複雑・ファジー小説

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儚き記憶の回顧録
日時: 2016/11/23 00:10
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ (ID: EFgY0ZUv)
参照: http://twitter.com/imo00001

こちらでは私が参加させていただいているリレー企画「無限の廓にて大欲に溺す」の中編、短編を扱っていきます。
あくまでも、番外編、零れ話的な立ち位置になりますので、そちらの方から目を通してから読んで頂ければ幸いです。
また中編短編メインということで、本編の前にタイトルやその話の主人公注意書きなどを載せますのであしからず……。

Re: 儚き記憶の回顧録 ( No.2 )
日時: 2016/12/12 23:18
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ (ID: EFgY0ZUv)

 少女はまるで蜃気楼のようにガウェス・ハイドナーの前に姿を現した。もしも乙女との逢瀬を、一夜限りの……、否、一日限りの質の悪い夢と割り切れれば彼はここまで思い悩まなかっただろう。しかし、未だ頬にある傷は痛み熱を帯び、彼の騎士を眠りを妨げる。そしてその痛みと同じくらいとある感情が未だ燻っているのだ。彼は思う。「何故、彼女はこのような試練を課したのか」と……。


 高温多湿のクルツェスカでも特に蒸し暑いの夜のことだ。ガウェス・ハイドナーはいつもと同じように領地の見回りを行っていた。特に治安が良いとされるハイドナーの領地であるが、常に多くの人間が流入、流出するクルツェスカではいつ邪な考えを持つ者が入ってきてもおかしくない。また、近くにスラム街があり、度々被害が確認されていることは当然彼の耳にも入っていたし、いっそのこと、事故か何かと見せかけて灰にしてしまえばいいのではないかと、過激な意見を言ってくる輩を宥めつつ、どうするべきか常に頭を悩ませていた。現在もランプを片手に頭の中ではああでもない、こうでもないと一人ごちり続けながらガス灯の淡い光に照らされる町を彷徨うのだ。
 しかし、こうも暑いと頭が熱に浮かされてなかなか籌作も浮かんでこない。仮に浮かんでも「アッ!」と驚くような妙案でもない。そして、考えが行き詰まる度に先の恐ろしい提案が頭をちらつくのだ。
 さて、何もしていなくとも汗が滝のように流れていくような暑さの中、ガウェスが身を包んでいるのは相も変わらず白銀の鎧。フルメイルではないとはいえ空気の逃げるスペースが極端に少ないために、熱がこもり什器のように蒸れているのだ。常日頃から心身ともに鍛えている頑強な騎士も暑さには勝てず、思わず広場のベンチに腰をおろしてしまう。鎧の下に着ているインナーは汗を吸い鉄粉でも混ざてあるのかの如く重くなり、うっとおしく体に張り付いてくる。綿飴のようにふんわりとした癖の強い髪も、汗と湿気にやられてぺとりと張り付いてしまう始末。
 この蒸し暑さが己が振るう剣で切り伏せられれば良いのにと柄を握ってみるものの、そんなこと出来る者はこの世の何処を探してもいはしないと結論が出れば、諦めの気持ちがフッと沸いて、心が軽くなったように感じられた。そして、ほんの数秒前の自分自身に浅はかな考えだったと自嘲を一つ向ける。

