複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.72 )
日時: 2017/05/24 01:17
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 一方的に話を打ち切った父親の後を追うことは許されず、無理矢理部屋に連れ戻されたガウェスの屈辱は如何ほどか……。物に当たるまいと震える手を抑え、ゴミ箱を蹴り飛ばしそうになった足を寸でのところで止める。大きく深呼吸して気持ちを整えようとするものの、鏡に映った自らの顔を見て愕然とする。そこに居たのは紛うことなき鬼。眉を吊り上げ、射殺すように瞳をぎらつかせ、、歯をむき出し、怒りと憎悪に震える顔の何と醜悪で、恐ろしいものか。今にもはち切れそうになっていた感情は自らの醜怪極まりない様を目の当たりにしたことで徐々に小さくなり、ぱちんと消え失せた。平静を取り戻す頃には、待ち合わせの時間まで30分をきっていた。
(出立の準備をせねば。ああ、でもその前に)
 心は騒がしく、行動は大人しく。椅子に深く腰掛けると、繊細なガラス細工を扱うように二度口が開いた創傷に指を這わす。軽く触っただけでも針に刺されたような痛みを訴えるが出血は無く、それでも凹みを作りヌラヌラと赤く光っている患部は蛙が口を開けているかのように薄気味悪い。自分の肉体でありながら、別の生物にも見える患部が一刻も早く治るようにと、替えのガーゼと包帯を手に取った。消毒を施しガーゼを患部に当て、新しい包帯を巻く。時折襲ってくる鋭い痛みに思わず眉間に皺が寄ったが手の力は緩めず、そのまま圧迫し、固定。息苦しくあるが仕方あるまいと半ば諦め、それでも左手では無意識に包帯を引っ張っていた。
 昨夜から一睡もしていない彼にとって今回の出陣は相応のリスクが伴うものになるだろう。睡眠不足は集中力の欠如や注意力の散漫を引き起こす。カンクェノでは一瞬の隙を見せれば喉元を食い破られる。重々承知のことではあったが、レゥノーラ討伐の任を承諾した故、その債務を果たさなければならないと考えているのだ。
 そもそもの前提として、彼の生真面目な騎士がこんな状況でおいそれと寝られるわけがないのだ。自らの傷の手当てに憎きレゥノーラによって命を散らした仲間の葬儀とその準備、壊れた鎧の修理に新種のレゥノーラの情報集め、売人の排除。そして、父親が行っていた悪行を紛糾し、結果、自分ではなく顔馴染みが殺された。見た目に反し、繊細な彼が自責の念に駆られたのは言うまでもないだろう。この他にも、西方の砂漠よりやってきたガリプの次兄、死んだと思っていた妹の存在。悩みの種は尽きず、それらは全て重荷となって自らに圧し掛かってくるのだ。それを跳ね除ける策は無く、何とかせねばと足掻けば足掻くほど、運命は彼を嘲弄し、物事は悪い方へ悪い方へとコトは転がっていく。
(民を、ハイドナーを、守る……)
 幼い頃から何度も自分を言い聞かせてきた言葉は声に出さず、唇の動きのみで紡ぐ。身体を軽く捻り、ガーゼがズレやしないか、痛みが無いことを確認するとようやく椅子から立ち上がる。待ち合わせの時刻まで残り二十分。


 
 焦燥という炎に追われるように、二人はクルツェスカの街を走る。ハイルヴィヒと約束した集合時間は刻々と迫っており、二人の脳裏には静かに怒りを露わにする彼女の姿がちらつき始める。そもそもの発端はレアがクルツェスカの街を見て回りたいとエドガーに強請ったことから始まる。大通りに沿って歩けば迷うこともないだろうと、時間的余裕もあったために二つ返事をしてしまったのが運の尽き。加えてレアの好奇心の強さを計算に入れていなかったのがエドガーの敗因であった。
 多くの人が行き来する大通りは大小様々な店が立ち並び分かれ道も少なく、一度通れば大体の店の配置や何を売っているか覚えられるほど単純な往来である。しかし、店と店の間にある細い路地に入れば、地元の人間でも把握しきれないほど複雑に入り組んだ通路が待ち構えている。区画された土地を更に分けるよう葉脈のように通路が張り巡らされ、建物はどれも似たような造りをしているのだ。クルツェスカに来て日が浅い者ならば同じところ何度も回っているような錯覚に陥ることになるだろう。カンクェノ居住区で生活していたレアとエドガーも例に洩れず、出口が見えない迷宮を彷徨うこととなったのだ。
「あ! こっちの方が明るいから出口なはずですよ、行きましょう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、休憩を」
 息も絶え絶え、走るスピードも幾分か落としたエドガーに対し、レアの呼吸は乱れておらず、走る速度も先程より早くなっているように感じた。こういう時に、エドガーは人種の違いを思い知らされる。レアは他のレヴェリ人と比べ外見的な特徴が少なく、背中に小さな羽とその周りに竜のような鱗が生えているのみである。しかし、身体的な特徴は他のレヴェリ人と同様、アゥルトゥラ人やカルウェノ人と比べると持久力もあれば、頑強な肉体を持ち合せている。
 仄暗い世界を抜けると、太陽が燦燦と輝き光のカーテンをひいている。大通りではないため喧騒は遠く、人も疎らだ。店もポツリポツリとある程度である。ローブを持ってくるべきだったと心の中で呟き、思わず目を細めたエドガーの隣、レアをこっそりと盗み見れば、心持ち得意げな表情をしているようだった。
(誰のせいでこうなったと思っているんだ)
 小言の一つでも吐き出してやろうと画策してみるものの、おどろおどろしい血の赤でもない、全てを焼き尽す煉獄の炎でもない、ガラス玉のような透き通った穢れのない赤い瞳で見つめられれば、言葉が詰まる。結局彼の口から吐き出されたのは溜息が一つのみである。突然息をついたエドガーをきょとんした表情で見据えていたレアだったが、彼のことを気にかけているのだろう。エドガーのペースに合わせるよう彼女にしては至極ゆっくりとしたペースで歩きだす。尤も、その気遣いもも彼女の好奇心の前では吹き飛んでしまうのだが……。
