複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.42 )
日時: 2016/10/17 14:10
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU
参照: https://twitter.com/Avatar_Alone

 ――ハイルヴィヒが屋敷を出立してから、数刻。白い扉で隔たれた部屋には、部屋の主たるスヴェトラーナと、ヨハンが居た。のんびりとした茶会の時間。穏やかに進む刻、刻まれる時はゆったりと、平穏を示していた。他愛ない雑談の中、紅茶を飲み干したヨハンは、不意に口を開く。
「スヴェータ嬢、ヴィッヒーと会いたいです?」
 実に唐突な問いであった。スヴェトラーナはきょとん、と青い瞳を丸くして、瞬きを幾度か。訪れる静寂、カップの中の紅茶の水面が揺らぐ音すら聞こえそうなほどに、ただただ静謐が2人を包む。瞬きの後に、ゆっくりと首を傾げるスヴェトラーナは、けれども至極穏やかな、笑顔であった。
「……会いたいかどうか、というならばね、会いたいわ、とても。とてもとても、とても、会いたい。……でも駄目、駄目よ、駄目だわ。ハイルヴィヒはお仕事に、行っていて……だから、私は此処で、待っていないと。そう、待っているの、待たないと、ハイルヴィヒが、帰ってくるのを、待っていなきゃ……」
 宛ら、己に言い聞かせるかの様な物言いのスヴェトラーナに、ヨハンは小さく笑うばかり。スヴェトラーナはカップを置いて、膝の上で両手を握りしめて静かに俯いた。憂いの色は顔ばせに濃く、澄んだ湖面の瞳は揺れる、揺らぐ。待たなくてはいけない、外へ出てはいけないから。それにそもそも会いたいその人は、職務任務で外へ赴いているのだ。私用であるならば先日のように無理を言ってでも外へ行こうと思える。けれど、けれど其れは、今は、許されぬ事。吐き出す息すら震えるようで、侭、恐ろしい気配すら感じてしまう程。ぐるりぐるぅり、瞳を揺らがせるスヴェトラーナの直ぐ隣に、ヨハンは佇み、膝を折った。腰掛ける彼女の瞳を、下から覗き込むかの様に、跪く。
「じゃあ質問を変えましょうか。ただ貴女は、貴女の意思として、ハイルヴィヒ・シュルツに会いたいですか? ……大丈夫、会いたいならば、僕が貴女を途中まで連れて行きます。……今なら、ユスチン殿もお出かけ中、お嬢さんに何時も付いてくれてるお世話役の方も諸用でいません。……この屋敷に常駐してる、専属の女中の目くらいなら誤魔化して、裏口から出ていけます」
「……でも、そうしたらヨハンさんがお父様に叱られるわ。きっと、きっと」
「はっはぁ、僕も見くびられたもんだなぁ。これでも口八丁はおまかせあれ。舌は多分三枚くらい付いてますよ?」
 ヨハンは、別にスヴェトラーナを無理やり外へと誘う必要はない。此れを機会に、とユスチンは言うけれど、外に出たがらぬならばそれでいいとも添えられていた。けれどもヨハンは、多少強引にでも彼女を外へと出したいと、そう思っている。理由など、己にすらよくわからぬとヨハンは笑うだろう、強いていうならば彼女に外を見てほしかったと。されど、されど、一つ、隠された真実を暴くならば、神聖なものほど穢したい、其処まで行くと大袈裟だが、真白の色を少し汚したいと、そう思う気持ちとなんら懸隔はなかろう。人とはそういうものであり、紛れもなく俗物を自称する彼が、そうした心を抱くのは至極、真っ当であろう。悩ましげに青を細めるスヴェトラーナを優しい瞳で見つめて、胸の奥に蟠る感情に蓋をする。静かに吐き出す息に、悦が混じらぬように、慎重を期して。
「それに、今言ったでしょう? 僕の事だとか、ユスチン殿の事だとか、しがらみは一切忘れていい、ただ貴女が貴女の意思で、外へ行きたいか、ハイルヴィヒ・シュルツを……貴女の大切なものを追いかけたいか、それだけです。僕は、それが知りたい」
 男は、少女を只、真っ直ぐ、宛ら射抜くかの様に見つめていた。空の青は冬の寒さに凍える湖面に引き込まれる。吐き出す息が震え理由を、少女は知らない。知る術など持ち合わせていない。けれどもひとつ、持ち合わせる答えは揺らがずひとつ。全てのしがらみを無とするなれば、真実を手繰り寄せるなれば、偽りなく一つを口にするなれば。
「…………ヨハン、準備を。出来る限り早急に」
 命じるような口調は、酷くたどたどしい。けれどもそれを聞く男は、にんまりと笑う。実に、実に実に、満足げに。決してきれいな笑顔とはいい難いだろう。善良な小市民の其れではない、とてもとても。けれど其れでいい、其れがいい。少女の笑みは完璧な其れ。何時もと変わらぬ、完璧過ぎる其れだ。真実が地獄の釜の底、はるか下にあるなれば、現し世を抜けて、常世へ向かうもまた、一興。
「あい、了解しましたよ、っと! はは、ははは、やっぱり、其れでこそ……其れでこそスヴェータ嬢だ」
 男は笑う、楽しげに、愉しげに。彼女が其処へ向かうならば、己が為すべきは一つだけ。全てが掌の上と笑う神があるなれば、描いた道筋通りには行かぬと嘲笑ってやりたくなるのが人の心である。否、少なくともヨハンという男はそうであった。そうして一つ、人が人の意志で、自らの意志で進む瞬間を見ていたいと、そう思う。殊に、嘗て喪ったものに似た少女が歩むさまを、見ていたい。只、其れだけだ。恨みたくば恨めばいい、怨言なれば自由自在、其れもまた是とすべきもの、そうでしょう? と男は笑う。さて何に恨まれるかなどは、知ったことでは無いのだけれど。

