複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.61 )
日時: 2016/12/25 21:20
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 射貫かれるような視線、不愉快で的外れな言葉に思わずソーニアは吹き出しそうになりがら、ロトスを見返す。ミュラにセノールがどうこうという罵詈は通用しない。何故ならば彼女はセノールではないからだ。そもそもミュラの名はセノールの命名法に乗っ取っていない。名と姓、氏族これらが全て揃わなければセノールである証は立たない。現にソーニアの後ろからロトスを見つめるミュラは「何を言っているんだ」というような表情をしながら、ソーニアの服を握りしめていた。
「前当主と言えども名族の端くれ。そのような方が外見、見かけでしか判断出来ないとあればハイドナーも世も末といった所かしら。商人というのは随分と狭い世界で生きているようね。それに……、蔑西の教え通りセノールを忌諱するのは貴方こそ個が欠落しているのでは? まぁ――"親子"ですものねぇ」
 普段の柔らかなトーンの声色ではなく、毅然とし、突き刺すようなそれにミュラは一抹、不安を覚えソーニアの背張り付くように身を寄せた。何故か自分が怒られているかのような気分であった。大丈夫と、後ろに回されたソーニアの手がミュラの腕を掴む。売り言葉に買い言葉とはこの事であろう。ガウェスは目を伏せ、ロトスの眉根がピクリと動き、ソーニアに視線が向かう。微かな灯りに照らされた赤毛には見覚えがある。
「あぁ、お前は……。メイ・リエリスの。傾いた愚か者の娘か。そうか、ついにセノールを擁護する程、余裕がなくなったのかね。50年前の西伐で全てを失い、跡継ぎが死んで何もかも狂ったかね」
「生憎ね。貴方たちは西伐で財を成してセノールを敵に回して、跡継ぎは自分の意思すら口に出せない暗愚じゃない。お互い狂ったわね。それに金も武力も何もなくても身は守れるのよ、理知がある相手ならね」
 都度都度ガウェスに対する攻撃を繰り出して、ソーニアは様子を伺っていた。彼女も思惑はガウェスの怒りを引き出す事にあった。ロトスには何を言っても無駄であり、言い合っても何の効果も出ない。ともすればガウェスの手により、屋敷から追い出されるように仕向けるのだ。彼は自尊心だけは高い。それはジャリルファハドとの一件で既に露呈している。しかし、騎士がどうだとかと青臭い矜持をひけらかそうとする以上、此方に剣を向けてくる事はないだろう。そう踏んでの博打であった。悪手だとしてもミュラなら逃げきれるはずだ。自身はどうするか、それはその時考えればいい。
「お前はジャッバールのような者達にそれが通用するとでも思っているのかね、セノールはどうあっても血と争いを求める未成熟な土人でしかない。人の形をした獣だ」
 人の形をした獣。確かにジャリルファハドはそういうった側面もあるが、理知的な人物である。ミュラはその言葉が心底、気に入らなかったのか、顔を顰めてロトスを睨み付けるようにして視線を向けてしまった。皮肉にもその瞳は厭にぎらついてしまっている。砂漠で生きてきたが故、常人よりも獣らしく、まるでそれは怒り、猛り狂ったセノールのようであった。
「ほら、見ろ。やはりセノールだろうが。人間らしさすらない。獣だろうが」
「……言葉を慎みなさい。恥を知りなさない。理知を持ち合わせず、ただ悪言を吐くだけの獣は貴方でしょう!」
 矢継ぎ早にミュラを捲し立てるようにロトスは言葉を浴びせる。それはソーニアという矛であり盾があったとしてもミュラが聞き入れてしまう代物。宛ら西伐で北の山道を迂回して、首都を攻めたアゥルトゥラの如く。守りも攻めも意味を成さない。平静を保とうとする裏側では焦りが募る。此処でミュラが凶行に出たら、ジャリルファハドが事を起こすまいと己を殺し続けていた意味がなくなってしまう。彼に向ける顔がない。ややもすればセノールに危機を齎す。どうするか、此処でミュラを止めるか、彼女の凶行に加担するか、はたまた傍観に徹するか。選択肢は三つある、しかし悠長に選ぶだけの間はない。どうするべきか――。あぁ、何故ここにジャリルファハドが居ないのだろうか。何故父のように弁舌で圧倒できないのか。
「――もう帰ってもらえますか」
 閉じ続けていた口を漸く開いたガウェスはドアノブを片手に二人を見据えている。脇腹の血と共に彼の表情には苦心が見え隠れしていた。
 毅然と表情を変えずロトスから視線を逸らそうとしないソーニアであったが、内心はガウェスに対して後ろめたさを感じざるを得なかった。締め付けられるような胃の痛みは気のせいではないだろう。それでも辛辣な言葉を吐き続けなければならない現状に嫌気が差す。
「言われずとも。これ程ハイドナーが愚かだとは思わなかったわ」
「……頭を低くして生きる事だな、メイ・リエリス」
「貴方方の自称"騎士"なんて恐れるに足りないわ。私には獅子がついてるもの。貴方方の鎧――いえ、"錆びかけの誇り"なんて軽く噛むだけで瓦解させられる。そちらこそ頭を低く、首を隠して生きるべきね。近い内に下種の血が絶えるよう願っているわ」
 一蹴し、嘘とも誠とも取れる牽制を放てば、ややロトスの顔が引き攣ったように感じられた。既得権益の上に胡坐をかいている商人からすれば忌諱したい存在であり、逆鱗に触れてはならない存在を指す"獅子"という単語。やはり効き目があると実感しながら、ソーニアは怒りを隠しきれないミュラを引っ張っていく。
「ごめんなさいね。また後で――」
 ガウェスの前を通り過ぎながら、小さく消え入るように詫びれば、彼は目を丸くしてその背を見送るばかり。ソーニアはそれを知る事はなく、最後の最後まで敵意を剥き出し、ロトスやガウェスを睨みつけていたミュラだけがそれを知り得たのだった。


