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僕だった俺。
作者: 全州 明  (総ページ数: 5ページ)
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*2*

「ねぇ、あんた、どこに行くつもりなの?」
「俺も今それを考えてたところだ。なぁ、お前の家族の家で一番近いのは誰の家だ?」
「・・・・私の実家」
「そこにはお前の両親がいるのか?」
「うん」
「じゃあ駄目だ」
「何でよ?」
「多分警察が先回りしてる」
「あぁ、そっか」
「お前の祖父母の家のうち、近い方はどこにある?」
「・・・・橋本」
「聞いたことないな」
「地名じゃなくて私の名前! お前じゃなくて橋本!」
「あぁ、そうか。なんかごめん」
 なんで俺は人質に謝っているんだろう。というか、この少女は❘
「それで、あんたの名前は?」
「・・・・それより祖父母の家の場所を教えてくれ」
「わかったわよ、そんな怖い顔しなくてもいいじゃない」
「・・・・えっとね、確か、この近くにあるバス停からバスに乗って終点で降りた場所の近くだってことは覚えてるわ」
「そうか、それじゃあ、そこまで案内してくれ」

「あぁ、あったあった。あれよあれ、あのバス停からバスに乗るの」
 しばらく辺りをうろついていると、少女がバス停を見つけ、俺の方に笑顔で振り返った。
 その表情からは、一切の曇りも恐怖も、全く感じられなかった。
 間違いない、彼女は今、心の底から笑っているのだ。
 そして、おそらくこの少女は、今の状況を、誰よりも楽しんでいる。

 バスの中はさほど込んではいなかったので、俺たちは開いている座席に座ることができた。
 少女はやや遠慮がちに、俺から距離を置いて座った。
 だがその距離は、腕を伸ばせば余裕で届く距離だった。
 よくよく考えてみれば、あの時の彼女は、声こそひどく震えてはいたが、体は全く震えていなかった。それに、どこか演技臭くもあった。しかし、近いとはいえ、一応の距離を開けて座っているし、彼女の家も、特に変わった様子はなく、介護師らしき人も見当たらなかった。
 ではなぜ、彼女はこの状況を楽しんでいるのだろう。
 いわゆる?変人?というやつだろうか。いや、きっと違う。
 安易に変人だと決めつけるなんて彼女に失礼だ。だって、俺もよく、変人と言われるから。
「テメェーぶつかっておいて謝りもしねぇたぁ俺をなめてんのか?」
 俺の目の前で歯切れの悪い不協和音の様な音がした。実に不愉快だ。
 そう言えばさっきから妙にバスの中が静かだな、さっきまであんなにうるさかった女子高生たちはもうバスを降りたのだろうか。
 いつの間にかずっと目を閉じて考え込んでいたことに気が付き、目を開けた。
 ずっと閉じていたので、景色がぼんやりとしているが、さっきの大声でしゃべる女子高生たちはバスを降りていなかった。彼女らは俯いて、スマホをいじっていた。
 ずっとスマホにばかり視線を落とし、全く顔を上げようとしない。
 他の客もみんなそんな感じだった。それもただいじっているわけではなく、かなりわざとらしかった。ちらちらとどこかの様子をうかがったかと思えば、すぐに視線をスマホに落とす。
 そんな感じだった。そして彼らがスマホを持つ手は、なぜか震えていた。
 まるで何かに脅えるかのように。何だ? 皆、何がそんなに怖いんだ?
 ふと隣を見ると、少女、橋本も、スマホこそ持っていなかったが、やはり視線を落としていた。そして、時折(ときおり)こちらを縋(すが)るような目付きで見てくる。
 俺が疑問を浮かべているのを察したのか、橋本が俺の前方辺りに視線を切り替えた。
 視線をたどると、その先にはあまりに不愉快なので見ないようにしていた人間不協和音がいた。そいつは、無意味に髪を金に染めており、鼻に重そうなリングを通していた。
 まるで家畜の牛のようだ。さすがは不協和音の代名詞。姿を見るだけで不愉快になる。
 さっきは一瞬しか見ていなかったので気付かなかったが、不協和音の化身が気弱そうなサラリーマンに難癖をつけているようだった。
 ようやく皆が視線を落としている理由が分かった。
 彼らは、逃げているのだ、目の前の現実から。
 助ければ自分も襲われるから、巻き込まれたくないから、自分は動かない。
 大丈夫、どうせ誰かが助けてくれる、そう、思い込んで。
 居もしない誰かに頼って、自分は関係ないからと、知らないふりをして。

