複雑・ファジー小説

棺桶には千寿菊を一輪
日時: 2017/05/21 01:03
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs
参照: https://kakuyomu.jp/works/1177354054882859776

「殺されてください。満月の晩が約束でした」

 グリップは慣れるまできっちりと保持しろ。
 足全体でしっかりと地を掴め。

「もうそんな時間になったか。早かったな」

 相手から目を離すな。真正面から見据えろ。
 呼吸は早めるな。止めてもいけない。普段通りにしろ。

「でもかけがえのない時間でした」

 初手で手足を潰せ。暴れるならば右の腹を突いて黙らせろ。
 胸は無理に狙うな。骨に当たれば刃が折れる。
 身体の傷は致命傷にならない。俺達は人間と違う。傷はどんなものでも治る。

「名前を、呼ばせてくれ。ただの刃だった俺に生きがいをくれた、お前の」

 首だ。頭と首の間を狙え。

「どうぞ」

 見えなくても“それ”はある。刃を入れて、力の限り押し込め。
 “引き剥がす”んだ。

「アザレア。……嗚呼。お前は、アザレア」

 そして、忘れるな。

「ありがとうキーンさん」

 仕事は丁寧に。弔いは丁重に。
 冷淡であれ。冷酷にはなるな。

「おやすみなさい」

 ――お前は命ある物を殺すのだから。



***

【おしらせ】
 小説投稿サイト「カクヨム」の方で改訂版をアップしております。カキコ版から大幅に加筆・修正しておりますので、良ければこちらもどうぞ。URLよりカクヨム版小説ページへジャンプします。

***


【Index】
零:天球儀   >>1
一:包丁    >>2
二:探照灯   >>3
三:“粗悪品”  >>4
四:舞台照明  >>5
五:西洋躑躅  >>6
六:水薬    >>7
七:戦友    >>8
八:仕立て屋  >>9
九:裁ち鋏/針山>>10
十:緒戦-1   >>11
十一:緒戦-2  >>12
十二:墓守   >>13
十三:十字架  >>14
十四:墓地   >>15
十五:曇天   >>16
十六:柱時計  >>17
十七:約束   >>18
十八:懐中時計 >>19
十九:月夜   >>20
二十:葬列者  >>21

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Re: 棺桶には千寿菊を一輪 ( No.13 )
日時: 2017/04/10 11:17
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs

十二:墓守

 部屋中に漂う甘い香り。窓際に寄せたパイプ椅子の上、足と腕を組んで寝息を立てていたキーンの眠りを覚ますには十分すぎるものだ。ふと頭を上げ、やはり慣れないのか刃を覆う鞘を軽く撫でつけた彼は、首を巡らせて甘い香りの主を探す。
 ファーマシーが初日に二人へ貸し出している病室の一つが、当面の滞在場所だった。元々特殊な患者を受け入れるための個室だったのだろう、部屋はそれなりに広く、ベッドが一つだけ置かれている。白で統一された壁は劣化が進み、綺麗に掃除されていても黄ばみは落とし切れていない。
 南向きに大きく採られた窓には薄いレースのカーテン。桟の所には、クチナシの花が三輪、葉と共に瓶挿しされている。半開きにされた窓、そこから吹き込む風に乗って漂う芳香はまさしく活けられた花のものだろう。けれども、それを咲かせたであろう主は、今や彼の前には居ない。

「……朝が遅いのは共通、だな」

 付き人であるにも関わらず、付かねばならぬ人より遅く起きるとは。失態である。
 時刻は午前六時半。原則緩慢な生活リズムを刻み、それを“起こされた”際に引き継いでしまった物としては、大変に早起きの部類である。しかし、そうと頭で理解(わか)ってはいても、目が覚めてアザレアがいない時の無力感と喪失感は耐えがたいものがあった。
 小さくかぶりを振り、ゆっくりと椅子から立ち上がる。開けっ放しの窓を閉め、指先で瓶の花を手持無沙汰に弄んだ後、彼はそっと病室から離れた。
 出入り口から顔を出す。患者はいない。“粗悪品”との攻防に勝ったのだから当たり前とも言えるだろう。しかしながら、アザレアの姿も無かった。数度廊下を見回し、現れる気配もないことを確かめた後、引き戸を閉めて足先を医局へと向ける。朝は誰か――少なくともファーマシーがそこに居るはずなのだ。
 リノリウムの床を革靴の底で蹴り、階段を下りる。一階の踊り場を曲がったところで、思わず足を止めた。
 線香の臭いが、医局から階段まで伝っている。

「…………」

 息を潜め、ただでさえ薄い気配を殺し、沈黙。
 話し声が、一つ。二つ。
 否三つ。

「花屋の亡き今、私どもの墓地は枯れ果てています。アザレア様に“案内人特権”の練習と言う点でも、私どもの色褪せた墓地に再び彩りを取り戻すと言う点でも、利害は一致していると思いますが」
「だが墓地は街の外だろう。君はまだ来て間もない、足ごしらえも済んでいない女の子を荒野で歩かせるつもりかね?」
「あの、まず墓地の事を説明してほしいんですけど……」
「墓地は墓地ですアザレア様。生けるものが死したものの安息を祈る地。死者の記憶を留め置く手段の一つ。貴女の世界にも同じ機能を果たす場はあるでしょう? 変わりません」
「人も物も等しく受け入れていること以外はね」
「な、なるほど」

 一人は、聞き馴染みのない三十代ほどの男性の声。もう一人のゆったりとした低いバリトンはファーマシーのもの。残るか細い少女の声は、聞き間違いようもない、自身が付いておくべきアザレアその人である。
 数秒足を止めて立ち聞きしていたキーンは、すぐさま大股で階段を降りきったかと思うと、挨拶も何もなく医局へ足を踏み入れた。ぎょっとしたように振り向き、何か言いたげに水薬をごぼごぼと泡立たせる医師の傍に、彼は数歩で歩み寄る。
 一声掛けてくれ、と溜息混じりの声は無視。意識は聞き馴染みのない声色の主へ真っ直ぐに向けられた。

「敵意はありません。ただ貴方の主にお頼みしたいことがあるだけですよ、ケイ様」

 安物のパイプ椅子の上で優雅に足を組み、悠然と包丁のことを見上げているのは、中肉中背の男性である。どうやら墓守と言う言葉に間違いはないらしい、黒く長い法衣の上から更にすっぽりとフードを被り、頭を覆っている。それでも、その下の頭が造花の花束と火の点いた線香であることは窺い知れた。
 線香の煙は緩やかなペースで――恐らくは彼の呼吸だろう――ローブの下から吐き出され、透明な虚(うつろ)に白い渦を巻いている。アザレアはその渦の消える先を眺めともなしに眺め、キーンも僅かにその方へと気を取られたものの、すぐに煙を吐き出す本人へ意識を向け直した。
 男は小さく会釈。顔を上げると同時に、話し出す。

「私はフリード、ゾンネ墓地の墓守を勤めております。此度は貴方の主であるアザレア様に、私どもの元へご足労願えぬかと思っております」
「ゾンネ墓地……人の街の方が近いだろう。汽車でも使う気か」
「いいえ、私はフリッカー様からの御誘いを受けて此方へ参じた次第です。帰りもあの方が送り届けて下さるとのことですが」

 さも当然と言った風な墓守――フリードの返答に、キーンは思わずアザレアへ意識を向けた。主もまた付き人を見ていた。
 あの探照灯が。毎夜“粗悪品”を相手に暴れまわるかの男が、一体誰を悼んで墓地に足を運ぶと言うのか。アーミラリから厖大な量の記憶を与えられたキーンであっても、流石に彼の個人的な事情にまで情報は及んでいない。そして彼は、天球儀の探究心もそっくり引き継いでいる。
 付き人としての使命感で押さえ付けて尚、隠し果せぬ未知への関心。主たるアザレアも、そんな彼の様子に気付けぬほど鈍感ではないし、気付いて無視できるほど無関心でもなかった。好奇心旺盛で行動力がある点において、両者の行動はよく似ていた。
 二人が出せる答えは決まっている。応の一言のみ。
 フリードは噛みしめるように頷く。

「性別も体格も、性格も違われていると言うに。貴方方はどうやら似たもの同士であらせられる」
「!」

 どうやら図星だったらしい、ハッと同時に息を呑み、咄嗟に明後日の方向を向いた二人を、墓守は微笑ましいものを見る目で眺めていた。
 そんな目で見るな、との抗議は弱弱しく。くつくつと喉の奥で笑いをかみ殺しながら、黒衣の男は音もなく立ち上がる。静々とその爪先を向け歩む先は、この医院の外だ。
 アザレアとキーンはもう一度だけ、ほんの一瞬目配せしあうと、後は目を合わせることなく中背の男へ追随した。


「フリッカーさんって車持ってたんですか?」
「いんや、“案内人特権”で作った。俺の元の所有者が使ってた武装と車両なら――まあ、出し放題だな。よっぽどデカいもんじゃなけりゃ」
「あ、やっぱりそう言う……」

 助手席にはアザレア、フリードとキーンは狭い後部座席に押し込んで、古い軍用車両が荒野を疾駆する。大きな起伏も草木もない荒涼とした荒野では、武骨な旧式の車両の中も然程揺れはしない。アザレアはフリッカーから返された答えに眼を細めたきり、運転席でハンドルを握る物の方は見なかった。
 窓の向こうで流れる景色を見つめながら、更に問う。

「どうして私を墓地へ連れて行こうと思ったんですか。“案内人特権”の練習だとか、花屋さんがいないからだとか、それだけの理由で誘ったわけじゃないんでしょ?」
「花を供えられる奴がいないってのは本当の話だし、多少なりと練習を積んどいた方が良いのも本当なんだがな……まあ、長いこと生きてると、葬送(おく)りたい奴の一人くらいは出てくるもんだ。初日に助(す)けてやった分、個人的な見返りを求めてもいいだろ?」

 葬送? 誰を?
 とは、聞かなかった。聞いたところで理解も共感も出来ない。故にアザレアは何も言わず、フリッカーの言葉尻に是の意を示す。感謝する、と僅かにトーンを落とした声は聞き流した。
 漂う静寂。それを助長するように漂う線香の匂いに、どことなく脳裏をくすぐられたような気分になりながら、アザレアは物思う。

 ――なりふり構わず襲う“粗悪品”を素手で圧倒する戦闘力。物殺しを隣に乗せたばかりか、脅威とも見做さない胆力。武器や車を思いのままに作り出す“案内人特権”。いくらキーンが教え導いてくれたところで、己がこんな男の頸にナイフを突き立てることなど、十中八九不可能だ。触らせてもらえるかどうかさえ怪しい。
 ――それでも殺さねばならないと直感したのは、アーミラリの言うような“時の運”、素っ気なく言えば単なる偶然によるものなのか。或いは何らかの理由があってのことなのか。
 ――後者。その確信だけはなぜか、今もう既に持っている。彼を物に還さなくてはならない理由があるから、己の第六感がそれを成せと示したのだ。
 ――ならばその理由は。そこが分からない。そもそも物から感情を読み取ることからして少々難儀しているのに、声にも出さぬ心境を見取れる道理がない。日数を重ねれば徐々に読み取る術も身に付いていくだろうが、果たして自分が納得出来るほどの理由を見出すことが、これから出来るようになるのか。
 ――それも分からない。先行きは限りなく不透明のままだ。

 意識に無秩序な線を引かれたような、不愉快で怖気の立つような心地。しわが寄りそうになる眉間へ手の甲を当てながら、アザレアは視線を掌に落とし、意識を軽く集中する。白い靄が手の内に集まり、あっという間にカモミールの花が咲いた。
 自身の名を決める際に散々苦労した経験があったからだろう、掌に収まるだけの量を生み出すのならば、最早仰々しく目を閉じる必要さえないのだ。ほお、と後部座席からフリードの感心したような声が上がるも、彼女の表情は渋いまま。
 隣にはより複雑で精緻な構造物を生み出せる猛者がいるのだ。花をたった一輪生み出せたところで自慢にもならない。却って打ちひしがれるだけだった。
 小さく首を横に振り、花に顔を寄せる。リンゴに似た、甘く爽やかな芳香。自然に生えているものより強く、より快を呼び起こす香りは、無意識の内にそれを求めていた精神の反映である。

「大丈夫、死ななきゃいい……」

 決意を表した幽(かそ)けき声は、乱暴に停止した車の揺れに掻き消された。
 いきなり何事か。非難の視線を三人から浴びつつも、フリッカーは平然として答える。

「着いたぜ、ゾンネ墓地――の、受付だ」

 意識の先は、水垢一つなく磨き上げられたフロントガラスの向こう。
 すり鉢状に凹んだ窪地と、その傍に佇む小さな牧師館だった。

Re: 棺桶には千寿菊を一輪 ( No.14 )
日時: 2017/04/16 01:18
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs

十三:十字架

 黒く焼き締められた煉瓦の壁、黒い木で組まれた窓枠と扉、煉瓦の間を埋める白い漆喰。黒く艶やかな瓦で葺かれた三角屋根を戴き、白く塗装された十字架が屋根の上で燦然たる存在感を放っている。扉には『ゾンネ墓地 受入所』と金文字で小さく書かれた黒い札が打ち付けられていた。
 黒と白の館。明々と太陽が照る中で、重々しいモノトーンの建物は厳かさを以て物殺し達の前に佇む。雰囲気に気圧され、思わずその場に立ち尽くしたアザレアは、しかし長くその場に足を留め置くことは許されなかった。フリードから声が掛かったのだ。

「皆様どうぞ此方へ。守長(もりおさ)が御待ちです」
「守長?」
「ゾンネ墓地は私の他に三名の墓守が維持しております。その内の最長老、墓守達の長故に守長です。アザレア様のことをフリッカー様より聞かれ、此処に御連れせよと命じたのも守長であらせられます」

 砂利の多い地面を足音一つ立てずに歩みながら、彼はアザレアに告げた。溜息でもついたものか、白い線香の煙が平生よりも多くフードの下から吐き出され、虚空に緩やかな渦を描く。菊と白百合の造花は線香の煙で煤け、白茶けていた。
 造花の傷みは、それが色褪せるほどの長きに亘って放置されていたということの証左だ。生花のごとく土に還ることも出来ず、悼むべき死者の前を離れることも出来ず、次に墓前を訪れる誰かをひたすらに待つ――その渇望こそは、他ならぬ彼の原動力(じが)である。
 辺鄙な墓地に一杯の花を供えてくれる。そんな力を持ったアザレアを、一体どれほど待ち望んだか。歓喜に打ち震えた彼は、しかし、それを彼女へ伝えることはなかった。ただその前を歩み、然るべき職務を果たすだけだ。
 即ち、館の扉を開け、そこに一行を通すこと。物殺し達を先導し、守長と引き合わせること。その二つ。後の会話は聞かず、墓守は朝の巡回をこなすべく、手桶とシャベルを手に墓地へと降りていった。
 何も言わず離れていったフリードに気を取られたのは、ほんの須臾。物殺しは意識を若い墓守から引きはがし、眼前の守長と相対する。

「初めまして。アザレアです」
「クロイツだ。御初に御目にかかる」

 クロイツ。良く通る声で彼はそう名乗った。
 彼を見てまず目につくのは、首から上に置き換わった黒い十字架だろう。年季の入った黒檀の十字架には精緻な掘り込みが成され、細い溝には螺鈿細工も垣間見える。丁寧に磨き上げられた艶は、命を得る前にどれ程大事にされてきたかを想起させるようだ。
 纏う黒い法衣も、決して華美ではないが上等なもの。恐らくは墓守としての仕事着なのだろう、頭を覆い隠す黒いフードは手袋と共に外され、頑丈そうな杖と共に畳んで傍に置かれている。膝の上で組まれた手は、仕草の優美さに反して傷と胼胝が目立っていた。
 上から下まで、十字架の先端から革靴の先まで、失礼と怒られても仕方ないほど細々と眺め回すアザレア。その眼が自身に定まり、第一声を発するまで、クロイツは這い回る視線を受け入れた。決して居心地のいいものではないが、彼が物殺しと会うのは数度目のことであったし、じろじろと見られることにも慣れているのだ。
 少女が声を上げたのは一分後。物殺しとしては早いほうだった。

「フリードさんが、お墓に花を供えて欲しいと」
「そうだね。本当なら花屋が定期的に仕入れてくれるんだが、彼女は殺されてしまった」

 殺された。無造作に放たれた一言で、物殺しの心中に不穏な波が立った。
 この街の経済を回すのは物である。ファーマシーが医師として常駐し、シズとピンズが揃って仕立て屋を営むように、物が持つ才能に応じた店が立ち並んでいるのだ。ならば、花屋とて物が営んでいると予想するのは自然な流れであろう。
 しかし、アザレアは“殺された”花屋が生ける物でないことを直感していた。未だ出会ったことのない、この世界の人間なのだと。ほぼ確信に近い予想が脳裏に渦巻き、ざわざわと心底の不安を煽る。
 青い顔をして黙り込んだ少女。その心境を知ってか知らずか、クロイツは重々しく続けた。

「花屋を殺した物は、正直言って我々では勝ち目がない。フリッカーなら勝てようが、あれは強者との戦闘を巧妙に避ける。……気を付けたまえよ」
「心配するんですか? 貴方を殺すかもしれない人を」
「物殺しは異世界から迷い込んできた客人だよ。君が何を成す者であれ、尽くせる限りの礼を尽くすのが迎え入れる側の礼儀(ルール)と言うものだろう?」
「殺人鬼をおもてなしする礼儀はありませんよ」
「君達にとってはそう言う認識なのだろうが、我々にとっては存続上不可欠なものだから。我々は出来る限り君達の仕事が完遂されることを願うし、その為の助力は惜しまない。頼ってくれて構わないよ」

 墓守を頼る時など来るのだろうか。
 心中に浮かんだ疑問は唇の端を噛んで押し殺した。物殺しとしての仕事を全うする以上、死とは切っても切れぬ縁なのだ。死者を受け容れる墓地を無視できるはずがない。
 再び言葉を失くした物殺しへ、守長は何も言わず。ただ傍らに置いていたフードと手袋を手元に引き寄せ、杖に体重を掛けて、ゆっくりとソファから立ち上がった。思わずその頭を追ったアザレアの視線は、一瞬虚空を彷徨う。佇まいから予想していたより、随分と背が低い。
 目測の甘さを抜きにしても大きい誤差。微かながら首を捻る少女の内心を、クロイツはどうやら読み取ったようだ。本当はもっと背があったが、と前置きし、彼はズボンの裾を引っ張り上げた。
 覗く銀の色。義足である。思わずぎょっとした少女に意識を向け、持ち上げた裾を戻したクロイツは、杖に自重を掛け直しながら苦しげに呻いた。

「花屋が殺された時、私もそこに居たんだ。その時に切り落とされた。むしろ……動けない私へ当て付けるように、花屋を犯し殺した」
「そんな、ことが」
「出来るんだ。外法の限りを尽くすことを意義として見出してしまった物なのだから、躊躇もなければ反省すらしない。――気を付けろ言ったのはそこだよ、アザレア。あれには良心がない。自分の意義を満たす為に他者の定義(ニッチ)を暴虐することで、彼の罪悪感は想起されない」

 その結果が私のこの有様だ。血を吐くように呟き、クロイツは傷だらけの手で足を叩いた。二回、のろのろと法衣の裾を揺らしたその手が、上等な布地を握りしめる。その震えが意味する所は、深い恐怖と失意、そして悲愴。彼がどんな光景を目にしたか、言葉にせずとも察するに余りある。
 重苦しい沈黙が場に積もりかけて、二つの声が打ち払った。

「心配するな」

 酒とたばこで焼けた声と、吐息のような静けさを帯びた声。フリッカーとキーンである。
 虚を突かれた二人へ、告げるのは一つ。

「心配すんなよ、クロウ。アザレアの筋の良さは付き人のお墨付きだぜ」

 フリッカー。他でもない、アザレアとクロイツを引き合わせた張本人。
 綴られる言葉の糸は切れず。か細く続く。

「あの中学生とは違う。やり切るだけの実力も度胸も、この子にはある」
「…………」

 クロイツは首肯するのみ。
 理解は、閑寂の中にただ静々と横たわる。

Re: 棺桶には千寿菊を一輪 ( No.15 )
日時: 2017/04/24 02:07
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs

十四:墓地

 石切り場の如き様相を呈する窪地、その壁面に点々と穿たれた洞が、故人を弔うための墓地である。洞の中はキーンが背を伸ばして立っても尚余るほどには広く、左右には故人の遺物を収めるための棚をずらりと並べながら、闇に霞むほど奥まで続いていた。
 灯りはなく、燭台も用意されていない。照らすのはクロイツが掲げるランプの蝋燭のみ。冷たく湿った空気が漂う中、アザレアとキーンは守長の後ろに付いて歩いていた。
 合わぬ義足で無理に歩いている故だろう、クロイツの足取りは右へ左へふらついている。突いた杖は前腕支持型のものだが、支え切れていない。それでも二人は大人しく背に追従していたが、小石を踏み付け転ぶことを三回繰り返したことで、ついに見かねたようだ。
 苦労して起き上がろうとする腕を掴んで助け起こし、転倒した拍子に放り出された杖とランプを拾い上げて、ゆっくりと立ち上がり。すまない、と申し訳なさそうに肩を縮めるクロイツに、アザレアは静かに首を振った。

「近いうちに、私も頼ると思いますから」
「嗚呼……そう言うことなら、遠慮はするまいよ。あっちへ」

 ランプを掲げ、古い義足を軋ませながら、三人は更に奥へ。
 どうやら場所が足りなくなる度に拡張しているらしい、左右の壁に埋め込まれた――と言うより、岩壁を削り出して作られた――石の棚は、奥へ行くにつれて新しくなっている。打ち付けられたプレートの日付も、洞の闇が深まるほどに最新のものとなっているようだ。
 故人の記憶を詰めたそれらを横目に、クロイツ達が至ったのは、洞の最奥。今後更に拡張する予定があるのか、つるはしやシャベルが立て掛けられたそこには、他と明らかに材の違う大きな台が鎮座している。青みがかった白い石材――大理石で作られたその上には、真新しい造花の花束が一つだけ放置されていた。
 献花台。アザレアとキーンの脳裏にその三文字が掠めた。思わずクロイツへ視線を送れば、彼も重々しく点頭する。そして、己を支えていた手をそっと引き剥がすと、崩折れるようにその場へ膝をついた。

「此処に収められているのは、一つを除けば既に一族の絶えてしまった家のものだ。此処に花を供えるのは我々しかいない」
「除いた分は? 誰かいるんですか」
「いや、物殺しの墓だよ。君の前に来た子だが、仕事を完遂できないまま“粗悪品”に殺されてしまった」

 まさかその花束は。そう聞きかけて、アザレアは呑み込んだ。
 けれども守長は言いたいことを読み取ったらしい。そうだ、と肯定を一つ、献花台に置かれた白百合の造花に手を置きながら、懐かしむように言葉を綴る。

「運にも才能にも、度胸にも恵まれない子でね。フリッカーが何とかして力を付けさせようとしたらしいが……“粗悪品”に気を取られて目を離したほんの一瞬で、首を切り落とされていたと。今でこそあれは平気そうに振舞っているが、当時はずっと自分のせいだと責めていた」
「フリッカーさんがそんなこと――全然知らなかったです」
「あれは決意を内に秘めるからね、思っていても言わないだろう。でも、君は既に何度も助けられているはずだ」

 そうだろう。念を押すクロイツに、アザレアは思い出すまでもなく頷いていた。最初に此処へ来た日のこと。置物になるしかなかった己を庇ったあの背と、“粗悪品”から逃れて飛び込んだ腕の力強さを、間近で体感した彼女が忘れようはずもない。
 跪くクロイツの傍に腰を下ろす。傍に供えられた白百合の花束、それを見つめながらも、彼女の頭に浮かぶのは別の花。そのイメージに従って、何処からか寄り集まった白い靄が花の概形をなぞり、花びらや葉の質感を浮かばせ、色絵具を落としたように色彩を広げた。
 十秒と掛からぬ内に咲く赤い山茶花(さざんか)。献花の体裁であるからだろうか、余計な枝葉は先端の一輪と数枚の葉を残して払われ、五本束ねられた状態でささやかなラッピングが成されている。花束の状態で出せるのか、と驚くクロイツを尻目に、アザレアは独り、掠れた声で呟いた。
 やり遂げてみせるから、絶対に。真っ赤な山茶花の花を見つめながらのそれが、一体誰に向けられたものか。明らかなれど口には出さず。墓守は肩を叩こうと手を伸ばして、それも気付かれない内に引っ込めた。他者の感情では、物殺しをどうすることも出来ないのだと、彼は知っている。
 だからこそ、彼は敢えて冷淡に告げる。他にもあると。

「同じような状況の献花台があと三百はある。陽が暮れるまでには献花を終わらせたいんだが、頼めるかな」
「大丈夫です」

 首肯しながら一言。余計なお喋りは必要ない。
 アザレアは歩んできた道を振り返り、無数とさえ思えるほどに並んだ棚を一瞥すると、すぐに大理石の献花台へと向き直った。途端、ひょう、と洞の奥から冷たい風が吹き抜け、白い舞台の上で渦を巻く。集う靄の量は先程の比ではなく、取る形もまた様々だ。
 クロイツが見守る中で、献花台に咲くのは白百合や菊の花を主としたとりどりの花。簡素ながらもラッピングされ、シンプルなリボンの掛けられた花束を前に、物殺しの顔色は一つ変わらない。戦闘と関係のない“案内人特権”とは言え、かくも鮮やかに操れるとは。強い精神の持ち主であることは疑いようもない。
 これはフリッカーが目を掛けるはずだ、と心の中で感心しながら、クロイツは少女の手を借りて立ち上がった。合わぬ義足が切り落とされた断面と擦れあい、酷く痛む。痛みを無視することには慣れているが、それでも気を抜けばすぐに膝をついてしまう程度には辛いものだ。
 前腕支持型(ロフストランド)杖に体重を掛け、鈍痛を発する足を引きずり、ようよう一歩。中々進めない足を上げたところで、アザレアが腕を掴んだ。ぐいと軽く引っ張られ、言う事を聞かない足はすぐに陥落。尻餅をつくような恰好で守長は座り込む。
 非難めいて向けられた意識に少女は平然とした顔。鳶色の視線を、今の今まで無言で佇んでいたキーンへと注いだ。

