コメディ・ライト小説(新)
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- 夏の虫は氷を笑った
- 日時: 2022/07/23 22:32
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: BLbMqcR3)
■ 自業自得だ、ばかやろう。
小説を完結させられないで有名な立花です、誰だよ。
初めましてのかたも、お久しぶりのかたもどうぞよろしくお願いします。
・あてんしょん
◇コメライには似つかわしくない鬱展開があります。許容範囲だよ、って方は読んでいただけると嬉しいです。
◆投稿ペースは完結させられるまでは週2ぐらいです。仕事で死んでたら投稿できないときもあるかもしれないです許してください。更新日、毎週水曜日、日曜日(予定)
◇コメントいただけると喜びます、お気軽にどうぞ。元気があれば、作品も読みに行かせていただきます。
□ もくじ
● 一章 「 夏は君を殺したから嫌いだ 」
・ 西倉詩織の告白 >>001 >>005-008
・ 青山春馬の告白 >>009-012
・ 夏目茜の告白 >>013-015
○ 二章 「 夏の魔物に侵食される 」
・ 脱兎 >>016
・ 幽閉 >>017
・ 火花 >>020
・ 氷がとける
・ 一歩目
・ 夏の怪物
・ デート
・ りんごの憂鬱
・ 墜落
● 幕間 「 晩夏 」
・ クラスメイトのはなし。
○ 三章 「 今から夏を殺しに行くね 」
・ 君の足音
・ 自業自得だ、ばかやろう。
・ 冬がくる
・ 正しさと、過ち。
・ 消えゆく記憶
では、物語の世界へどうぞ。
スレ立て日 2021,1/7
- Re: 夏の虫は氷を笑った ( No.7 )
- 日時: 2021/03/22 00:15
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: vQ7cfuks)
電車を乗り継いで一時間ほどで御崎海岸に辿り着いた。遊泳禁止という看板から目を逸らして私たちは足を進めていく。青山くんの腕にひっついた茜が楽しそうにけらけら笑っていて、その後ろを私と岩田くんが歩いている。ちらりと岩田くんの方を見ると、前の二人を冷めた目つきで見つめていた。私はそれが、睨んでいるようにも見えた。
「……暑いですね」
やっとのことで声が出た。勇気を振り絞って、心の中で何度も練習した言葉を口にする。ちらりとこちらを見た岩田くんは、自分に話しかけられたことに気づくまでに五秒ほど時間があって、やっと理解してくれたのか「そうだな」と返事をくれた。だけど、そこから会話を続ける能力が私にはなく、また沈黙が続いた。前の二人みたいに笑いながら会話なんて死んでもできないと思った。
「詩織も泳ごうよ、ほら脱いで」
水着に着替えた私たちは御崎海岸の小さいけれど綺麗な海に見とれた。ここの海岸はごみゼロ運動が盛んで、近くの小学校などが協力して毎月掃除をしているらしい。綺麗な白い砂浜、照り付ける太陽。絶好の海日和だと思った。
私は水着に着替えたものの貧相な自分の体が恥ずかしくて、持ってきていた少し大きめなパーカーを羽織って外に出た。同じタイミングで着替えをしていたトイレから出てきた茜は赤いビキニを身に包んでいて、豊満な胸やきゅっと引き締まったくびれ、すらっと長い足が女の私でも見とれるくらいに美しかった。
「ああ、また詩織はそんなの着てえ」
「ははっ、ごめん、やっぱり恥ずかしくて。それより茜のその水着可愛いね」
「でしょ。春馬に見てもらうためにこの前買ったの。可愛いでしょ」
茜の太陽のような明るい笑顔に癒されて、私たちは男子たちのもとに向かった。
