ダーク・ファンタジー小説
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入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)
- 短な恐怖
- 日時: 2024/09/15 18:36
- 名前: J・タナトス (ID: 5kDSbOyc)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no=13998
ゾクッとする話しから、ちょっぴり切な怖い話しまで。
色々な怖い話のオムニバス。
怪談・幽霊・ヒトコワ・都市伝説など様々なジャンルのホラーをまとめました。
ラブコメは【ねこ助】名義で投稿しているので
よければそちらも読んでみてくださいね(˙꒳˙ก̀)
◆目次◆
1)真夜中の訪問者>>01
2)黄泉之駅>>02
3)生贄団地>>03
4)紫苑の花>>04
5)野辺送り>>05
6)ミテハイケナイ>>06
7)不死の花>>07
8)山姥>>08
9)菩薩妻>>09
10)リフレイン>>10
11)僕のミア>>11
12)お御影様①>>12
13)お御影様②>>13
- 紫苑の花 ( No.4 )
- 日時: 2024/08/05 19:13
- 名前: J・タナトス (ID: TDPFE706)
その年の暮れに仕事で出向くこととなったのは、俺の暮らす街から遠く離れたN県の山間部だった。
大規模な都市計画が進行中のN県では、今後の発展に備えて様々な施設や居住区の拡大が進められ、この山間部に建てられる宿泊施設もその内の一つだった。
そんな大掛かりな建築作業ということもあって、その人手は様々な県から寄せ集められ、数ヶ月にも及んだ作業はいよいよ佳境を迎えようとしていた。その後発組として合流したのが、俺を含む二十人程の要員だった。
男ばかりが百人近く集まった現場では常に怒号が飛び交い、寒さに震える中での作業は過酷さを極めた。けれど、仕事が終われば皆気の良い人達ばかりで、宿泊先で過ごす夜は毎日が宴会のような楽しさだった。
そんな中、特に俺のことを目にかけてくれたのが、靖司さんというY県から来た四十代の男性だった。
一見すると強面で近寄り難い雰囲気はあるものの、クシャリと笑ったその笑顔はとても優しく、その精悍な顔つきからは、若かりし頃はさぞやモテたのだろうということが想像できる。けれど、若くに奥さんを亡くしてからというもの、操でも立てているのか全くと言っていいほどに女っ気はないらしく、そんな硬派なところも靖司さんらしいとさえ思えた。
「おい、純。あまり呑みすぎるなよ」
「大丈夫っすよ、寝坊なんてしませんから」
「そっちの心配じゃねーよ。身体は大事にしろよ」
目の前にいる靖司さんは手元のグラスを飲み干すと、「お先」と告げてそのまま席を立った。
「……あ、お休みなさい! また明日!」
慌てて口を開くと、そんな俺に向けて軽く後ろ手に手を上げた靖司さん。
そんな靖司さんの背中を見送りながら、俺は焼酎の入ったグラスをグビグビと飲み干した。
「やっぱカッコいいな……」
そう小さく声を漏らすと、俺の隣にいる高田さんがすかさず口を挟んだ。
「背中で語るってやつだな」
「背中で語るっすか……。確かに、背中カッコいいっすよね」
男らしくガッチリとした身体ながら、どこか哀愁漂う後ろ姿。そんな靖司さんの姿を思い浮かべながら口にすると、そんな俺を見て再び口を開いた高田さん。
「なんだ、純。お前、やっさんの背中見たことあるのか?」
「え? 背中っすか……? いや、ないっす。何かあるんですか?」
この場合、高田さんの言っている“背中”とは、裸の背中という意味だろう。そう解釈した俺は、そう答えると高田さんの様子を伺った。
「デケェの背負ってんだよ」
そう言いながら、親指でクイッと背中を指差した高田さん。
おそらく、入れ墨が入っているという意味なのだろう。職種柄、そんな人達も珍しくはない。
「へぇー、そうなんすね」
「ま、誰も見たことないんだけどな」
「靖司さん、いつも風呂別っすもんね」
「そうなんだよ。いつも先に入っちまうからな」
確かに、他人に見せるようなものでもないと、入れ墨を見せたがらない人もいる。きっと、靖司さんもそういう考えの人なのだろう。
そう思った俺は、その後も特にその話には触れることもなく、そのまま三ヶ月の時が過ぎていった。
◆◆◆
「──皆んな! 長い間、本当にお疲れ様でした!」
そんな言葉を合図に開始された宴会。長期間に及ぶ仕事を無事に終えられた達成感から、その日の宴会はまるで忘年会のような盛り上がりをみせた。
明日になれば皆方々へと帰宅してしまうということもあって、きっと名残り惜しさのようなものがあったのかもしれない。いつもなら早々に切り上げてしまうメンバーも、今夜ばかりは一人も欠けることなく宴会は続き、気付けば四時間もの時間が経過していた。
そんな中、ほろ酔い気分でフラリと立ち上がった俺は、靖司さんのいるテーブルまで移動すると口を開いた。
「靖司さん。自分、今から風呂行こうと思うんすけど、良かったら一緒にどうですか?」
いつもなら、いくらお酒が入っているとはいえ、こんな誘いは決してしなかっただろう。例え誘ったとしても、どうせ断られることは分かっているのだ。
けれど、一緒に過ごすのも今夜が最後かと思うと、どうしても誘わずにはいられなかった。
「そうだな。ちょうど風呂に行こうと思ってたとこだし、一緒に行くか」