 しばらくは星を見上げてみたり、広場に居座っている愛猫(名前はソックス。性別はメス)を健気にも待ってみたものの一向に来る気配はない。諦めて餌だけをベンチの下、彼女のお気に入りの場所に置いた。そしていつもより数段重い体で立ち上がった時、自分に背を向け静かに佇む女性がいるではないか。多くの戦場、修羅場を潜り抜け、場の変化や気配を察する能力に長けている彼が、彼女に至っては何時、何処から現れたのかとんと見当がつかなかった。広場の静謐を崩さず、気配さえ悟られず、そこにただ立っているだけの女を、これ以上ないほどに目を丸くして凝視してしまう。
 時間にしたら数分も経っていなかったやもしれぬ。やがて女はその顔をこちらに向けた。それが彼女の気まぐれか、はたまたこちらの存在に気が付いていたのか、分からない。しかし、ソックスがここにいなかった理由だけは分かった気がした。彼女は今まで出会ったどの女性よりも美しい。いや、女性と呼ぶには些か語弊がある。幼さが抜けず、大人になり切れぬ少女は、瑞々しく穢れを知らない白百合なのだから。手折りたいとも守ってやりたいとも思う相反した気持ちを沸々と沸き上がらせる魅力を放つ。星の欠片を集め紡いだよう金髪は彼女の動きに合わせて淀みない水流のように緩やかに線を描き、雪のように白くきめが細かい肌は月明かりに照らされれば淡く輝く。ガウェスは息をするの忘れ彼女に魅入った。最早瞬きでさえ惜しい。その一分一秒、刹那で過ぎ去る瞬間でさえ全てを網膜に焼き付けたいのだ。
 視線を交わして数秒、少女は鈴の音のように澄んだ声が彼女の口から発せられた。
「ここで、何をしているのですか」
「疲れてしまって休憩を。貴女はなぜ此処へ」
「月が……綺麗でしたから」
はにかみ、少しの恥じらいをもって答えた少女は、ガウェスの元へ二歩三歩と歩み彼が座っていたベンチにストンと腰かけた。そして手招き。あどけなさが残る可愛らしい顔をガウェスへと向ける。彼女の顔を近くで見つめて気がついたのだが、彼女の目尻には小さな黒子があった。
「少しだけお話しませんか」
 誰が少女の甘美なる誘いを断ることが出来ようか。蒸し暑い夜だということも忘れて広場のベンチに見目麗しい男女が二人、月を背景に語り合う。日常から切り離された静かな広場に二人の会話を邪魔するものはなく、時間だけが淀みを知らぬ清流の如く過ぎていく。
 彼女は決して名前を教えなかった。どんなにガウェスが聞き出そうとしても彼女は曖昧に微笑み口を噤んでしまう。その柳眉が困ったように八の字になれば、それ以上の追及は出来るはずもない。
 また博識でもあった。一般教養に加え、その他の勉学(例えば、言語学、神学、法律学、化学、薬学)、礼儀作法やマナーなどの貴族教養を叩き込まれたはずのガウェスですら、舌を巻くほどの圧倒的な知識を披露したのだ。特に詩に関しては深い理解と興味があるようで、恋愛の詩や詩人の話になるとガウェスの顔色も気にせず自らの考察や思いを饒舌に語りだす始末で、思わず苦笑いを漏らすほどだった。
「貴女は、とても聡明な方なのですね」
 その一言で少女はハッと我に返り、顔を真っ赤にして今までガウェスに向けていた顔は下へと向けてしまった。その慎ましい姿さえ可憐で愛らしい。同時にその顔が自分に向けられなくなったことを嘆き、自らの失策を悔いた。
「顔をこちらに向けてはくれませんか」
 しかし、少女の顔はガウェスの方を見ようとせず、横顔さえも金色のカーテンで隠したままである。
「御高名なハイドナーの御曹司様。今の私の顔はこのクルツェスカの誰よりも下品な顔をしておりますわ。だって、紛れもない貴男様に褒められたんですもの。私の敬愛するただ一人の御仁。褒められて嬉しくないわけがありません。なんて愚かしいことでしょう。言葉なんて幾らでも飾り付けることが出来るのに!それを鵜呑みにし、あろうことかその感情を隠そうともしないだなんて。愉悦に浸ったその顔を見たら、きっと貴男は離れていきますわ」
「気にする必要なんてありません。貴女はどんな姿をしていようと、悦に顔を歪ませていようと、きっと六月に咲いた薔薇のように美しいはずですから」
 口説き文句にしてはあまりにチープ。もしもこの場に情報屋として雇っている娼婦が居合わせたら、彼の言葉選びのセンスの無さに呆れ、また、大声をあげて笑い転げるであろう。しかし、彼を責めないでほしい。何故なら彼の騎士は女性に言い寄られたことはあっても言い寄っていったことがないのだ。つまり、これが生まれて初めての恋。女性に関しての厄介事を抱え込むことが多く、その手のことに関しては慎重なはずの彼がまさかの一目惚れである。(最も、それには俄かに信じられぬ理由があるのだが、説明は一旦省かせてもらおう)こんな恋愛経験の浅い男が作る殺し文句、必勝のフレーズ、さらに云えば、愛の囁きなんぞはタカが知れているというものだ。
 しかし、叩き売りされているような安っぽい言葉でも清純な乙女にとっては心を溶かす甘い媚薬になり得てしまう。更に顔を赤くし、恥じる彼女はガウェスの視線から逃げるように顔を横に逸らし、傷一つない美しい白い手で顔を覆ってしまうのだ。彼は何とか顔を挙げてもらおうと、星座についての神話を語り一緒に星を見るように促してみたり、詩や詩人の話を何気なくしてみるのだが、彼女の姿勢は変わらない。ガウェスは打つ手無しと困り果て、頭をガシガシと少々乱暴に頭を掻いた。

Re: 儚き記憶の回顧録 ( No.3 )
日時: 2016/11/29 08:05
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ (ID: EFgY0ZUv)