「何か変な臭いしません? 親方」
「変な臭いって、おいバシュラール!!」
 まだ歩き出して数分も経っていないはずだ。彼女が特別鼻が利くのか、それともレヴェリ人だから鼻が利くのかエドガーには分からないが、彼女の興味を惹く何かがあったのは確かだ。制止を振り切り、レアが向かったのはとあるゴミ捨て場であった。街の外観を損なわないように、通りからは見えないように建物の影となる場所に存在ため、多くの人はゴミ捨て場があることさえ知らないのだろう。ゴミは殆どなく、酒瓶が数本転がっているだけだ。
 彼女より一拍遅れてそこにやってきたエドガーも初めてここにゴミ捨て場があったのを知った。先程の路地のように薄暗く視界が悪い。悪臭はしないものの気持ちが良い場所でもなければ、時間もない。早々にこの場を立ち去ろうと彼女の腕を引く。
「行くぞバシュラール」
 だがレアは動かない。ただ一点を見つめている。
「親方、あれって……」
 レアが指さしたのは先にあるのか何か。目を凝らし闇に隠されたソレを捉えた時、黒い瞳が大きく揺れた。
 
 嗚呼、彼らが見たものは――。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.73 )
日時: 2017/02/22 14:56
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU
参照: https://twitter.com/Avatar_Alone

 考え過ぎとは承知のうえだが、ヨハン・クリューゲルは些か焦っていた。ちらりと視界の端に映った人物――貧乏リエリスだとか呼ばれるあの考古学者を、ヨハンが一方的に知っていたからである。添えるならばヨハン・クリューゲルは一度か二度程、別の名で彼女と接触した事が或った。平素ならば此処で彼女に気安い言葉の一つや二つを投げかけて、色々と情報をそれとなく頂戴したやも知らないが、今はそういうわけにもいかない。寧ろ気付かれて居ない事を祈るばかりだ。彼女がベケトフ家の娘の見目を知っている可能性は限りなく低い。けれど己が此の少女と共にいる事実を己を知る人間に見られるのは……等と、全くやはり考えすぎだろう。状況が状況だ、其れに加え先程の苛立ちが未だに青年の中に残っているのだろうと決着を付けて自嘲じみた笑みを一つ。本来通るべきでは無い道を選んだのとて。表通りの人目を過剰に気にして、そしてハイルヴィヒ・シュルツとの遭遇を避けたかったからだ。彼女は恐らく表通りを歩いて目的地に向かうだろう。既に到着している可能性も否めないが、念には念をというやつだ。――裏通りを歩む最中、少女と青年へと注がれる視線は決して心地よい物ではなかった。少女も些かの居心地の悪さを感じてか青年の手を強く握る。全く、此処で外套でも羽織っていれば彼女を隠してしまう事も叶ったのに、と薄ぼんやりと思いつつ、ヨハン・クリューゲルはやや早足で歩んでいた。確かに入り組んだ裏路地とはいえど、ヨハンはこの道に慣れている。加えて向かう先が一つともなれば、歩む道筋等決まり切っているのだから、迷う必要性も理由も無い。歩みに迷いは無く、足取りもまた然り。温い少女の手の暖かさだけを確かなものとして、無言で歩みを進めていた。この青年が内心考えていた事など、語るに及ばず、凡そが想像通りの其れである、とのみ記そう。――そんな折だ、不意に少女が歩みを止めて、青年の手を軽く引いたのは。
「……? お嬢様、どうかなさいましたか」
「あの、あれ……エドガーさんと、バシュラールお姉さまではないかしら」
 少女がそう、と視線を向ける先の人物は、確かに、ヨハンが見る限りでもエドガー・ニコルソンとバシュラール・レアに相違ない様に伺える。はてな、と青年が思うのは尤もな事だろうか。なにせ其の2人は本来ならば既に、待ち合わせ場所に向かっているべきであるし、現在向かう途中で迷ったにしても、あんな所で立ち止まる理由が理解できない。急がねばハイルヴィヒが苛立たしげに二人を見やるであろう事は想像に難くないというのに。二人とて、其れが理解できぬほどに馬鹿でもなかろう。ともすれば二人が立ち止まっている理由は何であろうか、添えて何やら騒がしい理由もよくわからない。歩み寄るべきか、あからさまな面倒事に首を突っ込まぬべきか、ヨハンが悩んで居るほんの僅かな間に、歩みだしたのは他でもない、少女スヴェトラーナである。と、なればヨハンが共に向かわぬ訳にもいかない。スヴェトラーナが小走りで二人の元へ向かうのもまた理解出来ない訳ではない。些か優しすぎる彼女の事だ、怯えている様にも伺える二人の心配でもしたのだろう。駆け寄る足音に気がついたらしい二人は、勢い良く少女の方へ視線を向けて、ついで青年へと視線をやる。驚きと混乱と、けれども確かに見知った人間の登場に安堵でもしたのか、レアが駆け寄ってきた。まるで縋る様に少女の両肩へ手を置いて、焦ったように、切羽詰ったように、口を開いた。
「っ、あ、ああ、あの! そ、其処! そこの、ゴミ捨て場に……!」
 ゴミ捨て場が、どうかしたのだろうか。首を傾げる青年を他所に、スヴェトラーナは至極心配そうに顔ばせを歪めて、レアを落ち着かせようと語りかけていた。大丈夫、私達がいます、ゆっくり息をして――等々、けれどもスヴェトラーナは決して“落ち着いて”と口にはしない。穏やかな声は、只優しい言葉を紡ぐのみ。兎角、ヨハンにも理解できる事はひとつ、これは確実にまともな案件では無いという事だ。面倒だ、と溜息を吐きつつも、スヴェトラーナに目配せした後、ヨハンはエドガーの元へと向かう。
「で、おにーさん。何があったんです?」
 尋ねてもエドガーはただ真っ直ぐにゴミ捨て場を指差すだけだ。些かというかあからさまに青い顔をしている彼に、これ以上無理をさせるよりも己が赴いて確認するほうが早かろう、と判断したヨハンはレアの方を向いて「この人よろしく」と簡素に告げ、奥まった其処へ足を踏み入れた。
「あっちゃぁ、こういう感じかぁ」
