ダーク・ファンタジー小説
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- 《宵賂事屋》
- 日時: 2024/12/18 07:10
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: IVNhCcs6)
貴族も貧民も関係ない。人々の欲が渦巻く薄暗い世界。
金さえ積めばなんでも引き受ける、闇社会の何でも屋――宵賂事屋はそこにある。
「やぁ、おきゃくじーん。本日はどれほどのご予算で?」
迷路のような路地裏を通り抜けた先。あやしくもにぎやかな露店街の一角にある店。
「君の願いを、強欲を、是非とも聞かせていただきたい」
白髪の少年は、そこで今日も金ヅルを待っている。
――――――――――――――――――――――
《目次》
登場人物(随時記載予定) >>1
一話《病という名の》 >>2->>6
1.>>2 2.>>3 3.>>4 4.>>5 5.>>6
二話《陽下、灰は散る》 >>7-13
1.>>7 2.>>8 3.>>9 4.>>10 5.>>11 6.>>12 7.>>13
三話 >>
――――――――――――――――――――――
【注意とジャンル】
・血が流れます。人が死にます。殺されます。
・ジャンルはダークファンタジー。剣と魔法の世界です。ナーロッパです。
・上手くないです。精進中です。
初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方はいつもお世話になっております。ベリーです。
連載短編の予定です。一話で終わる短い話を繰り返すヤツです。
三話完結予定です。
どうぞよろしくお願いします。
- Re: 《宵賂事屋》 ( No.4 )
- 日時: 2024/10/09 22:23
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: r2O29254)
3
太陽が真上にきて、そして少し傾いたお昼すぎ。
マモンはたるむ瞳を荒く擦って、あくびをふかしながら支度する。
「そーいや名前聞いてなかった」
「ジャン」
少年――ジャンから答えが返ってくる。
ジャンは頼みが届かないと諦めたのだろうか、朝よりも態度がふてぶてしい。
その顔が小生意気にみえるのはジャンが打ち解けてくれているからか。
ついさっき、ジャンに起きないからとハンモックから突き落とされたからか。
マモンは未だヒリヒリする背中を気にしながら、髪をまとめてカツラをかぶる。
「おまえ、ちゃんとヒトなんだね」
「ドーユー意味だ」
少なくとも褒め言葉ではないジャンの言葉に、マモンは顔をしかめる。
「白いところかくしてるじゃん。かくしたらヒトにみえる」
今のマモンは薄水色のカツラを被り、白色の方の瞳に眼帯をしている。
「君たちにとって、そーんな白色って不吉なの?」
「こわいよ。ヒトじゃない。生き物でもない。“この世の邪悪全てを煮詰めた色”って、本に書いてあるよ」
露出度が高い服に眼帯をしている少年だって、十分に怖いだろう。
白髪はもっと悪いものらしい。マモンはその感覚がよく分からなかった。だがこの世界の人々が白をよく思っていないのは分かる。
だからこうやって変装をするのだ。
ため息を吐いて、マモンはジャンを連れて外へ出た。
宵賂事屋は迷々街の露店街にある。
石の道は細く、庇が場所を取り合っていて直射日光はほとんど当たらない。
洋風のシャレた店もあれば、オンボロで怪しげな店もある。
「人、ちょっと多いよ」
「夜はもっとすごいよ」
マモンはなぜか自慢げに鼻を鳴らした。
街が起きるのは夜だ。
昼過ぎの今でこそポツポツと店が開いているが、夜は雑貨屋、風呂屋、魔法道具屋、色々な店が開いている。宵賂事屋もその一つだ。
その分、この狭い道に人がごった返すため移動は大変なのだが。
「てか、父親を助けたいって、母親はどーしたのよ。死んだ?」
マモンのノンデリケートな言葉に、ジャンは顔を歪ます。
「母ちゃんは昔にどっか行っちゃった。よく分からないけど、父ちゃんのシサン? 全部もって行ったんだって」
シサン――資産のことだろうか。
しかしスラム街に住んでいそうな子の親に、資産など大層なものがあるのか。
「ジャン、君さぁ。もしかして前はいい家に住んでたり?」
「え、うん。えっとね、石の家でさ。暖炉とかカーペットがあって暖かいんだよ。いっつも美味しいもの作れてさ、ベッドも柔らかくて、窓の外は綺麗な景色で……。うん、いい家だったよ。よくわかったね」
ジャンは笑顔を浮かべた。しかしどうにも影が拭えていない顔で、無理に笑っていることは明らかだった。
「母親は何やってたのよ」
マモンの言葉にジャンは考え込む。
「改めていわれると、何してたんだろう……。よく派手な服を着て出かけてたのは覚えてるんだけど……」
「それってさ。めっちゃ肌出てる服だったり? 胸元とか特に」
「あ! そういえばそうだった! すごい、なんでも分かるなマモン!」
ジャンが感心の眼差しを向ける。ただマモンはそれを素直に受け取れなかった。
恐らくジャンの母親は売春婦か、それに近しい人だったのだろう。
そして父親はある程度金を持っていた。
母親が蒸発した理由も察せられて、マモンは黙った。
「今の家はボロボロだけどね。父ちゃんも動かなくなっちゃって。今の家に引っ越してきた時は元気だったんだよ?」
「そーなん? 意外だな、普通落ち込んだりしない?」
「ううん、落ち込んではいたんだ。俺よりもすっごくさ。毎晩酒飲みながら泣いてた」
「ジャンはなんか声かけたの」
「初めは話そうとしてたんだけど、ちょっと話すと怒っちゃって。父ちゃん、怒ると歯止めが効かなくて、すぐ物にあたるし俺にも殴り掛かるし。怖くてしばらく声かけなかったら、いつの間にかすっごく静かになって、寝たきりになっちゃった」
思ったよりもジャンの家庭事情が酷かった。確かに、ジャンの体に古いアザがいくつかあったなとマモンは思い出す。
「そんな父親助けなくて良くない?」
「は」
ジャンがギロッとマモンを睨む。その一文字に怒りがこれでもかと込められていた。
「父ちゃんは本当はもっと優しいんだよ、優しかったんだよ! だから、今度は俺が父ちゃんに良くしたい。父ちゃんが苦しそうなのも、多分、俺が何も出来なかったからだし、怒らせたのは俺だったし……」
ジャンの声がうわずってきた。マモンがふと見れば、再びジャンは涙を浮かべていた。
また泣かせてしまった。罰が悪くなったマモンは顔を逸らす。
そんな話をしている間に二人は迷々街からでていた。
「なあ、どこまで行くんだよ」
「着いてきたら分かるよ」
「――俺の依頼は受けないんじゃなかったのかよ」
ジャンが不貞腐れたように呟く。マモンは「あー」と頭を掻きむしって、軽くジャンを小突いた。
「うるさい。分かるだろ」
「何がだよ。ちゃんと口に出せって」
「いや、だーかーら! わーかーるーだーろ!?」
「わーかーらーなーいって! 宵賂事屋なんて仕事やってんなら、やることもっとハッキリさせてよ!」
ジャンがマモンのマントを引っ張って叫ぶ。
思わずマモンは止まって、しかし意地が邪魔をするらしく頑なに口を開けない。
「仕事じゃなくて、マモンが個人的に助けてくれるのか?」
「バッ、んなわけないじゃん! 仕事だ仕事!」
慌ててマモンはジャンの襟をつかみ返す。
ジャンが嬉しそうしているのに気付いてマモンはハッとする。
「図ったな」
「よく分からないけど、依頼、受けてくれるんだな」
マモンはジャンを軽く突き放す。再び歩き出して「あー」と唸る。
「出世払いな。絶対払えよ」
迷々街どころかスラム街を完全に抜け切ったま昼間の世界。
あでやかな喧騒が響く。
巨大な広場にある噴水を素通りしてしばらく。大通りを外れた人気のない道。
小川が静かに流れている。ふと、植えられたばかりなのだろう小さな木が、マモンの視界に止まる。
マモンは木から道を隔ててある店に入った。
そこはバーのようであった。洒落たランプやロウソクは、昼の今は消え去っている。バーに似つかわしくない、昼の光で満たされた空間には一人の老人が。
「おや、マモン様。お昼に訪ねられるとは珍しい」
青い髪に優しそうな顔つきをした老人は、磨いていたガラスを机に置いた。
見たところ店は開いていないようだ。
「マスター。聞きたいことがあってきた」