 永遠と思われた閑寂を破ったのは意外にも乙女の方であった。顔は下に向けたままであったが、今まで顔を隠していた腕を解いたのだ。そして、「ううっ」と苦悶に満ちた声をあげ、ガウェスの関心を引いたのだ。  
「ごめんなさい。ごめんなさい。私はただ貴男様と話せれば良かった。それだけの為にここに来たのに。私はなんて浅はかで欲深なのでしょう。もっと深く近づきたいと望んでしまいました。愛してほしいと、その唇に接吻したいと、願ってしまいました。私は貴男様の想いに応えられることなんて万に一つもないというのに」
 やっと顔を上げた彼女は泣いていた。涙はキラリと光を放ちふっくらとした頬を伝い、輪郭をなぞり零れていく。赤くなった鼻をすすり、嗚咽を洩らしながら、恋人のように彼の胸に向かってその身を預けたのだ。
——ああ、この鎧が無ければ彼女の匂いを、体温を、もっと近くに感じることが出来るのに!
 ガウェスは生まれて初めて、自分の身に着けている鎧のことを忌々しく思った。しかしすぐに自らの下劣な発想に嫌悪をし、彼女の背中に回しかけていた腕をゆっくりと下ろす。
「どうして、貴女は私の想いに応えられないのですか」
「何故なら、何故なら!! 私は人の子ではないのです。人と妖精の間では子が成せません。だから貴男の思いに答えることが出来ないのです」
「……はい?」
 突如として奇天烈な事を言い放った彼女に対し、熱に浮かされた思考が一瞬だけ元に戻りかけた。身なりを見る限り、貧困に喘いでいる様子もなければ、身分が低いようにも見えない。何よりもお互いが好いているのだ。拒絶される理由は何なのか。そうなれば原因は一つしかない。彼は彼女を哀れんだ。嗚呼悲しかな、やはりハイドナーはハイドナー。ロトスの息子。相手に詳しく真意を訊けばよいものを、自分勝手な解釈をして納得してしまうのだ。
「それでも構いません。例え我が子が成せなくとも、妖精であったとしても必ず貴女も愛してみせます」
「成りません。成りませんわ。貴男は未来を背負う身。私のことなどお忘れください」
「そんなことが出来るとお思いなのですか。私の心をここまで乱しておいて。それでも貴女がどうしても、どうしても忘れてほしいと切に願うのならば、私にあなたの何かをください。形に残らなくてもいい。私と貴女、二人だけの何かがほしいのです。それをくれるのであれば、分かりました。貴方のことはその思い出と共にクコの木の下に埋めて綺麗さっぱり忘れましょう」
 女性には紳士的に振る舞うガウェスにしては些か強引な手であるのは否めない。だが、それに気が付かないほどに彼の胸の中の情熱に夢中であった。感情を御することもなく、逆に感情に支配されている滑稽な男がそこにいる。炎が燃え尽きた時、彼が自身にどんな感想を抱くのかは皆様、後の楽しみにとっておこう。
 そんな馬鹿な男の提案に乙女は戸惑い、視線を左右に泳がせた。一度はガウェスに懇願するように目線を合わせてみたものの、彼の鋼鉄の意思が変わる可能性はゼロに等しい。やがて決意を決めたらしい。自分よりも幾分か背の高いガウェスの耳元に口を持ってきて囁いた。
「ならば……ならば、私のことが忘れられるように、貴男様に良い人が見つかりますように一日限りの魔法をおかけしますわ」
 どういうことだと問う前に彼女の唇がガウェスの左の目尻に触れた。一秒にも満たない交わりのはずなのに、血が逆流したかのように身体が火照り、心臓が脈打った。
ゆっくりと離れていこうとする少女をもう一度己が胸に収めてしまおう腕を伸ばすが彼女は抱かれること無く、腕は空をきるのみであった。彼の脇をするりと抜けた彼女を追いかけようと勢いよく立ち上がったガウェスの目の前、少女の姿はない。
 そう言えば、最初彼女が現れた時もそうだった。突として現れて、居なくなる時はフゥと吐き出された紫煙のように消えていく。その時、ガウェスはようやくその少女の異常性に気づかされた。足の先から頭の天辺まで悪寒が走り抜け、鳥肌がブワリと立つ。得体のしれない何かに近づいてしまった感覚が抜けきらず、筆舌し難い恐怖にこの身を支配されていると気づかされる。自らの情けなさに声も出ないほど悔しく、烈火の如き怒りを覚えたが、それをぶつけることは出来ない。早々にこの場を立ち去ることを決心をし、その足を動かす。いつでも剣が抜けるようにと右手は剣の柄にかけたまま、広場の外へと一歩一歩歩む。途中で、猫の鳴き声が聞こえたような気がするが、彼女に構う暇はない。
 完全に広場から抜け出せたのを実感すると、ガウェスはこれほどまでにない安堵を覚えた。良かった。何もなかった。あの少女は確かに不思議な少女であったが、恐れる必要なんてなかったではないか。そう思うと先ほどの怒りや悔しさはどこへやら、今度は彼から笑いが漏れる。まるで百面相をしているかのような気分、非常に心地が良い。しかし、心の底から安心を享受しきったとき、突如として頭に響いた声に思わず身を強張らせるのだった。
「木綿付け鳥が鳴いたとき、貴男様の世界に少しだけ変化が訪れるはずです。そして気を付けてくださいまし。これは一度限りの淫蕩な夢。夢の世界で再び眠りにつく時、それは脆く儚い幻想になるということを努々お忘れなきように」

Re: 儚き記憶の回顧録 ( No.5 )
日時: 2016/12/12 20:28
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ (ID: EFgY0ZUv)
参照: http://twitter.com/imo00001

 突然だが皆さんは、ディアルミド・ウア・ドゥヴネの逸話をご存じだろうか。知らない人の為に少しばかり説明をさせていただくと、ディアルミドはとある地方の神話の登場人物である。騎士団に所属し、武芸もさることながら騎士団で一番の美貌をもっていた彼だが、最期は巨大な猪の致命傷によって命を落とすこととなる。
 彼の頬には「愛の黒子」と呼ばれる、それを見た女性を恋に落としてしまう魔法、もとい呪いがかけられた黒子があった。そもそもこの黒子、生まれついてあったのではない。「自分と結ばれることは出来ないから、せめてもの印として」と、口説き落とそうとした美しい妖精から受け取ったものなのだ。ここまで言うと、そうだ、どこかデジャヴを感じる者もいるだろう。これはそんな女難を賜ってしまった騎士とどこか似通った部分をもつ白銀の騎士の、とある災難を書き記した一頁である。

 
 ようやく朝になったのだが、結局のところ彼はほとんど眠れなかった。目を閉じれば、ヴィーナスの見間違うほど美しい娘の姿が脳内に描かれ、銀の鈴を鳴らしたような透き通った声が何度も何度も繰り返され心をかき乱すのだ。加えて、自分の感情を最優先にして行動した故に少女を困らせたという罪悪感。そして彼女へ放った安っぽい口説き文句の一つ一つを思い出すたびに、それは熱せられた鏝となり、心に羞恥という感情を押し付けていく。もしも、彼を知る人物に昨夜のことを目撃されていたら、そのみっともなく想いをぶちまける姿に幻滅し、教養の感じられない言葉選びに抱腹絶倒、人によっては縁切りされても文句は言えまい。厳格な父親の耳に入れば、説教どころか絶縁状の一つでも叩きつけられるやもしれぬ。
 現在、彼がどれほど慙愧の念に堪えているのかは端正な顔を枕に押し付け長い溜息を洩らしていることからご理解いただけるだろう。しかし、ここは懺悔室でもなければ祈りの時でもない。控えめなノックが三回。食堂に来ないガウェスにせっかちな父親が迎えを寄こしたのだ。名前をしきりに呼んでくる心配性のメイドに返事を一つ、そして重たい身体を引き摺るようにベッドから出て、手早く着替えていく。黒いベストに白いシャツ、黒いズボン。これが彼の平服である。