「分かりますか? ケイさん」
「分からなくもないが。だが、新しく拡張された分については知らんな」
「でも、洞穴が増えてるわけじゃないんですよね?」
「それも分からん。どうも記憶の主は墓地に寄らないらしい」
「それじゃ、一つ一つ見て回るとか?」
「意味がないだろう」
「ですよねー」

 二人だけで全てこなそうとしているのだ。
 直接言わずともそれは分かった。分かったが故に、彼は誰にも悟られぬよう首を横に降る。
 正直な話、いくらアザレアの“案内人特権”が優れていたとしても、足の悪い物を連れ回していては、いっそ日が暮れても終わらない。その上、今の彼はお世辞にも調子が良いとは言いがたく、此処で待っていて欲しいと言うのは、本来ならばありがたい提案である。
 しかし、彼はどれほど筋の通った申し出をされたとしても、それを断る心づもりでいた。護符としての十字架――何かを守る為に作り出され、願いを掛けられ、叶った時の歓びを知る彼が、人の身の不調ごときで墓地を“守る”任から離れられるはずがない。提案を呑めば、それは自分で自分を否定したことになる。
 信念の為に人の身を砕く覚悟はあっても、己を殺す蛮勇はない。だからこそ頭の中で言葉を選び抜き、論調を固め、どんな切り口で切り出されても良いように身構えて、

「抱えていくとか!」

 はたと手を打つ少女の提案に、クロイツは用意していたありったけの手札を全て失った。
 もし許されるならばアザレアを壁に押し付けて質しただろう。しかし、立つこともままならない彼は座り込んだまま、ひたすら脱力して肩を落とすばかり。いっそそんな申し出断ってくれ、とやけくそで喚く気力すら、湧いてくる端から何処かに流れ出してしまう。
 深い、深い嘆息一つ。何とはなしに頭を抱えるクロイツの傍に、キーンが座り込んだ。

「大の男に抱えられて墓地を回るのは流石に嫌だろう。俺も嫌だ。車椅子は使えるか?」
「あんな突拍子もないことを言う前に提案してくれ、君まで乗り気だったらどうしようかと思ったよ……車椅子なら受入れ所奥の書斎に置いてある。書斎の鍵は掛かっていないはずだ」
「分かった」

 応対はあくまでも淡白。
 一言だけをぶっきらぼうに投げ返し、膝に手を添え立ち上がる。特に何か言うこともなく、さりとて完全に無視することも忍びなく、付き人の立ち上がりスーツの裾を払う所作を眺めていたクロイツは、小さく零された申し訳なさそうな声に一瞬気付けなかった。

「すまないな、俺の主が」

 構わないさ。そう笑うことは、何故だか出来なかった。


「助かったよ、二人とも。墓守達だけではとても終わらない仕事だ」
「いえ。私で役に立てたなら良かったです」

 窪地の底までを切れ目なく繋ぐのは、なだらかな一本の坂道。人のすれ違う余裕はあれど、三人が横に並ぶと窮屈な程度の狭い道を、古い車椅子に乗ったクロイツとそれを押すキーン、そしてアザレアが並んで歩く。時刻は昼過ぎ、晴れ渡っていた空には灰色がかった雲が流れている。
 三者が歩むのは、最後に花を供えた場所から受入れ所である牧師館へと戻る道のり。ゆっくり歩いても三十分ほどの道のりであるが、一行の足取りはやや急いていた。天気が崩れるかもしれない、とクロイツが危惧したためである。
 その急ぎ足に混ざる、ギィギィと軋るような音は車椅子からのもの。整備されているとは言え古い品で、その上彼に合わせて調整が成されているわけでもない。不具合は如何ともしがたいものがある。

「人の街で調整したらどうだ。壊れてからでは遅いぞ」
「考えてはいるんだが、仕事が山積みでね。何しろ、夜な夜な出る“粗悪品”の遺骸を引き受けて荼毘に付せるのが此処しかない」

 ――処理場は街からの廃棄物で手一杯。街には墓地が無く、人の街は遠すぎる。ならば此処しかない。
 十字架に刻まれた精緻なケルト結びの模様、彼の意識で言えば顎に当たる部分に手を当てて、呟くようなクロイツの声は苦々しく。そうだったのか、とキーンも声のトーンを落とした。他方アザレアは、そんな二人の会話を聞きながら、一人考える。
 聞いてみたいと思うことは、それこそ山のようにあった。この世界のこと。物に殺された人間のこと。毎夜現れる“粗悪品”と、それを殲滅しうる物たち。その他諸々。此処数日で大分空気に慣れたとは言え、改めて疑問を数えれば枚挙に暇がない。
 そして今、ゾンネ墓地は慢性的な人手不足。クロイツを含めた四人の墓守が詰めてすら思うように仕事が回らないと言うのだ。
 脳内の決議は満場一致。彼女は言葉を選んだ。

「クロイツさん」
「うん?」
「何か手伝えることってありますか。出来る限りはやります」

 守長は驚きも呆れも、喜びもしなかった。
 ただ少しだけ思案して、頷く。

「書類仕事が溜まっている。今まで受け入れた人や遺族の名簿を整理するだけなんだが、如何せん墓掃除と巡回だけで一日が尽きてしまうものでね。給金は出そう」
「良いですよ、そんな」
「ふむ。物殺しは名前を見るだけで対象を直感することもあるそうじゃないか? 私は何も、既に還された物や亡くなった人の名簿だけを君に任せようとは思っていないよ」

 これは物殺しの仕事の一環でもある。きっぱりと言い切り、クロイツはアザレアに睨むような意識を向けた。物殺しは気圧されたようにやや身を引きつつも、黙り込むことはなく。それでは、と軽く目を伏せて是の意を示した。守長はそこに、今は亡き物殺しとの差異を見る。
 物殺しは大変な責務である。物達は肉の身体を持ち、人の如く思考し、人の言葉を話すのだ。高度な意思疎通を図れる物から、手段は何であれ命を切り離すことが、どれほど精神の負担になるか。物殺しと幾度も顔を突き合わせた、何より死者の番人たる彼が知らぬはずもない。
 故にこそ、その負担に見合うだけの見返りは要求して然るべきものであるし、それに付随する仕事に発生する報酬も受けて当然の権利だと彼は考える。そして、それを「ボランティアで良い」と放棄するのは、代価に見合った仕事をする気がないと言っている――即ち、無責任も同然であるとも。
 物殺しの仕事の一つだと言った時、ならばと言って承諾した彼女は弁えているのだろう、と。クロイツは判断を下した。

「では、短期で雇用契約を結ぶ。構わないね?」
「勿論。ちなみに時給は幾らですか?」
「嗚呼、君達の世界の通貨で換算すれば大体千円と言ったところだ。夜は千二百円。休憩は自由。詳細は契約書に載せておくから、届いたらそれをよく読んでほしい」

 分かりました、とアザレアは首肯。
 それとほぼ同時に、一行は坂道を上り切った。

Re: 棺桶には千寿菊を一輪 ( No.16 )
日時: 2017/05/01 00:23
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs

十五:外法

 「明後日までには手元へ届くように手配しておく。届き次第此方に来てほしい」
「分かりました。あ、此処までの行き方を教えて頂けますか? 今日はフリッカーさんが送ってくれましたけど、次からは一人で来たいので」
「街から出ている汽車の七番線に乗って、月の原駅で降りるといい。そこから徒歩五分で此処に着く。何だったら、駅に着いた時点で駅舎の鐘を五回鳴らしてくれ。誰か迎えを寄越そう」
「はい。あの、よろしくお願いします」
「いや……私も助かるよ」

 手伝いの話を詰め、無理はなさらずに、と置き土産代わりにクロイツへ投げかけた後、アザレアとキーンは受入れ所を辞した。
 黒い扉を開けたすぐ傍、ポーチに横付けするような恰好で停め直された軍用車両の傍では、出てきた二人に気付いたのだろう、フリッカーが煙草を携帯灰皿に押し込んでいる。長いこと待っていたらしい、灰皿にはまだ新しい煙草が三本押し潰されていた。
 粗野で無精そうな雰囲気とは裏腹に、マナーはしっかり弁えているようだ。雰囲気と行動とのギャップに首を捻りつつも、アザレアは沈黙を貫いた。煙草をポイ捨てするかと思った、となどと馬鹿正直に感想を述べては流石に失礼である。彼が気にしない性格であったとしても、彼女自身が許せない。
 と、打算する少女の心境を彼は読んだか否か。黙って車の助手席に回り込むと、ポーチを降りてきた彼女を招くように、重たい車のドアを開けた。ありがとう、と頭を下げつつアザレアが礼を言えば、彼は小さく首を振る。何時もやってることだから、と声がそこに続いた。

「いつも?」
「おう。俺の元の持ち主がそうしろって訓練されてたもんでね、俺にも動きが染みついちまってんだ」
「そんな動きをしなきゃいけないってどんな状況なんですかね……」
「あんたにゃ及びもつかないような戦場だァな。とりあえず乗んなって」

 押し込むようにアザレアの背を押すフリッカー。ちょっとちょっと、と慌てながらも、少女が座席に身を滑り込ませたことを確認し、彼は勢いよくドアを閉める。鉄板を叩くような激しい音と、車両全体の微かな揺れが、ドアはきちんと閉まったのだと告げた。
 もっと優しく、とぶつくさ垂れ流される文句は聞かぬふり。そのまま自身も運転席へ乗り込もうとして、フリッカーは足を止める。助手席に乗り込んだアザレア、その視線が窓と己の肩を通り過ぎて、受入れ所のポーチへと向けられていた。
 振り返った先には、ポーチに立ち尽くしたまま扉を振り返るキーンの姿。何を見ているのか、塑像の如くに硬直したその身は、二人分の視線を受けて解れたらしい。ブレのない所作で彼等の方に向き直る。

「フリッカー。先に彼女を街まで送り届けてくれ」
「アザレアだけか?」
「嗚呼。俺は此処に残る」

 漂う沈黙。言葉を選んでいるのか、探照灯のブラインドが軋る。
 二つ返事で承諾することも彼には出来る。この屈強なる付き人が、敢えて大切な主人の元から離れる理由を、戦闘経験豊富な彼ならば察せられたからだ。しかし今、フリッカーはその理由を言葉にして吐かせようとしていた。アザレアの前で言わせることに、探照灯は意味を見ていたのだ。
 故に問う。何故かと。
 果たして、包丁は答えた。

「花屋はクロイツの前で、物に殺されたと言っていたな」
「嗚呼」
「その物が此処へ来る」

 はっと息を呑むアザレアをフリッカーは見ていた。しかし、それに本人が気づくより早く、彼は首を傾げて疑問を呈する。
 同時に、周囲へ向けて索敵を開始。二つの気配――アザレアとキーン以外に、彼の索敵範囲で目立った動きをしている物はない。強いて言えば建物の中に一つあるが、それはクロイツだと分かり切っている。いちいち特筆すべきものではなかった。
 早々に周囲への警戒網を緩め、更に質問を投げ付ける。

「何で分かる? 俺にゃ感じられんが」
「ただの勘だ。だが、外れるとは思わない。……猛烈に嫌な予感がする」

 元々低い声をより低め、キーンは俯いた。ぞくりと音を立てんばかりに粟立った肌を、フリッカーがアザレアから隠せたのは僥倖だっただろう。
 この包丁が。ともすれば己の積んできた百余年の経験をさえ凌駕する戦闘技能を持った彼が。此処にきて主人を放り出すほどの嫌な予感を覚えたと言うのだ。それが勘違いであるとはどう足掻いても思えないし、自分で何とか出来るとも思えなかった。
 ならば、自分はどうすべきか。思わず喉の奥で唸り、腕を組みながら、フリッカーが自身に対して与えた猶予は一秒。しかしその中で、あらゆる状況予想(シミュレーション)が頭の中で渦巻き、膨れ上がり、そして急速に一点へ収束していく。
 言葉は短いものにまとまった。

「気ィ付けろ、ケイ。ヤバい相手かもしれん」
「分かっている。アザレアを頼んだ」

 任せろ。そう言う代わりに一つ大きく頷き、フリッカーは車に乗り込もうと足先を巡らせかけて、ぴたりと止めた。下半身は行く先の方へ向いたまま、上半身を捻ってキーンを見る。彼はそこにいた。しかし不気味なもので、目の前に姿を晒しておきながら、存在をほとんど感じられない。
 自身の気配を操る術は、長い経験を積んできた彼ならばすべからく持っている。しかし、キーンほど隠密にあれるかと言えばノーとしか言いようがない。微に入り細に入り隙のない男である。
 何か、と無い気配の方から一声。まじまじと包丁の立ち姿を眺めやっていた探照灯は、そこでようやく自分が何をしたかったのか思い出したようだ。がしゃこ、と雑念を振り切るようにブラインドを一度開閉し、ふっと自嘲気味に肩を竦めた。

