複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.78 )
日時: 2017/03/14 07:26
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU
参照: https://twitter.com/Avatar_Alone

 ヨハンの笑みがいっそう、嫌らしく歪んでいく。人を小馬鹿にした様な、見下している様な、そんな笑み。
「貴方に……貴方に何がわかりますか!」
 彼の怒りは尤もだ、むしろここまで耐えた事だけでも大層な忍耐力と言えよう。されど食ってかかれば正しくヨハンの思惑通り。胸ぐらを掴まれたヨハンはそれはもう、してやったりとばかりの表情を一瞬。されどガウェスはといえばヨハンを殴り飛ばすでもなく只、なにかに耐えるように唇を噛み締め、青い瞳を揺らしているばかり。なぜお前が、そんな顔をするのだという苛立ちが、ヨハンの胸に募る。
「……何も、何もわかってねぇのはテメェの方だろ! あーあ、ほんっとあのおばさん報われませんねぇ! 可哀想になってくる、最初っから可哀想でしたけど!」
 吠えるようにヨハンは吐き捨てる。ガウェスの胸ぐらをひっつかんではっ倒してやりたい気持ちはあれど己の力で其れが叶わない事が酷くもどかしかった。
「あの女はテメェのために死んだんだぜ? ま、あんたさんが殺したも同義なんじゃぁないんですかぁー? それなのにさぁ何、正義感ぶっちゃってんだよ。ハハハ、レスポンスのない恋愛感情ほど虚しいものもねぇっつーのに……あぁ……ほんっと……」
 報われない、結局死んだ彼女も己も同じ、そんな気がして、成る程、苛立っていたのかとヨハン自身漸く理解した。そして同時に虚しさを覚える。何を好き好んで大嫌いな男に説教しなくてはならないのだか。胸ぐらを掴んでいるガウェスの手をやんわりと退けようと手をかけて、ただ静かに吐き捨てた。
「ほんっと……どうしようもないですねぇ、ハイドナーさん家は。ご隠居がご隠居なら、ご当主殿もご当主殿だ――ご自身がご自身の治めるべき街の治安乱してるって、気付いてすらいらっしゃらない? …………情報は力だ、アンタが何処までやらかすか、見ててやってもいいんですけど――」
 にたり、と笑うヨハンに、何かの影が重なったか、己の手を退けんとしているヨハンの手を無視して、ガウェスはヨハンに詰め寄る。その瞳の奥に宿る色を見て、満足げに笑うのは他でもない、ヨハン・クリューゲルその人だ。
「……何処まで、ご存知で」
「さぁ? 何処まで知られてちゃ困ります? アレかなぁ? それともこれですかァ?」
 変わらぬ笑みではぐらかす……と、言うよりも完全に小馬鹿にしたような言葉を吐き出すヨハンの様子に、いよいよガウェスも堪忍袋の緒が切れたか。本気で1発殴り飛ばさんとした、その時だ。「お兄様!」と悲鳴にも似た声が響く。ヨハンがお嬢、と驚愕にも似た声を上げたのと、ガウェスがスヴェータ嬢、と困惑にも似た声を上げたのとは、ほぼ同時の事であった。二人の元へ駆け寄るスヴェトラーナの横には、何も色を宿さぬ顔ばせのハイルヴィヒが付き添っていた。同時にヨハンはぼんやりと、目の前の騎士への苛立ちを募らせていく。何故って簡単な話だ、恋しい人が己の名ではなく、大嫌いな奴を呼んだから、其れだけだ。若しも此れで彼女がヨハンさん、と名を呼んでいれば、こんな苛立ちを感じずに済んだかも知れないのに――なんて。
 そうして共に二人の元へ歩み寄り、ヨハンとガウェスを引き離し、ヨハンを地面に叩きつけるかのように投げたのはほかでもない、ハイルヴィヒである。それを見たスヴェトラーナが驚き、咎める様に彼女の名を呼んだ。突然の事に驚いたかガウェスの青い瞳は大きく見開かれている。何を、とヨハンが紡ぐよりも早く、ハイルヴィヒの足が彼の鳩尾を蹴りあげた。咳き込むような、声にならない声はヨハンが発したものだ。スヴェトラーナは不安げな表情でヨハンの元へ駆け寄った。ガウェスはもう一撃ほどヨハンを蹴り上げようとしているハイルヴィヒを引き止めるかのように、その肩に手を添える。
「ハイルヴィヒ! な、何を……それ以上は」
 その声を聞くと同時に振り上げられていたハイルヴィヒの足が地面へと着く。身体ごとガウェスの方へと向き直れば深々と、頭を下げた。
「……ハイドナー家当主。この度は我が同僚が大変な無礼を働き、申し訳ございません。……貴方様の手を煩わせ、余計な疑念を生むより早く、当方でコレに折檻を食らわせるのはまた、当然の事でありますから……どうぞ、お気になさらず」
 ハイルヴィヒの言葉は平素と何一つ変わらぬ、淡々とした、氷の様に冷ややかな響きを孕む。ヨハンによりそうスヴェトラーナはヨハンの手を握り、不安げな瞳のまま、困惑の表情でハイルヴィヒを見やっていたが、その言葉を聞けば講義の声を小さくあげる。
「ハイルヴィヒ! その……だめよ……ヨハンさんは――」
「いえ、お嬢様。ソレの事情を考慮するより、全体を見つめてください。現状……私も、ソレも、貴女に、ひいては貴女のお家に仕える者、貴女の家の物であるも同義です。たとえ雇われているだけでも。ならば……ソレがハイドナーの当主に無礼を働き、不要な諍いを生んだとしたらどうなるか、貴女とて、お分かりになるはずだ」
