複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.143 )
日時: 2018/03/17 15:18
名前: ポテト侍
参照: http://twitter.com/imo00001

ケェーレフを連れてきた男はセノール人だったらしい。いや、連れてきたというよりは追いかけられて五十階まで逃げ込んできたと言うべきか。彼はここまで来ればケェーレフを倒せると踏み、事実そうなった。どんな容貌をしていたのかと聞いても大した情報は得られず、犬の化け物はジャッバール特製のガトリング砲で蜂の巣になってその命を終えたということだけが今回の収穫である。礼を言って端が少し欠けている銀貨を渡し彼らと別れる。予想外の駄賃に二人組は「またな」と手を振るが一期一会の出会いだ。もし仮に会ったとしても敵同士の可能性だって十分にある。ガウェスは手を振り返すことはなく持っていた水を口に含んだ。
 さて、雇い主が動かないという以上、彼にできることはジャッバールの目に留まらない様に廓についての情報を集めるに他ない。広間で石像のように息を殺していようかと思った矢先、控えめに声をかけられた。廓では聞き慣れぬ、大人になり切れていないふわりとした少女の声。普段の癖で笑顔を浮かべ「はい」と振り向くと、その表情が一瞬にして固くなる。白磁のようなシミのない肌、サファイアの瞳、金糸を集め編み出された髪。子供らしい円みを帯びた鼻先をスンと鳴らして視線を下へ下へと落としたスヴェトラーナが居た。切れ切れになった言葉を繋げ合わせるにハイルヴィヒが崩れた壁の外に落ちて行方不明になったらしい。ふるふると揺れる睫毛が憂いを誘い、悲壮感よりも泡沫の様な儚さを滲ませている。今にも大粒の涙を流し崩れ落ちそうになっている少女を前に、ガウェスは何を為れば良いのか、なんと答えるべきなのかを完全に見失っていた。「おつらかったでしょう」と同情し優しく抱擁すべきか、「急いで助けに行きましょう」と意気込み武器を持つべきなのか。失意に沈む少女を慰める術は知らず、「あぁ」と小さく声を漏らすのみ。そもそもスヴェトラーナがここにいること自体、ガウェスにとっては想定外の出来事なのだ。虫ピンで止められた蝶々のように大切にされてきたお姫様が護衛付きとはいえどのように過保護な父親を説き伏せたのか。嫌というほどと伝わる困惑にスヴェトラーナは罪過を感じ、頭を下げた。迷惑をかけてしまったという罪悪に耐えきれなかったのだ。
「ご無理ならば……、良いのです。えぇ、えぇ、本当に。心配なさらないでください」
 アテがあるというのか。外に飛び立ったばかりだというのに。籠の鳥はどこへ向かうというのか。誰を頼ろうというのか。見送ってしまえば良いモノを、踵を返し、トボトボと去ろうとする華奢な手をゴツゴツとした無骨な手が包む。振り返った先に見えたのはふわりと笑う。もちろん、フードを深く被っているため、スヴェトラーナにガウェスの表情を窺い知ることは出来ない。ただ、纏う雰囲気が香水を振りまいたように和らいだから、青年が微笑んだことを悟った。
「細かい話はあちらで」
 優しく温かな言葉は冷えきったスヴェトラーナの心を解かすのに十分であった。ガウェスに手を引かれながら、それでも歩幅を合わせてくれるような気遣いに溜め込んでいた感情の一端が涙となり頬を濡らす。幸運なことに目の前の騎士は前を向くのに夢中で見えてはいなかった。
 手を引かれてやって来たのは階の中心。最も人通りが多く賑やかな場所で学者や傭兵の他にも商人が水や食料を売っている。ガウェスから受け取った水を飲むと荒れていた心がやや落ち着く。そして促されるままたどたどしくも先ほどあったことを話し始めた。金糸雀のように澄んだ声は雑踏に掻き消されてしまいそうなほど、弱く細いものであったが、彼の高潔なる騎士は一言一句聞き漏らすことなかった。彼女の瞳を真っ直ぐに見据え、適度に相づちをうちながら彼女の話を聞く。次第に表情が険しくなっていった彼は、スヴェトラーナが全てを話し終え閉口すると「分かりました」とだけ答え自らも口を封じた。あの学者の近くにいなかったのが口惜しくてならない。もしも彼の側にいれば多少の口添えができたろうに。さすればその後の悲劇は免れたかもしれない。血の跡を残し消えた愛しい愛しいハイルヴィヒ。死んではいないだろうが、無傷でもあるまい。彼も不思議とその確信はあった。出来ることなら、今すぐにでも銃を手に取り、死臭漂う階下へと駆け込みたいものだが、武器も人も足らぬ。二人きりで、しかも片方は碌に武器も扱えぬ素人。一人で女性を守りきれる自信はなかった。他に協力者が必要であろう。だが、ミュラやジャリルファハド、ソーニアがどこにいるのか分からない。ジャッバールなど以ての外だ。それならば、その他の場所から借りてくる他あるまい。その主旨を伝えられると、少女は美しいかんばせを横に振り拒否を示した。故に青年は折れてしまいそうなほど華奢な左腕を掴んだ。驚いて顔をあげた少女が今度は逃げない様に視線で縛り付ける。
「貴方にしか出来ない。貴方じゃないとハイルヴィヒを……、貴方を助けてくれた人を救えない」
乳飲み子に言い聞かせるように優しく、しかし迷いのない真っ直ぐとした瞳で訴えれば、息を吐き出すだけだった少女の唇が開き、震える声で「はい」と返した。しかと返事は受け取った。スッと立ち上がり恭しく伸ばす。その手を握りスヴェトラーナが顔をあげたその時、フードに隠されていた顔を一瞬だけ瞳に映すことが出来た。やはりその顔はお兄様と慕うその人と同じだった。


