複雑・ファジー小説

超短編と短編を詰めようとしている訳でもない
日時: 2020/06/07 14:45
名前: 海原ンティーヌ (ID: Wpc96rD2)

タイトルの通りです。長いタイトルのネット小説は伸びると聞いたので是非あやかりたいですね。


>>1 辞書ぱっと開いて目に付いた単語をお題にして書いたやつ
>>2-3 お題その2。没のやつ。気が向いたら続くかもしれない
>>6 SS企画の超短編のやつです。

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秋月 ( No.1 )
日時: 2020/04/21 15:11
名前: 海原ンティーヌ (ID: Wpc96rD2)

 月には兎がいるのだろうか。

 「いるわけない」と言ったら「自分で確かめてもないのに?」と返したあの子は元気にしているだろうか。中秋を少し過ぎた頃、白い月が見守るあおい家路で、幼い僕らが約束した事を彼女は覚えているだろうか。「宇宙飛行士になる」「小説家になる」と。一方の夢は叶ったけれど、もう一方の夢は叶わなかったこと、彼女は知っているだろうか。今や僕は毎日のように、ただ上司に頭を下げ続け、惨めという言葉では足らないくらいな人間だということを、知っているだろうか。彼女がテレビの中で無邪気に笑っていたとき、かたや僕は満員電車の中表情を失い、過ぎ去る日々を無為に過ごしていたことを、知っているだろうか。
 どうか知らないでいて欲しい。彼女の月光のように曇りない願いを、陰らせるのは本意ではない。

 僕が仕事を首になったあの日、彼女がついに宇宙飛行士として月に降り立った、記念すべきその日。彼女は銀砂の上をたった数歩歩いて、それから彼女からの通信はおもむろに絶たれた。
 あの日から今日で2年が経つ。彼女は依然として月面の彼方に消えたまま。自分の望みが、全地球を震撼させたことも露知らず。そして、一面の銀世界には目もくれず、彼女はきっと今も兎ばかりを探し続けているのだろう。
 僕はあれから、ふとした時に彼女の顔を思い出すようになった。垂れ流しになる沢山の感情の中で、たった一つの、そしてひときわ大きな疑問を抱えて、僕は今日も人混みに息をひそめて生きる。

 月に兎はいたのだろうか。
 ただそれだけが、気がかりだ。

没・桜 ( No.2 )
日時: 2020/04/29 19:06
名前: 海原ンティーヌ (ID: Wpc96rD2)

 友人とお題「桜」で書いて没になったやつです。ぶつ切りで推敲もしてません。あと流派の名前は適当こきました。剣術ガチ勢の方いたら先に謝っときます。



1/2



「大変だ大変だァ! 櫻(おう)ちゃん、櫻ちゃんはいるかい!!」

 鏡の様に磨き上げられた外廊下を、どたどたと駆け抜ける小柄な男が一人。一言で言えばまるで鞠。藍染の着流しをばたばたとはためかせ、曲がり角で見事すってんころり。男は情けない悲鳴を上げて、庭の植え込みの下へと転がり込んでいった。

「八太郎! 母様は花を生けてらっしゃる最中なんだ! 静かにしな!」

 ぱぁん、となんとも気持ちの良い音が響き、土の上で腰をさする男……八太郎の見上げる先で、襖障子が凄まじい速度で開く。そこには眉を仁王の様にいからせ、口を「へ」の字を通り越して富士の様にひん曲げた娘が立っていた。どうやら彼女が「櫻」と呼ばれた娘らしい。萌黄の小袖と立涌模様の帯を身に纏い、背丈は八次郎と同じくらいに高く、それと共にかなり気位も高そうではある。しかし、まるで童子の様に鮮やかに浮かんだ表情が、櫻を実の年齢よりも幼く見せていた。彼女の顔を見、即座に八太郎は背筋を伸ばす。その左手には何か白い紙が握られていたが、それに気づかないのか、櫻が怒り心頭といった感じで再び口を開く。その瞬間、櫻の背後からやんわりとした女の声が彼女を宥めるように響いた。