 平素とは異なり、厳しい言葉をハッキリとスヴェトラーナへ向けるハイルヴィヒの様子に、混乱したのはスヴェトラーナばかりではない、ヨハンも些か驚いたような顔をしていたし、ガウェスとてまた然りである。視線を後方、スヴェトラーナへだけ向けて、ハイルヴィヒは続ける。
「ですので、お嬢様。貴女もソレに一発、食らわせてやっても良いのではないかと。必要ならば見本くらい、見せますが」
 淡々とした声色で、ハイルヴィヒは言葉を紡ぐ。そうしてから再び一歩、ガウェスの方へと歩みを進めれば、其の瞳をただ真っ直ぐ、射抜かんばかりに見据え、親指で地面に倒れ伏したままのヨハンを指差した。其の瞳にはやはり何の感情も宿らず、ただ氷のような鋭く、冷えた色があるだけだ。
「アレにはお嬢様を守る、という役目が或ります故……どうぞこれ以上はお許しいただければ。――もしも怒りが収まらない、と仰るのでしたら、どうぞ代わりに、私に折檻なさってくださればと。代わりになるかは、わかりませんが」
 そう言うが早いか、己の持っていた銃の銃口を自らに向け、銃床をガウェスの腹部に押し付ける。さも早く撃てばいい、とばかりにぐいぐいと押し付けて小首をかしげてみせるハイルヴィヒに、ガウェスはただ困惑の表情を浮かべるばかり。それでも尚、ハイルヴィヒの鋭い視線は彼を射抜いたまま、銃を押し当てる力がほんの少しだけ、強くなった。スヴェトラーナはヨハンの手を握ったままで只不安げに二人を見比べていたし、ヨハンもまた然り。正直に言えば此の銃に弾は込められていない。引き金を引いた所で何も起こりやしないのだけれど。
「……わかり、ました。もう結構です…………すみません、少々頭に、血が上っていた……様です」
 怖ず怖ずとそう告げるガウェスを見て、ハイルヴィヒは再び頭を下げる。平素の彼女からは考えられぬほどに酷く丁寧な行動にただ、騎士の青い瞳は困惑に揺らぐ。そんな様子を完全に無視したハイルヴィヒは溜息を吐いた後、一つに結った長い髪をふわりと揺らして、歩み出す。ガウェスの横を通り抜け、其の少し前に立ったならば振り向いた。
「では、行こうか。……早い方が良いだろう」
 彼女の言葉は唐突であったろう。青藍の瞳は何一つ色を変えず、疑問の一つも抱かずただ此れが自然な行動である、とばかりにただガウェスが歩み出すのを当然の事として待ってすらいる。これはおかしい、と騎士が思うのも当然の事であろう。なにせ先程、間違いなく来るな、というのと同義の言葉を投げたはずなのだから。やや渋りながらも此ればかりは告げねば、と言葉をぽつり、溢していく。
「……ハイルヴィヒ、それはなりません。先程も申し上げましたがこれはハイドナーの問題、私一人でどうにかするべきものです。それに、彼だけではない、貴女にもスヴェータ嬢を守るという任務があるでしょう」
 彼の言は尤もである。先程も同じようなことを伝えただろう、と言いたげな瞳を見やるハイルヴィヒの表情には、何ひとつの変化は無い。ただ、短く息を吐きだして「お嬢様」と何かを促す様にスヴェトラーナへと声をかけた。少女はピクリ、と小さく体を揺らし、少しばかり悩ましげに其の瞳を伏せた後、優しく、ヨハンの手を握る力を一瞬強め、離し、ゆっくりと立ち上がれば真っ直ぐに視線をガウェスへと向けて、穏やかに、けれども確かに言葉を紡いだ。
「ええ、そうね……。では改めて、ハイルヴィヒ、ガウェスお兄様に付いていってあげて。ヨハン、貴方は私と一緒にいて下さい。お願いではなく、その……命令、です」
 控えめに少女は命じる。相も変わらずスヴェトラーナの言葉は有無を言わさぬ程強い其れではない。柔らかく穏やかに、けれども確かな命令を口にする。初めて口にする物ではない。時として少女は傭兵へ命じる事はあるのだ。けれども其れが極、珍しいものである事に変わりはない。そうしてから少女は短く息を吸って、短く吐き出す。瞳に穏やかな色を湛えて、続ける言葉は紛う事無く兄と慕う其の人へ向けた“お願い”である。
「だから……お兄様、ハイルヴィヒを連れて行ってくださいな。……余計なお節介とは、承知ですけれど。……ね、お願い、します。……私としてのお願いと取ってくださっても……ベケトフの家の人間として、謝罪の意として取ってくださっても、構いませんから」
 憂うように細められる瞳は、やはり硝子玉の様に澄んでいる。澄み過ぎていて何ひとつの生気を一瞬、感じられぬ程に。そのまま半歩、ガウェスへと歩み寄ろうとする少女の手を、漸く立ち上がったらしい傭兵が反射的にか握りしめ、其の歩みを止めてしまったから、少女が騎士の手を握る事は叶わなかったけれど。戸惑いにも似た表情を浮かべるガウェスをよそに、ハイルヴィヒは歩みを進めるも、中々歩んでこない彼を睨むように見やり「早くしろ」と淡々と告げた。諦めたように歩み出すガウェスを、スヴェトラーナの眼窩に嵌った揺らぐ硝子玉がただ真っ直ぐ見つめていた。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.79 )
日時: 2017/03/21 21:31
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

「愚息が色々やらかしてな。その尻拭いをしてもらいたい」

