複雑・ファジー小説

アスカレッド
日時: 2018/07/16 19:21
名前: トーシ

 ヒーローって、何だ。

  *

 《COLOR》と呼ばれる異能力が存在する社会。
 瀬川飛鳥は、10年前に自分を助けてくれた『ヒーロー』に憧れながら生きてきた。
 高校2年生のある日、飛鳥は席替えで水島青太と隣同士になる。青太は《COLOR》を持たない人間――の、筈だった。

  *

 閲覧ありがとうございます! トーシです。透、とかいう別名義もあります。
 今回、初めて小説を書かせていただきます。異能力アクションものです。
 どうぞよろしくお願いします。

  *

毎週金曜日に更新。

目次
 
プロローグ カラーボーイ
>>1

第1話 アオタブルー
>>2(扉絵付) >>3 >>4 
>>6(挿絵付) >>8 >>9 
>>11 >>12  >>13

第2話 ミクロブラック
>>16(扉絵付) >>17 >>18
>>19 >>20 >>21

  *

その他

クロスオーバー・イラスト(×守護神アクセス)
>>10
参照数1000突破記念イラスト
>>15


  *

お客様

荏原様
日向様(イラストをいただきました!>>14)


  *

記録

4/13 連載開始
5/26 第1話、完結
5/30 参照数1000突破
7/16 参照数2000突破


  *

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ハッシュタグ #アスカレッド

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2−2 ( No.17 )
日時: 2018/06/29 22:29
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6

2−2

 警察署を訪れたことは、その実あまりなかった。小学生のとき、意外とおっちょこちょいな母が財布を落として、それを受け取るのに一緒に訪れたのと、中学生のときに総合学習の一環で見学に訪れたのと、この2回しかない。
 自動ドアを入ってすぐ真正面に1列に並ぶ様々な窓口や、その前で横列をなすベンチを見ると、市役所のような印象すら受ける。青太は――初めて足を踏み入れたのだろうか――きょろきょろと、警察署内をもの珍しそうに眺めていた。やがて『総合窓口』の看板を見つけると、そちらへ行ってしまった。
 残された飛鳥は、ベンチには座らずに壁の方に寄った。街中でよく見る交通安全啓発ポスターや、警察官採用試験の案内が貼られている。その1枚1枚に書かれた文字を目で追っていると、壁の一画に設置された掲示板が目に入った。そして、そこに不審者情報が掲示されているのを見つけた。
 10年前見知らぬ男に誘拐されかけたとき、飛鳥は警察の世話にはならなかった。誘拐未遂のことを通報しなかったからだ。それだけじゃなくて、その時のことを誰かに話さなかった。家族にも友達にも、最も仲のいい姉にさえも、今までに一度たりとも話したことがない。
 飛鳥はふとそんなことに気が付いて、自分のことながら不思議に思った。ただ今更言ったところでどうにもならないだろうし、飛鳥は言わないままでいいとも思った。
 当時の自分もきっと同じように感じたのだろう。だから、理由も自覚できないまますべて秘密にしておいたのだ。それは、宝石のような特別な宝物を、入れ物の一番底にしまうのにも似た感覚だった。

「あれ、飛鳥?」

 聞き慣れた声。はっと振り向くと、警察官のライトブルーの制服を着た白鳥が立っていた。飛鳥はいきなりのことに少し驚いたが、ここは警察署なのだから白鳥がいても何らおかしくはないし、むしろ飛鳥がここにいることの方が不自然だ。

「え、どうしたの? 何かあったの?」

 白鳥は戸惑って、そして心配そうに訊ねる。飛鳥はそれを払拭するように、慌てて「違う違う」と体の前で手を横に振った。

「クラスメイトの付き添いで来ただけだよ」
 
 飛鳥がそう言うと、彼女は「それなら、よかった」と分かり易く胸を撫でおろした。それから、飛鳥のちょうど隣にあった自販機に小銭を入れる。

「警察官もロビーの自販機使うんだね」
「給湯室の自販機が壊れててね。ほんとは、あんまり持ち場から離れちゃいけないんだけど」

 でもコーヒー飲みたいし、と子供っぽく笑って、彼女は取り出し口から黒いスチール缶を取り出した。そうして、飛鳥も何か飲むよね、と訊きながら更に200円を投入する。飛鳥は躊躇いがちに頷いて、姉と色違いの缶コーヒーのボタンを押した。

「コーヒーでいいの?」
「もう子どもじゃないんだし、コーヒーくらい飲めるさ」
「眠れなくなっちゃうかもしれないじゃない」
「1缶くらいなら大丈夫だよ」

 「そう?」と聞き返しながら、白鳥は自販機の近くに設置されたベンチに座る。飛鳥がぼーっと立っていると、彼女はプルタブを起こそうとしていたのを止めて、ぽんぽんと、自分の隣を叩いた。飛鳥は大人しく、そこに収まった。

「最近、ちゃんと寝てる?」
「寝てるよ」
「ほんとに?」
「……多分」
「多分って。ちゃんと寝なきゃだめよ」

 少し笑って、白鳥が缶コーヒーを煽る。同じようにコーヒーを口に含むと、特有の匂いが鼻腔を通り抜けていった。すぐに飲み下したが、舌の上には、僅かに苦みが残った。

「寝てないように、見えるかな」
「うーん、どうかな。他の人から見たらそれほどでもないかも」
「……なら、別に」
「でも私には、元気がなさそうに見えたから」

 人差し指で缶を撫でながら、白鳥が呟く。飛鳥は言葉に詰まって俯いた。自分の手元にある、彩度の高いパッケージが目に痛い。
 やっぱり、姉は自分のことをよく分かっているようだった。
間を繋ぐように、凛々しい横顔を見る。姉さん、と声をかければ、彼女は一拍と置かず弟の顔を見つめ返した。

「《COLOR》抑制器具って――何?」
「《COLOR》抑制器具?」
「うん。ちょっと気になってさ」
「そうねー……まあ、《COLOR》抑制器具っていうのは、その名の通り、《COLOR》が暴走しないように抑える器具のことなんだけど」

 缶の縁を弄りながら、白鳥は話し始めた。
 そもそも《COLOR》とは、「火事場の馬鹿力」と比喩されるように、「人間が本来持っているが、日常生活では行使されない力」のことだ。そして、その力の出力は、普通なら思い通りに操作できるものではない。だから、多くの人々は《COLOR》を持っていても大した力は使えない。
 だが一方で、数は極めて少ないが、白鳥のように自身の《COLOR》の出力の程度や形態までもを自由に操作できる所有者も存在する。

「例えば、戦闘員になると、《COLOR》を高出力で使うことが求められるんだけど、力を出しすぎると自分で制御できなくなっちゃうの。ほら、全力で走ってるときに突然『止まれ』って言われても、足は何歩か前に出ちゃうでしょ? 自分の身体が思い通りに動かない場合があるように、《COLOR》だって、思い通りに使えないときがある」

