複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50



Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.31 )
日時: 2016/11/06 23:56
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 暗闇の中、静謐を壊すまいとジャリルファハドはガウェスの背を見送った。息を殺し、静かに穏やかに繕う。ガウェスが屋外から出て行くと、物陰から身を現し、小さく溜息を吐いた。ミュラが此処で己の姿を見れば、なんと反応するだろうか。大声を挙げるなど馬鹿な事はしないでもらいたいが、適わないかも知れないと諦観するような思いを抱きながら歩みを進めるのだった。
 ドアの前に立ち尽くし、己の身に降り掛かった剣閃を思い描けば、自然と笑みが毀れる。また殺し合う時が来れば、あの業が見られよう。それを如何に打ち破るかと考えれば、それが愉しみであった。腕を取るべきか、首を取るべきか、鎧の隙を突くべきか。それとも延々と斬り合い、殺し合いに興じるべきだろうか。はたまた、卑劣な手で意趣返しを施すべきか。武人と復讐者の性を馬鹿げたものだと鼻で笑い飛ばしながら、ドアノブを回す。気のせいではなく、部屋の中のミュラが気付いたらしく、視線が此方に向いている。
「随分、早かったなー?」
 ガウェスだと勘違いしているらしく、ドアの影に隠れるようにして己の身を晒さずにジャリルファハドは筆架叉を引き抜いて、それを床に突き刺すように投げ付けた。絨毯、木の床、それらを貫き、やや傾斜を付けて突き刺さったそれにミュラは視線を奪われた様子で、黙りこくり息を呑む。
「……憲兵に見られなかっただろうな」
 誰が来たか察しが付き、ミュラの顔立ちが一気に曇り、抗議の視線とも言えるそれをドアの裏側の人物へ向けていた。大声を挙げるような事も無かったが、怒りによく似た感情が胸の中を行き交い、不快感を露にする。
「何しに来たんだよ」
「迎えに来た、帰るぞ。お前の真意に汲めずにすまない事をした。俺の悪手だ」
 伝えたい事だけを簡潔に伝え、ジャリルファハドはミュラを一瞥して踵を返す。随分と勝手な事を言うとミュラは思ったが、短いながら侘びの言葉を聞いてやや驚いたような様子だった。 
 床に突き刺さった筆架叉を引き抜いて、ミュラは再びソファに腰を下ろす。ガウェスが戻ってくるまで帰る気はないのだ。それと同時にガウェスとジャリルファハドに言葉を交わす場を設けさせようと考えていた。いつまでも争ってばかり、五十年も昔の怨嗟を引き摺り続けるなど馬鹿馬鹿しいと思い立っての事、ミュラに悪意はない。
「まだ帰らねーよ」
「ふざけるな、お前がそうやって駄々を捏ねれば、俺はまた斬り合う事になる。敵の本拠で殺し合うなど、多勢に無勢に成り兼ねん。それにだな――」
 此処で事が起きれば、ジャッバールが攻撃を仕掛けてくる可能性があるのだ。ともすれば、時期尚早すぎる「東伐」乃至、クルツェスカにて「セノールの手による事変」が起きる可能性があった。結果的にはセノールを滅ぼす要因と成りかねる。奴等はそこまで考えていない事だろう。ハイドナーが危機に窮したならば、それに便乗するまでという短絡的な思考しか持ち合わせていない。
「それに――?」
 ミュラが言葉尻を取るようにして問う。
 彼女にセノールの野望を伝えるべきではない。国力を十分に蓄えてから、アゥルトゥラの一切合切を皆殺しにし、五十年前の怨嗟を晴らす。血で血を洗い流し、互いの死を以ってして浄化を図る。そんな物騒で黒く、醜い未来の出来事を予知させたくなかった。
「――――忘れろ。いいか? とにかく帰って身体を休めろ、明日からカンクェノに潜るのだ、ソーニアに迷惑は掛けられんだろう?」
 尤もらしい言葉を吐き、ミュラをはぐらかす。妙なことを言うと小首を傾げながら、彼女は再びクッキーに手を伸ばした。帰る気は微塵もない。まだ、居座る気満々である。その様子を横目で見ながら、どうしたものかと内心、ジャリルファハドは頭を抱えるのだった。
「……何故、帰らぬのだ」
「え? いやー、まぁさぁ」
 ガウェスとジャリルファハドが鉢合わせるように仕向ける気だとは言えない。ともすれば、ジャリルファハドが激怒する事だろう。結果的に帰らざるを得ない状況となる。しかし、今ミュラの頭の中では、それ以外の理由は考えられず、焦ったようにクッキーを飲み込み思わず咽てしまう。
「理由すら言えんか、この大馬鹿者が」
「だから、馬鹿って――――」
 大声を出しそうになり、ジャリルファハドが静かにしろとジェスチャーをする。はと気付いた様子でミュラは口を閉ざす。やや呆れたようなジャリルファハドの視線がミュラに突き刺さり、やってしまったと、ややしょげた様子でミュラは肩を落とした。
 その脇を通り過ぎ、ジャリルファハドが窓の外を見やる。警備の者が一列に並び、ある男を注視している。その男を真正面から出迎えるのはガウェス。そして、その男の顔には見覚えがあった。先代のハイドナーの当主であるロトスであった。セノールの怨敵、その姿を見て尚更此処から去る必要があると感じ入る。
「ミュラ、やはり帰るぞ」
「だから、まだ帰らないって」
「謂れもない汚名を背負えるか? それに怒りを持たぬか? お前にそれが許せるか?」
「何言ってんだよ」
 ミュラはやはり知り得ない。ロトスのセノールに対する排斥的な発言、感情、思考を。ミュラがそれを堪えきれる保障は何処にもない。激昂し凶行に及べば、セノールからすれば単なる迷惑な事でしかない。ミュラの短絡的な思考、感情を呪う。窓から外を見れば、ガウェスがロトスを引き止めているらしく、屋敷の中に入ってくる様子はなかったが万が一という事もある。
「もう一度聞く。謂れもない汚名を背負えるか――」
「あー、分かったって。帰れば良いんだろ……」
 根負けしたようにミュラはようやく立ち上がり、窓から外を睨むジャリルファハドを他所にドアの外側へと歩き出した。ガウェスが裏口と言ってたななどと思い出しながら、そこを目指す。その背を見て、どこへ向かうかと思いながらもジャリルファハドはミュラの後を追った。ロトス・ハイドナー、ガウェス・ハイドナー。この二人の命は何れ取らなければ成らない。特にガウェスの父であるロトスについては、首は要らず、その死体を踏み躙られ、尊厳も誇りすら微塵もない死を与えようと呪詛の念を思い描く。首を取るのはガウェスのみで十分である。尤も正攻法で殺すつもりは微塵もないのだが。



