ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

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氷の舞台で
日時: 2011/12/02 01:05
名前: 秋刀魚オイル (ID: RXnnEm2G)


 上幕。

「え? なんで?」
「キツイの。三ヶ月も家賃をため込まれると。だから、出て行け」 
石野が、大学の入学式前日から借りているアパートの大家さんは、淡々とした口調で笑いながら、もう一度告げる。
「ちょ、待って! 家賃なら、明日から夏休みだしさ。精一杯バイトして払いますから!」
 駅から一番近い距離にあり、付近にはコンビニ。少し歩けばデパートがある。学生にとっては理想のアパートを追い出されたくない石野は、手を合わせて懇願する。
「とは言っても……最近不況だから、こっちも厳しいわけ。大丈夫、なんとかなる」

 この世とは、無情なもの。
夜のとばりに染められた商店街。最小限の荷物だけを入れた大きめのバッグを肩に担いで、放浪するしかなかった。肩の重みが、枷のように感じてしまう。
夏休みを迎える前日の午前、彼女に浮気をしていることが知られてしまい午後にはアパート追放と相まって、泣き面に蜂である。
「明日から、どうしろってんだ」
 石野は軽く舌打ちをし、管理人を恨むが。
「いや、自業自得か……」
すぐにそれが己の怠惰な性格が招いた結果だと理解し、また溜息が漏れる。
 家路へ急ぐ者。学校の帰り道にデートのつもりなのか、手を繋いで仲良く歩く制服姿の男女。携帯を片手に、今日の晩ご飯には遅れると家族に告げる者。流れゆく人の波に、石野の心中で醜い嫉妬が産声をあげる。
「お前らはいいよなぁ。俺の苦労も知らないでさ」
 ぼそり、と。誰かの耳に聞こえていれば、それでいいような悪口を吐く。
「ここに、最高に不幸な奴がいるのに、よく笑ってられるよな」
 人々の喜が混じり合う、喧騒の中。それらを掻き消すように、石野の声は、喫茶店に訪れようとしていた一組の男女に突き刺さる。
「はい?」
 男から返ってくる言葉は、至極真っ当なもの。眼鏡をかけた中年で小太りな男の困惑な視線と、学生服で茶髪をポニーテールに結い上げたブレザー姿の女子高生の怪訝な瞳が、混じり合う。それらすべてが、石野にとって侮蔑以外の何ものにも、感じられない。
「ああ、そうだよな。気持ち悪いよな。どん底を知らねーやつにとってはよ!」
 なにもかもが、憎たらしく視界に侵入する。石野の脳細胞に、負の感情が土砂崩れのように溢れ出、理性はまたたくまに錆びていく。
「本当に、そうだよな!」
 道行く大衆の嫌な眼が絡みつく中、石野は殺意を纏った外道のように、男の顔面に憤怒を込めた拳を叩き込む。

 咄嗟のことだったのか、男は身構える隙などなく、強化ガラス製のドアにその身を強打してしまう。打ち所が悪かったのか、男は火をつけられた昆虫のように、悶えた。
「きゃあああああああああああああ!」
 取り残された女が、誰に言われるまでもなく絶叫し、我が身を護るためなのか脱兎の如く去る。その際、上着のポケットからは一万円札が三枚ハラハラと舞い落ちる。
 しかし、誰も手を伸ばすことはなく、石野だけは乱暴に三枚の紙幣をひったくるように拾いあげる。
「こんな、もんかよ」
 
無くした理想を手に入れていた者達。その内の一人に暴力をふるい、幸せを壊した。なのに満足されない現実。石野は胸中に空洞が出来たかのように、頼りない足取りでその場を後にする。追う者はなく、ただ沈黙して目の前の光景に侮蔑の視線を突き刺していく中、どれもこれも、今の石野にとってはどうでもよかった。

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Re: 氷の舞台で ( No.2 )
日時: 2011/12/02 01:07
名前: 秋刀魚オイル (ID: RXnnEm2G)