 高出力からいきなり出力を止めるというのは、出だしから駆け足無しで全力疾走するのと同じくらい難しいことなのだと白鳥は言う。そして、白鳥が持っているような、何らかの物質を具現化する《COLOR》においては、制御不可能になったそれは凶器に等しい。
 周囲を破壊し、害を為しているのに、使用者自身でも力を止められなくなったとき、それを「暴走」と呼ぶ。

「いくらちゃんと訓練してるって言っても、戦闘員の《COLOR》が暴走する確率は高い。だから、戦闘服には元から抑制器具が取り付けられてるし、そういう職業じゃなくても、どうしても必要なときには民間人に支給されることもあるの。まあでも、申請と検査を受けた上で厳しい審査に通らなきゃいけないから、一般の人に支給されることは少ないんだけどね」

 それにしてもよく知ってたわね、と白鳥が言う通り、《COLOR》抑制器具の知名度は低いらしかった。
 たまたま知ってさ、と飛鳥が答えていると、ちょうどその時、受付から青太が戻ってきた。彼は飛鳥の隣に座る白鳥に気付くと、あっと声を漏らした。白鳥も青太の姿を見て、彼があの夜に会った少年だと理解すると、優しく笑いかける。

「こんにちは」
「こんにちはっ……あの、この前はお世話になりました」
「いいのよ、仕事だから。あれから、変なことはなかった?」
「はい。特に何も」
「よかった。再犯も多いから、気を付けてね。それにしても、飛鳥が付き添って来たのって、この子のこと?」

 飛鳥は重く首肯した。白鳥が「だから抑制器具のこと知ってたのね」と納得したように零す。誤魔化すみたいに、飛鳥は缶コーヒーに口をつけた。

「そっか、クラスメイトだったんだ。不思議な偶然もあるものね」
「えーと、瀬川の、お姉さん……? ですか?」
「ああ、自己紹介してなかったね。飛鳥の姉の瀬川白鳥です。ここの警察官で、戦闘員を務めてます」
「鏡高2年の、水島青太です。あ、瀬川とは同じクラスです」
「水島、青太くんね……ぴったりな名前ね」

 白鳥がそう言うと、青太は少し照れたように笑った。飛鳥はむっとして、青太を見上げてもう全部終わったのかと尖った声で訊く。青太はううん、と首を横に振って、そのまま飛鳥の隣に腰を下ろした。

「まだやらないといけないことがあるらしくて、もう少し、時間がかかるみたいだ」
「そうかい」
「それで、ここを出られるのが6時くらいになるかもしれないんだけど……帰りは電車使うから、瀬川の塾には間に合うと思う」
「……帰りも、一緒なのか」

 間髪を入れず、うん、と強い肯定。それは、飛鳥に断らせまいとしているように聞こえた。
 帰りまで一緒にいる心算はなかった。どこか適当なところで帰ろうと思っていた。岬海黒のことは気になるけれど、彼女について青太が口を割ることはないだろうし、それ以外に青太と話したいことはない。

「いいんじゃない? ほら、2人でいた方が安全だし」

 しかし、白鳥にそう言われてしまって、飛鳥は逃げ場がなくなった。聡い姉だから、ここで変に拒絶してしまえば怪しまれるだろう。
 飛鳥がしぶしぶ首を縦に振ると、青太の口角が満足げに上がった。
 間もなく彼は窓口に呼び出され、再び白鳥と2人きりになった。飛鳥は空になった空き缶を両手で包み、ローファーの爪先で、床の継ぎ目をなぞってみた。飛鳥の手と比べてコーヒーの缶は小さく、所在なさげに、手の中にいる。

「飛鳥は、青太くんのこと、嫌い?」
「……好きじゃないだけだよ」
「そう」

 人を嫌うのはダメだとか友達とは仲良くしろだとか、そんなつまらないこと、白鳥は言わなかった。彼女は黙ったまま、ベンチから腰を上げた。

「じゃあ、私も、そろそろ戻るから」
「うん。仕事頑張ってね」
「飛鳥も、塾頑張ってね」
「分かった」

 あ、それと、と何かを差し出される。

「これ、青太くんに」

 そう言って白鳥が渡してきたのは、ペットボトルのスポーツ飲料だった。いつの間に買っていたのだろうか。

「最近蒸し暑いから、ちゃんと休んでね。忙しいと思うけど、頑張りすぎもよくないから。青太くんも、飛鳥も」

 琥珀色の瞳が、柔らかく細められる。白の長髪をさらりと靡かせて、彼女は来た方向へと去って行った。飛鳥は姉の姿を目で追って、彼女の背中が見えなくなると、ペットボトルを空いている左側に置いた。それはひんやりと冷たかった。
 受付の方を見れば、そこに青太の姿はなかった。どこか別室へ移動したのだろうか。彼が言っていた通り、まだまだ時間はかかるようだ。
 どうして、好きでもない奴の帰りなんか待っているのだろう。自分は嫌だと思っているのに、結局彼の言う通りに動いている。人間関係を円滑に進めるなら、自分の行動は最適解だ。けど、自身の気持ちと相反する行動をとっている自分が、自分から剥がれ落ちていくようで、心地が悪かった。
 姉がしていたように、手のひらに収めたまま、缶を人差し指で撫でてみる。体温が移って、生温くなっていた。
 ふと、スマホのバイブ音が聞こえた。一定の間隔を挟みながら、何度も聞こえる。着信が入っているようだ。
 飛鳥は急いで端末を取り出して、画面を確認した。途端に、心臓が嫌な音で鼓動し、視界が暗転するような錯覚に襲われた。
 『岬海黒』。
 そこには、彼女の名前が表示されていた。



「外、出てたのか?」

 屋内に戻ると、青太も同じタイミングでロビーに帰ってきたところだった。電話がかかってきて、と、鞄の中にスマホを仕舞いながら答える。
 そうか、と青太は短く相槌を打って、自分の傘を取って外に出た。飛鳥も傘立てから暗い色をした傘を引き出す。自動ドアを通り抜けてすぐの屋根の下で、青太はくすんだ雲を見上げていた。雨は、まだ降っていた。
 飛鳥は意を決して、青太の背を見た。

「これ、姉さんから」
 
 飛鳥は鮮やかな青のラベルのスポーツ飲料を、半ば押し付けるように青太に渡した。「最近蒸し暑いから、ちゃんと休めって」と、白鳥からの言伝も一緒に。すぐに、1歩下がってしまったけれど。
 青太は驚いたようにぱちりと瞬きをした。でも両手でそれを受け取って、「ありがとう」と顔を綻ばせた。

「――って、白鳥さんに言っといて」
「馴れ馴れしく下の名前で呼ばないでくれるかな」
「だって、『瀬川さん』じゃ分かりづらいだろ」

 朗らかに笑う青太の頭の上で、透明な傘がぱっと咲く。跳ねた水滴が、きらきらと光ったような気がした。帰ろう、と友達みたいに青太が言うものだから、飛鳥の足も自然に彼の方に近づいてしまった。
 けれど、立ち止まった。地面に足を掴まれたようだった。

