複雑・ファジー小説

アスカレッド
日時: 2019/01/15 22:33
名前: トーシ

 ヒーローって、何だ。

  *

 《COLOR》と呼ばれる異能力が存在する社会。
 瀬川飛鳥は、10年前に自分を助けてくれた『ヒーロー』に憧れながら生きてきた。
 高校2年生のある日、飛鳥は席替えで水島青太と隣同士になる。青太は《COLOR》を持たない人間――の、筈だった。

  *

 閲覧ありがとうございます! トーシです。透、とかいう別名義もあります。
 今回、初めて小説を書かせていただきます。異能力アクションものです。
 どうぞよろしくお願いします。

  *

毎週金曜日に更新。

目次
(☆挿絵付き ★扉絵付き)
 
プロローグ カラーボーイ
>>1

第1話 アオタブルー
>>2 >>3 >>4 ☆>>6 
>>8 >>9 >>11 >>12  ☆>>13
(一気読み >>2-13)

第2話 ミクロブラック
>>16 >>17 ☆>>18
>>19 >>20 >>21 >>22
>>23 >>24 >>25 >>26
>>27 >>28
(一気読み >>16-28)

第3話 ハイジグレー
>>31 >>32 >>33 >>34
>>35 >>36 >>37 >>38
>>39

第4話 シトリホワイト
第5話 ********
エピローグ アスカレッド

  *

その他

クロスオーバー・イラスト(×守護神アクセス)
>>10
PV(『闇の系譜』の作者さんの銀竹さんが作ってくださいました!)
>>34
閲覧数1000突破記念イラスト
>>15
閲覧数3000突破記念イラスト
>>30


  *

お客様

荏原様
日向様(イラストをいただきました!>>14)
立花様

スペシャルサンクス

藤稲穂様
水様
四季様

  *

記録

4/13 連載開始
5/30 閲覧数1000突破
7/16 閲覧数2000突破
8/28 閲覧数3000突破
9/23 閲覧数4000突破
11/11 閲覧数5000突破

  *

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ハッシュタグ #アスカレッド

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3−5 ( No.35 )
日時: 2018/10/28 01:42
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6

3−5

 背後から足音が聞こえる。後ろをちらりと見れば、リュックサックにぶら下がったマスコットキーホルダーを揺らしながら、飛鳥とほとんど同じ速さで青太が歩いていた。

「……なんでついてくるんだよ」
「だってオレも電車で帰るし」

 学校の最寄駅への道は今まさに歩いているこの道だけなので、飛鳥は何も言えなくなる。
 久々の晴れ間を見せた空は薄い水色が広がっている。だが相変わらず蒸し暑く、飛鳥は襟元を掴んでぱたぱたと仰いだ。

「もしかして、オレが瀬川と一緒に帰りたがってるって思ったのか?」
「うるさい」

 拗ねた声で返せば青太が笑う声が聞こえて、飛鳥は歩調を速くする。タンタンと革靴の足音に重なって、柔らかいスニーカーの足音も速くなる。

「やっぱりついてきてるじゃないか」
「いいじゃん、一緒に帰ろうぜ」
「やだよ、そんなの。水島、寄り道とかしそうだし」
「しないって」
「本当に?」
「……滅多には」
「たまにするんだろ」
「たまにするくらいならいいだろ」

 ぱたぱたと足音がより速くなる。自分の真横に青太の横顔が見えかけて、飛鳥も更にスピードを上げた。

「せーがーわ」
「うるさい」
「瀬川っ」
「一緒に帰るなんて言ってないからな」

 ぱっと、前を見れば青太が自分の前に立ちふさがっていて、飛鳥は仕方なく足を止めた。
 また何か用があるのだろうか。昨日青太に何も相談せず紅野の家に行ったことについて咎められるのだろうか。
 確かに、紅野の家に単身赴いてしまったことは軽率で危険な行為だったと自覚している。それに関して自分に弁解の余地はない。だから飛鳥は言い訳は考えず、何の用だと青太に尋ねた。
 しかし青太は不思議そうな顔をして、特に何も、と答えた。

「何も無いのに僕に話しかけてきたのかい?」
「何か用が無いと話しかけちゃだめなのか?」

 だめ、ではない。
 けれど青太とは特別な用事がなければ話してこなかったから、今更、そんな普通の友達のような関わり方をするのは慣れない。
 青太と日常会話をしたことはほとんどないし、そもそも属している友人グループが違う。『こんなこと』さえなければ、飛鳥と青太の接点は隣の席であることくらいだ。
だから、こんなにも長い時間一緒にいて、お互いのコンプレックスを晒し合って、彼の本当の色が他の誰よりも綺麗な『青色』だということも知っているのに、青太の好きな食べ物も好きな本も誕生日も血液型も、飛鳥は何も知らなかった。
 飛鳥が黙っていると、青太は慌てて「嫌だったらもうしない」と一歩後ろに退がってしまった。それがなぜだか苛立たしく思えて、「嫌なんて言ってない」と強い語調で言い返してしまう。
 それから2人はうやむやなまま、通学路を並んで歩き始めた。

「瀬川は学校で勉強するのかと思ってた」
「今日は姉さんが帰ってくるから、早く帰るんだ」
「そっか」

 1分も経たずに、沈黙。青太は別の話題を探しているようで、目線を上の方でふらつかせていた。飛鳥も会話の糸口を考えてみるが、如何せん日常会話につながるような話題はどれも唐突に思えてしまって、なかなか言葉にできない。
 そうしているうちに青太が「あー」と呻いて、やがておずおずと口を開いた。

