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キテレツ大百科 昭和の間違い
日時: 2011/03/15 23:04
名前: 上野宝彦 (ID: ieojggCq)

どうも。初めまして。上野宝彦でございます。藤子作品を中心に2次小説を作っています。よろしくお願いします。

さて、今日から「キテレツ大百科 昭和の間違い」を書きたいと思います。あらすじは

1981年、東京にある板橋区立志村小学校では、夏休みの課題宿題に「昔の東京の様子を調べよ」というものが出された。そこに通っている11歳の木手英一は、航時機で昔の東京の様子の写真を撮ろうと考えた。終業式が終わって、彼は、ブタゴリラ・トンガリ・みよ子に呼ばれ、一緒に航時機に乗ることが決まる。彼等はそれに乗るのだが、航時機が壊れて不時着墜落。到着した場所は、40年前の国会議事堂であった。英一達は国会議事堂の中を見学していた。彼等は公安に見つかったが、とある政治家に間違えられ陸軍省に連れて行かれる。彼等は1981年の世界へ戻る事が出来るのか?

これがあらすじです。そして、主な登場人物です。

〜登場人物〜

木手英一・本作品の主人公。とある外交官に間違えられる。

熊田薫・ブタゴリラ。とある海軍軍人に間違えられる。

尖浩二・とある陸軍軍人の者に間違えられる。

みよ子・とある貴族の妻に間違えられる。

まだまだ、沢山の人物が出てきますが、今日はこの辺で(−−〆)
では、始まりますよ。そして、昭和の軍人・政治家・外交官など知っている方はコメントください。話の感想もお待ちしています。


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Re: キテレツ大百科 昭和の間違い 第2話の登場人物・語句 ( No.4 )
日時: 2011/03/21 17:31
名前: 上野宝彦 (ID: ieojggCq)

第2話も登場人物がたくさん出てきます。語句もあるのでそれも紹介します。

〜登場人物紹介〜

板垣征四郎〔トンガリ〕・国会議事堂内で間違えられた。

近衛千代子〔みよ子〕・国会議事堂内にいた近衛文麿に間違えられた。

石原莞爾・1889〜1949.昭和時代の陸軍軍人・関東軍総司令部部長。柳条湖事件や満州事変を起こした張本人。二・二六事件の時に、陸軍将校を殺した。戦後、病気の為に戦犯指定を免れた。だが、証人として東京裁判には入廷している。1949年、膀胱がんのため、60歳で死去した。

近衛文麿・1891〜1945。貴族・政治家・貴族院議員・日本の内閣総理大臣。第34・38・39代目の内閣総理大臣。戦争を推し進めた政治家の一人。元老 西園寺公望の推薦により首相に就任。1938年に国家総動員法を定め、第2次近衛内閣の時に、各党を分裂させ、大政翼賛会を設立し、日独伊三国同盟を締結させた。1941年に総理を辞めさせられ、1945年、戦争犯罪人の汚名を浴びせられ、極東国際軍事裁判〔東京裁判〕に、A級戦犯として名が挙げられたため、自宅で自殺した。

賀屋興宣・1889〜1977.大蔵官僚・政治家。大蔵省に入省し、主として主計畑をつとめた。1929年〔昭和4年〕のロンドン海軍軍縮条約に出席し、山本五十六〔上を詳細〕と鼻血を出す殴り合いを演じた。1937年〔昭和12年〕第1次近衛内閣で大蔵大臣に就任した。「賀屋財政経済三原則」を主張し、大蔵省内三羽鳥と呼ばれるようになる。1941年〔昭和16年〕に東條内閣で大蔵大臣に就任し、戦争に反対した。戦後、GHQに逮捕され、東京裁判で終身刑という重刑に処せられたが、1955年〔昭和30年〕に仮釈放となり、池田勇人内閣の時に法務大臣に就任した。晩年は、日本遺族会初代会長などを務めた。1977年〔昭和52年〕88歳で死去した。

岸信介・1896〜1987.政治家・第56・57代総理大臣。東京帝国大学卒業後、農商務省に入省する。満州国にもわたり、東條内閣では商工大臣を務めた。戦後、GHQに逮捕されたが、不起訴となり公職追放された。だが、石橋湛山内閣にて外務大臣に就任し、石橋内閣が総辞職すると、後任で内閣総理大臣に就任し、安保条約改定などに取り込んだ。1987年〔昭和62年〕90歳で死去した。なお、佐藤栄作元総理は弟、安部晋三元総理は孫にあたる。

星野直樹・1892〜1978.政治家・大蔵官僚・実業家。1932年に満州国に赴き、東條内閣では、内閣書記官長を務めた。戦後、東京裁判で終身刑を処せられたが、1958年に釈放され、東京ヒルトンホテル副会長・東京急行電鉄〔東急〕取締役などを務め、1978年に86歳でこの世を去った。



〜語句説明〜

板垣征四郎・1885〜1948.陸軍軍人・関東軍人。
1929年〔昭和4年〕に関東軍高級参謀に就任し、第一次近衛内閣で陸軍大臣を務め、次の平沼内閣でも陸軍大臣を務めた。そのあとは、支那派遣軍総参謀長に就任し、1941年に大将に昇進し、朝鮮軍司令官となった。戦後、GHQにより捕まり、死刑の判決を受け処された。

近衛千代子・近衛文麿の妻。この夫妻は、このころにしてはゆういつ恋愛結婚を成し遂げた夫妻である。毛利高範の娘である。近衛文麿が服役自殺をした同年に、自殺し亡くなった。

日本ニュース72号・日本ニュースというニュース映画会社が作ったニュース番号。東條英機が首相に就任する時のニュース特集である。

大蔵大臣・今の財務大臣の事。

内閣書記官長・首相に代わり内閣を束ねる人の事。

日本臣民・昔の日本国民の言い方。昔は、天皇〔神〕に守られているという考えであったため、この様な言い方になった。

御前会議・天皇を前にして意見を言い合う会議。呼ばれた閣僚しか出席できなかった。今はない。

これで終わりです。まだまだ沢山の人が登場します。第3話もお楽しみに。                

Re: キテレツ大百科 昭和の間違い 第3話 運命の連絡会議 ( No.5 )
日時: 2011/03/31 15:07
名前: 上野宝彦 (ID: ieojggCq)