一人の令嬢と三人の護衛。昔、読んだ小説にそんなタイトルの話があったとガウェスはぼんやりと考えていた。内容は、一人の令嬢を巡り、三人の騎士が奪い合うもので、最後の章で、令嬢と結ばれた騎士は他国との戦争で命を落とす。嘆き悲しんだ彼女は身体を壊しそのまま亡くなってしまう悲劇的な最期を迎える。なんてことはない、ありきたりな宮廷小説だった。
 六十三階は静かなもので、人の声は勿論、物音一つしない。足音と息遣いだけが空しく響き、時折蹴った石が壁にぶつかりコツーンコツーンと反響する。ガウェスに他に雇われた傭兵は二人。この場の限りのハイルヴィヒを救出するまでの契約だ。当初は渋っていたが、彼女が貴族の令嬢だと知ると喜んでついてきてくれた。浅ましいと罵倒したくなったが、今は自分も同じ穴の狢。出かかった言葉を噛み殺す。現在ガウェス達がいる階は他の階と比べると単調な造りをしているように感じた。一本道の通路を抜けた先、スヴェトラーナに連れられてきた場所は確かに何かが争った形跡がある。壁は崩れ、下には全てを飲み込まんとする暗闇が広がっている。死体は誰かに埋葬されるわけでもなく、野晒しにされたまま転がされている。この惨状をスヴェトラーナは一人で見たのだと考えるとガウェスは胸が締め付けられる思いで、隣に立つ彼女に時折視線を向けてしまう。あの時のことを思い出しているのだろう、肩を震わせながらも双眸はしかと暗闇を見据え、落ちていった護衛の手掛かりが無いかを探している。
「この高さじゃもう……」
 傭兵の一人が言った。ガウェスは否定も肯定もできまい。ガウェスも松明で照らしてみたが彼女が持っていた銃も血の跡すら見つからなかった。
「降りられる場所を探しましょう。下に行って確かめないと」
 異を唱える者はおらず、再びガウェスを先頭にして中を歩く。廓に巣くう悪魔にばれないように息を殺して下へと続く階段を探す。他の階から聞こえる銃弾と断末魔が何を起きているのかを暗に示す。壁にべったりと飛び散っている赤黒い液体。四肢の無い胴に首だけの遺体。安らかな顔をしているのは少ない、業火に焼かれる囚人のように苦悶の表情を浮かべ、無残にも冷たい床に転がされている。その酸鼻極まる世界の奥に次へと続く階段があった。「最悪だ」と呟いたのは誰か。恐らく皆、同じ気持ちだろう。目を伏せ、鼻をつまみ、口から入ってくる僅かな鉄臭さに耐えながら目的の場所へと歩む。ぴちゃりと跳ねた血液が服やマントの裾につくが気にしている暇が無かった。漸く地獄を抜けても彼らに安息の地はない。一刻も早くハイルヴィヒを見つけこの迷宮から脱出しなければならない。然らば足を動かさなくてはならないのに、彼が動かしたのは足ではなくて口であった。
「少し待ってください」
 何をそんなにびびっているのだとからかう言葉が傭兵の口から出ることはなかった。風の唸りと共に男とも女ともとれない囁き声が聞こえてきたのだ。ガウェスだけではない、此処にいる全員に聞こえたようで、異様な緊張感に包まれる。行きましょうと誰が言ったわけでもなく、恐る恐るガウェスが一歩を踏み出し、それに他の三人が続く。もちろん、右手の人差し指はトリガーに引っ掛けるのは忘れない。ゴクリと生唾を飲んだのは誰か。四人はただただ仄暗い階段を進む。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.144 )
日時: 2018/03/29 13:17
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU

 ――目眩がした。ぐるり、と世界が回るような感覚に襲われる。前後感覚は愚か上下感覚すら無くなるような心地であった。
「っ…………あ?」
 ひどく間の抜けた声がこぼれ落ちる。後頭部の痛みが、今更ハイルヴィヒを襲ってくる。幸い大きな出血はないらしいことを省みれば恐らく、落下の衝撃ではなく壁に思い切りぶつけられた折か、落下後に何処かにぶつけるかでもしたのだろう。触れればじわり、と痛みが広がる感覚はあるが大したことではない。顔になにかこびりついている感覚があるが、恐らく額の出血が原因だ。溜息の後、しばし目を開いていれば徐々に暗闇は融けていく。鮮明にはならずとも動くに支障は無い範囲にはなった。散乱している己の荷物を集められるだけ集め、銃の無事を確認すれば短く息を吐いた。思い出したようにポケットを確認すれば小瓶は割れて、ポケットの中で原型を留めず、硝子片となって散乱している。思わず零れかけるため息を飲み込んだ。どうするべきか、と上を見上げれば上方にかすかな光が見える。恐らくは、あの地点に己が落ちた穴があるのであろう、という事は推測できる。登ることが叶うか、と問われれば否だろう。じわりと痛む全身で、殊この足で、何の支えもなく上へ戻るというのはいささか無謀がすぎる。己が無事であるという事、もしも其処に留まっている様な事があるならば早急に離れるように、と令嬢へ伝える術は無い。悩ましげに上方を睨む事暫し、ハイルヴィヒ・シュルツの足はただ暗がりの向こうへ、向こうへと向いていた。何かに導かれるように、ただ其処に留まることを拒絶する様に。其の歩みを止める者は居らず、其の背を押す何かがあるだけだった。或いは、歩む先に運命があると信じて止まぬ様に。
