複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.98 )
日時: 2017/07/11 00:42
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 憲兵達は既に屋敷から去り、普段よりも静かになった廊下をランバートは早足で進む。彼の騎士は傷の痛みに耐えながら自室で大人しくしているのだろうと見当をつけ一階の東棟へと向かう。ノックも無しに勢いよく開け放たれた扉の向こうには物言わぬ暗闇がグワングワンと大口を開けて待ち構えているのみである。最初は寝ているのかと思わず拍子抜けた。しかし、明かりを灯して部屋の全体を見回してもガウェスの姿は無い。たまたま通りかかった傭兵にガウェスの居場所を問えばぶっきらぼうに「医務室にいる」と答えそのまま歩いて行ってしまう。やはり纏う空気がひり付いている。屋敷の中だというのに利き手が拳銃のグリップを握っていた。男の背を見送り、ランバートは再び歩き出す。彼が与えられた部屋ではなく医務室にいたのは包帯の交換をするためだろう。薄汚れた包帯が床の上で蜷局を巻くように捨て置かれ、代わりに彼の手には真新しい包帯がしっかりと握られている。ズケズケと無遠慮に入ってくる男に呆気にとられ口をポカンと開けていたが、女の色香を纏わせて帰って来たランバートに対しては決していい顔をしなかった。まるで姑の説教のように、グチグチと自身の恋愛観を語るガウェスに対し、最初は軽く受け流していたランバートも五分間言われ続ければうっとおしいと感じてきた。堪忍袋の緒がプッツンと切れて「だからお前はいつまでも経っても童貞なのだ」と厭味ったらしく薄笑いを浮かべて煽ってやれば、熟れた林檎のように顔を赤くして不義を早口で捲し立ててきた。こうもすぐにかっかしては生き辛かろうと半ば憐憫の視線を向けつつも、壊れた蓄音機のようにギーギーと喚き立てる男は耳障りである。黙れという意味を込めて包帯を奪いきつく締めつけてやればカエルが潰れた様な声を上げて大人しくなった。恨めしそうに睨みつけたところでランバートには痛くも痒くもない。むしろ、そこら辺を歩いている下女に「嫌いだ」と言われた方が、よほどこの男は傷つくのだ。先程とは違うニヤニヤと意地の悪い笑みを一つ浮かべ、次はどんなことをしてやろうかと考え始めたその時だ。ランバートの元に一人の男が慌ただしく飛び込んで来た。彼には見覚えがある。昨夜、憲兵を振りきったあと一度屋敷に戻り、ジャリルファハドを尾行し、何があったのか伝えるように頼んだ男の一人である。手酷く転んだのだろう、ズボンの膝の部分に穴が開き、そこから覗く足には血がこびりついている。他の二人はどうした、何があったのかを問うても、男は答えず埒が明かない。仕方なしランバートが「ここで言わないのならば言わせるように仕向けるぞ」と銃を突き付けて脅せば、震える声で「娼婦に連れられジャッバールの敷地に行った」と白状した。ガウェスは目を丸くひん剥き、呆れてモノも言えぬとランバート。帰ってきたことを僥倖ととるべきか災難と取るべきか。恐らくは前者だ。ジャッバールの敷地に入り五体満足で帰ってこられたのだから。それともわざと逃がしたのか。消えた二人の安否を訊いても男は首を横にふるばかり。あれほど尾行はバレないように、深追いはしない様にと念を押したはずであった。「馬鹿な奴らだ」と言葉を吐き捨てどうするべきかと頭を回転させる。ここが戦場ならば、真っ先に見捨てていたものの、今の状況でそんなことをすれば離反者が出るのは確実。それだけは何があっても避けねばならない。しかし現実は非情である。追い打ちをかけるように男は「ジャリルファハドがジャッバールの屋敷から出てきた」と空気に溶けてしまいそうなほど小さい声で伝えてきたのだ。ランバートの整えられた眉がピクリと動く。これで確信できた。ジャッバールとガリプは何らかの繋がりを持っていると。ガウェスも傷の痛みではない別の意味でその顔を歪ませる。よもや自分たち取引相手が手引きしていたなど予想もしていなかったのだろう。肩を震わせる男を横目にランバートは慰めることはせず、一旦自室に戻り淡々と手紙を書き連ねる。そして手早く書き上げた手紙を控えていた男へ。くれぐれも用心するようにと今度はしっかりと念を押し送り出す。走り去る姿を悠長に見送る時間はない。内容は捕虜の解放と和平交渉。もっとも和平交渉という名の敗北宣言に等しいものであるが、それをわざわざガウェスには言う必要はない。言ったら最後、彼は最後まで抵抗するべきだと声をあげることだろう。阿片を流していた極悪人との和解など小指も爪ほども望んではいないはずなのだから。出来ることなら完膚なきまでに叩き潰してやりたいと思っているはずだ。しかしそれでも声を上げて反対しないのはそれは出来ないと、自分ではもう何もしてやれないと悟ってしまったからだ。そして、皆の平穏を崩した罪悪感が鎖となってキュウキュウと胸を締め付けてくるのだ。故、戻って来たランバートに対し何か言いたげな表情をしていたが、口出しはせずに目を伏せて空色の瞳を揺らすのみだった。
「俺が帰って来たらすぐに出かけるぜ。準備しとけよ」
 必要最低限のみを伝え一切の質問も受け付けることはない。この様に馬鹿が付くほど生真面目な男は説得させるまで時間がかかると踏んだのだ。ランバートが椅子の背にかけてあったジャケットを取り腕を通す。女物の香水の匂いは既に消えて、代わりに消毒液の臭いがスゥと鼻を掠めた。嫌いな臭いであると、ランバートは思わず顔を顰めたのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.99 )
日時: 2017/08/01 02:14