 彼が入ってくるなり、そう言い放った男はロトス・ハイドナー本人だった。几帳面な性格を表すかのように髪型を寸分の狂いもなく整えられ、皺のないスーツをかっちりと着こなしており、入って来た男の恰好を見ると、不愉快だと眉を顰めたもののすぐに元に戻る。毛の先ほどの微細な変化であったが、目敏くも男はそれを感じ「すいませんね」と苦笑いを見せた。どうにもこの男が苦手だ。上質な生地で出来た服を易々と着こなしているのに自分は埃に汚れた安物のジャケットを羽織り寝癖を直そうともしない。そんな己とロトスとの対比を想像するたびにひどく惨めでやるせない気持ちになるのだ。
「御子息様の尻拭い、とは。私はハイドナー氏に仕える情報屋であって剣は振れません。それ以前に紙面の端の方にちょこっと記事が載れば僥倖だと喜ぶしがない三流記者でございます。そのことはご存知で?」
「もちろん知っているとも。だから君を呼んだんだ」
 ロトスの真意が掴めず疑問と戸惑いを宿したままロトスの黒い瞳を見据える。こっちに来いとゆるりと手招きをすれば、一瞬躊躇いはするもののすぐにロトスの前へ。椅子に座っている彼を見下ろす形となり、ドキリと心臓が跳ねるが「気にするな」と一言告げれられば不安に荒だった心が落ち着いていく。
「して、私は何をすればよろしいか」
 何も知らぬ男の至極当然な問いであった。
 結論から言ってしまえば、彼はこれほどまでにロトス・ハイドナーという男を恐ろしいと思ったことはないし、これからも一生ないであろう。瞳は猛禽類のように鋭いまま、にんまりと唇を引き上げた様をその網膜にまざまざと映しとった時、男は一人で冬を越すダンゴムシの気分を味わった。身体を芯から凍らす悪寒に襲われ、思わずポケットに手を突っ込む。
 ロトスが仕事の内容を話すたびに、男は不快感を表していくかのように眉間に皺が寄っていく。彼とて情報屋だ。人の不幸で飯を食っているようなものだ。しかし、罪のない一般人を陥れて飯が食えるほど人間として堕落はしていなかった。男は迷う。だが、今回の依頼は受けてはならぬと確信を持てば持つほど、か細い呼吸の音がヒューヒューと洩れるだけでうまく声が出ない。否、声を出そうとしたが、喉につっかえ上手く出せないのだ。本能的に察しているのだろう。ここで断れば自分の命が失うことを。しかし、ロトスと同じくらい堕ちることも、最後に残った良心が邪魔をする。
 説明が全て終わっても張り詰めた弓の様な緊張感は未だ健在で、唇が渇いてしまい無意識に舐める。時計の音だけがやけに大きく聞こえ、それに比例するように心臓の音がドクドクと音を立てる。了解とも拒絶とも示さず固まる男に対しロトスは語る。
「誰かにさりげなく話せばいい。なぁに本当にちょっとした噂だ。自分で言えないのならば新聞社にリークしても構わない。いや、むしろそれがいいだろうな。私の目的は一気に達成させる。君も一流記者になれる。何が不安なのかね」
「もしも彼女がジャッバールの者だったら、厄介なことになりませんか。その、セノールだったのでしょう?」
 自分に近しい者が嘘の情報で晒し上げられたらジャッバールが、ひいてはセノールならどうするか。それは誰の目から見ても明らかだった。獅子の見せしめか、それ以上の悲劇がこのクルツェスカで行われることになる。
「それはないな。断じて。このロトス・ハイドナーが保証しよう。……さあ決めろはい≠ゥいいえ≠ゥ」
 己を殺すか、己が殺されるか。答えなどあってないようなものだった。ロトスから目線を外すとゆっくりと目を伏せ、息を大きく吸い、吐く。そして、これならば彼の息子の息子の方が何倍も扱いやすいと心の中でごちる。彼は父親に似て神経質な所もあるが、人を陥れようなどと低俗的は思考は持ち合せていない。人にこんな選択を強いらないだろう。
「三流記者の話なんぞ信じますかねぇ」
「群衆とは愚かな液体だ。真実よりも単純な答えに向かって流れ込む。新聞社の件は私が何とかしよう。あそこには昔からの知り合いが多くてね、顔が利くんだ。……明日の新聞を楽しみにしているよ」
 先とは違う穏やかな口調。優しく微笑んでいる彼はこれから人を陥れようとする陋劣な人間に見えず、春の暖かな日差しの中で日向ぼっこをするただの好々爺であった。汚泥に塗れた思考と縁遠い場所にあるはずの表情との差が、この上なく恐ろしく見え、引き攣った頬を隠さずそそくさと部屋を出ていく。ロトスはその様子を咎める様子はもく目を細めて見つめていた。そして、明日からは更に面白いことになるとますます口角を吊り上げたのだった。 


 何度目の溜息だろうか。ミュラは徐々に小さくなっていく宿を見ては小さく息を洩らす。憲兵が慌ただしく横を通り過ぎり度にあの宿に向かうのかと考えを巡らせ、足を止め、無意識に目で追ってしまう。その度にジャリルファハドは「遅れるな」と言わんばかりの視線をミュラに浴びせ、彼女もそれでようやく歩き出す。
 二人の間に会話はない。ジャリルファハドは元より多くを語らぬ男である。普段のミュラならば彼のそんな性格――寡言で真面目くさったところがどうにも苦手で何か話をするようにせがむのだが、今は逆だった。居心地が悪いはずの沈黙が非常に心地が良く、コツリコツリと足音を響かせながら大通りを歩く。大通りの賑わいは惨殺な事件が起きても全く衰えておらず、むしろ血生臭い事件を忘れようといつも以上に賑わいを見せていた。
 そんな中、ミュラの耳に飛び込んできたのは娼婦殺しの会話であった。一瞬目線をそちらに向けたもののジャリルファハドに釘を刺されていたことを思い出し、何でもないように横を通り過ぎる。しかし片方の男がイザベラの名前を出したとき、ジャリルファハドの後をぴったりと追っていた足が止まる。思考するよりも先に身体が動いてしまった。
