複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.39 )
日時: 2016/10/10 00:26
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 色街を抜け、二人は大路を歩む。

 ジャリルファハドは東から差し込む橙色の太陽光に目を細めながら、サウィスの袖を捲くった。右腕のタトゥーが衆目に晒されるが誰も気に止める事はない。そもそも刀と肌の色でセノールだと一瞬で判別される。であれば、砂漠のそれとは違う暑さを少しでも凌げるようにするのみ。
「ふぁーあぁぁ……、ねむっ……」
 大口を開け、それを隠す様子もなくミュラは欠伸を一つ。品がないと苦笑いを浮かべ、ミュラを横目で見やる。結局、ジャリルファハドに時間が来たら起こせと言い放った五時から二時間後、七時に起こすも、素直に起きる事もなく八時をやや過ぎるまで、ベッドの上で燻っていたのだ。
 既に時間は八時を四半刻ばかり過ぎた頃。ソーニアは既にカンクェノの守衛所前に居る事だろう。
「ミュラよ、過剰な睡眠は毒だ。人生の浪費に過ぎん。余り感心はしない」
 人の一生は短い。那由他の時を重ね、刻んできた歴史の中では刹那の如く。ならば一時、一分、一秒を無駄にするべきではない。眠らずに生きていけるのであれば、その様に生きていたい程である。日が昇るうちは己の身体を鍛え、夜は知識を修め、心を鍛える。己との聖戦に時間を費やせる事であろう。
「そんなめんどくせぇ事考えて生きてんのかよ」
 セノールの哲学、思考はミュラに理解は及ばない。そんな事を気にしながら生きるなど、堅苦しさに嫌気が差してくる。
「人は考えなくなったら、最早人ではない。人は万物の霊長ではない。寧ろ自然に置いては最たる弱者であろう。故に我々は考え、霊長のふりをせねば生きられぬのだ」
 人は弱い故に考え、創意工夫を以ってして生きる。そうでなければ過酷な自然では生きていけない。ジャリルファハドの言う事は尤もだとミュラも思いこそするものの、常日頃からそういった思考に縛られる必要はないだろうと、異を唱えたくなるのも事実。そういった危機に直面してからでも問題はないだろう。即ち行き当たりで生きたとしても人間は生きている、とジャリルファハドの主張には反する。
「朝っぱらから哲学聞きたくないぜ」
「お前、俺が黙れば“何か喋れ”と無心するではないか」
 思い当たる節が幾つかあったミュラはジャリルファハドに振り向く事もせず、明後日な方向を見据えた。
 昨晩、あの宿でもジャリルファハドの言う通りであった。沈黙に耐え切れなくなれば、話をせがむ。その都度彼は自分の作業を取り止める、もしくは片手間応じてきていた。主に語ったのは歴史、文化、古語。彼が今まで培ってきた知識、見聞であった。砂漠で己を律するための法しか知らないと思っていたセノールが在ろう事か、敵であるアゥルトゥラに精通していた事は驚かされたものの、ミュラの頭の片隅には殆ど、それらの情報が残されていなかった。
「なっ……、良いじゃん、別に」
 図星を付かれたかのような返答をするミュラの背に対し、やや呆れたような視線を向けながら仕方ないかと内心、ジャリルファハドは一人ごち、路地を見据える。視線の先には幾人かのセノール。此方を見て何か話しているらしく、タトゥーから読み取る限り、ジャッバールの者。何か企んでいるのだろうが、知った事ではない。関わらなければ良いだけである。
「お前、ソーニアにそれをしてみろ。奴は朝から次の日の朝まで語るぞ。それこそお前の頭が爆発するまでな」
「……めんどくさくね?」
「学者や技術者というのは一様にそういう者だ」
 振り返ったミュラは何処となく戦々恐々とした様子であった。どれ程、頭を使いたくないのかと呆れ、侮蔑するような視線を向ければ彼女は、僅かに怒りを露にした様子だった。それを木に留める事もなく、ミュラを抜き去り守衛所前まで足を急ぐのであった。



 守衛所の前にはライフルを抱き抱えるようにして、地面に座り込んだソーニアの姿があった。強い朝日を浴びないように日陰に隠れ、此方を見据えていた。ある程度まで近付くと彼女も歩み寄り出し、何かあったのかと問い詰めるような視線を向け始めた。
「おはよ、随分遅かったね」
「あぁ……、此奴が起きんのだ」
 ミュラを顎で差すと、彼女は都合悪そうに視線を逸らし、心なしかソーニアと距離を置く素振りを見せた。どことなくジャリルファハドに対して噛み付くミュラらしからぬ素振り。人を見ているのだろうかと、ジャリルファハドは疑問を抱き、首を小さく傾げる。
「ミュラもおはよう。よく眠れたみたいね」
「それでさっき寝過ぎだって、怒られたんだぜ」
 まるで告げ口するかのようにソーニアに伝えれば、彼女は困ったように苦笑いを浮かべながらジャリルファハドを見据えた。場を円滑に納めようとでも言うのだろうか。惰眠を貪り、時間にだらしないのは悪徳である。言葉に出さないが、ソーニアに取り合う気はないとジャリルファハドは視線で返す。
「まぁ、寝る子は育つから……」
「ほら、見ろ。ジャリルファハド。ソーニアだってこう言ってんだろ」
 正当化するような物言い。勝ち誇ったかのようにジャリルファハドへと向き合うも、彼は相変わらず仏頂面を浮かべ、口を閉ざしている。何か言いたげなその視線に、ミュラの勝ち誇ったような表情は消え失せ、再びソーニアに助けを求めるかのように伏せ目がちに彼女へと視線を向けた。
「……二十も手前、十も終いになってそんな事を抜かすか。――お前はもう育つまい」
「どういう意味だよ!」
 静かに語り、次いでに嘲笑うような最後の一言。ジャリルファハドへと食って掛かるミュラを見ながら、ソーニアは穏やかに笑っていた。ミュラはジャリルファハドに遊ばれているような印象を抱いたからだ。彼等の縁の長さこそ知らなかったが、猛るミュラと平静を保つジャリルファハドからは平穏という空気が感じられるような気がしてならなかった。
「へー、ミュラってやっぱ見た目通り若かったのね」
「そういうソーニアは幾つだよ?」
「もう二十代も終わり。私が一番年上」
「へぇ、三十手前。おばさんになりそうなのか」
 ミュラの口から飛び出た弾丸のような言葉はソーニアの眉間を穿つ、無慈悲な代物であった。ショックだったのか、ソーニアは暫く凍りつき、哀れむジャリルファハドの視線が更に悲痛を訴える。何が起きたか分からないミュラはジャリルファハドとソーニアの間で、視線を往復させて戸惑っている様子だった。