意識が戻りつつある中、徐々に感じられるのは肌に鋭く突き刺さる冷たさ。
彼の意識を完全に覚醒させるには、それだけで充分すぎる材料であった。
「な、なんだよ、ここ!」
 石野の眼下に広がるのは、広大な空間。中央にはあらゆるものを飲み込もうと空いている穴。そう、人を人では無いものにする穴。
「とっておきのバイトって、一体、なんだよ……俺も、さっきのやつみたいに!」
 石野はヒンヤリと身体を撫でる箱の中、苦虫を噛んだような表情で、壁を力の限り殴る。
「こんなところで、何しろってんだ」
石野は、現実味のない異様な空間に背筋を舌で舐められたような感覚を、覚える。
石野は命の危機を、五感すべてで察する。ここで何が起きたか、脳裏に焼きついた、援助交際をした男がミキサーにかけられたように、切り刻まれる光景がフラッシュバックしてしまう。訳の解らない現実に、不条理な怒りを咆えると。
「どうって言ったって、夜逃げの君にはぴったりのアルバイトだよん」
それは、先程の少女の陽気すぎる声で、やはり遙か頭上から聞こえてくる。一つのカゴに入れられて少女がカゴの外から話しかけてきているみたいに。
「ア、アルバイトって、強制的にこんな所に閉じこめて、ミンチにすることかよ!」
石野は、冷静さが少しずつ紙ヤスリで削られていき怒りが表面に出始めてきた。
異様な空間に閉じこめた人物に対して、憤慨を感じている。
「ん〜まあ、閉じこめるってとこだけは、正解かな」

 石野の怒りなど、声の主には届いていないのだろうか。最初に出会った時と同じような、陽気な口調で、信じられない言葉を続けた。
「あと足りなかったのは、カキ氷製造器に閉じこめて、カキ氷を作ってもらうってとこかな? 結構良いよ〜時給千三百円だよ? いやいや〜代わりのバイト君が見つかって、お姉さん大喜びだよ」
 顔を上げた時に見えたのは、少女の信じられないくらい、大きな顔。
「だから、頑張ってカキ氷を作ってね?」
石野が、すべてを理解するよりも早く大きな氷山にも等しい氷を、製造器の中に落としてきた。それは、石野には当たらずプロペラの上に落下し、そこで削られていくのを待つのみ。
「君がいる箱の中に、レバーがあるはずだよ。それを、氷が全部無くなるまで回し続けてね〜上手く出来れば、時給に五百円うわのせかもよ?」
石野は、解らなくなった。理解が出来なくなった。このようなことは、存在して良いのかどうか。笑顔で人を殺した上で、別の獲物に同じことを強要する思考回路に。それでも石野は。
「お、おい! そんなの知るかよ! 俺を、ここから出せ! アルバイトとか、そんなのはもうどうでもいい!!」
一人の少年の言葉は、得体の知れない少女の驚愕した声により砕かれてしまう。
「あり? あたしは兄ちゃんの彼女から、浮気をした罰と……あ、そうだ! 単調すぎる大家さんから、家賃滞納の罰を与えてやってくれって言われてるからね。それに君〜人をぶん殴ったんだって? 悪いことはしちゃいけないよ〜? そんな君の意思なんてのは、どうでも良いんだ。だってここは私の庭だしね」
カラカラ笑いが漏れる。それは、商店街の虚空に吸収されていく。少女は、製造器の蓋を閉じる。そして、タイミングよく携帯が鳴り響き、懐から真紅の携帯を取り出すと。
「お、これはこれは……とんだ悪ガキだね」
 女の子は、携帯を開いて差出人不明のメールに、口端をニヤリとつり上げる。イタズラを閃いた子供のように。

 だからこそ、少女は気づくことが出来なかった。物陰からこっそりと、それでいて、醜悪な表情で近くに待機中の複数の男子生徒に合図を出している、制服を着た黒色でショートヘヤーの女子高生がいることを。
 女子高生からの合図をきっかけに、数人の男の子がきたことを。それぞれが、バットを持って少女に襲いかかることを。
 気づいたときには既に、鈍く光の牙をむける凶器が、少女へ振り下ろされていた。
 女子高生は事の結末を見届けると、地面に捨てられている三万円をゆっくりと拾い上げて、クスリと笑みを表情に表す。

