複雑・ファジー小説

棺桶には千寿菊を一輪
日時: 2019/02/14 17:13
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc

何を使うかは貴方次第。
出会いと別れは時の機運。
如何に在ろうと貴方は自在。

貴方が果たすべきはたった一つ。
溢れる物を、殺すこと。


***


 人の身を得た器物とそれを殺す人の話


**


【目録】

《付録》
人物録 >>1
用語録 >>2

《本録》
零:天球儀  >>3
一:包丁   >>4
二:探照灯  >>5
三:“粗悪品” >>6
四:舞台照明 >>7
五:西洋躑躅 >>8
六:水薬   >>9
七:戦友   >>10
八:裁ち鋏  >>11
九:双子   >>12
十:試し切り >>13
十一:緒戦  >>14
十二:墓守  >>15
十三:十字架 >>16
十四:墓地  >>17
十五:曇天  >>18
十六:柱時計 >>19
十七:約束  >>20
十八:懐中時計>>21
十九:月夜  >>22
二十:葬列者 >>23
二十一:速写帳>>24
二十二:黒電話>>25
二十三:老探偵>>26
二十四:遺影 >>27
二十五:預言 >>28
二十六:廃物 >>29
二十七:袋小路>>30
二十八:遺志 >>31
二十九:価値 >>32
三十 :救済 >>33
三十一:乳母車>>34
三十二:図書館>>35
三十三:司書 >>36
三十四:未熟物>>37
三十五:代理子>>38
三十六:人足 >>41
三十七:邂逅 >>42
三十八:警告 >>43
三十九:事故 >>44
四十 :幻像 >>45-46
四十一:案内人>>47-48
四十二:傷痕 >>49
四十三:水場 >>50
四十四:一休み>>51
四十五:追跡行>>52
四十六:逃避行>>53
四十七:金庫>>54

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棺桶には千寿菊を一輪――四十五:追跡行 ( No.52 )
日時: 2019/01/10 16:18
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs

四十五:追跡行


 部屋中に響き渡るけたたましい目覚まし時計の音が、泥のように眠り込んでいたアザレアの目覚めであった。
 疲労の残る身体を引きずり起こし、頑固に張り付いたままの瞼を引き上げ、それでも何とか引き下ろして来ようとする睡魔は軽く頭を振って打ち払う。次第に明晰さを取り戻す意識の中に見るは、白いシャツを着崩して黒いスラックスに脚を通し、腰に給仕エプロンを掛けたニト。仕事着らしい格好に身を包んだ彼女は、七時を指す目覚まし時計の文字盤を、ぐいと勢いよく少女の顔面に近づけた。

「おはよぉ」
「……おはようございます」
「ん、おはよー。寝起き良いねぇ」
「ねむいです……」
「だろーねぇ。でもアーミラリが君のこと呼んでたしぃ、このままお休みーってのはちょっといけないと思うんだよぉ」

 アーミラリが呼んだ。その一言がまず頭に掛かる眠気を残らず吹き飛ばす。急にすっきりと晴れた脳内で、物殺しとしての怜悧さが回り始めた。
 こうなってもまだ目元にこびり付く、抗い難き瞼への重力は、ニトが何の気なしに放った続きで完全に無意味と化す。

「クロッキーくんは居ないしー“粗悪品”くんとケイさんは起きてこないしー、ベルくんとピンちゃんは起こす前に起きてるしスペックはさっさと帰っちゃうしアーミラリは徹夜してるし! もー起こし甲斐が無いなぁ皆さー! アザレアくらいしかちゃんと起きてくんないのよ、もぉ!」
「……え?」

 ――クロッキーが居ない? 何故?

 意識の端に残っていた眠気が弾け飛ぶ。考えても栓無きことと、片隅で思いつつも思考は止まらない。学の浅い、けれども深淵な聡明さを秘めた頭が全力で思考回路を駆動し、その出力結果のままにアザレアは行動を起こした。
 即ち、膝の上に掛かっていた毛布を跳ね飛ばし、寝癖が付いたままの髪を整えもせずに立ち上がって、調子よく愚痴を吐く目覚まし時計を尻目に部屋の出入り口へ向かう。にわかに焦燥感を増す空気、そのぴりついた冷たさを振り切るようにニトの横をすれ違いかけて、振り上げた腕を女の手が掴み止めた。
 後ろに引かれ、勢いを削がれた物殺しは足を杭打つ。隠しおおせぬ苛立ちを含めて睨めば、それと同じほどに強い無言の視線が跳ね返った。どこへ行くつもりだ、そう言いたげな腕に目を一瞬落とし、もう一度目覚し時計の文字盤を見つめる。

「ニトさん?」
「アザレア。あのねぇ、此処は山の上だってばぁ。アーミラリから聞いたでしょぉ? 一人じゃ絶対遭難しちゃうんだからねー」
「…………」

 意図を見透かされている。おまけに論の正当性も向こうにある。これでは無理な感情論を言ったところで押し通せはしない。素直に激昂を胸の奥に収め、改めてニトへ鳶色の双眸を向ければ、彼女はいかにも楽しそうにケタケタと笑声を零してみせた。
 そして、再び頭を近づける。覆い被さるように耳元へ文字盤を位置付けた彼女は、いつもの間延びしたそれではない、きびきびした声で言葉を綴り上げた。

「一人で何でもしようなんて考えちゃ嫌ァよ、アザレア。私の親だって私がいなけりゃ朝起きられなかったんだから。出来ないことを無理してやろうとしないの、他の人も頼ってよ。いい?」

 声音は彼女に似つかわしくない哀惜を秘めて転がり落ち、アザレアはただ、言葉もなく首を振るばかり。
 よく出来ました、と慈母の如く穏やかに笑ってみせた目覚し時計、その文字盤に描かれた銀の月と金の星が、細く射す陽光に煌めく。


 寝癖のついた髪をどうにか調伏し、ニトと共に書斎へ駆けこんできたアザレアが見たのは、南面する窓を背にパソコンのキーボードを叩く天球儀の姿。曰く徹夜したという彼の手付きは重く、文字を綴る指の動きはぎこちない。物にとって、やはり不眠というのは堪えるもののようであった。
 そんな彼は、部屋の中に二人が入ってきても、画面から目を離さず。パタパタと緩慢な打鍵音を奏でて文を打ち込んでゆき、それが章を形成し終わったところで、ようやく物殺しの方へと意識を向ける。

「おはようございます。あの――」
「クロッキーからは言伝を預かってる。『起きたら椿通り二丁目に来て欲しい』だって。理由は聞いてない」
「それはまあ、本人に聞くので良いんですけど……椿通りってどの辺ですか?」

 よく考えるまでもなく、出て不思議ではない質問だった。
 アザレアはこれまで「物の街」――もとい名生(ななし)と、ゾンネ墓地のある月の原にしか行ったことがないのだ。流石に「人の街」と呼ばれる街があることくらいは知っているものの、それが具体的にどんな地名であるかも知らなければ、ましてや中にどんなものを内包しているかなど皆目見当も付かない。精々、椿と名の付くくらいだから椿並木でもあるのかしらん、と概観を想像する程度だ。
 しかして、案内人へ向けた問いに答えたのは、一緒に入ってきた目覚まし時計の女であった。

「だぁいじょうぶ大丈夫ぅ、場所は私が案内したげるよぉ。まあどーんと構えてなさいってー」
「ぃぇ、あの、そう言うわけには……」
「どーしてぇ?」
「だって」
「いやん、仲間外れにするのぉ? 椿通りなら私よぉく知ってるよー。地図と睨めっこしながら行くより早く着くと思うなぁ」

 ねぇ、と強めに念押しされる。他人をちゃんと頼って欲しい、と懇願された身としては、最早何処にも反駁の余地はない。仕方なく、やや曖昧な表情でアザレアが了承の意を示せば、ニトは満足気に何度か首肯してみせた。
 そんな女二人をさて置き、部屋に響くは実に古風な電話のベル。パソコンや書類が山積みになった机の片隅、半ば書類に埋もれたダイヤル式の電話に、アーミラリが手を伸ばす。

「もしもし?」
“嗚呼……案内人様。良かった、御伝えしたいことが……あります”

 聞き覚えのある、然れども常ならず焦燥を滲ませた、か細くも凛とした老女の声。椿通りにある古物店の店主、もといレザのものである。
 しかしながら、クロッキーがわざわざ仲の悪い親元へ駆け出していったかと思えば、その椿通りに店を持つレザから電話が掛かってくる――かの天球儀の元に、学者でも何でもない一般人が電話を掛けるとは、つまるところ“案内人”としての彼に何か用があることと同値で、簡単に言えば緊要(きんよう)の事態が起きたことを報ずるようなものである――とは。どうにも嫌な予感を感じて、アーミラリの声は苦々しさを隠せない。

「どうしたの」
“クロッキー君が此方に来て……古い絵を、数枚預けて行かれましたわ。『椿通りの古物店に預けた絵を受け取って欲しい』と、アザレア様……? そう、物殺しの方に御伝えして……と”
「分かった、伝えておくよ」

 クロッキーが絵を抱えてレザの元へ来店し、物殺し宛てのものを預けた。それだけならば取り立てて重要なことではない。クロッキーの方からアザレアへ「予定が変わった」とでも伝えておけば済む話であるし、レザは物殺しの単語が出た程度で案内人に電話を寄越すほど肝の細い老女ではない。
 ならば、何かあったに違いなかった。恐らくは預けた少年の方に。

「それで、レザ。彼はどんな様子だったか覚えているかい?」
“――――”

 思い出せない、と言った風な沈黙ではない。言い澱んだのだ。その理由に対してもアーミラリには見当が付いていた。だがしかし、当人の口から言質を取らぬことには、正確な判断は出来ない。何を語るにも根拠を求め、それによって人に無理を強いるのは学者の悪い癖である。

「早く」

 静かに、けれど強く促せば、彼女は泣きそうに揺れる声で返答を紡いだ。

“あの、怪我を、していて……”
「どんな?」
“全身、そう……火事に遭ったようでしたわ。火傷だらけで……”

 ――予想より大分酷い。親から多少小突かれている程度であろうと高を括っていたら、まさか燃やされていたとは。嫉妬深く暴力的な傾向があるとは前々から懸念していたものの、かくも烈しく己が産んだ物に当たるものか。
 地球を模したガラス球を様々に明滅させつつ、長考。瑠璃色と菫色、時折茜色を交えた煌きは目まぐるしく、ネガティブな考えもそれと同時に乱舞する。見ている分には忙しないが、電話口のレザにもたらされるのは延々と続く沈黙ばかり。息を詰めたような気まずさはそれでも数分続き、いよいよ案内人が思案にのめり出した頃になって、受話口から零れた困惑げな声がそれを断った。