第3話 運命の連絡会議

東條内閣と言うのは、近衛文麿が戦争に対する会議に嫌気がさしてやめたため出来た内閣である。

東條英機内閣になってもメンバーは変わったがこの会議が開かれることになった。近衛内閣の時、外務大臣であった松岡洋右は外れ、東郷茂徳がこの会議に参加。嶋田繁太郎も及川古志郎に変わり、この会議に参加するようになった。この会議は国民をも舞い込むような重要な会議であったため、慎重に意見を出さなければならなかった。

自ら離れた近衛文麿は目白文化村にある我が家で、千代子〔みよ子〕に起こされ着物を着ようとしていた。「おはようございます」「ああ、おはよう。この時間帯だと会議が始まっているだろうな。進展しているのかね?」千代子は上着を持ってきて「そういえば、あの会議に参加なされなくてよろしいのですか?東郷と申された方がお呼びに参りましたが・・・」「東郷?ああ、あの外交官か。東條内閣で外相を務めている奴だな」「はい」「私は参加なんかしないさ。私はあの会議から外れたのだから。そして、あの会議の事は東條君がしてくれているさ。アハハハ」と笑いながら煙草を持っていた。「ですが、これは東條さんから言われたものだと・・・」「あいつ。分からないのか」「さあ」「まあいい。私は参加しないと伝えておくれ。私は一睡したいのでね」千代子は東郷の前に出てきて「文麿は出てこないそうよ」と伝えた。「弱ったな。そりゃ困るよ。天皇陛下からの詔なんだから」と彼はうそをついた。詔と言われると出て行かなければならない。彼女はそれを伝えた。「何?詔?」「はい」「分かった。すぐに首相官邸に行くと伝えてくれないか」「分かりました。ですが東郷さまはあなたをお連れする役目がある。と申されておいでですが・・・」「ということは、車で行くのはいけないのかい?」「いえ、車は用意されてあると」
 文麿はすぐにネクタイを締め、スーツを着、東郷茂徳が待っている現場に向かった。
 東郷は、落合付近で待ち合わせをしていた。「お待たせして悪かったな」近衛はさも反省してなさそうな感じであった。「お待ちしましたよ。お乗りください」車が出発した。「なぜこのような事をしたかと申しますと、あなたに僕の秘密を知っていただきいからです」「秘密?」近衛は不思議そうな顔をして言った。「実は僕は東郷茂徳ではないのです」「えー」近衛は驚き、煙草の灰を落とした。「君は東郷茂徳君ではない?どういうことなんだ」「まあ、落ち着いてお聞きください。僕は・・・」彼は東郷特有のおちょぼ髭を取って見せた。「私は別人です。これでおわかりでしょ」「君は何者なんだ。特高か?」「特高?そんな訳ないじゃないですか。僕は、未来からやってきたものです。信じられないかもしれませんが」近衛は承知していた。「確かにそうだったのか。僕もそうだと思ったよ。僕の死ぬ時が分かっているのだものな」「はい。私の本当の名前は木手英一。1970年生まれの者です」「木手君か。分かった。東條などがいないところではそう呼ぶよ。で、東郷本人は?」「家にでもいるんじゃないですか?」「そういえばあいつに聞いたことがある。西園寺卿が逝去遊ばされる前の日に、変なことを言ったらしい。その代わりというのが・・・」「そうです。僕だったのですよ」近衛は感心極まりない顔で笑っていた。そんなことを言っていると、首相官邸に到着した。2人は降りた。そして、東條や嶋田がいる部屋に来たのであった。阿南惟幾が2人が到着したのを確認し、東條に伝えた。「うむ。分かった」扉を開けると、2人が部屋に入り込んだ。「なんだ。私を呼ぶとは。君が首相なのだから統括すればいい話じゃないのかよ」「申し訳ございません。どうも私だけだと話は進みませんでしたので」「まあいい。聞くだけ聞こう。だが、ルーズベルト〔時のアメリカ大統領〕や、チャーチル〔時のイギリス首相〕と対戦するだけはやめてくれ。私は若槻禰次郎の様に使節に加わってもいいのだからな」「心得ております」東條は戦争に賛成か否かを出席者に問いた。まずは自分が意見を言い、それから東郷に回った。「私は反対ですな」東郷は語気を強くさせた。「松岡さんがやった国際連盟脱退の時の様に、世界から非難されたらどうするんですか。経済制裁をさせられたらどうするのですか?このままでは、外務省というのが名前だけになってしまう。ただでさえ、この国は資源がない国だと言うのに、まして、アメリカ・イギリスと言う強国に勝つはずがありません」「その通りです」誰かが声を張り上げ、背筋を合わせ立ったものがいた。賀屋興宣であった。「私も彼の意見に賛同いたします。米英の様な文化が進んでいるような国に勝つ筈がありません。そして、南進政策や北進政策をとりましても、どちらにしても税がなくなってしまうのであります。国民に増税を課しても良いというものではありません」「おい、こら。それはわしらが任務を請けとるのだ。大蔵に言われたくないものだな」それを言ったのは企画院総裁・鈴木貞一であった。「東條。お前らの内閣はこんなものかね。それじゃいかんよ。第一、大蔵が何もわかっとらんようだ。この事については我々企画院が任務を請けているのだがらな」「じゃあ、合計はどのようなものになっているのですか?」東條と賀屋は鈴木に問いただした。「ん。あるにきまっとるさ。聞くかい」鈴木は一呼吸置き「まずな、陸軍が考えている方だと、このまま赤字になってしまうぞ。北進政策だと、満州に行くことだろう?満州はまだ石油は溜まっているが、他より少ない方だ。まして、日ソ中立条約を締結しているソ連には兵は出せまい。だから、金はそんなに溜まらないのよ。海軍の方だと、1年2年は金はたまらんが、3年たつと沢山入ってくる計算になっておるのだ。お前らは満州が『日本の生命線』だと言っているが、それは間違いだということがわかるだろう。わしは、海軍の南進政策のほうが、もしアメリカなどと戦うとしても好成績で帰ってくるものだということを信じておる。大東亜共栄圏を達成するのだ」これには、近衛も驚いてしまった。鈴木が本音を漏らした・・・。そしてこうも言った。「私は陸軍軍人だ。陸軍と海軍が一緒の様な頑張りをすりゃ、日本は助かる。いや、アジアが助かる。我等はアジアを助けるために挙兵するべきじゃ」彼の顔は熱気にあふれていた。「まあ、大蔵省は何も心配せんでよろしい。わしらがやって見せる」と言い放ち座った。賀屋は舌打ちをしながらも、鈴木の意見を聞いた。「この意見に賛同する方はいらっしゃいませんか。私は、もうこれでよろしいと思います。どうでしょうか。賛同される方は拍手をお願いします」東條が話を締結させようとした。東郷や賀屋もこれに圧迫してしまい拍手をしてしまった。これにより、「開戰」が決まったのである。

