複雑・ファジー小説

世界は君に期待しすぎてる
日時: 2018/08/28 23:01
名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik

*


 精通してすぐに、僕は童貞を失った。




 □はろう、浅葱です。失意のセレナーデを書きながら、のんびりと執筆していこうと思います。


 □軽度(r15程度)の性的表現が頻繁に入ることが考えられます。好きな方のみご覧ください。


 □軽度(r15)の残酷描写が入ることが考えられます。好きな方のみご覧ください。


 □目次
 『土砂降りレイニー』>>001-008
 >>001 >>002 >>003 >>004 >>005 >>006 >>007 >>008

 幕間『夜更け過ぎの雨とともに』
 >>009

 『爽天シャイン』
 >>010 >>011 >>012 >>013 >>014


 □
 相沢 幸太 / あいざわ こうた
 相沢 伊織 / あいざわ いおり
 井口 真弘 / いぐち まひろ
 大畠 暦 / おおはた こよみ
 木城 春輝 / きじょう しゅんき
 奈良間 誠也 / ならま せいや
 朝日奈 圭織 / あさひな かおり
 佐藤 大輝 / さとう たいき


 □special thx(敬称略)
 もうきっと、世界の誰もが夢中だ / 三森電池
 失墜 / 三森電池


 since2017.04.20

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Re: 世界は君に期待しすぎてる ( No.10 )
日時: 2018/05/01 20:21
名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik

『爽天シャイン』





 夏が近付いて来ていることを最近よく実感する。朝は風が冷たいと思うが、昼間から夕方にかけてじっとりと全身が汗ばむから。ここ最近はついていないことが多かった。そんな気がする。また今日も冷房が強く効く電車に揺られながら、大畠のあの言葉達が思い起こされた。復讐。子どもっぽくも、たしかな意思があるのだろう。きっとそれなりの覚悟も。イヤホンを忘れて来たせいでお気に入りのアーティストの曲は聞けないし、嫌な事ばかり反芻してしまう。
 停車し扉が開いたのを確認し、一番に降りる。課題も終わらせた今日、朝早くから学校に行く用事は特にない。ただきっと、じっとしていられなかった。自転車に乗り学校を目指す道中も、誰もいない教室の自分の席に座っている時も、なんだか落ち着かない。そういえばと時間割を確認する。ついこの間父さんに参加していいと言われた林間学校まではあと数日。午前授業などの楽な日を含めて、二週間程で林間学校が始まる事実に、ため息がでそうになる。
 大畠に、朝比奈か。復讐を持ち掛けられた日からメッセージは止まらず、大畠がどれだけ真弘を嫌っているか、あーちんが朝比奈であり、その朝比奈も真弘を憎んでいると言っていたのだ。そして二人とも口を揃えて、「幸太だって我慢してるんじゃないのか」と訊いてくる。今朝起きて見た通知にも、同じような言葉が延々と綴られていて、はっきり言って読むのも面倒くさい。早く学校を出たのも、何かしら動いていれば大畠達のことを、忘れられると思ったからというのもあった。無意味だったけれど。

「うおーっす、はよー」
「おーす」
 朝だというのにTシャツが汗で色濃くなっている。奈良間は疲れた無理寝たいと念仏のように呟きながら、自分の席へと向かった。クラスメイトの机に手をついて、重たそうな荷物を机や椅子にぶつけながら。
「朝練?」
 満身創痍という表現が合っているような、疲労で身体が休みを求めているようにも見えた。奈良間は自分の席に乱暴に座ると、大きなため息を吐く。何なんだこいつ。僕の言葉が聞こえていないのか、返事をする気力もないのか、カバンを置いた机に突っ伏したまま動かない。
「奈良間ーなしたんー」
 そう呼びかけながら教室の窓を開ける。梅雨とはまた違うが、雨の続く時期が終わり、湿度による肌のベタつきを感じなくなった分、日中の過ごしやすさは格段に上がった。その代わりに晴れの日が続いているけれど、窓を開けて換気さえしてしまえば苦ではない。三つ前の席で死ぬ奈良間の右隣に座る。この席の女子はいつも来るのが遅いから、八時にもならない時間帯は座っていたって問題ない。
「聞いてくれよ幸太……」
「あ、待って朝飯持ってくる」
 胃が萎むような感覚に、朝ご飯を食べていないことを思い出す。少し荷物は重かったけれど、奈良間くらいしかいない教室で何を食べたって自由だ。これを持ってくる時にはそんな事を考えてすらなかったけれど、いざ使うとなるとそれなりの理由を求めてしまう。静まった廊下を進み、十分な水道水を入れて戻る。奈良間はまだ机に突っ伏したままで、息が苦しくないのだろうかと思った。
「っし。したら準備できたし、何の話?」
「俺の姉貴がやりやがったんだよ……あいつ……許せねぇ……」
「あの綺麗なねーちゃん?」
 一年生の頃、奈良間が姉に忘れ物を届けると言っていたのを、面白半分でついて行った事がある。その時のぼやけつつある記憶の中でも、奈良間の姉は当時高校二年生だったにもかかわらず、美人という言葉が合う人だったと思い出された。身長もたしか奈良間と大して変わらないんじゃなかったっけ。
「たしかに俺の姉貴は綺麗だけど! そうじゃないんだよ! あいつ俺の天使達の円盤にひび入れやがったんだよ! 許されないと思わねぇ? つーかお前何食ってんのもっと俺に親身になって!」
「はは、うるせー」
 奈良間が項垂れている間に作り終えたカップ麺をすする。電気ケトルを持ってきたかいがあった。奈良間には信じられないという目で見られたが、こんな早い時間に教室を巡回する先生がいないのだったら、手軽に暖かい食事を摂ることができるカップ麺を選ぶに決まっている。
「天使達ってあのアイドル?」
 カップの中に箸をさし、ちょうど良い麺の量を調節する。奈良間はか細い声で「そう……」と呟いた。バイト代のほぼ全部を注ぎ込んで、初回生存盤を買っていると言ってた気がした。奈良間は突っ伏したまま荷物を抱え、そのまま額を押し付ける。全身で姉へのやるせなさをぶつけているらしい。
「奈良間のねーちゃんはなんて言ったの、ヒビに関して」
「あいつありえねーんだよ!」
 勢い良く起き上がった奈良間に、思わず肩が跳ねる。情緒不安定にも程があるだろと言いたくなってしまう。
「うわっ……あんたこんなんに興味あるの? 弟がドルオタとかマジキモいだけど、誠也がそこ置いといたのが悪いんだからね。――って言いやがったあいつ! これは戦争! 第二次奈良間家大戦!」
「あー……」
 立ち上がり、そう宣言する奈良間に同情してしまった。弟へのドルオタ発言もそうだが、奈良間の姉は綺麗で口が達者らしい。姉の真似をして、表情を作りながら話していた奈良間が面白かったのは秘密にした。第二次奈良間家大戦というのは何度も聞いており、今回の姉弟喧嘩で、高校で出会ってから第五次は超えたのではないだろうか。
「ありえねぇ……ありえねぇよお……」
「話聞いててやりたいけど、ちょっとお湯と汁捨ててくるわ」
 食べ終えたカップ麺を持って教室を出る前、「汁は飲めよ!」と声が聞こえてきたが無視だ無視。ちらほらと遠くから話し声が聞こえたりもするが、二年教室に来ている学生は少ないみたいだ。じゃあなバリカタとんこつ、そこそこの味だったぞ。白濁とした汁を流し、口をゆすぐ。家で歯を磨いたから、とりあえずブレスケアくらいでいいだろう。
「あ」
「お」
「ん?」
 二度目のうがいをし終え、ゆすいだ水を吐き出したところで頭上に声が降った。何かと思いそのまま見上げると、仲良く登校してきた春輝と真弘が不思議そうに僕を見ているところだった。ハンドペーパーを二枚出して、手と口を拭きゴミ箱へなげる。ついでにカップ麺のゴミも、手洗い場になげた。
「朝から何やってんのかと思った」
「学校でカップ麺食べるのさ、結構さーあれ、背徳感あって楽しい」
 呆れ混じりに笑う春輝にそう言うと、苦笑いされたけれど、事実楽しかったから今後も活用しようと思う。真弘は笑いながら携帯をいじっていた。きっと彼女だろう。僕達との集まりや、クラス行事よりも真弘は彼女を優先しているから、真弘が携帯をいじっている時は決まって彼女に連絡していると、噂されていることもあった。概ねその通りではあるけれど、最近は頻度が高くなっているなと思うこともある。

