複雑・ファジー小説

冷たい手
日時: 2018/07/08 13:59
名前: 朝倉疾風




リハビリの創作。

Page:1 2



Re: 冷たい手 ( No.4 )
日時: 2018/08/10 19:21
名前: 朝倉疾風





 惹かれるものがあったの、と吉澤さんは答えた。
 中間テスト最終日の、下校中のことである。
 実兄に恋をしていると話す吉澤さんの瞳は、きらきらしていて、なぜだかそれがタブーなことのように思えなかった。
「兄妹であれ、人間性に惹かれて、それが恋に発展することは、ありえない話ではないでしょう」
「そうかもしれないね」
 とりあえず肯定しておいた。
「だから、私はこの気持ちに嘘をつきたくないの」
 吉澤さんが誰を好きでも、私には関係のないことだった。だけど、自分の気持ちに真っすぐな吉澤さんを羨ましいと思ったのも確かだ。
「告白とかするの?」
「しないわよ」
 首筋の汗を拭うときに、ふわっと香る吉澤さんの匂い。私も髪を伸ばしてみようかなと思うけれど、たぶん途中で飽きて切ってしまうだろうな。
「もし告白をしてしまったら、私の恋は終わってしまうでしょう」
 だからずっと永遠にしまっておくつもり。
 そう言う吉澤さんは、どこか楽しそうに口元を緩ませる。秘密を持つことは喜ばしいことなのかもしれない。
「ねえ、どうしてその秘密を私に打ち明けてくれたの?」
 クラスで私たちはほとんど話をしない。なんとなく、部活のないときに一緒に帰るというだけの付き合いなのに。吉澤さんは私の顔をまじまじと見つめる。
「あなたは、飲み込んでくれそうだから。私の不安も悩みも、ぜんぶ飲み込んでしまいそう。だから、あの人への思いも、こうしてさらさらと告白することができた」
 長年、蓄積されていた兄への思いを誰かに打ち明けたかった。そう言って、吉澤さんは私の手をとる。小さい手ね、と言葉を添えて。
「だけど心配でもあるよ」
「なにが」
「あなたのこと」
「私のこと?……どうして」
 吉澤さんの言葉はわからないことのほうが多い。
「あなたは飲み込むから。ほかの人の気持ちも、自分の気持ちも。……じゃあ、あなたの気持ちは、どこへ向かえばいいのかしらね」
 遠くで地面の揺れるような重低音が聴こえる。飛行機が白い弧を描き、空を真っ二つに割っていく。
 胸が痛かった。
 吉澤さんがぐにゃりと揺れるように見えた。亡霊だ。


 夏休みが明けても、吉澤さんは学校に来なかった。
 教室内では「年上の男と駆け落ちした」だの「妊娠した」だの「芸能界にスカウトされた」だの、いろいろな噂が好き勝手とんでいる。いつまでも空いたままの、吉澤さんの席。誰もいない放課後、私はこっそりその机を撫でてみたことがある。ぬるい木の、埃っぽい感触。
 実は、三日前、吉澤さんはうちに電話をかけてきた。
 携帯電話を持っていなかったので、家の固定電話が鳴る。小春さんがとって、「吉澤さんっていう子から」と私に渡してきた。なぜだか嫌な予感がして、受話器をとる手が震えたのを覚えている。
 電話越しに聞く、久しぶりの吉澤さんの声はとても落ち着いていた。
「もう、限界なのよ」
 私に向けての言葉だったのに、独り言のようだった。
「兄が恋人をうちに連れてきたの。中学のときから付き合っていたらしいのよ。そんなこと、全然知らなかった……いいえ、知っていたし、気づいてもいたの。でも、知らないふりをしたのよ。そんなこと受けとめられるはず、ないじゃない」
 なぜだろう。
 私のほうが苦しかった。
 吉澤さんの恋心を思ったわけではなく、彼女の置かれている歪な家族関係が自分とダブるのだ。実の兄に欲情しているなんて、普通じゃない。傍から見れば何一つ欠けることのない家族という織りの中で、彼女だけがもがいている。どれだけ手をのばしても、届かないところにある、兄の存在。
「だから告白をすることはないけれど、ぶつけることにしたの」
 そこまで言って、「かな」と電話のむこうで別の誰かが言葉を発した。
 吉澤さんの名前が「かな」だということを初めて知った。
「かな、そろそろ寝なさいよ」
 優しげな母親の声。吉澤さんは小さな声で「はぁい」と、学校では絶対に発さないような、間延びした声で返事をした。
「何をするつもりなの」
 私は慎重に聞いた。
「ぶつけるのよ。私はもう、自分の恋に希望を見いだせないから」
 そこで電話は切れたのだった。

