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- アイタイモノクローム
- 日時: 2011/12/22 01:40
- 名前: 森谷リョウ (ID: 3iZuTr1t)
—あの時、僕等は、一体何を夢見ていたのかな?
第一章「頭蓋骨を抱いた人魚」
Prologue
人魚は存在する。
彼らは美しい姿をした、実体を持つ生き物である。けれどその多くは、尾を捨て、人間として生きている。
人魚は、とても賢い。
何年、何十年、何百年と生き続ける中で、記憶が途切れることは、まず無い。
だから、海の賢者と呼ばれる。
しかし彼らの中でも、時として愚かな者も居る。
一番有名なのが、人間に恋をした、哀れな人魚。彼女は、人間に近づいたばかりに、泡になってしまった。
そんな彼らにとって人間は食べ物である。
彼らはその美しい歌声と姿で人間を水の中に誘いこみ、真珠のような可愛らしい白い歯で、綺麗に肉を平らげてしまう。
そして人間にとって、人魚はクスリである。
不老不死の、特別な薬。人間はそれを手にする為なら、どんなことでもする。
人魚にはそれが理解できない。
彼らは、長く生き続けるのが、どれだけ苦痛で、孤独なのか知っているからである。故に、人魚は人間に強い嫌悪と侮蔑感を抱くと同時に、強く小さな憧れも持っているのである。
そんな人魚の一匹が、とある村の、とある滝壺に住んでいた。
何百年も孤独な彼女は、ただひたすら死を願って生きていた。いつも胸に抱えている、白い頭蓋骨と共に。
暗い森の奥深く、誰の目にも触れる事がない、大きな岩の壁に囲まれた小さな滝で、
人魚は一人、死を夢に見続けていたのである。
そんな彼女の元に、ある日奇妙な少年がやって来た。
少年は、眉を思い切りしかめた人魚に向かって、こう言い放った。
「僕と友達になってくれる?」
あの初夏の風は、まだ何も知らなかった少年に、何を告げたかったのだろうか…
1
柴崎高志の父親は、満州国から帰ってきたばかりの陸軍大尉で、立派な軍人として有名だった。
柴崎家には、子供が三人いる。一人はもう立派な兵隊の、父親に良く似た兄。二人目は士官学校に通っている、母親似のおっとりした弟と、三人目は、まだ幼い妹である。
高志は十五歳で、母親に似た、明るい色の柔らかな髪と、優しそうな二重の目を持つ、整った顔立ちをした少年だ。線が兄よりもずっと細く、力も弱い。けれど高志は、父や兄の様に、立派な軍人になることを目標としていた。
高志は、大日本帝国が戦争に勝ち続け、清に露西亜と、大国を相手に勝利を収めていたことを、人生の喜びの一部としている。けれども高志は、戦場というものを見たことも、感じた事も無かった。
父は厳格そうに見えて、実は誰よりも優しく、面白い人だった。その包容力ときたら、女性である母が思わず負け惜しみを言う程である。高志はそんな父が大好きで、いつも戦争の話をねだるのだが、父は何故か、その話しをしたがらなかった。高志にはそれが、不思議でならなかった。父にとっても、名誉なはずなのに。
兄が父と入れ替わりに満州へ旅立ち、もう大分経った頃。
母方の祖父が急に倒れ、高志は母と一緒に、祖父の家へ向かった。妹はまだ五歳だが、父が面倒を見る、と自信ありげに宣言したので、二人きりの帰郷だった。
祖父の家は、とても山奥の小さな集落にあった。街は近代化していっているのに、ここだけ江戸時代に取り残されたかのようで、高志はそこがあまり好きでは無かった。
だから今こうして、暇つぶしの為の分厚い本を風呂敷に包んで、田んぼに囲まれたゆるい坂を登っている。
「ねぇ母上、おじい様の家って、こんなに遠かったですっけ…?」