「瀬川?」
「帰りの、ことなんだけど」

 濁りのない黒の目に、真っ直ぐに捉えられる感覚。

「母さんから連絡があって、今からそっちの方に行かないといけなくなった。だから、一緒には帰られない」

 違う。嘘だ。これは本当じゃない。
 本当は、海黒から連絡があったのだ。今から会えませんか、私ちょうど近くにいるので。彼女はそう言ってきた。だが青太にそんなことを正直に教えてしまえば、確実に止められるだろう。行くな、とその眼差しで突き刺してくるに違いない。

「……本当か?」
「嘘じゃない」

 信じてほしい。
 飛鳥の言葉に、青太はたじろいた。雨の中だ。傘をさしているとはいえ、少し顔を伏せてしまえば、水の線に邪魔されて飛鳥からその表情は見えなくなる。やがて面を上げた青太は、困ったような笑顔を浮かべていた。

「分かった。疑ってごめんな」

 ふと、どうしてそんなにも、2人で帰ることに拘るのだろうかと思った。しかし、その思考に「2人でいた方が安全だ」という白鳥の言葉が重なってくる。
 青太は今でも、飛鳥を守ろうとしているのだろうか。直接的に言ってしまえば飛鳥を傷つけてしまうかもしれないから、偽物の理由を用意して。そこまでして、ただのクラスメイトを庇護しようとしている。
 青太は、じゃあと言って踵を返した。飛鳥は、遠ざかっていく彼を、ただぼうっと眺めていた。
 ――青太くんのこと、嫌い?
 嫌い、なのだろうか。好きじゃないのは確かだけど、彼に抱く全ての気持ちが、ネガティブなものばかりではないのも事実だ。ただ、受け入れられないのだ。
 飛鳥は独りになったところで、やっと、傘をさした。

NEXT>>18

2−3 ( No.18 )
日時: 2018/07/06 15:57
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6

2−3

 飛鳥が呼び出されたのは、静かな音楽がバックグラウンドに流れる、小さなカフェだった。海黒は窓際の2人掛けの席に座っていた。彼女は飛鳥の存在に気付くと、ストローから口を離して、対岸の椅子に座るよう視線で促した。

「何か注文しますか」
「いいよ。コーヒー飲んできたから」

 そうですか、と言って、海黒は差し出したメニューを元のところに立てる。
 ルビーを溶かしたようなアイスティーをストローで混ぜながら、海黒はふっと笑った。

「そんなに緊張しないでくださいよ」
「……僕に、何の用かな」
「この前の上着を返そうと思いまして」

 海黒は傍らから紙袋を取り出し、飛鳥に渡した。中を確認してみれば、あの夜海黒に着せた上着が、きちんと畳まれて入っていた。目線を上げると、海黒と目が合う。橙の中で、黒々とした瞳孔は、夕焼け空に穴が空いているようにも見えた。

「それだけですよ」

 からん、と冷涼な音と共に氷が崩れる。

「僕が、近くにいるって分かったのはどうして?」
「ただの勘です」
「本当に?」
「ごめんなさい。勘っていうのは嘘です。本当は、『コレ』に連絡が入ってきたんです。飛鳥先輩が、警察署の方に向かってるって」

 海黒は1台のスマホを飛鳥に見せた。黒いカバーが付けられているだけのそれは、女子高生が持つにはいささか地味だと思った。
 足のつかない携帯、という奴だと直感した。だから海黒はこのご時世にラインのアカウントではなく、電話番号を教えてきたのだ。ラインは会話のログが残ってしまうが、電話の音声は残らない。
 飛鳥は窓の外に目を向けた。得体のしれない誰かから見張られていたのかと思うと、今更ながら背筋が凍るようだった。海黒は「危害は加えませんよ」と言ったが、彼女の笑顔に、飛鳥は底恐ろしさしか感じなかった。

「……君は一体、何に関わっているんだ」
「それは、今はまだ言えません」

 海黒が嵩(かさ)の減ったアイスティーをかき混ぜると、最後の氷は完全に溶けて、なくなった。だのに海黒はかき混ぜるのを止めない。コースターに落ちる紅玉色の影が、くるくると回り続けている。

「いつかは教えてくれる、ってことかな」
「そうですね。飛鳥先輩がこれからも私とお話してくれるなら、いつかは」
「でも、海黒さんの目的は僕じゃないんだろ」

 ――君の目的は『水島青太』だ。
 飛鳥がそう言うと、海黒はストローを止めた。そして、その黒いストローの先端を、親指と人指し指で潰してしまった。潰しながら、飛鳥をじっと見ていた。

「生憎、僕は水島の為の釣り餌になるつもりはないよ」

 だから、君の都合のいいようには動かない。飛鳥はきっぱりと告げた。しかし、海黒の唇から漏れ聞こえてきたのは、やはり渇いた笑い声だった。

「飛鳥先輩は、随分と『水島青太』さんに拘っているようですけど」

 その言葉で、口内の水分を一瞬で奪われたような気分になった。

「……僕が、水島に?」
「だって、そうでしょう。飛鳥先輩はあの時、私ではなく水島青太さんを信じた。それも、ちっとも疑うことなく。なのに、実際は彼に反発している。飛鳥先輩は水島青太さんに対して、矛盾した感情を抱いている」

 ローテンポのBGMに混在する、ガラス窓を叩く雨音が、消えない。雨音が飛鳥の鼓膜を打ち、思考の奥の扉を叩く。そして、心の見ないようにしていたところに光が当たる。その光は、10年前と、青太に初めて助けられたときに幻視した、あの闇を裂く光ではない。全てを露わにする探照灯だ。
 ――あの時青太のことを信じたのは、漠然と、青太は『ヒーロー』なのだと感じてしまっていたからだ。
 『ヒーロー』が誰かを傷つけるはずがない、痛めつけるわけがない。だから青太が海黒を襲うなんてありえない、だって彼は『ヒーロー』なのだから。
 助けた方と、助けられた方。
 助けた方は『ヒーロー』だろう。であれば、その対となる助けられた方は『ヒーロー』ではないのだ。
 青太に守られている限り、飛鳥は『ヒーロー』にはなれない。彼が差し出してくる庇護と言う名の傘の外に出なければ、『ヒーロー』にはなれないままだ。だから、彼に反発する。
 そして、それは単純な1つの感情だ。

「私には、それが何なのかは分かりません。嫉妬なのかもしれないし、畏怖なのかもしれないし……『劣等感』かもしれない」

 青太への『劣等感』。その言葉が、水が地面に染み込むように、自然に胸に落ちる。

「水島青太さんの《COLOR》はとても強力です。威力自体もそうですし、操作する技術も彼はずば抜けています。天賦の才能なんですよ。羨ましいんですよね? 飛鳥先輩は無色(colorless)だから」