「白鳥さんは瀬川がやってること、知ってるのかな」

 予測していなかった姉の話題に、じわりと汗が噴き出す。声が震えないように、飛鳥はしっかりと息を吸って声を出す。

「知らないと思う」
「話してないのか?」
「話せるわけないだろ」

 飛鳥がそう言い捨てれば、青太は言葉を詰まらせて、その後にそうだよなあと零した。

「白鳥さんに、相談できたらいいなって思ったんだけど」
「姉さんは捜査官じゃないから、相談しても意味無いよ。それに」

 続く言葉で、舌が回らなくなりそうになる。

「……姉さんに、心配はかけたくない」

 とってつけたような、いい弟を演じるかのような台詞に、内側からフォークの切っ先で何度も突かれているみたいに、胸の辺りがずきずきと痛む。
 青太は「ああ」と頷いたが、肝心の自分自身がそれは違うと声を上げていた。心配をかけたくないのではなく、ただ自分のやっていることが露見して、姉に失望されたくないだけなのだ、と。

「白鳥さんは頼れないってことは、やっぱり、オレ達でどうにかするしかないか」
「どうにか、できるものなのか」
「どうだろう。でも、岬紅野の方から介入してこない限りはオレ達は普通にしていればいいし、もし介入されたとしても、あしらうことに専念すれば、回避できないわけじゃない」
「水島」
「ん?」
「水島は、紅野さんのこと、どう思ってるんだ」

 え、と青太の表情が凍りついた。眉は不安げに下がり、薄く開かれた唇からは、乱れた呼吸が漏れ出している。
 きっと彼はもっと楽しくて他愛ない話がしたかったのだろう。けど飛鳥は、どうしてもそこに踏み出せなかった。自分と青太が楽しく話している姿が、全く思い浮かばなかったのだ。
 やがて青太は、苦しそうな声で呟いた。

「正直、分からない」

 彼の、澄んだ水色の空を見ていた目が、汚れたアスファルトの上に落とされる。

「オレは、紅野さんのことを忘れたくてあの人と縁を切った。だから、あの人と会っていない1年間で、紅野さんのことは乗り越えられたって思ってた。でもこの前紅野さんと再会して、名前を呼ばれただけで、身体が動かなくなった」

 それは、青太が硬直してしまった飛鳥の腕を引いて、紅野の前から去ろうとしたときのことだった。それまで紅野に対して強く出ていた青太だったが、たった一つの言葉の鎖に完全に拘束されてしまった。

「好きとか嫌いとか、そういうのじゃないんだ。でも、どう足掻いても、オレにとって紅野さんの存在は大きいんだと思う。よくも悪くも、な」

 そして彼は、飛鳥の目を真っ直ぐ見て無理やりに笑った。その笑顔は彼なりの終止符なのだろう。
 飛鳥は曖昧な返事をして、青太から目線を外す。
 だが、すぐに肩を叩かれた。再び青太を見れば、彼は目線で前の方を示した。

「そこの自販機で飲み物買っていい?」
「寄り道しない、って」
「そんなことは言ってない」

 青太はへらっと笑って、すぐ前方にある自販機に駆け寄った。自分は特に買いたいものもなく、青太の横に立ち止まる。
 ふと青太は飛鳥を見て、それからふっと口角を上げた。

「なんだかんだ言って、待っててくれるんだな」
「早くしろ」
「はいはい」

 青太は楽しそうに、陳列されたペットボトルを眺めていた。色とりどりのパッケージがきらきらと輝く青太の黒い目に映りこんで、ビー玉のようでもあった。
 手持無沙汰になった飛鳥は、通学鞄からスマホを取り出す。待機画面にポップアップで、白鳥からの「7時頃に帰るね」というメッセージが表示されていた。すぐに、分かったと返信。既読はつかない。
 
「瀬川!」

 すると突然青太に名前を呼ばれ、飛鳥はびくりと肩を震わせてしまう。リアクションが大げさになってしまったのが恥ずかしくて眉を顰めながら青太を見やれば、彼はなぜか両手にペットボトルを持っていた。

「当たった!」
「何が?」
「カルピス!」

 青太は満面の笑みで、カルピスのペットボトルを飛鳥に差し出した。
 
「1本買ったらもう1本出てきたんだよ、だからほら」
 
 彼の笑顔があまりにも眩しくて、飛鳥はまばたきをした。カルピスの白に、鮮やかな青いパッケージはよく映える。それがとても甘そうで、飛鳥は喉の渇きを覚えた。
 ありがとう、とペットボトルを受け取ると、手の平から心地よい冷たさが伝わってくる。隣の青太が早速蓋を開けて飲んでいたから、飛鳥も少しだけ口内に流し込んだ。
 淡い甘みが舌の上に広がって、少しの酸味が最後に駆け抜けていく。冷たくて清涼感のある風味に、蒸し暑さによる倦怠感が僅かに和らいだ気がした。
 目の前を、同じ高校の女子生徒達が仲良さげにお喋りしながら通り過ぎていく。
 彼女たちから見れば、自分たちも普通の友達に見えるのだろうか。そんな思考は、次の瞬間には、ペットボトルに付いた水滴が指をくすぐって滑り落ちていく感触に掻き消されてしまった。

NEXT>>36

3−6 ( No.36 )
日時: 2018/12/25 00:59
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6

3−6

「ごめんね飛鳥。かなり遅れちゃった」
「ううん、大丈夫だよ姉さん」

 白鳥が帰ってきたのは22時半――約束から3時間以上過ぎた頃だった。

「出動があったんだよね」

 曰く、16時半頃に隣の市で発生した暴動の事後処理に想定よりもかなり時間がかかってしまったらしい。
 その暴動というのは、紅野が所属している『組織』の内部抗争のことだろうかと飛鳥は思ったが、白鳥が詳細を語ることは無かった。
 そしてそれは飛鳥にとっても些末なことだった。少なくともその時は、『組織』や内部抗争よりも飛鳥の意識を奪うには十分なことが別にあったのだ。
 飛鳥の目は、白鳥が帰ってきてからずっと、彼女の肩にかかる髪にずっと向けられていた。

