複雑・ファジー小説

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【短編集】忘却の海原 『鋼鉄の海鷲』掲載
日時: 2015/12/24 18:38
名前: 一二海里 (ID: YohzdPX5)

 こちらで投稿させていただくのは初めてとなります、一二海里です。
 巷では「ノーティカル・マイル」などとも名乗っております。ノーチとか海里とかノーさんとか気軽に呼んでね。

 第二次世界大戦を題材したものを中心に、思い付いたものをつらつらと置いていきたいと思います。
 基本的に歴史的事実を元にしたフィクションなので、「ウチの爺ちゃん」の話はご遠慮ください。因みにウチの爺ちゃんは終戦直後に生まれました。曾祖父は地元の大隊だったので戦地行ってないです。
 一応戦記物の側面も持っているので、興味ある方は是非。ない方も是非。
 あ、勿論戦争以外のものもあります。
 普通に現代を舞台に何か書くこともあります。分けろ? 面倒くさい……冗談ですよ。分けませんけど。
 取り敢えず「思い付いたものをつらつらと置いていきたい」と思っているので、お時間があるのならば、お付き合いくださいませ。
 では、よろしくお願いします。


 ——戦争なんて怖い、知りたくない、というそこのあなた。
 「戦争」を真っ向から否定ばかりして、「何故」を学ばないでいると、逆に「戦争」があなたの背後から忍び寄ることになりますよ。



『カイツブリ』>>1-3

『犬と狼の間』>>4-6

『鋼鉄の海鷲』>>7-18

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.14 )
日時: 2015/12/23 13:43
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: HijqWNdI)

 「エンタープライズ」は真珠湾に戻らなかった。
 日本軍がガダルカナル島に新たな戦力を送り込もうとしていることを察知したと連絡を受け、ニューカレドニアでの応急修理もそこそこに、ソロモン諸島に急行したのだ。
 ガダルカナル島の米軍基地ヘンダーソン飛行場への艦砲射撃や空襲は数度行われていたが、未だ同基地の機能を完全に奪うには至らず、一方で日本軍は着実に損害を受けていた。今回とうとう業を煮やして陸軍の大部隊を送り込もうとしているのだろう。
 アメリカ軍は巡洋艦「サンフランシスコ」「ポートランド」を中心に防空巡洋艦「ジュノー」「アトランタ」、巡洋艦「ヘレナ」と駆逐艦九隻で編成される別働隊もソロモン海へ向かい、対する日本海軍は戦艦2隻、巡洋艦1隻、駆逐艦13隻を送り込んでおり、11月12日の夜、両軍はガダルカナル島の近海で遭遇し、大混戦に突入した。
 3日間に及ぶ、地獄のガダルカナル海戦の幕開けである。

 「エンタープライズ」は最新鋭の戦艦「ワシントン」「サウスダコタ」を引き連れて13日にこの海域に入った。
 前日の夜間戦闘では米日両軍に凄まじい被害が出ており、この海峡は本格的に「船の墓場」となりつつある。沈んでいるのは船だけではない。連日の飛行場攻撃に失敗して撃墜された日本軍、更にその迎撃の過程で撃墜されるアメリカ軍の航空機も多数沈んでいるのだ。
 コリンは海を眺めながら、そこに仲間入りするのは御免だと思った。まだあのゼロを落としていない。まだ死ぬわけにはいかない。
 「エンタープライズ」の任務はヘンダーソン飛行場の航空隊と協力してガダルカナル島へ向かう日本軍の輸送船団を攻撃することだった。偵察機の情報を元に、コリンは攻撃機隊の護衛として出撃する。
 そこでもまたゼロと戦ったが、いずれもあのマークをつけてはいなかった。中々の腕利きが揃っており、結局コリンは1機も撃墜出来ず、逆に同じ部隊の友人が撃墜される瞬間を目撃した。
 コリンの中で復讐心が燃え上がったが、燃料が心許なくなってきていた。残弾には余裕があるが、飛べなければ意味がない。燃える復讐心を一度押さえ、補給に戻ろうと考えた時、ふと沈みゆく敵輸送船がコリンの目に留まった。そして、つい先程友人が撃墜されたのを思い出し、同時にふつふつと先程の復讐心が戻ってきたのだ。
 輸送船からは幾つか救命ボートが降ろされ、そのボートに向かって乗組員達が必死に泳いでいるのが見て取れる。
 コリンは高度を下げて速度を上げ、照準器にボートの一群を捉えた。乗組員達がこちらを指差して何か叫んでいる様子だが、何も聞こえない。
 引き金を絞る。機銃弾が海面に飛び込んで水飛沫を上げ、数発はボートを直撃し、乗組員達を傷付ける。あまりにも呆気なく、一方でコリンの復讐心は大分治まった気がした。


