複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.92 )
日時: 2017/06/05 07:54
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 ジャリルファハドの姿が無く、ミュラと二人きりで食卓に向かい合っていたソーニアは新聞を広げながら、安酒に少しずつ口を付けていた。市場から安く買う事が出来たのだ。食事のついでにミュラに少しだけ飲ませてみたが、彼女は慣れない酒の刺激に拒絶を示していた。実際、あまり味は良くない。
「大事件ね、一体誰が発端やら……」
 クルツェスカで起きている一連の動乱。何者かが危うい均衡を崩してしまったのは確実である。ソーニアは思うのだ、その均衡を崩した者は百度首を括られ、死体を踏みにじられたとしても許されないだろうと。故にハイドナーの私兵や、ロトスの死に安堵を抱くのだ。恐らく彼等が何か「余計なこと」をしたのだろう。触れては成らない相手、例えばジャッバール等に。
「ミュラも凄い時に着ちゃったわね。ハイドナーと誰かが殺しあってるんだもの」
「何時もこうなのか?」
 僅か不安そうな表情をしながら、問うミュラへとソーニアは間髪居れずに首を横に振るう。そんな訳があるか、だとしたらクルツェスカは既に滅んでいる。そう言葉が喉まで上がってきたが、言葉を酒と共に飲み下した。
「何時もではないけどね。クルツェスカは彼方此方から外国人が入ってくるから、中々治安が安定しなくてね。貴族の自警主義は何時かこのクルツェスカを滅ぼすわ」
「何……?」
 何を言っているか分からないというようなミュラにソーニアは苦笑いを一つ。理解出来るように話すべきだったと思い至り、僅か考えるように言葉を発する。
「ハイドナーが邪魔」
 包み隠さず本音を発し、ソーニアはその苦言をはぐらかすように笑って見せた。ハイドナーが邪魔というのも言うなれば、彼等の越権行為が憲兵の動きを阻害している故に出る言葉であった。貴族は貴族でしかなく、警察権を持ち合わせている訳ではない。従って誰かの罪を糾弾する事は許されても、己の判断だけで裁く権利はない。その権利を行使するというのは、行き過ぎた自警主義の現れであり、その狂った正義感は手に負えない何かを刺激し、滅びを持ち込む可能性すらある。その正義感を基に敵視する「何か」を一度に掃滅出来るならば良いだろう。しかし、今やハイドナーにその能力はない。そもそも昨晩の襲撃以前の兵が居たとしても、前時代的すぎる為、話にならないであろう。剣は銃に勝てず、完全に統率された兵に勝つ事はない。
 昨晩起きたハイドナーの屋敷への攻撃は、物言わぬ肉塊を多数作り出しただけではなく、誰がやったかという痕跡すら残していなかった。唯一現場に残った銃弾はヴィムートで作られたリボルバーで使われている弾である上に、ロトス・ハイドナーを剣山のようにしてしまった多数の刀はセノールの物であるが、セノールの刀はジャッバールがクルツェスカに入ってきた段階で量産されて販売されている。鑑賞品としても、実用品としても大勢に使われているのだ。現場に残った武器や、銃弾で犯人を特定する事すら難しい。故に憲兵は動かない。否、動けない。だがしかし。ハイドナーはどうであろうか、彼等は思い込みで動き出したならば、特定の「何か」に対して攻撃をしだすであろう。これが自警主義の愚かしい所である。暴徒と何ら変わらないのだ。
「ごめんなさいね、ミュラにそんな事言ったって仕方ないのにね」
 何の裏付けも無くして動く割にカンクェノの管理は確り出来ない。故に姉は死に、ジャッバールがカンクェノ内の安全を維持し始めた。それが実を結び、カンクェノの発掘は進歩した。祖先もハイドナーに苦労したのではないだろうか、と思い至ればグラスを口元に運ぶ手が僅か早まる。
「別に良いんだけどよ、飲み過ぎじゃないのか?」
「ちょっと飲み過ぎかな、もう少し飲んだら止めるわ」
 二日ぶりにクルツェスカは穏やかなのだ。多少飲んだって問題はないだろう。ジャリルファハドとて、何をしに行ったか分からないが夜に出て歩いているのだから、気を緩めても良いのだ。何より彼は何かあったら一目散に戻ってきて、事を伝えてくれるはずだ。
「寝ても良いぜ。アイツ帰ってきたら開けとくよ」
「帰ってくるのは本当にジャリルかしらね」
 意地の悪い笑みを浮かべながらミュラをからかい、ソーニアは席を立つ。テーブルの上に酒瓶は放り出されたままであったが、誰も戒める事はない。ジャリルファハドが居なければミュラも何故か大人しく、どうにも静かに感じられた。彼が今、どこで何をしているかは分からないのだが、ミュラと二人きりであると場が持たない。とどのつまり早く帰って来て貰いたい。
「どういう意味だよ、それ」
「知らないの? クルツェスカには亡霊が出るのよ。昔セノールに攻められて、それで死んだ人が沢山ね」
 歴史を顧みたなら大勢の死人が出たのは嘘ではない。度重なるセノールの侵攻に対し、それを食い止め続けた都市がこのクルツェスカだ。一度陥落はしたものの、セノールの撤退により街は戦わずして奪還され、今に至るのだ。
「冗談じゃないぜ。やめろよ……」
 ミュラを脅かし、ソーニアは僅か笑うばかり。事実である以上は嘘ではなく、クルツェスカの西側の防壁には未だにこの世の者ではない歩哨の姿を見るなど、怪談話の類は事を欠かない。恐らくは嘗てのアゥルトゥラ兵なのだろう。ソーニア自身、そういった物を見たことはないが居ても不思議ではないと考える。
「ま、ここら辺は出ないよ。ここらへ――――」
 ソーニアの言葉が詰まる。ドアを何者かが力いっぱい叩いたからだ。ミュラはぎょっとした様子で、少しずつソーニアの傍らに寄り、彼女もまた無意識にミュラの肩を抱いて目を見開いていた。ジャリルファハドではないのだろうか、という冷静な考えには戻れない。
「――開けてもらえないか。……怪我をした」
 何時もの低く唸るような声に安堵したのか、ミュラがソーニアを振り解き扉を開く。蝶番が耳障りな音を立てながら鳴くなり、ジャリルファハドの血塗れの手が扉を開く。肩から夥しい量の出血をし、裂けた右耳から出る血は渇き赤黒く変色していた。誰も付いて来ていないか、振り向き後ろを確認すると、そそくさと扉を閉めミュラに刀を押し付けて、草臥れたように床に座り込んでしまった。