 静寂の中、一人分の足音だけが響く。痛む足を、けれども引き摺る事はなく、ただ前へ。傍らにくるくると表情を変えてくれる、けれども月光が如き柔く儚い少女は無く。彼女を思えば歩みを今すぐにでもその傍へと戻りたい衝動に駆られる。清らかなる少女を、此の手で守る事こそハイルヴィヒ・シュルツの使命に相違ない。あの清らかなる白磁の肌に触れたいと願ってしまう。清らかなる水宝玉の瞳の味を知りたい。伸ばしたてで彼女を掻き抱き、其の髪に触れたい。其の美しい瞳に浮かぶ珠を舐めやる事すら望んでしまう。不可思議なほどにこの心は渇きを憶えている様な錯覚。思わず、ため息を吐いた。馬鹿らしい、と己の思考を一蹴し、その思索を恥じ入る。おぞましい、とすら思う。或いは、あの場で待ち続ける、という選択肢もあったそれでもまるで引き寄せられる様に歩を進めている。もしもの時は、とスヴェトラーナと語り合った事を思い出す。少女はひどく不安げな表情で此方を見て、瞳で嫌だと言いながらもわかったわ、と聞き分け良い言葉をかけてくれた。正直に言おう、ハイルヴィヒ・シュルツは此処で死ぬつもりは微塵もない。まだ此処で命を散らすべきではないと彼女自身は判別している。かといってスヴェトラーナに無事を伝える術も無い。ただ見えないなにかに手を引かれる様に、ハイルヴィヒ・シュルツは歩を進めるだけであった。壁伝いに、壁を支えとしながら歩む事すら馬鹿らしい気がしてくるが、不思議と足は前へ、前へと動いていた。
 ――ふと、手に違和感を憶える。はた、と足を止めて壁を見やれど、そこにあるのはそこ迄にあったものと何も変わらぬ、無機質な岩壁があるだけだ。けれど碧玉は怪訝そうに細められ、壁から離れた手はコンコン、と2度、その壁を叩く。ややあってからその手は少し離れた位置をまた2度叩いた。何が変わるでもなく、ただ変わらぬ音が響くだけだ。或いは、ほんの些細な気の所為として進み行く事が正しかったのかも知れない。それでもただ、此の場に惹かれて仕方がない。否、気になるだけ、そう、気になってしまうだけだ。やや逡巡の間を置いた後、ハイルヴィヒは黒い手袋を外し素手で壁へと触れる。やはり、何があるわけでもない。ただの岩壁だ。其の癖、奇妙なまでの確信じみた違和感は消える事がない。何かが、此処に在る。そう思えて仕方がない。じぐり、と痛むのは足ではなく赤い飾りを付けた耳である。なぜ、を思う間もなく、其の青い瞳は微かな光を零す何かを見つける。穴のようなそれを、覗かなくてはいけない様な気がした。呼ばれている様な錯覚すらある。少しばかり屈んで、それを見やろうとした瞬間だった。不意に、背後から強く引かれる感覚があった。気配らしい気配などなかったというのに。不覚をとったか、と振り向こうとした刹那、耳朶に触れる指がある。ヒヤリとして冷たいそれに思わず肩が跳ねる。死神の手と言われれば納得してしまう程に、冷え切った指だった。
「――うそつき」
 響く声が幻聴であるのか、ハイルヴィヒに判別は出来なかった。上がる息も、早鐘を打ち騒がしい心音も、かすかに震える手も、恐怖からもたらされるものではない。ゾクリ、と背筋に冷たいものを憶えて振り向こうにも身体が動かなかった。白い手が見える、伸ばされる腕はこの身体に絡みつき頬に氷の様に冷たい手が触れた。反射的に抜いたナイフを背後へと向けるも何かを刺し貫く感覚は皆無。それどころか其処には何もない。文字通り、なにも、何者も、ありやしなかった。ヒュゥ、と空気を吸い込んで、吐き出せない。嗚呼、やはりこれは、恐怖であるのか。ずぶり、と水中に引き込まれたかの様な感覚に、息が詰まる。息を吐いてしまったらもう、呼吸が止まってしまう様な気がした。悍ましい、とすら思う。けれど、けれど。鼓膜を震わせた様に思うその声はひどく懐かしく、暖かく、愛しい人の声にも似ていた。振り向きたいのに振り向けない、というのは、言葉を発したいのにそれが出来ない、というのは、こんなにも――。
「…………アッ」
 冷ややかな手に引かれる刹那、其の手が耳の飾りに触れた。それと同時に驚いた様な声が聞こえてきた。――そうした後小さく、囁くように「ちがうわ」とも。これすら、幻聴であるのやもしれないが。何も出来なかった、腕は動かない、足も。視界の端にちらついた白が焼き付いて離れない。いっそ気が触れてしまったのかとすら思えた。息が詰まって、どれほどだろうか。眩む様な感覚があった。思わず目をきつく閉じて、暫し。閃光は深い青の色。海中とは、恐らくこんな色なのだろうという妙な確信。咲き誇るは白百合。視界に混ざる赤の意味を、傭兵は知りはしなかった。美しく染まった菫の色<Violet>は、誰が為に。誰と問う声も、拒絶も、或いは許容すらも紡げないまま。いつの間にか、視界にあった白は消えていた。代わりにクラリ、とするほどに強い、芳醇な花の香が漂ってくる。思考を白く、白く塗りつぶす様に強い、白百合の、噎せ返る程の香り。思考を、思索を、塗りつぶされる様だった。視界すらも千切れていく、景色がハラハラと舞い落ちる。気付けば、膝を着いていた。噛みしめる指からは鉄の味が滲んでいる。少し、視界が滲んでいる。思考も、何もかも、グチャグチャとかき乱される様な感覚がいまだに残っていた。噛み締めていた指を離し、思わず左手は口を覆う。咳き込みながらも其の喉奥からは何も出てきやしなかった。荒い息を繰り返す事数度、未だにじわりと輪郭の滲む世界を見やり、どうにか息を整える。ひどく、凍えるような心地であった。融けゆく世界を、ただ菫色に宿して。どうか、どうか再び、君の声をと祈りながら。