「何だったら銃の一つでもくれてやろうかと思ってたんだが、要るか?」
「生憎と飛び道具は苦手だ。これで俺がお前と同じだけの年数を生きていたなら話は別だろうが」

 そう長く生きる予定もない。淡白に告げられ、フリッカーは思わず二の句を失った。
 大事にされてきた末に命を得た物は、その多くが死を厭う。己の精神を構成するものが所有者の情や愛であると――アーミラリの如く理論的に記述は出来ずとも――彼等は知っているからだ。そしてその情愛を自らの死によって消されてしまう事実に堪えられない、と言うのが、生ける物達の共通した主張だった。
 そう、彼等は遺したいのだ。己が生きることで、己を慈しみ情を注いだ所有者の生きた証を。けれどもどうやって「遺した」と言い切れるか誰も分からぬ故に、この世界には生ける物が増え続ける。
 しかしながら、キーンに他の物と同じような承認欲求はどうやら無いらしい。あくまでもアザレアと言う一人の物殺しを降りかかる災難から護り、そして何時の日にか自分で危難を払う刃となれるよう教導することに、己の存在意義を全て帰属したのだろう。
 魂を捧げたと言い換えてもいい。

「羨ましいよ、あんたが」

 笑った。呆れるほど朗らかに。
 返答は聞かず、フリッカーは今度こそ車に乗り込む。咳き込むような音を立てて荒野を走り去っていくジープを、キーンは地平線の向こうに消えるまで、ただじっと見つめていた。
 ――二人を送り出してから、およそ十分ほどか。肌寒さを感じる風が全身をひょうと駆け抜け、そこに混じる独特な匂いと湿った空気が、雨の遠からぬ来訪を告げた。仰いだ空に早く流れゆく雲、その色は沈鬱で澱んだ灰の色。芳しくない先行きを示唆するようで、心象は重苦しい。
 さりとてそれが包丁の頭に現れるわけもなく。キーンは左手で刃を覆う革の鞘を少し撫で付け、固定用のベルトに付けられたスナップをゆっくりと外していく。危険だからなるべく付けていろと言われていたが、ことこの状況に限っては、剥き身の凶刃で相手を威嚇することも已む無しと判断したのだ。
 刃だけを覆う鞘、それを外せば、現れるのは来た当初と変わりないぎらつき。丁寧に砥ぎを繰り返した刃は鋭く、しかし一部が刃毀れして欠けている。隙のない輝きの中にあるたった一つの瑕疵こそは、彼が人をさえ容赦なく殺傷し得る力を得た意志(ルーツ)の具現であった。
 そして彼はポーチを降りる。来たる危難を見極め、必要とあらば己の暴力によってそれを掃うために。

「……来た」

 気配を殺して待つのは苦でなかった。長く待つことも苦でなかった。それ故に、一人の物が家人の隙を縫ってポーチを上がった時も、彼の気は些かも逸れていない。ほとんど吐息のような声で呟き、その物が気付かぬほどの須臾、彼はそちらに意識をやった。姿を検める。
 黒く長い外套、焦げ茶色のスーツ、淡いタッタソールのシャツにアスコットタイ。足元は年季の入ったブーツで固め、目深に中折れ帽を被っている。コンセプトの定まらない何処かちぐはぐな恰好であるが、キーンはそこを問題とはしなかった。年恰好と衣類の特徴を素早く記憶に焼き付け、彼が次に意識を向けたのは、その頭である。
 ――艶めく紫檀の箱。その表には白い円盤と、その上に並ぶ十二個の金文字。カチカチと振り子の揺れる音が響き、複雑な透かしの入った針が文字盤の上を動く。裏には金色に輝くぜんまいと、錐で引っ掻いたような金釘文字が一瞬見えた。

「柱時計……」

 出した結論を、悟られぬ程度の小声で独り言ちた。アザレアならば置時計と言ったかもしれないが、何にせよ時計であることには違いない。
 極限まで気配を殺し、柱時計の動向を見守る。彼は備え付けられたドアノッカーに一瞥もくれずにドアノブを掴むと、音もなく扉を必要最低限だけ開き、流れるようにその隙間へ押し入った。硬い底の靴を履いているにも関わらず、入る瞬間も、入った後さえも足音一つしない。明らかに手慣れている。
 キーンは気配を殺して待ち伏せることこそ得意だが、一旦行動体勢に入るとその隠密さは極端に失われる。今此処で柱時計の背を追って中に入れば、図体の大きい包丁などあっと言う間に見つかってしまうだろう。そうなった時、かの物が一体何を仕出かすか、さしもの彼にも予想出来なかった。
 故に、今此処で姿を見せることをキーンは良しとせず。ただ家主の危機にいつでも対応できるよう身構えて、彼は屋内の物音に耳をそばだてる。

「お前――!?」

 クロイツの驚きを隠せぬ声が、銃声に掻き消えた。

Re: 棺桶には千寿菊を一輪 ( No.17 )
日時: 2017/05/03 22:21
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs

十六:柱時計

 銃声と共に射出された鉛玉は、過たずクロイツの胸に食い込んだ。

「な、お、まえ、は……」

 肺腑に空いた穴から血と空気が漏れ出す。ひゅうひゅうと隙間風のような音が微かに聞こえることに戦慄し、上げた声がまともに結像しないことに恐怖しながら、クロイツは自身の胸に空いた風穴を掻きむしった。
 物は人の身で死ぬことはない。肺に穴が開こうが心臓を抉り出されようが、それらは所詮人を模倣しただけの仮初め。いっそ臓器が全て切り取られようと、その身に流れる血が一滴残らず流れ出ようと、心が折れぬ限りそれが物としての死とは直結しないのだ。
 しかし、彼らはかの好奇と論理の徒たるアーミラリのように己を理解してはいない。人の身の傷で死なぬことと、傷を負っても平然としていられることがイコールとはならないのである。
 ソファにぐったりと寄りかかり、ただ息を荒げるばかりの守長。対するは、自動拳銃を手にした柱時計。銃口をぴたりとぶれもなく腹に向け、空いた手をポケットに突っ込み、急襲せし男は怖気立つほど穏やかに笑う。

「花屋が居なくなってそのまま枯れ果てるだけかと思えば。随分と豪勢に献花したものですねぇ。墓参者の居ない献花台、数にして三百二十八――まるで魔法じゃないですか」
「何が、言いたい……! ぐ、う゛ッ」

 恐怖を押し隠して呻いたクロイツの腹に、銃弾が二発、続けざまに食い込んだ。柱時計の手に握られた拳銃が、微かに硝煙を吐き出している。些かの動揺も躊躇もない佇まいに、死を何千と見てきたはずの男の声帯は職務を放棄した。
 一歩。二歩、三歩。焦らすように歩み寄り、クロイツの差し向かいに腰を下ろす。足を組み、尊大に寄りかかった。粋がるように見えないのは、確かな余裕を彼が持つ故か。
 静謐を柱時計の振り子と十字架の喘鳴が打ち払う。嫌な緊張が、苦痛に滲む脂汗に混じって冷や汗を伝わせた。

「僕の知り合いに魔法使いはいないんですがねぇ。あの花屋以外は」
「どうか、な……」
「んんー? まさか花屋以外の誰かがあれだけ大量の花を仕入れたって言いたいんですか? 例えばスプラやセンバが、例えばリペントが、それを出来るとでも? ちょォっと信じがたいですね。彼等が花なんて可憐で何の商業価値もないものに腐心するとは思えませんねぇ」
「貴様の……与り知らぬものの方が、多いと思うが……ぐァッ!」

 脾臓に弾が食い込み、ガラステーブルの上に血が飛び散る。苦鳴を上げ、増えた痛苦に身を捩る守長へ、柱時計は何一つ揺るがない。怒りも喜びも、勿論迷いなど見えるべくもなかった。ただただ、冷徹に穏やかに、苦しむ男を見下ろすだけだ。
 チカチカと音を立てて揺れる振り子、それを保護するガラス蓋に手を当てて、思案を少し。面白いことを思いついたように、くつくつと喉の奥で笑う。

「物殺しですよね?」
「――――」
「否定しないならそうですね。ええ、分かりましたどうも。なら構いません」

 それならいくらでもやりようはある。そう言って、柱時計は外套の内ポケットに手を挿し入れる。取り出したのは黒く平たい直方体。怪訝そうにそれを注視していたクロイツは、その蓋が開かれて中身が見えた瞬間、差し向かいの男が何をする気かを悟った。
 蓋の開いた黒い箱、その中に収められていたのは、未使用の注射器と透明な薬液の入ったアンプルケース。薬瓶には『Inferinon-A 1mg/1μL』のラベルが貼られている。
 止めろ。懇願の響きを込めてクロイツが声を震わせた。無論柱時計が耳を傾ける様子はなく、手袋を付けた手が勿体ぶった仕草で注射器を手に取り、アンプルから薬液を吸い上げる。逃げようにも足は言うことを聞かず、それでなくとも四発の銃弾を身に喰らってはまともに身動ぎすることさえ難しい。
 組んでいた足を解き、立ち上がる。手には注射器。

「貴方が“粗悪品”になれば墓場の維持は立ち行かなくなる。そうなれば、他の墓守達が再び物殺しへ助力を求めるでしょう。何しろこの枯れ果てた地にわざわざ足を運んでまで献花しに来てくれた、親切な親切な物殺しですから。来ますよねぇ」
「止めろ、それは、それだけは……!」
「言われて止めるほど僕の存在定義は脆くないんですよ。残念」

 人間ならばその顔は笑っていただろう。とてもとても穏やかに。しかし男の頭は表情なき柱時計であった。顔色など読むよすがもない。
 わざと革靴の底を床に打ち付け、響く足音で焦燥を煽りながら、男はクロイツの背後へと回り込む。慰めるように手が数度肩を叩き、力任せに強く押さえ付けた。抵抗されることを懸念したのだろうが、かの十字架からその気力はとうに失われている。
 細い針が、肩口に近づき、刺さる、
 直前。

「っらあッ!!」

 裂帛の気合を掻き消す轟音と共に、シャベルが飛んできた。

「おっと」

 土を掘り返す為に尖らせた先端は意図を持って柱時計の首を狙う。しかし、それをまともに喰らうほど魯鈍ではない。素早く彼は上体を逸らして初撃を避け、無音の内に飛んできた第二撃――先の尖った石を、数歩その場から引き下がることでいなした。
 流石にこの状況でクロイツに構う暇はなかったのだろう。柱時計は手にしていた注射器を外套のポケットに突っ込み、シャベルが飛んできた方へ意識を向ける。投げ込まれた鈍器によって叩き割られ、ぽっかりと大穴の空いたガラス窓。その桟に、白手袋を付けた手が掛かる。
 足を掛け、一息に乗り越えるは中肉中背の男。黒く長い法衣を纏い、フードを目深に被った下からは、線香の煙が獣の吐息の如くに渦を巻く。
 ――フリード。墓守の帰還である。

「捉えた……」

 あの貼り付けたような丁寧さは、今や彼の静謐に押し込められていた。
 その様を見た柱時計の喉から、愉快げな笑声が湧き上がる。何某かの真理を覗き暴いたような無邪気さが、そこにはあった。

「貴方でも構いませんよ? “粗悪品”になるのは」
「私の役目はまだ果たされていない」
「そうでしょうねぇ。でもこれ、そんなことお構いなしですから」

 男性らしい無骨な手が、ぽんぽんと軽く外套のポケットを叩く。ゆったりとしたその所作を隙と見たか、フリードが窓の桟を蹴り、一散に柱時計へと躍りかかった。さりとて黙って飛び掛かられるわけもなく、身体を少し右にずらして避ける彼に、しかし墓守は追い縋る。
 ソファの背を蹴り、空中で方向を転換。右手で柱時計の左肩を掴み、力の限り引き摺り倒した。投げ出された柱時計の左手と腹はそれぞれ革靴の踵と膝で押さえ付け、空いた手が首を掴んで締め上げる。全ては一瞬、恐るべき静けさの間に、フリードは彼の生殺与奪を掌中に収めてみせたのだ。
 これは予想外。さも楽しそうに称賛する柱時計。墓守はあくまで冷徹に、首を絞める手に力を込める。声帯を潰され、僅かに呻き声が漏れた。

「無辜の物を貶め、人を辱めて何とする?」
「馬鹿な事聞かないでくださいよ墓守。それが僕なんです。外法と外道の限りを尽くす物として僕は命を得、その存在定義は拒絶されなかった。だから僕は僕が知る生まれた理由に従って生きてきた。これまでも、今も、これからもそうです。行動の原理と理屈は君達と何ら変わりありませんね」
「ならば生かしておけない」