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 突然の来訪であったが、彼らは快く受け入れてくれた。いや、快く受け入れてくれたのは、当主である男のみで、彼の雇う傭兵は、ランバートが来たと知るやいなや苦虫を噛み潰したように顔を歪ませた。応接間まで案内した金髪の青年に至っては「礼儀がなってないんじゃないですかぁ?」と意地の悪い笑みを浮かべて非難の言葉を投げかける。おそらく、彼は知っているのだろう、ハイドナーで何があったのか、何が目的でこんな時間にここまで来たのかを。三人掛けのソファーを一人で座るのは些か物悲しく思うものの、共に座る者はいない。先程の男は彼はここまで送り届けるとそそくさと部屋を出て行ってしまったし、馭者も外で暇を持て余していることだろう。ここで秀麗な女性が登場すれば、彼のモチベーションは上がったのだろうが、彼の期待を裏切り現れたのはニコニコと人の好さそうな笑みを浮かべるユスチン・ヴェニアミノヴィチ・ベケトフである。
 さて、人の良さそうな顔をした狐が何を思っているのかなど傭兵風情が知る由もあるまい。目の前の初老の男性はただただ柔和に微笑むのみで悪意の欠片も見当たらない。概ね、日向ぼっこが似あう好々爺である。こんな隙だらけの人物が当主で大丈夫なのかとと一抹の不安がを覚えつつ、湯気が立っている紅茶を啜る。時計の短針は十一と十二の間を指し、長針はカチリと音を立てて決められた盤の上を進んでいく。
「こんな真夜中に来るからねー、僕びっくりしちゃったよ」
 最初に沈黙を破ったのはユスチンである。角砂糖を一つ摘まんで紅茶の中に落とし、スプーンでクルクルとかき混ぜて一口。もろもろの所作に一切の音を立てないあたり、彼の育ちの良さが滲み出ていると言っていいだろう。
「悪いな。手紙を出す暇もなかったんだ」
「いいよいいよ。全然気にしてないから。それよりも用件はなに?」
「お気遣い痛みいるよ、ユスチン殿。……単刀直入に言わせてもらう。力を貸してほしい」
「えー、やだ」
 友達の誘いを断るように、羽毛のように軽く彼は否定の言葉を言ってのけた。ランバートが眉を顰めたのもどこ吹く風か、まったく気にしていない。ティースプーンをソーサーの上に置いて、焼き菓子を一つ手に取った。
「君達が今、大変なことになってるのは知ってるし、うちも友達の誼として助けてあげたいんだけどねぇ。うーん、そうだねぇ。僕達には直接関係ないからさ。だから別に良いかなぁって。それに僕以外にもいるでしょ?ハイドナーだもん」
「ハイドナーだもん」の部分が強調されていたのは聞き間違いではあるまい。確かに、『今までの』ハイドナーならばわざわざベケトフに出向かなくてとも別の貴族連中に助けてもらえたであろう。しかし本邸が襲撃され多数の死傷者をだし、ご隠居が殺害された現在ならばどうか。ハイドナーが他国の貴族に喧嘩を売った、パンドラの匣をあけたのだの、彼らの狭いコミュニティで様々な憶測が飛び交う事態となった。挙句には取引を行っていた貴族やブルジョワ連中からもハイドナー排斥の動きが登場しつつあるのだから、彼らの手のひら返しにはある意味で舌を巻く結果となった。
「一応聞いておくけどさ、力を貸すって何をすればいいの?」
「和平交渉の仲介役を頼みたい。というか、こっちをうまーく弁護してもらいたいんだ。このまま行ったら一族全員馘首される可能性すらある」
「何をやらかしたの?」
「知ってるくせに」
「じゃあ相手は?」
「ジャッバール」
 その名前を聞いたとき、ユスチンの顔が明らかに曇った。この時ばかりは心臓がドキリと跳ねた。彼はセノールが嫌いだったかと。人種で人を差別するような矮小な人柄だったのかと。それであった場合、今回の交渉は間違いなく失敗で終わる。そしてそれはハイドナーの破滅を意味しているのだ。緊張した面持ちで次の言葉を待つ。
「あー、やだ。なんか嫌な予感がするんだよね、あの人達。血生臭いし、彼らってさ乱暴に見えない? いやね、セノール全体を言っているんじゃないんだけどさぁ」
「まぁ、あながち間違いじゃねぇがな」
 人種的な嫌悪感ではないと知り安堵した。それならまだ蜘蛛の糸ほどの細い活路がある。
「そもそもさ、君達を助けて何かいいことがあるの?」
 こてんと首を傾げる様は幼さ気であざとくも見える。だがその双眸は氷のように冷たく輝き、温度差に身震いしてしまいそうだった。豹変したのではない、本来のユスチン・ヴェニアミノヴィチ・ベケトフとはこういう男なのだ。情に流されることなく自らの利益追求が出来る。幼い口調の裏に隠された合理性と淡泊な一面が時々このように顔を出す。だから読めぬ、だから恐ろしいのだ。ハイドナーが役に立たないと悟られた時、彼は情け容赦なくハイドナーを切り捨てるだろう。足りない頭を回転させて言葉を練り上げる。そして耳打ちをするかのように小さな声でこう、切り出すのだ。
「お前さんのご先祖様が残した魔法や錬金術の技術資料、返してほしいって思わないか?」
 その時、指が動いた。ピクリと、ほんのわずかに。「しめた!!」ランバートが更に追い打ちをかける。
「俺達が取ってきてやるよ。いや、俺が行くわけじゃないよ。お使いはあいつの仕事だがね、もちろん俺が行ったっていいんだぜ。それは任せる。そんで取って来たブツをベケトフに渡す。全部俺達がやる。お前さんは兵を動かさせずただ待って入ればいい。どうだ?」
「どこにあるのか知ってるの? 僕でも分からないのに?」
「おいおいおい、嘘つくなよベケトフ殿。それならなんでお前さんはハイルヴィヒを廓に行かせたんだ?」
 何でもない顔で紅茶を飲み、ティーカップを再びソーサーの上に。だが、今度はカチンと音を立てた。
「分かってたんだ」
「ああ、今の反応で確証が持てた」
「イジワル!!」
「考えてもみろよ。土木仕切ってる連中がいきなりレゥノーラ退治に行こうなんておかしいだろ。うちの馬鹿当主は何にも思わなかったようだがな」
 ガウェスと云う男はあまり人を疑わない。気を許した相手には特にそのきらいがある。愚かしい男だとランバートを思っている。気を許した相手だからこそ、何を考えているのか見定める必要があるだろうに。
「中身見られるかもしれないじゃないか」
「俺もガウェスもヴィムートの文字は読めねぇよ」
「それに絶対出来るってわけじゃないでしょ。駄目だった時はどうするの?」
「もちろん前金ならあるぜ、当然」