「姉さん、髪が……」
「ああ、これ? へましちゃって、戦闘中に切られちゃった」

 白鳥の髪の一房が、肩の辺りで不自然に切れていた。彼女は恥ずかしそうに笑ったが、それが一層乱れた毛先を痛ましく見せる。

「本当は、戦闘員なら、髪は短くした方がいいんだろうね」
「切っちゃうの?」
「……このままにしておきたいかな。せっかくここまで来たんだし」
「ずっと伸ばしてるもんね、髪の毛」
 
 白鳥は頷きながら、無事だった方の髪の毛を愛おしそうに撫でた。どうしたって長髪では戦闘に支障をきたしてしまう。それでも彼女は髪の毛を短くしようとはしなかった。白鳥は決して愚かではないから、彼女なりに考えがあるのだろうと思って、飛鳥も特別それについて触れることはなかった。
 
「姉さん。何か飲む?」
「ううん。大丈夫」

 それよりも、と白鳥はソファに座って空いた隣をぽんぽんと叩いた。

「飛鳥」
「……うん」

 ついに、だ。ついに『大切は話』をするのだ。
 大好きな姉の隣だと言うのに空気は重く、飛鳥はその重さで動けなくなってしまう。

「私が話したいことは、分かってる?」
「うん」

 おそらく自分が戦闘員になりたいと言ったこと。それから2週間ほど前の夜、白鳥が初めて青太と出会ったとき、飛鳥があの廃工場にいたことについてだろう。
 白鳥は静かに息を吸って、口を開いた。

「飛鳥は本当に、戦闘員になりたいって思ってるの?」
「うん。本当に、思ってる」

 そう、と白鳥は呟いた。

「……飛鳥はずっと、戦闘員になりたいって言ってたもんね。中学に入る前から、ずっと」

 飛鳥が戦闘員に憧れを抱いたのは小学6年生の時だった。民間人を救う戦闘員。人員が少なく単独での戦闘を強いられることも多いが、たった1人で誰かの為に戦う彼らは本当にかっこよかった。紅い少年が残していった『ヒーロー』、その言葉を体現化したような存在を見て、自分も将来はそうなりたいと強く願った。まだ《COLOR》が発現する以前のことだ。
 中学生になって《COLOR》が発現したら――たとえつまらない《COLOR》だったとしても、血の滲むような努力で補完できると思っていた。戦闘員になる為なら、どんなに苦しい思いをしたって構わない。
 幼かった頃は自分が無色(colorless)だなんて思っていなくて。
 自分に《COLOR》がないことを知ったのは、中学2年生の時だ。それを境に戦闘員になりたいと言葉にすることは少なくなった。だが諦める気にはなれず、夢の残骸を引き摺ったまま今この瞬間に来てしまった。
 もう高校2年生だ。いい加減、現実を見てもいい年齢だ。だから白鳥も飛鳥と話をすることを決断したのだろう。
 飛鳥、と白鳥が言った。飛鳥は息を詰めて唇をきつく結んだ。

「飛鳥は、戦闘員にはなれない」

 握り締めた手が、震えた。

「『無色(colorless)』は、戦闘員にはなれないの」

 何を言われても動揺しない、と自分に言い聞かせていた。白鳥が言うことは正論なのだから、聞き入れなければいけない。しかしいざ言葉にされると、それは氷の破片のようで、胸の中に落ちていきながら体内のあちらこちらを切り裂いていった。
 
「……どうやっても、無理なのかな」
「『無色(colorless)』でも警察官にはなれる。けど、戦闘員にはなれない」
「姉さんが、僕が戦闘員にはなれないって言うのは、そういう『規定』があるからだろ」

 自分は一体、何を言っているのだろう。

「戦闘員の免許取得の第一条件は《COLOR》を所持していること。だから無色(colorless)じゃあ戦闘員にはなれない。その理屈は、通ってると思う。でも。でもさ、そんなのあくまで『規定』だし『ルール』じゃないか。
規定もルールも法もいつか変わるかもしれない。どうしてそれだけで、僕が戦闘員にはなれないって断定できるの」

 規定もルールも何も響かない。それらは不変ではない。どうしてそんなものに、自分が縛られないといけないのだろう。
 飛鳥の思考は加速する。最早、正常な動作はしていなかったが。

「姉さんは、どう思ってるの」
「え……?」
「『規定』じゃなくて、僕は、姉さん自身の考えが聞きたいんだ」

 白鳥は動揺して吃って(どもって)しまった。だが彼女は次に、先程と同じ言葉を、今度はより鋭さを持った声で言った。
 やはり、飛鳥は戦闘員にはなれない、と。簡潔な言葉だった。

「戦闘員の仕事は、ターゲットを倒すことじゃない。ましてや戦闘に勝利することでもない。民間人を守って、その上でターゲットを捕獲すること。それも、できるだけ無傷のままでね。その為には人一倍の努力は勿論、『才能』が必要になる。例えば、強力な《COLOR》を持っている、とか」

 日常生活においては《COLOR》を所持している人間と無色(colorless)の人間にはそれほど差は生まれない。しかし戦闘となれば話は別だ。戦闘において無色(colorless)は、圧倒的に無力だ。それは0と1の差に過ぎないのかもしれないが、あるか無いかの、決定的な差なのだ。
 ――でもね、水島青太さんと、飛鳥先輩では、生きているステージが違うんですよ。
 いつか海黒に言われた台詞が蘇ってきて、再びナイフの形になって飛鳥の胸を突き刺す。ああ本当に、その通りだ。