 ミュラの後を追い、歩を進めると殺風景な部屋に扉が据え付けられた小部屋へと辿り付いた。小部屋のドアを閉めるとミュラは辺りを見回して、埃を被った椅子に腰を下ろした。何故座ると抗議するように視線を向けるとミュラは口を開く。
「なんで、そこまで帰りたがったんだよ」
 それがミュラには引っかかっていた。ジャリルファハドを何が来ても刀一つで立ち向かうような人物だと思っていた故、尚更であった。彼女の問いにジャリルファハドは重い口を開く。
「ガウェス・ハイドナーの父親が帰ってきたからだ」
「は?」
 それだけでは理由にならないとミュラは声を上げる。いつもの事ながらジャリルファハドの要点を抜かした話し方に辟易してくる。
「お前は知らぬだろうよ。あれは我々セノールを徹底的に敵視している。……宿を断られた程度で激怒するお前では、あれの言葉に耐えられない、そう判断した故に引いたのだ」
 ミュラを貶すような言いぶりであったが、その語り口から心身を案じてからの判断だという事がミュラにも理解できた。ジャリルファハドの真意としては、その先ミュラが凶行に及ぶ事がないようにという思いがあったが、それは語るべきではない。
「そんなに嫌われてんのか」
「我々の文化、慣習、真実を知るソーニアのような者も多くはないが存在する。全てがその限りという訳ではない」
 何となく生き難い人種だとミュラは思ってしまう。それを思った時、あの宿で己を突き放したジャリルファハドの言葉の真意を捉えられたような気がした。何者か分からないなら、何者かわからない状況に甘んじえろ、と。態々セノールのような人種のフリをするなと諭されたのだ、と。しかし、それでも自分が何者であるかははっきりとさせたいとミュラは思う。自分が何人で、どこで生まれたのか、誰が親なのか。それを知り得ない限り、はっきりとした自己を確立できない、そんな気がしてならなかった。
「ふーん……、そんなもんか。ま、此処まで来たんだし、さっさと帰ろうぜ」
 やけに聞き分けが良いと怪訝な表情を浮かべるジャリルファハドを他所に、ミュラは裏口の扉を開き、その鍵を見据えた。ガウェスは置いていけと言っていたが、どうするべきか。少し悩んだ後、鍵を懐にしまう。どうせ近い内にまた会う事になる。そんな気がしてならなかったからだ。
「蒸してんなぁ……」
「砂漠では有り得ん。此処は人が暮らす所ではない……」
 水もなく、日中は灼熱、夜は極寒。凡そ人間が暮らす場所ではない所から来た輩が言う言葉ではないと、ミュラはジャリルファハドを横目で見やる。思いの他、慣れない気候が堪えているらしく、仏頂面にやや疲労の色が混じっているように感じられた。まさか、迎えに来たのはいいが疲れたから帰りたいとほざいたのでは、と疑いの視線を向ければ、その射掛けるような視線が帰ってくる。少し気まずくなったのか、思わず視線を逸らし、ミュラはそっぽを向く。
「……なんだよ」
「それは俺の台詞なんだが」
「いや、何か言いたいから見てたんだろ?」
「お前も何か言いたい事があるんじゃないのか……?」
 話と状況が噛み合わない二人が暗がりを抜けていく。その暗がりの中からハイドナーの屋敷を見据えれば、ロトスとガウェスが屋敷の中に入っていく様子が見られた。ばったり行き会うという事は避けられたようで、ジャリルファハドは安堵の溜息を吐くのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.32 )
日時: 2016/09/28 21:20
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ

 宿に戻れば、最初にここを訪れた時と同じ。相も変わらず金髪の少女が一人カウンターに立っている。来客がミュラとジャリルファハドだと分かると、遠慮がちに微笑み「お帰りなさい」と声をかけてくれる。帳簿の記入は既に終わったらしく、代わりに整理整頓されたカウンターの中で何かを読んでいた。
「何読んでんの?」
 興味を持ったらしいミュラが覗き込めば、蟻のように小さく細かい文字が頁を埋め尽くしている。文字を追うだけで眩暈がしてきそうだ。しかし、自分よりも若いように思える彼女はそれを諸共せず熱心に読んでいる。物は試しとミュラも挑戦してみるが、三行目に突入した時点で目が乾くような錯覚に苛まれ、頭がキャパオーバーだと警鐘を鳴らす。内容が分からないわけではないが、頭の情報を整理したいと思う。いつの間にかジャリルファハドも隣に来てミュラと同じように目を通していた。
「アゥルトゥラの教典か」
「はい。一般的には聖書と呼ばれているんですけど」
 表紙を見せようと一度本を閉じれば、セノールの教典にも負けて劣らずの分厚さにミュラは引き攣った笑顔をし、ゆっくりと後ずさった。その様子を見て、少女は僅かにだが笑った。帰ってきたときに見せた大人びた笑顔ではない。年相応の純朴な、乙女のように清らかな微笑で、その中に少しだけ悪戯心が滲み出ていた。
「読みますか?」
「い、いんやぁ、結構デス」
 この厚さの読み物を読破出来るかも分からなければ、知識も理解力も欠如している。聖書の内容を覚えておける脳ミソを持っているわけでもない。仮に言葉一つ一つの意味をとれたとしても文全体で読みとることさえ危うい。ミュラは自らの頭の悪さにうんざりしてしまう。少女は断るのを当然分かっていたようで、「残念です」と言いながらも声は楽し気に弾んでいた。
 拒否したミュラの代わりにジャリルファハドが聖書を手元に引き寄せ、視線を落とす。ミュラは再びカウンターまで戻り、今度は本ではなくジャリルファハドを観察する。文字を追う速さが自分の比ではない。ミュラが二行ようやく読み終える頃には、頁の半分ほどを読み終えるぐらいの速さだ。これに関して幼い頃からどれだけ文字や本に慣れ親しんだかにもよるものだろう。吸収した知識はジャリルファハドの見識や論辨を支える一つとなっている。ミュラは自らのコンプレックスを刺激されて、さきの感情がぶり返しそうになるのを太腿を抓ることで堪える。3ページほど読んでジャリルファハドは顔をあげた。
「とっくに廃れたものだと思っていたのだがな」
「信仰している方もまだいらっしゃいますよ。有名な方だとハイドナー家の当主であるガウェス卿もそうですね。とは言っても、あと数年で廃れてしまうかもしれません。アゥルトゥラの民は古い文化や慣習を嫌忌する人が結構いますから」
 顔にはこれから一つの文化が消えゆくことへの憂いが見え隠れしている。ジャリルファハドやミュラとは違う雪像のように白く滑らかな細い指が聖書を慈しむように優しく撫でる。その指は熟練の人形師が時間と労力をかけて造りあげた1つの作品のように寸分の狂いもなく美しい。だからこそ手の甲にもある赤黒いケロイド痕が一層人目を引く。
「そうか……」
 過去の賢人達が残してきた文化を守るのではなく、あえて風化させ破壊する。しかも破壊したあと、そこに新たな文明を打ち立てることもせず残骸が朽ち、滅びるのを待つ。ジャリルファハドからすれば理解できない、したくない感覚である。何百年も積み上げてきた遺産の尊さを解ろうともせず、無価値なモノと見縊る矮小な価値観。挙句、全てを闇に屠ろうとするなど信仰していた神と先人達に対して冒涜である。憤しさを覚えるジャリルファハドであるが、その様はいたって平静。荒立つ心を抑え、さも何でも無いかのように振る舞う。
 時刻は既に十時を回っている。小さく欠伸を漏らす少女。
「そろそろ休めば?」
「まだお客様が来るかもしれませんから」
「いやでもさ、もう夜だぜ。寝た方がいいよ」
 自分より年下の少女の身を案じてのことである。しかし首を縦に振ることはない。むしろさっきよりも強固な意志を込めてミュラを見据える。
「明日になれば交代出来ますから」
「でもよ」
「わたしの元に来る人を、わたしは決して追い出さない」
 唐突に放たれた言葉にミュラはどういう意味かと数度瞬きを繰り返す。
「ここに訪れる方は、様々な問題が抱えた方が多いです。クルツェスカは正直、そういう人達が生きるには厳しい土地だと思います。ならここはそんな人達の為にありたい。その人達を救う最後の砦でありたい。自己満足、かもしれませんが……」
 顔が爛れたあの日から、彼女も人生を狂わされた人間の一人なのだ。職を失い、世間から爪弾きにされれば、飢えと貧困にあえぎ野垂れ死ぬしかない。でも、それでも救われた。だから今度は自分がそういう人達を救いたい。聖女のように清らかな慈愛。ガウェスやジャリルファハドとは違うがこれも一つの自己の形だ。そう気がつけば、ミュラは喉に引っかかっていた魚の骨がとれたような晴れ晴れとした気持ちになれた。先ほどまでムスッとしていた顔が、今は無邪気な子供の様な笑顔を見せている。
「そっか。……まぁさ、どうしても眠かったらあたしに言えよ。代わりにここで仕事してやるからさ」
 仕事をこなせる根拠も無いのに自信満々に宣うミュラを見て、少女は笑い、彪は嗤う。ジャリルファハドの脛を蹴り飛ばしてやろうと画策するが、それより前にミュラの脛をジャリルファハドが蹴る。彪が影を見て相手の動きを予測していることを失念していたのだ。
「なん、で、分かったんだよ」 
「俺に一発くらわせたくば気配を消すんだな、馬鹿者」
 相変わらず滅茶苦茶なことを言ってくるセノールにはほとほと嫌になってしまう。ミュラは恨めし気な視線を投げつける。
「馬鹿じゃ、ねぇよ。くぅ……」
 尻尾を踏まれた子犬の様に悲痛な表情を見せる。笑顔で見送る少女を背に2人は部屋へと向かう。到着すると、早速ベッドに横になったミュラだったが、腰につけた銃の存在を思い出すと、家主に見つかった泥棒のように慌ただしく立ち上がった。受け取った銃にはセーフティもそれと同様な装置もついていないのだ。強い衝撃を与えれば暴発する可能性があった。
「どうした?」
「な、なんでもねぇよ」
 視線から逃げるように彼に背を向ける。不自然なミュラの行動に怪訝そうに眉を顰めるもすぐに興味が失せ視線を外す。言及されなかったことに安堵を覚えつつ、今度はゆっくりとベッドに座る。早いうちに拳銃の件は伝えた方がいいが、話すタイミングが掴めない。目を窓の外に移せば綺麗な三日月が見える。地平線では手が届くのではと思うほど大きく見えた月がここでは小さくなってより遠くにある。星も砂漠で見た時よりもずっと少なくなってしまった。
「色んな生き方があるんだな」 
 口から滑るように出た言葉はミュラの独り言であった。今日一日の出来事が陽炎のように頭の中に浮かび上がっては揺らめき消えていく中、自分がしたことを省みる。
「ジャリルファハド」
「今度はなんだ」 
「今日は、ごめん。ちょっと自分勝手だった。反省する」
 人に謝罪するなど何時ぶりだろうか。上手く言葉に出来ていただろうか。そんな不安が胸をよぎり、横目でしか確認しなかったが、あのむっつりとした顔を乱すことができたのだ。ミュラは満足した。ジャリルファハドが何か言う前に立ち上がり、早足で脱衣所へと向かう。途中で視線を感じたが気付かないフリをしてドアを閉める。明日は言ったとおり、カンクェノに潜る。ジャリルファハドに師の存在を告げておくべきか。黙っておくべきか。悶々としながらシャワールームのドアを開ける。
(使い方訊けば良かった)
 後悔先に立たず。人一人がやっと入れるくらいのシャワールームで立ちすくむミュラ。砂漠にいた時は穴倉近くまでカナートと呼ばれる地下用水路をオアシスから引いていたので水浴びはしていた。だが、シャワーは初めて見る代物であった。一度服を着直しジャリルファハドに頼ることも考えたが、逃げるように来てしまった手前何となく気まずい。とりあえず目の前にあったレバーを回す。シャワールームから悲鳴が聞こえたのはそれからすぐのことである。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.33 )
日時: 2016/09/28 22:45
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU

 “ああ!愛しています、愛しています!貴方達を平等に、等しく!ただ私は愛しているのです!”
 ――少女が少女たる所以とは如何なるものであるのか。例えば一つ、彼女の問いに関して語るなれば。

