複雑・ファジー小説

ロストワンと蛙の子【短編集】
日時: 2020/05/22 10:54
名前: ヨモツカミ

壁のシミが消えない。
ところで君はやけに醜く見える。
探さないで下さい。
置き手紙と共にいなくなって、大海に身を投げる君を、誰が知っているというの?


【ご挨拶】
息抜きになんとなく短い文章を書くことが多々あります。気分と雰囲気で綴る文章に終着点は無いし、続きもない。それでもせっかく書いたのに放置し続けるのもなあ。
ということで色々と飽きたら名前変えまくってるけど、ただの短編集です。


・最近読み返して気に食わなかったやつは消し消ししました。
・◆とあるのは雑談掲示板にて浅葱と共に開催しているSS練習スレ添へて、に投稿した作品です。
(添へて、に投稿した作品を自分の短編集等に載せたい場合は私達に一言声をかけてからにして下さい)
・新たに「あらすじ」を追加しましま。題名だけ見てもどんな話かわからないから、好みじゃないSSを読んで時間を無駄にしてしまうかも! そんなのやだ! って方の役に立てばいいなと思います。

【目次】
〈徒然と欠陥ハート〉あらすじ>>18
♯1 アリスの夢想録 >>1
♯2 ゆめできみをころしたい >>2
♯3 DELETE
♯4 DELETE
♯5 未完の隙間を埋めてくれ >>5

〈回答欄満た寿司排水溝〉あらすじ>>19
♯6 綻び朽ちゆく◆>>6
♯7 問一、勇気とは何であるか?◆>>7
♯8 アルミ缶の上にある未完 >>8
♯9 金星と僕らの自殺志願 >>9
♯10 生きをする夢 >>10
♯11 問二、将来の夢を答えなさい。>>11
♯12 夜這い星へ、 >>12

〈添付レートのような。〉あらすじ>>23
♯13 天駆ける幸福◆>>13
♯14 枯れた向日葵を見ろ◆>>14
♯15 鏡の国の偽りを見つけて◆>>15
♯16 問三、あなたらしい答えとは?◆>>16
♯17 七夜月アグレッシブ◆>>17

〈虚ろに淘汰。〉あらすじ>>27
♯18 泡沫に問うた。 >>20
♯19 狂愛に問うた。 >>21
♯20 雪を待つ絵師 >>22
♯21 幸福に問うた。 >>24

〈曖昧に合間に隨に〉あらすじ>>35
♯22 波間に隨に >>28
♯23 別アングルの人◆>>29
♯24 狭間に隨に >>30
♯25 トゥイードルの道化師 >>31
♯26 ドールハウス◆>>32

〈たゆたえばナンセンス〉あらすじ>>41
♯27 知らないままで痛い◆>>36
♯28 藍に逝く >>37
♯29 Your埋葬、葬、いつもすぐ側にある。 >>38
♯30 言の葉は硝子越し >>39
♯31 リコリスの呼ぶ方へ >>40

〈拝啓、黒百合へ訴う〉あらすじ>>51
♯32 報われたい >>42
♯33 真昼の月と最期の夏 >>43
♯34 泥のような人でした。 >>44
♯35 夜に落ちた >>47
♯36 模範解答の行く末 >>48
♯37 銀と朱 >>49
♯38 海の泡になりたい◆>>50

〈ルナティックの硝子細工〉あらすじ>>56
♯39 愛で撃ち抜いて >>52
♯40 キュートアグレッション >>53
♯41 あたたかな食卓 >>54
♯42 さみしいヨルに >>55

〈ジャックは死んだのだ〉あらすじ>>64
♯43 さすれば救世主 >>57
♯44 ハレとケ >>58
♯45 いとしのデリア >>59
♯46 大根は添えるだけ >>60
♯47 ねえ私のこと、 >>61

〈ロストワンと蛙の子〉
♯48 愛のない口付けを >>65
♯49 ケーキの上で >>66
♯50 だって最後までチョコたっぷりだもん◆>>

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Re: ジャックは死んだのだ【短編集】 ( No.62 )
日時: 2020/04/30 08:47
名前: サイトウ

よう、久しぶりだなぁヨモっち!!