 結局この海戦はアメリカ軍の勝利に終わった。日本軍はその後の夜戦で戦艦を失い、輸送船団も壊滅、アメリカはガダルカナル防衛に成功した。
 ガダルカナル海戦はミッドウェーと並ぶ戦争の転換点となるのだが、この時彼らはそんなことを知る由もなかった。

               *

 岩国での新人教育は丘野にとってあまりにも退屈だった。飛行の仕方は単調で、新人に合わせる為に退屈なものになる。
 19歳の丘野は、教官としては最年少だったが、空戦の腕は一番だった。元一航戦搭乗員といえば精鋭中の精鋭だが、その中でも多少のムラはある。「加賀」に乗っていたという別の教官は年上だったが、ミッドウェーの直前になって入れられた搭乗員であり、開戦前から「赤城」に乗っていた丘野とは実力に大きな差があった。若くとも、丘野は数々の実戦を潜り抜けたベテランなのだ。
 それも相俟って、丘野は退屈した。決まった時間に訓練を始め、決まった時間に訓練を終えて、時々休暇を取って松江に帰る。これではまるでサラリーマンだ。つまらない。
「丘野教官」
 ある日、飛行訓練終了後に自身の零戦を見回っていると、1人の飛行訓練生が声をかけてきた。脳内で顔を記憶と一致させ、その顔と一致する名前をリストから引っ張り出す。
「藤山か。どうしたんだ」
 柔和な笑みで返す。丘野は教官の中では比較的穏やかな性格で、歴戦の航空兵にしては出雲人特有のゆったりとした口調で話し、歳が近いこともあって訓練生達の相談役となっていた。寧ろ、訓練生達にとって日常的に気軽に話しかけられる教官といえばそれこそ丘野くらいのものだ。
「丘野教官は何故機にそんな目立つ塗装を?」
 丘野はふと自身の零戦を振り返って苦笑した。「海鷲」の零戦はミッドウェーで着水した時にそのまま北太平洋の海に沈んだのだが、岩国に配属されて最初にやったことは新たに受領した零戦にまた「海鷲」を描くことだったのだ。何故そうしたのか、自分でも思い出せなかった。
「分からん。初めて描いたのはセイロン沖の時だったかな、ミッドウェーより前だったのは確かなんだが」
 丘野の答えに、藤山は、はあ、と曖昧な返事をして丘野の零戦を見た。
「貴様も何か描いてみるか?」
「教官のような凄腕でなければ、描かれる絵が可哀相です」
 2人は暫し笑った。

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.15 )
日時: 2015/12/23 13:48
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: HijqWNdI)

 昭和19年1月。退屈な教官生活とはおさらばとなった。
 丘野は搭乗員を多く失った空母「翔鶴」の搭乗員となったのだ。「翔鶴」の航空隊には丘野の居た一航戦の生き残り搭乗員達も多く、中には同じ「赤城」に乗っていて見知った顔も居た。
 辞令が下り、出航する前に丘野はもう一度休暇をとって松江へ帰った。新しい小隊長が出航前に休暇を取って家族に顔を合わせてくることを勧め、飛行長にも掛け合ってくれたのだ。
 知恵に「空母勤務になったから暫く帰れない」と伝えると、彼女はにっこり笑って「ここで手紙書いて待っちょーけん」と言って送り出してくれたが、その笑顔に陰が差していたことは丘野にも分かった。彼女とて不安なのだ。寧ろ、丘野の死を、彼自身以上に恐れているといっても良い。

