複雑・ファジー小説

曖昧に合間に隨に【短編集】
日時: 2019/03/18 22:11
名前: ヨモツカミ

一生を24時間に換算すると、今は午前7時頃だという。
近いんだか遠いんだか、このよくわからない君との距離感が丁度いいようで、
少し遠く感じるようで。
手を伸ばしたくとも、曖昧なままの今を維持したくもあって、
午前0時の君はまだ、僕のことなんか知らないままでいて。

【ご挨拶】
息抜きになんとなく短い文章を書くことが多々あります。気分と雰囲気で綴る文章に終着点は無いし、続きもない。それでもせっかく書いたのに放置し続けるのもなあ。
ということで色々と飽きたら名前変えまくってるけど、ただの短編集です。


・最近読み返して気に食わなかったやつは消し消ししました。
・☆とあるのは雑談掲示板にて浅葱と共に開催しているSS練習スレ添へて、に投稿した作品です。
(添へて、に投稿した作品を自分の短編集等に載せたい場合は私達に一言声をかけてからにして下さい)
・新たに「あらすじ的な」を追加しましま。題名だけ見てもどんな話かわからないから、好みじゃないSSを読んで時間を無駄にしてしまうかも! そんなのやだ! って方の役に立てばいいなと思います。

【目次】
〈徒然と欠陥ハート〉あらすじ的な>>18
♯1 アリスの夢想録 >>1
♯2 ゆめできみをころしたい >>2
♯3 DELETE
♯4 DELETE
♯5 未完の隙間を埋めてくれ >>5

〈回答欄満た寿司排水溝〉あらすじ的な>>19
♯6 綻び朽ちゆく☆>>6
♯7 問一、勇気とは何であるか?☆>>7
♯8 アルミ缶の上にある未完 >>8
♯9 金星と僕らの自殺志願 >>9
♯10 生きをする夢 >>10
♯11 問二、将来の夢を答えなさい。>>11
♯12 夜這い星へ、 >>12

〈添付レートのような。〉あらすじ的な>>23
♯13 天駆ける幸福☆>>13
♯14 枯れた向日葵を見ろ☆>>14
♯15 鏡の国の偽りを見つけて☆>>15
♯16 問三、あなたらしい答えとは?☆>>16
♯17 七夜月アグレッシブ☆>>17

〈虚ろに淘汰。〉あらすじ的な>>27
♯18 泡沫に問うた。 >>20
♯19 狂愛に問うた。 >>21
♯20 雪を待つ絵師 >>22
♯21 幸福に問うた。 >>24

〈曖昧に合間に隨に〉
♯22 波間に隨に >>28
♯23 別アングルの人☆>>29
♯24 狭間に隨に >>30
♯25 トゥイードルの道化師 >>31
♯26 ドールハウス☆>>32

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Re: 曖昧に合間に隨に【短編集】 ( No.28 )
日時: 2018/12/21 18:44
名前: ヨモツカミ

♯22 波間に隨に

 冬の海には、夏の海と違った良さがあるよね。
 そう言って寒空の下の波打ち際で君が笑うけど、打ち寄せる波も、水飛沫も、ただ冷たいだけだ。こんなくすんだ藍の海の何がいいのかわからなかった。
 なのに君は、靴も脱がずにその白波の中に足を浸らせる。真っ赤なスニーカーが水を染み込んで、深い紅に染まる。そうして、やっぱり冷たいって笑う。当たり前だろう、もう雪も降り出すような、そんな季節なのに。
 ねえやめなよ。わたしは言う。戻ってきなよ。そんな深いところまで行って。君は泳げないでしょう。ねえ、やめて。お願いだから──
 ねえ。





 去年の冬、君は突然一冊の絵本を差し出してきて言っていた。

“私、人魚なんだ”

