複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.37 )
日時: 2016/10/11 07:42
名前: ポテト侍@スマホ ◆jrlc6Uq2fQ

 となればやはり神など存在しないのではないか?そりゃあ勿論、彼女とて最初は信じていた。家族はアゥルトゥラでは珍しい熱心な信者であったし、病める時も健やかなる時も聖書を読み、神への祈りを忘れず、それが幸せでもあった。それがいつからか、疑問を持ち始めたのは。やはり人買いに攫われ、とある売春宿に売られたときか。メシアが本当にいるのなら、なぜ救いの手を差し伸べてくださらなかったのか。なぜその御身をお現しにならないのか。なぜ奇跡を起こさない。ある者は言っていた「神はその奇跡を簡単にはお示しにならない」と。どうして? 皆は、奇跡を今か今かと待ち望んでいるのに。なぜ争いを止めない。なぜ病める者にその手を翳さない。なぜ飢える者にパンを与えぬ。なぜ渇きに喘ぐ者に葡萄酒を施さぬ。
何故何故何故何故?
 あぁ……。ならば、ならばせめてこの身を救っておくれ。淫売に堕ちた私を。
 それとも、操さえ守りきれなかった私は聖地〈エルサレム〉に踏み入れることさえ赦されぬのか。
なぜ人を選ぶ?神は全ての人を天国へと導かぬ。
 故に私は神を信じない。信じたところで報われないのならば、救われないのならば、救ってくださらないのならば、いっそ信仰を捨ててしまおう。私は見ているだけの残酷な神など信じない。
 とある女の独白である。


 ようやく東側が明るくなってきた。未だ空を覆う紺色の中、僅かに混ざった橙はまだ淡く、それが町全体を照らす光になるにはもう少し時間がかかるだろう。
 教会のイスに座っていたイザベラは大きな欠伸を一つ漏らす。膝の上にはジャリルファハドから借りたセノールの教典が置いてある。かれこれ3時間は目を通しているものの読み終わったのは数頁に留まっていた。辺りが暗く読みにくいのも理由の1つだが、その最たる理由はセノールの古語が頻繁に出て来ることであろう。ソーニアのようにセノールについての知識、理解がある者ならいざ知らず、アゥルトゥラの人間ならば、意味をとること以前に読み方でさえ困難である。イザベラの隣に古語辞典が坐しているのが何よりの証拠だ。しかも今とは異なる文法、殆ど使われることがなくなった文法が使用されており、理解を妨げる要因となっている。
(思ったよりもきっついわね)
 意味のとれない単語を調べ、分からない文法があれば何度も読み返し推測する。無意識に寄ってしまった眉間を伸ばすように目頭に手を押し当て再び内容に視線を落とせば知らない単語が飛び込んできた。ここでイザベラは溜め息を一つ。そしてゆっくりと本を閉じる。考えることを放棄したのだ。しばらくは髪の毛を弄ったり、古語辞典を読んだりしていたのだが、数分もしないうちに教会のドアが開かれる。イザベラは誰が入ってきたか振り向きもせず、声をかける。
「レディを待たせるなんて騎士失格じゃないかしら」
「失礼。まさか貴女を待たせてしまうなんて。このガウェス・ハイドナー一生の不覚です」
 特に悪びれた様子も無い彼はイザベラの前に立つとガントレットで包まれた手を差し伸べる。逆に引っ張って倒してやろうかと考えたが、常日頃から鍛えている男を引きずり倒せるほどの力が自分にあるとは思えず、その計画は頓挫した。
 せめてもの仕返しにとイザベラはその手を取り勢いよく立ち上がる。やはりガウェスが蹌踉めくことはなく、逆に「大丈夫ですか」と心配されることとなってしまった。子供じみた考えを恥じ、また、そんな感情が湧いてしまったが故、ガウェスの問い掛けに答えるのも気が引ける。一方のガウェスは彼女から嫌味の一つでも飛んでくると思っていた為、拍子抜けしてしまう。おずおずと差し出された紙にはミュラに関することがクセの強い文字で書かれている。スラスラと読み進めるガウェスを余所に、イザベラは教会の──磔になっている男の前に立つ。細く貧弱な体つきは風が吹いたら折れてしまいそうなほど脆く感じられ、茨の冠を被り磔刑に処されているのだ。相変わらず辛気臭い面を晒しているな、とイザベラは思う。こんな軟弱な男が人々の罪を背負い、殺され、そして復活したなんて信じられない。
 でも白状すれば……この男は今のガウェスに通ずるモノがある。先代の罪もセノールの怨嗟もたった一人で背負い、いずれその罪に潰されて彼は死ぬのだろう。復活なんて出来ない。何故ならガウェスは人間だからだ。どんなに模範的な騎士であろうと聖人ぶろうと、人は所詮人なのだ。人生は一度きり。死ぬときは死ぬ。そんな弱い生き物でしかない。
 加えて彼には苦悩を分かち合える友がいない。業を背負い、一族も背負う。その苦しみを理解し、共に支えてくれる友が必要だとイザベラは常々感じている。そうすれば、彼の荷物も多少は軽くなるのではないか。
 憐愍にも近い同情を覚えたところで、彼女はふと気がつく。今から伝える真実は彼にとって新しい枷になる可能性があると。枷をつけようとする人間がつける人間に同情するなど滑稽の極みであろう。しかしそれでも伝えねばならぬ。彼女はそのためにここに来たのだから。だから心を刺す罪の意識に気が付かないフリをした。
「ミュラちゃんについて色々気になることがあってね、ある助産師の所に話を聞きに行ったのよ。貴族の元で働いてたんだけど、事件が起きたと同時に責任とってやめた初老の女性。その事件っていうのが、その時の御当主様が妾と、その間に出来た子供を殺したんですって。酷いことするわよね。することやって出来た子なのに殺しちゃうなんて。……とまぁ、ここまでは当然の如く貴男も知っているでしょうね。何たってハイドナー最大の不祥事ですもの。でもね、これには続きがあったのよ」
 ガウェスの視線を感じたが無視をして、磔刑の男を見ながらつらりつらりと言葉を紡ぐ。
「殺された赤子は一人。でも、その妾が産んだ子供が双子だとしたら、もう一人はどこに行ったんでしょうね?」  