「……マジっすか!? 断られると思ってたんで、めっちゃ嬉しいっす!」
そう言って喜んでみせれば、そんな俺を見て小さく笑みを溢した靖司さん。
「そんな喜ぶほどのもんでもないだろ」
そうは言いながらも、まんざらでもなさそうな顔をする靖司さんは、手元のグラスを空けると静かに席を立った。
「行くぞ」
「はいっ」
靖司さんの後について風呂場へと向かった俺は、その嬉しさからニンマリと微笑んだ。
やはり、裸の付き合いがある方が心の距離がグッと縮まるような気がする。
「靖司さん。今度、靖司さんに会いにY県に遊びに行きますね」
「おう。楽しみにしてるよ」
「靖司さんも、今度K県に遊びに来て下さいよ。旨い店、色々紹介するんで」
「そりゃ楽しみだな」
「紹介したい女もいるんすよ。香奈っていう三つ下の女なんすけど、実は、そろそろ結婚しようかなーなんて考えてて」
「そうか。結婚はいいもんだぞ」
「って言っても、プロポーズもまだなんすけどね。……なんか照れ臭いっすよね、プロポーズって。何て言おうかなーなんて、もう悩んじまって」
浮かれ気分でいつも以上に饒舌さを増した俺は、洋服を脱ぎながらも靖司さんに話し掛け続ける。チラリと視界の端に入ってきた靖司さんの背中には、やはり噂通り入れ墨が入っているようで、その範囲は背中一面に及ぶ程の大きさだった。
とはいえ、大して気にもならなかった俺は、そのまま手拭いを掴むと浴場へと足を進めた。
「靖司さんは、今付き合ってる女とかいるんすか?」
今まで、噂程度でしか聞いたことのなかった靖司さんのプライベート。以前から気にはなっていたものの、こうして改めて直接聞くのは初めてのことだった。
「嫁が死んでから、そういうのは一切ないな」
「えっ!? こんなにカッコイイのに……。全くないんすか?」
「全くねぇよ」
「いやいや、女がほっとかないと思うんすけど」
「これ見たら、震え上がって逃げるだろ」
そう言って背中を指差した靖司さんは、俺と視線を合わせると微かに微笑んだ。
背中一面とはいえ、たかが入れ墨程度でそこまで怖がるものなのだろうか? 確かに、入れ墨自体に嫌悪感を抱く人は一定数存在する。とはいえ、そこまでの障害があるとは思えなかった。
「何が入ってるんすか?」
「紫苑の花だよ。嫁が好きだった花でな、花言葉は確か“君を忘れない”だったかな」
その言葉を聞いた瞬間、きっと、靖司さんは亡くなった奥さんのことを未だに忘れられないのだと。俺はそんな風に思った。
いつもどこか寂し気な瞳をしていたのも、きっとそのせいなのだろう。断ち切れない想いを一人抱えて生きているとは、なんとも切なく悲しいものだ。
「紫苑の花……いい花言葉っすね」
掛ける言葉が見つからずにそう答えると、そんな俺の様子を察したのか、薄く微笑んだ靖司さんは口を開いた。
「なに、寂しくはねぇよ。いつも嫁が一緒だからな」
そう告げながら、自分の背後にチラリと視線を送った靖司さん。その視線を辿るようにして背中に視線を向けてみると、そこには背中一面を覆うほどの紫の花が綺麗に咲き誇っていた。
その中央に彫られているのは、きっと亡くなった奥さんであろう綺麗な女性の姿。その姿はなんとも繊細で美しく、まるで生きているかのようなリアルさを感じる。
「綺麗な人ですね……」
思わず見惚れてそう小さく呟いた、次の瞬間──。
あまりの恐ろしさにその場で身を固めた俺は、今にも叫び出しそうになる声を必死に堪えた。チラリと鏡越しに見える靖司さんは、そんな俺を見て悲し気に微笑んだ。
けれど、その瞳に妖しい光が宿っていたことを、俺は決して見逃しはしなかった。
靖司さんの背中に彫られた、美しくも恐ろしい微笑みを浮かべた女性。
その瞳が動いて見えたのは、決して目の錯覚などではなかった。
その入れ墨の女性は、間違いなく靖司さんの背中で生きているのだ。
─完─
- 野辺送り ( No.5 )
- 日時: 2024/08/07 18:03
- 名前: J・タナトス (ID: TDPFE706)
──野辺送り。
私がその風習に興味を持ったのは、ハロウィンの仮装で街中が埋め尽くされる中、偶然その姿を見掛けたことがきっかけだった。
繁華街から遠く離れた寂れた商店街で、数十人程の列をなして歩く和服姿の人々。その姿はとても異様で悍ましく、私は思わず息を呑むとその場で足を止めた。といっても、都会育ちの私にはそれが何の仮装をしているのかすぐには理解することができず、一瞬、嫁入り行列のようなものなのかと誤認してしまっていた。
けれど、よくよく見てみると花嫁らしき人の姿はどこにも見当たらず、何やら棺のようなものを運んでいる。それを改めて確認した後に、私は初めてそれが葬儀の列であるということを理解した。
何故、ハロウィンの仮装で葬儀の行列などしようと思ったのか。そんな疑問を感じながらも、初めて目にするその異様な光景を前に、私は気付けばすっかりと心を奪われてしまっていた。
霊柩車の普及に伴い、現代では滅多に見かけることのなくなった“野辺送り”。そんな過去の風習にいたく関心を寄せた私は、ちょうど来月刊行の特集記事を任されていたこともあり、そこで野辺送りについての記事を取り上げることにしてみた。
翌日から早速資料集めを開始した私は、それと並行して聞き取り取材を進めてゆくと、いくつかの体験談も入手することができた。
けれど、その体験談はどれも資料通りのもので、どこか非凡さに欠けている。担当しているのが心霊雑誌ということもあって、このままでは特集自体がボツになってしまうのでは──。そんな可能性を危惧して一人焦り始めた頃、幸運にも出会うこととなったのは、知人から紹介されたAさんという二十代の女性だった。