「ソーニア、お前には此奴を撃つ権利がある。如何に」
「……少し考えておくわ。――取敢えず行きましょう? もう立入の名簿は出してあるから」
 どことなく翳りのある表情でソーニアは二人を先導する。自分ももうおばさん。確かに行かず後家などと揶揄されているのは知っているが、面と面向かって言われると堪えるものがある。セノールの友であるハヤですら既婚者、バシラアサドは既婚ではないにせよ子持ち、半ば家庭があるようなもの。出遅れた、出る機会はもうない。そんな負の思考に苛まれながら、足取り重くカンクェノに向かうのだった。
 


 薄暗がりの中、重厚かつ硬く冷たい石の感触を踏みしめる。どことなく黴臭く、湿度を持った冷たい空気が体を冷やす。ジャリルファハドもサウィスの袖を下ろし、入り口から差す日の光を惜しむように見据えていた。
「……暗いなぁ」
「照明付けるから少し待って」
 腰から吊り下げた鉄製のランプに火を灯す。錬金術で作られた不燃硝子と高耐熱性を持つ鉄で作られたそれの中では、同様に錬金術で作られた燃料を燃やしている。物珍しい代物にミュラは目を奪われ、その輝度の高い炎は辺りをとても明るく照らしている。セノールには禁輸措置を取られているその燃料を見て、ジャリルファハドも感心しながら、明るく照らされた壁を指でなぞる。
「アゥルトゥラの先人も凄まじい限りだな。巨石を積み地下へ延びる遺跡を築くとは……」
 過去を投げ棄て、今と未来ばかりを見据える者達が作り上げた、決して忘れられない遺跡。恐らくは此処は忘れ去られず、過去として割り切る事が出来ず、こうやって使われなくなったのだろう。過去に目を向ける者達が居なかったら、此処は既に打ち壊され埋められていたかもしれない。
「……私はこれ人間が作った物じゃないと思うのよね。これは世界中の自然発生する魔力を食い尽しながら成長している。言うならこれは魔物よ」
 ソーニアの語る事はオカルトに駆られた妄言のように感じられ、ジャリルファハドは顔を顰めた。無尽蔵に成長を続けるならば何を目的にそのような事をしたか、そもそも成長に伴う空間や、地底に存在していた土はどこに行くといのか。様々な疑問などが生じてくるが、ジャリルファハドが最初に問うのは、己の命に関わる事柄であった。
「もう五百年も昔からあるのだろう? であれば下層が自重で自壊するだろう。それに空気はどうなっているんだ」
「不思議な事に自壊した痕跡は未だに見つかってないわ。それに空気もちゃんとあって呼吸できるのよ。更には七十六階にだけ人が暮らした痕跡があったりして、分からない事だらけ」
「七十六階……? それだけ地下に歩いて潜んのかよ、階段とんでもない数になるじゃん」
 ミュラの心配は確かにその通りである。発掘の最前線に辿り付くまでの間に、疲労困憊となり、地上へ戻るまでが一苦労となる。
「あ、それは大丈夫。電動の巻き上げ機を使って昇降出来るから。まぁ、そのせいで階層突破する度に遺跡の一部を壊さなきゃいけなくてさ。ちょっと心苦しいんだよね」
 一言で心配を払拭したソーニアの表情は、何処となく翳りがある。ミュラに年増呼ばわりされた時のそれとはやや異なり、己等が地下へ向かい、歴史を紐解こうとする度に培われてきた歴史を破壊してしまう。歴史の探求者であると同時に、歴史の破壊者と成りえる現状を不満に思っているかのようだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.40 )
日時: 2016/10/14 16:13
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU

 例えば、螺旋を描く様に。問答は延々と続いていくのかもしれない。世界の原則とは、約束事とは何であるのかしらと少女は問う。けれどもそんな事、誰も知りやしないのだ。それこそ神様以外に。
「ああ、可哀想! 可哀想な貴方様! 神様なんてこの世に存在しやしないのに!」
 少女は語る。悲しげに、憐れむように。哀悼をその瞳に湛えて。救いもない、導きもない。それは、それだけは、今の少女にもわかる事。何も知らない彼女が知りうる、一つの真実。――されど、真の救いが、導きが、真実にあるなれば、それは。

 翌朝、相も変わらずベケトフ邸は穏やかな空気が流れる中で、一日の始まりを迎えていた。朝食の時間も終えて、各々が為すべきを為さんと動き出した頃、邸へと一人の訪問者が或った。当主よりの手紙を預かってきた、というハイドナー家使用人の女性である。本来ならば丁重に出迎え、感謝を告げるべき所であろう。良ければ朝食でも、と彼女を出迎えた男は口にはしたけれど、彼女が断ったのだ、と語ったのは彼女を出迎えた男改め、ヨハンであった。どうもね、と軽い口調で彼女を見送りウィンクをひとつ。ひらり、と手を振ってから踵を返し、向かうのは雇い主たる男の部屋だ。その前に屋敷のご令嬢へ朝の挨拶でもと思ったが、今は仕事が優先であろう、と思ってのこと。ノックは二つ、どうぞ、と穏やかな声は屋敷の主のものだろう。断りの言葉は存外ゆるい語調で紡がれ、ヨハンは扉を開いた。室内にある影は二つ、椅子に腰掛ける男と、その傍に立つ娘のもの。
「あ、ヴィッヒ……ん、んんっ。ハイルヴィヒさんもいたんですね」
「……なんだ、いたらまずかったか?」
「いっやぁ、まさか。ただスヴェータお嬢さんと一緒かと思ってたんですよ。なにせもう出発でしょう? だから、少しでも長く一緒に居るもんだとばっかり」
眉間に皺を寄せる娘、穏やかに微笑む当主に、へらりと軽い笑みを浮かべる男。三者三様異なる反応を見せつつも、ヨハンは当主、ユスチンへと先程受け取った手紙を手渡した。
「ハイドナーさん所から、お返事みたいですよ、ご当主殿。……いやぁ、はは、ハイドナーさんも真面目ですねぇ。急ぎの文章でも大分きっちりした形でお返しくださった」
相も変わらぬヘラヘラと軽やかな笑みを添えて、ヨハンは語る。真紅の封蝋には、かの家の印がきちんとスタンプされている。汚れ一つ無い白い封筒は、きっとこの手紙を持ち寄ってくれた使用人も丁寧に此れを扱った証拠であろう。ともすれば、成る程実に良い、とばかりにユスチンは頷いて、封を切る。取り出した便箋を広げて、内容を読み込む間、ユスチンはもちろん、ハイルヴィヒもヨハンも、ただただ無言であった。静かな空間に響く音は、わずかに開いた窓から入り込む音ばかり。鳥の鳴く声、風が木々を揺らす音。紙と紙とが擦れる音。けれどもどちらも微かなもので、息の音すら、鼓動の音すら聞こえそうなほどの静寂。其れを破るのは、手紙を読み終えたユスチンである。