Re: 冷たい手 ( No.5 )
日時: 2018/08/13 07:39
名前: 朝倉疾風





 たくさん泣いたら、朝になっていた。
 だるい体を起こしてシャワーを浴び、簡単な朝食をとる。携帯が光っていたので、見ると、高瀬からだった。今晩うちに来てもいいかという内容で、即効でいいよと返信した。高瀬がいるというだけで、安心する。
 濡れた髪を乾かすあいだ、ぼんやりとしてしまったら充希のことを考えてしまうので、なるべく別のことに気を紛らわせた。仕事の進行状況とか、冷蔵庫の中身とか、そういったことを……。でも、ああ、だめだ。この部屋に、昨日まで充希がいた。その椅子に座って、お茶を飲んで、私を見つめていた。そもそも部屋にあげたのは私なのだ。どうかしている、と自分でも思う。こういう日を覚悟していた、だなんて。
 覚悟なんて、全然できていなかった。
 なにひとつ彼の気持ちを受け止められず、ただむせび泣くだけで、話もできていない。
 ひとりでいると、胸のなか深くに錘が沈んでいく感じがするので、小春さんに電話をかけた。
 小春さんは、待っていたわというように、すぐに電話にでてくれた。
「充希に、会ったの」
 私の言葉に、薄く、けれど重みのある「そう」という返事が返ってくる。
「小春さんでしょう。私の住所を教えたのは」
 責めたつもりではないけれど、口調が強くなってしまった。言葉にならない気持ちがどばどば溢れそうで、それを堪えたら、体がぶるるっと震えた。
「ええ。充希くんから、会いたいから教えてくれって連絡があったの」
「小春さんは、どういう気持ちで私の住所を彼に教えたの?あの子、うちまで尋ねに来たのよ。そして言ったの。誰も憎んじゃいないって。……誰のことも恨んでいないんだよって」
 彼は全部を憎んでも許されるのに。
 私のことも、お母さんのことも、お父さんのことも、自分を産んで捨てた女のことだって──。
「あるくは、自分のことをずっと責めているでしょう」
 静かに小春さんが言う。
「少しでも軽くなってほしいの。事の結末がああなってしまったとはいえ、あなたと充希くんは、守られるべき対象であったのよ。それを気づけなかった大人たちに、責任がある」
 悲しいけれど、私を優しく包み込もうとする言葉ほど、私のことをひどく傷つける。どうして素直に受け取れないのだろう。私の心は、幼いころの、あのおかしな家で育ったころと何一つ変わっていない。
「──充希くんはあなたとの時間をやり直したがっているんじゃない」
 小春さんは最後にそう言って電話を切った。
 やり直す?
 私との時間を?
 あの家の中で、彼とまともに口をきいたこともないのに。
「あの子にとって、もう家族といったら、あるくだけじゃない」
「家族じゃないわ」
 充希を拒否しているわけではない。私が彼に顔向けできないのだ。あそこにいた人たちは家族なんかじゃない。家族のふりをしていた、ただのヒト。
「──私も、姉さんを家族じゃないって思っていたの」
 小春さんの姉。私の母親。充希の義母。本人はそれを決して許さず、受け入れられなかったけれど。
「姉さんからは、義兄さんの……不倫のことを聞いていなかったし、昔から姉さんは少しおかしかったから。あのころ、様子がもっと変になったなぁという印象しかなくて、あるくたちが、まさかあんなことになっていたとは知らなくて」
 かりっ、かりっ。
 自分が爪を噛んでいることに気づいた。
「その日から何度も、あの人は姉さんじゃないって考えたわ。警察はうちにも来るし、嫌な思いもしてこなかったわけじゃないから。……でもね、あるく。どれほど憎んだって、苦しんだって、家族の縁が切れるわけではないのよ」
「──充希の家族になってあげてっていうことなのね」
 小春さんは優しい。自分の姉が壊れた原因が、その夫の不倫にあるというのに。その不倫相手の子どもの充希を守ろうとしている。
「私では無理なのよ」
 この人もずいぶんと苦しんできたのだろう。
 私を救おうとして、充希のことも気にかけて、必死で道を外さないように。
「充希くんは、救えない」