 “おつかい”を終えた少女達は軽やかな足取りで帰宅する。ふわりとした金糸の髪を揺らすスヴェトラーナは始終笑顔であったが、道を共に行くハイルヴィヒの面持ちは硬い。ヨハンがユスチンに言伝をしたし、そも無理やりであろうけれどユスチンからスヴェトラーナの外出許可は降りている。とはいえど、ユスチンが素直におかえりなさいを言うだけで済むとは思えないのだ。添えるならば、必要な買い物であったといえども、スヴェトラーナをあのような、本来彼女とは無縁であるべき場所へと連れて行ったという事実も、ハイルヴィヒの中に仄かな罪悪感を抱かせている。――屋敷の荘厳な扉が開く、エントランスへ足を踏み入れるのと同時か、足音が反響して聞こえてきた。

「スヴェータ! ああ、もう、ほんっとうに良かった!! ハイルヴィヒが居たから大丈夫だとは思うけど……怪我はないかい? どこもぶつけたりしていないかい? 何か怖いことはなかったかい? ああ、もう……本当に! スヴェータに何かあったら、と思うだけで僕、もう……心配で心配で!」

 駆けてきた白髪交じりのふわりとした髪の男、スヴェトラーナの父たる男ユスチンは大の大人らしくもなく、宛ら妹を心配する兄か何かの様に、愛しい人の無事の帰還を喜ぶかの様に。スヴェトラーナを抱きすくめれば矢継ぎ早にそう告げる。遅れて奥から小走りでやってくるのはスヴェトラーナが幼き折より彼女に仕える侍女である。「おかえりなさいませ」の言葉こそ丁寧なそれであるが、其処には確かな安堵があった。柔く優しい色を宿す瞳もまた、其れを物語って居ることだろう。
 さて件のスヴェトラーナといえばだが、はじめこそキョトン、としていたものの、すぐに呆れにも似た、けれども愛しい人へ向けるのと同義の優しい笑みを其のかんばせに。「もう」だなんて言葉をこぼしつつも、父の背へと手を回す。

「お父さま、もうスヴェータは子供ではないわ。そんなに心配されるほど、幼子であったのは遥か過去の日、其れこそずっとずっと昔のお話。……そうでしょう?」
「……そうだけれど、そうだけれどね、スヴェータ。僕にはもうスヴェータしか居ないんだよ。君にもしものことがあったらって考えるだけで僕はもう耐えきれないんだ、わかって、分かっておくれよスヴェータ! 愛しいディーナと僕の愛しい愛しいたった一人の娘なんだ、君は。……ディーナが居なくなって、君が居て、ならば僕は君を守らなきゃいけないだろうそうだろうそうだよそうだとも! だから、だからねスヴェータ、分かってほしい。どうしようもない、父の我が儘だけれど……それでも、僕は……僕は」

 まくし立てるように男は言葉を連ねていく。言葉尻に行くに連れて徐々にしぼんでいく言葉。其れを全て聞き終えて、娘はけれども静かに微笑むばかりだ。とんとん、と父の背を叩く。宛ら、母が子をあやすかの様に。「だいじょうぶよ、おとうさま」と優しくささやかれる言葉は、喩える為ればさて、ささやかな魔法、おまじないの言葉。此の光景を“いつものこと”と処理してしまう此の屋敷の面々は果たして正常と言えるのか、誰も知りはしない。確証はない、誰の保証もない、真相など、誰も知らない。知る必要も、無かった。なにせ此処は彼らの王国、大きくも狭い箱庭の中なのだから。
 ひとしきり父と娘は再会を喜び、主に父親が満足した頃、娘は漸く解放される。娘のかんばせに浮かぶのは、柔い笑み、穏やかな其れ。いつも浮かべる完璧な笑顔だった。

「うん……ごめんね、スヴェータ。ありがとう。……僕は少し、ハイルヴィヒと話があるから、先にお部屋に戻っていなさい。……ね? 良い子だから」
「ふふ、ふふふ! お父様ったら。そんな風にお願いなさらずとも、スヴェータはきちんとお部屋に戻ります。お父様の“お仕事”の邪魔は、したくないもの。……ハイルヴィヒ、お父様とのお話が終わったら私のお部屋に来てね。約束、約束よ! 絶対なんだから! お茶の用意をしていただいて、待っているから」

 父の言葉に楽しげに、娘は笑う。そうして青の双眸を細めて紡ぐ言葉は聞き分けのいいご令嬢の、正しい言葉、間違い一つ無い、正しく美しい言葉だ。けれど添えられる“友”への言葉がどうにも弾んでしまうことばかりは、許して欲しい。最後に父とひとつ、ふたつ、囁き秘め事を交わしてから、侍女と共に、娘・スヴェトラーナは部屋へと向かう。その前に、洗面台で手を洗うのは忘れずに。なにせスヴェトラーナは良い子であるから、それだけだ。
 スヴェトラーナが去るのを見届ければ、父・ユスチンは改めて、件の少女ハイルヴィヒへと向き直る。些か緊張の面持ちで男を見るハイルヴィヒの視線を受けても尚、男はいつの間にやら浮かべていた柔和な笑みを崩さない。文字通り、完璧な笑みを。

「……ユスチン殿、この度は……」
「ああ、いいんだ、気にしないでくれ。寧ろ……スヴェータを守ってくれて、ありがとう、ハイルヴィヒ。……何処へ行ったか、はこの際問わないよ。スヴェータもいつか……大人にならないと、いけないから。……考えたくはないけどね、わかってる……僕だって、わかっているさ。…………さて、ハイルヴィヒ、此処からは君と“私”の話。お仕事の話だ、いいかな?」

