンからはどこの局かは分からないけれど、ラジオが流れる。交通情報やニュースを知ることが出来るこの時間は、貴重だ。
おばさん臭い趣味だけれど、この時だけは兄の事を忘れられる。家に帰ることが出来るより、家から離れられる登校の時間が大好きだ。学校まで電車に揺られる三十分。昨夜のせいで睡眠が足りていないのかもしれない。普段なら眠たくならないけれど、今日は目を閉じていると自然に睡魔がやってくる。何度か瞬きをしてみたり、眼鏡を直してみたりしたけれど、結局すぐに眠ってしまった。
「あの……駅、もう着くよ」
心地いい声がする。
「えっ、ちょ、お前見てないで助けろよ!」
聞いたことがあるような、ないような。
「仕方ないなー。三条さーん、起きて—。空の肩口に可愛い顔すりすりしないでー」
「優大おまっ! 言い方!」
そら。ゆうだい。ぼんやりとしながらだったけれど、聞いたことがある名前。重たい瞼が上がり、眩しい視界の中で、男の子が私の顔を覗き込んでいるのが分かる。
「あ、起きた。おはよ、三条さん」
「……おはよう、ございます」
黒い眼鏡。にっこりと笑う顔があどけなくて可愛らしい。右腕や右の頬に伝わる熱が、心地よい。まだ寝惚けている感じがする。ゆうだいくんが、私の隣を指さして、またにっこりと笑った。何があるのか分からないけれど、体を起こす。熱が離れていく感覚がして、誰かに寄り掛かっていたことが分かった。おそるおそる、その人物を見上げる。
同じ学校の、男子の制服。ジャケットのボタンをしめているのに、ネクタイはつけていない。どこか居心地悪そうに視線を遠くにやって、耳を赤くした人。
「まっ!」
思わず椅子から立ち上がる。待ってどうしてうそでしょ。寝起きの頭は大混乱だ。楽しそうに声を殺して笑うゆうだいくんが見えたけれど、それどころじゃない。
「ふっ、藤島くん……! ごめんなさい私、その、あの、ごめんなさい!」
じりじりと後ずさりをし、ちょうどよいタイミングで開いたドアから出て走る。人が多くて思い通りに進むことが出来ないけれど、今は何より恥ずかしさで熱くなった耳や頬を、二人に見られたくない。改札を抜けてからも、普段ならゆっくり歩く道を学校を目指して早歩きで行く。藤島くんの肩を借りて寝てしまっただなんて、ほかのクラスの人に見られてしまったらどうしよう。一心不乱に、人目も気にせず急いで学校に着いたのは、いつもより十分も早かった。
ほかの生徒たちと違って肩で息をする私を不思議そうに周りの人たちが見てきた気がするけれど、それよりも朝、私が藤島くんにしていたことの方が恥ずかしさをあおって仕方がない。それに確か、ゆうだいくんという人は、藤島くんがよく名前を出す親友ではなかっただろうか。はあ、と大きくため息をついて教室に入る。まだクラスメイト達はあまりそろっていない様子だ。
いつもより早く着いたため、いなくても仕方がない。そう思いながらまだ慣れないクラスメイト達と挨拶を交わしながら、自分の席に着く。
「おはよーみたかちゃん。顔なしたの、真っ赤だよー?」
「あ……おはよう、真子ちゃん。何でもないよ」
クラスメイトの陰で姿が見えなかったけれど、真子ちゃんが寄ってきた。席が近いこともあって、仲良くなることができた子。今、一番仲良くしてもらっている。
「あのさ、真子ちゃん」
鞄を置きながらそう切り出すと、真子ちゃんは藤島くんの席に座って、何々と嬉しそうに言った。なんだか周りから注目を浴びているような、みんなに話を聴かれているような感じがして、自然と声が小さくなる。
「真子ちゃんって、電車で、その、隣の人の肩に、あ、あたま……」
「あたま?」
「う、うん。頭その、載せちゃったりしたりって……したことある……?」
思い切ってそう切り出すと、真子ちゃんは大きな目を何度か瞬きをして、ゆっくりと首を振った。そしてすぐに「えっもしかして!」と、目を輝かせる。
「えっみたかちゃん恋? 恋かな!」
「へっ」
「そのドキドキもやもやはね! きっと恋だよみたかちゃん!」
大きな声でそう言いながら立ち上がった真子ちゃんに、クラスメイトからの視線が集まった。
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