複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.53 )
日時: 2016/11/25 23:46
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ

 その断末魔でさえ砂の中へと消えていった。人であったモノ、名残として残るのは常に骨だけであり、それ以外の肉は、臓腑は、そこを生きる者の腹の中へと収まっていく。しかし、食べられなかった忘れ形見でさえ、残酷なことで時が経てば砂の海に深く深く沈んでいくのだ。
 砂漠は一人の聖職者であり、また一つの広大な墓標である。死を目前に控えた者の声を最期まで聞き、死がその者を飲み込めば、哀悼のための墓碑となってくれる。故に、彼女が死んだときも彼らは優しく、無慈悲に、彼女であったモノのための骨壺となるであろう。
 
「馬鹿者、大馬鹿者が」
 口調は優しく、抱きしめる腕は強く。満身創痍の少女を受け入れる。血に汚れるのも気にせず愛弟子を抱きしめた女性の顔は今にも泣きだしそうなほどに歪み、また少女を一人仕事に行かせたことを心の中でひどく嘆いた。彼女の髪を、顔を、肢体を赤く染めているのは彼女自身の血か、殺めた者の血、或いは両方か。未だ乾ききってない血が服に染み込む感覚は未だ慣れず不快感を覚え、嗅ぎ慣れたはずの鉄臭さに思わず眉をしかめた。それでも抱擁はやめず、少女もまたされるが儘になっていた。
 少女に師匠と慕われるその人は、自らの悪手を後悔し罪悪感を噛み殺しても、瞳を見る勇気はなかった。目を合わせてしまえば、今まで溜め込んだモノが一気に箍が外れて溢れてきそうな気がしたのだ。それでも腕の中で僅かに震えている愛弟子が「師匠」と小さく呼べば、反射的にその顔をみてしまう。
 今宵は満月。差し込んでくる月の淡い光が二人の姿をボゥと照らし出す。一人は麦畑のような輝きの肌を持つ妙齢の女性、もう一人は彼女よりももう少し焼けた、宵闇に溶け込みそうなほど浅黒い肌を持つうら若き少女。彼女の持つ瞳は未だその燦然と輝いている。女はやはり後悔した。自らが既に失ってしまった輝きを放つ彼女を守ってやらねばならなかった。それなのに、彼女を一人で行かせ、挙句危険に晒してしまったという罪の意識。だが、何よりも彼女の心を支配したのは恐怖。次に同じようなことがあったら、今度こそこの子を失うのではないのか。そんな空想ともつかない考えが頭を過り、彼女の心を嬲ってくるのだ。
「嫌だったらね……、戦いたくなかったらね、逃げてもいいんだよ。私は何度もそうしてきたんだ」
 それだけを言い彼女を解放した。少女は何かを言おうとしていたが、声にはならず了解の意を示すために何度も頷く。聞き分けの良い少女の頭を慈しむように撫でる。髪についた血は固まり、サラサラとした手触りではなく、糊をくっつけたような感触は、自分を、他者を傷つけた証拠。一瞬だけ鼻に皺をよせたが、彼女に気付かれないようにすぐに穏やかな表情に戻る。
「ゆっくりお休みミュラ。大丈夫、明日には傷は治っているはずさね」
 諭すように言えばミュラは微笑んで瞳を閉じた。規則正しい寝息が聞こえてくれば師匠はようやく息をつき、手当のキットを取りに立ち上がる。今から五年前の話であった。


 ソーニアが作ってくれた野菜のスープは優しい味をした。水とコンソメで煮込んだだけの質素な物であったが、身体だけではなく冷えた心も温めてくれる。ミュラはお袋の味を知らない。生まれた時から母親の存在がいなかったし、それに近しい存在の女性も料理を殆どしなかった。十年以上一緒に生活していたが、彼女が料理をした回数は片手で事足りる。ただお袋の味を知らなくとも、自分を思ってくれる者の料理はこんな味がするのではないかと感じ入ることはできる。
 ミュラの顔には暗い影を落としているものの、多少だが強張っていた表情が和らいだ気がする、とソーニアは思う。二人の間に会話は無く、スプーンが皿に擦れる音が虚しく響く。圧し掛かってくるような重苦しい沈黙。破ったのはミュラだった。
「あたしさぁ、あの人のことなぁんにも知らねーんだよなぁ!!」
 心配させまいと極めて明るく、いつも通りの口調を心掛けたつもりであった。しかし、他者からすればただの空元気。むしろ、見え見えの気遣いが感じられて、ソーニアは余計に胸が裂ける思いに襲われることとなった。
「好きな色も好きな食べ物も、嫌いな色も嫌いな食べ物も全然知らない。もっと言うなら私と出会う前は何やってたとか、どこの出身だとかさ……。そりゃあ気になって訊いたことは何回もあるよ。でもさ、教えてくんなかった。お前にはまだ早いってさ。一人前になったら教えてやるってはぐらかされて。昔は傭兵やってたなんて、おっちゃんに言われて初めて知ったんだよ。笑えるよな、私の方が師匠とずっと一緒にいたのに。……結局あの人が教えてくれたのは砂漠での生き方だけだった」
 瞳を閉じれば、師匠との思い出が浮かんでは消えていく。手を伸ばせば届きそうなのに、口惜しや、伸ばしても伸ばしてもあと一歩のところで消えてしまう。
「信じたくねぇんだよ。だってさあたしの師匠だぜ。弱いわけねぇだろ、なぁ……」
 師としての彼女は妥協というもの一切許さず、何度も殺されかけた。しかし、それがここを生き抜くために必要なことだと幼いながらに理解をしていたし、それと同じくらいの愛情を注ぎ、また危機が訪れれば必ず助けにくれた。ミュラにとって師は、親であったと同時にヒーローでもあったのだ。
「師匠さ、言ってたんだ。嫌だったら、苦しくなる戦いだったら逃げてもいいって。だのにさぁ、逃げて殺されちゃあ笑い話にもなりゃあしないよな。せめて生きてりゃあな、生きてれば、さぁ」
 だからこそ納得出来ない。しかし納得しなければならない。それが途方もなく悔しく、悲しかった。