 ――祈りは、或いは嘆きであったか。暗い部屋を不意に思い出す。凍てつく水底の夢を見る。悪夢に相違ない。此の世界の終わりまで、抜け出せぬ様な場所を、知らぬはずなのに思い出す様だった。おにいさま、と零れかける言葉を飲み込んだ。手を覆う白を取り払えば、其の下にある印は証に相違ない。地位を示す証拠を、と問われればこれ一つで事足りる。白磁の肌に刻まれた証が本物である証拠は、すぐに示されよう。そうでなくとも、身分を示す材料など数多い。いかに偽ろうと、この身に染み付いた何かは消える事などない。虚実の名を告げ、知らぬ家と言われた所でならばと真実を告げるのは容易いが、多少は誤魔化したままでありたいというものだ。地位に付いてくると言うならば、それも構うまい。今のスヴェトラーナにとっては、己に力を貸してくれる誰かがいる、と言うだけでありがたくおもえてしまうのだから。怯えたような顔をして、其の手を取って「こわいわ」と呟けばおしまいだ。深い、海の色を求めて少女は歩む。――此の高さでは、と紡がれた言葉は尤もだろう。けれど少女は口を開くことはなかった。ややあってから小さく、兄と慕う人にだけきっと聞こえる声で「ハイルヴィヒは生きているわ」なんて独り言を紡ぐだけだった。確信じみた予感だった。根拠など無くとも、耳朶に揺れる赤がそれを教えてくれる様な気さえしていた。歩む内見える酸化した赤に、少女は言葉を紡がない。胸中、あるのかわかりやしない魂の安寧と、一時でも構うまい、ほんの暖かな夢を見ることが叶う様にと願うだけだ。もはや帰らぬ日々であるならば、いっそ愛しさすら憶える。奇妙な話だ。一段、また一段と歩む内ふと聞こえた声は唸り声であったのやも知れないが、少女には囁きに聞こえて仕方がない。まるで白い雪の様に、ふわり、耳に落ちて来る様な。
「…………ハイルヴィヒ?」
 遠くから聞こえる声が、まるで其の人の声の様で、思わず駆け出しそうになる。其の足を阻むのは三人の内誰であるのか。――誰だって、よかった。細腕を掴む手を、少女は振り払う事はなかった。代わりに振り向いて、憂う瞳をじ、と三方向へ向けるばかり。
「……其処、其処に……何か――其処に」
 何を、という視線をひしひしと感じる。分かっている、己が妙な言動を取っている事くらい、わかっている。けれど確かな違和感が其処にあった。何を、と問いたげな、訝しむような男の視線に気付かないわけではない。兄と慕った一人の手をそっと取る。己の貧弱なそれとは違う、ひどく頼りがいのある、大きな手だった。
「どうか、なさいましたか?」
 其の問いは尤もだ。けれどもスヴェトラーナには、其の問いかけにすぐに答える為の材料が揃っていない。只の予感だ。只確かに憶えた違和感に従い指差す細い道は其の先が行き止まりでしか無い、只の袋小路である事を示す看板がある。ここからでも向こうの壁は薄らと視認できるし、其処に求める娘が居ない事もまた然り。ややあってから、その水宝玉をちらり、彼へ向けた。
「……、……その道の向こう側、に……気の所為かも、しれないのですけれど……あちらから、声が、しませんか」
 或いは只の気の所為か、求めるものとは全く別のなにかであるやも知れないというのに。息が詰まる、嘆きたくなる。消えたものを探す瞳は、それでも何もない通路を見つめ続けていた。早く進もう、と告げる声がする。悍ましいものが、舌を出して手招きしているかもしれない。それでも、其の誘いにすら乗らねばならぬ気がしていた。吐き捨てられた深い青を、或いはすでに菫の色に染まった其れを、少女は求めてやまない。困惑の色に、薄氷色は不安を宿す。ぱちり、瞬けば金糸をさらりと流しながら首を傾げる。行く行かないは、本来少女が選び取るべきなのだろう。けれど、此の場でほぼ役に立てない己よりは、経験深い誰かが判断する方が良いように思えてしまう。「おにいさまがたに、おまかせしますわ」と告げた声は消え入りそうなほどにか細く、柔い声色だった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.145 )
日時: 2018/04/09 08:40
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 闇は自らの存在を隠し、篝火の朱に道を譲っていた。下層へ、更に下層へと向かう一団に言葉など無く、ただ足音ばかりが響く。時折、蹴られ転がった瓦礫がからからと音を立てている。
「しっかし……こうも人探しが続けば廓に弄ばれている気分だ」
「廓の意思とでも?」
「あぁ、そうだ。此処は生きている」
 先程、この男は "またか"と苦言を呈していたが、度重なる捜索、救助に辟易としているようだった。故の戯れ言とジャリルファハドは鼻で笑っていた。
「いや……生きてるっつーか、人を謀り、食い殺そうとしてんだよ。人の子一人居やしないに声が聞こえたり、居やしない人間が姿を現す。そうやって人を惑わすんだ」
「果てには化物の餌とな、馬鹿馬鹿しい。此処は過去の遺構でしかない。その様な事があってたまるか」
「在るから言ってんだよ」
 足音に紛れ、ぽつぽつと会話を交わす。このカンクェノは単なる過去の遺構、解明出来ていない物こそ多々在れど、そんな超自然的な事柄は在ってはならない。そうジャリルファハドは否定の意を唱えようと、喉元まで言葉を引っ張り出すも、それを飲み込んだ。砂漠で見た物──アゥルトゥラ兵の亡霊をすっかり忘れていたのだ。身体の彼方此方を失い、人にしては歪。闇の中、苦悶の表情を浮かべ、呻き、蠢いていたそれをだ。
「お前は見たか?」
「……いいや、捜索、救助した奴等が口揃えて俺達に訴えてきたってだけの話さ」
 そうやってジャッバールの兵は苦笑するばかりであった。実際に自分の目で見た訳ではない。あくまで第三者の証言でしかない。彼は「忘れてくれ」と呟き、大きく欠伸をしていた。道は篝火の朱を受け、明るく照らされており、暗闇が緊張、不安を煽るような事もない。戒めるようにジャリルファハドは彼を見据えるも、それを改める気配もなくただただ歩み続けていた。
