ダーク・ファンタジー小説
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- 踊り場の花子さん
- 日時: 2016/10/01 20:04
- 名前: 末 (ID: NOPTuYCt)
初めまして、末 スエ と申します。
えっと…こういうときなんて言ったらいいか分かんないのですが…
とにかく、楽しんでもらえたらいいなと思っています。
さて。
皆さんの学校の花子さんはどこに出ますか?
どのような姿ですか?
何を映していますか?
____全て貴方の複製である事をお忘れなく。
幽霊を見る人は、それを見るだけの理由を持つ。
目の前にあるのは、貴方を映す鏡である。
____これを裏切りと思うかどうかは、貴方次第だ。
- 踊り場の花子さん___Prologue ( No.3 )
- 日時: 2016/10/21 15:51
- 名前: 末 (ID: NOPTuYCt)
「どうして、掃除してるの。みんな、もう帰ったのに。ここ、二組さんの掃除場所でしょ?」
背丈や体つきから考えて、四年生よりも上と言うことはなさそうだった。
二階から三階にかけてのこの階段は、確かにみつきのクラス、三年二組の掃除場所だ。学年を言わずに二組さん、と呼ぶということは同じ三年生なのか____、考えて、あっと思い立った。
隣のクラス、一組に、入学してからずっと不登校を続けている女子がいる。みつきは一度もあったことがないけど、保育園が一緒だった子たちが話していた。学校には来ないけど、たまに放課後、一緒に遊ぶって。
「____渡里さん?」
おそるおそる尋ねる。
だとしたら彼女はみつきの憧れだった。学校に来ないなんて。羨ましくて、羨ましくて、たまらなかった。みつきもそうなりたかった。女の子はどうだっていいというように首を傾げるだけだった。ねぇ、とまた続ける。
「どうして一人で掃除してるの」
「みんな、帰っちゃったから」
みんながやらないとしても、それでもきちんとやらないと怒られるのだ。考えると、足が竦んだようになる。緊張したようにまた、おなかが痛くなる。
「先生も、怒るし」
「ふぅん」
女の子が細い目を更に細めた。スカートの後ろで手を組み、みつきの顔をじろじろと見つめ回す。すっと一歩、こっちに近付いた。
色が白い子だった。踊り場の隅で壁の影になると、顔だけはぼうっと浮かび上がって見える。触れたら火傷をしてしまう、アイス屋さんのドライアイスのような冷たさを感じて、それ以上は近付きたくなかった。真っ白い、すべすべの顔。
「だけど、毎日だよね」
びっくりして、「え」と呟く。黙ったまま顔を見ると、女の子が続けた。
「阿部みつきちゃん、毎日、一生懸命お掃除してる」
「私の名前、知ってるの・・・・・・?」
掃除のこと、なぜ、知っているのだろう。見ていたように。
「大変じゃない?」
細い目の間に、表情らしいものはほとんど浮かばない。
「一人だけで、上から下まできれいにするの」
「大変だけど、でも前読んだ本に書いてあったの。」
ゆっくりと階段を下りていく。前に立つと、女の子はみつきとほとんど背丈が同じくらいだった。近くで見ると、ますます色の白さとそれと対照的な真っ黒な髪の色にたじろいでしまう。
「『一度に全部のことは考えない。次の一歩のこと、次の一呼吸のこと、次の一掃きのことだけ考える。そうすると、掃除が楽しくなってきて、楽しければ仕事がはかどって、いつの間にか、全部終わってる』」
女の子が不思議なものを見るようにみつきを見た。彼女が瞬きする時に下を向いた睫がとても長い、みつきはゆっくりと話した。
「『モモ』って言う本。主人公のモモの友だちで、道路掃除をしているベッポっていうおじさんが言ってた。大変なことをするときは、次のことだけ考えて、終わるのを待つんだ」
「それ」