 恐らく彼は雷に打たれたような衝撃を受けていることだろう。ようやく振り返れば立ち竦み、唖然とするガウェスの姿が映る。常に前だけを見ているはずの瞳がゆらゆらと危なげに揺れているのを見て、やはり伝えるべきでは無かったかもしれないと自らの失態を悔やむ。しかし途中で止めることなど許されない。不敵な笑みを浮かべ自らは悪女を演じよう。コツリコツリと足音を響かせ歩き、再びガウェスの前に立った。
「極稀なケースにね、双子なのに生まれてくる時に時間差が出ることがあるんですって。二子が生まれたのは一子を生んだ次の日よ。それで、ロトスが二人を葬ったのもこの日。その時もう一人の赤ちゃんはその助産師と共にいたそうよ。それが」
「ミュラ・ベルバトーレというわけですか」
「その通り」 
「些か信じられる話ではありません」 
「信じる信じないはご随意に。でもこれが真実なの。その助産師はね、このままじゃ生き残った方にも危害が及ぶと思って、クルツェスカからなるべく遠くへ逃がしたのよ。誰かが拾ってくれるように願いを込めて砂漠に置いていった」
「赤子を砂漠に置き去りにするなど正気の沙汰じゃあない」
「そうね、正気の沙汰じゃないわ。でも、だからこそハイドナーの目を欺けた」
 もしも生き残った赤ん坊がクルツェスカにいたら早々にハイドナーに存在がバレていたことだろう。イザベラの他にもハイドナーお抱えの情報屋はごまんといる。しかし、一度関所を抜けてしまえばそこから先はアゥルトゥラの支配が及ばない世界となる。無論、あまりにも分が悪すぎる賭けでもあったが。飢えた野生動物に食い殺されるとも限らなければ毒を持つ生物も存在する。仮に人通りが多い交易路に置いていったとしても何も出来ない赤子を拾う物好きがどこにいようか。むしろ、心優しい者に気の毒だからと殺されていたかもしれない。その点に関して、彼女は非常に幸運だったとしか言いようがない。
   

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.38 )
日時: 2016/10/11 07:49
名前: ポテト侍@スマホ ◆jrlc6Uq2fQ

「どうして貴女があの助産師の所に行こうと考えたのか教えてくれませんか。もしや貴女は、初めからミュラがハイドナーの子だと知っていたのですか?」
「まさか! 仮にそうだとしたら金貨五十枚で売ってるわ。砂漠に捨て置かれるモノなんてね、限られているのよ。相当な重罪人か、消し去りたい過去の遺物、どちらかなの。赤ん坊の頃に捨てられるなんて相当な訳ありでしょう?恐らく認知することが出来ないどこぞの貴族の子供って思ってたけど、まさかハイドナーだったなんてね」
 イザベラの話を聞き終えたガウェスは憔悴したようで、長椅子に座り項垂れる。今日がベケトフとのレゥノーラ討伐の日ではなくて良かったと思わざるを得ない。こんな心持ちでいつも通りに剣が振れるわけがない。
「あの人は……彼女の師は、そのことを分かっていたのでしょうか」
「知らないわ興味ないもの。でも、彼女は優しい人だったからね、知っていたら教えたんじゃない。貴男と違ってね。……ミュラちゃんにこのこと、黙っておくつもりでしょ」
 ガウェスの考えていることなどイザベラには大体見当がついていた。
 ミュラのことがセノール連中に知られれば、報復の対象、またはその特異な境遇を何らかの形で利用される可能性がある。ロトスが知れば、ハイドナーの恥だと殺すだろう。ミュラがロトスのことを父親だと認知し、また、どういう人物か知れば傷つき、失望しかねない。それならば父は憧れの偶像のままで良いとでも考えていることだろう。
 しかし、それはエゴである。相手の気持ちも考えも一方的に決めつけているに過ぎない。相手が本当に何を求めているのか、知りもしないし知ろうとも思わない。しかも自覚が無いから余計に質が悪い。そこはやはりロトスの血を引いていると実感する。傲慢ではないが、自己中心的。それもいずれは彼を滅ぼす一因になるのではないかとイザベラは浮かない顔を浮かべる。
 一分ほど悩んでいたが、それでも受け入れる覚悟は出来たらしい。席を立った彼に張りついている笑顔はぎこちないモノであったが、足取りはしっかりしていた。
「ありがとうございますイザベラ。助かりました」
 感謝の意を伝え、教会から出て行こうとするガウェスの腕を掴む。イザベラ程度の腕力ならば、振り払い無理矢理にでも進むことは出来た。しかし己は騎士。女性は優しく扱うべきである故そんなことは出来ず、イヤでもその足を止めることとなる。
 澄んだ水色の瞳と不愉快を訴える赤みがかった瞳、互いが互いを見据える。
「待って。私はまだ貰ってないわ」
 等価交換しろと、彼女はそう言っているのだ。ガウェスがイザベラに依頼したのはミュラの身辺調査。一方イザベラがガウェスに提示した条件は病の特効薬。それをまだ受け取っていない。
 これは不公平であると訴えているイザベラに対し、ガウェスはいつものように柔和に笑いかけることはしなかった。彼らしくも無い、まるで笑い方を忘れたピエロのように静寂と不気味さを持って彼女を見下している。感情が抜け落ちた無表情。イザベラは知っている。この顔をするときは人を殺めるとき。しかも嘘や裏切りといった彼の騎士が最も嫌悪する罪を犯した咎人を、この手で断罪する時に見せるもう一つの顔。
 彼女は初めてガウェスという一人の人間に恐怖を抱いた。同時にここから先は踏み込んではいけない気がした。直感、第六感、野生の勘。自分の中にないはずの感覚が警鐘を鳴らす。ここで何事もなかったかのように手を離し彼を行かせれば何事もなく終る。
 しかし……、イザベラの脳裏に浮かぶのは狂人に成り果てた友の姿。体中に青い斑点を作り、獣のように意味の無い金切り声をあげる自分よりも幾分か若い女性。このまま放っておけば謎の病は色町を中心に、更に蔓延するだろう。その前に潰さなくてはならない。彼女にも守りたいモノがあるのだ。
「ねぇ、まさか調べてないとか言わないでしょ? 貴方が明日迄って言ったのよ」