マモンはズカズカと店内を歩いてテーブルソファに座る。
マモンが視線で「座れ」と訴えると察したのか、ジャンはカウンターに座る。
「おや、なんでしょう」
「薬なんだけど」
「マモン様、麻薬は取り扱えないと何度も……」
「いや、今回は普通の薬! 治療薬の方!」
自分がいつも麻薬をせびっているような言い方はやめて欲しいものだ。
マモンはいうほどせびってなどいない。最近は半分ぐらいは冗談である。
そろりとジャンの方を見ると呆れたような顔でみられていた。
「ほう、治療薬……。それは、そちらの方が求めておられて?」
老人――マスターの優しい瞳が、ジャンの方へと向けられた。
ジャンがビクッ、と肩を震わせる。
同年代のマモンとは気兼ねなく話せるようだが、大人が相手だとジャンはどうも緊張している。
「父ちゃんが、病気で。薬が欲しい。でも、お前酒屋? のマスターなんだろ。薬なんて知ってるのか」
酒屋ですか、とマスターは笑う。
「ええ。私は薬師ではありませんから、薬には詳しくありません。しかし、ツテならいくらかもっておりますよ」
「ツテ?」
「紹介が遅れた。コレはこの店のマスター、本名は忘れた。そして、僕らの世界ではちょいとばかり有名な情報屋だ」
「情報屋……って……」
有名なんてそんな、と困り顔だったマスターが答える。
「情報を売る商売を少々。しかし、本業はバーの店主ですよ」
「ってぇことでぇ? 僕らはマスターがもつ情報を買いに来たってワケ」
説明してもなおジャンは困惑の表情を浮かべている。
薄暗い世界での情報屋の立ち位置自体、掴めていないようだ。
明るい世界では一部の職についていない限り、情報屋が必要な場面などそうないだろう。それもそうだ。
「ねぇマスター。なんかー、アレ。どんな病気もなんでも治す万能薬とか、なんかそんな凄いモノない?」
「流石にそのような代物は聞いたことがないですね……」
マスターが申し訳なさそうに苦笑する。
ジャンの表情が歪む。
「万能薬は、の話ですが。お客様のお父様は、どのような病気であられるのでしょうか……?」
言われて、ジャンはしばらく黙っていた。
「父ちゃんは――」
ようやく言葉を紡ぐ。
溢れでるものを抑えるように、少しづつ丁寧に吐き出すように。
しかし堰なんて簡単に壊れてしまう。ジャンはすべて吐き出し、バーにはわめき声が響いていた。
偽医者やエセ魔術師にもこうやって泣いて話していたのだろうか。
なんとなくムカついてマモンはソファに倒れた。
4 >>5
- Re: 《宵賂事屋》 ( No.5 )
- 日時: 2024/10/09 22:27
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: r2O29254)
4
どうしたものか。
カラカラとした茜の色の腹の中。マモンは密かに眉間にシワをよせていた。
舗道されていないデコボコの砂利道とボロボロの家々。王都の外壁にそってあるスラム街を、マモンとジャンは歩いていた。
ジャンはマスターに父親の状態を話した。
ジャンの話から汲み取ると、父親は酒と麻薬に溺れていたらしい。しかし徐々に元気もなくなり、今は死体のように寝たきりだとか。
そこでマモンとマスターにある悪い予感が浮かんでいた。
しかし実際にその父親を見なければ判断ができない。
そういう訳で、マモンたちは今ジャンの家へ向かっている。
ジャンの家は今にも崩れそうだった。薄っぺらい木板が辛うじて家と外の境界線を作っている。
ただいまー。とジャンは家に入る。さっきよりテンションが高い気がする。
酷い荒れようだ。スラム街だからといえど、衣食住はなんとか大事にするところが多い。
しかしここは違う。家を修復しようとする意志など見えない。
そもそもの、生きる意欲さえ見えなかった。
「マモン、これ、俺の父ちゃん」
希望の兆しが見えたからか、はたまた同年代に家族を紹介することが嬉しいのか、ジャンの声は心做し弾んで聞こえる。
徐々に冷たくなる空気と、ぬるりと喉をナメクジが通ったかのような生臭さは、マモンの顔にシワを刻む。
ぺしゃんこになった敷布団に男が寝転がっている。
ガリガリにやせ細っていて、骨に皮だけが被さっているようだ。
伸びっぱなしの髪と髭で顔がよく見えない。ブンブンと飛び回る虫を手で払いつつ、マモンは毛をどかし顔を見る。
「うーん、酷い顔」
開きっぱなしの双眸は焦点があっていない。口はなにか求めるようにパクパクと動いて、ヨダレがだらっと垂れっぱなしだ。
「――り」
男がなにか言った気がして、マモンは耳を近付ける。
しかしそれから男は声を発さない。
もう一度言ってくださーい、と声をかけてみれば、男が息を吸ったためマモンは耳を近付ける。
『――を、くれ』
「ん、なんか欲しいん?」
『――をくれ』
「何をくれって?」
男の不潔も気にしないで、マモンは口元のすぐ側まで己の耳を寄せた。
と、男が動いた。やせ細ったといえど、男の大きな両手がマモンの頭蓋と髪を掴んだ。
ヒヤリと肝が冷えて、世界の音が遠くなった気がした。
『クスリをくれ』
ぼやけた世界で、その一言が鮮明に、マモンの鼓膜を震わせた。
「ッ――!」
マモンは耳を抑えて男を突き飛ばした。
「父ちゃん!」
傍でみていたジャンが男に駆け寄った。
「マモン、父ちゃんがごめん。なんていわれたんだ?」
「クスリをよこせって言われたよ」
「ああ、いつも言ってるから。あんまり気にしないで」
マモンの嫌味はあらぬ方向へ飛んでった。
俺が父ちゃんの病気の薬を見つけられないのが悪いんだ、と。ジャンがボソッとこぼす。
マモンが嫌悪したのはジャンにではないというのに。
ただそれよりも、ジャンの「いつも言ってる」という言葉でマモンはある判断がついた。
マモンはカツラと眼帯を外す。
なんの色も感じない、真っ白な表情で口を結んだ。
空が瞑色に侵される最中、冷たくなりゆく部屋の隅、マモンは淡々と告げた。
「ジャン、コイツの病気が分かった」
ジャンの表情がパァッと晴天のように明るくなる。
「そうなのか!? なぁ、父ちゃんはどうなってるの。なんの薬を探せばいいんだ!」
今からマモンは現実を突きつけなければならないのに、希望に満ち溢れたその顔が、彼はうざったらしくて仕方がなかった。
だから、絶望を突きつけてやりたいのだ。きっと、そうなのだ。
マモンは自身にそう唱えて、ハッキリと言った。
「薬はない」
戸惑い。ジャンの眉が歪む。
「どぅゆうこと?」
「そもそも、コイツはジャンが思ってるような病気じゃない」
「え、なにが? え?」
「体の病じゃない。精神の病だ。そもそも病といっていいのか、医者じゃない僕には分からない」
「なにいって、なにがいいた――」
「薬じゃ治らない。薬だけじゃ治らない。上質な治療を長い年月をかけてかけつづけ、それでも治るか分からない」
「父ちゃんは、そんなに重い病気なのか……? どこが悪いんだ? お腹か?」
マモンの表情は彫刻のように変わらない。
無機質な双眸で、曇り始めたジャンを刺す。
「そうか。じゃあ、君にはこういった方がいいか。コイツは病気じゃない」
ヒュ、とジャンの息が鮮明に聞こえた。
ジャンはまだ精神の病を理解できないとマモンは判断した。ならこういった方がわかりやすいだろう。
「女に逃げられ金を失い薬に壊されて、頭がおかしくなってるだけだよ。心が壊れてる。もう元には戻らない。薬も効かない。君には何も出来ない」
だからマモンは強い言葉を選ぶ。
ジャンが分かるように。なにも分からないように。
「ぇ、え?」
一度に押し寄せる情報と感情にジャンは追いつけていないらしい。
彼が戸惑っているのは明らかだ。
しかし――いや、だからマモンは間髪入れない。
「君の前にある選択肢は二つ。治らぬ病に苦しんで死にゆく男を看取るか――」
マモンの手のひらに魔法のエネルギー――魔素が集まる。
紫の光はみるみる間に結晶となり、鋭利な刃を作り上げた。
マモンは、瞳孔が揺れるジャンの手のひらにソレを握らせる。
「――君が、殺すか」
至極色。世界の色が変わる。
ジャンは冷たい手を震わせた。
交雑する情報と感情のなか、「殺す」という言葉が強く残ったのだろう。
「っ、やめっ――!」
ジャンはマモンの手を払った。
カランっカランっ、と結晶の刃が転がって光となって消えてった。
依然マモンの双眸はジャンから離れない。ジャンの答えを急かすように。
ジャンはなにも言わない。言えないのか。呼吸の音だけ強くして、ジャンは顔を歪ませる。
沈黙が重い。