「子供の頃に見たことがあるんです。でも、あまりにも恐ろしくて……今まで、誰にも話したことがないんです」
そう言って話しを切り出したAさんは、テーブルに置いた両手をキュッと握りしめると、ゆっくりとした口調で語り始めた。
「あれはまだ、私が地元に住んでいた小学一年生だった頃のことです。夏休みも残り僅かとなった、まだ蒸し暑さの残る夜のことでした──」
寝苦しさに目を覚ましたAさんは、襖から漏れ出る灯りを見て瞼を擦った。襖を隔てた隣室から漏れ聞こえる話し声に、それが両親達の声であることを確認したAさんは、喉でも潤そうと寝ていた布団から上半身を起こした。
そこで初めて、目線の高さに位置する窓から外の景色が視界に入ったAさんは、列を成して歩く人影に気付いたのだそうだ。
「それが葬儀の列だってことには、直ぐに気付いたんです。何度か見たことがありましたから。……でも、こんな夜更けに葬儀をするだなんて、少し妙だなとは思ったんです。枕元に置いてあった時計は、確かに夜中のニ時を回っていましたから」
そんな多少の違和感を感じながらも、まだ子供だった当時のAさんは、きっと今までは寝ていて知らなかっただけなのだと、あまり深く考えることなくそう思い至ったのだそうだ。
日中に見た時と違って、どこか禍々しい雰囲気のようなものを纏った行列。その姿に妙に心惹かれたAさんは、窓辺に手を掛けると物珍し気にその様子を覗き込んだ。
暗がりの中浮かび上がる灯籠は、まるで人魂のように青白く揺らめき、その怪しさをより一層際立たせた。それほど遠く離れた距離に居るわけでもないのに、何故か参列者の顔だけはよく見えず、まるで黒く塗り潰されたかのようだった。
「お面のようなものでも付けているかのかと思いました。それほど真っ黒だったんです、顔の部分だけが」
神妙なお面持ちでそう告げたAさんは、その視線をテーブルへと落とすと固く握った自分の両手を見つめた。
「それで、その行列はどうなったんですか?」
「それから暫く見ていたんですが、まるで暗闇に吸い込まれるようにしてその場から姿を消してしまいました。……今にして思えば、静かすぎたんです。あんなに大勢の人達が列を成していたのに、足音一つ聞こえませんでしたから」
小さく声を震わせたAさんは、その視線を私へと戻すと再び口を開いた。
「でも、その時の私はそんなことにさえ気付けませんでした。まるで何かに取り憑かれたかのように、その行列に魅了されてしまっていたんです」
そう告げたAさんの顔はどこか鬼気迫るものがあり、私はゴクリと喉を鳴らすと話しの続きに耳を傾けた。
「二つ隣の家に住んでいるKさんが亡くなったと知ったのは、翌日の朝でした。長いこと病気で臥せっていたんですが、どうやら夜中の内に急変したようで、そのまま亡くなってしまったみたいでした。夜中に両親の声が聞こえたのも、きっとその知らせを聞いていたんだと思います」
普段からKさんと親交の深かったAさんの家では、その手続きや葬儀の手伝いやらで、翌日は慌ただしい一日を過ごすこととなった。
その忙しさは夜が更けてからも続き、襖から漏れ出る隣室の灯りを眺めながら、Aさんは一人、眠れぬ夜を過ごしていた。
「そんな時──ふと、妙な気配を感じたんです」
吸い寄せられるようにして窓へと近付いたAさんは、そこで、前日の夜に見たものと全く同じと思われる、禍々しい雰囲気を纏った行列を目にしたのだそうだ。
「勿論、とても怖かったです。その証拠に、私の両手はとても震えていましたから。二日も連続して夜更けに野辺送りの行列を見るだなんて、そんな偶然はそうそうないですから。Kさんが亡くなったことと何か関係があるのか……そう思わなかったかといえば、嘘になります。でも、それ以上にあの行列に心を惹かれてしまっていたんです」
カタカタと震える両手で窓枠を掴みながらも、Aさんはその行列から視線を逸らすことなく凝視した。やはり、前日に見た時と同じく、足音一つ立てずに進んでゆくその姿は、それはとても異様で恐ろしかったそうだ。
けれど、何かに取り憑かれたかのようにその場を離れることのできなかったAさんは、ただ静かに、その様子を眺めながら固唾を飲んでいた。
「ちょうどその時です。その内の一人が、私に気付いてこっちに顔を向けたのは──。あれは、お面なんかじゃなかったんです。顔が……っ、無かったんです」
Aさんを見つめているのであろうその顔は、渦を巻いたようなドス黒い空間が存在するだけで、とても人の顔とは思えぬほどの恐ろしさだった。きっと、他の参列者も皆同じなのだろう。Aさんは瞬時にそう思ったのだそうだ。
けれど、その事実を前にしても尚、その行列から視線を逸らすことのできなかったAさんは、カタカタと全身を震わせながらその光景に釘付けになった。
「──見たらいかん!」
そんなAさんを勢いよく窓から引き離したのは、一緒に暮らす祖父だったそうだ。
「なんべん見た!? ……手を見せや!」
その剣幕に成すすべなく左手を取られたAさんは、初めてみる荒々しい祖父の姿を見て涙を流した。
その様子に気付いてすぐに駆けつけた両親は、泣き喚くAさんを抱きしめると何やら祖父と言い争っているようだった。けれど、その時の記憶はとても曖昧らしく、あの時祖父達が何を話していたのか、その後どうしたのか、Aさんは全く覚えていないのだそうだ。
「でも、次の日の夜のことは、今でも鮮明に覚えているんです」