 ランバートがバッグから取り出してきたのは聖書と見間違うほどの厚さと大きさを誇る一冊の本であった。モロッコ革の上品なワインレッドの下地に花の模様になるよう緻密に装飾された金箔が眩しい。妙に装飾が古めかしいソレが何なのかタイトルを読もうにも、ミミズがのたうち回ったかようなウネウネした文字が書かれているだけで読めない。アゥルトゥラでもヴィムートでもセノールの文字でもない。だが、ユスチンはその文字に見覚えがあった。ロトスが存命の頃、ハイドナー邸へ(アポなしで)遊びに行った時のことだ。ロトスのの書斎に通された彼はお手洗いで席を外している隙にほんの出来心で本棚から何冊か引っ張り出し、順番をぐちゃぐちゃにして戻した。その中にあった一冊がこれだったのだ。しつこく聞いても内容は教えてもらえなかったが、言語だけは憮然とした表情でザヴィアとだけ教えてくれた。ザヴィアとは、ハイドナー以前にクルツェスカを治めていた一族である。ある事件から平民だったハイドナーを取り立て、騎士としての地位を与えハイドナーの基礎を築きあげた。そして最後は取り立てた者達によって土地を追われることになった哀れな一族。それがザヴィアである。
「ここに来る前に本家サマの屋敷からかっぱらってきたザヴィアについての資料だ。魔具の作成方法から錬金術、レゥノーラ、カンクェノ、果てはアゥルトゥラの地形についての特徴まで事細かに説明されている。たぶんあんたが一番興味を惹かれるのは魂についての研究だと思うんだが、どうかね?このことは誰にも言ってない。ガウェス卿にもだ。俺達二人だけの秘密だ」
 ランバートから受け取るとパラパラパラと捲っていく。先程までのふざけた様子はない。麗らかな春の兆しのような優しさは形を潜め、その目に宿すのは肌を切り裂くような鋭利さのみである。一通り目を通し終わるとフゥと小さく息を吐いて仏頂面でランバートにズイッと本を押し返した。
「僕、ザヴィアの文字は読めないよ?」
「俺は読める。翻訳した文書を送ろう。所持しているって証拠を見せたかった」
「ほんとに送ってくれるの?」
「交渉で嘘つくほど馬鹿じゃねえよ。俺はな」
 ニヒルにランバートが笑う。「さてどうする?」とユスチンの返事を促し、チョコレートを口に放り込む。一方でユスチンはどうするべきかと頭を悩ませている。顎を撫でる長い指はスルリと白魚のように美しい。恐らく人を殺したことはおろか撃ったことすらないのだと、ランバートは推測する。危ない橋は渡らず、運河のインフラ整備工事のみでここまでやって来たのだ。その手腕は賞賛せざるを得ない。だからこそ、今回の話し合いには彼を同席させたいのだ。
「……分かった。今回だけは君達に協力してあげる。その代わりに一つだけ。どうして君はザヴィア文字が読めるの?」  
 ザヴィア文字の読み書きはハイドナー本家を継ぐ者にしか教えられない。ランバートにも本家筋の血は濃く流れているが、あくまでも親戚間の中ではだ。ガウェスが生きている限り、どう足掻いても本家を名乗ることも継ぐことも不可能である。
「さぁな、俺にもよく分からん。悪いがベケトフ殿、御出立の準備をお願いしたい」
「意地悪だなぁ」と拗ねた素振りをしてみるものの、ランバートは捲れそうなほど薄い笑顔を作るのみ。まだ、彼に教えるつもりはないのだ。聞き出すのを諦めて席を立つ。出ていく寸前に「ケチ!」と捨て台詞も忘れない。ユスチンが部屋から出ていくのを確認すると、表情が一気に崩れ去り、テーブルに突っ伏した。出来る限りのことはやった。後は己が力量と運に身を任せるのみ。時計の長針と短針が十二の上で交わろうとしている。そうだ、時は知らぬ間に、しかし、確実に刻まれ続けていくのだ。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.100 )
日時: 2017/07/26 18:56
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 机に肘を付き額を抑えたままバシラアサドは手紙を折っていた。灰皿に置かれたままの煙草からは煙が一筋だけ立ち上る。ぼんやりとした様子の彼女はそれとなく、煙を目で追っていたが、突然はっと気付いたように煙草を再び、口元へと運ぶとそれほど間を置かず、煙を吐き出すのであった。煙は少しずつ薄れ、僅か青みがかったその姿は遂に消えてゆく。それを見届けるなり、彼女は深々と椅子に座り込んで胸の前で腕を組み、物思いに耽るように瞳を閉じるのであった。
 クルツェスカの利権に座す貴族、ハイドナーの投降。それは予想外な出来事だったのだ。彼等はほんの少し小突かれた事が気に入らないと、滅ぶまで徹底的に戦ってくると思っていたのだ。それが投降したともなれば、戦に生きる武門の一員である以上、彼等は張り合いのない雑多な敵であるように思えてしまう。尤も直前まで戦っていたのはナヴァロであり、ハイドナーと比べてしまうのはナヴァロに失礼である。彼等のように近代的な装備を揃え、兵站を整え、準軍備組織のような立ち振る舞いをする傭兵は見た事も聞いた事もない。ハイドナーにはそれが出来ないのだ、騎士という時代遅れな代物、またそれらが守る掟に縛られている内はだ。
 今のハイドナーは吹けば消し飛んでしまうような物ではある。投降したともなれば無理に潰す必要はないのだが、後の禍根を断つために二度と立ち向かえなくする必要はあるだろう。莫大な賠償金は勿論の事、彼等に対する監視を強める必要もある。姦計は仕掛けるに容易く、一度仕掛けたならば標的が死ぬまでまとわり付く物出なければならない。これは必ず成る物だ。何故ならば彼等は敗者であり敗者に拒否の権利はないからだ。拒否したならば和平は御破算。次の一手で一族郎党、老いも若いも、男も女も関係なく全て死んでもらうだけなのだ。それはキールも例外ではなく、彼から告げられていた仲介役のベケトフとて例外ではない。
 万事問題はないと己に言聞かせるように、ゆっくりと煙を吐き出すとバシラアサドは煙草の火を消した。閉じられた鎧戸の向こうでは既に陽が天高く上っている事だろう。前日の雨のせいか厭に蒸し、アゥルトゥラ特有のじとついた不快な暑さに苛まれる。
「……暑い」