「あら櫻、母は特に気にしてはおりませんよ。それよりも八太郎、何か大事なお話があるのでしょう」
「でも、母様……」

 少しばかり眉を下げる櫻。障子の裏、小さな部屋の隅にいわゆる「母様」はいるようで、緩やかな弧を描く紅色の唇と、臙脂色の袖が櫻の向こうに見え隠れする。

「はいっ、その通りでごぜェやす奥様! 実はですね」
「八太郎」
「はひぃ!?」

 櫻の目が鷹のように鋭くなり、八太郎を睨め付ける。八太郎はというと限界まで身体を縮こまらせ、まるで干物、乾物の類である。

「母様の寛大さに目一杯感謝するこった。全く、あと少しずれていたら植え込みも駄目にするとこだったじゃないかお前」
「あいや、それは悪かったよ櫻ちゃん。だけども兎に角こいつを読んでくれ、頼むよ」

 そう言って八太郎は手に握っていた紙を櫻に差し出した。八太郎の握り締め方の所為だろうか、紙は既にとんでもなくしわくちゃである。元は四つ折りだったようだが、今となっては折り目の跡すら見当たらない。櫻はそれを受け取り、大きなため息を吐きながら紙に付いた土を払う。八太郎が小さく肩を竦めた。

「表通りのお触書の看板に貼っつけてあったみてぇだ。最初に読んだのは八百屋の勘吉で、今じゃもう町中がこれの話で持ちきりだぜ」

 そう言うと八太郎は無言で、手に持った何かを胸の前でひっくり返す様な仕草を見せた。櫻は黙ってそれに従い、皺だらけの紙を裏返す。そこに綴られていた文字を見、思わず櫻は息を呑んだ。跳ね上がった眉がそのまま戻って来ない。ほんの僅かな沈黙の後視線を外し、櫻は八太郎の顔を見る。八太郎は滑稽に見えるほど神妙な顔で頷いてみせた。「はぁ」と驚きとも呆れともつかぬ声を上げた櫻。再び紙をひっくり返す。そのまま廊下に座り込み、脚を宙に投げ出すと、ずかずかと膝歩きで近づいてきた八太郎も紙面を覗き込んだ。二人の緊張を余所に、部屋の奥からのんびりとした、どこか不安げな声がする。

「櫻、櫻。何と書いてあるのですか? まさかお弟子さん達が何か……」
「違うよ母様、あいつらは関係ない」
「それでは……」

 櫻は声の方を振り返り、手にした紙面を母に突きつけた。

「『挑戦状』だと」




「正直、櫻ちゃんが挑戦を受けない訳が無いと思いはしたけどなぁ。それでも俺ァ心配だよ」
「随分とまぁ一丁前に言ってくれるじゃないか。あたしより弱いくせにねぇ、八太郎」

 地味な色合いの屏風の向こうで、八太郎は何か言い返そうとして、それから押し黙った。無言で口を尖らせる。沈黙が流れ、櫻は少しだけ口角を上げ、鼻で笑うと、自身の島田に結っていた髪を勢いよく下ろした。黒々とした豊かな長髪が空を切る。凛々しく大きな瞳と桜色の頬は健在だが、髪を解き、顔の印象が少し大人びてやっと年相応に戻った、といった感じである。そのまま櫻は帯を解き始める。帯を解き終わるとそれをほいと投げ捨て、今度は着物と襦袢を一度に脱ぎ捨てた。畳の上に次々と色彩が広がる。屏風できっちりと半分に仕切られた小さい部屋に、派手な衣擦れの音が響く中、八太郎は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「俺が櫻ちゃんよりも強けりゃなぁ……こんな舐めた挑戦状を書く奴なんざ、簡単にのしてやるんだがなぁ」
「なんだいそれ、面白い冗談だね」

 櫻はにこりともせずに言い放つと、真っ白な、洗い晒しの道着を着込み、その紐を結わえた。道着は随分と使い込まれていて、柔らかく、櫻の肌にすっと馴染むような着心地である。