 十層ばかり下り終えると曲がり角から声が聞こえていた。その声はミュラのようだ、何処か語気が強く感じられた。共に下層へと降りてきたジャッバールの兵も怪訝な表情を浮かべながら、小銃を携える。それぞれが各々の得物に手を掛け、まるでこれから討入りに行くかのような状況であった。彼等の前へと立ちはだかり、背で制しながら角から顔を覗かせた。どうにもソーニアと言い争いになっているようだ。救われていたか、と安堵を抱きつつもまた面倒ごとかと不快感を覚える。
「何をしている、助けていたなら早く上に出れば良いだろうが」
「あぁ、いや。ソーニアがまたあの穴に潜るって聞かなくてさ、調べたい物があるとかって……」
「ソーニア。探索、調査は日を改めてからでも遅くはないだろう、何も急がずと────」
 松明に照らされた彼女の額からは流血しており、右腕にも擦過傷が見られた。左肩はだらりとぶら下っているだけで、力が篭っていないように見える。何よりも彼女の目であった、静脈が切れたかのように赤黒く染まっているのだ。まるでレゥノーラの目のよう。闇の中、ただただ獲物を探し、輝く死神のそれである。
「……目はどうした」
「え?」
「目だ、何故赤い?」
 ミュラと同じ事を問われるも鏡などない、自分の目が赤くなっている等と知る由もない。ジャッバールの兵達に至っては「レゥノーラの物と同じ」だという声すら挙がる。自分の瞳は父母と同じくして濃い緑、レゥノーラのように赤黒くなどない。
「……見間違いとかじゃないの?」
「見間違いなどではない、確かに赤い。早く上がって医者に見せるぞ」
「いえ、何ともないのよ。明かりにも目が慣れてきたし──」
 だが、普段よりも明かりが眩しく感じられる。そう語り、言葉を続けそうになるも言葉を呑み、ソーニアは相変わらず自分の無事を主張していた。明らかにその瞳はジャリルファハドから逸らされ、何処となく居心地の悪さを感じていた事だろう。
「傷を負っているだろう、それ以外にも怪我はないのか」
「そうね、肩はちょっと。……でも見せておきたい物があるのよ、お願い」
「ダメだ、今日は上がれ。その傷では足手まといだ、ただでさえお前はレゥノーラ相手に"全く役に立たない"」
 そうジャリルファハドに一蹴され、ソーニアは不愉快そうに彼を見据えていた。銃を扱えない怪我人がレゥノーラを相手に歯が立つはずがない。ただでさえ経験がないのだ、幾らジャッバール兵が居るといえども一人戦えない者を守るのは難しい。
「リエリスの。コイツの言う通りだ。俺等はアンタを助けに来ただけだ、アンタを守りに来た訳じゃない。降りてきたらアンタはもう助けられていた。これ以上は俺達の仕事じゃあない」
「……我々は上から降りてくるまでを待っていただけに過ぎない。もうこれ以上は関わる気がない、余り好き勝手を言ってくれるなよ。此処はもうお前達アゥルトゥラの物ではないのだ、目に付くならば……分かるな?」
 各々の兵がブレーキを掛けるように護衛をする気はない、と意思を示す。勝手が過ぎるならば命を奪うとまで語る。彼等とて余計な物に触れたくはないのだ。此度はハヤの命令という形でソーニア救助に兵が動いた、ハヤの名と同胞たるジャリルファハドの働きかけが無ければ、恐らくソーニアは死んでいた事だろう。心なしか彼女の表情には翳りが宿る。額から流れ出る血を手の甲で拭うと、傷に触れ刺すような痛みに苛まれる。
「だから言っているのだ、今回は上がるぞ、と。廓の修繕など誰もしていないのだ、此処を塞がれる事もない、日を改めろ」
 右肩から滴る血を石壁に拭い付けながら、ジャリルファハドはソーニアを戒める。乾いた壁に伸びる血の筋を見て、ミュラ以外は負傷者だという事に気が付いたのか、彼女は漸く首を縦に振るのだった。それに呼応するようにソーニアが肩に提げた小銃をミュラが受け取った、木製の銃床にはセイフ・ラーディンの名が刻まれていた。
「なぁ、さっさと上に上がろうぜ、帰ろう」
 下層のレゥノーラよりも恐ろしく感じられる存在を思い出し、一刻も早く廓の外に出て行きたい。そんな一念からの言葉であった。ソーニアが頷くと「行きがけの駄賃」だと上層のジャッバール兵も歩き始めた。下層の者達は「またな」とだけ、言葉を放ち一斉に踵を返し始めるのだった。
「俺達が居るのは五十階までだからな、そこから上はどうにかして上手く帰れよ」
「分かっているともさ、ミュラ。刀を」
「あぁ」
 刀を受け取る手は血に塗れていた。赤黒く変色し、固まったそれの上に血の筋が走っている。握り込められた刀の柄が血で汚れてしまった。そんな事は気にもならないのだろう、腰に刀を差し直すとジャリルファハドも彼等の背を追うようにして歩き始めるのだった。



 上層へ、上層へと歩みを続けるにつれ、左肩の痛みが強くなりはじめ、一挙手一投足が苦痛になり始める。その痛みが頂点に達した頃、地上の明かりがぽっかりと空いた廓の入り口から飛び込んできている。ジャリルファハドの流血も止まっているようで、右手を伝う血の筋はすっかりと乾ききっていた。無事ではないが、帰路に何事もなかったとミュラは安堵の溜息を吐いて、ソーニアの右腕を自分の肩へと回して、彼女を支えるようにして歩き始めた。
「ごめん」
「別に良いぜ、無事帰って来れたしさー」
 何処か間延びした彼女の返答に思わずソーニアは笑みを湛えたが、その笑みからミュラは目を離そうとしない。矢張り赤い目が気になって仕方が無いのだ。
「何よ?」
「いいや、別にー。さっさと医者行こうぜ」
 少しだけ前を歩いているジャリルファハドも、傷の具合も診てもらう必要があるだろう。どちらにせよ、医者へは行かなければならない。ソーニアの赤くなってしまった目も、原因を突き止め処置しなければならないだろう。
「眩し……」