 姿見で自分の姿を確認したとき、左の目尻に知らぬ黒い点はついていた。ゴミかと思い、軽く引っ掻いてみるものの取れず、爪が触れた感触だけが残る。鏡の中の自分の顔をまじまじと見ればそれは黒子であった。昨日の自分にはなかった異物。そう言えば、あの娘にキスをされた所もここら辺だったなと気が付くと途端に顔が熱くなった。もしや、贈り物とは、魔法とはこのことか。自分と同じところに同じモノを送る。大人になり切れぬ少女の独占欲が可愛らしく思わず頬が緩む。再びノックが聞こえた。今度はさっきよりも強く扉を叩いている。早く来いと急かしているのだ。
「遅くなりました」と一言添えて部屋を出れば、いつも起こしに来る使用人ではない。先日やめてしまった三人の代わりに新しく入って来た使用人なのだろう。ようやく出てきた部屋の主に少女は文句の一つでも言ってやろうと口を開いた。が、彼の顔を見た途端、呆けたように口を開けたまま動かない。ガウェスは、不審に思いはするものの新人ならば緊張することもあるだろうと「おはようございます」と柔らかい笑顔を添え伝える。しかし返ってくる言葉は無く、ただただ顔を背け走り去ってしまった。失礼な使用人というよりは自分が何か気に障ることをしてしまったのだろうかと些か気を病みながら一人食堂へ向かう。その際、何人か若い使用人とすれ違い挨拶を交わそうと試みたもののの、ガウェス卿と気が付くと、顔を逸らしてしまうのだ。結局いつも通り、挨拶を返してくれたのはハウスキーパーをしている初老の使用人だけであった。
 逆に食事の時は使用人からの視線の一切を受けることとなった。背中に、肩に、頬に、突き刺さる視線に、何とも言えぬ居心地の悪さを感じ、早く食事を終わらせて自室なり別室なりに移動しようとパンをちぎる。父親も使用人達の視線がガウェスに注がれているのに気が付いているようで、「ついに手を出したのか」などとからかってはガウェスが動揺する様を面白がっているのだ。


