複雑・ファジー小説
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- 失われたオレンジ【幻想図書館】
- 日時: 2019/03/10 01:26
- 名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: 4m8qOgn5)
- 参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=172.jpg
淋しさの代わりに、痛みと愛を求めて。
表紙は銀竹さんからいただきました。ありがとうございます!
【失われたオレンジ】>>01
【ガラスの楽園】
【怪物はゆめをみる】
- Re: 失われたオレンジ ( No.3 )
- 日時: 2017/11/06 20:23
- 名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)
*厳島やよい さん
こんばんは。返信が遅くなってしまって申し訳ないです。素敵な文章をありがとう。オレンジはこの世界のすべて、というのはもちろんですね。最終回を迎えたら瀬名くんがこうなってしまいそう(笑)そのお名前、とっても素敵やと思います。
文学的、とお褒めいただき光栄です。日本文学は好きで、昔からよく読んできたので、雰囲気が伝わると嬉しいな。複ファはよく練られた文章が多いですよね。重厚感のある文章を書かれる方が多い気がします。やよいさんも、是非とも複ファを主体に活躍してほしいところです!(やめい)
臣くんは私の文章をほぼ無修正でぶっ込んでいるので、ある意味では1番書きやすい存在かもしれません。文章がすらすら出てくるのは瀬名くんですけれども。幼さを意識していたので、嬉しいです。
亜咲時代。懐かしい。まだまだ文章力も構想力もなくて、途中何回か挫折していましたが、それも大切な期間だったなーと思います。ガラスの靴→牛オレの順だよー。ちなみに、水谷先生も出ております。時間があったらチェックしてみてくださいね(笑)
スカートの件は、指摘されて初めて気づきました(おい)。修正を加えるか、辻褄を合わせるかで何とかしておこうと思います。ありがとう。
告白の返事の指摘はきちんと反論するぜい。瀬名くんは優柔不断だから、きっと、これから先も返事はしません。言葉にするとしたら、全てが終わった後でしょうか。てか、まだ正式には付き合っていない、という闇ね。
んーー、おそらくは、そう言って感想の短さを誤魔化された、なんてことを感じる人もいるのではないでしょうか。いや、この感想も決して短くはないから!でも、ネットの世界では、「今度」という言葉はとても頼りないし、忘れ去られてしまいそうなものだから、信用できる情報量が、1度にどばーーーんと来ると、その方が安心するっていうのはありますね。
まあまあ。それはさておいて、てことはまた来てくださる、という風に受け取ってしまってもいいのでしょうか(わくわく)。厳島さんもお忙しいと思うので、「読んだよー」っていうお知らせだけでも嬉しいので、また違う場所でもよろしくね(笑)
心、体ともにお気をつけて。私が言うなって感じですけれども!
- Re: 失われたオレンジ【幻想図書館】 ( No.4 )
- 日時: 2018/09/23 14:28
- 名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)
- 参照: 泣き虫ジュゴン/吉澤嘉代子
0
成人式は、色鮮やかだった。元々参加する気もなかったのにも関わらず、当日、つい好奇心に駆られて会場を覗いてしまったことを、僕は心底後悔した。
男性はまだいいのだ。袴やスーツは色味が抑えられていて僕の目にやさしい。けれども、女性の振袖姿は、赤橙黄緑青藍紫……リアルに虹色で目がちかちかとした。
そして何より、成人を迎えた彼らの笑顔が僕には色鮮やか過ぎたのだった。
僕という人間が、しかも1人普段着姿でその歓喜の渦の中に無邪気に入り込めるはずも無く、会場の入口から踵を返して歩き出そうとしたとき、瀬名くん、と僕を呼び止める声に、僕は立ち止まった。
「瀬名くん、だよね?」
ボリューム自体は大きいのに、その声は何故か自信なさげに震えている。そこに込められた意思が弱いのだろう。相変わらずだな、と思った。
「久しぶり。えっと、瀬名くんも成人式、来てたんだね」