 爪弾き者が言うことだから、あまり本気にしていなかった。図書室の一番端の、窓際の席。灰の空から白雪が風に煽られながら舞い落ちる。窓に叩きつけられては校庭に降り積もる。外は息を吐けば白く染まる、身を刺すような寒さが広がっているのだろうけれど、暖房の効いた図書室は温くて、微睡むほどだった。
 煩わしくて顔をしかめるわたしと目を合わせると、君は困ったように笑っていた。

「君が人魚なら、君は声を持たないはずだけど」

 そうだね。短く答えて、君はますます困ったように視線を落として、絵本の表紙を見ていた。
 誰もが知ってるアンデルセンの書いた童話『人魚姫』。とある人魚の少女が人間の男に恋をし、魔女にお願いをして人間の脚を手に入れようとした。脚を手に入れる代償に、人魚は声を失う事となると魔女は言った。それに、男が他の女と結婚したなら、人魚の心臓は粉々になり、海の泡沫となり消えてしまうという。更に、手に入る人間の脚は、一歩あるくごとに鉄の棘で貫かれるように痛むのだという。にもかかわらず、人魚は脚を手に入れ、声を失った。

「痛みに耐えて歩いても、愛を伝える手段を持たない人魚。やがて男は別の女と結婚する。泡になるのを待つだけの人魚の元に、人魚の姉たちがやってきて、一本のナイフを差し出して言うんだ。『このナイフで想い人の心臓を貫きなさい。そうすればあなたは人魚に戻ることができる』と。……でも、人魚は男を殺せなかった。だから、人魚は魔女が言うように、海の泡沫になり、消えてしまう。残酷な話だよね」

 君は、控えめに小さく顎を引く。

「それで? 君はその人魚だと言うのか。けして面白い冗談には聞こえないけれど」

 あまり、気にしないで。積もったばかりの雪のように柔らかく笑んで、君が言う。絵本を引っ込めて、胸の前で掛け替えのない物のように抱き締める。いつもそう。君は、わたしがちゃんと向き合おうとした瞬間に目を背けるのだ。だからわからないままなんじゃないか。
 苛立って、わたしは鞄を肩にかける。二つ折りにしていた赤いマフラーを首にかけながら、出口に向かって歩いたら、後ろから腕を引っ張られた。
 あの、付き合って……ほしいの。と。
 振り向けば、迷子の子供みたいな不安そうな双眸が揺れていた。わたしはこの瞳に弱いのだと思う。振り払うことは簡単なのに、押し退け方がわからなくなるのだ。
 仕方なく、溜息混じりに問う。

「何に?」

 君は、おずおずと窓の外を指差した。校庭の向こう。くすんだ藍の海が広がっている。

“友達だから。見てて、ほしいの”

 君の言葉の意味はよくわからなかったが、不安げな子供じみた瞳が潤んで見えたから、わたしはもう駄目だった。





 海に向かう道中、君は柔らかく笑んだまま、ぽつりぽつりと話した。友達がいなかったんだ。それは少し寂しかったけれど、当然のことだから。やっぱり仕方ないよねって割り切るしかなかったの。と。
 好きな人がいたの。相手のことなんて殆どなんにも知らないんだけどね。だって、なにも聞けなかったから。何も話せなかった。と。
 それでね、私の好きな人も、誰か好きな人がいるんだって気が付いたんだ。誰なのかは、わからない。でも、確かにいるんだなって、わかっちゃった。ずっと見てたもの。ただ見つめていた私だから、わかったの。
 そう言って、君は砂浜をサクサクと歩いていく。冬の海は、砂浜までもが鈍色をしているふうに感じた。空も、海も、砂浜も、何一つ夏には敵わないように見える。そう感じるのはわたしの見方の問題であって、海自体は何一つ変わらないから。ただ夏と同じように、ザザアン、と波が鳴く。

「ねえ」

 君の赤いスニーカーは、海水を含んで真紅に染まっていた。冷たいって笑い声は、涙を堪えているようにも聞こえた。打ち寄せる波にふらつきながら、君は一歩、また一歩と前に進む。引いていく波は、君を連れ去ろうとしいるみたいで。