「その話、もっと詳しく聞かせてくれよ!」
 第三者の乱入に二人の若い男は大層驚き、それがセノールの様な女だと分かると途端に嫌悪感と軽蔑を示した。彼らは一般人だろうか、武器を持っておらず身体の線が細い。一人くらいなら楽々投げ飛ばせそうだと二人を見て思う。
 無遠慮な目線を投げつけられ、怒りがせり上がってくるが、もう一度話を聞かせてほしいと頼む。何が滑稽に思えるのか、彼らはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるだけでミュラの話に取り合おうとしない。それどころかコソコソと二人で耳打ちしては二人でケラケラと笑い合っている。だが腰にぶら下げていた筆架叉の存在に気が付いた時、彼らがミュラに対し向けられていた嫌忌や軽蔑といった感情に恐怖が混ざるようになる。益々気に入らなかった。
「あたしは――」
 そういう存在ではないと言いたかった。しかし、彼女が弁明を始める前に人込みの中から一本の腕が伸び、無防備に放り出されていた手首を掴む。そのまま力任せに引っ張られれば「ぎゃっ」と尻尾を踏まれた猫の様な色気のない声と共に男達から無理矢理引っぺがされる。誰がやったかは大体見当はついていた。
「余計なことに首を突っ込むなと言ったはずだ」
 温度を感じさせない声にミュラの顔から血の気が引いていく。何とか言い訳をしようと口を開きかけるが、黒く愛想がない瞳を向けられれば思わず言葉を詰まらせる。委縮し、目を逸らしたミュラから「ごめん」とたった一言だけだった。怒られた子犬の様にしょげた彼女をこれ以上責めるつもりはなく手首をゆっくりと離し踵を返す。
ジャリルファハドの後について、人の波にのまれる寸前、彼女はふと後ろを振り向く。先程まで見えていたはずの宿は既に見えず、ただただ忙しなく人が往来を繰り返しているだけだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.81 )
日時: 2017/03/28 16:20
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 ミュラと一定の距離を保ったまま歩き続けるばかり。人垣など最初から無いかのように何者にも道を阻まれる事はない。帯剣したセノールはアゥルトゥラからしたら、恐怖の対象以外何者でもないからだ。
 先程、首根っこを引っ張られてから、何故か普段通りの彼の立ち振る舞いが、ミュラには不機嫌そうに見えてしまい、怒らせてしまったのではないか、と錯覚してしまったようで、何処となく彼女は萎縮しているようだった。
 当のジャリルファハドと言えば「余計な事に首を突っ込むな」とミュラに釘を刺しておきながら、己はミュラを乗せたまま、対岸の火事に船を漕いで近寄りつつあるという事に気付いてしまい、少しばかりバツが悪く、口を閉ざすばかり。それでも戒めなければならない事は未だある。少し歩調を緩め、ミュラが距離を詰めてくるまで待つ。
「あそこであの阿呆共に危害を加えたら、俺はお前の首を刎ねていた。成らんぞ、何があってもアゥルトゥラに武器を向けるな。向けたならばお前の命で償わせる。これは冗談ではない」
「んぅ……、よく我慢出来るよな。だってさ、何か悪い事した訳じゃないじゃん! 何であんなに――」
「言葉に出せば怒りが頭を蝕む。何でも思いを吐露すれば良い訳ではない。落ち着け」
 行き場を奪われた怒り、それが吐き出させた言葉は突然踵を返したジャリルファハドがミュラの口元に当てがった掌で塞がれしまった。頬を鷲掴むように、これ以上言うな、と言葉なくして行動で念を押しているのだ。アゥルトゥラに対する怒りを飲み込むしかなくなってしまった。だがしかし、怒りが鎮まる訳ではない。行き場を失った怒りは腹の中で、増長し何となくムカムカとしたそれが行き場を求めて走り回っている。
「怒りは自分を狂わせる。怒りに身を任せたならば咎を背負い、その咎で回りも狂う。怒りは狂奔の原動力故、そう発露して良い物ではない。分かってくれ――、良いな?」
 ジャリルファハドの説教は静かな物であった。喧噪、往来の中に在りながら掻き消される事もない。低く小さく、静かな声は不思議とミュラの耳にはきちんと届いていた。頭の弱いミュラであったとしても宥められているというのは分かる。故に口元から手が離れても、ミュラは口を開かず噤んだままであった。何かある度に怒っていては心身が持たない。セノールのように自己を殺し、御せとは言わないが我慢という物は大事な代物である。ジャリルファハドからしたら、ミュラに分かってほしい事柄の一つであった。
「なぁ? なんであいつ等が殺されなきゃなかったんだ? それにイザベラは……」
「天命尽きた。運が無かった。唯それだけの事としか言えぬ」
 昨晩の殺人、売春宿での殺人、これらの一連の出来事は全て連動して起きた事だと考えざるを得ず、小耳に挟んだ先程の男達の話からしてイザベラも既に殺されており、何処かで死体が見つかっていたのだろう。怨恨か、触れては成らない物に触れたか。憶測はこじ付けのようになってしまうが、幾らでも出てくる。尤も売春宿がそういった物に触れるとは考え難く、イザベラが触れるべき物ではない「なにか」に触れようとした故に殺され、その母体である売春宿にまで危害が及んだのだろう。とすれば触れたイザベラが悪いとしか思えず、またそうとしか言えない。手を出すべき物を誤ったのだ。