俺はもう作品は書かないけど

お前の小説は応援しているぞ!!がんばれェ!

Re: ジャックは死んだのだ【短編集】 ( No.63 )
日時: 2020/05/03 16:43
名前: ヨモツカミ

>>サイトウさん
ぇ……誰ですか? 馴れ馴れしい……
ぶっちゃけ荒らしかと思いましたが、応援ありがとうございます。

Re: ジャックは死んだのだ【短編集】 ( No.64 )
日時: 2020/05/04 07:25
名前: ヨモツカミ

〈ジャックは死んだのだ〉
君の死体を掻き抱いて、嗚咽を零した。
嫌いな人と嫌い合うのが両思いの次に上等だと言う。
ならば、死んだ君に恋い焦がれるのは、どれほどの地獄だと言うのだろう。

♯43 さすれば救世主 >>57
罪悪感、天秤、紙パック飲料で三題噺。歪な友情で形成された男子高生達の話です。

♯44 ハレとケ >>58
>>57>>17の後日談。非日常に夢を見た女子高生の話です。

♯45 いとしのデリア >>59
人形に恋をした女性の話。美しいものは常に人の心を奪うようにできてるのでしょう。

♯46 大根は添えるだけ >>60
ミステリー小説の皮を被った大根の話。登場人物の名前に力を入れました。

♯47 ねえ私のこと、 >>61
ちょっとホラー風ものを書きてみたくて書いた、大学生たちのお話。舞台は春だけど夏に読みたい。

Re: ロストワンと蛙の子【短編集】 ( No.65 )
日時: 2020/05/16 20:39
名前: ヨモツカミ

♯48 愛のない口付けを

 ある国に、誰からも好かれない王子がいました。何の努力もせず、ダラダラと生活をして、召使には時々意地悪をし、思い通りにならないことがあると癇癪を起こしました。彼には何もしなくても国を継ぐ権利があったので、好き勝手して生きていたのです。
 そんな彼を見かねて、とある魔法使いが、彼を醜い醜い蛙の化物に変えてしまいました。
 王子を見た城の者たちは皆、悲鳴を上げます。王子の寝台より大きなその体。沼色の皮膚にはイボが幾つもあって、見ているだけで人々は怖気立ちます。口を開けば、その大きな暗闇の中に吸い込んで、大人一人くらいなら簡単に丸呑みにしてしまいそうです。城の者たちは皆、王子から逃げてしまいました。
 王子は困って魔女に問いただします。どうすれば元の姿に戻れるのか、と。そうすると、魔女は答えました。

 ──想い人の口付けで、元の姿に戻してやろう。

 魔女のその言葉を聞くと、王子はすぐ様城を抜け出して、隣国の姫の元へ訪れました。
 しかし、隣国の城の者たちは王子の姿を見るなり、一目散に逃げ出します。自分が隣国の王子であると伝えても、誰も信じません。当然姫にも会わせてくれません。

「無礼な、僕は隣国の王子だぞ。いいから姫に合わせてくれ」

 城の兵隊たちは震えながらも槍を持って言い返します。

「こんなに醜い化物が王子なわけ無いだろっ」

 王子は怒って、兵隊たちを薙ぎ倒しました。その大きな体なら、兵士の数人くらい簡単に倒すことができます。向けられた長い槍も、あっさりと圧し折ってしまいました。巨大な蛙になった王子は一通り兵士たちを蹴散らすと、姫を探して城の中を這い回りました。
 やっと見つけた彼女は、侍女に匿われて物置の奥に隠れていました。必死で姫を守ろうとする侍女をも薙ぎ倒して、王子はようやく姫のもとにたどり着くことができました。
 そうして、姫が逃げられないように物置の奥へ追いやって、叫びます。