 どうして知っているんだ、と思ったが、訊くのを止めた。海黒も青太や白鳥のように、相手が無色(colorless)かどうか、感じ取れる側の人間なのだ。
 グラスの表面を伝う水滴を、海黒は指先で掬う。それを見ていると、まるで自分の首筋を撫でられたかのように錯覚して、ぞっとした。

「でもね、水島青太さんと、飛鳥先輩では、生きているステージが違うんですよ。だから、彼を意識したって意味がないんです。意味がないのに、飛鳥先輩は彼に拘ってる。水島青太さんの手を借りたくなくて、強がって。でも」

 海黒の黄昏が、伏せられて。次の瞬間に、彼女の視線が、飛鳥に突き立てられた。

「――私たちは《COLOR》所持者で、そして飛鳥先輩は無色(colorless)です。一体、飛鳥先輩に、何ができるって言うんですか」

 飛鳥は、膝の上で拳を強く握った。爪が痛かった。それ以上に惨めだった。

「力がないのなら、大人しく流された方がいいんじゃないですか」
 
 海黒に黙って従って、そして青太に助けられればいい。そして青太を犠牲にして、何事もなかったように、またいつもの生活に戻ればいい。『ヒーロー』としての青太を研磨する、ただの小石のひとつであればいい。
 青太は特別だから、『ヒーロー』の原石だから。皆が彼に注目する。飛鳥自身でさえも思考を彼に占領されている。そして飛鳥に目が向けられることはない。
 だとしたら、どうして、現在の海黒は、こんなにも飛鳥のことをしっかりと見ているのだろう。

「……僕、これから塾だから」

 飛鳥は、海黒の視線を振り払うように、鞄を手に取って立ち上がった。

「逃げるんですか」
「無断欠席したくないだけだよ」
「分かってます。冗談を言っただけですよ」
「……不愉快だな」

 海黒は残ったアイスティーを、グラスに口をつけて飲んだ。

「大人しく、してた方がいいんですよ。無力なんだから」

 消えそうな呟きは、彼女が1人で2人掛けのテーブルに座っているせいだろうか、どことなく寂しげに聞こえた。
 カフェを出て腕時計を確認すると、時刻は18時半をとっくに過ぎていた。19時半までには塾に着いていなければいけないから、余裕はなかった。
 ここからなら、警察署の最寄駅よりも、そこから1つ進んだところの駅の方が近いだろう。飛鳥は、重い足取りのまま駅へ向かった。駅に近づく程人通りが多くなる。いつの間にか帰宅ラッシュの時間帯になっていて、なおさら人が多かった。
 雨は止んでいなかった。視界にグレーのフィルムがかかったように、目の前の景色は暗い色をしていた。
 頭に、鈍い痛みが走る。前へ進みたがらない足を無理やり動かしているのだから、もう足を引きずっているようなものだった。それでも、塾に行かなければならない。せめて、今までできていたことだけは、『できる』ままでいたかった。だから、塾に行って、19時半からの講義を受けなくちゃいけない。
 目線を上げて、進行方向を見る。もうすぐで駅に着く。やはり風景は灰色だった。
 
 ――だからこそ、あか色が映えた。

 あかい髪、あかい目。夕焼けの下で、10年前に見たあか色。そんな色を持つ、車椅子に乗った男が、飛鳥の横を通り過ぎて行った。それがどんな絵の具よりも鮮やかで、残像すら目に焼き付きそうな程輝いていたから、飛鳥は一瞬時が止まったような気さえした。
 はっとして振り返ると、そこにあるのは人ばかりだった。車椅子の人物の姿は見えない。それでも、まだ遠くへは行っていないだろうと、飛鳥は人波をかき分けながら逆行する。そして、すぐに車椅子が目に入った。

「あのっ!」

 飛鳥の声で、車椅子がゆっくりと止まる。しかし、振り向いたのは車椅子に乗った人物ではなく、大きな傘をさしながら、それを押していた方の人物だった。
 その人は、こんな季節に長袖のパーカーを着て、フードを目深に被っていた。そして、布の奥から真っ直ぐに飛鳥を睨みつけた。冷えた色の瞳だった。
 やがて車椅子は道の端を静かに進み始め、雑踏の中に溶けていった。だから、飛鳥はそれ以上何かを言うことはできなかった。

NEXT>>19

2−4 ( No.19 )
日時: 2018/07/08 09:58
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6

2−4

「片付け、代ろうか?」

 青太の声が、背後で聞こえた。だがそれは飛鳥にかけられたのではなく、一緒に3限目の体育の片付けをしていた、別の男子生徒にかけられたものだった。
 ただの日常会話の一部のように、青太がごく自然に代ろうかと言ったので、その男子生徒も遠慮せず、助かると言ってすぐに教室に戻ってしまった。
 しかし飛鳥は、青太の本当の目的は片付けを手伝うことではない、と何となく理解した。

「……今度は何だい」

 大方、また何か話でもあるのだろうと思った。けれど青太は黙ったままだった。飛鳥が得点板を器具庫の奥に仕舞う後ろで、青太は授業で使ったゼッケンを畳んでいた。こちらへの視線は感じないが、彼の気配はある。青太の呼吸音が聞こえている。だが、今までとは違って、その沈黙から彼の感情を読み取ることはできなかった。
 ボールまで仕舞い終わって、後ろを見る。青太も、最後の1枚をカゴに入れたところだった。彼の畳み方は案外大雑把だった。
 体操着が肌に貼りつく。早くこんな蒸し暑いところから出たい。しかし飛鳥は1歩も踏み出せなかった。器具庫に唯一ある出入り口の前に青太がいたからだ。彼はゼッケンのカゴを、壁に設置された棚の上段に収めた。それで片付けは完了した筈だった。それでもなお青太は黙っていた。そして、動こうともせず、その場に立っていた。無音の空間は、教室棟で、昼休憩で賑わう生徒たちの声が流れ込んでくる程だった。

「岬海黒に会ったのか」

 唐突に、青太が言った。

「クラスの女子が話してた。お前が昨日の6時半頃に1年の女子と一緒にいた、って」

 彼は早口で言った。彼の渇いた唇しか動いていなかった。それ以外の動作は一切削ぎ落ちていた。彼の両目がどこを見ていたのか、横顔からは窺い知れなかった。

「岬海黒に、会ったのか」

 そうして、青太の頭が動いた。
 首だけを動かして飛鳥を見つめる目は、薄暗い空間の中でも、けっして黒一色に塗り潰されてはいない。やはり、深海のように青い光を奥に湛えているのが分かる色をしていた。それくらい、彼の本当の瞳の色は鮮やかなのだった。

「会った」

 平らな水面に石を落とした時のように。青太の瞳が確かに揺れた、と思った次の瞬間、身体が前にふらついて、彼の双眸が眼前に現れた。

「どうして」
 
 絞り出すような声も、その言葉に纏わりつく浅い息遣いまで、はっきりと聞こえた。首元が苦しい。どうやら、青太に体操着の襟ぐりを掴まれているらしかった。

「岬海黒にはもう近付くなって言っただろ」

 青太の声に、さっき男子生徒に話しかけたときのような穏やかさはない。冷たさと熱を同時に孕んだ、今までに聞いたことのない声で飛鳥に詰め寄る。どうして会ったんだ、と絞り出す声。
 飛鳥は少し息を吸った。6月の水分と、汗の臭いのする生温い酸素が喉の内側を撫でていく。