会議はこれで終了した。彼等は写真撮影に応じた。彼等の顔には、不安の顔・疲労の顔・落ち着いた顔が見られた。嶋田が東條の隣に座り、東郷が右端に寄った。そして、閣僚たちの集合写真の時間は終了した。

鈴木が足早に去っていくのを見た閣僚たちは憤りの念を感じていた。賀屋は東郷に怒りながら話しかけた。
「鈴木の野郎。この大蔵省を馬鹿にしやがって。あの背広を着た軍人め。あの鈴木の野郎をどう思います?」東郷も彼と同じだった。「確かに上から目線すぎますね。東條さんの事も『東條』と言っていましたしね。そして、あれのせいで開戰が決まってしまいましたからね。まさに独壇場でしたよ」と、苦笑いをしながら言った。岸もこの話し合いに参加した。「あの人、意味もない戦争をやるつもりですよ」「そうです。我が国が負けるのはだれも予想付いているはずなのに」彼等は、腕を組んで考えた。
 だが、最も怒っていたのは東條であった。東條は鬼の形相で手を丸め机を強く叩いた。「あの野郎。後輩のくせにわしの事を東條と言ったな。まあ、それはいいが、わしは戦争は回避したかったのだ。米英に負けることは確実だったから、わしは近衛内閣の時は戦争に反対していたのだ。今もその考えは変わらない。後で見てろ。鈴木貞一の野郎」彼は軍刀を鞘から抜き少し刀を振り回し、部屋を出て行った。
 3人はそれを見ながら東條を恐れた。そして、ただ茫然と立ち尽くすばかりであった。

東條内閣の一員と海軍艦隊司令長官である永野修身は、皇居に向かい、昭和天皇との御前会議に出席した。

永野は嶋田と一緒に車に乗った。「嶋田君。私は海軍は戦争に反対すると伝えたはずだよ。だけど、なぜこんなことになったんだい?」嶋田はあの企画院総裁・鈴木貞一の事を先輩である永野に喋りとおした。「鈴木か。あの野郎は戦争主義の奴だからね。昔からそうだったよ。あいつは」彼は仕方なしそうにうつむいた。「東條君達は、彼の意見に賛成してはいけなかったのに、その圧迫の空間の中でつい手をあげてしまったわけだね。だけど、君だけはその圧迫に打ち勝ってほしかった」「すいません。永野さん」嶋田は永野に涙を流しながら謝りに謝った。「いいんだよ。嶋田君」永野は嶋田を抱きかかえた。嶋田は永野の顔を見た。いつもより優しく見えた。永野の顔が・・・。
「軍人でもそんなことはよくあるものだよ。人間は失敗をしながら生きていく、そんな生き物だよ。僕は61歳でも沢山の失敗をしでかしているんだよ。だけど、君は大変な失敗をした。だが、これのお陰で軍人らしさが回復してきたよ。それに、君たちのせいでもない。天がしでかした悪戯なのさ」
それが終わると、急に顔をきりっと変え「だけど軍人たるもの以上、戦争に参加しなければ絶対になるまい。そして、この中の誰かが死ぬだろう」「永野さん」彼は声を張り上げた。また、涙声となった。「戦争が決まった以上、僕たちの本当の仕事が始まったのさ。共に戦おう。アジアの為に。そして、君が元気であることを祈る」彼は、戦争という道の真っただ中の道にいた。もう、決まった以上は遂行せねばならなかった。

昭和天皇は皇居内で椅子に座っておられた。そして、宮内省職員が用意したのであろう。沢山のいすが出されていた。
 東條が紙を持ち、昭和天皇の面前でその紙を読んだ。
「そうかい。僕は戦争を回避してほしかったんだけどな」「ですが、経済状況を見る限り侵略する他手立てはないのであります」「僕は日本の為いつも考えてきた。この国が貧乏になっても国民が生きていればそれでよかった。だが、それは間違いのようだね。戦争は避けられないものと考えるようになってきたよ」「この会議に出席している者は全員、戦争やむなしと考えております。天皇陛下も」「うん。世界恐慌の影響がここまで来るとは思いもよらなんだ。僕も戦争やむなしと考えることにするよ」
これにより、ご聖断が下された。昭和天皇は戦争の開戦に許可した。あの大正天皇に似て、国民が大好きで、生物が大好きであった昭和天皇が人々を殺す戦争を開始する事を許可したのだ。国民は驚いた事であろう。これにより御前会議が終了し、4年をも続く太平洋戦争〔大東亜戦争〕の火蓋が切って落とされた。〔第4話へ続く〕

Re: キテレツ大百科 昭和の間違い 第3話の登場人物・語句 ( No.6 )
日時: 2011/04/01 17:56
名前: 上野宝彦 (ID: ieojggCq)

第3話も難しい語句などが登場します。それをご案内します。

〜新登場人物〜

阿南惟幾・1887〜1945.陸軍軍人・陸軍大臣。誠実な人柄として知られ、軍人としてはとても優しい人だったという。中学生の時、乃木希典の推薦により陸軍師範学校に入学。太平洋戦争時の鈴木内閣で陸軍大臣に就任し〔後で登場〕、梅津美次郎〔陸軍参謀総長〕とともに本土決戦を唱えるが、昭和天皇の聖断により最後には『終戦の詔書』に同意した。1945年8月15日、ポツダム宣言の最終的な受動返電の直前に割腹。遺書に『一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル 昭和二十年八月十四日夜 陸軍大臣 阿南惟幾 神州不滅ヲ確信シツツ」という書いたのは有名である。なお、この人物が大臣史で一番最初に自殺した人物である。