軍人らしくきびきびと歩きながらも、高志が泣きごとを呟く。普段あまり外で走りまわったり、遊んだりしない高志にとって、これはかなりの重労働に感じられたのだが、母の方は着物なのにも関わらず高志よりもズンズン先に進んでいた。
「はぁ〜やぁ〜くぅ〜!日が暮れちゃうから〜!」
と大きな声で叫んで、ニコニコしながらまた歩き出すその背中を、高志はため息をつきながら見ていた。
時は1943年、夏。
緑豊かな、小さな集落。街は西洋の空気に酔っているが、ここではそんな空気は一切感じられない。かやぶき屋根の古風な民家が建ち並び、青々とした田んぼと畑が民家よりも目立つ。平安時代から存在すると言われる、謎に包まれたこの集落には、暗黙のルールがあった。それは…
『北の森に入らない事』。
北の森。それは、この集落を囲む森林の中でも、もっとも広大で、もっとも豊かな森林。この集落の水源を担っている北の森には、ここの人間なら誰でも近づかない。そして、森の入口には、古びた鳥居が、忘れ去られたように建っている。その鳥居の意味を、誰も知らない。
知っているのは、北の森に行った人間は、絶対に帰って来ないという事だけだ。触らぬ神に祟りなし。母も昔からそう言われて育ってきた。
戦火も、自然災害も、なぜか滅多に振りかからないこの謎の地で。
高志がまた歩き出した。太陽が南中してしばらく経つ。もう少しで夕方だ。重い風呂敷を背負い直して、シャツの袖をまくったまま、もう目の前に見える古い民家を目指す…
- Re: アイタイモノクローム 第一章② ( No.1 )
- 日時: 2011/12/21 20:39
- 名前: 白桜 ◆DL6xKyOq9k (ID: o.w9FXPe)
一話事にスレを立てるのではなくて、作者も返信で書いていくのが普通ですよ? 展開が気になります。執筆頑張ってくださいね。
- Re: アイタイモノクローム 第一章② ( No.2 )
- 日時: 2011/12/22 01:22
- 名前: 森谷リョウ (ID: 3iZuTr1t)
初めまして白桜さん
本当ですか・・・!!!
教えて下さってありがとうございます!!!
これからそうします!!
- Re: アイタイモノクローム ( No.3 )
- 日時: 2011/12/22 01:42
- 名前: 森谷リョウ (ID: 3iZuTr1t)
2
祖父は布団の上で寝ているものと思っていた。ほんのさっきまで。しかし、そうでは無かった。
「だっから、私は、雪子にまで迷惑かけなくても良いって、言ったじゃないのぉ!」
枕や割烹着を投げつけながら、白髪を上品に結衣上げた祖母がいきり立っている。その標的は、いかにもイタズラ好きそうな、床の間に追い詰められた爺さんだった。ちなみに雪子とは高志の母の名前で、追い詰められて祖母を涙目で見上げているのが、世に二人としていない高志の祖父だ。
高志と母は、ポカンと口を開けて、玄関に突っ立ったままその様を眺めていた。見た限り、祖父も祖母も滅茶苦茶元気そうだ。どう足掻いても倒れそうには見えない。重い荷物を玄関にドサリと下ろして、母が叫んだ。
「ちょっとぉ、何があったのよぉ」
まだ少女のような赤い頬を膨らませて、腰に手を当てている母の姿は、よく家でも見られる光景だ。高志は荷物を置いた後どうすれば良いのか解らなかったので、とりあえず黙って立っている事にした。女性が怒ると怖いから、気をつけなさいと口を酸っぱくして言っていた祖父と父のあの言葉は、なんだったのだろうと考えながら。
すると、祖母がぷりぷりしながらこっちに歩いて来た。藤色の着物が、良く似合っている。
「もうっ、お爺さんたらね、大した事も無いのに大げさに騒ぎ立てて…もう死ぬぅ、だなんて!
