複雑・ファジー小説
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- 君の絵
- 日時: 2014/02/15 18:47
- 名前: みーこ. (ID: J9Wlx9NO)
「乾杯!」
その声とともに、ビールグラス同士が当たって、耳が割れるような音が一瞬響く。
高校の同窓会。正直、高校時代にはあまりいい思い出はない。
二十一歳、大学三年。
昔から、自分の名前が嫌いだった。菊池爽真(きくちそうま)。爽、という字はバツを四回も書く。自分の名前でバツを書くのは、少し残念な気がする。
「爽ちゃん、久しぶり! 何やってんの?」
話しかけてきたのは、高校時代唯一友人だった、辻村夕貴。クラスの中心と言っても過言ではないので、夕貴にとっては接する機会が一番多い、ということはない。
「まーボチボチ。バイト三昧」
「へーそっか! 大変だな」
「うん」
突然横の方から夕貴を呼ぶ声がして、夕貴はそっちへ行った。
ふと、辺りを見回してみると、すでにいくつかのグループは、ベランダで話をしていた。他にも、抜けている男子たちがいたので、どこかで話しているのだろう。
今日この店は、バイトしている元クラスメイトのおかげで、貸切になっているらしい。
この場に座って一人で飲むのも気まずいので、カウンターに移動した。
勢いよくビールを口に流し込むと、頭の中で周りにいるみんなの声がどこか遠くにいるような、そんな感覚に陥った。
突然、ドアが開く音がして、なんとなく目をそっちへ向けてみる。
「久しぶり、みんな」
その声を聞いたとき。心臓がおかしくなるかと思うほど高鳴る。グラスを口につけたままの俺は、思わずビールが喉に入って咳き込んでしまう。
——彼女が、来ないと思って参加したのに。
初めまして、orこんにちは。
みーこです。
えっと、この小説はあるサイトで現在進行形で更新しているんですが、修正かけたいところがいくつかあったりするので、ここでも書きたいと思います。
もくじ
1章【再会】
1話 >>0001 >>0002 >>0003 >>0004
2話 >>0005 >>0006 >>0007 >>0008
未熟な部分もありますが、アドバイス、感想等よろしくお願いします!
- Re: 君の絵 ( No.4 )
- 日時: 2014/01/19 10:13
- 名前: みーこ. (ID: J9Wlx9NO)
「爽ちゃーん」
またか、と思う。待ち合わせの駅の近くで手を振る小春は、浴衣を着ていた。これで零勝五十七敗だ。一体彼女は待ち合わせの何時間前に来ているのか不思議に思う。一時間前に来ても、一時間半前に来てもいつもいるのだ。前に、「何時に来てるの?」と聞くと小春は「内緒」と笑っていた。
「浴衣、着てきたよ。可愛いって言ってよって、言ったよね? さあ、言っちゃって!」
「……俺、言うなんて言ってないよ」
ちぇ、と小春は頬を膨らませた。それでも笑っているのは、本当に言わせるつもりはなかったんだと思う。「花火、楽しみだな」と俺の顔を覗き込んで微笑む小春は、本当はこの上ないほど可愛いと思った。
「何食べる?」
「んとねっ、まずはわたあめ!」
「はいはい」
花火が上がるまで時間があるので、屋台を回る。小春は楽しそうに俺の手を引いてわたあめの屋台まで俺を走らせる。
屋台のおっさんに「二つ」と言って財布を出すと、小春は「だめ、一つ」と声を上げた。何がなんだか分からなかったが、とりあえず「一つ」と訂正するように声を出す。それをもらうと、小春は満足そうに頬を赤らめて、草原に向かって走り出した。俺が追いつくと、彼女はそれを俺に差し出した。
「はい、爽ちゃん」
「え、俺が食べていいの?」
「うん。はい、どうぞ」