鈴木貞一・1888〜1989.陸軍軍人・政治家。企画院総裁。背広を着た軍人と呼ばれた人物。「三奸四愚」と呼ばれた東條英機側近三奸の一人とされる。1929年に、石原莞爾・永田鉄山・東條英機・板垣征四郎ら陸軍中堅将校が結成した一夕会に参加。1931年、三月事件に参加した。1941年、企画院総裁として就任した。終戦後の東京裁判では終身刑に処せられたが、賀屋などと一緒に釈放され、静かな余生を過ごし、1989年、100歳で亡くなった。A級戦犯としては、唯一平成まで生きた人物であった。

永野修身・第1話の時の語句紹介の所を詳細。

昭和天皇・1901〜1989.大正天皇と皇妃 九条節子との間に生まれた第1子。本名を裕仁という。大正天皇が病弱で執務が出来ないため、摂政として20歳で就任し、摂政宮と称した。1925年、大正天皇が崩御した後の天皇として25歳で就任した。戦争期には、日本の神として誤まられて見られ、陸軍・海軍のトップでもあられた。終戦後、1946年〔昭和21年〕人間宣言を発表され、自分が人間であることを国民に示させられた。
そして、象徴天皇として暮らしてこられ、東京オリンピックの時には開会式の開会の辞を発表させられるなど、色々な場で活躍させられた。
1989年1月、吹上御所にて腺癌のため崩御させられた。趣味は、相撲鑑賞〔相撲を取る事〕・野球観戦・テニスをすること・泳ぐ事などであられた。また、植物や海藻などにも興味を持たれ、他人が海の話をしだすと喜ばれたという。

〜語句説明〜

松岡洋右・1880〜1946.山口県の廻船問屋の四男として生まれる。11歳の時、父親が事業に失敗したため、アメリカに住んでいる親戚を頼り、1893年〔明治26年〕に渡米する。帰国後は東京帝国大学〔今の東京大学〕を目指したが、授業内容を調べた松岡は外交官になることを決意し、1904年〔明治37年〕に合格し、外務省に入省した。1931年〔昭和6年〕、満州事変が起こり翌年に国連からリットン調査団が派遣され、その報告書がジュネーブ〔スイス〕に提出された。この、ジュネーブにいた松岡は、日本政府からの伝達で「日本の主張が諸国に届かなければ国際連盟脱退」と来ていた。それを見た松岡は最初は驚いたが、外務省の最後の方針であったため、彼は国際連盟脱退をした。1940年〔昭和15年〕、第2次近衛内閣で外務大臣に就任した。そして、ドイツのヒトラーと会談し同年、ムッソリーニのイタリアとドイツと日本が「日独伊三国同盟」を締結させた。戦後、GHQに捕まるが裁判の判定を聞かずに病死した。

及川古志郎・1883〜1958.海軍軍人、海軍大将。岩手県で生まれる。旧制岩手県立盛岡中等学校〔今は岩手県立盛岡第一高等学校〕出身で、1学年上には米内光政や金田一京助などがおり、3学年下に石川啄木らがいて、面識があったという。日露戦争で「千代田」乗組で参加する。その後、1915年〔大正4年〕から1922年〔大正11年〕にかけて東宮武官を務めた。1923年〔大正12年〕に軍令部作戦課長に就任。1940年には横須賀鎮守府司令長官に就任した。そして、同年に海軍大臣に就任した。及川は熱心な読書家で、自宅の土蔵の一つは完全な書庫になっていたと言い、軍人としては勉学家であった。

目白文化村・東京都新宿落合付近にあった、大正時代から昭和時代にかけて存在した、郊外住宅地の名称である。近衛家などがここに土地を持っていたという。

落合・東京都新宿区にある地名で、住宅街。東京メトロ東西線に駅がある。

ルーズベルト・1882〜1945.アメリカ合衆国の政治家で、第32代アメリカ大統領。アメリカ史上唯一の重度の身体障害を持つ大統領として知られる。ニューヨーク州知事などを歴任し、世界恐慌真っただ中に大統領に就任。とても人気があったアメリカの大統領であった。1945年、脳溢血により死去した。

チャーチル・1874〜1965.イギリスの政治家。第61代・63代首相。ブレナム宮殿で生まれた。1911年、海軍大臣となり、在任のまま第1次世界大戦を迎えた。1939年、ドイツに宣戦布告を提出し、これにより第2次世界大戦が勃発すると、再び海軍大臣として活躍し、1940年、チェンバレンの後任としてイギリス首相に就任した。戦後、沢山の著書を残し、1965年に死去した。その後、平民としては史上初となる国葬によって葬られた。彼は、昼寝をすることが日課で他人にも勧めていたという。そして、パイプを好み、彼のトレードマークとして現在の人々の脳裏に写っている。

特高・特別高等警察のことで、1910年〔明治44年〕に起きた大逆事件〔幸徳事件とも呼ばれる〕をうけ、翌年に作られた。なぜ作られたかというと、社会主義者を鎮圧するためである。それに、スパイとしても活躍し、秘密警察とも呼ばれた。

経済制裁・ある国の行った違法や不当の行為に対して、経済の力を持って制裁し、その行為を制止せんとする外交上の手段のこと。

南進政策・戦前の日本で、「日本は南方地域へ進出すべきである」と唱えられていた対外論のこと。特に、海軍省の考えがこれであった。

北進政策・戦前の日本で、「日本は北方地域へ進出すべきである」と唱えた対外論の事で、特に陸軍省・関東軍がこれの考えであった。

企画院・日本にあった省庁で、内閣直属の物資動員・重要政策の企画立案機関のこと。

日本の生命線・戦前の陸軍の考えで、満州を占領しないと日本の為にはならないとする考え。

大東亜共栄圏・欧米諸国〔特にアメリカ・イギリス〕の植民地支配から東アジア・東南アジアを解放し、東アジア・東南アジアに日本を盟主とする共存共栄の新たな国際秩序を建設しようという、第二次世界大戦における日本の構想のこと。松岡洋右がラジオでしゃべったことによりこの言葉がついた。だが、本当は日本がその国々を支配するためのこうさくで、その国々に不利益な事が起こるようになってきたため、対日運動が起こるようになった。