「……はっはぁ、ふぅん。…………成る程ね。……まあとりあえず、ハイドナーはやっぱり協力してくれるらしいからね、うんうん、其れは有り難い、と言った所かな」
 其れは、に込められた意味を、薄々ながらも悟ったヨハンはやれやれとばかりに肩をすくめ、ハイルヴィヒはほう、と小さく零す。薄らと思い返していたのは過日、手紙をユスチンより預かった時の事。ガウェスからの返答のみであったならば、なるほど、納得が行く。何時しかかの家の御大に“お世話に”なるやも知れぬと内心思うばかり。ヨハンの方はなんとも言えぬ、強いて形容する為ればにんまり、とでも言った所の笑みを浮かべたままで、ふわりとした金髪の髪先をクルクルと巻いて手遊びを始める始末である。些か悪い方の予想通りとも為れば、ユスチンとても笑うしか無かったらしい。カラカラと喉を鳴らし、手紙を再び折りたたむ。吐き出す息はさて、何を示すか。そんな事きっと言うまでもない。ああ全く、予想通りもいいところ、このまま進めば破滅は何方か。世界は何かの導きどおり? さて其れは誰も知らぬ事。ゆったりと娘と似た色の瞳を2人の傭兵へと向けるユスチンは、至極、穏やかな笑みを浮かべたままであった。
「さて、と……ハイルヴィヒ、悪いんだけれどちょっとスヴェータの所に行ってあげてくれないかな。話さないで出掛けたら、きっとあの子もひどく悲しむだろうからね。言いくるめろ、とは決して言わないから、少し話してくれるだけでいいんだ。……お願いできるね?」
「勿論です、ユスチン殿。……お嬢様とお話し出来るなれば、私とて……喜ばしく思うばかりですから」
「で、ヨハンは少し話があるから、残ってくれると助かるよ。……其れじゃあハイルヴィヒ、よろしくね」
 ユスチンの言葉に、ヨハンは頷き、ハイルヴィヒは一礼してから部屋を出た。扉が閉まる音がすれば、部屋の空気は瞬間、色を変える。穏やかなばかりの其れではない。宵闇の一端が僅かに舞い込むかの様に、夜の帳が再び僅かに降りたかの様に。ただただ世界が色を変えた。優しい秘密、偽りまみれの夢、喩えるならば、名を付けるならば――。
「……いやぁ、ユスチン殿ー。本当に良いんですか? お嬢さんの事、外に出して」
 さも、面白くて堪らぬ物語を堪能しているかのように、ほくそ笑む笑い方そのものな笑みを浮かべたヨハンは相も変わらぬ、軽い口調でそう紡ぐ。頑なに娘を外に出さぬとしてきた父は此度、一つの決断を下した。
「……うん、うん。ほら、ね、スヴェータも……いつかは大人になるんだ。なら……結局、僕が死ぬ前に外には出てもらわないと、外を知ってもらわないといけないからね」
 ユスチンの言葉は、至極真っ当でありながら確かな矛盾と違和感を孕む。ちらり、とユスチンを見やるヨハンの瞳は、喩えるならば冬の湖。奥底に沈む1人を覆い隠す湖面の色。可愛い可愛い一人娘、可哀想な籠の鳥。外への鍵はきっとこの屋敷に隠されている。他でもない、父親の手によって。そしてその鍵を使って扉を開くも閉めるも、父親の自由なのだ。開かれる扉は仮初の自由への入口、いやはやこれは全く、全く哀れで滑稽で、なんと悲しいお話だろうか! そうとも思えばヨハンはただ、只々、ほくそ笑むばかりである。
「はいはい、了解してますよ。それとなく、自然に、お嬢様を迅速にお外へ。できる限り早くハイルヴィヒさんと合流していただいて、それでまあ、安心でしょうね。それから、暫くしたらお嬢様だけでも先に帰ってきてもらう、と……すべて滞りなく、準備は、ええ、終わらせておきましたから」
「うん、完璧だね。いやぁ、うちには優秀な部下が多くて助かるよ」
「およ、僕らの事、部下っておもってくださってるんですか? いやぁ……うん、嬉しいですね、素直に。ま、これからも存分に使ってくださいね〜。お給金きっちり貰えてる限りは、相応の働きをさせていただきますんでね」
 へらへらと笑いながら、それじゃあやる事やってきますね、と添えてヨハンは部屋を出る。廊下を歩むその最中、手先は再び髪をいじりながら、ぽつり、と言葉を落とす。全て独り言、なんでもないただの傭兵の戯言だ。
「……本当はそれだけじゃあないでしょうに。お外は怖い怖い、こわぁい場所、良い子の寝床はこのお屋敷。お姫様がそれを学べば、お外なんて嫌だと閉じこもる。そうでなくとも少なくとも外へ行こうという気力は削げる。いやぁ、永遠に外に出たく無くなるように自主的に仕向けた……とするならば。ああ、なんて悪い父君なんだか」
 そこまで言い終えて、ヨハンは足を止める。クック、と喉を鳴らして、堪えきれないとばかりに肩を揺らす。左手で己の顔を覆えば控え目に、けれども只、愉快そうに笑うばかり。
「――ははは、はははぁ、いやいや、流石に、ははは、これは、ははっ。冗談冗談……っとぉ」
 一頻り内々に秘める言葉を吐き出せば顔を上げて、いつもと何ら変わらぬ“ヨハン・クリューゲル”の顔をして、歩み出す。何せなすべきは、まだ色々とあるのだから。愛とは時として、狂気であるか。

 ノックの音はふたつ。白い扉に隔たれた部屋から響くのは甘く柔らかな鈴の音にも似た声。今日もまた、私です、とハイルヴィヒが告げるよりも早く、扉は開く。扉の向こうから現れたアクアマリンがキラキラと輝いて、白い頬は薔薇色に染まる。伸ばされる白く細い、ドールのもののような手がハイルヴィヒの手を掴んで、部屋へと招くように引っ張った。ハイルヴィヒもその導きに逆らうこと無く部屋へと足を踏み入れる。ハイルヴィヒが後ろ手に扉を閉めるのと同時、融けそうな白い腕は、ハイルヴィヒの身体を抱きしめる。
「…………待ってた、待ってたの、待っていたのよハイルヴィヒ。……もう行ってしまうんでしょう……? ……お茶、飲んでいく時間、ある……?」
 決して、おどろおどろしい儀式のための言葉ではない。決して、命じるような力強い言葉ではない。決して、何かを強制させる様な響きのある言葉ではない。けれども、まるで逆らえない。頷くしかない。秘密の呪文を囁かれたかの様に、世界に縛られたかの様に、ハイルヴィヒ・シュルツはその言葉を否定出来ない。否、恐らく、この屋敷に住まう人間全て、この言葉を、否定出来ないのだろう。理由など知らない、知る由もない。ただ一つ、彼女が紛れもなく少女であるという真実だけが、此処にある。
「……ええ、勿論。お嬢様の為なればこのハイルヴィヒ、いくらでも時間を作ります。」