 「翔鶴」は2月からリンガ泊地で訓練に明け暮れ、3月には新設された第一機動艦隊の旗艦となったが、その数日後に新鋭空母の「大鳳」が旗艦を引き継いだ。
 この頃、既に日本は敗色濃厚だった。ミッドウェーの敗北後、ソロモン諸島の戦いは壮絶な消耗戦に突入した。ラバウルの航空隊搭乗員達は560カイリもの長距離を飛んで空戦をし、また560カイリ飛んで帰るという、7時間にも及ぶ過酷な飛行を毎日のように強いられた。ガダルカナル島で戦う陸軍はもっと悲惨だ。補給が滞ったこの島では物資不足による栄養失調と伝染病が蔓延し、多くの日本兵が戦うことなく死んでいった。海上の戦いも苛烈で、第三次にまで及ぶソロモン海戦、サヴォ島沖海戦、南太平洋海戦、ルンガ沖夜戦、レンネル島沖海戦、クラ湾夜戦、コロンバンガラ島沖海戦、ベラ湾夜戦、ベララベラ海戦、ブーゲンヴィル島沖海戦、セント・ジョージ岬沖海戦などの数々の海戦と航空戦で日本軍と連合軍双方の艦艇や航空機が多数ソロモン諸島の海に沈み、特にサヴォ島とフロリダ諸島、そしてガダルカナル島の間の海域は、海底が鋼鉄の残骸で埋め尽くされているといわれ、「鉄底の海峡」などと呼ばれる程である。
 ニューギニア方面でもソロモン諸島作戦の進行の為に苛烈な海上戦闘が行われ、一方で兵站を軽視した日本軍は度々輸送作戦に失敗した。中でも昭和18年3月の「ダンピールの悲劇」は聞くだけでも悲惨なものだった。
 元々が駆逐艦8隻で輸送船8隻を護衛し、敵の制空権下をすり抜けろという無茶な作戦だ。日本側の航空隊はこの護衛にはまるで足りず、現場の将校達は作戦に乗り気ではなかったといわれている。案の定連合軍は圧倒的な航空戦力を以て激しい空襲を行い、作戦に参加した護衛の駆逐艦4隻が撃沈され、輸送船は全て撃沈された。輸送船に乗っていた陸軍兵約3,000名が死亡した上、重装備類を含む物資2,500トンも全て海の底へ沈み、一個師団が戦う前に全滅するという悲惨な結果に終わった。この作戦に参加したある駆逐艦の艦長は作戦後、艦隊司令部に「こんな無謀な作戦は日本民族を滅亡させるようなものだ、よく考えてからやれ」と怒鳴り込んだという。また、この時、連合軍機が漂流中の日本兵達に機銃掃射を行い、殺戮の限りを尽くしたことは被害を増やす原因となった。その後も日本の輸送作戦は度々失敗している。
 そんな消耗戦の末に、日本軍はソロモン諸島方面の戦いに敗北した。
 昭和18年5月には北方アッツ島の守備隊が玉砕し、その先のキスカ島に取り残された守備隊は7月に奇跡的な無事撤退を果たしたが、これによってアリューシャン列島は完全に失陥した。アリューシャン方面への進出は、元々がミッドウェー作戦で米軍の注意を北方に惹き付ける為の陽動で行われた作戦であり、ミッドウェーでの敗北が前提になっていなかったのだ。補給も安定せず、駐留すること自体が厳しい土地であった。
 同月、連合艦隊長官の山本五十六も戦死し、日本軍の勢いは完全に死んだ。
 連合軍は基地機能を失い、孤立したラバウルの攻略はせず、一足飛びにサイパンを狙った。サイパンは日本軍部が考える戦略上の要所である。日本はその「飛び石作戦」に対抗すべく、「絶対国防圏」を設定した。その防衛の為、マリアナ諸島に、ミッドウェー以来の歴戦の空母「翔鶴」と「瑞鶴」、そして「大鳳」を基幹とした日本機動部隊が集結する。
 正に乾坤一擲、一大決戦となるであろう、「あ号作戦」の発動である。