そう言って涙を滲ませたAさんは、翌日の夜にあった出来事を語り始めた。
相変わらず蒸し暑さの続く真夜中、人の気配を感じて目を覚ましたAさんは、すぐ横の窓辺に目を向けると、そこに居た祖父の背中に向かって口を開いた。
「おじいちゃん……? なんしよん?」
寝ぼけ眼でそう声を掛けると、こちらを振り返った祖父は優しく微笑んだ。
「じいちゃんが側におるき、安心して寝や」
そう言って優しく頭を撫でてくれた祖父の手は暖かく、それに安堵したAさんはゆっくりと意識を手放した。
そんなことが三日三晩も続き、ちょうど一週間が経った頃。Aさんの祖父は、突然この世を去ってしまったのだそうだ。
「私の身代わりになったんだと思います」
そう言って目を伏せたAさんは、キュッと固く結んだ唇を小さく震わせた。
そんなAさんを前に、私は取材の手を休めることなく口を開いた。
「身代わり、とはどういうことですか?」
感傷に浸っているAさんに目をくれることもなく、私はそんな質問を繰り出した。対して、そんな私の姿に気分を害した素振りもなく、ゆっくりと語り始めたAさん。
「これは後で知ったことなんですけど、三日三晩続けて真夜中に野辺送りの行列を見た人は、その魂を道連れにされてしまうんだそうです。亡くなった魂が一人では寂しいからと、道連れにする魂を探すことがあると、私の田舎では古くから言われているみたいなんです」
「Aさんは、それを信じているんですか?」
「はい、私はそうだと思っています」
「何か、根拠でも?」
「あの時……祖父に頭を撫でられた時、ハッキリと見えたんです。前日まで私の左手にあった赤い痣が、祖父の掌にあったのを──」
「痣……、ですか?」
目の前に腰掛けるAさんの姿を見つめながら、私はコクリと小さく唾を飲み込んだ。
「はい。あの野辺送りを見た翌日の朝、私の左手に薄い痣が浮き出たんです。あの時は、まさかそれがそんな恐ろしものだなんて思いもしませんでした。花弁のようでなんだか可愛いだなんて、そんな風に思っていたほどでしたから……。でも、祖父が窓辺に座って外を眺めるようになったその夜から、私の左手にあったその痣は、すっかりと消えてしまったんです。まるで、祖父の左手に移ったかのように──」
そう告げたAさんの言葉を思い返しながら、私は一人、寂れた商店街を歩いていた。
ニ日程前に書き上げた原稿は、Aさんのおかげもあって、無事に特集記事に掲載されることが決まった。思えば、私が野辺送りという風習に興味を持ったのは、この寂れた商店街での出会いが始まりだった。
そう思うとなんだか感慨深いものがあり、私は歩みを止めると涙を滲ませた。
ハロウィン本番は初日で終わっていたというのに、三日三晩続けて見掛けたあの野辺送りの行列。あの時の私は、そんな事にすらなんの疑問も感じなかった。
今にして思えば、そんな疑問すら思い浮かばない程に、その行列に魅了されてしまっていたのだろう。
あのドス黒く渦巻く顔の先には、一体何が見えるのか──。そんな興味を持ってしまったことが、抗えない“何か”に取り憑かれていた証拠に他ならない。
左手に浮き出た花弁のような赤い痣を見て、私は迫り来る“死”を悟って静かに涙を流した。
この記事が雑誌として世に出る頃には、もう、私はきっとこの世にはいないのだろう。
─完─
- ミテハイケナイ ( No.6 )
- 日時: 2024/08/07 18:06
- 名前: J・タナトス (ID: TDPFE706)
私には、普通の人には視えないものが視える。
それはいわゆる、幽霊と呼ばれるもので。物心が付く頃には、”ソレ“は当たり前のように私の生活の中に存在していて、それは高校生になった今でも相変わらずだった。
視えるからといって、別に何かが起こるわけではないのだけれど……。強いて言うなら、”ソレ”は普通の人間となんら変わりなく存在する為、見分けがつかなくて困る、ということくらいだろうか。
こちらに向かって歩いて来る女性を避けるようにして左へと移動すると、「愛華、急にどうしたの?」と不思議そうな顔を見せる友達の里香。
(あぁ……。また、やっちゃった)
どうやら、あの女性は”こちら側の住人”ではなかったらしい。
「……ごめん。ちょっと、ボーッとしてた」
「もうっ。またぁ〜?」
申し訳なさそうに薄く笑ってそう答えれば、そんな私を見た里香は呆れた様な顔を見せる。
生きた人間と”そうではない者”を見分けられないとは、結構厄介なものだ。そんな私の行動は、きっと側から見たら少し妙に映っているのだろう。
幼かった頃は、理解してもらおうと両親や友達に必死に説明したりもした。けれど、皆一様にして不可解な顔を見せるだけで、誰も私の言う事など信じてはくれなかった。
視えない人に説明したって無駄なのだ。そもそも、視えないのだから信じようがないではないか。そう納得してからは、自分には”普通の人には視えないモノが視える”、なんて不要な説明はしなくなった。
それでもやはり、私の行動は少し奇妙な事が多いようで、今では”少し変わった子”として周りから認識されている。
だからといってイジメに合っているわけでもなければ、それなりに友達もいて平穏な生活を送っている。
「あっ! そーいえばさぁ〜。今日ね、瑞希から面白そーなの借りちゃったんだよね〜」
「面白そうなもの……?」
楽しそうに声を弾ませた里香は、鞄をゴソゴソとさせると中から1枚のDVDを取り出した。
「……じゃ〜んっ! コレ、コレ! ちょー怖いらしいよっ!」