 自分では上手く笑顔を作れているつもりだった。なのに、スープに映った自分の顔はなんと情けない顔をしているのだろう。嗚咽を漏らすまいと唇をきつく噛みしめ、瞼の裏に溜まった涙を零さないように呼吸すら止めようとしている自分が直視できないほど惨めで上を向いてしまう。
「生きてて、ほしかったなぁ」
 根底にあった願いを口にしたとき、自分の中の何かがはじけた。思慕、憧れ、悲哀、憤り、師匠に対して抱いていた全てが混ざり合い、どどめ色をした感情が胸を塗りつぶしていく。嗚咽しか吐き出せない口を噤もうにも、理性が感情の奔流に押し流されて叶わない。堰を切ったように涙が止まらない。どんなに指で目を抑えつけても、唇を抑えても嘆きは消えず、身を知る雨は止まず、ただソーニアだけが感情の嵐を受け止める。あの日と同じように優しく強く抱きしめて、一人ではないと教えるように。
 自分がそうだったように、悲しみは必ず飲み干せる。どれだけ時間がかかるか分からないが、明けない夜は無いのと同じだ。悲しみもいずれは乗り越えられる時が来る。
 哀哭する者とそれを受け止めてあげる者。両者に違いがあろうとも、時間だけは平等に、残酷に進んでいくのだった。
 

例えその先が地獄に続くと知っていても歩みは止まらない。何故なら、彼らが本当に望む物は煉獄を超え地獄を超えた先にしか存在しないモノだと理解しているからだ。しかし勘違いしてはならない。彼らはこの廓において泉下の客となるつもりなど毛頭ないのだ。或る者は命さえ捧げた一族の悲願を叶えるため、また或る者は主との契約を果たし、愛しいお嬢様と穏やかな午後を過ごすため、或る者は廓の奥深くに眠る宝を探し、また最愛の人達を奪っていった彼奴らめに復讐をするため、そして或る者は前しか見えない、否、見えなくなってしまう少女の目となるため、幼い頃に憧れた遺跡の中を巡る。皆が皆、己が使命を全うせんという心意気を持ち、自らの足で奈落へと落ちていくのだ。その姿はなんと勇ましく、そして、何て阿呆らしいのだろうか……。

 それは正に雷鳴轟くが如し。研ぎ澄まされた刃は白き異形の皮膚を裂き、首筋に治ることのない傷を作り出す。咲きかけた花の蕾を思わせる裂傷からは、美しくも悪趣味な赤い蜜が常にトウトウと流れ出でて、傷の深さを物語る一つの物差しとなる。人間ならば痛みと出血のショックで死んでもおかしくないほどの傷を負ってなお、廓に巣くう化け物は、悲痛と怨嗟に満ちた声をあげる。そして、自らにこんな傷を負わせた人間へ鋭利な爪を突き立てんと大きく振り上げた。
 しかし、その腕が振り下ろされる前に空を裂いて飛んできた一発の弾丸が肘を撃ち抜いた。ハイルヴィヒが放ったのだ。肉の半分以上を抉り、穿たれた腕からはまた、血液が舞う。地面に落ちる頃にはそれは一つの固体となり、石畳に触れればコツンと冷たい音を出す。それを合図とし、ガウェスは左手が繰り出されるより前にレゥノーラの首を撥ねた。
 一方のハイルヴィヒは放物線を描き飛んでいく首にダメ押しとばかりにもう一発銃弾を浴びせる。硝煙の匂いの中、頭部の形が完全に無くなれば、レゥノーラは初めてその活動を停止した。
「終わった……、のか」
 口に出さずとも分かる真実。多くの人を食らってきた化け物の無様で呆気ない最期を見届けてなお、彼がレゥノーラに近づくことはない。首と離れてもなお動き続けた異形は、黄泉路への供にしようと最後までガウェスの首を狙い続けた。死してなお、その強烈な印象を植え付け逝ったレゥノーラに恐怖を抱いているのだ。その証拠として、右手の人差し指は未だにトリガーに引っかかったままである。
「なっさけないですよ、親方〜〜。しっかりしてください」
 冷や汗を流すエドガーの肩越しに、ひょこりと顔を出したレアの顔は無邪気に笑っている。この異様な空間で唯一変わらないレアの態度に緊張が少し解れる。
「バシュラール、お前、よく笑えるな」 
「当たり前じゃないですか。気色の悪いレゥノーラが死んだんですよ。嬉しくないわけないじゃないですか。いや〜、それにしてもお二人ともすごかったですね。連携技って言うんですか。こう、スパーンでズキューンでスパーン。更にズキューン!!……次は是非、私も殺してみたいものですねぇ」
 独り言であったのか、自分に向けての言葉なのかエドガーには分からない。ただ、最後の一言、そこには彼女らしからぬ強い殺気と愉悦が含まれているのを感じ取った。レアの両親は彼女が小さい頃、レゥノーラに殺されている。レアがレゥノーラを恨むのは自明の理であろう。しかし、いつも楽し気に笑う心の奥底にここまで強い負の感情を持っているとは思わなかった。槍の使い方を覚えたのもカンクェノ内の宝探しのため、自衛のためではなく、レゥノーラを殺すためなのではないのだろうか。そう考えるとエドガーはレアをここに居させてはいけない気がした。要らぬ感情は周りを見えなくさせ、判断力を鈍らせる。いつか大きな怪我、または命を落としてしまうのではないかと危惧したのだ。しかしそれ以上に、何故だろう、何か取り返しのつかない何かが起きてしまうのではないかと第六感が告げている。
 レアはエドガーから離れ首のないレゥノーラの元へ。そして「おーやーかーたー」と大きな声で呼ぶ。一緒なら怖くないと言いたいのだろうか。
(彼女を一人にしたら駄目だな)
 決意を新たに、エドガーはレアの元へと歩き出す。

 ガウェス・ハイドナーは粉砕されたレゥノーラの頭部を見下す。頬から顎にかけては辛うじて形を残しているが、そこから上、特に頭部の部分は原型をほぼ留めていなかった。多少銃の心得を持っているとしても、どこをどのように撃てば効率よく相手を破壊できるのかは分からない。また、飛んでいる物に銃弾を当てられるほどの経験も技術もない。己には出来ないことをこの少女は楽々とやってのけたのだ。ガウェスは心からの賞賛をハイルヴィヒに送る。
「ここまでとは恐れ入りました。ユスチン殿は良い兵をお持ちだ」