 昭和19年6月19日。
 丘野は乗り慣れた零戦二一型から零戦五二型に乗り換えていた。また零戦に「海鷲」の文字を描き、しかし塗装は緑色の迷彩に変わった。「翔鶴」艦上には「彗星」艦爆や「天山」艦攻が並んでいる。いずれも最新鋭の機体だ。
 皇国の興廃この一戦にあり。
 その言葉を胸に、攻撃隊が発艦していく。
 今回の作戦は完璧だ。日本の航空機に比べて航続距離の短い米航空機が届かない場所から発艦し、敵の射程外から攻撃する「アウトレンジ戦法」。無敵必勝の作戦である。

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.16 )
日時: 2015/12/24 18:21
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: YohzdPX5)

 コリンは連日上陸作戦の支援でうんざりしていた。
 戦闘機はF6Fに乗り換え、ゼロを7機撃墜し、中尉に昇進もしていたが、未だあのゼロとは出会っていない。
 この日は上陸支援ではなく、敵攻撃機の邀撃だった。日本の第1次攻撃隊はレーダーで完全に捉えられており、大半が撃墜された。続いて第2次攻撃隊が突っ込んでくる。コリンの戦闘機隊は艦隊の対空砲の射程外でその攻撃隊に襲いかかった。


 丘野は焦った。敵の最初の攻撃で小隊長機が撃墜されてしまった。任務は遂行するべきだ。しかし、この乱戦では冷静に判断など出来る気がしない。事実、小隊の僚機は既に行方不明である。
「……くっ」
 丘野が選んだのは、例え1人でも攻撃機の近くを維持し、乱戦への参加を最低限に抑えることだった。乱戦に巻き込まれると撃墜されるリスクが一気に上がり、それは任務遂行不可能であることを意味する。今回の任務はあくまで攻撃機の護衛だ。
 襲い来る敵機を追い払い、離れていく敵機は追わない。兎に角、攻撃隊が敵艦隊に攻撃出来れば良い。この空で最も冷静な判断であった。
 しかし、突如として1機の敵戦闘機が攻撃機ではなく、丘野の零戦に攻撃を仕掛けてきた。なんとかかわす丘野機。敵戦闘機は素早く反転すると、また丘野機を狙ってくる。こいつの目標は俺だ。瞬時に判断した丘野はその敵戦闘機を排除することを決める。
 高度を下げ、格闘戦に入る。


 コリンは完全に頭に血が上っていた。とうとう見つけたのだ。ミッドウェーで出会ったゼロだ。間違いない。機体は微妙に違うが、同じゼロの系統だ。細身のボディにはしっかりとあの記号がある。
 本来攻撃すべき対象は攻撃機や爆撃機であるが、コリンはそんなことそっちのけでこのゼロに襲いかかった。かわされる。諦めない。
 ゼロは勝負に乗ってきたが、それでも攻撃隊の近くを維持していた。どこまで冷静なのか。まるで任務に縛られている。
 だが、それこそがコリンの執着する理由でもあった。コリンが抱く日本軍へのイメージだ。冷徹に任務を遂行する為だけに命を懸ける、冷酷なるキリング・マシーン。非人間。それを実現するには間違いなく高い技量と相当に冷えた血液が必要に違いない。その点で、奴こそが日本軍を体現したパイロットに違いないと感じたのだ。
「必ず叩き落としてやるぞ、ジャップ……!」
 旋回し、下降し、上昇し、また旋回する。お互いに後ろを取れない、恐ろしく過酷な格闘戦。下手をすれば意識が飛ぶ。低空での空戦は危険だ。
 お互い、無意識に乱戦を避けていた。味方の空戦空域から少し離れたところを舞台として選んだのだ。どちらが選んだのかは分からないが、まるで決闘だった。


