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*6*
それから数か月後。冬になった。
私の地元の冬はあまり雪は降らない。乾燥した、スカッと晴れた晴天の日が永遠と続く。
しかし今日は、珍しく雨が降った。霧のような細かい雨で、寒い。目が痛くなるほど太陽の光を飽和させた灰色の空から、さんさんと灰色の雨が降っていた。どんよりと曇った嫌われ者の空は、むしろ私は好意的だった。この頃の晴天続きに、少しウンザリしていたのだ。根暗な人間に晴天はキツい。
ふと、忘れていた記憶が思い出される。
あの日も霧雨の日だったな、と柄にも無く独り呟いた。
多分あれは、恋だったんじゃないだろうか。
あんな感情抱いたこと無かった。今まで恋をしたことはあったつもりだったけど、そうでも無かったようだ。だったら私はほぼ初対面の人に初恋をしたということになる。……ひえー、そんな自分が恐ろしい。
そこで初めて気が付いた。彼の名前は何だっけ?
彼の通っている学校名や、住んでいる場所、何部なのか、それに視力までばっちり思い出せる。が、名前だけはどうしても思い出せない。
ふとあの日のことを思い返してみると、私たちは互いの名前を言い合わなかった。今考えれば変な話だ。ふつう、自己紹介は名前の紹介から始めるものだろう。
名前も分からない人に初恋か、と他人事みたいに笑えた。笑うしかないだろう。
まぁそれもアリかな、と思った。名前が分からない方がなんだかロマンがあるではないか。
もう一度会えるのなら会いたいな、と切に思った。会ってどうこうという訳では無い。本当に存在する人なんだともう一度確かめてみたい。
けれど、もう。
二度と会うことは無いのだ。
降りしきる灰色の霧雨は、おぼろげな記憶に似ていて、少し切なくなった。
することも無く、駅のベンチで霧雨が止むのを待っていた。雨が止むのを持っているのに、雨が一生止まなきゃいいのに、と思った。このままでいい。このままずっと、降っていればいい。灰色の空で、地上を憂鬱に濡らし続ければいい。
しかし雨はいずれ止んでしまう。いつの間にか、陰気な雨雲はどこかに去って行ってしまった。
すると少しずつ空は晴れてきて、傾いた太陽は地上を温かい光で照らし始めた。いい迷惑だ。
せっかく雨が濡らした建物や地面も、太陽のせいでだんだんと乾いていく。雨水は蒸発して、水蒸気となって、また空へ帰っていく。
じゃあこの雨水たちは、一体いつになったらまた地上へ帰ってくるのだろう?そもそも、またここに帰ることはあるのだろうか?
きっと、帰ってこないんだと思った。
私のこの記憶だってそうなんだろう。気まぐれな霧雨のように突然現れては、脳裏に刻まれる。かと思えば少しずつ空に帰っていく水のように、少しずつ、少しずつ、薄れていく。
最後には、誰からもきっと忘れられてしまうのだろう。
………けれどまぁ、
多分それでいいのだと思った。