 食事が終わり、今日は外に出かけず自室で紅茶を飲みながら本を読もうと考えていたガウェスの元にやって来たのは使用人。起こしに来た少女よりも身長が小さく、クリクリとした大きな瞳が小動物を思わせる。彼女が言うには、コーヒーの染みがついているとのことで、ああ確かに、袖の部分に大きな黒い染みが一つ付いているではないか。ガウェスがハンカチを取り出すよりも使用人が自分の持っていたハンカチを差し出すのが早かった。
「どうぞ、お使いください」
 人から差し出されたモノを断るのも逆に失礼だろう。彼女の白いハンカチに手を伸ばした矢先、待ったをかける人物が一人。「お待ちください」と二人の間に入って来たのは彼女より少し年上の使用人である。彼女は少女からハンカチを取り上げると不躾に思うほど強い目線で相手を見つめている。
「さっきこのハンカチ、あなた廊下に落としていたわよね。誰も踏んでないから綺麗でしょうけれど、そんな物を渡そうとするなんて配慮が足りないんじゃなくって」
「も、申し訳ございません」
「次はお気をつけなさい」
 後輩への叱咤が終わるとガウェスの方に向き直る。先ほど険しい表情が嘘のように消え去り、春の麗らかな日差しを思わせる優しい暖かい笑顔を向けた。
「大変申し訳ありませんでした。こちらの教育が至らぬばかりに。代わりといってはあれですが、こちらをお使いください」
 差し出されたのは可愛らしい花柄のハンカチ。
「これは」
「私のハンカチです。まだ使用していません。使用人風情のハンカチではご不満かと思いますが、今だけどうかご辛抱を」
「そんなとんでもない。ではお言葉に甘えて」
「お待ちください。私が先にガウェス様にお声がけさせていただいたのです。ハイエナの真似事はやめてくださいまし。それに私はもう一枚ハンカチを持っています。ガウェス様には私のを使ってもらいます」
 ハンカチが渡される寸前、ガウェスの手の平の上に自らの手を乗せて阻止したのは先ほどお叱りを受けた使用人。
「ハイエナ? 後輩のフォローをするのが先輩の役目でしょう。もう一枚持っているなんて見え透いた嘘はおやめなさい」
「いいえ。これだけは譲れません。私のハンカチを使っていただきます」
「ペーペーのぺーのぺーは黙っていなさい。早く床に落ちたハンカチを洗ってきたらいかが?あと、早く離れなさい。あなたみたいな使用人が触っていいお方ではないのよ」
「貴方も使用人でしょう?私より少し長く働いているからって調子に乗らないでください。それに、私知っているんですよ、先輩は執事長と」
「そんなことないでしょう!! 馬鹿なこと言うのはおやめなさい」
 茹でられた蛸のように顔を赤くして否定する使用人は怒りが臨界点が突破しそうなのだろう。目を大きく見開き、握り拳を作り震わせている。それもそうだ、自分の一番知られたくなかった秘密を一番知られたくない人物に知らされてしまったのだ。出来ることなら今すぐにでも目の前にいる悪魔を引っ叩きそのお喋りな口を塞ぎたかっただろう。しかし、自らの雇い主の手前そんなことは出来ず、親の仇と言わんばかりの剣幕で睨みつけることしかできない。そんな視線を受けてもなお、女は一向に怯む様子はなく、余計に彼女をせせら笑う。
「本当のことでしょう?このアバズレ」
 これが全ての発端。ガウェス・ハイドナーの不幸なる一日の始まり。アバズレと揶揄されたその少女、自分の秘密を暴露した悪女へ正義の鉄拳を頬へ一発。突然暴力をふるった少女にガウェスは呆気にとられた。兇器として放たれた鋭利なる一撃は少女の頬を直撃し、耳を塞ぎたくなるような鈍い音を食堂に響かせる。ガウェスは後に語った。あの一発は並みの一撃ではない。殺し屋のソレと一緒で、まともに食らったらただでは済まない、と。後頭部を強く打ち付けてしまった少女は「うっ」と小さい呻き声をあげたあと、ずるずると床に倒れてしまう。
 しかし、静閑たる時間は刹那。床にひれ伏した少女はテーブルを支えにゆっくりと立ち上がった。飢えた肉食動物のようにギラギラと目を血走らせ、殺意を湯気のように立ち昇らせている。その様は、歴戦の勇将であると説明されて納得できる存在感と威圧感を放ち、見る者全てに死の恐怖を植え付けるであろう。背中に流れる汗が警告する。これはまずい。これは相当まずい。幾度も戦場を潜り抜けてきたガウェスの勘であった。ここで二人を止めないと大変なことが起こる。
 立ち上がった少女の手に握られているのはフォークとナイフ。テーブルに置いてあった物だ。それと対峙する女性も彼女が兇器を手にしていると分かった途端、近く置いてあった花瓶を割り、その破片を手に取った。
 ちなみに、その花瓶だけで一件家が建つくらいの価値があるということを伝えておこう。
「ふ、二人とも、少しだけ落ち着いて」
 あゝ無情。ガウェスの声は二人には遠く。飛び交うのは凶器か、それとも狂気か。ガウェスは反射的に身体を床に伏せた。同時に陶器と金属がぶつかり合って響く甲高い音。怨嗟の声。降り注ぐ食器、花瓶の破片。そこにあるのは戦場である。腹這いの状態でどうしてこうなってしまったと頭を抱えるガウェス。これ以上は手に負えぬ。これが導き出した結論であった。匍匐前進で食堂の出口目指すが、途中で何度も花瓶の破片が降り注いでくる。目の前にナイフが突き刺さった時は背筋が凍る思いを味わい、この時ほど鎧を着てこなかったのを悔やまなかった日はない。そして、その度に床を這っている自分の姿を想像してしまいその無様な姿に涙が出てきそうになるのであった。

Re: 儚き記憶の回顧録 ( No.6 )
日時: 2016/12/11 23:06
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ (ID: EFgY0ZUv)
参照: http://twitter.com/imo00001

ずりずりずりと惨めな芋虫になった気分で床を這い、ようやく食堂にの出口にたどり着く。身の安全が確保できたと確信が持てたら、テーブルに手をつき、腕と足腰に力を込めていっきに立ち上がる。数メートルの道筋であったはずなのに、肉体的にはともかく精神は履き潰した靴の踵のように草臥れてしまった。後ろでは未だ罵詈雑言の嵐が飛び合い、時折、兇器が風を切る音が聞こえる。振り返らずとも自分の背後がどのような状況になっているのか容易に予測がつき、眉間を手で押さえてしまう。ハンカチ一つでこれほどの悲劇が起こるなど、誰が予想しただろうか。