「どんなモノかは大体見当がついています。薬は必ず作ります。だから」
「えぇ、薬は待ってるわ。でもその前に何の病気か名前くらい教えて。そうすれば対処法ぐらい自分で調べるから」
「しかし」
 さっきとは打って変わって狼狽えるガウェスにイザベラは云いようのない怒りを覚えた。彼は先ほどのミュラの件と同じ。イザベラが傷付かないようにと要らぬ気を遣っているのだ。そんなに狼狽えるから、優しすぎるから、父親にもバシラアサドにもなめられるのだ。射殺すような視線から目を逸らせば彼女の白い手が頬を包み、無理やり顔の向きが変わる。イザベラを真正面から見つめる形になり、瞳に困惑の色が大きくなる。
「逃げないで! ねぇ教えて。約束を反故にするなんて赦さないわよ。それでも言わないなら……いいわ。ミュラちゃんの情報をベケトフ、バシラアサド、ジャリルファハド、本人、新聞社にだって売り込むことにするから」
 優男は娼婦の脅し文句に驚き、すぐに不快感を露わにした。卑怯だとイザベラを非難しているのだ。  
 見つめ合いというにはあまりにも剣呑な雰囲気にイザベラは息を呑む。思わずここがベッドの上だったら良かったのにと場違いなことを考えてしまう。ここにはムードもロマンチックの欠片も落ちておらず、腕のいい狩人に狙いを定められた野鹿になった気分であった。それからほんの数十秒の沈黙。張り詰めた空気だけが二人の間に流れ、そして、ようやくガウェスが「全く」と半ば呆れ果てたような口調で話し出す。
「本当に貴女は……、鋼鐵の意思をもつ女性だ」
 睨み合いの末、根負けしたのはガウェスであった。頬を包む手を片方をとると、振り払われる前にキスを一つ落とす。日常の動作のように滑らかで自然なイザベラは一瞬呆気にとられ、しかし、何をされたか理解すると安易にキスをするなと云わんばかりに足の甲を踏みつける。そして手を振り払い、スカートの裾でキスを落とされた部分を拭う。
「尊敬のキスなんて安っぽいモノはいらないわ。するなら唇か胸に頂戴な」
「それは出来ませんね。クイーン・マブにそんなことをしたら精魂果ててしまいますから」
 クイーン・マブとは夢を支配する妖精のことである。夢魔でもあるそれは、多くの男性と婚姻と肉体関係を結んだコノートの女王メイヴとしばしば同一視される。メイヴは気に入った戦士がいると寝室に呼び、一夜を共にするなど色恋に関して奔放なところがあったという。ガウェスは多くの男性を虜に、翻弄する彼女をそう例えたのだ。褒めているのか、売女と貶しているのか、イザベラは複雑な顔をする。一方のガウェスはニコニコと笑うだけ。どんな思惑があるのか考えるのは無駄である、と早々に見切りをつけて懐から煙草をだす。仕切り直そうというわけだ。
 クルツェスカでは珍しいピンクの巻紙を使った煙草の煙は仄かに薔薇の香りがする。ガウェスもイザベラの意図を汲んだ様で、彼女が煙草を吸い終わると「さて」と口火を切った。
「先ずは謝罪を。私は貴女との約束を反故にしようとしました。一般市民である貴女を巻き込むべきではないと思ったのですが……そうですね。貴女は知っておくべきかもしれない」
 彼にそこまで言わしめる病とは何なのか、イザベラは気を引き締める。
「貴女の宿で流行っている病。それはただの病気じゃない。阿片。正確に云えば阿片の乱用によって引き起こされた中毒症状です」
 あぁ、真理とはなんて醜いものだろう。予想の斜め上を行く真実を告げられ今度はイザベラが言葉を失う番である。嘘だろうと訴えてみるもガウェスが嘘をついているようにも思えない。そもそも取引で嘘をつくような愚かな男ではない。
 ようやくクルツェスカに日が上ったらしい。ステンドグラスが光を放ち始め、朝を告げる鐘が鳴った。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.39 )
日時: 2016/10/10 00:26
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 色街を抜け、二人は大路を歩む。

 ジャリルファハドは東から差し込む橙色の太陽光に目を細めながら、サウィスの袖を捲くった。右腕のタトゥーが衆目に晒されるが誰も気に止める事はない。そもそも刀と肌の色でセノールだと一瞬で判別される。であれば、砂漠のそれとは違う暑さを少しでも凌げるようにするのみ。
「ふぁーあぁぁ……、ねむっ……」
 大口を開け、それを隠す様子もなくミュラは欠伸を一つ。品がないと苦笑いを浮かべ、ミュラを横目で見やる。結局、ジャリルファハドに時間が来たら起こせと言い放った五時から二時間後、七時に起こすも、素直に起きる事もなく八時をやや過ぎるまで、ベッドの上で燻っていたのだ。
 既に時間は八時を四半刻ばかり過ぎた頃。ソーニアは既にカンクェノの守衛所前に居る事だろう。
「ミュラよ、過剰な睡眠は毒だ。人生の浪費に過ぎん。余り感心はしない」
 人の一生は短い。那由他の時を重ね、刻んできた歴史の中では刹那の如く。ならば一時、一分、一秒を無駄にするべきではない。眠らずに生きていけるのであれば、その様に生きていたい程である。日が昇るうちは己の身体を鍛え、夜は知識を修め、心を鍛える。己との聖戦に時間を費やせる事であろう。
「そんなめんどくせぇ事考えて生きてんのかよ」
 セノールの哲学、思考はミュラに理解は及ばない。そんな事を気にしながら生きるなど、堅苦しさに嫌気が差してくる。
「人は考えなくなったら、最早人ではない。人は万物の霊長ではない。寧ろ自然に置いては最たる弱者であろう。故に我々は考え、霊長のふりをせねば生きられぬのだ」
 人は弱い故に考え、創意工夫を以ってして生きる。そうでなければ過酷な自然では生きていけない。ジャリルファハドの言う事は尤もだとミュラも思いこそするものの、常日頃からそういった思考に縛られる必要はないだろうと、異を唱えたくなるのも事実。そういった危機に直面してからでも問題はないだろう。即ち行き当たりで生きたとしても人間は生きている、とジャリルファハドの主張には反する。