 丘野の焦りは加速していた。こいつはしつこい。いくら逃げても、しつこく追って来るのだ。
 急減速と急旋回によってかわそうとしたが、その機動は読まれていた。同じことをされたのだ。機体の性能は敵戦闘機の方が上だ。一瞬の空中への静止のタイミングで照準器に敵機を捉え、銃撃を加えたが、確かに命中した筈なのに火を噴かない。そのまま視界の外に出られてしまった。
 急激な旋回によるGで下半身に血が偏り、視界が暗くなる。仕方あるまい。
 丘野機は本来零戦には不得手な急上昇で乱戦に飛び込んだ。敵は零戦の相手に慣れていると読んでのことだったが、この読みは見事に的中した。相手はまさかそんな苦手な機動を突然するとは思わなかったらしく、振り切れたようだ。何度か旋回して敵味方の攻撃をかわし、反対側に抜ける。そして攻撃隊の方を見た。そろそろ雷撃の姿勢に入る。
 しかし、その直後だった。米艦隊の発砲、一瞬にして数機の攻撃機が落ちた。次々に撃墜されていく。
 これは米軍の新兵器、近接信管によるものだった。近接信管とは、砲弾の先端がレーダーになっており、航空機の数メートル以内をかすめるだけで炸裂し、直撃しなくても敵機にダメージを与えるというものなのだが、この時の丘野には知る由もなかった。
 辺りを見渡す。あの敵機は居ない。丘野は攻撃機の援護に回るべく、少し高度を下げ、最後尾の攻撃機と同高度を飛び始めた。その直後、斜め後ろからまた襲撃を受けた。


 ゼロを見失ったコリンは敵の攻撃機の近くでゼロを待ち受けていた。奴は必ず戻ってくる。そして案の定、攻撃機の援護に戻ってきた。最後尾の奴だ。コリンはすぐさまそのゼロに襲いかかる。味方の対空砲火が始まっており、敵がマジックヒューズ(近接信管)の砲弾で全滅してしまう前にこいつを落とさなければならない。
 先程の急減速と急旋回の合わせ技はある程度予測していたが、以前見た時より確実にキレが増していた。機体性能が同じであれば、確実に振り切られて、下手をすれば撃墜されていただろう。しかし、今回相手が乗っているのはかつての最強戦闘機ゼロ、コリンが乗っているのはグラマン社がそのゼロを殺す為に作ったF6F“ヘルキャット”だ。
 数発の銃弾を浴び、機体に風穴は開けられたがグラマンのデブ猫はこの程度では落ちない。
「落ちろっ!」
 照準器に捉え、掃射。曳光弾が曳く光の筋がゼロの翼に吸い込まれていく。

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.17 )
日時: 2015/12/24 18:24
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: YohzdPX5)

「うわっ!」
 機体に走る鈍い衝撃。初めてのことだったが、すぐ被弾したと分かった。すぐに自機の状態を確認する。右の主翼の先端がない。吹き飛んでいる。漏れ出た燃料が翼端から白い筋を曳いていた。操縦桿の感触も変だ。操縦桿を引いているが高度が上がらない。昇降舵がやられたか。
 この時、尾翼の昇降舵は丸ごと抉られており、右の主翼の補助翼も動かない状態だったのだが、丘野は気付かなかった。
 あの敵機はまだ追ってくる。高度はみるみる下がる。しかし、丘野には自爆しようなどという発想は全く出てこなかった。また空を飛びたい。帰艦し、修理し、場合によっては飛行機を乗り換え、また飛ばねばならない。