「――ふっ、あっはははは!」
それを、マモンが破り去った。
「そーっか、そーんなにコイツを治したいか。お父さん大好きだねぇ、ああ! 結構結構こけっこー。君の気持ちはよぉーく分かった」
氷点下のような表情から打って変わって、マモンはピエロのように笑顔であり続ける。
「だから、質問を変えよう」
パン、とマモンは胸の前で手を叩く。
暗い部屋で白いマモンだけが光り輝く。その白はあまりに不気味で、“この世の邪悪全てを煮詰めた色”だった。
「君は、どうしたい?」
「どうって、どうって、なに?」
「お父さんを治して、幸せに暮らしたい?」
「うん」
「十年も二十年も、ずーっとお父さんの傍で看病することになっても?」
「……うん」
「それとも、早くお父さんを楽にしてあげたい?」
「……」
ジャンは押し黙る。再び訪れる沈黙。しかし先程とは違う。
ジャンが逡巡している。彼なりに必死に答えをだそうとしている。
俺は、と。ジャンはつっかえながらも言葉を落とす。
「――苦しい父ちゃんを、みたくない。それで父ちゃんの病気が治るなら、いいけど。でもずっとずっと、長い時間見てるのは嫌だ。死ぬのが決まっちゃってるなら、もっといやだ」
「じゃあ」
「でも! でも、でもでも、でもさ……」
ジャンは自分の服を破けそうなぐらいに引っ張る。真っ赤な顔で歯を噛み締めて、震える声で、叫んだ。
「殺したくないよ! 父ちゃんが死ぬのなんて、いやだよっ! いやだ、殺したくない! 死んで欲しくない! でも、苦しむ父ちゃんも、いやだよぉ……」
堪えきれない切なさと戸惑いが幼いジャンの喉を圧迫し、そのまま舌にのって吐き散らかされた。
今ここで男を殺すのも、このままここで衰弱死するのもジャンは嫌らしい。
マモンが提示した以外の選択肢もあるにはある。
僅かな可能性にかけてジャンが男を治療することだ。
治るかも分からない廃れた心を、何年も何年もかけて。
マモンはそんなことをジャンにさせたくなかった。
子供に殴り掛かる親だ。そんな親のために、どうしてジャンの時間も精神も費やさねばならないのだろう。
極小の希望をチラつかせ、ジャンさえも潰してしまうのか。
それぐらいなら、希望などない方がいい。
マモンの勝手な判断だった。
「――わかった」
マモンは、しゃくり声をあげるジャンの頭を撫でた。
背はあまり変わらない。ジャンが少し大きいかもしれない。
マモンは腕をあげてジャンの涙を拭って、その手を彼の頬にそえる。
「僕は宵賂事屋だ。依頼者の願いは、できる限り叶えたいと思っている」
「――」
「だから、今僕ができることは。考えられることは、これだけだ。――悪く思うな」
ジャンの表情から温度が抜けた。
「ま、まっ、て。マモ――」
マモンは宵賂事屋だ。
夜に働く汚たない何でも屋だ。
方法なんて選ばない。依頼はこなせさえすればいいのだ。
だから振り返ってはならない。
痩せている首を掴む。
生暖かい脈を絞める。
五感の全てを殺して、気持ち悪く脈打つモノを潰すのだ。
「――! ――ッ‼︎」
鐘の音の残滓のような耳鳴りが強く響いてる。
男がマモンの手を引っ掻いて赤い跡が重なる。
見えて、聞こえて、痛みがあるはずなのに、マモンは全て他人事に思えた。
ジャンがマモンに掴みかかる。
髪を引っ張られて、マントを掴まれて、頬を強く叩かれて揉みくちゃだ。
もう何が何だかわからない。
感覚が混濁する中、男の首だけは鮮明に見える。
「――! ――っ、――ッ‼︎」
無理に吹いた笛みたいな、甲高い子供の悲鳴が響いている。
それがジャンのものなのか自分のものなのか、マモンももう分からなかった。
気付いたら男はもう死んでいた。
しかし二人の取っ組み合いは終わらない。カヒュ、コヒュ、とカラカラな喘ぎ声が重なり続けている。
「ぅ、は、ぁ――」
パタンと、糸が切れた人形のようにジャンは座り込んだ。
肩で息をして引っ掻き傷がある腕を抑える。
先程までの騒ぎが嘘のように部屋は静まり返った。
ボヤボヤした世界の音が徐々に戻る。お互い脱力して息を整える。
布が擦れる音がしてマモンは顔を上げた。
ジャンが這うように、男の傍によっている。
「父ちゃん」
ねぇ、父ちゃん。ジャンが何度も掠れた声で呼びかける。
男は動かない。当たり前だ。マモンが殺したのだから。
手のひらに男の脈が残っている感覚がして、マモンは右手を床に擦り付ける。
「とぅちゃん……」
やるせない声だった。
どうして、それほど父親の死に悲しむのだろう。
母親が蒸発する前はどうだったか知らないが、その男は癇癪で子供に当たるようなやつだったのだろう。
どうして、それほど悲哀にふけられるのだろう。
マモンは疑問に思いながら聞くことはしなかった。
聞けばもっとジャンは泣いてしまいそうだった。
マモンは綿人形のようになってしまった気がした。空っぽで重い体をのしりと起こす。
引きずるように歩いて、マモンはジャンと男を見下ろした。
「マモン――」
ジャンの吐く息一つには感情全てが込められていた。
真珠色の瞳でマモンはジャンを見つめ返す。
睨み合いが続いて、先に目を逸らしたのはマモンだった。
「依頼料。貰うから」
マモンが男を担ぎ上げて歩き出す。
呆然としていたジャンは絞り出すように声を出した。
「なん、で――」
「死体は高く売れる」
ジャンの息を吸う音が鮮明にした。
マモンは男を背負って歩く。体格差もあって男の足はズルズルと引き摺られた。
夜の風が体を冷やす。玄関の垂れ下がっているボロ布の下をくぐり抜けようとした矢先。
「――し、人殺しっ!」
そんなもの彼らの世界では貶し言葉にすらならない。
もちろんマモンは足を止めない。
「――しろ、シロ、白‼︎ 白ッ‼︎」
放ってはマモンへ辿り着く前に消え失せる、言葉未満の雑音。背後からのソレが大きさを増す。
「白が、白がぁっ! 白の魔女がぁッ‼︎」
この世界において最大級の暴言がマモンに追いついた。
白、白。魔女、魔女。世界を壊した白の魔女。
親をなくした少年の血を吐くような絶叫。
どうしてと、溢れた怒りも悲しみも後悔も、濁流のようにマモンを追いかける。
逃げるように逃れるように、腕も振れず、耳も塞げず、言葉を返せないもどかしさを感じることも許されず、ドロドロとよろけながら走ることが、マモンにできる精一杯であった。
5 >>6
- Re: 《宵賂事屋》 ( No.6 )
- 日時: 2024/10/09 22:34
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: r2O29254)
5
地下街にある真っ暗闇の店。空色髪のマモンはカウンターに死体を置いた。
でてきた店員は毛むくじゃら。骨格もヒトじゃない。獣人族と呼ばれる。
獣人族は硬貨を差し出す。無表情。マモンも無感情で受け取る。
カツカツ。高い足音が響く。外にでても真っ暗だ。路地裏には光が入らない。
ふと目先に男が。マモンは目が悪い。更に暗い。店内よりはマシだ。が、何も見えない。
けれどマモンは魔素で物体を感じられる。男は晟大だ。
晟大はマモンの横を歩く。月光が入った。晟大の表情が見える。
二人は視線をかわす。逸らす。沈黙が続く。
「売ったのか」
先に晟大が口を開く。
「なにを」
「子供の親の、亡骸を」
「なんで知――」
「マスターから聞いた。ジャンのことも」
名前知ってたのかよ。なんて呟きをマモンは潰す。晟大が見込んだ者の名を聞いてないわけない。
「それが仕事だ」
「何故殺した」
「仕事だ」
「他にも方法はあった」
「宵賂事屋に最善を求めるな」
「ジャンは、この先苦労するだろう。どう食っていくんだろうか」
「さぁ」
「恐らく野垂れ死ぬ」
「だろうね」
「人は、殺すもんじゃない」
「君はそうなんだね」
カツン、コツン。石畳と革靴が叩き合う。黒と、僅かに白が入る。路地裏は続く。石に囲まれた世界。
「人を殺すのは簡単だ」
晟大の声は冷たい。
「大抵の揉め事は人を殺せば終わる」
鼻腔から空気が這い出た。
「殺し合うのが一番楽だ」
マモンは右手を握る。マントに擦った。
「だから皆、最善を探さなくなる」
頬がヒリつく。引っ張られる感覚。まだ残っている。
「本心も見ようとしなくなる。極小でも確かにある可能性を、見て見ぬふりして殺しに逃げる」
殺したくない。苦しませたくもない。矛盾を直視した少年がいた。
でも怖いだろう。泣く子が。叫ぶ子が。懇願する子が。希望に踊らされ絶望するのは。
それなら、希望なんてない方がいい。
