複雑・ファジー小説

拝啓、黒百合へ訴う【短編集】
日時: 2019/07/18 18:32
名前: ヨモツカミ

手紙を書いたのです。
忌まわしい貴方へ宛てた愛は赤黒く。
手紙を破いたのです。
親愛なる明日を呪った日々は、やがて醜い怪物となるでしょう。


【ご挨拶】
息抜きになんとなく短い文章を書くことが多々あります。気分と雰囲気で綴る文章に終着点は無いし、続きもない。それでもせっかく書いたのに放置し続けるのもなあ。
ということで色々と飽きたら名前変えまくってるけど、ただの短編集です。


・最近読み返して気に食わなかったやつは消し消ししました。
・☆とあるのは雑談掲示板にて浅葱と共に開催しているSS練習スレ添へて、に投稿した作品です。
(添へて、に投稿した作品を自分の短編集等に載せたい場合は私達に一言声をかけてからにして下さい)
・新たに「あらすじ的な」を追加しましま。題名だけ見てもどんな話かわからないから、好みじゃないSSを読んで時間を無駄にしてしまうかも! そんなのやだ! って方の役に立てばいいなと思います。

【目次】
〈徒然と欠陥ハート〉あらすじ的な>>18
♯1 アリスの夢想録 >>1
♯2 ゆめできみをころしたい >>2
♯3 DELETE
♯4 DELETE
♯5 未完の隙間を埋めてくれ >>5

〈回答欄満た寿司排水溝〉あらすじ的な>>19
♯6 綻び朽ちゆく☆>>6
♯7 問一、勇気とは何であるか?☆>>7
♯8 アルミ缶の上にある未完 >>8
♯9 金星と僕らの自殺志願 >>9
♯10 生きをする夢 >>10
♯11 問二、将来の夢を答えなさい。>>11
♯12 夜這い星へ、 >>12

〈添付レートのような。〉あらすじ的な>>23
♯13 天駆ける幸福☆>>13
♯14 枯れた向日葵を見ろ☆>>14
♯15 鏡の国の偽りを見つけて☆>>15
♯16 問三、あなたらしい答えとは?☆>>16
♯17 七夜月アグレッシブ☆>>17

〈虚ろに淘汰。〉あらすじ的な>>27
♯18 泡沫に問うた。 >>20
♯19 狂愛に問うた。 >>21
♯20 雪を待つ絵師 >>22
♯21 幸福に問うた。 >>24

〈曖昧に合間に隨に〉あらすじ的な>>35
♯22 波間に隨に >>28
♯23 別アングルの人☆>>29
♯24 狭間に隨に >>30
♯25 トゥイードルの道化師 >>31
♯26 ドールハウス☆>>32

〈たゆたえばナンセンス〉あらすじ的な>>41
♯27 知らないままで痛い☆>>36
♯28 藍に逝く>>37
♯29 Your埋葬、葬、いつもすぐ側にある。>>38
♯30 言の葉は硝子越し>>39
♯31 リコリスの呼ぶ方へ>>40

〈拝啓、黒百合へ訴う〉
♯32 報われたい>>42
♯33 真昼の月と最期の夏>>43

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Re: たゆたえばナンセンス【短編集】 ( No.39 )
日時: 2019/05/26 21:28
名前: ヨモツカミ

♯30 言の葉は硝子越し

 どうしても、声が届かないんだ。
 少女は怪我をしているらしい。進むたびに赤い雫が腕から滴り落ちては、降り積もった雪の上を点々と汚していく。ヘンゼルとグレーテルみたいに、道標を作りながら歩いているようだと思った。彼女が落すのはパンの欠片ではなく生々しい鮮血だけど。

「痛くないの」

 私が訊ねてみても、返事はない。振り返ることもなく、彼女はゆらゆらと進んでいく。答えてくれない。なんだか私、透明になったみたいだ、と思った。

「どこへ行くの。待ってよ」

 返事はない。そっか、私の声なんて聞こえないんだ。雪が降っているせいか、あまり寒くはないけど胸に氷柱でも突き立てられたみたいに冷たく痛みを覚える。どうして声が届かないのだろう、と。問うても誰も教えてはくれないから、私は彼女のあとに付いていく。
 怪我をしているのだと思っていたけれど、そうでは無かった。彼女の左手に握られたカッターナイフ。冬なのに腕を捲くってむき出しにした腕に、薄い刃先を押し当てて、一息に引く。
 新しく出来た傷口から、じわりと染み出した赤色は、宝石みたいに太陽光の中で輝いて、ぬるりと落ちると雪に溶け込んだ。
 痛みのせいか、他の理由か。彼女は目元に涙を貯めて、また何処かへ進んでいく。

「やめなよ、こんなこと」

 返事はない。痛ましくて、見るに耐えないと思うのに、私は彼女の後を追いかけた。見たくないなら、やめればいいのに。ここでやめてはいけないと、何かが私を突き動かす。どうせ声は届かないのに、それでも話しかけ続けるのも、何かに期待をしているからなのだろう。
 彼女を追い続けていると、本当に人気のない、誰も寄り付かない廃墟に辿り着いた。私のよく知っている場所で、冬の寒さとは別の悪寒が背中を走り抜けるのを感じる。