 ハイルヴィヒ・シュルツは彼女の前でのみ柔らかに微笑む。慈しむように、愛おしむように。叶うならば跪き、その手を取り、柔らかに微笑みたい衝動に駆られながらも只、優しく、細い体躯を抱きしめ返した。2人きり、柔らかな空気はけれども、閉ざされた場であるからこそ其処にあるもの。許されざる世界の在り方が存在するなれば、きっと。少女が少女であり続け、彼女が彼女でありまた別の娘が少女であるならば、いつまでも続く、仮初の永遠だ。2人きり、秘密の夢は、温かな紅茶と、甘いお菓子と共に。ささやかな茶会は永遠には続かない。此処には狂った時計はないし、そも、これは狂ったお茶会ではないのだから。ハイルヴィヒには出立に置ける最終確認が待っている。刻一刻と出立の時間が迫るとも思えば、平素よりも時が過ぎゆくのは早く感じられる。
「ねえハイルヴィヒ、今回はハイドナー様やニコルソン様にもお会いするのよね?」
「……ええ、そうですが……何か、伝言でも或るのですか? そうなのでしたらきちんと、お伝えいたしますけれども」
 不意にスヴェトラーナが零す言葉に、ハイルヴィヒはゆるく小首を傾げてみせる。そうして笑顔のままのスヴェトラーナはハイルヴィヒがティーカップをソーサーへと乗せた折にハイルヴィヒの傍へと歩み、彼女にそっと、耳打ちを。秘め事を、約束を、告げるために。
「ニコルソン様には是非、また我が家にいらしてくださいな、と。……ふふふ、ニコルソン様のお料理、本当に美味しかったのですもの。幾度、幾度伝えたって足りないくらいに。ハイドナー様には……ふふふ、どうぞご自愛なさって、と。……太陽の光が、輝きを増すほどに、明暗は強くはっきりと分かれるものだわ。……光あるところに影はある。いえ、いいえ、光があるからこそ影があるのですもの、何せそれらは、表裏一体なのですから。……それから、それからね……ハイルヴィヒ、貴女にも、言わないと。……きちんと、帰ってきなさい。……約束よ、絶対、だからね」
 そうして少女の白い手は、ハイルヴィヒの手を優しく握りしめる。祈るように、願うように。そうしてそのまま其の手を口元へと誘い、掌へと口付けが落とされた。愛しい人の無事を祈って、懇願を其処に。。ハイルヴィヒはただ驚いて固まって、数秒。不意に息を吹き返したかの様に、久々に息をするような感覚に襲われながら息をする。少女の手を優しく握り返して、その甲へと口付けを落とす。敬愛の意を込めて、帰還の誓いを、其処に。
「……ハイルヴィヒ、ハイルヴィヒ……約束、破ったら嫌よ、嫌だからね。……絶対、絶対……絶対だからね」
「ええ、お嬢様。貴女との誓い為ればこそ、破られることは無き様、努めます。……ですがどうか、“絶対”ばかりはご容赦を。……申し訳ありません」
「…………意地悪ね、ハイルヴィヒ。でも、すき。そんなところが大好き。……でも貴女の無事を祈るくらいは、許してくれるでしょう?」
 スヴェトラーナはコロコロと笑う。ほんの少しの寂寥感を其の笑みに織り交ぜて。少し待っていて、と告げて、ハイルヴィヒの傍を離れればチェストの上に置いてあった小箱から、薔薇の花を象った装飾に、赤い宝石――ガーネットが添えられたイヤリングを取り出す。それを握りしめてハイルヴィヒの傍へと戻れば、ハイルヴィヒの耳元に花を添える。相も変わらぬ、柔らかな笑顔のまま。そうしてそぅ、と唇を寄せればイヤリングへと口付けた。
「……お守り。ガーネットは兵士のお守りだったというから……貴女の無事を祈って、何事もないことを祈って。ふふ、月の魔力が、貴女を守るわ。魔法は既に廃れても、願いと祈りの力は、きっと今もまだ。だから……どうか、持っていて」
 懇願するかの様に、細く震える声であった。危険が皆無とは言えぬ場所だ。だからこそ、ハイルヴィヒが向かう。それだけの事だというのに。彼女は、スヴェトラーナは、ドールにはめ込まれた澄んだ硝子玉の様な青い瞳を薄っすらと潤ませてすらいるのだ。引き込まれそうなほどに澄んだ瞳を、いっそ口にしてしまえたらとすら思えてしまう。我ながら何と悍ましい、とハイルヴィヒは双眸を閉じ、短く息を吐いた。そうしてから、スヴェトラーナの手を取って、優しく握りしめる。
「ええ、勿論です。……ありがたく、頂戴いたします、お嬢様」
 優しい声、柔らかな場所、たとえ如何なる事があろうとも、月明かりの下に咲き誇る薔薇が守ってくれる。そんな気すらしてしまった。ハイルヴィヒの出立まで残る短い時間、過ごす優しい時間は、二人の少女の美しい思い出の一つと相成るか。――其れは2人だけが、知る所。
 そうしていざ訪れる別れの時に、スヴェトラーナがひどく寂しげな表情でハイルヴィヒを見送ったことは、また後の話だ。屋敷を出たハイルヴィヒは只真っ直ぐ、向かうべき場所へと、向かう。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.41 )
日時: 2016/10/17 03:00
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 昇降機を降り、歩み進めれば少し開けた所に喧噪が存在した。石壁の天井が冷たい視線で、その喧噪を見下ろしている。
 照明として松明が灯され、激しく燃え盛るそれは淡い橙色で当たりを照らしていた。それらが点々と彼方此方に並んでいるおかげで、上階と比べて空気は暖かく、適度な湿度のおかげで過ごしやすく感じられた。
 辺りには宿舎のような建物や、保存食ばかりであるが露店があったり、休息には打って付けな茶屋まで存在し、そこに屯する学者や彼等に雇われたであろう傭兵、ジャバールの私兵達は和気藹々と何か言葉を交わしている。彼等は業と自分達以外に分からないようにと、セノールの古語で話をしている。「ガリプが来た」と短く一言を発している以上、既に情報は末端まで伝達され、警戒されているのだろう。
「ちょっとした街のようだな」
 二町歩ばかりの広さの空間に建造された建物は所狭しと並び、人々の息衝く独特な空気がそこにはあり、この拠点はだいぶ前から存在していると読み取れた。
「まぁね、レゥノーラの掃討が完了し次第、拠点を設けるのがカンクェノ発掘の定石だから。此処以外には十階毎に五十階まで拠点があるよ」
「これだけの街を何日で拵えたのだ」
「四日、単純に木材を下ろして、組み上げて急拵えの街を造るだけならそのくらい。水路を引くには二週間くらい掛かったけどね」
 淡々とさも当然のように語るソーニアにジャリルファハドは感心していた。アゥルトゥラは富み、人間の数も多く、資源、資材を大量に持つ。それ故に地下発掘にそういった資源を大幅に割けると考え至る。ともすれば再びセノールがアゥルトゥラと争うとした場合、拠点を虱潰しに叩き、砂漠から追い出した後、二度と砂漠に立ち入らせないための徹底的な抗戦を要するであろう。そうなれば練度はともかく、資源、頭数に劣るセノールは疲弊し、ゆっくりと戦線を瓦解させていくことが予測される。