唇の先から出た言葉が空気の上を滑るのが見えるような、透明な声だった。葉っぱの上で丸くなった雨粒が弾かれるような。そうか。この子の声はエレクトーンか何かで出したような、電子音と似ている。
「どんな話?」
「モモって言う名前の女の子が主人公で、時間を____」
説明しようとして、思い出した。
「読んでみたい?」
問いかけてみると、女の子は迷うように黙った後で、躊躇うように、けれどこくりと頷いた。目はみつきを見つめたまま、顎の先だけが首に沈む。
「ちょっと待ってて」
みつきは今日その本を持ってきている。返そうと思って、いつも鞄の中に入れっぱなしにしている。
「貸してあげる。」
駆け出したときに、彼女がまた首を傾げ、額の前髪が揺れた。その下に、はっとするような赤紫色の傷を見たような気がしたけど、すぐにまた前髪がさらりとおでこを隠した。見てはいけないものを見たような気になって、そのまま彼女から目をそらす。教室に急いだ。
本を返すのはいつでもいい、と言われていた。ただし、短くてもいいから感想を書いてね、と言われた。
二階の自分の教室に戻り、鞄から本を取り出す。中には自分の感想を書いたお礼の手紙が挟まっている。抜き取ろうとしたけど、もしかしたら渡里さんもみつきの真似して手紙を書いてくれるかもしれない。そしたら、先生はきっと喜ぶ。本を貸したことを、いいことしたって、褒めてくれるかもしれない。
本を取って戻るまで、五分もかからなかったと思う。だけど、踊り場に行ったとき、そこにはもうさっきのこの姿はなかった。
「渡里さん?」
三回に続く階段を登り、左右の廊下を見渡して言うが返事はない。帰ってしまったのか。それとも、どこかに隠れているのか。
「渡里さん?いるの?」
まだ校舎内のどこかにいるのなら、持って行くかもしれない。____友だちになれるかもしれない、という気がしていた。
彼女が立っていた壁の隅に本を置く。主人公モモと、亀のカシオペイアの後ろ姿が描かれた黄色い表紙。明日の朝、早く来てまだこれが残されているようなら、持って帰ればいいし。
「渡里さん」
もう一度、さっきよりもいくらか声を張り上げる。
「またね!」
____花子さんの『七不思議』、その一。
この学校の花子さんは、階段にすんでいます。
踊り場の反響した自分の声にひきずられるようにして、自由研究のことを、思い出した。
ふと、床に目を落とすと、さっきまではなかった、水気を含んだ茶色い足跡が付いていた。小さな上履きの足。ちょっとだけ、おかしくなって笑った。
幽霊は足があるのかな。
壁に立てかけた本をちらりと眺めてから、その場に残ったモップを手に取る。
さっきまでの楽しかった気持ちがしぼんで、指先が微かに強張り始める。掃除、また汚いって言われるかもしれない。怒られるかもしれない。
首を振り、次の一拭きのことだけ考えて、阿部みつきはまた階段に戻る。
- 踊り場の花子さん___1 ( No.4 )
- 日時: 2016/10/21 19:36
- 名前: 末 (ID: NOPTuYCt)
蝉の声が、午前中からひどく喧しい夏の日だった。
鏑流馬直樹が、一人、日直のために出勤し、職員室で仕事をしていると、後輩の三谷サチ子から電話がかかってきた。
『もしもし、そちらで実習をお世話になった三谷ですが』
「サチちゃん?」
『あ、その声。鏑流馬さん?』
電話の向こうの声が、ほっとしたように急に砕ける。サチ子は、二ヶ月前の六月にこの若草南小学校で教育実習を終えたばかりの大学生だ。
「どうしたの?何か用?」
『よかった。今日、日直鏑流馬さんだったんだ。教頭先生だったらどうしようかと思いました』
強面の教頭を引き合いに出し、快活な声で笑う。
鏑流馬と彼女は十歳近く離れているが、同じ地元大学の演劇サークルで、先輩後輩の間柄だった。今でもOBとしてちょくちょく顔を出していたから、春の実習で彼女が自分のクラスに配属されたときは本当に驚いた。教育実習生は、たいてい一クラスに一人ずつで、彼女と鏑流馬は一ヶ月間コンビを組んだ。