「……分かった? 飛鳥」

 うん、分かったよ姉さん。僕、もう一度考え直してみるね。
 ――とは、言えなかった。

「……無理だよ」

 俯いてしまった飛鳥を、白鳥は目を見開いて見つめる。

「無理だよ、今更。なんで、今更そんなこと言うんだよ。僕はそれしか見てこなかったのに、なんで、今更、諦められる訳ないだろ」
「飛鳥ッ」
「無理だって分かってるよ! それでも諦められなかったんだ。無理だって分かってて諦められなくって、駄目だって分かっててここまで来たんだ。今更、別のものなんて見られるわけない」
「飛鳥、戦闘員にはなれないって言ったけど、無色(colorless)でも警察官にはなれる。だから」
「だから? 警察官になれって?」
「考え方を変えろって言ってるの。別に人を助けるのは戦闘員じゃなくたってできる」
「諦めろってことじゃないか」
「ええ、そうよ。諦めて」
「嫌だ」
「飛鳥」
「やだよ」
「飛鳥!」
 
 その場から逃げようとした飛鳥の腕を白鳥はすかさず掴んだ。戦闘員らしく洗練された身体を持つ彼女は、自分よりずっと大柄な飛鳥を引き倒して、そのままソファの上に押さえつけてしまう。能力のある姉と何もない自分。力の差を見せつけられ飛鳥は抵抗する気力すら失ってしまって、覆いかぶさる姉を茫洋と見上げるほかなかった。
 部屋の照明が逆光になって、白鳥の表情はほとんど見て取れなかった。だが琥珀色の両眼が、自分を真っ直ぐに睨みつけている。

「……飛鳥は、無色(colorless)なの」

 冷たい、氷のような声が降ってくる。降り注ぐ。

「無色(colorless)はね、パワーバランスの一番下なの。《COLOR》に比べたらずっと非力なの。それで戦闘員になっても、飛鳥、すぐに死ぬよ」

 白鳥の切れてしまった髪の毛が目に入った。弱いところなんてないと思っていた姉ですら、傷つくことがあるのに、自分が無事でいられる筈がないだろう。

「心配なの、飛鳥のこと。飛鳥には何も響かないかもしれないけど、本当に、飛鳥には危険なことしてほしくないし、傷ついてほしくない。……あの夜、廃工場にいたのよね」
「……うん」
「理由は聞かない。でもこれ以上危険なことしないで。それから、あんな嘘、もう吐かないで」

 そう言って白鳥は自分から離れていった。いつも優しい笑みを浮かべている口角は強ばって、柔らかな琥珀色をした眼はひどく悲しそうに歪んでいた。
 そんな白鳥の顔を見ていられなくて、飛鳥は両腕で目を覆い隠してしまう。

「……飛鳥」
「うん、大丈夫だよ」
「ねえ、飛鳥」
「ごめん……僕、今、姉さんの顔見たくない」
「ん……分かった」
  
 目の前にあるのは暗い闇。白鳥がすぐ傍にいるのに、彼女の温度を感じられない。寒くて、まるで独りでいるみたいだった。

「私、出かけてくるから、鍵かけといて」
「帰ってこないんだ」
「どうせ明日朝早くから出なきゃいけないし、このまま署に戻った方がいいわ。早朝から動き出しても起こしちゃうでしょ」

 飛鳥は黙ったままだった。白鳥が荷物をまとめる音がして、ほどなくしてリビングの扉が開く音が聞こえた。

「おやすみ」

 飛鳥がおやすみを返すより早く、扉は閉ざされてしまう。だからおやすみと言えなかった。いや、元より言う気がなかったのかもしれない。
 誰もいない、何もない。秒針の音と冷蔵庫のモーター音だけが飛鳥を包んでいる。この音をどこかで聞いたことがある。そうだ岬紅野の家だ。ここは、岬紅野の家と変わりはしないのだ。
 それに気づくと、今度はどこかへ逃げ出したくなってしまった。今外に出たら白鳥と鉢合わせてしまうだろうか。そんなことを考えながら腕を外すと、時計の針は先程から既に半周していた。なんだ、もう姉さんはいないだろう。
 ぼやける視界のまま外に出る。夜の帳が下りた世界は、半袖で歩き回るには肌寒かった。しかし飛鳥は家に戻る気にはなれず、スニーカーで歩き出した。
 街灯の光が等間隔で道路を照らしているが、その白い光は夜を明るくしてくれず、むしろ寂しく見える。
 目的地はない。当てもなく歩いて、歩いて、ふと遠くの街灯の下に人影を認めた。そのシルエットに見覚えがあるような気がして、飛鳥はすぐに駆け寄った。
 
「……は?」
「……あ」

 右耳にピアスを煌めかせる少年。そこにいたのは、沖原灰慈だった。

NEXT>>37

3−7 ( No.37 )
日時: 2018/12/25 01:00
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6

3−7

「なんでこんなところに」

 困惑する飛鳥を他所に灰慈は踵を返そうとする。待って、と飛鳥は慌てて灰慈のパーカーを掴んで彼を引き止めた。
 灰慈は迷惑そうに飛鳥の手を振り払ったが、そこで素直に立ち止まった。

「なんで君がこんなところにいるんだ。しかも、こんな時間に」
「……お母さんに会いに来た」
「……お母さん?」
「でも『コレ』着けたままじゃ会えないから、戻ってきた」

 灰慈はそう言いながら、指先で右耳のピアスを弄る。そんなの外せばいい、と言えば灰慈は驚いたような顔で飛鳥を見た。しかしすぐに、どこか寂しそうにして視線を落としてしまう。
 初めて灰慈の姿を見た時、彼の耳にはもっと多くのピアスが着けられていたような気がする。けれど今は右耳の小さなピアス1つしかない。きっとただの外し忘れだろう。
 それだけのことで「会えない」と口走る灰慈を飛鳥は不自然に思った。
 
