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作者: 美奈 (総ページ数: 63ページ)
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3ー7
母が涙を流した時、大丈夫?と湊が問うと、母は必ずあの時の事を思い出していたようだった。
ー湊。あなたも私も、捨てられたの
ー知ってるよ。あの時、僕も見ていたから
母が泣いた時はいつもこの会話をした。それで母は思いの丈泣いて、また前に進もうとするのだ。それを湊は幼い頃、いや、幼過ぎる頃から見ていた。
母がいるだけで十分だったけれど、もちろん父親の存在への羨望はあった。
子どもが親の存在を求めるのは当然の事だ。
しかしいつしか湊には、世の父親が疎ましく感じられた。彼の羨望が裏目に出てしまったのだろう。
公園でキャッチボールをしている父子。サッカーをしている父子。息子を肩車する父親……その全てが、消えれば良い。どれだけ切に願った事か。
皆と違う雰囲気の子供も、一度は必ず疎外される。
大人の非情さに気づくのが早過ぎた。彼は、もちろん皆に溶け込めるような雰囲気の子どもではなかった。担任でさえも彼に必要以上に近づくのは避けているようだった。
クラスで1人、塞ぎ込んで誰とも喋らないようになっていった。
そして湊は、一人でいることに、慣れ始めていた。
彼が13歳の時。母は、その面差しに何の表情も載せずに呟いた。
「ある伝で知ったんだけどね」
「…何を?」
「あの男はね…湊が1歳の時にわ他の女との間に子供が生まれたの。奴はその女と再婚して、今は家族3人で幸せに暮らしているって」
湊は目を見開いた。
それは知らなかった。戦慄が駆けて行く。
……あれ、どういう事だ?計算が合わない。
「え、だって、あいつが出て行ったのは俺が4歳の時…」
母はあの時殴られた頬を押さえながら言った。
「奴は、他に子供がいるのに、あなたの前では子煩悩なパパの振りしてたのよ」
湊は瞠目した。
突然出て行った父を、湊はずっと恨んでいた。
ずっと心に引っかかっていた。あの言葉が。
でも、やっと意味が分かった。
ー俺ももう、出ていかなくちゃいけなくなったんだ
それは、父にもう一人、湊よりさらに幼い子どもがいたから。
母からの衝撃の一言を聞いて、さらに、あの男への恨みが募っていく。
最後に会ったのは、9年前なのに。
僅かな間だけ見せた、はにかんだような顔と、最後に母を極限まで傷めつけた時の、狂気に満ちたような顔。
何回かだけ湊に見せた優しそうな顔は、ただの偽りでしかなかった。息子へ向ける笑顔を偽り、妻への愛を偽っていた。
どんどん自分の中で薄れてゆく父親の姿。それに対して、計り知れない程膨らんでいく憎しみ。
「………っ…」
その日の夜、母は睡眠薬を多量に飲んで他界した。
ー耐えられないの…ごめんなさい。赦して
あの小さなメモ書きを、忘れない。…忘れるものか。
夫に捨てられた哀しさを振り切るようにして、母は一人で湊を育ててきた。誰の手にも湊を渡さなかった。孤独を隠して、でも遂に我慢できなくなって。
「………」
二度と温まることのない親に触れようとして伸ばした手は、そのまま下へ落ちた。
もっと前に、俺が手を差し伸べるべきだった。
俺にしか、孤独な彼女を救う事はできなかったのに。
今まで、ずっと彼女のおかげで生きてこられたのに…。
深く、深く後悔した。手が届かなかった事を悔やんだ。