「嫌だ、こんなとこ行かないでよ」

 返事は、ない。なんで声が聞こえないの。私はもどかしくて泣き出しそうになりながら、彼女を見失うわけにも行かないから、と血の道標を辿る。
 最早役目を果たしてない扉を潜り抜けると、明かりがないから中は真っ暗で。ヒビの入った窓から差し込む光で彼女を見失わずにはすんだけれど、これ以上先に行くのを、体が拒んでいた。

「やめなよって。ここにはいたくないよ」

 この廃墟では、一年前に自殺した女の子がいた。元々は何かの事務所だったらしいが、放置されて誰も近寄らなくなって。その敷地内で飛び降り自殺をしたけれど、しばらく誰も気付かなくて。その日も今日のような雪の日だったから、赤と白が混じり合った地面に、その女の子は横たわっていて、それをその親友が見つけたのだ。

 階段を上がっていくカツン、カツンという音が響いている。屋上を目指しているのだろうか。なんでよ、やめてよ、行かないでよ。声にしても、届かないのだ。
 追いかけるのが怖くなって、引き返してしまおうかと思う。それは駄目。止めなきゃ。立ち止まりかけた膝を叩いて、私も階段を駆け上がる。
 屋上へと繋がる扉が見えてきた。扉の一部が窓になっているから、そこから光が漏れていて明るい。
 急いでドアノブに手を開けたが、ガチャ、と言う音を立てるたけでドアはびくともしない。鍵がかかっている。

「駄目! 行かないで!」

 扉を何度も叩いた。やっぱり声は届かないのだろうか。窓から屋上の様子を覗き込む。彼女は、顔だけこちらに向けていた。
 口が動く。きっと、私の名前を呼んだのだ。
 驚いたような顔のまま、彼女はこちらに歩いてきた。
 小さな窓硝子越しに、ようやく私の声は届いたらしい。
 彼女と私を隔てる扉がもどかしい。ドアノブをガチャガチャとひねって、開けてよと叫ぶ。彼女は静かに微笑んで、首を横に振った。それからか細い声でゆっくりと喋る。

「来てくれたんだ」
「ねえ、開けてよ……! 屋上なんか来て、どうするつもり!?」
「わかってるでしょ」

 そう言って、彼女はゆったりと自分の右腕を私に見せてきた。幾つもの赤い線が引かれた腕。リストカットの痕は、未だに痛々しく赤色を滲ませていた。

「辛いの」

 短い言葉だったが、そこに耐え難い苦痛の全てが詰まっていて。わかってるよ。あなたが辛いこと。私、全部知っている。知っているくせに何もできなかった。歯がゆさと遣る瀬無さに、両目に涙が溜まる。
 泣き出しそうな私を見て、彼女の両目からも色の無い雫が溢れて、落ちていく。

「ごめんね、私、何もしてあげられなかった」
「ううん。あんたのせいじゃない。わたしがね、少しだけ弱かったの」

 それだけだよ。掠れた声。
 それだけ残して、彼女は扉に背を向けた。

「えっ……嫌だ、ねえ、待ってよ! 開けて! 行かないで!」

 きっと、今度は声は届いている。届いているくせに、彼女は一度も振り返らずに離れていってしまう。
 開かないと理解しているくせに、私は扉を殴った。けたたましい音を響かせるだけで、扉は開くはずもない。

「駄目! 行かないで、お願いだから、死なないでよ!!」

 雪降る屋上で、フェンスに手を掛けながら、彼女は一度だけ振り向いた。泣いていた。唇が動く。

 “ごめんね” 

 そんな言葉を紡いだように見えた。
 フェンスに脚をかける。体が浮き上がる。
 ふわり。
 その先に地面はなかったから、そのまま彼女の体は重力に連れて行かれて。
 ああ。止められなかった。
 私はその場に崩れ落ちて、泣き喚いた。
 床に残された染みは、随分と古い血の痕だと気付く。

 高校を卒業してから、彼女はすぐに就職した。その仕事場で、あまり上手く行かなかったらしい。卒業してから、別々の道に進んだ私達は顔を合わせる機会も減って、だから久しぶりに会ったときに、「辛い」と声を零していて。上司や同僚と合わないのだと言っていた。でも私には何もしてあげられることなんてなくて。話を聞くだけで、私は彼女のためになることなど何もできなかった。力になれなかった。

 だから、一年前に、ここで死んでしまったのだ。

 私はトボトボと階段を降りて、廃墟を出た。外に、彼女の死体は無い。降り積もった白い雪に、赤色は一欠片も混じっていなくて。よく見れば、地面に点々とあった赤の道標も消えていた。
 やっぱり全て、幻だったのだろう。
 きっと、彼女は未だに自分が死んだことに気付けていないのだ。だから、一年ぶりに幽霊になって私の前に現れたんだ。
 あの日と同じように、ふらふらと腕を切りながら歩いて、血の道標を作りながら、一人廃墟を目指した。そうして、誰にも気付かれずに飛び降りて、白い雪に包まれて死んだ。
 多分、本当は気付いてほしかったのだ。だから私の前に現れたのだ。私をこの廃墟に誘ったのだ。
 二度目の死に際、私は彼女の側にいた。扉を隔てて向かい合った。一年前とは違って、彼女を止められるかもしれないと思った。しかし、結果は変わらなかった。私がいたって、いなくたって、彼女は屋上から身を投げだして、赤と白に混じって死んでしまった。
 なんて、無力なんだろうと思う。
 今回、もしも彼女が私の声で足を止めたとしても、彼女が生き返るわけではなかったのだから、ただただ無意味に亡霊と向き合うだけになっていたかもしれないが、それでも死なないで欲しかった。
 私の声は、どうしても届かない。