「それ、どうしたのよ」
 僅か震える声でソーニアはジャリルファハドの目の前に屈みこんでは、傷を手で押さえ込む。僅かにジャリルファハドは痛みに呻くも、非難する様子はなく深呼吸を一つ、二つと繰り返した後に口を開いた。
「撃たれた。それだけだ。弾は抜けたみたいでな。"探ってみた"が無かった」
 左手の指先が血塗れだったのはそういう事だったのだろう。自身の指で傷口を探るなど、随分と恐ろしい事をすると畏怖を抱きつつも、ソーニアはどう処置をすべきかと思案する。弾が肩を抜けたともなれば、肩の外側を抉り取ったと考えられる。貫通したならば、出血量はこれでは済まない。そもそも激痛に身動きを取る事すら難しいだろう。
「傷見せてもらえる……?」
「あぁ」
 鎧通しを二振り床に投げ捨て、ジャリルファハドはサウィスの上を脱いで、鎧通し共々床に投げ捨てた。右腕は上腕から手の甲まで、左腕は前腕にびっしりと刺青が彫られており、厭に目を引く。左脇腹の大きな傷跡は痛々しかったが、今はそれを見る時ではないと右肩の銃創を見遣れば、勿論の事ながら皮膚は裂け、肉は抉り取られていた。
「水に入ったり、転んだりした?」
「まさか、死にたくないのでな」
 ならば破傷風のリスクはぐっと抑えられる。弾は確かに肩の外側を抜けており、消毒を適切に施したなら問題は無さそうだ。耳の傷は千切れていたりする訳でもなく、同様に消毒して固定しておくだけで良いだろう。
「……誰にやられたの?」
 その問いにジャリルファハドは口を開こうとせず、せせら笑うばかり。どうにも言い得がたい狂気がそこにあるように感じられ、ソーニアは口を噤み、消毒液と包帯を探しに行くのだった。一瞬、ミュラとジャリルファハドは視線を交わすも、ミュラは不安げに瞳を揺れ動かすばかりで言葉を発する事が出来ないようだった。
「案ずるな。血さえ止まれば幾らでも……」
 殺せる、と。その先を語ろうとせず、ジャリルファハドは項垂れて瞳を閉じるばかりだった。どう騎士を殺すか、騎士を何時殺すか。ただそればかりが頭の中を巡る。この傷はただ単に忌々しいだけの代物で、成すべき事の障害でしかないのだ。
 彪は人の皮を被って、声すらないままに嗤っているのだ。ただ、ただそれだけである。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.93 )
日時: 2017/11/13 01:15
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 皮肉にも己の肉体を刺し貫いている鎧通しが傷の塞ぎ蓋の役目を果たしている。興奮が治まりつつあるガウェスの肉体は徐々に痛みと熱を認知し始め、動かなくても身を灼くような痛みに襲われる。柳眉が顰められ、額だけではなく全身から脂汗が滲む。刃先が動揺しない様に片手で柄をしっかりと掴み、体勢を崩さぬよう、転ばぬ様に立ち上がる。少しでもバランスを崩せば刃物があらぬ方向に動き、臓器を傷つける可能性だってあるのだ。本当は空いている方の手を壁との支えに使いたかったが、筋肉を傷つけてしまったのだろう、上手く力が入らず、無理に込めようとするば刺されるような鋭い痛みが襲ってくるのだ。立ち上がるだけで息が切れ、柄を握る手に力がこもる。野次馬が集まってくる。ふと、ジャリルファハドは無事に逃げ果せただろうかと頭を過ぎる。かぶりを振り、邪念を押し退ける。今は怨敵のことを考えている暇は無い。屋敷に帰らねばと下に向けていた顔を上にあげると青い瞳が揺れる。何故彼がここにいるのか、いつからいるのか。彼の視線の先にいたのはランバートであった。考えを巡らせてみようと試みるが、刺し穿かれた患部が熱を帯び痛みを主張してくるために集中できない。結局彼の口から出たのは明日を迎えられぬほどに衰弱しきった老人のような、掠れ醜い呻き声のみであった。真黒の服に身を包んだ男は騎士の蛮行を咎めることはなく、愚かしいと言わんばかりに薄笑いを顔に張り付けている。そして野次馬を脇に誘導し、控えていた仲間と共に彼を屋敷の医務室まで運んだのだ。
「本当にジャリルファハドの元へ行くとはね。騎士様はご自分の実力に相当自信がおありの様で」
 ランバートの嫌味をガウェスはただ黙って受け止める。否、ランバートの言葉にまで気を回す余裕がなかった。迷いなく淡々と進められる治療ではあるが患者への気配りが些か足りない。短刀を引き抜く際は非常に丁寧だったが、止血と消毒。力一杯押し付けられるガーゼがチクチクと傷口を刺激する。夢ならば早く醒めてほしいと願ってみるが痺れる様な痛みを認知するだけで、余計に現実であると思い知らされるだけだった。慣れた手つきで縫合を行い、最後に患部がしっかりと癒着するように固定する。普段よりもきつめに固定したのは嫌がらせではないと断言しておこう。背凭れに身体を預け、長い睫に縁どられた瞳は静かに伏せられている。治療の痛みが尾を引いているらしい。
「腕の一本でも飛ばされるもんかと思ったが……。五体満足で帰ってこられて良かったな」
 祝福と受け取り共に笑うべきなのか、皮肉るなと抗議をするべきか。ガウェスの表情は冴えない。
 男は器具を一番上の棚に片付けしまうと、サイドテーブルの一番下を開けた。彼の手に握られていたのは一本のワインボトルと栓抜き。空では無い。中身を確認するかのように左右に振るとチャップチャップと音を立て波を立てるのだ。茶色く変色し、端が破け金色の文字で綴られている文字には見覚えがあった。アゥルトゥラではない、異国のワインである。それも凄く上等な。ガウェスも一度だけ飲んだことがある。葡萄の甘く馨しい香りが舌の上いっぱいに広がったと思うと、種から出た僅かな渋みが顔を出す。しかし、それは後を引く渋みではなく一瞬だけ自らを主張するとすぐに消え、口の中に残るは葡萄の芳醇な香りのみになり、非常に飲みやすい。大凡、医務室には似つかわしくない代物を見て、ガウェスはほとほと呆れ果てる。
「はしたないですよ、直接口をつけるなど」
「固いこと言うなよ。親戚同士だろう」
 ガウェスに咎められても悪びれた様子はなく、飲みきれなかった液体が口の端から顎にかけて垂れて一本の線を作っている。服の色も合わさって、まるで昔読んだ夢物語吸血鬼が血を啜っているようであった。「何だよ?」と不機嫌に問われ「何でも無い」と返答すると視線を逃がすように外を見る。その時に気が付いた。