「言わない。君には関係ない」

 それを吐き出した途端、黒い前髪の隙間に見える目が、一瞬で激情に染まった。
 ガンッ、と重い金属音と共に、腰に鈍痛が走る。身体を押されて、後ろにあった鉄のボール籠に激突したのだろう。だが青太は距離を広げることなく、至近距離から飛鳥を睨み続ける。

「彼女は危険だって、言っただろ」
「ああ。言ってたね」
「近付くなって言っただろ」
「ああ聞いたよ」
「じゃあ何で会ったんだ」
「僕は君の言うことに従うなんて一度も言ってないだろ」

 そう言えば、より強い力で抑え付けられた。鉄枠が身体に食い込みそうな程、強い力で。
 
「お前、自分が『無色(colorless)』ってこと、分かってるのか」

 ああ、水島までそんなこと言うのか。

「――分かってるよ、そんなことは!」

 叫んで、飛鳥は、自らの首を圧迫する手に掴みかかった。拘束を離そうとしたわけではない。ただ、彼の手首を握り締めて爪を立てるためだった。それが無力な無色(colorless)にできる唯一の足掻きだった。
 自分は無色(colorless)で、海黒や青太のように強力な《COLOR》を持った人間には敵わない。そんなことは、海黒と対峙し、青太に助けられたあの夜に痛感していた筈だった。
 だから本当は、海黒と会ってはいけなかった。海黒を無視することの方が正しかった。それが正しいと、分かっていたのに、会ってしまった。

「なら、彼女と会って、無事ではいられない可能性だって考えられただろ。かすり傷程度の話じゃない、今ここに五体満足で立っていられるかだって分からなかったんだ。五感が正常なままでいられるか分からなかったんだぞ。今日学校に来られるか、昨日家に帰れるかさえ分からなかったんだぞ。今、生きていられるかどうかすら――」

 最悪の事態を想像してしまったのだろうか。青太の最後の言葉は、苦しそうに掻き消えていった。

「分かってるさ。分かっててやったんだ。全部、僕が決めてやったことだ」

 だから君は関係ない、と飛鳥は吐き捨てた。青太の手を掴む力も、一瞬たりとも緩めなかった。それに反して、視界は不安定で、何度も歪んだ。眩暈にも似ていた。ともすれば、薄暗い器具庫の天井を、雨雲だと勘違いしてしまいそうだった。
 加速していくような、解離していくような、崩壊していくような。胸の中心が冷たくなって、ずっとざわめいている。
 人差し指の爪は、ついに青太の肌を突き破った。爪の先に赤い血が滲んだ。しかし、青太が飛鳥から目を逸らすことはなかった。
 
「お前が、『信じてほしい』って言うから」

 手首を、何かが伝っていった。それは汗だったのだろうか、それとも青太の血だったのだろうか。床に落ちてしまった今、もう確認することはできない。

「オレも、信じていいんだって思って、信じたのに」

 瞬間、あんなに頑なだった青太の手が、驚くほどあっさりと解かれた。気道が急激に酸素を取り込んだせいで、少し咽る。
 呼吸を整えて、気が付けば青太の姿は目の前にはなく、教室棟へ戻っていく背中だけが見えた。
 飛鳥は、鉄枠に触れた手で、ボール籠を殴った。強い衝撃と痛みが、指先にまで伝播した。中に入っていたバスケットボールが、幾つかその中で転がった。
 
 教室に戻ると、いつも一緒に昼食を食べている友人が、今日は先に弁当箱を開いていた。飛鳥に気が付くと、遅かったなーと言って唐揚げを口に放り込んだ。仕舞う場所が分からなくて、と適当な言い訳をしながら、飛鳥は昼食を取りに自分の席に向かう。
 隣の席には、潮田が座っていて、他の女子生徒数人と一緒に弁当を食べていた。

「飛鳥くん、遅かったね。体育の片付け?」
「うん」

 もう1つの隣の席――窓際の、青太の席は空っぽだった。だのに青太の声が間近で聞こえたような気がした。はっとして周りを見る。けれど、教室内に青太の姿は見当たらなかった。

「どうしたの?」
「……いや、何でもないよ」
「あ、そういえば……飛鳥くんに、訊きたいことがあるんだけど」

 「訊きたいこと?」と飛鳥が訊ねる前に、潮田は飛鳥の方に身体を寄せて、声を潜めた。
 ――昨日、飛鳥くんが、1年生の女の子と一緒にいたって聞いたんだけど、それって。

「その話、今じゃないとダメかな」

 飛鳥は立ったまま、彼女の台詞を遮った。いつもと同じように、自然に言ったつもりだった。しかし、ふと目を向けた先にいた潮田の表情は引き攣っていた。自分は、存外、きつい言い方をしてしまっていたのかもしれない。潮田の不自然な沈黙は、その友人たちをも黙らせた。そして次第に、それが他のグループにも伝染していく。十数秒後には、温い空気で充満する教室が、昼休憩だというのに静寂に包まれた。

「あ……ごめん」

 情けないほど小さな声で、飛鳥は謝った。すぐに潮田に背を向ける。鞄から弁当を取り出す為、という名目の上で、飛鳥は彼女からの視線から逃れようとした。鞄を開いた時、スマホの通知のライトが光っていることに気が付いた。ポップアップで、ラインに送られてきたメッセージが表示されている。送信者は姉の白鳥だった。
 ――放課後、暇? 夕方から休みが取れたから、一緒に何か食べにいかない?
 簡単なメッセージが飛鳥の目に映る。飛鳥は、一度だけ端末をぎゅっと握って、了承の意を伝える返信を送った。


NEXT>>20

2−5 ( No.20 )
日時: 2018/07/16 19:19
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6