 もう何年もクルツェスカに住んではいるが、この砂漠と違った暑さにだけは馴れる事はない。少しだけ胸元を開け、襟を掴んで扇ぎ風を送っている。昨今流された血もこの湿気に含まれているのだろうと考えるなら、これは自業自得かと渇いた自嘲するような笑みが浮かび上がる。
 陽の当たらない薄暗がりの中、青い瞳が陽の当たる廊下を見つめている。あの陽はこの暑さの原因である。夕暮れまでの辛抱だと諦観したような瞳が望むのは、西に沈む真っ赤な太陽。そして夜の帳であった。



 返書は既にクルツェスカを走っている事だろう。雨に濡れた石畳を抜け、屍の眠る土の上を駆け、ある一族の喉元を穿とうとする弓の矢の如き速さでだ。返書を預かったのはハサンの兵であり、彼等は音すらなく、姿すら見せる事もないに違いない。彼等はすぐに返ってきたある種の死刑宣告に何を思う事であろうか。首の皮が一枚繋がった事に喜びを得るだろうか。それとも敗者の身の程に合わない贅沢を望み、虐げられる事実を受け入れられず反攻するのだろうか。どう転んでもバシラアサドからしてみたら愉悦以外の何者でもない。驕り、高ぶり既得権益に座した彼等をよく思わなかった者達も存在し、ハイドナーの斜陽はクルツェスカの勢力図を大きく書き換えた。それもこの短期間にだ。本家の私兵の殆どを討ち取り、隠居の首を取り、当主は負傷するに至った。彼等を支持する理由は既に無く、巻き添えを危惧した者達は離れ始めている。まさか、正義ぶった当主自らの手で、アゥルトゥラ東部への弱化工作への布石を打ってしまうとは思いもしなかっただろう。
 悪い笑みが浮かび上がったその時、開け放たれたままの扉に鱗に覆われた巨大な手が掛かり、ルーイットが姿を現す。その足元には同じような姿の少女が紫の花束を片手にバシラアサドを見据えていた。
「ただいま」
 少女が穏やかに笑みを浮かべながらバシラアサドへと駆け寄り、その手に持っていた花を押し付けるようにして手渡してきた。紫の花を二十本ばかり。可愛らしい、小さな花弁であったが本数が本数であるためバシラアサドの目には立派な花束に見えている。
「花瓶の花も萎れてきちゃったから、これ」
 少女の視線の先には草臥れた白い花。
「そうだね。……ありがとう」
 白金の髪に褐色の手が埋もれ、何度か髪を往復している。先程浮かべていた宛ら地獄の軍団長のような悪辣な笑みは何処に消えた事か。扉に手を掛け、寄りかかっているルーイットも似つかわしくない、穏やかな笑みを浮かべている。そこに血と暴力、姦計を好む俗悪な本性は全く見られない。
「レーヴァ、手洗って飯にして来い。冷めたら不味いぞ」
「あ、うん。母さん、これ花活けといてよ! また来るから!」
 レーヴァと呼ばれた少女はバシラアサドにそう言い付けるなり、ぱたぱたと足音を立てて巨躯の男の脇を抜けて、その姿が見えなくなってしまった。それを見届けるなりルーイットの手で扉は閉じられ、鍵まで掛けられた。
「……騎士道、復讐、栄光か。あの子も随分と皮肉なものを」
 レーヴァが手渡してきた花。その花言葉をぼそりぼそりと呟きながら、バシラアサドは温くなって汗をかいた水差しを片手に花瓶の元へと発つ。元あった花の首に手を掛け、手折り残った茎の部分を摘み上げて弄ぶようにして窓から放り投げてしまった。音もなく風に吹かれ、何処かへと消えた花のそれは吹かれて死んでしまうハイドナーの未来を現しているかのようだった。
 紫の花を花瓶に差し、水差しから水を注げば、水差しはすっかり軽くなってしまう。水差しから花瓶に水が移ったように流れに従い、彼等が維持できなくなった利権へ、その変わりに自らが入ろう。騎士道を謳う花は復讐に遭い、栄光を逃してしまうのだ。
「それ毒花だぜ。綺麗なんだけどな」
「知っているし、前に使った」
 いつの間にかソファに腰掛、ふんぞり返っているルーイットがそう語る。口にする事で毒を貰い、いとも容易く人を死に至らしめる毒花である。バシラアサドもクルツェスカの東側で自生している姿を見た事があった。それどころか、この花の乾燥粉末を敵対する商人に盛った事すらあった。口から泡を吹き、醜く痙攣したかと思えば、泡に血を混じらせ事切れていた姿を思い出す。
「今回は随分と遠くまで行っていたのか」
 ルーイットは暇を見つけては、レーヴァを連れ立って彼方此方に散歩と称した小旅行に行ってしまう。馬に着替えと路銀だけを積み、ふらっと居なくなってしまうため、最初の頃はバシラアサドも心配をしていたのだが、今となっては慣れてしまった。
「子供に血の匂いを嗅がせたくはないからな。"こうなっちまう"」
 そう自嘲気味に嗤うルーイットを見る事もなく、呆れたように鼻で嗤うとバシラアサドは机の上に水差しを置いて、紫の花を一瞥した後に元居た椅子へと腰を下ろした。間髪入れずに机に肘を付く。厭に据わった青い瞳はルーイットを黙ったまま見据えている。二人の視線が物の数秒絡むもバツが悪くなったのか、ルーイットは紫の花へと視線をそらした。
「アイツ、あれをどうしても取りたいって言ってな。漸く我侭を言うようになったんだぜ」
「もう少し大人を頼ってくれれば良いのだがな。こんな大人でも子一人の我侭くらい叶えられるというに」
「俺達みたいなろくでもない大人は怖いから嫌だってさ」
「そうか、それは困ったな……」
 互いに他愛もない話をして、少しだけ表情が緩む。不思議と表情の緩みと共に辺りに漂う空気も緩み、熱を取り戻したように感じられた。しかし、それも長く続かずバシラアサドが一つ溜息を吐くと再び空気は凍て付き、柔らかさを失ったようだった。
「明日の正午、ハイドナーが許しを請いに来る。同席してくれよう?」
「お。そうかい、そうかい。良いぜ。あのお坊ちゃんはどんな顔してんだろうなぁ」
 凍て付いた空気の中、さぞ面白そうだと言わんばかりの表情でルーイットは了承の意を唱えた。ジャッバールの護衛で囲み、ハイドナー方の護衛は一切入れない。条件が飲めなければ殺す、飲まざる得ない状況を作るためには、ルーイットの力も必要である。断れば肉の塊になってもらうだけだ。
「飴を取り上げられて拗ねた子供だ」
「そいつは良いな。味はなんだった?」
「鈍り呆ける蜜の味よ」