「朝っぱらから哲学聞きたくないぜ」
「お前、俺が黙れば“何か喋れ”と無心するではないか」
 思い当たる節が幾つかあったミュラはジャリルファハドに振り向く事もせず、明後日な方向を見据えた。
 昨晩、あの宿でもジャリルファハドの言う通りであった。沈黙に耐え切れなくなれば、話をせがむ。その都度彼は自分の作業を取り止める、もしくは片手間応じてきていた。主に語ったのは歴史、文化、古語。彼が今まで培ってきた知識、見聞であった。砂漠で己を律するための法しか知らないと思っていたセノールが在ろう事か、敵であるアゥルトゥラに精通していた事は驚かされたものの、ミュラの頭の片隅には殆ど、それらの情報が残されていなかった。
「なっ……、良いじゃん、別に」
 図星を付かれたかのような返答をするミュラの背に対し、やや呆れたような視線を向けながら仕方ないかと内心、ジャリルファハドは一人ごち、路地を見据える。視線の先には幾人かのセノール。此方を見て何か話しているらしく、タトゥーから読み取る限り、ジャッバールの者。何か企んでいるのだろうが、知った事ではない。関わらなければ良いだけである。
「お前、ソーニアにそれをしてみろ。奴は朝から次の日の朝まで語るぞ。それこそお前の頭が爆発するまでな」
「……めんどくさくね?」
「学者や技術者というのは一様にそういう者だ」
 振り返ったミュラは何処となく戦々恐々とした様子であった。どれ程、頭を使いたくないのかと呆れ、侮蔑するような視線を向ければ彼女は、僅かに怒りを露にした様子だった。それを木に留める事もなく、ミュラを抜き去り守衛所前まで足を急ぐのであった。



 守衛所の前にはライフルを抱き抱えるようにして、地面に座り込んだソーニアの姿があった。強い朝日を浴びないように日陰に隠れ、此方を見据えていた。ある程度まで近付くと彼女も歩み寄り出し、何かあったのかと問い詰めるような視線を向け始めた。
「おはよ、随分遅かったね」
「あぁ……、此奴が起きんのだ」
 ミュラを顎で差すと、彼女は都合悪そうに視線を逸らし、心なしかソーニアと距離を置く素振りを見せた。どことなくジャリルファハドに対して噛み付くミュラらしからぬ素振り。人を見ているのだろうかと、ジャリルファハドは疑問を抱き、首を小さく傾げる。
「ミュラもおはよう。よく眠れたみたいね」
「それでさっき寝過ぎだって、怒られたんだぜ」
 まるで告げ口するかのようにソーニアに伝えれば、彼女は困ったように苦笑いを浮かべながらジャリルファハドを見据えた。場を円滑に納めようとでも言うのだろうか。惰眠を貪り、時間にだらしないのは悪徳である。言葉に出さないが、ソーニアに取り合う気はないとジャリルファハドは視線で返す。
「まぁ、寝る子は育つから……」
「ほら、見ろ。ジャリルファハド。ソーニアだってこう言ってんだろ」
 正当化するような物言い。勝ち誇ったかのようにジャリルファハドへと向き合うも、彼は相変わらず仏頂面を浮かべ、口を閉ざしている。何か言いたげなその視線に、ミュラの勝ち誇ったような表情は消え失せ、再びソーニアに助けを求めるかのように伏せ目がちに彼女へと視線を向けた。
「……二十も手前、十も終いになってそんな事を抜かすか。――お前はもう育つまい」
「どういう意味だよ!」
 静かに語り、次いでに嘲笑うような最後の一言。ジャリルファハドへと食って掛かるミュラを見ながら、ソーニアは穏やかに笑っていた。ミュラはジャリルファハドに遊ばれているような印象を抱いたからだ。彼等の縁の長さこそ知らなかったが、猛るミュラと平静を保つジャリルファハドからは平穏という空気が感じられるような気がしてならなかった。
「へー、ミュラってやっぱ見た目通り若かったのね」
「そういうソーニアは幾つだよ?」
「もう二十代も終わり。私が一番年上」
「へぇ、三十手前。おばさんになりそうなのか」
 ミュラの口から飛び出た弾丸のような言葉はソーニアの眉間を穿つ、無慈悲な代物であった。ショックだったのか、ソーニアは暫く凍りつき、哀れむジャリルファハドの視線が更に悲痛を訴える。何が起きたか分からないミュラはジャリルファハドとソーニアの間で、視線を往復させて戸惑っている様子だった。
「ソーニア、お前には此奴を撃つ権利がある。如何に」
「……少し考えておくわ。――取敢えず行きましょう? もう立入の名簿は出してあるから」
 どことなく翳りのある表情でソーニアは二人を先導する。自分ももうおばさん。確かに行かず後家などと揶揄されているのは知っているが、面と面向かって言われると堪えるものがある。セノールの友であるハヤですら既婚者、バシラアサドは既婚ではないにせよ子持ち、半ば家庭があるようなもの。出遅れた、出る機会はもうない。そんな負の思考に苛まれながら、足取り重くカンクェノに向かうのだった。
 


 薄暗がりの中、重厚かつ硬く冷たい石の感触を踏みしめる。どことなく黴臭く、湿度を持った冷たい空気が体を冷やす。ジャリルファハドもサウィスの袖を下ろし、入り口から差す日の光を惜しむように見据えていた。
「……暗いなぁ」
「照明付けるから少し待って」
 腰から吊り下げた鉄製のランプに火を灯す。錬金術で作られた不燃硝子と高耐熱性を持つ鉄で作られたそれの中では、同様に錬金術で作られた燃料を燃やしている。物珍しい代物にミュラは目を奪われ、その輝度の高い炎は辺りをとても明るく照らしている。セノールには禁輸措置を取られているその燃料を見て、ジャリルファハドも感心しながら、明るく照らされた壁を指でなぞる。
「アゥルトゥラの先人も凄まじい限りだな。巨石を積み地下へ延びる遺跡を築くとは……」
 過去を投げ棄て、今と未来ばかりを見据える者達が作り上げた、決して忘れられない遺跡。恐らくは此処は忘れ去られず、過去として割り切る事が出来ず、こうやって使われなくなったのだろう。過去に目を向ける者達が居なかったら、此処は既に打ち壊され埋められていたかもしれない。