「いやに……、少ないですね」
 庭を巡回する人数が前に来たときよりも大分減っている。斯様なことがあったから当然かと納得しようとするものの、それにしても少ない。
 ポロリと落ちた疑問ににランバートの酒を呑む手が止まる。翡翠色を映していたインディゴがゆっくりと一人の美丈夫の青い瞳を映す。
「三分の一近くがな、逃げた」
「え?」
「逃げたんだよ。ここから。お前の親父が殺されたって知ってからさ。たぶん朝になったら更に出るだろうが」
 温度を感じさせない冷ややかな声だった。それがガウェスに対してなのか、逃げた彼らに向けたのか。再びランバートが酒を仰ぐ。木の幹のように太い喉がグビグビと上下に動き、真っ赤な液体を再び喉に流し込む。
「な、なぜ」
「手に負えないって分かったからだろうさ」
 別段、珍しいことではない。命に危機に瀕した時、仕事に対しての報酬が見合わない時、彼らはさも平然と手のひらを返す。戦闘を放棄し、いそいそと逃げ帰る。それを恥だと思っていない。むしろ、相手側から倍の金を積まれれば、今までの味方にも容赦なく武器を振るう。誇りなど、犬に食わせておけば良いのだ。しかし、ガウェスは違う。頭の天辺から足の先まで騎士の教えが叩き込まれている。『汝、最期まで主君裏切るなかれ』この教えに従い、最後の最期まで主の盾として守り続けるだろう。
「止めなかったのですか」
「止めた所で俺がどうこう出来る問題じゃねぇし」
「信じられません。たとい仮初めの主従だったとしても一度契約を結んだら最後まで主に殉ずるべきでしょう。反故にするなど」
「甘い。甘いなァ。軍粮精の砂糖漬けよりも甘いぜ考えが。そんなんだから足元掬われるんだよ」
「私の兵達は、皆、逃げずに勇敢に戦いました」
「……ハッ。そりゃご立派なことだな」
 彼らが戦ったところを見たこともないのによくもまぁ言えたもんだとランバートは嗤う。あまりに真面目な顔をして言うからさらに更に笑いがこみあげてくる。誤魔化すようにワインに口をつけるが、既に空になっていたらしい。口に流れたのはたったの一滴のみで、それでもぶどう酒の甘ったるい残り香だけが口いっぱいに広がる。
「そりゃあ逃げる暇も無く攻め込まれたら戦うだろうさ。そもそも死んだら元も子もねえだろう」
 そう言い切られれば、ガウェスは困ったように視線を落とす。そして、蜘蛛の糸のように細く千切れやすい声でこう続けたのだ。
「これから脅威が迫りくることも見越してなお、貴方を、主を見捨てたんですよ」
「じゃああれかい。『なんて連中だぁ。俺を裏切りやがってぇ』って怒ればいいのかね? 馬鹿言っちゃいけねぇよガウェスちゃん。傭兵なんてそんなもんよ。一番なのは自分の命、そんで次に金。その次も金。金金金……、そんなやつらよ。ときどき酒と女が入る野郎もいるがね、どいつもこいつも欲望に素直な奴よ、本当に。今残ってんのは、自分の腕に絶対の自信を持つ馬鹿か、端金目当てのドケチ野郎か死にたがりのキチガイだけよ。ああ、でも」
「傭兵といえど、ベケトフのところの狂犬はちょっと違うなぁ」という言葉をグッと飲み込む。自分の命よりも報酬よりも仕える家に全てを捧げている。あちらからすれば普通のことなのだろうが、こちらからすればキチガイの所業である、一つの家に固執するなど。恩義も忠義も感じず、金の切れ目が縁の切れ目と言わんばかりのビジネスライクの関係が丁度いいだろうに。しかし、ここでいうべきではない。その人物とガウェスがご令嬢を含めお茶会をするほど懇意なのも知っているし、何よりも女性である。一回だけ姿を見たことがあったが、ツンとした目元に澄んだ青空の瞳。濡れ烏のように美しい髪の毛を後ろで一つで縛っていた。氷肌には傷一つなく、太陽に当たるときらきらと輝いていたいるようにさえ見えた。そのように美しい女性をこの場にいないとはいえ貶めることなど彼ができるはずもなかった。故に、咳払いをしてその場を誤魔化す。
「貴方は……逃げないので?」
「治めている地区もあるからからよぉ、見捨てるわけにはいかないだろ。それに家督を継ぐのは俺じゃあないからな」
 長兄であるはずのランバートだが家督を継ぐことはなく、彼の長弟が継ぐこととなっている。理由は言わずとも分かるだろう、彼の病的ともいえる性格のせいだ。
 ランバートの放蕩ぶりは貴族又はそれに準ずる者なら知らぬ者はいない。毎夜社交界に顔を出しては、独り身だろうが、未亡人だろうが、人妻だろうが、引っ切り無しに口説いては一夜の契りを交わしている。女性関係が派手なランバートを見兼ねた友人が再三の注意をしてきたが馬に念仏とはよく言ったもので、全く聞く耳を持たなかった。そしてついに半年前、社交界から追放されたのだ。貴族として以前に家族として、そんな婆娑羅者を跡取りに出来ないのは至極当然であろう。とはいうものの、ランバート自身は家を継げと言われたら何らかの理由をつけて放置していただろう。でなければ、毎夜社交界を歩き渡り、女性を口説いたり、傭兵等という仕事をやるはずがない。
 話に一区切りつき、二人の間に沈黙が挟まるかと思っていたが、控え目なノックの音が一回二回。「いいぜ」とランバートが一声かければ、控えめに扉が開けられ、左目の潰れた若い男がひょっこりと顔を出す。来客だからか、それとも男だったのが珍しいのか、ガウェスを見ると目を満月のように丸くしガウェスへ視線を飛ばした。が、彼がランバートの親戚だと分かると興味が失せたらしい。顔をグッと引き締め、ランバートの方へ向き直る。赤く腫れたニキビを引っ掻きながら「犬共が来た」と告げるとすぐに踵を返し、持ち場へと戻っていく。わざわざ伝えに来てくだすった青年に対し、へらへらと手を振っていたが、彼の気配が完全に消え去ると張り付いていた笑顔が剥がれ大きなため息をついた。ガウェスと同じように背凭れに体を預けるとギシりと音を立ててランバートを受け止める。
「愛嬌がないのは許してくれよ。元々そんなもんクソほどもねえ奴だが、昨夜のせいで余計にピリピリしてんのさ」
「あの、犬とは」
「なぁに、すぐに分かる」