 事を理解したヨハンの声はほんの少しだけ虚しく響く。乾いた笑いも添えられて。あら方、ゴミ捨て場であんな反応をしているならば死体の一つや二つが出て来る事位は予想していたが、まあ何と言うか、よもや見知った相手の事切れた姿を見るとは思わなかった。きちんと忠告したというのに。嗚呼、けれどもどうでもいいと言ってやったか、確か。全く恋とは盲目であったのか、愛とは力であったのか、最早ヨハン・クリューゲルが彼女にとっての其れを知る事は叶わない。長い溜息の後、ヨハンは鈍い金の髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。何処か冷ややかな視線で女の遺体を見やっていれば開いたままの眼と視線がかち合う様であったがそんな事どうでもいいとばかりに不躾な視線を向け続ける。さて、凡そ面倒事に首を突っ込んで、と言うより確実に首を突っ込んで余計な事を知ってこうなったであろう事は想像に易い。情報屋としては三流以下の死に様だ。全く哀れで仕方がないではないか。確かに彼女とは面識もあった、世間一般から見ればそれなりに親しいと解釈されても仕方ないであろう関係であった事は認めよう。ヨハン・クリューゲルは決して認めやしないだろうが、少なからず彼女を邪険に扱いこそすれど心から邪険に思っていたわけではない。些か複雑な心境であるが必要以上の干渉は此方の身を滅ぼしかねない。彼女の事だ、何処かに掴んだ情報でも残していそうなものだが、犯人が其れを残したままにする可能性は低い。けれど、そう、そうだ、他でもない。どうしようもなく甘い夢を見た、どうしようもなく愚かな女の手にしたものがあるとしたら、其れに気づかずに居るというのはひどく、寂しい事に思えてしまう。かと言って不用心に手を出せば、今度はこちらが狙われかねない。様々なリスクを考慮すれば、どうするべきかと悩みつつ、立ち尽くしていたのが間違いであっただろうか。
「――……ぁ……イザベラおねえさま?」
 こんな場所には全くをもって似つかわしくない少女の声が響く。慌てて振り向けば一点を凝視したまま、固まっているスヴェトラーナの姿があった。まずい、とヨハンが駆け寄るよりも早く、スヴェトラーナは歩み出す。見なくていいですから、とヨハンが告げるよりも早く、スヴェトラーナは女の遺体の傍までやってきて膝を折る。悲しみと、けれども慈愛を湛えた瞳で女の眼を見やったならばあろうことか、其の首へと手を伸ばしている。ごろりと転がっていた其れを少女が手に取ればそれは宛ら――。
「す、スヴェータ嬢! ほら、もう、い、いいですから! ほら行きましょう、ね。……っ、他人の、他人の空似でしょう、ね、ほら、だから」
 驚愕と焦燥と、けれども堪らなく惹かれる彼女の姿をもう見たくないのとが雑多に絡み合った思考で言葉を紡げばさしのヨハンも些か言葉に乱れが出るというもの。殊、スヴェトラーナの絡む案件ともなればそうならざるをえなかった。ゆっくりとこちらを向いたスヴェトラーナの視線は、嗚呼、何時かに見た彼女の父の、薄氷の目に似ていた。再び首を見やる少女。開かれたままの其の眼を閉じてやれば瞼にそっと口付けて居るではないか。危ないから、と引き離す間も無く、おやすみなさいを告げられながら、其の首は優しく地に戻される。
「……ねえ、ヨハンさん。……お姉さまに、なにがあったの? 知っているでしょう? ……知っているなら、伝えないと。――少なくとも、イザベラお姉様は……ガウェスお兄様の、お知り合いです。それに……それに、そう、此処はハイドナー様の管轄区です、そうであるから尚更に……」
 はたと、ヨハンは気がついた。彼女は気丈に振る舞ってこそいるものの、其の身体は僅かに震えている、土と固まった血で汚れた手もまた然り。当たり前の反応だ。そも、スヴェトラーナの様な境遇の少女が、先程迄のようになんでもない顔をしていられる方が、どうかしているというものであろう。彼女の手をとる事が、ヨハンには出来やしなかった。もう既に取り繕っていた仮面は剥がれて、只のヨハンとスヴェトラーナに戻ってしまった今、青年に彼女の手を握りしめる勇気がなかったのは事実である。抱きすくめてしまう事など、尚更に出来やしない。痛ましく、そして愚かな彼女を、どうする事が最善であるか、考えなくてはいけないのに、思考を放棄してしまいたかった。怯えるくらいならば何もせず、あそこでレアとエドガーと共に待っていればよかったものを、等とヨハンは到底口に出来やしないし、する気もない。ただ無言で、スヴェトラーナを見つめ続ける。ヨハンの視線を受け止めつつも、少女に少しばかりの逡巡の間は生まれる。口を開きかけては閉じるを二度ほど繰り返した後、ヨハンが何も言わない事を確認して、静かに言葉を続けた。
「……私も行きます。ハイルヴィヒの居る所に、お兄様もいらっしゃるでしょう? ……いち目撃者として、私も、お伝えしないと。…………それに、ね。先に帰って、私だけお家にいるなんて、とても……出来ません」
 スヴェトラーナが俯く事はなかった。真っ直ぐにヨハンの瞳を見つめたまま、意を決したように言葉を紡いでいる。その言葉を、ヨハンが無碍に一蹴出来るかと問われれば答えは否だ。一呼吸置けば二人は傭兵と令嬢、雇われた者と雇う者となる。スヴェトラーナの手を引いて、ヨハンが向かうのはハイルヴィヒやガウェスが待って居るであろう場所だ。
「あ、ま、待ってヨハン! あの……お二人、は」
 正直に言えばヨハン・クリューゲルにとって、スヴェトラーナ以外等現状どう動こうとかまわない立ち位置にある。されど件のスヴェトラーナにそう言われてしまえば対応せざるを得ないだろう。頭を掻いた後、少女を待たせて、レアとエドガーの前で足を止めれば、二人を見やり口を開く
「バシュラールさんとニコルソンさんは、どうします? 憲兵さんに説明するも、あのおばさんを見なかったことにして付いて来るも、自由ですよ。正直、僕、スヴェータお嬢さん以外どうでもいいので……好きにして下さい」