 フリードは本気だった。柱時計にもそれは分かっていた。
 彼は墓守として最年少である。しかし、それは何も彼がひよっ子の丁稚であることを意味しない。何千何万の死と真正面から相対し、時に溶け崩れた肉塊をシャベルで掻き集め、誰も来ない墓を丹念に見回り、無数の死せるもの達全ての記憶をその身で観測し続ける、ひとかどの死の番人なのだ。
 死を貴び、同時に生を敬う物。故にこそ彼に躊躇はない。生死の境界を荒らし、墓地の安寧を妨げる物に、この墓守はただ一瞬の容赦もしない。
 いよいよ首に掛ける力を込め、その頸椎を圧し折ろうと体重を掛けるフリード。一方の柱時計は、人の身をじりじりと破壊される痛苦に押さえ付けられた身を緩く捩りながら、しかし焦燥も恐怖もなかった。泰然として己を還さんとする物を観察するだけだ。

「手慣れてますねぇ。まるで何度もやったことがあるみたいですよ」

 掠れた声が呟く。墓守は取り合わない。
 しかし次に発せられた声で、彼の手はぴたりと止まった。

「慣れた貴方は僕の棺桶に何を手向けてくれるんですかねぇ?」

 これが、かの物殺しの少女ならば。考える時間はあれど、躊躇いなく答えられただろう。
 しかし墓守には何一つ回答が用意できなかった。人が持ってきた手向けの品を受け入れることはあっても、彼自身がそれを用意したことは一度もない。手向ける物の名も、その意味も、考えてこなかったのだ。命を得る前、彼が所有者であった者から与えられた唯一の意志は、曖昧な義務感――「言われて来た」の言葉からして、ある種の強迫観念――だけだったから。
 そう。まるで機械仕掛けの玩具のように。彼は墓地と言う場にあって、煙のように儚い責任感に駆られ動いていただけなのだ。そこに深い意味を求めることはなかったし、その必要もなかった。今までは。
 だが。此処で柱時計を屠りなば、その葬送は彼の仕事だ。墓守として詰んだ経験はその流れの中で送る品に意味を求めていた。しかし、彼にはそうした意味を構築する土台がアイデンティティの内に存在しない。手向けの品は彼にとって、単に物でしかないのである。
 叩き付けられた問いに、フリードが選択したのは沈黙と硬直だった。
 思考の間隙に足を取られ、身の竦んだ物など脅威ですらない。柱時計は悠々と墓守の拘束から逃れ、けらけらとさも楽しげに嘲笑う。

「故人の感情も考えずに墓守が務まると? 僕だって死にゆく人の言葉の意味くらい考えるのに」
「……黙れ」
「君は人と流暢に言葉を交わし合えるだけで、本質は“粗悪品”と何ら変わらないんですよ。やっていることの意味も分からず、託されたものの意味も考えず、ただただ身に沁みついた「やらなきゃ」なんて強迫観念だけで動くような物が、果たして人のように在る物と言えますかね?」
「黙れェエエッ!!」

 フリードの選択は、ことごとく愚かであった。
 相対する男の声を振り千切るように喚き、這うような低姿勢で柱時計へ飛び掛かる。その手が薬液を吸った注射器を持っていることにも気づかず。
 その愚かしさ故に、外で事の顛末を見ているだけだったキーンが、動かざるを得ない状況に落とされる。
 即ち、先程割られた窓を乗り越え、二人の間に割って入ること。
 即ち、手負いの獣の如きフリードを肘打ちで黙らせ、死角から墓守の喉元を狙う注射器を叩き落すこと。
 ただの一瞬で、気配もなく場の主導権を握った包丁を、二人の物は愕然として睨んだ。包丁もこれを睨み返す。
 鞘のない、欠けた刃がぎらついた。

「貴、方は……」
「馬鹿馬鹿しい。個人的な感情に振り回されて暴れ回るなど」

 肘で打たれたダメージが予想外に大きかったのか。胸を押さえ、奄々として問うフリードへ、キーンは心底呆れたように吐き捨てる。そして刃の向く先を、ゆっくりと柱時計の方へ転じた。抜け目なく先程叩いた手に意識を向ける。床に落とされたその指先が、針の折れた注射器に触れていた。
 お前もだ、と。呆れの色はそのままに、殺気を含める。

「身を引け。俺を相手にしたくなければ」
「貴方なら僕を還せると? 大した自信ですねぇ」
「柱時計風情が小手先の策を弄した所で、俺にとっては払う露にもならん」

 殺気の鋭さを帯びつつも、自若として余裕のある声音である。適当に力の抜けた、しかし何時でも戦闘態勢に移行できる体勢の取り方も相俟って、力量差は明らかであった。
 故にこそ、柱時計は素直に忠へ従った。触れていた注射器から手を離し、後ろで組む。足は胡坐をかき、即座には戦闘態勢にも逃走態勢にも移れないであろう。完全に戦意のない証である。包丁も納得したらしく、一挙動で立ち上がった。
 見下ろしてくる刃。検分するような視線を真正面から受け止め、柱時計はやおら言葉を綴る。

「クロッカーです」
「ケイだ」
「なるほど。覚えましたよ」

 お前も覚えておくがいい。次はどうなるか分からない。
 そんな脅しを言外に秘めて、柱時計――クロッカーは組んだ手を解いた。床に手を付いて腰を上げ、彼は靴の踵で注射器を踏み潰すと、その足で包丁の横をすれ違う。
 キーンにしか聞こえない声が、底知れぬ好奇と愉悦を含んでいた。

「次会う時が楽しみです」

Re: 棺桶には千寿菊を一輪 ( No.18 )
日時: 2017/05/21 01:02
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs

十七:約束

「お、何だか面白いもの持ってるねー。それ何?」
「雇用契約書です。ゾンネ墓地でアルバイトすることになったので」
「人物共同墓地かー。人手が足りてなくて仕事が片付かないって愚痴ってたもんね。いいじゃんいいじゃん、あそこの墓守さん皆優しいから、アザレアちゃんでも安心だよ」

 シズの店で頼んでいた服の完成と、ゾンネ墓地から一日遅れの雇用契約書が届いたのは、同日。アザレア達がゾンネ墓地を訪れた三日後のことであった。
 街の時は緩慢に刻まれるが、シズ達はその点比較的朝が早い性質らしい。アザレアが『営業中』の札の掛かった扉を開けた時、店内に掛かった時計の時針は九と十の丁度真ん中を指していた。
 完成と言っておきながら、蓋を開けてみればまだ調整を残していたらしい。彼方此方をひっくり返したり覗き込んだり、仕付け糸を切ったり付け直したりと、縫製士――ピンズの手元は未だ忙しなく動く。その様を横目に、アザレアはシズの用意してくれた椅子に腰を落ち着けた。
 すかさず差し出されたティーカップを受け取り、礼の代わりに目で会釈して、アザレアは裁ち鋏に問う。

「お知り合いですか? ここから墓地は遠いでしょ」
「遠いけど、あそこが還された物を受け容れてくれる最寄りの場所だからねー。それに、墓守さんが花を仕入れに来てた花屋さん、仕立て屋の隣にあったもの」
「えっ」
「そんな怖い顔しないでアザレアちゃん。店が並んでることなんて普通のことでしょー? ただ、とてつもなく不幸で哀しいことが、偶然ぼくの仕立て屋の隣で起こっただけだよ。ぼくはそんな不幸な出来事を皆で分け合って、皆で薄めて溶かす為に葬儀に参列した。それだけ」

 その時に墓守と話す機会があったから、顔を見知っているんだ。
 シズは呟くようにそう続けて、自分の為に注いだ紅茶の杯から立ち上る湯気を吹く。理屈はシズ自身にも分からないが、そうすれば熱い湯が冷めるという結果だけは彼の中にあった。果たして乱れた渦を巻く白煙を、裁ち鋏はぼうっとした風に見上げる。
 物殺しを前にして危機感や恐怖の欠片もない。フリッカーもそうであったが、物とは皆彼のように達観して構えているものなのであろうか。悶々と考えに耽りながら含んだミルクティは、砂糖が入っているにも関わらず、酷く苦い味がした。
 思わずしかめそうになった表情を何とか取り繕い、もう一口。苦味は随分と薄れていたが、それでも消えそうにはない。舌の上にいつまでもこびり付いている。振り払うように、アザレアはシズへ話題を放った。

「やっぱり、悲しいことですか? 何かが死ぬって」
「……そうだね」

 少しの間は一体何を意図したものか。
 限界まで押し殺した震えを、しかし三日間様々な物と話したアザレアは聞き取れるようになっていた。故に彼女は目を伏せてしばし考え込み、結論を出す。
 ――畏れている。隣近所という日常と隣り合わせの場所からもたらされた、あまりにも凄惨な訃報に。そして、それが近く己に降りかかるかもしれないことに。死そのものではなく死への道行きを、もっと言えば突然降って湧いてきた危難と言う名の澱を、彼は畏れているのだ。
 また一口紅茶を啜る。やはり苦い。
 淹れ方を誤っているのかもしれない。ぼんやりと苦味を心に引っ掛けながら、アザレアは努めて真面目に、けれども朗らかに口角を上げてみせる。

「棺桶にはアマリリスを一杯、でしたっけ」
「! 嬉しいなぁ、憶えててくれたんだ」
「はい。お願いはなるべく叶えようと思ったんです」
「珍しいなぁ。物殺しの人って割と問答無用な人が多いんだよ」

 頬杖を突き、紅茶を啜りながら、裁ち鋏の意識は過去を視ていた。
 命を得てから今日まで五十七年。その長い年月の中で彼が見てきた物殺しは――かの芝刈り機の若者を全員数えるならば――十人ほどである。その誰もが、お世辞にも物の事情を考慮しているとは言い難い乱暴さで物を還していった。命を得た際に持っていたはずの本懐を遂げられぬまま、足掻くことも許されず還された物も数多い。
 まだ死にたくない。まだやり残したことは山ほどあるのに。逃げ場も頼るべき人や物も亡くし、嘆くばかりの物たちの声を、彼は少なからず聞いてきている。慰めることも出来ずに黙るしかなかった心苦しさは、いつ思い出しても頭がくらくらするほどだ。
 気を遠くし、取り落としかけたティーカップをそっとソーサーの上に置いて、シズは遠い昔に寄せていた意識を現代に引き戻した。

「それならさ、アザレアちゃん。ぼくのお願いも聞いてくれる?」
「私が出来る範囲で、なら」
「大丈夫。きっと簡単だから」

 そう言って、口を一瞬噤み。
 意を決したように、告げる。

「今夜、来ておくれよ。十時過ぎに」

 それが何を意味するか分からないほどアザレアは愚鈍ではなかったし、臆病でもなかった。平静を取り繕い、ごく自然に、けれども何かを振り千切るような勢いで紅茶の残りを飲み干すだけだ。まだ熱い紅茶が喉を焼くけれど、それを彼女が気にした様子はない。
 ふう、と大きく決心の溜息を一つ。息を肺腑に吸い込み、答えた。

「それがお望みなら、必ず。十時過ぎに、此処へ」
「うん。ありがとう」

 震えのない返答が一つ投げ返される。
 同時に、作業に集中しきっていたピンズが頭を上げた。アザレア、と通る声で物殺しを呼び、はぁいとばかり明るく応対した彼女へ、先程まで調整を繰り返していた服を両手に広げる。出来た、と言いたいらしい。
 しかし、その詳細をアザレアが見て取るより早く、縫製士はわくわくしきりな声で言い渡すのだった。

「ねぇ、ちょっと着てみてくれない? 絶対似合うから!」
「え、えぇ、はい。大丈夫です」

 戸惑いがちにアザレアが返答した途端、シズは作業室から蹴り出された。
 此処からしばらくの間は男子禁制である。いくら服の型を決めて布を裁ったのが彼とは言え、女性の、しかも女子高生の着替えを呑気に見ていて許されるはずがない。尻を蹴らなくても、とぶつぶつ文句を言いながらも、裁断士は素直に作業室を辞する。
 ――シズが再び作業室へ入る許可を得られたのは、それからたっぷり十分も経ってからだ。

「え、あ、あの、めっちゃ恥ずかしいです……!」
「大丈夫大丈夫。すごく似合ってるわ!」

 黒いインナー、しっかりとした生地の白いブラウス、ブラックウォッチ柄のやや短いベスト。七分丈の黒のズボンは裾や尻ポケットにチェック柄を部分使いし、また諸所にツツジの花の刺繍が施されている。足元は編み上げのブーツで固め、両手には革の手袋を着けて、戦闘時には腰からナイフホルダーを提げる格好だ。髪は高い位置で一まとめにされている。
 比較的女の子らしい恰好を好むアザレアとしては、このボーイッシュな服装はどうも恥ずかしいらしい。顔を真っ赤にして姿見とピンズとを交互に見る物殺しへ、しかし縫製士はひどく楽しげだ。両肩をばしばしと激しく叩きながら、ピンズは姿見に映る女子高生を見ては嬉しそうに笑う。
 部屋の中の騒ぎに気付いて入ってくる兄。それに気付いた妹が、ほら見てとばかりアザレアの肩を掴んで百八十度ひっくり返す。耳まで赤くして顔を両手で覆う物殺しに、シズは穏やかに笑いかけるばかり。

