複雑・ファジー小説

霊獣インストール
日時: 2019/08/17 00:47
名前: 桐霧舞 ◆.a2nfBdRuY

 墨汁が真っ白な布に広がるように、この世界に爪を立てた理不尽さえ、バグだと吐き捨てられたならば。キーボードを叩いて無かったことにできたならば。

 どれほど、幸せなことだろうか。



〆 main story

♯1 静謐を破るプレリュード
>>1 >>2 >>3

Page:1



Re: 霊獣インストール ( No.1 )
日時: 2019/07/29 11:42
名前: 桐霧舞 ◆.a2nfBdRuY

#1 静謐を破るプレリュード

「ずっと育ててた相棒にようやくあの人権カスタムをインストールできたんだけどさー」

「マジ? きつかったろ?」

「そーそー。素材集めに一か月くらいかけたしミッションクリアには半年くらいかかったから、ほんとここまで苦労したわ。でもその分めっちゃくちゃ強くなったんだよ。後でフレ戦頼むわ」

「おっけー。まあ今日はボコられそうだな。うちの霊獣、巣立ってったばっかりだし」


 灰色の教室に、名も知らぬ級友の声が響いている。今日もまた、少年の瞳に映る景色は、時代遅れのモノクロだった。

 音のしていないヘッドフォンの向こう側。社会ブームを巻き起こす、ソーシャルゲームの話題を男子高校生たちが繰り広げていた。遊びたい盛りの年頃で、世代を超えてあらゆる人たちと共通の趣味を持つことができる。今の世の中は、『霊獣顕現』により簡単に共通項を得ることができた。

 下らない。他人と隔絶した世界に閉じこもるために、少年はヘッドフォンを付けっ放しにしていた。好きな音楽も無ければ、興味のある動画も無い。ただ、それを着用している間は誰も干渉してこない。その孤独が心地よくて少年は、半透明な殻の中に独り閉じこもっていた。

 楽しいことなど一つも無くて、生きる喜びさえ見つからない。ただ退屈に、味の無い砂を噛み締めるような怠惰が続いていた。他の人のように霊獣顕現にのめりこむことができれば、もっと友達も多く、日々に娯楽を見出せる、所謂「普通の生活」を享受できただろう。

 どこで道を違えたのだろうか。そんな事を彼は考えない。何せ彼自身は道を間違えたことなど一度として無い。それは彼が聡かったなどという前向きな理由ではない。むしろその逆、彼はこの十数年の人生で、一度として己の意志で立ったことなど無かったせいだ。『初めから、進むべき道が閉ざされていた』せいだ。

 よくもこんなゲーム一つで盛り上がれるものだ。声には出さずに吐き捨てた。興味も無い。真面目にプレイするつもりも皆無。しかし他ならぬ家族の意向で彼もまた、DDD―Digital Device for Debugger―を持たされていた。機動したことなどほんの数回程度。それでも誰も文句は言わない。

 楓助(ふうすけ)にとって苦行なら、無理に遊んでくれなくてもいい。それでも、それは楓が遺したものだから、せめてお守り代わりに身に着けておいて欲しい。ピクリとも表情筋の動かない、笑った姿など一度も見たことがない父に言われたその言葉には、いつ思い出しても違和感しか覚えない。あの堅物が、「ロボットそのもののような男がスーツを着て歩いている」と評するのが似合うような父が、よりによって娯楽の象徴を肌身離さず持ち歩けと指示した過去の事実が。

 理解できない訳でもない。DDDの普及率はもはや異常だと言えた。コミュニケーションツールとして、存在は不可欠。当然老若男女は問わない。例えそれほど真面目に霊獣顕現をプレイしていなかったとしても、DDDの所持の是非は大きく世渡りに左右する分岐だ。今、世界中で最もアクティブユーザーの多いゲーム。日本人のおよそ八割が没頭していると言われる電脳遊戯。そのために用いる携帯端末であるDDDは、むしろ持ち歩いていない方が不自然と言えた。