「八太郎の言う通り、まったく舐めた挑戦状だ。本当に、四分の三がただの罵倒じゃないか! ……でも、まさかこれを素面で書くやつなんて、この大江戸中のどこ探してもいないさ。明らかに見え透いた挑発だよ」

 道着を着終わり、屏風に掛けてあった紺の袴を鷲掴みつつ、櫻は足元に放ってある先程の挑戦状に冷ややかな視線を投げかけた。でかでかと「挑戦状」と書かれていた面ではなく、逆の面が表になっている。そこには細々(こまごま)とした、いかにも几帳面な文字が並んでいた。

『挑戦状

 本日の昼八ツ半、劍櫻(けんおう)道場にて、道場師範、櫻との立ち合いを所望する。

 貴女様のお噂はかねがね聞いている。女だてらに数々の名高い勇士達を打ち負かしたと聞くが、所詮は下町の駻馬娘。八百長やら何やら下賎な策でも講じるかしたのだろう。どの面を下げて某(それがし)の前に現れるか、まったくもって楽しみだ。さらに聞けば貴女様も先代も、とても汚く往生際の悪い、邪道と呼ぶ事すら気が引ける戦法を取るらしいではないか。歴史の浅い新しい道場を潰すのは心苦しいが、このような下劣な戦法が民に広まるよりは随分とましであろう。まあ、某の剣術程度に敗北する様な道場など、廃れても当然といった所だが。

 閑話はこれくらいにして、それでは。貴女様がせめて臆病者でないことを祈っている。

 一介の風来坊より』

 道着に襷を掛け終わり、最後に櫻は自身の頬を両手で思い切り叩いた。乾いた音が響き、屏風の向こうの八太郎が腕を組んだままびくっと肩を縮める。

「確かにあたしはこの挑戦状の通り、馬みたいに見境のない娘かもしれないね。その挑発に馬鹿正直に乗ろうとしてるんだからさ」

 挑戦状を拾い上げ、櫻は自嘲気味に笑った。それから間髪入れず、迷いなく挑戦状を真っ二つに破ると、二枚の紙片を後ろへ放る。屏風を横に退け、八太郎の前に櫻が姿を現した。高い位置で髪を一つに纏め、唇を固く結び、先程までとは違い、近づく者を容赦なく傷付けるような鋭く尖った空気を纏っていた。八太郎が急いで立ち上がると、櫻はもう部屋を出ていったところである。八太郎はそれを追いかけ、部屋の襖を後ろ手に閉めながら櫻に問いかける。

「なぁ、挑発だって分かってんなら行かなくてもいいんじゃねえか。誰かの悪戯かもしれねぇしよ」
「あんたもあたしとお揃いで馬鹿だねぇ。父上と、それから劍櫻道場の信条を貶されたんだ、あたしがそれを許すと思うかい?」

 八太郎は諦めた様子で首を横に振って、頭を掻いた。眉尻が下がり、唇の間から大きな息が漏れる。

「行くなら止めねぇけどよ、櫻ちゃん。自分の身が危険だと思ったら恥も外聞も捨てて逃げるんだぞ。この屋敷に奥様をたった一人にするのは、俺も心が痛てぇよ」
「安心しな。他人から見たあたしなんか、あたしは糞ほどどうだっていいんだ。もしそうなったらさっさと降参してくるさ」
「それならいいがよ……」

 薄暗い廊下を、連れ立って歩んでいく二人。一切振り返らず進み続ける櫻の背中を見、八太郎は彼女の後ろで仔犬のようにしゅんとして頭を垂れた。

 暫く二人は全く言葉を交わさず歩き、こじんまりとした屋敷の外に出る。飛び石の上を歩み、小さな門戸の前に進むと、先回りして櫻の母親が門の脇で彼女を待っていた。

「……櫻、本当に行くのですか」

 垂れ目で困り眉の、虫も殺せなさそうな優しげな印象の女性だが、黒く、滝のように美しい髪の毛は櫻とまったく同じ様子であった。

「母様、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。さっさと行ってさっさとのしてくるから」
「でも櫻、もしかしたら相手は、何やら卑劣な策を弄してくるやも知れません。万が一にも櫻まで失ったら……私はもう……」