 頬についた血を拭い、場違いなほど穏やかな微笑みを見せる。
「ハイルヴィヒ殿、先ほどの答えですが、どうかスヴェータ嬢にお伝えください。心配などしなくともハイドナーは大丈夫だと。どんなに影を色濃く落とそうとも、どんな惨禍が我らに降り掛かってこようとも、この輝きが失うことはありません」
 血は既に賢者の石へと変化しておりガウェスが血振りを行えばパラパラと音を立てて剣から滑り落ちていく。その様子をハイルヴィヒは静かに見据え、そして不愉快だと告げる代わりに「ふん」と鼻を鳴らして彼の前を通り過ぎた。常人ならば怒りを買うであろう対応にも彼は特に怒らず苦笑いを浮かべるだけ、普段と相も変わらず調子で刀を鞘に収める。
 他所でもレゥノーラとの戦闘が始まったのだろう。発砲音と悲鳴、そして沈黙。その場にいなくて漂ってくる死の匂いに不快感を表し、それでも、歩みは止めることは許されない。彼らは先へと進んでいく。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.54 )
日時: 2016/11/30 02:04
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 白魔の如く、化生が群れを為し、廓を駆ける。群れを、その輩を率いるレゥノーラは厭に真っ赤な瞳を暗闇に輝かせ、見る者の足を止める。それは姿こそ見えど音はない。音は聞こえど姿は見えずという状況の真逆。これが8人ばかりで群れを為したハイドナーの騎士達に、言い様のない恐怖を植え付けるのだ。
「――クエオクゴレデシウ」
 宛ら何かの魔術のよう。小さく呟くように言葉を吐く、そのレゥノーラが騎士団の眼前に立った時、遂に全体像が明らかとなった。身の丈は160cm余り、顔立ちは人間に良く似通っていて、それに対してハイドナーの騎士のある者は、何処となく見覚えがあったのだ。それは既に死したはずの人物。
「あんたは――」
 銃口を向けながらも、その者の正体を語ろうとした刹那。その騎士の顔へとレゥノーラの爪が食い込み、目鼻を引き裂き、赤い肉の裏側から骨を覗かせるに至った。引き裂かれてそのまま石畳に叩き付けられたその騎士は呻き声を上げながら、石畳の上で醜く痙攣するのみ。もうじき死体になるそれを一瞥し、そのレゥノーラは口角を吊り上げ、まるで笑うかのような仕草をしていた。まるで廓を侵す者を屠れたと、静かに喜んでいるかのよう。向けられた切先、銃口、それらを毛程も気に留める様子もない。
このレゥノーラは人間が何をすれば、恐れ慄くかをよく知っていた。まず一つは血を見せる、その次には死を恐れる様子を見せない事である。過去、歴史を垣間見れば死を恐れぬ兵は圧倒的不利を覆したり、少数で大軍を退けたりとしてきていた。何処かで得た知識をそのまま成す。
「――――にが、さない」
 脳裏にふと浮かんだ人間の言葉。そしてそれをたどたどしく女の声で呟き、それは人間を屠らんと襲い掛かった。放たれた銃弾に身を穿たれ、剣戟の一撃を浴びようともそれは止まらず、その爪を止めるには薄すぎる鎧はいとも容易く穿たれ、貫かれた左脇腹から滔々と赤い血が溢れ出る。
 人間達の叫びは断末魔であり、恐怖を押し殺そうとするための代物でもある。また、威嚇の意味もあるらしい。だがしかし、人のそういった行動、一つ一つは全く意味を為さない。それはレゥノーラが理解し得ないからである。
 これから起こるであろう殺戮を予感してか、背を向ける者すら居る。レゥノーラは追うような事はしない。既に輩を臥せているからである。この廓は己の住処、己が守るべき代物。ともすれば、後から来た人間よりも己等が熟知しているのは当然の事。人間はこの廓において、万物の霊長とはいかない。自ら棺桶に入った愚者であるのだ。
 遠くでは悲鳴と銃声が聞こえている。あぁ、事は起きてしまった。最早此処に入った人間は一人たりとも逃がさない。レゥノーラは笑い声も上げず、大口を上げて肩を震わせている。あぁ、漸く廓を守るため己の力を震えるのだ。その愉悦に身を震わせるのだった。



 己のベッドを占拠するように眠ってしまったミュラを傍目に、ソーニアはソファーに寝転ぶ。いつものコートは脱ぎ捨て、半袖のシャツに西の果て、その大陸から伝わってきた綿で織られたボトムスだけという、すっかり気の緩んだ格好だ。既に夜も遅い。ジャリルファハドは帰ってこないだろうと油断しているのだった。
 テーブルに無造作に広げられた書面を手に取り、ぼんやりとそれを眺める。中身は錬金術や、魔法、カンクェノ、更にはレヴェリの起源。そういった事柄の深遠に触れうるであろう代物ばかりである。普段であれば内容は頭の中にするすると入り込み、己の持論を展開するに至るのだが、今はそんなに頭が回らない。その原因はミュラである。厳密にいえばミュラの師である。己の子のような存在を置いて死に行く思いはどうだったであろうか、無念だっただろう。悔しかっただろう。それとも死の恐怖に飲まれ、そんなものを考える間もなく死に絶えたのだろうか。どちらにせよ、死んでしまった人達へと思いを問う事など出来ない。残されるのは経験した、しかし残すのは経験した事がない。そも経験すれば、二度目はない。死ぬという感覚はどんな感じなのだろうか、そんな事を思うとどうにも落ち着かない。
「騎士――、か」
 騎士は高潔な代物である。彼女がもし一介の傭兵ではなく、騎士の矜持のような物を持った人間であったなら、果たしてレゥノーラ相手に逃げるような真似はするだろうか。あのジャリルファハドですら、レゥノーラに恐怖したが彼はそれを押し殺し、今その恐怖を和らげるための工夫をなそうと市場へと向かっていった。逃げるような真似はしていない。ソーニアからすれば鉄火場を潜り続けてきた傭兵が、外堀をきちんと埋めれば倒しきれるレゥノーラ相手に臆するだろうか、という疑問があった。逃げるのではなく、己が持つ技能、武器、周囲の人員。知恵、経験。それらを総動員して打ち倒そうとするのではないだろうか。