 特にその質問対象を若者に限定すると九割五分を超えるとのことだった。かつてスマートフォン業界はおよそ三つの大企業で日本中の顧客を取り合っていたらしいが、霊獣顕現を通じたMaple Inc.の台頭により、そのどれもが駆逐されたと言っても過言ではない。

 なぜ、『霊獣顕現』なるものがそれほど世の人間を魅了したのか。それはもはや電子上の、すなわち架空の虚像を映すだけの単なる娯楽とは呼べなくなったせいだった。それはなぜか。簡単だ。今や人類は、霊獣に触れることができるようになったからだ。

 いや、逆だ。少年はその考えを軽く否定した。その言い方は正しくない。正しい表現があるとするならば、きっとこうだ。

 霊獣は、今やこの世界に干渉することができるようになったからだ。

 電子の雲海を泳ぐ龍は、量子の大地を駆ける獣は、Maple Inc.の開発したTaVテクノロジーにより、架空から現実へと昇華したのだから。

 全ては天才、七里 虹理(ななさと こうり)およびその夫人たる七里 楓による発明だった。既存の技術を、一挙に数十年先にまで推し進めたとされる、21世紀のエジソン。

 我が親ながら、何とも恐ろしい才能だ。その遺伝子全てを棒に振っていることなどお構いなしに、佐藤 楓助、いや正しくは七里 楓助は、気持ちのこもっていない感嘆を浮かべた。七里という名では目立つため、母親の旧姓を名乗ることにしている。母、楓の旧姓が佐藤というありふれたもので良かったと心底思う。

 天才の血を引くサクセスストーリー、なんて、始まってすらいなくて。クライマックスも無ければ後奏の余韻も無い。序奏さえ鳴り響くことなく、シンと静まり返っている。静謐、そう言ってしまえば聞こえはいい。退屈という墨で塗り潰す手間さえ惜しんでいる。



 彼の人生は白紙のまま、屑籠に捨てられようとしていた。他ならぬ。楓助自身の手で。

Re: 霊獣インストール ( No.2 )
日時: 2019/08/16 11:07
名前: 桐霧舞 ◆.a2nfBdRuY

 半ば夢うつつのような状態で、彼はその日最後の本鈴を耳にした。何十年前、あるいは百年以上も前から変わらない、学校全域に時間の節目を伝えるための鐘の音。六時間目が終わる音を校舎内のスピーカーが、寸分としてずれることなく全生徒へ通知する。教師もそれを耳にし、てきぱきと教材を畳み始めた。

 板書は間違いなく為されている。目で読み取った情報を、そのまま手元のタブレットのノートアプリに書き留めるだけだ。文字さえも言葉として認識することなく、意味を持たない図描を、真っ白なキャンバスに写す。自分が何を書いているのか把握などしていられない。教師の声さえ、耳に入っては反対側の穴から突き抜けていく。無味乾燥した世界では、感動など最も遠い心の動きだった。

 そんな事だから彼はあまり学業に秀でていなかった。それでいいと思っていた。友人らしい友人もおらず、数少ない知人に辛うじて気にかけられているだけだ。そう、本人は信じ込んでいる。当の知人達は、彼自身が思っているよりもずっと、楓助のことを気にかけてくれているというのに。

 また、付け加えるとすれば彼の振る舞いは薄気味悪く思われがちで、悪ふざけをする対象としても認識されていなかった。

 幽霊みたいだ。干渉されない代わりと言っては何だが、そんな風に後ろ指さされたことも一度や二度ではない。だが、それでいいと思っている。その評価が心地よいと思っている。ただ虚ろに、目的も持たず、幽鬼の如き鈍い眼光を瞬かせ、自宅と教室との間を行ったり来たりするだけ。楓助自身も、自分がこの大地に足を踏みしめて生きている保証なんて、全くできなかった。

 彼の身支度は早い。最後の授業で使った教科書と筆記用具を鞄に投げ入れるだけだ。娯楽もスポーツ用具も詰まっていない彼のスクールバッグは、いつもスカスカだった。活きる最低限しか持ち合わせていない。それは奇しくも、楓助本人の中身を指しているようであった。