2−5

「あっ、飛鳥! こっちこっち」
 
 腕時計の短針が、午後4時を示している。白鳥がコンビニ近くの駐車場で手を振っている。傍らには、彼女の愛車の、よく磨かれたバイクが従っていた。
 
「姉さん、待った?」
「全然。今来たところ」

 今日の白鳥は、ライトブルーの制服でも戦闘服でもなく、モノトーンの私服姿だ。彼女は無彩色の空を見上げて、雨が降らなくてよかったと笑った。

「飛鳥、甘いものとかは大丈夫よね」
「うん、大丈夫だよ。これからどこに行くの?」
「ちょっといいとこ」

 白鳥が楽しそうにしているので、飛鳥も眉を下げて笑い返した。彼女は飛鳥にヘルメットを渡し、自分もヘルメットを装着してバイクに跨る。飛鳥は、少し行儀は悪いけれど、通学鞄を縦にして背負って、彼女の後ろに乗った。
 白鳥が運転するバイクに乗るのは久々で、レザーの硬いサドルに座ると、自然と心拍数が上がる。やがてエンジンがかかり、同時に下半身から全身に振動が伝わってくる。バイクは駐車場を飛び出して、道路を真っ直ぐに走り始めた。見慣れた景色が急速に流れていく。シールド越しに見えるものだけれど、それは車内から見るのとは違って、映像のようではなかった。身体が風を切っていく感触が、リアルに思わせているのだろうか。
 外界の音はほとんど入ってこない。空気の中を突き抜けていく感覚が、何もかもを後ろに置いて行って、全てを忘れさせてくれるようだった。
 ほどなくして到着したのは、警察署の近くの、とあるビルの1階に作られたパンケーキの店だった。白鳥曰く、1か月前に東京からやってきたばかりらしい。店内はほとんど女性客ばかりだったが、中には空席もあった。2人は4段重ねのパンケーキを注文して、2段づつ分けて食べることにした。
 
「パンケーキって、専門店で食べたことなかったから、食べてみたかったのよね」

 やがて運ばれてきたパンケーキを、白鳥はナイフとフォークで器用に2枚の皿に分けた。そして片方を、はい、と飛鳥に渡す。

「ありがとう」

 パンケーキの分厚い生地は、水彩のような黄土色をしていた。フォークの背で押さえてみるとふんわりと沈む。その一片を口に含んでみれば、瞬間、きつい甘さが口内に広がった。

「甘すぎた?」
「……ちょっと、ね」
「きついなら、残りは私が食べるけど」
「いいよ。食べ切れる」

 実際食べ切れない程の甘さではなかったし、ここで残すのはせっかく誘ってくれた姉に悪い気がして、飛鳥は食事を止めなかった。白鳥見れば、美味しそうにパンケーキを食べていた。

「あ、そういえば、知ってる? 糖分って、本当は疲労回復にはならないんだって」

 そう話す白鳥の口に、黄土色の塊がまた吸い込まれていく。

「砂糖はアドレナリンやドーパミンの分泌を促すから、甘いものを食べると元気になったような気がするけど、実際は身体の疲れはとれないんだって」
「そうだったんだ、知らなかった」
「私も、ついさっき知ったの。でももうちょっと早く知りたかったな」

 飛鳥は、丸い皿の上の物体を見下ろしてみた。気持ちを明るくするだけのものなんて、覚醒剤のアッパーと同じだとふと思った。

「今日は、塾は無いのよね」
「うん」
「じゃあ、久しぶりに一緒に帰れるね」

 久しぶりに、姉さんと一緒に。そう考えると、心が浮遊するようだった。

「そうだね。姉さんは仕事で忙しいし」
「飛鳥は、学校と塾で忙しいから」
「姉さんと一緒に帰れるなんて、嬉しいな」
「私も」

 パンケーキをフォークで刺して、食べる。それは甘いばかりで、美味しいとは感じない。しかし心は、少し柔くなっているような気がした。勿論、パンケーキ程ではないけれど。

「そういえば、最近、学校はどう?」
「……あんまり、上手くはいってないかな」
「テストの点が悪かったとか?」
「勉強のことじゃ、ないんだ」

 飛鳥は視線を落としたまま答えた。フォークの切っ先が、天井の灯りに照らされ、ぎらりと光る。彼はフォークを皿の上に置いた。その時にお互いが擦れて、甲高くて不快な音が鳴った。

「……昨日、警察署でさ。姉さんが、僕に、水島のことが嫌いかって訊いてきたのは――僕が、水島のこと、嫌ってるように見えたから?」

 飛鳥の言葉を聞くと、白鳥は一度だけ瞬きをした。そしてそのまま、静かにナイフとフォークを置いた。

「……青太くんにかける言葉に、どことなく、棘があるような気がしたから。クラスメイトの子にあんな言い方するのは、飛鳥にしては珍しいなって、思ったの」

 やっぱり、外面を保ち続けることまで困難になっているようだ。青太が相手だと、自分の内心が過剰に表れてしまうのは自覚していたけど、今日の潮田との一件で、青太以外に対してまで『瀬川飛鳥の外面』を貼り付けられなくなっている。
 飛鳥は自身の空の両手を、無意識に机の下で組んだ。

「でも、飛鳥が本当に青太くんのことを嫌ってるって思ってたら、あんなことは言わなかったよ」
「……どういうこと?」
「言葉に険がある割には、飛鳥は、青太くんの目を見て話してた。だから、ただ単純に嫌いってわけじゃないんだろうなって思った」
「僕が、水島を……」

 気が付けば、昨日海黒と話した時と似たような台詞を反復していた。「水島青太に拘っている」と海黒に言われて、劣等感を抱いていると暴かれて、その時思わず言ってしまった台詞だ。
 けれど白鳥が言いたいのは、嫌悪とも劣等感とも違う感情のような気がした。

「だからね、気になってちょっと意地悪なこと言っちゃった」

 ごめんね、と白鳥が言うから、飛鳥もいいよと言う風に首を横に振った。
 白鳥は手放していたフォークとナイフを手に取って、再びパンケーキを口に運び始める。飛鳥も両手を解いて、残り少なくなった甘さの塊を片付けることにした。
 
「姉さん、あのさ」

 最後の一塊を嚥下して、飛鳥は相対する白鳥の目を見た。

「僕、戦闘員になりたいんだ」

 白鳥の目線が落ちてしまう前に、飛鳥は言葉を続ける。

「姉さんと同じ、戦闘員になりたいんだ」

 姉と同じようになるなんて無理だと、飛鳥は分かっていた。《COLOR》犯罪専門の戦闘員になるには、自らも《COLOR》を所持していることが最低条件で、その中でも優秀な《COLOR》所持者――例えば、水島青太みたいな人間でないとなれないのは、ずっと前から知っていた。
 けどここで、たとえ白鳥に「無理だ」と言われても、自分は決して諦められないだろうと思った。いつの間にか、自分が無色(colorless)であることに、こんなに拘泥していた。無色(colorless)であるならば、他のことを頑張って、無い分を埋め合わせればいいと思っていた。それで自分の心に整理がつくと思っていた。しかし現実はそうはならなくて、自らの甘さがずきずきと痛むのだった。やっぱり無色(colorless)であることを認められない。無様で、馬鹿みたいだ。

「……戦闘員は、危険な仕事よ」

 白鳥は思っていた通り、居心地悪そうに目を伏せた。彼女はこの話題を避けたがる。

「知ってる。でも姉さんは、それを職業にしてるじゃないか」
「確かにそうだけど」

 皿の上で銀色のナイフがぎらぎらと、その刃を光らせている。
 どうすれば自分はまともになれるだろうか。どうすれば醜態を晒さずにいられるだろうか。払拭すればいいのか、乗り越えればいいのか。