Re: 氷の舞台で ( No.3 )
日時: 2011/12/02 01:09
名前: 秋刀魚オイル (ID: RXnnEm2G)

下幕。
               
 
<悪いことをした人の所に、カキ氷屋が現れる>
このような噂が、夕凪ゆうなぎ高校で囁かれている。最初は、軽い会話の中に、ほんの少し混ぜられる程度だった。しかし、今では学校中の噂となっている。情報伝達の早さは、異常と言っていい程。携帯。友達から友達へ。インターネット。立ち止まることを忘却し、歩み続ける。今日も、早速。
「はい? それって、本当なの?」
 誰もが自由に騒ぐ夕凪高校三年五組で、女子生徒が疑いの声をあげる。
「本当なんだって! 夏休みに入る前だったかな。夜に商店街でカキ氷屋を見た子が、いるんだって!」
疑いの眼差しを向けられた女子生徒は、神崎かんざき。つい最近仕入れた情報を、友達である沢谷さわやに興奮気味に教えるが、どうやら反応はイマイチのよう。
 沢谷の席に両手をついて、前かがみのポーズで、神崎は頬を膨らませる。同年代の中でも、一段と小柄な神崎が不機嫌な態度を表すと、より一層幼く見えてしまう。
 神崎は、そのような沢谷の態度に慣れているのか、ため息を吐いて頬杖をつく。
「で? 実際に見た子は、どこにいんの? 連れてきてくれたなら、信じてあげるわよ」
 沢谷は、氷のような目で神崎をまた睨みつける。この態度は、もう飽きた。という意思表示の現れであり、不機嫌だという意思表示だと神崎は知っていた。
「え、えと、そ、それは……」
 話題を、ここで切らないためにどうしたらいいか、焦りが見えてくる。どうしようかと、神崎は教室を見渡し。
「あ!」
 と、愛らしい声を一度発して、たった今、教室に入ってきた女の子に、声をかける。
「おーい! 西田にしださん! ちょっと、来て!」
 神崎は、ピョンピョンと跳ねながら、西田と呼んだ女の子を手招きする。西田は、滅多なことででも話さない人に呼ばれて、困惑していた。                          

教室のドアの前で、行くべきか行かないべきか、一歩進んではまた退くを繰り返す。
「あーもう、じれったいな!」
 我慢しきれなくなったのか、神崎は西田の元まで走っていく。
「はい! あたしが呼んだら、すぐ来る!」
神崎は、強引に西田を沢谷の前まで引っ張ってくる。得意げな表情で、神崎は胸を張って息を吸って。
「なんと、西田の元彼氏はカキ氷屋に出会って失踪していると、言われているんだ!」
教室中の空気が、息を潜めていく中、夏休み直前に西田の元彼氏は浮気をしてしまい、それから失踪してしまった。カキ氷の噂が増えれば増えるほど西田の彼氏について話が広がる。良くない方向に。
「いや〜今までは、ただの噂にすぎなかったんだけど、遂に確信出来たよ!」
 教室の中に、不穏の影が差し込んでいく中、神崎だけは上機嫌に語る。
「あんた、クラスメイトの彼氏が行方不明になったからって、噂とこじつけるのって、どうかしてるわよ!」
 沢谷は、神崎の言動が許せないのか、椅子から立ち上がって、声を荒らげる。沢谷は、西田と別段仲良しではなく、雑談をする間柄でもない。しかし、神崎の放った言葉だけは許してはいけない。
 なぜか、そう思ってしまった。
「どうかしてるって、噂が本当になったんだよ! 嬉しいよ! これで一歩、カキ氷の真相に近づいたんだね」
 沢谷の言葉など頭に入らないくらい、神崎にとって幸福なことなのか。まるで、この世の穢れから解放されたかのように、表情はおぼほけている。
 沢谷は呆れて、喉奥からは何も言葉は漏れなかった。その代わり、一度ため息を零す。
「西田さん。ごめんね、バカの妄言なんかに付き合わせちゃって」
 明後日の方向を見つめている神崎から解放された西田に、沢野は謝罪をする。謝るだけでは、気休めにもならないことだと知っているが。
「う、ううん。大丈夫だから。沢谷さんが謝らなくても、いいよ」
「そうだ。カキ氷屋って、悪い人のとこに来るんだよね? うわ〜じゃあ、浮気彼氏をカキ氷屋に売った西田さんとこのまま一緒にいたら、その姿を拝めるんだね。うわ〜あたし、幸せ者だ!」
目を、眩しいばかりに輝かさせて、この世に存在する幸せ全てを一身に受け止めたかのような笑みを、これでもかとアピールする。
それらは、周りにいたクラスメイト達にも影響を及ぼし、神崎が言った言葉の意味を受け入れて頷く者、逆らえずに頷くしか出来ない者。どれもが、沢谷にとって醜悪にしか見えなかった。
「はぁ? あんた、自分がなに言ってるのか、解ってんの!」
 沢谷は、目の前の親友を殴りたい、殴って己の愚かさを解らせたい。そう思って、一歩踏み出したら。
「ま、待って! 沢谷さん。もう、良いの……」
 沢谷の左手を、西田が優しく、それでいて悲しげに握って制す。表情には暗雲がかかっていて、今すぐにも隠れてしまいそう。
「でも、あんたのことバカにされて、好き放題言われていいの? あんたが言い返さないと、ずっとこのままよ?」
 西田の不安な表情に、沢谷は言葉が詰まりそうになる。けれど、ここで沈黙してしまっては、何も解決しない。沢谷は心を鬼にし、力強く西田に言葉をぶつける。
「で、でも……ごめんなさい!」
 暗雲は、西田の表情を覆い隠してしまう。頼りない後ろ姿が、教室から飛び出てしまってからでは、再び晴れさせることは叶わない。