言われたとおり、一口。口でわたあめをちぎる。口の外に伸びたわたあめを食べようとすると、小春がそれを口に含んだ。突然のことに、一瞬で顔を背けた。二人の唇をつなぐ一本のわたあめが千切れる。「あーあ」とつまらなそうに小春は言った。
「爽ちゃん、どうぞ」
悪意に満ち満ちた顔で、小春はもう一度それを言う。
「……も、いい」
なんだかもう何もかもお腹いっぱいで、胸をトントン、と軽く叩く。
「えへへ、ごめんごめん。嬉しくて、つい」
「……ふん」
花火が始まった。ばーん、ばーん、と内臓を震わせるような大きな音と共に、青、黄色、紫、赤の花火。小春が「わぁ」と感嘆の声を漏らしている。そういえば、花火なんて見るのは久しぶりだ。ふと隣を見ると、俺のクラスの連中が同じ花火を見ていることに気付いた。よく見ると、この前小春をいじめていた女子たちが俺と小春を見ながら何か話していた。きっと、顔からして良くないことを話しているんだということは分かる。彼女がそれに気付いているのか、気付いていないのかは最後までよく分からなかった。
「……綺麗だったねっ、爽ちゃん」
「うん」
花火大会が終わって、帰り道。小春ははしゃいだまま、軽く笑うと帰りに買ったヨーヨーを手に当てて遊んだ。
楽しかった、けど。俺は言わなきゃいけないことを思い出して、小春、と名前を呼んだ。「え?」小春はヨーヨーをやめ、俺の顔を見た。
今日、言おうと思っていたこと。ごめん、と小さくつぶやいた。
「どうしたの、爽ちゃん」
「ごめん、別れよう」
彼女が息を吸い込む音が聞こえる。体が揺れた反動で落ちた風船が、小石に勢い良く当たって——割れた。水が俺と小春の足元にかかる。小春はひゃあ、と声を上げて後退りした。
それからしばらく経って、小春は「やだ」と一言言ってから、嗚咽する声が聞こえた。
「なんで?」
「……俺は、見えない」
「え?」
君の、笑顔しか。俺はまだ、まだ確かに、子供だった。
小春の言葉が遠くに聞こえる。頭がぼやぼやして、彼女の声が響いて聞こえた。
——爽ちゃん、待って、爽ちゃん。
ばいばい、小春。俺は、君を守れなかった。
*
- Re: 君の絵 ( No.5 )
- 日時: 2014/01/19 15:18
- 名前: みーこ. (ID: J9Wlx9NO)
2話
「ん……」
幸せな夢。……や、むしろ悪魔なのか。目を開けようとすると目頭が痛い。それにくわえて、頭の中がくらくらした。爽ちゃん、と名前を呼ぶ声が聞こえる。
「爽ちゃん、眠いの?」
「うんにゃ……小春、か……?」
懐かしい声。目を閉じたまま声を出す。相手は、クスクスと静かに笑った。
「うん。久しぶり」
小春は、俺の頭を撫でる。撫でられたところだけ、じんじんと熱くなった。小春……小春。
「小春っ!?」
「え、何?」
一気に酔いから醒める。勢い良く起き上がると、視界がぐるぐる回った。小春は口をあんぐりと開けて俺を見つめる。顔……変わっていない。それから、小春は後ろを向いて苦笑した。つられて俺も後ろを向く。
「みんな酔っちゃったみたい」
「……」
居酒屋の中は何も音が聞こえない。多分ほとんど寝てるんだろう。「私も少し頭くらくらするな」と小春は手を額にやった。
「爽ちゃん」
名前を呼ばれて、横目で小春を見る。
「爽ちゃん」
「……何だよ」
ふぅ、と小春は息を吐いた。「声、聞きたかった」と言うと、俺の腕にしがみつく。それから、安心したように目を閉じた。
「だって爽ちゃん、何も言ってくれないし、話もしてくれないんだもん。今日は爽ちゃんに会えるかもって思って参加したんだよ」
「……」
何も答えないでいると、腕にしがみつく力を強められる。ズキン、と胸が痛む。小春は、あの頃よりも——ずっと綺麗だった。
「今彼女とかいんのー?」
「……お前、酔ってるだろ」