「腰抜け」
「違う‼︎」
マモンの叫びが響いた。
さっきの否定が自分の口から出たことに、気付いて思わず口を覆う。
「なにが違う」
「――ッ!」
声にならない声がでる。冷たいはずだった世界。白と黒しかない景色で、マモンの前髪から赤い瞳が覗いた。
「煩いッ! あの場にいなかった君に何がわかんだよ、なぁ? お前なんてジャンを宵賂事屋に連れてきたぐらいしかしてないじゃないか。誰が偉そうに頭垂れてんだよダボがッ!」
じわりとマモンの額から汗が流れた。熱気に包まれてゆく感覚がする。
「ワタシは気に入った子供に機会を与えただけだ。救われるかどうかはジャン次第。救う道理はない」
「救おうとも助けようともしなかった奴が、僕に文句いう権利なんてねぇーだろっ! 僕だって救う理由なんてない! あんな金なし客にならない!」
「でも助けようとした」
「してない! 僕は宵賂事屋だ、金さえあれば――」
「ジャンに金はなかった」
マモンは思わず息を吸い込む。吸った息を溜めて、反論しようにも何も出て来ない。
ただ冷たい空気が口を出入りする。マモンはようやく、自分が冷たい裏路地にいたことを思い出した。
「ジャンの親が生きるつもりだった“その後”は、気が遠くなるほど長い年月で、一言じゃ言い表せない感情と経験があった筈だ。それは、一瞬にして、消えてなくなってしまえる。この意味がわかるか、マモン」
「――あの男が生きるつもりだったのかも、分からないじゃん」
「そうだな。だが、生きるはずだった時間はあった。ジャンと笑い合う未来もあった」
「んな未来なんてないに等しい」
「でも確かに“あった”。そして、お前はそれを“消した”」
「――さっきからずっとガタガタ抜かしやがって、結局何が言いたいんだよ‼︎」
街灯が届くところまできて、晟大の顔が照らされていた。
刻まれたシワとたるんだ頬。いつも通りの仏頂面だ。
説教染みた会話だったのだから、てっきりもっと怖い顔をしているとマモンは思っていた。
むしろほんの少しだけ、なんとなくだが、マモンは彼から哀愁を感じた。
「潰してしまった未来の責任を負わなければならない」
「責任って――」
「言ったろ。恐らく、ジャンは野垂れ死ぬと」
ようやっとマモンは晟大の言いたいことが分かった。
回りくどく、説教臭く、上から目線で頭にくる会話だった。
だが直球に伝えられたらマモンはきっと、意固地になって全てを否定していただろう。
「責任、責任ね」
マモンはポケットから硬貨を取り出し、ピンツとトスする。
「存外、死体が高く売れたし。働いてやらなくもないけどさ」
ここまでして、空腹で死なれてはマモンも気分が悪い。
ブロンズの硬貨が月と重なる。無機質な夜がどこまでもどこまでも続いていた。
◇
喧騒が響く市場は今日も賑わっている。
「えっと、二十ヨルね」
その一角にある露天商。少年はたどたどしく銅貨を数えた。
「はい、二ヨルの釣り!」
「ありがとね」
女性が店から離れていって、ジャンは一つ息を吐いていた。
外が赤く染まりはじめた。もうそろそろ店を閉めろ、と店主が指示をする。
ジャンは適当に返事する。店頭にはもう僅かな果物しか並んでいない。
土台の箱ごと持ち上げればゴロゴロと音が鳴る。
ある程度片付けて、手が痺れたらしいジャンは背筋を伸ばす。
手についた果物の匂いを嗅いで、手を握る。
「ぼけっとしなさんな、はやく店じまいしてちょーだい」
店主の中年女性がジャンを急かす。
「うー、うるさい。いわれなくてもやーる!」
「ま、人見知りなくせに生意気なんだから」
二人で店じまいを始める。この店は、女性店主とジャンの二人だけで運営している。
「もうすぐしたら王都から出るんだから」
「分かってる。次は東の寒いトコ行くんだろ」
街の名前は忘れたけど。とジャンが呟やくと同時に片付けが終わる。
夕日に照らされる、商品が並ばない露天は見ていると寂しい。
「アンタ、ここの育ちなんでしょ? ウチで働いてくれるのは嬉しいけどねぇ、雇われてすぐで、故郷を離れていいのかい? もうちょっといてもいいんだよ?」
「変な気使わなくていいから、オバサン」
「オバッ……アンタねぇ」
女性店主。もといふくよかなオバサンは怒り半分呆れ半分でため息をつく。
彼女らは旅商人をやっている。今回は半年ほど王都にいたようだが、もうそろそろ離れるらしい。
「あと、今はなるべくはやく王都から出たい気分」
伏せ目で落としたジャンの言葉に、なにか思うことでもあったのか。
オバサンは慈しむような表情を浮かべる。
「王都ネニュファールは嫌いかい?」
「別に。好きでも嫌いでもない」
自分の荷物をまとめ、ジャンは肩にかけた。
「でも今は、ここにいたくない。けど、五年後ぐらいに戻ってきたいよ。いつか、大人になったとき。話したい人がいる」
「そう、五年後ね。それぐらいには、また戻ってきてるわよ」
帰りましょうか。オバサンがジャンの頭を撫でる。
ジャンは満更でもなさそうに歩き始めた。
徐々に宵に染っていく空。ふと、オバサンがこちらを向いた。
夕日が沈む進行方向ではなく、斜め後ろ上の、意識しなければ向かないであろうこちらを。
屋根の上、マントをたなびかせるマモンは目を細める。バッチリと合った視線。
オバサンは目を細めて、視線を逸らし去っていった。
「……結構遠くにいるつもりだったんだけど、普通気づく?」
発言とは裏腹にマモンは笑った。
彼女とマモンはちょっとした知り合いであった。
一人で旅をしているというから、ジャンを紹介してみれば即採用された。
マモンがオバサンにジャンを紹介したこと、マモンとオバサンが知り合いであること、ジャンはどこまで知っているだろうか。恐らく何も知らないだろう。
なにより、これで余程の事がない限りジャンが野垂れ死ぬことはない。
夕日に照らされ、新しい家族にぶっきらぼうな笑みを浮かべるジャン。
マモンは人知れず彼を目で追い、ふと目をそらして、宵の方へと溶けてった。
「もう宵賂事屋になんて来るなよ」
誰かに届かせる気もない呟きが、ボトンと、闇夜の底へ消えてった。
終
- Re: 《宵賂事屋》 ( No.7 )
- 日時: 2024/12/18 06:54
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: IVNhCcs6)
二話 《陽下、灰は散る》
1
真っ暗な夜空。真っ暗な部屋。冷たい暖炉も闇に溶けている。
暖炉の傍に腰掛ける少女は、感覚がない指先に息をふきかけた。白い息が広がる。何度も、何度も、何度も。
――暖かいものが欲しい。
なんでもいい、なんでもいいのだ。
体の芯から広がるような暖かくて、安心できる何かが欲しかった。
本に書いてあった“すーぷ”とか“フトン”とか、そんな暖かいものが欲しい。
けれど少女はそれがなんなのか想像ができない。
写真なんて見たことがないし実物なんてもってのほかだ。
少女は真っ赤な細い指で一冊の本を手に取った。読み込んだのであろう、くたびれている。
窓からの光を頼りに少女はページをめくる。楽園を目指す男の御伽噺だった。
誰よりも強く芯がありみんなの先頭を突っ走る男。そんな男にも弱点がある。一人は怖いことだ。
仲間と手を取り合わないと脅威に立ち向かえないほど臆病であった。
『この手を握ってさえくれれば強く握り返すことを誓おう。誰か私の傍にいてくれ。一人は怖い。一人は寒い。貴殿らが、仲間がいると暖かい。光があるから前を向ける』
少女は文章を視線でなぞって目を細める。
「“ナカマ”は、暖かい――」
どれほど暖かいのだろう。指先が温まるのだろうか。足先の痛みがなくなるのだろうか。
少女は思いを馳せる。
「光があるから前を向ける――」
少女は窓の外に目を向けた。この部屋唯一の光源、月がぽかりと浮かんでいる。
真っ黒な世界に真っ白な月。外に色なんてなくて冷たい、冷たい、冷たい。月の光も冷たくて、吸ったら喉がヒリついて痛い。
光があるから、なんで前を向くのだろう。
実際の光はこんなにも冷たいのに。中途半端に照らしてくれるぐらいなら、光なんてあってくれなくていいのに。
バサリ。本が手から滑り落ちた。もう何かを掴む力がない。
「月なんて、大嫌い」
濁った声をこぼしたって誰も気づきやしない。だって誰もいないんだもの。
それが余計に悲しくて、耐え難くて、少女は膝に顔をうずめた。
気付いて欲しい。この声を。
知って欲しい。悲しいことを。
――私はここにいるって、誰か、教えて。
ダン!