「……やめなよ」

 制服の赤いチェック柄も、真紅よりも深い紅に染まる。君の震える肩は、寒さによるものなのか、それとも。
 わたしの声に、君は一度だけ振り返ってみせた。
 噛み締められた唇の隙間から溢れる言葉は無い。代わりに、君の大きな瞳から零れた、硝子のような一滴は、海の泡となり消えてゆく。
 わたしは、そんな君になんて言葉をかけるのが正しかったのだろう。
 見つめ合って、言葉もないまま。やがて君は踵を返して。紺色のブレザーが海に染み込んで、濃紺にかわっていく。
 知っている。わたしは知っていたんだ、本当は。
 君は人魚だなんて言いながら、泳げないってこと。
 君はずっと一人きりでいて、ずっと寂しかったこと。
 君に、誰か好きな人がいたこと。ずっと君を見ていたわたしだから、気付いたんだ。
 それから、君の好きな人の正体も知っていた。
 もっと言えば、君の好きな人が恋していた相手のことだって、知っていた。
 なのに──届かないんだ。こんなに距離があるから。

「お願いだから……!」

 わたしの声は、夏の残響に呑まれて消えてゆく。
 それはきっと、とある夏の夕暮れ。うたた寝の中に見た幻想だから。

「…………」

 教室で一人きり。放課後の誰もいない空間を、黄昏色が染め上げていた。
 あれから半年。君はいなくなった。君がいなくなると、誰一人、君のことを覚えている人もいなくなった。最初からそこに君はいなかったみたいに、誰も彼も君の存在をなかったことにするのだ。君のことを覚えているただ一人のわたしが、逆に変人扱いされる。そんな日々が半年も過ぎれば、君の存在なんて、本当に泡沫の夢だったのではないかと思えてしまう。
 教室からは君の席がなくなっていた。
 名簿にも君の名前はなくなっていた。
 少しでも君の残渣を探そうとしたけれど、わたしの記憶の中にも君が本当にいた事を確かめる証拠は、一つもなくって。その姿と、その表情だけが色濃く残っているのに、あとは何もありはしないのだ。

 夏。独りぼっちは君だと思っていた。でも、実際独りでいるのはわたしの方で。
 あの日君が消えた海に来てみれば、黄昏色に輝く波打ち際には知らない人が数人いた。冬の海とは違って、夏の海には人がいる。遠くてぼやける人影の中に、なんとなく君を探してしまう。居るはずがないと知りながらも、希薄な望みに託してみたくなるのだ。
 ……当然、君はここにいないのに。波打ち際ではしゃぐカップルとか、貝を拾う子供とそれを見守る母親とか。そんなのばっかりで、孤独に海に佇む君の影なんてどこにもありはしない。
 わたしは独り、浜辺に座って日が沈むまで海を見つめていた。





 暗くなった海を眺め続けた。完全な漆黒の海は恐ろしくも思えたが、星と月の光が融け込んでキラキラと輝いている。だから海には海と星や月を組み合わせた名前の生物がいるのだろうか。なんて考えてみたところで、それを教える人なんて、誰もいないのだけれど。
 ただ、漆黒に融ける光は、綺麗だと思った。
 君が溶け込んでいるから、綺麗なのだろうか。

 夏は必ずしも暑いものである。それは物理的な話であって、わたしにとってのこの夏は、何処か寒々しいものだった。理由なんて、考えるまでもなく。昼のほうが夜よりも寒かった。君のいない教室は空っぽで。君のいる海はこんなに輝いている。