“案内人様、私は一体……どうしたらよいのでしょうか……? クロッキー君は……引き留めようとは、しましたけれど。すぐに走って行ってしまって……”
「嗚呼、すまない。レザ、巻き込まれて大変だと思うけど、君は預けられた絵の保守に努めて。多分クロッキーの親が近くで暴れてるはずだから、下手に外へ出ると君が危ない。もし何かあったら、すぐ名家の方に知らせて。僕はあまり君達に干渉できないから」
“そうしますわ。……あの、案内人様”

 静々と投げかけられる老女の呼び声。何だい、と努めて穏やかに問えば、数瞬の沈黙を挟み、決心したように軽く息を呑む音が聞こえてくる。

“物殺しの方にも、御越しの際は十分御注意を……と。椿通りは、名家の方もいらっしゃいますが……華神楽の、本拠でもありますから……先に、名家の方が見つけて下されば良いのですけれど……”
「確かに伝えておく。でもまあ、一般人に後れを取るようなどん臭い子達じゃないから、安心しておいで。君は自分の身の安全を最優先に考えなさい」
“はい……では、失礼しますわ”
「ん」

 アーミラリの生返事を最後に通話は終わり、受話器を戻した彼が物殺し達の方を見れば、虎目石の双眸と視線が合う。話は全て聞いている、そう言いたげな様に、案内人は小さく点頭した。
 理解しているならば、何度もそれに被せて言いはしない。ゆっくりと立ち上がり、机の傍に立てかけていたステッキを手に取って、アーミラリは物殺し達の前に歩み寄る。見下ろす少女達の表情に、恐怖の色はなし。これから対面するであろう大事に対して、覚悟はもう決めてあるのだろう。
 よろしい。心の中で首肯し、ステッキを掲げかけた案内人は、ドアの方から聞こえてきたけたたましい足音に手を止める。ほとんどの宿泊者が書斎に集う中、この主は最早予測しなくても明らかであろう。
 果たして、勢いよく扉を開けた向こうから現れたのは、朱塗りの柱に金の瓦止めを輝かせた鐘楼の青年。アンバランスに落ち着いた和装に身を包む彼は、見間違う余地もない。ベルである。

「よぉアーミラリ、話は盗み聞きしたぜ」
「胸張って言うことじゃない」
「良いじゃねぇかよ、俺も話に巻き込まれてやろうって言ってんだよ。ただでさえ最近物騒なんだぜ、名家と確実に顔繋ぎできるのがいた方がいいだろ? 俺サマその辺は頼りになるぜぇ」
「むぐ……確かに」

 思わず呻く。
 ベルの言葉に間違いはない。彼の人脈の広さは案内人にも引けを取らないし、そこに行動力を足せば、自由度はアーミラリよりも遥かに上だ。いつ何をするか分からない“廃物”と、いつ動けるようになるか分からない怪我人を抱えている以上、わざわざ面倒事を請け負ってくれるのならば、それを利用しない手はない。
 礼を尽くして頭を下げれば、ベルは何故だか居心地悪そうにへらりと笑ってみせた。

「よせやい、照れるじゃろ」
「土下座もしようか?」
「よせやい!」

 そっぽを向いた拍子に、かぁん、と高らかに鐘の音一つ。随分と動揺したらしい。これも慌てることがあるのかと、調子に乗って片膝を突いたアーミラリの頭の緯度尺を、ベルの両手が引っ掴んで留めた。
 やめんか、と冷めた一声。あまり面白くない冗談だったようだ。上に引っ張ってくる力に逆らわず、素直に腰を上げれば、駄目押しと言わんばかりに引っ叩かれる。

「軽々にドゲザなんか発動すんでねぇべ、案内人の名が廃るじゃろが」
「存在意義を全う出来るならプライドの一つ二つくらい投げ捨ててあげるよ」
「あー……そうな。お前さんそう言う奴だもんな。いい、良い。分かった。俺が馬鹿だったわ」

 それじゃあ、と手を振り、ベルは悠々と部屋を出て行く。やや逡巡を挟んだ後ニトも続き、最後に物殺しが追従しかけて、扉から二歩の距離ではたと足を止めた。
 振り返る。その瞳は何処か痛ましげな色を湛えて、ソファに横たわったまま動かぬ付き人を見据えた。毛布を掛けられ、浅く静かな呼吸を繰り返す様は、今しばらく彼が起きそうにないことを如実に示す。試しにアーミラリの方を見てみれば、分かっていると言わんばかりに頭を横に振られた。
 付き人は頼れない。その事実だけを認識して、アザレアは振り切るように顔を戻す。
 それきり彼女は顧みず、部屋にはただ、扉の閉じられる音だけが転がり落ちた。


 アーミラリの邸宅から続く山道を歩くこと十数分。舗装が石畳からアスファルトに変わり、車数台が停められる広場が現れたかと思えば、アザレアは瞬く間にロープウェイの前に引っ立てられていた。

「えっこっ、此処までの交通手段ってこれなんですか!?」
「そりゃーねー、山の八合目に汽車は来ないよねー。そっちの駅は麓なのよぉ。ほらほら、乗った乗ったぁ。料金はアーミラリ持ちだから気にしないでいいよぉ」
「は……うわひゃあっ!」

 返事は聞かない。半分放り込む形でゴンドラの中にアザレアを押し込み、ニトも続いて、最後にベルが乗り込む。鐘楼の手がドアを閉めて内鍵を掛ければ、図ったように内蔵のスピーカーから始動のアラームが鳴った。
 見える限り、人の姿などは見受けられない。管理小屋らしいものも無いようだが、一体どうやって動いているものか。
 降って湧いた物殺しの問いには答えず、ロープウェイは大した抵抗や音もなく、滑らかに朝の山間を下ってゆく。緩やかに動くゴンドラの窓、その向こうに目をやったアザレアは、直前までの疑問や懸念もそっちのけで嘆息していた。

「わぁ……!」

 目下に広がるは、芽吹きに一面青く染まった山々。幾筋も刻まれた渓谷が山肌に深く翳を落とし、その上を飛び渡る小鷺が、黒々とした渓谷にくっきりと白く抜き上がる。往く鳥の舳先(へさき)が向く方には、なだらかな山麓から続く平地と、そこに築かれた街が霞んだ。
 そして、広がる街の更に奥は――ただ茫洋と、黄金色に煌めく海ばかり。
 はしゃぐ子供のように窓へ貼り付き、半ば呆然とした風に、アザレアは無邪気に広がる景色に食い入る。けれども、その微笑ましき横顔の輝きは、広がる街を改めて見た途端に曇った。

「どしたい、嬢ちゃん」
「……いえ」
「いえ、じゃねぇよコラ。そんな景気悪い顔されちゃあこのベルさん、黙っちゃぁおられん。話してみなよ、俺これでも四桁年生きちゃってる系だからさ? 多分確実に解決法知ってるべ?」

 四桁年、つまりは千年以上生きている。さらりととんでもないことを暴露されたものだし、聞かされたところで見栄としか思えない軽薄さであるが、ベルの声は何処までも力強い。少なくともかなり長生きはしているであろうとは信じられる程度に。
 なればこそアザレアも素直である。窓の外から目を離し、設置された座席の上へ崩折れるように腰を落として、言葉を編む少女の顔は寂しげに笑っていた。

「物殺しの仕事がない時に来たかったなって。そう思っただけです」
「ん……」

 少しだけの沈黙。
 そして、鐘楼より返ってくるのは、

「俺の居た寺では、死者は自在だって教わったことがある。死人にも遺志があって、その遺志のままに何処でも何処までも逝けるんだと。でも、生者の道行はそうじゃない。死んだ後に自在である為に、今は堪えなきゃならないってな」

 過去の教えと、

「俺はそんなこと一度も思ったことない。命は炎で煙だ。自在に燃え伸びていく為にあるのが命だ。そうだろ、誰が来世の為に今生で土に埋められたいと思うもんか」

 現在の考えと、

「だからアザレア、お前は自在でありゃいいのさ」

 未来への導き。

Re: 棺桶には千寿菊を一輪 ( No.53 )
日時: 2019/01/10 20:50
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs

 ――見られている。
 ロープウェイで二十分ほど下り、尾白山の駅に降り立ち、いざ行かんと駅を出で。瀟洒な鉄のアーチを潜って早三歩、ニトの数歩後ろを歩くアザレアが、まず感じ取ったのは人の視線だった。
 イメージ通り満開の椿が咲き誇る中、路地の間や半開きの扉から、アザレアのみを狙って数多降り注ぐ。いずれも害を成そうといったものではなく、ただ観察するだけだ。それでも、じろじろと見られては居心地も良くない。
 すすす、とさりげなく歩調を早めてニトの隣へ。少女に突き刺さる視線に気付いてか否か、何も言わず聞く体制に入った彼女の、鴇色(ときいろ)に塗られた目覚まし時計の頭へ、アザレアは潜めた声を投げかけた。

「これが“名家”って人達ですか?」
「んー? んー、多分これは華神楽の方だねぇ。まあ、ヤクザもんだけど古い組織だしぃ、名家の膝元でこっちに手ぇ出すほど馬鹿じゃないからぁ。そーね、安心していいんじゃなぁい?」
「やくざなんですよね?」
「ヤクザだねぇ」
「……大丈夫なんですよね?」
「だぁいじょうぶ平気平気ぃ。ヤクザっつったってさぁ、やってるのは同じヤクザから拐取(かいしゅ)したりとかー、裏のちょっと色っぽい見世からミカジメ回収したりとかー、まあそう言うのだしぃ。こっちには関係ないよぉ」

 ひらひらと手を振り振り、ニトは至って呑気なもの。しかしながら、あまりにも呑気な口調の言葉はいささか信用しがたく、アザレアは鳶色の視線を彷徨わせて、少し後ろを警護するように歩くベルへと助けを求める。一方のベルはと言えば、道の両側に咲き誇る紅い椿の花を眺めやるばかりで、物殺しと視線を合わせようとはしない。放り投げられたのも生返事であった。