「……私はこれ人間が作った物じゃないと思うのよね。これは世界中の自然発生する魔力を食い尽しながら成長している。言うならこれは魔物よ」
 ソーニアの語る事はオカルトに駆られた妄言のように感じられ、ジャリルファハドは顔を顰めた。無尽蔵に成長を続けるならば何を目的にそのような事をしたか、そもそも成長に伴う空間や、地底に存在していた土はどこに行くといのか。様々な疑問などが生じてくるが、ジャリルファハドが最初に問うのは、己の命に関わる事柄であった。
「もう五百年も昔からあるのだろう? であれば下層が自重で自壊するだろう。それに空気はどうなっているんだ」
「不思議な事に自壊した痕跡は未だに見つかってないわ。それに空気もちゃんとあって呼吸できるのよ。更には七十六階にだけ人が暮らした痕跡があったりして、分からない事だらけ」
「七十六階……? それだけ地下に歩いて潜んのかよ、階段とんでもない数になるじゃん」
 ミュラの心配は確かにその通りである。発掘の最前線に辿り付くまでの間に、疲労困憊となり、地上へ戻るまでが一苦労となる。
「あ、それは大丈夫。電動の巻き上げ機を使って昇降出来るから。まぁ、そのせいで階層突破する度に遺跡の一部を壊さなきゃいけなくてさ。ちょっと心苦しいんだよね」
 一言で心配を払拭したソーニアの表情は、何処となく翳りがある。ミュラに年増呼ばわりされた時のそれとはやや異なり、己等が地下へ向かい、歴史を紐解こうとする度に培われてきた歴史を破壊してしまう。歴史の探求者であると同時に、歴史の破壊者と成りえる現状を不満に思っているかのようだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.40 )
日時: 2016/10/14 16:13
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU

 例えば、螺旋を描く様に。問答は延々と続いていくのかもしれない。世界の原則とは、約束事とは何であるのかしらと少女は問う。けれどもそんな事、誰も知りやしないのだ。それこそ神様以外に。
「ああ、可哀想! 可哀想な貴方様! 神様なんてこの世に存在しやしないのに!」
 少女は語る。悲しげに、憐れむように。哀悼をその瞳に湛えて。救いもない、導きもない。それは、それだけは、今の少女にもわかる事。何も知らない彼女が知りうる、一つの真実。――されど、真の救いが、導きが、真実にあるなれば、それは。

 翌朝、相も変わらずベケトフ邸は穏やかな空気が流れる中で、一日の始まりを迎えていた。朝食の時間も終えて、各々が為すべきを為さんと動き出した頃、邸へと一人の訪問者が或った。当主よりの手紙を預かってきた、というハイドナー家使用人の女性である。本来ならば丁重に出迎え、感謝を告げるべき所であろう。良ければ朝食でも、と彼女を出迎えた男は口にはしたけれど、彼女が断ったのだ、と語ったのは彼女を出迎えた男改め、ヨハンであった。どうもね、と軽い口調で彼女を見送りウィンクをひとつ。ひらり、と手を振ってから踵を返し、向かうのは雇い主たる男の部屋だ。その前に屋敷のご令嬢へ朝の挨拶でもと思ったが、今は仕事が優先であろう、と思ってのこと。ノックは二つ、どうぞ、と穏やかな声は屋敷の主のものだろう。断りの言葉は存外ゆるい語調で紡がれ、ヨハンは扉を開いた。室内にある影は二つ、椅子に腰掛ける男と、その傍に立つ娘のもの。
「あ、ヴィッヒ……ん、んんっ。ハイルヴィヒさんもいたんですね」
「……なんだ、いたらまずかったか?」
「いっやぁ、まさか。ただスヴェータお嬢さんと一緒かと思ってたんですよ。なにせもう出発でしょう? だから、少しでも長く一緒に居るもんだとばっかり」
眉間に皺を寄せる娘、穏やかに微笑む当主に、へらりと軽い笑みを浮かべる男。三者三様異なる反応を見せつつも、ヨハンは当主、ユスチンへと先程受け取った手紙を手渡した。
「ハイドナーさん所から、お返事みたいですよ、ご当主殿。……いやぁ、はは、ハイドナーさんも真面目ですねぇ。急ぎの文章でも大分きっちりした形でお返しくださった」
相も変わらぬヘラヘラと軽やかな笑みを添えて、ヨハンは語る。真紅の封蝋には、かの家の印がきちんとスタンプされている。汚れ一つ無い白い封筒は、きっとこの手紙を持ち寄ってくれた使用人も丁寧に此れを扱った証拠であろう。ともすれば、成る程実に良い、とばかりにユスチンは頷いて、封を切る。取り出した便箋を広げて、内容を読み込む間、ユスチンはもちろん、ハイルヴィヒもヨハンも、ただただ無言であった。静かな空間に響く音は、わずかに開いた窓から入り込む音ばかり。鳥の鳴く声、風が木々を揺らす音。紙と紙とが擦れる音。けれどもどちらも微かなもので、息の音すら、鼓動の音すら聞こえそうなほどの静寂。其れを破るのは、手紙を読み終えたユスチンである。
「……はっはぁ、ふぅん。…………成る程ね。……まあとりあえず、ハイドナーはやっぱり協力してくれるらしいからね、うんうん、其れは有り難い、と言った所かな」
 其れは、に込められた意味を、薄々ながらも悟ったヨハンはやれやれとばかりに肩をすくめ、ハイルヴィヒはほう、と小さく零す。薄らと思い返していたのは過日、手紙をユスチンより預かった時の事。ガウェスからの返答のみであったならば、なるほど、納得が行く。何時しかかの家の御大に“お世話に”なるやも知れぬと内心思うばかり。ヨハンの方はなんとも言えぬ、強いて形容する為ればにんまり、とでも言った所の笑みを浮かべたままで、ふわりとした金髪の髪先をクルクルと巻いて手遊びを始める始末である。些か悪い方の予想通りとも為れば、ユスチンとても笑うしか無かったらしい。カラカラと喉を鳴らし、手紙を再び折りたたむ。吐き出す息はさて、何を示すか。そんな事きっと言うまでもない。ああ全く、予想通りもいいところ、このまま進めば破滅は何方か。世界は何かの導きどおり? さて其れは誰も知らぬ事。ゆったりと娘と似た色の瞳を2人の傭兵へと向けるユスチンは、至極、穏やかな笑みを浮かべたままであった。