 わたしはローファーで砂浜を踏みしめていく。波は冬も夏も昼も夜も変わらずに同じ歌を奏でて、わたしを迎え入れてくれる。君を連れて行った波は、同じ歌でわたしを待ち構えていた。
 砂が入って気になっていたローファーも、その波に浸してしまえばもう水も砂もわからなくなる。
 海水は少し冷たい。君が笑いながらやっぱり冷たいと笑う声が、耳を掠めた気がした。水を含んで重たくなったローファーはいつの間にか波に攫われて、膝下まで浸かった足は、どうしてか震える。寒くはない。君とは違って、星の降る季節の海なのに、どうして震えるか。
 君はこの海で泡になった。ならばわたしも、同じようになりたくて。制服の赤いチェックが暗色に浸っていく。白いワイシャツも海に染み込んで、重たくなる。重たい体は、容易く沈んでいく。背中、肩まで浸かると、流石に寒いような気がしたけど、そんなのも束の間。
 真っ黒な海は、わたしを飲み込んだ。

 光の無い、漆黒の水。水面では星と月が踊っているから、戻ることは容易い。けれど、わたしはただ一つの泡沫を求めて漆黒を進んだ。息が苦しくなっても、何かを求めて馬鹿みたいに。縋りつくみたいに、海底へと藻掻いた。

“来ないで”

 岩陰に、君の声が響いた気がした。手を伸ばそうとしたが、どうにも君は遠すぎる。冬と夏で、距離は縮まらなかったらしい。
 遠いや。遠すぎるよ。
 海面に顔を出して、わたしは嗚咽を零す。
 わたしも、海の泡沫になりたかった。


***
雪というお題で書いたはずなんですけど、なんでしょうね。
寒い夏って感じの雰囲気のSSを書きたかった。

Re: 曖昧に合間に隨に【短編集】 ( No.29 )
日時: 2019/01/08 22:32
名前: ヨモツカミ

♯23 別アングルの人

 一番大切な臓器って何だと思う、と君が言うものだから、僕は思わず微笑んでしまう。
 数秒。いや、数十秒。それよりも長かったかもしれないし、短かったかもしれない束の間、僕らは寡黙に見つめ合っていた。その間、世界の時間が止まってしまったみたいに感じた。

「難しい質問だったかな」

 口調はいつも通り、彼女らしく穏やかに。そのくせ表情は能面のように無感情に。いつもは笑顔を絶やさない彼女の表情は、その瞬間の僕にとっては新鮮なもののはずで、けれどももう、数え切れないほど目にしてきた。そのチグハグが今の歪な現状。

「急にこんなこと聞かれてもよくわからないよね。うん、それじゃあヒント。私はね、私が生きるのに必要不可欠なモノが臓器だと思うの」

 玄関に佇んでいた彼女が、靴も脱がずに廊下を踏み締めて、ゆっくりと接近してくる。思わず僕は、彼女が詰めてきた距離の分だけ後ろに下がる。僕らの距離は縮まらない。きっと、これから先も永遠に。
 今日朝起きたとき、それはもう雲一つない快晴で。雨なんて降ってなかったはずなのに、何故か彼女はレインコートなんか羽織っている。
 何故か、なんて。本当は全部わかっているのに、馬鹿みたいな思考をしてしまう。

「私なら、私の一番大切な臓器は、あなただって答えるよ」

 彼女はじっと僕の目を見つめてくる。逸らすことができないほどに真っ直ぐ。射抜くみたいだ。彼女の瞳の黒には何が溶け込んでいるのだろう。いつになっても、こればかりは分からない。

「あなたが失ったら死んじゃうくらい大切なもの。生命維持に必要不可欠なもの。それが臓器。だとしたら、あなたの一番大切な臓器は、何」

 聞きなれた台詞が彼女の口から吐き出されて。答えたくなかったから、僕はぼかすように笑うのだ。
 見つめ合っているうちに、彼女の瞳が潤み始めて、色の無い線が頬を伝いだしたとしても。
 君が後ろ手に隠している刃物の意味。そんなもの、十回を過ぎた頃からわかっていた。
 フローリングに滴った涙は、彼女のレインコート姿と相まって、雨水のよう。
 答えてよ。彼女の震えた声が、縋りつくみたいに聞こえる。
 その辺りで、僕はようやく肩を竦めながら口を開くのだ。