相変わらず楽しそうに声を弾ませる里香の手元を見てみれば、その手に握られていたのは最近流行っているホラー映画だった。
なんでも、ここ数年のホラー界でも1番の怖さだとか……。そんな話しを、クラスの人達が話していたのを思い出す。
「それ、流行ってるみたいだね」
「うん、そうそう! 瑞稀なんかねー、怖すぎて泣いちゃったらしいよ」
そんな事を言いながら、可笑そうにケラケラと笑ってみせる里香。
「……でさっ。早速、今日見てみない?」
「うん。いいね、見よっか」
「やったぁ〜! よーっし、このまま愛華んちにレッツゴ〜!」
嬉しそうに小さく飛び跳ねた里香を見て、その可愛らしさにクスリと笑い声を漏らす。
正直、ホラー映画はあまり得意ではないのだけれど……。きっと、里香と一緒なら何でも楽しめるだろう。
そう思えるほどに、里香とは気が合うし一緒に居て楽しいのだ。
「これさ、ちょーーっっ! 怖い幽霊が出て来るんだって〜」
「そうなんだぁ。やだなぁ……今日、お父さんもお母さんも仕事で遅くなるって言ってたし……。お風呂入れなくなったらどうしよぉ」
「愛華はビビリだね〜っ。しょうがない! 今日は里香様が泊まってあげるから、一緒にお風呂入ろ〜よっ! 私、まーったく霊感とかないからさっ!」
そんな事を言いながら、アハハッと楽しそうに笑う里香。
「でもさ、視えちゃったら怖いんだろな〜幽霊」
「そうだね」
実際、幽霊が視えたからといって、そうそう怖い目に遭う事などないだろう。むしろ、見分けがつかない程にあまりに”普通”なのだ。
たまに、”関わってはいけない”空気のモノがいたりもするのだけれど、そんな時は気付かないフリをして静かに通り過ぎる。ただ、それだけ。
私からしてみれば、怖がらせる為に作られたホラー映画の方がよっぽど怖いのだ。
とはいえ、視えないに越したことはないし、視えない里香がちょっと羨ましかったりもする。
「お菓子いっぱい買ってこ〜ねっ」
「うんっ。あと、下着も忘れないでね」
楽しそうにニコニコとしながら話す里香につられて、私の顔にも自然と笑顔が溢れる。
——その後、近くのスーパーとコンビニで大量のお菓子とジュースを買い込んだ私達は、私の自宅であるマンションへと着くと、1階にあるエレベーターホール前で足を止めた。
「……おっも〜い!」
「ちょっと、買いすぎちゃったね」
どうやら、あまりの楽しさに少し買いすぎてしまったらしい。その場に荷物を下ろすと、クタクタになった手足を軽く揉み解す。
(これはきっと、明日は筋肉痛だなぁ……)
そんな事を考えながら、目の前のエレベーターを見上げる。どうやら、8階で止まっているようだ。
(……もう少し休憩しよ)
そんな事を考えながらフーッと大きく息を吐くと、疲れた身体を脱力させる。
築10年程の、どこにでもある8階建のマンション。その2階部分に住んでいる私は、普段ならタイミングよくエレベーターが来ない限り、こうして待つ事なく階段で2階へと上がってしまうのだけれど……。流石にこの荷物と疲労だ。今日は、迷わずエレベーター1択だった。
7階、6階と、地上に向けて動き出したエレベーターを確認した私は、床に下ろした荷物を再び抱えると、降りる人の邪魔にならないよう少し端へと移動する。そんな私の動きに気付いた里香も、再び荷物を抱えると私の隣に移動した。
そのまま3階、2階と地上へと向かって近付いてくるエレベーター。
———!!!!
1階へと降りてきたエレベーターを確認するや否や、私は持っていた荷物を床へと投げ捨てると、隣にいる里香の腕を掴んで一目散に2階へと駆け上がった。
(————っ! ヤバイ……っ!! ヤバイヤバイヤバイ!!! なんなの……っ、アレ——!!?)
ガラス張りになっているエレベーターの扉から視えた”アレ”は——明らかな殺意と憎悪に満ちていた。
今まで経験した事のない、腹の底から這い上がってくるような恐怖に、私の身体はガタガタと震え始めた。それでも、掴んだ里香の腕を懸命に引っ張りながら、自宅へと向かって必死に走り抜ける。
私は震えてうまく動かない右手でガチャガチャと鍵を開けると、そのまま里香を連れて勢いよく玄関の中へと飛び込んだ。未だ止まぬ恐怖にヘタリとその場に崩れ落ちると、ガタガタと震える身体を両手で抱き締める。
(なん……っ、なの……アレは——!!?)
ガラス越しに視えた、刃物片手に全身真っ赤な血を浴びた男性。まるで、その血生臭さが空間全体を充満し、その場を支配してしまうかのような生々しさ。
目が合ってしまった時の、あの、恐ろしいまでの殺意——。
私がこれまで視てきたそのどれよりも禍々しく、間違いなく”関わってはいけないモノ”なのだと、身体全体が警告している。
「……っ。なん……、なの……っ」
ポツリと小さく溢れ出た声に視線を向けてみると、床に座り込み大きく肩で息をする里香がいる。
何の説明もなく走り出した私に、半ば強引に連れてこられたのだ。「何なの?」とは、当然の疑問だろう。
未だカタカタと震えて呼吸の上がっている私は、とりあえず落ち着かせようと、里香へ向けて震える右手を伸ばそうとした——その時。
「——っ! 何なの、アレ……っ!!?」
突然の里香の大声に、伸ばしかけていた右手をピタリと止めると、私の口から情けない程小さな声が溢れた。
「……え……っ、?」
視えないはずの里香の口から出た、”アレ”という言葉。
徐々に落ち着きを取り戻しつつあった私の身体は、再びガタガタと大きく震え始めた。
(視え、る……っ? 里香にも……視え……っ、”見えてる”——!!!)