子どもや他の同僚教師の前では、さすがにかしこまって「鏑流馬先生」「三谷先生」と他人行儀な呼び方で通すが、二人だけで話すと途端に学生気分に戻る。
『お願いがあるんですよ。南小、今から行ってもいいですか?実は私、実習終わるときに忘れ物しちゃってて。すぐに取りに行きたかったんですけど、ずっとタイミング逃してたんです。今日、近くまで来てるんで、校舎、入れてもらえませんか?』
「いいよ。今、俺一人だから丁度良かった」
吸っていた煙草を空き缶のふちで消しながら言う。禁煙の職員室で、大っぴらに喫煙できるのは夏休みならではだな、と思う。
一ヶ月強の子どもの夏休みの間、教師は交互に日直が割り振られ、ほとんどほとんど毎日誰かが職員室に詰めている。通常は二人ずつで日直の仕事に当たるが、今日はたまたま、もう一人の担任教諭が夏風邪を理由に欠勤している。大丈夫ですか、と弱り切った声で電話してきた同僚の郡山に、一人でも充分だと答えた。今日は図書室もプールも開放日ではないから仕事は少ないし、何しろ一人きりなら煙草を吸っても誰にも咎められないのがありがたい。
『恩に着ます。先輩、何か食べたいものありますか?差し入れとして持って行きますよ』
「何もいらないよ。気遣い無用」
『またそんなことばっか言って。私がこれまでどれだけ鏑流馬さんに奢ってもらってきたと思ってるんですか。少しは甘えてくださいよ』
気を遣われるよりは、遣う方が性に合う人間もいて、鏑流馬は自分を圧倒的にそのタイプだと思っていた。
今年で三十一歳。
年配の女性教師からは『旦那さんにしたいランキングナンバーワン』の称号を頂戴し、同じ独身であるはずの後輩からも、いい人を見つけて幸せになってくださいね、と励まされる。実益の伴わない高評価に、そういうの、もういいんだけどな、と苦笑しながらもため息が漏れる。華やかな色恋の話とは、もう随分縁遠い。
「着いたら電話してよ。すぐに鍵、開けに行くから。」
『ありがとうございます』
小学校に不審者が入り込むような昨今では、たとえ授業中であっても校舎の鍵を解放しておくことはない。夏休みの間も同様だ。子どもが自由に校舎に入れないというのは、かわいそうな気もするのだが。
『モロゾフのチーズケーキ買っていきます。好きでしたよね?』
返事をするより早く、電話が切れた。
サチ子がやってきたのは、それから十五分と経たない頃だった。
「先輩______ 」
職員室で、俯きながら授業案を作成していた鏑流馬は、大いに驚いた。顔を上げると、玄関側の入り口に、サチ子が立っていた。
「サチちゃん」
早くないか?
今日何本目か分からない煙草を急いで缶の中に捨てる。問いかけるより早く、彼女が近付いてきた。
「鍵、開いてましたよー。無用心ですね。教頭先生あたりに見つかってたら、かなり渋い顔されたんじゃないですか、これ」
「嘘?ほんとに?」
慌てて腰を浮かしかけると、サチ子が自分の頬っぺたの横で手のひらを振り動かした。
「大丈夫です。もう、きちんと内鍵閉めましたから。先輩にしちゃ珍しいですね。普段几帳面なのに、らしくない。休みボケですか?」
「いや____ 」
確かに鍵をかけるのは習慣になっていて、だからこそ、しっかり確認したかと言われれば自信がない。「この暑さですもんね」サチ子が白いポロシャツの胸元を大袈裟に煽ぐ。
「それに、それ。煙草。」
「あ」
まずかったな。苦笑いを浮かべながら首を振る。
「黙っててくれる?最近、男の先生たちも吸う率下がっててさ。ただでさえ喫煙者は肩身が狭いんだ。」
「別にいいですけど、臭いだけは気を付けた方がいいですよ。結構、残りますから。」
サチ子は仕方がないな、というようにため息を吐く。白い袋を差し出した。
「買ってきましたよ、チーズケーキ。お茶にしませんか?私も、食べたいし」
「どうせなら、冷やしてからにしない?」