 一言目にはだるい、二言目にそれなと中身のない会話をして教室に戻ると、まだ奈良間は机に突っ伏したままいた。開けっ放しにしていた扉からは、外からの新鮮な空気が流れている。そのおかげか奈良間の背中にあった大きなシミは、少しずつ消えているようだった。怪訝そうに二人が奈良間を見ていたから、簡単に経緯を説明する。引いたような表情を浮かべた春輝に、僕は笑った。真弘は苦笑いを浮かべて、携帯をしまった。
「可哀想だな」
 愛らしい目下の人を見るように、柔らかい表情で真弘が言う。バカにしているわけでも、同情しているわけでもない様子だった。ほかの人だったなら、そう感じることもないんだろうな。
「奈良間ー、今日部活終わり飯行くかー?」
 かばんを置いた真弘が、突っ伏したままの奈良間に声をかける。
「行かない! 俺の心の傷は飯で癒えない!」
 少し間を置いた返事に、僕らは目を見合わせてニヤリと笑う。
「したら春輝飯行く?」
「行く行くー、今日急ぎの用事なんもないし」
「幸太も来るよな」
「うん。今日も父さんの帰り遅いし」
「したっけ三人で飯。決まりな」
 ぱらぱらとクラスメイトがやってくるのに挨拶をしたり、ただ目で追ってみたりしながら、奈良間を放っておいたまま今晩何を食べるか話す。ファミレスは行き飽きたのは三人の中で共通していた。焼肉は制服ににおいがつくからだめ、ラーメンだったら何味が食べたいか、市内で食べるか市外で食べるか。食べ物の話をしている時が、一番楽しく話をしている気がした。
「誠也、お前も行くんでしょ?」
 頃合いを見て、春輝が奈良間を呼ぶ。男女関係なく苗字で呼ばれる奈良間を、春輝はいつも名前で呼んでいた。たまにつられて苗字で呼ぶこともあるが、それ以外は常に名前で奈良間を呼ぶ。そんな春輝に対しては奈良間も素直で、今も名前を呼ばれて立ち上がり、面倒くさそうにたらたら歩いて来た。いつも通り、相変わらずだ。
「なんで俺の事ほっぽって決めるの」
「誠也行く? どうする?」
 笑う僕達の代わりに、優しく春輝が言う。年の離れた弟みたいなんだよね、と昔奈良間のことを話していた春輝は、奈良間の扱いに長けている。
「俺の心の傷は飯で埋めるからラーメン食いに行きたい!」
「お前さっき飯で癒えないって言ってたべや」
「いい! 俺はやけ食いする!」
 真弘にそう言われても、奈良間はもう行かないなんて言わないと、どこかで聞いたことあるようなフレーズを言い、席に戻った。まだ時間に余裕はあったけれど、クラスメイトも随分集まってきており、僕と春輝もそれぞれの席に戻る。真弘は廊下側の真ん中の席で携帯をいじり、僕は中央の列の一番後ろへ。春輝は窓際の一番前の席。
 後ろの席のメリットは何をしていても、大抵バレないという事に限る。挨拶をしていなかったクラスメイトと挨拶を交わし、席に座る。週の半ば、いつも通りの午後三時半までの授業が苦痛で仕方ない。隣の席に座る女子が、ワイシャツを谷間が見えるほど開けていて、急いで目線を違う所へやった。女子なら恥じらえよ、僕が非難されんのに。
 だるそうにやってきた教師の話を、ペンを弄りながら聞き流す。七月も近付いきているかは、女子の露出度合いで判断できる気がした。先週まで長袖の白セーラーを着ていた女子が、今週は半袖になっている。これからブラジャーが透けても気にしない女子が増えるのは喜ばしい。女子にとっては不本意だろうけど。そんな不謹慎なことを考えてた過ごしていると、始業の鐘が鳴った。