 どたばたと、いくつか足音が重なっている。誰が訪れるか何となく察された楓助は顔を顰めた。人というものには個性がある。楓助にだって、個性を全く表現しないという彼らしさが存在している。そして個性を表現する媒介は何も、言動や声音、容姿だけに留まらない。

 足音だってそうだ。歩き方、地面の蹴り方、リズム、あわただしさ。よく耳をすませば一人一人その雰囲気は異なる。他者に興味を持つことができない楓助には、その細かな機微を明確に察知はできないけれども、あくまでよく知った人間については話が別だ。

 微かに扉の向こうに響く足音から、息遣いが聞こえてくるようであった。


「何の用なのさ、川良(かわら)、花菱(はなびし)」


 静かに教室後方の自動ドアが開き、想定通りの顔が覗いた。前側の扉から静かに退散しようかとも考えたが、やめておいた。追われるだけと分かっているため、黙って待つことにした方が得策だった。

 想定が確信に変わるよりも早く、楓助は口を開いていた。大体、二人の顔が丁度覗いた時に名前を呼びかけたような具合だ。おそらくは隣のクラスからそれぞれ走ってきたのだろう、鞄も持たずに二人とも軽く肩を上下させて顔を赤くしていた。


「明日の準備で買い出しに行くって言っただろ。明日、サラのたんじょ……」

「言っただろ。もう今年から俺は行かないって」

「駄ぁ目だっての。お隣さん泣かせていいと思ってんの?」

「お前らが居たら寂しくないよ」

「本気で言ってそうなあたりがマジ信じらんないんだけど……」


 彼が周囲の人間からやっかまれていない理由をもう一つ挙げるとするならば、この二人の存在を語らねばならない。同じ幼稚園に通っていた、いわゆる腐れ縁であり数少ない知人である。とは言っても知人と認識しているのは楓助のみ、相手からは間違いなく友人の枠組みに入れられているだろうにそれを認めようとしないところが、彼の友人泣かせなところだった。

 なぜこの二人のおかげなのか。それは、良くも悪くもではあるが川良と花菱の学内評価のおかげではある。川良 たんぽぽ。可愛らしい名前とは裏腹に、中学時代は空手女子の部で日本一の座を勝ち取った少女である。制服の上からは華奢な少女としか思えず、その獣のような肉体に誰も気づくことはできないだろう。着崩した制服に、ばっちり化粧も施しているような彼女だが、爪は短く揃え、激しい運動もこなせるようにスカートの下には短いスパッツを着用している。動物に例えるならば虎や豹のようなもので、細身の体の中に、その獰猛さを隠している。今でも空手を続けているが、周囲の女子とのコミュニティ形成も欠かさない。人間性とステータス、二つの柱に支えられた川良は、学内のカーストが最も高い位置にいる。

 もう一人旧知の仲の男がいる。さては彼も何かしら華々しい経歴があるのかと言えば、そうではない。むしろその逆と言って然るべきだった。

 花菱 風雅(ふうが)。中学時代、同級生を階段から突き飛ばして大怪我を負わせた、とされている。事実はともあれ、それで謹慎を受けた事実があるため、世間的にはそれが真実であると思われている。実際のところは、独りの慌てん坊が自分から足を踏み外して転がり落ちただけなのだが、しょうもない事情から花菱のせいだと主張された。

 そのせいで花菱はそれまで打ち込んでいた野球をやめさせられ、謂れの無い中傷に晒されることとなったが、川良とサラの尽力、および僅かばかりの楓助の助力でその濡れ衣を晴らすことができた過去がある。

 しかし、事情を深く知ることのない他校の人間にとっては、初めに流れたショッキングな噂こそが真実だ。そのため、中学を出て、高校に入り、花菱のフルネームを聞いた途端に『あの花菱 風雅』であると恐れられた。なまじ、これまで野球のために鍛え上げた肉付きも仇となった。歪んだフィルター越しに見える少年は、さぞかし悪人面に見えたのだろう。糸目がちで表情が読みづらいことも原因として挙げられる。