「……離せよ。もう帰る」
「帰るって、ひとりで?」
「ああ」
「もう11時はとっくに過ぎてるんだ、危ないよ」
「アンタだってこんな時間にひとりで外にいるだろ」
「僕はいいんだよ。家、近いから」

 灰慈は不服そうにして飛鳥を睨みつける。街灯の光を受ける灰慈の顔はやはり幼かった。それもそうだ、だって彼は3か月前まで中学生だったのだから。そう考えると、尚更彼をこのまま放っておくわけにはいかなかった。
 うちにおいで、と飛鳥が言えば、灰慈は飛鳥への反抗で顰めていた顔を今度は怪訝さで顰めるのだった。

「なんで、アンタの家なんかに」
「最近、この辺りの治安は悪いんだ。『あの人』の傍にいる君が、気付いてないわけないよね」

 岬紅野を示す言葉を放った瞬間、暗い目が分かり易く見開かれる。

「これからうろつくよりはずっといい」 

 灰慈は目を伏せて黙り込んでしまった。すぐに反論してこなかったのは、彼がいつも岬紅野の隣にいて、戦況を感じ取っているからだろうか。
 長い間があって灰慈は静かに頷いた。しっかりとした首肯ではなく、こくり、と首を小さく動かしただけだった。
 生み出す言葉は強いし棘がある、眼光も鋭い。その容姿さえも周りを拒絶するように作り上げられているのに、灰慈は出会ったばかりの飛鳥に大人しく従うのだということを知ると、飛鳥は漠然とした恐怖を感じた。
 あんなに紅野を信仰しているようだったのに、それ以外の人物にも簡単に靡いてしまうのだ。意思が薄弱なのか、否そもそも彼に意思は存在するのだろうか。
 飛鳥が歩き出すと、灰慈は口を閉じたまま飛鳥の後ろをついてきた。2歩分の距離は開くこともなければ近づくこともない。飛鳥は後ろを振り向かなかった。自分のとは違う足音はずっとついてきていたので、振り向く必要が無かった。
 自宅に着くと、飛鳥は灰慈を連れて勝手口の方に回った。それから自分は鍵を使って玄関から入り、勝手口で待たせていた灰慈を家の中に入れる。灰慈はこんな時にも「失礼します」と小さな声で言った。
 2階の自室に上がり、飛鳥はベッドの下から冬用の掛布団を引っ張り出して床に敷く。

「敷布団じゃなくてごめん。これしかないんだ。だから今日はここで寝て」

 灰慈は黙って首を縦に振る。それから、カーペットに靴底が接地しないようスニーカーを裏返して、敷布団の頭の方にそれを置いた。

「タオルケットと掛布団があるんだけど、どっちを使う?」
「……タオルケット」
「分かった」

 飛鳥は灰慈にタオルケットを差し出す。灰慈は両手で受け取ると、タオルケットを自分の上に広げた。しかし上体を起こしたままで寝転ぼうとはしなかった。ずっとタオルケットを握ったまま、自分の手元を見つめている。

「……寝ないのかい?」
「ああ……うん」

 肯定か否定かも分からない曖昧な返事。飛鳥がベッドの上に身体を倒すと、灰慈もやっと横になった。
 掛布団を肩まで引き上げる。外に出ていたせいだろうか、今日は少し寒い気がした。
 飛鳥の部屋の窓から街灯の光は入らない。真っ暗だ。何も見えない。灰慈の控えめな呼吸音だけが灰慈の存在を教えてくれる。

「……灰慈くんは」
「その呼び方やめろ」
「慣れ慣れしかったかな」
「アイツと同じ呼び方するな」
「アイツって……海黒さんのこと?」

 無言。肯定だろうと捉えた飛鳥は、彼を何と呼ぶべきか頭の中で考える。「沖原くん」や「沖原」は、今更という気もするし彼にとっては抑圧的かもしれない。だとしたら「灰慈」か。しかし瞬間紅野が脳裏を過ぎって、飛鳥は紅色の残映を払拭するように頭を横に振った。

「……君は」

 結局出てきたのは、当たり障りのない二人称だった。

「どうして、こんな時間にあそこにいたの」
「さっき言っただろ」
「そうじゃないよ。どうして、君がこんな時間に外出できていたのかなって思ってさ。普通は、他の家族に止められるじゃないか」
「母子家庭だから。お父さんいないし」
「……なんかごめん」
「別に」

 父親がいないことを打ち明けた灰慈の声に悲壮感はなく、彼にとって父親がいないということは、大したことではないのだろうなと何となく思った。
 上手く眠れないのだろうか、灰慈の方から衣擦れの音が聞こえる。

「……紅野さんには、止められなかったのかい」
「……なんで紅野さんが出てくるんだ」
「だってあの人は君のことを気にかけてるみたいだったから」
「あの人は、家族じゃない」

 重く、暗闇に沈んでいく言葉。

「そうか……そうだよね」

 この同調が正しかったのかどうかは分からない。再び訪れた静寂が正解を提示してくれることもなかった。
 これ以上話しても無闇に灰慈を傷つけるだけかもしれない、と飛鳥は唇を結んで、灰慈に背を向けるようにして寝返りをうつ。
 けれど沈黙に綻びを作ったのは、独り言を呟くような灰慈の声だった。

「アンタは無色(colorless)なんだろ」

  驚いて灰慈の方を向く。灰慈がどの方向を見ているのかは分からなかったが、確かにそれは自分に向けられていた。
 責め立てるでも馬鹿にするでもなく、単純な事実確認。そう思わせるほど、灰慈の声音は無機質で抑揚が無かった。