たかが屋根から落ちたくらいでよ?雪子は忙しいんだからって私が止めるのも聞かないで、
おやまぁ、高志まで来ていたの!」
くりくりした目をまんまるに見開いて、祖母が嬉しそうに声を張り上げた。高志は一瞬ドキリとしたが、すぐに丁寧に頭を下げて、
「こんにちは、おばあ様。おじい様も、お元気そうで何よりです」
祖母の、あらまぁ、と言う声に反応した祖父が、なになに?と言うように床の間から這い出て来た。ぴょこり、と、開け放された襖から顔を覗かせ、高志の顔を見つけると顔をほころばせる。
「ありゃあ、高志じゃないか!やぁ、大きくなったなぁ、雪子そっくりだ!」
「そうですねぇ、こんなに立派になって!広明よりもっと小さいかと思っていたけれど、そう変わらないくらい
かしら。大きくなったのねぇ」
母が嬉しそうにフフン、と笑う。
「わたしの自慢の息子達よ。わたしに似て優秀なの。」
まっさきに突っ込んだのは祖父だった。
「お前はじゃじゃ馬で高志は賢いじゃないか。似とらんわ。むしろワシに似ておる」
「なんですってぇ!」
「高志は中身だけお父さんに似たのよ。ね?堅実で優しくて賢い子でしょう。もう良いから、早く上がりなさい。
お爺さんのせいで、疲れたでしょうから。ゆっくりしてくといいわ。」
いがみ合っている祖父と母を言い含めて、祖母は高志に優しく笑いかけた。
その次の日の朝、高志は一番最後に目を覚ました。
昨夜はやっぱり祖父と母が無言でいがみ合っていて、けれど祖母はまるで気にせず、淡々と二人の世話をしてくれた。
目をこすりながら夏用の薄い布団をどけて、思いきり伸びをする。小鳥の囀りと蝉の声が騒がしく響いていた。よくこんな中で寝られていたな、と我ながら感心して、障子を開けにかかる。
高志は、真面目は真面目だが、変なクセがあった。たとえば、本を読む場所。机で読めば良いものを、わざわざ自分が一番落ち着ける所を探しにフラフラと出かける。時には木にも登る。他には、皆は外がいくら暑くても、制帽と制服をきちっと身につけているのに対し、高志は、帽子も上着も必要としない。白のワイシャツと制服の黒いズボンだけで一日をすごす。それに、寝ぐせを直さない。女の子の目も気にしない。お箸は左で持ち、書き物は右でする。両親は何も言わなかった。それを常に気にしていたのは、満州に行った兄の広明だけだった。
朝ご飯は作って、机の上に並べられていた。祖父は腰が痛いのかまだ寝ていて、母と祖母は畑仕事へ出て行ったあとだった。高志はまだ少し温かいそれを一人で黙々と食べ、食べ終わると、本を持って家を出た。
今日も良く晴れている。青い空に、夏特優の緑の山々のコントラストがとても美しい。清々しい空気を胸いっぱいに吸い込んで、足を森へと進める。細い獣道があるだけで、普通の人なら止めておくような道を、高志は気にする様子も見せずズンズンと進む。途中、蔦や木の枝に邪魔されたが、それらはかがまれるか折られるかでやり過ごされてしまっていた。小鳥がピチピチと鳴きながら、高志を見つめた。どこへ行くの?と言わんばかりだ。けれど高志はそれに気がつかず、まるで自分を森から押し戻そうとしているかのような草木と格闘しながら、奥へ奥へと進んでいた。
(はぁ……どこか良い場所があっても良さそうなのに…気持ちの良さそうな木陰とか)
額に浮いた汗を拭いながら、闇雲に進む。わざと強く草を踏みつけながら。こうすると帰りに迷わなくて済むことを、当然知っていた。
もう大分歩いた頃。
「はぁ……ふぅ……」
息も切れ切れに、目の前に立ちはだかるものを見上げていた。
「な……なんだこれ…」
大きな、苔むした岩の壁。日の光があまり当たらないので、どこまで続いているかは分からない。蔦にからまれ苔にへばりつかれてそれでも尚、岩は高志の道を阻んで堂々とそびえ立っていた。
「うへぇ…収穫無しかぁ……」
もう一時間以上は歩いたのに、と、がっくりと肩を落とす。どうやらその岩は、山の断層のようなもので、これで行き止まりなのだと思った。いつしか蝉の鳴き声も鳥の囀りも遠くに離れ、聞こえるのは時折吹く涼しい風の音だけ。なんだか急に気味が悪くなってきた。
(もう、帰ろう…)
そう思って、回れ右した時、
「…北にある蔦の壁を押すのだ」
高志がビクッとして、後ろを振り返る。声が…女性の声のようなものが聞こえた。けれど誰もいない。居る筈が無い。そこにあるのは、森と一体化した岩だけ…
普段の高志なら、空耳だろうと片づけていた。耳を貸さなかった。
なのに、何故だろう?