 絹にレースのあしらわれた、至極少女らしい格好。真紅のワンピースの裾をはためかせて、首元にあしらわれた同色のリボンと、長く絹のような淡い金糸の髪を揺らして、少女は道を行く。傍らには眼鏡に、黒いYシャツにアーガイル模様のベスト、白いスラックス姿の男。ふわりとした暗めの金の髪を指先で遊ばせながら其処に或った。
「ねえお嬢、約束、ちゃんと覚えてますね?」
「あら、ふふ、意地悪ね“トゥイー”。ちゃぁんと覚えているわ、破ったりもしないんだから」
「はい、宜しい。“エリスお嬢様”は物分りがよくて助かります」
 夜の帳が下りる前、未だ眠り続ける色街を行く2人。他に道はあれども、この道が最短距離かつ、都合のいい道だ。何せ此処は秘められるべき場所、薄暗がりも同義。ひっそり行くには丁度いい。
 さて、他愛ないお喋りは実に、軽やかである。2人が交わした約束は二つ。まず一つ、知らない人には安易に付いていかないこと。実に初歩的、幼子に教える防犯対策そのものである。そうして二つ目、己が“スヴェトラーナ・ユスチノヴナ・ベケトヴァ”である事は、見知った相手以外には伏せる事。ベケトフ家にスヴェトラーナという一人娘がいる、という所までは、まあ知る者も多い事実だろう。されども其の令嬢の顔を知るものはごく一部、実に限られた人間のみだ。ベケトフの家は穏健派とは言えど、受けたものに対する反応というやつばかりはきっちりしている。言うならば恩を受ければきちんと返す、仇を受ければきちんと返す。報復の術はさて、暴力のみが其れではないのだから。まあ、詰まる所、逆恨みでもされれば実に面倒なのだ。此処で一人娘が一人でフラフラ歩いていると分かれば、どうなるものだかわかったものではない。まあ、申し訳程度の対策としかならぬやも知れぬが、出来る事があるなれば、徹底すべきであろう。まあ、既にこんなにも上等な服を身にまとっている時点で、別の意味で色々と意味がない工作なのやも知れぬが。町娘の様な格好をさせた所で、どうあがいても育ちの良さは隠し通せまい。ベケトフの一人娘、令嬢として、少女としてあるべく育った娘は、頭の先から爪先まで全て、正しく完璧な少女であるのだ。服装ばかり誤魔化した所で透き通る肌は隠せまい、靡く髪の輝きとてまた然り。少なくともヨハンという男はそう考えていた。
 しばし歩み、色街を抜けるまで、他愛ないお喋りは続く。2人はあくまでも“エリス”と“トゥイー”どこかの金持ちの令嬢と護衛、其れだけの存在だ。其処に真偽の程は交わらず、只存在のみが許容される。実に実に単純で、至極簡単な結論だ。時折“宿屋”からなんとも言えぬ視線を感じこそすれど、トゥイーはにんまり笑うだけ、エリスは女達と視線が交わった折には穏やかに笑い会釈をするだけ、それだけだ。

「それじゃあ、ありがとうトゥイー。さっきの街を抜けたら、後は一人で行かなきゃいけないんでしょう?」
「ま、そういう事です。流石に僕も帰るの遅くなりすぎるわけにもいかないんでね。このまままーっすぐ行けば、すぐに守衛所があります。其処では……ええ“エリスと名乗って”ください、いいですね?」
「もー、本当に心配性さんなのね、トゥイー! ふふ、でも嬉しいわ、そんなに気にかけてくれる事。……大丈夫、上手くやるわ。それじゃあ、またね!」
 そうして少女が浮かべる笑みはまるで、内々へと染み込んでいくかの様な其の笑みだ。其れが只、愛おしい。ゆるゆると彼女へ手を振りながら、男は其の背が見えなくなるまで見送った。本当ならば、其処まで一緒に行けばいいのだけれども、其れは叶わない、否、できなかった。危険は承知、そも、この外出の真の目的を考えれば、不要なものであろうから。添えるならば、ヨハン・クリューゲルとて――否、やめておこう。

 兎角、男は踵を返し、徐々に賑わいを取り戻しだす色街を行く。其の道中、一人の客引きらしき女を見やれば、軽く片手を上げて軽薄な笑みを向ける。ヨハン・クリューゲルとして、ではない。ただ一人、其処を通っただけの男として。
「やあ! お嬢さん。<Ciao! signorina.>あー、このお店何時から?」
「夕方、日が落ち始めた頃からよ。……なぁに、さっきのかわいいお嬢さんはどうしたの? ああ、もしかして貴方、あの子の事売り払っちゃったわけ?」
「はっはは! 冗談! 然るべき場所まで送り届けただけだって。お仕事終わったからちょーっと気晴らしに来ただけさ。でもならまだ開かないか。あくまで時間つぶしてくるから、予約頼める? あ、俺“ジュゼッペ”っていうんだけど、うん。そうだナー、金髪で青い目、可愛い感じの女の子いたら、宜しく」
「……さっきの子みたいな?」
「はっはぁ、冗談! 冗談だって!」
 女からの質問に、“ジュゼッペ”は肩を竦めて笑ってみせる。「それじゃよろしく」の言葉だけ残して男は道をゆく。そもそも予約なんてシステムはないと女に言われるより早く。多少時間を潰すことになりはするが、屋敷へ帰るまでに多少寄り道をしたって許されるだろう。男はぐぅい、と伸びを一つ。歯車は少しずつ、動き出す。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.43 )
日時: 2016/11/02 15:10
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ

 ガウェスが三つ目のスコーンに口をつけた直後であった。片手にはスコーン、もう片方の手にはジャムナイフを持ちノックもせずにドアを開けた無粋な輩にどこか咎めるような視線を浴びせる。
 その無礼者が仮に人では無く、クルツェスカにおいて最低限の常識を持ち合わせていたのならば、ハイドナーの怒りを買うことがどれほど危険で愚かしいものか理解しているはずだ。だが、ガウェスの目線の先にいる男は笑っている。秋の夜長に浮かぶ三日月のように綺麗な代物ではない。不思議の国のアリスに出てくるチェシャ猫のようなどこか歪んだ笑み。嘘か真か、信用出来るか出来ないか、笑っているのか嗤っているのか、そんな他者を惑わす魔性の笑み。彼がどう足掻いても持ち得ることは出来ないであろう狡猾な表情。それが余計に高潔たる騎士の癪に障ったらしい、彼は更に深く眉根を寄せることとなり、男もそれに合わせて笑みを深くしてみせた。
 巷では年中色街でその姿が目撃されていることから瘋癲者と揶揄される彼だが、驚いたことに職をもっている。売れない新聞記者を自称している彼はイザベラと同じ情報屋である。上手いこと見回り連中を騙してここまで入ってきたのだろう。舌が何枚もあるのも考えものだとガウェスは苦々しく思う。
 図々しくもその男、断りの声も無しにガウェスの前に座わったと思うとまだ温かいスコーンを手に取った。そしてあろうことか、ジャムの入ったビンに垢で汚れた手を突っ込み、中身を掬い取ったのだ。
 真っ白いテーブルクロスにジャムが落ちて血のように赤い斑点を作っていくのもお構いなしに赤く赤く汚していく。ジャムを塗り立てられたスコーンはテラテラと照明を浴びて輝き、それはルビーというには生々しく、人肉のように柘榴のようにグロテスクで美しい。
 そんなヘドロにも等しい汚物をクチャリクチャリと音を立て咀嚼する。もしもここにロトスがいたら即刻この男は銃殺刑に処されていたことだろう。
 ガウェスもこんな下品な男に未だ嫌悪の表情を浮かべる。早急にお帰り願おうと「用件はなんだ」と口にする。すると、男は口の端についたスコーンのカスを舐めとり答えた。
「クルツェスカの通門所の前に見慣れない二人組が立っている。それだけならまだしも、しきりハイドナーの名前を叫んでいる。一度様子を見に行った方が良いのでは無いか」と。
 実を言うと、彼がどんな情報を持ってこようが、ガウェスにはあまり関係の無いものであった。ただこの嗜みのない男から逃れる術がほしかった。ハイドナーに情報を売るのだから嘘はないのだろう。仮に偽りだったとしたらガウェス卿の厳しい取り立てが始まるだけだ。「ありがとう」と一言だけ伝え硬貨を置く。そして男の方をなるべく見ないようにその場を去る。視界の端に見えた男は食べ残したスコーンにジャムを素手で塗っている。あれはもう使い物にならぬだろう。屋敷を出る寸前、玄関ホールで花瓶に花を生けていた使用人にあのジャムは捨てるように指示しておくのだった。