「うおー、すっげぇ……」
 突然ミュラが驚いたような声を上げ、ある方向を指差した。彼女の指の先には、幾つもの木箱に積まれた赤く光り輝く結晶がある。それも山のようにだ。ソーニアはそれを一瞥するだけして、別段珍しいものでもなんでもない様子であったが、ジャリルファハドもミュラ同様にそれに目を奪われた。
 先日、ソーニアの鞄に詰め込まれていた賢者の石、パラケルススの遺産そう呼ばれる物質。あれだけの量があれば壮観であった。それが淡い炎の光を受け、自らの中で乱反射して光り輝いている。異常な硬度を持ち合わせず、加工が容易ければ、錬金術の触媒としてだけではなく、それ以外の装飾品などへの使い道もあるだろう。
「遺跡を発掘してアレを持っていくなら何も言わないけど、ただ乗り込んできて発掘もせずにアレだけ持っていく人達はちょーっとね……」
 ぼそりと呟くソーニアは苦々しい笑みを浮かべていた。ソーニアからしたら真に価値があるのは過去の遺物であり、賢者の石ではない。過去の遺物に目もくれず立ち入る輩が邪魔で邪魔で仕方ないのだろう。
「そのような奴等が居るのか」
「……近々、ハイドナー、ベケトフの有志連合がレゥノーラ掃滅の旗印の元、カンクェノ入りをする。ジャッバールと衝突しなければいいんだけど……」
 暗にその二家がそうだとソーニアは言いたげであった。学者からすれば僅かなそういった行為も、そればかりとして目に写ってしまうのだろう。また、その二家が問題を起こさないかと不安視しているようだ。
「物々しいな」
 ソーニアの発言から地上の諍いが地下にまで伝播してきている事が予測された。ハイドナーとジャッバールの関係性はともかく、そこに日和見を選択し続けるベケトフが加わるとなれば、力の均衡が崩れかねない状況となるだろう。
 ジャッバールがベケトフに手を掛けるとするならば、彼等は意趣返しを行うのは目に見えている。ともすれば愈々、本格的に抗争が始まる可能性がある。今までの小競り合いでは済まないのだ。
「前にもハイドナーとジャッバールで揉めて、ハイドナーが一方的に鉛弾ぶち込まれるなんて事があったけど、――そうあれで」
 ソーニアが指を差すのは架台に乗せられた複数の銃身を持つ銃。カルウェノやアゥルトゥラでは未だ持ち得ない北方から流れてきたガトリング砲などと呼ばれる銃器である。遺跡の通路においては、その制圧能力の高さから圧倒する事も容易い。ジャリルファハド自身もセノールの土地で、それの原型を見ていたが、クルツェスカで完成しているとは知り得ていなかった。当時、設計者であるハヤが漏らしていた「弾は全部共用にする」という言葉通りにライフルの銃弾と共用にされていたならば、一発で致命傷となりうる凶悪な代物である。
「あれをこの遺跡で撃つか……、無関係の者まで巻き込みかねん」
「えぇ、それでも私たちのような学者はジャッバール支持者が多いのよ? 遺跡に常駐してて、同行を許可してくれるし、階層突破に力を入れてるから発掘も捗るしね。寧ろハイドナーが目の敵。何を根拠に遺跡の管理者なんて名乗ってるんだ――、邪魔以外の何者でもない――、って皆ね」
 ソーニアの言葉は学者達の総意であるようだった。遺跡の発掘に対し、立ち入りの制限を掛けたり、遺跡の管理者を名乗るくせにたまにしか来ないなど、様々な不満があるのは違いない。しかし、それが遺跡内での力の均衡を崩さずに居られる理由であろう。ジャッバールがハイドナーに成り代わり、彼等が今までやって来なかった事をする事により、支持を得て多少の狼藉、暴虐を看過してもらえるようにと頭を回した結果であろう。
「何人ハイドナー勢は死んだのかね」
「両手、両足合わせても足りないくらい。それ以外にも投降したハイドナーの人間を連れ帰って、処断したとかって話もあるわ」
「敵勢に対する礼節は尽くすのだな」
 セノールにおいて投降は恥。故に投降した敵は一時、捕虜として身柄を預かるが一様に処断するのが慣わしであった。セノールから離れていったジャッバールがその礼節を守っていたという事にやや驚く。尤もジャッバールからしたら、敵勢を少しでも減らそうという意思が働いた故かも知れないが。
「あぁ、やっぱりそういう文化なのね」
「然り。本来なら刎頸か、放逐を選ばせるが……、此処では放逐したとて死なぬからな」
 淡々と言葉を交し合うジャリルファハドとソーニアであったが、それを黙って聞くミュラからしたら異質すぎて空恐ろしいものを感じざるを得なかった。投降したなら殺す理由はなく、それは文化の一言で片付けられる物ではないだろう。やや引き気味になりながら、ジャリルファハドから飛び出た「刎頸」という言葉に首を傾げた。
「“ふんけい”ってなんだ」
 二人へ向き直り、ミュラは疑問を口にする。その疑問が二人の耳に届くなり、歩みが止まり四つの瞳が、何処となく呆れたような視線をミュラへと向けるのだった。
「俺もこのくらい馬鹿に生きられたら、色々と楽だったやもしれん」
「えぇ、私もそう思う」
「二人して馬鹿馬鹿言うんじゃねぇよ!」
「私は馬鹿なんて言ってないよ。……まぁ、思ったけど」
 そうミュラをからかい、ソーニアは首に、自らの親指を横一文字に走らせた。そのジェスチャーを見て、刎勁が首を斬るという意味だと漸く理解したミュラはやっぱりセノールは異常だと肩を竦めるのだった。
「我々は下り首は武功としない。矜持なく生きる輩は最早生きる価値などなく、それが存在するだけで恥だ。そのような者の首は要らぬ」
「じゃあ、あんたは降参しないんだな?」
「然り。我々が敵に頭を垂れる時は、その首を刎ねられ、地へ落ちた時だけだ。命ある限り戦わねばならない。サチの武門とはそういう物だ」
 そんな輩に襲撃を加えた結果、仕損じ、追い回された挙句、生きていられた事は最早奇跡としか言えない。ミュラは閉口し、その異質さを再認識するのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.42 )
日時: 2016/10/17 14:10
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU
参照: https://twitter.com/Avatar_Alone