宮内省・今の宮内庁の事で、1947年〔昭和22年〕まで存在した省庁名である。主に、皇室の世話などにあたる。

世界恐慌・1929年のアメリカの証券取引所で急に株価の値段が下がり〔暗黙の木曜日〕、大不況となってしまった語句の事。

若槻禰次郎〔礼次郎〕・1866〜1949.政治家・大蔵官僚。松江藩の下級武士の家で生まれる。幼少のころは、帯刀であったため木刀を一本腰に差して寺子屋に向かったという。16歳のころから3年程、小学校教員をする。1883年〔明治16年〕士官学校の生徒募集があり、学資がいらないということから受験したが、体格検査ではねられた。
東京では大学予備門に通っていた岸清一(のち法学博士)の下宿へ転がり込んだ。岸とは血のつながりはないが、近い親類であった。 やがて狭い下宿を見つけて、そこへ移り、明治25年(1892年)7月、帝国大学法科を98点5分という驚異的な成績を残し、首席で卒業した。そして、大蔵省に入省した。1926年、首相に就任する。また、1931年でも首相に就任した。田中義一内閣の時に、首席全権としてロンドンで開かれた海軍軍縮会議に出席し、帰ってきたときには国民の熱い待遇で迎えられた。1949年〔昭和24年〕狭心症の為、死去した。

これで終わりです。なお、この会議の名を大本営政府連絡会議と言います。戦争を回避するかしないかを決めた会議です。第4話もお楽しみに。

Re: キテレツ大百科 昭和の間違い 第4話 朝鮮からの訪問 ( No.7 )
日時: 2011/05/02 14:53
名前: 上野宝彦 (ID: ieojggCq)