 軽口を叩き合い、顔を見合わせて笑っているのだが両者の間には筆舌し難い悪辣な思いと他者を害そうとする悪意しか存在し得ず、それらが人の心という器に収まりきらず、行き場を失った結果、笑みに化け、成り代わっているだけに過ぎない。
 悪意の巣の中、獅子と大蛇は青と黄の瞳をぎらつかせながら、巣穴に被食者達が来るのを待ち構えているのだ。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.101 )
日時: 2017/08/01 03:34
名前: ポテト侍@スマホ ◆jrlc6Uq2fQ

 暁光が輝くには早い時間であった。その傭兵は元々青かった顔を更に青白く染めて届けられた手紙をガウェスへと差し出した。伸ばされた手は震えており、それが中毒症状によるものか恐れからくるものなのかガウェスには見当もつかない。手紙を受け取ると伸ばされていた手は亀の頭のようにすぐに引っ込められてすぐにポケットへ。ちらりと視線を落とせば手には酒瓶を持っているのを見て取れた。
 ふとガウェスは、ジャッバールに手紙を届けた傭兵はどこにいるのかを問うた。すると、男は「知らない」と言った。ならば「手紙を届けたのは誰だ」とまた問うた。男はまた「知らない」と言った。その時ガウェスは、いいようのない不安のみが漠然と胸に内に広がっていくのを感じた。これ以上は聞いてはいけないと警鐘を鳴らすように心臓だけがバクバクと高鳴り、言葉が一瞬詰まる。しかし、ここでやめるのも決まりが悪いのも事実。忠告を無視して男に続きを促す。彼が言うには手紙の届け主は一切姿を見せず、気配すらなかった。そして気が付けば正門の近くに手紙のみが置いてあったという。その話を聞いたとき、蛞蝓が背中を這いあがるような悪寒と悍ましさを感じずにはいられなかった。恐らく 、彼は返書の配達のみを頼まれここまで来たのだろう。ハイドナーの当主を殺せと命を受けていたならば、知らぬ間に忍び寄る夕闇の如く、または立ち塞がる者を喰らう暴虐の徒として、どちらにしても眼前まで迫ってきたことであろう。身動ぎ一つしないガウェスに声をかけた男はいい加減解放させろと抗議の色がありありと浮かんでいる。曖昧に微笑み「ご苦労様でした」と労いの言葉をかけて下げさせ、改めて手紙に目を通す。了解の意を伝える簡潔で事務的な内容であったとは言えど、流石はジャッバールである。返書は一日と待たずしてこちらへと送られてきた。取り急いで書いたとは思えぬ丁寧で能筆な文字には深い知性と共に彼らの余裕が窺え、しかしそれがガウェスの激情を煽ることとなった。朱が注がれたように顔を赤く染め、柳眉は吊り上がっている。これが屋敷を襲った仇敵からの贈り物だと考えるだけで腹わたが煮えくり返り、感情赴くままに破り捨ててしまいたがったが、そのようなことをすればランバートは黙っていまい。結局は桐の葉のように大きな手の中でぐしゃりと潰れるだけで済んだ。


 ランバートがユスチンを連れて帰って来たのは日が昇った頃、六時を回ったくらいだろうか。飛び込むように談話室に入って来たランバートはそのままソファーにゴロンと横になった。彼の目の下には以前にはなかった隈があった。生真面目な男から今までどうしていたのかと億劫な問いを立てられる前に「少し寝る」とだけ伝えてランバートは目を閉じてしまう。
 それから間髪空かずにやって来たユスチンは手を大きく振りながらやってきた。突然の来訪に驚きと同時に胸が熱くなる。亡き父と非常に懇意にしてもらった人物でガウェス自身、世話になった人物だ。最近は仕事が忙しくベケトフの屋敷へ出向くことは出来なかったが、それでも互いに顔を忘れるはずもない。張っていた糸がピンと切れて自然と笑顔が零れる。
「ユスチン殿」
「いやぁ〜、ランバート君と二人っきりなんて久しぶりでね、ついついお喋りしちゃったよ」
 アハハと照れ臭そうに笑う彼につられて、ガウェスも小さく声を出して笑う。夜通し彼の相手をしていた大男は小さく寝息を立てており、揺さぶっても起きる気配はなかった。むしろ、邪魔をするなと言わんばかりに足が飛んでくる。
「彼も疲れてるからねー。いいんだよ。こっちに座る」
 ガウェスを制し、暖炉の隣のルッキングチェアに「よいしょ」と言いながら腰掛ける。給仕から紅茶をもらい、こう切り出した。
「大変だったね、君のお家」
 眉尻を下げ労るようにゆっくりとした口調で話されれば、ガウェスの肩が大げさに揺れて目頭が熱くなる。そして、バツが悪そうに顔を逸らした。この事態を引き起こしたのは紛れなく自分。なんて申し開きをしたら良いのか分からない。
「気にすることはないよ、失敗は誰にでもあるんだから。まぁ、大小はあるんだろうけどね」
 ユスチンの言葉がじわりじわりと胸に染み込んでいく。許しがほしいわけではない。罰は謹んでうけるつもりだった。罵倒も非難も弁解せずに全て受け止めるつもりだった。しかしかけられたのは軽挙妄動を咎める言葉ではなく砂糖菓子のように甘く優しい言詞である。それが余計にガウェスの心を抉り取るのだ。
「何故、私を咎めないのですか」
「咎めてもどうにもならないでしょ。今は目の前の問題を考えて、君達への罰はそのあとでもいいでしょ」
「しかし」
「そうだぜ、ガウェス。お前はもっと反省しやがれ」
 いつの間にか起きていた男は上半身を起こしガウェスを睨んでいる。しかし、彼の目に涙を溜まっていることに気が付くと鼻で笑う。そして大きな欠伸を一回行い、ソファーから降りるとガウェスの手からジャッバールの手紙を引ったくる。文字を追う濃紺の瞳が忙しなく動く。時折、眉毛を顰められたのは見間違いではない。
「偽物ではないと思います」
「んなこと知ってるに決まってるだろ。馬鹿野郎」
 斯様なことをすればジャッバールが黙っているわけがない。自分達を名乗る愚か者共を徹底的に調べ上げ、本人だけではない、一族郎党血を流し冷たい地面に伏すことになるだろう。しかも今回のように大事にはせず、内密に、静かに事を済ませるであろう。
「末恐ろしい連中だよ、本当に」
 一通り読み終わるとぐちゃぐちゃの手紙を丁寧に伸ばし鞄の中へ。ガウェスも席を立つ。ただ、ユスチンだけは椅子に腰掛けたまま紅茶を啜っている。二人分の視線がユスチンに突き刺さる。