 ―――でも、そうゆう僕は、誰かになれるのだろうか。
 彼を助けられるのだろうか。いやいや、何を言っているんだ。僕はもう、死ぬんだから、今の僕なら、何だって出来るはずじゃないか、今までだって・・・・

 僕は、動けなかった。体が酷く震えて、足が竦んで、立ち上がれなかった。
 僕の目の前では今も、弱そうなサラリーマン風の男が、不良に絡まれている。
 僕の目の前で、不協和音の塊が、彼に金を寄こせと脅している。
 それでも僕は、動けなかった。変わったはずなのに、何でもできるはずなのに、怖いものなんて、何もないはずなのに、僕の体は酷く脅えて動こうとしない。
 僕は、アルジャーノンだったのだろうか。
 僕も、あの白い鼠のように、一時期は天才になった、主人公のように、元よりも、弱くなってしまうのだろうか。僕はもうこれ以上、変われないのだろうか。

 ―――否(いな)、違う。俺はまだ変わりきっていない。俺はまだ、満足していない。
 例え俺がアルジャーノンだったとしても、
 俺が元より酷くなるのは、
 明後日のはずだ。


 気付けば俺は、左のポケットに手を入れて、勢いよく立ちあがっていた。
 いつでもあれを取り出せるように。あの、起死回生の、切り札を。
「あぁん? 何だテメェ、なんか文句あんのか?」
 不協和音の邪神がサラリーマンを突き飛ばし、こちらを睨みつけてきた。
 耳障りだと思った。不協和音の演奏を、止めさせたいと思った。
 今ならそれが出来る気がした。いつの間にか、体の震えは止まっていた。
 俺はポケットから例の切り札を取り出し、一切の躊躇(ちゅうちょ)もなく不協和音の牛の首に突き付けた。
 バスの蛍光灯に反射して、閃光のように光り輝く、その刃先を。
「な・・・・」
 不協和音の呼吸が一瞬止まったのが、手に取るようにわかった。
「今度はそっちが脅える番だ」
 俺は誰にも聞こえないよう、小さく呟く。
 時間が何倍にも引き延ばされているように感じた。
 ほかの乗客が何かを言ったが、良く聞き取れなかった。
 窓の景色の流れが止まった。どうやら、どこかのバス停に着いたらしい。
「わ、分かったよ、俺が悪かった・・・・」
 震える声で最後の不協和音を奏でると、不協和音は足早にバスを降り、どこかへ走り去って行った。
 一人の乗客と目があった。
 そのとたん、その乗客は、まるで何かに気付いたかのように驚き、すぐに視線をそらした。
 辺りを見回すと、皆、俺の方を見て何やらひそひそと話したり、俺を指さして小声で何かを呟いたりしていた。とても俺をほめているようには見えなかった。
 さっき突き飛ばされたサラリーマンも、俺が振り向いた途端視線をそらした。
 マズい、少し目立ちすぎたか。
「なぁ、俺たちもここで降りようぜ」
「え? どうして?」
 少女は俺の言葉の意図がつかめていないらしい。
 ということは、まだ気付いていないようだな。
「さっきの奴はもうどっか行ったんだから、わざわざ追わなくてもいいじゃない」
「そうじゃない、ちょっと急用を思い出したんだ」
 そう言って、半ば強引にバスを降りた。

「ねぇ、この辺に何か用事でもあるの?」
「いや、そうゆうわけじゃ・・・・」
「じゃあなんで降りたの?」
「もう忘れたのか? 俺たちは警察に追われてるんだぜ? もうマスコミがかぎつけて俺たちの顔写真をネットにアップしてるかもしれないだろ?」
 俺なんか既にテレビで報道されている、と言いそうになったが、何とかこらえた。
「あぁ、そういえばそっか」
「そう。だから、歩いていける距離なら、公共の乗り物には乗らない方がいい」
「でも、ここからだと歩いて五時間ぐらいはかかるわよ?」
「マジで?」
「マジで」

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