完結小説図書館
>>「紹介文/目次」の表示ON/OFFはこちらをクリック
*2*
『ナーオくーん!あーそーぼっ』
『聞いて聞いて♪あのね、マイちゃんがね…』
『パトは良い子だね〜良いワンコ〜っ』
陽炎のように彼女の声が降って来る。
まだ。
* * *
「おっ、モリヤじゃん。モリヤぁー!」
茹ったような、たゆたう思考に身を任せていた時、唐突に割り込んだ少年の声に思わず手に提げていたビニール袋を落とした。
白昼夢を見ていたような浮遊感から、急に現実が眼に戻る。
変化についていけなくて、視界が白い閃光に埋め尽くされていく。
「おっとと。モリヤ、大丈夫か?」
「アズマ、くん…?」
揺らいだ身体を支えてくれた長身の影を見上げると、少し焦ったようなアズマ カズユキの顔があった。
「熱中症?どっかで少し休むか?」
「ありがと。大丈夫だよ。ちょっと目眩がしただけだから」
「…別に、礼を言われるような事じゃないさ」
姿勢を正してみせると、彼は落ちたビニール袋を拾って渡してくれた。
「…えっと………久しぶり、だね」
「あぁ………ニシナさんの葬式の時、以来かな…」
あぁ、そうか。あの時は、学校のみんなも来てたんだっけ。
チクリ、と胸が痛む。
どこかで警鐘が鳴っている。
ダメだ。ダメだ。
考えてはいけない。
「ねぇ、アズマくん。宿題終わった?」
「えっ?あ、あぁ、終わったよ。言っただろ?俺とモリヤなら3日で終わるって」
「あぁ、そうだったね」
日陰を探しながら商店街を歩く。
視界に入る空は、青い。
他愛もない会話が続く。蝉がうるさくて、ときどき相手の言葉を見失う。
不意に、隣の影が立ち止まった。
「アズマくん?」
彼は少し俯いて何か考えているようだったが、すぐに顔を上げて真っ直ぐにボクを見た。
その視線に、何故かたじろぐ。
「モリヤ、ちょっと付き合ってくれる?」
そう言うと、ボクの手を取って足早に突き進んでいく。
掴まれた手首が熱い。
ボクは呆気に取られたまま、彼に引きずられていった。
高架下の小さな公園にある滑り台に、ボクは寄りかかって立った。
アズマくんは隣で同じように寄りかかっている。
不思議と子供たちの姿は無かった。 みな、この暑さで室内に篭っているのかもしれない。
ちょうど日陰になっているこの場所は、少しだけ涼しい風が吹いていた。
「モリヤも飲む?」
「ぁ、じゃあ、少しだけ…」
途中、自販機で買った缶ジュースを翳す彼は、少しほっとしたように微笑んだ。
咽喉が潤って、少しだけ落ち着いた。
「それで、話って…?」
「………………ニシナ サクラ」
幾らかの逡巡の後、ぽつんと落とされた言葉に身体が固まった。
『ナオくん』
彼女の姿が。
彼女の声が。
降って湧いたように頭の中を駆け巡る。
「俺、まだ信じられないんだ。あの娘が死ぬなんて」
「…………。」
「おかしいよな。ロクに話した事もないくせに。だけど…。あの娘に限って、こんなこと、絶対無いような気がしてたから」
「…………。」
複雑そうな顔をしながら、彼はどこか遠くを見ながら呟いた。
「モリヤは…辛い、よな…」
ゆっくりと紡がれた言葉に、はっとした。
そうだ。
学年中のみんなが、知っているんだ。
ボクがニシナさんを想っていることは、噂になっていた。ニシナさんは有名人だったから…。彼女のあだ名は“宇宙人”で、イジメの的だったから。
知らないのは、ニシナさん本人だけ。
無垢な、彼女だけ。
「ボクもだよ」
「ボクも信じられない。…葬式の後、泣いたんだ。ちゃんと、泣いたんだ」
「それなのに…。ダメだね。ちゃんと受け止めてあげなきゃいけないのに」
「今でもニシナさんがボクを呼びにくるような気がして。パトの、散歩に…」
「『今日はどこに行っちゃおうか?』って…」
一度堰をきった咽喉は、するすると言葉を紡いで淡々と溢れさせた。
手にした缶に力を込めると、ぐしゃりと凹んだ。
ついていた水滴に指が濡れる感触が切なかった。ボクは生きている。
「モリヤ…」
「だから、最近ずっと勉強ばかりしてたんだ。おかげでエアコンが壊れたよ」
「もういいよ、モリヤ」
「何かしてないと、潰れそうで。本当にダメな奴だね。またマイに笑われる」
「モリヤ」
「ずっと混乱してるんだ。認めたくないんだ。ボクは――」
「ナオ!」
両肩を強く掴まれて顔を上げさせられると、泣き出しそうな顔をしたアズマくんがいた。
アズマくんも、こんな顔するんだ。
「…ごめん」
「どうして…、アズマくんが謝るの?」
急に俯いた彼に、ボクは子供のように尋ねた。
掴まれたままの肩が痛い。
「俺、ナオを見てられなくて、こんな所まで連れてきたのに…。結局、苦しめてるだけだろ?」
「そんなこと…」
「そんな作り笑いしなくていいよ。無理しなくていいんだ」
「作り笑いなんて…」
戸惑いながら否定しようと首を振るのを、彼は強い眼差しで遮った。
「ナオ」
真っ直ぐな視線に、出かけていた言葉が壊される。
表層が、剥がれ落ちる音がする。
『ねぇねぇ、まーだー?』
『ごめん、もうちょっと…』
子供のように焦れるニシナさんを宥めながら、ボクはラジコンの調子を整えている。
しばらく動かしていなかったから、少し手間取った。
夕陽に染まる河原に、ラジコンが宙を舞う。
『あっ!ナオくんのヒコーキ!飛んだ!飛んだ!飛んだ!』
ニシナさんはボクの隣でぴょんぴょん跳ねて、無邪気に手を叩いた。
純心無垢な、眩い笑顔。
知的障害なんて、関係なかった。この笑顔がボクは愛しかった。
そのときボクは、一瞬。
ニシナ サクラが、霞んで見えたんだ。
気が付いた時には、アズマくんに縋り付いて泣いていた。
「……だったんだ」
嗚咽に混じる声は、感情の波で削られて掠れる。
それでもボクは、止まれなかった。
「好きだったんだ…っ!!」