遠くの方で物音がする。ただの家鳴りだろうと少女は意識を逸らす。
タッタッタ。
その家鳴りは激しさを増して近づいてくる。家鳴りにしては騒がしいと少女は顔を上げた。
「ひぃー! まずいまずい。あっ、この部屋鍵かかってんじゃん。魔法の鍵? 僕を誰だと思ってんだよ。こんな鍵なんてほほいのほい、よ!」
弾むような声が静寂をビリビリに破り散らかす。共に扉が開かれる。
「おっ邪魔しっまぁ……すぅ……?」
威勢よく入ってきた声の主は、少女を視界に捉えた瞬間萎れた声をだした。
少女の心臓がドクンと痛いほどに跳ねる。
月のように真っ白な髪、真っ白な瞳、真っ白な肌。片方の瞳だけ赤色で不気味さを増している。
黄色のマントをたなびかせる少年――マモンは、間抜けな顔で呟いた。
「――白髪!?」
少女。月光に染まったような真っ白な髪と白皙の肌。
唯一色がある瞳も、申し訳程度に青が添えられたようなベビーブルーだ。
真っ白な少女。対して、白い少年は声を失った。
◇
若返りの薬。
そんな馬鹿げたものがこの世にはあるらしい。
色彩が失せた冬のある日、宵賂事屋を尋ねた依頼人の戯言だ。
曰く、裏社会の一部で噂になっている代物だそうで。
一滴でも口に含めば、たちまち傷は癒えて病も消え失せ、寿命すらも伸びるらしい。
そういえば二年前、どんな病気もなんでも治す万能薬とか、なんかそんな凄いモノを探していたような気がする。
マモンは逡巡して、思い出せそうにないからと諦めた。
依頼人はお貴族様らしく、若返りの薬とそのレシピを欲していた。
オカルトに興味がないマモンであったが、依頼人が思った以上に太っ腹で、金に目が眩んで思わず依頼を受けてしまった。
マモンは主にマスターによる情報で薬の出処を掴み、諸々を盗むためにやってきた。
まさかその出処が貴族の屋敷とはマモンも思っていなかったが、お屋敷への侵入は彼の得意分野である。むしろ都合がいい。
そんなこんなでやってきた訳だが、初日の侵入で用心棒に見つかってしまった。
別館にある奥の部屋にマモンは辛うじて逃げ込んだ訳だが――。
「ねずみぃ!」
甲高い声とともに扉が開けられた。部屋にいた白髪の少女は大きな音に体を跳ねる。
煌びやかな服をまとった紫髪の女性が鬼の形相でいる。
「おかぁさん……」
少女のか細い言葉に女性はキッと睨みを利かせる。
「母親なんていわないで気色悪い!」
ヒステリックな声に圧倒的された少女は身を縮める。
「魔女。ここに子供が来ていましたでしょう。お答えなさい」
少女は魔女と呼ばれているらしい。女性から溢れ出るオーラが「嘘は許さない」と主張していた。少女は首を振って否定。
「チッ。こんな寒い部屋にくるわけありませんわね」
言い残して、女性は大袈裟に扉を強く閉めて行ってしまった。
扉の向こうから大人数の足音がする。さっきの女性の甲高い指示がいくつかしたあと、人の気配は遠のいて行った。
ホッと息を吐く。天井に張り付いていたマモンはくるりと着地した。
「やー助かった助かった。この屋敷の用心棒、他んトコより手強くてさー。まさかこの僕が見つかるとは……」
カラカラと笑うマモンを少女は困惑顔で見つめている。
それもそうだろう。マモンは泥棒だ。匿ってはくれたものの好意的とは限らない。
マモンは改めて少女をじっと見る。白い髪に白い肌、瞳だけは早朝の空のような薄い水色をしていた。
耳の先が尖っていて先は真っ赤に染まっている。幼いようであるがマモンよりは歳上に見える。
まずは話さねば。マモンはマントを広げてうやうやしく礼をする。
「自己紹介が遅れたね、僕はマモン。宵賂事屋と呼ばれる何でも屋をやっている――泥棒だね!」
満面の笑み、両手サムズアップで最悪の自己紹介。少女が余計戸惑っている。
「泥棒、といっても君に危害を与えるつもりはない。僕を匿ってくれたし、なにより女の子だからね。麗しいお嬢様、お名前をお聞きしても?」
マモンは流れるように少女の手に自分の手を添えた。
冷た。思わず声がでそうになったが、マモンは何とかポーカーフェイスを保ったままでいられた。
少女の視線が泳ぐ。名乗るべきかどうか悩んでいるらしい。
しばらくして、少女はゆっくりと口を開ける。
「魔女。白の魔女」
白の魔女。マモンの頭の中で反芻する。
太古の昔に世界を滅ぼした最悪の災厄。
白い髪に白い瞳、白い肌、災いの色とされる白を身にまとっていたといわれている。
いや、魔女が白をまとっていたから白が災いの色になったというべきか。
「白の、魔女? 君、白の魔女なの? 目は青いけど」
マモンの問いに分からないと少女は首を振った。
「お母様がそうやって呼ぶの」
「他の人は?」
「他の人……? お母様以外と会うのはあなたが初めてかも……」
「マジか」
そういうマモンも自分以外の白髪を見るのは久しぶりだ。
家族以外だと初めてかもしれない。
「え、じゃあ名前は?」
マモンの疑問に少女は首を傾げた。どうやら「白の魔女」こそが名前らしい。
魔法の鍵がかかったこの部屋に幽閉されていて、母親らしき女性からはあの扱いだ。
更に少女は、母親とマモン以外とは会ったことがないという。
娘として扱われていないらしいのは間違いなく白髪が原因だろう。
マモン自身は白髪の弊害はあまりない。
魔女と指をさされることはあるものの家に帰ったら忘れている、その程度だった。
けれど生まれが違えば自分も、この少女のようになっていたかもしれない。
マモンは真っ白なまつ毛を伏せて、へたり込む少女に視線をやる。
「君のソレ、名前は名前でも蔑称だから」
「ベッショウ……?」
首を傾げる少女にはぁ、とマモンは大きくため息を吐く。
「君を貶す名前。別に僕は君がどんな名だろうが関係ないし興味もないんだけどさ。僕も白の魔女っていわれてる訳。だからややこしいんだよ。別の名前名乗れよ」
「別の名前……」
少女は言葉に詰まってだんまりだ。
「名前。分かる? なんでもいいんだよ」
「分からない……分からない、から……」
少女はか細い声を絞り出す。
もう「分からない」ちゃんにでもしてやろうかと思った矢先、「あ」とマモンは呟いた。
腰のポケットをまさぐると枝がでてきた。真冬の枝には枝と同化したような蕾が一つ、ついている。マモンは力を込めて魔法を使う。
枝が淡く光って、部屋に新たな光源が生まれる。
俯いていた少女は顔を上げ、目を見開き、その枝をじっと見つめる。
蕾の先から染まるように緑が広がる。蕾は広がり、先がピンクに染まって軸が伸び、ふわりと花びらが広がった。
冬真っ只中に桜が一輪咲いた。
少女の顔からは戸惑いが消え失せ、目の前の春に目を輝かせるばかりだ。驚きと喜びで頬を桜色に染めている。
「なにこれ……?」
「桜」
バーの前に落ちていた桜の枝だ。バーの前には桜が一本生えていてそこから落ちてしまったのだろう。
その桜もマモンが植えたもので、勿体ないからと、なんとなく拾ってなんとなくポケットに入れて、それでそのまま忘れていた。