「僕にとって一番大切な臓器は、」

 何百。いや、何千。もっと多いかもしれないし、少ないかもしれない。繰り返した結末はもう、変わることのないものだと気付いていた。
 何度繰り返したって、同じ答え。故に、同じ結末を辿る。僕の意見は変わらないし、君の行動も変わらない。
 慣れた手付きで自分の胸元を指差して、不敵に笑って放つ一言。

「僕の心臓だ」

 できるだけ感情を表に出さないようにして、水溜りを打つ雨のように静かに声にする。
 僕がとある物語の登場人物だと気付いた日から。誰かに読まれるたびに、繰り返してきた。
 彼女の質問の意味も、意図も、これから起こることも、何もかもを知ったあとでも、僕は変わらない。変えることはできたかもしれないけれど、変えたくないと思ったのだ。それがその瞬間の僕にとって、最適な台詞だから。

「──やっぱり。あなたの一番には、なれないんだ」

 諦めたように笑って、彼女はナイフを胸の前で握り締めた。
 僕の胸の中には、君じゃない誰かが満たしていて。その誰かでいっぱいな心臓に、君が入る隙なんて何処にも無い。だから君は悔しくて悲しくて。遣る瀬無くて、誰よりも僕を愛してきたにも関わらず、自分の気持ちが届かなかったことが惨めで、苦しくて、それでも愛しくて。そうして、僕を好きで好きで狂ってしまうほどだったから。遂に、行動に出てしまう。
 そういう“設定”だけど。それは、君の視点で描かれるから描写されなかった僕の心を、隠していた。

 僕の心が手に入らないくらいなら、僕の一番大切な臓器を奪ってしまおうと考えた君。そういう設定に従うことしかできない主人公に、本当の気持ちを告げたなら、君は死んでしまうだろうから。主人公を生かすため、僕は永久に真実を告げられない。
 君が両手に握り締めた刃物をこちらに向けて、廊下を蹴った。それを抱き締めるようにして迎え入れた。最初で最後の抱擁。それでいてこれからも繰り返されること。でも、どうせならもっと愛を込めて抱き締めてあげたかった。
 もうとっくに僕の心臓は君のものだったけど。それを口にする日は絶対にこない。そういう、物語なのだ。

***
頁をめくらなければ君に殺されることはなかった。でも、頁をめくらなければ君を好きになれなかった。物語の登場人物に、その自覚が芽生えてしまったなら、的な話。

Re: 曖昧に合間に隨に【短編集】 ( No.30 )
日時: 2019/01/23 22:46
名前: ヨモツカミ

♯24 狭間に隨に

 真っ白い空間。無機質な鉄格子に隔てられた君と私との距離感。そんなものだけで構成されるのが、この世界だ。
 白い壁を見て、白い天井を見て、黒い鉄格子を見て、その向こうにいる青年を見る。彼は白いシャツと黒い髪の、特にこれと言って特徴のない人だ。私も白いワンピースを一枚着せられただけの、黒い髪の少女で、それ以外に特徴というものはない。ここには、なんにもないがありふれている。
 時間の長さに辟易としてしまう。ただここには何もないから。私も何もないをしている。時の経過を待ちながら、変化の無さに目を回す。
 眠ってしまえば、まだ夢の世界の方が何かで溢れているから。あのキラキラした荒唐無稽の物語の中を宛もなく揺蕩っていたいのに、まだ瞼は重くならない。夢という逃げ場すら私には用意されてないらしく、また途方もない時というものに嘆息してしまう。
 せめて青年が何かをしてくれれば、この退屈とも距離を置けるかもしれないのに。青年は黙って壁を見つめたまま。本当に壁を見つめているだろうか。彼は置物のように動かず、その視線もどこに向けられているのかよくわからない。もしかしたら、その黒い硝子玉は何も写していないのかもしれない。半透明の黒は虚空に向けられているだけで、世界を見つめてなんていないのかも。
 青年を観察し続けて、そんな妄想をしてみて、少しの退屈しのぎにはなったけれど。それだけ。青年は動かない。かと言って、私は声を掛けようともしない。だから私の見る世界に変化は起こらない。きっと私が何もしないから、世界はこのままなのだ。
 声を出してみれば。鉄格子に触れてみれば。何かと世界を変える動きをすることは可能だったけれど、私はそれをしないのだ。する気が起こらないから? 彼もまた動かないから。世界というのは、こういうものなのだ。私は変化を望むくせに、変化を拒んでいる。それは不思議なことではない。怠惰なだけなのだ。臆病なだけなのだ。何かが変わってしまうことは、どこか期待通りでありながらもどこか恐ろしいことのように思える。だから変えたいのに、変わりたいのに、変わらないままを好む。
 ずっとこのまま、鉄格子に隔てられた世界に私と君がいるだけで。それだけでいいのだ。
 朝が来たのかもわからない。夜が過ぎたのかもわからない。時の経過を感じながら、時の経過を確かめることもできないこの空間で。私はただ、ここにいたい。