「んー大丈夫だろー」
「ちょっと、ベルさん!」
「大丈夫だっつってんだろー? さっき言った通り、華神楽は古い保守派の裏組織だ。洞臥(ほらぶせ)やら噤(つぐみ)やらみたいな急進派と違って、堅気にゃあんまり関わんねぇ。んで、ニトちゃんは堅気、俺も堅気だしあいつらの知り合い、アザレアちゃんも勿論堅気で俺の友達。……これで襲えって方が無茶あるぜぇアザレアちゃんよ」
「そう言うものですか」
「そう言うもの。この俺サマが保証しちゃるぞ」

 な、と強い語調で念押し、首を傾げると同時、からんころんと鐘の音が二度。一拍遅れて、頭の重さに引き摺られた首から下が大きくたたらを踏む。これは転ぶか、と身構えかけたアザレアは手で制し、鐘楼はすぐに体勢を戻すと、ケラケラとからかうように笑ってみせた。
 いくら鉄の塊で重たいとは言え、流石に自分の頭だ。まさか首を傾げただけで倒れるほど馬鹿ではないし虚弱な首から下でもないし、別に体調が悪いわけでもない。昨日の接吻は高所から飛び降りた拍子に泥濘で足を滑らしただけであって、断じて己の不慣れではないのだ。
 おどけた仕草で頭の位置を戻し、再び鐘の音を二度鳴らす。同時、彼方此方に息を潜める者どもを牽制するように視線を巡らせ、一周。元の位置に戻ってきた、刹那――
 視線の終点にいた男が、血煙を上げ仰け反った。

「――な、」

 ベルの掠れた声を掻き消して、火薬の弾ける咆哮が二度。
 向けていた所と反対の窓から、二人分の短い断末魔が聞こえてくる。咄嗟に振り向けば、胸を押さえた男が、バランスを崩して窓から落ちる所。ゆっくりと重力に引かれていくその様を見届ける間もなく、更に二発。今度も意識の外から響いた銃声に混じり、血の絡む咳と何かの倒れる音が聞こえてくる。
 三秒にも満たぬ短い間に、五人。これほど銃撃に長けた者など、ベルは知らない。知っていたとしても、それは故人の話だ。ならば一体誰が、斯様な惨状を作り上げたのか。
 見つかるはずのない答えを探し、記憶を掘り起こそうと思考回路を巡らせた――ことこの場に於いて、ベルの取った行動の内間違っていたものを挙げろと言われたならば、それはこの一つに限るだろう。

「に、がっ」

 今度は、一度。
 間を置かず、融鉄で満たされたような烈しい熱が、右胸を打擲した。
 遅れてきた激痛と衝撃に全身が統御を失う。直立を保てず、石畳の上へ崩折れるように膝を突いた。呼吸が荒れ、心の臓が跳ね上がって、理性を束ねる意識の糸すらも、脈打つ度に迸る痛みと熱に掻き回されてゆく。
 酷く喉奥が苦しい。何とか取り払えぬかと一度咳き込めば、思った以上に大きな質量を持ったものが喉を通り、濡れた音を立てて石畳を赤く染めた。己が血をぶちまけたのだと気付いたのは、霞む意識を貫くような血生臭さのせいだ。
 ――誰かに、撃たれた。
 最前の疑問も相俟って混線を極めた思考回路、その千々と乱れた線が何とか正常に繋ぎ直され、辛うじて事実に行き着いたベルは、周囲の状況を確認するよりも早く声を上げていた。

「早よ、逃げぇやッ! げほっ……!」

 渾身の力で放った激声が、果たして己の望むものの耳と心に届いたか。石畳から視線を上げられなかったベルが見届けることは、遂に出来なかった。
 慣れたはずの頭の重さが、今ばかりは恨めしい。血は止め処なく溢れ出して喉を塞ぎ、胸に空いた穴から零れ落ちて、力と熱までも一緒に漏れ出して止まらぬ。視界は見る見る内に暗くなり、今やまともに石畳の模様すら見えない。何とか保っている見当識も、直に失われることになるだろう。
 だが。しかし。

「待てや、こんクソ……」

 己の隣を歩き抜けようとした足音を聞き取ることは出来たし、その服の裾を掴んで引き留める力だって、十分に残している。余力と気力と命の分配など、十五世紀近く生きてきたベルには造作もないことだ。
 しかし、そうして引き留めた何かは、彼の予想よりも遥かに冷静で。それ以上に冷酷だった。
 服を掴んでいた指に、熱を持った塊が押し付けられる。これは不味いと直感するよりも早く、銃声。同時に、親指と人差し指の感覚が、焼けた火箸を押し当てられたような熱に弾け飛んだ。

「――ッがァ゛!?」

 遅れて、痛み。容赦無く神経を灼き苛む烈しさに、喉奥から濁った悲鳴が飛び出る。指先は物理的に消し飛んでしまったのか、籠めていた力は意志に反して何処かに霧消し、掴んでいたはずのものがあっさりと指の間をすり抜けた。その隙にと遠ざかる足音と気配が、流血と激痛に暗転しかかった意識を繋ぎ留める。

「こ、んにゃろォオッ!」

 言うことを聞かない足を石畳に噛ませ、残った片手で限界まで上体を起こして、ベルは全力で跳んだ。
 然れども、腕程度で稼げる高度など知れている。地を這うように、鐘楼の屋根や瓦留めを擦りながら、繰り出された体当たりは無様極まりない。しかし、それでも誰かの足を巻き込んで、同じ無様を味わわせることには成功した。どさり、と重いものの倒れ込む音と、頭でもぶつけたか、木箱を叩きつけたような音が路面を叩き、遅れて押し込めたような吐息が転がり落ちる。どうやら、かなり情けない姿で転んだらしい。
 してやったりと心中で笑いつつ、無事な右手と指二本欠けた左手で、触れたものを抱え込む。太さからして男性の脚と予想。胸から溢れる血を擦りつけるように、深く強く捕まえる。

「へ、へへ……げほッ……こっちは、四桁年生きてんだ。簡単にゃ死んでやんねーぞ……」
「そうですか」

 今度こそ捉えた。そう確信し嗤うベルに対し、返されたのはぞっとするほど感情のない嘲笑。
 そして、両の肩への弾丸。

「ぎっ、がァッ」

 破れ鐘のような轟音が周囲の空気を二度叩き、無事だった右腕から血と熱が弾ける。瞬く間に両腕は力を失い、傷口を何か硬いもので踏み抉られたことで、ぎりぎり繋がっていた神経は完全に寸断された。
 力が抜ける。頭から路地に倒れ込み、最早庇うことも叶わぬ。かくも無粋を晒したと言うのに、かの冷然とした声の主は飄々と立ち上がり、己から離れていくようだ。

「無駄でしたね」

 静かな嘲りがベルの頭上から滴り落ちる。言い返すよすがもない。
 ――ない?
 否、そんな訳がない。

「いいや」

 あまりにはっきりとした否定を、鐘楼は投げ返した。
 ベルは何処までも前向きにしか考えない。後ろ向きな考え事は生まれた瞬間から止めた。自在でないことなど、魂が許容しないのだ。
 だからと言って、これを制圧したり排除したりするのは管轄外である。そんな事が出来るほどベルは万能ではないし、出来ているならば住所不定の浮浪者でなどいるはずもない。なれば、出来ることは一つ。渾身の力で上体を引き上げ、重い頭を首の筋肉だけで無理やり引きずり起こし、彼は真っ直ぐに襲撃者を見据えた。
 佇むは、茶色いスーツを身に纏う三十男。悠然と自動拳銃の弾倉を替え、銃床に叩き込むかのものの首から上は、白い文字盤に金の針を燦然と光らす紫檀の柱時計――つまるところベルと同じ、物。その姿は、ここ数年間で散発的に起こっている婦女暴行事件や、人物問わずに起こる薬物の乱用事件の裏に見え隠れする物の特徴と、よく似ている。
 犯人、なのだろう。突き抜けた直感と付随する諸々の感情を裡に隠し、悟られぬ程度に男の容姿を上から下まで睨(ね)め回して、ベルはその記憶を固く意識の底に縛り付けた。
 後は死なずに戻るだけで、此処で死ぬ気などはさらさらなく、そして己は生存力だけならアーミラリの次に負けない。そんな自信を確かに持ち、けれども勘付かれて嬲られぬよう表面は衰弱し果てた物を装って、老獪なる青年は血と共にしゃがれた声を吐く。

「まだじゃァ、このド阿呆……」
「そうですか」

 間を置かぬ胸への一撃。左胸にも穴が空き、辛うじて継げていた息が全て傷口から漏れ出していく。無論言葉も紡ぐための空気もなく、最早口答えすら許されない。
 それでも、彼が追い込まれることはない。活路を切り開くための手段と余力は、この細っこい身の中にまだ隠し持っている。そも、こんな男を前にして、一人の徒手空拳で挑むなど愚か物のやることだ。ベルは己が存在意義の為ならばどれだけでも計算高くなれたし、そしてどれだけでも泥臭く意地汚い行為に手を染められる男だった。
 とは言え、この柱時計を退けるための切り札は、今は近くにない。これから、遠く三キロほど先から呼び寄せなければならないものだ。しかし、それが来るまでのほんの数分程度で死ぬほどか弱い命でもない。

 つまり、負けることのない勝負である。

「へへっ……は、はは、ひひひひっ……」

 自棄を装い溢れさす笑声。言葉もなく哄笑するベルへ、男は何を思うだろうか。
 ぐったりと路上へへたり込んだ青年の喉にゆっくりと銃口が向けられ、同時に――



 遠く遠く、響き渡る鐘の音。
 教会で使われるような朗々たるものではなく、年末に寺で鳴らされる、重々しい除夜の鐘の音色である。朝早くから掻き鳴らされるそのけたたましさは、尾白山の麓から一駅分離れ、更に道を幾本か隔てた大通りの端に立つ、古い洋館の元にも届いた。
 洋館二階の角部屋、主人の傍で紅茶を淹れかけていた物の手が、ふと停止。その首から上、側面と上面に大きな傷を刻んだ金庫の頭が、未だ続く音を探るように辺りを見渡す。しかし視界の内に納得のいく音源はなく、そして三度続けて響いた鐘の音そのものすら、結論を得る前にふっつりと途切れてしまった。
 部屋を静謐が満たす。助けを求めるように、金庫の視線が主人を見つめた。