御崎海岸には人はほとんどいなかった。近くに遊びに来ている家族が見えたけれど、遊泳禁止のこともあり砂浜あたりで遊ぶくらい。同じように水着に着替えた青山くんと岩田くんと一緒に私たちは海に向かった。
「あれ、西倉は泳がねえの?」
海に走って向かおうとしていた青山くんが振り返ってこちらに尋ねる。
「うん。私はここでみんなのこと待ってるよ」
「そっか。まあでも、泳ぎたくなったらいつでも来いよ。あとでビーチバレーとかしようぜ」
「ありがとう」
青山くんはそう言って海に向かって駆けて行った。顔は怖いし、いい噂もあまり聞かないけれど青山くんは私に優しかった。茜の友達だからというのが全てだろうけど、こうやって輪の中に上手く入っていけない私のことも気遣えるいい人なんだなという印象が強かった。茜は青山くんについて一緒に走っていく。最後に残った岩田くんがこちらを見て、小さくため息をついた。
「行かないんですか」
「……いや、行くけど」
何のため息かは分からなかった。多分、このときの私は分かろうとしてなかったんだ。岩田くんの足取りは少し重いように感じた。最後に振り返って岩田くんは一言。
「今日、暑くねえ?」
「そうですね。暑いですね?」
私はこの言葉の意味をちゃんと分かってあげられなかったんだ。私がこのとき、彼が海に行くのを止めていたらきっとあんなことにはならなかった。
私が悪かった。だからどうか許してほしい、もう今更泣き叫んでも遅い。私はとんでもないミスを犯してしまったんだ。
声がした。それは悲鳴のような、茜の高い声。
声に気づいて、砂浜の方から私は海の方を見た。高い波が岩田くんを攫っていった、あの最悪な光景が私の目にこびりついた。
もう二度と忘れられない。君が夏に殺された日のことだ。
- Re: 夏の虫は氷を笑った ( No.8 )
- 日時: 2021/01/23 23:52
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: vQ7cfuks)
駅のホームのベンチで座る岩田くんはずっと「暑い」と譫言のように何度も呟いていた。確かに今日の気温は三十度を超えていて暑かったけれど、ちらりと見た岩田くんの首筋からは汗がだらだらと流れていた。何度も垂れ落ちるような汗を拭ってる姿がやけに印象的で、だけど私はそれを見て見ぬふりをした。岩田くんのことが怖かったから、そんな言い訳で私は人の命を奪ってしまったというのに。
「助けて!!!!!!!!!」
その声は青山くんの叫び声だった。私は今自分の目に映った光景が信じられなくて受け入れられなくて、ただ海を見つめて呆然としてしまった。
「にしくらああああ」
海にのまれた岩田くんが何度も何度もフラッシュバックしている中、青山くんの叫ぶような鋭い声が私の耳に突き刺さる。
助けを呼べ、と海の中から青山くんが泣きながら叫んでいた。隣にいる茜はずっと泣いていて、もしかしたらパニックを起こしているのかもしれなかった。
青山くんの声に私は我に返ってスマホを握った。
砂浜を必死で走った。ビーチサンダルが脱げたのも気にせずに、必死に走った。誰でもいい、誰でもいいから助けてほしい。私は泣きながら叫んだ。足の裏はもう暑さで痛みも感じなくなるほどに麻痺していて、私もパニックで呂律が回らなくなってきた。
誰もいない。当たり前だ、ここは遊泳禁止の場所だから。さっき見かけた家族ももう帰ってしまったのだろうか、人なんてどこにもいなかった。ライフセイバーもいない、私たちが悪かったのだ。
ルールを破って勝手に溺れた、そんな人間を危険を冒してまで一体誰が助けてくれるのだろうか。
泣きながら頭の中は真っ白で、私は砂浜にへたりこんでしまって、最後に救急車を呼んだ。「……助けて、ください」私は弱弱しい声で友達が溺れた話を訴えた。
■