「まだ僕、紅茶飲み終わってないよ」
 頬を膨らますが、ランバートも譲らない。
「いけません。出発です」
「やだー、疲れたぁ! でも、紅茶は要らない、不味い」
 ティーカップとソーサーをズイッと押しつけられ断る暇も無かった。中身は半分近く残っており、ガウェスの動きに合わせて波紋を作る。指示を煽るようにランバートを見遣ると、彼は顎で厨房に行くように指示を出す。本来ならば給仕の仕事だが、近くにいないならば仕方ない。零れないようにゆっくりと部屋を後にする。彼の気配が完全に消えると柔和な笑顔は消えて代わりに揶揄う様な、嘲笑うかのような皮肉な笑みを浮かべていた。
「ちょっと純粋、というより単純すぎやしないかい?心配になってきちゃうよ」
「そう言ってやんなよ。苦労しているんだ、あいつはあいつなりに」
「だからってやっていいことと悪いことがあるでしょ? ほんと、身内には甘いよねぇ」
「ハイドナーの血だ。諦めてくれ。あと身内に甘いのはお前さんもだろ?」
 ランバートの問いに返答はなく「違うモン」と顔をプイと横に逸らされるのみだった。彼も彼で答える気が無いと分かれば「そうかい」と苦笑いを浮かべるのみでそれ以上は何も言わなかった。
 二人で黙っていると誰かが部屋に近づいていくる。それがガウェスであると気が付いたのは、二人がいる部屋の前で足音がピタリと止み、代わりにノックが三回なされた為だ。彼が戻ってくるということは即ち、僅かな護衛と共にジャッバールへと出向くことを意味する。ユスチンを視線のみで促せば一瞬不満そうに顔を顰めるものの、交渉の余地なしと判断して重い腰をあげる。開かれた扉の先にいるのはかつて穢れを知らなかった騎士が一人、扉を開けて待つ。最初にランバートが、次にユスチンが出ていったあとゆっくりと閉められた扉。もう一度ここに戻って来られるか、 そもそも生きて帰ってこられるのか、一抹の不安を胸に、悪辣な獅子と蛇が待つ屋敷へ向かうため馬車へと乗り込むのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.102 )
日時: 2017/07/29 00:16
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU

 さてひとつ、此度の件で最も得をするのは誰か、等、考えずとも答えなど決まりきっている。往々にして、何らかの行為には何らかの意志が絡むものである。時と場合により偶然の産物の結果誰かしらが得をする事もあるが、今回のこれは人為的とあからさまなものであるのだし、偶発的に得をしたとしても主犯と比べれば微々たるものとなるのが通例というものだろう。例外は常に有りうるが、例外的なケースにばかり目を向けるのは得策ではあるまい。それ以前に、真なる目的が些か不透明である様に思える事の方がユスチンの心にひっかかっていた。考慮すべき事案が些か多すぎる。引き受けたものの、どうしたものかと少しばかり頭を抱えるのは事実だ。手は多いに越したことはないが、その価値があるかが問題だ。あくまでも仲介役、過度な警戒はせず気楽を装う方が良いだろうか。少なくとも過剰な反応ばかりは避けたい所。向こうとて、こちらが対応さえ間違えなければ特別大事にもならずに済むだろう、そう信じたい。流血は交渉、外交の最終手段とするべきであろう。それに加え、娘の事も気になる。というよりユスチンの場合そちらの方が本命になりかねないのだが。彼女の事だけは、守り通さねばなるまい。今は亡き妻との誓い、大切な約束だ。――自室の机、引き出しの中から大切そうに取り出すのはペンダント。妻が生前いっとう気に入ってくれていた、ユスチンからの初めてのプレゼントだ。
「……大丈夫だよね、ディーナ」
 ペンダントを握りしめ、今は亡き人へと思いを馳せる。大丈夫、今まで幾度も乗り越えた困難と、過去のベケトフの困難に比べればきっと――等と思いやしない。囁かな問題を大げさに捉える事はしないが、格付けをして気を抜く事だけはしたくなかった。此の家を残す事は、娘の、ひいては自らの宝とする領民のためでも在ると信じている。他の貴族と比べたならば短くとも守り続けてきた此の地を支え、発展に尽力する事こそ使命ならば。言ってしまえば“こんな事”ごときで失敗はできない。……長く、長くユスチンは息を吐いた。三つ揃いの背広をクローゼットから引っ張り出し着替えを済ませればコートの襟元を整え、鏡を一瞥。少し曲がっていたネクタイをさっさと直せば最後に一度、ペンダントトップへ口付ける。再びペンダントを元の引き出しの中へと戻し、鞄を持てば足早へ応接室へと向かう。急ぎすぎる必要はないだろうが、のんびりしている暇もない。数少ない使用人に言いつける言葉もあるし、娘に付ける傭兵二人にも伝えなくてはならない事は多い。娘へは、直接言葉を告げるべきか。さて、悩ましい所だ。彼女とてもう、子供では無い。分かっているが恐ろしい。彼女は彼女として、少女のままでいて欲しいと、清らかなるままでいて欲しいと願う心が拭い去れない。思えば此の感情こそ、妻との誓い、否、約束に反する様なものであるのやも知れぬ。そうとも思えば些か、乾いた笑いも零れてしまうというものだ。何にしても、急務は軍事力、兵力の増強、ナヴァロあたりに助けを求めるべきだろう。ただ何時ぞに聞いた情報から考えれば、彼らばかりをあてにも出来ないやも知れぬ事は承知の上。土地を捨てて逃げる等言語道断。ノブレス・オブリージュ、持つものの義務として、支えてくれる人々を見捨てるなど出来やしない。短く息を吐き出して、淡い色彩の瞳を伏せる。深呼吸をひとつ。進むべき道は決まっている。行く先がいかなるものなれど、信じて進むのみ。今までだって、そうしてきたのだから。――当主が家を立つ、ほんの少し前の事である。

 応接間に控えめなノックの音が響くのは、ユスチンが部屋を出てから数分後の事だ。ユスチンが準備を終えて戻ってきたにしては早すぎるし、そもそもあの男はヘラリとした笑顔のままでお待たせ、とでも呟いて躊躇わずに扉を開ける様な気さえする。少なくとも控えめに扉をノックする、等と言うことは無いだろう。ならば誰かと問われれば、答えは大凡絞られる。傭兵の金髪男はおそらくノックすらしないし、黒髪の娘ならばノックはしても控えめに、とは言えぬノックだろう。かと言って乱暴なものではないだろうが――ともすれば、だ。