「そんなに恥ずかしがらなくてもいいんじゃない?」
「だ、だってこんな服着たことない……」
「そう? そんなことないと思うけどな」

 だってきみは美人だもの。何だって似合うよ。
 そう言いかけて、彼はそれをそっと胸の奥にしまい込んだ。彼女を称賛するに余計な言葉は必要ないと考えたのだ。言おうと思えば歯の浮くような褒め言葉も紡げたであろうが、どんな言葉を並べても彼女の前では全て虚飾になるだろうと、彼は心の内で直感していた。
 結局、よく似合っていると当たり障りのないことだけを口にした裁断士へ、縫製士はやや不満げ。もっと何か言うことはないのか、と憤慨したように責めつけられ、長く長く沈黙した後に、シズはようやく一言だけ綴った。

「きみに作った分が一番しっくり来るね」
「!?」

 驚いたのはピンズである。
 言葉もなくその方を向いた妹は、ドアに寄りかかり、辛そうに床を見つめる兄の、悲愴な佇まいに二の句すら失った。
 対する兄は、一度言葉にして吹っ切ったからであろう、饒舌に言葉を編み上げていく。

「完成品を着てもらった時にね、何となく“違う”っていつも思ってた。勿論フィッティングが悪いとか技術的な問題じゃなくって、全体的なデザインとかシルエットとか、色んな小物も含めた雰囲気の問題でね。ぼくは何時だって全力で服を仕立てているし、お客様だってとても満足してくれたけど、ぼく自身が納得したことってないんだよ」
「兄さん」
「でもアザレアちゃん。断言する。きみに仕立てたその服は、今までで一番満足な出来だよ。きみが元から持ってる雰囲気にぴったり当てはめられたんだから」

 もし彼が人間なら、その顔は笑っていただろう。
 されど、そこには今や布を裁てぬ鋼の鋏が付き立っているだけだ。

「だからさ、自信持ってアザレアちゃん。よく似合ってる」

 物殺しは黙ってはにかんだ。
 笑えぬ物の分まで笑うように、精一杯。

Re: 棺桶には千寿菊を一輪 ( No.19 )
日時: 2017/05/21 00:25
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs

十八:形見

 ――間も無く月の原、月の原駅でございます。
 ――お忘れ物にご注意下さい。

 ごとりと一度大きく揺れ、ぴたりと示し合わせたような正確さで汽車が駅に停まる。誰もがアナウンスを聞き流して思い思いに時間を潰す中、古い回数券をポケットに秘めて座っていたアザレアは、一人月の原駅へ降りるべく座席を立った。共に乗り合わせた数人の物の内、一人が不思議そうに彼女を見るも、それには気付かない。
 予定時刻まで滞在するのだろう、扉を開け放したままその場に居座る汽車を背に、ホームへ立つ。
 老朽化の進んだホームは閑散とし、降客は誰一人いない。それでも電子マネーに対応出来る改札機が置いてある分、本物の無人駅よりはましだろう。尤も、彼女が雇用契約書と共に墓守から預かったのは、手動で切らなければならない旧式の切符であったから、彼女の足は改札機の傍に建てられた駅舎の方へ向くのだが。
 果たして駅舎で待っていたのは、改札鋏を手にした制服姿の男。五十代前半ほどか、ひょろりとした体躯の首から上は、使い込まれた懐中時計に成り代わっている。竜頭(りゅうず)の上にひょいと鉄道員の制帽を乗せた彼は、差し出された回数券をじっくりと検(あらた)め、アザレアの顔を同じだけ眺め回したかと思うと、重々しく頷いて鋏を入れた。端の方に三日月型のミシン目が入ったそれを少女の手に返し、男はやおら身振りを始める。
 アザレアを指差し、戻して、両手の人差し指で十字架を作る。それもすぐに戻し、右手の人差し指を真っ直ぐ横に動かして、最後に小さく首を傾げた。彼独特の手話のようだ。

『あなたは 墓地へ 行くのか ?』

 読みにくい意図を何とか汲み取って、アザレアは首を縦に振る。そして右手で耳を指し、小刻みに秒を刻む文字盤をまっすぐに見た。声は聞こえるかと問うたのだ。
 男はアザレアの身振りに黙って頷き、口と意識する所に広げた手をかざして数度開閉、首を横に振る。話せないだけだと伝えたいらしい。

「それじゃ、私は話します。ゾンネ墓地が此処から最寄りと聞いているので此処で降りたんですけど、合ってますか?」
『合っている 何故 墓地へ 行くのか ?』
「アルバイトです。受入所で、書類整理の」
『行き方は 分かるか ?』
「此処から墓地は見えると聞いています。分からなかったら駅の鐘を五回鳴らせば迎えの人が来ると言っていました」
『恐らく 迎えは かなり 遅くなる あなたが 良ければ わたしが 送ろう』
「それは嬉しいんですけど……駅舎を勝手に離れるのは良くないんじゃないですか?」
『構わない 此処に 鉄道で 来る人は 少ない』

 少しだけ肩を落とす様に、アザレアは彼が手振りで伝えた以外の感情を読む。
 要するに、この五十路の鉄道員は、久方ぶりに訪れた降客へお節介を焼きたいのだ。寂れた場所で人を待つ侘しさは彼女も良く知っていたし、知っていて無下に出来るほど薄情者でもない。長く生きたであろう彼の経験が良いと言うならば、無理に抗弁することもないだろう。
 故にアザレアは黙って頷き、それではと頭を下げた。途端、沈んでいた雰囲気があからさまに上向き、思わず笑声が溢れかける。
 では待っていてほしい、と手振り。頷く彼女へ丁寧に頭を下げ、男は背後の棚をごそごそと漁ったかと思うと、一枚の名刺と金属のホイッスルを手に駅舎から出てきた。動きを目で追うアザレアへは名刺を手渡し、流れるようにホームの傍へと彼は立つ。出発の合図を待つのだろう。その間に渡された名刺へと視線を落とした。
 夜色の地に金の星と銀の三日月、黒いシルエットの駅舎と汽車。裏は同じ色の地にシルエットの杉並木とフクロウ。公的なものとして提示出来るかはともかく、中々洒落た名刺である。生真面目そうな風体や態度とは裏腹の茶目っ気に少し笑いながら、流麗な手書きの字で書かれた名を見た。

 ――“月の原駅 駅長 オンケル”

 名と肩書きを確認したところで、ホームの方から柔らかく高いホイッスルの音が響く。思わず顔を上げると同時、ゆっくりと汽車は人の街へと向かって走り出した。
 時刻は午前十一時五十六分。雲一つない良い晴天の下を、遅延なく汽車は発つ。


 昼下がりの人気のない荒野をゆっくりと歩いて十五分。二人を出迎えたのは、杖を突き歩くクロイツだった。

「オンケル!? 駅はどうしたんだ」

 開口一番ぶつけられるのは驚きと呆れの声。
 無理もないだろう。たった一人の駅員が仕事を放り出しているのだ。リアクションの面白さにかまけて職務放棄をさせたことをアザレアは今更ながら恥じ、自分のせいだと頭を下げる。しかしオンケルはそれを留め、ゆっくりと、二人共に分かるよう身振りした。

『あそこを この子 一人で 行くのは 危ない あなたは 撃たれたと 聞いた から わたしが 此処まで 一緒に来た』

 物殺しの視線がクロイツに向き、オンケルがそれに続く。黒十字は黙したまま。
 しかし、漂った静寂は守長が自ずから破る。

「彼女を盾にされると弱いな。しかしオンケル、次はなしだ」
『そんなに 邪険に しなくても』
「する。君はあの駅唯一の駅員だよ。君が仕事を放棄したら駅が立ち行かなくなる」

 しゅんとしてしまった。正論なだけに言い返すことも憚られる。クロイツも当惑しているらしい、腕を組み、唸り声を上げて立ち尽くしてしまった。
 堪らずアザレアが話題を変えようとして、オンケルが動く。ガラス蓋で覆われた文字盤を交差させた両手で覆う所から、その“言葉”は長く続いた。

『とても悲しい あの時 も あなたの時 にも わたし は 何も 出来なかった この 物の街から も 人の街から も 離れた 此処で あなたたち の 傍に 一番早く 来られるのは わたし なのに わたしは 気が付きも しなければ むしろ 嬉々として あの 時計を 此処へ 招き入れて しまった』
「そんなこと――」
『わたし も 長く 生きた 物の 端くれ この子が 物殺し であること は 分かっている あの子と 同じように 元の世界へ 帰り たがっていること も 分かる だから 助けに なりたかった あの道の “通り方”を 知っているのは わたし だけ だから わたしが この子と 一緒に行く 限り 此処へは 気を休めて 行ける だろう から』

 どうして。
 思わず零した物殺しの呟きを、彼は聞いたか否か。彼女の方に身体を向けて、オンケルは語る。

『悲しい ことを 言わないで あなたには わたしと 違って 帰る場所 も 帰りを待つ人 も ある し 作ること も 出来る あなたが それを 無くしたとき 亡くしたとき きっと 悲しい だろう ? あなたに 残された 場所 や 人 を わたしは 悲しませたくない し 此処で 取り上げてしまいたくも ない から』
「オンケルさん」
『忘れないで あなたには これまでも これからも 沢山ある 辛いこと も 悲しいこと も 雨のように 降りかかる だろう けれど 嬉しいこと も 楽しいこと も あなたには 得る 権利が ある 今も これからも あなた らしく 生きて いい 権利が ある 陳腐なことを 言っている けれど それは とても 大事なこと だから』

 忘れないで
 こめかみを指し、己の胸を指して、かぶりを振り。オンケルは念を押すように伝え、唖然とする少女の頭をぽんぽんと軽く叩いたかと思うと、はたと気付いたように頭を上げた。みるみるうちに先ほどまでの静謐が吹き飛び、あわあわとその場でおたつき、頭を抱え始める。アザレアは完全に置いてけぼりだ。
 ぽかんと間抜けた表情のアザレアに、喉の奥で懸命に笑いを堪えながら、クロイツが助け舟を出した。

「慌てているんだよ。娘のような年頃の女の子の頭を撫でたから」
「へ……?」

 そう言えば、とアザレアも顔を赤くする。二人揃って慌てだしたところで、クロイツの笑いの堰はとうとう決壊した。


 ――結局、アザレアの勤務初日が始まったのは、それから三十分も経ってからのことである。
 案内された部屋は、書斎のすぐ隣にある保管庫。数十年前の古いものからつい数日前に書かれたような新しいものまで、新旧の段ボールが雑多に放り出されている最中である。かろうじて年別に仕分けはされているものの、その年の並びはまるで整頓されておらず、入れられた名簿もばらばらだ。これではしばらく仕事にも事欠くまい。
 雑然と散らかった紙の束にやや辟易しつつも、アザレアはざっと見た中から一番新しい年代のものを選んで仕事に取り掛かる。初日だからだろう、クロイツもボール箱を挟んだ差し向かいに腰を下ろし、慣れた手つきで紙を捌き始めた。
 まず人と物とを仕分け、月日順に並べ替えてインデックスを付け、名前順に揃えてファイルに綴じる。母数が多い分煩雑ではあるが、難しい作業ではない。話す余裕が出来るまでにも、時間はそう掛からなかった。

「あの」
「うん?」
「月の原駅から此処まで、徒歩五分で着くって言ってましたよね? 今日来てみたら十五分掛かりましたよ」
「その件に関してはすまない、大事なことを言い損ねていた。だが決して嘘を言ったわけではないんだ。普通は月の原駅から此処まで、確かに五分で来られる。初春の荒野に蜃気楼や逃げ水が立つこともない」

 仕分けの終わった書類に大型のパンチャーで穴を開けながら、クロイツはやや申し訳なさそうな声。
 アザレアは名簿の名前に目を落としたまま、語尾を上げて疑問を呈する。

「なら、どうして?」
「駅舎と此処の間に誰かが悪戯をしているようでね、たまに景色が惑う。建物との距離がいつまでも縮まらないように見えたり、逆に遥か遠くにしかないはずのものへ数歩で近づけるように見えたり、時にはあるはずのものを消したり動かしたりもしてしまう。実際に地形が歪んでいるわけではないから、慣れてしまえば然程心配するものでもないが」

 奴(オンケル)は心配性だと笑いかけて、クロイツはすぐに言葉を引っ込めた。
 彼が提示した不安の種は、人を惑わす荒野ではない。不慣れな場を一人で彷徨う少女と、それを狙う悪意なのだ。悪意の側も幻に惑うならばまだしも、オンケルの不覚によってそれも期待し難い。ならばせめてと考えるのは珍奇な思考ではないだろう。
 ファイルの表紙を閉じて新しいボール箱に仕舞い込み、別の紙束を出しながら、守長は自嘲気味に一言。