「ベルの呼び付けだろう」

 堅く張り詰めたバリトンの主は、刃で切り刻んだような険しい顔に厳《いかめ》しい表情を浮かべた、壮年の男。両の手を組み、淡褐色の瞳で遠くを睨みつけながらの言葉に、金庫頭の男も静々と頷く。
 かの軽薄な鐘楼頭の青年は、その手元で解決しがたい厄介事が転がり込む度に、頭の鐘を掻き鳴らして主人を呼び付ける。そんな彼とこの家との付き合いは長く、男が覚えている限りでは二百年にも及ぶ縁だ。そして、かの物が遠くから家のものを呼ぶときと言えば、必ずと言っていいほど事件の先触れか只中にいる時であった。ならば――
 再び漂う静謐を遮り、侍る金庫の男が、心中で組み上げた思考を形へ変える。即ち、着込んだスーツの内ポケットからメモ帳を引き出し、さらさらと文字を連ねて、領主たる男へ渡した。

『此方から動くべきと愚考致します。』
「そう思うかね? カシーレ」
『民に危難の降りかかるとき、これを斥(しりぞ)けることが名家の役目。今がその時ではないことは、御屋形様が最もよく御存知の筈。かの方が無意味に我々を呼び付けるような物でないことは、私がよく存じております。』

 連なる文字に、当主と称された男は小さく一笑。上等なスーツに包まれた膝を一打ちして、腰を沈めていたソファから立ち上がる。
 怜悧な光を帯びた双眸が、男――カシーレを見上げた。

「命令だ、カシーレ。……帰って来い」
『仰せのままに。』

 胸に手を当て、きびきびと一礼。踵を返し、カシーレは部屋を辞する。その背を横目に送り、淹れられた紅茶を含もうと杯を持ち上げかけた男の耳が、こつこつと控えめなノック音を拾い上げた。
 声のみで許可。少しの後、物怖じすることなく扉を開けて入ってきたのは、白と薄桃色のワンピースを身に纏う乳母車の幼女――何を隠そう、プラムである。小さな諸手に黒い受話器を抱えて、彼女は少しく不安げに首を傾げていた。

「おとーさま、レザばーやからおでんわ」
「嗚呼、ありがとう。ちなみに何と?」
「んっとね、“クロッキーくんのおやのけんでおでんわです”って」
「クロッキーの親……」

 何とも不穏な響きである。
 クロッキーの所有者は、病的と言わざるを得ないほど情緒不安定だ。自身の才能は誰かに取られた、そのせいで己の名声は地に落ちたと、そのような被害妄想に囚われて周囲へ当たり散らし、罵詈雑言に留まらず暴力までも他人に振るう。その暴力性は、己の経験と感情の分身であるはずのクロッキーに対してとりわけ強く、向けられる暴虐も輪を掛けて酷い。最早殺意すら抱いているであろう、そう誰もが口を揃えるほどの、激烈な否定と嫉妬がかの物の親にはある。
 度々近隣の住民やクロッキーに対して暴力沙汰を起こし、名家でも動向に神経質にならざるを得ない男。その者が、一体全体今度は何を仕出かしたものか。胸のざわめきと苛立ちを丁寧に隠しながら、男はプラムから受話器を受け取った。

「私だ」

 果たして、返答は。

“嗚呼ッ――御当主様、御助けを……!”

 老女の悲鳴の中に。



 片や。
 凶弾に倒れる間際、ベルの発した目一杯の叫声は、残る二人の婦女子を突き動かしていた。
 椿の花咲く大通りから入り込んだ裏通り、細い小路を幾度も曲がって、突き当たりが見えたと思えば壁を乗り越えその先へ。何処へ向かうかも分からぬ逃避行、その先立はニトで、アザレアは手を引かれて走りながら、複雑な道を必死で頭に叩き込んだ。
 逃げろと言われて逃げ出したものの、物殺しはあの場所にもう一度戻るつもりでいる。彼を見捨ててはいけない。ベルはまだ還ってはならぬ物だと、来る前までは無かった六感が騒ぐのだ。
 段々と薄汚れた雰囲気が目立ち始めた裏通りを走る。辿る道程はいよいよ煩雑さを増し、走り続けて息が切れて来たことも相まって、頭の中で整理するのも限界が近づきつつあった。それでもニトの走る速度が変わらないのは、彼女も必死で周りが見えていないせいか、或いは。

「アザレア、行って。此処から先は一人で」

 ベルが稼いだ時間を、使い切る為だ。

「ニトさん!?」
「ずっと真っ直ぐよアザレア。振り向かないで、この道突っ切って。出れば名家の縄張りに着くから」
「ニトさんはどうするんですか」
「私ぃ? 私はねぇ――」

 無理に普段の口調を繕いながら、そっとアザレアの背を押す。
 稼いでくれた時間はもう少しで尽きる。敢えて華神楽の縄張りの真っ只中を通っては来たが、道中に潜んでいるであろう構成員など、今から対峙する相手がこれを逐一相手にするとはとても思えない。何処か抜け道を使って追いかけて来るはずだ。なれば、稼げる時間などたかが知れている。
 だからこそ、物殺しだけは、此処で。

「お客さんの、おもてなしよ」

 有無を言わせぬ焦りを滲ませ、低く低く転がした声に、アザレアは最早何も言わなかった。高く結び上げた髪を揺らし、双眸に不安と期待を閃かせながらも、ブーツの爪先で石畳を蹴る。一度踏み出してしまえば、後はもう駆け出すだけだ。既に切れた息をまた切らし、硬い靴底で高らかな足音を響かせて、少女の細い背は瞬く間に長い小路の奥へと消えてゆく。
 一息に百メートルほどを走り抜き、速度を緩めて息継ぎ。走り出す前にと振り向きかけて、止める。ニトの禁を破って良いことは恐らくあるまい。
 裏路地の暗がりを顧みることなく、少女は小路を駆け抜け、抜けきった、刹那。

「ニトさんッ!!」

 来し方より、銃声は響きて。
 反射的に振り返り駆け出しかけた腕を、誰かの手が掴んだ。

棺桶には千寿菊を一輪――四十七:金庫 ( No.54 )
日時: 2019/02/14 17:13
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs

四十七:金庫


「誰っ……」

 鳥を射落とさんばかりの剣幕で振り向いたアザレア、その視界に映ったのは、深緑に塗装された古い金庫。前面の扉に青葡萄をモチーフにした象嵌を施し、側壁と上面に大きな傷の刻まれたそれの下、ともすればフリッカーほどもあろう大柄な男の手が、がっしりと少女の細腕を掴んでいた。
 引き留められ、発散場所を失った激情のままに、鳶色の目を細めて睨め上げる。しかし相手は動じない。フリッカーの持つ鈍い槌のような威圧でも、キーンの持つ鋭利な刃に似た殺気でもない、ただ水のような静けさを纏い、黙然(もくぜん)として物殺しを見下ろすばかり。その喉が何かを語り出すわけではなかったが、アザレアは沈黙を貫くその姿に、最前の行動の愚かさを知る。
 振り向くな、真っ直ぐに走れ。そう言って背を押したのは他ならぬニトで、彼女やは己を逃がすために身体を張ったのだ。それを、己は感情に揺さぶられた挙句台無しにしかけた。これを愚と言わず何と言うべきか、アザレアには思いつかない。
 だが同時に、心へ嘘を吐くことも出来ない。ニトが心配なことも、ベルの安否が気になることも、紛れもない事実だ。そこに目を瞑れるほど冷酷でもなければ、切り捨ててしまえるほどひたむきですらない。それがアザレアという物殺しであった。

「誰ですか」

 幾分か冷静さを取り戻し、それ以上のじれったさを心中に渦巻かせながら、アザレアは改めて問う。問われた方は、僅かばかりの間検めるように少女の声へ意識を澄ませたかと思うと、そっと掴んでいた手を離して、スーツの胸ポケットに挿した黒い万年筆を取り出した。
 太めの胴に菫と何かの紋章を蒔絵(まきえ)した、一目で高価と分かる品。その金に輝くペン先が、内ポケットより出でたるメモ紙の上を、すらすらと音もなく走る。
 やがて、ピッと薄い紙を切る軽い音を響かせて、男は束から切り離したメモをアザレアに手渡した。

『カシーレと申します。名家の物である、と言えば、私が敵意害意を持たぬと信じて頂けましょうか。』
「カシーレ……さん。名家のお話は聞いてますけど、でもどうして此処に?」
『ベル様の呼びつけを拝聴し参じた次第でございます。蓋(けだ)し尋常なる事態でなし、裏組織の厄介事に図らずも巻き込まれた可能性を勘案の上、華神楽との緩衝域へ立ち寄りました。事実、そうでしょう。』

 丁寧ながら、やや古めかしい言葉遣いの文言が並ぶ紙。中々に達筆な文字を追い、アザレアはゆっくりと顔を伏せる。頭の中で警戒と打算の声が同時に乱舞し、そしてすぐに、後者が勝った。それでも残る一抹の不安を振り払い、アザレアは背高の金庫を爪先から見上げていく。
 銀糸のステッチが入った黒い革靴、裾の長い常盤(ときわ)色のスーツ、白いシャツに薄緑のベスト。優雅にペンを仕舞う手には白い手袋を着け、首元には淡い水色のフリルタイを結んでいる。先程見せた言葉遣いに違わず、何処か前時代の貴族を思わせる格好だ。今まで見てきた物と比べても豪奢な服装だが、それに着られず着こなせる程度に、彼は老成した静謐さを帯びていた。
 胡乱な物にこの空気は纏えまい。なればかの物は、悪意を隠して近づいた物ではないのだろう。信に足る人物と判断し、アザレアは心の中でのみ小さく頷く。

「誰かに、ベルさんが撃たれたんです。多分、ニトさんも。それに、えーと……華、神楽? その人達も」

 ろくに言葉を選り抜きもせず、ただ焦燥と不安に任せて絞り出した声は、細く小さく。今にも消え入りそうなそれを丁寧に受け取り、カシーレはあれこれ考えるよりもまず先に、少女の背を軽くさすった。毅然とした娘ではあるが、未知の状況に放り出されて不安を感じぬほど場慣れしているようには見えない。まずはその労をねぎらい安心させるのが先決である。
 少女の不安を宥めんとするカシーレ。しかし、静穏な所作と裏腹に、その心中は思案と悪寒に荒れ狂っていた。
 華神楽の中で小競り合いを起こし、それが表で銃撃戦を起こすことは時折ある。組織を抜けようとした構成員を私刑に掛け、そこに偶然居合わせてしまった民間人が巻き込まれた例もあった。そして、それらを抑える名家側の組織――眼隠(めかくし)と揉み合いになることはしょっちゅうのことだ。然れど、少女はそれらのいずれでもない事情を語った。