「さて、と……ハイルヴィヒ、悪いんだけれどちょっとスヴェータの所に行ってあげてくれないかな。話さないで出掛けたら、きっとあの子もひどく悲しむだろうからね。言いくるめろ、とは決して言わないから、少し話してくれるだけでいいんだ。……お願いできるね?」
「勿論です、ユスチン殿。……お嬢様とお話し出来るなれば、私とて……喜ばしく思うばかりですから」
「で、ヨハンは少し話があるから、残ってくれると助かるよ。……其れじゃあハイルヴィヒ、よろしくね」
 ユスチンの言葉に、ヨハンは頷き、ハイルヴィヒは一礼してから部屋を出た。扉が閉まる音がすれば、部屋の空気は瞬間、色を変える。穏やかなばかりの其れではない。宵闇の一端が僅かに舞い込むかの様に、夜の帳が再び僅かに降りたかの様に。ただただ世界が色を変えた。優しい秘密、偽りまみれの夢、喩えるならば、名を付けるならば――。
「……いやぁ、ユスチン殿ー。本当に良いんですか? お嬢さんの事、外に出して」
 さも、面白くて堪らぬ物語を堪能しているかのように、ほくそ笑む笑い方そのものな笑みを浮かべたヨハンは相も変わらぬ、軽い口調でそう紡ぐ。頑なに娘を外に出さぬとしてきた父は此度、一つの決断を下した。
「……うん、うん。ほら、ね、スヴェータも……いつかは大人になるんだ。なら……結局、僕が死ぬ前に外には出てもらわないと、外を知ってもらわないといけないからね」
 ユスチンの言葉は、至極真っ当でありながら確かな矛盾と違和感を孕む。ちらり、とユスチンを見やるヨハンの瞳は、喩えるならば冬の湖。奥底に沈む1人を覆い隠す湖面の色。可愛い可愛い一人娘、可哀想な籠の鳥。外への鍵はきっとこの屋敷に隠されている。他でもない、父親の手によって。そしてその鍵を使って扉を開くも閉めるも、父親の自由なのだ。開かれる扉は仮初の自由への入口、いやはやこれは全く、全く哀れで滑稽で、なんと悲しいお話だろうか! そうとも思えばヨハンはただ、只々、ほくそ笑むばかりである。
「はいはい、了解してますよ。それとなく、自然に、お嬢様を迅速にお外へ。できる限り早くハイルヴィヒさんと合流していただいて、それでまあ、安心でしょうね。それから、暫くしたらお嬢様だけでも先に帰ってきてもらう、と……すべて滞りなく、準備は、ええ、終わらせておきましたから」
「うん、完璧だね。いやぁ、うちには優秀な部下が多くて助かるよ」
「およ、僕らの事、部下っておもってくださってるんですか? いやぁ……うん、嬉しいですね、素直に。ま、これからも存分に使ってくださいね〜。お給金きっちり貰えてる限りは、相応の働きをさせていただきますんでね」
 へらへらと笑いながら、それじゃあやる事やってきますね、と添えてヨハンは部屋を出る。廊下を歩むその最中、手先は再び髪をいじりながら、ぽつり、と言葉を落とす。全て独り言、なんでもないただの傭兵の戯言だ。
「……本当はそれだけじゃあないでしょうに。お外は怖い怖い、こわぁい場所、良い子の寝床はこのお屋敷。お姫様がそれを学べば、お外なんて嫌だと閉じこもる。そうでなくとも少なくとも外へ行こうという気力は削げる。いやぁ、永遠に外に出たく無くなるように自主的に仕向けた……とするならば。ああ、なんて悪い父君なんだか」
 そこまで言い終えて、ヨハンは足を止める。クック、と喉を鳴らして、堪えきれないとばかりに肩を揺らす。左手で己の顔を覆えば控え目に、けれども只、愉快そうに笑うばかり。
「――ははは、はははぁ、いやいや、流石に、ははは、これは、ははっ。冗談冗談……っとぉ」
 一頻り内々に秘める言葉を吐き出せば顔を上げて、いつもと何ら変わらぬ“ヨハン・クリューゲル”の顔をして、歩み出す。何せなすべきは、まだ色々とあるのだから。愛とは時として、狂気であるか。

 ノックの音はふたつ。白い扉に隔たれた部屋から響くのは甘く柔らかな鈴の音にも似た声。今日もまた、私です、とハイルヴィヒが告げるよりも早く、扉は開く。扉の向こうから現れたアクアマリンがキラキラと輝いて、白い頬は薔薇色に染まる。伸ばされる白く細い、ドールのもののような手がハイルヴィヒの手を掴んで、部屋へと招くように引っ張った。ハイルヴィヒもその導きに逆らうこと無く部屋へと足を踏み入れる。ハイルヴィヒが後ろ手に扉を閉めるのと同時、融けそうな白い腕は、ハイルヴィヒの身体を抱きしめる。
「…………待ってた、待ってたの、待っていたのよハイルヴィヒ。……もう行ってしまうんでしょう……? ……お茶、飲んでいく時間、ある……?」
 決して、おどろおどろしい儀式のための言葉ではない。決して、命じるような力強い言葉ではない。決して、何かを強制させる様な響きのある言葉ではない。けれども、まるで逆らえない。頷くしかない。秘密の呪文を囁かれたかの様に、世界に縛られたかの様に、ハイルヴィヒ・シュルツはその言葉を否定出来ない。否、恐らく、この屋敷に住まう人間全て、この言葉を、否定出来ないのだろう。理由など知らない、知る由もない。ただ一つ、彼女が紛れもなく少女であるという真実だけが、此処にある。
「……ええ、勿論。お嬢様の為なればこのハイルヴィヒ、いくらでも時間を作ります。」
 ハイルヴィヒ・シュルツは彼女の前でのみ柔らかに微笑む。慈しむように、愛おしむように。叶うならば跪き、その手を取り、柔らかに微笑みたい衝動に駆られながらも只、優しく、細い体躯を抱きしめ返した。2人きり、柔らかな空気はけれども、閉ざされた場であるからこそ其処にあるもの。許されざる世界の在り方が存在するなれば、きっと。少女が少女であり続け、彼女が彼女でありまた別の娘が少女であるならば、いつまでも続く、仮初の永遠だ。2人きり、秘密の夢は、温かな紅茶と、甘いお菓子と共に。ささやかな茶会は永遠には続かない。此処には狂った時計はないし、そも、これは狂ったお茶会ではないのだから。ハイルヴィヒには出立に置ける最終確認が待っている。刻一刻と出立の時間が迫るとも思えば、平素よりも時が過ぎゆくのは早く感じられる。
