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僕だった俺。
作者: 全州 明 (総ページ数: 5ページ)
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*紹介文/目次*
一日目 「いつも通りの今日」
―――僕は、自分が嫌いだ。
いつも何かに脅(おび)えて、怖がって、何一つできやしないからだ。
いつだってそうだ。
僕は、いつまでも弱いままで、何一つ直すことも、変えることも出来やしない。
―――僕には、出来ない事だらけだ。
だから僕は、自分が気に入らない、だから変えたい。
どうすれば変えられるんだろう。
僕のすぐそばにある、この開け放たれた窓から外に飛び出せば、何か変われるかもしれない。
だから僕は、前々からやってみたいと思っていた。
でも、実際に行動に移した事は、一度としてない。
そんなことをしたら、取り返しのつかないことになることぐらい、僕にもわかるからだ。
そうやってあれこれ考えているうちに、最終的に、?死ねばいい?という結論にたどりつく。
確かに、自ら命を絶つことができれば、僕のまわりを取り巻くこの環境を、大きく変化させることができるだろう。もしそんなことができたなら、例えそれ以外の何ものをも変えることができなかったとしても、きっと僕は、満足して死ねるだろう。
僕にとって、自ら命を絶つという事は、そのくらい勇気のいることだから。
でも、僕にはそれすらもできない。
実は過去に一度だけ、学校の屋上に行き、フェンスを乗り越え、あと一歩、というところまで行ったことがある。でも、僕の真下に広がる風景を見たとたん、足が竦(すく)んで、それ以上は前に踏み出せなくなった。怖かったんだ。自分がいなくなったあと、いつしか悲しみが薄れ、誰からも忘れられ、無かったことにされるのが。
―――僕は今、教室の窓際の一番後ろの席で、授業を受けている。
今の僕にできることと言えば、今の状態を保つため、立ち止まることぐらいだ。
それに、僕の出来ないことは、どれも取り返しがつかなくなることばかりだし、それも仕方がないといえば仕方がないのかもしれな――
『死ねばいいじゃないか』
僕の頭の中に、あるはずのない声が響き渡った。
『取り返しがつかなくなったら、その時は、死ねばいいじゃないか』
それは、僕が考えた案にしては、あまりにも合理的で、とても魅力的に感じた。
そうだ、そうじゃないか。なんで今まで気が付かなかったんだろう。
『本当に今を変えたいなら、この学校から、この環境から、この現実から、逃げだせばいいんだよ。大丈夫だ、失敗したら死ねばいいんだから。もう死ぬしかない状況に追い込まれれば、俺ならきっと、自ら命を絶てる』
―――違う。僕は直感的にそう思った。僕ならこんなことは考えないはずだ。
だって僕は、現実から逃げ出すどころか、怖くて目を背けることすらもできないんだから。
『ここは二階だ。そんでもってすぐ下には昇降口の屋根がある。飛び降りてもたいした怪我はしないだろう。もしここから飛び降りることができたなら、後はもう、自らの赴(おもむ)くままのことをすればいい』
無理だよ。仮にそんなことができたとしても、きっと僕は、前みたいに身が竦んで、最後の最後まで、自殺なんて出来やしない。
だって僕は―――
『ならこうしよう。俺は明後日に自殺する。だからそれまでの間、今までの自分ができなかったこと全てを、成し遂げればいい。そうすればきっと、満足して死ねるはずだ』
出来ないよ。僕には無理だ。僕は今までだって、何一つ変えることができなかったんだから。
無理だよ僕には。だって僕は、弱いから。僕は何もできないから。
『俺には出来る。俺に出来ないことはない。だって俺は、明後日に死ぬんだから』
『どうせ、死ぬんだから』
君は誰だ? 君は僕じゃない。僕は君のように自身に満ち溢れてなんかいない。