 朱色の斜陽が厭に眩しく、ソーニアは目を細めながら傍らを歩むミュラを視界の端に留める。彼女の足取りは重く、悲壮に打ちひしがれているかのよう。しかし、表情には僅かばかりの怒気が宿り、得も知れない思いに苦闘しているかのように歪むのであった。何に怒るか、何に猛るか想像は容易であるが、自分にはどうにもジャリルファハドのようにミュラの毒気を抜く事が難しく感じ、溜息を一つ零す。
「こっちが溜息吐きたいって」
 耳聡く彼女はそれを聞き留めていたのだろう。怒気を和らげようとしたぎこちなく、不自然な表情を浮かべながらソーニアを見つめていた。まさかロトスが来るとは思いもしなかった、口から出てしまった言葉を思い出せば、胃が締め付けられるように疼き、心は安寧を求める。逃げたい、逃げたくて仕方がない。ガウェスにぶつけた言葉はもう二度と無かったことには出来ない。ロトスに切った啖呵とてそう。さっさと飲んで忘れたい。
「ミュラ、今晩飲まない?」
「はぁ?」
「昨日はジャリル付き合わせちゃってね。明け方まで……。二日連続は都合悪いから」
 ただ単に飲みたいだけなのを適当な理由を付けている、というのは察しの悪いミュラでも気付く程にあからさまであった。「考えとく」と一蹴し、歩みを進め続けるのだった。ミュラの脳裏に過ぎったのはジャリルファハドの「学者は朝から次の日の朝まで語る」というフレーズ。アルコールが入ったならば手が付けられなくなるのではないのだろうかという不安もあった。断られたソーニアの顔は見えない。否、見ていない。
「あら、そう……」
 ソーニアの声色は残念そうで、それと同時に少し物思いに耽るような静かな代物であった。何に思いを馳せているかは分からない。
 暫く歩き続け、二人の間に存在した沈黙が少し心痛く思えてきた。斜陽は顔を半分ばかり沈ませ、月とその取り巻きと交代しようとしている。もうじき夜の帳が下りる事だろう。ソーニアの家まであと四町ばかりといった距離でミュラは独り言のように口を開く。
「あんな奴が父親だなんて最悪だぜ。何か嫌なんだよな、雰囲気? っていうのか……」
 嫌味ったらしく、あの男からは何処となく色街の腐ったような匂いが感じられた。、本当にそんな匂いがしている訳ではなく、人の息衝く雰囲気というべきか、存在感というべきか、そんな不快な代物だ。恐らくはそれが強欲で業罪に塗れている故の事なのだろう。不愉快で仕方がない、あんな男が親、親類にありその血を己も引いていると想像するだけで、何処となく空寒く感じられた。
「そうね、ハイドナーは敵が多いから。敵が多いのも大体ロトスや先々代のせいよ」
 セノールの大凡全てを敵に回し、クルツェスカにおいてはジャッバールと睨み合い、いつぞやは撃ち殺された手勢も居た。商売敵も多いであろう。ソーニアは実家に居た頃、父がハイドナーはクルツェスカに滅びを呼び込むなどと忌憚していたのを思い出しながら語る。それを思い出していくにつれて、現当主であるガウェスがやや不憫に思えた。彼は騎士を名乗るが故、苦悩も多い事だろう。彼も商人であれば良かったのだ。そうすればジャリルファハドのような人物に直接、殺意をぶつけられたり怪我を負わされたりする事はない。その内、彼は死んでしまうのではないだろうかという不安すら過ぎる。そうなれば次はどこの名族、貴族、その類が滅ぼされる事だろうか。
 ハイドナーを滅ぼすのは砂漠の化身やその輩であろう、それは恐らくジャッバールとなる。ややもすれば彼女達は全てを滅ぼしたとしても満足はしないのかも知れない。獅子はいつも飢えているのだから、仕方がない。
 歴史的な背景を知らないミュラは小首を傾げながら、「ふーん」と納得したのかしてないのか分からないような声を挙げていた。ジャリルファハドに簡単に教えるように言うべきであろう。これからは何も知らずに生きていける訳はない。彼女を取り巻く環境、社会はそれを許してはくれないのだから。
「そういえばアイツ、帰ってくるのか?」
「ジャリル?」
「そうだけど」
「多分帰って来てるんじゃない? 思ったより時間掛かっちゃってこんな時間だし、少し謝らないとね」
 恐らく彼は気にするなと仏頂面で突っ返してくる事だろうが、筋は通すべきだろう。そうでもしなければ、ミュラに道を示せない。言うならば人としての道理である。はたまたその辺りは彼女の親であり、師である人物がしっかりと教育したであろうか。どちらにせよ、ミュラの前ではしっかりしなければ示しが付かない。
「別にアイツは気にしねーだろ」
 何となくそんな気がしたミュラが吐いた言葉にソーニアは思わず苦笑いをしてしまう。何も知らずに生きていたからなのだろうか、人を見る目のような物を持っているようだと感心しているのだった。ともすれば、彼女はロトスに抱いた言いようのない不快感は筆舌得がたい物だっただろう。不愉快だっただろう。連れて行くべきではなかったかと笑みを打ち消し、ぼんやりと前だけ見据えてミュラの背を追うのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.62 )
日時: 2016/12/31 14:33
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

「仕方が無いじゃない。だって、愛しているんですもの」
 そう言ってイザベラは寂しげに笑った。目元を彩る黒く長い睫毛は、建物と建物の隙間から入り込んでくる夕焼けを浴びて艶やかに光り、彼女の憂い顔をより美しく魅せる。どこか人間らしからぬ神々しさを放ちながらも、ノスタルジーを感じさせる彼女は名の知れた画家が描いた油絵のようであり、日常がどこか遠いところにあるような錯覚に陥る。そんな彼女の傍らに佇む金髪の男は呆れたと言わんばかりに肩をすくめ、ため息をついた。
「これは忠告ですがねおばさん。今回の件、あまり首を突っ込まない方がいいと思いますよ、僕は」
 そうは言うものの大して心配はしていない。ヨハン・クリューゲルは一度大きく欠伸をしたあと、目尻に溜まった涙を拭い目を開くと、目の前の娼婦がこちらを睨んでいる。全く迫力がない其れよりも、自分と同じ主人に仕える少女の方が明らかに怒っていると思われるだろうという考えにいきつき、損していると思わず苦笑を洩れる。