 無辜の民と、裏組織の構成員。
 そのどちらをも撃つ、何ものか。

 はっと息を呑む。急に硬く張り詰めた空気を感じたか、アザレアが弾かれたようにカシーレを仰いだ。

「カシーレさん?」
『様子を見て参ります。』

 揺れる声には沈黙を。溢れる言葉を素早く文字に書き起こし、それを押し付けるのも早々に、カシーレは今しがた物殺しが走ってきた道を行く。

「え? ぁ、私も行きますっ」

 その大きな背を、アザレアは泡を喰ったように追いかけた。流石に、こんな状況で独り置いていかれて平然としていられるほど度胸者ではない。誰かの傍についていたかったし、それがベルと面識のある物で、しかもキーンの如く頼りげのある男ならば尚更のことだ。第一、地理もよく知らないのにうろちょろできるほど、アザレアは自分の記憶力や空間力を信用してはいない。
 それはカシーレも分かっている。なればこそ、来し方を逆走することも許した。狭い道に人一人の並べるスペースを空け、並んできた彼女をそこに迎え入れて、金庫は大股に先を急ぐ。


 ――そんな二人に。
 少しだけ、誤算があるとすれば。

「……骨折り損って奴ですかね」
『敢えて明言は致しません。』

 ニトというこの物が、およそ凡百の物とは乖離した、物理的な頑丈さを持ち合わせていたことであろうか。
 時折違う道を挟みつつ、概ねは少女の走ってきた道を辿ってきた二人を迎えたのは、道の真ん中で腕を組む仁王立ちの目覚まし時計。その身に致命の傷は一つとしてなく、強いて言えば頭に擦り傷と若干の凹みが増えた程度か。アザレアの心配など何処吹く風、平然として佇み周囲を威嚇する様に、二人は揃って脱力した。

「ニトさーん……」
「アザレアったらぁ、戻ってきちゃったのぉ? もぉ、心配しなくたってよかったのにー」

 呼び声に交えた呆れなど、気付いていないか気にしてもいない素振りである。果たしてどちらを主としてかくも呑気に振る舞うのか、アザレアには分からなかった。
 こめかみを揉み、嘆息。言葉を選び、何とか言葉を絞り出す。

「だって……あんな声で言われたら心配しますってば。それに、私一人で歩いてたら余計に危ないですし」
「むぅうー。でもやーよぉ、フラグを折るのはよくないよぉ。うー腹いせじゃーゆさゆさしてやるぅ」
「わーっ!? わー! ニトさん待って、落ち着いて! カシーレさんの前でゆさゆさしないでください! ごめんなさい、私が悪かったですーっ!」

 腕を胸の下で組み、持ち上げた豊かな二つの果実を上下。浴室での一幕が余程に印象へ残ったものか、ぼっと火の付いたように顔を赤くし、少女は慌ててニトを押さえつける。えー、とか、やだぁ、とか聞こえても聞かぬふり。やや無理やり気味に腕を解かせて、渋々従った目覚まし時計に冷たい視線を向けた。
 己は常に本気で心配していたし、カシーレとてもそれは同じこと。確かに多少の打算計算はあったものの、それが感情と行動の正当性を侵害することはないだろう。というのに、自分が大丈夫だったからという理由で茶化されては、流石に看過しがたい。
 じぃっと、虎目石の双眸を細めてひたすらに見つめる。しばらくは平然としていたニトも、傍らに控えるカシーレからも冷ややかな空気を感じ取ると、流石に少しばかりたじろいだようであった。

「な、何よぅ」
『貴女は華神楽のものでも我々でも民間人でもない、非常に危険なものと対峙していました。それをお忘れなきよう。一歩間違えば貴女とても還されたかもしれないのです。』

 突き返されたメモに並ぶ文字、その丁寧な筆致に得体の知れぬ寒気を感じて、思わず肩を縮こめる。カシーレは名家の物、それもその当主たる男に付く執事であり、同時に眼隠の筆頭ですらあるのだ。そんな物がかくも切々と諫めるということは、自分は知らずの内に、思った以上の危険と真っ向勝負をしてしまったらしい。
 今になって、向けられた銃口の黒さが恐ろしくなる。迷いなく鉄塊を頭に向け、挑発する暇もなく発砲してきた、かの柱時計の男。華神楽ですら何も知らぬ民間人か同業かを誰何《すいか》すると言うのに、それもただ一瞬もせず殺そうとしてきた物。その時は無視していた違和感が、全身を恐怖に凍らせる。
 硬直するニトの肩を、男の手が軽く叩いて、強く引き寄せる。

「ッ!」

 僅かに息を呑む音。それがカシーレの練気であるとニトが気付くより早く、彼は右腕を軽く引きつつ、軸脚を軽くひねる。それによって生み出された、螺旋状の力の流れに沿って、放つは真横への掌底。
 ぱぁんと空気の弾ける高らかな音声が、静寂を撃ち貫いて木霊した。かと思えば、何か重いものが壁に激突する鈍い音が、その方から投げ返される。

「ぁっ……」

 微かな驚きの声と共に、ニトが見た先。常人離れした膂力から放たれた掌底に吹き飛ばされ、したたかに背を打って尚、さも面白げに立っていたのは――
 
「いやぁ驚き驚き。これだけ振り回された状況で悲鳴を上げない娘は初めてですよ。中々胆力のあるお嬢さんですねぇ」
「…………」
「沈黙は刃なり。よぉく心得ていらっしゃる。流石、流石物殺しです」

 クロッカー。
 そして、その腕に首元を抱え込まれ、こめかみに銃口を押し付けられたアザレア。
 少女の手にはいつの間にか一振りのナイフが握られ、押し当てられた拳銃を握る手、その腱に刃先を向けている。毎夜の如く壁の外へ連れ出され、“粗悪品”と命のやり取りを繰り返す内に、自然と身についた動きだった。“粗悪品”に人質を取って何かを要求するような知力は無いが、それでも有り余る膂力に任せて組み付かれはするものである。そんな時の為に、スペクトラが自前の術から教えてくれたものだ。
 鳶色の双眸に揺らぎなく、虎目石の輝きは失われることなし。きゅっと真一文字に引き結んだ口からは、命乞いの言葉はおろか喘ぎの一つも漏れはしない。感情の看破に長けたクロッカーがそれを読み取れぬほどに、アザレアは平静のままだ。
 ごり、と強く銃口を押し付け、音を立てさせる。言外な脅迫に、しかし返ってきたのは沈黙と、腱への更なる刃の接近。よく研がれた刃先が浅く肉へ触れ、鋭い痛みが一瞬クロッカーの手に走る。
 ――仕事の完遂に対して、微塵の躊躇も容赦も見られない。
 いっそ清々しいまでにひたむきで愚直で、それ故に。

「詰めが甘い」

 低く低く、アザレアだけに聞こえるほどの声で囁いて、クロッカーはアザレアの首に回した腕の角度を変えた。
 即ち、動きを拘束することから、物殺しを絞め落とすことへ。僅かな身動ぎだけで頸動脈を綺麗に塞がれ、今まで威圧の為に静けさを保っていたアザレアの喉は、僅かに対応が遅れた。
 遅れてしまった。

「ぁ――」
「アザレアッ、っひぃえ!?」

 急速に意識が遠のき、闇へ落ちる。急に力を失くして得物を取り落とした少女へ、まずニトが走り寄りかけて、足元を撃ち砕く銃撃に腰を抜かした。
 物殺しという不確定な脅威が無力化された今、クロッカーの攻撃速度に敵う物はいない。瞬く間に拳銃から三発の鉛玉が吐き出され、音速で到達したそれはそれぞれ、飛びかかろうとして曲げられていたカシーレの右膝と心臓に深く食い込み、そして既に腰の抜けたニトの左脚を掠って、二人の戦意と移動力をそぎ落とす。
 あっという間に二人を沈め、路地の暗きに消え行かんとするクロッカーの歩みは悠然として。待ちなさいよ、と背後から掛かるニトの叫び声には小さな嘲笑だけを返して、柱時計は少女を引きずっていく。
 その、艶めく紫檀の後頭部に、大質量の何かが思い切り投げつけられた。溜息と共に不承不承振り返れば、何かを投擲したような体勢から手を下ろすニトの姿。血の溢れる足を押さえも庇いもせず、油断なく睨んでくる女を、面倒くさげに見下ろす。

「壊れ物に石投げないでくれます?」
「あんたにだけは言われたくないわよこの馬鹿っ! あんたねぇっ、民間人を拉致ったらどうなるか分かってんでしょぉ?」
「えぇ、とても良く」
「じゃあ何で!」
「それが僕の存在意義だからです。罪を犯し罪を重ね、追い追われるのが僕だから。そこに理屈や理由が要ると思います?」

 自身の頭に当たったもの――地面から剥がれたらしい石の破片を踵で転がしながら、あくまでも柱時計は余裕を保つ。
 何処までも分かり合えぬ男であった。存在意義を満たす為に法を逸脱する物は多々おれど、法を逸脱することそのものが存在意義の物など、聞いたことがない。その引っ掛かりが、ニトから更に言葉を引きずり出す。

「嘘よ。あんた、何かやらかしたいんでしょ? 手段がヤバいってだけでさ」
「さあ。仮にそうだとして、貴方に言わなければならない筋合いや義理はありませんね」
「ふん、だ。どうせもう叶わないよ、きっと」
「…………」

 苛立ち紛れに投げた礫へ返された沈黙は、肯定だったのだろうか。
 その感情を読みかねる内に、柱時計が声を被せてくる。

「叶わないことなんか、百年前から知ってるんですよ」
「あんた――」
「それでも、……いえ。ただの戯言です」

 二の句を接(つ)げず、黙り込んだニト。漂う静けさを嘲り、クロッカーは再び歩き出そうとして、微かな衣摺れの音に立ち止まる。

「おや、まだ動きます? 止めといた方がいいですよ」

 振り向く先には、滂沱(ぼうだ)と血を流す胸を押さえつけ、膝の撃ち砕かれた脚を力無くぶら下げながらも、立ち上がり己を睨むカシーレの姿。やはり名家の当主に長く仕えているだけのことはある。銃弾二発程度では倒れてくれぬようであった。
 なればこそ、容赦はない。前振り一つなく銃口を向け、既に一発食い込んだ胸へ続けざまに弾丸を喰らわせる。しかし、カシーレの方も柱時計の行動は予測していたのだろう。瞬時に身体を低く屈めて銃弾を避け、片脚だけで石畳の地面を踏み抜いて、クロッカーの脚に掴みかかった。
 さりとて柱時計の余裕は揺るがず。くるりと爪先を半回転、黒い外套の裾を翻してタックルをかわせば、満身創痍のカシーレには勢いを殺せない。何とか無事な片脚の踵を石畳に噛ませ、手も突いて転倒することは避けたものの、無理な体勢の転換に噛み殺したような苦鳴が漏れる。