第4話 朝鮮からの訪問

彼は、東京の街を歩いていた。
なつかしいな。僕はいつも京城で寝たり食べたりしているが、その京城や平壌より東京のほうが開けたな。それに比べたら朝鮮は田舎だぜ・・・。
彼はそう思いながらこの東京の街を彷徨さまよっていた。国会議事堂も見える三宅坂の付近であろうか。彼は見た事がある人物を見た。その者は、笑いながら違う歩道を歩いていた。
やや、あれは東郷茂徳。あいつは外務大臣と拓務大臣に就任したはずだぞ。よく、SPも付けずに一人で歩けるな・・・。
彼は、東郷と喋りたいと思った。東郷は彼をわかっていない。彼は手を振った。
「東郷さん。お久しぶりです。私ですよ」東郷は彼のほうを向いて、自分を指差した。「そう、あなたです」彼は、走って道を越えて東郷のもとへと近づいた。
「いや、本当にお久しぶりです。東郷さん」
なんだ。この人は。僕こんな人見た事がないぞ。誰なんだ・・・。
「あの、人違いじゃないのですか?東郷と言う人は沢山いると思いますよ」東郷は、見た事がない彼に向かって言い放った。「東郷茂徳さんですよね?」「はい」と彼は合づちを返した。「私ですよ。お忘れになられましたか?」彼は笑って東郷に顔を近づけた。「申し訳ありません。忘れました」と、東郷は苦笑いをしながら手で頭を触った。「仕方ないですね。私は小磯こいそ国昭くにあきですよ」
小磯国昭。聞いたこともないよ。そんな人・・・。
「そうだ」小磯は思いついた。「お久しぶりと言う事で東郷さんと一緒に話がしたいのです。できれば、7時に築地の『しげ』で待ち合わせを行いませんか?」「少々お待ちください」東郷は手帳を取り出し、予定を見た。さいわい、予定は空いていた。
僕は未成年だぞ。酒を飲んでもいいと思っているのか。だけど、東條内閣のパーティーの時には沢山酒を飲んだな。よし。人の誘いに乗ろう。沢山の酒を飲んでやろう・・・。
「いいですね。私も久しぶりに酒をすすりたいと思ったところですよ」「では、行きましょうか」「ですが、今、3時ちょっとですよ。今、料亭は開いていないでしょう」
「いえ、今からは行きませんぜ。私は今から首相官邸に行かなければいけないので」「さいですか。では、7時に向かいます」「お待ちしていますぜ」小磯は煙草を口にくわえ、議事堂方面へと上って行った。
東郷は、外務省前で待ち合わせをしていた。あのメンバーが集まっていた。東郷は走って彼等のもとへと急いだ。「なんだなんだ。政治家ぶってやがんの」嶋田が東郷をけなした。「うるさい。これでも東條内閣の外務大臣兼拓務大臣だぞ」「それならおれも一緒じゃねえか」「うるさい。ブタゴリラは軍人だろ。僕は政治家だぞ。ブタゴリラなんか、軍服ぐらいしか着た事がないくせに」「何を!俺を愚弄するのか」「まあまあ、止めましょうよ。軍人と政治家の喧嘩は。大人げないでしょ」彼等はみよ子のほうを向いた。「美代ちゃんが言うんだったら・・・」彼等は仕方なしそうな顔をした。
「そういえばキテレツ。さっきの所で会ってたおっさんは誰なんだ」東郷は、板垣の方へ向き、自信なさげに話した。「確か小磯国昭とか言ったっけ」「小磯国昭!」板垣は驚いた。そして、さっと財布を取り出し「この人だろ」と問いただした。「そうだよ。でもこの写真、カラーじゃん。なぜ?」「課題研究だよ。まあ、それはいいとして・・・」彼は、また探り始めた。
今度はなんだ。変な写真とか見せんなよ・・・。
「これだこれだ」板垣は東郷に名刺を見せた。「これが小磯国昭の名刺だよ」「なぜ、トンガリが持っているんだい」「忘れたかい?僕は板垣征四郎だぜ。僕は、朝鮮軍軍司令官を務めている。だから、この人とよく話をするんだ。この写真は最初に撮った写真さ」「ちょっと見せろよ。その名刺」嶋田がそれを横取りし、彼らに見せた。彼等は顔を近づけた。「小磯国昭。大日本陸軍軍人・陸軍大将・従二位・元拓務大臣・朝鮮ちょうせん総督そうとく」「へえ、お偉方なんだね」「うん」トンガリは首を縦に振り自信気に立っていた。「分かってくれればよろしい」「で、従二位ってなんだ?」嶋田が聞く。「うそ、従二位も知らないの」トンガリが言った。「おい、じゃあ言ってみろよ」「うん。従二位というのは・・・。あれだよ。うん」「トンガリ。本当は知らないんだろ」板垣は冷や汗をかきながら、嶋田をじっと見ていた。「従二位というのは、日本の位階の事よ。昔は大臣〔権大納言〕に就任すると同時に天皇からこの位をもらっていたのらしいわよ」「さすが、みよちゃん」3人は手を叩き、拍手をした。「話は変わるけど、この人に今日、築地の繁野という料亭に行くことになっているんだよ。どう?行きたい人はいるかい」「僕は行かせてもらうよ。小磯さんに話したい事があるからね」「そうかい。じゃあ、築地の繁野に7時、集合だぜ」「分かっているさ。行かせてもらうよ」「あの、私も行きたいのだけど」千代子が手を上げた。「実はね、夫の近衛文麿が言ったのよ」彼女は回想し始めた。「あれは夫が、背広などを着ている時だったわ。とても夫は嬉しそうだった。『今日、小磯君が朝鮮から戻ってくるんだ。僕は、彼を歓迎したいんだ。今日、僕は彼のもとへと向かうけど、君はどうだい?』と言ってきたの。私は、課題研究にもなるんじゃないかと思って『はい』と答えたの」「そうなんだ。近衛卿に絶対に伝えてね。今日の7時からだと」「もちろんよ」彼女は意気揚々としていた。「ブタゴリラは?」「俺はいいわ」「遠慮せずにさ」「いや、今日予定が入っているのさ。手帳を見ろ」彼等は見た。「なんだ。米内光政さんと、永井修身さんと戦争反省会か」「おう。山本さんは東の方向に向かったしな。そして、俺を育ててくれたのはこの2人なのさ」「そうか。じゃあ行けないね」東郷が残念そうな顔を見せた。「じゃあ、またね」2人は別れ、この場には2人残された。「おい、ちょっと待ってくれんね」「この声、この使い方は・・・」その者は、外務省の玄関から全速力で走ってきた。そして、走りすぎて板垣の体にあたり、板垣は下に落ちた。「おい、おっさん。気をつけろよ」「ごめん。ごめん。これから気をつけるばい」「廣田さん。どうかなさいましたか」「廣田?廣田!」板垣が呟いた。「本当に廣田さんですか?」「はい。そうですが、なにか」「廣田さん。私を覚えていますか?私です」「お!あなたは、板垣さん」東郷が板垣に聞く。「なぜ、お前の事を知っているんだよ」「僕が関東軍参謀長をしている時に、旅順で出会ったんだ。それが始まりなんだ。2回目は新京で出会ったんですよね。廣田さん」「だったかね。僕は、奉天でも会った感じがするが・・・」「それは、3回目です」「そうだったね。アハハ。最近年取ってしまって忘れてしまった事がたくさんあるようだ」「あの、廣田さん。何の御用ですか」廣田はきりっと顔を変えた。「東郷君。君は知ってるよな。今日、小磯が朝鮮から帰ってくるんだ。で、そんな話をしているのが聞こえてな、こうやって全速力で来たわけだ」「そうだ。廣田さん」板垣が廣田に耳を貸せの合図を送った。廣田が近づき、板垣がそれを教える。「そうかね。是非出席してもらいます」「あの、廣田さん。そんな大きな声を出されると近所迷惑になるのですが…」「この辺は、官庁の建物しかないだろうが。よっしゃーー」また廣田は、大きな声を出した。「はあ・・」東郷は溜息をついた。「じゃあ、首相官邸に向かいましょう」「そうだね」彼等は足早に去って行った。「おい。僕を置いていかないでくれよ」彼も声を張り上げてしまった。霞が関のビルに彼の声が良く響いて聞こえた。
彼等は首相官邸に到着し、2階に上がった。東條と小磯の声が聞こえる。彼等は扉越しに耳を傾けた。「朝鮮半島はどのような感じになっていますか。暴動は起きておりませんよね」「はい。大丈夫でごぜいやすぜ。きちんと、皇民化政策をしてますからね。朝鮮の民は日本人になりきってごぜえやすぜ。ご安心を。朝鮮の民は、植民地民であるがため玉砕でもなんでもすればいいのでごぜえやす。負けたら朝鮮のせいにもできますしね」「その通りです。さすが、先輩だ」「そうでござんしょ。アハハハ」
この2人、何かを企んでいるようだ・・・。
「じゃあ、失礼しやすぜ」小磯がその部屋を出てきた。小磯は驚いた。急に出てきた彼等を見て・・・。「どうされたのですか。ここまで来て」「小磯さん。お久しぶりです。板垣です」「板垣君だね。本当に久しぶりだ。それはそうとどうしたのだ」「このき、いえ、東郷さんから築地に行くことをお聞きしました。出来れば、私めをお連れして下さいませんか」「もちろんだ。いいとも。場所は築地の『繁野』で、7時に会合を開催す」「分かりました」「小磯君。わしもだ」小磯は辺りを見回した。「久しぶりだね。小磯君」「廣田さん・・・」廣田は陰から出てきた。「わしも行くことになった。きちんと聞かせてもらったぜ」「ギクッ」
 廣田ひろたこうじじい。この密談を聞いてやがったな・・・。
「そうですか。では、7時に集合願えます」「分かったー」「声が大きすぎます・・・」「そうか」廣田は苦笑いをしていた。「あと・・・」東郷が手を上げた。「東郷さん。何でごぜえやしょうか」「実は、近衛卿が出席を希望されておいでです。そして、千代子夫人も出席に希望されておいでです。どうですか。出席の許可を出されますか?」「もちろんでごぜえやす。天皇陛下の次にえらい様な方をほっとけるましょうかえ。秘書に申し伝え、電報をお送りいたします」「そうですか。私たちはこれで失礼します」「ん。君たち、何の話をしているんだ?」「東條さん。いらっしゃったのですか・・・」「もちろんだ。お、板垣じゃないか。お前に話をする事がある。この部屋の中に入れ」「ちょっと待って下さい。何の話ですか。戦争の話は御免ですよ」「貴様、それでも軍人か。米内光政みたいな考えをしているんじゃ軍人じゃない。中へ入れ」板垣は、嫌だと泣きながら東條に襟を持たれ、部屋に連れて行かれた。