 ヨハンとイザベラは親交がある。客と娼婦などという安い間柄ではなく、あくまでもビジネスライクな関係。互いが持っている情報を交換し合うだけの冷え切った仲。……のはずなのだが、この二人の相性はどうにもこうにも合わないらしい。顔を合わせる度に(下品な)罵り合いを繰り広げ、最後は全く関係のない第三者に囃し立てられて、終止符を打つ。それが一回や二回ならまだしも、毎回とくれば、娯楽に飢えている人々は邪推するのも無理はない。
「ヨハン、私はまだ二十三よ。おばさんというには少し早いんじゃなくって?」
「ならおばさんっしょ。結婚適齢期過ぎているんですから、ね、おばさん。あぁ〜ねぇ、生き遅れてしまってかわいそーだなぁ!」
「それは貴族なら、でしょ。私達小市民を一緒にしないでくださらない?あと、次におばさんって言ったら二度とここに来れないように噂流してやるんだからね、本気よ?」
 この時代の女性の結婚適齢期は二十五歳までとされている。しかし、それが貴族の女性となれば、結婚適齢は一八歳から二十歳と一気に若くなる。ヨハンは決して貴族階級ではないが、仕えている家はクルツェスカでも有数の貴族の屋敷。このような世界を見てきたのなら、確かに二十三歳は生き遅れのババアだと揶揄するのは至極当然といえる。
 だが、仮にそうだとしても「おばさん」と連呼されるのは気にいらない。慣れない脅してみるものの、彼はヘラヘラと笑うだけ。本当に気にくわない。
「あのね私にはこれしかないの。こうやることでしか彼と話せないし、瞳にだって映してはくれないのよ」
 情報を集める理由は決して他者が知り得ない情報を聞き、優越感に浸るためではない。全てがあの人のため。自分を雇っている主に褒めてもらうため、笑顔を見るため、そんなささやかな願いのため。
 そう考えると自分の欲深さと馬鹿馬鹿しさに嫌悪が湧いてくる。金の為に身を汚している女が、何を今更純情な乙女を演じているのか。ヨハンも同じことを思ったはずだ。ちゃらけていた瞳の奥に、僅かに侮蔑が入ったのを彼女はしっかりと捉えた。
「大好きなあの人のためにその彼にも黙って情報を集める。決して報われはしないのに。チョコレートよりも甘ったるい夢を見ているおばさん。ああ嫌だねぇ。いい加減夢から覚めるべきなのでは?」
「それはお互い様でしょ。貴方だって、振り向いてもらえないって知っているくせに、愛しのお嬢様に必死こいてお仕事お仕事尻尾フリフリ。ねえ、お嬢様には気持ち分かってもらえそう?」
 互いに互いを小馬鹿にしたように薄ら笑いを浮かべる。
「ふーん。まっ、どうでもいいんですけどね。あなたがどこで死のうが、どうやって死のうが、僕には関係ありませんから」
「えぇ。放っておいて頂戴。貴方には関係ないんだから」
「何をされても何があっても、僕の名前、出さないでくださいよ」
「ホホホ、分かってるわよ坊や。この月に誓ってあげる」
 イザベラが指さした方向を見上げれば、確かに日は沈み白い月が顔を出していた。月は毎日形を変える。満月から段々と欠けていき三日月へ、更に欠けていき最後は消えてを永遠と繰り返す。彼女が誓うにはぴったりな代物だろう。
「信用出来ませんねぇ、ちょっと」 
「あら残念。まあ今度うちにいらっしゃいな。金髪で青い目をした可愛らしい子、紹介してあげる」
「ああ、さいですか。参ったな、こりゃあ」
 どこかで訊いたことがあるフレーズは、少し前にとある娼婦に言った言葉。一体どこでその言葉を聞いたのだろうか。いや、彼女の場合は流れてきた、の方が正しいのだろう。ヨハンは困ったような、それでいて気恥ずかしいような心持になって、無意識にポリポリと鼻の頭を掻く。その様子を見て「してやったり」と満足げに笑い、イザベラは軽く足取りで一歩二歩と彼の横をすり抜けた。
「それじゃあ、さようなら。ヨハン・クリューゲル」
 彼女の声にはさっきまでの刺々しさはなく優しかった。同時に、こんなに穏やかに笑えるのだと初めて知った。止める間もなく、イザベラは踵を返し色街の雑踏の中に消え、残ったのは僅かな薔薇の香りのみ。勿体無いことをしたかもしれないと、本日二度目の溜息が彼の口から洩れる。そしてもう一度空を見上げるれば、白い月は輪郭を曖昧に、しかし確かに輝いていた。



 これが刹那の夢だったら良かったのに、などと途方もないことを考えてしまう。

「ガウェス、何故あの二人を逃がした」
 地鳴りに例えられそうな、腹の底を揺らす低い声に彼は更に表情を固くし身体を動きが止まる。獰猛さと冷酷さを兼ね備えた眼で睨まれれば、暑さとは別の嫌な汗がドッと吹き出る。緊張と不安でいつもより早く脈打つ心臓は、いつか自分の胸を突き破り飛び出てしまうのではないかと思うほど動き、咎めるような彼の視線から逃げるように顔を横に向けた。普段ならば悦を感じさせてくれる息子の行動も、今は苛立ちを加速させるものでしかなく、思わず舌打ちをしてしまう。ロトスからすれば、没落した貴族の、しかも学者風情に好き勝手言われ、自分の玩具である息子に勝手なことがされたのが相当気に食わなかったのだ。そして大人げない八つ当たりをうけるのはいつも息子の役目だ。鷹のように鋭い目を更に鋭く、 冷たくし、睨むようにガウェスを見上げる。
「答えろ、ガウェス」
「……ハイドナーの当主としてこれ以上の誹謗は聞くに堪えず。それ故の行動です」
「馬鹿者め。ならば殺せばよかろうに」
 ガウェスの目が少しばかり見開かれ、そしてすぐに苦悶するように顔を歪めた。その変化を目敏く読みとったロトスは荒んだ心が僅かばかり満たされる。本当にいい息子に育ったものだ。感情に素直で、何より自分の思い通りの反応をしてくれる。
「何を躊躇う。何を驚く。ハイドナーの領地で我々を侮辱し、貶めた。斬る理由には十分すぎるのではないかね」
 これはガウェスを苦しめるために言った冗談の類なのかもしれない。しかし、質の悪い冗談である。騎士の誇りを掲げる彼に、女を、武術の心得を持たぬ者を斬れと言うのは。素足で、割れたガラスの上を歩けというようなものだ。全てが済んだ後には皮膚は裂け、破片は刺さり、動けなくなってしまうだろう。