 

Re: 氷の舞台で ( No.4 )
日時: 2011/12/02 01:09
名前: 秋刀魚オイル (ID: RXnnEm2G)

放課後になっても、西田は戻ってこなかった。
 沢谷は、すっかり噂の虜になってしまっている神崎の一方的な語りを、適当に相槌を打って流す。おそらく、もう二度と親友などと呼ばないだろう。沢谷は、神崎の全てに怒りを覚え、そして呆れていく。何かを言った所で、変わることがないから。
 深淵が訪れる前の、時間帯。教室には、どこかソワソワと地に足がつかない雰囲気の沢谷と、神崎の二人だけ。悠長な時間が、このまま日が暮れるまで続いていくのかと、沢谷は心の底で嘆いていれば。
「ちょっと、人の話をちゃんと聞いてる?」
 人の胸中を察することが出来ないのか、神崎は沢谷の顔を覗き込み、顔をズイズイと近づけてくる。幼く見える瞳には、下郎を哀れむ沢谷の姿がうつる。
「ちょっと、ちゃんと聞いているじゃない!」
 沢谷の中で、今朝と同じように憎しみが溢れてくる。人の傷口を抉り出すかのような神崎の言動は、許せない。同時に、心の中で焦りが生まれてくる。神崎のこととは無関係の。
「聞いてないよ! せっかく、カキ氷屋の素晴らしさを伝えようと想ったのに」
神崎は、駄々をこねる子どものように拗ねた口調で、不満をアピールする。沢谷にとっては、さらに怒りが貯まってしまう要因になりかねない。
「あんた、いつか、カキ氷屋さんに連れて行かれるかもしれないわよ」
 だから、先に怒りを少しばかり放出する。突然爆発してしまうのは、沢谷にとってマイナスでしかないから。
 それでも、言いたかったから。嫌いな人に、嫌みを言うかのように。
「連れていかれるのは、沢谷だよ?」
「あ、あの、沢谷さん」
 神崎が、酷くべったりとした声を放ったのと、ヒョッコリと、教室に制服姿の西田が戻ってくるのは同時。その顔には、緊張はあれど困惑はない。
「あ、西田さん。今まで、どこ行ってたのよ!」    
 神崎の言葉に意識を向けずに済んだことに、沢谷は喜びを覚える。 
「ごめんなさい。あの時は、耐えられなくて」
 そう言って苦笑いを浮かべる顔には、緊張のためか、幾筋のもの汗が流れている。沢谷は、西田が戻ってきてくれたことに安堵感を覚えて、口を開こうとすれば。
「ねえねえ! 例の噂って、ほんとだったの! 教えて!」
 お調子者な神崎が、沢谷を押しのけて西田に質問で迫っていく。沢谷にとっては、想定内の行動であったので、なんら問題はない。軽く払いのけて、沢谷言いそびれた言葉を口にする。
「なにか、あったの? 遠慮なく言ってね」
 一瞬だけ、西田の表情に暗雲が忍び寄ったことに、沢谷は気づけないでいた。
「えと、出来れば、沢谷さんと二人だけがいいですね」
 西田は申し訳なさそうに、声のトーンを低くして懇願する。