「今ならラーメン替玉三回はいける」
「ほんとそれ」
 それぞれ参考書を開いたり、携帯を弄りながら同じような事を何度も言う。極わずかな人数しか残っていない教室は、普段よりも静かでいることを押し付けてくるような空気感があった。だから僕達は話さなくていいように、わずかに会話はするけれどその内容を発展させていくことまではしていない。春輝はひたすら参考書とにらめっこして、問題と向き合っている。携帯画面の上に光る時刻は、五時を回ろうとしている頃だ。
「春輝勉強終わった?」
「今解いてるので課題終わるけど」
 奈良間を待つのにも飽きてしまった。それは僕だけじゃなかったようで、春輝と目が合う。二人で真弘を見れば、すぐに真弘とも目が合った。そうして三人でニヤリと笑う。そこからは早い。春輝は広げていた教科書達をしまい、僕と真弘はかばんを背負った。春輝がかばんを背負ったのを見て、教室を出る。
「携帯連絡入れときゃ見るべな」
 欠伸混じりにそう言った真弘と、僕達は笑う。
 奈良間に連絡を入れ、生徒玄関に向かう廊下を進む。奈良間遅いよなー。まあ自業自得だべやあれ。そんな風に、踵を鳴らしながらのんびりと歩く。先輩達からしたらイキった後輩に見えて、後輩から見たら怖い先輩あたるのだろう、僕らは。
 会話が途切れたタイミングで携帯を見る。通知を切っていない例のグループからは、しつこく、メッセージが送られてきていた。内容は変わらない。真弘への暴言や、どうして僕が共感してくれないのかを、延々と。
『ねえ幸太くん、真弘に依存するのやめなよ』
 新しく来たメッセージに、胸が、心臓が掴まれたような感覚を味わった。

Re: 世界は君に期待しすぎてる ( No.11 )
日時: 2018/06/28 07:29
名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik


 依存なんてしてない、とだけ返事を打つ。衝動的に打ち込み、送信ボタンを押した。いつどこで僕が真弘に依存したというんだ。携帯をポケットにしまい、楽しそうに笑う二人の後ろについて歩く。相変わらず失礼な奴だ。ここ最近、ふとした時に心を抉るようなメッセージがくる。見透かされているようで気持ちが悪い。
 靴を履き、そのままその場に座り込んだ。僕らは揃って携帯をいじり始める。
「あ、奈良間今から来るって」
「したっけあいつ来るまで待つか」
 真弘はあくび混じりにそう言い、僕と春輝はいい加減に返事をする。携帯をいじって数分が経った頃、ばたばたと玄関に駆けてくる足音がした。
「おっまーたせー! 置いてかれたかと思って焦ったマジで」
 快活に笑いながら言う奈良間に、僕らは呆れるしかできない。そもそも奈良間が呼び出されたのは自業自得で、呼び出されないようにすることなんて簡単だったはずだ。
「真弘が替玉三ついけるってさ」
「まじ? したら俺五回するわ!」
 駐輪場から自転車を出す春輝と奈良間が楽しそうに話す。たしかこの二人は小学生の頃からの付き合いだったはずだ。よく二人で買い物に行ってきたと話をしてくれるあたり、女子の言葉を借りるとズッ友というやつなのだろう。
「奈良間ー荷物入れてく?」
 チリンとベルを鳴らす真弘に、奈良間は表情を明るくして「さっすが真弘わかってるー!」と笑う。
「真弘んとこさカバン入れるんだったらさ、部活の道具こっちいれる?」
「もー幸太大好き」
 語尾にハートが見えそうなほど甘ったるく言う奈良間に、笑いが起きる。
「きっめぇ」
「可愛かったべや!」
 ツボに入ったらしい真弘の横で、奈良間は可愛子ぶりながら歩く。朝とは打って変わって元気になった様子の奈良間は、真弘の顔を覗き込んで話しかけたりしているようだった。真弘の笑いがおさまった頃に、自転車で足を轢かれるんじゃないかと内心ひやひやする。
「春輝ー、どこのラーメン屋行くか決めてんのー?」
「らいく行くよー」
 前を進む奈良間が大声で言う。春輝も両手を口元にもっていき、同様に大きな声で返した。ふざけて歩いているのに、真弘と奈良間は進むのが早い。
「奈良間のテンションの上がり方ちびっ子すぎない?」
「ほんとよ」
 そこが弟っぽくて好きなんだけどね。そう言って笑った春輝はどこか照れくさそうに見えた。

 ラーメン屋らいく。その店構えは一軒家の玄関に暖簾がかけられているだけと、店というよりただの家だ。学校帰りの学生が多く来ているらしく、玄関の横に用意された砂利の駐輪場には数台の自転車が停められている。安価で美味しいラーメン屋として学生に重宝されていた。
 先に着いていた真弘達に追いつき、僕達も自転車を停める。
「行くか」
 真弘の言葉に、僕らはあの日見た映画の主人公よろしく、覚悟を決めたように暖簾をくぐる。軽い音を立てて開いた戸から、味噌の香りがもれ出した。空いていた中央の四人がけテーブルに座る。
「うわー腹減ったー俺味噌ー」
「え、誠也味噌にすんの? 俺もなんだけど」
「僕も味噌かな」
「俺も味噌」
 水を置きに来た店員がメモを用意するより早く、僕らは心に決めたメニューを口々に言う。味噌が四つですね、と言い厨房へ戻った。ピッチャーに水が入っていることを確認して、僕はグラスの水を一気に飲み干した。
「つか真弘は醤油じゃねーの? いっつも醤油だべお前」
 シャツの袖を捲りながら言う奈良間に、真弘は笑う。
「お前だって普段塩だろ」
「いやそうだけど! そうじゃないじゃん!」
「ちょっと奈良間についてけねーわ」
「うっわうぜー」
「おめーの味噌に南蛮入れまくるからな」
「ごめんお前は良い奴!」
 そんなやり取りを笑って見ながら、メニューを広げる。店に入るまではそれぞれ塩と醤油のどちらかしか選んでいなかったのに、一気に味噌に気持ちをもっていかれた。
「まあまあ、そんだけいいにおいしたからさ、いっしょや」
 春輝にそう言われ、不服そうに二人は黙る。
「さすが」
「いえいえ」
 アプリを開いていた携帯から、春輝に視線を移して一言。柔らかく笑った春輝は頭を少し下げて笑った。ほかの客のラーメンをすする音や、厨房の雑音と、ラジオが流れる店内。うるさく感じるどころか、このまとまってなさが心地よい。