 男の問いに、ハイルヴィヒは静かに頷いた。吐き出される息は、男のもの。一度双眸を伏せてから、再びハイルヴィヒを映すその瞳は、いつの間にか先程まで娘へ向けていた柔らかさとは、また別の穏やかさを湛え、其処に2つ鎮座していた。何処までもただ穏やかなそれは、違和感を覚えるほどのもの。言うなれば、底知れぬ深淵に見つめられているような。ハイルヴィヒは此の瞬間が決して嫌いではなかった。娘にはどこまでも甘いばかりの父であり、けれども彼は間違いなくベケトフ家の当主である。変わったのは一人称ばかりではない事など、既に分かりきったことだ。
 ベケトフの家は、決して非常に広大な領地を持つわけではない。強大な戦力を有するわけでもなければ、積極的に他家や他国と争った記録もない。かのハイドナー家等と比べてしまえば、弱小と嗤われてもしかたなかろう。されど其処には、長きに渡り培われた技術がある、紡がれてきた歴史がある。そして何より一つ、“ユスチン・ヴェニアミノヴィチ・ベケトフ”という男の、家名の存続への強い意志。意志のみではどうにもならなかったやも知れぬが、男が此の家の当主として生まれ落ちたその瞬間から、ベケトフ家の当主となる事を、始めからさだめられていたのだろう。大袈裟ではあるやも知れぬが、言ってしまえば天性の才。彼という男は“治める”というのが得意であった。来る者拒まず去るもの追わず、けれども此の領地を害するものばかりは許さず。領地の無理な拡大は望まず、不要な争いなど持ち込まぬべきと語る。只、此の家を守り、存続させる事と考えて、其れを正しく実行してきただけ。正しく“ベケトフ家の当主”である男。其れが目の前の、柔和な笑みを浮かべる男。して、その男、ユスチンは穏やかな声色で、言葉を紡ぐ。

「ハイドナーのご当主さん、何か言っていたかい?」
「いえ、特には。……ですがあの様子ならばおそらく、協力は取り付けられたかと。……不可抗力かつ、大したものではありませんが、少しばかりは恩を売った形となった事案もございます。……あの馬鹿真面目な騎士ならば、おそらく是と返答してくれるでしょう」
「……ぷっ、あっははは! そうかそうかぁ、ハイルヴィヒ、君に頼んで本当に良かったよ。……ハイドナーの若当主君は本当に真面目だからねぇ。いやぁ、良いことだ、良いことだけれど……ううん、いいか、これはやっぱりやめておこう」

 そう言って、ユスチンはゆるゆると肩を竦めてみせる。ハイルヴィヒはといえば、曖昧な表情を浮かべたままで、困惑混じりの薄い笑みを、ひとつ。止めておく、と言うならば言及する必要もなかろう。其れに添えて凡そ、ユスチンが続けたかったであろう言葉の見当は、付いているのだから。

「返事は急がずとも構わない、と添えておきましたが……現当主殿の方が返事を書いてくれているのならば、明日にでも届くかと。何せ、随分と真面目な方ですから」
「うんうん、そっか。……いやぁ、ふふ、一応元ご当主、現ご隠居殿の方への言葉もそれとなく書いておいたからねぇ……ガウェス君が返事を書いて、ロトス君から返事が来なかったらまあ、はは、その時はお察し、ってやつかな? うちはどの程度だと思われてる、くらいに考えていいかも?」

 そう言って、ユスチンはいたずらっぽい笑みを浮かべた。「なんてね、冗談さ」と軽く笑い飛ばしてはいるが、さて。――否、考えるのはやめよう、とハイルヴィヒはゆるく息を吐く。ベケトフ家とハイドナー家、ひいては当主たるユスチンとロトスはそれなりに付き合いも長い、個人的な付き合いも含めて色々とあることは察しているが、己が踏み込むべき領域ではあるまい。そうハイルヴィヒは考えている。ベケトフ家に雇われて気がつけばそれなりの時を経ているが、あくまでもハイルヴィヒは雇われた身、そのあたりは弁えているつもりだ。
 それからは幾つか、後日の任務に向けて必要な確認を済ませる。他家の協力者の件だとか、手はずだとか、目標目的の照らし合わせ。打ち合わせるべきことはいくつもあったが、それが早くに終えられたのは他でもない、ユスチンの計らいだろう。「スヴェータが待っているんだろう?」と娘の名を紡ぎ細められた瞳の奥に宿った何かには、気付かぬふりをして。ハイルヴィヒは頭を下げて、足早に、廊下を行く。向かうのは、勿論スヴェトラーナの部屋。誘いを断るわけにもいかない、そうする気など更々ない。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.34 )
日時: 2016/09/28 22:46
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU

 ――少女の部屋の前、響くノックは二回、私です、と告げるより早く、白い扉は開かれる。照明の柔らかな光が、安寧に漂う揺り籠の中を照らしていた。輝く淡い金糸の髪、朝日を浴びる湖面の様に澄んだ瞳の少女、此の部屋の主は、ハイルヴィヒを見とめるなり、喜びの声を上げる。「待ってたの!」と弾む声が鼓膜を揺さぶれば、ハイルヴィヒはただ穏やかに微笑んだ。隔離された箱庭の、更に奥、深い場所。ある種の神聖さを此処に感じてしまうのは、さて病気というやつなのか。息を整えれば、ハイルヴィヒはその部屋へと足を踏み入れた。スヴェトラーナの傍に控えていた侍女が頭を下げて、ハイルヴィヒは白い手袋に覆われた手をかるく上げてみせる。スヴェトラーナに招かれるがまま椅子に腰掛ければ、侍女が紅茶を一杯、淹れてくれた。ハイルヴィヒが感謝の言葉を告げて、侍女にも茶を勧めるも、彼女はどうやら、これから諸用あるという。深い一礼の後に、部屋を出ていってしまった。残されたハイルヴィヒとスヴェトラーナは、暫し他愛ない雑談に花を咲かせる。

「ねぇハイルヴィヒ、今日はガウェスお兄さ……ハイドナー様とお会いしたのでしょう? 変わらずお元気だった? またいつかおあいしたいわ、ハイドナー様とは、お話しやすいから。……相変わらず人参のグラッセ、お好きなのかしら」
「……変わらずかどうかは、分かりかねますがお元気そうではありましたよ。人参のグラッセが変わらず好きかどうかは……次に合う事があれば聞いておきます。近々の任務でご一緒するやもしれません故。何時かに見た通り、真面目な騎士様でした。……ああ、ですが、道中どこぞの誰かと言い争いの挙句剣を交えておりました。ええ、全くをもって私には理解できぬ理由で。……ハイドナーの家にも色々あるようですよ」

 別段、深い意味があるでもない話だ。先程共に歩いた道でも、彼にあった話はしたが、それだけで終わってしまったから、スヴェトラーナは馴染みある相手のことが気になったと言うだけ。けれど其処に、新しい情報が舞い込めば澄んだ青の瞳は一瞬見開かれる。色々ある、の言葉で薄っすらと全て察したのはさて、彼女もベケトフの家の娘であるという事か。そうなの、と呟いて、スヴェトラーナはジャムを少しばかり舐めた後に、紅茶を一口。カチリ、ソーサーにカップを置けば、まろぶ瞳でハイルヴィヒを見る。