高志は自分の強い意志で、左手の方へにじりより、蔦のカーテンに右手を突っ込んだ。
- Re: アイタイモノクローム ( No.4 )
- 日時: 2011/12/22 01:46
- 名前: 森谷リョウ (ID: 3iZuTr1t)
ズボッ、と空を押して、高志の身体がバランスを崩す。岩は、そこだけ穴が開いているかのようになっていた。
「うぉっとっと!」
蔦のカーテンを体で突き破り、転びそうになったのをなんとか踏みとどまった。冷たい風を感じて、硬く閉じていた目を、そっと開く。
「……なんだ…ここ…」
高志は、まったくの別世界に立っていた。鬱蒼と茂り、空を覆っていた木々は一回りも二回りも小さくなって、頭上には切れ切れに青空が覗いている。足元には、透明のキラキラした水が、細く広く、小石と土の上を流れていた。その水を目で追っていくと、小さな滝が目に入った。ぐるりと辺りを囲んだ、苔むした頑丈な岩から水がほとばしり、落差は高いけれど、穏やかな滝を作り上げている。その滝を受けているのは、もうすっかり平らになった幅広の石。そこで出来る水しぶきが、淡い虹を描いていた。小さな岩に囲まれた滝壺は青く澄んでいて、とても美しい。さわさわと優しく揺れる細い木々の枝が、その滝に木陰を与えていた。滝の向こうは、暗い。洞窟のようなものが見てとれた。
あまりにも目を疑うような、同じ森の中にあるとは思えないこの美しい場所を、息を呑んで見つめていた高志は、ふと気がついた。声は、どこからしたのだろうかと、辺りを見回す。でも、誰かいる気配は無い。高志は固唾を呑んで、滝の方を睨んだ。滝壺は幅が広いらしく、その全貌は木々で見えない。本を持つ手が震えていた。小さな野花をよけて、そっと足を踏み出す。サクッ、サクッ、と、慎重に、一歩ずつ。
「だ…誰かいるのかい…?」
緊張して震える声を出しながら、また足を踏み出して、滝壺に視線を滑らせる。
そして高志は、出会ってしまった。
この場所以上に目を疑うような、信じられない光景に。
…滝壺の淵の小さな岩に両腕を乗せて、ジッとこっちを見ているもの…
高志は自分の口が馬鹿みたいにゆっくり開いていくのを感じた。目が驚きに見開かれる。
こっちをジッと見つめているもの…それには、人間には無い、優雅な尾鰭がついていた。
「あ……」
思わず声が漏れる。それでも、尾鰭がついたそれは、何も反応しなかった。
黒く、烏の濡れた羽のようなつややかな長い髪はゆったりと水の中へと続いている。透き通るように真っ白な肌。ほっそりした両腕にちょこん、と乗せられているのは、職人の造りもののような、小さく美しい顔。琥珀色の大きな瞳に、小さな鼻。一文時に結ばれた小さい唇はまるで特別綺麗なザクロ石のようで、つやつやしている。光を含んだ水滴を沢山その雪の様な肌に侍らせている、小さな美しい少女。その腰から下はコバルトブルーに輝きながら、水面をゆっくりぱしゃぱしゃと叩いていた。夢の中のような、異様な光景。そして、高志は気づいた。この、不思議で美しい生き物の名前に。