 はっきりとそれだけ告げれば二人の返事を待たずに、ヨハンはスヴェトラーナの元へと急ぎ戻る。その手をまた握りしめて歩む足取りは平素より少し早足気味だ。普段、スヴェトラーナを連れて歩く折には彼女の足取りに合わせるヨハンであるが、今日ばかりは、そんな気配りも出来なかった。かくいうスヴェトラーナもまた、ヨハンの心境を無意識に察してか、その歩みに付いて行く。目的地まであと少し。兄と慕うその人と、大切な友人を見かければ思わず2人の名を少女は呼んでいた。決して明るく響く声では無い。ただ静かに、けれども聞こえるように。澄んだ声が響く。2人の姿を見たハイルヴィヒの青い瞳が見開かれ「お嬢様」と溢された、ほんの僅かに震える声など、すぐ隣りにいた騎士ぐらいしか拾えやしないだろう。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.74 )
日時: 2017/03/02 00:56
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

2017/3/2 一部修正。

 相変わらず廓の中は冷え切っており、吐く息は僅かに白い。夜の砂漠の寒さとは異なるそれに砂漠から来た二人は未だに慣れないようで、揃いも揃って顔を顰めていた。廓を歩む内にじきに慣れてくるのだが、廓に入るたびに身構える二人をソーニアは不思議そうに見ているのだった。自分は何時もの冷たいコートを着ているのに、少し暑いというのに。
 ジャリルファハドは典型的なセノールであり、そもそも身体の構造から違うから仕方がないのだろうが、ミュラは何処となくアゥルトゥラのような所があるのだ。肌の黒さもジャリルファハドとは違う。セノールはやや浅黒いが、ミュラはそれよりも軽い肌の黒さであり、何よりもミュラの瞳の色はアゥルトゥラに多いからである。セノールはジャリルファハドのように黒い瞳を持つ者は少ない。ややもすればミュラの血をそこから遡る事が出来るのではないだろうか、などと思考を走らせ、脱線の果てに脱線を繰り広げていると、いつの間にか笑みを浮かべていた。
「何笑ってんだよ、変な奴……」
 ミュラがソーニアの視線と薄っすらとした笑みに気付いたのか、悪態を吐き、彼女を咎める。同時に気にするなと言わんばかりにジャリルファハドの視線がソーニアを射貫く。少しばつが悪くなって、彼女は前を向き直って歩みを早めるのだった。
 それにしても今日の廓は厭に人気がなく、静まり返っている。すれ違う者は少なく、昇降機の甲高いブレーキ音と血の底の化物のような電動機の低い唸り声ばかりが木霊している。誰かが階下に居るのは確かだろうが、どことなく妙な感じがして、一様にして妙な胸騒ぎや違和感を覚えるのだった。
 昇降機を待つ事数分。こびり付いた血のような赤錆の浮いたそれは甲高い音をあげながら、三人の前で停止した。矢継ぎ早にジャリルファハドがレバーに手を掛け、扉を開き、乗れと顎で指図する。何故だか何時もより強張ったように見える顔付にソーニアが一抹不安を覚えるも、さっさとしろとミュラが強引に背を押してくるため、仕方なしに降機へ乗るのだった。
「今日は何処まで降りるんだ」
「取り敢えず"80階"まで降りて、少し階段を使って降りようかなって。見せたい物があるの」
 80階というフレーズを聞いた途端、ジャリルファハドの顔付が更に強張った。だしかし、彼は何も語らず、昇降機の下降ボタンを押す。ソーニアが妙だなと思った刹那、昇降機のロックが解除され、同時に扉は閉まり、地下へとひたすら降りていく。昇降機の動力源となる電動機の調子が悪いのか、下降速度は一定にならず加速したり、減速したり、はたまた止まったりを繰り返しながら、それは漸く20階まで辿り付く。昇降機を動かすウィンチの性能的な問題上、20階毎の乗り換える事から、この壊れた発条仕掛けの人形のようなどうしようもない昇降機にまだ乗らなければならないと考えれば、ミュラはやや憂鬱であった。何よりも音が苦手なのだ。更に言及するならば、寒さと相まって尚の事である。
「80階の事は聞いているか」
 顔を強張らせたまま、漸くジャリルファハドは口を開いた。声色に見え隠れするのは緊張であり、何処となく何時もより速く喋っているように感じられた。問い掛ければ、いつもはぽつりぽつりと、何故かゆっくり話すのだが今回ばかりはそれがない。
「……いえ? 特に何も? 何かあったの?」
 学者だというのに、80階の惨状を聞かされていないのは何事であろうかと、ジャリルファハドは顔を顰めた。学者の組合に入っていないからか、はたまた何者かが事実を隠蔽したというのだろうか。それが今の廓に人が少ない原因、理由であるならば――。妙で物騒な考えがジャリルファハドの頭の中を過ぎり、彼は不安を露わにしたようで、刀の柄に手を掛けていた。その様子が今にも刀を抜きそうに見え、ソーニアは内心気が気でなく、このまま誰ともすれ違わないようにと祈るばかりであった。
 幾度か昇降機を乗り換え、40階層、60階層と降って行き、遂に80階層へと辿り着くと、そこには異様な光景が広がっていた。地上で見たような銃器が大量に並んでおり、それがジャッバールの者達が持ち込んだものだと明らかであった。傍らにはセノールやレヴェリ、またジャッバールの息が掛かった傭兵の姿もあり、彼等の視線は昇降機に乗っているソーニア達に向いていた。その内の一人がライフルを抱えたまま、ソーニア達へと歩み寄ってくる。その表情は何処となく強張り、緊張が見えた。
「此処から先は行くな。先日、大勢が死んだ。――下層に巣食うレゥノーラに殺されたのだ! もし、お前達が此処より下に行き、戻ってこなかったとしても救いには行けん。お前達毎レゥノーラを殺める事となろう。我々は救う軍に非ず、殺める軍なり。至急引け」
 そう語る者の言葉には明らかなセノール特有の訛があり、彼はジャリルファハドとソーニアを一瞥して、顎で帰れと指図していた。腕には槍に穿たれた六芒星が彫られている。ジャリルファハドは彼を見て、不快感を露わにしたままで視線を逸らし、ソーニアは久々に見たその者の姿に「まだ生きていたんだ」と、僅かばかり安堵するのであった。