「君にも、僕が無色(colorless)ってことが分かるんだね」
「いや、オレには分かんねえ」
「え?」
「紅野さんやアイツほど、オレの《COLOR》は強くない」
「ああ……そっか」
「紅野さんが何度もアンタの話するから、知ってるだけだ」

 アンタが無色(colorless)だろうがどうでもいい、と灰慈は吐き捨てた。ついこの間まで、少なくとも飛鳥の方は灰慈を認知していなかった程なのだから、急に興味を持てということの方が難しい。
 飛鳥が腹の底に抱える悩みなど、他人からしてみれば取るに足らないことらしかった。

「もし」
「……もし?」
「アンタにも――《COLOR》があるかもしれないって言ったら、どうする」

 ――取るに足らないことなのに、飛鳥の周りの『他人』は、それを何度でも刺激しては飛鳥を乱す。

「なんだよ、それ」
「……いや、何でもねえ。忘れろ」
「笑えない冗談はやめてくれ」

 灰慈は返事をしなかった。冗談なのか本気なのか、彼の声音からは判断できなかった。否、どちらかといえば真剣だったような気がする。
 ねえ、と灰慈に話しかける。応答はない。眠ってしまったのだろうか、と一番小さな明かりをつけると、仄かな橙の光で瞼を閉じた灰慈の横顔が明らかになった。彼の横顔は鼻先や頬のラインがまだ丸みを帯びていてあどけないものだったが、目の下の隈や絆創膏が、彼が普通ではないことを教えてくれる。右耳のピアスは着けられたままだ。
 灰慈は敷いた掛布団の端を握って、身体に巻き付けるようにして眠っていた。タオルケットだけでは寒かったのだろう。初めから遠慮せず、掛布団の方を選べばよかったのに。
 飛鳥は灰慈の手から布団を引き抜いて、自分の分の掛布団を彼にかけてやった。
 それから別の毛布を取りに、自室のドアを静かに開けた。

NEXT>>38

3−8 ( No.38 )
日時: 2019/01/15 22:43
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6

3−8

 翌朝、飛鳥はいつもより遅い時間に登校した。夜の間はよく眠れなくて、5時頃に灰慈をこっそり家から送り出してからもう一度眠ったところ、寝過ごしてしまったのだ。
 久々に母親に起こされて、体調は大丈夫かと心配までされてしまった。母は飛鳥に何かあると白鳥に相談することが多いから、姉さんにだけは言わないでと頼んで、朝食も摂らずに家を出てきた。

 ――アンタにも《COLOR》があるかもしれないって言ったら、どうする。

 灰慈の言葉が回らない脳内を埋め尽くしている。
 もし、自分に《COLOR》があるとしたら。
 答えは簡単には出なかった。「あるとしたら」の仮定ばかりが頭の中を占めていて、その先を思考することができない。
 ふと見上げた空では図体の大きい不気味な怪物のような雨雲が蠢いていて、それを見ていると眩暈がしそうになった。
 教室に入ったのは授業開始の10分前だった。重苦しい空気が生徒たちをこの狭い室内に閉じ込めてしまったようで、教室内は騒々しい。飛鳥はクラスメイトに「おはよう」とか「遅かったね」とか声を掛けられ、適当に返事をしながら自分の席に行くと、隣席には青太の姿があった。青太は珍しく自分より早く学校に来ていたようだった。

「おはよう瀬川」
「……おはよう」
 
 自然に笑いかけてくる青太に、飛鳥は不愛想なまま挨拶を返す。
 青太は1限目の予習をするのではなく、かといって窓の外を眺めているのでもなく、机上の1枚の紙をぼうっと見つめていた。飛鳥の机にも同じ紙があった。いくつかの欄があって、一番上に「進路希望調査票」の文字が大きく印刷されていた。

「来週の水曜日までに提出だってさ」

 そう教えてくれた青太の進路希望調査票には、彼のクラスと出席番号を名前しか書かれていない。大抵の生徒は附属の鏡大学に進学するから、青太もエスカレーター式に内部進学するものだと思っていたが、彼は外部進学と内部進学のどちらかに丸を付ける欄すら空白のままにしていた。
 それを見つめていると、青太に気付かれて「どうした?」と訊かれる。

「内部進学じゃないんだなって思っただけ」
「ああ。どうしようかなって、悩んでて」
「どうしようか……」
「将来の夢とか目標とか決まってないし、なのに私立に行くのもなって思ってさ。学費高いし」
「……ちゃんと考えてるんだね」
「そんなことないさ」

 青太は照れ臭そうにして、進路希望調査票を机の中に仕舞った。

「瀬川は?」
「僕?」
「内部進学するのか?」

 進学――首を絞めつけられるような心地がした。高校2年生の夏。1年生の内は有耶無耶にできていたことも、刻々と迫る受験期に向けてそろそろはっきりさせなければいけない頃だ。
 飛鳥は、内部進学はしたくなかった。

「いや。外部に行くよ」
「そうなのか。府外?」
「分からない。まだ決めてないから」

 そっか、と青太がころころと笑う。
 飛鳥は机の横にかけた鞄からペンケースを取り出すと、プリントに自分のクラスと出席番号と名前を書いた。それから内部進学か外部進学を選択する項にペン先を滑らせていき、やや逡巡してから「外部進学」に丸をつけた。
 次に、進学を希望する大学名を記入する欄。そこで飛鳥の動きは完全に止まってしまう。第一志望の大学は中学生の時から決めていた。しかし、それを書くのが恐ろしかった。
 だから飛鳥は大学名より先に、学部名を書いた。飛鳥のペン先を見ていた青太が「法学部かあ」と呟く。