「あの……バートお兄様、スヴェトラーナです。……今少しばかり、よろしいでしょうか」
 思考を巡らせる間にも、扉向こうの少女は自らの口で答えを紡ぐ。此処で令嬢の来訪を拒絶する理由もない。開かれた扉の向こうに、柔い笑顔で立つランバートを見たスヴェトラーナは息を短く吐いて、すぐに顔を上げれば白いワンピースのスカートを摘み膝を折った。淡い色の瞳の奥を不安で僅かに揺らがせる少女を躊躇うこと無く迎え入れればスヴェトラーナの瞳に安堵の色が宿る。さも自然な動作で少女を己の隣、ソファの方へ座るよう促したのは冗談交じりの其れであったが、件の少女は僅かな戸惑いを見せこそすれど、何一つの困惑はなく、ランバートの隣へ腰掛ける。平素のスヴェトラーナならば、此処で細やかな茶会の準備でもしそうなものを、其れもない。つい先程まで紅茶を楽しむ羽目になっていたから、構いやしない。夜半でもあるが、さて。いつぞにランバートがスヴェトラーナを見かけた折も、何処か気弱な風ではあったが、今宵の彼女はそう言った類のものでは無い、何か別の躊躇いにも似たものを憶えている様に伺える。
「その……お兄様、此の度は……お悔やみ申し上げます」
 伏し目がちにランバートを見やりながら、何処か躊躇いがちにスヴェトラーナはそう述べた。少女の言葉が示すものを理解できぬランバートではない。少しばかり考え込む様な素振りを見せながらも、平素と変わらぬ表情で、なんでもない風に言葉を紡ぐばかりである。
「ああ、いいって。スヴェータが気にする事でもないだろう?」
「……でも、その……ロトスおじさまには、良くしていただきましたから」
 やはり少女の言葉は何処か躊躇うような間を持ったままだ。応接間にはコチ、コチという時計の秒針の音ばかりが響いていた。窓から差し込む明かりは心もとなく揺れている。少女の纏う白いワンピースに深く皺が刻まれるのは他でもない、スヴェトラーナ自身がスカートを握りしめているからだ。何処か悔やむ様な表情のまま、少女は口を噤み、床を見つめている。男はただ黙って、少女の次ぐ言葉を待っていた。瞬くアイス・ブルーは薄い膜を張って湖面の様に揺らめいている。何かを口にしかけてはつぐむを繰り返す事、二度ほど。
「それに……ガウェスお兄様の、お屋敷の皆様も。お労しい、限りです。お父様と一緒にお伺いした折、皆様には本当に優しくしていただきました。あの時お話させていただいた方も今はもう……そう思うと、私……」
 白い布に刻まれる皺が深くなる。言葉は途切れ、少女は口籠るばかり。何を躊躇う事があるのか、と此ればかりは男にも理解し難いものであった。彼女が何を恐れるのか、恐れて居るわけではないのか、わかるはずもない。他人の思考が完全に読み取れる人間などいやしないのだ。当たり前の事であるが、何かもどかしい物があるのもまた事実。此処で適当な言葉をかけて話題を切り替える事も考えられたが、其れをしなかったのは偏に、男の気まぐれであろうか。偶然か必然か等、語るに値しない。かと言って変わらず、男は少女に語る事を強要せず、促すでも無く。ただ何処か優しげにすら受け取れる色を宿す眼を少女へ向けるのみであった。その視線に、スヴェトラーナも気付いていた。冷ややかさ一つ無い其れに恐怖を覚えるわけではないが、僅かながらもプレッシャーに似たものを憶えていた事は否定できまい。彼にそうした意図がない、と思えど、何を思っているのかと思えば焦りは消えない。何か言葉を紡がなくては、言おうとしている事はある。身内ではなく、近すぎる他人でもなく、ある意味では現状、ちょうどよい位置に居る彼相手だからこそ口にできる事もあるというものだ。けれど其れを告げられた所で、彼がどう思うか。不安で仕方がないといえば、そうなのかもしれない。そもそもこんな感情を抱く事自体間違いだと、わかっている。そうとも思うと、上手に言葉が出てこない。喉につかえて只、苦しかった。
「……バートお兄様。私……私ね、こんなにひどい事をした、人たち、が……許せない、って……思って、しまって……。……どうしたら此の胸の内に、燃え盛る炎を消せるのか、わからないのです。無闇矢鱈と動く事だけは、したくない、できません。でも何もしないまなのも、嫌なの。……私にももしかしたら、何かできたのかも、と、何かしたいと思ってしまって……。っごめん、なさい、ごめんなさいお兄様。こんな事言っても……仕方ないのに。お兄様にもご迷惑だったでしょう」
 漸く途切れ途切れに、何かを恐れる様に紡がれた言葉は人として真っ当な感情を、昇華しきれぬ幼いものに相違ない。或いは、環境故か。また或るいはひとつ、少女が逃げているだけなのかもしれない。
「いいって、スヴェータ。君にも色々思う事があって当然だろうから。でも其れは俺じゃなくって、君のお父上に言った方がいいんじゃないかなぁ、と思うんだけど、どう? お父上は随分と、君の事を大切に思っている様だし。それに何かしたいっていう意思があるなら、言わないと。伝わらないんじゃないか?」
 ランバートの言葉に、スヴェトラーナのアイス・ブルーの瞳が漸く彼を捉える。睫毛をふるりと震わせて、薄氷の色は瞬いた。
「……伝えるのがね、怖いの」
 ぽつねん、と少女は零す。隣りに座る人とほんの少しだけ距離を詰めて、ぐぅい、と顔を、少しばかり近付ける。少女らしさばかりを顔ばせに浮かべて、嘆くように。
「何で、何でかはね、私も、わからないの。……でも怖い、言うのが、告げるのが。……ふふ、不思議ですね。バートお兄様にはこうして、言えるのに……ごめんなさい、なんだか、今日はバートお兄様に甘えてしまった気がします。でも、あのね、お兄様……有難う、御座います」
 少女が僅かに、何かをふるい落とすかの様にふるりと首を振ったなら白磁に金糸が僅かに流れる。揺らいでいた湖面はすでに凪いだ。ある意味で無関係の他人たる彼に口にできたならば、なんだか言える気がする、なんてまったく、本当に子供の様だとスヴェトラーナはやや自嘲じみた笑みを零す。
