複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45



Re: 無限の廓にて、大欲に溺す ( No.2 )
日時: 2016/08/23 21:22
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 静かな砂漠。凍て付くような寒さに身を蝕まれながら、男達は月明かりだけを頼りに歩みを進めた。大きな鞄、皮袋には商品の他に路銀や、自らの食料、水などが収められていた。その周りには三人の男が隊列を組み、外周を固めるようにして守っている。
 その先頭に立つ男は腰に一振りの刀剣を差し、煙草を咥えながら歩いている。鎮静作用の強い葉を乾燥させた物を黒檀の葉で巻いたそれは老若男女問わず多くセノール人が愛好している。味は強みのある苦味の後に微かな甘みを感じさせる。煙は少ないがどことなく、バニラエッセンスのような残り香が砂漠に漂う。

「セノールのあんちゃん、また吸ってんのか?」

 駱駝の左側をとぼとぼと歩く男が言う。彼は腰に下げた得物の柄を仕切りに触りながら、ニタニタと気味の悪い笑みを浮かべていた。煙草の男は彼の名を知らない。互いに金で雇われた隊商の護衛。次会う時は商売敵になる事もある、名など知り合わない方が良い。事実、以前大言壮語を以ってして尊大に振舞う男を仕事の都合で殺めた時があった。その男の左腕を切り落した時、彼は情けなくも命を乞い、無様に死んでいった。名は終ぞ知る事なく、名もない「情けない男」として煙草の男の脳裏には刻み込まれていた。

「……欲しければ金を出せ」
「金がねぇから、こんな仕事してんの」
「――――」

 “貧乏人め”と煙草の男の口から飛び出かけたが、口を噤む。貧困、飢え、渇きに喘ぐのはセノールとて同じ。同胞を貶すような言葉を発しかけた己を嘲り笑うように小さく鼻で笑い、煙草の煙を吐き出した。やや甘ったるい香りが風に乗り、流されていく。

「セノール人!! どこに行けばいい!!」

 駱駝に跨る、でっぷりとした腹を曝す男が声を荒げる。彼は商人であり、この隊商の主。三人の護衛の雇い主であった。煙草の男以外にセノール人は居ない。他の護衛二人も煙草の男を見据えていた。彼等はアゥルトゥラ人でこの砂漠に対して、地理はなく砂漠の歩き方も知らない。セノール人からしたら笑えてしまう程に消耗している。昼間の暑さと、夜の寒さ。寒暖差という名の趣味が悪い死神が彼等の首に手を掛け、ゆっくりと締め付けているようだ。

「……これ以上歩くのは止めた方が良い。セノールには問題ないが、この二人が死ぬ」

 早朝から歩き出し、碌な休息すらないまま歩み進めてきたのだ。飢えや渇きはギリギリの所で凌げと、日中と夜間の温度差に身体は聞こえ得ぬ悲鳴を挙げている事だろう。このまま行けば二人は夜明け前に意識を失い、月が沈むと同時に命を失う事だろう。休息と補給、これが彼等には必要不可欠である。

「ここで休んで明後日までに砂漠を抜けられるのか?」
「難しいだろうな……。俺一人だったら延々と行けるが――、どうする?」

 商人はその男の言葉の意図を汲み取ったのか、卑下た笑みを浮かべ二人の護衛の顔を見回した。悪寒が走ったのか、二人の護衛は得物の柄に手を掛け、商人と視線を交わす。煙草の男は背後で二人が得物に手を掛けたと知り得たようだが、振り向く事もしない。

「ジャリルファハドと言ったか、金を積んだら何人分働くかね?」

 煙草を投げ捨て、鞘から刀剣を引き抜く。ジャリルファハドと呼ばれた男はその刃を指先でなぞりながら、砂を睨む。此処に血を注げば、滴の一滴すら残さず飲み干してくれる事だろう。そういえば此処最近、人を斬っていなかったなどと考える。どこをどう斬ればどうなる。どれだけの血が出る。そんな事を入念に思い出しながら、遂に男は口を開いた。

「――三人分だ」
「そうか――、流石だ」

 その言葉を皮切りにジャリルファハドは砂を蹴る。低く前傾した姿勢から、身を翻し左膝の外側から白刃が食い込む。筋肉と腱を切り裂き、骨を断つ。そして再び筋肉と腱を裂く。斬られた護衛は悲鳴を挙げる余地もなく、砂漠に斃れ込む。次の刹那、ジャリルファハドの刀剣が首に減り込み、血混じりの泡がその裂かれた隙間から溢れ出した。骨と骨の継ぎ目まで刀剣を届けるなり、軽く傾斜を付けて押し込むと骨の髄が潰え、耳を覆いたくなるような生々しい音が砂漠に鳴る。身体を起こせば、その男は白目を向いて身体が反射で醜く痙攣していた。

「お前、何してやがんだ!! 考え直せって!!」
「お前等が居れば、俺の雇い主は商品を明後日までに届けられないそうだ。だから死んでくれ」

 斃れ込み既に事切れた男の懐から短刀を引き抜き、それを投擲すれば真っ直ぐ飛んで行き、また別の男の首元へと収まった。まるでそこが鞘かのように、自然に何の抵抗もなく突き刺さる。声帯と気管を裂いたのだろう。男は蹲り、呻き声を挙げるだけだった。
 セノール人なら防げたとジャリルファハドは苦笑いを浮かべながら、その男の元へと歩み寄る。刀剣の切っ先がゆらゆらと揺れ、月明かりを反射していた。