袋には、モロゾフのMを象ったマークが入っている。
「早かったね。てっきり、まだ高島屋の近くにいるんだと思ってた」
市内でモロゾフの生菓子を扱っている場所は、中心街の高島屋以外知らない。あそこからここまでは結構な距離だ。サチ子がはて、というように首を傾げた。
「あ、そうですよ。私、あそこから電話して、地下でこれ買ってきたんですから」
- 踊り場の花子さん___2 ( No.5 )
- 日時: 2017/03/09 16:31
- 名前: 末 (ID: NOPTuYCt)
「そうなの?」
「先輩、暑さで時間感覚までやられてるんじゃないですか?それともそんなに集中して仕事してたんですか」
笑いながら、袋から箱を取り出す。テープでくっついた保冷剤を外しながら「冷えてますけど」と鏑流馬に示した。
「すぐ、食べられますよ。お茶にしませんか」
鏑流馬の隣の席に置き、開けるように促す。鏑流馬は少しの間考えてから、「いや」と首を振った。仕事用の冊子を畳んで、立ち上がる。
「忘れ物はどこにしたの?」
「多分、音楽室です。あそこの棚の上。やっちゃいました」
頭をかき、彼女がばつが悪そうに説明する。
「私のお別れ会、音楽室で生徒たちが演奏会をしてくれたじゃないですか。私の専科が音楽だってこともあって」
「ああ」
子どもたちが考えたことだ。放課後、サチ子に隠れて合唱の練習をするというので、鏑流馬も何回か付き合った。
「凄く感激したのに、私、その時もらった手紙を一つ、片付けの時にうっかり棚に上げたまま____ 」
内緒にしてください、と小声になる。
「薄情なことをしました。何かの弾みでバレたら、その子、傷つくでしょう?本当は、もっと早く取りに来たかったんですけど、機会がなくて」
「俺が日直でよかったな。いいよ、俺も一緒に行く。ついでに、校舎の見回り付き合ってくれないか?大丈夫だと思うけど、鍵が開いてたなら誰か入り込んでないか気になる。」
「いいですけど、先輩、どうして今日一人なんですか?相手は?」
「郡山先生。夏風邪だって。」
「ああ、なんだ。郡山先生、会いたかったのに残念です。」
郡山は教員になって二年目で、まだ学生だと言っても充分に通じる風貌をしている。事実、この間の六月はサチ子を始め、数人の教育実習生たちの間に入って積極的に盛り上がっていた。学生時代からテニスで鳴らしたという自慢に相応しい、よく日焼けした精悍なマスク。先輩、サチ子ちゃんって彼女いないんですか、と鏑流馬に聞いてきたことを思い出す。
「あいつもきっとサチちゃんに会いたがってるよ。今日、来たって知ったら悔しがると思う」
「本当ですか?嬉しいなぁ」
「君たちは結局、あれからはなにもなかったの?実習中、随分仲よさそうだったけど。郡山先生なら優しいし、外見もいいし、サチちゃんと似合ってるよ」
「うーん、ちょっと頑固なところもありそうですけど」
「正義感が強すぎる、とも言えるよ。サチちゃんと一緒だ」
「あれから、連絡は取ってますよ。よくメールするし」
教頭席の横のキーボックスからマスターキーを手に取る。休みの間は音楽室も施錠されているはずだ。
「見回り、助かるよ。一人より二人の方が心強い」
「私みたいに貧相な女に何を期待するっていうんですか」
頬を膨らませて軽く鏑流馬を睨む。
サチ子は確かに背が低く痩せていて、六年生に並ぶとその中に埋没してしまいそうなほどだ。猫のような丸い目と、活発な印象のショートカット。サークルでも、男の後輩たちからそこそこの評価を得ていたが、鏑流馬が好むにしては些か気が強い。
サチ子の印象は、「正しい人」だ。
頑固なほどの正義感の強さ。数年前、サークル仲間が恋愛沙汰で揉め、自分の親友が傷つけられた時、サチ子は相手の男のクラスに乗り込み、授業中に彼を殴ったことがあると聞いた。恥をかかされたその男は、しばらくしてサークルをやめた。