君は僕じゃない。
だって君は―――僕のひじに何かが当たり、足元に落ちた。
足元を見ると、僕の消しゴムが落ちていた。
使いこんだせいで一部が欠けてしまったその頼りない姿は、まるで僕のようだった。
そう、僕にも一部、欠けているところがある。
それは勇気だ。僕には勇気がない。前に歩きだす勇気が。
たった一歩、前に踏み出すことすら、僕にはできない。僕はいつまでも、僕のままだ。
消しゴムを取ろうとして足を開く際に僕のつま先が消しゴムに当たり、消しゴムが遠くへ転がって行ってしまった。あぁ、僕もこの消しゴムのように、何かきっかけさえあれば、自由に走り回れるのかな。そんな事を考えながら、僕は立ち上がった。
今度はうっかり蹴飛ばしたりしないように、手で包み込むようにしてしっかりと掴んだ。
席へ戻ろうと窓の方を見ると、そこで初めて、今いる場所から開け放たれた窓までが、一直線に続いていることに気がついた。
―――誰かのつま先に蹴飛ばされたのだろうか。
気付けば僕は、窓に向かって走り出していた。
窓が目前まで迫ってきたのを見計らい、窓枠を地面に前方倒立回転の要領で飛びあがり、僕は、窓の外へと飛び出した。
―――俺は、強い衝撃とともに昇降口の屋根に着地した。
地面ではないとはいえ、決して低くはない高さから飛び降りたはずだが、不思議と痛みは感じなかった。恐怖でからだが竦(すく)むことも、震えることもなかった。
それどころか、体中が自らを称(たた)えるように疼(うず)き、湧き出すように力がみなぎった。
目頭が熱くなるのと対照的に、頭は冷えて冴え渡り、スカッとした気分になった。
俺は飛び降り際(ぎわ)に屋根の淵(ふち)を蹴り、校門を飛び越え、街へと駆けだした。
行先は決まっていなかった。目的だけが今の俺を突き動かしていた。
街中に入ってからも、俺は走り続けた。
道行く人を何人も追い抜かし、自転車をも追い抜かし、さすがに車には追い抜かされ・・・・
今ならどれだけ走っても疲れない、そんな気がした。なぜだか止まってはいけない気もした。
今までできなかったことの全てを、いつまでも立ち止まったままの自分を、今なら、大きく変えられる気がした。
何一つ変わり映えのしなかった街の風景が、目まぐるしい勢いで変化していった。
何の変哲もない青空も、いつもとは違うように見えた。
これから俺は、どのくらい変わることができるのだろう。
どこかから、子供達の楽しげな笑い声が聞こえてきた。
俺は彼らのように、幸せになれるだろうか。今の俺ならなれるだろうか。
建物の連なりが途切れ、たくさんの遊具が置かれた広場が見えてきた。
―――公園を見つけた俺は、ベンチに腰をおろし、しばらく休憩することにした。
俺には無計画に過ごしていいほど時間も残っていないし、じっくりと考える必要があった。
が、俺がそうとう長い距離を走って疲れ、かなり呼吸が荒いためか、子供たちが俺を不審者か何かの様な眼で見つめていた。幸い彼らの保護者はそばにいないようだし、通報されることはないと思うが、もし通報されると、俺が学校の制服を着ているため、すぐに身元が特定されてしまうと今更気が付いた。公園の時計を見ると、二時二十分だった。
それにこの時間帯に制服でうろついていると、通報されなくとも、道ですれ違った警察官に補導される可能性は十分にあった。俺は今、一秒たりとも無駄にはできないわけだし、明後日になるころには、俺はもう、どこにもいないのだから。
時間を無駄にしないためにも、服を買う必要があるのは明らかだった。
俺は黒いズボンの右ポケットから財布を取り出した。
最近あまり欲しいものがないこともあり、結構な金額が入っていたが、それでも今日の寝床と洋服代で、ほとんどなくなってしまいそうだった。無駄遣いはできない。
子供たちが遊ぶのをやめ、こちらを指さして何か言っている。長居はできそうにないな。
―――俺はおもむろに立ち上がり、公園を後にした。