「人の調査票見るなよ」

 調査票を引っ込めると、ごめん、と全然申し訳なくなさそうに謝られた。

「すごいな、法学部って。じゃあ将来は弁護士とか検察官とか?」
「いや……」

 飛鳥は青太から目を逸らした。喉が痙攣する。青太なら絶対に馬鹿にしたり否定したりしてこないのは分かっていたが、音にするには自信が足りない。

「……警察官に、なりたくて」
「そっかあ警察官か、かっこいいな」

 どうにか声にした言葉に、青太は素直に関心してくれた。妙に納得したような顔をしているのは、白鳥のことを思い浮かべたからだろうか。

「瀬川はなりたいものが決まっててすごいな」

 青太が濁りのない深海色の目をきらきらさせて飛鳥を称賛するのは今までに何度もあったが、今回ばかりは、飛鳥はこのまま無限の奈落へ落ちて行ってしまうのではないかと思う程の居心地の悪さを感じていた。
 警察官になりたいというのは真っ直ぐな本心ではない。確かに警察官にはなりたいけれど、本当は、警察官の中でも《COLOR》犯罪対策を専門にする『戦闘員』になりたい。
 無色(colorless)の分際で不相応な夢を描いてしまっている。だから第一志望の大学名を書くことができないのだ。

 吾妻(あづま)大学――それが飛鳥がずっと望んできた大学だ。
 文系と理系両方の学部を有する、一見すれば普通の大学だが、吾妻大学法学部は多数の警察官を輩出していることで有名だった。警察官輩出でよく知られる大学は他にも幾つかあるし、国公立や私立に関わらずどの大学に行っても警察官にはなれるが、吾妻大学には日本で唯一、戦闘員を育成する為のコースがある。
 白バイ警官と同じで、戦闘員の訓練を受けられるのは警察官として採用されてからだが、吾妻大学では警察官になる前から戦闘員の訓練を受けられる。20代前半で既に戦闘員として前線で活躍しているような人は皆、吾妻大学の卒業生であり、姉の白鳥もそこで戦闘員の訓練を受けた。
 姉が大学生の内から訓練を受ける姿を見て、飛鳥も同じようになりたいと思っていた。まだ無邪気に夢を見ていられた自分は、絶対にそうなるんだと心に決めていたのだ。
 その夢を見苦しく引きずり続けてしまうくらい、強く。
 偏差値が足りないわけじゃない。寧ろ、飛鳥の成績なら余裕で合格できるだろう。担任にはもっとレベルの高い大学を受験した方がいいと言われるだろう。吾妻大学でなくても警察官にはなれる、と。もし「戦闘員になりたいから」なんて言ってしまったら。おそらく「戦闘員にはなれない」と突きつけられるだけだ。
 だから、書けない。

「……水島は?」
「オレ?」
「将来の夢とか目標とか無いにしても、興味あることとか、ないの」

 心の痛みから逃れるために、青太に話を振った。青太は天井を仰いでしばし悩む。

「……経済学とかは、無理かなあ。数学苦手だから」
「経済学」
「うん。それから文学とか、言語にもあんまり興味ないし、哲学とか宗教もよく分かんないし……」

 少し、意外だと思った。青太が後ろ向きな発言をする印象が無かったのだ。

「どうした?」
「何でもないよ」

 意外だと思ったのが顔に表れていたらしい。青太に訝しまれて、飛鳥は慌てて取り繕う。
 青太は首をかしげて不思議そうにしていたが、また自分の思考に入ってしまった。それから唐突に、低く、優しく、澄んだ声で呟いた。

「――でも、人の役に立つことがしたいな」

 ああ、水島らしい。

「それなら、福祉とかが合うんじゃないの」
「福祉?」
「うん。うちの大学だったら、社会学部で専攻できたはずだよ」
「そっか、福祉か……」

 青太は1人で何度か「ふくし」と繰り返していた。それが心の中に上手く落ちていったようで、ちょっと考えてみる、と嬉しそうに言ってきた。胸の片隅がほっと温かくなった。
 
「まあ福祉以外にも、教育学とか、あとは心理学とかも」

 調子にのって言葉を続ける。すると青太は最後の言葉に反応して、眉根を顰めて、直後に不自然な笑顔を作った。

「あー……『心理学』は、いいかな」
「……ああ、そうだね」 

 青太の反応の理由は訊かずとも察することができる。きっと心理カウンセラーの『あの人』を思い浮かべたのだろう。
 青太は自分の進路希望調査票を机から引っ張り出して、隅に「福祉」とメモをした。それと同時に、彼は別のクラスメイトに呼ばれて席を立った。
 飛鳥はもう一度、瀬川飛鳥と記名された紙に目を落とす。今回も第一志望に吾妻大学とは書けないだろう。飛鳥は担任から薦められていた関東の国立大学の名前を書いて、調査票をクリアファイルに入れた。
 始業まであと3分だが、青太はクラスメイトと話し込んでいるようでなかなか帰ってこない。
 飛鳥がノートと教科書を机上に出していると、右隣に座る潮田から話しかけられた。

「飛鳥くんって、意外と水島くんと喋るんだね」
「まあ、隣の席だから」
「友達になったの?」

 潮田にそう訊ねられて、飛鳥はちらりと隣の空席を見た。
 自分は本当に卑怯な人間だと思った。

「別に……友達じゃないよ」

 力なく呟いた言葉は、冷たいまま机の上に落ちていく。
 青太が席に戻ってきてすぐに授業開始のチャイムが響いた。

NEXT>>39

3−9 ( No.39 )
日時: 2018/12/31 23:52
名前: トーシ ◆zFxpIgCLu6

3−9

「そういえば、白鳥さんと話できたのか?」
「え?」
「ほら昨日、白鳥さんが帰ってくるから早く帰るんだって言ってただろ」

 放課後、当然のように飛鳥と同時に立ち上がった青太は、机の横に掛けたリュックサックを背負いながら唐突に訊ねた。
 訊ねられた方の彼は、青太より早く歩き出す。友達じゃないと言ってしまった手前、友達らしく青太の隣を歩けない。