***
死ぬほど暇だったときに、頭空っぽにしながら書いたやつ。時間の経過が途方もなく遅くて、びっくりしたあの日。

Re: 曖昧に合間に隨に【短編集】 ( No.31 )
日時: 2019/02/05 23:18
名前: ヨモツカミ

♯25 トゥイードルの道化師

 ──寂しそうな顔が揺れる。彼女の潤んだ蒼穹が潤んで、まるで宝石のよう。そこから零れ落ちる雫もまた、水晶の欠片みたいで。
 金糸が揺れて、背を向けた彼女は森の奥へと消えていく。背の高くて毒々しい真っ赤な茸の影に隠れて、その姿が見えなくなってしまう。それが、酷く不安に思えて。
 嫌だ、行かないで。

「……待って!」

 椅子を蹴飛ばして、追いかけようとした。なのに、まるで自分の脚と木の枝か何かを入れ替えられてしまったみたいに、全然力が入らなかった。あ、と思う間もなく地面が近付いてくる。体が傾くのに力は入らないで。地面に打ち付けられる強い衝撃と共に、砂埃が舞う。
 ああ。嫌だ。お願い。行かないで。
 泣き出しそうになるのに、彼女の水色の服も、金の髪も遠ざかって、見えなくなる。怖くなって、涙が溢れた。

「やだ……置いて行かないで。ねえ。私、やっと」

 やっと?
 なんだったっけ。
 歩けない私は地面をズルズルと這いつくばって、でも、こんな速さでは追いつけそうもなくて。私の隣を、嘲笑うみたいに蝶の翅の生えたトーストのような変な生物が追い越して行った。通ったあとに、香ばしいバターの香りがする。

「飛ぶ、バターのパン……バターフライ……バタフライ。ふざけてんのかよ!」

 悔しいやら悲しいやらで、涙が止まらなくなって、しばらく泣きじゃくっていると、何処からか愉快な音楽が聞こえてきた。ズンチャズンチャズンチャ、と場違いなほど楽しげで、馬鹿げた音楽。
 顔を上げれば、やっぱりというか、なんというか。毛先だけ毒々しい紫に染まった長髪をなびかせて、黒と白を基調とした服のトゥイードルがやってくる。忌々しき双子の片割れ。

「イッエーイ! はいどーも、トランプのお城からお越しの道化師、黒のジョーカーメルフラルさんでーす! ハァイ拍手!」

 未だにズンチャズンチャズンチャと空気を読まない楽しげなBGMを垂れ流すカセットテープを両手で抱えながら、これまた場違いなほど明るい口調で現れたその人。
 呆然としたまま、私が拍手を送らないので、カセットテープを投げ捨てて自分で拍手をしだした。地面に打ち付けられたことで、カセットテープが騒音と共に拉げて、音楽も止まる。