「優雅じゃありませんねぇ全く。名家の物らしくもないじゃありませんか?」
「……っ」

 降り注ぐ嘲笑は、侮蔑と軽蔑の色を隠そうともしない。かくも嘲られては、温厚な執事といえども多少は癇に障る。言葉は綴れぬが、せめても視線で威圧せんと睨んだカシーレは、
 しかし、視線の先にあるべき物を捉えられなかった。

「カシーレ!」

 ニトの悲鳴。
 振り向くよりも早く、首筋に鋭い痛みが一瞬走る。

「……ぁ、っ」

 ――これは、不味い。

 頸動脈から流し込まれる冷たい薬液、それが浸透する感覚に、カシーレは感じたことのない危機感を覚えつつも。
 それが身体を突き動かす衝動へと変わる前に、全身から一気に力が抜けた。

「皆Aばっかり警戒するんですけどねぇ。Bも物に効くんですよ。知ってました?」

 くすくすと楽しそうな笑声が、弛緩し倒れ込んだ金庫の頭に転げ落とされる。名家の物たるものがそれを知らぬはずがない、そう返したくとも、指一本どころか声帯すらもまともに機能しない。どんなに動かそうとしても、全身が瀕死の雛鳥の如く僅かに震えるだけだった。
 ぐったりと側臥(そくが)する男の頭を爪先で小突き、されるがまま揺れるばかりと確かめると、クロッカーは今度こそ踵を返す。一向に目を覚ましそうにない少女を引きずり、悠々と傲然と立ち去ってゆく背を、カシーレ達はただ見ることしか出来なかった。

棺桶には千寿菊を一輪――四十八:拘禁 ( No.55 )
日時: 2019/03/26 17:34
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs

四十八:拘禁


 手足は自由。服と身体に異常無し、さりとて武器も鞘ごと無し。ついでに財布やポーチ類も無ければ、髪の毛を纏めていたヘアゴムや髪留めの類までもない。
 およそ武器に使えそうなものを全て剥奪され、身一つの状態にされたアザレアが目を覚ましたのは、連れ去られてから一時間ほど後のことである。
 一人用のベッドと書き物机、医学書や薬学書ばかりが並ぶ本棚。鍵付きの戸棚に、クロスの掛かったテーブルが一つ。書き物机の上には丸底のフラスコや試験管がケースに入れられた状態で静置され、床の片隅には空の遮光瓶が転がっている。事情が事情でなければファーマシーの部屋かとでも思いたくなるような、薬品臭の漂う部屋だ。
 ゆっくりと部屋を見回す。普段はあまり使っていないのか、綺麗に掃除されてはいるが空気が微かに澱んでいた。板張りの床にも日焼けによる色褪せが目立ち、布団にも何処か古めかしい気配を感じる。転がっている遮光瓶に貼られたラベルの新しさと、机の上に置かれたガラス器具の透明さが、妙にアンバランスなものに思えた。

「何処……?」

 たっぷり数分の時間を掛けて検(あらた)め、ようやくアザレアの口から紡がれたのは一言。最後の記憶からして、己が柱時計の男に連れ去られた先が此処なのであろうとは予想が付くものの、それだけだ。この物置めいた部屋が誰のものかも分からなければ――これも拉致した男の持ち部屋であろうとは思っているが――所在地も不明である。全くもって、これでは誰かが捜しに来てくれることも期待出来ない。
 ――己は、今一人なのだ。
 そう認識した途端、急に焦燥と不安が身体を冷やした。咄嗟に掛けられていたブランケットをぎゅっと握り締め、それでも足りずに膝を抱える。その拍子に落ちかかった髪の毛を払う余裕も、今は持てそうにない。強く強く自分自身を抱きすくめ、渦巻く感情が収まるのを、ただひたすらに待ち続けるばかり。
 そうして、塑像のように硬直した身体。動くに動けなくなった少女を突き動かすのは、彼女自身ではなく。
 何者かが扉を叩く、コツコツと言う小さな音が、物殺しの身を解く。

「誰?」
「巷で噂の誘拐犯ですよ。物殺しさん」

 聞き慣れないが聞いたことのある、やや高めの男声。抑揚の効いた口調で綴られる言葉に、アザレアは弾かれたように腕を解き、ベッドから降りて立ち上がる。悲しいかな、此処で怯えるほど彼女は愛らしい精神性の持ち主ではない。瞳に宿る光に揺らぎなく、得物はなくとも身体は自然と臨戦態勢へ移り、返す声には僅かな動揺も含まずに、静々と床を転がった。

「何の用ですか」
「食餌兼、事情説明とでも言っておきましょうか。今の所貴方に何かする気はありません」
「何かする気なんですね?」
「当たり前でしょう、その為に貴方を此処へ連れてきたんですから。……ただ、今はもっと面白い玩具が手元にありますし? 別に貴方を今どうこうする必要性は感じませんかねぇ。まあ、これから先のことは考え中です」

 いちいち癪に障る言い方だが、虚言の気配は感じられなかった。第一、彼にアザレアを弄ぶ気があるなら、とっくの昔に部屋へ押し入られているはずだ。それをしないと言うことは、つまるところ物殺しに何かする気は、本当に今はないらしい。
 信に足ると判断し、臨戦態勢は解かぬまでも殺気は引っ込めて、分かったと一声。男はそれに何も言わず、さも当然と言わんばかりに扉を押して入ってくる。
 警戒心を剥き出しにして身を固める少女を余所に、クロッカーは寝台の横に置かれたテーブルの上に銀の盆を置き、二脚並んだ椅子の片方にゆっくりと腰を下ろした。まあ座れ、そう言いたげに、革の黒手袋を着けた指が天板を軽く叩く。
 盆の上にはぶつ切りの野菜が入ったスープと、堅く焼き締められたパンが数切れ。パンの入った籠の中には銀紙に包まれたバターが二つ。瀟洒な絵付けのされた陶杯には紅茶が注がれ、白い湯気を音もなく虚空に渦巻かす。簡素だがきちんとした食事だ。しかし、提供しているのは他でもない、かの罪科の権化である。混ぜ物をされていない保障など何処にもなかった。
 立ち尽くしたまま動こうとしないアザレアに、柱時計は小さな笑声を投げた。

「普通の食事ですよ」
「根拠は?」
「貴方が自分で定義して下さい。僕はただ単に作って提供するだけなんで」

 テーブルに頬杖を突きながら吐き捨て、昨日から何も食べていないだろう、と追い討ち。
 言われてみれば、汽車が脱線してからアーミラリの家の布団に潜り込むまで、まともな食事らしい食事など全くしていない。そして、一度意識してしまえば最早それまでだ。今まで静かだった腹の虫が急に騒ぎ出し、緊張感と静寂の漂っていた部屋に、間抜けた音がこだまする。
 真面目な空気など出すべくもない。特にからかうでもなく構えている男の差し向かいに、少女は顔をリンゴのように赤くしながら、おずおずと座った。
 添えられていたスプーンを手に取りかけて、止める。眉根をひくつかせながら目を上げた先には、穴が開かんばかりに見つめてくる柱時計。じっと、一挙一頭足を監視するような粘っこさの視線に、思わず刺々しい言葉が零れた。

「出てってくれません?」
「何で? 見てるだけでしょ」
「ジロジロ見られながら食べたくないんですけど」
「じゃあお断りです。僕は人の嫌がることこそやる物なんで」

 何処までも嫌な奴である。いっそ自分から出て行ってやりやかったが、それをこの男が許すとは思えない。はぁ、と諦念交じりに溜息を零し、取りかけていた匙を再び手に取った。
 スープを一口。少々塩気とハーブの香りが強いものの、異常らしい異常はない。ごく普通の味だ。それでも警戒を解くことは出来ないが、生存本能には抗えない。ややぎこちない手つきで、けれども黙々と皿の中身を減らす少女を、男は何処か興味ありげに眺めていた。
 少しして、奇妙な沈黙の満ちる食事が終わりに差し掛かる頃。無言を貫いていたクロッカーが、不意に小首を傾げる。

「何で物殺しやってるんですかねぇ」

 ぴたり、と。アザレアの手が止まった。嫌悪感すら滲んだ表情が柱時計に向き、いきなり何なんだ、と平坦な声が問う。対する男は、そんな物殺しの言動をむしろ心地良さげに受け止めた。
 意義を問うて動揺したと言うことは、つまり彼女自身吹っ切れているわけではないということだ。物殺しが自身の在り方に疑問を感じるならば、そこにつけ込む余地がある。そして、それを見逃すほどクロッカーは節穴ではない。

「多分、案内人や他の物からは『この世界に物を殺せるものはいない』って聞いてると思うんですよ。でも僕は殺します。華神楽や洞臥の連中も勿論殺し合いますし、一般人だって普通に殺してます。それでも貴方が此処で物殺しをやる意味が、果たしてありますかね」
「…………」
「あ、やらなきゃ帰れないって言い訳は無しですよ当然。案内人を脅して何もしないで帰った物殺し、いますんで。帰りたけりゃ今からだって帰れますよ?」

 愉しそうに紡がれるクロッカーの声に、アザレアは口を引き結ぶことで応えた。しかし、答えに迷っている風ではない。あるが言わないだけだ。そこに秘められているであろう言葉も予想した上で、柱時計はケラケラと耳障りに嗤う。

「言えないほど陳腐なんですかねぇ」
「……“仕事は丁寧に、弔いは丁重に”」

 アザレアの口から放たれたのは、クロッカーの予想から外れた独白。

「“冷淡であれ、冷酷にはなるな”」

 何処か哀れむような瞳が、

「――“お前は命あるものを殺すんだ”」

 男を真っ直ぐに見つめていた。

「私に、この世界の作法を教えてくれたひとの言葉です。私はいつでもこれに従います。友達の無責任な言葉でも、貴方の挑発でもありません」
「おや、論旨を違えちゃ嫌ですよ。貴方自身でお考えにはならないので?」
「論点を外した気はありません。……貴方みたいなのがいるから、私はここにいるんです。ひとの尊厳を守る為に、私は物を還す。それが私です」