「君、ヒカね」
「?」
「名前だよ名前、君の仮名。なかったら不便だし。ああ、これあげるよ」
マモンは咲いた桜の花をぽん、と投げた。少女――ヒカは慌てて枝をキャッチする。
「ひか。ヒカって、何? このサクラ? と関係、あるの……?」
「なくはない。由来にしたぐらいだよ。君、特徴なさすぎて名前が思いつかなかったから」
「なんでヒカなの? ヒカってなんなの? 由来って何?」
さっきの戸惑いはどこへ飛んで行ったのやら、目を輝かせてヒカが迫ってくる。
適当につけたつもりだったマモンはウゲェと顔を歪ませる。
やっぱり「分からない」ちゃんの方がよかったか。若干の後悔を覚えつつ、迫られるのも面倒なためマモンは答えた。
「飛ぶに花で飛花。桜が飛び散るようすの言葉だよ」
「なんで私はヒカなの?」
「え、うーん……」
マモンは見ず知らずの奴の名前なんてどうでもよかったのだ。
ただ桜を見てパッと思いついたのがその言葉だっただけ。
「君、すぐ散っちゃいそうだから?」
ヒカは小首を傾げる。イマイチ伝わっていないらしい。
分からないなら分からないでマモンはいいのだが、ヒカは「どういうこと?」と説明をせがんでくる。
これはヒカが納得しない限り続くようだ。あー、とマモンは後頭部をかく。
「飛花落葉って言葉があってな。いくら絢爛な花だって青々と茂る葉だっていつか散る。世界は意地悪だから、全ては変わり続けるんだ。だからぁー、君はーアレだ。今から変わり始める的な」
マモン自身、無理があると思いながらなんとか話を締める。
そんなこと全く考えていなかったのだが……。とりあえずこのお嬢様が納得さえすればいいのだ。
飛花落葉。世界の無情さを表す言葉。それを添えて「貴方は今から変わります」なんて悪い意味にしか聞こえない。下手な占いよりも酷い。
けれどヒカはぱあっと顔を輝かせる。バカで良かった。マモンはホッと息をつく。
「ヒカ、ヒカ! ヒカラクヨウ? も不思議な言葉、本でも見たことない!」
ヒカの主な情報源は本らしい。マモンは本棚を視線でなぞる。
すっからかんの本棚に童話集が数冊倒れている。王都周辺で有名な童話を集めた本らしい。
「元は西の大陸から来た言葉らしいしね」
「にし?」
「西の大陸は海を渡った、地図の左側にある所だよ。和文化――こっちでは夜式文化っていうんだっけ。とにかく文化が違うところ。西から漢字が渡ってきて、東の言葉とごっちゃになったものがこの世界では使われてる」
飛花落葉なんて王都において特殊な言葉ではない。
漢字や、みたことがないミミズみたいな文字がごっちゃになったものが、この世界では一つの言語として使われているのだから。
けれどこの本は作品の雰囲気を守るためか、夜式文化ぽいものは極力削られているらしい。
ヒカが飛花落葉を不思議に思ったのはそのせいだろう。
「ブンカが違うとなにが違うの?」
「えっ? えー? き、着る服とか? あと食べ物とか建物とか、かな」
「こっちのブンカ? はなんていうの?」
「西洋文化……じゃなかった。ここ東の大陸だわ。王都の文化は白昼文化、らしい」
「オウトってなに? ここの名前?」
「王都はここの名前で……」
「白昼文化と夜式文化の他に文化はあるの?」
「えっ? 黄昏文化とかあるらしいけど……」
「黄昏文化ってなに?」
「……」
「お昼と夜と夕方があるの? それだけ?」
「……」
「他には? 他には?」
「ああぁ! もううるさい! 僕だって知らないこの世界の事なんて!」
地理になんてマモンは興味がない。
宵賂事屋が運営できてさえいればいいのだから、勉強を進んでしようとも思わないのだ。
「というか僕は泥棒で……いっ!」
マモンの瞳に刺さるような感覚が走る。目が痛い。思わず手でおおう。
痛みが和らいで目を開く。物理的になにか刺さったわけではないらしい。
うっすら目を開けると扉の向こうから陽が顔を出していた。陽の光に目がやられただけらしい。
「もう朝かよ……」
ふと見ればヒカは光が当たらない窓のそば、端っこにうずくまっていた。
どうした、とマモンが声をかけるとヒカは寂しそうに呟く。
「光、苦手なの。当たると痛いから……」
「あー。僕ら白髪ってなんか陽に弱いよね。すぐ水脹れができるし眩しいし痛いし」
マモンは右の白い目に眼帯をつけて対策をする。
「って訳で僕は帰るから」
「まって!」
窓枠に足をかけたそのとき、ヒカがマモンを呼び止める。
「また、くる?」
「こんな面倒臭い場所二度と来たかないね。ま、仕事だから。収穫があるまで来なきゃいけないんだけどさ」
「そっか……。明日もくるんだ」
陰に座るヒカは頬を緩めた。
「言っとくけど、僕泥棒だから。悪いヤツだから。分かってる?」
「でも、私に悪いことはしないんでしょ……?」
そういえばそんなこといった気がする。マモンは苦い顔をする。
「今日はね。あとは君次第だから。てかもうこの部屋には来ないから」
「来ないの……?」
「来ない」
そっか。無機質な声を落として、ヒカはゆっくり俯いた。
「白髪なのには同情する。まあ、強く生きろよ」
朝の日差しが強くなる中、マモンは前へ倒れるように窓から落ちてしまった。
落ちる直前。彼女の空色の瞳がマモンの後ろ髪をひいた。
◇
次の夜。マモンはバーで情報を集めた。
マモンが侵入したのは貴族の別邸らしい。レーヴェミフィリム家と呼ばれる伯爵の家だそうだ。
伯爵は本邸に、伯爵夫人――ケーリィム・レーヴェミフィリムは別邸で暮らしているそうだ。
紫髪をしたヒステリックな女、あれが恐らくその夫人だろう。
そしてヒカは夫人を母と呼ぶ。レーヴェミフィリム家の子供なのは間違いなさそうだ。
しかしマスターからの情報によれば、レーヴェミフィリム家の子供は男一人しかいないらしい。ヒカの存在は隠しているのだろうか。
夫人の方が不倫を繰り返し、他所の子供はいくらかいるらしいが……。だから夫婦別で暮らしているのか。
「以前も同じことを言ったはずなのですがね」
いつものバー。マスターがため息を吐いてガラスを磨いている。カウンターのマモンは不貞腐れてそっぽ向いた。
「だってぇ。若返りの薬盗むだけなんだから貴族のお家事情なんて必要ないと思ってぇー」
「折角お金を払ってるんですから、情報は一つも漏らさずメモしましょうね」
ちぇーとマモンは頬を膨らます。
メモ用紙に金をかけたくないし尚且つ面倒臭い。けれど買った情報を失くしてしまってはそれこそ金が勿体ない。
「しかしレーヴェミフィリム家の内情を改めて知りたいとは、一体何があったのです?」
「……んや、別に。手がかりなさすぎて、お家事情になんかないかなーって思っただけ」
本当はなぜ白髪がいるのか気になっただけなのだが……。
信頼しているマスターとはいえ、白髪が幽閉されていたなんてマモンも言えなかった。
しかし若返りの薬の手がかりが掴めていないのも事実。
本当にレーヴェミフィリム家に若返りの薬があるのだろうか?