 言い終わると同時に二人の若い憲兵がノックも無しに部屋へと入ってくる。暴動の鎮静化、後処理を終わらせてからこちらに直接来たのだろう。二人は硝煙と血の匂いを纏わせていた。思わず顔を逸らしたガウェスと眉間に皺を寄せたランバート。尤も、ランバートが嫌悪を示した理由はこの場に誰一人として女がいないことであるのだが……。しかし、そうなってくると話は早い。享楽的な彼が退屈な憲兵の話に耳を傾けることはない。何を話したか何を話されたか、後でガウェスから話を聞けば良いのだ。兎が跳ねるように勢いよく立ち上がったランバートは扉へと向かう。年若い憲兵は当然彼も同席するものだと勝手に思っていたようで、少々狼狽えた様子で「待ち給え」と声をかけるものの、彼を止めることは願わず。「便所だよ」と言ってニヤりと笑った彼は腕を掴まれる前に素早く扉の外へと駆けだした。ハッとして扉の外を確認するも其処には何者もおらず、開け放たれた窓から入る風が若草色のカーテンを揺らすだけだった。致し方あるまい。追跡は諦めランバートの座っていた椅子に腰掛ける。ランバートの享楽主義は年若い憲兵の耳にもしかと入っているらしい。朝になるまで帰ってこないであろう屋敷の主を待たず、ガウェスへの尋問が始まった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.94 )
日時: 2017/06/25 17:21
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 最初はジャリルファハドの怪我のせいで気が気でなかったミュラも大事には至らないと分かると「あんまり心配させんなよ」と文句を垂れる余裕が出てくる。どんな反論が出てくるかと身構えていたもののジャリルファハドが発したのは「悪かったな」と謝罪の言葉である。虚を突かれたように呆気にとられポカンとしてしまう。不審に思ったジャリルファハドが「どうした?」と訊くと我に返り、だらしない顔を晒したことを恥じた。「何でもねぇよ!」と一段と大きな声で答え、ソファーの背に顔を押しつけるように寝てしまうのだった。
 ジャリルファハドの傷が癒えない以上、クルツェスカに踏み入ることは出来ない。暇を持て余したミュラが本を読もうと一冊を手に取ってみるが、文字がびっしりと書き連ねていれば、心にバキリと亀裂が入る。結局、物の数分で読むのを諦め、読み手がいなくなった本は寂しく机の上に取り残されることとなった。ソーニアに片付けるように促されるまでそこで放置されることとなり、ミュラは退屈であると駄々をこねだし始める。彼女を一人、外に出すわけにもいかない。ジャリルファハドを家に残し、食料の買い出しという名目のもとソーニアと二人、街へ出ることになる。ソーニアが空を見上げると、にび色の雲が空を覆い、今にでも雨が降りだしてきそうである。大通りを往来する人々も心なし早足のように見え、つられるようにソーニアの足も自然と早くなる。
 昨日の売れ残ったパンをタダ同然で貰い、上機嫌なソーニアの後ろをついているのは食料の入った大きな紙袋を抱えているミュラだ。はぐれるわけにはいかないと、歩く度に揺れる赤毛を目印にパタパタと小走りで追いかけていく。
 あと少しで近道に入れるといった所でソーニアはぱたりと足を止めた。それに気が付かず一歩多く踏み出したミュラはソーニアの背中にぶつかる。鼻の頭がヒリヒリと痛み、抗議しようとしたミュラの鼻を掠めたのは、焼きたてのパンように甘く香ばしい匂いではない。セノールが吸っている煙草と同じくバニラの香りなのに、それよりも甘ったるい。鼻に纏わり付く匂いは何なのか、何故止まったのかと肩越しから前を見据えればソーニアの前には黒い服の男性が一人。顔見知りなのだろうソーニアは眉を顰め、男は人の良さそうな笑みをニコニコと浮かべている。二人はどのような関係なのだろうかと男とソーニアとを交互に見比べている。最初に切り出したのはソーニアだった。
「元気そうね」
「そりゃあ朝から美しい女性に出会えれば当然だろう?」
 整った顔立ちをしているが、軽薄そうな男でもあった。彼が纏わせている香りも女性モノの香水の匂いだ。コツリとコツリと飄飄たる男、名を出すなら、ランバートは軽い足取りで二人との距離を詰める。後ろに下がりたがったが、ミュラで邪魔で下がれない。ランバートのゴツゴツとした手がスラリとしたソーニアの手を触れた時、彼女は苦虫をかみつぶしたように顔を歪め、男の手を振り払う。
「やめてよ。気持ち悪い」
「それは失礼」
 ソーニアの棘のある言葉にも悪びれた様子はなくニヒルに笑う。ちらりと後ろに目を向ければミュラと目が合う。一瞬薄っぺらい笑みが外れ素の表情が顔を出すが、すぐに人当たりのよい柔和な笑顔が戻ってくる。
「おはよう可愛らしいお嬢さん。名前をお伺いしても」
「言う必要はない」と止める前にミュラは自らの名前を紡ぐ。簡単に名前を教えない様に言い聞かせる必要がありそうだ。今は口で言う代わりに脇腹を肘でせっついておいた。
「ベルバトーレ? 聞かない姓だ。しかし耳慣れないものじゃあない。アゥルトゥラの東側には「ベルトーニ」や「ベルバーナ」って似た様な姓があるからね。そっちの生まれかな。それともヴィムート……、でもない。違うなぁ。あぁ待て待て待ってくれよ。まだ言うな。当ててやるともさ。ロノペリにも「ベルトーレ」って似た様な姓があったような気がするなぁ。そっちか?」
 世界の地理など知らぬ。彼女が師匠から教えられたのは砂漠を生きる術のみだ。ランバートの口から矢継ぎ早に放たれる言葉の多くは聞いたことすらなく、言葉の濁流に目を白黒させる。正解か否かを問われているのは分かるものの、沸騰した頭ではなんて答えればいいか分からない。返事に困ったミュラがコクリと頷けば「やっぱりなぁ」とどこから誇らしげに頷いている。ちなみに、どさくさに紛れてミュラの手を握ろうとした時はソーニアにはたかれていた。(それでもまったく気にしていなかったが……)
「時に……、ジャリルファハドは元気かい?何でも怪我をしたそうじゃないか。タァーンと撃たれてさ」
 拳銃を撃つジェスチャーをすれば、二人の顔がたちまち強張っていく。
「なんで……それ知ってんの」
「ミュラ!」
 咎められた意味が分からなかったが、すぐにアッと声を上げる。ランバートは僅かに目を細めた。
「やっぱりジャリルファハドは君達の所に居るわけか」
「知って如何するの。まさか殺しにでも行くつもり?」