Re: 冷たい手 ( No.6 )
日時: 2018/08/18 08:08
名前: 朝倉疾風




 高瀬との約束の時間になった。
 火曜日。お互いの仕事が終わって、21時過ぎ。S駅の西口で、涼しい夜風にあたりながら煙草を吸っていた。もう、日が暮れると蒸し暑さもなくなり、薄いカーディガンを羽織っていても丁度いい。
 年を取るごとに、あるいは仕事柄のせいか、道行く人をよく観察する癖がついてしまった。脳内でスケッチをしながら、二本目の煙草に火をつける。通りすぎていく人たちのなかに、もしかして充希がいるのでは……と考えると、自然と背筋が伸びて緊張が走る。
 心細い。
 こんなに人がいるのに、心細いなんて。
「おまたせ、あるく」
 高瀬は少し遅れてやってきた。
 手をつないで、近くの居酒屋に入る。彼なりに、充希に会ってからナイーブになっている私を心配してくれているらしく、なるべく賑やかな店に入った。私は静かなところも好きだけれど、人の多いところのほうが好きだ。
 酒を飲み、刺身を食べ、枝豆をこれでもかというぐらい胃のなかに入れる。
「本当に枝豆好きだよね」
「だってかわいいじゃない」
 ぷちぷちと、豆を出しながら話す。
 他愛もないことを、ずっと。でもある時、ふと会話が途切れた。決して居心地が悪いわけではないが、なんだか自分のことを話したいと思った。自分のことというよりも、あの彼女のことを。
「少し昔の話をしてもいい?」
「いいよ」
 ほんのちょっとだけ、彼が身構えた気がした。私の話す過去のことは、明るいものではないから。
「高校生のとき、仲良しの子はいなかったの。みんな私と話したくなさそうだったし、関わってくるとしても事件のことに興味がある子ばかりで。でも、部活がないときに一緒に帰るだけっていう友だちはいたのよ」
「へえ。その子もひとりだったの?」
「ひとりだったけれど、私とひとりの質が違うっていうか……。きれいな子で、影ですごく人気があったっていうタイプ」
「うん、うん。わかるよ」
 枝豆を口に入れて咀嚼する高瀬。リスのようで可愛らしい。
「その子がどうして私と一緒に帰ってくれるのか、わからなかったけれど、よく自分の恋愛の話をしていたわ。その子には好きな人がいて、この先どんなに素敵な人が現れても、その人にはかなわないでしょうっていうぐらい、絶対的な人が」
「それはまた、高校生でそういうことが言えちゃうなんてなかなかだな」
「でしょう。よくわからないけれど、目がすごく本気だった。──でね、その子の好きな人っていうのは、実のお兄さんだったの」
 枝豆を手にしていた指が、止まる。
 高瀬は目を少し大きくさせて、眉をしかめた。
「お兄さん?」
「ええ。その子の恋愛は一生かなわない。実のお兄さんに恋をしていたから」
「ディープだな」
「私も聞いていて驚いたの。そんな身近な人を好きになる感覚はなかったから」
 彼女はそれでも自分の恋を信じていた。かなわないと知っていながら。
「夏休みになって、その子から電話がかかってきたの。内容は、お兄さんにカノジョがいて、家に連れてきたんだっていうものだった。すごく辛そうで、取り乱していて、私はバカだから慰めの言葉ひとつもかけられずにいたの」
「それで」
「それで………電話がきれて。夏休みが明けても、その子は学校に来なかった」
 あのときなんて言っていたっけ。

──だから告白をすることはないけれど、ぶつけることにしたの。
──私はもう、自分の恋に希望を見いだせないから。

「自分の恋に、希望を見いだせない」
「そう言っていたの?」
「ええ。それで……彼女は死んだの」
 私の予想では、きっと彼女はこの世にいない。死んだのだ。兄の前で。
 絶望で印象付けられた彼女の最期。恋の終わり。私にはとても真似できない。
「それを思い出すきっかけっていうのは、弟くんに対しての気持ちではないよね」
「どうしてそうなるの」
「キョウダイで、ってそういうことじゃなくて」
「違うわよ」
 明らかにむっとなるのがわかった。
 高瀬もそれがわかったようで、けれど自分の考えは変えないみたいだった。
「なんだかね、過去に囚われているというよりも、彼に対する思いが強いんだよ。トラウマっていうのもあるんだろうけどね」
「それが恋しているって言いたいの?高瀬、私はあなたの恋人なのに」
「恋をする対象が何人いたってかまわないよ」
「そういうことじゃない」
「充希くんっていう弟の影が、常に濃くあるんだよ。最近のあるくは」
 思わず賑やかな店内を見渡した。
 充希がすぐ近くにいるような気がしたのだ。
 でも、そんなことも決してあるわけがなく、客たちはさっきと同じように酒を飲んで騒いでいる。
「まるで、ふたりでひとつみたいだ」
 ふたりでひとつ。
 他人から見たらそう見えるのだろうか。
 私と充希の重なる部分なんて、何一つないというのに。