「女性を斬るなどそんなこと」
「セノールは人ではないと何度言ったら分かる? あいつらは獣だ。不完全な土人だ。それを庇うような者も然り。人に能わず」
 この時、ガウェスの纏う雰囲気が僅かに変わった。不安と恐怖、戸惑いの中に紛れ込んだのはまだ火種にもなり切れていない怒りである。珍しいこともある、とロトスは内心驚く。自らに畏れを抱かせ反抗できないように牙を抜いた、否、そう教育したはずだった。だが、今のガウェスが向けてきた感情はなんだ。僅か焦りと同時に、面白いことになるかもしれんとロトスは持ち上がりそうになる口角を必死に抑えつけ、平静を保つ。
「もう少しであのセノールはキレた。鎖から解き放たれた、飢えた……、獣のようにな。私の首元を狙っただろうよ」
「そうなれば死ぬのは父上ではありませんか」
「構わんよ。仮に私が殺されたら息子であるお前がその仇をとってくれるのだろう?」
「貴方に死んでもらっては困る」
「ガウェスよ、それは本心か?」
 心の底を見透かされているようだった。同時にたった一つの父の問いが僅かに灯っていた怒りの炎がシュンと消え、肯定も否定もせず苦々しい顔のまま閉口すれば、ロトスは興味が失せたと鼻を鳴らす。息子に失望したのだ。
「掠り傷一つで終わる。それだけでセノールを滅ぼす口実となった。あの忌々しい劣等民族の血を一滴残らず滅すことが出来た。それなのに余計な節介をしよってからに」
 唾を道端に吐き捨てるように容赦ない言葉を残し、ロトスは部屋を出た。静寂のみが流れる部屋、ようやく空気が緩んでいくのを感じ、大きくゆっくり息を吐く。しかし、顔つきは穏やかにはほど遠く、眉間には数本の皺が刻まれている。
 部屋を出る際のミュラに向けられた目線が忘れられない。海の底のような深く暗い怒りと憎悪が入り混じった表情。恐らく、何も止める者がいなければ、彼女は一匹の獣と成り果てハイドナー父子の喉笛に牙を突き立てただろう。彼女はそこまで怒り、心に深い傷を負った。
 また、ハイドナーに刻まれた咎。信を売り、富を得た汚れた血族。どんなにその血統を憎み、嫌悪しようともガウェス自身にも流れている。そこに誇りもへったくりもありゃしない。昔はその名に恥じぬ輝きを誇りを持っていたはずなのに! どこで狂った。いつ狂った!! かつてのハイドナーは確かに遺跡の管理者であった。長子は跡を継ぐために商人になる必要があったが、それ以外で彼らの血を引く場合は、例外なく騎士の称号を賜り、自らカンクェノへ赴いた。そして白き異形を屠り、賢者の石をある種の勲として持ち帰ってきた。勿論、賢者の石は大切な商品という意味合いも大いに兼ねていたのだろうが、装飾品以上の価値があった。それが今はなんだ。ハイドナーが直接遺跡に出向くことも殆どなければ、命かながら帰って来た団員に労いの言葉も祝福も無い。それなのに未だ遺跡の管理者を自称する。彼らはただ積み重なった団員の死体の上で胡坐をかいているだけに過ぎないというのに!(そう考えると近年のハイドナーにおいてガウェスは相当な好き者だということが分かるだろう)
 また、カンクェノに入ったハイドナーの先代達は決してクルツェスカ内を迷わなかったという。ガウェスは考える。なぜ自分はそれが出来ないのか、何故偉大なる先代達はそれが出来たのか。理由が分かれば、被害を大幅に減らせるかもしれない。怪我人を迅速に拠点まで運び、無駄に命をとすことが無くなる。
 夜の帳は落ちきっている。微かに開いたカーテンの隙間から庭を瞳に映してみれば、見回りが持っているランタンの明かりが人魂のようにオレンジの光が放ちながら、ふわりふわりと浮いている。浮き世離れした景色をぼんやりと見ていると、屋敷に向かってやってくる一つの光。見回りの者ではない。汚れ一つ無い真白な白衣と大きな鞄を持った初老の男性。恐らくはロトスが呼んだのだろう。変なところで気が回る父だと、ガウェスは傷口が広がらないように押さえつつ、突然の来訪者を出迎えようと部屋を出るのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.63 )
日時: 2017/01/09 20:54
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 先程から不満を漏らし、ハイドナーへの非難の声をジャリルファハドへ向けるミュラは、宛ら告げ口をする子供のようであった。彼は短く「そうか」と返してみたり、首を縦に振るばかりで余り感情を露呈させるような事をしなかったが、遺品が銃を除いて何一つ帰ってこなかった事に対して、一瞬、表情を強張らせ、身が凍えるような怒りにも似た情念の類を発露させていた。ロトスの語る「セノールは獣」という発言はこれに基づいているのだろうか。普段、押し殺している自己が何らかの拍子に表に出てきた時、理知が消え失せ、獣が牙を剥くのだろう。
 ミュラが身動ぎ、恐れを抱いた時、はと気付いた様子でジャリルファハドは床を見据えるようにして双眸を伏せた。昂りつつあった怒りは鎮まり、いつも通りの凶器を隠し持った平静が帰来する。それに伴いミュラはほっとしたように胸を撫で下ろし、溜息を一つ吐いて安堵したような表情を浮かべるのだった。何をそんなに緊張するのか、と傍らでソーニアが短く鼻で笑うような笑い声をあげると、何が面白いんだと言わんばかりの抗議の視線が飛んでくる。
「……我々に対する悪言は、いつか"礼参り"をする故に気にする事でもないのだが、遺品をよもや売ってしまうとはな。厚顔無恥とはこの事か」
「あり得ないだろ?」
 珍しくミュラとジャリルファハドが同じ意見を持っていた。時間が経った事からミュラの怒りは多少落ち着き、語気の荒さは取れているが、ジャリルファハドの言葉の端々からは腹立たしさ、刺々しさが感じ取れた。"礼参り"という言葉がやけに強調されたのは気のせいではないだろう。彼は腹の中に飼った怨恨、怨嗟の念が僅か顔を覗かせたようであり、普段は平静、平穏を保つ彼とて一端のセノールであるという事を改めて実感せざるを得なかった。