「馬鹿言うなよ、んなことしたら俺が死んじまうよ。セノールつか、ガリプ相手に単身で突っ込むなんて……。あんな猪武者と一緒にしないでくれよ。あーやだやだ。俺はアイツ一人を殺すのに七十の兵を動かすぜ」
「七十って」
「大袈裟だと思うかい?」
 問われればミュラは口を噤む。冗談の類であろうが冗談に聞こえないのが不思議でしょうがない。想像できるのだ。仮にそのような兵力差があったとしても彼は前へと進むだろう。一匹の獣となり、目の前の障害を全て喰らい尽くすような気がしてならないのだ。
「ねえ、どうして貴方はジャリルファハドが怪我をしていることを知ってたの?」
「優秀な情報屋がいるんだよ。うちには」
「じゃあ猪武者って誰のこと? あなたの知り合いなの」
「知り合いと言えば……知り合いだな」
「随分曖昧ね」
「曖昧だろ」
 にへらと笑うランバートだが、ソーニアの視線に耐えかね顔を逸らす。殺気は篭ってないものの、チクチクと肌を刺すような視線は何とも居心地が悪く、この時ばかりは話かけたのを後悔した。同時に自分のおしゃべりが過ぎたことも反省する。ジャリルファハドの現在の情報を訊こうと近づいたのはいいもののこちらが情報を抜き取られそうだ。少しでもジャリルファハドと繋がりがある以上、彼女らにガウェス・ハイドナーの居場所を教えるわけにはいかなかった。セノールの撤退は戦略的撤退。獲物を確実に狩るための準備なのだ。アゥルトゥラの撤退とは根本的に違う。しかも相手はセノールの尖兵と呼べるガリプの者。必ずガウェスの首を取りにくるだろう。本流の血が絶えると云うことは即ち、一つの家の終わりである。今まで積み重ねてきた栄華も栄光も全てを水泡に帰することとなのだ。別の親戚に継がせることも可能ではあるが没落は 免れない。今まで嗤ってきた貴族連中に落ち目だと揶揄されるのがランバートにはどうにも我慢できる気がしないのだ。
 いっそのことキスでもしてその口を塞ぐべきかと考えるが、キラ・メイ・リエリスのことを思い出して断念する。昔、強引にキスをしようとして股間を蹴られ三日間ベッドから出ることが出来ず、布団の中でウンウンと魘されたのだ。二度と繰り返したくない出来事の一つである。
 最後までソーニアの問いに明確な答えを出すことなかった。ソーニアはもっと追求したいと思っていたが、ミュラが「雨が降ってきたぜ」と言ったため、その場は一旦お開きとなった。
「ソーニアの……恋人?」
「ミュラ、冗談でもそういうこと言うのはやめて」
 期待が混じった目で見られるのは困る。バツが悪くなり、ランバートのように視線を逸らした。そう言えば、ランバートはジャリルファハドを襲撃した者の話題になったら目線を逸らしていたなと思い出す。ある本に書いてあった。隠し事に関連のある話題になると無意識にそちらを向いてしまうことが多いのだと。ランバートが向いた方向にあるのは昨夜襲撃をうけたハイドナーの館。ソーニアの瞳が僅かに見開く。まさか、ジャリルファハドを撃ったのはあの人ではないか。同時に彼の屋敷で匿っている。それならばランバートがジャリルファハドが負傷したことを知っていてもなんら不思議ではない。
「ソーニア」
 ミュラを呼び掛けにほんの一瞬遅れた。瞳が不安で濡れている。
「すげー顔してたぜ。そんなに嫌だった?」
「ううんそうじゃないの。いや、そうなんだけどね」
 言うべきか、言わざるべきか。思考できる時間はそう長くない。
ミュラの小麦色の頬を優しく撫でて、両手で挟み、しっかりと挟む。
「ああいう男に騙されちゃ駄目よ」
 自分が云うと滑稽にみえるかもしれない。と自嘲が洩れそうになる。しかしミュラを違和感を抱かせることなく納得させるにはこれしか考えられなかった。不確定の状態で全てを話すことは出来ない。それに話を聞いた彼女が(可能性は低いものの)ランバートの屋敷へ単身向かうことも十二分に考えられた。それだけは避けねばならない。ソーニアの真意を汲み取ることなく「当たり前だろ」と屈託なく笑うミュラ。彼女を騙すことに罪悪感を覚えつつ帰路を急ぐのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.95 )
日時: 2017/07/03 03:09
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 雨音は何かの足音の如く。降り頻るそれは耳を傾けるまでも無い。腫れ、熱を持った銃創、それを覆う布を指先でなぞりながら、彪は一つ溜息を吐く。
 どうするべきか、どう立ち振る舞うべきか、と己に問い、己から答えを引き出さなければならない。それを雨が、雨の戯言が邪魔する現実に言いようの無い苛立たしさと焦燥感を抱くのだ。恐らく、昨晩の出来事は既にクルツェスカの中に広まりつつあるであろう。民衆へと広まるまで至らずとも、憲兵達の間に話は広がっているに違いない。あそこでハイドナーを撃ち殺せば良かったという悔恨の念が胸の中を去来し、苦虫を噛み潰したかのように顔を顰める。
 今のクルツェスカに流れる戦の前のような空気、それは恐らくしてハイドナーが発端であり、彼等が何か触れてはならない物に触れたと想像に容易い。新聞の一面にはクルツェスカで起きた暴動が記され、三面にハイドナーの屋敷襲撃ならびロトス・ハイドナーが殺害された記事が記載されている。彼等は怒りを買った故の報復を受けたのだろう。それを何を勘違いしたのか此方に言いがかりを付けて来たに違いない。阿呆だと、あの頭の中には大鋸屑でも詰まっているのか、とジャリルファハドは思い返す度にほとほと呆れ返りそうになる。思慮のない馬鹿が当主とは矢張りハイドナーは愚かしい一族。此処で討ち取ってやるのがせめてもの救いだろう。そして討つのは今が好機であろうが、如何せん居場所は分からない。居城を移したのは確かであろう。だがしかし、昨今の攻撃が原因で警備は厳重となり討つには厳しい。ともすれば、それすらを食い潰してしまうような存在と動くのが得策と思えた。
 暫く考え込んでから、ジャリルファハドは一枚の雑用紙を手に取り、手早いながらも整い丁寧な文字を記し、彼は荷を背負う。刀も鎧通しも散弾銃も。それらの全てを取り、雨具代わりにと砂漠から持ち込んでいた外套を頭から被った。顔は見えず、一瞥しただけではセノールだと分からない。外套の影から除く瞳は厭に暗い。痛む肩の事など、疾うに忘れたかのように荷を背負ったまま外へと出て行ってしまった。雑用紙には「暫く空ける」とだけ短く書き記されているのみ。行く先など記す事はない。だが、しかし。彼は既に行く先を腹の中で決めているのだ。彼の向かう先は陽の当たらぬ彼方であり、血の河が流れる奈落。旧友が居るであろう屋敷である。