 歳若い娘のものとは思えぬ、淀みなく直向きな、冷たい敵対宣言だった。如何な人生を送ればかくも冷静に敵を突き放せるのか、さしもの柱時計もすぐには想像できなかったし、する気もない。
 クロッカーにとって、重要なのは物殺しの回答だ。此処で彼女の存在意義が揺らぐならば放置するつもりであったが、自分と己は違うと堂々言い切った彼女に、そんな生易しいことをする気はない。ぐつぐつと喉の奥で笑声を噛み殺しながら、柱時計は頬杖を解いて立ち上がった。
 そのまま踵を返す。しかしそれを追従する気配はなく、背に視線も感じない。完全に興味の対象から外されたのだ。何か打算があってか否かは分からぬが、実に心得た行動を取る娘である。
 ならば此方も興味を向けさせるまで。一旦少女を放置し、クロッカーはゆったりと部屋を出でて、扉に鍵を掛けた。流石に鍵を掛けられると動揺したのか、扉の奥で微かに気配が揺れたものの、すぐに平静を取り戻す。何処までも普通の少女とは構造を異とした精神であるが、しかし。この程度で揺れるならば、突き壊すのは容易い。
 わざと木の床を鳴らして、クロッカーは廊下を渡った。


 階段を降り、二重扉を開けて、更にもう一枚の扉を開け。コンクリートを打ち放したままの狭い部屋に足を踏み入れ、置かれた椅子にどかりと腰掛ける。
 椅子の肘掛けに頬杖を突き、不遜に足を組んで、ただじっと視線を下ろす先には。

「……また、お前か……」
「おや、まだ正気でしたか。つくづく強情ですねぇ貴方も……さっさと手放した方が楽じゃありません?」

 手錠で四肢を戒められ、力無く床に転がされた、六十路の男。憔悴しきった様子で呻くその身には無数の擦り傷や打撲傷が見え隠れ、着けた白手袋の指先には血が滲んでいる。そして、その首から上でぐったりと投げ出された黒電話の頭には、痛ましきほどの引っ掻き傷とひび割れ多数。
 目を覆わんばかりの悲惨な疵(きず)の数々は、しかしクロッカーの暴虐によるものではない。無我夢中で暴れ回り、のたうち回ったテリー自らが付けてしまったものである。強烈な多幸感の代償として叩きつけられる禁断症状は、僅かに三回の投薬で、百錬練磨の老探偵をかくも追い詰めていた。

「戯言を……元兇を前に、狂っていられる、ものかね……」
「最初は皆同じこと言うんですよ、貴方も変わりませんね。再現性が取りやすくて楽です」

 弱々しい反駁には冷笑を。ゆっくりと近づき、クロッカーはテリーの目の前で黒い箱を取り出すと、取り出した瓶の蓋を開けた。老探偵がそれに慄き暴れることはない。瓶のラベルに書かれた文字を追うほどの気力は最早なく、それ以前にされることはもう分かりきっている。足掻いたところで、かの麻薬の投与は免れ得ないし、下手に動けば傷が一層増え、何にせよ苦しいのは自分だ。ならば大人しくしていた方が、結局は楽であった。投薬と断薬の繰り返しに疲弊した精神は、自発的に逃げ出す算段をも立てられない。
 されるがままに首を晒され、注射針を刺される。ひやりとした薬液が血管に流し込まれ、全身を廻り――

「ぐぁ゛、ぁ゛あぁ……っ」

 火で炙られるような悦楽が、理性と神経を灼いた。
 何度受けても慣れることの出来ない苛烈な刺激。存在意義を満たすよりも尚至高の多幸感。理性を繋ぎ留める気力ごと押し流そうとする感情の奔流を、テリーは胎児の如く縮こまって堪える。それでも抑えられない強引な“幸福”が、緊密に練り上げられた男の精神をやすりのように削り取った。
 気を抜けば上がりそうになる呼吸を意識して鎮める。爪の剥がれかけた手を握りしめ、その痛みに理性を繋ぐ。頭を叩きつけて無理に引き戻したこともあるが、却って自分を追い詰めるだけだと悟って止めた。頭を打ち付ける代わりに、息を吐き出し、吸わずに止める。酸欠にのたうつ身体は柱時計が戒めた。がちゃん、と手錠の鎖を鳴らし、手首足首に擦過傷を増やしながらも止め続けなば、ふつりと糸の切れるように意識は暗転する。
 不意に動かなくなった老探偵を見下ろすクロッカーの様は、ひどく楽しげ。浅く上下する胸に軽く手を当て、くつくつと企む少年のように嗤って、スーツの内ポケットへと手を差し入れた。

「火に放り込んだ薪です。どんなに足掻いたって、貴方は燃え上がるしかない」

 謳うように、憐れむように。毒の混じった呟きを滴らせ、黒い手袋を着けた手が、違う箱を取り出した。
 中より取り出だしたるは、ラベルのない瓶。その中に満ちた無色透明の液体を注射器に吸い上げ、晒した首に針を刺す。そのままプランジャーを押し込み、吸い上げた薬液を全て流し込んで、すぐに針を抜いた。手際良い投与に傷はほぼ無く、僅かに血の珠を浮かべるのみ。それも、指先ほどの絆創膏を貼れば止まる程度だ。
 傷からの出血が収まったことを確認し、手を離す。その手で素早く瓶の蓋を閉め、箱に収めて立ち上がったクロッカーは、足元に零れた苦しげな呻き声に、己の企みの成功を知った。

「ぁ゛、ぁ……っ、何、が……」

 束の間の眠りから叩き起こされ、身を苛む多幸感と身体中から沸き起こる妙な熱さに身をよじる、テリーの姿。呼吸は鎮めることも出来ずに上がりきり、急に上がった熱が内に篭ってひどく居苦しい。然れど疲憊の身は動かす力もなく、横たわったまま細く浅く息を継ぐことしか出来ない。
 そんな彼を見下し、柱時計は嘲笑う。

「僕が『inferinone』しか使わないなんていつ言いました? 普通の興奮剤だって使いますよ。貴方みたいに心得た物の為にね」
「……!」

 ――不覚。
 熱に浮かされたように浮沈を繰り返す意識、その夢と現の間で、テリーは己の認識不足を心底恥じた。否、実際悔悟の声を上げたかもしれない。それも分からぬほど、精神は不安定だった。
 クロッカーは、何も偶然知り得た知識を濫用しているだけの物ではない。薬理知識を持ち、調剤技術を持ち、その為の資材と道具を持っているのだ。いくらヒントが少なかったとは言え、思い至るどころか考えもしなかった己の愚かさに、ただただ意味のない後悔が募る。
 うう、うう、と。喃語じみた低い呻きを漏らす老探偵に、クロッカーは余裕綽々の体で背を見せた。最早此処に用はない。後は、彼が理性を手放してしまうのを待てばいい。時間はいくらでもある。

「精々正気でいて下さいよ。すぐに堕ちちゃ嫌ですからねぇ」
「待て……ッ」
「待ちませんよ、僕にそんな義理ないですし。――じゃ、お達者で」

 分厚い扉を閉めてしまえば、最早どんな言葉も通じない。
 大股に、わざとらしく床を鳴らして立ち去るクロッカー、それと入れ替わりに。

「誰だね、君は……?」

 衰弱しきった老探偵、その前に、一人の童女が立った。

棺桶には千寿菊を一輪――四十九:獅子身中の虫 ( No.56 )
日時: 2019/03/26 18:09
名前: 月白鳥 ◆/Y5KFzQjcs

四十九:獅子身中の虫


 万全ではない。だが動けなくはない。
 ならば動かない選択肢は存在しない。
 それだけの理屈で心配の声を斬り伏せ、引き止める声も全て振り払う。無茶をしている自覚はあるが、だからと言って止める気はさらさらなし。よろめきながらアーミラリの邸宅を辞したキーンは、一人石畳で舗装された道を行く。
 ――アザレアが誘拐され、目隠の筆頭として護衛に当たったカシーレが薬物を打たれ昏倒し、一緒に山を降りたベルは意識不明の重症。ニトも脚に傷を負った。これらの報告がアーミラリの元へ入るまでに要したのは、たったの四時間。三人の血が流れるにはあまりにも短い時間だ。裏を返せば、それだけ行動力があるものが彼女らを襲ったのだろう。そして、かくも迷いなく人や物を蹂躙しうる精神の持ち主を、キーンは一人以外知らない。
 僅かに足を引きずり、未だ痛む右胸の傷を庇い庇い、それでも常人の倍近い速度で石畳を蹴立てる付き人。その視線の先に、何やら見慣れた物を見かけた。

「リブロウ?」

 飴色のベルトで戒められた、金の箔押しがなされた古い本。良い仕立ての白いシャツと黒いベストは相変わらず、首元の赤いリボンタイと藤色の石もまた変わらない。何か違うことがあるとすれば、邂逅した場所が灯前街図書館ではないことと、手に何か振り子のようなものを下げていることだろうか。何にせよ、リブロウにも常ならぬ事態が起きたことは察せられた。
 名を呼びながら、キーンは普段の足取りに慎重さを加えて歩み寄る。対する魔法使いは、垂らした振り子の動きにじっと意識を集中させたまま、軽い首肯で応じるのみ。そこに只ならぬ気配を感じて、付き人の足は三歩ほどの距離を取り立ち止まった。

「昨日ぶり、ケイさん」
「嗚呼」

 挨拶は手短に。二人はまたしても黙り込み、リブロウの指先から垂れた銀鎖、その先に煌めく藤色の石に視線を送る。
 外部からの力によらず、静かに手前から奥への直線的な運動を繰り返す振り子。その動きは、キーンが見ている前で円運動に変わったり、不意に元の動きへ戻ったりと忙しない。そして、振り子が返す動きの一つ一つに、魔法使いは不安と困惑を示していた。
 魔法使いのダウジングは数分続き、やがてリブロウはペンデュラムを小箱に入れる。表情のない頭にそれでも分かりやすい動揺を浮かべ、彼は傍に控えた付き人をちらりと見て、それから何処か諦めがちに俯いた。

「どうした」
「んー、物運びの意術が急に使えなくなっちゃってねー。何をどうやっても復帰出来なかったから、原因を占ってたんだけど」
「此処で途切れたか」
「そういうこと」