若さゆえの子どもの行動かもしれない。教師になり、社会に出れば、なかなかきれいごとだけでは渡っていけないのにな、と苦笑してしまう。
「貧相っていうと聞こえが悪いけど、また痩せた?」
「実はちょこっと」
彼女が力なく微笑んだ。
「やっぱり、思い出すと、まだ」
「____そうか」
言葉を濁す彼女の様子だけで充分察しがついたから、それ以上聞くのはやめた。
机の上に転がっていた、伸縮式の指し棒を手に取る。鏑流馬が普段から授業で使っているものだ。それを伸ばしたり戻したり、もてあそびながら、そばに立つサチ子の細いウエストをちらりと眺めた。
メタボリック、という言葉が日常生活に市民権を得て久しいが、鏑流馬はこの春の診断でも医者から痩せるように勧告されていた。この体型まで含めて、自分の「いい人」キャラクターが補強されているに違いない。____背も高いから、太っている、というよりはかろうじて大きい、という印象を保てていることが救いだが。
サチ子は大学のサークルでも、本人が望むと望まざるとにかかわらず舞台で役を持たされることが多く、その反対に鏑流馬は四年間のほとんどを裏方で通した。主役を張りたいと思うこともあったが、無理な希望を口にして身の程を知らないと周囲に思われるのは嫌だった。周囲を困らせたり、同情されるよりは諦めてしまう方が自分には似合う。
「見回りが終わったら食べよう。冷やしてくれる?」
「了解です」
露骨に残念そうな表情を浮かべながらも、サチ子が職員室の隅にある冷蔵庫に歩いていく。
「音楽室の手紙、なくなってたらショックだね」
悪戯心で指摘する。
「もう既に教え子に発見されてて、三谷先生はひどいっていう評価になってるかもしれない」
「げぇー、やめてくださうよぉー」
渋面を作りながら、彼女がバタンと音を立てて冷蔵庫を閉めた。鏑流馬を睨む。
「ごめんごめん」
笑いながら、マスターキーをポケットにしまう。彼女とともに廊下に出た。
- 踊り場の花子さん____3 ( No.6 )
- 日時: 2017/03/09 16:31
- 名前: 末 (ID: NOPTuYCt)
「飴、舐めますか?」
玄関に向かう途中で、サチ子がスティック状の飴の包みから一つを自分の口に入れた。
鏑流馬たちの大学の教育学部には、筆記による通常試験の他に、ピアノや絵画などの実技試験により入学できる特別枠があり、彼女はその口だった。専門は声楽。発声の基本ができているということで、演劇サークルでは重宝がられていた。そしてそのせいで喉には気を配っているのか、今でもよく飴を持ち歩いている。
「ありがとう」
緑色の包みののど飴を受け取り、胸ポケットに入れる。外からやってきたばかりだろうに、彼女の手から受け取った包みは思いのほかひんやりとしていた。
窓を閉め切った静かな廊下に、さっきから蝉が押し殺して鳴くようなじーっという音が微かに聞こえる。が、それは気のせいかもしれないと思うくらい、遠くに感じられた。
職員室から持ってきた指し棒を、普段の癖でカチカチと伸縮させる。音が大きく響いた。
「一階から順に見回っていいか?鍵も確認しておきたいし」
「いいですよ。私は職員口から入ったんですけど、正面も確認した方がいいかもしれないですね」
冷房などという気の利いた設備が存在しない公立小学校の廊下は、うだるような暑さだった。しかし、ため息を吐く鏑流馬とは対照的に横のサチ子は涼しい顔をしている。
「変わってないなぁ。たった二ヶ月前だけど、懐かしい」
歩き出す途中で彼女が言った。
「学校の校舎って、どこも同じようなものなのに、やっぱり一校一校、カラーがありますよね。私、南小の廊下や階段の雰囲気、大好きなんですよ」
「そりゃまた微妙なことをいうね。教室は確かに小学校によって雰囲気違うけど、廊下や階段なんて、どこもあんまり変わらないんじゃない?」
「そんなことないですよ。私が通ってた学校とここじゃ全然雰囲気が違う」