「害を為さぬと誓え。誓えぬならば右目を貰う。謀れば両目を貰う。我等が害を蒙るならば塵芥とし、仲間が居たならば皆一様とす、か」
 イザベラから宿を手配された時、刀を突きつけて言い放った己の言葉をジャリルファハドはなぞり、自嘲するような笑みを浮かべていた。
 これはもしかすると、同胞の仕業なのではないのだろうか、という邪推が脳裏を過ぎったからである。あの遣り口は見てくれといわんばかりの殺し方であり、威嚇しようという思惟が感じられる。クルツェスカの平静を乱し、危うい均衡を破壊し始めているのだ。
「ミュラよ。世の出来事には、命で清算せねば成らぬ事もある。努々忘れるなよ」
 再び言い聞かせるように吐いた言葉。ジャリルファハドの真意が測りきれず、ミュラは顔を顰めたまま、小首を傾げていた。まさかジャッバールがやったとは言えまい。ミュラのような者があそこに一人で乗り込んでいっては成らない。ただ惨殺された死体が増えるだけであり、それを良しと看過出来ないのだ。
 クツェスカに来てから良くも悪くも目立ちすぎた。ミュラが死んだならば、それだけで自身も憲兵から聴取を受けかねない。またソーニアにも迷惑が掛かる。それだけは避けなければならない。
「意味わかんねぇ」
「分からん物に首を突っ込むな、口を挟むな。聞き耳を立てるな」
 念のために釘を刺して置いて、ミュラが独走するような事だけは避けなければならない。無駄に有り余る行動力と思慮の無さは、ある意味危険な代物である。厄介な物を拾ってきてしまったのではないか、と一抹後悔を抱きながらジャリルファハドは歩みを進めた。



 ソーニアの家に着いてから、暫くジャリルファハドとミュラは言葉一つ交わさずに居た。明らかにミュラの様子がおかしいのは見て取れたが、何を言いたいのかが分からない故に問う事もなく、ジャリルファハドは勝手に外に出ないようにと、横目で見張るばかり。
 彼の手にはアゥルトゥラの近代史書が載っており、西伐ことシャボー紛争の近辺を見ていた。歴史は勝者が築くというのに、アゥルトゥラはまるで自分達が負けたかのように、卑屈な物言いで言葉を記している。セノールの六倍の戦力で戦いながら、戦死者はセノールの八倍にまで登り、未だに当時の若者、今の老人達の一部は手足や目が無かったりする者が居る。彼等か、彼等の子等が歴史を紡いだ故であろう。随分と口汚く書かれたな、と苦笑いをせざる得ない。
「……ミュラよ。来い」
「あぁ?」
 少し気だるげで邪険そうな返事であったが、ミュラは隣の椅子に腰を下ろした。ジャリルファハドが本をミュラの視界に収めた時、彼女は一瞬目を背けたのは気のせいではないだろう。最初の一頁、一行を見ただけで頭が拒否を示す。
「何故、我々が忌諱されるか。教えようと思ってな。お前も相手の事を知ったならば、多少は己を殺す事も出来よう。もう50年も昔の事だが――」
 50年前、生活用水を求めたセノールが既に失われたはずの魔法を復活させようとした事を発端とし、アゥルトゥラが糾弾し攻めてきた。最初は食い止めていたが、ある戦いで破れ砂漠の北部を掌握され、首都への直進を許してしまった。故にセノールはあっさりと降伏したが、アゥルトゥラが首都への駐留を求めたため、武門は徹底抗戦の姿勢を貫き、アゥルトゥラを撃退した。余力を残した敗北であったために、セノールの負の側面をアゥルトゥラは各国へ宣伝し、孤立させる事によって社会的に抹殺するに至ったのだ。その名残があるため、セノールだというだけで嘲られるのだと、ジャリルファハドは淡々と語る。頭の弱いミュラにもなるべく分かりやすいように簡潔に、手短に語る。
「……そんな昔の事なんだから忘れたら良いじゃん」
「人とはやられた事を忘れられるようには出来ていない。何時までも尾を引き、何時までもそれに拘り続ける。人間とは誰から教えられるでもなく斯く在ろうとするのだ」
 50年前、両民族は傷を負った。ミュラは知らないだろう。未だ多くのセノールもアゥルトゥラを恨んでいるという事を。互いに互いを否定しあい、睨み合っている。そんな状況が身近にある故、何者でもない故に何者にでも成れるというのは、とても残酷な事なのではなのだろうか、とジャリルファハドは思うのだった。だとしたなら、ミュラを何方かにしてしまった方が良いのではないだろうかと考えが一瞬過ぎる。
「人間なんてロクなもんじゃねぇな……」
「知恵を持った故の原罪だ。仕方あるまい」
 言い聞かせ、諭すように穏やかではあった。しかし、何処か悔恨と自戒の念が篭っていた。自身はもう既にそうなっている。ミュラに言える立場にはないが、それでも言わなかればならなかった。こうなれば生きにくいぞ、という反面教師からの忠告であった。
「だが、人間であるからこそ自制するという事も出来るのだ。お前は獣に……、七角十頭、十角七頭、何れの獣にもなるな」
 ミュラを見遣る事もなく、ジャリルファハドは淡々と言い放つのみ。何を言っているのかと、いまいち理解に及ばないミュラの事など視界には入っていない。彼女に向けた言葉を自戒とし、己にも言い聞かせている故だ。傍らで首を傾げているミュラへ「何れ分かる」とだけ言い伝えるのであった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.82 )
日時: 2017/08/02 09:26