「しぶとい奴だ……!」
 主翼の先端を失い、しかし諦めようとしない丘野機を追ってコリンは呟いた。兄を、弟を奪った、憎き日本軍の精鋭戦闘機パイロットが目の前を飛んでいる。
「上がれ……上がれェェ!」
 追われる丘野は必死に操縦桿を引く。しかし右の昇降舵と補助翼を抉られた丘野の零戦は高度を上げるどころか、機体の左側のみが上がる為に傾くばかりだった。
「左舷! ゼロが突っ込んでくるぞ!」
 二人の進行方向には米重巡洋艦「ミネアポリス」が航行しており、丁度右舷に向けて対空射撃した直後だった。丘野機は意図せず「ミネアポリス」の艦橋のすぐ前の砲塔に突っ込もうとしていたのだ。対する砲塔は持ち得る最高速度で照準を丘野機に合わせ、持ち得る最高速度で射撃する。しかし、遅すぎた。
 砲弾は傾いた丘野機の腹をすり抜け、発砲直後で「ミネアポリス」に近過ぎた為に近接信管が作動しなかったのだ。そして、丘野機の後方から迫っていたコリン機に反応した。
 炸裂。この時、コリンは初めて深追いし過ぎたことに気付いたが、それに気付くには遅過ぎた。操縦席のすぐ真下の腹部に砲弾が突入したコリン機は機体内部で砲弾が炸裂し、一瞬にして爆散した。「ミネアポリス」の側面に幾つかの破片が当たったが、艦上のアメリカ兵達は真上をすり抜ける丘野機に目を奪われて気付かなかった。コリンは自らの祖国アメリカが開発した新型兵器によって命を落としたのだ。
 砲弾をかわした丘野機だったが、操縦桿を反対側に倒しても傾いた機体は元に戻らず、艦橋の見張り所に右の主翼をぶつけ、そのままもがれた。衝撃で風防と計器類のガラスが割れ、丘野の身体に突き刺さる。思わず左手がスロットルレバーを放し、体を支えようと機内の手近なものを掴む。音の無い世界で、鋭い痛みと自らの血が流れ出る感覚を感じ、同時に視界が真っ赤になっていった。目を瞑ってしまい、最早前は見えていなかったが、激しい震動の中でも右手で操縦桿を引き続ける。
 鈍い衝撃とともに、揺れは静かになった。冷たい。なんとか開いた目で、真っ赤な視界の中に見出したのは目前の海面と操縦席に流れ込む水であった。上に視線を向けると、青空の下で無数の黒煙が上がっている。空中で炸裂した砲弾、それに撃墜される飛行機、被弾した敵艦から上がる煙。その先に広がる大空。あれだけ憧れ、あれだけ飛んだ空が、今更新鮮に見えた。
 あの最後まで追ってきた敵のパイロットはどうなったのだろうか。自分は立派な戦闘機乗りだっただろうか。この戦争はどう終わるのだろうか。遺書でも書いておけば良かっただろうか。松江の両親は元気にやっているだろうか。知恵は、元気だろうか。
 自分はこのまま死ぬのだろうか。自分はもう飛ぶことは出来ないのだろうか。
 静かに目を閉じる。息苦しさを感じ、しかしその意識もすぐに手放された。

 若武者が眠る。
 冷たい海の底で。あの空から最も遠い場所で。乗り慣れた零戦に抱かれて。
 6月20日、丘野は20歳になる筈だった。


 このマリアナ沖海戦は航空母艦3隻、油槽船2隻を失い、450機を超える航空機の喪失と3,000名以上の死者を出した日本の惨敗に終わった。この敗北で日本は絶対国防権を喰い破られ、熟練搭乗員の大半も失って制空権を奪われた。サイパン島からはアメリカの戦略爆撃機が日本本土をその射程に捉え、その後レイテ沖海戦を前に、日本海軍は自爆の体当たり作戦の為に神風特別攻撃隊を編成。この最初の5名の特攻隊は大戦果を挙げ、終戦までに4,000名以上の兵がこれに続くこととなった。次々と新兵器を投入する連合軍に対して、緒戦の勝利を過信した日本は、最後まで有効な打開策を見出せなかったのである。
 零戦も、大きな改良もなく終戦のその日まで使い続けられた。開発された当時は確実に世界最強の戦闘機だったが、終戦まで使い続けることが出来る程、この戦争中の技術の進歩速度は遅くはなかったのだ。


 鋼鉄の海鷲は、今も空を飛んでいる。

Re: 【短編集】忘却の海原 ( No.18 )
日時: 2015/12/24 18:26
名前: 一二海里 ◆d.b5UMeNLA (ID: YohzdPX5)

参考引用文献・資料
亀井宏『ミッドウェー戦記』講談社文庫、2014年
黒羽清隆『太平洋戦争の歴史』講談社、2004年
太平洋戦争研究会『太平洋戦争・主要戦闘事典』PHP文庫、2005年
大東亜戦争研究会『大和・赤城と日本の軍艦 新装版』笠倉出版社、2015年
大東亜戦争研究会『写真で見る 激戦!! 太平洋戦争 新装版』齋藤充功監修、笠倉出版社、2015年
河野嘉之「零戦と戦ったアメリカ軍の戦闘機」『零戦の追憶』2013年12月号、モデルアート社

 *この物語は全てフィクションです。実在の人物、事件などとは関係ありません。


『鋼鉄の海鷲』


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