***
雪、幽霊、硝子の透明系三題噺。コメライで書いてるあんずさんと一緒に同じお題でSS書こーぜ、ということで書かせていただきました。良かったらあんずさんの『透明な愛を吐く』という短編集も読んでみてください。
幽霊が関わった時点で悲しい話しか書けないとわかっていました(白目)

Re: たゆたえばナンセンス【短編集】 ( No.40 )
日時: 2019/06/12 22:53
名前: ヨモツカミ

♯31 リコリスの呼ぶ方へ

 お待ちしております。
 貴方様がお帰りになる日を。お待ちしております。
 例え千の秋が巡ろうとも。お待ちしております。
 ですからどうか──。

 黄昏空の下を歩いていた。
 嘘みたいに燃える空は、本当に何かを燃やした炎のようで。夕焼けを背景にどこまでも続く石階段を見上げて、まるで地獄へ続く道みたいだと思った。

「空に地獄なんて、おかしな話だな」

 俺の呟きに答える人はいない。正確には、いないのではなくて、これから迎えに行くのだ。彼女には随分待たせてしまった。もしかしたら俺に愛想を尽かして何処かへ旅だってしまったかもしれないけれど。そうしたら、今度は俺が待つ番だ。彼女ほど待つのは得意で無いけれど、大丈夫。君を想えば俺はいつまでも待てるはずだから。

「行ってしまうのかい」

 石階段への入口、鳥居の下で呼び止めるのは、黒地にいくつかの彼岸花を咲かせた浴衣と、鴉を模した被り物をした少年。彼は右手に灯籠を手にしていた。薄ぼんやりとした灯が頼りなさげに、けれども暖かく揺れている。

「きっと、待っているんだ」

 俺が答えれば、少年は大して興味も無さそうに息を吐いて。

「そう。それなら僕に止める資格はなさそうだ。君が考えに考えた結果ならね」
「…………」 

 少年は下駄を鳴らして、俺に歩み寄ってきた。頭二つ分ほど小さな彼の顔は、被り物に覆われてわからない。そのくせ、俺はなんとなくその正体を知っていた。いつの間にか大切だと感じる存在になっていた、数奇な運命の少年。どうして彼がここにいるのかは、わからなかった。

「付いておいで」
「ひとりで歩ける」
「僕が君の隣を歩きたいんだ。それに、灯がないと迷っちゃうかもしれないよ」

 頼りないくせに、意志だけは強く燃える灯を見れば、確かにそうかと頷けて、俺達は静かに階段を上がり始めた。
 カラン、カラン。少年が一歩進むごとに、石と下駄が擦れる音がする。それだけの、静かな道だ。

「ねえ、本当によく考えた?」

 少年が顔も此方に向けずに、黙々と正面の鳥居を見据えながら訊ねる。

「帰るならまだ間に合うよ。薄暮が来る前なら……」

 俺は答えなかった。答えられなかったとも言うべきか。
 俺達は寡黙に階段を登り続けた。カラン。カラン。カラン。下駄の鳴る音と、微かに風に乗って香る線香の匂いも、もうそれほど長くは続かないだろう。
 この階段には、終わりがあるのだから。

「君が誰かの許しがなければ帰れないって言うなら、僕が許すよ」

 何処かで聞いた台詞だと思った。それは、水面に投げ入れた小石から波紋が広がっていくように、胸の内側を僅かに波打って、やがて、何もなかったかのように凪ぐ。
 本当は、豪雨に打たれる大地のように、いくつもの波紋が重なり合っていたのかもしれないが、それすらも雨雲に覆われて、見えなくなる。
 不意に、下駄の音が止んだ。振り向くと、鴉の被り物を少し俯かせた少年が、佇んでいる。

「……僕が送れるのはここまで。大丈夫。あいつによろしくね」

 少年は言いながら、被り物の嘴の辺りに手を当てた。それをゆっくりと上に持ち上げて、輪郭が露わになる。
 その前に俺は前を向いた。その顔を見てしまえば、リコリスの声が聞こえなくなってしまいそうだと思ったから。
 二つ目の鳥居を潜り抜けて。俺は寡黙に上を目指してゆく。木々に囲まれた階段は、森の中にいるかのように錯覚する。
 しばらく一人で階段を進んでいると、木々の隙間から声が投げかけられた。
 
「よう、愚者は遅れてやってくるってことかい?」

 その方向を見れば、頭にモヤのかかった男。でも、どうしてか、嘲笑うような軽薄な笑みが想像できた。
 首から上が黒いクレヨンで塗り潰されてしまったみたいな男は、ゆったりとした足取りで俺の側まで来ると、ゆらりと腕をもたげた。幽霊みたいに不気味な動きで右腕は俺の肩に触れる。