「ねえハイルヴィヒ、今回はハイドナー様やニコルソン様にもお会いするのよね?」
「……ええ、そうですが……何か、伝言でも或るのですか? そうなのでしたらきちんと、お伝えいたしますけれども」
 不意にスヴェトラーナが零す言葉に、ハイルヴィヒはゆるく小首を傾げてみせる。そうして笑顔のままのスヴェトラーナはハイルヴィヒがティーカップをソーサーへと乗せた折にハイルヴィヒの傍へと歩み、彼女にそっと、耳打ちを。秘め事を、約束を、告げるために。
「ニコルソン様には是非、また我が家にいらしてくださいな、と。……ふふふ、ニコルソン様のお料理、本当に美味しかったのですもの。幾度、幾度伝えたって足りないくらいに。ハイドナー様には……ふふふ、どうぞご自愛なさって、と。……太陽の光が、輝きを増すほどに、明暗は強くはっきりと分かれるものだわ。……光あるところに影はある。いえ、いいえ、光があるからこそ影があるのですもの、何せそれらは、表裏一体なのですから。……それから、それからね……ハイルヴィヒ、貴女にも、言わないと。……きちんと、帰ってきなさい。……約束よ、絶対、だからね」
 そうして少女の白い手は、ハイルヴィヒの手を優しく握りしめる。祈るように、願うように。そうしてそのまま其の手を口元へと誘い、掌へと口付けが落とされた。愛しい人の無事を祈って、懇願を其処に。。ハイルヴィヒはただ驚いて固まって、数秒。不意に息を吹き返したかの様に、久々に息をするような感覚に襲われながら息をする。少女の手を優しく握り返して、その甲へと口付けを落とす。敬愛の意を込めて、帰還の誓いを、其処に。
「……ハイルヴィヒ、ハイルヴィヒ……約束、破ったら嫌よ、嫌だからね。……絶対、絶対……絶対だからね」
「ええ、お嬢様。貴女との誓い為ればこそ、破られることは無き様、努めます。……ですがどうか、“絶対”ばかりはご容赦を。……申し訳ありません」
「…………意地悪ね、ハイルヴィヒ。でも、すき。そんなところが大好き。……でも貴女の無事を祈るくらいは、許してくれるでしょう?」
 スヴェトラーナはコロコロと笑う。ほんの少しの寂寥感を其の笑みに織り交ぜて。少し待っていて、と告げて、ハイルヴィヒの傍を離れればチェストの上に置いてあった小箱から、薔薇の花を象った装飾に、赤い宝石――ガーネットが添えられたイヤリングを取り出す。それを握りしめてハイルヴィヒの傍へと戻れば、ハイルヴィヒの耳元に花を添える。相も変わらぬ、柔らかな笑顔のまま。そうしてそぅ、と唇を寄せればイヤリングへと口付けた。
「……お守り。ガーネットは兵士のお守りだったというから……貴女の無事を祈って、何事もないことを祈って。ふふ、月の魔力が、貴女を守るわ。魔法は既に廃れても、願いと祈りの力は、きっと今もまだ。だから……どうか、持っていて」
 懇願するかの様に、細く震える声であった。危険が皆無とは言えぬ場所だ。だからこそ、ハイルヴィヒが向かう。それだけの事だというのに。彼女は、スヴェトラーナは、ドールにはめ込まれた澄んだ硝子玉の様な青い瞳を薄っすらと潤ませてすらいるのだ。引き込まれそうなほどに澄んだ瞳を、いっそ口にしてしまえたらとすら思えてしまう。我ながら何と悍ましい、とハイルヴィヒは双眸を閉じ、短く息を吐いた。そうしてから、スヴェトラーナの手を取って、優しく握りしめる。
「ええ、勿論です。……ありがたく、頂戴いたします、お嬢様」
 優しい声、柔らかな場所、たとえ如何なる事があろうとも、月明かりの下に咲き誇る薔薇が守ってくれる。そんな気すらしてしまった。ハイルヴィヒの出立まで残る短い時間、過ごす優しい時間は、二人の少女の美しい思い出の一つと相成るか。――其れは2人だけが、知る所。
 そうしていざ訪れる別れの時に、スヴェトラーナがひどく寂しげな表情でハイルヴィヒを見送ったことは、また後の話だ。屋敷を出たハイルヴィヒは只真っ直ぐ、向かうべき場所へと、向かう。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.41 )
日時: 2016/10/17 03:00
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 昇降機を降り、歩み進めれば少し開けた所に喧噪が存在した。石壁の天井が冷たい視線で、その喧噪を見下ろしている。
 照明として松明が灯され、激しく燃え盛るそれは淡い橙色で当たりを照らしていた。それらが点々と彼方此方に並んでいるおかげで、上階と比べて空気は暖かく、適度な湿度のおかげで過ごしやすく感じられた。
 辺りには宿舎のような建物や、保存食ばかりであるが露店があったり、休息には打って付けな茶屋まで存在し、そこに屯する学者や彼等に雇われたであろう傭兵、ジャバールの私兵達は和気藹々と何か言葉を交わしている。彼等は業と自分達以外に分からないようにと、セノールの古語で話をしている。「ガリプが来た」と短く一言を発している以上、既に情報は末端まで伝達され、警戒されているのだろう。
「ちょっとした街のようだな」
 二町歩ばかりの広さの空間に建造された建物は所狭しと並び、人々の息衝く独特な空気がそこにはあり、この拠点はだいぶ前から存在していると読み取れた。
「まぁね、レゥノーラの掃討が完了し次第、拠点を設けるのがカンクェノ発掘の定石だから。此処以外には十階毎に五十階まで拠点があるよ」
「これだけの街を何日で拵えたのだ」
「四日、単純に木材を下ろして、組み上げて急拵えの街を造るだけならそのくらい。水路を引くには二週間くらい掛かったけどね」
 淡々とさも当然のように語るソーニアにジャリルファハドは感心していた。アゥルトゥラは富み、人間の数も多く、資源、資材を大量に持つ。それ故に地下発掘にそういった資源を大幅に割けると考え至る。ともすれば再びセノールがアゥルトゥラと争うとした場合、拠点を虱潰しに叩き、砂漠から追い出した後、二度と砂漠に立ち入らせないための徹底的な抗戦を要するであろう。そうなれば練度はともかく、資源、頭数に劣るセノールは疲弊し、ゆっくりと戦線を瓦解させていくことが予測される。