軽く苦笑したが、俺の腕にしがみつく彼女の腕が震えていることに気付き、首を振った。……そういえば、小春と初めて出かけたときも俺の手を強く握る彼女の手が震えていた。いつもあんなに明るいのに、照れてる顔が可愛くて、好きだと思った。「そっか」と小春は、嬉しそうに俺の腕に顔を擦り付けた。
突然、後ろから声がする。
「んー……」
小春は俺にしがみつくのをやめて、お互いに二秒ほど顔を見合わせて、後ろを向いた。起き上がったのは、夕貴だった。
ひょこっと置くから頭を出した夕貴。頭に寝癖がついていた。
「あれ、二人とも起きてたの?」
夕貴の声はいつもと同じようなやんわりとした口調。……だが、俺を捕らえる彼の瞳は、まるで獲物を見つけたライオンのように鋭かった。小春はそれに気付いていないみたいで、夕貴に「うん」と笑いかけた。
「ふーん。何話してたの?」
「ううん。別に何も?」
「そっかー……。あ、ほらみんな起きて! そろそろかいさーん」
夕貴が他のクラスメイトを起こす。んー、とか、あー、とか声を出してクラスメイトも起き上がる。カウンターに座る俺と小春二人は、その光景をじっと見つめていた。
結局同窓会なんて言って、夕貴と小春としか話さなかった。そんなことを思いながら席を立って店を出る。外を眺めた瞬間、「げっ」と声を漏らす。雨が降っていたからだ。家から近いからと言って歩いてきてしまった数時間前の自分に後悔する。バイク、乗ってくれば良かったなぁ。手を差し出すと、上から勢いのある雨粒が俺の手のひらの中に落ちた。
「傘……」
一言つぶやく。——が、つぶやいたところで傘が出るはずもなく。後ろから他のやつらが出てきそうだったので、走って帰ろうと足を踏み出す——と同時に、誰かに襟ぐりを引っ張られる。思わず、「ぐえ」と声が漏れた。
「私、傘持ってるよ?」
後ろから声をかけてきたのは小春だった。首を振ると、小春は俺の手を握った。傘を開くと、俺の手を引いていく。少し後ろから、店に出てきたクラスメイトが俺たちを見て、感嘆の声を漏らす。
それを気にも留めず、小春は俺の手と傘を握って走り出した。
- Re: 君の絵 ( No.6 )
- 日時: 2014/01/19 23:47
- 名前: みーこ. (ID: J9Wlx9NO)
「……」
ポツポツと雨粒が傘の上に落ちて弾けた。
「……爽ちゃん、家どこだっけ?」
「あ、今は一人暮らし。この近くのマンション。ていうか、普通にお前の家帰っていいよ。俺走っていく」
「マンションって、そこの大きいの?」
「そう」
「本当? 私も!」
偶然、と嬉しそうに目を細めながらはしゃぐ小春は、あの頃のまま変わっていなくて、俺も少しだけ笑ってから、「うん、本当すごい偶然」と言葉にした。いつもそう。小春が嬉しそうにはしゃぐと、なんだか俺まで嬉しくなって笑いたくなる。懐かしい感情が腹の底から湧き上がって、少しだけ目頭が熱くなった。
「大学で、友達とかできた?」
「……うーん。昔よりかは人と話すようになったかな」
「女の子とか、すごいんだろうなぁ。爽ちゃん、しゃべんなくても顔かっこいいもん」
小春は照れたように「えへへ」と笑って、頭を掻いた。
彼女の言うとおり、一時期は女子の圧力がすごすぎて退学しようかと考えたくらいだ。教室ではいつも周りが女子生徒だったし、何かと話しかけてきて困ったときもあった。
「……ははは」
小春の問いに苦笑で返すと、「やっぱりか」と小春は笑った。
マンションに着いて、エレベーターに乗っている最中、小春は急に俺の肩に寄りかかった。「おい」と声をかけるが、小春は返事をしない。彼女の声をよく見てみる。顔が赤い。冷酒飲んだのか? 冷酒は後からまわるって言うし……。
「んにゃ、爽ちゃん……」
「お前、大丈夫か」
肩を支えてなんとか立たせるが、小春はすでに意識がない状態。困ったな、とため息をつく。こいつ、どんだけ飲んだんだよ……。
「おい小春、何号室だよ」