そもそもなぜ白髪がいるのだろうか? マモンは眉間に皺をよせて考える。
「しかしマモン様。若返りの薬をお求めになられているのなら急いだ方が良いかと」
マスターの言葉にマモンが顔を上げる。
「んぇー? なんで? タイムリミットとかあったっけ?」
「最近、騎士団の方に動きがあったようです」
「きしだんんー?」
厄介な名前がでてきた。マモンはイーッと歯を見せて嫌悪を示す。
騎士団。簡単にいえば治安維持組織だ。
街の治安を守り犯罪の取り締まり、トラブル解決から王宮や王族の護衛など、幅広くやっている国家機関の一つらしい。
2.>>8
- Re: 《宵賂事屋》 ( No.8 )
- 日時: 2024/12/18 06:59
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: IVNhCcs6)
2
かつては動物に乗って戦う貴族のことを指したそうだ。しかし今では、団員に庶民と貴族が混じる治安維持組織だ。
「どこの騎士が動いてんの?」
「民衛騎士と近衛騎士どちらとも、騎士団全体が動いております」
「ナニソレ大事件でも起こったん?」
「それにしては動きを抑えすぎです。表沙汰にはできない何かがあったようで」
パチン、とマモンは指を鳴らす。
「あー! もしかして若返りの薬、騎士団の耳に入っちゃった?」
「その可能性が高いかと」
「入っちゃったかー」
この世界において異常な回復効果がある薬は違法薬物として扱われる。
どうしてだったかはマモンも忘れた。
「なら騎士団が見つけるより先に薬を見つけなきゃ。サンキュ、マスター」
「はい。では銀貨七枚です」
「……百ヨル銀貨七枚?」
「千ヨル銀貨七枚です」
「……」
要は七千ヨル。商人の平均月収の七割。リンゴ一〇〇〇個は買える。
これ以上情報を買うつもりはなかったマモンだが、知ってしまえば情報を買ったことになってしまう。理不尽だ。
しかしバーのバックには晟大がいて、金を払わなければ何をされるか分からない。
「僕は買うつもりなかったのに……」
「しかし情報を買わされそうだとは途中で気付いていましたよね? マモン様は遮らなかった」
「あぁー! その通りだよスカポンタン! コンチクショー! もってけドロボー!」
銀貨七枚をカウンターに叩きつける。マスターは優雅に、そして悪い顔で微笑んだ。
「確かに」
「あーあっ、王家機関の情報なんて高いって分かってたのにぃー、なんで遮らなかった僕ー!」
冷たくなった懐を抱えるマモンの悲鳴が響いた。
◇
月が雲に隠れている。暗く冷えきった廊下を風のように走り抜ける。
マモンの顎から汗が落ちた。
レーヴェミフィリム家の用心棒は他の家より厄介で、油断をするとすぐ見つかる。高度な魔法を使って身を隠しているマモンの疲れは酷い。
ヒカの母親と思われる紫髪の女――伯爵夫人の私室を探ったが手がかりはなし。
図書室、食堂、キッチン、役割がある部屋はあらかた物色し終えたが何もない。
あと手をつけていないのは、屋敷に点々とある物置部屋や役割のない空き部屋、客室だろうか。
本当にここに若返りの薬があるのか? マモンが思った矢先。
「誰だ!」
獣のような叫び声、マモンの肩が跳ねた。用心棒だ。ドタバタと複数の足音が近づいてくる。
隠密の魔法を解いたつもりはない。何故バレた、いや今はそれどころじゃない!
マモンは白い息を置いて走った。その身軽さで走って、走って、追いかけられて、逃げた先は――。
「――マモン?」
細雪のような声が放たれる。
閉めた扉を背にするマモン、視線の先には耳が尖った白髪の少女――ヒカがいた。
「やあ、また会ったね」
屈辱をひた隠しにしながら、顔が引きつっているマモンは答えた。
◇
扉の魔法の鍵を内側からかけ直す。向こうで獣のような男どもの足音が聞こえ、マモンはゾッとした。
貴族の用心棒をしている割にはあまりにも野蛮な奴らだ。
マモンはチラリとヒカに視線をやる。もうこの部屋にはこない、といいながら来てしまった。
「……いっとくけど、君に会いに来た訳じゃないから。身を隠しに来ただけだからな」
聞かれてもないのにマモンは言い訳する。
出会ったときとは打って代わりヒカは楽しそうだ。
「ねぇねぇ、マモン。またお話しましょう? ここに隠れている間っ」
跳ねる声。マモンはため息を吐いた。
「あのねぇ、僕が泥棒だって分かってる?」
しかし暫くはこの部屋で身を隠さなければならない。
その間暇なのだから話ぐらいしてやってもいいのだが、どうもヒカの無防備さが不安になる。
「てか君、顔色悪いけど。病気なんじゃないの」
ヒカはハッとして自身の頬に触れる。
なにか心当たりがあるのだろうか、とマモンもヒカの頬に触れてみた。
「え冷たっ!」
思わず手が頬から離れる。まるで死体のようだ。
ヒカは気まずそうに目を逸らすが、その目も虚ろである。
部屋の寒さでやられたのだろうか。マモンは素早く自分のマントをヒカにやる。
視線をめぐらせて、ほとんど使われていない様子の暖炉と、座れば崩れてしまいそうなイスを見つける。
イスを壊し、使えそうな木材を暖炉に放る。
「ん、これ暖炉じゃなくてマントルピースだな」
暖炉に酷似しているが煙突がない。装飾のための偽暖炉。通りで使われた形跡がない訳だ。
ただ代用はできるだろう。赤レンガなら少しは熱に耐えるだろうし、煙は風魔法で窓の外にだせばいい。
屋敷の奴らに気付かれないよう、煙が見えないように魔法で分散させなければならない。
窓を開ける。月は雲に隠れて真っ暗だ。
「あと燃えやすいもの、紙とかなんか……」
童話集が目に入って、マモンは一冊を手に取る。
「……私の宝物に、何するの?」
何となく嫌な予感がしたのだろう。ヒカが震えた声で聞く。
「こんな汚い部屋、誰も片付けないんだから、僕が丸ごと片付けてやるんだ、よ」
ジィィ、擦るような一筋の音がした。黄ばんだ紙が破されていた。
「――ぃ」
ヒカの喉を潰すような音。マモンは我関せずと紙を破って、魔法で小さい火をつける。
紙ごとその火をイスの残骸に放った。偽暖炉に火が灯る。
煙や臭いは魔法で何とかできるだろう。
これでよし、とマモンがヒカの方を見るとヒカは部屋の隅に蹲っていた。
何をやっているんだと苛立ちを覚えながら、マモンはヒカを偽暖炉の前へ引っ張った。
抵抗しないまま連れられたヒカは、炎の前でうずくまっている。
「……」
体を温めなければならないというのに、三角座りで蹲ったままでは寒いだろう。
「ちゃんと座れよ」
ヒカはなにも言わない。マモンはムッとして、ヒカの前髪を掴んで顔をあげさせた。
――すると
「――いや、いやっ、いやあぁっ! 離して、はなじてぇっ!」
ヒカが泣きじめてしまった。えぇ、とマモンは困惑。
「火があるから温かいだろ? なんで泣くんだよ」
「離して、離してよおぉっ!」
ヒカが拳を大きく振りかぶる。女の子の力なんてひ弱だろう。さらに顔色も悪く幽閉だってされている。
暴れても無駄なのに、とマモンが思った矢先、ヒカの拳がマモンの腹に入った。
「がぁ、」
マモンが後ろへ軽く飛ばされる。
想定を遙かに上回る力。腹筋に力を入れる暇もなかった。無防備な腹に大太鼓を叩いたような衝撃。
「く、あぁ……」
マモンは芋虫のように腹を抱えて悶える。内蔵が出てくるような感覚が後からやってくる。
掠れる視界の中、拳の主を捉えてみれば。
「ぅ、ああ、うあぁ……」
炎を見つめながら涙を零していた。マモン以上に苦しんで、喉を潰したような悲哀が零れている。
腹を擦りながら立ち上がって、マモンはヒカに寄る。
「何が気に食わない」
ヒカは怒るでも恨むでもなく、ただ悲哀から抜け出せないままに炎を眺める。
「本、本、私の、大切……。暖かいものが、なくなっ、なくなっちゃ、て。なんで、なんで?」
本のページ数枚ごときより目の前の炎の方が余程温かい。
マモンはヒカが分からない。するとヒカが炎に手を伸ばす。躊躇なく、呆然と虚ろな目で。思わずマモンはその手掴む、止める。
「待て待て待て待て、たかが本だろ! てか燃えたのだってたった数ページだし!」
「――」
マモンの言葉ののち、沈黙。ヒカが一つ嗚咽を漏らす。ボツボツと、音が鳴るぐらい大粒の涙が溢れでた。頬を伝って顎からおちて、嗚咽もどんどん大きくなる。
「私の、わたしのぉ、暖かかったの、なんで、なんでぇ……」
「わ、悪かったから! そこまで大事なもんだとは思わないし、あぁ! 僕が悪かったから、な、泣くなよ……!」
ずれ落ちるマントをヒカにかけ直して隣に座る。
マモンよりも痛がり、苦しみ、嘆き続けるヒカの背中をマモンはさすり続けた。