 次に彼が遭遇したのは窓の拭き掃除をしていた使用人である。自分よりも幾分か高い所に窓を拭くために懸命に背伸びしている少女の健気な姿に好感が持て、彼女ならばと淡い期待をもって話かけた。事の次第を話し何とか協力を得ようと思ったのだが、彼女はガウェスの顔を見るや否や「好きです!!」と叫び、思いきり抱き着いたのだ。慌てて引き離そうとするも、なんという偶然か。その様子をたまたま通りかかった使用人が抱き合う二人を目撃した。正確にはガウェスは少女を引き離そうと肩を掴んでいただけに過ぎないのだが、事情を知らぬ者が見ればガウェスが乙女を掻き抱こうとしているようにも映る。身分違いの恋など御法度であるこのご時世、彼女の衝撃は如何ほどの物だったか。なんということをなんという場所でしているのだと、思わず眩暈がして持っていた箒が手から離れた。しかし、恋愛小説のような設定、出来事に胸がキュンと跳ねるのも事実。二人の恋路を邪魔するわけじゃなし、とりあえずは、ガウェスと抱き着いている使用人に対し訳を訊かねばと(多少の興味をもって)意気揚々と近づいていく。だが、彼の顔を見た途端、そんな考えは空の果てへと吹っ飛んでしまった。その白い肌が、そのサファイヤのような瞳が、スッと通った鼻筋が、全てが愛おしい。彼の全てを網膜に焼き付けたい、逆に彼にも自分だけを見てほしい。歪んだ独占欲と突如燃え上がった恋の炎を抑える術を少女は知っているはずがない。そして馴れ馴れしく抱き着いているその女に対して殺意に近いドロリとした感情が沸き上がる。
 極東のある国では、女は嫉妬や怨みが籠った顔を鬼に例える。親の仇と云わんばかりの剣幕で女をガウェスから引っぺがした少女の顔は正に鬼女であった。突き飛ばし、尻餅をついた彼女に上に跨るとその白い肌に向かって平手で何度も叩く。再び唖然とするガウェスだったが、今回はすぐに意識を引き戻し、二人の仲裁に入ろうとする。
「ふっざけんじゃないわよ!!」
 しかし、それよりも早く動いたのは馬乗りされている少女だった。平手打ちを繰り返していた手を掴むと錆びついたブリキの玩具のようにぎこちなく上半身を起こし、頭を大きく振りかぶってヘッドバット!!ガウェスでさえ行ったことがない荒業を見せつけられ、長年持ち続けていた女性への幻想、奥ゆかしく、謙虚で嫋やなイメージは悉く破壊され、残滓さえ残らない。二人にはバレないよう静かにその場を後にしようとした。が、
「ガウェス様が逃げた!」
 彼の騎士の肩が大きく揺れた。悪魔の声はどちらのものか。そんなことどちらでも良い。そそ走り逃げる鷹一羽と追いかける野兎が二羽。バタバタと騒がしく音を立てて走るガウェスを何事かと乙女達は仕事の手を休め見据えているが、彼の顔を見た途端、キューピッドに心臓を射抜かれた様に高鳴る鼓動。しかし、穢れを知らぬ乙女はそれを恋だと自覚せぬまま情動に突き動かされ、自らの心掴んだその青年を追う。二羽だった兎はいつの間にか五、六、七と増えていき、口々に愛しい彼の名を呼ぶ。さて、これに冷や汗を流すのはガウェスだ。女性に言い寄られる経験は少なくはないが、レギオンをあしらう方法は分からない。何よりも捕まったときが恐ろしい。自分の身はもちろん、今は団結している彼奴らが些細な事で仲間割れをし兼ねない。そうなった場合ハイドナーの屋敷が地獄と化すだろう、色々な意味で。
 エントランスホールまで逃げ、彼女達を撒く方法を模索すれば外へと続く扉があった。迷っている暇はない。幸い彼が外に出るまでの時間はあるだろう。ガウェスの位置から扉までの七メートル弱を走る、走る! 彼が扉を閉めるのと同時に内側聞こえてくるのは悲鳴。何が起きたのか、中を開けて確かめる勇気はなく、心の中で謝罪と無事を祈り屋敷の外へと飛び出した。使用人達が追ってこないうちに賑やかな市場に身を隠そうと画策するが、そこに行くまでに会った女性達、特に少女と呼ぶに相応しい年頃の娘達がガウェスの姿を一度瞳に映してしまえば……、言わずもがな、彼の虜となる。

 気が付いたときには彼は市場ではなく住宅街への逃げていた。無意識に人が多い所は駄目だと察した結果である。日陰者の住処であるソコは昼間でも静寂に包まれていたはずだのに、今は恋熱に浮かされた乙女達が彷徨い、うわ言のようにガウェスの名を呼んでいる。
 少女達にばれない様、静かに、それでいて大胆に碁盤目に入り組んでいる街を歩く。家にも帰れず、また外にも居場所はないが、たった一つ、今の彼にうってつけの所があった。週に一度祈りを捧げに行っている教会である。クルツェスカの人間は宗教というものを軽視する故、そこを訪れる人間は相当限られているのだ。逆に言ってしまえば、その姿を隠すにはこれほど最良の場所はない。
 彼の教会まで道のりは順調だったことこの上ない。人が近づいてきたと感じたら、隠れ、気配が通り過ぎたら戻る、その繰り返し。カンクェノと何ら変わらない。変わったのは、自分を追いかける者が切り伏せていいか、否かだけなのだ。
 この角を曲がれば門が見えると思った矢先、突如横から伸びてきた手が彼の手首を掴んだ。小さな手に細い腕が女であるということを裏付けている。本来の彼ならば振り払えるのに、突然の強襲で思わず頭の回転がピタリと止まる。逆に引っ張られるとあれよあれよという間に建物と建物の間に吸い込まれることとなり、加えて叫ばないようにと口元をその手で抑えつけられる結果となった。本当に情けない男である。
「静かにしなさいな、あの子達にバレてもいいの?」
 覚悟は決めつつも最後の抵抗を試みようとしたガウェスの動きが今度は別の意味で止まる。聞き覚えのある声に視線を上にあげれば、目線の先には見知った顔の女が一人、心底呆れた表情でこちらを見据えているではないか。ゆっくりと手が口元から離れていく。乱れた息を整えるように肩で息をしていると目の前の女は目を細め「それで」と真っ赤なルージュで彩られた唇を動かした。
「清廉潔白な騎士様は一体何やらかしたわけ?」
 黒い髪に白い肌、黒い限りなく近い赤色の瞳。ワンピースの胸元はざっくりと開き、白く豊満な二つの果実が男の劣情を誘う。娼婦でありガウェスに雇われた情報屋の女、イザベラは好奇心に満ちた瞳を持ってガウェスに問いかけた。
 

Re: 儚き記憶の回顧録 ( No.7 )
日時: 2017/01/02 22:57
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ (ID: EFgY0ZUv)
参照: http://twitter.com/imo00001