そう言って小春を揺らす。
「小春?」
「爽ちゃん……顔、怖いよう」
小春は楽しそうに笑う。
エレベーターの扉が開く。前を見ると、目の前に、朝によく会うサラリーマンが立っていた。俺たちを見て、目を見開く。
「あの」
「は?」
「扉、手で押さえてもらっていいですか。酔っちゃったみたいで」
「あ、はぁ」
彼に扉を押さえててもらうと、俺は小春を背中に負ぶってその人に頭を下げて外に出た。上下に揺らしてみるが、ヘラヘラと笑っているだけだった。
「……ったく」
ポケットから部屋の鍵を出して、鍵を開ける。
中に入って、背中の小春をソファに寝転ばす。小春は薄目を開けて俺を見ていた。彼女の赤い頬と眠たそうな顔に、ドキン、と胸が鳴った。小春には聞こえてないのに、それが無性に恥ずかしくて、咳払いをした。
「……俺シャワー浴びるから、先に寝てろ」
多分俺の言葉を聞いていないだろう小春に背を向け、風呂場に歩き出す。……ああ、今日は疲れた。あくびをすると、じわりと涙が滲んだ。その瞬間、服の裾を小春に掴まれる。振り返ると、小春の瞳からは涙が溢れていた。横向きの彼女の涙は、鼻を横切って流れて、それからソファを湿らせた。
「……小春」
突然のことに驚いて、俺は小春と目線が合うように腰を折り曲げた。
「……いか、ないれ……」
「え?」
「爽ちゃんいないと、私やっぱり嫌らよ」
ヒクヒクと嗚咽する小春は、酔っていて言葉の羅列が回っていなかった。俺は黙って小春の涙を拭った。
ふと、あのとき小春の涙を拭った夕貴を思い出す。小春に振り払われた夕貴の手は、行き場をなくしてふらふらと自身の腰の位置まで下がると、悔しそうに拳を握り締めていた。俺はどうしても、その震える拳を忘れられない。
「いつも、私からだったでしょ?」
「え?」
「キスも、デートも、ぎゅうってすることすら、爽ちゃん自分からしてくれなかったでしょう」
彼女の言葉に、言葉を失う。口は開いて何か言おうとするのに、自分自身は唖然としていて、言葉が出ない。
怖かった。ずっと、怖かった。と、酔った小春の口から出たとき、自分の頬に伝った涙を拭えなかった。
*
- Re: 君の絵 ( No.7 )
- 日時: 2014/01/21 00:19
- 名前: みーこ. (ID: J9Wlx9NO)
そのまま小春は、すぅ、と寝息を立て始めた。何だよ、こいつ。小さな声でつぶやいく。顔から垂れそうな涙の粒を拭うと、小春を抱きかかえる。軽い。ベッドに寝かせて毛布を被せると、小春の閉じた目から涙が流れた。
それを少しの間見つめる。小春は、不意にヘラッと笑うと、寝返りをうった。部屋の中は、ほぼ無音だった。時計の秒針が動く、カチカチという音だけが響いていた。
ああ、今日は眠れそうにない。今日は、シャワー諦めよう。頭を掻いて、洗面台に向かった。
*
「……ん」
目を開ける。視界が急に明るくなってなのか、それとも二日酔いなのか、頭がクラ、とした。額に手を置いてさする。
目のピントが合うと、小春の背中が見えた。ソファから起き上がって、声をかける。
「……お前、何やってんの?」
「あ、爽ちゃんおはよう。ベッドに寝かせてくれてありがとう」
振り返って、小春は笑った。が、頭痛がするのか、俺と同じように額をさすっていた。俺の上には、ベッドにあったはずの毛布がかけてあった。それを不思議そうに見つめる俺に、寒かったでしょ、ごめんね、と上から声が落ちてくる。
「朝ごはん、作ったけど。今日バイトとか面接とかある?」
「ない」
そっか、と微笑んで、小春はまた前を向いた。
「ねー。二日酔いしちゃった。みんなに言われて、勢いで一気飲みとかやっちゃって……」
「お前、変わんねーな……」
リモコンをテレビに向けてボタンを押した。テレビの中は、お笑い番組の最中だった。お笑い番組を見るのは好きだ。俺自身は大して笑いはしないんだが、自分が元々つまらない人間だから、他の人が面白いことをやっているのを見るのは好き。