玄関に差し掛かる。子どもたちの下駄箱が並んだ正面玄関と、廊下を挟んで向かい合わせにある職員用玄関。順に扉の前にしゃがみこむ。鏑流馬が施錠を確認して戻ると、サチ子は少し先に行った廊下から、中央階段をぼうっと眺めていた。
ふと、足下に目を落とすと茶色く濡れたような上履きの跡が見える。ついたばかりのようにも見えるが、今日は子どもは登校する日ではない。水を含んでいるように見えるけど、単なる汚れか。鏑流馬がそれを確認するため近付こうとしたところで、唐突に、彼女が言った。
「先輩。この学校、随分込み入った怪談話がありますよね。七不思議っていうのかな。『階段の花子さん』」
彼女が立つ横の壁、階段の真向かいに一メートル五十センチ四方の巨大な鏡が置かれている。数年前の卒業生たちからの寄贈品。表面に、銀色の文字で日付が書かれている。
「そういえばあるな。だけどあれ、そんなに込み入ってる?だいたいどこの学校にもあんな話の一つや二つ、あるんじゃない?」
「先輩、この学校がいくつ目でしたっけ」
「二つ目」
二十二歳で教師になってから、ほぼ五年周期での異動だ。そして、次の年度末には、異動希望を出してここを去りたいところだった。
「じゃ、聞きますけど、前の学校にはこんな話ありました?_____少なくとも、私が子どもの頃通ってた小学校には、こんなよくできた七不思議はありませんでしたよ。しかも、『花子さん』ってトイレに出るのが一般的なのに、階段に出るなんて。『トイレの花子さん』なら、ほら、映画でも漫画でもよく見ますよね」
小首を傾げながら、彼女が続ける。
「実習の時から気になってたんです。それって何か、話の成立に由来があるんでしょうか。何かそれが階段じゃなきゃいけない、必然性みたいなものが」
「噂だと、昔、建て替えで今の校舎ができてすぐに女子生徒が一人、ここの階段から落ちたらしいよ。菊島校長から聞いたことがある」
「え。それって、ここの、まさにこの階段ですか?」
サチ子が形のいい眉を微かに引き寄せる。心配するように、自分の前にある階段を眺めた。「あ、でも」鏑流馬はすぐに首を振る。
「その子は別に亡くなったってわけじゃない。確かに大怪我だったらしいけど、今もどこかで元気にしてるはずだって言ってた。ただ、その事故は休み時間中でね、子どもたちが見てる前での出来事だったから、みんなそれだけ衝撃が強かったんじゃないかな。物凄い出血だったらしいから」
「そうなんですか」
「うん。だからその子が『幽霊の花子さん』になったってわけじゃないらしいけど、事故の衝撃から話が変な風に脚色されて盛り上がっていった可能性はあると思う。階段と血、事故っていうもののイメージとお馴染みの学校の花子さんが結びついてさ。子どもだったらありそうな話だ」
「話の中の花子さん、顔に傷があるっていう説もあるみたいですけど」
「それもその子のせいかもしれないな。想像するとかわいそうだけど、顔面に傷が残ってしまったのかもしれない」
「ああ」
サチ子が腕を抱き、神妙な顔をして頷いた。
「だとすると、かわいそうですね。校舎の建て替えって、どれくらい前のことなんですか?」
「そりゃもう、大昔も大昔だろ?菊島校長が若い頃この学校に勤めてたときの話らしいし」
今年度には定年を迎える校長の、ごま塩頭を思い出す。『退職の年に、こんなことに・・・・・・』その声まで一緒に思い出して、慌てて階段から目を逸らす。
「これから三階まで見回りだっていうのに、このタイミングで階段の怪談話か?やめろよ」
「階段の怪談って、しゃれですか?」
サチ子が微笑んで階段の前を素通りする。
「だけど、どうして『音楽室』なんでしょうね」
「え?」
「聞いたことないですか。うちの花子さんは『音楽室の窓から飛び降り自殺した子の幽霊』だっていう噂。ここだけ『音楽室』で、階段絡みじゃない」
「ああ、それなら」
記憶に引っかかることがあった。