「お待たせしましたー、味噌になりまーす」
 体格のいい男の店員が、お盆に四つラーメンを載せ運んでくる。どれも湯気がのぼり、濃い味噌の香りが僕らのいるテーブルを支配した。無料トッピングで用意されたバターとコーンをそれぞれどんぶりの中に落とし、箸で麺をほぐす。じんわりと溶けだしていくバターが、スープの表面に広がっていく。
 奈良間達はもう食べているが、らいくの麺はかためのため、僕はバターが全部溶けるのをぼんやり見つめる。楽しく食べたいという気持ちと、隣でラーメンをすする真弘を思う気持ちとで、内側が壊れそうだ。鳩尾のあたりがザワつくような、赤点回避出来ていなさそうなテストが返却される時のような不安。溶けきったバターを全体に馴染ませ麺をすすったが、味はしなかった。それでもひり出した「美味い」の言葉には、心がこもっていなかったような気がする。

 駅でみんなと別れ、ぱたりと通知が来なくなったメッセージアプリを開いたまま、窓の外を見上げた。六時になる前の空はまだ明るく、木々の隙間に見える空が橙に変化し始めている。一人になり考えるのは、真弘と大畠のことだ。大畠の言うように僕は真弘に依存しているのだろうか。自分ではそう感じていないだけで、真弘を失う可能性があることに怯えているのか。
 一度前後に揺れた電車が、進み始める。忘れかけていた中学時代を必死に思い起こす。真弘は大畠を心底嫌っていた。僕も、真弘と同じように大畠を嫌った。そこに違いはないはずなのに、夕暮れの廊下で見た、懇願する大畠の顔が僕を責めているように感じられる。真弘に蹴られていた、確か肩口を思い切り。やり過ぎだと思ったんだ、僕は。大畠が涙目で、真弘の奥にいた僕を見ていた。真弘じゃなく、あの時大畠は僕を見ていた。胸の奥がざわつく。膨らませた疑念が、僕の中で暴れ回る。
 無意識にシャツの胸あたりを掴んでいた。窓越しに映る自分の顔はひどく険しい。指先が震えるような違和感。停車のアナウンスが鳴る。身支度を済ませた乗客が扉の前に集まり始めた。その中に、気持ち悪さに支配された僕が混じっていた。

「あ、幸太くん」
「……大畠?」
 吸い込んだ息が、逃げ場をなくす。心臓が脈打つのが分かる。発車を告げた電車が、ガタンガタンと音を立て徐々にスピードを上げていく。その間隔が狭くなるのと同じように、僕の鼓動も速く脈打っていた。じっとりと汗ばむ陽気。大畠の脇はワイシャツの色が変わっていた。いつから大畠はここにいた――? ぞわりと背筋が冷える。
「あれ? あいつは一緒じゃないんだね」
 大畠の言うあいつが誰を指しているのか、聞かなくても分かってしまう。
「……真弘は、彼女のところに行ったけど」
「へえ! やっぱあいつって幸太くんのこと案外どーでも良いんだろうね!」
 食い気味の大畠は、口角を上げて嬉しそうに言った。不快。しばらく電車が来ないホームに残って、大畠と話したいわけじゃない。書かないといけない手紙があった。何年も出していなかった、あの日の返事。
「彼女優先だろ、普通」
 そうだ、彼女を優先するに決まっている。きっと僕も真弘達といるよりも、彼女と過ごすようになるはずだ。ポケットに入っていたイヤホンをつける。大畠の声が聞こえないように、音量を上げ、改札へ向かった。改札を抜け待合室を出た僕は、何となく心がむしゃくしゃしていた。不快感、嫌悪感、吐き気。走るのには向いていないハイカットのスニーカーに、学ラン姿。それでも駆け出した。階段を途中飛び下り、走った。扉を乱暴に開ける。カバンが耐えられないと言いたそうに、僕の背中を叩く。足は止まらない。止められなかった。
 痛みも孤独も全て、お前になんかやるもんか。歯を強く噛んだ。歩くと遠く感じる自宅も、走ればあっという間だった。リビングと伊織の部屋が明るい。誰でもいいからそばに居てほしい気分だ。喉も心もカラカラに乾いている。

「おかえり」
「ただいま」
 出迎えてくれたのは伊織だった。眼鏡をかけて、リラコを着た姿でも、ああ頭が良さそうだと感じる。伊織は驚いた顔をしていた。
「……うん、おかえり」
 すぐ微笑んでくる伊織に、一つだけため息を吐き、母さんを無視して二階に上がる。机は昨日のまま。何度も書き直した手紙は、紙がよれている。宛名は封筒に書けないままでいるのを見て、ため息が漏れた。汗をかいていたけれど、下に降りるのも面倒くさい。カバンを乱雑に置き、ベッドに寝転がる。最近買った週刊雑誌が枕元に置いてあるままで、角が耳を掠めて「いって」と心のこもらない言葉がもれた。アプリを開いて、みんなの呟きを眺める。
 珍しく、自撮りをすると意気込んでいた奈良間は、画像付きで投稿していた。なにかの加工か、肌が白くなり、唇はピンク色になっている。同じ学校の先輩後輩関係なく反応されているのは、誰に対しても分け隔てないからだろうなと思う。前に春輝が言っていた、屈託のないバカは愛される、という言葉が思い起こされた。スクロールしながら普段の奈良間を思い出すが、姉以外に悪口を言うこともないし、誰かに悪口を言われていたこともない気がする。
 まあ確かに、あの笑顔はずるいよな。考えてること目に見えて分かるんだから、そりゃ皆警戒しないべな。そんな恨み言を思うけれど、事実は事実として受け止めないといけないことは分かっていた。充電器を挿し、着替えて一階に降りる。
「今日冷やし中華だよ」
 先に食べ終えていたらしい伊織は、リビングのテーブルに参考書を広げていた。家でも学校でも電車でも勉強をしているのかこいつ。完全に別次元の生き物だなと思いながら、キッチンへと向かう。ダイニングテーブルにはラップがかけられた冷やし中華が置いてあり、母さんからの書き置きもあった。
「今日、母さん達は」
 ラップを剥がし、つゆをかける。
「父さんは残業で、母さんは女子会」
 後ろでページをめくる音が聞こえる、二人だけの空間。いつも食事を摂る席は決まっていて、僕は父が再婚してからリビングに背を向けるようになった。元々は父が座っていた席。伊織がリビングで勉強している姿を見たくなかったのだろうと、最近になって自覚した。一人遅く食べる晩御飯の時間に、家族三人が笑い合っている姿も。
 冷やし中華は市販のものと変わらない味だった。ぬるくなった麺が少し気になった。嫌なことが続くな、きっと大畠と一緒になるまで。蛇口の水が排水溝に流れていくのを見ながら、そう感じた。何となく手を伸ばすことを躊躇ってしまう。