 頼りなげに道着の袖口を引く母の手をやんわりと握り、櫻は笑顔を返す。穏やかな陽光に照らされた横顔は、どこか寂しげでもある。

「大丈夫だよ母様。父上の二の舞にはならないって、約束するから」

 息を呑む音がはっきりと聞こえた。櫻の母はふっと目を伏せ、ゆっくりと娘の袖から白い手を離し、そのまま門の側まで数歩後ずさった。地面の砂利が控えめに音を立てる。それから彼女は深く頭を下げ、一礼。櫻へと向けられた声は、小さく震えていた。

「……行ってらっしゃい、櫻。どうか、無事に帰ってきて」
「ああ、当たり前さ」

 彼女が顔を上げると、既に櫻の姿は無かった。ひとり取り残された八太郎が慌てて一礼を返し、駆け足で門を飛び出して行く。次第に門の外から聞こえだした町衆の声に、櫻の母は心底から微笑を浮かべ、熱くなった目頭を押さえる。

「櫻を御守り下さい、あなた」

 全てを見守る様にゆったりと流れ行く白雲。澄み渡る午後の空へ向け、消え入りそうな声でそう囁くと、彼女はゆっくりと、古びた門に小さな背を向けた。

没・桜 ( No.3 )
日時: 2020/04/29 19:09
名前: 海原ンティーヌ (ID: Wpc96rD2)

2/2


 時間は飛んで町の外れ。櫻の家があった町中と比べて、建物は大分疎らになり、ぽつぽつと水田や水車も現れてきた。遥か遠く、向こうの方には小さく山も見える。そんな長閑な風景に反して、櫻と八太郎は、道を歩くだけで群がってくる町衆をかわすのに憔悴しきっていた。

「……あんたさ、まさか、皆に言い触らしがてらあたしの家に来たんじゃないだろうね」
「それこそまさかだぜ。そんな面倒臭いことするわきゃねぇよ」
「……それは、確かに」

 ぎりぎり舗装されている道をとぼとぼと歩く二人。野菜を山積みにした籠を背負った男と、すれ違いざまに揃って挨拶をする。男はいかにも筋骨隆々といった感じだったが、純朴そうな童顔をしていた。非常にのんびりとした口調で、なんだか騒がしいけどどうしたんだい、と問うてくる男に、八次郎は心の中で胸を撫で下ろす。さぁ、あたしも分からないんだよ、と櫻は答え、その男とは別れた。
 男の背が小さくなってから、櫻はなんとも爽やかに息を吐く。

「まぁ、ここは郊外も郊外、お江戸いちの田園地帯だしね。流石にこんなとこまで来る物好きなん……て……」

 言葉尻が消えゆく中、櫻の視界の彼方には、既に目的地の目印である、赤い鳥居が映り込んでいた。暫くして、八太郎がげぇ、とうんざりした声を上げる。二人がそこに近付くにつれ、大きくなる人々の話し声。立派な桜の樹に囲まれた道場の周囲には、既に人だかりが出来ていた。これではまるで奉納試合だ、と櫻は半ば呆れ顔である。
 劍櫻道場は、とある神社と敷地を共有している。正確には、神社の敷地内に、小さいながらも風情のある道場が鎮座している。そして毎年夏の盛りになると、境内の白砂の上で、道場所属の剣士達が奉納試合を繰り広げるのだ。それを暇な町内の人間は、盃片手に見物に来るのだが、下手をしたらそれに匹敵するくらいに人がいる。奉納試合以外、稽古時以外も賑やかな笑い声に包まれている道場だが、今日ばかりは賑やかさの毛色が違う。集まった人々のほとんどが、道場の入口から中を覗き込んでいた。
 しかし、その中でもただ一人、いち早く櫻達の姿に気付き、足早に駆け寄ってきた者がいた。櫻や八太郎よりも小さな、十五よりもやや若いぐらいの年頃の少年である。