Re: 冷たい手 ( No.7 )
日時: 2018/08/25 07:23
名前: 朝倉疾風


「今日の高瀬って意地悪だよね」
 自分でも笑ってしまうほど、皮肉めいた声が出た。高瀬は悪びれる様子もなく、「そうかな」と言ってビールを飲む。店員を呼んでおかわりを注文してから、「充希くんがそんなに怖いかい」と向き直った。
 怖いというよりも、彼に会ったら色々思い出してしまうのだ。もう過ぎ去ったことのはずなのに、一気に過去に引きずり戻されたようで、おぞましい。
 しばらく飲んで、店を出ることになった。
 ふたりとも足取りはしっかりしている。酔っていない。
 これからどうするという話にもならず、待ち合わせの駅で別れようとした時だった。
「あるく」
 高瀬に呼ばれて、顔を上げる。無意識に視線を落として歩いていたのだ。
「なに」
「あいつ、あるくのこと見てる」
 一瞬、充希かと思って心臓が上下に揺れた。
 しかし、その心配は杞憂で、私をじっと見ているのは大学生ぐらいの女の子だった。見ているというより、睨みつけている。どこかで会った気がしたけれど、気のせいだろうか。
「細島あるく……」
 さいじまあるく。
 私の名前だ。
 彼女はゆっくりと私に近寄り、耳元でぼそぼそと何かを呟いた。人混みのなかで、その声はかき消される。こんなに近いのに、聞き取れないほどその子の声は低かった。
 と、その子がバッグの中から、何か光るものを取り出したことに気づく。
 小さな、果物ナイフで──
「────っ」
 反射的に、そのナイフの刃を掴んだ。
 女の子がナイフを手前に引く。熱い、痛みが走った。高瀬が女の子の手首を強い力で握る。それに怯んだのか、ナイフは地面に落ちた。私の血も。
「おいっ」
 野太い高瀬の声。
 ナイフを拾い、彼女は去っていく。
 追いかけようとする高瀬の服を引っ張り、指が、ぶらぶらと、ぶら下がる手を抑えて、私は声を振り絞る。
「追いかけないで」
 思い出したのだ。
 彼女は、充希と再会したときに彼の後ろにいた子だった。

Re: 冷たい手 ( No.8 )
日時: 2018/09/09 13:51
名前: 朝倉 疾風

8

右指の神経がどうにかなっているとか、不自然に曲がったままになるとか、高熱が数日ひかなかった事とか、自分の体が言うことを聞かなくて苛立った事とか、もう全部吐いて終わりにしてしまいたいと思った。トイレに何度も向かう私を、高瀬は何も言わずに見つめていた。一度だけ「なんで警察に言わないんだ」と、本気で問われたことがある。いつもは怒らない彼の、怒りの込められた眼差し。
胃の中のものを出し切った私は、彼には絶対にわかりっこないのに、なんで返答をしなければならないんだろうと理不尽な諦めに近いものを抱いていた。
「もっとやってもらってもいいくらいだわ」
自嘲気味につぶやく私を打とうとして、けれどそれができなくて、優しい高瀬は抱きしめる。私の右手に注意しながら。
「もう、絵が描けないんだよ」
私より辛そうな高瀬の声だった。大事な人が泣くのを見るのは辛い。私はそれ以上何も言わず、彼の嗚咽を聞くことしかできなかった。

小春さんも、私の話を聞いて旦那さんと駆けつけてくれた。右手が不自由になった私は、もう仕事ができない。リハビリをすれば動くようになるかもしれないからと、私を説得する彼女たちに、私はその必要はないと伝えた。
「自分の不注意だもの」
小春さんは私がフルーツを切ろうとして手を滑らせたと聞いている。どうしてそんなことに、と不審そうだったが、私は真実を話さなかった。
今まで平和に浸りすぎだのだ。穏やかで緩やかで甘いひととき。決してそうなってはいけないのに。
小春さんは私が少しでも元気でいられるように、好きな音楽をかけたり、山盛りの野菜を持って来たり、美味しいパスタを作ってくれたりした。仕事を辞めるので、暮らしに困るだろうからまたうちにおいで、とも。
考えておくね、と答えた。
右手がとても疼く。感覚なんてないはずなのに。


毎日の消毒が辛くて泣きそうになる。消毒液の匂い、縫合された生々しい傷跡、感覚がない指。ひとり、洗面所でこの作業をしているときが一番辛いかもしれない。もう動かなくなったしまった私の指。
彼女は、どういう気持ちで私を刺したんだろう。殺すつもりだったのだろうか。まだ若く、美しい子だった。充希の過去を知って、私を恨んでいるのかしら。充希が、私に対して何の怒りも抱かないことに苛立って……。
「人なんて殺すもんじゃないわね」
ぽたりと、口から出てしまった。
約20年間も封じてきた、私の秘密。
誰にも聞かれてはいないかと、周りを見渡す。大丈夫。このアパートには私以外誰にもいない。誰も聞いちゃいない。

Page:1 2



小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


E-Mail


URL


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大7000文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。