「ソーニアよ。帰るぞ。この男は本当にやる……。命など塵芥程度にしか思っていない。現に今も――血の匂いをさせている」
 ソーニアにはジャリルファハドの言う"血の匂い"が分からなかった。彼女の後ろで身を強張らせているミュラにも、いまいち分からない感覚である。ジャリルファハドの獣染みた感覚は時折、空恐ろしくなる事もあり、今もそんな思いを一抹抱き、ソーニアは身震いしつつも、口を開く。
「その前に教えて。……それは本当なの?」
 問うべきではないと、頭では理解しているつもりでも疑問は口に掛けた鍵を打ち毀して、言葉を、問い掛けを吐き出す。そのセノールの男は半身を翻し、向かって右側の建物に視線を投げ掛けた。その先には清拭され、死に顔を整えられている死体が並んでいて、中には大きく身体を欠損させ、内臓が飛び出たままのものや、まだ清拭されず血塗れの死体もあり、小さな地獄がそこにあったのだ。
「語るに及ばず。察せ」
 それを見たソーニアの脳裏には、左腕しか帰ってこなかった己の姉がフラッシュバックされ、どうにも視界にちかちかと光が走っているかの様。少しショックを受けたようなソーニアの素振りにミュラが後ろから肩を掴んで、心配げに見据えていた。どう声を掛けて良いのか分からず、ミュラも心なしかおろおろとした様子であった。これ以上、二人に死体を晒す訳にはいかないと、ジャリルファハドが正面に立ちはだかり、視界を遮り、昇降機の扉を開く。さっさと乗れという言葉のない訴えは有用だったようで、二人は静かにそのまま昇降機へと乗っていく。
「ファハドよ。事は起きる。……いや、既に起きているのか? お前は一人のようだが、一人で何が出来るというのだ。此方に加わるべきだ、とは思わないか。お前と俺ならば上手くやれるとは思わないか。血すら残さず、な」
 ジャリルファハドはその男の言葉に応じる事はなく、小さく溜息を吐くばかりであった。昇降機の上昇ボタンが押されると、間髪入れずに低く唸るように電動機が動き始めていた。まるでそれは獣の唸り声のようで、彪の名を冠するジャリルファハドが怒りを露わにしているかのようでもあるのだった。


 
 昇降機を三度乗り継ぎ、地上に近付けば近付く程に、あの男の真意が見えるようであった。ジャッバールの手の者達が銃器を傍らに、下層を目指して歩む姿がよく見られたのだ。あれだけの銃器を地下に下ろしたとしても、ジャッバールはまだまだ余力を残している事だろう。どれ程に銃器を拵えたのだろうか。宛ら、これから戦争を起こすのではないのかと錯覚させる程であり、ソーニアは僅か息を呑みながら、カンクェノの出口を見据えた。薄暗い中を歩んできた為、この日差しは厭に目を刺激してくる。少し歩んで、外に出るなり飛び込んでくる日の明かりよりも強い、それに苛まれれ、思わず細めた瞳に写ったのは、憲兵の群れであり、耳に飛び込んでくるのは普段よりも物々しい喧噪であった。ふと、脳
裏に浮かんだのはジャリルファハドへぶつけられた「事は既に起きている」という言葉である。あの喧噪が、盗みや喧嘩といった他愛もない事であれば良い。ただ、昨晩の事もある。あの人だかりの中で、誰かが殺められていたならば、この街は更に荒び、血を血で洗うような事になり兼ねない。ジャッバールがこの街に来たばかりの頃のように、人の命が吹けば飛び、打ち砕かれて肉片と血ばかりを垂れ流すような街に戻ってしまうのではないのだろうか。そういった恐怖がソーニアの心中には存在するのだった。
「あそこは……、通らないで帰りましょう……?」
 僅か震えるソーニアの声色に異変を感じたジャリルファハドは何も語らず、黙りこくったまま小さく頷いて見せた。問うような無粋な事はするべきではない。何よりも憲兵とは朝の一件もある。顔を合わせたくはない。無駄に監視されるのは避けるべきであると、判断した故にだった。
 三人は人と人の間を縫い、人垣を超えてゆく。その中で「娼婦が死んだ、殺された」というような言葉が囁かれているのを耳にし、ミュラは一抹、胸騒ぎのような物を覚え、足を止め、人だかりの方向を眺めていた。「はぐれるぞ」と彼女を戒め、後ろ首を掴んで無理矢理引き摺って行くジャリルファハドは、彼女が何を思うか分かる事もなく、また、想像する事も無かったのであった

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.75 )
日時: 2017/03/02 01:06
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 暫く歩むにつれ、以前イザベラに通された貧民街の路地が近付いている事を悟った。昼間は人気がなく、また人の出入りも見受けられないのだが、どうにも取り去り切れない悪臭、腐臭のような物が風に乗って漂ってくるのだ。それが物理的な物なのか、人の大欲に基づく情念なのかは分からない。
 ソーニア一人では明らかに治安の悪そうな場所を通るような事はしないだろうが、今はジャリルファハドやミュラもいる。何か起きても問題はなく、ミュラはともかくジャリルファハドのような典型的な物々しいセノールの姿があれば、事は起きない。それ所か無法者が逃げ出す事だろう。
「此処近道だから……、我慢してね」
 何時の間にか臭気に苛まれ、顔を顰めていた二人をソーニアは宥めると、足を速めていく。なるべく早く此処から出た方が良い。二人に酷であると気を使ったのだ。そうしている内に入った路地は色街の真っただ中である。ジャリルファハドがふと見回せば、イザベラから案内された売春宿がそこにはある。しかし、どうにも様子がおかしいのだ。日中は閉ざされているはずの窓やカーテンが開いており、中が見えている。だというのに、人の姿や気配は全く感じられず、死でしまったかのように静まり返っているのだ。
「ソーニア。少し時間をくれやしないか」
「……何か?」
「少し気になる所があってな。ミュラ。お前も来い」
「あぁ? 別に良いけどさ……、何処さ?」
