複雑・ファジー小説
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- はきだめと方舟 [SS集]
- 日時: 2015/11/21 19:03
- 名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ (ID: NtGSvE4l)
はろーはろー
小さな声を紡いでいこうよ
□どうも、柚子といいます
□あてんしょん? 短い文を書いたり、詩を紡ぐ、『*』は閲覧注意です
『Special Thanks』は、添削、お題提供、イラスト提供して下さった方です
■書きもの:SS
■続きもの:二レス以上五レス以下のSS
◆紡ぎもの:詩
▼書きとめ:思ったままに連ねられたもの
★描きもの:描いていただいたイラスト
■書きもの
からっぽらっぽ(>>001)
切っ先(>>006) Special Thanks ⇒ Mr.Taros@
君に酔いしれて(>>010) Special Thanks ⇒ Ms.Shiachi
咎人(>>012)
黒猫と雨(>>013) Special Thanks ⇒ Mr.Taros@
君とともに(>>014)
金魚は円周率を覚えることが出来るか?(>>017) Special Thanks ⇒ Mr.Taros@
グランシャリオンは殺された。(>>018)
骨董屋の憂鬱は、(>>019) Special Thanks ⇒ #KuusoShokugyo
ある日、道の上で(>>020)
■続きもの
束縛的事情 Ⅰ(>>003)*
束縛的事情 Ⅱ(>>005)*
◆紡ぎもの
夢物語(>>007) Special Thanks ⇒ Ms.Yugen
千尋の中で(>>011)
▼書きとめ
もう一人、きみが居て(>>004) Special Thanks ⇒ Mr.Taros@
しがない独り言(>>021)
★描きもの
裡蔵 裕樹(>>002) Special Thanks ⇒ Ms.Watiya
□予め
[黄昏日記]
[そしてまた、]
□Since 2014.02.02
Restart 2015.11.21
□2014.02.02
シリアス・ダーク小説板より移転。
□何かあれば、以下まで
twitter ⇒ @2516Yuzu
- Re: はきだめと方舟 [短篇集] ( No.13 )
- 日時: 2014/02/22 22:08
- 名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ (ID: BoToiGlL)
「おい、汚物。ちょっと顔貸して」
終業のチャイムが鳴ってすぐ、教室の引き戸が開いて名前を呼ばれた。高い声から、女だと分かる。周りの同級生達は「またか」とでも言いた気な表情で、知らん振りを決め込んでいる。相変わらずの汚い世界。溜息をひとつ吐き、机上に広がる教科書をカバンにしまい、立ち上がる。敢えて教卓の前を通った。教室中から向けられた視線は冷ややかだ。
態々開けてくれた扉を通り、廊下に出ると、教室とは比べ物にならない寒さに、思わず眉間にしわがよる。ジャケットを置いてきたことを、少しだけ悔やむ。
「ちゃんと着いてこいよ。逃げたらぶっころすかんな」
高い声で、威嚇するように言っている様がなんだか面白い。特に逃げる理由も無いため、二人のあとについて歩いていく。一人なら逃げることも出来たが、二人だとは思わなかった。寒さに体を震わせる。こんなに寒いのに雪は降らないのかと、外をぼんやりと眺めれば雨が降っている。LEDの電灯が長い廊下を照らし、同じように窓ガラスを照らしていた。
多量の雨粒がきらめいた。なんとものん気で腹立たしい。今、雲から降り落ちるそれらのように、忙しなく動けばいいと心中で毒づく。