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 憲兵達は「もううんざりだ」と言いたげな疲れ切った顔をしながら、死体を運び出していた。動かして始めて感じた、饐えたような甘い臭いと血の鉄錆びたような臭いが混じった悪臭に苛まれ、ソーニアは口元を押さえながら、風上へ逃げていた。その後ろを付いてきている憲兵も具合悪そうにしていて、幾ら兵隊と雖も駄目なものは駄目なんだな、と的外れな感想を抱く。尤も腐臭が平気なのは、腐肉食の動物くらいだ。彼等からしたら、上等な夕食の匂いに違いない。人間には理解が及ばない世界である。
 漸く風上に立てば、路地を抜けていく強い風が悪臭を吹き飛ばしてくれる。赤くウェーブ掛かった髪が風に吹かれて、乱れるも気にする様子は見せなかった。
 息苦しさから解放された、ソーニアの顔付きは少し引き攣っていて、それを見た憲兵が見てはならないものを見たかのように一瞬身じろいだ後、取り繕うように小さく咳払いをした後に口を開いた。
「酷い有様です。二日間で20人弱死んだ訳ですからね。蛆が沸いて当然というものです」
 憲兵の顔きもどこか引き攣っている。この二日間で凄惨な現場が続く以上、苦言を呈したくもなるのは仕方ないだろう。苦笑いをしつつソーニアは適当に相槌を打ちながら、搬出されていく死体の様子を眺める。直接死体は晒されている訳ではない。麻袋に入れられて、外に晒されないようにはなっている。血の滲んだそれらが気になって仕方がなかった。
 這い蹲り、蠢く蛆を踏みつけてしまった憲兵は顔色一つ変えず、靴底にへばり付いた死体が擦り切れて、影も形もなくなるまで無遠慮に、無表情に踏み付けていた。
 恐らくはこの惨状を作り出した者も、心を凍て付かせ、表情一つ変える事なく、あくまで作業的に事を進めたのだろう。それが殺戮だという実感を持っていたかすら、甚だ疑問であった。そんな事を思うとうそ寒くあり、心苦しく。唇を噛み締め表情を歪めしか出来ない。
 ソーニアの隣で首から吊り下げた十字架のネックレスを手に、胸の前で十字を切りながら憲兵は言う。
「そんな顔をするもんじゃないですよ。まぁ、官職持ちの家ですからね、クルツェスカでこんな事が起きるってのは耐え難いでしょうけど……」
「魔法はもう廃れたから……、"メイ"なんて官職はもう意味がないの」
「親子、姉妹揃って同じ事を言うんですね」
 そう憲兵は小さく笑みを浮かべていた。もうメイ(魔術師の意)の官職は意味などない。ただただ慣習に倣い、名乗っているだけであり現当主など一介の書記官に過ぎず、没落した血統でしかない。
「血統なんて何れ廃れるからね。私もハイドナーもベケトフも。……ナヴァロやルフェンス。メンデルだってそう。近い未来、血は意味を成さなくなるわ。血よりも個人の力になる」
 血で人生が決まる。そんな時代が終わるというソーニアの発言に憲兵は顔を顰めた。ソーニアの発言を咎めようという思いがあるのではなく「モリス」という家の名に反応したのである。何か悪い事でも言ってしまったかと、ソーニアは一瞬身動ぐなり、憲兵は少しバツが悪そうに苦笑いを浮かべていた。
「あぁ、いえ。今朝、メンデルの息子――モリスとか言いましたか。水路から上がりましてね。額を一発撃ち抜かれて……。あぁ! これは他言しないで下さいね。あくまで独り言ですから」
「……えぇ、聞いてない事にしておくわ」
 歩く情報漏洩のような憲兵を呆れたように見据えながらも、まだ殺しがあったか、と少しばかり動揺していた。メンデルと言えば商家であり、クルツェスカでアゥルトゥラとジャッバールが睨み合いをしている中でも、上手く立ち回って来ていたはずだ。そこの家の人間が死んだともあれば、既にこのクルツェスカは動乱の渦中にあると言えよう。尤も互いに殺し合いをしているのか、一方的に殺して回っているのかは分からない。
「ねぇ、犯人とかは目星ついてるの?」
「いえ、全く。ただメンデルの件はジャッバールが身の潔白を示しに、バシラアサドが直々に出頭しましてね。……"真っ当な"商人を殺す訳があるかなんて怒鳴られ、凄まれましてねぇ……。いやはや、恥ずかしい話ですが」
 ジャッバールの力押しに折れたのかと、一瞬ソーニアは情けなく思いこそしたが、確かにジャッバールは強引で力任せに事を解決するが、良い事もやっている。奴隷商の駆逐などが最たる例であり、彼女達は確かに"真っ当な"商人に己の恣意を示すような事はしていない。密かに消される者達は大概、阿漕な商売をしていたり、それに関連する利権上の問題でジャッバールと敵対してしまった者達である。憲兵達は実のところ、それを見逃している所がある。癒着しているとは言わないが、利害が一致してしまっているのだ。
「まぁ、ジャッバールだし仕方ないかぁ……。何だかんだ言って典型的なセノールのそれだものねぇ。怖いわ」
「そう言ってもらえて幸いですよ、全く。セノールは大体怖い。黙ってれば結構好みなんですが――、あぁ! いえいえ! 話が逸れました。その……、あぁやって凄まれますと生きた心地がしませんし、縮みあがりましたよ。えぇ」
 話が脱線する上に、突然下品な事を言い出した憲兵を一瞥し戒めると彼は「すみませんねぇ」と笑いながら頭を垂れた。何処となく憎めない憲兵を笑って許すと、彼は笑みを隠し、少し気を引き締めた様子で口を開く。