「そこまで金が大事だというならば、もう一度シャボーの砂漠にて戦でも起こせば良いのだ。その時は鏖殺とし、誰一人として砂漠から帰さぬ」
 まるで戦乱を望むような彼の言葉に思わず、ソーニアは表情を顰め、ばつが悪そうにしていた。セノールを歪めたのは自分たちの祖先であり、歪められたセノールは怨敵の血と死を求めて、乾ききった恨みを潤そうとしている。肉を喰らい、骨を砕き、血を啜る獣がそこにいるような恐ろしさと、一民族を歪めた自分達の業の深さに苛まれ、どうにも胸が締め付けられるような思いであった。歴史は勝者の物だというが、勝者によって敗者が統治されず、改竄された歴史を教育に織り込まなければセノールのようになる。侵略にて領土を広げ、力が弱った途端に彼方此方で独立運動の機運が盛り上がっている北方の隣国を見れば、学べるはずであった。
「あの……、ごめんなさい。少し休みたいわ」
 心なしかソーニアには疲労の色が見て取れた。肉体的な疲れではなく、精神的な疲れのようであり、顔色は良いのだが心底具合が悪そうで二人からの返事が来るか、来ないかの寸での所でミュラが腰を下ろすベッドに飛び込むように倒れこんだ。出ていけとでも言いたげな様子で、ひらひらと手が振られる。一瞬、妙な空気が流れたが察してくれたようでジャリルファハドが立ち上がるなり、ミュラを見下ろした。視線が合うなり、ミュラは小首を傾げている。
「少し出よう。頭を冷やすぞ」
「は? ――おい、やめ……! 引っ張るな!」
 まるで人攫いか、何かのようだった。無理矢理にミュラの腕を掴み、引き摺るようにジャリルファハドは外へと出ていく。もう少し自然に出来ない物かと呆れたような視線が二人の背を一瞬、射抜くのだった。



ジャリルファハドの傍らを歩む、ミュラは何処となく不安げにソーニアの家の方向を何度もチラチラと振り向いたり、ジャリルファハドを見てみたり、やや雲が掛かった空を眺めたりと、落ち着かない様子であった。突然、連れ出された故に困惑しているのだろう。お前は一体何を考えていんだ! 全く訳が分からない! とも言いたげである。
「突然なんだってんだよ!」
 ミュラに噛み付かれるように問われるもジャリルファハドは応じる気配はなく、漸く腕を放して、踵を返しミュラと向き合う。相変わらず表情は薄く、重たげな瞳が何もかも見透かしているとでも言いかねない雰囲気にミュラは息を呑む。
「……ハイドナーと揉めたのか、アイツも」
「あ、あぁ。ガウェスの父親と一悶着……。いや、口では負けてなかったと思うぜ」
「そうか。だが、あれは優しすぎるのだろうな。人が良いというべきか。そのくせ脆い。……お前は馬鹿で単純だが強い。それは良い事だ、この上なくな」
 言い聞かせるような語りの中で、馬鹿だの単純だの貶されてはいるものの、抗議するような気は全く起きず、ミュラは口を閉ざしたまま耳を傾けていた。毒気を抜かれているというよりも理解されているかのような錯覚を覚え、何故かミュラは小さく笑みを湛えてしまった。自分自身にもそれが何故かは分からない。
「お前の師とやらの遺品は売られたとの事だが、処分された訳ではないのだろう」
「うん……、そうらしいんだけどさ、もう見つかんないだろ……」
 落胆するようなミュラの声色に、一瞬ジャリルファハドは針で刺されたかのような心痛を感じた。だとしても彼女には伝えるべき事があるだろう。背を押してやるべきだろうと、口を開く。此処に連れて来てしまったのは自分であり、導く責務が己にはある。
「師であり親であるその者との縁は計り知れない物だ。そして、縁という物は巡る物でもある。それを探して、縁を手繰るのも良いとは思わないか」
「探せってのかよ?」
「……あぁ、全て探すのは無理かも知れないがな。なに、お前が満足した所でやめればいい」
 淡々とした余り感情を感じさせない語り口ではあるが、かえってそれがハイドナーに対する怒りを鎮めていく。しかし、ジャリルファハドが語る内容は滅茶苦茶な代物である。どこに行ったか分からない遺品を探せと言う。無茶苦茶で途方のない発言であり、一瞬馬鹿な事を言うなと憤りに似た感情が沸き立ちそうになるも、ミュラはそれを抑え、じっとジャリルファハドを見据える。
「それが師の供養にもなろう。墓もなく、骸も何処か分からぬ。その上、今際において子に看取られなんだ。ならば、そうする事でせめての供養になろう。あなたの事は忘れていない、とな」
 らしくもない夢想とも取れるジャリルファハドの発言に、ミュラは思わず呆気に取られてしまった。この男もこんな事を言うのかという驚き故にだ。その驚きと同時に、彼の声色、双眸にいつもの毒気はなく、案じられているのかと思えば少しばかり心地よくもあるような気がしてならなかった。
 



 二人の気配が消え失せ、静まり返った部屋の中、ソーニアは天井を見据えてロトスの言葉や、ジャリルファハドの"礼参り"という言葉を思い出し、脳裏に浮かべていた。父はハイドナーがクルツェスカに滅びを齎すと、冗談半分に言っていたがそれは事実になり得るやも知れない。ややもすれば、ハイドナーを滅ぼすのはジャッバールではなくガリプとなる可能性すらもある。恐らくはハイドナーを絶やす事は容易いのだろう、しかし、ジャリルファハドは女中まで斬れるだろうか。それが成せなかった時、セノールとは再度戦争となりかねない。
「参ったなぁ……」
 発端はミュラをハイドナーに連れて行った自分。セノールの"礼参り"は何時成されるか分からないが、ジャリルファハドを見張り、手綱を握る必要があるように感じられた。もし、カンクェノ内部にてばったり行き会うような事があればただでは済まないだろう。自分には二人を制するような武力はない。精々あるのはジャッバールから買いとったライフル程度。撃てど撃てども当たらないライフルしかないのだ。ミュラの事はジャリルファハドに任せるとしても、ガリプとハイドナーの確執はどうしようもなく、どうすれば良いのか全く分からず、お手上げという所であった。
(あぁ、そっか……)