「ま、スヴェータの中で何か固まったなら、良かったよ。……それにスヴェータ、ひとつ。君は何も出来なくはないさ。確かに外で何かを為して、自ら考えて動くには経験も、知識も足りないだろう。でも其れはこれから学べばいい。今は、君の父君を俺らが借りてる間に、君が此の家を守るって重要な役目があるだろう?」
 は、として目を丸くした少女の其れより大きな手がそぅ、と金糸を撫でる。少しばかりくすぐったそう身じろいだ後、次いで少女は慌てたように口を開く。
「お父様を、その……宜しくお願い致します。お父様ったら、しっかりしていそうで少し抜けていらっしゃるところがありますから……。それに、ね、お兄様。私……お父様がご帰宅くださったら、お話しないといけないことが、たくさんあるんですもの。バートお兄様にも、ガウェスお兄様にも、沢山、あるのですよ。……忘れないでくださいましね」
 少女の顔ばせに月の色が差し込む。柔らかに、暖かに、けれど何処か寂しげな色を孕んで。ランバートは最後に少女の髪をひと撫でしてから、そういえば、とばかりに問いかける。
「そういや、何で俺にそんな事を? ハイルヴィヒにだって、ヨハンにだって聞けたのに。それにそも、君は此の時間とっくに眠って居ると思ったんだけどな」
 たとえ訪問に気付いていたとしても、別段此処に来る必要性はなかっただろう。夜半であったし、眠っていた、で通せば特別咎められる事も或るまい。そもそも彼女の父が、挨拶をしなかったからと少女を叱る事もなさそうだというのに。ハイルヴィヒやヨハンがどうにも、少女にとって親しい位置にいすぎる、という問題を脇に置くとしても、少なからず語れる相手はいたはずだ。スヴェトラーナは少しばかり悩ましげに、其の瞳を伏せた。考え込む様に数秒、固まっていたけれど不意に口元へやっていた手をおろして、淡い色彩でランバートを見た。
「少し、眠れなくって。……あのね、日が出ているうちにも、ハイルヴィヒに少し助言を貰ったんです。其のことで、少し考え込んでしまったら眠れなくって。そうしたらね、窓からバートお兄様のお姿が見えたから。おじさまの事をお悔やみしたかったしそれに……バート兄様は何でもご存知な、気がして。私が知らない事を沢山、ご存知でしょう」
 決して、助言が欲しかったばかりではないけれど、と続ける言葉こそ無くともスヴェトラーナの瞳にはそんな意図が滲む。ぱちくりと瞳を瞬かせるのは、今度はランバートの番だった。ややあってから喉を鳴らし笑えば、スヴェトラーナは少しばかり大げさに肩を跳ねさせる。別段何かが悪い意味でおかしかったわけでも、責めたいわけでもないとばかりに、男は少女の手に触れて、へらりと笑ってみせた。
「ま、たしかにスヴェータよりは色々知ってるかな。……折角だし、ひとつ教えてあげようか?」
 小首を傾げつつも何か学べるならば是非、と少女が口にする直前、応接間の扉が開き「お待たせ」等というゆるい声が聞こえた刹那、キャア! 些か子供じみた小さな悲鳴が響く。令嬢のものではなく、当主のものである事を添える。其れからすぐに咳払いをして体裁を整えるのもまた当主の男であった。片眼鏡の奥の右目を細めて、左目は開いたまま、ソファの二人を交互に見た。冗談だ、と言いたげにランバートは笑ったまま手を離す。スヴェトラーナの方はと言えばはてな、と首を傾げて父を見ていた。
「……ランバート君の漁色家! 恩知らず! 油断も隙もないじゃないか。というかスヴェータも! 早く寝ないと身体に悪いよ」
 言葉こそ何処か子供っぽいが、其の視線がランバートへ向いている間ばかりは瞳の奥に僅かに冷ややかなものを宿している。一方で娘を見やる瞳は只柔らかく優しく、穏やかな父のものであった。彼の準備ができたなら、2人の出立はすぐにでも、といった所だろう。けれどもランバートが席を立つより早く、スヴェトラーナが口を開いた。
「もう、お父様! バートお兄様にそんな失礼な事仰ったら、その……だ、駄目ですよ!」
 極、子供じみた指摘であろう。それでも娘の言葉に驚いたのは他でもない、そう言われた父であった。面食らった様な顔をしながら双眸をパチクリさせて「ごめんなさい」なんて思わず謝罪を零している。其の様子を見て喉を鳴らすのはランバート以外にいやしない。何笑ってるのさ、と言いたげなユスチンの視線を意に介さず、スヴェトラーナに「じゃあ、また」なんて笑いかけて歩み出す。何やら不満げなユスチンをよそ目に歩み、少女に2人が背を向けた時。また少女の声が響いた。
「……いってらっしゃいませ。お父様も、バートお兄様も……お気をつけてくださいね」
 何と声をかけて送り出すのが最善か、分からなかった。立ち上がり、少しばかり2人の方へ歩んだ後に少女は膝を折る。其の姿を見た父は彼女の元へ歩み寄り、其の瞳を見据えて、穏やかな笑みを一つ。
「うん、スヴェータ、行ってきます。……急でごめんね、遅くならない様にするからね。ハイルヴィヒとヨハンにはもう伝えておいたけれど……スヴェータ、君にも。……お家のこと、よろしくね」
「ええ、お父様。……あのねお父様、帰っていらしたらとっておきのお菓子でお茶にしましょう。バートお兄様やガウェスお兄様も誘って。それから……ええ、お父様に、お話したいことが沢山有るのです。だから、ね」
 最後に優しく、父は娘を抱きしめる。今生の別れでも或るまい。けれど此の男が、娘を一人残して家を空ける等。妻を亡くしてからはそうそう無いことであったから。どうにも慣れないというよりも何処かに恐怖心がある感は否めまい。それでも一種、此れもまた前進であると信じている。ほんの小さな切っ掛けだとしても。
 屋敷を立つ二人を見送るのはスヴェトラーナと彼女の護衛二人。最後にスヴェトラーナがいってらっしゃいを告げて、馬車が見えなくなるまで手を振っていた。暫し立ち尽くす少女に戻ろうと告げたのは金髪の青年だ。黒髪の少女もそれに同意して、三人は屋敷の中へと戻っていく。少女が「眠れないからお茶にしましょう」なんて二人に笑いかけながら、融ける夜は更けていく。

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