 ――ハイルヴィヒが屋敷を出立してから、数刻。白い扉で隔たれた部屋には、部屋の主たるスヴェトラーナと、ヨハンが居た。のんびりとした茶会の時間。穏やかに進む刻、刻まれる時はゆったりと、平穏を示していた。他愛ない雑談の中、紅茶を飲み干したヨハンは、不意に口を開く。
「スヴェータ嬢、ヴィッヒーと会いたいです?」
 実に唐突な問いであった。スヴェトラーナはきょとん、と青い瞳を丸くして、瞬きを幾度か。訪れる静寂、カップの中の紅茶の水面が揺らぐ音すら聞こえそうなほどに、ただただ静謐が2人を包む。瞬きの後に、ゆっくりと首を傾げるスヴェトラーナは、けれども至極穏やかな、笑顔であった。
「……会いたいかどうか、というならばね、会いたいわ、とても。とてもとても、とても、会いたい。……でも駄目、駄目よ、駄目だわ。ハイルヴィヒはお仕事に、行っていて……だから、私は此処で、待っていないと。そう、待っているの、待たないと、ハイルヴィヒが、帰ってくるのを、待っていなきゃ……」
 宛ら、己に言い聞かせるかの様な物言いのスヴェトラーナに、ヨハンは小さく笑うばかり。スヴェトラーナはカップを置いて、膝の上で両手を握りしめて静かに俯いた。憂いの色は顔ばせに濃く、澄んだ湖面の瞳は揺れる、揺らぐ。待たなくてはいけない、外へ出てはいけないから。それにそもそも会いたいその人は、職務任務で外へ赴いているのだ。私用であるならば先日のように無理を言ってでも外へ行こうと思える。けれど、けれど其れは、今は、許されぬ事。吐き出す息すら震えるようで、侭、恐ろしい気配すら感じてしまう程。ぐるりぐるぅり、瞳を揺らがせるスヴェトラーナの直ぐ隣に、ヨハンは佇み、膝を折った。腰掛ける彼女の瞳を、下から覗き込むかの様に、跪く。
「じゃあ質問を変えましょうか。ただ貴女は、貴女の意思として、ハイルヴィヒ・シュルツに会いたいですか? ……大丈夫、会いたいならば、僕が貴女を途中まで連れて行きます。……今なら、ユスチン殿もお出かけ中、お嬢さんに何時も付いてくれてるお世話役の方も諸用でいません。……この屋敷に常駐してる、専属の女中の目くらいなら誤魔化して、裏口から出ていけます」
「……でも、そうしたらヨハンさんがお父様に叱られるわ。きっと、きっと」
「はっはぁ、僕も見くびられたもんだなぁ。これでも口八丁はおまかせあれ。舌は多分三枚くらい付いてますよ?」
 ヨハンは、別にスヴェトラーナを無理やり外へと誘う必要はない。此れを機会に、とユスチンは言うけれど、外に出たがらぬならばそれでいいとも添えられていた。けれどもヨハンは、多少強引にでも彼女を外へと出したいと、そう思っている。理由など、己にすらよくわからぬとヨハンは笑うだろう、強いていうならば彼女に外を見てほしかったと。されど、されど、一つ、隠された真実を暴くならば、神聖なものほど穢したい、其処まで行くと大袈裟だが、真白の色を少し汚したいと、そう思う気持ちとなんら懸隔はなかろう。人とはそういうものであり、紛れもなく俗物を自称する彼が、そうした心を抱くのは至極、真っ当であろう。悩ましげに青を細めるスヴェトラーナを優しい瞳で見つめて、胸の奥に蟠る感情に蓋をする。静かに吐き出す息に、悦が混じらぬように、慎重を期して。
「それに、今言ったでしょう? 僕の事だとか、ユスチン殿の事だとか、しがらみは一切忘れていい、ただ貴女が貴女の意思で、外へ行きたいか、ハイルヴィヒ・シュルツを……貴女の大切なものを追いかけたいか、それだけです。僕は、それが知りたい」
 男は、少女を只、真っ直ぐ、宛ら射抜くかの様に見つめていた。空の青は冬の寒さに凍える湖面に引き込まれる。吐き出す息が震え理由を、少女は知らない。知る術など持ち合わせていない。けれどもひとつ、持ち合わせる答えは揺らがずひとつ。全てのしがらみを無とするなれば、真実を手繰り寄せるなれば、偽りなく一つを口にするなれば。
「…………ヨハン、準備を。出来る限り早急に」
 命じるような口調は、酷くたどたどしい。けれどもそれを聞く男は、にんまりと笑う。実に、実に実に、満足げに。決してきれいな笑顔とはいい難いだろう。善良な小市民の其れではない、とてもとても。けれど其れでいい、其れがいい。少女の笑みは完璧な其れ。何時もと変わらぬ、完璧過ぎる其れだ。真実が地獄の釜の底、はるか下にあるなれば、現し世を抜けて、常世へ向かうもまた、一興。
「あい、了解しましたよ、っと! はは、ははは、やっぱり、其れでこそ……其れでこそスヴェータ嬢だ」
 男は笑う、楽しげに、愉しげに。彼女が其処へ向かうならば、己が為すべきは一つだけ。全てが掌の上と笑う神があるなれば、描いた道筋通りには行かぬと嘲笑ってやりたくなるのが人の心である。否、少なくともヨハンという男はそうであった。そうして一つ、人が人の意志で、自らの意志で進む瞬間を見ていたいと、そう思う。殊に、嘗て喪ったものに似た少女が歩むさまを、見ていたい。只、其れだけだ。恨みたくば恨めばいい、怨言なれば自由自在、其れもまた是とすべきもの、そうでしょう? と男は笑う。さて何に恨まれるかなどは、知ったことでは無いのだけれど。

 絹にレースのあしらわれた、至極少女らしい格好。真紅のワンピースの裾をはためかせて、首元にあしらわれた同色のリボンと、長く絹のような淡い金糸の髪を揺らして、少女は道を行く。傍らには眼鏡に、黒いYシャツにアーガイル模様のベスト、白いスラックス姿の男。ふわりとした暗めの金の髪を指先で遊ばせながら其処に或った。
「ねえお嬢、約束、ちゃんと覚えてますね?」
「あら、ふふ、意地悪ね“トゥイー”。ちゃぁんと覚えているわ、破ったりもしないんだから」
「はい、宜しい。“エリスお嬢様”は物分りがよくて助かります」
 夜の帳が下りる前、未だ眠り続ける色街を行く2人。他に道はあれども、この道が最短距離かつ、都合のいい道だ。何せ此処は秘められるべき場所、薄暗がりも同義。ひっそり行くには丁度いい。