それと、その生き物が、組んだ両腕の中に大事そうに抱えている白いものに。
人魚は、琥珀色の瞳の中にあるサメのように縦に伸びた瞳孔で、まだらの木陰の中、高志をジッと見つめていた。誰のものなのか、大切そうに、白い頭蓋骨を抱えて。
高志は足を止めたまま、口を開けて、小さく、恐ろしい程の静寂を纏った美しい人魚に見とれていた。すると人魚が、ゆっくりと口を開いた。
「…貴様、なぜこの森に入って来た」
ザワッと全身に鳥肌が立つのを感じた。さっき聞こえたのに比べて迫力が数百倍上がった、氷のように冷たい声。高くも低くも無い、落ち着いたそれは、高志に鋭い質問を投げかけて来ていた。
「み……道に迷って…」
喉の奥から声を絞り出す。人魚は傲慢に、フン、と鼻を鳴らした。当たり前だろう、と言わんばかりだ。普通の人にそんなことをされれば、高志だってムッと来るのに、何故か腹は立たなかった。
「貴様、馬鹿であろう?この森にはな、死霊が集まり易い故、そう易々とは出られんし、
ここまで来る事も容易ではないのだ。…貴様、ただの人間の小僧のクセに、ここまで来おって。
大着な事この上ないわ。」
全体的に随分と恐ろしい説明だった。高志がぶるっと身震いする。死霊。この森に入って出られなくなった人達の?
一歩間違えれば、いや、この人魚に声をかけてもらわなければ、今自分はどうなっていたのか、考えるのも恐ろしかった。
人魚はそんな高志を見て、ツッと目を細めたが、やがて最初の不機嫌でしょうがないような表情に戻った。闖入者に出て行けと言わんばかりだ。頭蓋骨を裸の上半身に押し付けるようにして抱きながら、人魚は低い呻き声を上げた。
「あ…その、」
高志が人魚の上半身に今気がついて、顔を赤らめながらどもる。人魚は不思議そうに小首を傾げ、眉をしかめた。ささやかな胸は、漆黒の長い髪で隠れているけれど、高志は出来るならば人魚に隠れていてほしかった。
けれど、言いかけた、命を救ってくれたことにたいするお礼の言葉を、一生懸命紡ぎ出す。
「あり…がとう」
人魚の眉が、ますますしかめられる。その顔を直視できない高志は、情けないと思いながらも耳まで真っ赤になって俯いていた。
「さては貴様…痴呆か?」
「なんでだよっ!」
思わず顔を上げて叫び返した高志は、また気恥しくなって顔を伏せた。種族が違うとしても、こんなに女の子を気にしたことは無かった。けれども高志の不可解な行動の種である人魚は堂々と、
「そうか貴様痴呆なのだな。違う訳が無い。自分の命を奪う相手に礼などを言う奴を我は生まれて初めて見たぞ。ほほう、面白いものであった。」
「……え?」
高志は機械的に顔を上げて、人魚の釈然とした顔を見つめた。
「…え?」
頭の中でさっきの言葉をリフレインさせてみたけど、さっぱり意味が解らない。自分の命を奪う相手…?自分は、自分、命は、自分の命、相手は、人魚、つまり、自分はこの人魚に命を奪われる…え?