 同学年の中では花菱は川良の舎弟という扱いになっていた。あの花菱を飼いならすなんてという畏敬の念がさらに川良に注がれることとなり、川良さえいれば問題無いだろうと、高校生活も二年目に突入して受け入れられがちになったが、それでもやはり花菱 風雅は恐れられていた。


「明日、ちゃんと顔出せば問題ないだろ」

「楓助がプレゼント選んだ方がサラは喜ぶんだ。いいから来い」

「誰が選んでも同じだろうに」

「本気で言ってんのよねー、あんた。だから怒るに怒れないというか」


 虚空を居心地悪く睨みながら、呆れた溜め息を唇の隙間から漏らす。その溜め息の理由も理解できず、きょとんとした様子の楓助は軽く首を傾げた。


「俺にだってわかってることはある」

「期待はしないけど聞いたげる」

「逃げても追いつかれる。はなから付いて行った方が建設的だ」

「期待を裏切らないってのはこういうことなんだな」

「こういうことね……。こいつらしいけど……」


 頭を抱える両名に、余計に楓助は疑問を募らせる。この鈍感野郎と引っ叩いてやろうかと川良 たんぽぽは目の前のヘッドフォンをつけた少年を瓦に見立てたものの、二つの理由から首を横に振った。そんな事したらこいつが死ぬ。また、楓助が鈍くなってしまったのも仕方のないことだからだ。

 いつの頃からか、ずっと、彼は人の心を理解しようとしないまま、育ち続けてきたのだから。誰より心の機微に疎い人間になってしまっても仕方の無い事だった。

 だからだろうか。今のデジタルな世の中になってなお、感情表現を忘れないサラと楓助には、一緒にいて欲しいと願ってしまうのは。

 そして記憶の片隅にある、出会ったばかりの頃、泣いてばかりだった楓助を思い出してまた、この数年何十回とぼやき続けてきた声を彼女は漏らしていた。


「昔は、こんなんじゃなかったくせに」


 だからこそ、彼女も、花菱も、サラも楓助のことを見捨てられない。それが分かっているだけに、力になれない自分たちが、どうにも歯がゆくて仕方なかった。

Re: 霊獣インストール ( No.3 )
日時: 2019/08/16 11:03
名前: 桐霧舞 ◆.a2nfBdRuY

 ムーンライトパレスと呼ばれる大規模なショッピングモールがある。2070年にサンシャインシティが全面的に取り壊され、周囲の建物ごと取り込んで新たに作られた日本最大の商業施設だ。地下七階から地上では二十階まで。圧倒的な敷地面積を持ち、日本だけでなく世界でも有数の建造物でもある。階層ごとに取り扱っている商品だけでなく、対象とする客層も異なるため、老若男女だけでなく、あらゆる世帯に対応している。入ってすぐ、エスカレーター程度で行き来が簡単な階層には、子供一人で入っても不思議に思われない店が並んでいる。そのため、親御さんたちも安心して息子や娘を送り出せるだけの信頼を寄せていた。

 また、地下の中でも最下層とその上の階に関しては遊園地となっており、買い物帰りに子供たちを遊ばせる、あるいは買い物中に子供たちに満喫させるのにうってつけになっている。スタッフの数は恵まれており、それを支えるだけの来場者と売り上げを日々の業績が示している。

 圧倒的質量を持つ、石と鋼の要塞。これといった趣味も持たず、ショッピングなどろくにしない楓助にとっては、娯楽に満ちた商業施設も、ものものしい武器にあふれた軍事施設も変わりがない。自分にとってどうでもいい道具の巣。そこからうじゃうじゃと、蜘蛛の子を散らしたように出てくる顧客も、整列して歩みを進める軍人も、自分の人生には関係の無いエキストラだ。