「ああ、大好きな姫よ、僕に口付けをしてくれ! そうすれば、僕の魔法は解けるのだからッ!」

 最初のうちは姫は怯えている様子でしたが、王子が何度も訴えかけると、まじまじと王子の顔を見つめました。左右の大きな琥珀の目玉、イボだらけの皮膚、水掻きのついた大きな手。姿だけではわかりそうもありません。姫は声をよく聞いて、それが確かに隣国の王子の声であると気付くと、冷たい目で見つめます。
 そうして、低い声で言いました。

「……嫌よ」
「な、どうして!?」
「口づけというのは、お互いに愛を誓いあった、愛しい人にだけするものよ。誰が、貴方なんかを愛するというの? 貴方にキスするくらいなら、死んだ方がましよ」

 王子は悲しくなって、姫を殺してしまおうとしました。でも、僅かに残った人間らしさが彼を邪魔します。殺すことは、できなかったのです。王子は確かに彼女のことが好きだったのでした。愛おしさ故に、怒りや憎悪よりも、ただ死んでほしくないという気持ちが勝りました。否、彼の臆病さが、命までは奪えなかったのかもしれません。
 蛙の化物は、悔しくて、悲しくて、遣る瀬無くなって、両目から涙を溢れさせます。それを冷めた目で見ていた姫が、ポツリと言います。

「憐れね。……いいわ、私のキス一つであなたは元の姿に戻れるのでしょう?」

 憐憫を孕んだその蒼穹の中に、蛙の化物が写りこんでいました。鏡のように美しい彼女の瞳の中で、僕はどこまでも、どこまでも醜い。それはけして、見た目だけの話ではないのだと。王子は、気付いてしまいました。
 今まで、誰にも好かれてこなかった。王子という立場に胡座をかいて、努力を怠り、怠惰な生活をしてきた。気に食わないことがあれば、横暴に振る舞い、権力の低い者たちには散々意地の悪いことをしてきた。
 隣国の姫は、その事をすべて知っていました。何度か王子に会ったことがあるので、実際に王子の性格の悪い一面を何度か目撃していたのでしたから。
 姫は、そういう王子のことを嫌っていましたし、このまま王子が蛙の化物のままだとしても、自業自得だと思っていました。でも、彼女は優しい女性でしたので、彼を憐れんで、その醜い蛙に口づけをしたのでした。
 人間の姿に戻った王子は、泣き続けました。そうして、口にします。

「ねえ、姫。僕を殺してくれないかい」

 と。姫は何も答えずに、冷たく王子を見つめます。

「僕は、醜い。人間に戻りたかったら、想い人の口づけを求めろって、魔法使いに言われて、その通りにした。でも君は最初、拒んだ。大好きな君の愛が、キスが手に入らないなら、いっそ殺してしまえばとすら思った。……君の口付けは、冷え切っていた。愛のないキスを手に入れて、でもそれじゃあ、意味がないんだ」

 王子は止まらない涙を拭いながら、姫を見つめ返します。

「僕はまだ、醜い蛙の化物のままなんだ。心が、醜悪だから……」
「だから、死にたいっていうの? 随分弱気ね」

 姫は薄く笑いながら言います。

「醜いままなら、変わる努力をしなさい。そうして奪ってみせなさいよ、私の心を」
「……駄目だ。こんな醜い僕を、誰が愛するというの」
「ええそうね。誰も愛さないでしょうね。それでも、死ぬことなんて許されないわ」