「……ほっといても死ぬだろう?」
「必要以上に苦しめるのはセノールの流儀に反する」

 蹲った男が吐く血は砂漠に沁み込んで行く。セノールはこうして砂漠に血を流し続けた民族である。己の血も、他者の血も全てをそこに注ぎ込んできた。セノールの血を引くからには先達と同じくなければならない。死にゆく者には死を捧げ、生きられる者は最期まで生かす。この男はもう死を迎えるしかない。ならば、せめてもの手向け。楽にしてやるのがセノールの流儀である。
 ジャリルファハドが携えた刀剣は月明かりを受け、刀身全体が不気味なまでに白く輝く。蹲った男の顎を蹴り上げ、それを仰向けにするなり黙ったまま男を見下ろした。既に虫の息だ。それを見て懐から煙草を何本か男の胸の前に落とす。

「お前を殺したのは、サチの氏族。ガリプの次兄。ジャリルファハドだ。神に告げ口しておくんだな」

 横真一文字に刃を走らせれば、首は項の皮一枚で繋がっているだけとなり、頭の自重で妙な方向へと傾き、白骨と赤い血肉を覗かせた。煙草を吸おうと思ったが、血に濡れた煙草は雑味が入り、やや生臭くなる。ジャリルファハドは小さく舌打ちをして、煙草のケースごと事切れた死体の上に置いた。その時、脊髄反射で死体の手が跳ねるように動く。咄嗟の出来事にジャリルファハドもそれを踏み付け、足を退ければ指が拉げ、在らぬ方向に曲がり、小指からは骨が突き出ていた。人は脆いと鼻で笑う。

「……行こうか」

 心なしか商人の顔が引き攣っていた。砂漠を抜けた先の関所で、この罪を密告されたならば関所の守衛諸共この男も殺そう。刃が脂で汚れなければいいのだが、と考えながらジャリルファハドは刀剣の血を払い、鞘に収めるのだった。

「セノールは相変わらずよなぁ。俺が若かった頃、セノールに襲われた事があったが護衛が全滅させられてしまったよ」
「……どこの仕業だ?」
「あー、人差し指と中指に紫でリング状のタトゥーを彫っていたな」

 ジャリルファハドは駱駝に跨りながら、小さく溜息を吐いた。心当たりがあるのだろう。商人もそれを目敏く見透かしていたようで、笑みを湛えながらジャリルファハドを見据えていた。昔話に花を咲かせたい、どの武門がやってきたかを知っておきたいというだけの話である。

「ジャッバール……、それはサチの氏族の一員だ」
「となれば、バシラアサドのところかね?」
「そうだ」 

 バシラアサド。それはジャリルファハドと同じく、サチの氏族の一員。ジャッバール(最も強い者の意)という家門の酋長であった。彼女の父が西伐直後から、武門でありながら商人の真似事をしだし、今ではサチの中で最も力を持つ一族となった。
 それが故に商人も知っていた。そもそもこの荷はバシラアサドの所から買い付けた香辛料や骨董品。かなり引っ掛けられたが、アゥルトゥラに持ち込めば大層な額で売れる。

「知り合いかい?」
「……あの業突張り女の事など知らん」

 何処か遠い目をしながらジャリルファハドは呟く。欲深な商人、そもそも名がいけないのだ。「賢い獅子」などという大層な名を付けられたばかりに、その通りに育ってしまった。さして年齢も変わらないというのに、生じたこの差。少なくともジャリルファハドは一方的に劣等感を感じていたのだった。彼は不機嫌そうな表情を浮かべながら煙草を咥えた。暫くすると特有の甘い香りが漂う。
 それ以降は商人も話し掛け辛さを感じ始めたのか、口を閉ざしたまま駱駝に揺られ続けていた。ジャリルファハドは水を少し飲んだり、返り血を浴びなかった煙草を吸ったりしながら、砂漠の全周を見回している。とてもではないが商人には星明りだけで照らされた砂漠の全容は確認できない。セノールの不可解さには舌を巻くばかりであった。民族皆兵を掲げ、銃という代物が存在し得る前までは、間違いなく最強の民族であったはずだ。だというのに国も持たず、砂漠を流浪し続けている事は不可解である。五百年前にアゥルトゥラを攻めれば確実に、国を取っていたことだろう。

「ぼやっとするな。この近辺は野盗が出る。耳を澄ませろ、全ての音を捉えろ」

 煙草の火を鞍に押し付けるジャリルファハド。小さな火種すら野党の目には写る事だろう。それを警戒しての事。暗闇の中で目が利くという事はセノールなのだろうか。ともすればこの男がグルだという事も払拭しきれない。商人は気が気ではなかった。先だっての「ジャッバール」の話。バシラアサドと知り合いだとも取れる発言。信用し得ない訳ではないが、ジャリルファハドを警戒しつつ商人は右腿に吊り下げたブランダーバスを握り締めるのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.3 )
日時: 2017/06/06 11:33
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ

 ミュラ・ベルバトーレと名乗る女は砂漠地帯で1人盗賊として生きてきた。18年間砂漠を出たことがなかった女がどうして外の世界へ赴こうと思ったのか。理由はほんの数時間前に遡る。