 とはいえ、自分もこの世界のエキストラに過ぎない。川良と花菱が隣で「ああでもないこうでもない」とサラの誕生日プレゼントを何にするか考えているのを聞き流し、他者の世界から自分を追いだし、殻にこもってしまおうと、ヘッドフォンに手をかけた。


「こら、もうすぐ着くんだしやめなさい」

「母親じゃあるまいし、ほっといてくれないか」

「その絶妙に返事しづらい愚痴、マジで勘弁なんですけど……」


 こめかみの辺りを引き攣らせ、川良は拳を握る力を強めた。その掌は、今にもヘッドフォンをつけようとしている楓助の手を止めるべく、彼の手首のあたりを掴んでいた。川良の筋力でそれをされると痛くて仕方ないと、楓助は顔を顰めた。


「川良に叱られるといつもそれだな、楓助は。どっちかって言うと姉と弟だけど」

「こいつ私がそれでたじろぐって知ってて母親ってワード出すからな、マジたち悪ぃ」

「たんぽぽ姉ちゃん、手離して」

「流石に鳥肌立つからやめて」


 楓助の母、俗に言うならば霊獣顕現の生みの親、七里 楓は楓助を生んだ一週間後に心臓発作で亡くなっていた。そのため、楓助は母親を知らないし、授乳の経験さえ無い。母親から貰ったものなどその命一つで、愛情らしい愛情を知らずにこれまで生きてきた。

 幼稚園の頃からの知り合いである二人は、その事をよく知っている。だからこそおいそれと口に出せない。不謹慎なものが何であるか、分からない程子供ではない。


「人多いんだから、そんなのつけてたら危ないだろ、やめとけ」

「そうだな、やめとくわ」

「なんで風雅の指示にだけは大人しく従うかなー?」

「積んだ徳の違いかな」

「やっぱ楓助いっぺんマジでシメとくか?」

「遠慮する」


 いいや、やるねと宣言し、無慈悲な拳を脇腹に入れる。とはいえあくまで人前であるし、それ程本気で苛立った訳でもない。本人としては小突いた程度のものだったが、打たれ弱い楓助にとってはよろめく程度のものだった。

 これだから空手バカは。そんな風に悪態をつくようなこともない。無感動な少年は、痛みを肉体的な刺激と感じるものの、その痛みを不快だと思うようなことも無いのだから。

 野生児としか認識していなかった川良も、どうやら高校で一年過ごす間に女子らしくなったらしい。そんな事を楓助は考えた。ぼそぼそと、本人に聞こえないように花菱にだけ耳打ちすると屈託なく笑われた。確かに、中学までのあいつだったらこんなに迷わなかっただろうなと。欲しいものを予め決めておいて、あるいは到着すぐさま直感で選んで、それだけを掴んでレジに向かう。幼い男子とよく似た買い方をしていたはずだ。

 それなのに今や、「あっ、これ可愛い」と言いながら飛びつくものの、一旦他を見てみようなどと口にし、一しきり巡った後にまた悩んでいる。いいと思ったものは数多く会って、学生の身分だから予算は限られていて。だから選ばなければならないのだけれど、どれもいいと言えるところが微妙に違うせいで、決めきれない。


「花菱は知ってたか、川良の変化」

「いや、別に普段一緒に買い物行ったりはしないからな」


 そもそもムーンライトも久しぶりだと、彼は続ける。野球も辞めた今、ムーンライトのスポーツショップに寄り道するようなことも無くなった。昔はその店にしか行っていなかったくらいのもので、ムーンライトと言えばスポーツ用品店に足が向かってしまう。だから、明確に欲しいものや目的が無い限り、ここには足を運ばないようにしていたと彼は言う。もう諦めてしまったし、今更また部活動なんてする気は無いけれども、消したはずの情熱がまた燻らないように。


