SS小説(ショートストーリー) 大会【平日イベント】
異世界は減点対象 ( No.83 )
- 日時: 2017/05/22 17:46
- 名前: a10 ◆002RZ94KdE
その日の夕方、研究室の扉をガツッ、ガツッとノックする音はかなり控えめだった。
指示した時間ぴったりではないが、その音の調子からは、根拠のない自信に満ちた生意気盛りの学生に特有の
「 言われた通り来てやったぞ 」 と開き直るような無遠慮さはうかがえない。
教授は威厳のある声で 「 入りたまえ 」 と応じながら、この分なら才能の伸ばし方を勘違いしている若者への
アドバイスが徒労に終わる事はないだろうと、教職に就いて以来培ってきた長年の経験から、説得が上手く運び
そうな予感をすでに持ち始めている。
「 失礼します ‥‥ 」
首をすくめ気味にして、一人の学生が入って来た。 大勢の中で聴く講義とは違って教授と一対一で話すのに
慣れていないのだろう、緊張で首だけでなく、体も不必要に固く小さく縮こまっているように見える。 この
様子では言い過ぎに気をつけなきゃいかんかもしれんな、と教授は意識的に声の響きを抑えて態度を和らげる。
注意の度が過ぎて創作意欲そのものを失わせてしまっては元も子もない。
「 君の作品を ‥‥ あー、小説を ‥‥ 読んだよ。 先に言っておくと、悪くない 」
学生の顔に血の気が戻るまで待ってから、言葉を続ける。
「 だがこの感想はあくまで、風変わりで面白いという域に留まるものだ。 つまり、正統的な現代文学として
高い評価を与える事を意味しない。 私としては、課題には別の作品を提出する事をすすめるよ 」
教授は学生の肩の上部がさざ波のように震える様を冷静に見守った。 おそらく背中の表面も同様の震えを
見せているに違いない。 書き上げた作品を否定されるのは辛いものだ ‥‥ それが、読み手を楽しませたか
どうかではなく、学業の成就を左右する大きな判断材料となってしまう場合には特に。
黙り込んだ学生から何とかして反応を引き出そうと、教授は聞き手に回ろうとした。
「 空想が悪いと言っているわけではないという点を理解してほしいんだ ‥‥ これは空想小説だね ? 」
「 異世界ファンタジーです 」
ここは譲れない、といった頑なさを帯びた語気で学生は訂正した。
「 主人公はパッとしない平凡な少年なんですけど、この世界で死んで、だけど、異世界に転生するんです。
そこは全てが、本当に文字通り全てが、元にいた所とは違っていて、人間の世界は ‥‥ 」
「 失われた命が、記憶と自我を保ったまま別の場所で復活するかどうかは、こんな取るに足りん課題の
テーマとしては大き過ぎると思わんかね 」
教授の見せる苦笑の中に、若い世代へ向けられた一種の優しさを読み取って学生は少しづつ落ち着きを
取り戻していく。
「 異世界という物語の舞台も、科学的には残念ながら概念上の存在に過ぎない。 そういった奔放な
想像力の産物よりも、私の講義で求めている文学は、何と言うかな、もっと ‥‥ 」
「 ‥‥‥ 普通の ? 」
学生の体から気構えが消えて、素直さのある口調で発せられた一語が教授の発言を引き取った。
普通。
その言葉を学生に自分から言わせたところで、説得は完了していた。
学生は翻意して、課題を書き直すだろう。 普通の小説を。
後はもう、教授はうなずくだけで良かった。
‥‥ 課題に異世界ファンタジーか! 参ったな! 現代文学もいずれライトノベルと一緒にされて、区別が
つかなくなる日が近付いているらしい ‥‥ 学生の去った研究室で、教授は全ての側腕をがさがさと頭上に
集めると球形の胴体に縛りつけた主脚の数本を壁と天井に伸ばして体を中空に固定するための支えとし、
リラックスするために副頭部のウロコを気ままに発光させて、その不規則なイルミネーションをぼんやりと
楽しんだ。
廊下の採光窓から何色か明りがもれて来るのは、やや不本意ながらも落第を免れる機会を得てほっとした
学生の放つ光だろう。
しかし 『 人間 』 とは ‥‥ また奇妙な生物を考え出したもんだなあ ‥‥ いやいや馬鹿げている、と教授は
空想しかかる自分を心の中でたしなめた。
耳と眼が偶数の生物など、この世界だろうと異世界だろうと有り得ない。