 
「カンクェノには未知の宝が眠っている」と、最後にそれだけを伝えると男は力尽きた。ひどい脱水症状に加え、毒蛇に噛まれていたので生存が絶望的なのは分かっていた。見ず知らずの男を捨ておくことも出来たのに、最期まで本当に介錯してしまったのは他者を捨てきれない彼女の甘さなのだろう。
男を埋葬した後、ミュラは試しに「カンクェノ」と呟いてみる。彼は無名の考古学者で、訳があって西方の砂漠まで足を運んだ。結果、方角を見失って迷子になった挙句、毒蛇に噛まれるというお粗末極まりない失態を犯した。そして身動きがとれなくなった所を見つけられたのだ。
 惨めに一人、死体を晒す位なら盗賊でもいい。最後まで傍にいてくれと懇願され断り切れなかった。男は介抱してくれたお礼だと命が消える瞬間まで自分の研究結果を伝え続けた。恐らくそれには自分の研究成果を誰に認めてほしいというさもしい心もあったろうが、知識が薄い彼女にとっては非常に難解な話であり、言っていることの半分も理解できていなかった。(それだけ男の研究はよく考察できていた)
 そんな彼女にとっての世界とは、両手では抱えきれない砂と生き物を焼き殺す熱線に支配された死にかけの大地である。勿論、関所の先に町が広がっているのは知っていた。しかし、知っているだけだ。その町の生き方など知らない。人々がどのように生活をしているかなど興味ない。町を抜けた先に何があるのか教えられもしなかった。故に『カンクェノ』は彼女の世界の外にある。
「カンクェノ」について話を聞いたときは、自分の近くに未知の領域があったのかと驚き、それ以上に心の昂りを感じた。例え言っていることのほとんどが分からなくとも、琴線に触れたのだ。それは森で見た騎士に憧れる少年のように無垢な憧れであった。故に気づかない、気づけない。憧れなど泡沫である。それが自分の思っているものと違うと確信した時、純然たる思いは、都合の良いように思い描いていた夢物語へと成り果てるのだ。



 関所を抜けるには金が必要だと分かっていた。師匠がいた時、守衛に幾つかの金品を渡していたのを目にしたことがある。何故金をやるのかと訊くと、通行料だと言っていた。本来は賄賂と言うそれを彼女は「なるほど」とすんなりと受け入れた。現在、ミュラはほとんどお金を持っていない。故に、関所までの道のりで見つけた商人、旅人を襲い金品と水を強奪した。多くの者は砂漠地帯特有の寒暖差による体力低下の影響でトラップに引っかかると、大した抵抗をせず容易に物資を奪うことができ、あと1人襲ったら最後にしようと思った矢先、見つけたのがジャリルファハドと雇い主である商人の男だったのである。
 ミュラはセノール人の強さを知っていた。殺りあったことはあるが……、一度きりだ。それ以上は彼女の方が戦うのを避けていた。決して負けるや殺されると思っているわけではない。ただリスクが高すぎるのだ。強者と戦うのは決して嫌いではない。しかし、盗賊の時は違う。最小限のリスクで最大限の利益がほしいのだ。だが、セノール人と対峙するとなると戦いに意識をとられることになる。事実、最初で最後の1回は逃げられた。セノール人を打ち負かし、周りを見た時、そこには誰もいなかった。狩りを、初めて失敗した時だった。
 だが、今回はどうだろう。砂漠からの帰りで、しかもセノール人を雇える程の経済力を持つ男の荷物だ。高価な物であることは一目瞭然である。リスクよりもリターンの方が多いように見える。手元にある武器は、腰にぶら下がった筆架叉2本に、ナイフが3本。それとトラップで使ったワイヤーが少々。真っ向からセノール人を相手にするには少々荷が重すぎる気がする。
 それならば……、それならば真っ向から挑まなければいい。ミュラは改めて砂漠をゆっくりと歩く2つの影を見た。彼らがこの調子で歩けば明後日には砂漠を抜けるだろう。しかし、全力で走れば彼らよりも早く関所に到着することは可能である。そして準備を改めて整えて道中でもいい、トラップにはめて荷物を掻っ攫えばいい。
 握られている三本のナイフは月の光を浴びると鈍く光る。その光を見つめながら投げた後のことを考える。
(もしもセノール人にナイフが命中したら、その程度の男だ、商人の男諸共襲っちまおう。
もしもセノール人には当たらず商人や駱駝のみに当たるようならば様子を見よう。仲違いするならタイミングを見計らって襲おう、それでも仲良く関所へ向かうなら諦めて関所へ走ろう。
もしも男が全てのナイフを叩き落とすなりなんなりしたら、襲うのを諦めて関所へ走ろう。
もしも投げたナイフが全て外れたら、その時も襲うのを諦めて関所へ走ろう)
 3回ほど同じことを心の中で呟く。脳だけではなく体もしっかりと考えを理解した時、1本目のナイフはジャリルファハドの眉間へ、2本目は商人のふくよかな腹部へ、3本目は再びジャリルファハドの、今度は心の臓へナイフを投げつけた。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.4 )
日時: 2016/08/23 21:26
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 何かが飛来してきている。風を切る音が三つ。二つはジャリルファハドへと、一つは商人へと。やれる事は一つであり、それを迷うことなく実行に移す。本来ならば家畜となる駱駝を傷付けるような愚行はしないのだが、致し方ない。傷を付けたと、駱駝に恨まれる事だろう。 

「……許せ」

 駱駝の首筋を斬り付けるなり、駱駝のけたたましい悲鳴が砂漠に木霊した。棹立ちした駱駝から落とされながら、ジャリルファハドは吼える。遣るべき事は一つ、雇い主を逃がすだけだ。彼を逃がせなければ、セノールの名折れ。彼が誠意を持つ商人ならば逃げ切った先、関所で待ってくれるだろう。希望的観測としか、言えなかったがそうするのが先決である。

「行け――!!」

 駱駝の嘶きとジャリルファハドの咆哮。それは隊商を走らせるには充分な切欠。駱駝は足が早い。人間が追い付ける代物ではない。去り際、商人が腹を押さえていたが何あったのだろうか? 最悪の想像はかなぐり捨て、飛来源へと向かう。相手は抜き身の得物を持つ、月明かりに照らされたのは湾曲した鍔を持つ鉄棒のようなもの。それが何か分からなかったが、ジャリルファハドはそれを追うことしか出来なかった。
 遠くからブランダーバスの銃声が聞こえている。商人は健在、距離を知らせるために数発撃ち続けているらしく、ジャリルファハドには商人がどれだけ逃げたか判別がついた。
 砂丘を軽い足取りで越え、足跡を追う。速く、速く。――ただ只管に速く! 獲物を追い立てる彪が如く。そうして終ぞ足跡の主をその視界に納めるのだった。 