この辺の土地勘は全くないのだが、しばらく街を歩いていると、案外すぐに服屋を見つけた。
そこで無難な値段の青いチェックのシャツを買い、制服の白シャツの上に羽織った。
たったこれ一枚で、授業をさぼる高校生から一般的な通行人へと見事に変貌した。
これでもう怪しまれることはないだろう。
俺は、今晩の寝床となるホテルを探すため、ゆっくりと歩き出した。
―――俺が寝床を見つけるころには、辺りはすっかり暗くなっていた。
ホテルぐらいすぐに見つけられるだろうとばかり思っていたが、今思えば、特にこれといった観光名所もないこの地域で、寝床を見つけることができたこと自体、奇跡である。
ちなみに、結局ホテルは見つからなかったため、ボロい宿だが、この際仕方ない。
現実とはうまくいかないものだ、と、つくづく思う。
まぁ、だからこそ逃げ出してきたんだけど。
―――戻るなら、今からでも遅くはないかもしれないな。
*4*
リビングの電気を点け、壁にかかった時計を見ると、午後十時半だった。
家の中にはたくさんの家具があり、生活感こそあったものの、人気は全くなかった。
それが余りに不気味だったので、二人で手分けして家中を探し回った。
俺は一階をくまなく探しまわったが、誰もいなかった。
二階担当のさやかがまだ降りてこないので、俺は木製の階段をのぼり、二階へ向かった。
さやかは、二階の部屋の中でも一際大きい部屋にいた。
その部屋は、壁にそって窓がいくつもついており、教室のような作りだった。
さやかは、その窓の一つを開け放ち、外の景色を眺めていた。
夜空を見るのに夢中になっているのか、俺には気が付いていないようだった。
月の光で照らされたさやかの横顔は、神秘的で、とても魅力的だった。
その横顔をしばらく眺めていたかったが、視線を感じたのか、さくやかはこちらに気がついたようだ。振り向きざまに、彼女の長髪がなびいた。
その黒髪もまた、目を奪われるほどに美しかった。今まではあまり意識していなかったので気がつかなかったが、さやかはかなり整った顔立ちをしていた。
俺は、そんなさやかを見て、彼女ともっと、一緒にいたいと思った。
でも、今さら戻ることなんて、僕には出来るのだろうか。
「・・・・ねぇ」
「なんだ?」
「ずっと気になってたんだけど、私をここに連れて来てどうするつもりだったの?」
「・・・・お前を、返すつもりだった。元の居場所に」
「何でそんなことしようと思ったのよ」
「じゃあ、なんでお前があんなことしたのか、教えてくれたら話してやるよ」
さやかは一瞬嫌そうな顔をしたが、呼吸を整え、ゆっくりと語り出した。
「・・・・私ね、嫌いなのよ。何でもかんでも、深く考えすぎちゃう自分が。
昔は、こんなじゃなかったのに、どうしちゃったんだろ、私・・・・
❘それで、死ぬことにしたの。だって、死んだらもう、何も考えなくていいんだから。
最初は、飛び降り自殺にしようと思ってた。
でも、屋上から飛び降りたらどうなるのかなって、考えたら、何か、怖くなっちゃって。
だから、どうなるのか、全くわからない方法で死ぬことにしたの」
「それで、家ごと燃やすことにしたわけか」
「まぁ、失敗しちゃったけどね」
「悪いな」
「あんたのせいじゃないわよ。それよりほら、私が話したんだから、あんたも話しなさいよ」
「何でいきなり教室の窓から飛び降りたのか、聞かせてよ」
「何だ、気付いてたのか」
「初めから分かってたわよ。あんた、テレビで報道されてる昔の写真にそっくりだもん」
「え? あの写真、中学生の頃のだぜ? どこが似てるんだよ? 髪だって金色だったし・・・」
「そうね、確かにあの写真のあんたは金髪だったわ」
「でも、無理やりやってるのが丸わかりだった」
「今のあんたもそう、自分を無理やり変えようとしてる」
「どうしてそんなことするの?」
「・・・・変わりたいからさ」
「馬鹿ね、髪の色何か変えたって、何も変われやしないのに」
「そうさ、確かにその通りだよ」
