複雑・ファジー小説

Re: 君を、撃ちます。 ( No.1 )
日時: 2013/12/14 22:10
名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ (ID: ubqL4C4c)

第一話 『僕』

 雑居ビルが立ち並ぶ空気の汚れた世界に、僕は産み落とされた。僕は望んでいないのに、「母親」役の女性と「父親」役を買って出た男性が愛情の伴わない性行為を行った所為で産み落とされた。その後直ぐに、「父親」は逃げたらしく女手一つで育ててくれた「母親」には感謝している。
 「父親」が居ないお陰で陰湿な虐めを受けているが、別に平気だった。下らないことに時間を費やす「クラスメイト」が可愛くて、それでいて可哀想に感じるだけ。そう口に出したら決まって言われるのが「きもちわりぃんだよ!!」なんて、幼稚な言葉だけだった。

 それが、今までの記憶。これしか思い出すことが出来無い自分がどうしようもなく嫌になったが、外界と積極的に関わろうとしたことは一度も無いから仕方がなかった。お祭りにも、キャンプにも、公園にも遊びに行ったことは無い。僕を仲間はずれにするという行為しか、彼らには出来ないから。

 そんな事を思い出していると、苦しさの中に引き戻された。僕の上半身に馬乗りになり、圧迫された僕の肋骨を気にしない「誰か」は歪んだ笑顔で首を絞め続ける。首に「誰か」の指と爪が食い込む感覚が強まってくる度に、僕は僅かに開かれている気孔から喘ぐようにして息を吸い込む。頭の隅から白くなっていく感覚に、死の恐怖というものが沸々と現れてきた。
 怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。魚のように口をぱくぱくと開き、少しでも空気を多く吸い込もうとするが空気は入ってこなかった。大きく横隔膜を上下させてから、僕の意識は宙へと飛んだ。


 僕は「誰か」がどうしようもなく怖い。七年前に付けられた「誰か」の指と爪の痕は今も消えないまま、首に巻いた包帯で隠している。昔以上に外を出歩かなくなった僕を「母親」は可哀想可哀想と言って、頭を撫でる。僕に同情はいらなかった。可哀想と言われても、体験していない人間に可哀想とは言われたくない。声も数年近く出していなかったため、声帯が衰退しすぎて声は出なくなった。
 今視界に映っている青空が広がり、柔らかな風が吹いた世界がとても羨ましい。開放されている家の庭では、見たことのない小さな「子ども達」が遊んでいた。背の小ささからして、園児か小学校の低学年あたりの「子ども」だった。その「子ども達」と一緒に遊んでいる「少女」は、見たことがある。

 窓を開け、外の空気をめいっぱい吸い込む。正常に、何も詰まることなく肺に向かう空気を感じながら窓の桟に両肘を置き、「少女」と「子ども達」の笑い声を耳に入れる。久しぶりに聞いた「誰か」の笑い声は、普段は雑音でしかなかったが少しだけ心地が良かった。僕にも居た「弟」は気づけば居なくなり、今は何処に住んでいるのかも分からない。そのため、今庭で遊んでいる「子ども達」くらいの大きさなのだろうかと、自然と想像してしまっていた。

「あっ! 久しぶりっ、××くん!」

 僕の名前を呼んだのか、よく分からなかった。名前の部分だけ外部の力で消されてしまったような、ノイズが入り込んだラジオの様に掻き消される。けれど「少女」が僕の名前を呼んだことに変わりは無かった。返事が出来ない代わりに、七年ぶりに作った笑顔を浮かべ小さく手を振る。それを見て「少女」は不思議そうな顔をしたが、直ぐに笑顔に変わり手を振り返した。
 「少女」は学生服を着ていて、その服の裾を「子ども達」に引っ張られながらまた遊びに戻っていく。僕もたまには外に出ようと思い立ち、病院で患者が来ているような服のままベッドから降りた。必要最低限の運動しかしない足は、全体重を支える際にグラリと力が抜けかけたが無事に部屋から出る。

「××、どこに行くの? ……もしかして、外?」

 階段の下から話しかけてきた「母親」に、階段の柵から少し身を乗り出しこくりと頷く。ゆっくりと不規則なリズムで階段を居り、玄関へと向かう。階段を下りてからは、壁を支えにしないと歩けないほど、足が疲れていた。玄関で黒いサンダルを履き、外界へと踏み入った瞬間に世界が変わったような錯覚をする。
 眩しい太陽が頭や肌をじりじりと焼き、熱せられた部分をふわりと吹いている風が優しく撫でる。家の横にある庭まで、壁伝いに歩いていくと笑い声が一際大きくなった。力が抜け、庭の芝生の上にどたっと膝が折れると「少女」と「子ども達」が驚いたように此方を見る。僕は、力の入らない体をごろんと仰向けにした。

「××くーん……。大丈夫?」

 「少女」と「子ども達」が、僕の周りにやってくる。「少女」のふわっとした茶髪が風でゆれた。「子ども達」は不思議そうに僕の顔を覗き込んだあと、僕が笑いかけると一瞬呆けた顔をしたが直ぐに嬉しそうな笑顔を見せた。
 炎天下の中で遊んでいた「子ども達」の手は、どれも暑く湿っていた。僕の顔や腕は、悴んだときと同じくらい冷たく赤くなっている。それが気持ちいいのか、「子ども達」は仰向けになったままの僕にぺたぺたと触れてくる。

「初めてこの子達と会ったのに、××くん直ぐに仲良くなっちゃうんだね」

 凄い、と笑った「少女」が発する僕の名前が分からないまま、僕も優しく笑顔を見せた。