「――――止まれェッ!! 何者だッ!!」 

 彪は砂漠に吼える。卑しき野盗、ハイエナを討ち滅ぼさんと吼える。ハイエナの全容は上手く見えなかったが、それでもシルエットと足跡だけで彪は追える。
 刀剣は月明かりを受け、白く輝いていた。その白く輝いた刀身だけが、砂漠の闇を物凄い速さで駆け寄ってくる。ミュラはまるで死神に追われているような錯覚と悪寒を覚えた。 

「冗談じゃねぇ……」 

 背後に迫るのは獣のような形相を浮かべた、自身よりも圧倒的に速いセノール人。以前、殺し合いを演じたセノール人とは格が違う。手を出さなければ良かった、そうミュラは後悔しながら走り続けるのだった。
 あの刀剣に斬られれば命はない。セノール人がそうしてきたように、砂漠に血を流しそれを砂漠に飲ませてしまうだけだ。ふと、振り返ればセノール人の姿はない。 

(どこに――?) 

 前を向いた刹那、視界に過るのは白刃。もう追い付かれた、その事実に恐れ慄きながらミュラは筆架叉を抜き、それを防ぐ。肉を越え、骨にまで響く振動。痛みを伴い、痺れる右手を庇いながら、身を後ろへと翻す。受けた事のない程、強烈な斬撃。それでいて斬撃は小ぶり。まるで全体重を一撃に乗せてきているようだ。 

「セノール……、ではないな」 

 ならば加減は要らないと男は刀剣を構え直す。セノール人特有の切先を前に向けない構え。距離感を掴ませず、戦いを有利に進める工夫。以前のセノール人も同じ構えを取ってきた。しかし、この男は違う。右ではなく左で構えているのだ。左右異なるだけで対処の難易度が異なる。更に左足を前に出している事から、本当の利き手は右とも読み取れた。即ち両利き、対処が難しい。 

(ナイフ温存しときゃ……) 

 両手に構えた筆架叉、腹を括り覚悟を決めるべきだろう。構えを取った事からセノール人は笑みを湛えた。殺し合いに興じたセノール人の笑み、これを見るのは二度目。不思議とこの笑みは戦意を高揚させてくる、此処で死んでもいいと思わせる、魔性の笑みだ。
 白刃は中空を舞う、筆架叉で受ければ火花が散り、筆架叉を見舞えば躱され、砂を蹴り上げられる。砂で目を潰す、セノール人がよくやってくる手だてだった。一度、同様の事をされたため対処は容易かったが、そのためには半身を保ったまま、セノール人を中心に回る必要があった。自身の動きに内蔵が揺さぶられ、体力の消耗が著しい。ミュラは忌々しげに笑みを浮かべた。 

(……しぶといな) 

 ミュラの笑みは見えない。しかし、彼女が生きるための必死の抵抗にジャリルファハドにはまだ、余力を残しているように感じられた。よくやると感嘆の笑みを浮かべる。
 得物を握られないような斬撃を見舞い、視界を潰すように砂を浴びせても眼前の敵は、必死の抵抗を繰り広げ、足掻く。いつの間にか仕事を忘れ、殺し合いに興じてしまう、やはり自分もセノールだと一人思うのだった。
 一合、二合、斬り合いを演じる。月は地平に落ちかけ、日が上りつつあった。少しずつ上がってきた太陽が齎す熱に額から汗が滴る。それはジャリルファハドと相対するミュラも等しい。
 既に二振りの筆架叉のうち一振りは斬り飛ばされ、砂漠に転がっていた。鍔と鉄棒の間に刀剣を落とし込まれ、そのまま体制を崩されるなりジャリルファハドの右膝が眼前に迫り、避ける間もなく、砂漠に倒された。筆架叉は砂漠に舞う。 

「――ぁ、はぁ……っ!」 

 脳が揺さぶられ、視界が揺らぐ。ざりざりと足音が迫り、頬に冷たい刀身が押し付けられた。このまま首元に白刃を振り下ろされれば、砂漠に血を流し入れることとなるだろう。 

「女……か?」 

 ジャリルファハドの遠慮ない攻撃が止み、それどころか申し訳なさげに、ミュラの前に片膝をついた。はめていた手袋をミュラの鼻に押し付ける。膝を顔面に見舞った時、鼻血が出たのだろう。また、ジャリルファハドの手袋の下の手は、柄を握りしめていたせいか、青く鬱血している、しきりに左手を振っていた。 

「ガリプは女を斬るのは、是としない。……名は?」
「ミュラ……だ。ミュラ・ベルバトーレ……」 

 ミュラは肩で息をしながら名を名乗る。リスクとリターンを天秤に掛け、リスクを犯す選択をした。結果、地獄を見せられた。命は長らえるようだが、それでも身体は動きそうにない。体力の限界を迎えたのだ。
 ジャリルファハドはスキットルの口を開け、それをミュラへと手渡した。言葉はないが、水を飲めと薦めている。斬り合いから筋疲労を起こしていると判断したのだろう。水分補給が最も効果的だった。 

「……飲め、死にたくないだろう?」 

 スキットルの口を傾け、無理矢理ミュラに水を飲ませると、懐から煙草を取り出した。鎮静作用があるそれは痛みを和らげる効果がある、ジャリルファハド自身もそれを咥え火を付けた。そして、もう一本に火を付ける。  