どうやら小春は昨日のことを忘れているみたいだ。あれだけ酔っていたなら忘れていて当然か、と思い大きなあくびをする。
小春がどうぞ、と言いながらご飯、目玉焼き、味噌汁が出てくる。一人暮らしを始めて随分経つが、未だに料理は好きになれない。最近はコンビニ弁当を食べる日々なので、久々の手作りの料理に感動する。どうも、と目を合わせないようにお辞儀をすると、小春も嬉しそうにお辞儀をした。
「じゃあ、泊めてくれてありがとう。ごめん、夜色々迷惑かけたよね、全然覚えてないや」
「お前、食べていかないのか」
「うん。なんかお腹いっぱい」
「そう」
小春は玄関に置いてあった荷物を取って、声を上げた。
「じゃ、ありがとねー!」
「……うん」
喉から絞りだしたかのような情けない声が漏れる。うなずくと同時に出したその声は、小春に聞こえたかはわからなかった。
変わってなかった……。声も、顔も。笑ったとき、垂れ目になるあの瞳も、何も変わっていなかった。きゅう、と心臓がしぼむように苦しくなって、目を閉じる。
結局俺は、あの頃のまま何一つ進めていないことに気付く。一人暮らしを始めると決め、身の回りを整理したとき見つけた、小春がくれた誕生日プレゼントのスケッチブックも二冊ともある。捨てようと思ったけれど、最後まで捨てられなかった。俺が絵を描くようにとくれたスケッチブックは、まだ一ページも描いていなくて、真っ白のままだ。
テレビでは、新人の芸人が観客の笑いを取っていた。その笑い声に驚いて我に返る。しばらく番組を眺めていると、部屋のチャイムが鳴った。
ドアを開けると、半泣きの小春。どうした、と声をかけると「鍵、なくした」とか細くそう言った。
- Re: 君の絵 ( No.8 )
- 日時: 2014/02/01 00:50
- 名前: みーこ. (ID: J9Wlx9NO)
「はぁ!? どこに?」
「分かんない……多分、居酒屋……」
はぁ、とため息をつく。こいつは一体どこまで変わっていないのか。
小春はもじもじと身じろぐと、苦笑して俺に言った。
「あの……それで。鍵、見つかるまでここに泊めて……」
「大家には?」
「言った……。お金取られたけど、一個作ってくれるみたい」
もう一度、長い深いため息をつく。
「俺しかアテ、ないのかよ」
一応俺、男だぞ? と付け加える。それを聞いた小春は顔をむすっとさせて、頷いた。そんなはずはない、と思ったが彼女の顔があまりにも曇っていたので、黙っておいた。
チ、と舌打ちする。それは本当に怒ったんじゃなくて、体が火照るのを、必死で阻止したかったからだ。
「仕方ねぇな、入れ」
*
「ごめんね」
小春は苦笑する。ドキ、と胸が高鳴る。これから、鍵を取り戻すまで、小春と一緒……。
「爽ちゃん?」
「いや、何でもねえ」
そう、と小春は吐息を落とす。俺はソファに座って、テレビの電源を再度つける。——が、行き場をなくした小春がそこで立ち尽くして困惑していることに気付く。この部屋には、ソファは一つしかない。
「……ここ、座れば」
俺の隣を叩いてから、小春の反応をうかがう。彼女の顔が、明るくなったのが分かった。
「ありがとう」
「別に……」
「あ、この芸人さん最近売れてきたよね。私、お笑い大好き」
その後もくだらない話をベラベラと語りだす小春の横顔を見つめる。彼女はそれに気付いていないみたいで、キラキラと瞳の中を輝かせながらテレビ画面に見入っていた。
綺麗、だ。あの頃よりも、確実に。
そう思うと、昨日見た夢を思い出す。小春の涙、と、夕貴の拳と、顔。そのときは驚きのあまり頭の中が白くなり、呆然と立ち尽くしていることしかできなかった。今なら、全てを知った今なら。俺は、どうするだろう。ふ、と目を閉じると、制服姿の小春が俺の目の前で笑っていた。——やめろ。嫌、嫌だ。