いつまで経っても突っ立ったまま何も応えない僕に、彼女が話しかけ続ける。振り返らずとも、僕は彼女が誰なのかわかっていた。目を閉じると、その表情まで手に取るようにわかる。
朝倉さんはきっと今、微笑んでいるのだろう。
「クラスの人たち、あっちで集まってるから一緒に行こうよ」
「行かないよ」
どうして、と朝倉さんは言わなかった。彼女自身も知っているからだ。僕の罪を。
新たに会場に入って来ようとする人の群れの中に、僕のことを知っている奴らがいたらしい。俯いて動かない僕の姿を見て、驚いたような、はたまた不快感を覚えたような、そんな灰色の表情を浮かべた。
あれ、セナハルじゃん。なんでこんな所に。気持ち悪い。
ヒソヒソと、濁った色が真っ白な僕のパレットの上をゆっくりと侵食してゆく。嗚呼、うるさい。ここはやっぱり、僕がいるべき場所じゃない。
「僕、行くから」
待って、と僕を呼び止める声が聞こえたけれど、それを無視して僕は走り出す。
何処へ行くの。何処へ行こうか。
太陽はまだ随分と高いところにある。僕はその太陽から唯一僕らを守ってくれる場所へと逃げることにした。
冬だというのに、久しぶりに訪れた公園近くの自動販売機はほとんどが売り切れで、僕は荒い息のまま、缶コーヒーのボタンを押した。
日頃から爪を短くしているため、蓋が上手く開けられず、僕が自動販売機の前で悪戦苦闘していると、ふいに伸びてきた手が缶コーヒーをひょいっ、と取り上げ、ぷしゅっ、と子気味のいい音を立てさせた。簡単にそれを成し遂げたその人物は、僕に白い歯を見せて笑いかける。
「よう、瀬名。久しぶりだな」
「……臣くん。久しぶりだね」
日に焼けた肌に端正な顔立ちと、男らしいがっしりとした体つき。久しぶりに見た臣 時雨は、いつまで経ってもガリガリで肉づきの薄い僕とは対照的だ。今日はよく知り合いに会う日だな。
「臣くんはもう大丈夫なの?」
公園のベンチに座り、僕は彼に問いかける。
「医者は大丈夫って言ってる。俺も大丈夫だと思ってる。だから大丈夫だ」
「多分大丈夫じゃないよね、それ」
呆れたような声で呟いて、僕はコーヒーを1口飲む。日頃から馴染みのない苦みが口の中いっぱいに広がり、思わず顔を顰めた僕のを見て、臣くんは吹き出した。
「あの自販機、昔はまあまあ品揃えよかったのに、今じゃ全然だよな。忘れ去られてんのかな」
「普段コーヒー飲まないから最悪だよ。臣くんはよくここに来てるの?」
「いや。ずっとあっちにいたから、この公園に来るようになったのは最近」
「そっか。今はどうしてるの?」
「親戚の家に世話んなってる。ここからはちと遠いけどな」
なんでもないことのように語っているけれど、いくら親戚とはいえ、知らない人の家で一緒に暮らすのは、きっと僕には想像もできないくらい大変だ。距離があるというのに彼がここに通っているということは、つまりはそういうことなのだろう、と思った。
「お前、今日は成人式から逃げて来たんだろ」
「……どうしてそう思うの」
「NoじゃなくてWhyで返してくる時点で、俺の推測が合ってるって言ってるようなもんだぜ。行くつもりはなかったが、気になって入口まで行ってみて、色酔いでもしたんだろ。お前の行動くらいお見通しだ」
まさにその通りだったので、僕は押し黙った。
ふと、ベンチに手をついて、彼は空を見上げた。僕も彼につられ、缶コーヒーを膝に置いて目線を上に向ける。黒い鴉の影が一瞬、太陽の光を遮った。
「もしあんなことが無かったら、俺もあそこに参加してたんだろうな」
なんてな。
からりと笑いながら、彼は僕のコーヒーを奪い取る。抗議の目を向けるもどこ吹く風で、彼は僕が一生懸命ちょびちょびと飲んでいたそれを、一瞬で飲み干す。空になったそれを、僕に返す気は無いらしい。意外と真面目な彼は、近くもなく遠くもない微妙な位置にあるゴミ箱を見留めて、立ち上がった。昔から、臣くんはゴミを投げ入れることをしなかった。
「幻想図書館、空き家になっててびっくりしたろ」
「うん、驚いた」
「俺も驚いた」
彼が手を離すと、空っぽの缶コーヒーはゴミ箱に吸い込まれるように落ちてゆき、最後にはカラン、と音を立てた。缶コーヒーから目を離した彼と僕の視界には、レンガ造りの家がある。缶コーヒーを買う前に見た懐かしいその家は、「売り物件」の看板が出ていた。
オレンジが一瞬、僕の記憶を過ぎる。猫みたいに耳をくすぐる声、夕陽、蝶。
「俺たちを眩しい太陽から守ってくれる場所は、もう無いんだよ」