「ねぇ、ハイルヴィヒ。私達って、何なのかしら」

 スヴェトラーナはティーカップをソーサーに置いたまま、唐突に言葉を紡ぐ。澄んだ淡い碧の瞳をハイルヴィヒへと真っ直ぐ向けて、柔らかな笑みをそのかんばせに湛えて。本当に唐突に、少女は問いを投げかけた。ハイルヴィヒは思わずかじりかけのクッキーを落としそうになりつつ、それを咀嚼し嚥下すれば、数秒の空白。

「……私は、己が何者であるかなど、気に留めた事はありません故、あまり上手い事は、言えませんが……其れは、人種的なものでしょうか、それとも別の何かですか?」

 曖昧な答えと、解を導く為の質問をひとつ。柔い笑みを浮かべたままのスヴェトラーナは、双眸を細めて、口を開いた。

「ふふ、そうね……どっちの意味でも、かしら」

 薄桃色の唇が、柔らかな声を紡いでいく。どうしても知りたいひとつ、気になること。けれども、如何なる答えとても、スヴェトラーナにとっては歓迎すべきものであった。ハイルヴィヒ・シュルツという少女が如何なる言葉を紡ぐのか。己の知り得ぬ事を知り、知らぬ世界を見てきた彼女は、一体何と答えてくれるのだろうかと、ただただ興味がある、好奇心が刺激される。添えてスヴェトラーナは、ハイルヴィヒの事をもっと知りたかった。有り体に言えばそれが一番の理由なのだけれど。ほんの少しの空白の間すら愛おしい。悩ましげに、青い双眸を琥珀色へと注ぐ彼女の、なんて――。
 ハイルヴィヒにとって、その問いはなんとも悩ましいものであった。否、答えはあるのだ。けれどもこれは答えとして良いものか、わからない。揺れる琥珀色を見据える内に、眉間には薄らと皺が寄っていた。無言を貫いたのはほんの数秒、けれども言葉を音にするまでにまるでひどく長い時間を経たかの様な感覚があった。

「我々というより、私の事にはなりますが……強いて言う為れば、私は別に、私が何者であろうとどうでもいいとは、思っています。……人種とて、どうだって良い些末な事でしょう。人であることに変わりがないならば、どうだっていい。見目が一般的な“人間”と異なるものであろうと、レヴェリ人とて、人です。……銃を撃てば弾が当たって血が出るでしょう、其れが死因となり得るなれば、私はそれで十分です。そうであると言うならば、其れこそ私自身が、どんなものであろうとも構わない、言ってしまえば興味もありません。其れこそ、私の血の何処かに、レゥノーラの血が……化物の血が混じっていようと、なんだろうと、構いやしません。……そう、思っております。言ってしまえばそれは他人がそうであっても気にしない、ということです。……そういう存在でありますから、我々が何であるかとは……そうですね、人間である、以外の答えは出せそうになく……申し訳ありません」

 其処まで言い終えれば、ハイルヴィヒはジャムを一口、そうしてから紅茶を一口。じわり、と甘みと渋みが口内で混ざり合う。心地よい温かさを感じながら、それを飲み込んだとほぼ同じか。スヴェトラーナが突如席を立ち、ハイルヴィヒの直ぐ側まで歩み寄る。ハイルヴィヒが慌ててソーサーにカップを置いたならば、スヴェトラーナはぐぅい、と顔を一気に近づける。喜ばし気な笑みを浮かべて、けれども瞳の奥には底知れぬ何かを湛えて。

「ハイルヴィヒ、貴女って本当に、素敵ね!」

 此処に、月はない。けれどもまるで月明かりに照らされているかの様な感覚を、ほんの一瞬だけ、ハイルヴィヒは憶えた。流れる時がまるで小川の様に、否、いっそ逆流しているのではないかとすら思う。息を飲み込む、突然水中に沈められたら、こんな風に苦しいのだろうか。息ができないような感覚、否、息が詰まるという類の感覚だろうか。それともいっそ喩えるならば、じわじわと首を絞められているかの、様な。けれど、けれども、其れはほんの一瞬、一時の出来事である。全ては空想、少女は少女であり、彼女が彼女である事が彼女を少女たらしめている為ればこそ。

「ふふっ、じゃあもう一つ。嘘って、嫌い?」
「……別段、其れに対して何らかの感情は抱きませんね。他人が嘘を吐こうがどうしようが、あまり気にしません。……契約において虚偽があったとするなれば、その瞬間契約は打ち切りです。それ以上も以下も、ありません。…………ああ、ですが……優しさからくる嘘、というものだけは、どうにも理解できかねます。……いずれ真実を知る時が来るならば、それを先延ばしにしたところで意味が、見えません。」
「……ふふ、ふふふふ! すき、貴女のそういうところ、だいすき。私ではとても導き出せない答え、とっても素敵な答え。きっと一番真実に近いのだわ、それは。ふふふ、私はそう思うの! それに、ハイルヴィヒの言う事ならば間違ってなんか、ないものね。……ねえハイルヴィヒ、もっともっとお話させて? いっそ今日夜通しお話……ああ、ごめんなさい、ダメだわ。今日は、今日はね、お父様の所に行くんだったわ……ごめんなさい、ハイルヴィヒ。……でも、貴女ともっとお話したいのは、本当なのよ。だってハイルヴィヒ、近いうちにお仕事で此処を離れるのでしょう? そうなのでしょう? ……私の事、置いていってしまうのでしょう」

 憂いを帯びた瞳は、静かに下方を向いていた。これだ、これこそ、これでこそ――。否、ハイルヴィヒは小さく首を横へ振る。否定の意ではなく、己の浅ましい思考を振り払うために。吐き出す息が少し震える。恐怖ではない、畏怖でもない。幾ばくか孕む熱量は、そんなものを物語ってはいやしない。

「……では、お嬢様、こうしましょう。私が出るまでに、機会が在ればどうぞ夜通しとご命令を。其れまでに時間がなくば……無事に帰還できた折り、お約束を果たしましょう。ですから……どうぞ、契りを。誓いを此処に。行かぬ、という事だけは私、出来かねます故に」
「…………指切りげんまん、するの?」
「ええ、貴女と私で契約を交わすのです。子供じみた誓いでも……ないよりは、ましかと」