 人垣を越え、雨の中で傘すら差さずに歩み続けたなら、見知った家紋を掲げる屋敷が其処に在った。二つの輪が重なり合い、その間に鏃を記しただけの簡素な家紋。それはジャッバールの物であった。番兵が此方を見ているが、今日はレヴェリではなくセノールの者達であり、外套の被り物を脱いだなら彼等は驚いた様子でジャリルファハドを見つめていた。そして間もなく笑みを浮かべながら近付いてくるのだ。
「ファハドか。久しぶりじゃないか! どうした? 漸くジャッバールに協力する気になったか?」
「まぁ……、そんな所だ。アサドは居るか」
「あ、あぁ居る。少し待ってろよ、あぁ!! いや! もう入って良いぞ! お前なら信用出来る!」
 少し興奮気味なセノールの番兵へと、瞳を閉じ小さく会釈をしながらジャリルファハドは歩を進め、漸く屋敷の軒下へと入っては雨を凌げる場を見つけ、再び溜息を吐く。どうも銃創が疼き不快である。腕を伝うのが雨の滴なのか、流れた血なのか分からない。雨のせいだろうか、鼻が何故か効かない。
 顰め面のままで軒下の奥を見据えたなら、無駄に大きな看板に「ラーディン」と記されており、あそこにハヤが居るのだろうと予想がついた。事実、彼女がきんきんとした声を張り上げて何か話しているようだ。怒っている訳ではなく、昔から厭に声が大きかったな、と顰め面に苦笑いという妙な顔をしながらジャリルファハドは階上を目指す。彼女も意気軒昂そうで何よりだ。
 階段を登っていけば、白い髪を靡かせたレヴェリの少女とすれ違う。彼女はジャリルファハドを誰だろうと首をかしげながら見つめるばかり。言葉一つ交わす事もなかったのだが、彼女からはセノールの好む煙草の匂いがしていた。少しばかり甘いような香りだ。バシラアサドとて例に違えず、その煙草を常用していたはずだ。ともすれば、そろそろ彼女の居室が近いのだろう。
「……さて」
 それにしても随分と警備が手薄だと、妙な感覚を覚える。屋敷の彼方此方に警備が放たれている訳でもなく、ハサンの者が物陰から息を殺し、見ている訳でもない。普通の屋敷なのだ。そこに住まう者は普通の生を謳歌し、普通に過ごしている。血腥さ、物々しさとは無縁なように思えるのだ。故に己がこの場に不釣合いな非日常のように思えて仕方がない。自嘲するように咳払いを一つしては歩みを進めると、扉の向こう側から昔よく聞いた者の声色の欠伸が聞こえ、ジャリルファハドの歩みは思わず止まってしまった。扉の向こう側には旧友が居る。どうも緊張が走り、扉を叩こうとする手が止まってしまった。
「アサド。居るか」
 扉の向こう側から聞こえていた物音は鳴りを潜め、こつこつと足音だけが扉の向こう側から聞こえて来る。部屋の中に居るのは間違いないだろう。これで撃たれでもしたら話にならないと、扉から僅か離れて、ジャリルファハドは口を閉ざしたまま扉を見据えている。取っ手が回り、きぃきぃとした金属を鳴らしながら少しずつ扉は開かれてゆく。開かれた扉の隙間からは影だけが伸び、その影を黙ったまま見ていた。
「漸く私に与するか」
「……いいや」
 否定を述べた刹那、直刀が扉の隙間からジャリルファハド目掛けて伸び、それを寸での所で避けたならば刀身を扉で挟み込む。刀を引き抜こうとしているであろう物音が聞こえていたが、観念したように吐かれた溜息が一つ聞こえる。
「開けるぞ」
 扉を抑える力を緩めたならば、刀は瞬時に扉の向こう側へと隠れてしまった。扉の向こう側の旧友は鞘に刀を収め、青い目を向けるばかり。九年ぶりの再会だというのに互いに笑顔一つ見せず、張り詰めたような空気ばかりが漂っていた。どちらが刀を抜いたとしても不思議ではないような緊張感。まるで野生の獣同士が声一つ上げず、睨み合っているかのよう。暫くその状況が続くも、口火を切ったのはジャリルファハドであった。
「一昨日からの殺し。お前達が尾を引いているのか」
 その問いはさぞ愉快だったのだろう。バシラアサドは声を出さずに肩を震わせながら笑っていた。その様子は狂人のようで、すっかり変わってしまった友を直視するのは辛く、思わず目を伏せてしまった。己は人の皮を被った獣であるかも知れないが、彼女は人語を解す獣に成り果ててしまったかのよう。
「あぁ、そうだ。ハイドナーが私達の"商い"を邪魔するものでなぁ。私の手の者を殺されてしまったのだ。ファハドよ。忘れていないだろう。我々は輩の仇を討つならば、一族郎党まで討つ。そういう血を引き、そういう掟に従って生きてきた。至極当然な話しだ」
「……アゥルトゥラが幾ら死のうとも構わないさ、俺はそれを咎める気はない」
 ジャリルファハドの口から出た言葉は本心であった。アゥルトゥラが幾ら死んだとしても構わない。何れ報復を成し、大勢を殺す未来は変わらない。バシラアサドと向く方向は同じく、大凡全てのアゥルトゥラは死に絶えなければならない。そうでなければならない。そうでなければ嘗ての英霊が浮かばれない。我々の世代は、そのために血を流し、死に絶える事を臆してはならないとジャリルファハドは己に言い聞かせているのだ。
「まだ首が足らなくてだな。次の晩には息子の首も取ろうと思うが……、どうだ? いや、その腕ではダメか。随分と血の匂いをさせて……、まったく」
 青い目は急に昔の色を取り戻し、言葉の端々からは突然と棘が抜け落ちてしまったかのようだった。ジャリルファハドはやや戸惑いながら、視線を右肩へと向けて苦笑いを浮かべていた。昔の記憶が蘇ってくるのだ。ハサンの者達に付けられた傷を彼女が泣きながら手当てしていた記憶だ。
「銃弾が掠めただけだ、弾も抜けているしな。この通り、動く……」
 右肩を上げ下げしていると、疼痛が走り思わず顔を顰めてしまう。声色に出る事はなかったが、どうもバシラアサドの青い目が呆れ果てたような視線を投げ掛けているように見える。バツの悪さから右肩を下ろして、床を見据えていたのだが彼女の溜息に視線を引き戻されてしまう。彼女は視線など気に掛ける様子もなく、背を見せて戸棚を漁っている。