——君の笑顔を見ても、それが本当なのか見分けをつけられる自信がない。
「爽ちゃん?」
小春がもう一度俺の名を呼ぶ。爽ちゃん、か。
目を開けて彼女を見ると、その瞬間に彼女の顔が曇る。
「どうしたの? 顔色悪いけど」
小春が、俺の頬に手をやる。彼女は、心配そうに眉を寄せていた。ハッ、と息を飲み込むと、目を固く閉じた。その瞬間、目の前からも息を吸い込む音が聞こえた。きっとそれは小春。
「……爽ちゃん」
小さく、か細い声だった。頬に何かが触れた感覚はしない。目をゆっくり開けると、小春が顔を俯かせていた。頬の横にあった手のひらはいつの間にか下がっていた。
小春、と。無意識の間に、声を漏らしていた。言ってから後悔する。手を口元に当てた。テレビの中の新人芸人が、観客の爆笑をとっていた。
「爽ちゃん、私のこと嫌いになった?」
「……え」
「だって、私。だって、爽ちゃん、何も言ってくれないから。あの日から、ずっと」
小春のか細かったその声は、段々と強く震えるように変わる。彼女は、俯いた目線の先で、指先をいじっていた。
ぎゅう、と下唇を上の歯でかみ締める。それから、痛いほど高鳴る胸を押さえつけるように一つ咳払いをして、小春に向けて言う。
「夕貴みたいに、もっと分かってやれるやつだったら。ごめん、俺、お前のこと何も分かってなかった」
その声に反応して小春が顔を上げたのが分かって、その瞬間俺は彼女に押し倒される。ソファに倒れるつもりが、勢いあまり床に転げ落ちる。それでも小春は俺の肩を掴んで離そうとしない。押し倒された俺は、ただ苦笑するしかなかった。
「お前、いってえな……」
「夕貴とか、そんなん関係なくて! 爽ちゃんがいいの、爽ちゃんが好きなの!」
私が聞いているのはそんなことじゃなくて、とそれから少しして付け足した。
大きな涙が小春の瞳からこぼれて、俺の頬にかかる。それは、ひどく冷たかった。心臓はもうすでにおかしくなりそうなほど動いている。自分の心臓がどこにあるかはっきりと分かる。
——つけっぱなしのテレビは、もうお笑い番組は終わっていて、最近流行のドラマが始まっていた。
そのドラマは、悲しくて苦しい、悲恋の話で。俺は何故か、泣けなくて。
「好き……」
蚊が鳴くような小さな声の小春の言葉は、部屋の空気をフラフラと揺れて——消えた。小春が俺の肩から手を離す。一応起き上がるが、小春は俺の腰の位置に座って離れようとしない。
「でも」
——そうだ。
「もう、終わったことなんだ」
俺がそう言うと、小春は腹を立てたような、今にも泣きそうな、そんな表情を浮かべて、俺の顔を見つめた。
ごめん、小春。
心の中で何回も謝るけど、その繰り返しは俺の罪悪感を高めるだけだった。
小春は立ち上がると、玄関へと走り出す。おい、と声をかけそうになって、それを飲み込む。喉まで出かかったその言葉は、今言ってはいけない気がした。
バタン、と大きな音がする。あんなに大きな音を立ててドアを閉めたことはない。きっと、わざと小春がやったんだろう。
結局俺は、あの日から何も進めていなくて。ただ、罪悪感だけが俺の首を絞め続ける。
——そうだ。ふいに立ち上がって、部屋の押入れのダンボールを取り出して、中身をひっくり返す。……スケッチブック。それを開くと、ヒラリと一枚の紙が床に落ちる。
手に取って、心がドスンと重くなる。
あのとき描いていた君の絵。一枚の紙の中の君。もう絵の具でぐしゃぐしゃに塗りつぶされていて。黒に滲んだ絵の具の奥の君は、確かに笑っていた。
ごめん、と呟いた。
ごめんなさい。ごめんなさい。俺は、君に涙しか与えてあげられなかった。
*
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