 そうハイルヴィヒが告げればスヴェトラーナは嬉嬉として小指を差し出した。小指を絡めて契りを結べば、スヴェトラーナは愛くるしい笑顔と共に、約束だからね、と言葉を紡ぐ。ゆびきりげんまん、嘘ついたらどうなるか、なんて、内緒、内緒。小指と小指が離れる瞬間、名残惜しいとばかりに指先まで触れて、誓いは為った。その事実が此処にある。ただそれだけで、2人は十分であったから。

「それと、お嬢様。私の言葉が必ずしも正しいかどうかは、わかりかねます。どの視点からものを見るかによって、私の言葉とて間違いとなり得ます。ですからどうか……それだけは、お忘れなきよう」
「ふふ、はぁい。わかったわ」

 添えられた言葉に、スヴェトラーナは柔らかく微笑んで、頷いた。小さな約束、これも一緒に先程の指切りげんまんでの誓いの中に入れておこうか、ほんの少しだけ迷っていた。けれど、嗚呼、きっと無理だ。スヴェトラーナという少女にとって、ハイルヴィヒという少女はあまりにも、正しすぎる。外を知らない少女にとって、近くにいる誰かで、初めて、強く外の世界を感じさせた少女は、いつの間にか“特別”になっていたから。

「ねえ、もう一個だけ、聞いていい?……ハイルヴィヒ、神様って、信じてる?」
「別段、特別な信仰は持ち合わせていませんよ。……祈った所で、神の救いなど無いでしょう。それに……死した後の事を語るにしても、だからなんだといいたくなります。死後にあるものは無だと、そう考えていますので。……そも、死した後の事など考え祈っていたら、傭兵など、なれやしないでしょう。……ええ、あくまでも私の考えですが」

 未来過去現在に於いて、同じ立場の人間が必ずしも己と同じ思考であるとはハイルヴィヒとても思ってはいない。問われれば答える。其処に虚偽はなく、誤魔化しもない。たった一つ、ハイルヴィヒ・シュルツという少女が抱く真実であった。ニコニコと微笑んだまま、しなだれかかってくるスヴェトラーナに、ハイルヴィヒは曖昧な笑みを向ける。伸ばされる白く美しい手を握りしめれば、その手の小ささに驚き、指の細さに、肌の滑らかさに、ハイルヴィヒは息を呑む。少し力を入れたら折れてしまいそうな其れを、慈しむように、指を絡める。

「……お嬢様、お紅茶が冷めてしまいます」

 静かな言葉は、其れだけ。ゆるり、と絡めた指を解けば、スヴェトラーナの手は重力に従って、ハイルヴィヒの膝へと落ちる。長い睫毛を震わせて、美しい少女が瞬きをしている、息をしている。ほんの一瞬、“信仰”と言うものを理解仕掛けた気がしてしまう程に、彼女は――。引き込まれるほどに澄んだ瞳を細めて、スヴェトラーナは先程まで腰掛けていた椅子へと戻った。