「櫻さん! あの挑戦、お受けになられるんですね!」
「なんだい、雪虎じゃないか。来てたんだね」
「当然ですよ! これでも立派な、劍櫻道場のいち剣士ですので」

 櫻は少しだけ頬を緩ませ、雪虎という名前の少年の頭を撫でた。うわ、と彼は顔を赤くし、何とも言い難い様子でその手を退けようとする。やっと櫻の声を聞きつけたのか、玄関に群がっていた人だかりが、次第にわらわらと櫻の元へと移動し始めた。話が終わるのを今か今かと待ち続けている群衆を余所に、雪虎と櫻は会話を続ける。

「挑戦者の方、既に中で待っています。その、肝心の姿までは分からないのですが……皆が入口にたかって、見えなかったので……すみません」
「いいんだよ、そんなの。どうせすぐ相見えるんだ」

 すると櫻は、間髪入れずにそうだ、と声を上げる。

「雪虎。お前にゃ一番いい所で立ち合いを見せてやるよ。いつも頑張って稽古してる御褒美だ」

 本当ですか、と雪虎の表情がぱっと明るくなった。さっきからのやり取りを聞いていた八太郎は、苦笑いしながらおずおずと横槍を入れる。

「ちなみに櫻ちゃん、俺は……」
「心配しなくとも、雪虎の隣で見てていいよ。但し、野次馬達の入場規制役が終わったらの話だけど」
「だよなぁ」

 八太郎ががっくり肩を落とすと、櫻は人混みを掻き分け、雪虎の手を引いて歩き始めた。二人に間を空けず八太郎もついて行く。群衆の間を斬り裂いて飛んでいく、退いた退いた、という櫻の声。道場の石段を登ると、既にまとわりついてくる者はほとんど居なくなった。苔むした石段には、人々に踏みつけられた桜の花弁が、何枚も貼り付いていた。


 八太郎が声を張り上げ、絶対入ってくんじゃねぇぞ、と外の野次馬に告げて、道場の戸に閂(かんぬき)を掛ける。それと同時に櫻は草履を脱ぎ、磨き上げられた板張りの床へ素足を踏み入れた。その瞬間に櫻の瞳がすっと細まり、背後についていた雪虎の体が硬直する。
 澄んだ空気に包まれた長方形の道場、その最奥。入口とは正反対の壁に据え置いてある神棚。それに真正面に向き合い、誰かが座していた。雪虎が固唾を呑む音が聞こえる。張り詰めた静寂の中、櫻は内心驚愕していた。名も知らぬ誰かの背中から発される、途方もない気迫。凪いだ水面の様に静かな気にも関わらず、こちらが一歩でも動けば、喉元に食らいつかれてしまいそうな獰猛さがひしひしと伝わる。櫻はゆっくりと体を進ませ、全身を緊迫した空気に満たした。左右の壁に設えられた高窓から、暖かな陽射しと共に桜の花弁がひらひらと吹き込まれる。どこからともなく雀の囀りが二、三度響くと、神棚の前の誰かはおもむろに立ち上がった。

「後ろの二人はなんだ。助っ人か」

 櫻ははっと目を見開いた。
 振り返る顔を見るまでもなく、悟る。こいつ、女だ。内心まさか、と思いつつ櫻はゆっくりと唇を舐めて、慎重に話し出す。

「いいや。あたしの弟弟子と弟子だ」
「……ほう。その歳でもう弟子を取っているのか。先代が早世すると大変だな」
「…………」

 振り返った女は、冷ややかな微笑を浮かべていた。腰まである髪は荒れ放題で、身に纏っている紺の道着、袴は破れ、ほつれ放題、今さっき山籠りから出て来たばかりと言われても信用出来る姿である。しかし、生傷だらけの顔は明らかに他人(ひと)よりも整っている。何よりも印象的なのは目で、氷細工の冷たい瞳の中に、まるで獣のそれの様に燃え上がる光が揺らめいていた。
 そして、女の腰には、黒檀の木刀が一振り差してあった。それは主の瞳の輝きに呼応するかの様に鈍く、黒々と煌めいている。