 暫くして何かを見つけのか、手に取ってまじまじと眺めている様子だった。踵を返した途端、それをジャリルファハドに投げつける。上から投げるのではなく、放物線を描き、緩やかな速度で飛ぶような下投げであった。
「これを持っていけ」
 バシラアサドが投げ付けてきたのは、一振りの鎧通しであった。アゥルトゥラの物ではなく、セノールで作られたそれは昔からアゥルトゥラの騎士を組み討ちするため、よく使われた物であった。鎧を穿ち、肉を裂き、骨へ至る。何度も何度も鎧の上から突き刺したとしても、刃毀れ一つせずに騎士の身、骨を削り取るのだ。彼はそんな物を抜く。
「ハイドナー……討つのだろう?」
「随分と察しが良い限りだ」
 鎧通しを受け取り、刃を眺めながらジャリルファハドは返事をしてみせた。鎧通しの刃紋は厭に不揃いで、まるで今クルツェスカに起きている混沌を刀身に現したかの様だ。これが血に濡れたならば、刀身にクルツェスカの惨状が姿を現す事だろう。
 刀身を見据えていると、何時の間にかバシラアサドの身体が目の前に在り、厭に鋭い青い目と視線を交わしてしまった。擦り寄る様に彼女はジャリルファハドへと寄り、耳元で二つの情報を囁いたのだ。それはハイドナーの居場所、そしてジャッバールが再度襲撃するという話であった。彼女の長い髪が頬に触れてもジャリルファハドは気にする様子もなく、ただ黙りこくったまま耳を傾けるばかりだった。
 一頻り話し終えたのか、バシラアサドは耳元から離れ、随分と悪い笑みを湛えている。彼女の青い目は何を見ているのだろうか。入れ知恵した事で、その先に待っている惨状を見ているのだろうか。それとも何も目には写っていないのだろうか。悪辣としたその視線に耐え切れず、ジャリルファハドは伏せ目がちに視線を逸らすのだった。
「もう戻れないのか」
 その問いに愉悦を湛えた彼女は一気に不愉快そうな顔へと挿げ替え、ジャリルファハドを睨み付けていた。気圧される様な事など無いが、これが仮に戦場で向けられたならば、交わす言葉すらなく切り伏せてしまいたくなるような物であった。
「遅すぎる、馬鹿」
 そう短く吐かれた言葉。それに続く言葉など一つもなく、ジャリルファハドは静かに立ち上がって背を向けるだけだった。もう彼女に語るべき言葉など無いのだろう。命を擲ってでも止められなかった嘗ての己を恥じ入らざる得ないのだ。背に向けられた青い目は黙したままで、その恥を見続けるのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.96 )
日時: 2017/07/25 23:38
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 ジャッバールの屋敷を後にしても、未だに雨は止まず、降り頻っている。足元の雨水を漕ぐ足音すらも消し去ってしまうような激しい雨音は人々が往来を憚ってしまう程であった。既に日も暮れかかっており、夜が足音一つ立てずに近寄ってきているのだが、相反してジャッバールの屋敷を出た所から、延々と後ろを着いて来る者の気配が感じられた。数にして三人ばかりだろうか。憲兵などではないのははっきりと分かる。明らかに尾行が雑な上、このような天候下、人影が疎らだというのに尾行をするような愚かさ、明らかに傭兵か何処かの私兵であると考えられた。そのような教育をされている訳でもないのだろう。恐らく今、尾行をするともなれば憲兵ではないだろう。何故ならばそんな余裕が無いからだ。これがジャッバールであるならば意図が掴めず、またする理由もない。ともすれば尾行をしていると考えられるのは「レスデントのキール」に雇われた傭兵乃至それらの私兵という結論に行き着く。ハイドナーの親類であるのだから、状況の把握、内偵に努めるのは間違いではない。
 何をする訳でもなく、ソーニアの家へと戻らず雨に打たれながら、ふらふらとクルツェスカの中を歩み続け、西側の城壁の端へと辿り着く。そこには嘗てザヴィアに最期まで味方し、壮絶な討死を遂げた人物「ラノトール・カランツェン」へ向けられた慰霊碑が建てられている。彼の死後、彼から手傷を負わされた者は悉く早世したという。そんな祟り、呪いのような話が囁かれており、それはセノールであるジャリルファハドとて知っている程に広まっていた。今、彼はそ今を生ける者達の手により西側の守護者として丁重に祀り立てられている。まるでその怒りの矛先を砂漠と向けているかのよう。その慰霊碑の前に広がる広場は全く人の気がなく、ジャリルファハドを尾行していた三人の内偵の内、一人だけ少し離れた所から横目で視線を投げ掛けているのが見て取れた。
 やはりあの者達は明らかに内偵である。ともすれば尾を掴まれる訳には行かず、どうにかして振り切るか、消さなければならないだろうが、傭兵を三人ともなれば、今の余り使い物にならない右腕が荷物となるのは確実であった。砂漠ならば数的不利や負傷は取るに至らないが、此処は謂わば敵地であり衆目の目がある内は事を荒げる訳には行かないのだ。ジャリルファハドが取るべき行動は平静を装い、姿を晦ます事だけである。思慮浅く、刃を抜き、振るえば良いというものではない。それを成したならば仕損じた"犬畜生"と等しい愚者と成り果てるだけである。
 何事もないようにラノトール・カランツェンの慰霊碑へと手を付き、嘗て生きた武人の鑑へと思いを馳せる。彼は何を思い死が見えている戦に臨み、己が仕える者へ忠義を成したのだろうか。もしハイドナーの者達がこの武人のように、己の身と筆舌し難い忠義に基づき戦に臨んでいたならば、今こうして己は殺意に満ち溢れる事は無かったのではないのだろうか。そんな事が脳裏に過ぎると己もまた「人の皮を被った獣」のように思え、やはり"犬畜生"と大して変わりは無いのでないだろうか、と思えてしまう。鎧を穿ち、穿たれ、血を流し、流され、肉を断ち、断たれそうやって死んでいった者は何を思うのだろうか。今、此処に祀り上げられた人物は主へと忠節を尽くした事で満足に死んでいったのか、それとも不義を成した者へ怨嗟、恨事の念を抱き死んでいったのだろうか。慰霊碑に手を付きながら、そんな事を思っていると五十年前に先達が受け、散々に味わった汚辱に対する怒りが沸々と湧き上がるのだ。それが義憤だとは分かっている。己はそれを味わった当事者ではない。それに近しい事は多々あったが、先達の味わったそれと比ぶべくもない些事である。