「おやおやおやー! 茸の森の前で迷子のお知らせかなー! お困りのお嬢さん、お父さんとお母さんは何処かな? こんな森で独り、怖かっただろう? でもでもでももう大丈夫、黒のジョーカーメルフラルさんが来たから安心だね!」

 壊れたカセットテープには目もくれずにメルフラルさんは屈んで、おもむろに黒の革手袋を外すと、そっと私の手を取った。黒いネイルと、手の甲に刻まれた歪な模様が視界に入る。メルフラルさんの手は温かい。その温もりに、僅かながら安心感を覚える。

「そんな冗談はさて置き、本当にどうしたんだいアリス。1人で茸の森にくるなんて。君のお付の騎士(ナイト)様は何処をほっつき歩いているの」

 先程までの戯けた様子は何処へやら。急に真剣な顔をして、優しい口調で言うものだから、内心どぎまぎしてしまう。でも、メルフラルさんの手の甲に刻まれた歪な刻印が、真実を突きつける。この人はトゥイードル。双子の災い。トゥイードルの血が流れる者は、人間ですらない。このヒトは、性別さえ存在しないし、心も存在しない──と、言われている。ヒトの形をしただけの、禍根の化身なのだ。
 今はトランプのお城でハートの女王を楽しませるための道化師、黒のジョーカーとして生活しているが、城にいてもメルフラルさんを見る周りの目は酷く冷ややかなものらしい。片割れを、白のジョーカーを失い独りでその冷たさに耐える辛さは、私には想像もつかない。
 だから、私くらいは普通に接してあげたい。だから、小さく笑顔を作って。

「多分、私が1人で来たの。気が付いたらここに居て、あの子の姿が見えたから、追いかけようとしたら車椅子から落ちちゃって。私、歩けないこと忘れてたわ」

 馬鹿だよねえ、と笑って、地面を押し、ゆっくりと上体を起こした。地面を這いつくばったから、体中土まみれで、洋服もこんなに汚してしまって。後でダイナと帽子屋さんに怒られてしまいそうだ。彼らと離れてどうしてこんなところにいるかもわからないが、彼らから離れたことについても、後で咎められるのだろう。

「……痛いの? 嬉しいの?」
「なにが?」

 メルフラルさんが心配そうに私の顔を覗きこんでいた。

「泣いていたのでしょう? ほら、君が教えてくれたことだ。ワタシは痛いときの涙しか知らなかったけど、嬉しいときも涙は出るんだって。今のアリスの涙はどっち?」

 心配そうに尋ねる。
 トゥイードルには、心がないと言われている。のに。

「……痛い。痛いの」

 メルフラルさんは、まるで心があるかのように振る舞うから、時々わからなくなる。
 私は堪らなくなって、鼻の奥がツンとする。

「あの子が、泣いていた。それが、痛くて仕方ないの」

 彼女が。レーシィが。泣いていた。寂しそうな目で私を見ていた。何かを私に求めているのに、失望したみたいに遠ざかって行ってしまった。
 ねえ、どうしてレーシィ。あなたは何が悲しいの。私はどうしてこんなに胸が痛いの。
 再び泣きだしてしまった私の頬を拭いながら、メルフラルさんは狼狽する。

「困ったなあ。ワタシは君の涙の止め方を知らない。あの日の君の様に、一緒に泣いてあげれば痛みは和らぐかな?」

 本当にこの人に、心は無いのだろうか。
 自分でも涙を拭いながら、無理やり笑顔を作った。

「……あなた、ピエロでしょう? ピエロは表で笑って、心で泣くモノよ」

 だから、あなたは笑っていてくれればいい。そう伝えると、メルフラルさんは一瞬だけ目を見開いたが、次の瞬間には弾けるような笑顔を浮かべる。

「そうだったね! ワタシは道化師。アリスのために笑うから、アリスも私のために笑うといい! さてさてさて、取っておきの手品を見せてあげよう! 準備はいいかい? 残念、ワタシは待たないよ! 今から見せるのは、世にも奇妙な、空飛ぶバターパンの3分クッキング〜!」
「まって何を見せようとしてるの!?」
「テレッレッテテテテ! テレッレッテテテテ! テレレレレレレ……」
「うわっ、それさっきのバタフライじゃない! クッキングするの!? それを!」
「先ずは翅をもぎます!」
「やめたげてよぉ!」