かつて僕らを繋いだ幻想図書館は、いつの間にか姿を消していた。
- Re: 失われたオレンジ ( No.5 )
- 日時: 2019/01/22 15:58
- 名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)
1
かれこれ1時間ほど、僕は掌の上で気持ちよさそうに眠るカッターを見つめ続けている。ペットボトルと違って蓋のないその刃を押し出して手首を切ることなんて赤子の手を捻るみたいに簡単だ。だけど僕はとんでもない臆病者で、そんな恐ろしいことなんて、とてもできやしないのだった。
安物のカッターと窓から差し込む夕陽の色はオレンジで、つまりは夕陽も安っぽい。それに照らされてオレンジ色に染まっているであろう僕もまた然り。旧校舎の窓にはカーテンがない。ボロボロになって捨てられてしまったらしい。誰にも読まれることのなくなった古書たちと、うっすらと埃の被った床。ここはそういう場所だった。
画材を片づけて特にすることもないので、僕はカッターを握りしめながら担任を待っていた。連れて行きたいところがあるのだという。朝、僕が図書室の鍵を借りに来たとき、彼はそう言った。なんとかして僕を教室に来させようとしているのだと思う。中学2年の後半から不登校になって、ずっと旧校舎の図書室で過ごしてきた。保健室は不良のたまり場になっていて使えないから、時々特別授業をしてもらったり、司書さんに話しかけられたりすることもあるけれど、僕は基本的にここでひとり、絵を描いていた。
春からは1度も教室には行っていない。そしてそのまま夏休みまで来てしまった。
高校はどうするんだ大人になったらどうするどうやって生きていくんだ瀬名 陽。夕陽の中で鳴いている針金みたいに細い足で電線を掴む鴉が、この時間になると毎日僕に問いかけてくる。
「煩い。黙れよ、耳障りだ」
目を閉じて、僕は幻想を描く。臆病でない僕を。いじわるな鴉たちのいない世界を。幻想の中の僕は、こんこんと眠るカッターを叩き起こして静かに持ち上げ、手首に当てる。そして一気に引き裂いた。飛び散る赤の中、幻想の中の僕は笑っている。
「瀬名」
突然名前を呼ばれて現実に引き戻された僕は、相変わらず掌の上で頑なに目を閉じているカッターに少し落胆しつつ、それをポケットに仕舞い、はい、と返した。
「荷物持って、ついてこい」
人を使役するのに慣れきった声だった。教師という職業の人間の言葉は、本人が何気なく発したつもりでも、抗い難い命令のように聞こえることがある。解きなさい、読みなさい、聞きなさい、座りなさい、立ちなさい、やめなさい。水谷先生は僕が図書室を出るとすぐに扉を閉める。彼は数学の教師だった。
薄汚れた緑色の廊下を通り過ぎると、僕以外の靴が存在しない下駄箱で靴を履き替える。旧校舎の下駄箱は、数年前から生徒には使われていないのだ。彼は、スリッパからその辺に置いておいたらしい下靴に履き替える。そのまま昇降口を出ると、まだ部活をしている部員がいて、ほんの少し視線を感じた。いつものように何か奇妙なものを見るような視線に身体が強ばった。俯いてぎこちなく歩く僕に気づかないわけがないだろうに、先生は何も言わなかった。
正門の反対側にある裏門から学校を出ると、途端に家が並ぶ。坂の下にあるこの中学は、帰るのが大変だ。時が来れば、坂の上から下まで、ここら一帯の地区の子どもたちはこの中学に入学することになる。しかし、坂の上に住むお金持ちの子どもたちはお受験をして、坂の上にある私立の中学校に行く。あるいは僕もそういう人間だったかもしれない。あのとき受験に合格していれば。
「こっちだ」
しばらく坂道を上っていると、それまで無言を貫いていた先生が後ろを歩く僕を振り返った。背の高い彼の影が夕陽に照らされて長細く、どこか頼りなく伸びている。その先に、いつもならそのまま真っ直ぐ通り過ぎる道の右側に細い路地があることに、僕は今日初めて気づいた。
「こんな道があったなんて知りませんでした」
「そりゃそうだ。こんな路地裏、誰も好んで通りはしないだろうからな」
先生はどこか自慢げに呟いた。
路地裏は街灯もほとんどなく、周りの草は荒れ放題で手入れもされていない。細い道の隣には、これまた細い川が通っていて、道の途中に水質AA、という看板が立て掛けられていた。案外綺麗な川らしい。家からそこまで距離はないはずなのに、僕はこの場所のことをちっとも知らない。彼は僕を、一体どこへ連れてゆくつもりなのだろう。