 俯きかけていた王子の顔を両手で挟むと、姫は自分の方を向かせます。

「楽になろうとするんじゃないわよ。だから貴方は醜いのよ」

 姫は王子から手を放すと、彼の横を通り抜けて、物置を出ました。

「もし本気で望むなら、いいわ。あなたを殺してあげる。でもね、私に愛されたいと喚くなら、生きなさいよ」

 王子は姫の顔をまじまじと見つめます。強気に笑む姫の姿は、とても眩しく見えました。

「私はあなたを愛することはないと思うわ。貴方は最低な人間だもの。でも、だからって、愛が手に入らないから死ぬの? ふん、悲劇のヒロイン気取ってんじゃないわよ」
「……君は、素敵な人だ。もう一度恋に落ちてしまいそうだ」
「そうでしょう? 何度でも恋をしなさい。それで生きられるならね」

 王子は姫の隣に歩み寄って、言います。

「ねえ、こんな僕を……誰かが愛してくれるように、なるかな」
「知らない。貴方次第でしょ、何もかも」

 そうだね、と王子は笑いかけます。きっとこれから、王子は変わっていけるのでしょう。

***
グリム童話のかえるの王様が結構好きでして、それをオマージュ? インスパイア? 的な話です。醜い化物×姫とか大好きなので。

Re: ロストワンと蛙の子【短編集】 ( No.66 )
日時: 2020/05/22 10:43
名前: ヨモツカミ

♯49 ケーキの上で

 コチ、コチ、コチ。弱い照明が照らすアンティーク調で落ち着いた雰囲気の店内。薄暗い時計屋の中は、沢山の規則正しくも、か細い音に溢れていた。カチ、カチ、カチ。心音に似ているせいなのか。この音はどこか心地よい。
 引き寄せられるようにして、近くのテーブルにあった秒針の音に視線を落とし、私はそれに優しく触れる。硝子製の立方体の置き時計。色と長さの異なる、三本の秒針が追いかけっ子する文字板の上を見つめて、私はふと首を傾げる。一番長いスカイブルーの針から背の順に並んで、エメラルドとインディゴの針が決められた調子で秒を刻む。でも、どうして秒針ばっかりなのだろう。数字のひとつも書かれていない文字盤は、空寂しい。それに分針や時針が存在しないのだ。硝子の表面に施された精緻な模様のせいか、なんとなくここにあることを許されてはいるものの、こんな時計じゃあ、時間なんて分からない。見た目こそとても綺麗な物なのに、時計としての機能を果たさないとなると、ただの置物に成り下がる。

「……時計は時を刻むだけのものじゃないのよ」

 私があんまり長いこと見つめていたせいか、店長である白いウサギさんが声を掛けてきた。

「綺麗な時計でしょう? 表面の塗装には特に力を入れたのよ。それが部屋にあるだけで、どんなにチープな部屋も一気に華やぐに決まってるわ」
「……やっぱり、ただの置物って感じなんですね」

 ウサギの彼女が語ったことについて考えると、この時計は本来の時計としての機能よりも、部屋の飾りとしての役割を果たすほうが得意らしい。そもそも置き時計というのは、大体は時間の経過と部屋の美しさを演出するものだ。ならば、時間を示せない時計にも存在理由はあるのかもしれない。
 ウサギさんは、何か不満でもあるみたいに、わざとらしく溜め息を吐いてみせた。

「あんたにはその時計がただのインテリアに見えるわけ? さっきも言ったでしょう。時計は時を刻むだけのものじゃないんだって」
「じゃあこの時計は何を刻んでるって言うんですか」

 ちょっとムッとしながら聞き返す。三本の秒針がぐるぐる永遠に追いかけ合うだけのインテリアで、文字盤には、何かを示す記号の一つも書いていない。時間を示せない時計は所詮部屋の華でしかないじゃない。私にはそうとしか考えられなかった。
 ウサギさんは夏の海を閉じ込めた硝子玉みたいな瞳をちょっと細めてから、悪戯っぽく笑って言う。