階段を下りていくと、僅かな喧騒と小さな人だかりが出来ていた。終業してあまり時間も経っていないのにも関わらず。先導していた二人の女子生徒も、その中にすうっと吸い込まれていく。人だかりの中心にいたのは、大嫌いな男子生徒——空気清浄機——だった。黄色い声の中に向かっていくと考えただけで、気持ちが悪くなる。溜息をもう一つ吐き零して、階段に座り、カバンから『夢十夜』を出した。
漱石の美しい世界に浸ることができる、一番気に入っている本だ。栞を取り、漱石の世界に浸る。黒い瞳。死んだ女との約束と、儚く白い百合との再開。使われる言葉の全てが無駄の無い、美しいものだ。一頁、また一頁と読み進める速度が上がっていく。そうして夢中で本の世界を追っていると、本に影が落ちていた。
本を閉じ、顔を上げ影の主を見上げる。下半身までで、目の前に男子生徒、その後ろに女子生徒が二人いるのが分かった。ゆっくりと更に上へ、上へと首を傾ける。目の前の男子生徒の顔が分かった瞬間に、沸々と湧き上がった嫌悪感を露にしてしまった。空気清浄機が、いるとは思わなかった。後ろにいたのは先ほどの二人。見下ろされるのが嫌で、カバンを肩にかけて立つ。じっとりと空気清浄機を見れば、凛々しい瞳が見返してきた。
無言のまま数秒ほど見合う。目線だけで何か言われた気がしたが、興味はないので気にしない。意外にも先に折れたのは、空気清浄機だった。視線をはずし、中指を突き立てて階段を上っていく。どうやら空気清浄機を見るだけで、拒絶反応が起こるようで、(言い様のない)吐き気に襲われた。
「……どこまで連れて行くつもり?」
空気清浄機の後姿をうっとりしながら見つめる二人に、問いかける。そんなに清浄機はかっこいいのだろうか。二人ははっとしたように肩をビクつかせ、バツの悪そうな顔をし階段をバタバタと下りていく。向かったのは体育館のほうだった。再び溜息を一つ吐き、浮かんだ考えを外に吐き出した。雨はいっそう強く降っている。
◇
「ったく」
大きな音を立てて、椅子に座る。周りの求める『かっこよく優しい人』というイメージが、鬱陶しくて、たまらない。
「せーじょーき、お目当ての子には会えた?」
「会った。けど、連れがいたから戻ってきた」
机においてあった炭酸飲料を、ぐいっとあおる。目の前の友人に、理不尽な苛立ちを覚えた。俺がこんな姿を晒す相手は、本来ならお前じゃない、そう言ってやりたい。そう思いながら、ポテチを食べる。うすしお味。好きな味に、少しだけ機嫌は良くなった。
俺が想っているにも関わらず、汚物はきっと誰にでも股を広げる。根拠の無い考えが頭をよぎると、胸が苦しくなり、腸が煮えくり返るほどの怒りがこみ上げる。それくらい、俺は汚物に惚れていた。もう一度炭酸飲料を飲み、立ち上がる。
「帰る」
「嘘吐き」
目の前の友人を睨む。飄々とした笑みは、その顔から消えていた。心の全てを見透かしているような、陰のある笑み。図星をつかれた事実を隠そうと思うが、口からは何も言葉が出ない。口を開けば、自ら墓穴を掘りそうだ。
「会いに行くくせに」
その言葉の一つ一つが、ゆっくりと聞こえ、ずしりと俺の心の中に溜まっていく。じっと友人の顔をみると、猫のようにニヤッと笑う。相変わらずの、くさい笑顔。
「行ってこいよ。手荒にしてやんなよ? 空気清浄機」
「うっせーよ。つーか、お前は瀬良って呼べよ。清浄機呼びは汚物だけだ」
吐き捨てるように言い、カバンとジャケットを持ち扉を開ける。背中に届いた「分かったよ、梓ちゃーん!」の声には、中指だけを返しておく。この関係が、どうしても心地よく、やめられない。もしかしたら、心のどこかで浮気をする俺を、汚物は嫌いになったのかもしれない。
先ほど汚物と会った階段を下りる。物があまり入っていないカバンは軽く、ぽんぽんと背中をはねていた。汚物のカバンはどれくらい重いのかを考えながら、女子生徒が言っていた特別教室へと向かう。
◇
沢山の小さな世界が一つに重なっていく。そう思ったら、その世界は何倍にも膨れ上がる。外は変わらず雨が降っている。外も中も、何も変わらない。肩がだんだんと痛くなり、床にカバンを置く。溜息を吐いただけで、こっちを見る女子生徒たちの視線が鋭くなった。