「水」
 伊織の声に肩がはねた。蛇口から水は流れていない。
「……あ」
「今日変だね、幸太。俺洗い物済ませるから、休んでていいよ」
 僕を押し退けるように洗い物を始めた伊織を見て、自然と足が後ろに動いた。変だね。その言葉が頭の中をぐるぐると回る。僕は、変。伊織に返事をする事も、洗い物をすることも、変。
「……寝る」
 掠れた声だった。自分の声だと思えなかった。伊織が僕を呼ぶ声が聞こえたけれど、顔を向けることはできなかった。勉強の出来る、頭のいい伊織が僕を変だと言うのなら、それは事実なのかもしれない。何度も送られてくる大畠からのメッセージから、ただ逃げてるだけだ。毎回拒絶すればいいのに、それができない。
 ベッドに寝転がり、充電中の携帯をいじる。時計の秒針か規則的に鳴る。何度も見返した大畠や朝比奈からのメッセージをもう一度見返す。二人の考えを認めたくはなかった。けれど、拒絶もできない。大畠に言われた言葉とはまだ向き合うことが出来ないまま、携帯をいじるのをやめる。今頃テレビを見ていたらアポなし旅とかやってんだろうな。
 寝るにはまだ早い時間だけれど、柔らかなベッドに沈んた体を、もう動かそうとは思わなかった。このまま寝て、また先送りにする。考えないようにしていた今までと同じだった。きっとどうするつもりなのかは分かっている。ただ勇気が足りていないだけということだって、理解している。それでもまだ、あと少しだけでいいから夢を見たい気分だった。

Re: 世界は君に期待しすぎてる ( No.12 )
日時: 2018/07/11 21:11
名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik


 目覚めは最悪だった。アラームを何度消したか分からず携帯を見ると、もう既に授業が始まる時間。リビングに行けば驚いた顔でほのかさんが僕を見た。何か言っている。聞く気にならなかった。父さんはもう仕事に行ったのかな。少しだけ、一緒に過ごしたかったのにな。母さんに会いた――
「幸太くん!」
「っはい」
 目の前にはほのかさんの顔。いわゆる綺麗系の顔をしているけど、皺結構あるな。
「学校、どうするの?」
 問いかける優しい声色に、忘れていたことを思い出す。今日は大した授業も無いし、サボっても問題はない気がした。
「サボる」
 そう告げ、キッチンのコーヒーサーバーを使いカフェオレを淹れる。注ぎ口からは湯気がたつ。サーバーが動かなくなったのを確認し、マグカップを持って食卓テーブルに置く。真白なテーブルであるのに汚れひとつないのは、ほのかさんの頑張りなのだろうか。椅子に座ると何だかもう立ち上がれない気になってしまった。
「駄目よ、学校はちゃんと行かなきゃ」
 母親らしく、眉尻を少しつり上げてほのかさんが言う。耳障りな声。どうして僕はこの人が母親になる事を許したんだろう。
「関係ないだろ」
 味のしないカフェオレを啜る。舌先を内側に巻いても、その温度で火傷をした。ほのかさんはどうして他人の僕を気にかけようとするんだ。僕は親だと認めてなんかいないのに。父さんの一番を簡単に奪っていったくせに、どうしてお前が一番幸せそうなんだ。ダメだと自制しようにも、湧き上がる怒りは歯止めが効きそうにない。
「関係あるわよ! だって、幸太くんは私達の子どもだもの……」


 そこから先はよく覚えていない。父さんに殴られた頬が痛い。伊織も午後の授業を受けずに早退した。伊織は何も言わなかったし、何もしてこなかった。警察に通報されんのかな。ベッドに座って何度もそう考えたが、今までに聞こえたサイレンは救急車のものだけだった。
 大畠の思う復讐も、今の僕のように誰かを不幸にするものなんだろうな。きっと真弘が不幸になる。中学の時、真弘のこと止めてやればよかった。窓も開けず黙って座っているだけであるのに、じわりと背中や太腿に汗をかいているのを感じる。気持ち悪さが強まる。ただ心はどこか軽い気がした。今なら何でもできる気がする。
 喉が渇いた。あのカフェオレを飲んで以降、何も口に入れていない。何となくリビングに行くのが億劫だった。また父親に怒られる気がする。そう考えれば考えるほど、このベッドの上から動くことはできない。シワの寄ったシーツに載るこの足先から、少しずつ溶けだしていきたい。
 自分を保つものが失われている今、思い浮かぶのは自分がいなくなれるような想像だけ。動脈だかを切れば死ねるのかも。父さんが悲しまないようにするには、いっそこの家から出て行くか。ベッドから降り、学校に行く時に使っているカバンの中身を床に出す。重たい教科書が全部出てから、いい加減な折り目だらけのプリントが数枚落ちてきた。一番最後に落ちてきたプリントを開く。それは林間学校で必要な物が書かれた、簡易的なしおりらしかった。
 拾い、上下を持って紙を広げる。長々と隙間なく詰められた文字は読む気が起こらず、中段に設けられた『用意するもの』と書かれた部分を見た。林間学校に必要なものが細かく書かれた最後に、不要なものが数個載っている。教師の話を思い出そうにも、一切浮かんでこない。寝ていたつもりはないけれど、覚えていないならそういうことか。今は林間学校に行きたいという気持ちすらなく、手の中でそれを握る。乾いた音を立てたプリントは、拾う前よりぐしゃぐしゃになった。