「俺の実家はとある由緒正しい家柄の分家でな」
「……はぁ」
「まぁその事実はお前を今からあそこに連れていく理由のたったひとつにしか過ぎないわけだが」
一瞬自慢話でも始めたのかとも思ったが、どうやらそれが目的ではないらしい。先生はまた口を閉ざし、僕の前を黙々と歩いた。
水谷先生は、無精髭と目の下のクマは酷いが何故か女子に人気で、その飾らない性格から生徒に慕われている教師だ。まぁ、いい教師なのだろう。けれど本当は冷たい人だと思う。中2の頃に廊下や教室移動などで垣間見た、親しみやすさの中にふと見せる水谷先生の冷たい表情が、それを物語っているような気がした。
「サードプレイス、という言葉がある」
知っているか、という問いに、僕は知りません、と答える。
「アメリカの社会学者が提唱したものらしいがな。お前にとって、ファーストプレイスは家、セカンドプレイスは学校ってとこだ」
狭い路地裏を歩きながら、先生は右手をふらふらと彷徨わせている。多分、手持ち無沙汰なのだろう。先生からは、煙草を常習的に吸う人間の匂いがする。最近は煙草を吸う場所が限られてきているから、歩きながら吸うわけにもいかないのだろう。難儀なことだ。
「サードプレイス、というものは、家でも学校でもない。義務が発生することのない場所だ。端的に言えば、逃げ場所」
「逃げ場所」
「そう。お前に今、1番必要なもんだ」
突然足を止めた先生の背中にぶつかりそうになって、思わず立ち止まる。彼の目の前には、花に囲まれた家。煉瓦造りで西洋風のその家は古びていてかなり小さかったが、まるでお城のように見えた。彼はそこにずかずかと踏み込んでいき、小さな城に不釣り合いな、酷く現代的なインターホンを押す。ピーンポーン、というあまりに不調和な音に唖然としていると、やがて扉が開いて、1人の男性が顔を覗かせた。
「よぉ、紫苑」
「こんばんは、先生。お待ちしてました」
男性は乱雑な言葉遣いの先生に薄く笑みを浮かべた。随分と親しい間柄のようで、男性にしては珍しい長髪は色素が薄く、染めた様子もなくて綺麗だった。顔立ちもどこか日本人離れしており、どことなく異国情緒漂うその男性は、髪と同じように薄い瞳に僕を映した。
「君は?」
「……こんばんは。瀬名 陽といいます」
嗚呼、と掌を叩く。
「君が先生がおっしゃっていた子かぁ」
「そうだ。しばらく頼むよ」
「わかりました」
紫苑さん、というらしいその男性はしばらく僕を興味深そうに眺めていたが、先生の言葉に頷いて、僕たちを家の中に招き入れた。家の中は外観と同じように洋風で、あちらこちらに高そうな家具が置いてある。ひとつひとつの装飾が丁寧で、安物ではないことが感じられた。小さな家ではあるが、お屋敷のような雰囲気だった。何より、紫苑さんも先生も、そのまま土足で歩いていくのに驚いた。室内だというのに、紫苑さんも靴を履いている。彼はクリーム色のセーターを着ていて、真夏の今は暑くないのだろうかと思っていたが、室内は冷房が効いていたのでおかしくないか、と考え直した。
豪奢な装飾の施された階段を上がってゆくと、扉が2つあった。紫苑さんは、ためらうこともなく奥の方の扉の前に立つと、コンコンと2回、ゆっくりとノックをした。
「白雪さん、お客さまがいらっしゃいました」
「お通しして」
返ってきた澄んだ声に、紫苑さんは慣れた様子で真鍮のドアノブを引いた。部屋に入ってまず目に入ったのは本。夥しい数の本が棚を埋めつくしている。背表紙は英語であったり日本語であったり、それ以外の言語であったり。書斎、と言うに相応しい部屋だと思った。油断していたら床が抜けそうだ。その部屋の奥の机に、誰かが座っていた。本を読んでいるようで、その表情はこちらからは窺えない。白い清潔そうなブラウスと長い黒髪から、女性であることは察せられた。本を捲る手は白い。先程返事をした声の主は、恐らくこの人なのだろう。紫苑さんがもう一度白雪さん、と呼ぶと、その人物は顔を上げた。
人形のような人だった。真っ白な肌ときりり、と整った顔立ち。アンティークロリータ、というのだろうか。お嬢さまめいた服装も相まって、彼女の年齢をわかりにくいものにしていた。水谷先生が、後ろで小さく、美人だろ、と呟く。音のない室内でその声はよく響いて、もちろん彼女にも届いたらしく、ぎっ、と先生を睨む。しかし先生は慣れているようで、口笛を吹いただけだった。そんな彼を彼女はげんなりとした様子でため息をつき、静かに立ち上がる。綺麗な瞳が、僕を真っ直ぐに射抜いた。