「あんたさ、汚物の癖に何様なの?」
偉そうな口調で、声を発したのは違う学年の生徒だった。何人かのグループで歩いていたのを、前に一度だけ見たことがある。受け答えが面倒で黙っていたら、更に視線が鋭くなった。いい加減、迷惑だから止めてほしい。勝手に呼び出して勝手に怒るなと言いたい。
「あんたのせいで、梓くんと話せないんだけど」
勝手に話せば良いじゃないか。そう言おうと口を開こうとしたが、出す寸前で粉々に崩れ去った。遠くの窓に映る外は、更に雨が降っている。雷が落ちそうな気がした。
「空気清浄機は——誰にでも優しいよ。話も、してくれるはずだよ」
静かに目を閉じ、ゆっくりと言葉を吐いた。
暗い暗い世界に写るのは、誰にでも笑顔と愛想を振りまく空気清浄機の姿。どうやら周りの女子生徒たちに、嫉妬していたみたいだった。誰に何を言われても、今はどうでもいい。どうせ、願わなくても空気清浄機はやってくる。
「……俺は、誰にでも優しくねーぞ」
ガラガラ、と引き戸が開く音がした。ゆっくりと、視界に光を入れる。外の雨は、少しだけ弱まってきていた。目を開くと同時に、女子達の黄色い声が鼓膜を振るわせた。誰にでも人気な空気清浄機が、ひどく羨ましいと思ってしまう。
「清浄機。もし僕を好きにしたいなら、後で好きなだけ殴りなよ。清浄機から向けられる暴力は、少しも痛くない。たまった鬱憤は、雨に濡れた黒い猫に発散してよ。待ってるから」
それだけの言葉を置いて、カバンを持って部屋を出る。後ろで聞こえた空気清浄機の、僕を呼び止める声は聞こえない振りをした。
生徒用玄関に行く頃、雨はまた酷く降っていた。遠い昔に見た、雨粒にうたれ濡れ鼠になった黒い猫を思い出す。抗いようの無い力に、屈しなかった黒猫を。雨の強さに、その黒猫は涙を流していた。成猫ではない、小さな黒猫だった。
脳内を駆け巡る過去を思い出しながら、靴を履き、傘を手に取る。玄関から出ると、思っていたよりも強い雨粒の勢いに気圧されそうになった。
僕は何度目か分からない溜息をはいて、
■雨と黒猫
- Re: はきだめと方舟 [短篇集] ( No.14 )
- 日時: 2014/02/27 21:39
- 名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ (ID: S20ikyRd)
気付けば私の世界は、真っ暗だった。
何をしていても真っ暗闇。耳も聞えなくて、いっつも私は一人ぼっちなんだって思ってる。唯一分かった、人のぬくもりも、感じることが徐々に辛くなってきている私が居る。
「おはよう」
そっと右の頬に慣れ親しんだぬくもりがやってくる。そっと私が、右へと顔を動かすと、優しく頭を撫でられた。私は、この手が大好き。口元に笑みを浮かべれば、その手は私の腕に言葉を書いていく。耳が聞えない私に言葉を伝える手立ては、もうそれしかなくなっていた。
ゆっくりと、それで居て優しく分かりやすく言葉を書いていく指が、たまらなく愛おしい。
かわいいよ。
腕にそう書かれた後、嬉しくて頬を紅色に染めてしまった私の頭を、その手はぽんぽんと触る。なんどかそうして頭を撫でられた後、その手のぬくもりは遠くに消えてしまっていた。いつも、私が伝えたい言葉を紡ごうとしたときに、その手のぬくもりは消えていく。それがとても切なくて、悲しい。
——私の言葉を聴きたくないと言っている様で。感情のダムには沢山の雨が降ってくるみたい。
ぬくもりが居なくなった夜の中で、私は静かに歌い始めた。
歌いながら、私は雨が降っていることに気が付いて驚いた。知らないうちに、私は外に出ていたのね。あのぬくもりが教えてくれた、危ない外の世界に。そう思うと、何故か雨は降り止んだ。
そしてまた、私は歌いだす。