「吸え、楽になる」 

 ミュラに煙草を咥えさせ、スキットルの水を自身も飲むと空になったそれの口を閉めた。ジャリルファハドは暫く悩んだような表情を浮かべ、筆架叉を拾い上げ自身の懐へと仕舞い込んだ。ジャリルファハドにはこれ以上、危害を加える気はなかったが、ミュラはそうとも限らない。得物は奪っておくのが得策である。 

「……捨て置く訳にはいかんでな」
 
 自分に言い聞かせるように、また、ミュラを安心させるように穏やかに呟く。そうして、彼女の身体を担ぎ上げた。どう商人に言い訳しようか、ジャリルファハドは考える。
 野盗から救ったとでも言っておけばいい。あの商人と一緒なら関所も簡単に抜けられるだろう。 

「ミュラと言ったか、俺の言う事に黙って頷けよ」
「――ぁあ?」 

 察しが悪いとジャリルファハドは溜め息を吐き、煙草を砂漠に投げ捨てた。鎮静作用が効いてきたのか、足取りがしっかりとし始めた。五十年前の西伐の時もセノール人はこれを使って、ストレスの緩和や、疲労の誤魔化し、高ぶった神経を鎮静させたりと敗軍であったというのに、落ち着き払い堂々としていたという。 

「……野盗を拾ってきた等と言えば、俺は信用を失う。お前も殺されかねん。――もっと悪ければ奴隷行きだ。女は高く売れる。そうしたら碌な事にならん。だから俺の言う事に頷け。……分かったか?」 

 先程まで殺意剥き出しだった男に、身を案じられている。妙な状況にミュラは気だるげに唸り声を上げ、煙草を口から落とした。効いてきたのだろう、意識は閉ざされかけていたが、身体の痛みは和らいでいくのだった

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.5 )
日時: 2016/08/23 16:06
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ

 目が覚めると、いつもの穴倉だった。八畳ほどの部屋。日が当たる所に小さなテーブルと椅子が置いてあり、日が当たらない影の部分には小さな本棚と奪った食料や水が置いてある。2人で生活するには少し窮屈ではあったが、穴を掘って地下に作るので昼間でも比較的涼しく過ごしやすい。何よりも、ここには気持ちを落ち着かせてくれる温かみがあった。
 師匠は椅子に座って昨日奪った財宝の目利きを行っている。同じテーブルの隅には干し肉が入った瓶が置いてある。
「おはようミュラ。よく眠れたか」
 話しかけられただけでも嬉しかった。
「おはよう。よく眠れたよ。これ食べていい?」
 テーブルの上の肉を指さす。師匠は宝石から一瞬だけを目を逸らし、それからすぐに宝石に視線が戻る。その瞳がミュラを見ることはない。
「いいよ」
 師匠は宝石に夢中だった。こっちを見ようとしないのは少し寂しいが、仕方ない。僅かに開いた天井の穴から陽の光が入る。それが宝石を照らすと色に合わせた光を放つ。それがすごく綺麗で、肉よりも先にそっちを手に取る。光を遮られた宝石は輝きを失う。見たかったのはこれではないと、眉をしかめ、もう一度日の下に置く。再び輝きを取り戻し、今度こそはと手に取る。また輝きを失う。その繰り返し。不意に声を殺したような笑い声が聞こえた。師匠だ。恥ずかしくて、でも嬉しくて、思わずこっちも笑顔が零れる。とある朝の風景だった。


「夢……」
 随分ノスタルジックな夢だったと、未だ惰眠を誘う揺れの中でミュラは思った。体を酷使させられたせいでいつもより動くのが億劫だ。肉の代わりに鉛でも詰められているような気分である。その割りに体の痛みはなかった。気絶している時も痛みで目を覚ますということは一度もなかった。
「起きたか」
 聞き覚えのある声が近くで聞こえて意識が完全に引き戻された。と同時に反射的に手が出た。いつどこで誰に襲われるかもしれなかった彼女にとって、体に染みついた癖のようなものである。遠慮も配慮もない拳をジャリルファハドは難なく受け止める。寝起きから元気な奴だと思わず呆れてしまう。
「助けてやったのにその態度か」
「え、あっ」
 思い出したのは屈辱の記憶。生かされたのだ。目の前のセノール人に。先ほどまで刃を交えていた相手に。ミュラの拳から力が抜けて床の上に投げ出される。
「どれくらい経った。あたしが意識をとばしてから」
「大体、丸一日だろうな」
「……、は?」
 ジャリルファハドの言葉を理解できないというよりは理解したくなかった。一日意識を飛ばしたということは、一日誰かの世話になったということだ。それは誰か。まさかこのセノール人か。何故助けた。何故あの場で殺さなかった。そもそもこの男は何者なんだ。信用してもいいのか。解決しない疑問ばかりが溜まり、それはいずれ頭の働きを止める。いきなり動かなくなった女をどのように解釈したのだろうか。ジャリルファハドは告げる。

「関所は超えた。今アゥルトゥラに向かっている。ここはその馬車の中だ」



同時刻、とある教会。1人の男が神へ祈りを捧げていた。
 彼が『白銀の騎士』と呼ばれる由縁は鎧にあった。大柄な彼の身を守る外殻は、陽の光を浴びると新雪が太陽に照らされるが如く白く輝くのだ。人間離れした神性を兼ね備えているように見えるその姿を、人々は畏敬の念を込めて『白銀の騎士』、また太陽のように輝くことから『太陽の騎士』と呼ぶようになった。