救急車が着いたころには岩田くんは息を引き取っていた。必死に海から運び出した青山くんは、眠るように息をしなくなった岩田くんを見てずっと声を殺して泣いていた。側にいた茜はこの光景がいまだに理解できてないのか、あたりをきょろきょろしていて、私を見るなり勢いよく抱き着いてきた。気づいた時にはもう遅かった。
「……ひっ、……ひっ」
私に抱き着いたまま、茜の呼吸はだんだんとおかしくなっていき、やがて過呼吸になった。崩れ落ちるように私の足に縋りつく茜の顔は真っ青で、今にも吐いてしまいそうなくらいに目も虚ろだった。
私は茜を抱きしめて背中をさすって、ただ一緒にいるだけしかできなくて、この状況のなか私だけが一人取り残されたような感覚だった。
どうしてこうなったのか、やっと今になってわかった。
岩田くんはきっと熱があったのだ。あの汗の量は尋常じゃなかった。何度も繰り返し呟き続けた「暑い」はこの気温の暑さを言ってるわけじゃなかった。体が感じる熱を「暑い」とずっと言っていたんだ。
気づかなかった私が馬鹿だった。どうして調子が悪くても今日岩田くんが海に来ようとしたのか私が一番分かっていたのに。
「……っ」
涙は自然と溢れてくる。唇をぎゅっと噛みしめて、私は青山くんの方を見た。泣き崩れた彼を私は睨みつけて、そっと近づいたあと「人殺し」と彼の耳元で呟いた。青山くんはこちらを見たあと、何が起こったのか訳が分からないといった表情を見せて、そのまま固まったように私を見た。
「私はきっと青山くんのことを許せない」
茜の呼吸がやっと落ち着いてきて、私はぎゅっと彼女を抱きしめた。
もう、私は彼との約束を守る必要はなくなったのだ。だって、岩田くんはもういないのだから。私の呪いはこの日、彼の死によっていとも簡単にとかれたのだ。
- Re: 夏の虫は氷を笑った ( No.9 )
- 日時: 2021/01/27 23:37
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: vQ7cfuks)
「人殺し」彼女の軽蔑するような瞳が忘れられない。今までに見たことないくらいの冷たい表情で、心臓に氷の刃を突き立てられたように感じるほど、低い棘のある声だった。
スマホのアラーム音が部屋中に響き渡る。俺はすぐに音を切ってまた布団にもぐりなおす。起きなければいけないということは分かっていても、体は全く動かなかった。
あの夏の日のことを覚えている。きっと一生忘れられない。親友の死んだ日のことだ。
あの海での事件から二か月が経って、外の風を冷たく感じるようになった。黄色く染まった木の葉が空から降ってくるたびに、夏という季節が終わったことを実感する。だけど、俺はあの夏からいまだに抜け出せずにいた。目を瞑ればあの日の夢を見る。親友を助けられない夢を見る。親友が高波に引きずり込まれていくあの悲惨な光景を、ずっと繰り返し繰り返し、何度も何度も。
「……げほっ」
高校には行けなくなった。今は周りの視線がただ怖くて仕方がない。
俺は親友を巻き込んで死に至らしめた加害者でしかない。俺が連れ出さなければがんちゃんは御崎海岸になんか行かないし、海で溺れることはなかった。
がんちゃんの死んだあと、葬式で彼の母親に酷い叱責をうけた。鬼のような形相で彼の母親は俺のことを「人殺し」と責めた。ずっとがんちゃんの母親は俺の素行の悪さを知っていて、早く縁を切れと再三忠告を受けていたのも知っている。俺が馬鹿でがんちゃんに釣り合ってないことだってわかっていた。
恋人だった茜はあの日からずっと何かに怯えている。いつしか連絡もつかなくなって、関係は自然消滅した。俺と同じで今は登校拒否の状態らしい。唯一連絡がつく彼女の親友の西倉がそう教えてくれた。
「……げほっ、げほっ、うえっ」