俺は、さやかと目を合わせた。
「髪を金色に染めたって、教室の窓から飛び降りたって、街を駆け抜けたって・・・・」
「誰かを助けたって‼」
「何も変わりやしないんだ。?いつもと違う事をした?たった、それだけのことなんだよ」
「俺はまだ、何一つ変わっちゃいない」
「このままじゃ、俺はまた、僕に戻ってしまう」
「弱虫で、臆病で、いつも何かに怖がって、何の役にも立たない、そんな僕に」
「それならそれで、別にいいじゃない‼」
「それじゃあ駄目なんだよ」
「俺はもう、元には戻れないんだよ。戻るわけにはいかないんだよ」
「もしも僕が元に戻ったら、きっと君を失望させる」
「それに、あの日俺は、教室の窓から、あの世界から、抜け出してきたんだから」
「だから何だって言うのよ!」
「俺は僕には戻れても、僕の居場所には、もう、戻れないんだよ」
「じゃあ、どうするのよ?」
「決まってるだろ? 死ぬんだよ。初めからそのつもりだった」
「本当にもう、戻れないの?」
「あぁ、もう手遅れだよ。今日、定期テストがあったんだ。でも俺は今日、学校に行ってない。それに、誘拐事件だって起こしちまった。きっと僕は、退学だよ」
「そんなこと、ないわよ。きっと、留年になるだけよ、退学なんて❘」
「確かにそうかもしれない。でも、それでも僕は、死ななくちゃいけないんだ」
「どうしてよ!? 居場所なら、ここにあるじゃない!」
「このまま二人で、やりたいことだけやって、生きていけばいいじゃない!」
「無理だよ。さやかだって、本当は、わかってるんだろ?」
「こんな生活、いつまでも続くわけがないって」
「明日になれば、きっと僕らは、警察に捕まるよ。そうなったらもう、終わりなんだよ」
「君はもう、戻れなくなるんだよ」
「そうなる前に、手遅れになる前に、僕は死ななくちゃいけないんだ」
「それで君が、今までやったことは全部、僕に脅されてやったって、皆の前で言うんだ」
「そうすればやり直せるんだよ。君ならきっと、大丈夫だよ。君は、僕よりずっと、強いから」
「嫌よ! あんたを踏み台にして戻るなんて、絶対嫌‼」
さやかの頬が、冷たい涙で濡れた。
「お願いだから、死なないでよ。今のままで、別にいいじゃない」
「何も変われなくたって、弱いままだって、楽しければ、それでいいじゃない!」
「私、ホントは楽しかったよ。たった半日だったけど、人生で一番、楽しかった!」
「だって、あんたといると、何も考えなくてもいいって、思えるから」
「あんたも、楽しかったんでしょ、ねぇ?」
「駄目なんだよ、今のままじゃ。僕は、どうしても変わらなくちゃいけないんだ」
「あんたは、楽しくなかったの?」
「そりゃ僕だって、楽しかったよ」
「じゃあどうして死ぬのよ‼」
「僕はまだ、何一つ変わっちゃいないからさ」
「それに僕は明後日(あさって)に、明後日に死ぬって決めたから、君に会えたんだ。
明後日があったから、僕はこんな幸せに巡り合えたんだよ。
そんな明後日をふいにするなんて、僕には出来ないよ」
「馬鹿っ‼」
酷く乾いた音が、部屋中に響き渡った。
僕の頬(ほほ)が焼けるように熱い。どうやら僕は、さやかに叩かれたらしい。
そう気付いたのは、さやかが出て行ってしまった後だった。
部屋の時計を見ると、午後十一時五十八分だった。
明後日まで、あと二分もない。
僕はもう、死ぬしかないんだろうか。
さやかの言う通り、今ならまだ、戻ることも出来るんじゃないだろうか。
例え元通りにはならなくても、やり直すことなら、まだ、できるんじゃないだろうか。
―――大きな振り子時計が、十二時を告げる鐘を鳴らした。
あぁ、もうすぐ、明後日が来る。僕に変化の勇気をくれた。
―――あの明後日が。
ポケットに手を入れると、僕の冷たい指先に、小さくて固い何かが触れた。
取り出すと、それはあのときの消しゴムの、欠けた破片の一部だった。
僕はそれを、そっと、ポケットの中にしまった。