「毎度毎度ご苦労なこったね、太陽の騎士様は」
 祈りが終わったガウェス・ハイドナーに話しかけたのは、二十代前半の女だった。ベンチ椅子の背に凭れ掛かり毛先を弄っていた彼女は、ガウェスと目が合うと嬉しそうに目を細めた。神に祈るつもりなど毛頭ないであろう女は熱心に祈りを捧げていた男とは対照的に、ただただ無感動に、光を受けて輝くステンドグラスを見つめていただけだった。
「神様なんているかどうかも分からないのに、何がそんなに楽しいのかしら」
 立ち上がった男にそう問いかけた。失礼ともとれる質問に特に怒ったようもなく柔和な笑みを浮かべた。
「いるいないの問題ではないのですよ。信仰するという心が大事なのですから。それと。太陽の騎士は円卓の騎士の一員であったサー・ガウェインの通り名です。私のような若輩者が同じように名乗るなんて恐れ多いこと。出来るなら白銀の騎士≠ニお呼びください」
「そりゃ悪かったわね。太陽の°R士様」
 余裕を持って答えた彼が憎たらしい。どうでもいい知識まで披露して。皮肉で返してみても彼にとってはどこ吹く風か。困った人だと笑うだけである。女は、フンと鼻をならすと煙草に火をつけた。彼女は娼婦である。カンクウェノ近くのこの町には様々な職業、身分の者がくる。色々な客に抱かれ、色んな話を聞く。そして、価値がある情報を彼に流す。いわば、情報屋の役割を果たしていた。その密会に適した場所がここだった。
 宗教を軽視しているアゥルトゥラにとって、教会とはもはや、景観を彩るオブジェでしかない。興味があるのは宗教学を極めんとするモノ好きな学者か、神を崇め、信仰を敬う、ほんの一握りの信者だけだ。

「今日、アゥルトゥラに砂漠を抜けて商人が来るわ」
「知っています。よくバシラアサドの所から香辛料や調度品を買い付けている商人でしょう」
 ガウェスは、父のような――欲にまみれた価値観を持っているその男が好きではない。金儲けのことしか考えず、それを作った人の思いや誇りをないがしろにする考えだ。事実、商人はガウェスの鎧を見て、作るのに幾らかかっただの、幾らで売ってくれるかなどを執拗に訊いてきた。この鎧はハイドナーの誇りである。値段なんてつけられるわけがない。この商人のように、それを値踏みし、挙句に寄越せと強請るなど一族への侮辱でしかなかった。至高の騎士と名高いガウェスも、ガントレットでぶん殴ってやろうかと思ってしまったほどである。
「そうよ。でも、そいつのことはどうだっていいの。問題は護衛よ。誰だと思う」
 キスでもするかのように首に手を回す。唇を彼の口ではなく耳元に寄せた。
「セノール」
 女は高潔な騎士を誘惑する淫魔の図だった。サキュバスは普段は取り乱さない彼の、驚愕した顔を見たことで満足した。
「偉大なる豹の名を持つ男、ジャリルファハド・ガリプ・サチ。ガリプ家の時期家長候補の男が、一族を放っておいてどうしてここまで来たんでしょうね」 
 愉快だと彼女は笑ったが、ガウェスの眉間には僅かに皺を作ることになった。
 「……知りませんよそんなこと。興味もありません。とりあえず、ハイドナーの領地で問題を起こさない限りは放っておくつもりです」
「随分な物言いね。セノールはお嫌い?」
 彼らしくもない棘のある言い方に、思わず苦笑いが漏れる。
「別に嫌いなわけでも見下しているわけではありません。ただ……」
「ただ?」
 ガウェスはこれ以上何も言わなかった。しかし、さっきのような笑顔はない。女からも笑顔が消えた。本当に誤魔化すのがヘタクソな男だと思う。中途半端に言葉を切らず、言いたくなければ「何でもない」と一言付け足せば全て終わるのに。しかし、これ以上の情報を聞き出すのは無理だと判断した。一度決めたら滅多なことで意見を変えない。彼はそういう男だ。それは長所であり、弱点でもある。
 金貨を貰い教会から出る寸前、最後に忠告しようと振り返る。
「とりあえず気をつけなさい。彼、あんまりいい噂きかないから」
 

 

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.6 )
日時: 2016/08/23 16:36
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU

 ――少女とは、時として甘やかな顔をした捕食者である、と、とある屋敷に仕える侍女は語る。

 昼間に降り注ぐ太陽光とは、実に煩わしいものである。長い黒髪の娘はじんわりと滲む汗で額に張り付く前髪を適当にあしらった。別段、今日の気温は嫌に暑いというわけではない。娘、ハイルヴィヒ・シュルツが頑なに黒い上着を脱がぬのが悪いだけのことだ。吹き抜ける柔い風は、娘の黒髪と其れに添えられた白いリボンを揺らしこそするが、汗を乾かし涼しさを齎してくれる程ではない。添えるならハイルヴィヒとて汗だくというほどでは無いのだから、何というべきか。深い溜息は、本日幾度目か。最早数えることすら諦めていた。

 時刻は数時間前に遡る。ハイルヴィヒ・シュルツは雇い主たるユスチン・ヴェニアミノヴィチ・ベケトフに呼び出され、彼の部屋に居た。平素より宿る青い瞳の剣呑さは此度ばかりは些か抑えられ、娘は雇い主を見つめる。穏やかそうな初老手前の紳士は優しげな瞳をゆるりと細め、娘を見る。

「突然呼び出して、悪かったねハイルヴィヒ。……娘のことだけで手一杯だろうに」

 穏やかな声が部屋に響く。全く、こんなにも穏やかそうな人が己のような“傭兵”を雇うのだから全くわからないものだとは、ハイルヴィヒの常々思う事であった。名目上は護衛として雇われているものの、ハイルヴィヒ・シュルツが傭兵である事に何一つの変わりはない。雇われたその日に言われたことといえば、手段は選ばなくとも良いという事。そして何としてでも娘を守ってほしいという事。あまりの突拍子のなさに驚いたのは今でも記憶に新しい。“私の仕事は子守じゃあない”と告げたのもまた然り。そうしてから分かっているよと穏やかな笑みを向けられたのも同じ事。まあ紆余曲折を経て、件の娘とハイルヴィヒ・シュルツは大層仲が良くなったのだが其れは別の話としよう。して、話は先の男の言葉に戻る。ハイルヴィヒはゆっくりと首を横に振る。