毎日、登校をしようとすると酷い吐き気に襲われる。まるで背中に何かが乗っているかのように体は重く、咳がずっと止まらない。寝ても覚めても俺はがんちゃんが死ぬ光景のフラッシュバックに苦しめられる。どこにも逃げ場はなかった。
制服を着ようとするけれど、いつもネクタイを締める手が震える。ぐちゃっと曲がったネクタイのまま部屋を出ようとすると、また酷い吐き気がやってきた。ドアの前に倒れ込んで、咽込んで頭がぐわんぐわんと揺れる。これが毎日のことだった。
どうすればいいのか、分からなかった。このまま学校に行かなくても何も変わらない。俺ががんちゃんを助けられなかったあの事実は変わらない。西倉の蔑むようなあの冷酷な瞳を思い出す。「人殺し」クラスのみんなが同じ目で俺を見ているような気がした。
海の中、必死で潜ってがんちゃんの動かなくなった体を抱き上げて浜辺まで運んだ。意識のない体はとても重くて、自分の体力のなさを呪った。がんちゃん、がんちゃん、呼び掛けても親友は返事をしてくれなかった。
隣でずっと泣く恋人と、呆然とこちらを見ている西倉と、そして何もできない俺だけが、この夏の空間に残されて逃げられないまま。
■
「茜が高校をやめました」
結局制服を着ても俺は学校には行けなかった。部屋の扉の前に置かれた朝食を食べて、食器だけ外に戻す。そのあとは、ベッドにくるまって無理やり目を瞑った。自堕落な生活を送っていることが、ただ恥ずかしかった。
ぴこん、と通知の音が鳴って偶然目が覚めた俺は、その短いメッセージを見てどう返すべきか少し悩んだ。西倉という女からのメッセージだった。
字面だけでは分からないけれど、きっと西倉は俺のことを恨んでいるのだろう。お前のせいだと言わんばかりのそのメッセージに、俺は既読だけつけて返信は後回しにした。どう返しても西倉は納得しないと思ったから。
「もう、許してくれよ。俺が全部悪くていいから。頼むから、許してくれよ」
誰にも許されない。誰にも助けを求めてはいけない。
傷つくことが俺にできる最後の懺悔だ。スマホを投げ捨てて必死に謝る。誰に対しての謝罪なのかもう分からなかった。ただ恐怖が足下からゆっくり俺の心臓に向かって侵食してくるのを止められない。俺はがんちゃんの死から、きっと一生逃げられないのだ。
- Re: 夏の虫は氷を笑った ( No.10 )
- 日時: 2021/01/31 19:14
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: vQ7cfuks)
「もしもし」
西倉詩織という女のことを俺は良く知らなかった。
特別頭がいいわけでも、運動ができるわけでも、可愛いわけでもない。ごく普通の女という印象。茜と並べると嫌でも優劣ができてしまうくらいに地味な女だった。一度だけ、茜にどうしてあんな地味なやつと絡んでるのかと聞いたことがある。茜は笑いながらこう答えた。「詩織はいい子だよ」と一言。
そのあとに茜が付け加えた言葉を俺は今まですっかり忘れていた。
「まだ茜から連絡とかないんだ」
「たぶんブロックされてるんじゃね。俺が何か送っても既読もつかない」
「そうかもね」
西倉が夜に少し通話したいと言ってきたのには驚いた。
俺たち三人の中で唯一あのあと何もなかったかのように普通に登校しているのが西倉だった。高校でのことだったり、先生からの伝言はすべて彼女に連絡を入れてもらっている。茜のこともすべて西倉にまかせっきりの状態で、俺は何もできなかった。
ベッドで横になりながらスマホに向かって話しかける。西倉の声はやっぱり前に比べて少し低く感じた。
「茜はもう限界だって。ずっと死にたいって言い続けてる」
「……そう、」
「青山くんのせいだね、って私が言ったら泣いて「違うの」って茜が言うんだ。あの日のことを全部青山くんのせいにしたくないんだって」
「……でも、俺のせいだよ。御崎海岸に行こうっていったのも俺だった」