 怒りを抑えながら、一つ深呼吸をしてジャリルファハドはラノトールの慰霊碑から手を離し、僅か疼痛の走る右肩を手の平で押さえ付けてはいたが、何事も無かったかのように歩き出した。彼の背に続くようにして三人の内偵も後を追ってきているのは手玉に取るように分かる。足音が厭に多く、彼等は気配を隠しきれていないのだ。
 既に夜の帳は降り、色街は先日の殺人など無かったかのようであった。客引き、街娼の類が闇の中で蠢き、その闇が声を発しているかのように喧騒に包まれている。幸いにも雨は止み始めてきており、出来始めた人垣が良い隠れ蓑になるだろうとジャリルファハドは暗い路地を往く。
 客引きや街娼を無視し、人の多い方へ、多い方へと歩みを進めて身を隠そうと努める内にイザベラに通された宿の近くへと辿り着いた。この街の人間は恐れを知らぬようで、あの惨劇があった宿は壁紙や床板を剥がし、新しく取り替えて新たな店が始まろうとしているようだ。それが酒場なのか、娼館なのか見分けは付かず、ジャリルファハドに何なのかは分からなかったが、あの館の前で見知った姿があったのだ。金色の髪で焼け爛れた肌を隠した受付の少女であった。ぼんやりとした灯りを受けたならば、その金色の髪は厭に目立ってしまう。また、それを足を止めてぼんやりと眺めていたジャリルファハドとて同じく。
「あ……」
 消え入りそうな彼女の声が耳に届き、思わずジャリルファハドは身動ぎしてしまった。身体が強張り、彼女と目が合ってしまう。意識していなかったが彼女の目はバシラアサドのように青く、それで居ながら彼女とは異なる色を放っている。互いに酷な生を経験してきただろうに、何が異なるのだろうか。何故こうも旧友の青い目は憎悪に満ち溢れ、彼女の目は活力に溢れているというのだろうか。
「あの……、ジャッバールから薬貰えました! 凄く良いんですよ。膿まなくなりましたし、痛みも薄れて……。それに新しい場所まで用意してもらえて……。あの……」
 少女は言葉を詰まらせ、少しずつその青い目を伏せ、声も消え失せてしまっていた。それが何故か分からず、ジャリルファハドは首を僅か傾げるばかり。漸く自分の表情が恐ろしげに強張っているのだ、と気付くと彼女は顔を上げて口を開きだした。
「セノール……、怖いばかりだと思ってましたけど、割と優しい人達も多いんですね。ナッサルの方々が面倒見てくれるって」
 ナッサルと聞けば砂漠に置いて来てしまった、少し頭の緩い弟分を思い出すもののジャリルファハドは「そうか」と短く受け答えて口元が僅か緩む。この少女は生きていたか、と。この娼館を血に染めたのもジャッバールであり、彼女に新しい人生を用意したのもジャッバールかと考えたなら、どうにも皮肉であったが彼女の幸福が約束されているのならば、その皮肉も取るに足らない些事であろう。真実を伝える必要はなく、そもそも伝えるべきではない。彼女の平穏を踏み躙ってはならないのだ。何をした訳でもない。それに彼女はセノールが味わってきた汚辱に似た生き地獄を歩み、既に贖罪は終えた人物である。大凡全てのアゥルトゥラのように死で贖う必要は微塵もない。もう充分なのだ。
「今は何をしている」
「え、一時的にジャッバールの屋敷に住まわせて貰ってますよ。明日の夜にカシールヴェナへ発つので、それで最後に此処を見ておきたくて……」
 彼女が娼館を見る目は何処と無く悲しげであったが、目はやはり死んでおらず生に対する喜びのような物も感じられた。ジャッバールの善と悪に僅かな眩暈を覚えそうになったが、ジャリルファハドはそれを振り払うように肩を竦め、口を開いた。
「そうか、あぁ――そうだ」
 ふと、ジャリルファハドに悪知恵が思い浮かぶ。彼女に客引きの真似事をしてもらおうというのだ。僅かな笑みが消え失せ、つかつかと彼女へと歩み寄っては耳打ちを一つばかり。彼女は一瞬、目を見開いて驚くような素振りを見せていたが、にやにやとした少し意地の悪い笑みを浮かべて「面白そう」とだけ一人ごちるように思いを述べていた。こんな少女だっただろうかと、少し記憶を読み起こすも恐らくはこれが彼女の本当の顔なのだろうと、結論付けるに至る。
 ジャリルファハドが彼女へ伝えた悪知恵は客引きのフリをして傭兵を色街から誘い出し、ジャッバールの屋敷の裏口から敷地内に入れてしまおうという馬鹿げた悪巧みであった。傭兵であれば、そこが危ない場所だとは知らず、以前から使われている傭兵ならば気付いた途端、顔を真っ青にして逃げ帰る事だろう。そうであるにも関わらず入ってしまったら良い様に道具として使われるだけである。我ながら随分と馬鹿馬鹿しい姦計を思い付くとは思ったが、対立を煽るのに丁度良いだろう。ジャッバールは少し面倒な事になるだろうが、バシラアサドの事であるから、上手い具合に事を進め、彼等が口を開けなくなるまで持って行く事だろう。もし、ハイドナー方が彼等を見捨てたならば他の傭兵の忠誠は揺らぎ、窮地に陥っても救ってもらえないという事実から士気が低下する。場合によっては配下を去る。そして、もし救おうとして兵を動かしたならばそれは「レスデントのキール」の最期を意味する。そこまで馬鹿ではないのならば、交渉で決着を付けるだろうが間違いなくハイドナー方が不利益を被る事となる。さすれば当主の首を貰い受ける事も可能ではないかも知れない。
「そういえばお前の名前は何だ?」
「ラニです」
「そうか。……またカシールヴェナで。では、頼んだぞ」
 ジャリルファハドはそうやって彼女の肩を叩き、人垣へと再び姿を消してしまった。人垣へ入る瞬間、右肩が人に触れたのか、少し妙な動きをしていたように見え、そもそも言葉を交わしていた時から、右腕から少し血が伝っていたのは気のせいじゃあないなぁ、などと思いながらラニは「サレイトウ」を少し渡すべきだったか、と思案に至る。
 暫く、その場に立ち尽くし、漸く人垣を縫って来る内偵三人の姿を視界に捉えた。ジャリルファハドに言われたとおりの人相、体躯である。焼け爛れた肌を出さないように長い金色の髪で隠し、にやっとした薄ら笑いを浮かべ、彼等へとゆっくりとした足取りで近寄っていくのであった。

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