「入るよ」
 僕の返事を待たずに扉が開く。まだ制服を着たままの伊織が、部屋の真ん中で立ち尽くす僕と、足元に散らばる教科書を見て、目を見開いた。
「何してんの、幸太」
 空のカバンを手に持って呆けた様に立っていたから、自分が何を聞かれたのか理解するまでには時間がかかった。
「家出の準備」
「家出? 何のために?」
「なんとなく」
 伊織を無視し、机の丁度背中側に設置されたクローゼットを開く。脱ぎっぱなしの服が数枚地べたに散らばっている以外は、全てハンガーにかけて管理しており、男子にしては綺麗に保たれているはずだ。中から数枚気に入っている服を取り、たたみもせずにカバンに詰める。そういえば金欠じゃん。学校にケトル忘れたしな。そんなことを思いながら。
「父さんに林間学校の話してなかったっけ?」
「……関係ねーだろ」
「何お前、俺の母さんのこと病院送りにして、んな態度すんだ」
 反射的に伊織を睨みつけた。傍らにあったやるせなさの正体が、罪悪感だと気付いてしまった。気付かされた、伊織に。僕とは対照的に薄く笑う伊織は、今までの優等生ヅラとは違い、不気味だった。
「まあ怒る気は無くて。あの人教育ババアだから疲れてたし」
 頭の後ろを雑に掻き、吐き出された言葉に、眉間に込めていた力が抜ける。僕の知っている伊織はこんなやつじゃなかった。制服を着崩すこともなく、頭の回転が早い奴で、外国の血が少し混ざった端正な顔で優等生らしく笑う男だった。伊織の人間らしさを知るなんて、思っていなかった。
「確かに再婚してすぐあんないちゃつかれたらさ、うざいとは思うよな」
 それを皮切りに、伊織は今まで感じていたらしい鬱憤を晴らすように、僕に吐露する。伊織の言葉には嘘がないように感じられた。伊織の話を黙って聴けば、伊織もほのかさんと父さんの関係にうんざりしていたと分かった。熱気が増した部屋が、僕と伊織の境界を揺らがす。互いの首筋を、額を、汗が滑り落ちた。
 伊織は僕と一歳しか変わらない、普通の高校生だった。
「でさ、俺お前に言いたいことがあって」
「何」
 伊織の口調はどことなく強い。
「俺のこと兄ちゃんって思わなくていいから」
 じゃ。そう言って伊織は部屋から出て行った。揺らいだ境界は元に戻ろうとしない。それどころか壁を作り直すことが出来ないくらい、僕の気持ちは参っていた。伊織のことを兄だと思おうとしていた無意識さを、伊織に指摘された。あんなに嫌がってたはずだろ。そう自分に言っても答えは出てこなかった。
 首を伝う汗を手の甲で拭い、寝巻きで手を拭く。伊織にどう返事をすべきかも分からない。けれど、伊織は兄じゃないと自信を持っていえるようになったことに、安心している。その事実が、悔しかった。
 網戸もせずに窓を開け、書きかけの手紙はそのままゴミ箱へ捨てた。教科書を踏んだが、そんなことどうでもいい。紙を出し、置いていたボールペンで乱雑に書きなぐる。伊織への苛立ちと、大畠と朝比奈への怒りが止まらなかった。

 きっかけは十分すぎるほどあった。僕が怖がっていただけ。可能性を書き起こせば、思っていたほどの障害はないように感じられた。どうせ大畠にできることなんてたかがしれてる。朝比奈はそばにいるわけじゃない。怖さなんてない。
 何重にも重なった黒インクの紙を、ぐしゃぐしゃに潰してゴミ箱に投げ捨てる。今の自分は多分無敵だ。怪人が僕の目の前に来てもマッハを超える速度で逃げたり、漫画みたいな一発KOも夢じゃない。
「待ってろよ」
 

Re: 世界は君に期待しすぎてる ( No.13 )
日時: 2018/08/03 19:56
名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik


 あの日からほのかさんとは一切会話しないまま、念願の林間学校の日になった。少しでも家にいる時間を減らしたいと思っていた僕にとっては、家にいなくていいことは救われた気になる。父さんの運転する車に乗り込む前、伊織とは会わなかった。今まで通り、特に話すこともなく、日々が過ぎている。
「忘れ物ないか?」
「たぶん」
 そうか、と父さんが言って、話は終わった。エアコンの冷たい風が僕の首筋めがけて吹く。父さんは器用に左右の線からはみ出ずに、車を運転する。いつもより遅い時間に家を出るまで、あまり父さんとは話せなかった。あの日から、僕ともほのかさんとも距離をとっているんじゃないか。窓越しでは伺えない父さんの表情を想像する。
「母さんは嫌いか?」
 答えられない。驚いて見開いた瞳と同時に、心臓が掴まれるような感覚。血の気が引いていく。
「母さんの火傷と青あざさ、少し良くなってきたぞ」
 それでも父さんは話し続ける。
「幸太」
 いつもの優しい声。
「今の母さんより、前の母さんの方が好きかい?」
 ゆっくりと、言葉は出せなかったけれど、頷くことは出来た。わがままだとは思う。結婚するのも離婚するのも、僕が思ってるより大変なはずだ。
「頑張ってくれてたんだな」
 そう言って、僕の頭を撫でる父さんの手に、今までしまい込んでいたものが湧き出る。撫でられたのはいつぶりだろう。中学の入学式とかだったっけ。鼻をすすりながら、腕で目元を拭う。僕の嗚咽がおさまるまで、父さんは何も言わなかった。
「……怒られると思ってた」
 目頭がまた、じわりと熱くなるのが分かる。
「幸太がやった事はちゃんと謝りに行かないとダメだぞ? ただ父さんも勝手に決めた部分もあるから、受け入れられなくて当たり前だよ」
 右に曲がる。
「あの人は、怒ってないの」
「悪い事をしたって落ち込んでる。本当の母親じゃないのに出しゃばったって」
「……あ、そ」
 謝りないといけない、かもしれない。国道12号を右折して、緩やかな坂道を進む。
「楓が幸太って名前つけたって、知ってたっけ?」
「楓?」
 聞いたことのない名前だった。知らないよ、と続けると父さんは今まで見たことがないくらい、優しく微笑む。
「幸太の母さん、相沢楓」
「え、お母さんが名前付けたの?」
 父さんは、ああ、と笑った。信じられない心地だ。記憶の中だけの、大切なお母さんに名前をつけてもらっているなんて。
「楓がね、幸太にとって、幸太の人生が素敵な巡り合わせで満ちるように、望んだように人生を送ることができるように豊かでありますように、って。……ほらついたよ」
 父さんは幸せそうだった。生徒玄関前に設けられた簡易ロータリーには、大型バスが停る。四台伸ばすが並んでいると、教科書で見たベルリンの壁のような感じがした。父さんと一緒に車から下りる。他にも続々とやってくる生徒に、チラチラと見られている気がした。
「はい荷物」
 差し出した手に、父さんから荷物を受け取る。たった二泊分の荷物は軽い。
「行ってらっしゃい」
「……うん、行ってきます」
 車が校門を抜けていく。左折する父さんが見えなくなるまで、僕はその場から動かなかった。母さんが付けてくれた名前を、大事にしよう。新たな決意が芽生えていた。僕は父さんと母さんのたった一人の息子なんだ。確かな安心が、僕を包んでいるみたいだった。