 そう一人ごちるソーニアを気にも留めず、ミュラは彼女と共に石段を上がっていく。外の空気は廓の中よりも幾分冷たく、吹く風に思わず一つ身震いをするのであった。漸く外へと至り、大きく深呼吸をしながら目を閉じた。ソーニアは廓の前に広がるであろう、大路を見据えるべく身を翻す。先まで地下へと潜っていたものの、本来自分が居るべく地上は心地が良く感じられた。そして目を開く。
「……あれ?」
 視界は白け、傍らに居るであろうミュラの姿すら見えない。大路の人垣は勿論、ジャリルファハドの姿すら。空は青いのか、それとも白く曇っているのかも分からない。何も、何も見えないのだ。困惑したように辺りを見回すソーニアの瞳は日の光を受け、厭に赤く、まるで賢者の石のように輝いているのであった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.146 )
日時: 2018/04/07 19:30
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

選択は任せると言われても道は一つしか残されてはいなかった。スヴェトラーナの言葉を何の根拠も証拠も無い小娘の戯言だと一蹴してしまうのは容易いことである。が、奈落の底に落ちた侍従がどこへ消えたのか手掛かりがない以上、道標を示してくれるのはありがたいことであった。皆、同じことを思っているらしく「行きましょう」と言ったガウェスの言に抗弁する者はおらずスヴェトラーナが進めた道へ爪先を向ける。篝火の淡いオレンジは五人が進む道を大まかに照らしてくれるのみで、どのような構造をしているのか目視する事は難しい。だが、目で確認できたところで、落ちている者はここで無念の死を遂げた者達の置き土産、若しくは、埋葬されることのない遺体のみだろう。見えない方がいい。時折聞こえる猿叫のような金切り声は上の階から聞こえてくる。誰かの怒鳴り声と空を裂くような発砲音は瞬きの間に静かになり、廓に一瞬の静寂をもたらす。しかしすぐに女性の断末魔が聞こえ、直後に男性の断末魔が響く。何が起こったかなど見る必要もない。「死んだか」と不謹慎なことを呟く傭兵も諫めることはせず、青い顔した少女に話しかけた。
「大丈夫ですか。疲れたならここを抜けた先で休憩をとりますが?」
 べっこう飴のように淡い優しさに包まれた言葉に、「おにいさま」と出掛かった言葉を堪え、代わりにスカートの裾をギュッと握りしめた。
「お気遣いありがとうございます。私は大丈夫ですから、それよりも、早く、ハイルヴィヒを」
 それだけを伝え、憂いを帯びた瞳を閉じる少女は宗教画から抜け出してきたかのような清らかさがあった。見る者を惚けさせる儚げな美しさにガウェスも見惚れたものの、「あの」と、声をかけられて我に返る。口元に優しげな微笑を浮かべ「畏まりました」と返事をする。止めていた足を動かせば、小石を蹴り上げてジャリッと音を立てて闇へと吸い込まれていった。五人が辿る未来を見せられているかのようで、顔を顰めたが、すぐに気を取り直し、口を真一文字に閉めた。例え何があろうと後には退けぬ。道は前にしか続いていないのだから……。
 さて、通路を抜けた先にあるの石造りの部屋。壁には赤黒く光る液体が付着している。何て事はない。廓ではよくある光景である。早足で抜けてしまおうとした部屋片隅、光の届かない影が蠢いた。こちらが口を開く前に「誰だ」と問うた声は若い女性の声である。研がれたナイフのように鋭く短い言葉は威嚇する獣の唸り声の如く、他者を威圧するのには十分すぎた。暗闇に姿は隠されているが、シルエットだけは僅かな火の光が教えてくれる。訓練を詰んだ人間なのだろう。銃を構える姿は熟練の狩人を連想させた。だが、腕を痛めたのか、銃口が僅かに震え、下を向いている。片足を負傷しているらしく、無事な方な足に体重をかけて支えていた。もしもあと一発でも銃弾を放てばバランスを崩し倒れてしまうだろう。暗闇に目が慣れてくるとようやくその姿を捉えることが出来た。
「あなたは」
 驚愕と歓喜が入り混じったガウェスの声。彼が歩み寄るより早くスヴェトラーナは暗闇に紛れる女性に対して駆け出していた。一瞬虚をつかれた顔をしたが、走り寄ってきた人物が愛しい白百合であると知ったとき、彼女の手から銃が零れ乾いた音を立てた。

 二人の間に言葉はなく、頬を伝う涙を拭うことも忘れ飛びついてきた少女を従者は受け止めた。普段ならなんてことはない衝撃が足の負傷のせいでバランスを崩して尻餅をつく。張り詰めていた緊張が、呑み込まれてしまいそうなほど大きな悲壮感が、灰風に飛ばされるように消え、廓に似付かわしくない安堵があった。そして一等その安堵を享受しているのはスヴェトラーナであろう。迷惑がかかってしまうと分かっていながらも涙を止めることは出来ず、声を殺し、吐息と僅かな嗚咽を洩らす少女の背を従者は静かに撫でている。冷たい印象をうける吊り目が、今は穏やかに垂れ、彼女も彼女で安心という名の海に溺れているのだ。そんな二人の様子を遠巻きに見ているのはガウェスだった。彼の顔からも嶮しさが消え、本来の穏やかな気持ちが戻りつつあった。
「女の子二人で来たのか」
 ガウェスの隣に立った男が目を丸くし驚いているのは瞠目しているからではなく驚きと呆れであった。いつ落ちたかは知らないが、廓に一人、しかも負傷した状態で生き永らえていたなど奇跡以外の何物でもない。それに案内もつけずに二人でこのような下層にくるなど無謀にも程がある。
「女二人でここに来るなんて。何が目的なんだ」
 男は煙を吐き出す。真っ白な灰はパラパラと床に落ち、その姿は床と同化するように消えていった。