「くれぐれも身の用心をされますよう。……刃物で殺されていた件につきましては、使った刃物が異なるのか、切り口が全く違います。叩き潰すように幅が広く深い刺創と寸分狂わず皮、肉の解れすらない切創。……強いて言うならアゥルトゥラとセノール、双方が殺し合っていると考えられるんで、余り彼等の間には立たないように。――特にセノールの護衛を付けているようですから、アゥルトゥラから目を付けられないように……。では、そろそろ日も落ちますんで、帰宅してください。暫く我々は夜も知らず……、といった所ですが、何があるか分かりません故。まぁ、その何か在りましたら言って下さい」
 そう憲兵は言うなり、ソーニアの後ろに回って彼女の背を押し出した。背を押されるままにソーニアも歩き出していく。
 横目で憲兵を見るが、また穏やかに笑っていた。この男、刃物の切り口の違いが分かるともなれば、この憲兵は随分と目の肥えた者である。飄々とした歩く情報漏洩であったが、こういった技能がある故に首を切られずに居られるのだろう。
「大通りまでは護衛しますので、そこからはおかしな路地に入らず真っすぐ帰ってくださいね。横着して早道は駄目ですよ」
「しないから……」
 よく見ていると薄々感心しながら、憲兵に背を押されるままソーニアは歩み進める。二度、三度と誰も居なくなった売春宿へと振り向き、視界に収めるも夕日に照らされるばかりで、誰かがそこに在る訳でもなく、死んだように静まり返るのみであった。
 誰とも知らない者の死を悼む訳ではないが、何処となく夕日の朱は悲哀を帯びているようであり、少ししんみりとした思いを抱く。それに気づいたのか、憲兵は少し寂しそうに笑っていた。
「無念の死を遂げた者に哀れみを向けちゃいけませんよ。ついてきますからね」
 憲兵はそう静か語る。ひしと感じる得も知れない恐怖。だが、しかし憲兵の言う事は、その通りであるように感じられた。何故ならば、死した者は延々と生きる人間の記憶に残り、まるで生きていられる事を羨み、妬むように夢想にて姿を現すからである。キラがそうであったように。憲兵のせいで嫌な事を思い出したと、ソーニアは小さく溜息を吐く。
「……あなたはそういう経験が?」
「まぁ、そうですね」
 憲兵は多くを語ろうとせず、話したくないという拒絶の意図が見える。故にソーニアもそれ以上は追求する事なく「ふーん」と短く相槌を打つだけに留めるのであった。
 このまま見えない戦争が続くのであれば、このクルツェスカは死者の都へ化すのも、そう遠くはないだろう。最後の最後まで立っているのは誰だろうか。また、誰が血を好み、暴力を愛する獣であるのか。不安は少しだけ胃を締め付けてくる。あぁ、これは痛む。今晩は飲酒を控えるべきだろうと、己に言い聞かせるのであった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.83 )
日時: 2017/04/06 01:36
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 イザベラが根城にしていた宿でも殺人があったと憲兵から話を聞けば、彼の顔からたちまち色が消え失せる。ガウェスの後ろに隠れるように立っていたハイルヴィヒも表情こそ変えなかったもののピクリと肩を震わしたのをガウェスは確かに気が付いていた。娼婦達の死体は既に教会の方へと運ばれその場にはなかったものの、僅かに匂う腐臭と石畳を僅かに汚す血痕がその証なのだろう。敬意もなく、人としての尊厳を蹂躙せしめた悪鬼の如き殺し方、魂を削り描いた風景画を一瞬で破り捨てるような蛮行、許し難い行為を聞いた彼の口から出たのは「そうですか」と掠れた声のみである。イザベラの死を聞かされた時のように目を瞑り、被害者の追悼を、そして荒だつ心を鎮めるかのように大きく息を吐く。事の次第を伝えた若い憲兵はガウェスの纏う空気が変わったことに目聡くも勘付いてしまい、もしや自分は良からぬことをしてしまったのだろうかと狼狽えてしまう。見かねたハイルヴィヒが咎めるようにガウェス横腹をつつけば、彼はようやく目の前の男が萎縮しているのを知り、安心させるように曖昧に微笑んでみせるのだった。
 宿の様子が見たいと頼めば、すぐに中へと通される。案内の提案を断り、ハイルヴィヒのみをつれてイザベラの私室へと向かう。普段ならば、娼婦達の談笑の場となっているロビーも今は数人の憲兵が屯し、犯人の目星をあぁでもないこうでもないと熱心に議論しているのみであった。気にならないわけではないが、会話に入る余裕はない。彼らの横を素通りし、廊下に向かえば彼らはどこにでもいるらしい。狭い廊下をあちらこちら歩き回っている。イザベラの部屋は廊下の一番奥にある。彼らの邪魔にならないようにとスルリスルリと身を翻すようにして進んでいく。時折目の端に入る惨劇の痕跡に思わず目を背けるものの、強烈な赤は一瞬でも目に入れば脳裏に深く刻み込められ、これが夢ではないと実感させられてしまう。その度に激情が胸の内に燃え上がり、それを発散するかのように、歩みがほんの少しだけ速くなり、その度に後ろを歩く少女から速いと文句がとぶのだった。