「キラ……」
 ふと、呟いた今は亡き姉の名。彼女も今のソーニアと同じように学者であったが、傭兵達と必死の抵抗をなしたらしい。結局は左腕だけを残して廓に消えてしまったが、戦いの経験が少ない彼女ですら必死に生きるために抵抗をしたのだ。やはり傭兵が背を向けて、死んだなど信じられない。何かがあるのではないだろうかと考え至る。こじ付けのような考えであったが、何かがおかしく感じられ、妙な胸騒ぎを感じるのであった。
 ゆっくりと身を起こし、小さく欠伸をしてみせ、外へと出て行く。夜風を浴びれば、おかしな考えは吹き飛ぶだろう。外は既に人通りも疎らで歩むのは浮浪者や、売春婦の類。関係を結ぶことは望まれない者達だ。その中をやけに早足で歩む者の姿が見える。捲くった袖からはタトゥーが顔を覗かせ、腰には刀、左腿には見慣れない銃が吊り下げられている
「おかえりー」
 夜風に消え入るか、消え入らないか程度に声を掛ければ彼は右手を上げて、声はなくとも応じて見せた。相変わらずの仏頂面が見え、感傷に浸るソーニアにはどことなく頼もしく思えるのだった。


 昼間斬ってしまった左手の傷を覆うバンデージを取り替えながら、事を語れば、彼は一言も発さず、小さく頷きながら黙って聞き耳を立てていた。時折、ミュラの寝顔を一瞥する様子が見られる。表情には出ない、否、出してないだけで、彼も居た堪れないという思いを抱いていたのだろう。ミュラの師であり親である人物の死を語り、ミュラを上手く慰められなかったと懺悔し、思わず語ってしまった実姉の死、そして、それを思い出して辛いという思いの丈をぶつけられ続け、漸く彼も口を開いた。
「血は繋がらずとも親だ。……親は子が一人立っていく後姿が嬉しいそうだ。彼女は無念だったろうに、ハイドナーに墓でも聞いて見舞って来るといいだろう。それが残された者に出来る唯一の事だ」
「一人でハイドナーに行かせない方が良いわよね」
「お前が付き添ってやれ。……俺には出来んし、まだ時期ではない」
 因縁がある以上、真っ向から向き合うのは難しい。今度向き合う時は殺し合う時だ。そうジャリルファハドは暗に語っているようだった。それでもミュラの心を案じる彼は、やはり不器用な武辺者なのだろう。もう少し面に出せば、誤解を招かないのにとソーニアは思案する。
「ソーニアよ、お前も姉の墓を見舞ってやれ。思い出したという事は、彼女もお前に伝えなければならない事があるのだ。死者がお前を呼んでるのだ。それに応じる義務があろう」
「そうね、キラが好きだった花でも買っていくわ」
 それが良いとジャリルファハドは小さく頷く。セノールの経典通りの説法であったが、彼の言葉には妙な説得力があるように感じられた。まるでそれが人の正道であるかのように。
「ところでソーニアよ、酒は飲まないか」
「え? まぁ……、嗜む程度には」
 ラックに大量に入った酒瓶を二人して同じタイミングで見遣れば、ソーニアは苦笑いを、ジャリルファハドはどこが嗜む程度にだ、と目で語る。彼が持つ皮袋からはブランデーとワインの瓶が一本ずつ出てきた。それも物が良い。
「商人から貰ってきた。取っておいてくれ」
「飲まないの?」
「俺は宗教上の問題で飲まない」
 勿体ないと遠慮一つせず、ソーニアはそれを受け取って笑顔を浮かべていた。晩酌の楽しみが出来た。不味い酒、質の悪い安酒に酔って倒れ込むように寝なくて良い。たったそれだけの些事に心が躍る。その様子を見て、ジャリルファハドは砂漠においてきた輩を思い出し、薄ら笑いを浮かべている。死者に悼む、重苦しい空気が消えつつある事に彼は安堵した。死者と向き合う事は正しい。しかし、死者を悼み続けるのは死者に対する冒涜である。残された者は安寧に、楽しく生きていると此方の世から見せなければならない。それが死者に対する最大の供養となるのだ。
「ねぇ、少し飲んで良い?」
「好きにしろ」
「飲まない?」
「くどい」
 もう既にブランデーの栓を開けているソーニアを止めなかった事を彼は後悔する事となるのだが、それはまた別の話である。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.55 )
日時: 2016/12/04 21:43
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ

 目の前に広がるのは地獄か否か。酸鼻極めた光景を目の前に四人は思わず息を呑む。鉄臭さと硝煙の匂いが混じった死の香り、壁に飛び散った鮮血が、ここで何が起こったかを暗に示す。それでも意を決し初めの一歩を踏み出した時、生きの良い魚のように跳ねた液体が水ではなく誰かが流した血であると気付き、エドガーの顔から生気が抜け、二歩、三歩と後退る。三人の顔つきもいつにも増して険しく、特にガウェスは難しい表情の中に悲哀の情を浮かべ、物言わぬ屍に成り果てた者たちへ霊安かれと祈りを捧げて歩く。
 ガウェスはこの者たちを知っている。ハイドナーの騎士団員。どの死体も顔を潰され判別は難しいが、彼らのつけている鎧、そして腕章に書かれたハイドナーの家紋が何よりの証拠だ。 
「貴殿に一つ聞きたい」
 悲しみに暮れるガウェスの横にハイルヴィヒが立つ。この地獄絵図を見せられても平然と立っている彼女が少しだけ羨ましかった。一方、エドガーは体調を崩したらしい、隅に座り込んでしまいレアが介抱している。
「何でしょう」
「彼らは勇敢に戦って死した。故に人として弔われ、冷たい地面の下に埋められる。ああ、それは当然の理だろうな。ならば……ならばそうだ。例えば、こういうのはどうだ。彼女のような死に方をした場合だ。ハイドナーは弔ってくれるのか」
「彼女、とは」