  
 
 カンクェノへの通門所近く、確かにローブを被った不審者とその連れであろう女性が屯している。一人は黒いローブで頭数から爪先まですっぽり覆っており、性別さえも隠してしまっている。道行く人々はそんな影法師の姿を捉えるとギョッとし、静かに距離をとるのだ。そのせいで二人の周りだけは賑やかな喧騒から切り取られたように妙な隙間が空いている。彼らを探すガウェスにとってみれば都合のいいことだ。流れに逆らい淀みへと突き進むガウェスに二人もようやく気がついたようで、壁により掛かっていた体を起こした。春光を集めたような柔らかな金色の髪が陽の光を浴びてキラキラと光の欠片を落とすように輝いている。
「おっそいですよーハイドナーさん。約束の時間より一時間も遅刻です!」
 ガウェスの前に立つなり頬を膨らませた彼女には見覚えがあった。ベケトフ主催のパーティーでエドガー・ニコルソンと共に出席したレヴェリ人。名前をバシュラール・レアと言ったか。となるとあのローブの者はエドガー・ニコルソンだろうと予測する。彼らは家族ではないが衣食住を共にしていると話していたことを思い出す。家族同士なのに蜘蛛の糸ように細い絆でしか結ばれない者もいれば、家族ではないのにそれよりも深い絆が繋いでいる者もいる。二人は恐らく後者なのだろうと、そう思うとガウェスは二人に妬みに近い羨望を持たずにはいられなかった。ハイドナー父子の間に絆なんてありやしない。いや、ガウェス自身は父に対して感謝を感じていることには違いないが、それは絆ではなく恩義である。そして二人を辛うじて繋げているハイドナーは呪縛であろう。父への感謝とハイドナー。もしもそのどちらかが欠けた時、罅割れたクッキーにフォークを突き立てるが如く二人の繋がりは脆く崩れ去るのだ。
 ガウェスの予想通り、レアから少し遅れてやって来た彼がローブを外せば多少疲労の色が見えるエドガーの顔が現れる。よほど暑かったのだろう、汗が浮かんでおりしきりに拭っている。
「エドガー、久しぶりです。息災でしたか」
「はい。ガウェス卿もお元気そうで何よりです」
 ガウェスがガントレットを外し手を差し出せばエドガーも迷わずその手を握る。厚く重苦しい鎧を着た青年は鎧による暑さで、エドガーは緊張なのか暑いのか両者とも掌が汗ばんでいた。それでも二人には不快感など有りはしない、寧ろはにかんでいる。熱い男の友情とでも言いたいのだろうか、蚊帳の外のレアは面白くない。
「無視しないでくださーい。こう見えても私、怒っているんですよ!」
「すみません。少し、その、楽しくなって。……して、約束とは一体」
 聞き覚えのない約諾であった。ここ数日の記憶を一気に思い返してみるが、誰かと契った記憶は微塵も出てこなければ、そもそもこの二人に会っていない。また、ハイドナーは何か取り決めを行う場合は誓約書または契約書を作成する。仮にそれがなくともそれに近しい物を作る。口約束だけなどありえない。
 もしやからかわれているのかと邪推したものの、レアの顔は嘘をついているような悪意は見えず真っ直ぐとこちらを見上げている。ますます意味が分からないと戸惑うガウェスに、レアとエドガーも何やら様子がおかしいことに気が付いたようで互いに顔を見合わせる。
「ベケトフさんからカンクェノのレゥノーラ討伐についてですよ。もしかして、忘れちゃったんですか?」 
「それは明日のはずでは」
「え?」
 確認のためにとレアが出してきた手紙はいつ届いたものだろうか。掌の上で小さく丸まっていた。ゴミとして捨てられなかったのが奇跡である。破かないように丁寧に開かれた質の良い紙には印刷されたように整った文字が羅列されていて読んでいて心地がいい。一通り読み終わると「あっちゃ〜」と頭をガシガシと掻いているレアをエドガーが非難するように見る。彼女は彼の視線に気が付けばバツが悪そうに目を逸らしてしまうのだった。
「お二人ともこれからの予定は?」
「特にはないな。カンクェノに行かないのなら暇、なのか?」
「私もここら辺には知り合いはいませんからねぇ」
「ならば我が邸へ是非。大したおもてなしは出来ませんがここであったのも何かの縁。放っておくには勿体無い」
 情報を仕入れたことは黙っていても大して問題はないと判断した。二人、特にエドガーはいきなり他人の家にお邪魔するのは如何なものかと躊躇っているようだったが、どうやら身体のほうは無口な彼とは違い随分と欲望に素直なようである。エドガーとレアは朝から何も食べてない。空腹を告げる虫が鳴った。反射的に手でお腹を抑えてみても既に手遅れで、レアは「珍しいですねぇ」と妙にニヤニヤと笑っており、ガウェスの方も声を殺して笑っている。次はエドガーが居心地の悪そうに目線を横に流した。
 二人を連れて屋敷へと戻る途中、ガウェスは路地裏に消えていく二つの影を捉えた。派手な服を着た娼婦とこの暑さの中コートを着て妙に人目を気にする男。明らかに堅気の職業ではない。路地裏に消えていった男を愚かな人だとガウェスは心の中で悪態をつく。姿を晦ましたいのなら何故その土地、気候にあった服装をしないのか。隠密の基本さえ知らない無知な男がセノール人の確率は低いだろう。容易に尻尾を掴むことが出来そうだとガウェスは路地の闇を見据えながら考える。仮にあの男がセノールで、全力で抵抗されたとしてもガウェスのやることは変わらないだろう。自分の領地、一族と、そこに住まう民を守る為に腰の剣を抜き切っ先を敵へと向けるはずだ。そして温度を感じないこの石畳に亡骸を一つ飾るはずだ。そう考えてみるとガウェスだって、地に血を流すことでしか大切な物を守れない、それしか守り方を知らない獣である。人々はセノールを血に飢える獣と畏怖に近い感情を抱くが、ならば彼の騎士だって一緒だ。ただセノールよりも多少見栄えがいいだけなのだ。
「ハイドナーさん?」 
 様子がおかしいとレアが彼の顔を覗く。
「すいません。少し考えごとを」
 声色も表情もいつものハイドナーそのもの。人の緊張をほぐす柔和な笑顔に彼の性格を表す朗らかで優しい声だ。再びガウェスが二人の前を歩き出してクルツェスカで起きた出来事を面白可笑しく雄弁に語る。だが、彼の右手は抜刀するのではないかと思うほど強く……強く、刀の柄を握っていた。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.44 )
日時: 2016/10/23 23:53
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 昇降機で再び降り辿り付いたのは第七十階層であった。
 三人は薄暗がりを歩む。すれ違う者達は全く居らず、当に人の気配は消え失せていた。先導するソーニアはその状況が常と云わんばかりに、足取り軽く石畳の上を往く。彼女の背を追うミュラは何処となく奇妙で得体が知れぬ、気持ち悪さを抱き、ジャリルファハドに視線で訴えれば、横目でミュラを見遣る。彼の顔付きには何処となく不快感が現れていた。
「ジャリルファハド……、何か変じゃね?」
「先に何か居るのだろう」
 ミュラが感じていた違和感はジャリルファハドも感じていたらしく、彼は顔を顰めながらぼそりと呟く。過酷な環境に生きてきた者が後天的に身に着けたであろう説明し難き感覚。得体の知れない何かが息衝き、存在するならば感じ得るその不安に心が揺れ動き、防衛本能のような何かが自然に働く。セノールではないミュラとて分かるというのに、ソーニアはそれに気付き、足取りを止めるようとする様な素振りはない。
 ジャリルファハドとミュラが感じている、不快感は暗闇の中で何かが蠢き、それが此方を見据えている。宛ら深遠を覗き見ているかの様、それを見ているのならば、それは此方を既に視界に捉えて見据えているのだ。二人が感じるのは明らかな害意に近い何かであった。
「ソーニア、止まれ」
「何?」
 立ち止まり振り向いた彼女の表情は何処か楽しげであった。これから過去の遺物を見に行く。発掘しに行く。過去を暴くという行為、それが楽しみで仕方がないのだろう。彼女は肩に掛けたライフルの事など当に忘れてしまっているようだった。現に二重で掛けられているセーフティーの内、一つが外れている。
「ほんっとうに何にも感じないのか?」
 ミュラの問い掛けにソーニアは暗闇に目を凝らす。お世辞にも良いとは言えない目と、利かない夜目。眉間に寄った皺を伸ばそうと、両方のこめかみに手を沿えて力を込めた。やはり何も見えず、小首を傾げながら二人へと向き直った。
「何も見えないけど……?」
「見るのではなく、感じるのだ。分からんか」
 静かに語るジャリルファハド。ソーニアの傍らを抜け、彼女の前に立つなり刀に手を掛けた。何が来るか分からないが故、彼女の前へ立ち、振り向く事もせずジャリルファハドは闇へ向けて言葉を放った。
「道案内を頼む。分からぬ輩を先に行かせる訳にはいかぬ」
「は、はぁ……」
「ソーニア、こればかりはアイツの言うとおりにしとけよ。まだ死にたくないだろー?」
 ミュラの言うとおりまだ死ぬ気はない。突然、レゥノーラに襲われれば全く武芸の志など持たない、自分は即時物言わぬ屍となり果てる事と容易に思い浮かぶ。ならば、ジャリルファハドとミュラに挟まれる形で身を守ってもらうのが最良である、そう言い聞かせながら己自身も身を守れるようにとハヤが改造したセノールの後装式ライフルを肩から下ろし、コッキングレバーを引いた。そして、薬室を態々覗くというセノール独特の予備動作を行う、ソーニアに思わずジャリルファハドは苦笑いを浮かべてしまった。恐らくセノールの誰かから撃ち方を習ったのだろう。悪知恵の働きすぎる獅子が脳裏に思い浮かぶ。
「俺を撃つなよ」
「射線に居るのが悪いのよ」
「よく言う。――このまま真っ直ぐ進めばいいか」
 小さく頷くソーニア。そのままジャリルファハドは歩みを進めるのだった。ランプから放たれる小さな明かりだけを頼りに、暗闇に目を凝らし、睨みつけるかのように進む彼の背を追うのだった。