「これもまた、菊島校長から聞いた話なんだけど、怪我をしたその子はピアノがとてもうまかったらしい。将来は音大を目指してて、合唱の時には必ず伴奏をやってた。そのせいじゃないか?怪我をしたせいで、ピアノがしばらく弾けなくなったのかもしれないし、その話が何年も語り継がれることによって、『自殺』なんて過激なものになったのかもしれないな。_____実際の音楽室には、もちろんそんな事実はないようだけど。」
「へぇ、そうなんですか」
サチ子が興味深そうに頷いた。
「だったらちょっと親近感を覚えますね。私も音楽、大好きだから」
「まぁ、何の脈絡もない要素が混ざっていた方が怖い話や都市伝説はそれらしい気もするけど、うちの場合はこんな風に種明かしができるわけだ」
「ねぇ、先輩。三階の音楽室の見回り、最後でいいですか?」
- 踊り場の花子さん____4 ( No.7 )
- 日時: 2017/03/09 22:26
- 名前: 末 (ID: NOPTuYCt)
「何だ、怖くなったのか?」
「うーん、ちょっとだけ」
横にかかった、等身大の鏡。そこに映る自分と瞳を合わせるようにして言う。
「学校って、怖い話のネタになりそうな場所がいくらでもあるんですよ。この鏡なんて、如何にもって感じだし。にもかかわらず、この学校は『七不思議』が全部階段に集中してる。その例外として、音楽室。事実が歪んだ噂になっただけかもしれないですけど、やっぱり気になるじゃないですか」
サチ子が首を傾げる。目が合った。
「それにしても先輩も結構詳しいですね。校長先生といつそんな話をしたんですか?校長、そんな話あんまり自分からしそうにもないのに。」
「さぁ、いつだったか。何かきっかけがあったような気もするんだけど」
考えてみるが、思い出せなかった。きっと何かのついでに、彼が気紛れに語ってくれただけなのだろう。
「まぁ、いいよ。音楽室が最後でも。それにしても、やけに怖い話に興味があるな。夏ってのは、確かに怪談の季節だけど」
会議室、家庭科室、給食室。体育館に続く中庭への外扉をチェックし、鍵に異状がないことを確認する。鏑流馬が聞いた。
「一階は異状ないな。そろそろ例の階段を登らなきゃならないけど」
階段の前に出る。昼下がりの夏の太陽が、まだ白く眩い光で窓から注いでいた。そこに浮く埃の一つ一つまでがわかりそうなほどだ。
階段の正面にある鏡に映るせいで、二つの階段が前後に広がるような錯覚を覚える。
「昼だから、残念ながら怖い話には向かないね」
「うーん。だけど、昔の人はよく言ったもので日本には『逢魔が時』って言葉があるでしょう?『魔物に逢う時間』は真夜中でもないんですよね。まだ本当に暗くなり始めたばかりの夕方と夜の境目の時間です」
サチ子が一歩、階段に足を踏み出す。彼女の後ろ姿が、鏡の向こうにも映った。
「向こうにいる相手の顔がぼんやりして、姿は見えるけど誰か分からない。そこからきてる『誰そ彼』時。はっきりしない夕暮れは、真夜中と違って誰も魔物に注意なんてしない。昼だと思っているからこそ、油断してすっと出逢っちゃうんですよ」
「その夕暮れ時にもまだ随分あるだろ?今は三時を回ったばっかりだ」
「つまんないなぁ、もっと怖がってくれるかと思ったのに」
不服そうに続ける。
「じゃ、もう少し付き合ってくださいよ。怖くないなら丁度いい。先輩、『階段の花子さん』の七不思議はどの程度知ってます?」
「さぁ・・・・・・。漠然と子どもたちが話す噂から聞きかじった程度」
ただし、そうは言いつつも、いくつかはすぐに思い当たる。誰かから詳細に聞かされたような思い出もあるのだが。ただし、それがいつ誰になのかまでは思い出せない。
鏑流馬は南小に赴任して四年目で、高学年を担任したこともある。それぐらいの年になると、子どもは本当に口達者だから、その時に誰かから聞いたのかもしれない。
鏑流馬もまた、階段を一段登る。サチ子が横から尋ねた。
「その漠然とした噂の範囲でいいですよ。どれを知ってます?」