 ハイルヴィヒの口から紡がれた名前を聞いたとき、ガウェスは僅かばかり目を見開き、ああ、と声を洩らした。しかし、その声をかき消すようにすぐに仕切り直すように口を真一文字に閉め、その後にもう一度口を開いた。
「どんな死に方をしたのであれ、弔います。それが人としての流儀でしょう」
「……そうか」
「もう少しだけ進みましょう。もしかしたら彼らを殺したレゥノーラがいるかもしれない」
 結論から言えば、確かにレゥノーラはいた。ジメジメした通路を抜け、幾人もの騎士団の屍を踏み越えた先、新たなる獲物の到着を待っていたのだ。だが、そいつは今までガウェスが遭遇してきたどのレゥノーラよりも人間らしく、そして禍々しいものであった。人の皮を被ったとでもいうのか。肌の色はレゥノーラと同じなのにその容貌は人間と何ら変わらない。今まで出会ったのない異質な存在を目の前にしてガウェスは明らかに動揺した。ソレと戦うのは危険な気がする。こればかりは廓で戦い続け、生き残ってきた者の直覚的な判断。ガウェスは目の前の新種に注意を払いつつ、これからのことを考える。カンクェノにいる間は彼らと共にいた方が良い。しかし、今、全員でレゥノーラに背を向けて逃げることをしたらどうなるか想像できないガウェスではない。それならばやることは一つしかない。
「ここは私が抑えます。ハイルヴィヒは二人を連れてここから逃げてください」
「貴殿はどうするつもりだ」
「少なくとも皆さんが逃げ果せるまではここで足止めをします。……それに私には貴方達を逃がす義務がある」
 奥に進むと選択したのはガウェスの判断。故に責任を果たさねばならない。それを果たすまでは彼は意地でもここを退く気はないのだろう。
「早く!!」
 ガウェスに叱咤されれば、ハイルヴィヒはガウェスを睨み、踵を返し、元来た道を走る。それに続くようにエドガーとレアも続く。遠ざかっていく足音にガウェスは安堵を覚えた。名前を呼ばれた気がしたが、振り向きはせず、ただ目の前の敵を討ち滅ぼすことだけを考える。そして、賢者の石と同じ赤い瞳を細め、三日月のように口角を引き上げている悪鬼へと剣を向けたのだった。



 まだ剣を持って数刻も経っていないはず。それなのにジャリルファハドにつけられた傷が痛んできた。目の前の敵を葬ろうと剣を振るう度、敵の攻撃を避けるためにステップを踏む度、傷の中心に針が刺されるようなそんな傷の疼き。肩が動かくなるのも時間の問題だろう、レゥノーラも分かっている。彼の動きが鈍くなっていることに。そしてそれは疲労によるものだけではないことを。だから攻撃を畳み掛けることはせず、距離をとり牽制に近い攻撃を繰り返している。弱点を見つけだし、それに有効な手段を用い戦闘を支配する。まるで人間に近い思考だ。それは生理的な嫌悪感を生み出し、痛みとは別の意味で顔を歪める要因になっている。
 不意に聞こえた悲鳴。尋常ではないことを知らせるエドガーの声にガウェスの意識がそちらに逸れ一瞬の隙が生まれる。レゥノーラは笑う。そうだこの時を待っていたのだ! レゥノーラが、廓に巣くう悪魔が、騎士の懐へ潜り込もうと地面を蹴りあげ前進す。すぐにガウェスの意識がこちらの方に戻ろうとも、白い死神は鎌の代わりに研ぎ澄まされた爪を携えすでに眼前に迫っている。焦燥に駆られ後ろへ下がろうとも人間より幾分長い腕は彼の高潔の騎士を傷つけるには事足りる。右の脇腹、身体は貫通しなかったものの、爪は深いところまで突き刺さり、まるで焼き火鉢を当てられたかのような灼熱の痛みを生み出す。傷ついた獣のような呻き声が洩れ、その場に膝をつきたくなるのを唇を噛みしめ堪える。そしてお返しだとレゥノーラの顔面をガントレットをつけた腕で思いっきり殴りつけた。少し動くだけで肩の痛みとは比べ物にならない痛みが身体を突き抜け、思わず声が出そうになる。
 人の形をしているのに殴ったソレは紙風船かと思うほど軽い。簡単に飛ばされていったレゥノーラに追い打ちをかけることも出来たが、今は三人の様子が気になる。痛む傷口を抑え、彼は元来た道を行く。一瞬追ってくるかと、その無防備な背中に手痛い一撃を食わらせるんじゃなかろうかと振り返るが、死神は未だ倒れたまま、追ってくる様子はない。
 ガウェスが例の部屋まで戻ってくると三人は四体のレゥノーラに囲まれている。待ち伏せ、という言葉が頭を過ぎる。決して侮っていたわけでない。ただ、今までこんな経験一度だってなかった。恐らくはあの新種が彼らに指示を出しておいたのだろう。安心してしまった先程の自分を殴りつけてやりたいと、地団太を踏みたい気持ちになる。
「ハイドナーさん!」
 レアの声と共に呆けたガウェスの背後から大きな影が覆った。振り返れば先ほど戦った個体とは別のレゥノーラ。一撃を紙一重で躱すもバランスを崩し、冷たい地面に倒れこむ。地面と鎧がぶつかり派手な音が鳴り、それにより三人を囲っていたレゥノーラは新たな来訪者の訪れを知った。満身創痍な青年が、彼らにはどう映ったのだろうか、まるで光に集まる蛾のようにガウェスの元へとレゥノーラが集まりつつある。
「まずいな」
 例え戦慣れしているガウェスと云えど、複数のレゥノーラから一気に攻撃を仕掛けられればタダでは済まない。かと言ってこの数のレゥノーラを相手にするにはあまりにも人手が足りない。不意にガウェスと目が合った。彼は脂汗を額に滲ませ、それでも彼らの身を案じ「逃げろ」と声には発さず、口の動きのみでハイルヴィヒに指示を出したのだ。
(馬鹿か、こいつは)
 彼の自己犠牲精神には呆れを通り越して怒りが沸き上がってくる。確かに全てのレゥノーラがガウェスに注目している今ならば容易に逃げることが出来るだろう。しかし、ここで逃げれば一つの命が確実に潰えることになるのも分かる。しかしそれよりも、彼女が危惧するのは、
(ここで奴が死ねばお嬢様が悲しむ)