 ないと不便なんだけどなー、などと。此方の気も知らず呑気なものである。いちいち答えてやる義理もない。

「愁傷なことだ」

 とは言え無言と言うのも失礼であろう。そんな打算を以て、慰めにもならぬ慰めを乱雑に投げ放てば、リブロウは戸惑いがちに苦笑する。しかしそれには構わない。魔法使いの横を大股に歩き抜けようとして、キーンはハッとした風に足を止めた。
 向き直る。皆まで言うなと言わんばかりに、リブロウは掴みかからんばかりの付き人を手で制止すると、腰鞄にしまい込んでいた木箱を再び取り出した。手袋を着けた手で振り子を握らせつつ、黙り込む包丁の頭を見上げる。
 ダウジングの仕方は簡単だ。振り子を垂らし、手前から奥に向かって動かし、占いたい内容を問いかける。基本はそれだけである。卜占(ぼくせん)を専業とするものの中では細かな流派や技術があるらしいが、果たしてリブロウの使うものは、

「“はい”は円、“いいえ”は直線。雑念が混じると失敗するから、落ち着いて」
「分かっている」

 アーミラリから持たされた範疇にある、ごく基本的なものだった。振り子の動きは“はい”か“いいえ”かの二状態しかなく、それ故に此方が知れる内容にも限りがある。そのことをリブロウの言葉から察して、付き人は最小限の受け答えのみを返すと、早速思いつきを実行へと移した。
 中指に銀の輪を――明らかに内径が小さすぎるはずだが、奇妙なことにきちんと入る――はめ、細い銀の鎖を静かに垂らし、ゆっくりと振り子を始動させる。縦揺れがある程度安定するまで待ち、補佐に付いてくれた魔法使いからのOKサインを確認してから、キーンはやおら心中で問いかけた。

(お前はシスティか?)
 ――“はい”

 したり。
 そっと頷けば、様子を見ていたリブロウが、何やら物言いたげに付き人を見上げた。無視を決め込む。
 何も難しいことではない。物運びの魔法が、その実自分ではなく別の何かで為されるもの――術理を知ってさえいれば容易に導き出せる問いで、決まり切った答えである。即ち、此度の魔法の不調はリブロウ自身に原因があるわけではなく、魔法として動かされているシスティの方に何かが起きたのだ。
 ならば、その何かとは? 知るために、キーンは問いを重ねてゆく。

(誰かと一緒にいるのか?)
 ――“はい”
(俺の知り合いと一緒か?)
 ――“はい”
(居場所は俺が知らないところか?)
 ――“はい”
(知り合いと一緒にそこから出られるか?)
 ――“いいえ”
(知り合いは動けないのか?)
 ――“はい”
(動けない理由はわかるか?)
 ――“いいえ”

「……ふむ?」

 占いの結果、もといシスティの返答を見る限り、どうやら彼女は、より切迫した状況のものを助けるべくリブロウの下を離れたようだ。しかしながら、助けを求めている側は何らかの事情があってその場から動けず、少なくともシスティにその理由は分からない。尤も、分かったところでそれをキーンが知る手立ては無いのだが、知らないことと伝えられないことは別物である。分かるかと問われて分からないと返したのだから、本当に知らないのだろう。そして全ての事情を見通さぬ辺り、魔法と言うにはやけに人間臭いのが気になるが、今それを追究している暇はない。
 ともあれ、概ねの事情は汲めた。ならば最後はと、キーンは用意していた問いから一つを引き出し、投げかける。

(お前だけで此処に来られるか?)
 ――……“はい”

 僅かな逡巡はいかな理由によるものか。汲めぬものは切り捨てて、包丁はシスティの返した是の意に頷き、振り子を止めざまに命令を投げつけた。

(来い)

 簡潔で、有無を言わさぬ威圧を交えた、然れど静穏としたその呼び声は。
 叶えられぬ願いよりも尚強く、女給仕を手元へ引き寄せる。

 ――けれども。それでも。
 システィは、出来る仕事を放りだすほど、慌ただしい魔法ではない。


 からん、と。
 金属と乾いた木の触れ合う涼やかな音が、寝台の上で膝を抱えていた物殺しの耳に届く。音は単発。それ以上同じ音が続くこともなければ、違う音が追いかけてくることもない。気配を探ってみてもそれらしいものはなく、辺りには静寂だけが沈滞している。クロッカーの嫌がらせという訳ではなく、何かの偶然で物が落ちたようだ。
 顔を上げる。音源と思わしき所に首と視線を巡らせる。果たして彼女の眼に映ったのは、見覚えのある一振りの刃物。

「……私の、っ」

 物殺しとして招かれ、すぐにキーンから渡された三本のナイフ、その内の一本。鞘などはなく、抜き身のまま床に投げ置かれたそれに、アザレアは歓喜すら混じった声を上げかけて、すぐに口を押えた。そのまま周囲の気配を探り、どうやら家主が傍にいないらしいことを確かめて、物殺しは速やかにナイフを拾いに走る。
 徒手空拳で敵地に放り出されることほど恐ろしいものはない。付き人の如く武術に優れているならばともかく、多少要領がいいだけの少女にそれを要求するのは酷な話である。なればこそ、ほんの刃渡り五センチほどのペティナイフが、今の物殺しにはどんな霊験あらたかなお守りよりも頼もしい。
 とは言え、鞘もなく保持するためのベルトもないのではすぐに取り上げられてしまうだろう。何とか服のポケットにでも仕舞えないかと思索を巡らせ、アザレアはベッドの敷布団に掛かっていたシーツに目を付けた。マットレスの下敷きになっていた端を三十センチほど引き裂き、細長い紐状にしたそれを刀身に巻きつけ、破れた端は再び巻き込んで証拠隠滅。ナイフ自体はあれこれと考えて、結局一番取り出し易いであろう利き手の袖内に秘めた。
 冷めやらぬ興奮を何とか内に抑え、物殺しがただのか弱い少女を繕うのと。
 閉め切られていた扉の鍵が開かれ、忌まわしき罪科の権化が足を踏み入れたのは、同時。

「…………」
「僕に付いてきて頂けます?」

 視線を合わせず、膝を抱えて見るのは爪先。精神疲労に憔悴しきった様を繕い、言葉もなく身を固めるアザレアへ、クロッカーは何の配慮もなくそう吐き捨てた。寝台の上で丸くなる少女の姿が、己を油断させるための虚構であると。そう信じて疑わない態度である。
 内心苦々しさを隠せぬアザレアを置いて、柱時計は扉の前に厚底のブーツ――少女から取り上げられた装備の一つ――を揃えたかと思うと、質問の暇も与えずにさっさと踵を返した。扉は開け放たれたまま、歩みは躊躇なく遠ざかってゆく。明らかに良からぬものへ誘導されていると勘付きながらも、物殺しにはそれを無視することも出来なければ、逆らうことなど以ての外。苦虫を噛み潰したような渋面を作りながら、少女は重い腰を上げた。
 床に揃えられたブーツを履き、ゆったりとした足音を小走りに追跡。階段を降りたすぐ傍、扉の鍵を開けている男から三歩ほど離れた所に、物殺しは己を置く。その姿をクロッカーは一瞥もしない。得物のない人間の少女など、脅威とも見做されないのだった。

「何を……」
「貴女が二番目か三番目に安否を知りたい方では?」

 零れた独り言を茶化される。それに言いようのない苛立ちを感じている間にも、柱時計の手は二重扉を開け、更にもう一枚のドアも解錠して、中へと足を踏み入れていく。それにアザレアも続きかけて、ハッと息を呑みその場に足を杭打った。
 ――饐(す)えたような、臭い。

「……まさか……っ」
「あはははっ、ははっ、やー良い反応どうもありがとうございます。やっと手放してくれましたよ! ってぇことで、熨斗付けてお返ししますね!」

 息を呑み、蒼白な顔で竦む物殺しの反応に、クロッカーは喜色満面。敢えて人の怒りと怨みを買うような乱雑さで腹を蹴り、肩を押して、罪科の権化が物殺しの前に転がしたのは――
 汗と、埃と、何よりも血と。まだ乾きもせぬそれらに塗れ、見るも弱弱しく横たわる、黒電話頭の男。度重なる苦悶に爪を剥ぎ、理性と知性の鎧を剥がされ、暴れることも叶わぬほどに衰憊(すいはい)しきった老爺の姿を、アザレアは見たことがある。見間違えようも、ない。
 彼は――

「テリーさん……」
「いやあ全く、手間掛けさせられましたよぉ。一晩中打って抜いてそれでも足りずに致死量限界までぶちこんで、やぁっと」

 クロッカーのおどけたような、人を愚弄する響きを籠めた声も聞こえない。ただ皿のように目を見開き、血の気の引いた唇をわななかせ、呼吸する肉塊と成り果てた物の傍に膝をつく。
 両手で縋り付き、大きく肩を揺らす。然れど反応はない。ただそこに転がっているだけだ。

「テリーさん」
「……、……」

 名を呼ぶ。呼べど返らずと分かっていても、呼ばずにはおられない。
 縋るような物殺しの言動と、呻くことすら忘れて横たわる老探偵の無様。己の呼び込んだ予想通りの結末を、柱時計は満足気に見下した。
 今の少女の有様も、楯突こうとした老爺の陥落も、クロッカーには分かりきった答えだ。所詮は火中にくべた薪のようなものである。どれだけ湿気た生木であろうと、火勢を保てばいずれ燃えて炭になる。それが遅いか早いかの違いだけで、己は薪が抵抗し、抵抗を止め、懇願し、それも出来なくなって燃え崩れる様を楽しめば良い。それだけの話なのだ。

 だから。
 故にこそ。

 爆ぜた火の粉を、避けられない。

「……は、?」
「――ッ!」

 テリーの傍へ座り込みざま、袖の内から掌へ移した虎の子。縋り付いて死角を作り、そこでこっそりと刃の布を解いたアザレアは、か弱い少女の空気を偽装したまま、無力と信じて疑わぬ物に武力を振り上げた。
 座り込んだ状態からの急激な飛びかかりによる勢い、意識の空隙を突かれたことによる精神的な防備の薄さ、何よりも少女の手に持てるだけしかない刃の薄さ細さ――それら全てを叩き込まれた技術で練り上げ、腰だめに持った刃に合切の力と早さを込めて、棒杭の如く突っ立ったままの男の鳩尾へ振り上げる。
 それは、物殺しの性質と、それを解して刻まれた付き人の技術、そして欠如を埋める魔法が切り拓いた、千載一遇の好機。
 その機に突き立てられた刃は、

「何、――」

 無防備に晒された男の鳩尾と、その延長に位置した心の臓を、
 狙い過たず、抉り貫いた。

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