「持ち主の、寿命を刻むのよ」
「寿命?」

 彼女が言うには、三つの針はそれぞれ過去と未来と現在を表していて、購入した瞬間から、持ち主の寿命に従ってゆっくり寿命を刻みだすのだという。文字盤が空白なのは、今はまだ持ち主が存在しないからだ。買われたその日から、持ち主の残りの命を表す数字や記号が浮かび上がって、カチコチと針を進めるらしい。
 面白い時計だ。寿命、という生き物全てに与えられた残りの時間を刻む。ある意味では時を示しているのだから、正しく時計と言えるのだろう。命の終わりなんて、気が遠くなるほど長く、でも気がついたらあっという間の時を共にする。それがこんな見目麗しい時計なら、退屈しないかもしれない。
 試しに値段を聞いてみようとしたところ、ウサギさんは首を横に振るばかりだった。

「あんたみたいな若い子には売れないのよ。時計の方も、あんたに合わせて何周もしていたら、気が遠くなっちゃうわ」
「ええ。じゃあ、誰になら売れるって言うんですか」
「命の終わりが見え始めたヒト達よ。病気でもう先がないとか、高齢でいつ死ぬかもわかんないヒト向け」

 そういうヒト達が、自分の終わりを知るために買うのだと言う。自分達に残された時間を、誰とどうやって過ごすかとか、寿命時計に記された残り時間を見て、大切に、大切に、時を消費していくのだとか。
 そんなことが可能なのか、と大層驚いた。けれど、私の迷い込んだワンダーランドでは、案外それが普通のことらしい。
 いつか自分の世界へ帰ったときのお土産としてほしい、と言ってみたが、やはり断られてしまった。

「あんたは未来のある子供。終わりの時を刻むなんて、まだ早すぎるのよ」
「でも、私にもいつか必要になる日が来ますよね。おばあちゃんになって、いつ死んじゃうかもわかんなくなったとき。そのとき、寿命時計があれば、不安じゃなくなるのかも」
「どうかしらね? ワンダーランドの普通が通用しないあんたには、無用の長物だと思うわよ」

 だってね、と目を伏せたウサギさんのか細い声。

「秒針は嘘つかないのよ」

 直ぐに言われたことの意味はわからなかった。何処までも正確で、愚直に寿命を刻むこと。それに何の問題があるというのか。
 きっと、普通の世界で生きる私達にはその事実が耐えられないのだと。白ウサギさんは言ったのだ。
 決められた終わりがいつになるのか。それは唐突に、明日かもしれない。もう一週間長いかもしれない。だとしても、残された時間が明確に分かってしまえば、ヒトはそれに間に合うように行動を取ろうとするだろう。
 でももし、あと一時間なんていわれたら、もうなにも準備なんてしていられない。心の準備だって間に合わないし、怖くて怖くて、発狂してしまう者だっているかもしれない。明確に死へのカウントダウンをされたとき、私は耐えられるのだろうか。受け入れられるわけがない。怯えきって、死にたくないと喚くかも。
 この時計は、死神みたいだ。秒針が完全に止まったとき、自分の心臓も動くのを止める。その瞬間が来るまでを、あと一分、あと三十秒、と見守ること。それを平然とやって退けることは、私にはできないと思った。そうしてこの時計を破壊して、命の終わりなんて知らなかったことにしだすだろう。
 沢山考えて青くなった私を見て、白ウサギさんは呆れるみたいに笑った。