「いえ、お嬢様は、本当に良い子ですね。約束をきちんと守ってくださる良いお嬢さんだ。だから、大して苦労はありません。して、ユスチン殿、ご用向きは?」

 件のお嬢様の話題ともなれば、ハイルヴィヒ・シュルツは青い瞳に穏やかな色を宿らせる。けれども其れも一瞬の事。すぐにその瞳からはぬるい温度は消え去り冷えた色が舞い戻る。とはいえど現在の主たる男への殺意は皆無。生来の目付きの悪さだと娘は語るだろう。目の前の白髪交じりの髪の紳士とて、娘の眼光の鋭さなど意に介さず、穏やかな表情を湛えた侭、口を開いた。

「ああ、この間レゥノーラの討伐を我が家を代表して依頼したい、と言っただろ?」
「……ええ、私などでほんとうに良いのかとも問いましたね」
「ははっ、いいのさ、ハイルヴィヒ、私たちは君のことを信頼している。だから……ね?」

 ベケトフ家を代表してレゥノーラの討伐へ赴いて欲しい、と告げられたのはつい先日の事だ。いくらなんでも其れは、と進言こそした。己は所詮、金で雇われた、好き好んで戦場に身を置く、どうしようもないひとでなしの一人だ。この家との契約は、ハイルヴィヒ、ひいてはシュルツ家にとって今までに類を見ない程に長いものであるとはいえど、そんなひとでなしを重要な任務へ向かわせていいのかと思えてならない。言い換えるならハイルヴィヒにもこの家への愛着に似た何かが芽生え始めていた事になる。何せそうでなければ金さえ払うならばとあっさり引き受けただろうから。だがまあ、それはそれとして。君だからこそ頼むんだと微笑まれてしまえばどうにも弱かった。如何せんこの紳士の笑みは毒気を抜かれるし、そこはかとなく“断りづらい状況”を作るのだ。全く、こういうところばかりは“お嬢様”も似ている、等と思っていたのは内緒も内緒、秘匿事項Aである。

「うん、でね、ハイルヴィヒ。……その件に関してハイドナーの家のご当主さんに伝えに行って欲しいんだ。ついでに、バシラアサドさんの所から来てる商人に、頼んでいたものを取りに行ってくれれば、うん、そのね、嬉しいんだけれど……頼めるかい?あ、勿論報酬はきちんと出すよ」
「……承知しました。その間お嬢様の護衛はいつも通り、私の手のものに任せますのでどうかご安心を。いつも通り、手配しております」
「うんうん、流石だねハイルヴィヒ! 完璧だ、いやぁ、助かったよ。私が向かえればよかったんだが、少し終わらせないといけない仕事があってね。やれやれ、当主っていうのも大変だよ……」

 主人の零す言葉についクツリ、と娘は喉を鳴らす。すぐに申し訳ありませんと添えるも、紳士は気にしていないよと笑うだけだった。

 さて、それからはと言えばハイルヴィヒが出掛けるなら一緒がいいと独りごちるお嬢様にすぐ戻ると告げて、主から手紙を預かり、屋敷を出て、冒頭へ戻る。為すことは子供の使いの其れに近しいが特使というか、直々の使いを任されるとは己のような身分の者が偉くなったものだ、と、娘は静かに息を吐く。向かう地は決まっている。彼のハイドナーの領地、ひいてはひとつ建つ教会。時刻によってはこちらにいるだろうと主は教えてくれた。先に屋敷へ向かうより、こちらへ趣きそこにいるか確かめてからの方がよかろう、と判断しただけのこと。

 教会へと近づいた折、出てきたのは一人の女。見覚えのあるその姿に、娘は肩眉を上げる。娼婦であり、情報屋。全く良い副業だと常々思っていた。果たして何方が副業なのか、分かったものではないのだが、後者がそうであると娘は薄らと願うだけ。

「あら、ハイルヴィヒちゃん。珍しいわねぇ、猟犬が探す獲物はここにはいないと思うけど?」
「相変わらずだな……いや、まあいい。ガウェス・ハイドナーに用があるが、あそこにいるか? ついでにバシラアサドの所から来る商人について何か知ってるなら教えろ、早急に」
「報酬は?」
「銀貨30枚」
「まあ、やだ、冗談!」
「ああ、冗談だ」

 女は軽やかな笑みを浮かべ、一方娘は相も変わらずの無愛想な表情のまま、下らぬ言葉をぽい、と投げやる。ついでにハイルヴィヒが女へと投げてよこしたのは銀貨が十数枚が入った布袋。これだけ? とばかりに笑いかけてくる女を一瞥してから、小さく息を吐く。

「別にその程度、お前に聞かずともすぐに分かることだ。何時ぞの礼がてらそっちに良くしてやったんだからそれで良いだろう。」
「もぉ、ハイルヴィヒちゃんの意地悪。……彼はこの中、件の商人はちゃんとこっちに来てるわ。セノールの護衛付きだけど……正式な用向きなら問題ないでしょ。どうせあっちも金で雇われた傭兵みたいなもんでしょうし。貴女の持ってる手紙見せれば、問題無いでしょうね。貴女、今日はベケトフのおじーちゃんのお使いなんでしょ?」
「まあな、ふぅん、そうか……有難うお嬢さん<Vielen Dank! Fraulein!>」