Re: 氷の舞台で(完結) ( No.5 )
日時: 2011/12/02 01:11
名前: 秋刀魚オイル (ID: RXnnEm2G)

誰もいない、ただただ闇が広がる校舎。無人の教室が並ぶ様は、刑務所のようにも思える。
 目の前を歩く西田の姿は、沢谷にとってどこか別人のようにすら感じられる。
「ね、ねえ。どこまで行くのよ? 話だけなら、今出来るじゃん」
 しかし、歩む一歩は止まらない。ゆっくりと、ただゆっくりと。
やがて、校舎四階の一番端っこの生物学部屋の前に、たどり着く。
「ごめんなさい。話だけじゃないんです」
 そして、扉を開けた先に待っていたのは、無惨にも荒れて縮れた顎まで伸びた亜麻色の髪に、両目が隠れている少女だった。ただでさせ異常な有様だというのに、少女が羽織っている半被は埃を被り、力づくで破かれたかのようにボロボロだった。布の下に見え隠れする肌は、青黒く内出血している部分が多く見られていた。
女の子の両手足は、キツク紐で椅子に縛られている。しかし、表情には不敵な笑みが浮かんでいた。己の状況を理解していないのか、はたまた純粋に笑っているからなのだろうか。
 傍らに置いてあったカキ氷機は、純白な四角い形をしている。それだけなら思わず見とれてしまいそうになるのだが、所々が錆びており、上部についている回転式のレバーに至っては、動くかどうかすら怪しい。
「…………」
 沢谷は、目の前にいる人物が理解できない。
 しかし、記憶というものは無情で、耳にタコが出来るほど聞いたことは、忘れれることなど出来そうにない。
「ね、ねえ。これ、どういうことよ。確か、そいつって……噂のカキ氷」
 沢谷は、自分の足が勝手に後ろへ下がっているのが、手に取るように解ってしまう。
「ごめんなさい。私、実はこの人と以前に約束をしていたんです」
 西田は、今までと打って変わって、餌を見つけた鮫のように、ゆっくりと近づいてくる。何かが違う。だけど、沢谷には解らない。全身にはりめぐらされた間隔、すべてを持って行かれそうで。
「浮気した彼を懲らしめるために、カキ氷屋さんに頼んだのです。でも、そこからが甘かったんです。実は、カキ氷の中に人を幽閉しても、その人が倒れてしまったら、代わりを探さないといけない」
 そこで、沢谷は解ってしまった。なぜ、自分が代わりに選ばれてしまったのか。だからこそ、するべきことは一つ。
「ごめんだけど、まったく心当たりがないの。だから、他を当たって?」
 自分の気持ちを抑えて、いい人をアピールする。
 困っている人がいたら、すかさず助ける。それが、沢谷。ずっと、そうして過ごしてきた。決して悪いとは思っていない。だから、沢谷の胸中は自信があふれている。代わりにはならないと。