「……どうして、僕にも、人を救えるって言ってくれないのさ。水島と僕は、そんなにも違うの」
「ちょっと、待ってよ。なんでそこで青太くんが出てくるの」
「だって、姉さんが、水島にだけは『誰かを守れて、救える』って、言った……か、ら」

 いや、違う。白鳥がこれを言ったのは、あの夜青太と2人きりになった時だ。それで飛鳥は隠れていたから、白鳥は、あの場に飛鳥がいたことを知らない。だのに飛鳥が2人の会話を知っているなんて、白鳥からしてみれなおかしなことで。
 しまった、と思ったときには、姉の目の色が変わっていた。懐疑の色を含んだそれは、刹那、罪を見抜く警察官の目になる。

「飛鳥。あの夜、あの廃工場にいたの」
「それ、は」
「イエスかノーで答えなさい。いなかったのなら『いなかった』って言えばいい筈よ」

 そうだ、無駄な言い訳なんて逆効果だ。正直にイエスと、嘘を吐いてでもノーと、とにかくそのどちらかで答えなければいけない。なのに何も言えない。声が、出ない。呼吸もしているし、喉も震えているのに、音になって出ていかない。
 膝に乗せた掌に嫌な汗が滲んで、スラックスの上で滑る。喘ぐように開いた口から吐息しか漏れない飛鳥を、白鳥はじっと見つめてる。
 その琥珀色の拘束から逃れたくて、彼は窓の方に視線を逸らした。
 そして、視界の中心に『岬海黒』の姿を捉えてしまった。
 見間違いではなかった。彼女は制服姿のまま、向こう側の歩道を走っていた。どうしてここにいるのか、どうして走っているのか。彼女の進行方向とは逆の方に目線を移動させれば、2人の人間が彼女を追いかけていた。
 
「行かないと」

 あんなに言葉に困っていたのに、その呟きは簡単に音声になった。飛鳥が派手な音を立てて立ち上がったので、白鳥は瞠目して、微かに弟の名を呼んだ。

「姉さん、ごめん。僕、行かないと」
「待って飛鳥!」

 白鳥の隣を通り抜けて店から出ていこうとする飛鳥の腕を、彼女は素早く掴んだ。

「……離してよ」
「いやよ。突然どうしたの」

 細い指に血管を圧迫されながら、飛鳥は白鳥の顔を見る。

「僕が行かないと……『彼女』が、傷つくかもしれないんだ」
「え……?」

 だから離して、と飛鳥は姉の手を無理やりに振り払おうとした。しかし反して、白鳥の力は強くなった。そして、「私も行く」とただ端的にそう言った。

NEXT>>21

2−6 ( No.21 )
日時: 2018/07/16 19:20
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6

2−6

 海黒が逃げて行ったのは西の方角だった。飛鳥は店から出た途端白鳥のバイクに乗せられて、そのまま西へ走った。
 走り出して間もなく、幸運にも海黒の背中を見つけた。彼女は左手に曲がって、狭い路地へ入っていった。バイクはその1つ向こうの、幅の広い道を同じく左に曲がる。
 小さな店が立ち並ぶ中、やがて、ガードレールと鬱蒼と茂る木々が見えてくる。そこは公園だった。小柄な遊具と狭い砂場があるだけの、小さな公園だ。外周を囲うように広葉樹が植えられていて、ポールが立つ入り口に近づいて初めて、内部の様子が分かった。
 海黒は、ブランコの柵に手をついて、肩を大きく上下させていた。飛鳥が白鳥の背中を叩くと、2人が乗るバイクは公園近くの駐車場で停まる。
 飛鳥は急いで座席から降りて、公園の中に入った。海黒さん、と声をかければ、海黒ははっと身体を強ばらせて、飛鳥を見た。その目は、橙の光彩が円形なのが分かる程、大きく見開かれている。

「……どうして、こんなところに」

 彼女が震える声で呟くのと同時に、白鳥も公園に入ってきた。

「その子が、飛鳥が追いかけてた子なのね」

 白鳥の言葉に、飛鳥は黙って首肯する。彼女は飛鳥のすぐ隣に立って、小さな声で飛鳥に囁きかけた。

「……あっちの方、男2人組が外から、その子を見てる」

 白鳥が西側に並ぶ木々を目線で示す。飛鳥もそれに倣って、男らと目が合って気付かれないよう下の方を見つつ、そちらを確認する。すると、姉の言う通り木々の隙間から2人分の足が視認できた。
 
「その子は、あの男たちのことは知ってるの」
「多分、知ってる」

 『あの夜』、海黒と自分たちを襲撃してきた3人組の仲間だろうか。詳細は分からない、けれど海黒が彼らから逃げているというのは、2人組が遠巻きに海黒を監視していることから明らかだった。
 飛鳥が一歩だけ海黒に寄ると、彼女は一歩退いた。その動きがどことなくぎこちない。見れば、膝にガーゼが貼られていた。『あの夜』海黒は膝から血を流していたから、おそらくその傷が完治していないだけなのだろうが、足首の辺りに見える鬱血痕には見覚えがなかった。

「海黒さんが走ってるのが、たまたま目に入ってさ」
「それで追いかけてきたんですか」
「心配になったから」

 追われてるよね、と飛鳥が声を抑えて問い詰めれば、海黒は不快そうに眉を顰めた。
 
「ええそうですよ。それで? わざわざそんなことを言うために、来たんですか」
 
 海黒は即座に、強く切り返してくる。乱れて、頬にかかった横髪を雑に払って、飛鳥の隣に立つ白鳥に鋭い視線を向けた。

「……その人は」
「私は瀬川白鳥です。飛鳥の姉で――府警の警察官です」

 海黒は、警察、と小さく反芻した。白鳥は、白い長髪をふわりと耳にかけて、目の前の少女に尋ねる。
 
「君は……岬、海黒ちゃん、かな」
「……どうして、私の名前を」
「たまたま、そんな名前な気がしたから」

 嘘だ、と飛鳥は思った。姉は、飛鳥が落としたメモに書かれていた『岬海黒』の名前を覚えていたのだ。彼女の聡明な脳による必然だ。もしくは、強運による本当の偶然だったのだろうか。
 海黒は少し俯いて、今度は白鳥から逃れんとするように、再び後退する。しかし白鳥は、海黒には近付かず、今立っている場所から彼女に優しく笑いかけた。

「怪我してるね。その足だと、立ってるのはしんどいでしょう。どこかに座る?」
 
 海黒は首を横に振った。白鳥は「そう」と目を細める。
 すうと、息を吸う音がした。

「――あの男たちと、面識はある?」

 静謐な声で白鳥は問う。海黒が鈍い動作で否定すると、彼女は少し考えて、再び問いかける。

「追われてる原因に、心当たりはある?」
「……ありません」

 海黒は俯いたまま答えた。喉から絞り出したような、か細い答えだった。
 その時、バイブレーションの音が聞こえた。音源は白鳥が持つ鞄の中だった。白鳥は急いでスマホを――彼女がプライベートで使っている白い手帳型のものではなく、銀色のカバーが装着された、仕事用の端末を取り出す。
 その時にはもう、白鳥は優しい笑顔から、眉根を寄せた厳しい表情に変わっていた。後ろを向き、飛鳥と海黒から数歩離れて、端末を耳に当てる。凛とした声の短い応答が、徐々に緊張を孕んでいくのが分かる。
 やがて通話を切った白鳥は、スマホを強く握って、飛鳥達の方に振り返った。