 バス内でのホームルームも終わり、今は前後左右関係なく様々な話題が飛び交っている。通路を跨いで横一列に、いつもの四人で座った。窓際にそれぞれ真弘と奈良間が座り、僕と春輝の間に通路がある。
「そーいや朝さ、幸太のとーちゃん見たぞ」
 身を乗り出して、奈良間が言う。真弘にも数えられだけしか見られていない父さんは、僕達の中ではちょっとしたレアキャラ扱いをされていた。仕事も任せられ、プロジェクトリーダーとしてチームを持っている分、家にいる時間が短いからかもしれない。
「どうだった?」
「すっげー若い……」
 春輝に、あの若さは四十くらいだべ、と真剣な顔で奈良間が話す。奈良間の中で、僕の父親像はどうなっているのか気にもなったが、奈良間の予想はいい線だ。ちらりと僕の左手に座る真弘を見る。周りが大声で話しているのが嫌なのか、高そうなヘッドフォンを付けて、窓に頭を預けていた。大畠から連絡がきてから、僕は真弘と連絡をとらなくなっている。その事を気にする素振りを見せない真弘は、もしかしたら、僕がいてもいなくても変わらないのかもしれない。
「父さん、まだ三十四だよ。今年で五になる」
 笑っていれば、奈良間達と話していれば気にしないはずだ。大きな声で驚いた二人を笑いながら、僕は背中に真弘を隠した。

Re: 世界は君に期待しすぎてる ( No.14 )
日時: 2018/08/25 19:44
名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik

 林間学校の間使われる、道立みどりの村。だだっ広い草原は行事がない限り、一般市民にキャンプ場として解放しているらしい。バスを降りてそれぞれ荷物を持ち、管理者がいるらしい場所まで向かう途中、日差しと暑さにやられてしまいそうになる。奈良間は他クラスの生徒と楽しそうに話しているが、真弘も春輝も汗をかいて辛そうだ。
「春輝、何か持つか?」
 春輝の腕にはレジ袋に入った料理用品をたくさんかけられ、五キログラムと表記された炭の箱を二つ持っている。男子といえど文化部だ。運動部の僕や奈良間と比べ、力は無いだろう。
「まじ助かる……」
 立ち止まった春輝から炭の入った箱を二つ受け取る。やっぱ文化部だな。
「楽?」
「かなり」
 ありがとう。そう言って笑う春輝に、頷く。頭も良くて人当たりも良いのに、不思議と春輝は彼女がいない。中学時代から仲のいい女子がいてもおかしくないような気がする。
「それにしてもあっついし遠いなー。まだあと何百メートルとかある気ぃするんだけど」
「え、あー、たしかに。僕らより、女子の方が大変そうだけど」
 そう言い近くを歩いている女子を見る。露出している腕や脚に日焼け止めを塗りながら歩き、中には腕を守るために取り外しできる袖のようなものを付けている生徒もいた。手で日除けをしているけれど、化粧は汗で崩れているから、ほとんど意味はないんだろう。
「あっちにはしんどそうな真弘がいる」
 苦笑いする春輝の方を見ると、眉間にしわを寄せ、息を荒らげて歩く真弘がいた。持参してくれたらしいテントの部品を、重たそうに持っている。
「手伝ってくる」
「うん、俺は誠也回収してロッジ向かうな」
 春輝と別れ、真弘の元へ向かう。途中から僕に気付いていたらしく、僕が笑うと真弘も困った様子で笑った。
「テントありがと。炭と交換する?」
「しねーよ、そっちのが重てーべぜってー」
「多分」
 首元の汗を拭い、「っし」と気合いを入れ直し、真弘が歩き始める。いつもより前傾で必死に歩く真弘にペースを合わせ、僕ものんびりと歩く。春輝ほどではないが、だんだんと腕が疲れて、息が荒くなりそうだ。
「あと少しだから、ダッシュして勝った方がジュース奢るってどう?」
「あー……? 幸太勝つだろ」
 僕の提案は、じっとりとした目付きの真弘に、暗に否定される。
「ハンデ付けるよ」
「ちょーしのんじゃねーよ」
「僕、十数えたら行くから。はい、よーいスタート」
「覚えとけよ、てめー」
 そう悪態をつきながらも走っていく真弘の背中を見る。奥に、ああ、大畠か。自分用の泊まる荷物しか持っていない様子だった。恨めしそうな顔。僕に対してかもしれない。真弘への恨みが、今この時も積もってるのだろうか。ドラマで見るようなあからさまの悪意に、真弘はきっと気付いていない。
「世界が違うんだよ」
 お前と真弘の住む世界が、同じなわけがないんだ。先に走っていく真弘を追いかけながら、僕は大畠と目が合った。視線を外す瞬間に、大畠が悪く笑った気がする。ああ、気持ち悪い。もう真弘に追い付くことはできないだろうけど、大畠を忘れるには、走ることは最適だった。