「初めまして。私は白雪。幻想図書館の主よ」
「幻想図書館……?」
「そこで口笛を吹いて遊んでいる奴が勝手に決めたここの名前」
「いや、サードプレイスなんだから、カフェみたいに名前があった方がいいだろうと思ったんだよ」
美女の睨めつけるような視線に臆する様子もなく、彼は胸を張ってそう答えた。彼女は不愉快そうに眉を顰めているが、紫苑さんはにこにこと穏やかな笑みを崩さない。不思議なことに、学校での先生とここでの先生はあまり変わらない様子だった。
「あなたのお名前は?」
「……瀬名 陽といいます」
か細い声で答えると、彼女の視線がまたしても僕の方に戻ってきた。紫苑さんと違って真っ黒なその瞳は僕の奥底まで見透そうとしているようで恐ろしかった。それでも、何故か目を逸らすことができず、僕と彼女はお互いの瞳を見つめ続ける。先にしびれを切らしたのは意外にも彼女の方で、やがて瞳が揺らめいて、長い睫毛を伏せた。
「……後悔、諦念。そんなところかしら」
そっと呟かれた2つの言葉に思い当たりがありすぎて、どきりとした。僕の人生は、後悔と諦念でできている。何かを達成したり、何かを成功させたことなんて、1度もなかった。何かを失うことも、何かを台無しにすることは星の数ほどあったというのに。
「私は基本的に、あなたたちには関わらない。たまにリビングに下りてくることはあるけれど、特に意味はないわ。ただ、少し紅茶を飲みたくなっただけ」
「ここで紅茶は飲まないんですか」
「ええ。だって、もしこぼしてしまったら本が汚れてしまうわ」
アンティーク調の机の上には、本はあれどティーカップは見当たらない。比較的読書が好きだった父は、休日に温かいコーヒーを飲みながら本を読んでいたが、1度盛大にコーヒーを零して大騒ぎをしたことがあった。本好きは、本が汚れるのは嫌なのだな、と思った。
彼女は椅子を少し後ろに引くと、引き出しから鍵を取り出す。
「これは、幻想図書館に入るための鍵。あなたを信用して、これを渡します」
「……ちょっと待ってください」
差し出された鍵をそのまま受け取るわけにもいかず、僕は口を開く。
「僕は、あなたとは今日が初対面ですよね。そんな人間に、この家の鍵を渡してしまっていいんですか」
「ええ。だってここは、あなたのサードプレイスだもの」
彼女は花のようにふわりと微笑んだ。そうすると、冷たい印象を与える整った顔立ちの輪郭がほんのりとぼやけて、随分と可愛らしい印象になる。彼女は白い手を僕のそれに重ね、鍵を握らせた。
「あなたの他にも住人がいるの。仲良くして頂戴」
そう呟くと、また無表情に戻って、彼女はもう用はない、とでも言うように僕から手を放し、また本に目を落とし始めた。
「じゃあ、俺はこのままお暇させてもらうぜ」
ぐっ、と肩を引かれて、僕は部屋から連れ出される。扉が閉まる直前、紫苑さんが僕たちに手を振っているのがちらりと見えた。
先生と階段を下りながら、僕は呟く。
「狂ってる」
「まあそう言うなよ。彼女も、お前と同じように苦しんできた人なんだ。お前らを助けてやりたいって思ってるのは本当だ」
こんな素敵な家で優雅に本を読んで暮らしている人間が苦しんできただなんて全く思えない。渡された鍵を掌で遊ばせながら、僕はこの遊戯を金持ちの道楽であると認識していた。
「僕以外にも誰か住人がいるんですか?」
「ああ。あと2人ほど、な」
本当は3人の予定だったんだが、と呟く声は少し残念そうだった。住人にならなかったあと1人は、鍵を受け取らなかったのだろうか。だとすると、僕のこの鍵もすぐに返品したいものだ、と思った。
廊下に出ると、リビングへの扉の前で先生は立ち止まる。
「瀬名が教室に来ないのは、あの噂のせいだろう。お前の家庭環境についても、何も言わないが、ある程度はわかってるつもりだ」
振り返らずに僕に話しかけてくる彼の右手には、いつの間にか煙草の箱が握られていた。彼は白いその箱から煙草を取り出し、口に咥える。
「お前、自分がこの世で1番不幸だ、とか思ってんだろ」
煙の代わりに、毒を吐いたみたいだった。有害な副流煙は、僕の肺を通って、静かに心を蝕む。そうだ。僕は世界で1番不幸で、可哀想な人間だ。違いない。
「さっきだってリスカする勇気もないくせに、カッターを握りしめて」
彼は、僕が彼を待っている間、カッターで幻想を繰り広げている様子を見ていたようだった。僕の臆病を鼻で笑われたみたいで、かぁぁ、と頭に血が上る。お前に何がわかるんだ。僕の苦しみが。僕のこの痛みが。