 ふと脳裏に過ぎったのはベケトフの者達。あの女の傭兵ならばガリプとハイドナーの衝突を同じ武力を以ってして諌める事が出来る可能性がある。現にジャッバールの拠点の前で斬り合っていた彼等を止めたのも彼女である。先日のハイドナー方が大勢死んだ際にもベケトフの者は居たと聞く。ともすれば彼女の姿は何処かにあったとしても不思議ではない。虫の良すぎる話だという事は重々承知ではあるが、それ以外に手段はない。間違ってジャッバールでも頼ったら最後、両者地上に存在しなかった事にされてしまう。それは最悪な結末でしかない。今から行動を起こそうか、そう思いこそしたものの既に夜も遅い。もし事が起きたならば、仲裁を頼むのも明日で良いだろう。今に事が起きる訳はない。なんせジャリルファハドはミュラを連れているのだから。それに刀は壁に立てかけられている。散弾銃もだ。鎧通しの姿はなかったが、あれは主たる武器として使う代物ではない。
「……飲も」
 方針、方向が定まれば頭も軽く、早く帰ってこない物かと思わず窓から外を眺めてしまう。我ながら単純だと苦笑いしながら、先日ジャリルファハドが持ってきたブランデーを求め、棚へと歩み寄るのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.64 )
日時: 2017/01/13 20:00
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 眠っていると例えられるほどにクルツェスカの街は静かだった。ほんの一時間前は娼婦や客で多少の賑わいを見せていた色街も人の影は殆ど無く、外に残っているのは帰る場所のないホームレスや酔っ払い、そしてゴミ箱を漁る野犬のみとなった。明かりが消え暗くなった街は昼間の喧騒とは程遠い静寂に包まれ、朝を告げる鐘が鳴るのを今か今かと待ち焦がれている。そんな眠りこけている街を、ある男はがむしゃらに走る。足がもつれようがゴミ箱を蹴り飛ばそうが休む暇はなく、ただひたすらに。何故男は走るのか。それは死を恐れるからだ。皆がよく知る漆黒の衣を羽織骸骨を模したものではなく、白い鎧に身を包んだ残酷なほど美しい顔をした死神。その男の足音は一定の速度で、また、一定の距離を保ちつつ自分のことを追いかけてくる。男は恐怖した。何故自分は追われているのか、何故振り払えないのか。
 次の三叉路、男は左側の一番細い道を選択する。家と家の間に辛うじて存在しているここを行けば大通りに出られることを知っていたのだ。人は少なくとも、いないわけではない。助けを乞えば何とかなると思っての選択だった。そして、淡い期待を持って道を抜けた先、目の前に広がるのはレンガで出来た無機質な壁だった。大通りも小さな道もなければ人の姿も気配すらない。
「同じような風景、道ばかりで驚くでしょうね」
 呆然と立ち尽くす男の背後、死神の声が聞こえる。緩慢とした動作で振り返った先に立っているのは白い鎧を身に着けた美丈夫。天使のように神々しく神秘的な姿とは裏腹に、その瞳に慈愛の光を宿すことはない。むしろこれから肉塊に成り果てるであろう男を冷ややかに見下していた。
「ですが、同じに見えて全く違うのですよ。貴男は大通りに出たかったのでしょうが、それはここから二つ先の区画でなくては出られません」
 迫る足音に合わせて、男も後ろへ後退るが、すぐに壁に阻まれ距離のみが詰められていく。死神もといガウェスはゆっくりと鞘から剣を引き抜く。
「待ってくれ。待ってくれよ。俺の商品、全部やる。それがほしかったんだろ。だから、だから……」
 凍えているかのように死を恐れ、震える手が差し出してきたのは、くしゃくしゃに丸められた紙である。開いてみると全体的に黒い光沢を帯びた棒状の物体が姿を現した。正体を知らぬ者が見れば、それは黒糖で作られた飴だと思うだろう。しかし、これはそんなに生易しい物ではない。専用のパイプに火を点け煙を吸う。さすれば、今まで感じたことのない高揚感、桃源郷にいるような刹那の夢に溺れることが出来る。だがその夢が覚めた先には地獄が待っている。中毒症状と呼ばれる底無しの血の池のような地獄が。
「我が地を穢す咎人よ。死を以てその償いをするがいい」
 中毒性の強い薬物である阿片は売ることはおろかクルツェスカに持ち込むことさえ禁止されている。情状酌量の余地はない。禁を犯せば一例も洩れることなく死罪となるだろう。剣を持つガウェスの姿は正に、一振りで罪人の首を撥ねんとする慈悲に満ちた処刑人である。
「待ってくれ、待ってくれよ兄ちゃん。俺はしっかりと許可を取って」
「よくもまあ抜け抜けとそんなことが言えたものだ。ならば証拠を出して頂きたい。さすれば見逃せるかもしれませんね」
 例え貴族の許可があっても阿片を売ることは許されることではない。希望を持たせるような酷い嘘をついてしまったことに良心がチクりと痛んだ。しかしガウェスにとっては思ってもない僥倖であったことも事実。証拠が取れれば、阿片の売買を許可した貴族に詰問することが出来る。一つの罪を白日の下に晒すことが出来るのだ。
「これを見てくれ。領主様直々にくだすったのだ。それがどういう意味か分かるだろう?」
 紙っぺら一枚と侮るなかれ。商人の息子である彼は許可証や誓約書がどれほどの拘束力を持っているか、どれほど強い証拠になり得るか理解していた。故に、信じられなかった。信じたくなかった。「嘘だ」と小さく呟いた声は、生きるのに藻掻く男には聞こえていない。怒りで吊り上がっていた目と柳眉を更に吊り上げガウェスは、剣先を男の胸に突き付けた。
「答えろ。これをどこで手に入れた。……誰から奪った?」
 先程にも言った通り、阿片の売買はどんな理由があろうとも死罪に処せられる。例えそこを統治する貴族の許可があってもだ。むしろ売人と貴族との癒着が分かれば、貴族側にも相応のペナルティが課せられる。この許可証にも彼の商売を許可した者の名前が確かに書きこまれていた。筆圧が濃く全体的に右肩上がりの筆跡、よく見慣れた文字で「ロトス・ハイドナー」と。
「奪ったも何も、言っただろう。ハイドナー様から直接」