◇
「マモンきらい、マモンなんて死んじゃえ、燃えちゃえ、嫌い嫌い、大っ嫌いッ!」
「ご、ごめんって。僕が悪かった、だから機嫌なお――」
パチン。
マモンの頬に痛みが走る。世界に電流が走ったような感覚にマモンはクラクラする。
あまりにも強い力でビンタをされた。ヒリヒリする頬をさすって、マモンは罰が悪そうにヒカを見つめる。
ヒカはマモンとは目を合わさず手を炎にかざしている。
「う、うぅ。君バケモノみたいに力が強――いなんてお嬢様素敵ですわ、おほ、おほほ……」
目の前のヒカがもうワンスウィングの準備をしている。
マモンが必死で取り繕うが時すでに遅し。反対側に真っ赤な手形がつけられた。
両頬がヒリヒリ痛む。
ようやくマモンにも取り返しのつかないことをした実感がやってきて、罪悪感に駆られてなにか喋りたくなる。
「い、いや。燃えやすいものが紙しかなくて、その。ヒカ、ごめん。もう取り返しつかないけどさ、何か、代わりになれるもんなら用意するから。だから機嫌直してくれよヒカ、ごめん、ヒカ……」
「や」
「“や”かぁ……」
一音の拒絶。これ以上の言葉は無意味だとノンデリカシーなマモンも気付いた。
けれどヒカはマモンから離れない。偽暖炉から離れられないだけかもしれないが。
マモンもこんな寒い部屋で火元から離れる意味がなく、ヒカの傍で黙って三角座りをしている。
マモンが魔法で煙を外に出しているからか、部屋には風が流れている。
生ぬるい空気の中、マモンは炎を見つめることしかできない。
「――私、外のこと知らないの」
ゆるりと隣のヒカが口を開く。マモンは膝で口を隠して何も言わない。
「この部屋から外にでた記憶もない。お母さんは、私は魔女だから外に出ちゃいけないって。外に出たら皆に追いかけられるって、火炙りにされるって、痛くて冷たくて、怖いところって」
伯爵夫人、なんてことをヒカに吹き込んでいるのだ。
しかしあながち間違ってもいないのも厄介だ。
「母さんは魔女の私を閉じ込めなきゃいけない。白髪に生まれた私は、白をばら撒かないように、死ぬまでここにいなきゃいけない」
なら白髪の自分はどうなるんだ、といいかけてマモンは口を閉じる。
「でも外には暖かいものが沢山あるって。楽しいことが沢山あるって、でも、私はしちゃいけない。白髪だから」
マモンに本を破られても怒らず憎まず、悲哀に満ちていたヒカが、己の白髪をちぎるように引っ張って憎悪をのぞかせた。
「けどせめて、本で思いを馳せるぐらいは……許して、欲しかった……」
バチッ、バチッ、と火が鳴っている。焦げた臭いが漂って、冷たい空気が鼻腔を通る。
ページを破るその行為が、彼女の願いの否定だったのだろうか。
マモンはボーッと炎を眺める。
「外の話。してやろうか」
「……」
「僕も白髪だからまともな話ないし、本みたいに形の残るものじゃないけど」
「……」
「だから機嫌、直せよ」
「ちょっとだけなら、直してあげる」
ふてりながらヒカは頬を膨らませる。
血色がよくなってきた頬。マモンは片手でヒカの両頬をおさえた。ふ、と空気が漏れる。
「あんがと」
ヒカが顔を上げた。朝の空ような瞳がハッキリと見えた。
「やっと目あわしてくれ――まってごめんごめん調子に乗りましたヒカさんその手下げて下げて」
真っ赤な顔でスウィングをスタンバイ万端なヒカ。
「ふざけないで! 話、してくれるんじゃないの? してくれないと怒るんだから!」
「それは困った困った。そーだな」
話といっても、闇市や迷々街、スラム街などロクなものが浮かばない。
「そーだ。大昔、王都を守った英雄の御伽噺なら」
「どんな英雄なの?」
「えーと、名前は忘れたんだけど。千年ぐらい前、大きな龍が王都を襲って――」
ポトポト言葉を落としてく。炎に照らされるヒカは驚いたり笑ったり悲しんだり、マモンは百面相を前に目を細めて話を続けた。
◇
次の夜。今日も今日とてまたレーヴェミフィリム家だ。
何日か通っているが、若返りの薬についてなにも掴めていない。
ヒカの部屋に逃げれば朝まで話してしまうのだ。
自分以外の白髪は珍しいし哀れだから、興味を持ったって仕方がない。マモンは自分に言い聞かせる。
マモンはふぁ、とあくびをする。昨日の夜から寝ていない。
家に帰って早々、朝からマモンは晟大宅の書斎へいった。
相変わらず廃墟のような屋敷で、必要な部屋以外はボロボロであった。
晟大はなにやら忙しそうで書類と睨めっこしていた。大袈裟に前を通ってもマモンに構いやしない。結局、マモンは言葉も交わさず去っていった。晟大本人には用がないのだ。
書斎と呼ぶには大きすぎる、図書館のような豪華な空間。二階まで吹き抜けになっていて、そこら中に本がギッチリ詰まっている。
残念な点は虫の楽園になっているところだろうか。天井や通路、机など至るところに蜘蛛の巣が。湿気もホコリも凄まじい。恐らく本も虫が湧いているのだろう。
勿体ない、と惜しみながらマモンは本を漁った。目当ては特にない。
なにか美味しいネタがあればよかったのだ。
この世界の御伽噺、遠い大陸の話や昔起こったこと。勉強は大嫌いなマモンだが、今回ばかりは本に食らいついた。
一晩中――いや一昼中汚い図書室に篭り、夕方。そのままレーヴェミフィリム家に向けて出発した。
屋敷を出る頃には晟大もいなかった。
一体なんの仕事をしているんだとも疑問に思ったが、マモンはすぐ忘れて走る。
夜式文化、白昼文化、王都の名産物。冒険者が多い最東端にある都市、大陸間の海を船で渡れない理由、まず船とはなんなのか、海とはなんなのか。
これでヒカとの話のネタには困らないだろう。
別にヒカと話したい訳ではない。断じて違う。ただからかってやりたいだけなのだ。そうマモンは言い訳する。
雲ひとつない夜空、真っ白でまん丸い月がある。まるで黒色の紙に穴が空いたようだ。
今日はヒカの部屋へ直接いくつもりのマモン。隠密の魔法を自身にかけ、塀を超え、ひょいひょいっと垂直な壁を登った、その時。
「ケーリィム・レーヴェミフィリム・フォン・チレアティ!」
暗闇を串刺しにするような男の声がした。あまりにも大きく通った声で、驚いたマモンも壁から落ちかける。
「これまで数度に渡る調査協力の要請、ならびに最終通告書の黙殺を確認した! これを受けバファミル陛下の命により、我ら騎士団第十部隊は屋敷内の強制監査を実施する! 屋敷の者は直ちに扉を開けて従え! 従わない場合、王家への反逆行為と見なし我々は武力行使にでる!」
腹底が震えるような大声が夜空に響く。声の拡張魔法でも使っているのだろうか。
いいや魔素は感じない、これは素の声だ。
「こっわ……」
マモンは呟く。夫人は何かを要請され、それを無視されたらしい。そういえばマスターと騎士団の話をしたばかりだ。
『――もしかして若返りの薬、騎士団の耳に入っちゃった?』
『その可能性が高いかと』
バーでの会話を思い出す。騎士団が若返りの薬を取り締まりに来たらしい。
「マズイな」
若返りの薬もそうだが、騎士団がヒカを見つければ何をするか分からない。
なんせ白髪だ。火炙りにされたって不思議じゃない。
ダァン、カァンと鉄門を叩く音がする。
騎士団が正門をこじ開けようとしている。いよいよ時間がない。
マモンは焦燥しながら壁を登る。頭上、開けっ放しの窓が目に入る。ヒカの部屋だ。
「いやあぁっ!」
甲高い叫び声がした。ヒカの声だ。マモンは顎から汗を零してよじ登る。
「抵抗はしないこと! この魔女、グズグズしないで立ちなさい!」
マモンはチラリと中を除く。
「いや、やめて、いやっ!」
紫髪――夫人がヒカの髪を引っ張っていた。
いつも鍵がかかっていた扉はかっぴらいていて、夫人はヒカをいち早く連れ出そうとしている。
助けに入るべきか。いや、白髪の自分が割り込めば自体が悪化する。
マモンは唇を噛む。
「来ないとあなた、騎士団に殺されますわよ!」
「――ッ!」
その一言でヒカの顔が強ばって、素直に夫人についていく。まるで糸が切れた人形のように、ヒカは部屋をでていってしまった。
どうして夫人はヒカと共に逃げるのだろう。ヒカを守ろうとしているのか? それにしてはきな臭い気もする。
疑問が浮かぶマモン。彼はこっそり二人をつけた。廊下は異常なまでに静かで人っ子一人、用心棒すらいない。白髪のヒカを隠すためか。
「なんで主人じゃなくて夫人の私が狙われるの? 調査をするなら主人の方へ行きなさいよ!」
カツカツと早足で歩く夫人。ブツブツと爪をかみ、愚痴を垂らしている。愚痴が大きくなり、共にヒカの顔色も悪くなる。
3.>>9