「アンタが来るって聞いて、顔見に来たのさ」
「目も耳も無いのに、どうやって」

 モヤのせいで、彼は目が見えないのではないだろうか。モヤのせいで、彼の耳は聞こえないのではないだろうか。そう思ったが、男は俺の声に答えるように笑う。

「そうだなぁ、頭はアンタに潰されちまったからなあ」
「──……」

 俺にはその瞬間、上手く返す言葉を、紡げそうになかった。

「冗談さ、んな顔するなよ」

 モヤのかかった男は愉快そうに笑いながら、俺の隣を歩く。今度は下駄の音はしない。代わりに新しいスニーカーが砂の粒を踏みしめる小気味良い音がたん、たん、と石階段を叩いた。
 男はしばらくは黙っていたが、ある程度階段を進むと、急にせきを切ったように矢継ぎ早に話しかけてきた。

「なあ、アンタはなんのためにこの道を進むんだ?」

「贖罪? 懺悔? 悔恨? 諦観?」

「なあ、そんなの今更じゃないか」

「アンタに殺されたオレァ、寂しかったよ」

 咄嗟にそいつの喉笛に掴みかかっていた。皮膚はどこまでも冷たく、ゴムのような感触はとても生き物とは思えない。それもそうか、俺が殺したのだから。じゃあどうして、コイツはここにいる。いや、殺したからこそ、ここにいられるのか。

「……冗談。オレはアンタにこうされたいって願ったんだ。自分の意思で死んだなら、オレは自殺。オレの命はオレの物だからなぁ」

 モヤのかかった顔の奥で、男はくつくつと喉を鳴らす。笑うたびに俺の掌に伝わる冷えた振動は、やはり生物らしさなんて微塵もない。
 だってそうだ。これは俺の罪なのだ。こいつは俺が確かに殺した男なのだ。頭部を殴打した。力の限り振りぬいた金属の棒。骨にぶちあたる感触。生暖かい飛沫。鉄と鉄の混ざり合う酷い臭いの洪水。赤く、赤く、ぬらぬらと俺の手を染め上げていく。色彩は。吐き出しそうなほど。

「はは、またその目しやがる。もういいんだってば、顔上げろよ」

 俺に殺された男は、どうしてか屈託なく笑う。
 それからゆっくりと俺の腕を外して、別れを告げてきた。俺達はここでお別れ。この先は一人で行けと、そういうことらしい。
 俺は返事を返すでもなく、黙って瞬きをして、その先に進んだ。後ろで佇む男の気配を感じながら、一つ一つ階段を踏みしめていく。
 この階段で出会ったのは。一人目の少年は追憶。二人目の男は罪過。そして、

「なあ」

 三人目。

「行くの?」

 中性的な顔立ちの青年は、控えめに笑って俺を迎えてくれた。一番側にいた、一番大切な存在。親友よりも親しく、家族よりは遠いくらいの、そんな距離感の彼。顔を合わせた瞬間に湧き上がる暖かさが、純粋な嬉しさなのだと自覚する。俺はきっと、何よりも彼に会うことに焦がれていた。
 青年は遠慮がちに俺の隣に並ぶと、小さく笑った。なんだかこの感じ、懐かしーな。その声が嬉しそうで、俺も同じ気持ちだったから、胸が一杯になる。
 そのまま、俺は階段を歩む足を再開させた。ほんの少しだけ遅れて、彼も足を進める。低いヒールの入ったブーツは、カツカツと音を鳴らす。
 青年は何か言いたげに何度も俺の顔を見た。それでも声はない。だから代わりに、俺から話しかけてやる。

「お前はいつも、俺が行こうとすると少し不満があるような顔をしていたな。でも、何も言わないんだ」

 青年は笑う。泣き笑いにも似た、儚い笑顔で。そうして紡ぐ声は、どうにも掠れていた。

「オマエが、オレの顔見てちょっと悲しそうな目するから……言わないって、決めてた」

 そうか。うん、そう。短い言葉の応酬さえも、どこか懐かしい。懐かしさは、優しい記憶と結びつく。悲しいことは隠すみたいに、都合のいい記憶ばかりを思い出して、下らないことで笑いあった日々を、共にする時間の尊さを、ただ脳裏に掠めさせて、温かい気持ちにさせる。
 不意に青年は俺の服の裾を引っ張ってきた。困ったような笑顔を浮かべて。

「途中まで一緒に居ていい? その、見送り……」
「何を今更。俺はただ進むだけだから、付いてきたいところまで付いてこい」

 ****。名前を口にしようとすると、急に霧がかかるみたいに音が消えた。名前。こいつの名前は、何だったかな。あんなに何度も呼んだのに、どうしてそこだけ思い出せないのだろう。口を開閉させて、声にならない音を彷徨わせて、そうすると青年が俺を見て首を傾げる。今はただ、何でもないと薄く笑うことしかできなかった。
 彼は俺の隣で、のんびりとした様子で歩きながら、かける言葉を探し続けているみたいだった。いつもは考えなしに何でも言うくせに、こういうときは言葉を選ぶ。もっと、いつも通りに接してくれて方が、俺は安心するのに。

「今、どんな気分?」

 選んだ末、なんだかよくわからない質問が投げかけられた。何だそれ、と優しく苦笑しながらも、思考を巡らせる。

「……そうだな、実感が沸かない。俺は、これからどうなるのだろうな」

 この先進んで行って、最後には何があるのか。でも、俺を呼ぶ声がするんだ。無視したって良かったのかもしれないが、できなかった。だって、待っているのだ。たった一人で俺を待ち続けているリコリスの声が、今も脳裏に木霊する。
 だから今、行かなければならない。
 決意は揺らがない。横から俺の目を覗き込む彼は、やはり何か言いたげで。
 しばしの沈黙が流れた。かける言葉を探している青年と、俺の靴の音だけが寂しく響いた。
 見上げると、最後の鳥居と階段の終わりが見えてきていた。きっと青年とは、鳥居の前でお別れだ。名残惜しさを感じて、彼の横顔を見ようとした。金色の瞳と、目が合う。そうすると、彼は意を決したように声に出した。