 静まり返った暗闇の中、木霊するのは三人の足音と天井から滴る水滴のみだった。その水滴は何度かミュラに落ち、彼女は素っ頓狂な声を挙げ、その度にソーニアがライフルの銃口をミュラに向け、その都度ミュラが焦ったように声を挙げるが、何の実害もなく彼等は遺跡の奥へと歩を進めて行くのだった。
 奥に進めば進む程に、黴たような不快な臭気が強まっていく。そのせいでミュラの顔付きが、少しずつ歪んでいく事から、ソーニアの前を歩むジャリルファハドも同様であろう。その証拠なのか、それとも何かに気付いたのか分からないが、腰に差した刀が僅かに引き抜かれ、その刀身を晒していた。
「ソーニアよ。照明を一つ頼む」
「え、あぁ。はいはい」
 コートの下、両腿に括り付けたホルスターから信号紅炎筒を引き抜き、それを通路に投げ込んだ。やや甲高い音と煙を放ちながら、赤い炎を発し辺りを照らしていた。また同時に腰から吊り下げたランプの遮光板を取り外し、更に視界を確保を推し進めた。
 全容が明らかとなった通路の奥には何も居ない。しかし、ゆっくりとジャリルファハドは天井を見据えるのだった。彼の視線の先には夥しい数の抉られたような深い傷があり、それは通路の奥へと向かって進んでいる。
「なんだ? あれ」
 興味津々にミュラはそれを指差し、疑問の声を挙げる。ソーニアにはその傷に見覚えがあった。それはレゥノーラの爪による傷痕である。フルプレートの鎧はおろか、石の壁すら断つそれの餌食となる学者や、傭兵は多く、それを見た途端にソーニアの顔からは血の気が引いていく。ジャリルファハドはその様子を一瞥し、静かに張り付いたような笑みを浮かべ、すぐにそれを消し去った。
「進むか? 俺は勧めないが」
 静かに語るジャリルファハドは表情薄く、淡々と問う。意思決定権はソーニアにあると言わんばかり視線に居心地の悪さを抱いた。今の今までこういったレゥノーラの痕跡などに無頓着な状況で進んできた。しかし、今になって根源的な人間に潜在する恐怖という物を態々呼び起こされる。ミュラに意見具申を求めれば、彼女も口を噤みジャリルファハドを見据えているのみだった。
「――行きましょう」
 小さく頷いたジャリルファハドは、返答一つせずに歩み出した。彼にはどうにも恐怖という物がないようで、全く怖気付く様子も見せない。ただただ、濡れた石畳の上を歩み、時折天井から落ちてきたであろう石の欠片を蹴り飛ばしている。それが転がり、壁に当たって甲高い音を立てる度、ソーニアは肩を震わせる。
「レゥノーラってそんなに恐ろしいのか?」
「えぇ……、人間が真っ向から立ち向かえばまず敵わないわ。一撃で致命傷を負わされるし、人間を捕食すらする。簡単に殺すのは難しいの。だから皆、銃弾で蜂の巣にする。――ミュラ、あなた銃は持ってる?」
 ソーニアの問いにミュラは一瞬、身じろぐのだった。弾は排出しているが、それが鞄の中に仕舞われている。まるでミュラが銃を持っていると知っているかのように問うソーニア。彼女の緊張を隠しきれない笑みから、そんな事はないと言い聞かせるながら、ソーニアのコートの襟を掴み自分へと引き寄せる。
「……持ってる」
 ジャリルファハドには余り知られたくない。それが故に彼女へと耳打つ。銃を持っているとなれば、ジャリルファハドは見せろと言う事だろう。しかし、もしそれを見せればセーフティがないような信頼性に欠ける代物を嫌がる事だろう。
 ミュラの意図を汲み取ったようで、ソーニアは小さく頷いて、後ろ向きに歩きながら弾を込めろというようなジェスチャーをしていた。後ろを振り向き、視線を寄越してきたジャリルファハドにはもう気付かれているだろうが、彼は特に何も言及する事はしない。
「お前等、外すなよ」
 先頭に立つジャリルファハド。二人は射撃に関する教育を受けていない。それ故に信頼に及ばない。人間は銃弾一発で死に至る程、脆く弱い者である。自分に危害を加え得るのは、前門のレゥノーラ、後門の二人。敵と味方から挟撃されかねない状況に、苦笑いを浮かべながらジャリルファハドは歩み続けるのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.45 )
日時: 2016/10/31 20:07
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ

 ミュラは大袈裟に肩を震わせた。銃を所持しているのがバレているとは思っていなかったのだ。どこで手に入れたか白状するべきかとジャリルファハドの様子を伺うと、彼の意識は既に遺跡の奥に向いており、安心したようなどこか物悲しいような複雑な感情を負うことになった。
 周囲に気を配りながらも通路を進んでいけば、やがて終わりが見えてくる。興味深かったが、圧迫されているようでどこか息苦しいと感じていた通路からの解放にミュラは無意識といえど息を漏らす。そんな仔猫の慢心を彪は振り向きもせず咎める。
「ミュラ、気を抜くな。いつ、どこから敵が襲ってくるやもしれん」
「わ、分かってるって」
 少しでも気を緩めればどこから喉元を食い破られるかは分からない。常に空腹の獅子の前を歩いているように気を引き締めていかねばならぬだろう。ミュラはわざとらしく咳払いを一回、そして右手で銃のグリップを、左手は筆架叉の柄を握る。
 通路の先にあった部屋は石造りの大部屋であった。壁には誰が設置したのか、幾つもの松明がごうごうと音を立てて勢いよく燃えている。先ずは先頭であるジャリルファハドがそんな朧げな輝きを頼りに部屋の全体を確認する。無暗に部屋に入るということはせず、半歩だけ身体を引いている。
 明かりといっても篝火程度では部屋の全体を照らすことなど不可能である。松明の周囲は明るくとも、そこから少し離れてしまえば深淵跋扈する世界。人ならざる者の領域。しかし夜目が利く者達はそんな光ない世界も覗き込むことが出来る。むしろ人々から畏怖嫌厭されるその肌や姿を隠してくれる闇を心地よく思うであろう。
 ソーニアはセノールの能力の高さには舌を巻くばかりである。バシラアサドやハヤと云ったセノールの知り合いがいることにはいるのだが、彼女らが秘めている能力など滅多に見られるものでは無いし、見せる機会も無い。むしろ意図的に隠しているようだ、とジャリルファハドの背を見据えつつ一考する。能ある鷹は爪を隠す、と、極東の諺が頭を過ぎった。

 世話しなく動いていたジャリルファハドの視線がある一点で止まる、と、彼の纏う空気が変わる。外敵に対して牙を剥きだし低く唸り声をあげる野生の豹のように、敵意と殺意が陽炎のように立ち上る。
 戦闘経験が少ないソーニアにも分かるほどの変化で、思わず自分が対峙しているかのような張り詰めた緊張感に息を呑む。かつて最強の民族の一つとして数えられたことに納得出来た気がした。彼らの多くは敵と対峙した時、明確すぎる殺意を相手にぶつけるのだろう。それは意図的にやっていることではない。鳥が誰にも教えられていないのに飛び方を知っているように、血に刻まれた生まれ持っての性なのだ。そんな獣じみた本能が相手に闘争の意思を厭伏させ、恐怖を呼び起こす。戦う意思のない兵士など死と同義であろう。無論、それに屈しない本当の意味での兵もいることも忘れてはならないのだが……。

 ソーニアはミュラの様子を横目で確認してみると、この感覚に憶えがあるようで顔が強張り拳銃ではなく筆架叉を手に取っていた。恐らくこの感情は実際に対峙しなければ分からない代物だろう。緊張をほぐすように肩に手を置けば驚いたようにソーニアの方を一瞥し、小さな声で「ありがと」と声が聞こえる。黙って頷き、再びジャリルファハドの方に向き直る。
「いたの、レゥノーラ?」
「あぁ。気色の悪い奴だ。人の形をしているのに一目で人間ではないと分かる」
 ソーニアよりも幾分か背の高いジャリルファハドが彼女を見下ろす。
「如何するソーニア?」
 彼は再び問うた。恐らくこれが最後のチャンスなのだ。このまま息を殺し気配を殺してこの場を去ればレゥノーラにばれることなく安全地帯まで帰還することが出来る。幸いにもこのレゥノーラはこの狩り場から出ようとはしない。ある程度の知恵、学習能力を持ち、ここが効率の良い狩場だと理解しているのだろう。自らのテリトリーを主張するかのように部屋の中を幽鬼のように彷徨うだけだ。
「何のために貴方達を護衛にしたと思っているの?」
 そう……、わざわざ是非を聞く必要はなかったのだ。奥に進むと彼女が選択した瞬間から彼らの道は決まっていたのだ。分かったと短く答えた彼の口元は僅かに弧を描いていた。