「……ふふふ、本当、冷めちゃったわ」

 至極、穏やかな言葉であった。柔く幼気な笑みをかんばせに湛えたまま、彼女は紅茶を飲み干した。小さく短く息を吐きだす様すら、あゝ、なんて。
 ――此の家は。たった一人の跡取り娘を中心に、些か歪んで廻っている。そんな気がした。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.35 )
日時: 2016/10/02 04:43
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 太陽が東の地平から顔を覗かせるよりも早い時刻、ソーニアの姿はジャッバールの武器庫にあった。傍らにはハヤの姿があり、彼女は分解されたライフルを組み上げていた。銃の形になりつつあるそれは通常のライフルよりも銃身がやや短く、軽量。取り回しが良い。そして何よりもアゥルトゥラが持つ後装式ライフルよりも信頼性が高く、堅牢な作りをしていた。何より燃焼ガスの漏れが一切なく、引き金を引くと同時に自身の指が吹き飛んだりという致命的な欠陥が解消されている。
「アサドが弾は五百発まではタダであげるってさ」
「本当に?」
「セノールに二言はないわ。ソーニア、これ大事に使ってよ? これの生みの親が調整した凄い銃なんだから。それに……、ちょっとした改造もしてあるの」
 そうやってハヤはキー溝が掘られた親指大の筒状の部品を銃口に組み付け、銃身との芯出し、水平が上手く取れているかを水準器を使って計測していた。何度か銃身に木を添え、金槌で軽く叩くと芯が取れたようで、銃口をソーニアに向けてそれが何なのかを見せつけた。
「何なの、それ?」
 考古学、言語学、民俗学などには秀でているが銃器や、それに付随する技術的な知識には疎いソーニア。ハヤが誇らしげに見せつけてきたそれが何なのか、憶測すらつかず首を傾げる。当然の反応であろう。
「これね、銃口から出る発射ガスを上にだけ流してやって、銃身の跳ね上がりを相殺するんだ。我ながら傑作でね、これは今設計してる連射が利く単銃身のライフルにもつける予定で――」
「ハヤ」
「これが完成した暁には銃器の歴史が変わるんじゃないか、なんて思っててさ! もう馬鹿でっかくて重いガトリングなんて無用の長物。単発のライフルなんて時代遅れにして――」
「……とにかくすごいのね」
 ハヤが矢継ぎ早に繰り出す技術的な説明と、全く技術者らしくない稚拙な言葉の嵐にやや頭を殴られたような気分になりながら、なんとなく納得したかのような言葉を出せば、ハヤは笑みを湛えて大袈裟に頷くのだった。
「とにかく、これがあれば多少は自分の身を守るのも楽になるわ。まぁ、弾自体がレゥノーラよりも人間相手を想定してるから、効果絶大って訳じゃないけどさぁ。あ! でもこれ凄く精密に撃てるよ、口径が小さい分、跳ね上がりにくいし、発射ガス相殺出来るから」
 ジャッバールはカンクェノの階層突破にかなり貢献しているというのに、何故レゥノーラ相手を想定した弾の設計をしなかったかが、ややソーニアには引っかかる。レゥノーラ相手の場合、身体を吹き飛ばすのが最も効果的である。そうなれば散弾銃や大口径ライフルを用意するのだろう。確かにハヤがいうように、このライフルの口径は、アゥルトゥラが持つものよりも小さく感じられた。
「レゥノーラ用はないの?」
「うちで作ってるのは、リボルバーを除いて全部対人想定。弾も全部そう。これはね、命中すると弾が身体の中で回って、体内組織を破壊するんだ。大口径だと射入口と射出口は大きくて、相手を動けなくする事は簡単なんだけど、いまいち身体の中の損傷が小さくてね。致命傷になりにくいんだ。それに弾が小さいと貫通しにくい。そうすれば弾を抜くために身体を開かなきゃいけない。失敗したら出血多量で死ぬ。もし取り出さないと身体が異物に対して拒絶反応起こしたり、感染症で死ぬ」
「そこまで考えてるの?」
「勿論。先人の知恵だよ。どれだけ人間を効率よく殺傷して、後引くダメージを与えるかってね」
 恐らく弾の設計思想としては、ジャリルファハドが言っていた矢のそれと同じなのだろう。セノールは何をどうすれば人間にどれだけの損傷を与えるかをよく知っている。故に銃弾を設計した時も、同じ原理を利用しただけに過ぎず、その弾を使うためにそういった銃の設計を施したと考えられる。
 また、弾を全て共用とする事により補給を容易に出来る上に大量生産を行う事でロットを増やし単価を下げ、費用も抑える意味もあるのだろう。そう考えればセノールの民族的な背景上、当然の事であるようにも感じられた。結果的に対人想定になっただけだと予想される。
「ま、ソーニア。死なないでよ、あんたはアゥルトゥラだけど良いアゥルトゥラだ。そんな人を死なすなんて惜しいからさ。……ってアサドが」
「へぇ、悪いアゥルトゥラの定義は?」
「大よそ全てのアゥルトゥラさ。老いも若きも、女も子もない」
 アゥルトゥラは過去は過去と割り切り、自主的に毀棄していく。先人の知恵や、培った歴史、古の理、大よそ全ての過去を蔑ろにし未来と今のみを睨む業の深い人種である。
 それ故に五十年も昔に行った事について、委細知るものは少ない。歴史教育というものをされないからだ。セノールと争い民間人をも殺め、その文化の負の側面を売り出し、それを壊した。歴史は勝者が作り、敗者は死に体となり口を噤む。その構図の最たる例であった。
「やっぱりセノールから見れば、アゥルトゥラはそう映るのね」
 ソーニアの一人ごちたとも取れる短い言葉にハヤは返事する事なく、黙ったまま銃を組み上げていった。金属同士がぶつかり、擦れ合うような小気味の良い音が静まり返った二人の間を取り持つ。最後に刻印を持ち、それをハンマーで木製の銃床に打ち付け、一際甲高い音が鳴り響き、遂に静寂は終わりを告げる。
「よし、出来た。持ってって」
 押し付けられたライフルの銃床にはセノールが昔から使っている文字で「ハヤ・セイフ・ラーディン」と印字されていた。受け取ったライフルは通常のものよりも軽く、構えを取り、狙いを定めてみると溝ではなく穴に加工された照門と、三方向に開かれた照星がつけられており、咄嗟の狙いが定めやすかった。
「照門は取り外しが出来て、狙撃眼鏡に挿げ替える事も出来るけど使わないでしょ?」
「要らないね。狙撃なんて繊細なこと出来る訳ないじゃん」
 狙撃にはコリオリ効果の計算から、風向き、湿度、温度などといった状況、標的までの距離を伝える観測手の存在が必要不可欠。狙撃を行うなど現実的な話ではない。
「そも、それを扱えるかも怪しいよねぇ」
 第一、ソーニア自身、銃の訓練を専門的に受けた事はない。単独でカンクェノに潜ると聞き及んだレヴェリから多少のレクチャーを受けただけに留まる。上手く扱えるか、微妙なところである。ハヤの言葉は尤もだとソーニアは苦笑いを浮かべながら、ライフルを担ぎ上げるのだった。
「撃ち方教えてよ」
「私達の人殺しの術は教えられないなぁ、対策練られたら困るもの」
 そう物騒な事を語るハヤはにこやかに笑いながら、一冊の書物を突きつけてきた。その書物には「猿でも分かる撃ち方講座」などと如何にも頭の軽いタイトルが付けられ、筆者にはやはり「ハヤ・セイフ・ラーディン」と名が記される。
 それを受け取る事もせず、どこか遠い目をしながらハヤを見据えるソーニア。徐々に心持ちが悪くなってきたのか、ハヤはそれを引っ込めて何事も無かったかのように取り繕うのだった。
「何それ」
「私達ラーディンの氏族、引いてはセイフの家門は武働きする家じゃないからさ。銃の実射試験の時に、戸惑わないように説明書きを作ったんだよね。誰でも分かるようにって、良かったらこれ持っていってよ」
「もう少し、それどうにかならなかったの?」
「堅苦しい題名ついてたら、読みたくない人達が多いからさぁ、セイフの人間って……」
 それはハヤだけではないのだろうかと、首を傾げながら「猿でも分かる撃ち方講座」を受け取り、それを肩から提げた鞄に突っ込む。今この場で読んで、思いの他上手く作られていたとしても、ハヤを褒めるのは何となく負けた気がして悔しい。故に後で読む。
「あぁそうだ。朝、食べてきなよ、口に合わないかも知れないけどね」
「いや、それは……」
 ソーニアは返答に困り、口ごもる。もしその様子を回りのセノールが見たらどうなるのだろうか。朝から不愉快な思いをしないだろうか、それともそれを受け入れるのだろうか。ハヤがそこまで考えていない可能性もあるが、その逆も然り。
「学者足る者、現状、現実を知らずして何を知るってね。だから来なよ」
 半ば無理矢理ハヤに引っ張られるようにして、武器庫から連れ出され、母屋へと連れ込まれる。中にはセノールやレヴェリの姿があり、一瞬ソーニアを見て顔付きが変わり、敵意に似た何かを宿したようであったが、すぐにそれは消え失せて、何事だろうかと興味深々な様子で見据えているのだった。
「朝食べてくってさ、用意してやって頂戴。あぁ、あと私の分も」
 毒でも盛られやしないか、やや恐ろしげであったがハヤの宣言があった以上、今更引くに引けない。観念した様子で促されるままに席につく。左隣のハヤはソーニアの様子を気にする様子もなく、真正面に座っているセノールも一瞥だけしたが、余り関心なさ気に書に目を通しているだけであった。

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50



小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


作家プロフィールURL (登録はこちら


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大7000文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。