あのぬくもりを想って歌うと、また雨が降り出した。ざあざあと降り、とどまるところを知らない様子はダムが決壊しているのと、あまり変わらない様にも思えた。歌い終わった後に、私は開いていた口を閉じる。壊れたダムは、まだ改修作業も追いつかない。太もも辺りまで被っていた柔らかな布団を掴み、そっと目元へと近づける。
目元の薄い皮膚がぬれていく感覚が、布団を通して私の脳へ伝わった。
「きれいな歌だね」
静かにすすり泣く少女の、閉ざされた瞳から流れる涙が、酷く痛ましいものに見えて仕方が無い。聞えない耳では、俺の声が届かないことも知っている。引き戸が開く音も、俺の足音も、様々な声も、彼女には届かない。
ベッドの直ぐ横、木製の椅子に腰をかけた。いつも俺が居なくなると泣いている声が聞えていた。耳の聞えない彼女に、声の大きさを制限するのが難しいことは知っている。彼女の母が生前言っていた、彼女の好きなダージリンの紅茶をいれるため、買ってきたティーポットにお茶の葉を入れる。ポットのお湯をティーポットに入れると、ふんわりとバランスの取れた香りが俺の鼻腔を擽る。
同じく彼女の嗅覚を刺激したのか、彼女のすすり泣く声は少し落ち着きを取り戻し、ゆっくりと彼女は俺のほうを見た。閉じきった瞳の周りは赤くなり、涙の後がうっすらと残っている。「誰が居るの」とも「いいにおい」とも言わないのは、彼女自身自分の声を制御できないと知っているからだった。
お盆にティーカップを一つと、スティックシュガー一本、ティーポットをのせ彼女のベッドの横にある棚にのせる。カップの半分くらいに紅茶を注ぎ、スティックシュガーを一本入れ混ぜたものを、彼女に渡す。こぼさないように慎重にカップを持たせると、彼女はゆっくりとそれを口に含んだ。
「美味しい? 君のお母さんが生きていたときにね、君がこの紅茶を好きだって言ってたんだ」
聞こえないのは知っている。けれど聞こえていて欲しいと願うのは、彼女を愛しているからだ。もしかしたら彼女は、ずっとこのままで良いと思っているかもしれない。それでも、俺は彼女に少しでも回復して欲しいと感じている。うっすらと笑みを浮かべる彼女の姿が、俺にはおかしなことに聖母のようにも見えた。
俺にとっては可哀想な障害たちも、彼女には障害と感じていないような、そんな感じがする。彼女がどこに置こうか迷っていたティーカップを驚かさないように受け取り、お盆の上に戻す。そして、そっと腕に指をあてた。
もうぜったい、おれは、いなくならないから。
彼女が間違えないように、ゆっくりと一字一字腕に書いていく。
そっと視線をあげてみると、彼女は涙を流したまま、まだ十代の無垢な笑顔を浮かべていた。
「君の夜は明けなくても、そっと俺が支えてあげるから」
そういって俺は、優しく彼女に口づけをした。最初は戸惑っていた彼女の手を、上から優しく包み込む。強張っていた彼女の体は、そうすることで少しだけ力が緩んだ。唇を離して、また彼女の頭を撫でる。
顔を赤くして、彼女ははにかんでいた。閉じた瞳が少しだけ細くなっている。それがとても可愛くて、俺も照れ臭くなってしまった。彼女の柔らかい、栗色の髪を手でとかす。この柔らかい髪が、好きだ。あまり聞くことが出来ない声も、閉じたままの瞳も、全てが愛おしい。
ずっと、いっしょにいよう。
彼女の腕に、ゆっくりと書く。書かれた文字を理解した彼女が、また頬を赤らめ、小さく頷いた。
■君とともに
—————
君への優しい愛情を。
君に愛しい感情を。
—————
SSPのほうでも投稿させていただいた作品。
原案は、後日あげますかねぇ……。
SSPはまったり書いてるので、来月頭あたりにあげれるかなぁ。
でも期限がね、終わらないんだこれが。
- Re: はきだめと方舟 [短篇集] ( No.15 )
- 日時: 2014/02/28 08:02
- 名前: 羽瑠 ◆hjAE94JkIU (ID: or.3gtoN)
>> 柚子 さん。
こちらでは、お久しぶりですねー。
どうも、てへぺろはなさんです(笑)
せうじょうきとおぶつの話はSSPの方で
すっごく気に入ってたので、こっちでリメイク版!?