 男が言い終わる前にガウェスは男の左胸に突き付けていた剣に先を少し前へと押した。もう少し力を込めればその柔らかな肉を完全に断ち、骨を砕き心の臓を貫くことだろう。左胸から拡がる痛みはやがて死への恐怖に変化し、思わず男の顔が強張る。
「嘘をつくのはおやめなさい。死期を早めますよ」
 そんなことを口走り、酷薄な男を演じながらも彼の心は荒波に翻弄される小舟の如く大きく揺れていた。ハイドナーは正式な契約書や許可証には判を押す代わりに賢者の石を溶かした液体で家紋を描く。ハイドナーを騙る偽物が出回らないようにするための工夫だ。過去に一度、営業許可証の偽物が多く出回るという事態に陥ったことがある。その時に偽物と本物とを区別するためにハイドナーは書類には賢者の石を用いていることになったのだ。これはガウェスが生まれるよりも前の話である。
 これは間違いなくハイドナーが発行した許可証であった。彼の頭の中に最悪のシナリオが描かれていく。
「嘘じゃねえ、嘘じゃねえんだ!!許可証に書いてある名前は俺の本名だ。嘘だと思うなら確かめてくれ」
 男のポケットから出てきた身分証と名前が確かに一致している。何と言うことだと、ガウェスの口から嘆息が洩れた。父が阿片売買の斡旋していた。自分には一切知らせず、自分には一切バレずに。上辺では潔白を演じながらも裏で大量の違法薬物を流していたこと、自分には一切教えずに事を進めたロトスに対し怒りが沸き上がっていく。無意識に柄を握る手が力んでいた。その影響で、亀が歩むようにゆっくりとしかし確実に切っ先が肉の壁に埋まっていく。痛みに耐えきれず男が呻き声をあげたとき、ガウェスはハッと我に返り一息にその心臓を貫いた。臓腑を潰した感覚が剣を通して全身に伝わり、レゥノーラのような化け物ではない、生身の人間を殺めたという事実に顔を一瞬だけ歪ませる。目を見開き口の端から一筋血を流す男は既に事が切れ、ガウェスは徐々に冷たくなっていく男を見下ろしている。頬についた血を拭い一度周囲を確認すると、許可証を自らの懐へとしまい込んだ。やるべきことは済んだ。意外な収穫もあったと、早々にこの場を後にしようと踵を返した時だ。建物の影に隠れるように、もう一つの黒い影がそこにはあった。最初からそこにいたに違いない。感づかれぬように、しじまの底からじぃと二人のやりとりを見守っていたのだ。
「盗み見なんて趣味が悪い」
 自分でも驚くほど氷柱のように鋭利で冷たい響きを含んだ声であった。口封じをするべきかと物騒な考えを巡らせたものの、東の空が暁に染まってきていることに気が付くと断念する。そして、さきの自分の声が父親にそっくりであったことに気が付きムカデが背中を這うような、そんな嫌悪感に苛まれることとなった。
 一方その者は恐怖に震えたのか、狂気ともとれる狂喜に震えたのかは分からない。ただ、建物の影に身を潜める者はガウェスと己の視線を交わると一瞬だけ身体を震わせた、畏れるように喜ぶように。仄かに明るくなったとはいえ、まだまだ薄暗い。しかし、夜目があまり利かないガウェスでも、雰囲気でその者と視線が交錯したのを感じ、すぐに視線を逸らすとそのまま早足にその場を立ち去る。死体の処理は憲兵がやってくれるだろう。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.65 )
日時: 2017/01/18 01:12
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 眠りから目を醒まそうとしているクルツェスカには、既に日が昇りつつある。まだ人気は少なく、野良犬と酒に飲まれた愚か者が路地に倒れ込むようにしてそこに在った。訳の分からない戯言、言葉にならない言葉、唸り声などを上げるそれはとても滑稽に見えて仕方がなかった。あそこまで潰れてしまうという事は、まだ自分の力で歩いたり出来た時でも、狂人のように自制する能力を失っていたのだろう。だらしないと自分に言い聞かせ、明日は我が身と自戒し、彼等から目を背けた。背けた先、ぼんやりと空を見据えれば朱色の太陽が、まるで威嚇するかのように此方を睨み付けているかのよう。クルツェスカの中では、太陽すらアゥルトゥラの味方なのであろう。砂漠においては、その理は覆る事となるが、此処はいうなれば敵地であり、そうともいかない。
 ソーニアの家の前は、人の往来が激しい場所であり、夜歩く者達を見ていれば、彼等は多種多様であった。カルウェノから、アゥルトゥラ。果てはレヴェリ。職業、身分、それらの枚挙に暇がなくセノールの首都であるカシールヴェナとは明らかに異なった。事と次第によってはセノールであったとしても人を憚る事なく、自然に、平静としていられるようであった。まるで腹の中に飼い続けていた業を解き放ったかのようである。そうでないとしたならば、腹の中の業を己の深遠に隠したかのようであった。このクルツェスカで自然に居られるセノール、彼等が羨ましくもあり、自分達を裏切ったかのように思えてくる。尤も彼等は敵ではなく、決して味方でもないため、関わるのは愚行である。
「もう起きてんのかよ」
 珍しく早く起きてきたミュラは、窓から身を出してジャリルファハドへと声を掛けた。昨日の今日ではあるが、表面上は憑き物が落ちたようにあっけらかんとしていて、何時ものミュラが戻ってきている。内心安堵したのは言うまでもない。
「眠っている姿は見せられない故」
「またそれかよ」
「おうともさ。お前も男でセノールの武人ならば、こうなった」
「遠慮しとくぜ」
 ミュラでは兵としての責務は勤まるまい。男であり、武人であったとしてもこの性格ではとてもではないが勤まらない。技術を身に着けたとしても、人を殺めるという瞬間に自分の心を凍りつかせる事が出来ず、延々と悔恨の念に駆られるであろうからだ。彼女は良くも悪くも甘い。そういう意味では人らしく、人の形をした獣ではない。獣というのは自分達のような存在、武人を騙る獣の事を指すのだ。砂漠に残してきた弟分とて、おちゃらけては居るが"武人を騙る獣"であろう。セノールの兵として、心を凍てつかせている。