 イザベラがガウェスを見つけたのは煙草を吸い終わるのと同時である。昨夜は客足が思わしくなく、仲間と共に暇な時間を過ごした。ようやく朝になれば同じ売春宿で働くヒステリックな女に煙草の煙がうるさいだのと文句を言われ、客が取れなったストレスと相余って馬鹿馬鹿しい舌論を繰り広げた挙句、「頭を冷やしてこい」と相手共々外へと放り出されたのだ。互いに顔を見合わせることはなく、相手は西へ、イザベラは東へ足を進め、閑静な住宅へ、そして裏路地へと逃げるように入っていく。
 ここは彼女のお気に入りの場所であった。人通りが少なく、静か。誰にも邪魔されず好きなことを好きなだけ考えていられる。しかし、今日はどうにもこうにも表が騒がしい。普段なら大して気にならない声も、気が立っている彼女にとっては耳元で黒板を引っ掻かれるような不快感の強い音に変わる。文句の一つでも言ってやろうかと路地裏からひょっこりと顔を出すと乙女達に追い掛け回されているガウェスを発見したのだ。
 これは彼女にとって非常に面白くない展開である。彼の仮面が剥がれ素の表情を見えるのは愉しくて仕方がないものの、不特定多数の女に追い掛け回されているという事実だけで心に靄を作ることとなり、加えて優越感に近い嘲弄の念を彼女達に抱かせた。ガウェスについてほんの一部も知らないくせに何故、すり寄ってくるのだ、どうせ顔だけ判断したのだろうと心の中で嘲り、見下した。
 彼が彼女達を相手にすることは無いだろうが万が一、微粒子レベルの可能性で彼の気を惹く女性がいるかもしれないと一抹の不安が渦巻き、急げ急げと耳元で囁いてくる焦燥を押し殺した。そしていつもと同じようにゆっくりと彼に笑いかけてやったのだ。