「まず・・・・・・。これも七不思議の一つになるのかな。『この学校の花子さんは、階段に棲んでいる』?」
「あ、そうですね。大前提の『七不思議』です」
正面の踊り場に、県や省庁から送付されたポスターが並ぶ。歯を磨こう、動物愛護週間のお知らせ。歯ブラシを持った子どもの顔がアップになった写真や、動物を抱いてにっこりと笑う少女の写真。毎年、デザインは似たようなものだ。
その前まで歩きながら、サチ子が更に問いかける。
「他にはありますか?」
「あとは、これをしないと呪われるっていうのがいくつか。『花子さんからもらった食べ物や飲み物は、決して口にしてはいけない』『花子さんに聞かれた質問に嘘をついてはいけない』」
「ああ、禁止事項ですね」
サチ子が頷いた。
「他には?」
「____『花子さんに会いたければ、階段を綺麗に掃除すること』」
鏑流馬の知る「七不思議」はこれで全部だ。
鏑流馬が条件を挙げるごとに、サチ子が横で指を折って数えていた。右手の薬指までを折り、小指だけを立てた状態から、自分で先を続ける。
「禁止事項は、他にもあと一つあります。鏑流馬さんも聞いたことないですか?『花子さんが「箱」をくれると言っても、絶対にもらってはいけない』」
「箱?」
「何色か、選ばせてくれるそうですよ」
踊り場を横切り、階段を登り、二階の廊下に立つ。西と東、左右に続いた中学年の教室。特別教室は右手の先に図工室と理科室。左手に図書室がある。
「これもきっと、よく聞く都市伝説の派生の類でしょうね。聞いたことありませんか?学校のトイレに入って用を足した後、ふと正面を見ると紙が切れていることに気付く。困って途方に暮れていると、急に幽霊の声が聞こえる。____赤巻紙と黄巻紙、青巻紙、どれがいい?」
階段の正面には、男子トイレと女子トイレが並んでいる。中は静かだが、自然とそっちを見てしまう。このタイミングでこの話を振ることを最初から狙っていたとしたら、サチ子は思いのほか策士だな。苦笑しながら、「ああ」と答えた。
「似たような話ならいくつか知ってるよ。俺が子どもの頃に聞いたのは、赤いべべを着せるって話だ。それも学校のトイレの話じゃないかな。寒くない?赤いべべと白いべべ、青いべべ、どれを着せてあげようかって聞かれるんだ」
「そうです、そんな感じ」
話が通って、サチ子は嬉しそうだった。
「そっか、やっぱあちこちにあるんですね。そういう話。何色を選ぶべきだ、とか正解はありました?赤は血の色だから刃物で切られて殺される、青は水責めにされて殺される。黄色を選べば助かる、とか」
「あったあった。でも、そのべべの話は白でもダメだったんだよな。白を選ぶと、それを着せられたまま、刀で斬り殺されてしまう。白いべべが赤く染まることから、赤を選んだのと同じなんだって聞いた。八方塞がりだから、結局どうしようかって子ども心に怯えたな。幸い、そんな怖い選択を迫られるシチュエーションにはとうとう巡り会えなかったけど」
「先輩のとこに伝わってた話は、なんだか全体的にちょっとレトロですよね−。べべって表現がそもそも古いし、斬り殺されるってまた。時代劇みたい。面白い」
ふざけた調子で笑って、「でも、そうなんですよ」とふいに真面目な顔つきになる。右の理科室の方向に曲がり、二人で一つ一つ、教室の鍵を確認していく。廊下は物音一つせず、二人分の足音がよく響いた。
「花子さんの場合もそれと同じ。赤い箱と青い箱と、黄色い箱。どれが欲しいか聞かれるそうです。だけど、正解はどれを選んでもダメ。赤を選ぶと血まみれになって殺されるし、青い箱を選ぶと学校中の蛇口から水が溢れて溺れ死ぬ」
「黄色は?」
「笑えますよ。なんと感電死。」
サチ子がくすっと笑う。
「よく考えたもんだね」
本当に感心して、鏑流馬は唸る。
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