「それが良い。お前に我々のような過ぎた業は似合うまい」
 呟くように吐いた言葉はミュラの耳に届いただろうか。彼女は身を引っ込めてしまっていた。恐らくは聞き届けられなかったであろう。その言葉が聞き届けられなかった事にジャリルファハドは一抹の安堵を抱き、はぁと溜息を吐いた後に煙草に火をつけた。彼女は彼女らしく生きれば良い。そう在れば、何者に成らずとも良いのだから。

 煙を吐き出したその時、空気が何処となく騒がしく感じられた。所謂憲兵達が色街へと向けて駆けて行く姿が在る。ふと、一人の憲兵と目が合えばそれが難しい表情を浮かべながら此方へ歩み寄ってきている。厭に若く、まだまだ経験の浅そうな憲兵である。何かあったのだろうか。はたまた、その何かのせいでセノールだというだけで疑われているのだろうか。
「お前、この近くで人が殺されたが、何か見てないか?」
「知らんな。確かに昨晩は出歩いていたが、そのような事は見聞きしていない。……どう死んでいた?」
「剣で一突き。お前……」
 憲兵が見ているのはジャリルファハドの腰に刺された刀。視線に気付いたのか、ジャリルファハドはそれを抜いてみせて、憲兵の眼前へと突き出す。一瞬、ぎょっとした表情を浮かべ、脂汗を額から一滴流してみせた。彼の瞳の奥底には恐怖が見え隠れしている。そんな憲兵であったが、意地を見せて声一つ上げる事なく、刀を凝視して見せた。片刃の上に曲刀であるそれが凶器ではないのは明白であり、彼は小さく頷いて、苦し紛れな言葉を吐くのだ。
「突然、刀を抜くなセノール。事と次第によっては――」
「俺を殺すかね」
「なっ……! そんな事は――」
「お前は俺をセノールだというだけで疑って掛かったであろう。俺が刀を抜いたその時に戦いたのは、そういう意思、意図があるからだ。俺が恐ろしいかね。それ程に……、我々セノールが恐ろしいかね?」
 憲兵の言葉を遮り、ジャリルファハドは言い返すなり憲兵は不愉快そうに顔を顰め、朝日に目を凝らし視線を反らした。もう一押しでこの憲兵を追い遣れると確信する。
「お前は蔑西の教えに染まったのだろう。見識を持たぬ愚か者よ、お前にこれ以上、語る言葉は持たん。今すぐ此処より立ち去るが良い」
 吐き出された矢のような言葉。憲兵の怒りの琴線に触れたであろうが、彼は顔を赤らめて踵を返すばかりだった。下に見ているセノールに貶され、矜持に傷を持ったとしても今此処でセノールと争えば、殺されはしないが勝ち目はない。昨今、ジャッバールのおかげでセノールに対する評価が変わりつつある現状、事を荒げれば自身の立場がなくなると憲兵は賢しくも悟ったのであった。
 色街へと向かっていく憲兵の背を見送り、ジャリルファハドは煙草の灰を落として一息。砂漠のそれと異なる顔を見せた太陽を見据えながら、煙を吐き出すのだった。



 骸は胸を一突きにされ事切れており、身元は阿片の売人との事である。クルツェスカにおいて、凶行が起きればすぐに情報は広がる。何者かが凶行を犯したという事と、阿片などと所持すら許されない代物が売られているという事実は、平静に生きてきた者を不安に駆り立てる。その証にソーニアはライフルを抱き締めるようにして、身を強張らせ、その表情には一抹の翳りが在った。幸いにもソーニアの傍らで歩むミュラは平静とした様子である。
(さて……、どうしたものか)
 どうにも街がざわめいているような気がしてならない。すれ違うセノール、厳密にはジャッバールの輩は厭に殺気立っている。心なしか刀以外の武装をした者が多く見られ、人によってはライフルとはまた異なる銃器を持っている者達まで在り、つい先程は袋を被せられていたがガトリングと思しき物を抱き抱えたレヴェリの姿まであった。しかし、このざわめきは彼等のせいではない。恐らくは今回流された血と命が、このクルツェスカにおいて触れてはならない代物の一つであったからであろう。遥か東に伝わるパンドーラーの箱のような物を開けてしまったのだろうか。この刀を無関係な人に振るい、命を奪い、血を流すような事がなければ良いのだがとジャリルファハドは思案しつつ、煙草に火をつけた。煙が街の空気と異なる、やや甘い香りを発し、風に乗って流され、また消えていく。
「……ごめんなさい、なんからしくないわね」
「この空気の中、嫋やげる方がどうにかしている。気に病むな、我々からしても嫌な感じだ。なぁ、ミュラ――」
「は? あぁ、いやいまいち分かんねぇけどさぁ。確かになんつーか……、おかしい」
 漠然としたミュラの感想であったが、彼女も同様の思い、感覚を抱いていた事は幸いであった。危機感を覚えているのと、覚えていないのでは話が違うからだ。
 この空気は一体、何なのだろうか。争い血を流し、死を齎そうとする戦の前のそれとは違う。どうにも巨大な悪心、怨嗟、怒りが渦巻いたような代物。どうにも感覚的過ぎて、上手く説明がつかない。それ故に得も知れず、ジャリルファハドすらも困惑させるのだ。大きく、手が付けられない災禍を齎そうとする意思が働き、何者かが怒り狂っているかのようであるのだ。その怒りを露とする者は、色街での人を殺めた者を知っているとでもいうのだろうか。はたまた、その者を炙り出そうと怒りを露としているのだろうか。それともまだ別の何かを腹の中に飼っているというのだろうか――。
「何も……、事が起きねば良いのだが」
 珍しく憂いを帯びたような表情で、一人ごちるように言葉を吐いたジャリルファハドであった。彼を見据えたソーニアは何処か由来の説明が付かない悪寒を抱き、表情を歪め、顰める。自分が予想だにしていなかった事が起きている。目まぐるしく変わり行く、クルツェスカの状況に己という個がまるで陵辱されているかのよう。ジャリルファハドやミュラが抱く不快感とはまた違う。ハイドナーとガリプの対立のみならず、ソーニアの不安の種が一つ増え、彼女はどこか痛む頭を抑えながらカンクェノへの道を歩むのであった。

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