「……あんた、名前は?」
「朔」
「……そうかい」

 櫻はため息を吐くと、朔の方から視線を外し、道場左側の壁へとすたすた歩いていく。壁に掛けられた木刀がずらりと並ぶうち、一振りを迷わず手に取った。白みの強い、椿の木刀である。それを携えると、櫻は道場の中心へと歩いた。それを朔は一歩も動かずに見ている。

「私を糾弾しないのだな。先代と貴様を散々貶したのに」
「するさ、これから。言葉じゃなく刀でね」

 木刀を床に置きながら答える。木と木のぶつかる、かこん、という冷たい音が響いた。首と手足を解し始めると、朔は腰の木刀に手をかけ、それをじっと見つめている。張り詰めた静謐の中でも、陽の差す窓から桜の花弁はぽつぽつと降り続けている。しなやかな脚を丁寧に右へ伸ばしながら、櫻は横を向いていて、その花弁のひとひらの軌跡をなぞる様に視線を動かしていた。

「どちらかが倒れるまででいいか」
「いいよ」

 あっさりと承諾した櫻に向かい、思わず八太郎が身を乗り出す。彼が声を上げる前に雪虎がその裾を引っ張り、彼と目を合わせてから首を横に振った。真剣な目で、櫻さんは分かってますよ、と雪虎に呟かれ、八太郎は舌打ち一つ、渋々といった感じで座り直す。
 そんな二人を気にもとめず、櫻は機械的な屈伸を続ける。その顔は全くの無表情であった。暫くして、朔はふと思いついたように櫻へと問いかける。

「……もし、刀が折れたらどうする」
「決まってるさ」

 そう返し、櫻は木刀を手に立ち上がった。背筋を凛と伸ばし、顎を引き、ここで初めて、櫻は朔をしっかりと見据えた。

「殴り合いで。勿論どちらかが倒れるまで」
「……そう来なくては」

 怒りか憎しみか、それとも勝負への渇望か。はたまたその全てを秘めながら、櫻の黒曜の様な瞳は、真っ直ぐに朔を射貫く。返答を得た朔は心から、ある意味で無邪気な笑顔を浮かべた。彼女は櫻の瞳に、自身と同じ焔を見た。それで十分だった。

「始めるか」
「ああ」

 言葉少なに会話を終え、二人はゆっくりと間合いを取った。どちらからともなく、櫻はゆっくりと後ずさり、朔は前へと進み出る。無音のやりとりだった。窓からの僅かな光風の音がはっきりと聞こえる。二人は道場の中心で、向かい合った。朔は腰から木刀を抜き放ち、剣先を櫻の額へ向ける。

「今日この時の為、天照大神の御膝元から遥々参上した。名は朔。香取神道流の裔。失望させてくれるなよ」
「一刀流劍櫻道場、二代目師範。名は櫻。御相手仕る」

 櫻は木刀を構え、呼吸を整えた。

Re: 超短編と短編を詰めようとしている訳でもない ( No.6 )
日時: 2020/06/07 14:43
名前: 海原ンティーヌ (ID: Wpc96rD2)

「今日朝食ってねぇんだよな」
「マジで? 雨が降っててくれて良かったな」
 笑いながら友人が言い放つ。俺はつられて頷きかけたが、咄嗟に首を横へ捻り返した。なんで、雨? そもそも雨なんて降っていただろうか。友人は神妙な顔をする俺を不思議そうに見ている。
「雨とか降ってなくね」
「は? 降ってるだろ」
 友人はそう言って俺の背後を指さした。俺はノータイムで振り返る。窓枠に切り抜かれた青い空から、沢山の影が今まさに落ちてきていた。ピンク、紫、オレンジ、黄緑。ご丁寧に包装までされた、数えきれない程の『飴』たちが、すました顔で次々と降り注ぐ。
 あんぐりと口を開けた俺に、友人は心底嬉しそうな声色で笑った。
「後で拾いに行こうぜ」







ヨモツカミ様主催のSS企画にて書かせていただきました。お題は「雨が降っていてくれて良かった」です。
安直なエモに走りたくなくて、技量もないくせこういう文章ばっか書いてしまうのなんとかしたいですね。

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