 その醜悪たる姿は悪鬼と呼ぶに相応しいものであった。本当に血が通っているのかと問うてみたくなるような死人のような白い肌には、生者のソレを感じさせない。本来あるはずの眼窩でさえ皮膚に覆われ、鼻も耳も削がれてしまったように平らになっている。そのくせ口だけは立派なものがついているようで、頬の半分まで裂けた口には、肉食獣が持つような鋭い歯が無数に生えている。腹の皮はだらしなく垂れ下がり、四肢には枯れ枝とはいかないものの骨を覆う程度の肉しかついていない程度の貧相な体つきである。故に、両手足についた鋭利な爪がよく目立つ。成人男性の人差し指ぐらいの長さまで伸ばされ尖れた爪の先端は赤く変色しており、多くの命を食べてきた何よりの証拠であろう。
 初めて目にする異形の姿にミュラは動揺を隠せなかった。確かに砂漠には背中に分厚い皮を持ち、猛毒を持つコブラを捕食する生き物など他では見られない珍妙な生き物はいた。しかしそれは動物として、ひいては生き物として多少の愛らしさを持っている。しかし目の前の化け物はなんだ。生理的な嫌悪感を齎すその造形は、本当にこの世に存在するモノから生まれたと到底信じられるものではなかった。
「ミュラ、準備はいい?」
「あ、ああ。いつでも行けるぜ」
 全員の準備が整ったところでタイミング、レゥノーラが三人に背を向けたところで、先ず、彪が迷うことなく駆けだした。彼が向かうは屠るべき敵へ。死へ。それが戦士だ。それがセノールだ。眼前の敵を沈黙させんと、誇りのためにと、彪はその強靱な足で地面を蹴る。
 感覚器官が退化しているレゥノーラだが、その分他の器官の発達を促すこととなった。空気の変化を感じ、研ぎ澄まされた感覚が来訪者の訪れを告げると素早く背後を振り向き、尖った爪で喉元を刺突せんと繰り出す。空を切り裂き進む硬質な爪。それは熟練された槍兵の一突きと同等の威力である。肉も骨も全てを射殺す一撃。しかし首に到達するよりも前に刀剣の柄頭がレゥノーラの手首を突き上げた。宙に投げ出された手首を、スナップを利かせ白刃を振り抜き切り落とす。一瞬の赤い線が浮かび上がったと思った時には既に地面へ落ちている。さながら椿の花のように。そんな様子を無感動に見ていた男は、人間を裂くのと何ら変わらないとのちに語る。肉も骨も血管も一緒くたにして斬ってしまえば溢れ出た赤が僅かだが自らに注がれる。

 当のレゥノーラ本人にとって相当堪えた一撃であったことは確かだった。蛇が威嚇するようにシャーシャーと息を漏らしながら、もう片方の爪がジャリルファハドを薙ぎ払うように振るう。爪と刃がぶつかり合えば金属同士がぶつかり合っているような甲高い音を立て、また部屋に反響する。放たれる斬撃は蛇のようにしなやかに。しかし、岩のように重く。武器がぶつかり合えば火花を散らす。その繰り返しだった。片手を奪ったはずなのに更に感覚が鋭くなったレゥノーラに対して、これでは埒が明かないと、ジャリルファハドは一旦後ろへ飛びのく。途端、限界まで膨れ上がった風船を針で割ったような破裂音。そして頬に擦るギリギリを通っていった一発の銃弾、硝煙の匂い 。更にもう一発! 今度は逆の頬、これまた被弾するギリギリを通り、こっちはレゥノーラの肩に直撃した。
「当たった……」
 ソーニアの声は驚きに満ちていた。このことから一発目の銃撃がミュラ、二発目はソーニアが撃ったのだと推測する。援護にしては遅すぎやしないか(ジャリルファハドにとっては都合がよかったが)と後ろで銃を構えている二人に対し心の中で呟く。
 彼女達の本来の役目はジャリルファハドが安全に戦えるように援護射撃をすることだ。銃弾を以て相手を牽制し、場合によっては相手の生命活動を停止させねばならない。
 しかし、銃についての教養がなければ心得もない二人にとって、忙しく動く標的に当てることは、揺れ動く船の上、80メートル先の扇を射抜くぐらい至難の業であった。また近接武器ということで、標的とジャリルファハドは常に距離が近く、誤射してしまう確率がどうしても孕んでいたため照準を合わせることは出来ても、トリガーを引くまでに今まで至らなかったのだ。
 撃たれたことに対する怒りか、それとも本能的にソーニアが生命を脅かす武器を持っていると感じているとでもいうのか。視力は殆ど無いはずのに、レゥノーラはしっかりとソーニアを見据えていた。
 この時を待っていたとばかりに彪がレゥノーラの前に飛び出し距離を詰める。結論からいうと、ジャリルファハドの一太刀は空振りに終わった。頭を狙い、今度こそはと放った会心の一撃は陽炎さえも断つ迅疾を以て放たれた。その一撃を、レゥノーラは、細長い体を小さく丸め、しゃがみ、避けたのだ。彼がどういう攻撃をし、どこを狙ってくるのか学習したのだ。そのままジャリルファハドの脇をすり抜けていくと迷うことなくソーニアに目掛け突撃していく。
「ミュラ!」
「分かってる!」
 皆まで言われなくとも、ミュラはソーニアの元へ走る。走りながら二回レゥノーラ目掛け発砲したものの掠りもしないで闇の中へと消えていった。思わず飛び出た舌打ち。大口開けた死神がソーニアへ迫る。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.46 )
日時: 2016/11/02 21:49
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe


 微か振える手でコッキングレバーを引き排莢。次弾を込め、コッキングレバーを押し込む。死神の大口は眼前に迫りつつある。引き金を引けば、鉄の筒より炎が立ち上がり死神を穿てるのだろうか。
 血の気すらなく白い肌。皮膚に覆われた眼窩とのっぺらとした顔。本能的な恐怖が引き金を引こうとする指を縛り付ける。撃っても死ぬかも知れない。しかし、撃たなければ死ぬ。自分自身に火を放つように、自分の命をベットするような賭け事をする。一発の銃弾を見舞い、命永らえるか、一発の銃弾を見舞い、死ぬか。何もせずに死ぬか。結果は三つに一つ。
「――――ぁ、当たれッ!!」
視界に飛び込み、死神から己を庇おうとするミュラを銃身で押し退け、引き金を引く。耳元で火を噴いたそれに一瞬慄きながらも、眼前に赤い花が咲き、その飛沫を浴びる。空気に触れた賢者の石は赤い結晶と化し、散らばった破片がミュラへと降り注いでいく。彼女は忌むように目を細めた。
 銃弾はレゥノーラの左肩を穿ち、体内を転がり回ったようで、貫通こそしていないが体外へと流れ出る賢者の石の量は夥しい。その様子にソーニアは人間と同じようにレゥノーラにも血流の多い箇所があるのだろうかと思い至る。
 彼女は矢継ぎ早に排莢し次弾を込めようとするも、手が震えコッキングレバーが思うように引けない。その様子にはっと気付いたようなミュラがソーニアを押し退け、リボルバーの引き金を引く。一発、二発と矢継ぎ早に銃口が火を噴く。一発は外れ、もう一発はソーニアの放った銃弾が作った射入口近くへと命中し、その近辺の肉が爆ぜ飛び、石壁に生々しい音立て張り付くのだった。絶叫したレゥノーラが踵を返し、残った手でその爆ぜた肉を押え付けながら、喚きジャリルファハドへと向かっていく。ジャリルファハドを殺めようというのではない。逃げているのだ。