 さて、他愛ないお喋りは実に、軽やかである。2人が交わした約束は二つ。まず一つ、知らない人には安易に付いていかないこと。実に初歩的、幼子に教える防犯対策そのものである。そうして二つ目、己が“スヴェトラーナ・ユスチノヴナ・ベケトヴァ”である事は、見知った相手以外には伏せる事。ベケトフ家にスヴェトラーナという一人娘がいる、という所までは、まあ知る者も多い事実だろう。されども其の令嬢の顔を知るものはごく一部、実に限られた人間のみだ。ベケトフの家は穏健派とは言えど、受けたものに対する反応というやつばかりはきっちりしている。言うならば恩を受ければきちんと返す、仇を受ければきちんと返す。報復の術はさて、暴力のみが其れではないのだから。まあ、詰まる所、逆恨みでもされれば実に面倒なのだ。此処で一人娘が一人でフラフラ歩いていると分かれば、どうなるものだかわかったものではない。まあ、申し訳程度の対策としかならぬやも知れぬが、出来る事があるなれば、徹底すべきであろう。まあ、既にこんなにも上等な服を身にまとっている時点で、別の意味で色々と意味がない工作なのやも知れぬが。町娘の様な格好をさせた所で、どうあがいても育ちの良さは隠し通せまい。ベケトフの一人娘、令嬢として、少女としてあるべく育った娘は、頭の先から爪先まで全て、正しく完璧な少女であるのだ。服装ばかり誤魔化した所で透き通る肌は隠せまい、靡く髪の輝きとてまた然り。少なくともヨハンという男はそう考えていた。
 しばし歩み、色街を抜けるまで、他愛ないお喋りは続く。2人はあくまでも“エリス”と“トゥイー”どこかの金持ちの令嬢と護衛、其れだけの存在だ。其処に真偽の程は交わらず、只存在のみが許容される。実に実に単純で、至極簡単な結論だ。時折“宿屋”からなんとも言えぬ視線を感じこそすれど、トゥイーはにんまり笑うだけ、エリスは女達と視線が交わった折には穏やかに笑い会釈をするだけ、それだけだ。

「それじゃあ、ありがとうトゥイー。さっきの街を抜けたら、後は一人で行かなきゃいけないんでしょう?」
「ま、そういう事です。流石に僕も帰るの遅くなりすぎるわけにもいかないんでね。このまままーっすぐ行けば、すぐに守衛所があります。其処では……ええ“エリスと名乗って”ください、いいですね?」
「もー、本当に心配性さんなのね、トゥイー! ふふ、でも嬉しいわ、そんなに気にかけてくれる事。……大丈夫、上手くやるわ。それじゃあ、またね!」
 そうして少女が浮かべる笑みはまるで、内々へと染み込んでいくかの様な其の笑みだ。其れが只、愛おしい。ゆるゆると彼女へ手を振りながら、男は其の背が見えなくなるまで見送った。本当ならば、其処まで一緒に行けばいいのだけれども、其れは叶わない、否、できなかった。危険は承知、そも、この外出の真の目的を考えれば、不要なものであろうから。添えるならば、ヨハン・クリューゲルとて――否、やめておこう。

 兎角、男は踵を返し、徐々に賑わいを取り戻しだす色街を行く。其の道中、一人の客引きらしき女を見やれば、軽く片手を上げて軽薄な笑みを向ける。ヨハン・クリューゲルとして、ではない。ただ一人、其処を通っただけの男として。
「やあ! お嬢さん。<Ciao! signorina.>あー、このお店何時から?」
「夕方、日が落ち始めた頃からよ。……なぁに、さっきのかわいいお嬢さんはどうしたの? ああ、もしかして貴方、あの子の事売り払っちゃったわけ?」
「はっはは! 冗談! 然るべき場所まで送り届けただけだって。お仕事終わったからちょーっと気晴らしに来ただけさ。でもならまだ開かないか。あくまで時間つぶしてくるから、予約頼める? あ、俺“ジュゼッペ”っていうんだけど、うん。そうだナー、金髪で青い目、可愛い感じの女の子いたら、宜しく」
「……さっきの子みたいな?」
「はっはぁ、冗談! 冗談だって!」
 女からの質問に、“ジュゼッペ”は肩を竦めて笑ってみせる。「それじゃよろしく」の言葉だけ残して男は道をゆく。そもそも予約なんてシステムはないと女に言われるより早く。多少時間を潰すことになりはするが、屋敷へ帰るまでに多少寄り道をしたって許されるだろう。男はぐぅい、と伸びを一つ。歯車は少しずつ、動き出す。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.43 )
日時: 2016/11/02 15:10
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ

 ガウェスが三つ目のスコーンに口をつけた直後であった。片手にはスコーン、もう片方の手にはジャムナイフを持ちノックもせずにドアを開けた無粋な輩にどこか咎めるような視線を浴びせる。
 その無礼者が仮に人では無く、クルツェスカにおいて最低限の常識を持ち合わせていたのならば、ハイドナーの怒りを買うことがどれほど危険で愚かしいものか理解しているはずだ。だが、ガウェスの目線の先にいる男は笑っている。秋の夜長に浮かぶ三日月のように綺麗な代物ではない。不思議の国のアリスに出てくるチェシャ猫のようなどこか歪んだ笑み。嘘か真か、信用出来るか出来ないか、笑っているのか嗤っているのか、そんな他者を惑わす魔性の笑み。彼がどう足掻いても持ち得ることは出来ないであろう狡猾な表情。それが余計に高潔たる騎士の癪に障ったらしい、彼は更に深く眉根を寄せることとなり、男もそれに合わせて笑みを深くしてみせた。
 巷では年中色街でその姿が目撃されていることから瘋癲者と揶揄される彼だが、驚いたことに職をもっている。売れない新聞記者を自称している彼はイザベラと同じ情報屋である。上手いこと見回り連中を騙してここまで入ってきたのだろう。舌が何枚もあるのも考えものだとガウェスは苦々しく思う。
 図々しくもその男、断りの声も無しにガウェスの前に座わったと思うとまだ温かいスコーンを手に取った。そしてあろうことか、ジャムの入ったビンに垢で汚れた手を突っ込み、中身を掬い取ったのだ。
 真っ白いテーブルクロスにジャムが落ちて血のように赤い斑点を作っていくのもお構いなしに赤く赤く汚していく。ジャムを塗り立てられたスコーンはテラテラと照明を浴びて輝き、それはルビーというには生々しく、人肉のように柘榴のようにグロテスクで美しい。
 そんなヘドロにも等しい汚物をクチャリクチャリと音を立て咀嚼する。もしもここにロトスがいたら即刻この男は銃殺刑に処されていたことだろう。
 ガウェスもこんな下品な男に未だ嫌悪の表情を浮かべる。早急にお帰り願おうと「用件はなんだ」と口にする。すると、男は口の端についたスコーンのカスを舐めとり答えた。
「クルツェスカの通門所の前に見慣れない二人組が立っている。それだけならまだしも、しきりハイドナーの名前を叫んでいる。一度様子を見に行った方が良いのでは無いか」と。
 実を言うと、彼がどんな情報を持ってこようが、ガウェスにはあまり関係の無いものであった。ただこの嗜みのない男から逃れる術がほしかった。ハイドナーに情報を売るのだから嘘はないのだろう。仮に偽りだったとしたらガウェス卿の厳しい取り立てが始まるだけだ。「ありがとう」と一言だけ伝え硬貨を置く。そして男の方をなるべく見ないようにその場を去る。視界の端に見えた男は食べ残したスコーンにジャムを素手で塗っている。あれはもう使い物にならぬだろう。屋敷を出る寸前、玄関ホールで花瓶に花を生けていた使用人にあのジャムは捨てるように指示しておくのだった。

  
 