「雇い人の一人も護れない物が守長とは。聞いて呆れるだろうな……」

 アザレアは黙したままだった。

Re: 棺桶には千寿菊を一輪 ( No.20 )
日時: 2017/05/21 00:36
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs

十九:月夜

 午後九時四十八分。
 物の街に停まる最終の汽車を降り、三日月型のエンボスが捺(お)された回数券をキップに見せた。

「月の原駅……ゾンネ墓地に行ったのかね?」
「はい、アルバイトで。書類整理するだけだから簡単でしたよ」
「ほぉ、墓守の真似事をする物殺しは初めてだの。物殺しが大抵副業を抱えとることは知っておるが」
「花屋さんとか?」
「確かに元は異世界の迷い人だがの、花屋はちと事情が違うわえ。えぇ、儂が知っとるのは人の街の宿屋で働いとったな。確か『日の出』とか言っとったか。看板が面白いで、行けばすぐ分かる」

 へぇ、とアザレアはやや気のない返事。キップの石炭くさい声を聞きながら、彼女は様々に思考を巡らせていた。やるべきこと、やりたいこと、知るべきこと、知りたいこと。手元に散らかったタスクを引き寄せ、頭の中で一つ一つ分類し、整理していく。それは昼間に散々やった書類仕事にも似て、慣れた彼女には造作もないことだ。
 キップが不審がる前に脳内を整理し、心の中で区切りを付けるように一つ柏手を打つと、彼女ははきはきと宣言した。

「ありがとうキップさん。色々と整理が付いたら、人の街にも行ってみます」
「おぉ、それがええ。無茶すんでないぞ」
「大丈夫です。無茶と無理の区別はちゃんと、ずっと前から付けてるつもり」

 清々しいほど朗らかな笑みに、キップは巧妙な嘘を見る。
 大抵、笑いながら大丈夫という人ほど大丈夫ではない。夜の物殺しに浮かぶ笑みはとりわけ信用できないし、彼女はそうした立場以前の問題である。大丈夫と言いながら無理を重ね、平気だと言いながら身を削ることに慣れきってしまっているのだ。
 しかし老成したこの物は、そこに茶々を入れることはしなかった。やおら引き出しを開け、取り出したパイプに火を入れるだけだ。
 長く薫せ、一息。煙突からやや量の多い煙を吐き出して、キップは遠いところに意識を向ける。

「これから行くのは仕立て屋かの」
「はい」
「そうか。……なら、狙うのは首ではなく心の臓じゃて」

 節くれ立った親指で二度、自分の心臓の真上を突き。重々しく忠を告げる老翁に、物殺しは黙って首肯した。誰とは言わぬまでも、それの“首”はちっぽけなナイフで切り離せるものではない。ならば、狙うのは首から続くその“先”。キップから再確認を受けなくても、十分に弁えている。
 大丈夫、分かってる。吐息のような声を叩き付け、アザレアはそれ以上の言葉を待たず地を蹴った。長く艶やかな髪を吹き抜ける風に翻し、歩き去っていくその後ろ姿を、彼はただ見送るばかり。
 幸運を祈る。呟く声は、果たして聞こえたものか。答えは互いの胸の裡に秘めたまま、夜は流水の如く流れてゆく。


 『TAYLOR SISS & PINS』の看板の下、『準備中』の掛札が下がる扉は、しかし鍵が掛かっていない。
 ノブを回して押し開けると、小さくドアベルの音が響いた。その音を聞き流し、アザレアは右腰に下げたナイフホルダーにきちんと得物が収まっていることを確認してから、そっと店内へ足を踏み入れる。古い木の床の軋みが静寂の中で大きい。意を決して少し歩を進め、店の奥の作業台へ視線を移した。
 瞬間、不安に揺れていた鳶色の双眸が、ひたりと静止。詰めていた息も、強張っていた全身も、平素に限りなく近いほど――しかし確かな緊張を残したまま――緩む。
 視線の先には、力なく項垂れて作業台に寄りかかるシズの姿があった。暗きの中で曖昧であるが、酷く困憊していることだけは少女の目にも分かる。その深い疲憊の理由は、左手に固く握り締めたアルミの裁ち鋏とその刃先を濡らす液体、そして利き手に巻かれた血の滲む包帯で、それとなくでも察せられた。
 一歩。二歩。まだ得物には触れず、歩み寄る。
 シズが僅かに頭を上げた。

「……アザレアちゃん」
「約束通り、来ました」

 声色は透徹として冷たく。まるで雰囲気の違う少女に、シズはややたじろいだようだ。ありがとうね、と動揺を隠せぬ声で呟いたきり、また俯いてしまう。アザレアは更に半歩距離を詰め、足を肩幅に開いて立った。右手が革の鞘に掛かる。
 空気は軽い緊張を保ったまま。それ以上張り詰めも緩みもせず、両者の間に横たわる。物殺しの言葉がそれを切ってしまうこともなかった。

「鋏を、置いてくれませんか」
「…………」

 酷く苦しそうな所作で、握り締めていた鋏を背後の作業台に置いた。
 もしものことがあっても、これで致命的な反撃を食らう心配は減っただろう。今更シズが生に執着するあまり暴れまわったり、物殺しに対して激情のまま危害を加えてくるとは思えないが、念を入れるに越したことはない。
 大きく一歩。両者の位置はこれで、真っ直ぐ手を伸ばせば肩に届くほど近づいた。此処まで来ればアザレアの間合いである。それを二人とも感じているのだろう、緊張の糸が僅かに引っ張られ、静寂に微細な棘が混じった。立っているだけで逃げ出したくなるような、居たたまれない空気である。
 されどアザレアの表情は欠片も揺らがない。手が鞘からナイフを引き抜いた。その刃の艶消しはされておらず、外に照る僅かな月明かりに鋭く煌めいた。曇りなき輝きは嫌でも恐怖を煽るようで、物が身震いする。
 しかし次に放たれた物殺しの言葉は、その震顫を一息に止めた。

「殺されて下さい」

 己は覚悟を決めている。
 続かぬはずの言葉を、しかしシズは聞いた気がして、はっと幽(かそ)けく息を呑む。
 彼女は己と取り交わした約束を既に履行しているのだ。ならば応えるのが彼の――仕立て屋と言う名の城を預かる、裁断士の肩書きを冠する主の――礼儀であり、不履行はシズが秘めた存在定義に対する、最大とは言わぬまでも大きな裏切りであった。
 震える手をぐっと強く握り締め、開く。そして、ずっと丸めていた背を颯爽と伸ばし、迎え入れるように諸手を広げた。
 声には最早、疲憊も恐怖もなく。いつもと同じ、危機感のない穏やかさが滲む。

「預けるよ。きみに、ぼくを」
「ええ。任されましょう」

 刃の狙う先は一点。器物と人の境界にして、物が持つ唯一絶対の急所のみ。
 余計な場所を狙う必要はない。シズは“粗悪品”ではないのだから。沼の如き恐怖に沈み込み、狂気と狂乱を精神の許容以上に詰め込まれても、尚。彼が持つ堅固な知性と理性の牙城は、崩れずに物殺しを迎え入れてくれる。ならば、足止めで与える苦痛など無駄なだけだ。
 慎重に見定め、アザレアはほんの寸秒、シズを見上げた。彼もまた彼女を見ていた。
 笑い合う。暗闇に紛れるほど小さく、けれど雑味なく。

「またね」
「お休みなさい」

 音が意味を綴り、お互いが理解を示すと、同時。
 アザレアは大きく一歩踏み込んで、耽々と狙っていた場所へとナイフを突き出した。鋭い切っ先は寸分の狂いもなく心の臓へ吸い込まれ、鈍い音を立てて男の薄い胸板を突き破る。しかし、真に切り離すべき場所はもっと奥にあるようで、シズが苦鳴を零した。
 押し殺された悲鳴に、思わず悪寒。ぐっと奥歯を噛み、アザレアは左手を柄の頭に添えて、力の限りナイフを押し込んだ。“粗悪品”を還した時のあの感覚が、分厚い手袋越しにすら生々しく感じられる。嫌な汗が額に滲んだが、それでも手を引くわけにはいかない。
 左手を一瞬柄頭から離し、勢いよく叩き付けた。その衝撃がどうやら決定打になったらしい、ガラス板の割れる音に似た、小さくも高く重い音が物殺しの耳に届く。これも既に聞き覚えのあるものだ。
 ただ一つ――違うところが、あるとするならば。
 人の身と物の頭を切り離されて命を喪ったはずのシズが、それでも動いたことか。

「ぇ……」

 亡羊とした手付きで虚空を数度掻き、探るようにアザレアの肩に触れて、傍に引き寄せる。驚き、訝る物殺しをよそに、それは少女の華奢な肩をほんの一秒ほど抱き寄せていたかと思うと、要の糸を切られた操り人形の如く、一気に力を失った。
 くしゃり。そんな擬音が聞こえんばかりに脱力した体(てい)で、床に崩折れる裁ち鋏。後を追うように座り込み、アザレアは倒れこんだ物の肩を掴む。まだ体温の残る人の身が動くことは、最早ない。
 理性ある物でさえ、その死はひどく呆気ないものだった。

「シズさん」

 二度と返らぬ物の名を、それでも彼女が呼んだのは。

「……シズさん」

 怖気立つほどの命の軽さが、その背に重く圧し掛かるから。

Re: 棺桶には千寿菊を一輪 ( No.21 )
日時: 2017/05/21 00:20
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs

二十:葬列

 冗談のような快晴だった。
 睡蓮と蝶の彫り模様が入った人間大の杉の匣、もとい棺桶。燃えやすいようにとの配慮であろうか、模様と称して可能な限り肉抜きされ、油を染み込ませたその内には、痩せた男の亡骸が横たえられている。
 上等なシャツに黒いベストとスラックス姿、胸の上で組まれた右手には血の滲む包帯が巻かれ、首から上には白い布がそっと被せられていた。
 葬儀の場で、親族以外のものが死者の顔を見てはならない――そんな異世界の掟をこっそりと、右も左も分からぬ物殺しに教えてくれたのは、葬儀を執り行っているゾンネ墓地の墓守。トートと名乗った遺影頭の男は、静々と棺桶の横に立ち、会釈するように浅く腰を折って、棺桶の中に硬貨の形をした数枚の紙とごく小さな木の短剣を一つ入れた。弔問客の献花はその後からだ。
 近くに寄っても聞き取れぬほど小さな声で語りかけ、トートは流れるように棺桶から離れる。そこへ最初に近づくことが許されたのは、たった一人の親族。紅色のアマリリスを手に、黒衣に身を包んだピンズは、毅然として死せる兄の許へと歩み寄った。
 言葉はなく、感情による揺らぎもなく、縫製士の手が包帯の巻かれた男の手に触れる。体温のないそれは強く硬直し、ぞっとするほど冷え切っている。還された物の手は、ただの器物に触れるよりも冷たい気がした。
 名残を惜しむように、長く長く。氷のような手を握り締めて、ようやく離したのはたっぷり十分も経った後。のろのろと緩慢にアマリリスの花を胸の上へ置き、その手で頭に被せられた布を取りかけて、弾かれたように背を向けた。逃げるように踵を返し、弔問客の間を走り去っていく彼女を追うことは出来ない。トートがそれを認めなかった。
 沈鬱な静粛さの中で、葬儀は進んでゆく。
 普段は野蛮な言動や服装の目立つフリッカーも、今日ばかりは黒い正装に身を包み、黙って手にした赤い花を棺桶に入れていた。真っ直ぐに背を伸ばしながらも、何処か気落ちしているように見えるのは、決して思い違いなどではないだろう。

「フリック。離れよ」
「嗚呼、分かってる」

 いつまでもそこを離れようとしないフリッカーへ、投げ掛けられるのは墓守の諫言。それに対する投げやりな返答はいつもより低く掠れていた。探照灯の感情を顔から読むことは出来ないが、掠れた呟きには寂しさの色が抑えきれず滲み出ている。数分棺桶の前に粘った後、彼は足取り重く離れた。
 献花は続く。スペクトラやファーマシーのように見覚えのある物もいれば、見覚えのない物も手に手にアマリリスの花を持っている。驚くべきは、その中にぽつぽつと人が混じっていることだろう。アザレアの思う以上に、彼は様々なものから慕われているらしい。
 ――アザレアの番が回ってきたのは、三十人以上のもの達の献花が終わった後。大勢いる弔問客の中でも最後だ。そのことを空気で察したものか、誰からともなく黒衣のもの達が彼女の前に道を開ける。トートも黙したまま首肯し、彼女が近づくことを認めた。
 恐る恐る足を踏み出し、作られた道の上を進む。墓守とすれ違うと、彼はアザレアにしか聞こえない声で告げてきた。