 薄暗がりの中、その様子を見ていたジャリルファハドの歩みは止まっていた。ミュラが放った銃弾の内の一発がジャリルファハドの足元を抉り取り、思わずふと足を止めてしまったのだ。あれが自分に当たったならば、今頃は赤い命を零しながら苦痛に苛まれ、そう時間が掛からない内にこの遺跡の中で物言わぬ躯と成り果てていた事だろう。己の中で殺したはずの恐怖心に似た何かが足を止める。それを忌むと謂わんばかりに、左手、人差し指の指先で刀の根元をなぞり、己へと正気を呼び戻す。半固形化しつつある賢者の石と、己の血が混じり合いより強くなった赤と共に彪は駆け出す! 彪の軽い足音は僅かな音のみを立て、手負いの死神を屠ろうとする新たな死神の如く。抵抗せんとレゥノーラは吼え、残った手を繰り出していく。それは宛ら地へと人を縫い付けんとする一矢。しかし、全く見当違いな所に繰り出されたそれは石壁を穿ち、彪を穿つ事はなかった。伸びきった白い腕に刀身が走り、二つに割っていく。骨もなく、手応えも異様に軽い。斬っている実感がないと思いながら、途中で刀を離し、引き抜いたのは鎧通しであった。刀と比べ鈍く光るそれを手に取り、レゥノーラの右膝を穿てば、骨をも打ち砕いたかのような手応えと、右手に激痛に苛まれる。生温かい何かが、レゥノーラのものか、己のものか判別がつかない。レゥノーラの身体のバランスは崩れ、吼えながらも右側へと横転していく。構造的に立てないはずだと小さく溜息を付きながら、ジャリルファハドは壁へ凭れ掛かるようにして倒れ込み、手を見やれば大きな傷が一つ。裂けているようだった。
「頭、頭を撃って来い。さっさとしろ……」
 ミュラへそう指示を飛ばす彼の顔色はどこか青白く、生きた心地がしないと肩で息をしている。
 ジャリルファハド自身に体力的な消耗は殆どない。しかし、精神が磨り減っているのだ。死に対する根源的な恐怖を未だ殺しきれない己の未熟に腹立たしそうに、石壁を殴り付ける。その様子を見て、ソーニアはまだジャリルファハドは人だと当然のような事を思いながらライフルを構え直し、弾を再び込めた。
「ミュラ! もう一発撃っておく? 足!」
 恐る恐る近付いていったミュラはソーニアの声に驚いたように肩を震わせる。レゥノーラの身体は跳ねるように醜く蠢く。ミュラを殺めようとするその意思に反し、動かず無力化された身体にソーニアから放たれた銃弾が三発ばかり命中していた。一発どころではないと非難するような視線を向け、レゥノーラの頭目掛け銃弾を見舞えば、赤い液体が滔々と沸き出で、それはすぐに結晶化していった。
「うぉー……、すっげー」
 篝火の明かりを受け、暖かな色合いで光り輝くそれを見てミュラは思わず感嘆の声を挙げた。またかと謂うようなジャリルファハドの視線があったが、綺麗なものは素直に綺麗であり、それ以外の感想は持ち得ない。また当然の感性である。
「立てる?」
「あぁ」
 自分の額を押さえながら、ゆっくりとジャリルファハドは立ち上がった。既に普段通りに戻っているミュラやソーニアを羨ましく思えて仕方がない。味方からの銃弾から齎される恐怖が、レゥノーラと対峙し死を招きかねないという恐怖を呼び起こした。まだ幼かった己に、人を壊す技術を叩き込んだ師に半殺しにされた記憶が蘇り、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「手切れてるけど?」
「……あぁ」
 恐怖を殺そうとして無理矢理斬った己の左手の人差し指と、鎧通しでレゥノーラを穿った時に負ったであろう裂傷。付着し、結晶化した賢者の石が血の赤の中に点々と存在していた。傷口の中に混入しているものすらあった。人差し指の傷は浅いが、右手の裂傷は思ったよりも深い。鍔のない鎧通し故の怪我であった。ソーニアに言われるまで気づかないとあれば、どれだけ自分が平常を保てなかったという証のように思えて仕方が無く、口惜しやと悪態をつく。
「ほら」
 レゥノーラから引き抜いたであろう刀と鎧通しをジャリルファハドの足元に投げ付けて来たミュラを睨み付ける気分にもなれず、ジャリルファハドは静かにそれを拾い上げた。刀は刀身を蹴り上げれば、結晶化した賢者の石が音を立て散らばって行く。しかし鎧通しはそうもいかず、己の血と賢者の石が交じり合った赤い液体で汚れていた。腕を折り曲げ、鎧通しの背をそこに走らせて液体を拭う。一瞥した限りでは刃毀れはしておらず、まだまだ使えるようだった。
「行こうか」
 どうにかこうにか己を奮い立たせ、ミュラとソーニアの前に立ち、静かに問い掛けたジャリルファハド。それを見て何かが違うとミュラは感付き、首を傾げる。宛ら牙を抜かれたよう。今なら不意を突けば倒せるのではないだろうか等と邪まな考えが脳裏を過ぎる。尤もスイッチが切り替わる可能性があるが。

 進もうと提案したジャリルファハドを、ソーニアは穴が空くのではないかと謂う程に見つめ続けていた。彼女の瞳に写るジャリルファハドは外面を取り繕うばかりで、内面はどこか萎縮しているように感じられた。自分が言える立場ではないが、臆した人間と共に歩むというのは不安だった。根底の恐怖を思い出した輩、戦の空気に慣れない己、そして最後に残った恐怖を押し殺せる輩。一人だけ勇敢であったとしても意味はなく、全員の死を招きかねないような気がしてならないというのが本音だった。故に地下に巣食う死の天使と遭うのは避けなければならない。無理矢理に押し込められ、家畜のように逃げ、生きる権利を擲つなど愚か者のする事だろう。
「手当てするから一旦上に帰ろう。それに――物凄く怖いわ」
 心情を吐露し、地下から立ち去る。これが懸命だと感じられた。自分の命を守るため、皆の命を守るため。ソーニアの言葉に真意を量られたかと、ジャリルファハドの表情が一瞬曇り、彪は牙を抜かれ老いたような雰囲気を醸し出す。情けなしと彼は壁を手で打つ。溢れ出た血液が壁を走り、サウィスの袖口を汚す。ミュラは何故というような表情を浮かべていたが、血の滴る音を聞いて合点が行ったように納得した表情を浮かべ、小さく頷いた。聞き分けが良い等と思いながら、ソーニアは彼女に小さく笑みを返すのだった。ミュラからは何処と無く緊張が抜けつつあるが、黙したままで立ち尽くすジャリルファハドは口を開く様子もない。彼も小さく頷くのみで、血の滲む手を強く握り締め、その滴を廓へ滴らせるのだった。