午後7時、築地の料亭『繁野』にはハイヤ—ばかり止まって、黒服の男性ばかり門で守っていた。小磯がその車から降りた。彼は、予約していた部屋に入った。その客が車から降り立つ。東郷茂徳・板垣征四郎・近衛文麿千代子夫人・廣田弘毅という順番で降り立つ。「さすがだな。キテレツ。中は豪華だな」
「ああ、そうだな。こんなところ入った事がないから知らなかったが、すごいよ。ゴージャスだよ」「それはいいすぎじゃないか」「そうか」東郷は舌を出した。
「本日は私の為にこのような会を催して下さり、ありがとうございます。もうすぐしたら、もう1人お客が来ます。少々お待ち下さりたいと思います」東郷は板垣に聞いた。「誰なんだ。もう1人の客って」「さあな」「失礼します」「ほら、おこしになられた」「どうも御無沙汰しておりますな」
うそだろ。東條かよ。これはないよ。あいつがいたらいじめられるじゃないか・・・。
「何だ。板垣もいたのか」「内閣総理大臣が揃ったところで酒宴と行きやしょうか。では、皆さん乾杯!」「乾杯」「それにしても、近衛様がお越しになられるとは思いもよりませんでしたぜ」「そうかい。僕は君の友達だぜ。手厚く歓迎させてもらうよ」「それにしても、千代子さまは本当にお美しい。まるで、楊貴妃や小野小町の様だ。私にもこのような美人が妻だったら本当に良かったとつくづく感じておりますよ」「まあ」千代子の顔は赤くなった。「料理長並びに当館とうかん女将おかみがご挨拶に伺いました」2人は、襖をあけた。「このたびは、小磯国昭様の無事の帰国、私達も嬉しく思っております。最高の料理を私はおつくりする所存でございます」「そうですか。楽しみにいたしてますぜ。料理長殿」「はっ」料理長は正座をしながら礼をした。なぜか、心苦しかった。「小磯国昭様。ご帰国おめでとうございます。当館では、心をこめた対応をさせていただきます。ここにおりますのは、料理長の山岸・私は女将の野中と申します。よろしくお願いいたします。なお、何かございましたら係員にお申し付けくださいませ」料理長と女将はふすまを閉め、部屋の一員だけとなった。酒がたくさん運ばれてくる。「皆さん、沢山お飲み下せえ。会席もたくさんごぜえやすから」皆、食って呑み食って呑みの繰り返しであった。「いやー、東郷さんと会えるのは実にすばらしい。平和主義者様と会える事が出来たのでごぜえやすからな」「そうですか・・・」
こいつ、本当に何かを企んでいる。僕に。そして、東條の様子が少しおかしい。もしや・・・。

「小磯。いいすぎだぞ。無礼講かもしれんが」近衛は注意した。「申し訳ございやせんな。だが、平和主義者なのは本当の事でござんしょ」「確かにそうだ。だが、私も平和主義者の一員だぜ」沢山の料理が運ばれてくる。その料理は皆、小奇麗であった。いつもは食べれない彼等は、とても驚いた。「小磯さん。話と言うのはこの事です」板垣が話を切り出す。「この皇紀2601年、太平洋戦争が始まりました。この事は御存知でしたか?」小磯は腕を組んだ。「いや、知らなんだ。朝鮮には情報が伝わるのは遅いからな」「いえ、知っているでしょ。廣田さん」板垣は廣田にあいづちを返した。「よお、小磯君。君がこの東條君と話しあっていた事は何だね。私には玉砕などと言う事が聞こえたが」2人は冷や汗をかいた。「いえいえ、そんな事言ってるわけないでしょ・・・」「玉砕?」近衛達は驚いた。「お前らそんな事考えていたのか。このくそ野郎。お前らそれでも軍人か。軍人は、この大日本帝国の民、天皇陛下を守るためにいる者達だろうが。これでは、幕末期の新撰組と一緒じゃないか」東條は逆ギレした。「近衛。陸軍を逆らうのは犯罪だというのを知らないか。お前は反国民だぜ。お前の身柄を引き渡してもいいのか?え、言うてみい。この青二才めが。そして、板垣。お前それでも軍人か。軍人は戦わなければいけない。それに、植民地民の事なんか知るもんか。後で陸軍省に来い。分かったか」「東條さん。僕はあなたの後輩だ。だけど、これだけは言わせてもらいますよ」「おう、言ってみろ」「あなたと小磯さんが行っている事こそ反国民にあたいしますよ。私は、関東軍参謀部長・朝鮮軍司令官を務めました。朝鮮族も満州族もみんな生き生きとしています。そして、私たちを慕ってくれているのです。私は、この人々を愛しています。ですが、こんなことをしたらどうでしょうか。諸外国から日本のやることは人権的になっていないと非難を浴びさせられるでしょうよ。あなた達のしている事は人間がやることではない。いや、人間以下の事をしているのだ。軍人と言うものは、他人を助けるために、自分を犠牲にする職業だ。これは、私も思うし阿南さんも言っていた。あなたがたのしている事が下の二等兵などにばれたらどうなりましょうや。二・二六事件よりひどいことになるでしょうよ。そしてあなた達は殺される運命にあるのだ。これを遂行すれば、あなた方の自業自得であなた方の人生は終わりを迎えるのだ」小磯と東條は後悔した。板垣が言った事は、あの土肥原や松井も同じことを思っているのだろうと彼等は感じた。「板垣。わしが悪かった。これでは軍人ではあるまい。ただの戦争犯罪人だ。わしは考えを見直した。ありがとう」東條は彼にひれ伏した。小磯もそれに合わせた。「板垣君。君は凄い。僕だとこんなことはできなかった。君だからできた事だ」近衛は彼を誉めた。「詔は出された為、戦争はしなければなりませんが、この考えは戦争の終焉になってから分かる事でしょう」板垣は座った。「トンガリ。君はかっこいいよ。君だからできた事だ。僕は君を尊敬するよ」「え。ハハハ」と彼は笑った。「さあ、また乾杯しやしょうぜ。ありがとう。板垣・・さん」小磯は彼に苦笑いをして見せた。彼も笑った。この時が一番幸せに見えた。だが、この何日か後になると本当に始まってしまうのであった。
〔第五話へ続く〕

Re: キテレツ大百科 昭和の間違い 第4話に出てくる語句 ( No.8 )
日時: 2011/05/02 15:51
名前: 上野宝彦 (ID: ieojggCq)