「だからな、お前は触れ合うべきだと思うんだ。お前と同等、もしくはそれ以上に可哀想な奴らと。そして、傷口を舐め合うといい。飽きるまで、癒えるまで、な」
中でご自由に、と火のついていない煙草から口を放し、彼は親指でリビングへの扉を指差すと、僕の前から去っていく。沈みかけた夕陽に照らされる彼の背中は酷く頼りなげで、明後日の方向に長細く影を伸ばしていた。
- Re: 失われたオレンジ【幻想図書館】 ( No.6 )
- 日時: 2019/02/07 12:09
- 名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)
- 参照: 大学に落ちました、わぁ
彼が撒き散らした毒の残り香を振り払うように扉を開けると、中には誰もいなかった。幻想図書館の住人とやらは今日はいないらしい。僕は極度の人見知りなので、突然出くわすことがなくてよかったと胸をなでおろした。
広い部屋だった。豪奢なペルシャ絨毯と感じのよいアンティーク調のテーブル、そしてソファが規律正しく並べられている。白雪さんの部屋ほどではないが本棚が部屋を囲んでおり、裕福な異国の図書館、というような装いだった。部屋の奥の壁には大きな絵画が飾られており、微笑む1人の女性が描かれている。色遣いが印象的で繊細なタッチのその絵画の中の女性は、どこか白雪さんに似ているような気がした。
自由に過ごせと言われたものの、僕がすることは絵を描くことくらいしかないし、こんな高級なソファを汚すわけにもいかない。困った困ったと辺りを見渡すと、本棚と本棚の隙間に木でできた古い椅子があることに気づいた。僕はそこに座り、リュックサックの中からスケッチブックと色鉛筆を取り出す。
エアコンの風にほんの少し揺れるカーテン。小さな窓から見える空はいつの間にか紫色に染まっていてほの暗い。僕の先の見えない人生を端的に表現しているかのようだった。その闇から目を逸らすように、僕は赤を手に取ってスケッチブックにさっと線を引く。何を描こうかだなんてまるで考えちゃいなかった。
ここは同じ「図書館」でも、先程までひとり佇んでいた学校の図書館とは随分と違う。本特有の匂いはあれど、紙の腐ったような変な匂いはしないし、床は埃を被っていないし、カーテンは揺れている。真っ白なスケッチブックの上に浮かぶ鮮烈な赤に引き寄せられながら、僕はなんとなく、ここが幻想の世界のように思えてきた。嗚呼。だから「幻想図書館」なのか。とんでもない臆病者の僕には、狭くて古びていて埃の被った図書館の方がよっぽどお似合いだ。くつくつとひとり苦笑していると、やっと何かの形を描き始めた赤が急に気持ち悪くなってきて、黒で塗り潰そうと思った。僕はもう絵の具を使わない。油彩から水彩、色鉛筆から鉛筆へと。確実に色を失ってゆく僕の世界を、止めるものはもうないのだ。
「どうも」
突然後ろから声を掛けられて、黒鉛筆を取ろうとした僕の手が固まった。くるりと首だけで後ろを振り返ると、右眼に白い眼帯を着けた小柄な女の子が立っている。その少女の髪は偶然にも、黒に届かなかった僕の指が触れたオレンジ色をしていた。
「こんばんは」
にかっ、と歯を見せて彼女は笑う。右耳の2つのピアスがぎらりと光ってまるで猫のよう。そんな特徴的な容姿に、僕は彼女のことをすぐに思い出した。
「円、ひなた……」
するり、と僕の口から彼女の名前が飛び出す。自由人、変人、宇宙人。そんな噂が学年中で飛び回っている、校内1の有名人。
「私の名前知ってくれてるんだね。それなら、ぜひぜひひなたって呼んで、瀬名 陽さん」
ぐい、と僕に顔を近づけて彼女は話しかけてくる。僕は彼女の名前を口にしてしまったことを心底後悔した。おまけに僕の名前を知っているだなんて。校内に特に仲の良い生徒のいない彼女の耳にまで僕の噂が入っているのだろうか。だとしたら、やっぱり僕はカッターで首を掻っ切るしかないな。
動揺を隠しながらいたって冷静に、もう一度黒を取ろうとする。
「駄目!」
そう言って、彼女は僕の手をぺち、と叩いた。そこでやっと彼女が夏なのにも関わらず、ワイシャツの上から鮮やかな青いパーカーを着ていることに気づく。青いパーカー、真っ赤なリボンと赤チェックの短いスカート、そしてオレンジの髪。彼女のあまりの色の多さに、目がちかちかして頭がくらくらとした。
「黒は全部消しちゃうんだよ。嫌なことも、良いことも。赤ってすっごく良い色じゃない。どうして消そうとするの?」