 態とらしい礼をを告げれば娘は女へと、城い手袋に包まれた手をひらりと振った。向こうの女もじゃぁね、ヴィッヒーちゃんだなんて笑いながら、こちらへと手を振る。また、の機会があるかはさて置き、ハイルヴィヒ・シュルツは少なくともあの女は信頼している。金さえあれば大概、この手の人間は己含め、なんとかなるものだ。今回は彼女が嘘をつくメリットも考え難い、故にあの程度で問題ない、それだけの事。まあ、嘘を吐かれていたら吐かれていたで頭を打ち抜いてやれば問題ないのだから、構うまい。

 質素な扉を開けば、向こうにいるのは一人の青年。確かに見覚えのある姿は、目的の人物に相違なかろう。カツカツと靴音を響かせ中へと歩めば、青年のサファイアの瞳が此方へと向いた。彼が娘を覚えていようといなかろうと、娘は黒髪を靡かせまっすぐに、彼へと向かうだけである。

「ユスチン・ヴェニアミノヴィチ・ベケトフの使いで来た、ハイルヴィヒ・シュルツだ。……見覚えくらいはあるだろう」
「ユスチン殿の? どの様なご用向き、で……っと、と」
「主人からの書状だ、適当に読めば凡その要件は書いてある。それ以上の事を語るというなら、此処でも外でも、好きな場所を選べ」

 青年に言葉を挟ませる間も無く、娘は彼へと書状を押し付けた。青年、ガウェス・ハイドナーは押し付けられた書状を丁寧に広げ、其処に綴られた文字を追いかける。その間も、娘ハイルヴィヒ・シュルツは鋭い光を宿した瞳を、彼へと向け続ける。ぴん、と背筋を伸ばすのは礼節を尽くす故ではなく、彼女の生来の癖にも似たものだ。書状を読み進める度に、青年の甘い色をした髪はふわりと揺れる。何時かに見た光景とまるで同じ、此処に紅茶と茶菓子が用意され“お嬢様”がいればそれこそまるで同じ光景になるのだろう。とも思えばどうにも帰りたくなる、早急に。娘にとって“お嬢様”のそばを離れる事はどうにも落ち着かない。言い換えれば、それだけ親愛の念を抱いているということにもなるのだが。全く、傭兵らしくもない。

「レゥノーラ討伐における協力依頼、並びに……その討伐に、ベケトフ家を代表し、貴女が参戦する、そういうことですね?」
「端的に言えばそうなる」

 さくり、と書状を読み終えた青年は娘へと確認の言葉を投げる。青年の穏やかな声色に対し、娘は変わらず色のない声で言葉を紡ぐばかりだ。人当たりのよい青年の笑みを横目で見たハイルヴィヒは、小さく息を吐く。鋭い眼光に殺意こそ無くとも、如何せん愛想というものを、この娘はどこかへ落としてきてしまったらしかった。

「お前の参陣の可否は、何方でも構わないと主は言っていた。私としても正直、何方でも構わん。お前の剣の腕は聞き及んでいるが、この目で見たわけではないものをどこまで信用すべきかわからんからな。……出発まで時間はある、答えを急くような事は言わん。答えが出たらこちらへ使いをよこすなり何なりして連絡をよこせ。こちらからのお前への用向きは以上だ。他に何かあるなら、さっさとしてくれ」

 そう告げれば、娘は黒髪をかき上げる。じっとりと、湿り気を帯びた視線で青年を射抜きつつ、ただ待つばかり。射抜かれる青年はといえば変わらぬ穏やかさで、人当たりのよい笑みを浮かべて、娘を見ていた。この感覚には覚えがある。確か、ベケトフの家へ赴いた折、当主の娘と語らった際に背後からこんな視線を感じていた。思い返せばついクツリ、と喉が鳴る。なんだ、とばかりにハイルヴィヒが彼を睨めばいえ、とゆるく首を横に振って、柔和な笑みを浮かべよう。

「いえ、今のところは此れで問題ありません。ご報告、並びに連絡、感謝します。……ああ、そうだ、スヴェータ嬢は、お元気ですか?」
「……お嬢様なら変わりない、それがどうした、貴様に関係ある事か?」

 青年が件の家の令嬢について尋ねれば、傭兵の眼光に鋭さが増した。僅かに敵意を見せる様は宛ら番犬、とでもいう所か。過保護が移ったかの様な娘の姿に青年は淡い苦笑を漏らす。失礼致しました、と青年が紡ぐ声に何処か楽しげな色が混じるのはさて、如何なる意味を持つか。娘はといえばすぐに咳払いを数度。すまない、と告げる言葉が早口かつ小声なのは、本人なりに“お嬢様”のこととなるとつい剣呑としてしまうことへの気恥ずかしさの現れであった。

「この後、お時間は?わざわざお越しいただいたにも関わらずもてなしもなく返すというのも、些か気が引けます。よろしければ我が邸にでもいらしてください。お茶程度ならばすぐに用意させましょう」
「お心遣い感謝する。だが……使いは此れで終いではないのでな。バシラアサド、だったか?其処からくる商人が持ってきた品の中に、主が頼んでいた物があるらしくてな、ついでに取りに行くことになっているんだ。……お前も、そいつに用事があるならどうせ同じ道だ、一緒に行くか?まあそうでなくとも……このあたりの適当な地図を貰えると助かる。迷うことは無いだろうが、地図があったほうが効率がいい。どうする? 報酬が必要というなら、ある程度なら一考するが」

 清廉潔白、まさしく紳士的なこの騎士の事だ、報酬など不要と言って地図くらいくれそうなものだが、ハイルヴィヒ・シュルツはどうあがいても傭兵であった。ビジネスライクな関係がほぼデフォルト、それ故に、余計やもしれぬ言葉を添えて、只まっすぐに彼を見ていた。

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45



小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


E-Mail


URL


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大7000文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。