 そう、それがハイルヴィヒの全て、彼女の考えの基となるもの。ガウェスを庇おうと飛び出そうとするレアを抑え、先ずはガウェスに一番近いレゥノーラ、攻撃を仕掛けた奴の頭を吹き飛ばす。本来ならばコッキングレバーを引き排莢、次弾を込め、次の目標を狙撃するのだが如何せん時間が足りない。故に持っていた銃をレアに押し付け、懐から新しい銃を取り出す。
「目と耳を塞げ!」とハイルヴィヒが叫ぶ。今、彼女が放つのは屠る一撃ではなく、仲間の命を繋げる為のもの。目を閉じると同時に目の前が白い光に包まれ、風船が割れたような鋭い音が僅かな隙間から入ってくる。彼女が使ったのは閃光弾及び、音響弾薬。その中でも特に強力な代物で、本来ならば何よりも味方が被害に合わないよう屋外で使うものだ。へたをすれば失明と失聴の可能性もあることをハイルヴィヒも当然知っていた。しかし、そのリスクを負わなければ彼を助けることは出来なかったのも事実。周囲を窺うように目を開けば、夢遊病者のように部屋の中を彷徨うレゥノーラ。感覚器官が退化しているといっても完全にないわけではなし、何よりも至近距離での閃光と爆音だ。平衡感覚が狂っている。
「行くぞ。急げ」
 逃げるなら今しかない。ハイルヴィヒを先頭に、レア、そして患部を抑え苦しそうに声を洩らすガウェスをエドガーが支え、後を追う。
 こうして初めてのレゥノーラ討伐は人間側の敗北で終わったのであった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.56 )
日時: 2016/12/09 03:10
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU
参照: https://twitter.com/Avatar_Alone

 これもまた、例えばの話なのだけれど、と男は笑った。相も変わらず柔らかなくせに冷ややかな一対の瞳を若人へ向けて。枯渇した魔力の行き着く先が無限に続く廓ならば、その土壌で育った草花はどうなるだろうね、と。ただ静かに問うた。そのくせその言葉は答えなど求めぬ様に投げかけられるだけで終わる。そうやすやすとうまくいくならば、今頃あの遺跡へ潜る人々はとっくに魔法を復興させているだろう。けれども其れは今ありえていない。実現していない現実。けれどあるいは。封じられているとしたならば。――何時かに聞いた少女の歌声は、何故、何故、ヨハンの脳裏に今蘇るのだろう。

 さて、この刻ともなれば、彼ら彼女らが通門所を抜け、守衛所を通り越し、地下へと降りて下りに下っている頃だろうか。蒼穹は突き抜けるように澄み渡り、陽の光は暖かに降り注いでいる。輝く光の中、ワルツでも踊るかのような軽やかさで、一人の少女が遺跡手前の通門所へと歩み行く。煌めく淡く甘い金の髪、二つの硝子玉が埋め込まれたかのように澄んだ瞳。仕立ての良い真紅のワンピースの裾を揺らす少女は、至極楽しげに微笑んでいた。向かう先は地の底なれど、心はふわりと浮かぶようであった。それこそ、天へと向かう階段を登らんとしている心地。金糸を揺らす少女は、全くを持って敵意も害意もなく、そこにあるのは喜びのみであるけれど、其れこそが奇妙であるとは誰もが思うことか。少なくとも、通門所の守衛たちは彼女を奇妙に思った事は違いない。ストン、トスンと軽やかに歩み寄り、守衛を見つめる少女の瞳は、尚も変わらず澄んだ空を移し込んだままである。
「ごきげんよう、守衛さま。私こちらを通りたいのですけれど、手形を作っていただけますか?」
 全くを持って形通りの言葉である。何一つ歪みのない、正しい言葉。けれどもその正しさの中身を追認するのが彼らの仕事だ。如何に彼女が白くあろうと、少女であろうと、通るもの全てを確認する事が彼らの仕事。……多少金銭が動く事により事情が変わる事ともあるが、それはまた、別の話である。猫眼石の様な瞳を見上げる少女の瞳が空を映したままでも同じ事。
「お嬢ちゃん、ご用件は何かね。見る限り武装しているでもない、悪いが戦闘の心得があるようにも見えない……何もなしに、危険な場所へ向かう君を止める義務が私にはあるのだよ」
 この守衛、存外真面目な質であった。別段、危険を承知ともなれば彼女を止める理由はない。見るからに怪しいとは程遠い、しがない小娘ひとりなのだから。けれども彼は彼女を窘める。例えば、これが見知った学者であったりするならば、彼は気をつけるようにと告げてあっさりここを通しただろう。けれども目の前の少女は、とても発掘のための準備をしてきたとは思えない。格好からして、遺跡へ向かうよりも美術館へ向かうと言った方がよっぽど納得できる。それこそ、世の穢れなどと無縁に過ごしていると言われても、納得できるほどには。
「そうですね、私は戦えやしません。無力なひとりの小娘、しがないエリスですわ。でもね守衛さま、私は行かねばなりません。合わねばならぬお方がね、この中にいるのです。だから、行かねばなりません」
 守衛の男は後に語る、彼女は魔女か、然もなくば物怪の類なのではないか、と。一対の目玉はまるで硝子玉。真っ直ぐにこちらを見ている癖に、どこも見つめていない無機物の様で侭、恐ろしいのだ、と。けれどもそうだ、彼はその硝子玉から目を離せない。宛ら、夜に魅入られるかの様に、その瞳から目をそらせない。そうしているうちに結ばれる掌、温かな感覚、柔らかな笑みはいっそ、何もかもを融かして、己の糧とするかのようなものであった。少なくともこの守衛はそう感じたのだと静かに語るだろう。呆気に取られている間に、守衛の背後から声がする。どうかしたのかと問うそれは、もう1人の守衛の声だ。どこか軽薄なその声の主はへらりとした笑みを浮かべて顔を出す。
「……なんだよ、お嬢ちゃん1人か? なら別に止める必要もねぇだろ。それともなんだ? その子なんか怪しいとこでもあんのかよ」
「……そういう訳では無いが。彼女1人きりだというのに、あっさりと通すわけにも……」