「守長より話は通っている。故人の希望を優先せよ」
「……ありがとう」

 彼女もまた小声で礼を言い、横たえられた遺体の傍に立った。
 既に三十以上のアマリリスの花で赤く飾られた冷たい肉体。己が還した物を見る物殺しの、その白く細い手には何もない。進行役の男が渡さなかったのだ。彼女が持つ力を知らぬもの達は、墓守に見咎められない程度の慎ましさで首を捻り、或いは隣に立つもの同士で顔を見合わせて疑問を表す。
 アザレアは背後のざわめきの一切を聞かぬふり。鳩尾の辺りで手を組み、腕を組んで、意識を軽く集中する。ひょうと狙い澄ましたように葬列者の間を風が抜け、棺桶の中で白い靄が渦を巻いた。
 白い霧が花の形を作り、質感を再現し、鮮やかな赤に染め上げられるまで、僅かに十秒。アザレアが目を開けた時、かの物の亡骸は溢れんばかりの赤い花に埋もれていた。その様はアマリリスの花畑へ無造作に寝転がったかのようで、寂しくも穏やかな光景である。
 函の中に広がるそれを目に焼き付け、アザレアはやおら踵を返した。何かを確かめるように、一歩一歩地面を踏みしめて、墓守の横に立つ。神父の着るような法衣ではなく、黒い三つ揃いのスーツを身に纏うトート、その肩にゆるりと掛かる白い死に装束が、微かに揺れた。
 俯かず、視線を逸らしもせず。己の前に弔問客が開けた道をまっすぐに見て、物殺しは噛みしめるように告げる。

「……もう、充分です」

 墓守は彼女に何も言わず、何もしなかった。それはアザレアも分かっていたのだろう、それ以上の言葉は喉の奥に秘め、葬列者の間に紛れて立っていたケイに目配せする。場に漂う気まずさと静けさをものともせず、ケイはもの達の間をすり抜けると、堂々と前を向いて歩く少女の後ろに追随した。
 その足音が聞こえなくなるまで、墓守はその場に立ち尽くすばかり。葬列の中から一人が抜け出し、バタバタと忙しなく物殺しの背を追っても尚、真っ白な写真を入れた遺影の頭がその方を向くことはない。
 良く晴れた青空の下、葬儀は粛々と続く。

「……キ、いや、ケイさん」
「嗚呼、分かっている。敏(さと)いな」
「“あの時”以来、気配には気を付けるようになってますから」
「そうか」

 ファーマシーの医院へ至る、大通りから一本外れた閑静な道。ひび割れた石畳と古びた街灯が規則正しく並ぶ上を、物殺しと付き人は並んで歩く。何でもないような口ぶりで会話しつつも、横たわるのは明確な敵意を持った、しかしそうと悟らせない程度には微かな緊張感。あの月夜に纏ったものと同じ、平静を限りなく保つその様からも、お互い自然と何かを察していた。
 視線が空中で一瞬だけ交錯し、すぐ離れる。そして、道が二股に分かれる地点まで歩み来た両者は、どちらからともなく二手に分かれた。こつこつと靴の踵が奏でる硬い足音が左右の道に響き、奥に消えていく。
 ――その後を尾行(つけ)る物が、一人。
 おどおどと腰の低いそれは、男物の学生服を身に纏う、落書きだらけの分厚いクロッキー帳を頭に据えた少年だ。気付かれまいと言う一心か、何十メートルも離れた遠くから物殺し達の背を追いかけていた彼は、二叉路の真ん中で困惑したように立ち竦む。どちらを追うべきか迷ったのだ。
 早くしなければ見失う。焦燥に駆られた少年は何度も左右の道を交互に見ると、意を決したように、右の道――アザレアが歩き去って行った方に走った。
 ぱたぱたとスニーカーが石畳を蹴る軽い音。左の道を進んでいたキーンが、ぴたりと歩みを止める。やおら腕を組み、アーミラリより受け継いだ街の道の記憶を辿って、彼もまた決意したように頷きを一つ。足を速め、裏路地へと身体を滑らせる。
 彼が抑えきれぬ殺意の迸りを知覚したのは、それからすぐのことである。

「……動かないで」
「ひっ……!?」

 医院のほど近く、隙間を埋めるように林立する住居の僅かな隙間。そこに入り込んだアザレアに気づかず通り過ぎようとした少年を、物殺しは背後から急襲し、羽交い絞めにして引きずり込む。そしてクロッキー帳の頭をがしりと鷲掴み、少年を腹の方から壁に押し付けると、首にひたりと刃を当てた。
 流れるように人一人を拘束する少女。その整った顔立ちに浮かぶ表情はない。氷の如く双眸に睨まれたなら、彼女よりも年下の少年風情が太刀打ちできる道理はないだろう。事実、彼は小さな悲鳴を上げたきり動けず、ヤモリの如く無様に壁へ貼り付かされたまま、物殺しの声を聞かされる羽目になった。

「尾行(つけ)たでしょ」
「しっ、知らない!」
「なら何で葬儀の時すぐに抜けたの。私達を追いかけて」
「知らない、知らないよ! 偶然だってェ!」

 必死で首を横に振ろうとする少年。その頭をぐいと押さえ付けながら、しかしアザレアは首元の刃だけは引いた。
 追いかけていないと言うのは嘘であろうが、害を成す気は無さそうだと判じたのだ。なるべく音を立てずにナイフを鞘へと戻し、物殺しは僅かに目元の冷たさを緩める。視線の変化を感じたのか、怯え切っていた少年も少々は落ち着きを取り戻したらしい。次の問いへはしっかりと返答した。

「貴方も命を持った物なのね。名前は何?」
「あ、く、クロッキー」
「それじゃ、クロッキー。……その頭、ちゃんと使える?」

 アザレアの問いの意味を図りかね、しかし彼は、すぐに気付く。
 ぇ、と疑問符にまみれた一声を上げ、ハッと驚きと怒りを交えた風に息を呑んで、返すのは沈黙。手が煉瓦の壁を掻き毟り、物殺しの拘束を撥ね退けようと力を入れる。
 その小さな重心の遷移と、路地の向こうより来たる物の存在にいち早く気付き、少女は振り払われる前に細腕を引き、素早くバックステップを踏んで、かの物が割り込んで来るであろう隙間を開けた。
 果たして、彼は。

「使えッ、るよッ……!?」

 彼――キーンは、その図体の一切を気取られることなく、むきになって言い返そうとした少年の前に立つ。存在を気取っていたアザレアはまだしも、クロッキーにしてみれば、己より頭二つ分は高い上背の男が突然現れたようなものだ。驚きのあまり、彼は振り向いた体勢のまま固まっている。
 そんなクロッキーにじとりと意識を向け、スラックスのポケットに諸手を入れながら、キーンは鞘で覆われた刃の切っ先を表路地の向こうへ向けた。古い医院の方角である。

「尾行していたことは分かっている。だが陳情も弁明も後だ」
「な、ちょっ、だっ誰だよ!」
「ケイ。物殺しの付き人としてアーミラリに“起こされた”。それ以上でも以下でもない」

 少年の狼狽を叩き切る、有無を言わさぬ口調と言葉。
 平坦なようで苛立つ声音に、アザレアは案内人の影を見た。

Re: 棺桶には千寿菊を一輪 ( No.22 )
日時: 2017/05/27 21:10
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs

二十一:速写帳

 主は未だ戻らず、医院の中は静まり返っていた。
 それ故であろうか、クロッキーはいちいち周囲の趨勢にびくついている。蝶番の軋みや床を叩く靴底の音、廊下を覗き込もうとするアザレアの所作にさえ、ひえ、だのひぃ、だのと情けない悲鳴を零すのだ。物殺しと付き人は内心舌を出しつつ、しかし冷静に少年の感情を探っていた。
 クロッキーの様子はどう贔屓目に考えても尋常ではない。仮に気弱さが生まれ持った気質であったとしても、これほどの過剰反応は、何かしら恐怖体験がなければ起こらないものだ。――そう。例えば、虐められたとか。虐待されたとか。ならば、それを植え付けたものが何処かにいるはずだった。
 だが、そのものを探すのは後だ。とにもかくにも、この気弱な物から話を聞き出さなければ何も始まらない。物殺しと付き人は個々に、しかし同時にそう結論し、目配せもなくそれぞれの役目をこなす。即ち、アザレアは医局へ顔を出し、キーンはクロッキーを伴って二階へと上がっていった。

「おかえ……ありゃ、違った。キミは?」
「アザレアです。ファーマシーさんに部屋を貸してもらってます」
「嗚呼! 聞いとる聞いとる、物殺しのお姉さんよね。僕はシンシャ、ファームの留守居を頼まれとるんよ」

 医局には物が一人。
 白黒の和服を着込んで朱色の帯を締め、足袋に雪駄を履き、羽織の代わりに白衣をまとう若い男である。その頭に置き換わった薬包紙には、何かの散薬が包んであるらしい。
 幾分ちぐはぐな恰好であるが、恐らくは伊達や酔狂ではなくこれが仕事着なのだろう。丁寧に洗いが掛けられ、綺麗にアイロンが掛けられた白衣。その取り去れぬ薬品の染みや、彼自身からどうしようもなく漂う薬草のにおいが、無言の内に雄弁だった。
 手持ち無沙汰だったのか、シンシャの手は雑多に積み上げられたカルテをぱらぱらと捲り、その名前や既往歴を斜め読みしては元に戻す。鳶色の目でそれを見下ろしながら、アザレアは机の角に少しだけ寄り掛かり、決心したように話を切り出した。

「殺されてくれます?」
「やだ」

 即答。ほっとアザレアは胸を撫で下ろす。
 彼が還すべきものであると、物殺しは直感していなかった。それでも問いかけたのは、己の直感が一体どんな判断基準を持っているか確かめる為だ。そして今の所、彼女が直感しない物に同じことを問えば、その全てが否と返している。望まない物を無理に還すことは、どうやらしなくても良さそうだった。
 ですよね、と苦笑。すぐに表情を引き締めて、問いの続きを放った。

「何でですか?」
「僕、元の持ち主に御守り扱いされてたんよ。ずーっとお守り袋の中に僕入れてさぁ、面接のときとかに掌に秘めて、ぎゅーっと握り締めて。……分かるかなぁ? 僕でないと癒せない人がさ、僕の手を借りて前を向きたい人がさ、大勢おるんよ。だからやだ」
「御守り?」
「ん。僕は元々漢方の薬、朱砂安神丸(しゅさあんじんがん)って言うてね。まあ精神安定剤みたいなものやな。それの処方された最後の一包で、飲み切ったら治療が終わるはずだった。でも、元の持ち主は僕を薬として頼らんと、「お前がいるから大丈夫」って、ずーっと呟いてさァ。……あれには薬やなくて、言葉を聞いてくれる誰かの方が必要やったんやな」

 ――僕は薬剤師が生業や。必要な人に必要な処方箋を書いて、薬研使って混ぜ合わせて、薬包紙に包んで出す。それでお金貰(もろ)てる。でも僕はむしろ、僕自身が薬になれると思う。
 ――分かりにくいか。なら、僕の副業はカウンセラーやね。心の中で踏み固めてしまった土壌をどうにかこうにか柔らかくして、埋もれた不安やらおそれやらの種を取り除いてさ。そんでゆっくり休んで、それでも調子が戻らない時に初めて、僕は薬剤師になる。その時は本当に必要な時やから。

 ぎぃ、と背もたれに身を預け、組んだ手の親指を擦り合わせながら、しみじみとシンシャは述懐する。シズの声――のんびりとして危機感の欠片もないそれ――とは似て非なる、ゆったりとして柔和な響きには、確かに何処か安心できるものを感じた。
 彼は違う。今までも確信していた直感を改めて認識し、アザレアは丁寧に頭を下げる。突然妙なことを聞いて申し訳ない、そう詫びの言葉を述べる物殺しへ、シンシャは寸秒沈黙していたかと思うと、ふと思いついたように組んだ手を解いた。
 その手が向かう先は、上げかけた少女の頭。ぽんぽん、と優しく二度叩き、くしゃくしゃと子供へするように引っ掻き回す。それこそ唐突なシンシャの行為に、アザレアは言葉もない。
 無言の間に過ぎる時は数秒。頭に手を置いたまま、薬師は言い放つ。

「僕は人の街の『朱砂(あかさご)薬店』ってトコにいる。何か困ったことがあったらいつでも呼び、出来る限り力になろ」
「いいんですか」
「勿論。心苦しいことやねんけど、僕にも誰にも取り除けない腫瘍(しこり)抱えてさ、物殺しに還されなきゃ救われん物ってのもおるんよ。そらま、前の芝刈り機のこともあるし、物殺しをどうしようもない殺人鬼や思てる人や物も多いけど……少なくともキミは、嘆く物の救いになれると思う。そんな人の助けにならんと、胸張ってカウンセラーやって言えへんよ」

 な、と念を押すように頭を小突き、手を戻す。薬品焼けの痕や胼胝の目立つ、筋張った大きなその手に、アザレアはじっと視線を落としていた。
 そして、やおら自身の右手を差し出す。細く白い繊手、まだ傷も何もないそれを。

「それじゃ、遠慮はしません」
「ん。頑張りや」

 薬を扱い荒れた手は、少しだけ冷たかった。

 

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