——そう理解した私は、勢いよく玄関扉を振り返った。
中に逃げる事に必死で、施錠し忘れたままの玄関扉。その扉に向かって手を伸ばした——次の瞬間。ガチャリと動いたノブは、私の目の前でゆっくりと扉を開いていった。
徐々に大きく開かれてゆく扉から侵入してくるのは、吐き気を催すほどの血生臭さい外気。
それはまるで、この空間全てを禍々しいほどの殺意で覆い尽くすかのようにして、恐怖に震える私達を飲み込んだのだった——。
—完—
- 不死の花 ( No.7 )
- 日時: 2024/08/09 08:34
- 名前: J・タナトス (ID: RcHXW11o)
なんでも、この世には“不死の花”と呼ばれる花があるらしい。そんな話を小耳に挟んだのは、大学の同級生だったYと街で偶然出会った時だった。
卒業してからかれこれ五年。Yとはゼミが同じだったというだけで、特段親しかったわけでもなかったが、なんとなく酒でも飲もうという話しになり、その足で居酒屋へと向かった私達。気付けば、夜が更ける頃にはすっかりと意気投合していた。
なぜ、大学在学中にもっと親しくしておかなかったのだろう。そんな後悔をしてしまう程に、Yの話は面白かったのだ。
「この間、T県S村の山向こうにある秘境まで行って来たんだけどさ。数百年前まで人が暮らしてたような形跡が残ってたんだよ。さすがに今じゃ人が暮らせるような環境ではなかったけどさ、未だに残ってるなんて凄いよな」
「へぇー、それは何だか感慨深いものがあるな」
「だよな。……ま、肝心の天狗には出会えなかったんだけどな」
そう言って、焼酎片手に笑ってみせたY。
彼はいわゆる、妖怪だとか民俗学だとかいったものに興味があるらしく、都市伝説などといった怪異が好きな私にしてみれば、彼の話は至極興味をそそられるものだった。
「あ、そうそう。“不死の花”って知ってるか?」
突然、なんの前触れもなくそう告げたのは、私がテーブルに置かれた枝豆に手を伸ばした時だった。
聞けば、その花はどんな病でもたちどころに治し、永遠の命を与えるのだとか。先日フラリと立ち寄った古書店で、何やらそんな伝記が書かれた書物を見つけたらしい。勿論、永遠の命を与える花など鵜呑みにしたわけではなかったが、そんな花があるなら一度見てみたいと、私はYと共に大いに盛り上がった。
今にして思えば、Yはこの時から“不死の花”の存在を本気で信じていたのかもしれない。
そんな楽しかった夜から数ヶ月が経ったある日。Yから来たメールを開いた私は、半信半疑ながらも驚きの声を上げた。なんと、Yは“不死の花”を入手したというのだ。
私は早速Yに連絡を取ると、その“不死の花”とやらの詳細を話し聞かせてもらうことにした。
Yが言うには、その花に種というものは存在せず、人から人へと渡ることでのみ花を咲かせるらしい。その花弁は透明に輝き、その地に根付くと決して掘り返すこともできず、また、枯れることもないのだと。
そんな話を聞きながら、私はYにからかわれているのだと気が付いた。
掘り返そうにも掘り返せないのだから、持ち運ぶことはできない。そこで写真に撮って見せようとしても、透明に輝いているだけで“ソレ”が花とは分からない。ならば直接見に行きたいと願い出てみると、今は都合が悪いと言われる。
そんな言い訳を並べ立てられれば、いくら鈍感な私でも気付くというものだ。
けれど、例えからかわれただけとはいえ、Yから聞かされた“不死の花”についての話はとても面白く、作り話とはいえ私は大変満足した。
その後、どうやら風邪で体調が悪かったらしいYは、一人私を喫茶店へ残すと同棲中の彼女が待つ家へと帰っていった。
それから暫くして、Yとの連絡が途絶えてしまった私は、以前会った時に聞いた住所までやって来ると、木造アパートの一階部分にあるYの自宅を訪ねた。
虫の知らせとでも言うべきか。私には、気掛かりなことがあったのだ。
チャイムを押し鳴らしても、室内に人のいる気配は感じられない。ノブを回してみるとガチャリと玄関扉は開き、私はYの名を呼びながら部屋の中へと入っていった。
整然とした部屋に似つかわしくもない、所々に空いた床の穴。その穴に目を呉れることなく歩みを進めた私は、目的の場所まで辿り着くと膝をついた。
そこにあったのは、透明に光り輝く二輪の花だった。
それから暫くして、私の家では父に続いて母までもが突然姿を消してしまった。風邪で寝込んでいたはずなのに、一体どこへ行ってしまったというのだろうか?