うわわわ。嬉しや。嬉しや。
相変わらず、文章もが洗練されている。
凄いの、ひとことに尽きます、はい。
嗚呼。見習わねば。ふんふん。
更新、楽しみにしております。また来ますねー
それでは!(*^^*)/
- Re: はきだめと方舟 [短篇集] ( No.16 )
- 日時: 2014/03/02 11:28
- 名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ (ID: Z6QTFmvl)
羽瑠さん
コメントありがとうございます。
雨と黒猫は読んでわかります通り、リメイクじゃありません。
そのまま転作しまた。
まだ未熟ですので、文章が洗練などという言葉は似合いません。
本当に上手い方々に、なめくさって、と思われます。
- Re: はきだめと方舟 [短篇集] ( No.17 )
- 日時: 2014/03/06 15:11
- 名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ (ID: 8bddVsaT)
小さな箱を壊すことは、幼い頃から良しとされずにいた。自分の意思で何かを暖めることも、覚ますことも、してはいけないと。幼い頃見た両親の顔は、今となれば思い返すことも億劫。
最新の記憶は両親のことを考えた、さっきの記憶だ。時計を見やり、小さく口元に弧を描く。直ぐそばの木製のローテーブルから、妖狐を模ったお面をつけた。目元を隠し、口元だけが露出している。
鈍く悲鳴を立てる床を、ゆっくりと歩く。穴を開けないように、というよりも誰かにその姿を見せ付けるように。着ている着流しを脱ぎ、面とは合わない燕尾服のような正装を着た。
そうして 、脱いだままの着流しを白い手袋をつけた手で持つ。部屋の隅に山積みされた、サイズが違う服たちの上に雑に置く。静かに、不釣合いなほど豪華な扉を開け、部屋を後にした。ギィ、と。ガチャン、と。何処ででも聞ける音を、背中に受ける。
新調し立ての革靴。皺を伸ばしたばかりの燕尾服。愛するあなたへの笑顔。全ての準備は、しっかりと出来ている。両腕を伸ばして、あなたを抱きしめる準備も、もう出来ている。数メートル先の扉を、笑顔を貼り付けたまま開けた。
扉の隙間から、少しずつ少しずつあなたの姿が分かる。伸びっぱなしの長い髪、その隙間から見える大きな瞳、骨と皮だけと形容できるほどの細い肢体。開いた扉の向こうから、あなたも此方をじっと見る。交わ った視線に、あなたは嬉しそうな顔をした。
ゆっくりと立ち上がり、あなたは私に近寄ってくる。黒い革の首輪が、月光を反射してキラリと光った。真っ白な肌が、月光で青白くうつる。私は優しい笑みを浮かべて、室内に入った。私にとって、夢と希望が沢山詰まった小さな箱に、最愛のあなたがいる。
それだけが全てで、それ以上は一つもない。そのことをあなたも分かっている。あなたのいた部屋には、文字や音は一つもなかった。あなたが純粋で、無垢なままで居るために、私が態々してあげたこと。
だからあなたは言葉を話さない。この世界を構築しているものの一つも、分からないでいる。ただ私の愛情を、あなたが只管に感じているだけ。それだけで私は満たされて、あなたも同じように満たされる。
それだけが全て。優しくあなたを抱きしめて、その恐ろしく軽い身体を浮かす。あなたは嬉しそうな笑顔になって、私の首にぎゅっと細い腕を巻きつけた。
北側に置かれた、大きな天蓋のある柔らかいベッドに、あなたをおろす。あなたの目にしっかりうつるように、私の右手を出す。そうして背を向け、部屋を後にした。歪みかけた弧を、元に戻すために。
「相変わらず趣味が悪いのね」
扉が閉まる音を背中に受けたのとほぼ同じタイミングで、聞き覚えのある女性の声がする。面を取って女性と視線を交える。
「ええ、と」
見覚えのない姿に、私は緩く笑んだ。女性は私を軽蔑するような目で、まじまじと見る。探る様な私の視線をも、女性は軽蔑しているようだった。そして女性は、口を開く。
「貴方が何処に居るのか、何年も探しましたよ。家を飛び出して一体何をしているかと思えば、また可笑しな世界に足を踏み入れているようね」
「貴女は?」
笑顔を変えず、静かに言う。女性は、眉間のしわを更に深く刻み、呆れたように言い放った。
「母親の顔も、忘れたのね」