悲しそうな表情で、彼女が僕の手から黒を奪い取る。彼女はそれをパーカーのポケットに入れた。あああ、と思った。これで赤を消すことができなくなってしまったじゃないか。
「……君には関係無いだろう」
ぶっきらぼうに呟く。だいたい、いきなりこんなところに入ってきて、と考えたところで、はた、と気づく。物音はしなかったが、こうやってここに入ってきたということは、彼女もこの幻想図書館の鍵を持っているということだ。つまりは、彼女はここの住人、というわけで。
「んー、そうかもね」
彼女はけたけたと笑っている。軽い奴。いつもへらへらしていて、簡単に人と馴れ合おうとする、僕とはまったく別種の生き物。こんな奴にサードプレイスなんて必要なのか、と先程覚えたばかりの言葉を使って、僕は彼女を密かに罵倒した。
「これ、烏だよね」
ぴくりと眉が動く。彼女はスケッチブックを覗き込んで口元を綻ばせていた。無造作に引いた線はかなり適当で、しかもその色は赤。まだまだ未完成なその絵はどう見ても烏には見えない。そう、僕以外には。
「そっか。君には烏がこんな風に見えてるんだね。綺麗……」
ほお、と息を吐いて、僕の絵を見つめる。彼女の綺麗、という言葉に僕の身体が反応する。怖気が走った。僕の絵が綺麗であるはずがない。だって、あの人が言っていた。僕の絵は、この世で一番醜いものであると。
「私、はるくんの絵、大好きなんだ。色がいっぱいで素敵だね」
彼女は目を輝かせてlikeだのgoodだのcolorfulだの、お綺麗な言葉を並べてゆく。いつの間にか「はるくん」などと呼ばれていることも不快だった。でもそれ以上に、彼女が僕の他の絵を見たことがあるという事実がわかって、戦慄した。何の絵だろういつの絵だろう。黒く塗りつぶされたカンバス、赤。色んなものがごちゃ混ぜになった。
『アンタの絵が綺麗なはずないじゃない。こんな、人殺しの絵が!』
「どうしたらこんなに綺麗な絵が描けるの? 私には一生描けないよ。はるくんは、やっぱりすごいなぁ」
彼女は純粋に僕の絵を褒めている。恐ろしい、恐ろしい。何も知らずに僕を見つめる彼女が怖い。君が僕の何を知っているっていうんだ。けれども色素の薄い彼女の瞳を見ていると、何か僕の秘密を、深淵を覗かれている心地がした。真っ黒な白雪さんの瞳と違って、その瞳は何処までも透き通った海のようだった。気持ち悪い。僕の奥底に侵入しないで!
「帰れ」
気づけばそう呟いていた。ぎゅ、と手を握りしめ、スケッチブックを投げ飛ばす。それは偶然椅子に当たってごおおん、と物凄い音を立てたけれど、気にしちゃいられない。
彼女はびっくりした表情でこちらを見つめていたが、僕は俯いたままリュックサックを背負う。画材を片付ける時間も惜しい。とにかく今はもう、一刻も早くこの場所から離れたかった。
「待ってよはるくん」
追いすがる彼女を無視して、僕はリビングを出てゆく。ついてくるな、とこころの中で強く念じていた。けれども運動不足で鈍った僕の足はうまく進まず、廊下のところで僕は彼女に追いつかれてしまった。意外にも足の速い彼女は僕の前にぱっ、と躍り出る。
「………退いて」
「嫌」
強い口調で返してくる。僕より背の低い彼女を追い抜かすことなんて簡単なはずなのに、身体がうまく動かない。
「はやく」
「や」
「退けよ!」
ばしん、と僕は彼女を突き飛ばした。彼女はきゃっと小さくと悲鳴を上げて尻餅をつく。オレンジ色の髪から覗く顔は痛みの形に歪んでいて、僕ははっ、として目を逸らした。
「……ごめん」
空に溶けてしまいそうなほど小さな声で呟く。彼女は顔を上げて呆然としており、少しだけ申し訳ないな、と思った。いつまでも僕を見つめ続ける彼女の視線を振り払い、僕はふらふらと玄関へと向かう。彼女はもうついてこなかった。
外に出ると陽は沈みきっていた。少ない街灯に照らされた道路を見ながら、そういえばここはどこなんだ、と慌てて辺りを見渡すと、見覚えのある公園があることに気づいた。なんだ。幻想図書館はこんな近くにあったのか。
ここがどこにあるのか聞かずに衝動的に出てきてしまったことを後悔してしまっていたけれど、この公園さえ通り過ぎれば、家までの道も何となくわかるだろう。ぽつりぽつりと歩きながら僕は、画材を置いてきてしまったという後悔に苛まれていた。
傷つけてしまっただろうか、また僕は。でも、彼女と僕は何の関わりも無い人間だ。生き方も、構成されている素材も全てが違う、他人なのだ。