自宅床にある無数の穴を眺めながら、私は呆然と立ち尽くした。
父と母が突然姿を消し、変わりに我が家に現れたのは光り輝く透明な花。
あれから一週間経った今も、父と母は帰ってこない。
─完─
- 山姥 ( No.8 )
- 日時: 2024/08/19 14:36
- 名前: J・タナトス (ID: gh05Z88y)
俺の住む村には、山姥がいる。
とはいえ、実際に目にしたことがあるわけではないので、“いるらしい”と言った方が正しいのかもしれない。“それ”がいつからこの村に棲み着いているのか、それを知る者は誰一人として存在しない。
けれど、遥か昔から間違いなくこの村には山姥がいるのだそうだ──。
それまで俺はただ漠然と、立ち入りが禁止されている場所があることだけは知っていた。幼い頃から、決して入ってはならないと聞かされていたその山。俺はそんな山にさほど興味なんてものはなかったし、その理由に関しても全く興味がなかった。
周りの子供達が元気に走り回って遊んでいる中、本の虫だった俺は、家の中で一人でいることの方が多かったせいもあるのかもしれない。
そんな俺が初めてその山に興味を持ったのは、まだ小学五年生の頃だった。
趣味も性格もてんでバラバラだというのに、いつも気付けば自然と一緒にいることの多かった四人組。そんないつもと変わらない顔ぶれとの下校中、ピタリと足を止めたK君は前方に見える山を指差した。
「なぁなぁ、あの山に山姥がおるってじいちゃんから聞いたんだけど。知っとった?」
唐突にK君がそう切り出したのは、通い慣れた畦道を半分程進んだ時だった。
「ヤマンバって、何?」
「よう知らんけど……たぶん、鬼みたいなやつ。山に迷い込んだ人間を食べてまうんだって」
「えっ……。あの山に、鬼がおるが?」
「うん」
「そんなの嘘やちゃ。鬼なんて実在せんし」
「けど、じいちゃんがおるって言うとったし」
「じゃあ、今から見に行ってみんまいけ」
そう皆が口々に盛り上がっている横で、俺は前方に見える山を静かに見つめていた。
幼い頃から、決して入ってはならないと大人達に言われているあの山。“何か恐ろしいことが起こる”とだけ聞かされていたその理由は、どうやらその山姥が関係しているらしい。そう考えると、これまで一切関心のなかったあの山にも、少しだけ興味が湧いてくる。
「たけちゃんも、一緒に行くやろ?」
そんな俺の様子に気付いたのか、K君はそう告げるとニッコリと微笑んだ。
「行きたいけど、留守番せんにゃいけんがや。今日ちゃ親がおらんさかい、妹の面倒見んにゃいけんで」
「じゃあさ、妹も連れて来りゃいいんでない?」
「まだ五歳やさかい、山登りはできんやろうし無理やわ」
「そっか……一緒に行けんの残念やわ。じゃあ、また今度一緒に行かんまいけ。今日は三人で行ってくるさかい」
一緒に行けないことを心底残念に思いながらも、俺はK君達を見送ると一人自宅へと帰ることとなった。
山姥なんて“鬼”が本当に実在するのかは定かではないものの、昔から忽然と消息を断ってしまう人間というのは存在するらしい。獣にでも襲われたのか、あるいは事故なのか。それは時に、神隠しとも言われたそうだ。
山姥という“鬼”の存在も、実際には間引きによる姥捨の生き残りなのではないかという説もある。
(山姥なんて、本当に存在するがやろうか……)
そんな事を思いながらも、俺は自宅の窓から見える山を眺めて小さく息を吐いた。
◆◆◆
──翌日。いつものように学校へとやって来た俺は、K君の姿を見つけるとその背中越しに声を掛けた。
「K君、おはよう。今日“ムツミ屋”におらなんだけど、どうしたが?」
いつも待ち合わせている駄菓子屋の前に姿を現さなかった理由を問うと、ゆっくりと振り返ったK君は気不味そうな顔を見せた。
「かんに。忘れとった」
そう言って小さく微笑んだK君は、なんだかいつもより元気がない様子だった。
「具合でも悪いが?」
「いや、ちょっこし疲れとるだけ」
「そっか、昨日ちゃ山に入ったさかいね。……で、山姥には会えたが?」
昨日から気になっていた事を口にすると、途端に顔色を悪くしたK君は小さく声を震わせた。
「会うたよ。じいちゃんの言う通り、本当に山姥がおった。けど……何も覚えとらんがや」
「え? 何も覚えとらんって、山姥には会うたんやろ?」
「うん、会うたのは覚えとる。えらい恐ろしゅうて……山に入ったのを後悔した。もう死ぬんだって、覚悟もした。……けど、気付いたら家におった。山を降りた記憶ものうて、どうやって帰ったのかも全く覚えとらんがや」
山姥に遭遇してからの記憶が一切ないと言ったK君は、酷く怯えた様子で目の前の俺を見つめた。
「ただ、えらい恐ろしいことが起きたのは間違いないんや。けど、それが何やったのかはよう覚えとらん」
「そんな奇妙なことがあるもんなんや。それにしても、本当に山姥がおるなんて凄いなぁ。俺も一回見てみたいわ」
「見ん方がいい。あの山に入ったら、恐ろしい事が起きるさかい」
まるで大人達と同じ様な台詞を口にしたK君は、先生が来たことに気付くと静かに自分の席へと着いた。それに倣うようにして自分の席へと着いた俺は、少しばかり晴れない気持ちのまま先生が話している姿をぼんやりと眺めた。
確かに山姥は存在すると口にしながらも、その記憶があまり鮮明ではない様子のK君。そのあまりの不透明さに、俺はどうにも納得がしきれなかった。
(K君が見たのは、本当に山姥やったがけ……?)
そんな疑問を抱きながら配られたプリントを受け取ると、俺は残りの一枚を手に持って後ろを振り返った。
「……あれ?」
誰も居ない空席を見つめながらポツリと小さな声を溢した俺は、プリント片手に目的を失った右手を宙に彷徨わせた。
(……これ、誰の席やったっけ?)