「誰も止めなかったのに? 茜も岩田くんも行きたくないならそう言えばよかったんじゃない」
「西倉は何が言いたいの?」
「別に。青山くんが許されたがってるんじゃないかなって思って。あなたのせいじゃないよってそろそろ言ってあげないと壊れちゃうと思ったから」
淡々と、感情のない無機質な声が機械越しで俺の耳に入る。優しさなんて一ミリも感じ取れない西倉の言葉選びに思わず俺は笑ってしまいそうになった。
「西倉ってやっぱり変わってるよな」
「……私はたぶん、青山くんを許せないよ。だけど、青山くんだけが悪いわけじゃないから」
「なんのはなし?」
ぼそりと聞こえるか聞こえないか微妙な音量で呟かれた言葉に俺は首を傾げる。許すか、許さないか、そんなものを決めるのは俺たちではないし、がんちゃんでもない。
あの夏の事件も馬鹿な高校生が遊泳禁止の海で泳いで溺れて死んだとメディアに取り沙汰されて話題になった。死んだ人間にみんなが平気で言う。自業自得だと。言われて当然の言葉も、高校生の俺たちには刺激が強すぎて脆い心はあっという間に崩れ落ちる。一枚ずつ皮を捲られた後に、薄い皮膚に爪をたてられるような、痕はもう一生消えないだろう。田舎ではどれだけメディアが名前を伏せても噂はどんどん広がっていく。事実も嘘も全部入り混じって広がったその噂に俺は雁字搦めにされて外にはもう出れない。
「ううん。なんでもないよ。あのさ、近いうちに少し話がしたいんだけど、どこかで会えない?」
「会うのはいいんだけど、外に出ると気分が悪くなってさ」
「じゃあ青山くんの家まで行くよ。青山くんの部屋で話そう。それなら大丈夫でしょう」
「待って、西倉は男の部屋にのこのこ来るような軽い女じゃなかったっていう俺の認識なんだけど」
「気持ち悪い妄想しないでね。話しかしないから」
ため息交じりの軽蔑する声がスピーカー越しに俺の耳に入る。
「じゃあ、おやすみ」と短く西倉が呟いたあと、俺がおやすみと返している間にぷつりと電話が切れた。彼女の態度はとても分かりやすくて、やっぱり笑ってしまった。がんちゃんが死んでから笑えることなんて殆どなかったのに、西倉と連絡を取り合うときだけ少し気持ちが和らぐような気がする。あの夏に取り残された仲間だからなのだろうか。瞼が自然と落ちてきて俺はゆっくり意識を手放した。
茜が付け加えた「詩織は敵にまわしちゃいけないよ」という言葉を、俺はすっかり忘れていたのだ。
- Re: 夏の虫は氷を笑った ( No.11 )
- 日時: 2021/02/03 22:03
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: vQ7cfuks)
約束の時間は午後2時。今日は中間テストがあるため午前で終わるらしく、学校が終わったあとに直接向かうと西倉から連絡があった。
いつもは鬱陶しく感じるスマホのアラームで目を覚まし、寝間着のスウェットを脱いでクローゼットから服を取り出す。久しぶりに着たその服は、あの夏の日に着ていたTシャツだった。途中で気持ち悪くなって脱ごうとしたけれど、それは逃げているみたいで何でか恥ずかしかった。
「うわ、もうこんな時間」
散らかった部屋を朝からから片づけ始めて、気が付いたら12時を過ぎていた。キッチンの棚にあるカップ麺を拝借して昼飯を済ませ、スマホを見ながら西倉からの連絡を待った。ただの来客ごときで何をやっているんだろう。我に返ると羞恥で死にそうになるから、俺は気づかないふりをして自分の部屋に戻った。
窓の外の景色を眺める。木々の紅葉が美しかったけれど、その葉はやがて散りゆくものでしかない。綺麗、と人は言うけれど、地面に落ちたそれを人は平気で踏みつけるじゃないか。俺たちもきっと、そうやって他人に踏みつけられて生きていゆく。永遠に。