「俺は心配だよ。ここは女子供だけで来るところじゃねぇ、そうだろ? 男がいなくちゃ。男が」
 無造作に伸びた髭を撫でている男が何の意図をもってそのような発言をしたのか、聡明な騎士はすぐに理解できた。しかし、とりあうつもりはないのだ。自分の置かれている状況が分からないほど愚かでもない。
「自分で頼んでみたら如何です?」
「やーよ。見たところ、お前さんとあの嬢ちゃんは知り合いなんだろ? 俺みたいな赤の他人が頼むよりもお前さんの方が確率が高い」
 軽口のつもりだったのだろうが、ガウェスにとっては心臓を鷲掴みにされるほどの衝撃であった。ジッと二人を見つめ平静を装うが鼓動は火事が起きた際の鐘よりも早く脈打っていた。
「シャボーの砂漠に落とした針を見付け出せるくらいの可能性ですよ?」
「それでもゼロよりはマシさ」
 短くなった煙草を足で踏みつけると横からではなく、今度は真っ直ぐとガウェスを見据えた。この時、初めて男の瞳が黒ではなく焦げ茶色をしているのに気が付いた。
「さぁてそろそろ行こうじゃないの?」
 傭兵がガウェスにこそりと耳打ちをした。このような場所に長居はしたくないだろう。後ろで武器を弄っていた男も同じ気持ちなのだろう。背中に視線を感じる。お二人共と一声かけて視線で合図を送れば、ガウェスの意図をくみ取ったであろう。黒衣の少女はこくりと首を立てに振った。
 その時だ。この場にいる全員に纏わり付いていた空気が変わった。巨大な蛇に巻き付かれているような雰囲気から、神聖な儀式を執り行う、重く冷え冷えとした雰囲気へ。再びりぃんと張り詰められた緊張感が一帯を覆いガウェスの顔を冷や汗が頬を伝う。忘れもしないだろう。鼻をつまみたくなるような死臭を撒き散らしながら近付いてくる醜悪なる化生の存在を。ごくりと生唾を飲んだのは期待ではなく緊張。十の瞳がガウェス達が通ってきた通路に集中する。未だ正体が現さないソレに対し、ついにガウェスと傭兵二人が持っていた銃のセーフティが外された。目を離さずしゃんと立ちあがったハイルヴィヒにスヴェトラーナは思わず口を開きかけたが、ハイルヴィヒの人差し指がそれを阻止する。そしてすぐに離された指の感触に浸る様に細く白い、透き通った指が唇を往復するが、女性の断末魔のような奇声に中断される。トリガーに指がかかる。銃口は迷いなく通路の出口に向けられ、松明に照らされた先端は黒く光る。ぬちゃ……ぬちゃ……と人ならざる者の足音が大きくなる。一歩、また一歩と近付く度に咀嚼音のような音が反響し、一層不快感が募らせる。松明の炎が揺らめき陽炎を映した時、ついに姿を現した。傭兵二人からは「なんだ」と困惑が洩れ、スヴェトラーナはその醜悪な姿に目を伏せた。ハイルヴィヒは眉をひそめ、ガウェスは苦しそうに顔を歪める。彼の青い瞳に映ったソレは真っ赤な鮮血に濡れた対峙した女型のレゥノーラに他ならなかった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.147 )
日時: 2018/04/22 04:53
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 切り裂かれた右肩を曝しながら、ジャリルファハドはぼんやりと囲いの向こう側を見据えていた。傍らのミュラは腕に彫られた刺青をまじまじと見つめているのだが、そんな彼女の様子など全く気にも掛からず、ただただソーニアの状態だけが気がかりだった。彼女の負傷は勿論ながら、その身に起きた異変はあまりにも異常であるからだ。あの深く鮮やかな深緑の瞳が何故、血のように赤黒く染まり、光りに過敏な反応を示すようになってしまったのだろうか、と気掛かりで仕方がないのだ。
「……傷、痛いのか?」
「そういう訳ではない。……少しソーニアが気掛かりでな」
 彼女を診ているのは己が同胞である人物である。彼の腕は確かだが、理解に及ばない物を見た時、どんな反応をするか分からず、匙を投げてしまう可能性もあった。それがジャリルファハドの不安だった。このままソーニアの目が治らず、原因も分からず終いとなった場合、その先の彼女の人生は光を忌諱し、薄闇の中でしか過ごせない物になるだろう。そんな可能性があると思えば、サチの武門の兵である己が居ながら彼女に傷を負わせてしまったという事実に居た堪れず、拳を握り締めた。
「おい、ファハド。良いか」
 仕切りの向こう側から顔を覗かせた男が呼ぶ。立ち上がった時、右肩から血が伝い床に滴るもそれを気にする様子もなく、呼ばれるがままジャリルファハドは歩んでいく。何故か彼の足取りは重く見え、ミュラは小首を傾げていた。
「俺にはさっぱり分からん。強い光が入ると全く見えんそうだ。少しでも暗ければ問題はないようだが……理屈も分からんよ、そもそも俺が診れるのは外傷だけだ、傷がない物をどうやって調べろってんだ」
「……傷の手当てはきちんとしてくれたんだろう?」
「えぇ、それはしっかりしてもらったわ」
 口を挟んできたソーニアを一瞥すると、彼女は光を忌憚するように目を閉じていた。額に当てられた綿紗は傷をすっかり覆い隠しており、その生々しいであろう傷跡を曝そうとしない。
「肩も動くわ。入れてもらったから」
「見よう見真似の整復だったが、案外上手くいったみたいでな」
「ルトよ、随分といい加減な事をしてくれたな」
 そう彼を戒めるも、ジャリルファハドは内心感謝の意を唱えていた。感謝の言葉は誰の耳に届く事もない。だが、しかし。ルトと呼ばれた男は苦言を受け止めながらも、その感謝を汲み取ったようで満足気に笑っていた。
「まぁ、座れ」