「うおー、すっげぇ……」
 突然ミュラが驚いたような声を上げ、ある方向を指差した。彼女の指の先には、幾つもの木箱に積まれた赤く光り輝く結晶がある。それも山のようにだ。ソーニアはそれを一瞥するだけして、別段珍しいものでもなんでもない様子であったが、ジャリルファハドもミュラ同様にそれに目を奪われた。
 先日、ソーニアの鞄に詰め込まれていた賢者の石、パラケルススの遺産そう呼ばれる物質。あれだけの量があれば壮観であった。それが淡い炎の光を受け、自らの中で乱反射して光り輝いている。異常な硬度を持ち合わせず、加工が容易ければ、錬金術の触媒としてだけではなく、それ以外の装飾品などへの使い道もあるだろう。
「遺跡を発掘してアレを持っていくなら何も言わないけど、ただ乗り込んできて発掘もせずにアレだけ持っていく人達はちょーっとね……」
 ぼそりと呟くソーニアは苦々しい笑みを浮かべていた。ソーニアからしたら真に価値があるのは過去の遺物であり、賢者の石ではない。過去の遺物に目もくれず立ち入る輩が邪魔で邪魔で仕方ないのだろう。
「そのような奴等が居るのか」
「……近々、ハイドナー、ベケトフの有志連合がレゥノーラ掃滅の旗印の元、カンクェノ入りをする。ジャッバールと衝突しなければいいんだけど……」
 暗にその二家がそうだとソーニアは言いたげであった。学者からすれば僅かなそういった行為も、そればかりとして目に写ってしまうのだろう。また、その二家が問題を起こさないかと不安視しているようだ。
「物々しいな」
 ソーニアの発言から地上の諍いが地下にまで伝播してきている事が予測された。ハイドナーとジャッバールの関係性はともかく、そこに日和見を選択し続けるベケトフが加わるとなれば、力の均衡が崩れかねない状況となるだろう。
 ジャッバールがベケトフに手を掛けるとするならば、彼等は意趣返しを行うのは目に見えている。ともすれば愈々、本格的に抗争が始まる可能性がある。今までの小競り合いでは済まないのだ。
「前にもハイドナーとジャッバールで揉めて、ハイドナーが一方的に鉛弾ぶち込まれるなんて事があったけど、――そうあれで」
 ソーニアが指を差すのは架台に乗せられた複数の銃身を持つ銃。カルウェノやアゥルトゥラでは未だ持ち得ない北方から流れてきたガトリング砲などと呼ばれる銃器である。遺跡の通路においては、その制圧能力の高さから圧倒する事も容易い。ジャリルファハド自身もセノールの土地で、それの原型を見ていたが、クルツェスカで完成しているとは知り得ていなかった。当時、設計者であるハヤが漏らしていた「弾は全部共用にする」という言葉通りにライフルの銃弾と共用にされていたならば、一発で致命傷となりうる凶悪な代物である。
「あれをこの遺跡で撃つか……、無関係の者まで巻き込みかねん」
「えぇ、それでも私たちのような学者はジャッバール支持者が多いのよ? 遺跡に常駐してて、同行を許可してくれるし、階層突破に力を入れてるから発掘も捗るしね。寧ろハイドナーが目の敵。何を根拠に遺跡の管理者なんて名乗ってるんだ――、邪魔以外の何者でもない――、って皆ね」
 ソーニアの言葉は学者達の総意であるようだった。遺跡の発掘に対し、立ち入りの制限を掛けたり、遺跡の管理者を名乗るくせにたまにしか来ないなど、様々な不満があるのは違いない。しかし、それが遺跡内での力の均衡を崩さずに居られる理由であろう。ジャッバールがハイドナーに成り代わり、彼等が今までやって来なかった事をする事により、支持を得て多少の狼藉、暴虐を看過してもらえるようにと頭を回した結果であろう。
「何人ハイドナー勢は死んだのかね」
「両手、両足合わせても足りないくらい。それ以外にも投降したハイドナーの人間を連れ帰って、処断したとかって話もあるわ」
「敵勢に対する礼節は尽くすのだな」
 セノールにおいて投降は恥。故に投降した敵は一時、捕虜として身柄を預かるが一様に処断するのが慣わしであった。セノールから離れていったジャッバールがその礼節を守っていたという事にやや驚く。尤もジャッバールからしたら、敵勢を少しでも減らそうという意思が働いた故かも知れないが。
「あぁ、やっぱりそういう文化なのね」
「然り。本来なら刎頸か、放逐を選ばせるが……、此処では放逐したとて死なぬからな」
 淡々と言葉を交し合うジャリルファハドとソーニアであったが、それを黙って聞くミュラからしたら異質すぎて空恐ろしいものを感じざるを得なかった。投降したなら殺す理由はなく、それは文化の一言で片付けられる物ではないだろう。やや引き気味になりながら、ジャリルファハドから飛び出た「刎頸」という言葉に首を傾げた。
「“ふんけい”ってなんだ」
 二人へ向き直り、ミュラは疑問を口にする。その疑問が二人の耳に届くなり、歩みが止まり四つの瞳が、何処となく呆れたような視線をミュラへと向けるのだった。
「俺もこのくらい馬鹿に生きられたら、色々と楽だったやもしれん」
「えぇ、私もそう思う」
「二人して馬鹿馬鹿言うんじゃねぇよ!」
「私は馬鹿なんて言ってないよ。……まぁ、思ったけど」
 そうミュラをからかい、ソーニアは首に、自らの親指を横一文字に走らせた。そのジェスチャーを見て、刎勁が首を斬るという意味だと漸く理解したミュラはやっぱりセノールは異常だと肩を竦めるのだった。
「我々は下り首は武功としない。矜持なく生きる輩は最早生きる価値などなく、それが存在するだけで恥だ。そのような者の首は要らぬ」
「じゃあ、あんたは降参しないんだな?」
「然り。我々が敵に頭を垂れる時は、その首を刎ねられ、地へ落ちた時だけだ。命ある限り戦わねばならない。サチの武門とはそういう物だ」
 そんな輩に襲撃を加えた結果、仕損じ、追い回された挙句、生きていられた事は最早奇跡としか言えない。ミュラは閉口し、その異質さを再認識するのだった。

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