 カンクェノへの通門所近く、確かにローブを被った不審者とその連れであろう女性が屯している。一人は黒いローブで頭数から爪先まですっぽり覆っており、性別さえも隠してしまっている。道行く人々はそんな影法師の姿を捉えるとギョッとし、静かに距離をとるのだ。そのせいで二人の周りだけは賑やかな喧騒から切り取られたように妙な隙間が空いている。彼らを探すガウェスにとってみれば都合のいいことだ。流れに逆らい淀みへと突き進むガウェスに二人もようやく気がついたようで、壁により掛かっていた体を起こした。春光を集めたような柔らかな金色の髪が陽の光を浴びてキラキラと光の欠片を落とすように輝いている。
「おっそいですよーハイドナーさん。約束の時間より一時間も遅刻です!」
 ガウェスの前に立つなり頬を膨らませた彼女には見覚えがあった。ベケトフ主催のパーティーでエドガー・ニコルソンと共に出席したレヴェリ人。名前をバシュラール・レアと言ったか。となるとあのローブの者はエドガー・ニコルソンだろうと予測する。彼らは家族ではないが衣食住を共にしていると話していたことを思い出す。家族同士なのに蜘蛛の糸ように細い絆でしか結ばれない者もいれば、家族ではないのにそれよりも深い絆が繋いでいる者もいる。二人は恐らく後者なのだろうと、そう思うとガウェスは二人に妬みに近い羨望を持たずにはいられなかった。ハイドナー父子の間に絆なんてありやしない。いや、ガウェス自身は父に対して感謝を感じていることには違いないが、それは絆ではなく恩義である。そして二人を辛うじて繋げているハイドナーは呪縛であろう。父への感謝とハイドナー。もしもそのどちらかが欠けた時、罅割れたクッキーにフォークを突き立てるが如く二人の繋がりは脆く崩れ去るのだ。
 ガウェスの予想通り、レアから少し遅れてやって来た彼がローブを外せば多少疲労の色が見えるエドガーの顔が現れる。よほど暑かったのだろう、汗が浮かんでおりしきりに拭っている。
「エドガー、久しぶりです。息災でしたか」
「はい。ガウェス卿もお元気そうで何よりです」
 ガウェスがガントレットを外し手を差し出せばエドガーも迷わずその手を握る。厚く重苦しい鎧を着た青年は鎧による暑さで、エドガーは緊張なのか暑いのか両者とも掌が汗ばんでいた。それでも二人には不快感など有りはしない、寧ろはにかんでいる。熱い男の友情とでも言いたいのだろうか、蚊帳の外のレアは面白くない。
「無視しないでくださーい。こう見えても私、怒っているんですよ!」
「すみません。少し、その、楽しくなって。……して、約束とは一体」
 聞き覚えのない約諾であった。ここ数日の記憶を一気に思い返してみるが、誰かと契った記憶は微塵も出てこなければ、そもそもこの二人に会っていない。また、ハイドナーは何か取り決めを行う場合は誓約書または契約書を作成する。仮にそれがなくともそれに近しい物を作る。口約束だけなどありえない。
 もしやからかわれているのかと邪推したものの、レアの顔は嘘をついているような悪意は見えず真っ直ぐとこちらを見上げている。ますます意味が分からないと戸惑うガウェスに、レアとエドガーも何やら様子がおかしいことに気が付いたようで互いに顔を見合わせる。
「ベケトフさんからカンクェノのレゥノーラ討伐についてですよ。もしかして、忘れちゃったんですか?」 
「それは明日のはずでは」
「え?」
 確認のためにとレアが出してきた手紙はいつ届いたものだろうか。掌の上で小さく丸まっていた。ゴミとして捨てられなかったのが奇跡である。破かないように丁寧に開かれた質の良い紙には印刷されたように整った文字が羅列されていて読んでいて心地がいい。一通り読み終わると「あっちゃ〜」と頭をガシガシと掻いているレアをエドガーが非難するように見る。彼女は彼の視線に気が付けばバツが悪そうに目を逸らしてしまうのだった。
「お二人ともこれからの予定は?」
「特にはないな。カンクェノに行かないのなら暇、なのか?」
「私もここら辺には知り合いはいませんからねぇ」
「ならば我が邸へ是非。大したおもてなしは出来ませんがここであったのも何かの縁。放っておくには勿体無い」
 情報を仕入れたことは黙っていても大して問題はないと判断した。二人、特にエドガーはいきなり他人の家にお邪魔するのは如何なものかと躊躇っているようだったが、どうやら身体のほうは無口な彼とは違い随分と欲望に素直なようである。エドガーとレアは朝から何も食べてない。空腹を告げる虫が鳴った。反射的に手でお腹を抑えてみても既に手遅れで、レアは「珍しいですねぇ」と妙にニヤニヤと笑っており、ガウェスの方も声を殺して笑っている。次はエドガーが居心地の悪そうに目線を横に流した。
 二人を連れて屋敷へと戻る途中、ガウェスは路地裏に消えていく二つの影を捉えた。派手な服を着た娼婦とこの暑さの中コートを着て妙に人目を気にする男。明らかに堅気の職業ではない。路地裏に消えていった男を愚かな人だとガウェスは心の中で悪態をつく。姿を晦ましたいのなら何故その土地、気候にあった服装をしないのか。隠密の基本さえ知らない無知な男がセノール人の確率は低いだろう。容易に尻尾を掴むことが出来そうだとガウェスは路地の闇を見据えながら考える。仮にあの男がセノールで、全力で抵抗されたとしてもガウェスのやることは変わらないだろう。自分の領地、一族と、そこに住まう民を守る為に腰の剣を抜き切っ先を敵へと向けるはずだ。そして温度を感じないこの石畳に亡骸を一つ飾るはずだ。そう考えてみるとガウェスだって、地に血を流すことでしか大切な物を守れない、それしか守り方を知らない獣である。人々はセノールを血に飢える獣と畏怖に近い感情を抱くが、ならば彼の騎士だって一緒だ。ただセノールよりも多少見栄えがいいだけなのだ。
「ハイドナーさん?」 
 様子がおかしいとレアが彼の顔を覗く。
「すいません。少し考えごとを」
 声色も表情もいつものハイドナーそのもの。人の緊張をほぐす柔和な笑顔に彼の性格を表す朗らかで優しい声だ。再びガウェスが二人の前を歩き出してクルツェスカで起きた出来事を面白可笑しく雄弁に語る。だが、彼の右手は抜刀するのではないかと思うほど強く……強く、刀の柄を握っていた。

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