「死ぬのが怖いなんて、そっちでは当たり前の感情なんでしょうね?」

 問に対して、何も答えないし表情も変えられなかった私から、逃げるみたいに白ウサギさんは奥の部屋へ行ってしまった。なんで、寂しそうな顔をしていたんですか? 呼び止めて尋ねることは出来ただろうけれど、そうすることで、彼女を深く傷つけてしまうような気がして、私の言葉は行き場を失って霧散する。
 知るべきではないのだろう。ワンダーランドの常識なんて、何一つ。
 白ウサギさんのいなくなった店内で一人でいたら、丁度用事が終わったらしい帽子屋さんが私を迎えに来た。ウサギに一言挨拶をしていきたい、と帽子屋さんが言うので、私は先に時計屋を出ることにする。
 外に出てみると、雨が降っていた。小雨であっても、水に濡れるのは煩わしい事に変わりはない。
 嗚呼、最悪。そう思いながら空を見上げてみて、私は目を剥いた。雲ひとつない快晴の空から、確かに雨は降り注いでいるのだ。天気雨だって、雨雲が少しは見えているものだと思う。
 太陽の光と蒼穹から降りしきるそれは、奇妙で不気味にさえ思えたが、只々美しかった。
 ぼんやり空を見上げていると、ようやく店から出てきた帽子屋さんが雨に気付いて、自分の上着を脱ぐなり、私の頭に被せてくれた。ほんのり温かくて、なんとなく安心する。
 振り向いて変な天気ね、と声を掛けると、帽子屋さんは一瞬きょとんとした顔をした。だが、直ぐにああ、と口を開く。

「空が、泣いているんだ」
「……空がぁ?」

 何それ? と思わず眉をひそめる。今まで聞いたことのない言い回しだったからだ。ワンダーランドではよくあることなのだろうか。
 帽子屋さんは物を知らない私に小さく微笑みかけて、優しく教えてくれる。

「今日は雲がいないから、寂しくて泣いているんだろう」

 誰だって、寂しければ涙が溢れるだろう。空も俺達と同じだ。
 そう言って帽子屋さんは頭にのせていた帽子を取ると、その中に手を突っ込む。物理法則を無視して、腕が帽子の中に吸い込まれていき、それから引き抜かれた手には、大きめの蝙蝠傘が握られていた。
 それをバサリと開くと、帽子屋さんは行くぞ、と言ってさっさと歩いて行ってしまった。
 ……相合傘はしてくれないのね。
 もう一度見上げた空には太陽がいるのに。それでも泣き止まない空にとって、雲はどんな存在なのだろう。
 前を向けば、私のことなんて気にせずに歩いていってしまった彼の背中が随分遠くにあったので、走って追いつく。ねえ、と空と雲の関係を帽子屋さんに聞いてみれば、ショートケーキの上のイチゴみたいなものだろう、と彼にしては可愛いらしい比喩表現で。
 小馬鹿にしようとニヤニヤしていたら、やたらと歩くペースの早い帽子屋さんとの距離がどんどん広がっていた。
 小走りで捕まえた帽子屋さんの腕をしっかりと掴んで、もうはぐれないようにする。

「ねえ、ケーキとイチゴの話してたら食べたくなってきちゃった。ケーキ屋さんに行こうよ。私、イチゴのタルトが食べたい」

 歩幅をちっとも合わせてくれない彼が、頬を綻ばせて、ああ、と答えたので私は小さくガッツポーズをした。

「そもそも、俺達はお前には逆らえないからな。アリスの仰せのままに」

 ワンダーランドの掟はわからないが、彼らは基本的に私の我儘を聞き入れてくれる。だからと言って、横暴に振る舞ったりはしないのだ。私は淑女だから。何処かの女王のように、気に食わなければ首をはねてしまうような、そんな存在にはなりたくない。
 いつか正しい世界に帰るのだから、ワンダーランドに染まってはいけない。わかっているようで、不安定な感覚。私は本当にいつか、帰ることができるのか。
 一瞬過ぎった不安も、ケーキ屋さんの看板が見えて、美味しい紅茶を飲む頃には忘れているのだろう。
 そう。そうやって、全部忘れてしまえばいい。ワンダーランドは私を受け入れてくれるから。
 ──アリスの仰せのままに。

***
不思議の国のアリスオマージュのお話。ワンダーランドの日常を書きたかった。
常識や文化が違うってワクワクしちゃいますよね。だから異世界ファンタジーは素敵なんだ。
絶対に一緒じゃなければならない関係は尊い。一人でも生きていける誰かと誰かが一緒に生きることを選ぶことを結婚と呼ぶように、誰かと共にあることは尊いこと。

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