「いけいけ奈良間ーおせおせ奈良間ー」
 木槌を持って杭を打つ奈良間に、ジュース片手に座る真弘が応援する。教師や施設からの長い話が終わってからは、教師に言われた通り、だだっ広い野原の好きなところに、それぞれ、テントを設置し始めていた。僕と春輝は力仕事を二人に任せっきりにし、自動送風機を使ってエアマットレスを作る。
「っらおらあ! でーきた!」
「いいぞー奈良間ー」
 Tシャツの袖をまくり上げ、汗をいっぱいにかいた奈良間が空に向かって拳を突き上げる。最低限の作業しかしていない真弘は、楽しそうに笑っていた。周りの生徒達も、少しずつテントの設立を終わらせられているようで、野原がカラフルになっていく。僕らのテントは、真弘の家から持ってきてもらったかまぼこ型のテント。男四人で寝ても十分な大きさのテントと、必要な金具を持っていたのだから、真弘があんな死にそうな顔で歩いていたのも納得する。
「こっちも終わったよ」
 充分に空気を入れたエアマットを、真弘の指示でテントの奥に入れる。寝るためのスペースに荷物を置き、テントの設立が終わった。今の時間は正午を少し過ぎたくらいだ。鞄から取り出した要項を見ると、この後は自由時間として、一時間半が昼食として用意されているらしい。
「アスレチックで遊びついでに飯食わね? 今日くらいしかぜってーアスレチックできねーから!」
「賛成。真弘と幸太は? どうする?」
 太陽くらい眩しい笑顔を引っ提げて僕らに提案してくる二人。たった二年、されど二年という、密度濃く日々を過ごしたのだ、ほとんどの時間をこの四人で。だから二人が笑顔で提案してくるときには、否定しても連れて行かれることも、断固として拒否したら後々面倒くさい事も分かっている。真弘が黙って立ち上がったのを見て、「行くよ」と返事をする。それぞれコンビニの袋を持って、数十メートルほど離れたところにある、アスレチックの入り口を目指して歩く。
 アスレチックがある場所なら、初めからジャージで登校させてくれればいいのに気の利かない教師たちだ。暑ければ暑いほどテンションが上がるのか、奈良間は普段よりも元気がいい。
「何がしんどいって風が無い事と、奈良間のうるささ」
「夏の誠也はセミだと思った方がいいんじゃない?」
 うんざりした表情で後ろを歩いている真弘に、その隣にいる春輝が笑いながら言う。
「俺がセミとかふざけんなよなー! 肉食えねーじゃん!」
「着眼点がバカ。そこじゃねーだろ普通」
「はあ? そこだろ!」
 真弘に何かを言われると、決まって噛みつきたがる奈良間に、真弘はうんざりしながらも楽しそうに笑う。きっと奈良間がいなかったら僕らはこんなに仲良くなることは無かったし、そもそも話すことすら無かったはずだ。きっと、奈良間だけでも、春輝だけでも駄目だ。二人がいないと、僕と真弘は、またあの頃みたいに二人きりで過ごすことになった。もしもの話だけれど、確証があった。

 腐敗が進んでいそうな、木で作られたゲートをくぐり、木端が敷かれた階段を上る。高い木々の隙間からこぼれる、少し緑がかったような雰囲気の光。セミの鳴き声に重なりながら、嘆息が漏れた。テントを設置した野原よりも涼しく感じるのは、育った木の葉で、直射日光が遮られているからだろう。わずかではあるが、抜ける風に汗が冷やされ、体感温度も下がっている。
「アスレチックっていうか、山道に遊歩道があるってだけだね」
 春輝がそう言った通り、二人が並んで歩くことができる程度の幅に作られた木端の遊歩道。細い丸太を利用された木の階段を、ゆるやかな傾斜に沿って歩いていく中に、今のところアスレチックはない。セミの鳴き声と、小さな羽虫が飛んでいる程度の、ただの山。
「えも、いひぐひろおうの……看板に書いてたべ? だから、上の方までとりあえず行ってみよーぜ」
「奈良間のおにぎり美味そうだけど、食べる時は食べるで分けような」
「おー」
 ん、と中身を見せてくれる奈良間に、僕は「ありがとう」と伝える。大きめで、米の密度が高いおにぎりの真ん中に、梅が二つ入った、ボリューム満点のおにぎりだった。運動部だから食べる量が多いのも納得だ。きっと家族が食中毒予防のために梅を多めに入れたのだろう。奈良間の隣でウイダーを取り出すと、怪訝な顔をされたが、僕は気にしない。どうしても食べたいという食事はほとんどなく、三食同じものが食卓に出されたとしても、ほとんど何も思わない自信がある。
「美味いよ」
「米食えよな陸部ー」
 うん、と従うつもりもない返事をする。サンドイッチを食べる春輝の一段後ろで、大豆バーを食べる真弘を見て、安心してしまう。まあ、そんなもんだよな。真弘とファミレスに行って、メニューを決めることができない理由が、胃に入れば変わらないから。どうしても食べたいと思うのは、互いにラーメンくらいだろう。
 道の先か、後ろかに生徒がいるらしく、ほぼだんまりな僕らとは違う話声が徐々に大きくなってきていた。休み時間を持て余した男子と女子のグループらしく、高い声と低い声が混ざり合った笑い声が聞こえている。聞きなれた声が混じっていることに気づき、足が、重くなった。セミの声がやけにうるさい。熱中症か、思い違いだろうか。このままよく分からない奴らと鉢合わせるくらいなら、少し待ってから上がったほうが良いんじゃないか。盛り上がっているのなら、奈良間が遊びたがっていたアスレチックがあるのかもしれない。

「あれ、幸太君?」

 口を開いて、三人に伝えようとしたところだった。

「久しぶりだね。……真弘君も」
「――は?」
「……久しぶり」
 薄ら寒い笑みを浮かべた大畠が、僕らを見下ろしていた。

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