一瞬、昨日まで誰かがこの席を使っていたような気もしたけれど、よくよく考えてみれば列の最後尾は自分だった。そう思い直した俺は、余ったプリントを片手に声を上げた。
「先生、一枚多いちゃ」
「あれ? 五人やった気がしたけど……四人やったか。かんにかんに、勘違いしとったわ」
そう言って余ったプリントを受け取った先生は、俺のすぐ後ろに視線を移すとポツリと呟いた。
「何で席が余っとるんだ……?」
暫しの間不思議そうな顔を浮かべた先生は、その後何事もなく授業を終えると、余った机を持って教室を出て行った。
そんな光景を見て少しの違和感を感じながらも、けれど、俺を含めた誰もが大して気に留めることもなかった。
「──で、次はいつあの山に行くが?」
いつもの帰り道。まるで昨日の出来事など何もなかったかのように話し続けていたK君は、俺のその言葉を聞いた途端に顔を強張らせた。
どうやら記憶が曖昧なのはK君だけではなかったようで、誰に聞いても山姥に遭遇した後のことはよく分からなかった。そんな話に納得ができる訳もなく、俺は一度、この目で山姥の存在を確かめてみるべきだと思っていた。
「あんなとこ、二度と行かんちゃ」
「え……もう行かんの? 見てみたかったわ、山姥」
予想外の返事に軽く肩を落とすと、そんな俺を見たK君達は焦ったような声音を上げた。
「絶対、あの山に入ったらだちかん! 行ったら山姥に食われるぞっ!」
「そや! 鬼や……っ、鬼が食うたんだ!」
あまりの勢いにビクリと驚きながらも、何かに怯えるような素振りを見せる二人を凝視する。
「食うたって……一体、誰のこと言うとるが? 皆んな無事でないけ」
「……え? ……あ、あれ……っ? 誰も……食われとらんっけ……?」
「いや、確かにだっかが……」
困ったように狼狽えるK君達の姿を見て、俺は小さく溜め息を吐いた。
「けど、皆んなここにおるでないけ」
「そや、ちゃな……皆んな無事で良かったわ……。けど、もう二度とあの山には行かん。たけちゃんも、あの山には近付かん方がいい。絶対や」
「そや、絶対に行かん方がいい。……恐ろしい事が起きるさかい」
「う、うん……分かったちゃ」
あまりの必死さに気圧されつつもコクリと小さく頷くと、そんな俺を見た二人は心底安堵したような表情を見せた。
二人が見たという山姥の姿は、一体どんなものだったのか──。その興味が消えた訳ではなかったものの、だからといって、一人であの山に入るつもりはない。なにより、K君達がこんなにも必死で止めている姿を見ると、それを振り切ってでも見に行こうとはどうしても思えなかった。
あの怯えぶりからすると、よほど怖い目にでも遭ったのだろう。もしかしたら、記憶が曖昧なのもそのせいなのかもしれない。そうと分かっていて、一人で山に入る程の勇気も俺にはなかった。
「なあなあ、今から家に来ん? 久しぶりに対戦せんまいけ」
すっかりといつもの調子に戻ったK君は、そう告げるとニッコリと微笑んだ。
「ああ……あのゲームけ。うん、やろうかな。相変わらず下手やけど」
「いいちゃ、いいちゃ。いつもみたくチームで分かれて対戦せんまいけ。負けた方ちゃ罰ゲームな」
「いいけど。三人しかおらんけど、どうやってチーム組むが?」
「いつもみたく二・二でいいやろ」
「いや、けど三人しかおらんし……」
「あれ……? いつも四人で一緒に……いや、三人やったか……?」
「「…………」」
確かにK君の言う通り、いつも四人で遊んでいたような気もする。けれど、一体どこの誰だったのか全く思い浮かばないことを考えると、きっとそれは気のせいなのだろう。
「何言うとるがや、いつも三人やったやろ」
まるで自分自身を納得させるようにしてそう告げると、ヘラリと薄く笑ったK君は頬を掻いた。
「あー……、やっちゃね。なんか勘違いしとったわ」
「僕も一瞬、四人おったかて思うたちゃ。K君に騙されるとこやったわ」
そう言いながら小さく微笑んだA君は、一瞬何かを考えるような素振りを見せて小さく首を捻った。
そんなA君の姿を見て、何か胸を騒つかせるような不快感が生まれた俺は、思わず顔を歪めると左胸を抑えた。けれど、それが一体何なのか。その正体は俺には分からなかった。
その小さな塊のようなモヤは、あれから二十年以上経った今も俺の中に残っている。
結局、あれから一度もあの山に入ることもなく、あの時K君達が見たという山姥の正体も、未だに俺はよく分かっていない。けれど、それならそれでいいとも思っている。
それを確かめようとすれば、きっと間違いなく良くないことが起きるのだろう。そんな気がしてならないのだ。
「ご飯の時間ちゃ。ゲームは終わりにして、早うこっちに来っしゃい」
そう言われて食卓に腰を下ろすと、俺は目の前にいる嫁に向けて口を開いた。
「ゲームなんてせんぞ。何言うてんだ?」
「……あら? そうやったっけ。けど、あそこにゲームあるでない」
そう言ってテレビ台を指差した嫁は、もう一度俺の方へと視線を移すと首を傾げた。
「じゃあ、あれ誰のゲーム機?」
ゲームなど子供の頃以来した覚えなどなかったが、確かにあのゲーム機には見覚えがある。ということは、やはり俺のゲーム機なのだろう。もしかしたら、甥っ子が来た時の為にと用意したものなのかもしれない。
そう考えてみると、子供の横で苦戦しながらゲームをしていた記憶もちゃんとある。
(…………。あの子供、本当に甥っ子やったっけ……?)
ボンヤリとした記憶を手繰り寄せながらも、俺は目の前にいる嫁に向かって口を開いた。
「やっぱ俺のやわ。甥っ子が来た時に遊べるように買うたの、忘れとったわ」
「なんや、やっぱたけちゃんのか。忘れるなんてボケちゃったが?」
クスクスと笑い声を漏らす嫁を見つめながら、俺は騒つき始めた胸元を抑えて小さく顔を歪めた。
二十年以上前のあの時から、ずっと鳴りを潜めていたあの小さなモヤのようなもの。それは大きな不快感と共に再び姿を現すと、俺の胸の中で確かな存在感を増してゆく。
けれど、やはりその正体が何なのかは俺には分からなかった。
「茜こそボケたんでない? これ、誰の分のご飯や?」
俺は静かに涙を流すと、テーブルに置かれた一組の食事を指差した。
そこにあるのは、誰もいない場所に置かれた子供用の食器類。それを見ているだけで、何故か胸が締め付けられる程の悲しみが襲ってくる。
「あ、本当や。私ったら、ボケたみたい。うちには子供なんておらんのにね……」
そう言ってクスリと声を漏らした嫁は、穏やかな笑顔を浮かべながらも静かに涙を流し続けた。
─完─