 幸か不幸か、イザベラの私室には誰もおらず、前に来た時となんら変わらない、痛いほどの静寂といやに整然とした部屋のみがそこにある。大人二人がようやく寝っ転がれるような狭いベッドと角が欠けた古ぼけたサイドテーブルとその上には三段の小引き出しが置いてあるだけで周囲には何もない。あとは少し離れたところに小さめのクローゼットが一棹設置されているだけの質素な空間である。斬り殺された娼婦の臓物や血液で床や壁、家具さえも赤く色付けされた部屋が殆どだというのに、その部屋は未だに惨状以前の状態を保っており、ガウェスは安堵を覚える反面、時間の流れから取り残されたような物悲しさが一層が際立っていた。
「ハイルヴィヒ殿はイザベラと親しい間柄だったのですか」
「交流と呼べるほどのことはしていない。精々視線を合わせ、二言三言交わすだけだ」
「そうですか……」
「何か気になることがあるのか?」
 無駄を嫌い寡言な彼女にしては珍しいとガウェスは内心驚き、作業を止めてハイルヴィヒを見遣れば初冬の晴天を思わせるどこあか冷えている青い瞳と視線が絡んだことで気まずさを覚え、思わず目を逸らしてしまう。
「いえ、ただ、彼女に友人はいたのかと、彼女の死を、悼んでくれる方はいらっしゃるのかと、ふと、思っただけです」
「お前は彼女の死を悼まないのか?」
「私に悼む資格はありません。ヨハン殿がおっしゃった通り、彼女は死んだのは私にも責任があります。私が彼女に深入りするなと言っておくべきだったのでしょう。そうすればイザベラは死なずに済んだはずですから」
 彼の言葉には深い悔恨の念が窺えた。奥歯は噛みしめ、自責の念にかられる青年を見て、ハイルヴィヒは一体何を思ったか。少なくとも、ヨハンに胸倉掴まれる理由は何となく察することが出来た。二、三年ほど前のことだ。ヨハンとハイルヴィヒ、そして、ハイドナーに雇われたある傭兵と三人で酒場に行ったとき、猿のように顔を赤くしたヨハンは言っていた。「アイツは人の好意に気付けない。馬鹿野郎だ!」と。どこでハイドナーの密偵に聞かれるやもしれん。その時は戒めと頭を冷やせという二つの意味を含め、彼の足を思い切り踏んづけ折檻したが、なるほど、これはそういうことかとハイルヴィヒはようやく合点がいく。イザベラは、仮にガウェスに釘を刺されたとしても、それが欲している情報と分かれば秘密裏にその情報を集めて回るだろう。たとい死地に繋がっていようともだ。恐らく、こんな男を好きにならなければ、そもそも情報屋をしていなければ、娼婦なぞやっていなければ、彼女もここに住む者達も常夜に送られることは無かったのだろう。

 結局のところ、クローゼットにも目ぼしい物は見つかることはなかった。鍵のかかっている引き出しも無理矢理こじ開けられていたが盗られた形跡はなく、金品も宝石も手付かずのまま引き出しの中に転がっていた。唯一、彼女の部屋から無くなっていたのは紙類だけである。机にあるはずの備え付けのメモ帳も何でもない走り書きも、本の切れ端さえもイザベラの部屋には落ちていなかった。何らかの情報が書き残されていたらマズいと万一の場合に備え襲撃した犯人が隠滅したのだろう。もしも今回の惨劇がその序だったとしたら……。滾る怒りの矛先が見えず、彼は出口へと歩く。その途中でガウェスは一人憲兵を捕まえ、この件について最初に連絡したのは誰かを訊く。近場に住んでいるならこのまま話を聞きに行こうと考えたのだ。アゥルトゥラを治める貴族に話しかけて貰えると考えてもいなかっただろう。気怠そうに振り向いた男は話しかけたのがハイドナーの当主様だと分かると背筋をピンと伸ばし、しかし、少々困ったように視線を左右に泳がしている。そして、確認してみますと小走りで奥へと消えていった。数分もしないうちに戻ってきた男は息を切らしており、ガウェスは怒りとは別に申し訳なさを感じることとなる。彼への労いもそこそこに、息も絶え絶えになりながら告げられらたその名前。途端、ガウェスの空色の瞳は大きく揺れ、彼への罪悪感は一瞬にして名前が出てきた事への驚愕へと変化することになった。
「ソーニア、メイ……リエリス」
 何故その名前が出てきてしまったのか。男と目を合わせるために下げていた青い瞳は上に向き、どこか意味深げに彼女の名前を呟く。その一言は確かに彼の耳にも届いてはいるものの、どのような意図でその名を呟いたのか男が理解することはない。よもや、メイ・リエリスの者とハイドナーでひと悶着あったなどと予想にもしていないだろう。知り合いなのだろうかとどこか遠くを見据えている偉丈夫の顔を見上げるだけである。
「どうしますか。必要とあらば家まで案内出来る者を手配しますが」
「いえ、その必要はありません。ありがとうございます」
 彼女の家に行けば余計な争いが生まれる可能性がある。ソーニアと、その護衛であるジャリルファハド、ミュラと。特にジャリルファハドと再び相見える時、それは剣を交え、どちらか一方の命が潰える時だ。無論、ガウェスとてそれを望んでいるわけではない。ただ、初めて剣を交えたあの瞬間、ハイドナーへの溢れんばかりの憎悪と殺意が彼の全身から迸るのを感じた時、こいつを屠らねばならぬと本能が警鐘を鳴らしたのだ。だが、それは今ではない。彼と決着をつけるのは民と国に安寧と秩序をもたらした後だ。
「帰りましょう。ハイルヴィヒ殿」
 これ以上ここにいても得る物はない。むしろ邪魔になるだけだ。静かに歩き出した男の背をハイルヴィヒは何も言わずに追いかける。月がその姿を徐々に現し始め、喧騒はどこか遠くになっていく。夜の帳はすぐにでも下ろされることだろう。

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