「ぶ、あっははは! やっぱお前真面目だなぁ。なぁ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんは危険を承知で行くんだろ? ……こっから先は自己責任だ、それでも、行く理由があんだろ」
 軽い様でいて、どこか確かに地についた言葉に、娘は静かに頷いた。わかっている、そうわかってはいるのだ。理解はしていないけれど。出来ないけれど。何せ今まで娘が過ごしてきたのは箱庭の中。何も知らず、無垢と無知と純粋を良しとされていた世界で生きてきた。何一つを疑わず、危機などとは遠い場所で生きていた。危ないという言葉の意味は理解できる。死という言葉が指差す意味を知っている。けれどその本質を理解などできやしないのだ。する必要など無い場所で、少女はただ息をしていたから。危機感が薄いというのは、少女の異質さをまた際立たせる一つの所以なのやも知れぬ。そうだとして、だから、何だというのだろうか。少女は歩みたい、何一つ怪しい箇所など無い、無垢な娘は進みたいと望んでいる。それを遮る必要性は、彼らにはない。必然性もまた然り。良心が咎めるものなどあるはずもない、あってはいけない。
「ええ、ええ! ……会いたい人がいるのです。逢わねばならぬのです、その人に。……大切な人に」
 硝子玉が淡く輝く。光を乱反射して、星の色を瞳に宿して。夜明けを望まぬ少女は笑う。少女を見つめていた守衛は諦め混じりに息を吐き、覗き込んでいた方はほう、と声を漏らす。ひらり、と片手を振った男はその手にペンを握って、少女へ問いかける。
「はっは、お嬢ちゃんに其処まで言わしめる人ってのが羨ましいが……ま、気をつけてな。手形作るから名前教えてもらえるか?」
「名前? ああ、ふふ、そうね……名前は、大切ですものね。ええ……ふふ、申し遅れました私“エリス・カエルム・アルブステッラ”……しがない商家の者でございます」
「……アルブステッラなどという家、聞いたことが無いが」
 少女が紡ぐ名へと、ぽつり、生真面目な方の守衛が溢す。けれども手形に名を綴る方はあまり気に留めていないらしい「お嬢ちゃん、名前の綴り教えてくれー」と紙面へ目をやったまま問いかけている程だ。事実、アルブステッラなどという家は実在しない。否、少女と、少女の名を考えた“トゥイー”が知る限りでは、知らぬ家の名だ。故に、敏い者ならば聞き覚えがないと溢すやも知れぬ事などとうの昔に想定済みであった。――だからといって金で解決するのは本当の最終手段。大きな額が動けば、どのような場でも人目を引きかねない。そういう約束、そういう決まり。困ったような笑みを少女は浮かべる。取り繕う其れではない、偽りの仮面ではない。ただ純粋に偽りなき本心からの笑顔。故に、其処には一つの齟齬すらありやしない。
「……ふふ、北方の、まだまだ成り上がりの家ですから。地方で少し名を挙げ始めたばかりの、新参者の家。……今、カンクウェノに潜っている部隊の中の傭兵の一人に……私の家と縁が深い方がいらっしゃってね、その方にご用事なのです。……星が落つるより早く、いかねばなりません」
 淡い笑み、月明かりが舞い降りる。少女が吐き出す短い息すら、淡い魔力を孕む様に。そう、そうだ、今ここにいる誰一人この言葉を否定できない。硝子玉が揺れる。淡く甘く、どこか遠く、地下深くにて歩むその人を見つめるかの様に。そうしてふ、と一瞬双眸を細めてから、ペンを手にする守衛を見やる。名の綴りを一文字一文字音にして、なぞるように示していこう。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.57 )
日時: 2016/12/09 03:11
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU
参照: https://twitter.com/Avatar_Alone

 ――“Eris Caelum Albustella”と綴られた手形を首から下げた少女が一人。カツンカツンと床の石を蹴飛ばして歩んでいく。地下へ、地下へ。踊るように、軽やかに。ひらりとスカートを揺らす。白い手袋で覆われた手は舞う様に中を跳ねていく。月明かりの糸に導かれ、ただまっすぐ、下へ、下へ。時折すれ違う人々へ御機嫌ようと笑いかけるたび、淡い金の髪が揺れた。地下へと向かいさて、どの程度降りただろうか。好奇心から少女は、その階にある居住区へと足を伸ばす。もちろん、探し人を探す事も忘れてはいない。否、だからこそだろう。ある程度必要な情報を求めるには、人とのつながりが重要である。少なくとも少女はそう考えているし、そう教わった。他でもない、当人に。右へ左へと視線は彷徨う。目に映る全てがただ新しく、そして美しい。地上と変わらぬ様相を見せるその地区を右へ左へ跳ねていく。そうするうちに迷い込んだその通り。其処にあるのが家であるのか宿屋であるのか少女は判別出来ないけれど、其処は何処か影の落ちる通りであった。数人の人、大丈夫か、しっかりしろよと問いかけるような声の先に、誰かが蹲っていた。関わりたくないと引き返すことも出来ただろう。今であれば向こうもこちらに気づく事無く済んだであろう話。けれど少女の足は、人々の方へと向いていた。
「御機嫌よう、お兄様。……あの、そちらのお兄様は、どうなさったのですか?」
 無知を引っさげた少女はそう問うた。少女の声に、一同視線はそちらへと動く。
「ああ、お嬢ちゃん知らないのか? ……たまにいるんだよ、こうなっちまう奴。何か聞こえるだ見えるだですっかり神経すり減らしちまってなぁ……。早く上に連れて行ってやりたいんだが、そういうわけにもいかない。……ああ、無駄だよ、そいつは――」