第4話にも沢山の語句・人物名が出てきます。新しい登場人物紹介も合わせてご紹介させていただきます。

〜新登場人物〜

小磯国昭・1880〜1950.栃木県で生まれる。山形県の陸軍師範学校・陸軍大学校に入学した。1939年〔昭和14年〕、平沼騏一郎内閣の時に拓務大臣に就任。また、米内光政内閣でも拓務大臣を務めた。1942年に朝鮮総督に就任。皇民化政策を推し進めた。1944年〔昭和19年〕、組閣の大命が下り、第41代内閣総理大臣に就任した。終戦後、GHQにより捕まり、極東国際軍事裁判で終身刑の刑を処せられ、1950年〔昭和25年〕、巣鴨刑務所内で食道がんにより死去した。

廣田弘毅・1878〜1948.福岡県の石材店の息子として生まれる。東京帝国大学を卒業し、外務省に入省する。同期に吉田茂がいる。1927年〔昭和2年〕、オランダ公使を拝命。1930年にはソビエト連邦特命全権大使を務めた。1933年〔昭和7年〕、斉藤内閣の時に外務大臣として就任した。1936年〔昭和11年〕、組閣の大命が下り、第32代内閣総理大臣として就任した。だが、軍部の揺さ振りにより8カ月の短命内閣となった。
翌年、第一次近衛内閣でも外務大臣に就任した。
戦後、GHQにより逮捕され、文官としては唯一、死刑判決が出され、その年の12月23日に巣鴨刑務所内で執行され、70歳でこの世を去った。なお、廣田に関しては東京裁判の時に無罪を主張していた国もあり、死刑判決が出された時には衝撃が走ったという。

〜語句紹介〜

京城・大日本帝国の植民地時の地名で、今のソウルの事。

平壌・朝鮮民主主義人民共和国の首都。

築地・東京都中央区にある地名。築地市場があることで知られる。地名の由来は徳川家康が江戸を作る時に埋立地として作った事であるという。東京メトロ日比谷線に駅がある。

三宅坂・東京都千代田区にある坂の名前。半蔵門外から警視庁ぐらいまで続くゆるやかな坂で、政治の中心地にある坂である。由来は、江戸時代にこの坂の途中にあった三河国田原藩の三宅家の上屋敷があった事であったという。

朝鮮総督・朝鮮総督府のトップで、植民地時代の朝鮮半島のトップの役職の事である。なお、小磯国昭は第9代目の朝鮮総督である。

権大納言・定員外の大納言の事を表す太政官の役職。

関東軍参謀長・大日本帝国陸軍の総軍の一つの関東軍のトップのこと。

旅順・中華人民共和国の遼寧省大連市にある市轄区。昔は、関東軍参謀部の建物などがあり、日本の植民地と化していた。日露戦争時の旅順要塞はよく知られる。

新京・満州国の首都。現在の中華人民共和国吉林省の省都である長春市の事を表す。

奉天・満州国にあった奉天市のこと。現在の中華人民国遼寧省の省都である瀋陽市を表す。

ハイヤ—・政治家などが使う高級なタクシーの事。黒塗りの車が多い。

皇紀2601年・1941年の事で、日本の年号の表し方である。皇紀とは、昭和前期に作られた年の表し方で、神武天皇が就任した時から数えて2601年たったということを表している。

皇民化政策・朝鮮半島や台湾などの植民地で、そこに住んでいた人々の名前を日本風に変え、神社に強制的に参拝するように勧め〔朝鮮神宮参拝〕、子供達には日本語などを教え、天皇を敬えとする政策の事。

玉砕・全員の兵士がいっぺんに死ぬ事。サイパン島の玉砕は有名な話である。

平和主義者・戦争をしてはならないと唱えている人の事。特に戦争時の国でこの考えをしている人を言う。日本の戦争時の時のこれの考えを持っていた政治家として有名であるのが、東郷茂徳である。

新撰組・幕末の頃の京都で、反幕府勢力の者を逮捕したりする幕府の警察の事で、近藤勇を主力とする部隊である。戊辰戦争時では、幕府軍として参加した。池田屋事件や近江屋事件〔京都見廻組や紀州藩・長州薩摩藩・グラバー説がある〕をしたことで有名で、近江屋事件を引き犯した罪で局長の近藤勇は切腹し、新撰組はもうなくなったも同然になった。京都の人々から畏れられたことで有名なので、ここではその例えとして出てきている。なお、銀魂に出てくる「真選組」はこれを題材として作った架空の部署名である。

非国民・昔の日本であった罪名の一つ。アメリカやイギリスの事を鬼畜米英と言い、道の歩道などにその代表者〔ルーズベルト・チャーチル〕などの顔を描き、これを踏まないと処罰された。

朝鮮族・朝鮮半島にすんでいる人々の事を言う。中国の吉林省には、延辺朝鮮族自治州と言う自治州がある。

満州族・中国東北部に住んでいる人々の事を言う。〔モンゴル族は含まれない〕。日本の植民地時代の時は、この様な言い方をされた。中国の「清」という時代の王朝は、満州族が作った異民族国家である。

二等兵・日本の陸軍の一番下の位の人々の事を言う。陸軍大将の指令を聞き、それに沿って動く兵隊の事。

二・二六事件・1936年〔昭和11年〕に起こった陸軍の青年将校達のクーデター未遂事件の事。当時の総理大臣であった岡田啓介・大蔵大臣の高橋是清・侍従長の鈴木貫太郎・内大臣の斉藤実・陸軍教育総監の渡辺錠太郎などを暗殺しようと企み、高橋是清・斉藤実・渡辺錠太郎の3名を殺害した。これの後、これに参加したものは、裁判で死刑などの判決を受けた。

土肥原・土肥原賢二の事で、陸軍大将であり、奉天特務機関長などを務めた。土肥原・秦徳純協定を台湾の秦徳純と協定を結び、華北分離工作を推薦した。戦後、GHQに逮捕され死刑判決を受け、巣鴨プリゾン内で絞首刑に処された。

松井・松井石根の事で陸軍大将・ハルピン特別機関長などを歴任した。GHQに捕まり、南京事件を起こしたとして処刑させられた。

これで終わりです。他分からないところがあれば掲示板にお書き下さい。第5話もお楽しみに。





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