「ねえ。なんで死のうとするの」
「……」

 最後の鳥居を超えれば、もう戻れないこと。リコリスが俺の手を引いてその先に行ってしまうこと。全部青年はわかっていた。
 俺は質問に答えない。
 ただ、階段を進むのを、少しだけ早めた。

「……離してくれないか」

 青年は立ち止まって、俺の手を掴んでいた。指先は冷たく、震えていた。それでも力は強くて、簡単には振りほどけそうもない。

「リコリスが、呼んでいるんだ」
「オレたちも呼んでるよ! ずっと、何よりも強く」

 食い気味に声を荒らげられては、その先を紡げない。少し困ったような顔をして青年を見つめてみるが、彼もまた、強い意志を込めて見つめ返してくる。
 この腕を振り払ったら、泣きだしてしまいそうな顔をしていて。お前幾つだよ、と思ったが、こいつは歳なんて気にせず平気で泣くのだろう。

「刃も、影も、呼んでたろ。聞こえないふりしてんだろ」

 最初にいた鴉の面を被っていた少年と、顔にモヤのかかっていた男のことを言っているらしかった。なんでそれがわかったのだろう。彼らのことはよく覚えてないのによく知っているから。大切な存在だったはずだから。
 彼は両手で俺の腕を掴んで、縋るような声で言う。

「行くなよ」

 俺は黙って鳥居の奥を見据えた。顔はよく見えない。でも桜色の着物に見を包んだ少女が、静かに佇んでいる。俺だけを淡々と見下ろしていた。
 言葉もなく、俺を呼んでいる。
 でも、何よりも強く俺を呼んでいるのは、この青年だ。金色の瞳が潤んでいた。水面に映る月みたいだと思った。頼りなく揺れて、触れたところで届かない月。
 いや、届かないと思っているだけだ。俺は端から諦めているのだ。だからこんなに遠く感じる。彼は俺と同じ距離は感じていないだろう。
 だって今、触れているのだから。この両腕を離さなければ、繋ぎ止めていられると思っているのだろう。
 俺も、そう思う。
 振り払おうとしていた腕をおろして、階段を上がろうとしていた足を止めて、ただ青年に微笑みかけた。

「呼び止めてくれて、ありがとうな」

 彼は一瞬目を見開いた。そうして掴んでいた腕の力が抜ける。
 俺は軽く彼の手を解いて、階段を下り始めた。

 リコリスの声はもう、聞こえない。

***
リコリスは彼岸花のことです。少しだけ私の書いてる長編小説を意識した描写をしましたが、雰囲気と自己解釈でお楽しみください。

Re: 拝啓、黒百合へ訴う【短編集】 ( No.41 )
日時: 2019/06/28 04:57
名前: ヨモツカミ

〈たゆたえばナンセンス〉
さて、君はどんな夢を見た? 忘れたなんて言わせないよ。
そのアホ面に紅茶をぶっかけてやれば思い出すかね。
ああ、今の質問は気にしないでくれ。だって意味なんかないんだ。
ささ、しっかり布団を掛けて。
今日はなんの話が聞きたい?

♯27 知らないままで痛い☆>>36
人間みたいな悪魔と悪魔みたいな騎士の話。友人に頂いた挿絵がカッコイイ。命と人間らしさをテーマに書きました。

♯28 藍に逝く>>37
カクヨムに載せていたSSです。透明少女というお題で書きました。命の終わりの儚さなんかを感じさせる、夏の海での話。

♯29 Your埋葬、葬、いつもすぐ側にある。>>38
とにかく気持ち悪く、恐ろしい話が書きたかったのです。目的のために真っ直ぐで、だけどその方法は歪んでいる。まともじゃないことの悍ましさを感じさせる作品になってるといいな。

♯30 言の葉は硝子越し>>39
雪、幽霊、硝子で三題噺。コメライにいるあんずさんと一緒にやった楽しい企画でした。私の好きな屋上が出てくる話。

♯31 リコリスの呼ぶ方へ>>40
私の書いてる長編小説の登場人物たちをイメージして書いた、和風のよくわからない話。やや長めです。雰囲気を楽しんでください。

Re: 拝啓、黒百合へ訴う【短編集】 ( No.42 )
日時: 2019/07/02 18:23
名前: ヨモツカミ

♯32 報われたい

 風と適度な日差しが心地よくて、だから私は屋上でお昼を食べるのが好きだった。本当は立入禁止だから誰もいないし、一人であの広大な空を独り占めできている気分を味わえて、まさに最の高なのだ。
 友達は沢山いた。皆私に一緒にご飯食べようと誘ってくるが、屋上に来られたくなかったから全て笑って断った。友達が多いからといって、どんな時間も友人と共有したいわけではないのだ。一人の時間の自由さがただ心地良い。屋上は唯一の一人を堪能できる、快適な場所のはずで──。
 今日は先客がいた。空を眺めている女の子。フェンスの向こう側に突っ立って、足が震えていた。
 自殺、の文字が脳裏に過り、呑気にお弁当食べようとしていたほのぼのした空気が一気に氷点下。おいおいまじかよ、と彼女の後ろ姿に慌てふためく。
 とりあえず、止めなきゃいけない? 警察を呼ぶべき? 正しい対応がわからなくて、脳内のキャパが限界で、右手に持っていたお弁当の袋を落とした。
 その音は彼女にもしっかり聞こえたはずだが、振り返りもしない。よく考えれば、ここに入ってきた時点で私の存在には気付いているのだろう。なのに、ずっと空だけを見ている。