 彼女が普段通りなのだと確信が持てた時、彼はようやく警戒を解いた。今まで散々な目に合ってきた彼が彼女のことを邪推してしまうのもやむを得ないことであり、安堵と共に体の力が抜けて壁に凭れかかる様にして座り込んだ。白い肌が更に青白くなるほど困憊している彼だが、このことをよほど誰かに話したかったのだろう。元々お喋りな口がいつにもの増して忙しく動く。最初は笑顔で聞いていたイザベラだったが、彼の話が進むにつれてその笑みが段々と引き攣っていく。
「というわけなんです」
「ごめんなさい。ぜんっぜん訳が分からないわ」
「ですが、事実なのです」
「はぁ……」
 馬鹿げたことを至極真面目な顔をして話すガウェスに対しイザベラはどこか歯切れの悪い返事を返す。残念なことに彼女の反応は至極真っ当な反応である。夜の広場で美しく純朴な少女と出会い、一目で惚れ、別れ際に彼女と同じ所に黒子を賜り、それから少女達が自分を好くようになってしまった。など、誰が信じられようか。ただの気持ちが悪いだけの妄言である。もしや、何かの御伽噺なのではと考えてみるが、子供達に伝えるべき教訓が全く浮かんでこない。本気なのか単にからかっているだけなのか判別出来ず、神妙な顔つきになるイザベラ。まばたきの回数や目の動き、口の動き、四肢の微細な仕草で嘘か真か判断しようと試みるものの、特に変わった様子はなく、余計に彼の言ったことが真実なのだと裏付ける結果で終わってしまった。
「ねえ、その黒子って元々その子についていたものよね」
 止むを得まい、その話が真実である方向で話を進めることにする。イザベラの問いにガウェスは黙って頷く。
「ということは、あんたはその黒子の力で魅了されて好いていた可能性が大いにあるわよね」
「それはどうでしょうか。私は男です。この黒子は女性を魅了するものなのでは?」
「あんたが男なんて見りゃ分かるわよ馬鹿。その黒子は女を魅了するんじゃなくて、異性を魅了するモノって考えられない?」
 異性を魅了する黒子と言われ、ガウェスが真っ先に思い出したのはディアルミドの逸話。大学生だった頃、文学の講義で題材として取り扱った時は「大変そうだ」とどこか他人事のように感じていたのだが、その災難が自分の身に降りかかってくるとなれば話は違ってくる。ハイドナーに火の粉が降りかかる前に厄介事は取り除かなくてはならない。
「何故、貴女に魅了がかからないのでしょうか」
「その子は『私のことが忘れられるように』と言って、この黒子をつけたんでしょう。それならこの黒子は、その人の代わりになるような人、つまり、あの人にそっくりな人に効果があるんじゃなくって」
 非常にオーソドックスな、悪く言えばありきたりな答えにガウェスはどこか納得したように「あぁ」と呟いた。
「乙女にしか効かないのか、なるほど……」
「あんたまさか、ハーレムとか作りたいとか考えてないわよね、このエロ騎士」
「ハーレムなど破廉恥なもの要りません。お返しします。あと、私はエロくありません」
「いや、返されても困るんだけど」
 ベケトフのところに仕えている小憎らしい金髪の芋男なら、薄ら笑いを浮かべ「いいですね。何人か見繕ってくれませんか」などと心にも無いことを言い出すのだろうが、馬鹿真面目に答えてしまうのがガウェスだ。彼の性分なので仕方がないことだし、真面目な事は決して嫌いではないが、こちらが気疲れしてしまう。
「何とかなりませんか」
「黒子を千切るか抉り取れば?」
「それ、相当痛いんじゃないのですか」
「セノール人ならやるわよ」
 ニタニタと意地の悪い笑みを浮かべて彼のコンプレックスを刺激してやれば難しい顔をして唸る。セノール人がそれを本当にやるかは分からない。ただ、理知的であるのに、血を求める矛盾した彼らなら、闘争の邪魔になるモノを躊躇いなく排するだろうと考えての発言であった。(もちろん、ガウェスへの嫌がらせも入っていることは忘れてはならない)
「私はセノール人ではありませんから出来ません」
 少しの間をとったあと、どこか苦々しい表情でそう宣言する。
「あらそ。ま、自分で無理なら大事なお仲間か、ジャッバール辺りにお願いしてみれば?」
「趣味の悪い冗談はやめてください」
 ハイドナーの私兵団員、彼らは雇い主の顔に傷をつけるなど死んでもやらないだろう。騎士の誇り故ではなく、そんなことをすれば殺されても文句は言えないからだ。皆、自分の命は惜しい。ジャッバールだが、大金を積み、誇りをかなぐり捨てて懇願すれば解決の方法を商品として売ってくれるかもしれない。金が無くなるのは別に困ったことではないが誇りを穢すことはどうしても躊躇われる。それ以前にセノールに頭を下げたなど父親に知られようものなら、自分の首が飛びかねない。
「じゃあ諦めることね。私には関係ないし」
 彼のことは大好きだが、面倒事に巻き込まれるのはごめんだと、早足で去って行こうとしたイザベラの細く白い手を、ガウェスの男らしい大きな手が包み込む。普段はガントレットに隠されているゴツゴツとした武骨な手が、シルクで造られた触り心地の良い手袋に包まれている。仄かに感じる体温は決して気のせいでは無いはずだ。
「貴女の力で何とかなりませんか」
 卑怯な男だとイザベラは思う。普段とは異なった射抜くような真剣な眼差し、樫の木の様に真っ直ぐでよく通る声で頼まれてしまえば、しかも自分の想い人の頼みを断れるわけがない。彼の手をやんわりと払い、イザベラもガウェスを見つめるが、その顔つきはどこか呆れているようだった。
「分かったわよ。歴史とか神話に詳しそうな人を数人知っているから聞きに行ってあげる」
 愛の黒子がある以上、彼を動かすのは得策ではない。彼を探す女性達に捕まればイザベラにも危害が及ぶ。そう判断し、彼女のみがここを出ることになる。絶対に見つからない保証はないが、ガウェスを動かすよりはマシであろう。
「貴女がいて助かりました。本当にありがとうございます」
 表面に張り付いた笑顔では無く、輝くような笑顔を向けられればイザベラの胸が高鳴る。僅かに差した頬の赤みを隠すように顔を横に向ける。
「別に対したことじゃないわ」
「そんなことありません! 貴女は最高の友達だ。いやぁあの人と丸っきり違うので助かりましたね。本当に」
「……へぇ」
 地雷とはどこにあるか分からない。いや、だからこその地雷と呼ばれるのだが……。無邪気な笑顔から放たれる無慈悲なる刃は彼女の心を穿つには十分すぎた。好きな男に友達だと、遠回しに「好みではない」と断言され、思わず発した短い一言からは温度が消える。
——自分はここまで尽くしているというのにそれでもなお、あの少女がいいのか。
 女としての劣等感、ガウェスの心を鷲掴みにしたという女への嫉妬。そんなぶつけようのない醜い感情が全てガウェスへの怒りに変換される。八つ当たりだと頭の片隅では思うものの、腹の虫が収まりそうにない。朗らかに微笑んでいた顔から表情が抜け一瞬だけ真顔に戻るが、すぐに茹でた蛸のようにすぐに顔を赤くし、目尻を険しく吊上げた。そして未だ彼女の心を理解していない呆け者に拳を叩き込む。『娼婦』兼『情報屋』の女イザベラ・二十三歳、初めて好きな男に鉄拳をかました瞬間である。一方のガウェスの方は、予期せぬ衝撃に頭がグラグラと揺れ、目の前がチカチカと光る。口の中が切れたらしい、血の味がする。やはり女性は解せない。何故、いきなり殴る。そして、あのしなやかで細い腕のどこにそんな力が隠されているのだ!!
「ええ、そうよ。そうですとも!!どうせ私は、ドブスで穢れきってて、年増なおばさんよ!この色狂い野郎!!」
「待っへください。何を怒って」
「黙りなさいな。あーもう本当に信じられない。ここまで人の心が分からないなんて思わなかったわ。ここまで色んな女の子を虜にしておいて。ねえ、あんたを追っている女の子達、あんたが味見した挙句捨てた子達じゃないの?ハッ、どんなに鎧で身を固めても、下半身のガードは手薄なのね。夜のお仕事の方もお盛んなのかしら」
「なんて下品なこと言うんですか貴女は!」
「あーー!!こんな所にガウェス卿が!!」
「イザベラ、どういうつもりですか!!
 彼女の声は十分に響いた。と同時に碁盤目状に張り巡らされた細い通路を揺らすのは恋病に侵された乙女の、もといヌーの大群である。父に睨まれた時とは違う意味でブワリと鳥肌が立ち、全身の毛穴から汗が噴き出る。乙女達が自分を包囲する前にここから逃げねばならない。イザベラを一瞥もしないで、走り去っていくガウェスの後ろ姿をあかんべーと舌を出して見送る。そして静かになった路地裏で一人、いやに満足げな顔で煙草に火を点けたのだった。


 余談になるが、この後しばらくは彼の好物である「ニンジンのグラッセ」に因んで「グラッセ卿」という不名誉な綽名がついて回ることになったのだが、さて、一体誰がそのことをバラしたのだろうか……。


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