 六十階層の拠点の一角、そこに三人の姿があった。
 鎧通しを握った事で、裂けてしまった手をソーニアの前に曝しながらジャリルファハドは物思いに耽る。都度都度、手当ての最中に鈍痛が走るのか、顔を顰めるが抗議の声一つ挙げる様子はなかった。
 五十年前、銃弾の雨に曝された先人達は戦場において、恐れを抱いたのだろうか。己の至近に銃弾が減り込み、戦友、親、兄弟の命をいとも容易く奪い去ったそれに対して恐れを抱いたのだろうか。――その答えは否と考える。彼等は撃たれながらも創意工夫を成し、アゥルトゥラ兵を斬って斬って死体の山を築いたはずだ。命を奪われながらも命を奪い取りに奔走したはずだ。それがどうだ、己は味方の銃弾に恐れをなし、それを呼び水に化物にまで恐れをなした。先人達に顔向け出来ず、己を恥じる思いである。
「……その銃はセノールの」
 ソーニアの膝に寝かせるように置かれたライフルを見て、ジャリルファハドは答えるまでもなく、己で回答を導き出せるような問いをする。
「えぇ。ハヤが作った奴。人を傷つけるのに特化してるって。――痛むからね」
 問いに律儀な答えながら、傷口に減り込んだ賢者の石の結晶を鉗子で引き抜き、血で汚れたそれを隣で手当ての様をまじまじと見据えるミュラへと手渡した。血を清水で流し、それを火で炙る。傷に使うべく消毒液を節約しようと、余り褒められた事ではないが焼いて消毒しようというソーニアの指示だった。
「かなり深くいってんな。刀握れんのかよ?」
「握らねばなるまい。両の手が使えねば……、まともに戦えぬ」
 また無理なことをいうとソーニアは苦笑いを浮かべながら、止血用の粉末をジャリルファハドの手にふりかける。彫られたタトゥーの上に白い粉末がふりかかり、その血が滲んで赤黒く変色していく。
「暫く手動かさないでね。血が止まったらもう一回、消毒して固定するから」
「縫えんのか」
「縫える訳ないでしょ。ちょっと飲み物買ってくるね」
 そう彼女は鞄から財布を引っ張り出し立ち去っていく。疲れたのだろう。
 ソーニアが出来るのは応急手当のみに限り、一応鉗子などは持っているが、外科的な事は一切出来ない。そもそも武門の人間は体が資本であり、手は宝である。出来たとしても手出ししたくないのが、本音であろう。
「痛むのか?」
「多少はな」
 火で炙った鉗子を水に浸し、熱を取り去りながらミュラはジャリルファハドの手に視線をくべる。鎧通しなんて使わなければ良かっただろうと思いながらも、彼のレゥノーラに対する攻撃の有用性を考える。人の形をしているならば、とにかく足を削げば行動は出来なくなる。ともすれば長物、引いては銃などで足を壊すのも選択肢に入る。尤も銃弾で頭を飛ばすのが一番手っ取り早いのだろうが、そもそも足に当てる腕もなく、足に当てれるならば頭に当てると思い至り、ジャリルファハドへは言わなかった。
「銃持ったら良いんじゃねーの?」
「……俺は余り銃の教育を受けていない。大方、斬り方と殴り方、射掛け方しか知らん」
 それだけ知っていれば充分だとミュラは薄ら笑いを浮かべつつ、濡れた鉗子を拭き取り清潔なガーゼでそれを覆った。斬り方はいつもどおりの代物だろう。射掛け方はともかく殴り方に感心がある、ミュラは疑問として口を開く。
「殴り方ってどうやんだよ?」
「簡単だ、当てる時だけ拳を握り締め、脇を締めて振り抜く。顔だ、顔を狙え」
「それだけで全然違うのか?」
「不意を突けば一撃で意識を奪える」
 ジャリルファハドに受けたレクチャー通りにミュラは何度か彼の顔面目掛けて殴るような素振りを見せるがジャリルファハドは苦笑いを浮かべるばかりで、首を縦に振るような事はしなかった。何が違うんだとミュラは首を傾げている。両手が使えれば身体が硬すぎると教えられるのだが、と内心一人ごちる。
「肩の力を抜け。それにまだ振りが大きい。もう少し小振りにやれ。力も関係なく意識を奪える」
 遠目から見れば何やら妙な動きをしているミュラが、ジャリルファハドにからかわれているようにしか見えなかったが当人達は案外真剣らしく、どれだけやっても何かが違うミュラが可笑しくて仕方が無いのだろう。ジャリルファハドから思いつめたような雰囲気は消えていた。
「そういやセノールの攻撃は全部小振りだよな」
「よく気がついたな。……お前の筆架叉は突く代物。即ち腕が伸びきる。小振りにはならない。俺が死んだら俺の刀を譲ろう。世界が変わる」
「縁起悪い事言うんじゃねーよ――」
 そもそもセノールじゃないし、と言葉を続けそうになったがミュラは口を噤み、ジャリルファハドを戒めるような口を利く。それがおかしかったのか、彼は小さく肩を揺らし笑っていた。死は怖い、故に死なぬように立ち振る舞う。ならば死なない。即ちミュラに刀を譲る事は万に一つもない。だが、それは人間だけを相手にしている場合のみだ。
 此処カンクェノでは人間相手での理屈が通じないように思えた。相手は人間ではなく化物である。矜持を以ってして迎え討ち、己の命を損耗する理由は存在しえない。斬り合い、殺し合うような茶番に興じていられないのだ。ともすれば、ミュラが言うように銃を手にするのも一つの手である。レゥノーラ相手には体内を傷つけるよりも行動不能に如何に貶めるかが重要だろう。であるならば、口径が大きい代物を選ぶのが先決だろう。何時までも刀などに拘っていられない。拘りに命を捨てるなど愚か者のする事だ。
「誰でも死に得るのだ。人で在る限り。人で在れる限り、な」
 それを忌憚するのが人の務め、忌憚し手段を増やすのが武人の務め。血が止まり掛けている手の平を見て、ジャリルファハドは小さく鼻で笑う。痕は残るだろう。平静を保てなかった己の恥の証。良い物を授かった。故にその恥を払拭すべく、地上に戻ったら銃を買おう。何者をも恐れずに居られる強い銃を手中に収めようと思い描くのだった。

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