 ジャリルファハドが指差す方向を見て、ミュラは察したように小さく頷く。筆架叉は置いてきたのだろうか、ジャリルファハドの隣に立つなり鎧通しを二振り何も言わずにくすねると「手を切るなよ」と身を案じられるような言葉を浴びせられ、少し戸惑った様子でジャリルファハドを見据えていた。どうしたとお互い不思議そうな顔をしていたが、仕切りなおすようにジャリルファハドが口を開く。
「行くぞ」
 引き抜いたのは散弾銃でも鎧通しでもない。引き抜かれたのはあの刀。血を吸ったであろうが故に、厭に鈍く輝くあの刀。自然とミュラの視線が向かってしまう。それは存在を主張し、己の主のために血を求めて猛り狂っているようだ。あの刀が自分の血を吸っていたかも知れないと考えれば、そら恐ろしくある。少し引き攣った表情でまだ繋がっている自分の首を指で撫で、小さく溜息を吐き出した。殺されなくて良かった、と。
 宿の中はやはり静まり返っていて、その静寂に耳が痛くなる程であった。それでもジャリルファハドは頻りに階上を見据えていて、何かに気付いたような様子であった。本当に同じ人間なんだろうか、とソーニアは苦笑いしつつカウンターの脇にある椅子に腰を下ろす。
「上を見てくる。ミュラ、あまりソーニアから離れるなよ。迷子探しは嫌だからな」
「なっ……! うるせぇ! 馬鹿!!」
 そう揶揄われミュラはやや顔を赤くしながら、ジャリルファハドを怒鳴りつける。彼は小さく鼻で笑って、それ以上は特に反応する様子もなく階上へ微かな足音だけを立てて、登っていくのであった。
 二階も同じく人気はなく、その代わりに血の匂いと微かな腐臭が漂っていた。曲がり角を超えて最初の部屋の扉は開け放たれており、その中には腹を正中線状、首を真一文字に裂かれた死体が六体ばかり転がっていて、開け放たれた窓から入り込んだ蠅が集り、生気なく白く濁った瞳の上で手を擦り合わせながら、此方を見据えていたのだ。ジャリルファハドは僅か息を飲み、見慣れた光景だろうと言い聞かせる。
 床一面に広がった血の池は、決して破瓜の血などではなく、それよりももっと夥しく、目を背けてしまいたくなるような惨劇、惨状に伴う血である。そして、争いの果てに流れた血ですらもない。一方的な殺戮のために流された血であり、一等流されてはならない代物であった。
 ジャリルファハドは唇を噛み締めながら刀の柄を指先が潰れてしまうのではないのかという程に握り締める。50年前の紛争、外部居住区を襲ったアゥルトゥラの兵の如く、血を啜り、暴虐を尽くし、陵辱し、戦と呼べぬそれを戦と称した愚行。それが今現在、何者かの手によって成されたのだ。腹立たしさばかりが去来しつつも、部屋を後にし更に奥へと進んで行けば血の匂いと腐臭は濃くなっていく。気が逆立ち、静寂の中に己の鼓動ばかりが煩いほどに響き、それが精神を蝕みながら、人の皮を剥ぎ取っていく。中から獣が出てくるまで幾許の時間すら許さないだろう。
「おい、やっぱ下にも誰も居ないぜ?」
 階段の方からミュラの声が聞こえ、彼女の足音も少しずつ近付いてくる。これを見せれば心を病もう。記憶に焼き付こう。ともすれば見せる訳には行かない。見開かれた死体の瞳を閉じさせ、廊下でミュラを出迎え、歩みを遮れば彼女はどことなく不思議そうな表情をしていた。ミュラの後ろをついてきたソーニアもそうだ。
「この先には死体が在る。見ない方が良い」
 淡々と事実を告げればソーニアは何も語らずに視線を背けたが、ミュラの瞳は動揺したように左右に泳ぐばかり。此処に死体がある。他者の出入りをなるべく隠したがるような場所である以上、その死体は此処に居た者達であるという憶測はミュラの頭でも容易に思いつく事であり、一旦僅かであったとしても縁を結んだ者達が死んだという事に対して、ショックを隠せない様子であった。
「もう少し奥を見てくる……。此処で――、いや下で待ってろ。ソーニア、後で憲兵に通報してくれ。俺達がしては余計な誤解を生みかねん。すまないが、頼んだ」
 ソーニアは言葉もなく頷くばかり、二階の鼻につくような臭いが死体から出るそれだと知り得た事で、どうにも気分を害したようであり、何処となく顔が青ざめているようであった。
「なぁ。何があったんだよ……」
「知らん。……昨晩からの殺しの延長と考えるのが妥当だろうがな。変に首を突っ込めばお前も痛い目を見かねん。悪い事は言わん、やめておけよ」
 ジャリルファハドはそうミュラに釘を刺し、肩を軽く叩くと踵を返して奥の部屋へと行ってしまった。壁が血の飛沫で赤く汚れているのが見えた。思わず視線を逸らし、ミュラは俯くばかりであった。血の赤が目を閉じても拭い去れず、怒りとも悲しみとも分からない思いばかりが胸の中を過ぎり、やり切れず感情に任せて壁を蹴り付けるのだった。奇しくも蹴った位置の真横にある扉はイザベラの案内で通された部屋だった。もしかしたら誰かが此処に隠れているかも知れないなどと思いながら、扉を開いた。部屋の中は荒らされておらず、血痕なども無く、厭に整然としていた。赤く染まった死という現実を忘れさせてくれる訳では無かったが、目を背ける事は出来、少しばかりの安堵を覚え、溜息を一つだけ漏らした。
 何が原因で、誰が、何を目的として此処を襲撃したかは分からない。寧ろ分かろうとする事が危険な行為のように思えて仕方なく、先日からの一連の出来事に首を突っ込めば、そのまま首を取られ兼ねない。幾ら頭が良いとは言えないミュラであったとしても、この位の判別はつく。首に縄を括り付けて、綱渡りをする程馬鹿ではないのだ。
「何であなた達……、此処を知ってたの?」
「クルツェスカに来たばかりの時さ、宿が取れなくてイザベラって奴に紹介してもらったんだ。それでさ……」
 自分で聞いておきながら「ふーん」と短く返事をするだけのソーニアであった。イザベラという名を聞いて、確か彼女がハイドナーに出入りしているとかいう噂があった、もしかすると……、などという下世話な勘繰りを働かせていたのだ。
「何も無かった?」
「アイツに刀突きつけられてたぜ。騙したら殺すって。まぁ、悪い人じゃなかったけどな」