「死んじゃうの」

 恐る恐る。ようやく口にできた言葉は、そんなものだった。
 彼女の顔が少しだけこちら側に傾く。見覚えのある横顔。同じ学年だ。同じクラスではない。確か、いつも一人でいるのを見たことがあった気がする。
 彼女は私の姿を確認すると、一度大きく息を吸って、吐き出した。

「あなた、死にたいと思ったことはある?」

 急な質問に驚きはしたが、少し思考する。無いかもしれない。だって死んだら全て終わりだし、大好きな人とも会えなくなるし、すごく苦しいだろうし、いいことなんて一つもない。できれば死にたくないと思うのが、生き物全てに共通する本能だ。

「どうせないんでしょ。お気楽な人生だね」

 黙り込んでいたら、そんなことを言われた。確かに、死にたいとは無縁の私は、彼女からしてみれば気楽なのかもしれないが。

「なんで死にたいの」

 これは興味本位でしかない質問だ。本当なら、死んじゃだめとか、そういう言葉をかけるべきなのだろうけど。こんな現場に立ち会うなんて初めてだし、何が正しいのかもわからない。
 少しだけ顔をこちらに向けて、彼女は一つ、深く行きを吸い込んだ。そうして、吐き出す空気と共に声にする。

「疲れたから。……父親にさ、虐待を受けているの。親に死ねって言われてね、母が怒鳴られる怖い声に震えてね、おかしいよ。あんたらが産んだくせに、愛する義務があるはずでしょ、親には。なのにね、愛してもらえないの。寂しくて、辛くて、もうお父さんの言うように死んじゃえたら楽なのになってなってさ。私、行動力はないんだ。だからここまで来るのにホントに長い時間が必要だったけど、やっと屋上にきて、ようやくフェンスを超えられた。あとは落ちるだけなのに、それがまた難しいよね。怖いんだ。死にたいのに、ここに立ったら足が震えてね、無理なんだ」

 女の子は涙を流してそう言う。思ったよりたくさん喋ってくれた。今のは彼女なりの遺書なのかもしれないと思った。全て誰かに打ち明けたかったのかもしれない。その相手は誰でもよかったのだろう。
 可哀想だとは思う。でも、どうすることできない。だって私は所詮他人だし、彼女のことは何も知らない。死にたいって気持ちは理解できない。止めたいとは思うけど、どうすれば。

「世間的に言えば、うちの虐待なんてたかが知れてる。殴られたこともあったけど、ここ一年は無いし。でも、もしかしたら暴力を振られるかもしれないって毎日思いながら過ごすのがね、辛かったの。お母さんは何故かいつも怒鳴られてるし。その声を聞くのが怖いんだよ。父親の矛先が私に向くんじゃないかってね、毎日ビクビクしてた。それにね、少し家で父親の機嫌を損ねさせると罰金を払わされるの。殴られるよりマシだなって安心してたけど、頑張って貯めたバイト代が取られてさ、父親は、丁度いい収入が入ったって、笑ってんの。娘からお金取り上げて、遊ぶ金ができたって笑う声がさ、もう人間のものに聞こえなかったよ。でも、殴られないならそれでいい。──そんな感じ。ね、大したことない虐待でしょ?」

 彼女が完全にこちらに振り返った。フェンスを片手で掴みながら、彼女は薄く笑う。

「そんなことで死ぬなんてって思った? 吉田さんにはわからないよ」

 私のこと、知ってるんだ。私は知らないのに。考えてみれば生徒会にも入ってるし、彼女が私を知る機会はそれなりにあるはずだ。友達も多いし、私って学校では目立つ存在なのだろう。それに比べて彼女は目立たないし、どんな子なのか知らないが、多分一人でいる姿を何度か目撃してるのだから、友達はいないのだろう。
 だから、彼女を止めてあげられるのは、偶然ここに居合わせた私だけなのだろう。喉が震えた。私程度にどんな言葉を紡げるか。上手く力の入らない足を踏み出して言う。声は情けなく震えていた。

「でも、死んじゃ駄目だよ。死んだら全部終わりだけど、生きてればなんとか──」
「いつ?」

 鋭い剣が、喉元に突きつけられたみたいな錯覚をした。それくらい彼女の声は冷ややかに、それでいて鋭利なものだった。

「なんとかなるのは、いつなの。父親が勝手に死ぬまで? 私はもう、無理なんだよ。ああ、ごめんね。せっかく止めようとしてくれたのに」

 謝られる。彼女は両目にいっぱい涙を溜めていた。くしゃくしゃの顔でどうにか笑っていた。

「私だってね、死にたくないんだ。怖いもの。だけど、だけど、もうこうするしかない。ねえ、吉田さん。私生きたいよ」

 そんなことを言われたって、私はどうしていいかわからない。

「生きたいなら、生きようよ。死ぬなんて良くないよ。誰かが悲しむよ」
「そうかなあ? 悲しむ誰かより、どうでもいいと思う人のほうがずっと多いよ」
「……そうだとしても、」
「もういいよ」