 その瞬間、沢谷の表情から喜が消え去り、絶対零度の憎悪が現れる。
 沢谷は静かに、椅子に拘束される少女に歩み寄り、西田は深呼吸をする。少女の傍らに置いてあったカキ氷機を、ゆっくりと両手で持ち上げて、古くさく錆びてしまった機械を、愛でるように撫でると。
「あんたさ、あたしを中にいれるつもりなのかい?」
 しゃがれている。しかし、余裕が詰まった声で西田を嘲笑う。その姿には、一種の畏怖さえ感じてしまう。
「なんともチャレンジャーな娘だね〜。いや〜感心感心! はははははははは!」
 カンラカンラと一人、殺風景な部屋で声を高らかに笑う。馬鹿にしているのでなく、褒めているわけでもなく、ただ笑い続ける。誰にも理由を理解されることがなく、狂ったように。
 やがて、力なく頭を垂れると押し黙り、フラフラと乱れた髪を揺らしながら顔をあげると、髪と髪の間から赤黒く充血した眼がしっかりと西田に向けられ。
「……あんた、生きてて楽しい?」
 ズシリと重くて心臓をナイフで抉るかのような罵声を、醜く歪んだ笑顔で突き刺し、
「あ、は、ははははははははは! ははははは! あはははは!」
少女は、あっけなくカキ氷機の中へと消されてしまう。

「……人柱を大真面目に探していたら、常にあのカキ氷の少女に縛られている感じがしました。そこで、私は考えたんです。カキ氷屋を捕まえようって。そうしたら、人身御供なんて考えなくていいですからね。案外、簡単でしたよ? カキ氷屋に興味ある人達を集めて、機会を窺って……そして、ようやく捕まえることに成功したんです」
「そう言えば、最近、カキ氷の噂がよく立ちますよね? 実はあれ、私が原因なんです。この学校には、悪い子が多いですから、それに」
 まるで少女などいなかったかのように、張り付いた微笑みを崩すことがない西田は、ゆっくりと歩いてくる亡者のように、沢谷に近づいていく。沢谷も、西田が一歩進む度に後ずさりをしていく。
 西田の甘い吐息が、沢谷の頬を生ぬるく愛撫する距離にまで近づくと。
甘い吐息と共に、沢谷の眼前には一万円が三枚、突きつけられる。 
「沢谷さんも、男の人と一緒に悪いこと、していましたよね?」
 西田の黒い瞳が、札の間から沢谷の瞳を見つめたのを最後に、沢谷の姿は部屋から消え去る。一瞬で消された映像のように。西田は、腕に抱きかかえたカキ氷製造器を愛でるように撫でる。
「ふ、ふふ……」
 目は歪み、口元は醜い笑みを浮かべる。悪い者、自分に敵意を向ける者、それら全てを消すことの出来る道具。
「ふふ、ふふふふふ…………」
 まるで、自分が自分ではない感覚。体中の細胞が活性化し、アドレナリンが溢れてくる。笑みが出血したかのように漏れていく中、脳裏に一人の人物がよぎる。
「そうでした。神崎さんって、私に対してあんなことや、色んなことを言っていましたね」
 教室で向けられた、侮辱。もちろんのこと、西田が忘れる訳がなく、腹の底から怒りが鎌首をもたげたとき。
「あ、あ、あ、あ、ああああああああ!」
 西田は、身体中に走る激痛に悲鳴を上げ、冷えた床に倒れて悶えてしまう。倒れた拍子にカキ氷機を手放してしまい、ゴロゴロと転がっていく。やがて動きを止めて、蓋が外れると。
「————ッ!」
 機械の中から、あの少女の真っ赤な瞳が覗いていた。西田は恐怖のあまり痙攣してしまい、過呼吸になる。少女の瞳がまるで嘲笑するかのように形を変えると、再び西田に激痛が走る。内側から食い破られるような痛みに失禁し、声にならない叫び声を喉が千切れるくらい上げ、激しく頭を振ると。
 西田の髪の毛が一本抜け落ち、眼下にヒラリと墜ちる……亜麻色の髪の毛が。
「あ、あ、ああああ!」
 西田は、狂ったかのように教室の扉にまで這っていくと、教室の扉が開かれ、バットを鬼の形相で振り下ろす男子生徒がそこにいた。
 鈍い音が一度大きく響いた後、西田は薄れていく世界の中、携帯を片手に悪魔の笑みを浮かべている神崎の姿がそこにあり、

 西田はカキ氷屋になってしまったことを、後悔した。

Re: 氷の舞台で ( No.6 )
日時: 2011/12/02 01:12
名前: 秋刀魚オイル (ID: RXnnEm2G)

作者コメント・これからは、短編集を書いていきます。


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