 確かにやりかねないとソーニアは何処と無く遠い目をしながら、溜息を一つ吐く。ジャッバールも以前、探りを入れてきた売春婦を捕らえて、そういった脅しを掛けたと聞き及ぶ。セノールの文化なのだろうかと考えれば、得も知れない思いとなる。
「死んでなきゃいいんだけど」
 死んでいたとしても彼女の死を悼むような親交はない。市場や夜の街で時折、姿を見かけた程度である。ソーニアからしたら死体だらけの此処から早く立ち去りたいというのが本音であった。死人、それも大勢の死人と一緒の建物にいるというのは、何故か分からないが不愉快で恐ろしく感じられるのだ。それも理不尽に殺されたのであれば、生者である自分達が妬ましくて仕方がないだろう。見えない存在、そこに在るか分からない者に目を付けられるのは嫌なのだ。
「――待たせた。……下に行けと言ったろうに」
 考えの読めない男が戻ってきたとソーニアの視線は、何処かジャリルファハドを咎めているようだった。何か悪い事をしたのだろうかと、珍しく怪訝な表情をしていたが、ソーニアが言葉を発さない事から、気にするのを止めたのだろう。刀を収めて、立ち尽くしたまま語り始める。
「死体の数は16体。全て腹を裂かれていた。……イザベラとあの帳簿の女の姿は見えない。偶然出ていたか、別の場所で殺されていた、という所か」
「状況報告は良いから、早く帰らない……? 通報しないと」
「……それもそうか。ミュラ帰るぞ。ソーニア、頼むぞ。俺等には……、向かない」
「えぇ、勿論」
「イザベラとアイツ……、無事だったら良いんだけどさ」
「神のみぞ知る事だ。我々が案じたところで現実は変わらん」
 何故余計な事を言うのか、とジャリルファハドの後姿をソーニアは見据えたならば、何処か萎縮して小さくなってしまったミュラが何とも居た堪れなかった。ジャリルファハドが、子供に現実を突き付ける大人気ない大人に見えて仕方がなく、ソーニアは溜息を一つ吐いて、階下へ下っていく二人の後姿を追うのだった。
 誰一人として「また」という言葉一つなく、静まり返った宿。クルツェスカの危うい均衡を崩した張本人たるガウェス・ハイドナーは、この惨状をまだ知る由もなく、己の独善的な行動がこのような出来事を招くとは思いもしていなかったのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.76 )
日時: 2017/03/10 00:32
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 近いうちに私の命は尽きるだろうと、イザベラはそんな気がしていた。誰に予言されたわけでもない。こればかりは第六感とか女の勘とも呼ぶべき何とも頼りない空想にも似た想像であった。しかし、宿へと急ぐ彼女の歩みを遮るようにヌゥッと現れた男から射殺すような視線を浴びせられた時、彼女は自らの夢想が現実になったことを悟った。男は右の頬から首回り右手に至るまでは龍のような鱗に覆われ二メートルを超える体躯を持つレヴェリ人であった。彼がジャッバールの手の者であることは知っている。主人であるバシラアサドと二人の子供と思われる七、八歳の幼い少女と共にクルツェスカの街を歩いている姿を時々目撃していたからだ。彼が二人に向けている顔は、どこにでもいる一人の父親の顔だった。一家団欒を楽しむ穏やかな表情。人を殺し金を得ている傭兵の顔には決して見えず、そんな幸せに満ちた家族を目にしては、こんな幸福を手に入れたかったと何度羨望の念を胸に抱いたことか。だからイザベラはこの豹変には戸惑いが隠せない。目の前にいる男はイザベラの姿を完全に捉えると、爬虫類のように縦に長い瞳孔を更に細く絞る。その様子は獲物を品定めする蛇であり、絶対的な捕食者としての自信がありありと窺える。追い詰められた被捕食者は死という原始的な恐怖に震える身体を抑え、自分が出来る最上の道を模索する。時間はないのだ。もしも男が自分より早く行動を起こしたら最期、骨の髄まで喰らいつくされるだろう。やるべきことは一つしかなかった。
 竦んだ足を奮い立たせて彼女は逃げた。大通りではなくてクルツェスカの奥へと。無論、彼女とて人の通りが多い大通りへ逃げたかった。しかし、大通りへと続く道は男の後ろにあり、行くには横をすり抜ける必要がある。何も考えも無しに突っ込んでいけば常人に比べ長く腕に絡めとられ、獲物を仕留めるよう無残にも絞め殺されるか、人間離れした腕力で壁に叩きつけられて頭を潰されるだろう。選択肢などあってないようなもの。異形の武人は背を向け一目散に逃げていくイザベラの姿を声を出さずに嗤う。月は未だ雲に隠れたまま、姿を見せることはなかった。
 
 

(彼らは動くということはジャッバールがクルツェスカ阿片流入の件に関わっているかもしれない)
 酸欠になりつつある頭で考えるのはこれが限界だった人様の情報を密に密に暴く趣味の悪い仕事をしてきたのだから、碌な死に方をしないだろうとある種の達観した気持ちは常に持ち歩いていた。だが、いざその時となればやはりやりきれぬ思いがあるのも確か。何よりも身を粉にして手に入れた情報を誰かに知られることもなく隠滅されるのは難とも忍びない。
 建物と建物の間の細い道に入り、気配を出来る限り殺し耳を澄ます。針の落ちる音でさえ聞き逃さないようにと神経を尖らせていたイザベラだったが、自分の息遣いだけが寝静まったクルツェスカでは大きく聞こえる。近くには人っ子一人いないようだ。緊張は解かず辺りをもう一度見回し、ドクドクと煩いほどに脈打つ気持ちを落ち着かせるように息を吐く。いつもの癖で煙草をポケットから取り出そうとするが、マッチは宿に置いてきてしまった為、諦めてその手を腰に当てる。
 ようやく呼吸が落ち着ついたところで、イザベラは大通り向かって歩き出す。雲の切れ間から月が覗き銀糸を重ねたような淡い光が後ろから照らす。蝋燭にまとう陽炎の如く彼女の姿と影、そして見覚えのないシルエットを朧気に浮かび上がらせた。脅威は静かに彼女に近寄っていたのだ!