 彼女は涙を拭って、腫れた両目で私を見つめた。

「愛されたかったな」

 それから、フェンスをダン、と押して、その弾みで両足が地を離れて行った。
 落ちた。下を覗く勇気も無いし、これからどうしていいかわからない私は、ヘタリとその場に座り込んで、おもむろにお弁当の袋を開いた。ひっくり返ったお弁当の中身はおかずとご飯がぐちゃぐちゃに入り混じっていて、酷い見た目になっていて。でも、味はそんなに変わらないのだろうと思った。
 蓋を開けて摘んだ卵焼きに、味はなかった。

***
報われない誰かの話。屋上や飛び降りネタが好きすぎて、この短編集にはやたら飛びたがる人が多いです。危ないので絶対にやめましょう。

Re: 拝啓、黒百合へ訴う【短編集】 ( No.43 )
日時: 2019/07/19 00:05
名前: ヨモツカミ

♯33 真昼の月と最期の夏

 蝉時雨が降り注いでいる。雨粒より激しく地に打ち付ける初夏の歌。
 心地よい風が肌を撫でると、何処からか風鈴の軽やかな音色が響いた。りん。りぃん。と音の正体を探しても見つからないから、きっと無数にある民家の窓際、私の目には見えないところで風に揺れているのだろうと気付かされる。
 足取りは軽く、爛々と燃える太陽の熱は私の肌を焼いている。この感覚が、心地良いと感じるのは、夏を懐かしんでいるからか。踏み出すサンダルの下、アスファルトの蓄えた熱で靴底は熱いけれど、夏。らしさを覚えるたびにただ懐かしいねって私は笑うのだ。
 何処へ征くでもなく、白いサンダルのヒールを鳴らしていたら、民家の隙間に赤い鳥居を見つける。両脇に並んだ木々で木漏れ日の落ちる階段の上、白い腹をみせる蝉が転がっている。八日目を迎えたお疲れ様の彼は蟻に集られて、少しずつ身を削られていて。誰にも弔われずに解体されていく姿は、自然界のグロテスクを私に突きつけている。
 私もまた、自然界の摂理から抜け出せない生き物の一つだということを忘れてはいけない。私の生命だって、終われば狭い箱に閉じ込められて、花を敷き詰められて、炎に包まれて灰になって、お終いだ。それがまた、もうすぐであることをわかっている私だから、蝉の見え方すら変わってきてしまっていて、微かな自己嫌悪に足元がふらついた。
 私は蝉じゃない。海月だ。海を漂う昼間の月だ。最期はきっと、もうちょっと美しく。揺蕩うように終われるはずだ。
 私は白い蝉を避けて階段を歩いた。あいも変わらず、蝉の大合唱は終わらない。

 鳥居を抜けると、大きなお堂が見えてきて、私はそこにまっすぐと進んで行った。賽銭箱と鈴の紐が垂れ下がっている。手ぶらで家を出てきてしまったため、お金は持っていない。なので、適当に鈴だけカランカランと鳴らして、両手を合わせた。
 もうちょっとだけ、長生きできますように。
 普段は信じもしない神様の存在を、都合のいいときだけ確かめて、お祈りする。日本人って、そういうところがあるから良くないな、なんて思ったりもする。神様も幽霊も、見えないものは信じない。見えないものは、存在しないものとして扱われる。だって、そこに無いから。私も近いうちに何もない者になって、誰にも信じてもらえなくなるんだ。受け入れたつもりでも、やはり悲しくて、両目から雫が伝う。
 情けないな。自分に呆れて腕で涙を拭いながら、くるりと神社の中を見回した。
 少し前に縁日でもしていたのか、手水舎の側にラムネの瓶が放置されている。近寄って、手にとって見ると、蓋は外され、瓶の中の硝子玉は抜かれていた。少し残念に思った。太陽の光に透けるラムネ瓶は、海の輝きを地面に落としていた。何も住まない海の中、私だけがぽつんと揺蕩っている。最期のとき、私は孤独の海を旅するのだろう。今だって独りなのに。
 独りは寒い。寒いのは嫌だ。真夏の陽射しは私の肌を焼くし、痛いくらいだけど、今だって寒いのだ。物理的な熱で暖かくなれはしない。

 ラムネ瓶を元あったところに戻して、お堂の隣を抜けていくと、竹林がある。中を進んでいくと陽が当たらず、仄かな風が通り抜けるので少し涼しかった。
 奥には忘れ去られて苔生した小さなお地蔵さんが一人、佇んでいた。あなたも独りなんだね。そう話しかけても頷いてくれるはずもなく、結局本当に独りなのは自分自身であると突きつけられて、肩を落とす。