大きな、ため息。
嗚呼そういえば聞き覚えがある。酷く陰鬱な世界にいたときに、背中によくぶつけられたもの。変わらないトーン。
「一体何をしに」
「貴方を連れ戻しに、態々来たのよ。へんな世界に入っているようだけれど、その部屋にいる子を出しなさい」
女性の視線の先は、私の背中の奥にある扉を見ていた。不機嫌そうな顔で、早くしろとでも言いたそうに。私は内で沸々と湧き上がる憎悪と嫌悪に、特別な懐かしさを感じていた。
「貴女に捨てられ続けた私の世界を、また、踏みにじると仰っているのですか」
気付けば笑顔は消えていた。幼い頃に大切に持っていた、小さな箱を思い出す。水槽のようなガラス張りの小さな箱。その中に大切に暖めていた、永遠に続く生の循環を。
ただ誰にも理解されることがなかっただけの私の世界は、とても簡単に壊された。私の大事な小さな箱を、重たい金属の棒で雑に壊す。飛びちる破片に傷を作った彼らは、キィキィと辛そうな声で鳴いていた。
嗚呼待ってと泣き叫ぼうが、彼らを助けようともがこうが、全ては無に帰された。まとめて火にくべて、毛が焼け肌が焦げる香りが、私の鼻に染み付いた。大きな悲鳴は、だんだん聞こえなくなる。焦げ臭いにおいも、なくなった。
残ったのは粉々の小さな箱と、夢をたらふく蓄えた彼らの小さな骨だけ。昇華された夢を掴むことは、確かに私には出来なかった。
「良しとされない小さな箱を作ることも、私の世界を暖めることも。私が目を覚まさない限り作るな、と仰っているんですか」
私の口調は、自虐のようにも感じられる。冷めた視線の女性は静かに「ええ」とだけ。そうして「早く連れて来なさい。貴方の作っているのは、ただの気味が悪い居場所だけよ」と。
そう言って女性は低いヒールをかんかんと鳴らし、私に近づいてくる。目的は私の後ろにある、重たい扉。女性が横に来たときに、私の身体は反射的に行動していた。女性の腕を掴み、力を込める。睨まれても、止めずに。
女性の腕を、私のほうへ引き寄せる。唐突なことにバランスを崩し、私のほうに倒れこんでくる女性の頬を、思い切り殴った。白い手袋が、女性のファンデーションの粉で少し汚れる。
力任せの行為で、女性は狭い廊下の壁にぶつかった。少し大きな音が鳴ったけれど、どうでもいい。
「昔壊された小さな箱の恨みは、忘れていませんよ。だから、気が狂ってしまいそうな、そんな部屋はもう作り終えているんです」
大切なあなたへ向けていた笑みを、女性に向ける。心底恐ろしそうな表情だけれど、私は一つも気にしない。昔の小さな箱のように、様々なものを入れて何年も何年も放っておいた部屋。大きくした小さな箱に、また新しく入れるものができたから。
女性の腕を掴み無理やりに立ち上がらせ、廊下を歩いていく。あなたにも教えたことが無い、私と、中に入れられたもの以外知らない部屋。部屋を二つに分けて、片方を水槽にした特別な場所。
「貴女もきっと好きになりますよ。小さな箱には、沢山ねずみが居て金魚が居て、蛇も蜘蛛も居ますから」
私の声は自分でも驚くくらい嬉々とした声色だった。新しい玩具を与えられた子どものような、そんな声色。
「小さな箱には、沢山の夢が詰まっていますから、寂しい気持ちにはならないと思いますよ。それでは、また数年後にお会いしましょう」
とある部屋の扉を開き、女性を隙間から室内へと入れる。扉が閉まる寸前に、断末魔のような悲鳴が私の耳を劈いた。扉が閉まるまで頭を下げていた私の口元は、弧を描く。
征服欲と支配欲が心を満たす。小さな箱の秩序を壊すことを、大人になって良しとした。自分の意思で暖めること、覚ますことも、良しとすることができた。
そしてまた、私は重たい扉を開けて、あなたに笑顔を見せる。あなたが純粋無垢で居続けるために。
■金魚は円周率を覚えることが出来るか?
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小さな箱が終わるように、確か円周率も割り切れる。
箱で愛でられる金魚に、永遠を生きることが出来るだろうか。
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たろす@さんの御題『金魚は円周率をおぼえることが出来るか?』をお借りしました。
有り難う御座いました。
掲載後の報告を、報告と代えさせていただきます。