 やっぱり、心なんてないのかな。わからない。黒のピエロの笑顔を見ていたら、少しはこの痛みも和らぐ気がした。

***
鏡の国の君を捜して、という作品を書きたいけどやや長編だから書けない。というわけでなんとなくワンシーンだけ書いてみた。
トゥイードルは、鏡の国で産まれた双子の総称で、双子禍根の化身だと信じられて、生まれたらすぐに殺されてしまうものです。
つぎばのメルフラルとは別の人。

Re: 曖昧に合間に隨に【短編集】 ( No.32 )
日時: 2019/03/18 22:11
名前: ヨモツカミ

♯26 ドールハウス

 ――鏡よ、鏡。この世で一番美しいものは何?
 声に問われれば、少女はしばし考え込んでしまう。
 淡雪のような肌、肩の下で揺れる亜麻色。一際長い睫毛に縁取られた翡翠の目。よく通る鼻筋に、桜色の花唇。鏡に映したみたいに同じ背格好の美しき少女達は、凪いだ夜の水面のように見つめ合っていた。
 向かい合う彼女の白藍のドレスと、少女の細い体を包む珊瑚色のドレス。その色違いがなければ、まるで彼女らは本当の鏡のように見えていただろう。
 白藍色を身を包んだ彼女は、双子の姉である少女を鏡のように見立てて、再び同じ問いを投げかける。これは彼女にとっての日課であり、一つの呪いのようなものだった。
 鏡に見立てられた姉は、妹のこの行為を嫌ってはいたが、毎日のように繰り返されるそれを避ける術もなく、毎回同じ答えを返すしかないのだ。

「……それは、あなた様でございます」

 そう伝えると、妹は酷く満足げに頬を吊り上げて、白藍のドレスの裾をつまみあげながら嬉しそうに去ってゆく。今日もワタクシは美しいのだわ。ワタクシは世界一美しいのよ! と、歌うように、呪いを撒き散らす。

「ああ、嗚呼……」

 姉である少女は、自分の身を包んでいた珊瑚色のドレスの裾を掴むと、乱暴に引っ張った。そうすると、鈍い音を立てて、見事なドレスは見るも無残に引き千切れてしまう。構わない。少女は堪らずドレスを無茶苦茶に引っ張って、ビリビリとドレスを引き裂いていく。しばらくすれば、朽ちかけの花のように、無残なドレス姿の少女が部屋の中央に佇む姿があるだけ。
 妹と同じ容姿。人形や彫刻のように整ったその姿。彼女にとっては、その作り物の如く完成された姿が、醜悪に感じられて仕方なかったのだ。
 気持ち悪い。こんな姿は気持ちが悪い!
 そう思うのに、妹は彼女らの完成された容姿に酔いしれており、毎日のように鏡のようにそっくりな姉と鏡ごっこをし、容姿を認められては悦に浸る。ワタクシは世界一美しいの。ワタクシたちは完璧なのよ、と。
 姉は自身を醜悪だという。妹は自身を秀麗だと信じて疑わない。
 こんなに作り物じみた自分たちは、本当に作り物なのではないか、と姉は常々思ってしまう。

 小さなお城に閉じ込められた、小さな小さな、双子のお人形は。真実に気づけないまま、今日も小さな世界の中、互いにすれ違いながらも今日を終えるのだった。

***
何回目だかわかんないけど、玉響に添へて、より。
双子のお人形は、美醜の間で揺れる。
今回は案外短く書けました。

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