「ごめん、君、何言ってるの?…僕を助けてくれたんでしょ?」
今度は、人魚がポカンとする番だった。口を小さく開いて、高志をまじまじと見上げている。
「な、なに…?」
「貴様、我が貴様を助けたと、本気でそう思うておったのか?」
高志が言葉に詰まった。どうしよう。そうだとばかり思っていた。
「え、違うの?」
戸惑いを隠すことも無く人魚の前に座りこむ。人魚は顔をしかめて、高志に水をかけた。あまりの冷たさに、ひゃっ、と首がすくむ。
「違うわ。我は貴様を助けはせん。もっと言うと、人間を助けたりせん。我はそこまで愚かではないのでの」
人魚は頭蓋骨を庇うように片手で抱きしめると、濡れたコハク石みたいな、美しい瞳で高志を睨んだ。
「我は人間が大嫌いなのだ。喰い殺すぞ」
毒を掃き散らしながら、頭蓋骨を抱えていない方の手でまた高志に水を散らす。そして人魚は、よっこらせ、と、今まで両腕を乗せていた岩に腰掛けた。滑らかな肌に、濡れた長い髪が張り付いている。雪に墨を流したようなその背中に、高志は反論するのも忘れて、思わずぽーっと見とれていた。
「聞いておるのか、人間」
「うひゃあっ!」
また水を散らされて高志が我に帰り、少しムッとして人魚に水を散らし返した。
「!」
- Re: アイタイモノクローム ( No.5 )
- 日時: 2011/12/22 01:47
- 名前: 森谷リョウ (ID: 3iZuTr1t)
一瞬、人魚は、ずっと可愛がってもらっていた主人に生まれて初めてぶたれた子犬のような顔をした。想像を絶するショックだったのか、呆然と口を開けたまま、大きく見開かれた、ふるふる震える瞳で高志を見る。プライドを傷つけられたかのようなその表情に、高志が慌てて謝ろうとした途端だった。人魚は、耳まで真っ赤にして怒りだした。
「うぅ・・何をするのだ貴様!人間のクセに!」
「なっ、何をするは僕の台詞だよ。君は元から濡れているから問題ないみたいだけど、僕のシャツは乾いていたんだ。それを君が水をかけるから、」
「フンッ!貴様のシャツなどどうなっても良いわ。」
高志は絶句した。なんでここまで言われなくちゃいけないのか、全然理解できない。大体、高志はここに呼ばれて入った訳だし、人魚に迷惑は恐らくかけていない。なのに水はかけられるわ暴言は吐かれるわで、この傲慢極まりない奇妙な人魚に出会ってから一秒たりとも、全然良い事が無い。
「…もう、僕帰るよ。邪魔だったでしょ?…ここに入れてくれてありがとう。
もう、来ないよ」
高志は力無く立ちあがった。死霊とかそういうものを恐れるのは、軍人らしくない。一人で帰れる自信があった。人魚が冷たい表情のまま、可愛らしい鼻を鳴らす。その様子は、全く持って可愛く無い。深くため息を着いた高志が、本を抱え直して立ち上がる。結局、読むどころでは無かった。
回れ右をして、ちょろちょろと薄く広く流れる水の上を進む。蔦のカーテンは分厚く、ひんやりとしていた。開けた瞬間、生温かい風が高志の頬を撫でて、高志は思わず身震いをした。人魚の言葉を思い出して、ちらりと背後ろに目をやる。しかし、ここから滝が見えない事は、自分でもよく解っていた。
カーテンを掻き分け、先ほどまで迷うように進んでいた森に転がり出る。なんだかあの場所よりも暗いことに、今更ながら気がついた。
『死霊が集まり易いゆえ…』
人魚の言葉が、頭の中で回り出す。けれど高志はまだ人魚に腹を立てていたので、一生懸命それを打ち消そうとした。頭の隅においやって、足を踏み出す。祖父の家を出て何時間経ったかは分からないけれど、早く帰らなければいけないような気がした。
(絶対僕は悪くないのに…)
高志はそう思って、ハッとした。またあの人魚のことを考えている自分に気がついて、軽く頭を横に振る。そのせいで、曲がりくねった樫の木の枝に頭をぶつけた。
「いたいっ!」
頭を庇いながら枝を退け、高志は恨めしげに後ろを振り返った。
…人魚に足が無いことは、知っているのに。
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