「悪いな、変な事思いださせて」

「俺が自分から言っただけだっての。気にすんな」


 それにしても楓助の口から悪いな、なんて言葉が出るとは。感心して手を叩こうとした花菱だが、続く返答には眉を顰めるしかなかった。


「本当に悪びれているのかはともかく、礼儀ぐらいは弁えている」

「それを言うのが失礼だって気づくべきなんだよな……」


 そんな事言っても始まらない。諦めた方が得策であると判断した花菱は楓助を引きずってプレゼント選びへ合流することにした。


「それで、何か方向性は決まってるのか、川良」

「あー……身に着けるものがいいみたいなんだよな」


 サラの母親にメールして、それとなく欲しいものを打診したらしい。口が裂けても楓助にだけはばらせないが、「もし楓助から何か貰えるとしたら何がいいか」という問いで、だ。サラも当然楓助の性格を熟知している。あり得ないけどもしあるとすれば、という仮定の話だと、呑み込むのは早かった。


「楓助と……ってか私達とガッコ違うじゃん? だから見たら思い出せるように、身に着けられるものがいいんだって」


 それに、仲良しの友達が支えてくれるみたいで、大きな試合でも元気が出てくる。そんな少年漫画の主人公のようなことも言っていた。純朴で穢れを知らない彼女には、よく似合った理由であるように思えたし、それに感激して自分まで喜んでしまったため、川良は身に着けやすいものにしようと決めた。


「とはいえ身に着けるものっつっても色々あるぞ」

「私だってわかってるよ。だから悩んでるんだって」

「ネックレスみたいに身に着けられるものから、財布みたいな小道具まで色々だしな」

「そうそう。可愛い系がいいのか、いつでもつけやすい質素なものがいいのか」


 サラならちょっと派手でも可愛いものの方がいいと思うんだけどなと、川良は呟く。ただ、デザインの主張が強いとサラの趣味に合わなかった時が怖い。できれば彼女が喜んで使えるようなものがいいのだけれど。

 お前が決めれば楽なんだけれどなと、横目に楓助を睨む。そうすれば無条件で喜ぶだろうに、と。隈の上で鈍く淀んだ眼光を放つ彼の瞳が、視線を感じて反射的にそちらを向いた。睨みつける川良の眼差しと交錯する。その険しい目つきを「お前も何か意見を出せ」という言外の命令だと勘違いした楓助は、一瞬逡巡したものの、仕方なく口を開くことに決めた。


「俺は髪留めがいいと思う」

「へっ?」


 まさか自分から口を開いて意見を言うとは思っておらず、目をぱちくりと開いて気の抜けた声を漏らした。


「最近髪を伸ばしてるらしいから、試合中邪魔になることが多いって言ってた」

「いつ?」

「昨日、家の前で出くわした」

「丁度いいじゃん、欲しいものが分かってるってんなら」

「まあ、確かに……」

「俺が提案するのはそんなに意外か」

「当たり前でしょ……。それはともかく、マジでファインプレーだよ、楓助」

「そりゃどうも」


 早いところ帰りたいだけなんだけどな。そんな独り言を口にするほど野暮ではない。というよりむしろそんな事言おうものならまたお説教が始まるに決まっている。だからと言って疲れるとか、気を悪くするつもりは楓助的には無いのだけれど、目の前の川良の機嫌をわざわざ損ねるのも憚られた。

 どうせなら、楽しんでくれる方が良い。自分はここにいようと、早く帰ろうと何も生活の彩りなど変わらない。それなら、他人の日々を少しでもましなものにできるとしたらそれで満足だ。

 それだけ口にしていると、叔母からはしばしば優しい甥っ子だと評価される。しかしその評価は間違っていると楓助は感じていた。反論を実際にした訳では無いが、心の中ではその度に否定していた。俺は、他人の想いなんてどうでもいいだけだ。それなら後腐れが無い方がいい。そのためには、相手のためになることをするのが一番だ。


「愛の反対は無関心、か……」


 大昔にノーベル平和賞を受けた人物の言葉を呟いてみる。そんな囁きは、雑踏の中で知人二人に届くことも無く、踏みつぶされていった。女性向けの装飾品を取り扱っている店に向けて、二人は歩き出していた。はぐれたらそれはそれで面倒なんだろうな。見失う前に、その背を追うことに彼も決めたのだった。

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