「姉さんどうしたの」
「緊急の応援要請が入ったわ。だから、もう行かなきゃ」

 白鳥は、一度目を横に滑らせて、また海黒を見た。 

「岬海黒ちゃん。君は、家はこの近く?」
「……はい」
「それじゃあ、飛鳥、海黒ちゃんを家まで送ってあげて」

 飛鳥は小さな間を置いて、うんと頷いた。男2人組はもういなかった。
 
「本当に、何か困ってることがあったら、警察に相談してね。すぐに動いてくれないこともあるけど、それでも、何も言わないよりはずっといいから」

 それから彼女は、飛鳥を見上げた。飛鳥のとは違う、色素が透明感のあるまま凝縮された琥珀と目が合う。

「飛鳥も――彼女を、家に送るだけよ。それ以外のことは、絶対にしないで。それ以上踏み込んだことはしないで」

 約束よ、と白鳥は小指は出さなかったが、飛鳥の手をぎゅっと両手で包み込んで、去って行った。飛鳥は姉の背中を見送れなかった。姉の体温が離れた手が、どうしようもなく小さく見えた。
 唐突に、砂利が擦れる音が聞こえた。

「海黒さん……」
「1人で帰れます」
「でも」
「1人で帰れるって、言ってるじゃないですか」
「……海黒さん、自分では気付いてないかもしれないけど、顔色、すごく悪いよ」

 飛鳥の言葉に、海黒ははっと、自分の頬を触った。そのまま、彼女の手の平はまるで頬に爪を立てるような形で硬直し、ゆっくりと下がっていく。悔しそうに唇を噛んで、飛鳥を見上げた。その眼には、カフェで飛鳥を見透かしたときの、軽視と蔑みの色はなかった。ただただ、今にも泣きだしそうな程に歪んで見えた。

「私は、独りで帰れます。独りだって……」

 悲痛な言葉が砂利の上に落ちていく。海黒はしばらくして、またふらりと歩き出した。でも、そんな足で帰れるわけがない。飛鳥は、彼女の名を呼んで、そちらにつま先を向けた。

「ついてこないで!」
 
 小さな背中が、震える肩が、か弱い腕が、強く握られた拳が。彼女の背後から見える全てが、飛鳥を拒絶している。俄かに走り出した彼女の姿は、彼女自身が小柄な為だろうか、すぐに見えなくなってしまった。まだ明るいのに、まるで、闇の中に溶けていくみたいだった。
 公園に取り残された飛鳥は、はあと湿った息を吐いた。空気が停滞している。こんなところに突っ立って、自分は何をしているのだろう。
 とりあえず、駅に向かおうと思った。この辺りの地理はよく知らないが、大通りに戻って歩いていれば、警察署の最寄り駅か、その1つ向こうの駅のどちらかには辿り着くだろう。
 ふと空を見れば、珍しく雲が薄くなっていて、雨は降りそうになかった。けれど、紗のような雲越しの太陽の、その白い光が目に刺さった。
 公園から10分程歩いた辺りで、昨日使った駅の近くに出た。時間帯が早いこともあってか、昨日より人通りは少なかった。
 そうして、昨日と同じものが目に入った。
 あかい髪、あかい目。そんな色彩の青年を乗せた車椅子と、フードを目深に被った人物。写真のように、もしくは絵画のように、彼らが視界に入って来た途端、世界が止まって見えた。灰色の背景の中心できらきらと、『あか色』が絶え間なく輝いているのだ。

「あの、すいません」

 飛鳥は彼らに近づいて声をかけた。今度は間近に寄っていたから、彼らを見失うことはなかった。
 そうすると、車椅子を押す人物が、自分と同じ年頃の少年であることが分かった。背丈は自分より少し低い程度。濃い灰色をした目は剣呑な光を孕んで、唇は一文字にきつく結ばれていた。頬には大きなガーゼが貼られていて、痛々しい。けれどその顔立ち自体は、子どもらしいあどけなさを残したものだった。

「誰だ、アンタ」

 低くもなければ高くもない、濁りのない声が少年から発せられる。

「鏡高2年の瀬川と言います。車椅子に乗ってる方に……用が、あるんです」
「用……?」

 少年は、車椅子の青年をちらりと見た。そして、青年が彼を見上げてゆっくりと頷くと、少年は器用に車椅子を動かして、飛鳥と青年が対面できるようにした。
 その『あか色』と対峙すると、改めて圧倒されるのだった。単色のように見えて、暗いところは深みのある色になっているし、明るいところは彩度が増して煌めいている。それが、髪の毛の色も目の色も作り物ではなく、生来の色であるという何よりの証拠だった。

「瀬川くん、だっけ。一体、何の用かな」

 低音の、大人の男性の声。彼は細いフレームの眼鏡をかけていた。レンズ越しに見える双眸は、ショーウインドウ越しに眺める宝石のようだ。

「10年前の夏の日、あなたに助けてもらったんです」

 ただ1つの色に染め上げられた夕暮れの空、ヒグラシの鳴き声。ワゴン車のシートのざらつき、首に纏わりついた紐の圧迫感。男の冷たい体温と、『ヒーロー』の温かい手。
 脳裏に、あか色の輝きと共に流れ込んできた感覚が、涙が頬を伝っていく感触まで思い起こさせるようだった。
 飛鳥は息が上がりそうになるのを抑えて、言葉を続ける。
 
「それで、あなたにお礼を言いたくて。あの時は、本当に――」

 覚えてないな、と。
 冷たい音が、飛鳥の声を塞いだ。

「生憎、そんなことをした記憶はないんだ。きっと人違いだよ」

 声音の割に、青年の表情は非常に優しいものだった。涙を拭ってくれた『ヒーロー』と全く同じ顔をしているのに、かけてくる言葉はまったく解離している。

「でも、確かに」
「10年前、って言ったね。それ程昔の記憶は、自分の都合のいいように脚色され尽くしてしまっているものだ。君が間違いないと思っていても、実際は間違っている可能性の方が高い。だから簡単に『確かに』なんて言わない方が賢明だよ」

 飛鳥はそれ以上、台詞を続けられなかった。しかし、青年の『あか色』は、ヒーローの『あか色』と全く同じなのだ。見間違える筈がない。だって、ずっと思い続けてきたのだから。
 だのに、『ヒーロー』と思われる青年は、平然と否定したのだった。

「行こう、ハイジ」

 青年がそう言えば、「ハイジ」と呼ばれた少年は、素直に、そして厳かに「はい」と答えた。それから、飛鳥に一言も残さず、冷えた視線を飛鳥に突き刺して、車椅子を押し始めた。

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