あの日から何度も幻聴が聞こえる。「お前のせいだ」という言葉が、どこかから聞こえる。きっと俺が俺自身を責め続けているのだろう。俺はいまだに過去の俺を許せない。きっと明日も、明後日も、一年後だって俺は自分の犯した過ちを水に流すことはできない。誰にも許されない。
「着いた」
スマホにぽんと出た短いメッセージをタップすると、西倉とのメッセージのやりとりの画面が出てくる。俺は了解とスタンプを押して玄関に向かった。階段をおりて、玄関の前に立つと途端に心臓のあたりがバクバクと変に脈打った。このドア一枚、それ越しに西倉がいる。俺を「人殺し」と言った西倉がいる。
彼女のことはよくわからない。俺のことを許せないだろうに、いまだに俺に連絡をくれる唯一の女。俺のことをどう思っているのか気になってはいるものの、ずっと聞けずにいる。
ガチャリと鍵を回して、ドアを開ける。制服姿の西倉が俺を見て一礼した。「久しぶり」彼女は笑わずにそう口を動かした。
変わったことはたったひとつ。西倉の綺麗な長い黒髪がばっさりショートになっていたこと。雰囲気がまったく違って、一瞬誰か分からなかった。
「髪、切ったんだ」
「うん」
「へえ、ああ似合ってる」
うまく言葉が出てこずに、頭の中で浮かんだことを無理やり文字にしていると、西倉は不機嫌そうに「そう」と短く相槌をうった。正直、やりとりはしていたものの、西倉とちゃんと対面して話すのはほとんど初めてに近い状況だった。気まずい空気が流れるのが嫌で、俺は西倉を部屋に招いた。
「いま、両親いないから」
「親御さんには言ってあるの?」
「えっと、いちおう友達が様子見に来てくれるってことだけ伝えてある」
「そう。何か言ってた?」
「え……ああ、良かったね、くらい?」
「ふうん」
俺にどんな回答を求めていたのか分からない。だけど、彼女はすんなりと俺についてきた。部屋を閉め切ると彼女も不安になると思って少し開けておくと、彼女の方からドアを閉めた。全く警戒していない西倉に俺は信用されていると喜んでいいのか、男相手に大丈夫なのかと心配すべきなのか戸惑ってしまった。
「えっと、なんか、久しぶりだよな。こうやって会うの?」
「いま青山くんが一番聞きたいことは何」
「……単刀直入すぎねえ、もうちょっとさ、なんか軽い会話をしてからってか、あ、お茶とか淹れてきたほうがいいよな。ごめん気が利かなくて、ちょっと待って」
動揺する俺の腕を西倉が掴んで、ぐっと引き寄せる。
「落ち着いて。お茶はあとでいい」
西倉は俺の腕を掴んだまま、ゆっくり座った。近くに置いてあった座布団を敷いてその上に座る。何故か正座だった。途中で足を崩したくなったけれど、この状況で出来るわけもなく、ずっと足が痺れて気分が悪かった。
「何が聞きたいって、俺は、」
「何も知りたくない? このまま自分は何も知らないままあの日のことから逃げて一生岩田くんのことに向き合わずに生きていくの?」
「そんなことしねえよ」
「じゃあ、向き合って」
西倉の力強い声に、俺ははっと顔をあげる。真剣な表情が俺の顔を覗き込んでいた。カッとなっていたことに、恥ずかしさを隠せない。
あの日から逃げ続けている俺にとどめを刺しに来た。そんなの西倉が俺と直接話したいって言った時からすでにわかっていたことだ。足がびりびりする。舌がつっかえて上手く言葉がでてこない。握り締めた両方の拳を足の上にぽんと置く。喋ろうとすればするほど爪が掌に食い込んでいった。
「どうすればいいのか、わからない」
弱い自分を曝け出すことに恐怖する。今でも他人の視線が気になって仕方がなかった。俺はどうしようもない。がんちゃんを死に至らしめた加害者でしかないから。
西倉は俺の不安な表情を見て、小さく息をついた。「青山くんって本当に馬鹿だよね」西倉の言葉は本当に棘のように鋭く柔い俺の皮膚に食い込んで、出血を促す。