『あなたの他にも住人がいるの。仲良くして頂戴』
「あんな自由が構成元素な奴と仲良くできるはずないです」
はぁ、とため息をつく。とりあえず、明日画材を回収しにいくとして、その後彼女とまた会うことがないように、白雪さんに鍵を返そうと思った。
- Re: 失われたオレンジ【幻想図書館】 ( No.7 )
- 日時: 2019/08/02 11:35
- 名前: 小夜 鳴子 ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)
朝起きて顔を洗うときに鏡の中の自分の顔を見ると、心底気分が悪くなる。黒髪、黒目、白い肌。女顔でこの上なく頼りなくて、おまけに骨格も華奢。それが僕だった。
タオルを洗濯機に放り込み、キッチンへ移動すると、リビングのソファで眠る母の姿が見えた。下着姿のままで、テーブルの周りには無数の酒缶が散らばっている。僕が昨日寝る前はまだ家に帰ってきていなかったはずだから、深夜に呑み尽くしたのだろう。後片付けはまた後にしよう、と決めた。
冷蔵庫を開けると、僕がこの1週間の間に作ったおかずなんかのタッパーがいっぱいで、その中からカレーを手に取る。カレーはいい。作り置きもできるし、栄養もあるし、僕みたいな何もない人間にはぴったりだ。カレーを電子レンジで温めている間に、前日に炊いておいたご飯を真っ白な茶碗に入れようとして、一旦停止する。ここにカレーを入れたら洗い物が増えてしまうじゃあないか。作るのも僕、洗うのも僕。面倒なので、カレーのパックにあとからご飯を入れることに決めた。
「いただきます」
応えてくれる者など誰もいないのに、僕は手を合わせる。昔からの癖というものは恐ろしいもので、ずっと治らないものらしい。僕は多分、この先1人で暮らしてもどんなことがあっても、ご飯を食べる前は「いただきます」と言うのだろう。昔、まだまともだった頃の母さんに教えられた通りに。
母さんが深夜からつけっぱなしにしていたであろうテレビは、朝っぱらから無機質で義務的な女性の口調で、今日のニュースを伝えている。
『〇〇県△△市で、20代女性を殺害したとして□□出身の無職の男が逮捕された事件で、女性の部屋から男の指紋が検出されていたことがわかりました。この事件は……』
そういえばそんな事件もあったな、なんてことを思いながら、僕はカレーを口に運んでゆく。僕には関係のないことだ。ブラウン管の向こう側の出来事は、全てが虚構に見える。しばらくすると、画面に被害者の女性の遺族らしき人がモザイクつきで取材を受けていて、何事かヒステリックに叫んでいる様子が流れた。可哀想に。本当に可哀想に。
「僕のことも、あんな風に誰か殺してくれたらいいのになぁ」
ぱくり、とカレーの最後の1口を飲み込み、ごちそうさまでした、と呟いてから、僕はお皿を片づけ始める。縮れたスポンジの上に出した洗剤の色は青くて、少し落ち着いた。明るくって奇抜な色は苦手だけれど、青は今でも好きな方だ。僕はカラフル、とかサイケデリックとかいった、色に塗れたものが苦手だ。だから僕はいつも下を向いて歩いている。色鮮やかな世界から目をそらすように。けれど残念なことに、このアパートの中には色が溢れている。母の趣味。その時々に付き合う男によって変わる嗜好。いつだって簡単に変われない僕には、母が何故、そんなにすぐに自分を変えることができるのかよくわからなかった。
そろそろ着替えよう。いつもなら学校に行くのだが、今日は幻想図書館へ忘れ物を取りに行くのだ。
自分の部屋に戻り、クローゼットを開けてパジャマ姿から着替え始める。今は夏休みなので、上は着ない。別に体操服で行っても構わないのだが、運動するわけでもないのに妙に張り切っているように見えて何だか恥ずかしいのだ。
黒のリュックサックを背負い、燃えるゴミの袋を持って玄関へと向かう。母が目を覚ましてしまう前に早く外に出てしまいたかった。ドアを開けると、暑い空気が漏れ出す。まだ早朝だというのに、世界はもう夏だった。
ガタガタと軋む階段を下りて、集団ゴミ捨て場に燃えるゴミを置くと、僕は歩き始めた。僕たちは、今はアパートに住んでいる。僕らは父親に捨てられたのだ。誰が悪かったのかといえばきっかけは僕で、最後は母だった。いや、でも多分最後も僕だ。僕は罪人であるから。
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