「瀬川、今日元気なさそうに見えたから、白鳥さん帰ってこなかったのかなって思ってさ」
「……帰ってきたよ、ちゃんと」

 飛鳥はぶっきらぼうに答えた。ただ、「話をした」とは言えなかった。一方的に白鳥の言葉を拒絶してしまったあれは、会話ではない。
 青太はそれ以上の追及はしてこなかった。
 狭い教室から出た時、飛鳥はちらりと青太を見た。

「……元気、なさそうに見えたの」
「うん。何となくだけど」

 飛鳥は親指で右目の下に触れ、柔く擦ってみた。隈ができていたのだろうか、それとも顔色が悪く見えたのだろうか。でも、最近眠れてないんだ、なんて青太には言えない。

「あんまり笑ってなかったし」
「君に笑いかけたことなんて、今までにないだろ」
「オレはいいんだよ。他の人に」

 他の人に、と口の中で復唱する。

「瀬川は、オレ以外の人には優しかったからさ」

 思わず立ち止まった飛鳥を、青太は半歩後ろに立ったまま首を傾けて見上げていた。少し寂しそうな表情をしている気がした。けど瞬きをした次の瞬間には、青太はいつも通り穏やかな笑顔に戻っていて、見間違いだったんだろうなんて言い訳をしそうになる。

「別に、僕は優しい人間じゃないよ。水島が一番分かってるだろ」

 また歩き出す。上履きの乾いた音が、人の少ない廊下ではやけに大きく聞こえた。放課後と言っても、飛鳥は5限目の授業が終わってからクラスメイトに数学を教えていたので、終業から1時間は経っていた。だから、校舎内の終業直後の喧騒はもう消えていたのだ。
 そのお陰で青太の歩く音もはっきりと聞こえる。そして、2人の歩くリズムは少しだけずれていた。

「そうかなあ」

 青太の返事に、飛鳥は何も言えなくなって鞄の取っ手をぎゅっと握り締めた。一瞬でもほっとしてしまった自分が、やっぱり惨めで仕方なかった。
 というか、どうして青太は自分のことを待っていたのだろう。彼は教室で勉強するタイプじゃないのに、飛鳥が別のクラスメイトに数学を教えている間ずっと教室にいたのだ。でも、「なんで待ってたの」なんて問いかければまたからかわれるんだろう。
 青太は自分のことを見透かしてくるのに、自分は青太のことがいまいち読めない。しかし、不思議と居心地の悪さや気味悪さは感じないのだった。

「瀬川は、今日は図書館?」
「うん」
「そっか。頑張れよ」
「水島も勉強しろよ」
「はいはい」

 階段を下りながら、ふと、踊り場の窓の向こうの景色が目に映る。目を凝らさなくても目視できるくらいの大粒の雨が降っていた。
 以前青太と一緒に階段を下りたのは、確か青太の過去の話を聞いた時だ。
 あの時までは、青太に暗いところなんてないと思っていた。自身の《COLOR》を持て余して苦しんでいる姿さえ、心のどこかでは「恵まれている」なんて思っていた。でも青太は《COLOR》の所為で中学3年生の半分近く学校に通えなくなってしまって、《COLOR》の所為で信頼していた人に利用されそうになったのだ。
 それでも自分の為に《COLOR》を使うことを厭わない水島青太という人間を、矮小な自分が理解できるわけない。勘違いして傷つけたことを謝れない自分が、そもそも彼を理解できる筈が無かったのだ。

「水島……あのさ。勉強、分からないところとかあったら、教えるから。だから、その」
「じゃあ分かんないとこあったらラインする」

 ありがとな、瀬川。と、外界の雨音よりもリノリウムを叩く足音よりも、何よりも大きく聞こえた。
 飛鳥は振り向いて青太を見ようとした――が、それはできなかった。
 踊り場を通り過ぎようとした時、飛鳥の目は1階の階段の麓に向けられたまま、彼は固まってしまった。

「……海黒さん」

 岬海黒の焔の目が、そっと上げられる。彼女は壁に預けていた背中を離すと、飛鳥の方に向き直った。

「飛鳥先輩、待ってましたよ」
「……どうして?」
「飛鳥先輩に用があったので」

 今までのように怪しく口角を上げるわけでも、飛鳥を冷たく睨みつけるでもなく、平坦に飛鳥の名を呼ぶ。
 それに答えたのは、飛鳥ではなく青太の方だった。

「……瀬川に何の用だよ」

 青太は飛鳥の前に立って海黒を見下ろす。青太がどんな表情をしていたのかは分からない。しかし、彼の声音は強ばっていた。体側に下げられた青太の拳は血管が浮き出る程きつく握り締められている。
 そんな青太に、海黒は怯えず、瞳を細めて青太を見上げた。

「お兄ちゃんが、飛鳥先輩とまた会いたいそうです。だから、飛鳥先輩をお兄ちゃんのところに連れて行くために待ってました」
「行かせるわけないだろ」

 鋭利な響きの言葉に、海黒は動じなかった。動揺する飛鳥と、飛鳥を海黒から隠そうとする青太に、彼女は最後の通告を突きつけた。

「お兄ちゃんは、水島青太さん――あなたにも、会いたがっていました。絶対に連れてきてほしい、と」

 息を吸い込む、枯れた音。青太の喉から発せられた音だった。

「一緒に、来てくれますよね?」

 彼らの沈黙を、重い雨音が埋めていく。

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