「私ね、もうすぐ死ぬんだよ」

 風に揺れる竹の音だけが返事をくれた。彼らは群れていて、私の寂しさなんて知る由もないくせに。その場にいるのが嫌になって、私は踵を返す。
 竹林を出る途中、不意に頭が真っ白になって、その場に膝をついてしまった。冷たい土に両手を付いて、目の前がチカチカと明滅する感覚と、背中に嫌な汗が滲むのをぼんやり感じる。こうなるから、病院を出てはならないとお医者さんにも言われていたのに、もしこのまま立ち上がれなかったら、それを破った私の自己責任だ。けれど、しばらく地面を見つめていると目眩は収まって、私はゆらりと立ち上がる。
 夏は好きなのだ。私から夏を奪いさる病院なんて嫌いだ。去年は全ての季節が窓の向こうで過ぎ去っていくのを呆然と見送ったから、どうせ死んじゃうなら夏だけは感じたかった。だからこっそりと病院を抜け出してきたのだ。
 死ぬのなんて今更どうでもいい。変えられない運命に嘆くのは飽きた。でも、あがかないとは言ってないから。最期は夏の中に溶けてしまいたいのだ。

 ふと、顔を上げると俯いて咲く向日葵が視界に入った。ふらつく足取りでちかよってみると、金色の花びらが所々萎れている。この花もうすぐ死ぬんだ。私と同じだ。きっと夏を越すことはできなくて、この夏の中に取り残される。次の夏には別の誰かが大輪を咲かせる。でもきっと、誰もこの向日葵が死んだことなんて気にしない。別の誰かが咲き誇ってることなんて気にも止めない。当然だ。そんなこといちいち気にしていたらきりがない。毎年めぐる季節の中に置いて行かれる存在のことなんて、誰の目にも止まることはできない。
 ああ、でも。私だけはこの花のことを忘れないでいよう。そのために、私は向日葵の茎に優しく触れる。柔らかい黄緑のそれを握ると、軽く手首をひねった。ぺき、とあっけない音がして、花はぐにゃりと首を傾ける。
 私はこの向日葵を手折った。だから、私だけはあなたのことを忘れない。死に際の走馬灯にこの花が出てくるかはわからないけど、最期の前日まではきっとあなたのこと覚えている。普通に朽ちて終わるよりも先に、私に終わらされたあなたのことを。

「海月(みつく)」

 私の名前を呼ぶ声がして、でも私は振り返らなかった。無視して佇んでいると、私の右隣りに見知った少年が歩み寄ってきた。

「病院、戻ろ。部屋にいないし、なかなか戻ってこないからまさかと思って探してみたけど、ホントに外にいるなんて思わなかった」
「よくここがわかったね」

 心配そうに私の顔を覗き込んでいる彼に私は涼しげに笑いかけた。そうすると、彼が小さく息を吐いたのがわかった。呆れられたかなと思ったけど、彼は少し安心したように笑う。

「沢山探した。不安だったんだ。海月が消えちゃったら、僕はどうすればいいか、わからないから」

 そう言う彼の額には汗が滲んでいて、本当に私を探して色んなところを駆け回ったのだろうと気付いた。私に依存するみたいな彼は、私がこの夏を超えられないこと、わかっているのだろうか。

「帰ろう」

 彼は私の手を引いて歩き出した。帰るって言ったって、私の家に行くわけじゃないのだ。いつの間に、私の帰る場所はあの無機質な病室になっていたのだろう。

「……私ね、海で死にたいんだ」

 ぽつりと声にしてみると、彼は特に驚く様子もなく私を見た。

「じゃあ、海に行こっか」

 多分彼は、私が海で何をしようと止めない。私の意志を尊重するだけ。だからこんなに普通の表情で私を海に連れて行こうだなんて思えるんだ。
 それって、本気で私を思い遣っていることになるのだろうか。よく、本当の友達なら、悪いことをしようとしていたら止めるべきだって先生は言っていて。でも実際の友達というものは共に悪事に手を染め、共犯者になることを言う。だとすれば、彼は心から私を尊重した結果、海に連れて行こうとしてくれるのだ。それは優しさであり、けれど少し寂しいもの。私の死にたいを受け入れてくれることに、暖かさはない。
 どうかした? とまた彼が顔を覗き込んでくるから、何でもないと笑う。嘘だけど、これ以上自分の意志をどう言葉にすればいいかわからなかったのだ。

 熱を溜め込んだ砂浜の上を歩くと、サンダルの隙間から入ってきた砂でジャリジャリする。不快感はあれど、私達は波打ち際までやってきた。夏だから人で賑わうビーチで、もしも死んでみようとしたって、どうせ無理なんだろうから、キラキラと太陽光を反射させる海をただ、見つめていた。

「海で死ぬなんて、現実的じゃないね」
「死ぬなんて言葉自体、現実的じゃないよ」

 彼は顔を背けながらそう言った。私が死んじゃうって事実から、目を逸らしている。見なければ無かったことになるとでも思っているのだろうか。

「そう思ってるのはあなただけだよ。私としては、誰よりもリアルな言葉」

 ヤドカリが濡れた砂の上を歩いていたが、次の波に攫われて、消えてしまう。少し離れたところで、透明のゼリーみたいなものが打ち上げられていて、それがクラゲの死骸だというのはすぐに気付いた。

「最後にあなたと一緒に海が見れて良かったよ。帰ろう」

 不満そうな目で、彼が私を見ていた。

***
この短編集に難度となく出る海月という少女のとある日の話。夏はエモい存在だと思うので、存分に夏を描写したかった。寂しい夏が好きです。

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