(しまッ)
 視界の端で捉えたのは先の男とは異なる闇に溶けるような真っ黒い肌をした青年――セノール人だ。自分を追っていたのは異形の武人だけではなかったのか。同時に先程の疑念が確信へと変わる。
 一瞬の衝撃は永劫の痛みへ。熱した鉄を直接当てられているような痛みに身体をのけぞらし、死神の到来に喉を震わせ恐怖した。それでも声をあげることは赦されず、声を出すよりも前に気道を一発の突きによって塞がれる。一瞬で喉を潰され、酸素が脳に届かなくなり意識が真っ白に塗りつぶされる。口から飛び出たのは轢き殺された蛙のような濁った声のみで、聞き取れたのはその男以外にはいないだろう。
 気を失うことは出来ず、すぐに意識を取り戻す。覚めぬ悪夢の中、彼女が出来る細やかな抵抗と言えば、屠殺を目前に控えた家畜のように身を捩らせることのみであった。うっとおしくも生に縋ろうとする娼婦を見ても男は表情をピクリとも動かさず、絹糸のように美しく艶やかな髪を掴むと頭を地面へと叩きつけた。ゴッと生々しい音が静かな路地裏に響き、女は大人しくなる。ようやく気を失った女の背中に刺さった刃を背骨に沿う形で上へと引き上げる。ボタンを千切ぎっていくように身体の繊維を断ち切る音が鼓膜を揺らし、肉が切り裂かれる痛みに意識が覚醒する。声を出そうにも真っ先に感じたのは血が喉を駆ける感触で、悲鳴の代わりに大量の血塊が溢れ、自ら作った血の海に溺れかける。助けを求めるように手をばたつかせるが解体は止まらない。肋骨と背骨を切り離し、裁ちバサミで要らない布を裁断するようにスルスルと皮膚を裂き、そこから更に血が滴り赤い運河を作る。むき出しになった皮膚から痛みが入り込み、打ち上げられた魚のようにピクピクと手足が痙攣する。息を吸う度に切り離された肋骨が肺を圧迫し、呼吸さえままならない。もはや声を上げる気力すらなかった。
「終わったか」
 不意に聞こえた足音と声はイザベラの前に現れたレヴェリ人のものであった。
「もう終わる」
 趣味の悪い酷薄な笑みを浮かべていることだろうと男のことは見ずに答えた。彼の予想通り、レヴェリ人の男は、血に塗れ、虫の息となっているイザベラを薄ら笑いを浮かべながら見下していた。愉快で仕方がないのだ。生きて帰るのが絶望的な状態でありながら女の瞳は未だ生を諦めておらず、闘志を宿し爛々と輝かせている彼女のことが。負けん気が強いのだろう、ジロジロと視線を浴びせてくる男を睨み返そうと首を僅かに動かすが、すぐに血反吐を吐きぐったりとしてしまう。死の淵にいてもなお堕ちぬ彼女へ、異形の武人は笑みをより一層深く刻み、女の耳に口を近づける。そして幼子に言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡いでいく。男の一言一句が劇薬のようにじわりじわりと脳へと染み渡っていくと、女は一瞬だけ大きく目を見開き、そして輝きに満ちていた瞳は徐々に光を失い、ついには死者のように瞳を濁していった。
(ああ、ガウェス……)
 これからここで起こりうるであろう惨禍への憂い、そしてその矢面に立たされるであろう愛しい男の苦悩と面影が頭を過り一筋の涙を流した。薄れていく意識の中、内臓を弄られる痛みを感じながら、童話のような幸せな終わりなど在りはしないのだとようやく知った。



 既に彼女はおらず、ただただ惨劇の爪痕のみを残すのみであった。壁と地面にこびりついている血痕は時間と共に乾き、鮮やかな赤ではなく赤黒く変色していた。死体も無ければ、時間も大分経過しているはずなのに、一帯の空気は未だに黒く淀み屍臭を漂わせている。そんな日常とは逸脱した光景に不安を覚え、民衆内でも剣呑とした雰囲気が生まれつつある。この前の売人殺しの一件からジャッバールだけではない、クルツェスカ全体がピリピリとした空気に包まれているのだ。今回の娼婦殺しはそれに追い打ちをかける出来事であった。
 そんな中、ガウェス・ハイドナーの登場は民衆を驚かせると共に安堵をもたらした。憂慮に堪えない思いを抱き、そこへ屯していた者達はハイドナーの御曹司がやって来たと分かると強張らせていた顔を緩め、また一人、一人と元の日常へと戻っていく。最後、そこに残ったのはガウェスとスヴェトラーナとベケトフ家に仕える雇われ傭兵。そして、第一発見者であるエドガーとバシュラールのみであった。凄惨な場面を見ただけではない、その空気を直接肌で感じ取ったせいか二人の顔色は優れず、どこかぎこちない様子でその時の様子を説明している。ガウェスも眉間に深い皺を刻んだまま黙って二人の話に耳を傾ける。
 イザベラの死体は酷い有様だった。首は鋭利な刃物で斬り落とされ地面に放置されていた。背中は魚のように開かれ、胸郭の部分からは肺が引きずり出されており、折られた肋骨が均等に突き刺さっていたという。
「そんで、遺体をゴミ捨て場に放置……、ねぇ。人がやることじゃあねえな」
 忌々し気に呟く憲兵の言葉にガウェスは否定も肯定もしないで静かに息を吐いたのみであった。閉じていた瞼を僅かに開き、宝石のように澄んだ輝きを放つ瞳を揺らす。目線は下に落とされたまま、黙って憲兵をすり抜け、ハイルヴィヒ達とは逆の方向に歩く。
「待て。どこへ行くつもりだ?」
 ヨハンに喋らせる前にハイルヴィヒが口を開く。彼女も理由を明確に理解していないが、ヨハンは彼の騎士を毛嫌いしている節がある。ここで彼の発言を許せば、彼の神経を逆撫でする様な余計なことを言いかねないと判断した故の行動であった。嫌味の一つでも言おうと思っていたのにと、不満げな顔をしたヨハンの足を戒めの意を込めて思いっきり踏んづけた。
「イザベラの住んでいた売春宿へ。彼女のことだ。何か手掛かりがあるかもしれないので。皆さんは自分の宿に戻っていただいて結構です。お伝えいただきありがとうございました」
 表情、口調、仕草……。平静を保とうしている努力がガウェスから窺えた。全て普段通りを演じようとしているが、だからこそ歪に見える。彼の心に渦巻いている激情を隠しきれていないのだ。春の木漏れ日を思わせる柔らかい声色に混ざるドス黒い殺意、普段は慈愛のみを灯しているはずの澄んだ瞳には憎悪の炎が見え隠れし、口元の笑みさえ引き攣っている。まるで怨敵の目の前にしているかの如く腰にぶら下げてある剣の柄を力いっぱい握り、抜刀ができる状態を保っている。
「一人で行くつもりか」
「これはハイドナーの問題です。私が何とかしなくてはいけません。それに貴女にはお嬢様を守るという大事な使命があるでしょう。私にかまっているいる暇があるのですか?」
 彼女が珍しく節介を焼いたくれたことはガウェスも気が付いていた。ハイルヴィヒに意地の悪いことを言ったと自覚もある。だが、これ以上部外者を巻き込むわけにはいかないと思ったのも事実。クルツェスカで起こった問題は治めている貴族が――ハイドナーが解決しなければならない。ガウェスは未だに射殺すような視線を向けてくるハイルヴィヒには気づかないフリをして、つぎはぎの笑顔の一つ見せる。そして何も知らぬ哀れな騎士は惨事あった宿へと歩みを進めるのだった。

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