ジャリルファハドに座るようにと促し、彼を無理矢理に座らせると笑みが突然、意地の悪い物に変わっていく。昔からこういう男だった、と何処となくジャリルファハドは遠い目で彼を見ながら苦笑いを浮かべている。
「おい、ミュラとかって奴。ちょっと来い! ソーニアを連れて行け!」
 大声で呼ばれミュラは少しだけ慌てた様子の足音が聞こえた後、仕切りの際から顔を覗かせた。連れて行け、とルトが顎で指図するとそれに応じ、小さく頷きながらソーニアの手を引く。彼女はミュラへと侘びながらであったが、何時も通りの笑みを湛えていた。あくまでも目以外は問題ないと言葉なくして主張しているようだ。
「おい。ハヤが悪さを働いたなら詫びておこう、悪気はないんだ。許してくれ」
 "ハヤ"という名を聞いた時、一瞬だけミュラの顔付きが強張り、身動ぎをして彼をじっと見つめていたが、はと我に帰ったようにそそくさと仕切りの中から出て行ってしまった。その背を見送りながら、ジャリルファハドは薄っすらと笑っていた。
「図星のようだな。ハヤには会わせたくなかったが、仕方あるまいよ。上にはレゥノーラが居たのだから、アイツを一人で行かせる訳にはいかなかった」
「死ぬよりマシってもんさ。ミュラもハヤに引っ張られなくて良かったじゃないか。近頃は第二のアサドになりつつある。いや、アサドより悪い。だが、俺には諌められないのさ。ハヤの言う事はセノールの悲願だ、否定出来る身じゃないんだ。俺とてアゥルトゥラを殺してやりたい。……縫うぞ」
 雑談を交えながら、縫合の準備を終えたのかルトは傷を縫い出すのだった。尋常ざる痛みが走る物の僅かに表情を歪めるだけに留め、深呼吸をしてから再び口を開く。
「お前はハイドナーの兵の死に顔を整え、手当てしてやっていたと聞く。それは本心かね」
「あぁ、本心さ。アゥルトゥラを殺してやりたい、そして救える限りの人間は救う。どっちもな」
 二律背反するような言葉を吐く、ルトの真意を推し量る事は出来ず、ジャリルファハドは口を閉ざすも、何針か縫い進めていくとやはり痛みを耐え切れないようで再び口を開いていた。
「……アサドはどうした」
「あぁ、あいつ? ちょっと用事だってボリーシェゴルノスクに行ってるぜ」
「それは何処だ?」
「此処から少し北の街だ。そうか、お前が知る訳ないよな。要衝でもない、強いて言うなら運河に接してる程度の話だぜ。まぁ、クルツェスカの衛星都市ってところだな」
 何をしに行ったのだろうか、と思案するもそれは痛みに阻害され、ジャリルファハドは溜息を吐きながら目を閉じ、左の拳を握り締めるのだった。




 運河に運び込まれているであろう資材を眺めながら、バシラアサドは煙草の煙を吐いた。紫煙は運河を走る風に吹かれ、その形をあと吐く間もなく失ってしまう。それはまるでこの街の行く末を示しているかのようだった。傍らには護衛としてバッヒアナミルの姿があり、彼は未だに僅か痛む右胸の傷跡を擦りながら、堪える冬の寒さに顔を顰めていた。
「アサド、寒いです。入りましょう」
「……そうするか」
 彼女の視線の先には資材運搬用の引揚船台が築かれており、そこに乗せられた三隻の船があった。錆び、朽ち掛けている船であるが未だにしっかりと走る事が出来る。機関の音が少しだけ喧しい程度の話だ。あの船にも来る時には働いてもらわねば成らない、と小さく笑みを浮かべて煙草を投げ捨てるのであった。
「この街は良い、血の匂いも、戦の匂いもしない」
「振りまいているのはアサドじゃないですか。此処も何れはそうなる。……俺だって手伝いますよ」
「傷を癒してからの話だ。余り不調を悟られぬようにな。お前が張子の虎では困る」
 半年以上前に負わされた右胸の傷は未だに癒えず、膿み僅かに熱を帯びていた。身を翻せば身体は強張り、容易く傷が開いてしまう。だとしても、ジャッバールにはナッサルの虎が居るという事を主張して置かなければならない。多くはルーイットとシャーヒンを恐れる事だろう、それでは足らず彼等に匹敵し得る兵は多ければ多いほど良い。例え傷を負い、病んでいたとしてもだ。今は戦うでなく、戦わずして相手を黙らせるという云わば抑止力が必要な時である。
「寒い……傷に障ります」
「私を守れない程にか」
 そうやって煽ると彼は侮るなと言わんばかりに、目を見開きバシラアサドを一瞥する。
「……全く、失礼ですね。ベケトフの犬くらい、ちょーっと噛んで殺しますとも。その位は……簡単です」
「そうか、気を抜くなよ」
「えぇ、勿論です」
 バッヒアナミルの言う通りだとしても慢心は出来ない。既に放たれたハサンの兵は彼等の屋敷を取り囲み、動向を探っているのだ。令嬢とその護衛の不在、残るは当主と一人の青年のみ。歯牙にも掛けるまでもない。何故、こうして護衛を付け、多くの密偵を放っているかといえば、これからそのベケトフの屋敷へと赴くからである。埋め込まれた櫟の種は恐るべき早さで芽を出し、何時の間にか毒を撒き散らすようになってしまった。種を砕き、枝をばら撒くべく獅子は歩みを進めているのだ。
「尤も番犬も留守だがな」
 そうバッヒアナミルを揶揄すると彼はどこかほっとしたような表情を見せ、また右胸の傷を気にするようにして擦っていた。余程この寒さが堪えるのだろうか、どこか気の毒な思いを持ちながら彼を見つめていると「大丈夫です」とにこやかに笑みを浮かべながら、気丈に振舞っているのだった。仕方あるまい、ベケトフが事を構えるというのならば自分で当主を討たざる得ないだろう。懐に収めた固定式の回転式拳銃に触れながら、大路の奥に佇むベケトフの屋敷を見据えるのだった。

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