 男の言葉を聞き終えるより早く、少女はうずくまる彼のもとへ歩みゆく。ブツブツと何か呟き、時折怯えたような瞳を覗かせるその人の顔を覗き込むようにして。「御機嫌よう」と挨拶を。穏やかな笑み、甘く優しい其れ。けれども彼はまるで驚いた様に目を丸くして、その瞳を恐怖に染める。視線は少女を射抜いているようでいてその実、そのはるか後方の上空を見つめていた。当たり前のように、其処には何もいない。「使いがいる」と震える声が少女の鼓膜を僅かに震わせた。
「……ふふ、そうね、天使は――彼処に、いるみたい。でもね、ええ、ええ、大丈夫。貴方は連れて行かれませんわ。だって、ええ、私が、歌いますもの。紡ぎますもの」
 男がグラグラと揺れる瞳を向ける先を、少女もまた一瞥する。そうして、瞬きを幾度か。明滅する世界で、けれども少女は何かを見たのかもしれない。ゆっくりと男へと視線を戻し、至極穏やかな――穏やか過ぎる声色で、言葉を紡いだ。かと思えば立ち上がり、真紅のワンピースの裾をふわり、広げる。カツン、と場に不釣り合いにも、踵を鳴らした。スカートをつまみ上げ、膝を折る。兎角ただ、ひたすらに、顔ばせに穏やかな色を湛える少女。その場の誰もがただ彼女を見つめていた。顔を上げれば彼女は、静かに、静寂へ罅など入れぬようにと息を、吸った。
「では――歌いましょう、そして踊りましょう。貴方の世界がただ、美しく在るように。美しく在る為に」
 踏み出す一歩は優雅に、華麗に。そして何よりただ、少女らしく。屈み、そして伸ばされる白い腕は、男の輪郭を優しくなぞり、そしてまるで、彼の存在を確かめるかの様に、流れる様に彼の手へと至る。その手を握れば、優しく引き寄せた。彼を誘う様に、少女は淡くステップを踏んでいく。ワルツなどという高貴なものではない、けれども優しく柔らかな歩みは宛ら、幼き日に友と踊る名も無き踊りにも似て。そうしながら紡がれる旋律、音に乗せられる言葉はここにいる誰もが知らぬ言葉。少なくとも、ここに居る者の祖先が使っていた古語の類でも、平素使われる言葉でも、それらの方言らしきものでもない。蓄音機の類などなく、音を発するは少女の唇、周囲のざわめき、地面を蹴る靴音だけ。はじめこそ戸惑っていた男も、少女の歌に誘われ、まるで馴染んだステップを踏むかの様に、乱れぬ動きで少女と踊る。カツン、コツンと響く音。淡い色彩の花唇は歌を紡ぎ――それは突如として、途切れた。「アッ」という小さな呻きにも似たか細い悲鳴を上げて、少女は男へ縋る様に倒れ込む。ただでさえ白い少女の肌はいよいよ青白くすらなっていた。大丈夫か、と問われるより早く、少女は薄らと微笑んで、ごめんなさいと口にする。
「少し……ふふ、疲れて、しまったみたい。ごめんなさい……今までね、私こんなふうに踊りながら歌ったこと、本当はなかったんです。普段あまり、動けないから……ふふふ、慣れないことをしてはダメですね」
 少女、エリスは静かに言葉を紡ぐ。其れにはいまだに歌うかのような響きすら孕んだ、淡い言葉だ。柔らかな光を湛える硝子玉はゆるりと瞬く。男は目を見張り、震える手で少女の輪郭をなぞり、震える唇で名を呼んだ。彼女の名でも、ベケトフの娘の名でもない。ここにいない誰か――遠い日に、旅立った人の名を、彼は紡いでいた。彼自身、無意識的に。知らぬ名に、少女は確かに驚いた。けれど、けれどもだ。其れが此処にいる誰のものでもないと悟れば淡く甘く、融ける様に笑い。その人の手に優しく触れる。今この瞬間、二人だけが切り取られた世界、月光が照らすその世界にいた。月光の光で紡がれた糸に絡め取られるように、ただあふれる星々に飲まれる様に――けれども男はすぐには、として、謝罪の言葉を短く紡ぐ。少女は気にしないでと言わんばかりに首をゆるく横へと振った。
「ふふ……いいの、いいのです。……私はエリス。未来の“あなた”を写すもの。……だから、どうかお気になさらず。……ええ、ええ、もう大丈夫……っ」
 男から離れ、自立しようとする少女は、けれども再び身体をぐらつかせる。揺らぐ世界は、再び彼が受け止めてくれたことで平穏を取り戻す。この時ばかりは箱庭にばかり閉じこもっていた己を恥じるが、其れももう今さらな事。こんなことならば色々と見てみたいからなんて欲を出さずに、昇降機を使えばよかった。だなんて後悔とてまた然り。けれども少女には一つの懸念がある。
「……それより、ええ、それより。貴方はもう、大丈夫なのですか?怖いことは、消えましたか?」
 ――そう、目の前の人の事。幻覚に怯え、幻聴に苛まれた人の事。慈愛を瞳の奥に湛え、彼を見た。大丈夫だと言う彼に、少女はただ安堵したような笑みを向ける。そうして彼は続ける。お礼になんだってするから、と。その言葉に戸惑いを覚える。果たして本当に、己は彼を助けたこととなるのだろうか。こうすればいい、という不可思議な確信こそあれど、其れが正しいかどうかなど分からない。彼の心の持ちようだけの話であったのやもしれないと、今となっては感じてしまいすらする。それでも、それでもだ。彼の申し出は今現在ひとりぼっちな少女にとって有り難いものに相違なかった。青白い頬に薄らと、朱色が戻る。
「宜しいのですか? では……その、私と一緒に下へ向かってくださる方が見つかるまで……貴方様がたと一緒に過ごさせてくださいませんか? ……お恥ずかしながら私、必要なものは持っているのですが……一人きりで何かするというのは少し、怖くて。ふふふ、変な話ですね。私が行く、と決めたのに……ああ、いえ、いいえ……ごめんなさい、つまらないお話でしたね。そのぅ……間接的には貴方様に、同行してくださる方を探してくれと言っている様な、ものなのですが……ご迷惑で、なければ。……もしもまたお気持ちが折れてしまいそうだったら、仰ってね。いつでも、うたうから」
 そう告げれば少女は静かに目を閉じた。暫しの眠りを。そうして目覚めた時にはきっと、素敵な世界が広がっていると、信じて。

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